グリニッジ子午線
グリニッジ子午線(グリニッジしごせん、Prime meridian at Greenwich)は、イギリス・ロンドンの旧王立グリニッジ天文台の跡地を通る子午線(経線)である。歴史的にこの子午線を経度の基準(0°0′0″)として採用することが多かった。これを本初子午線(ほんしょしごせん、prime meridian)と呼ぶ[1]。子午線上で天体を観測することは時刻を定めることとなり、グリニッジ平均時(グリニッジの平均太陽時)が定義される。
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歴史 [編集]
そもそも、グリニッジ天文台は基準子午線を決定するための観測のために設置された。初代台長ジョン・フラムスティードはグリニッジ天文台で観測した厳密な恒星図を作り世界各地でグリニッジとの観測時間の差を測定すればグリニッジ天文台との経度差が分かると考え、フラムスティード天球図譜という星図を製作した。この星図はその後、航海者によって広く使われた。
一方、他国もそれぞれの国の天文台を基点とした星図を作った。しかし1750年代、イギリスが世界的な海運国になると星図もフラムスティードのものが全ヨーロッパ的に使われることが多くなった。世界の海図の多くも早くからグリニッジ子午線を基準に採用した。
その後、鉄道網の整備が始まると陸域でも地域共通の時刻が必要とされはじめた。イギリスではロンドンの時間であるグリニッジ平均時が鉄道の運行に用いる「鉄道時間」として採用が始まった。その後、イギリス全土で共通の時刻を用いるよう収斂していった。
1850年、アメリカ合衆国はグリニッジ子午線を基準に採用した。アメリカは領土が東西に長く広い鉄道網を持っていたため、国内で統一した子午線を使うことが必要とされていた。
一方1875年、国際地理学会はカナリア諸島フェルロを基点とする子午線を基準子午線とすることを決議した。全世界的に採用するには特定国の首都などは避けたほうがいいという主張を受け入れたものだが、実際にはカナリア諸島を基点とするとパリを基準にするのとほぼ同じ意味になる(経度差がちょうど15度のため)という理由であった。しかし、この基準子午線はフランス以外の国には非常に不評だった。
1881年に再度開かれた国際地理学会では、カナリア諸島は基点としては不適で重要な観測拠点となりうる天文台を基点とするべきだという主張が行われた。
1884年10月13日、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議 (International Meridian Conference) がワシントンD.C.で開かれた。日本からは菊池大麓が参加した。フランスは中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられなかった。投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用されグリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。
日本では、江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。1871年に日本の基準子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。1886年7月13日の勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。
IERS基準子午線 [編集]
国際地球回転及び基準座標系事業 (International Earth Rotation and Reference Systems Service) (IERS)によって定義、保持されている測地系が国際地球基準座標系(ITRF)であり、アメリカ国防総省の運営するGPSの基準座標系にもなっている。その基準子午線はグリニッジ天文台から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。これはGPSの前身となるTRANSIT衛星の座標系として北米測地系1927を基準としたためである。国際水路機関は1983年にすべての海図で国際地球基準座標系を採用している。
脚注 [編集]
- ^ 「本初」とは「最初」、すなわち経度0°0′0″を意味する。
関連項目 [編集]
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