ケン・リヴィングストン

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ケン・リヴィングストン
Ken Livingstone
生年月日 (1945-06-17) 1945年6月17日(78歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスロンドン・ランベス
所属政党 労働党
配偶者 エマ・ビール

当選回数 2回
在任期間 2000年5月4日 - 2008年5月4日

選挙区 ブレント・イースト選挙区
当選回数 3回
在任期間 1987年6月11日 - 2001年6月7日
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ケネス・ロバート・リヴィングストンKenneth Robert "Ken" Livingstone1945年6月17日 - )は、イギリスの政治家。

来歴[編集]

ロンドン、ランベスにて出生。両親はともに労働者階級に属し、スコットランド出身の父は船員で、母はミュージック・ホールで働いていた。

総合中等学校(en)を退学後、1962年から1970年までフラムのガン研究所で研究員となる(ここでの彼の仕事は動物実験で使用される動物の世話に関与していた)[1][2][3] 。研究所スタッフのほとんどが社会主義者であることを知り、政治活動にかかわっていくようになる。1968年に労働党へ入党。1973年、グレーター・ロンドン・カウンシル議会選挙にノーウッド選挙区から出馬、当選した。

1981年にグレーター・ロンドン・カウンシル議長に就任するが、当時の保守党政権のマーガレット・サッチャー首相と対立して首相にグレーター・ロンドン・カウンシルの廃止を決断させたことは有名である。2000年に新設された初代市長職職を2期務めた。

トニー・ブレアと同じ労働党に属するが、"Red Ken"とも呼ばれる党内左派の論客であり、イラク戦争には強硬に反対した。歯に衣着せぬ物言いが支持を集める一方、時に物議を醸す。

2008年5月1日に実施された市長選挙で、ジャーナリスト出身の保守党候補で下院議員のボリス・ジョンソンに敗れ落選した。2012年5月に行われたロンドン市長選挙に再び立候補したが、現職のジョンソンに僅差で敗れ落選した。[4][5]

人物[編集]

リヴィングストンはメディアでは極左として扱われており、自身も社会主義者を自認する(ただしマルクス主義には賛同していない)。

一方で彼の両親は右派であり、後年彼は両親について『労働者階級のトーリー』と述べている[6] 。一方で両親は社会自由主義の観点から、人種差別、同性愛者差別に反対していた[7] 。ありふれたアングリカンの家庭で育ったが、リヴィングストン自身は11歳の時にキリスト教および一神教信仰を捨て、無神論者となった[8]

離婚歴があり、2009年に再婚した現在の妻エマ・ビールとの間に2子がある。2008年のロンドン市長選挙時、当時交際していたエマ・ビールとの子以外にも、リヴィングストンがかつての交際相手との間に3子をもうけていることが明らかにされた[9]

趣味は園芸とイモリの繁殖である。

物議を醸した発言[編集]

率直かつ過激な物言いが、連日メディアを賑わせていた。以下はそのほんの一部である。

  • 反ユダヤ主義的な発言が多く、イスラエル政府を激しく非難することもしばしあった(彼自身は反ユダヤではなく、民族浄化を行った疑いのあるアリエル・シャロン首相の存在に反対している、としていた)[10]。執拗に取材を迫るユダヤ人ジャーナリストナチスの「ユダヤ人強制収容所の看守」呼ばわりし、大きな問題になった。この一件があってか、ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ(ユダヤ系)がリヴィングストンに嫌悪感を覚えたとされ、2006年9月にリヴィングストンがニューヨークを訪問した際、ブルームバーグから多忙を理由に面会を拒否されたという。
  • 同様に反米的な発言も多い。イラク戦争には反対の立場を取り、2004年の市議選でアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領を「戦争犯罪人だ」と公に非難した[11]
  • 自分が提案し施行した渋滞税(コンジェスチョン・チャージ)に対し、2005年から50以上の国の大使館が「ウィーン条約で外交官が免除されている直接税だ」と主張し、支払いを途中から拒否し始めた[12]。支払いを2006年に日本大使館がやめたことについてメディアで訊かれて、「戦争犯罪を認められないような連中なのだから、渋滞税のことなど気にも留めないだろう」と発言し、日本側が「すでに戦争については謝罪は済んでいるはずだ」と反論する声明を出している[13]。また2006年にも渋滞税に絡んで、ロバート・ホルムス・タトル駐英米国大使を「アメリカから来たクルマのセールスマンでブッシュの手下」と酷評した[14]

脚注[編集]

  1. ^ Hosken 2008. p. 09.
  2. ^ Livingstone 1987. p. 13.
  3. ^ Hosken 2008. pp. 09-10.
  4. ^ Owen 2008.
  5. ^ Mulholland 2010.
  6. ^ Langley, William (2008年1月27日). “Family Detective:Ken Livingstone”. London: The Daily Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/comment/personal-view/3554207/Ken-Livingstones-as-bendy-as-his-buses.html 2010年8月27日閲覧。 
  7. ^ Hosken 2008. p. 11.
  8. ^ #Bun05|Bunder and Livingstone 2005.
  9. ^ “London's Mayor has five children”. BBC News. (2008年4月3日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/london/7329369.stm 2010年4月4日閲覧。 
  10. ^ Ken Livingstone interview
  11. ^ ロンドン市長・市議選 反戦市長が再選 戦争推進の労働党は後退
  12. ^ ロンドン渋滞課金が外交問題に
  13. ^ London mayor likens toll snub to war stance
  14. ^ ロンドン市長「米大使はクルマのセールスマン」発言

外部リンク[編集]

先代
ロンドン市長
初代:2000年5月4日 - 2008年5月4日
次代
ボリス・ジョンソン