V2ロケット

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V2ロケット
Fusée V2.jpg
ペーネミュンデの記念館にある A4 の実物大の模型
種類 単段式弾道ミサイル(エリア爆撃)
原開発国 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
運用史
配備期間 1944年9月8日 - 1952年9月19日
配備先 ナチス・ドイツの旗 ナチス・ドイツ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ(戦後)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦(戦後)
開発史
製造業者 ミッテルベルク GmbH(開発はペーネミュンデ陸軍研究所
値段 100,000 RM(1944年1月)
50,000 RM(1945年3月)[1]
製造期間 1942年3月16日
諸元
重量 12,500 kg (28,000 lb)
全長 14 m (45 ft 11 in)
翼幅 3.56 m (11 ft 8 in)
弾体直径 1.65 m (5 ft 5 in)

弾頭 980 kg (2,200 lb) アマトール火薬

推進薬 エタノール 75 % と水 25% の混合燃料が3,810 kg (8,400 lb)と、液体酸素が4,910 kg (10,800 lb)
行動距離 320 km (200 mi)
射高 88 km (55 mi) 最大射程時の最大高度, 206 km (128 mi) 垂直打ち上げ時の最大高度
速度 最大:
1,600 m/s (5,200 ft/s)
5,760 km/h (3,580 mph)

着弾時:

800 m/s (2,600 ft/s)
2,880 km/h (1,790 mph)
誘導方式 ジャイロスコープによる姿勢制御
エンジン停止用のミューラー型振り子式ジャイロスコピック加速度計が量産された大半のロケットに装備(10% のミッテルベルクロケットは誘導ビームでエンジン停止)[2]:225
発射
プラットフォーム
運搬式 (Meillerwagen)

V2ロケットは、第二次世界大戦中にドイツが開発した世界初の軍事用液体燃料ミサイルであり、弾道ミサイルである。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが命名した報復兵器第2号 (Vergeltungswaffe 2) を指す。この兵器は大戦末期、主にイギリスベルギーの目標に対し発射された。以前より開発されていたアグリガット(Aggregat)シリーズのA4ロケットを転用・実用兵器化したものである。

開発[編集]

牽引式発射装置上のV2

1927年に結成されたドイツ宇宙旅行協会は、宇宙旅行を目指して1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァイマル共和国陸軍は、1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、ヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマチュア研究者だったヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。

フォン・ブラウンらはこれに応じて同研究所に参加、1934年12月、エタノール液体酸素を推進剤とする小型のA2ロケット(質量 500 kg)の飛行実験を成功させた。

1936年までには、チームはA2ロケットの開発計画を終了し、新たに A3 と A4 の開発に着手した。後者は射程距離 175 km 、最大高度 80 km 、搭載量 約 1 t として設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊のクマースドルフ陸軍兵器実験場 (Heeresversuchsanstalt Kummersdorf) からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島ペーネミュンデに新設したペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) に移した。

A4 の約 1/2 スケールモデルの A3 は4回の打上げに全て失敗したため、A5 の設計が始められた。このバージョンは完璧な信頼性を備え、1941年までに約70基が試射された。

最初の A4 は1942年3月に飛行し、およそ1.6km飛んで海中に落下した。2回目の打上げでは高度 11.2 km に到達して爆発した。

1942年10月3日の3回目の打上げで成功。ロケットは完全な軌跡を描き、宇宙空間に到達した初の人工物体となって 192 km 先に落下した。

1940年頃よりイギリス軍情報部は写真偵察からこの開発計画を察知し、1943年8月にペーネミュンデを爆撃した(ハイドラ作戦)。このため、同年11月より生産テスト・発射訓練部隊は内陸部奥深くの武装親衛隊演習場、ハイデラーガー(Heidelager、現ポーランドのブリツナ Blizna)に移動した。1944年5月には、試射されたミサイルポーランド人レジスタンスブク川の土手から回収し、極めて重要な技術的詳細をイギリスに伝えたこともあり、連合軍はペーネミュンデを数回にわたって爆撃し、研究と生産を遅延させた。

ドルンベルガーは当初よりトラクター牽引式の発射装置を想定し、ロケットのサイズを鉄道・道路での輸送が可能な範囲に留めることを設計条件としていた。アドルフ・ヒトラーは地下発射陣地に拘り、最初の陣地建設がカレー近くで1943年に開始されたが、イギリスは直ちにこれを爆撃して破壊した。この一連の作戦はクロスボー作戦 (Operation Crossbow) として著名。

このため地下発射陣地建設計画は破棄され、ミサイル、人員、機器、燃料を乗せた約30台の各種車両から成る技術部隊・発射部隊が編成された。ミサイルは工場から射場近くまで鉄道輸送され、運搬車 (Vidalwagen) に載せ換えて射場まで道路輸送された。弾頭が取り付けられた後、発射部隊がミサイルを発射台兼用車 (Meilerwagen) に移し、液体燃料を注入して発射した。

ミサイルは事実上どこからでも発射可能で、カモフラージュの観点から特に森林の道路上が好まれた。射場決定から発射までの所要時間は、4ないし6時間程度で、機動性の高い小部隊だったため、一度として敵空軍に捕捉されたことはなかった。

なお、報復兵器のうち、V1 は空軍所管だったのに対し、V2は陸軍が所管した。これは、V1 が飛行爆弾で「無人の戦闘機」とみなされたのに対して、V2はロケットで「巨大で高性能な砲弾」と考えられたことによる。

生産・発射[編集]

V2 は、ドイツ中部のノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、ミッテルバウ=ドーラ強制収容所の収容者により生産された。その多くはフランスソ連戦争捕虜で、劣悪な環境の中、そのうち約10,000人が過労死したり、警備員の手で殺された。皮肉なことに、この数は V2 の実際の攻撃による死者数を遥かにしのいでいる。

最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊で、1944年9月2日、当時解放されたばかりのパリを攻撃すべく、ベルギーのホウファリーゼ近くに発射基地を設営した。翌日には第485砲兵大隊がロンドン攻撃のためにハーグに移動した。数日間は打ち上げは失敗に終わったが、9月8日両部隊とも成功した。

続く数ヶ月間に発射された総数は次の通り。

岩塩坑跡に設置された生産ライン
ドーラの死体焼却炉

1945年3月3日連合国軍はハーグ近郊の V2 と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みたが、航法誤差のためベザイデンハウツェ区域が破壊され、市民におよそ500名の死者を出した。

V2 の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音を発するV1飛行爆弾と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存の兵器では迎撃不可能な V2 は、ドイツにとって有用な兵器たりえた。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。

反面迎撃不可能ゆえに、V2 の攻撃を阻止するには発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツの敗北を早めた兵器とも言える。一方、同じ報復兵器のV1飛行爆弾は低速で迎撃が可能な分、かえってそのために戦力を割かねばならず、戦略的には V2 より効果があったとも言える。

上記の欠点を嫌った軍需大臣アルベルト・シュペーアは、より小型で使い勝手の良い兵器の開発を望んだが、大型兵器による戦局打破に拘ったヒトラーに押し切られ、製造が続けられた。

戦後の V2 の利用[編集]

アメリカの「バンパー」の試射(1950年)

戦争の末期には、V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く獲得するレースが行われた。アメリカ軍ペーパークリップ作戦の下で貨車300両分の V2 とその部品を鹵獲し、オルガー・N・トフトイ大佐は、ジョージ・パットン大将率いる第3軍に投降したフォン・ブラウンやドルンベルガー将軍をはじめとする126人の主要な設計技術者をアメリカに連れ帰った[3]。その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用のV2ロケットを活用して進められた。これらの改良型V2のひとつである2段式の「バンパー」は、1949年2月24日の試験飛行で当時の高度記録である 400 km を達成した。

フォン・ブラウンはアメリカ陸軍レッドストーン兵器廠に勤務し、1950年からはアラバマ州ハンツビルに居住。後にレッドストーンジュピタージュピター-Cパーシングそしてサターンなど、ほぼ全てのアメリカのロケットの生みの親となった。

ソ連もまた多数のV2ロケットと250人余りの技術者を捕らえた。元共産党員の妻を持つヘルムート・グレトルップ (Helmut Gröttrup) がこのグループを率いた。彼らはドイツ国内でロケット研究を継続できるという条件でソ連軍に協力したが、1946年にソ連は突如彼らをソ連国内の孤島に隔離収容して、V2ロケットをもとに多くの新しいミサイルの開発を行なわせた。しかし、ドイツ人の設計によるものは一つも生産されたものはなかった。1950年代にソ連の技術者が十分な経験を積むと、ドイツ人技術者は東ドイツに帰国させられた。

ドイツ人技術者のノウハウをもとに、ソ連が開発したミサイルにはV2のコピーR-1 、射程延伸型R-2、R-3(計画のみ)、ソ連で最初に核弾頭を搭載したR-5およびR-5M(NATO名:SS-3 Shyster)などがある。スカッド(NATO名:SS-1b/c SCUD、ソ連名称:R-11およびR-17)ミサイルはそれらの技術から発展した戦術ミサイルである。

同様にイギリスは少数のV2ミサイルを捕獲し、いくつかを北ドイツの射場でバックファイア作戦として打ち上げた。しかし、関係した技術者はすでに、試験完了後にアメリカに移ることに合意していた。同作戦の報告は、あらゆる支援手順、専用の車両そして燃料合成を含む広範囲な技術文書を残した。

詳細技術[編集]

エンジンのカットアウェイ
V-2 rocket diagram (with Japanese labels).svg
推力偏向板

V2の射程距離は、約 1,000 kg の弾頭でおよそ 300 km であった(参考:質量の比較)。 そのほかの仕様は次の通り:

推進剤は、アルコールエタノール)との混合燃料、及び、液体酸素酸化剤)である。混合燃料は重量軽減のためアルミニウムの燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは稀少かつ高価であったため、ドイツの戦時経済にとっては大きな負担となった。

燃料は、過酸化水素によって駆動されるターボポンプによって主燃焼室に運ばれる。このときアルコールと液体酸素の混合比が常に適切になるようにいくつかのノズルを通る。また、燃料は主燃焼機の壁を通るようになっており、これは混合燃料を予熱すると同時に、燃焼機を冷却して過熱による強度低下や溶融を防ぐ働きをしている。

ロケットの進行方向を変えるための燃焼ガスの向きを制御する方式として、推力偏向板(ジェットベーン、Jet vane)が使われた。これは、現在の大気圏外を飛行するロケットで主流の方式であるジンバル機構(ノズル全体の向きを変える方式)に比べると、燃焼ガスの運動量損失が大きいという欠点はあるが、機構がごく簡単なため、当時の工作技術の下では合理的な選択であった。

ロケットの軌道制御装置として真空管を用いた簡単なアナログコンピュータが用いられた。試験段階では、ロケットの激しい振動によって真空管のフィラメントが切れたため、制御不能となったロケットが試験場周辺に墜落するという事故が絶えなかったが、原因が分かって防振対策が施されてから安定飛行するようになった。飛行距離は燃料残量で計算され、燃焼が完了するとロケットは加速を停止し、程なく放物線飛行カーブの頂点(約80km)に達した。しかし、命中精度が低く、兵器としての価値はさほどのものではなかった。このことから、後期になると地上から送信する電波信号で目標への誘導する方式のものも作られた。

作戦用のV2は大抵何種類かの迷彩パターンで塗装されたが、終戦近くには全面オリーブドラブ塗装も見られた。試験段階の、特徴的な白と黒(ないし濃色)の市松模様の塗装も、写真が何枚もあり印象的だが、これはセンサーなどの未発達な当時において目視や写真からロケットの姿勢を判断しやすくするための簡単かつ効果的なアイディアで(上のA4実物大模型写真参照)、後にロケット開発に早期に参入した国々の機体にも見られるものがある。

創作物への登場[編集]

  • ベルギーの漫画「タンタンの冒険」シリーズの作品『タンタンの冒険 めざすは月』 (Objectif Lune/Destination Moon) および『タンタンの冒険 月世界探検』 (On a marché sur la Lune/Explorers on the Moon) に登場する月ロケットは、一見、A4 そっくりである。両機の機体表面に描かれているチェック模様が酷似している為だが、これは当時まだ、打ち上げ発射台に乗せたロケット機体の傾き誤差をセンサーで自動検知する技術が確立されていなかった為である(人の視力で、遠方からそれを事前にチェック・把握するしか術が無く、それを少しでも円滑に行い易くする様、機体にチェック模様が塗られていた)。戦後、アメリカが開発した宇宙開発用ロケットの初期段階の機種でも、同じ様な模様を暫く描いて運用されていた。ロケットの表面にチェック模様が描かれるのがごく当たり前の時代に創作されたが為、前述の作品でも同じくそういうデザインが採り入れられたと思われる。

小説[編集]

  • トマス・ピンチョンの長編小説『重力の虹』において、V2は重要な役割を果たす。
  • 野田昌宏の短編SF小説レモン月夜の宇宙船』には、かつてV2の開発に参加していた日本人の老SFファンが登場。資料が破棄されたV2の基幹技術を応用した月ロケットを個人で作り上げ、アポロ計画に先駆けた月旅行を目指す。
  • 架空戦記の中ではかなり有効な兵器として見られる場合が多く、V2やその発展型が核兵器を搭載し、イギリス本土やアメリカ本土、あるいは日本本土まで攻撃することがある。一方で史実ではあまり効果がなかったため、開発を縮小、中止にして核兵器やその他の兵器に力を注ぐという作品もある。
  • 『逆撃シリーズ・ドイツ編』(柘植久慶)において、核弾頭装備のV2を発射する計画が発動したが、ハインリヒ・ヒムラーの妨害により頓挫している。
  • 赤松中学のライトノベル『緋弾のアリア』では、主人公のV2ロケット上での戦闘が描かれている。

音楽[編集]

  • 小室哲哉YOSHIKIからなる音楽ユニット「V2」も、V2ロケットから由来する。ネーミングは小室哲哉によるもので、他に飼い犬を「ユンカース」と命名するなど、彼がドイツ軍マニアであるためだという。
  • ローリングストーンズキース・リチャーズは、自分の出生をインタビューで語るときに、よく「ヒトラーのミサイル (V2) がかすめる横で生まれた」とウィットにとんだ発言をしている。

映画[編集]

ゲーム[編集]

  • スナイパーエリートV2』は、V2ロケット関係者を巡って、表面上は連合国に属する同盟国同士のアメリカ合衆国とソビエト連邦が秘密裏に繰り広げる争奪戦が描かれるが、後半では敗戦間近のドイツからソ連へと亡命を図っていたヴォルフが開発した神経ガス「タブン」を用いて、ソ連が押さえたV2発射場からドイツ軍による最後の反撃を偽装した、タブンが封入された化学弾頭を装填したV2をロンドンへ向けて発射する極秘計画が判明し、主人公のアメリカ人スナイパー、カール・フェアバーンがこれを阻止するのに奔走する。

参考文献[編集]

  • ヴァルター・ドルンベルガー『宇宙空間をめざして・V2物語』松井巻之助(訳)、岩波書店、1967年
  • 野木恵一『報復兵器V2』朝日ソノラマ、1983年
  • Werner Oswald: Kraftfahrzeuge und Panzer der Reichswehr, Wehrmacht und Bundeswehr, Motorbuch, 1995, ISBN 3-87943-850-1
  • Wolfgang Fleischer(クマースドルフ陸軍兵器実験場): Die Heeresversuchsstelle Kummersdorf, Podzun-Pallas Verlag, 1995, ISBN 3-790-90556-9
  • クルト・マグヌス『ロケット開発収容所・ドイツ人科学者のソ連抑留記録』サイマル出版会、1996年、ISBN 4-377-31074-7
  • Micheal J.Neufeld(ペーネミュンデ陸軍兵器実験場): The Rocket and the Reich ,Peenemünde and the Coming of the Ballistic Missile Era, Free Press, 1995, ISBN 0-02-922895-6
  • Tracy Dungan: V-2: A Combat History of the First Ballistic Missile, Westholme Publishing[4], 2005, ISBN 1594160120

脚注[編集]

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  1. ^ Kennedy, Gregory P. (1983). Vengeance Weapon 2: The V-2 Guided Missile. Washington DC: Smithsonian Institution Press. pp. 27, 74.
  2. ^ Neufeld, Michael J (1995). The Rocket and the Reich: Peenemünde and the Coming of the Ballistic Missile Era. New York: The Free Press. pp. 73, 74, 101, 281.
  3. ^ A Memoir of MG Tofoy by a West Point Classmate” (英語). Redstone Arsenal Historical Information. レッドストーン兵器廠. 2007年8月18日閲覧。
  4. ^ http://www.westholmepublishing.com/id19.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]