キャノン・ストリート駅
| キャノン・ストリート駅 Cannon Street station |
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キャノン・ストリート駅
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セントラル・ロンドン内におけるキャノン・ストリート駅の位置
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| 位置 | |
| 所在地 |
キャノン・ストリートEC4N 6AP 北緯51度30分37.44秒 西経0度5分26.77秒 / 北緯51.5104000度 西経0.0907694度 |
| 行政区 | シティ・オブ・ロンドン |
| 駅情報 | |
| 運営 | ネットワーク・レール |
| 路線 | サウス・イースタン本線 |
| 駅構造 | 高架駅 |
| 駅コード | CST |
| ホーム数 | 7 |
| ゾーン | 1 |
| NR 年間乗降員数 | |
| 2004/5年度 | 17.460百万人[1] |
| 2005/6年度 | 17.614百万人[1] |
| 2006/7年度 | 21.106百万人[1] |
| 2007/8年度 | 22.177百万人[1] |
| 歴史 | |
| 1866年09月01日 | 開業 |
| その他 | |
| 外部リンク | 時刻表 • 駅の構造 駅の施設 • バス路線・停留所 |
座標: 北緯51度30分37秒 西経0度05分27秒 / 北緯51.5104度 西経0.0907度
キャノン・ストリート駅 (Cannon Street station) は、イギリスのロンドン都心部にある駅。金融街シティ・オブ・ロンドン(シティ)の南端、テムズ川の北岸にある、ナショナル・レールとロンドン地下鉄の複合駅である。
この駅は、中世のハンザ同盟のイギリスにおける交易基地であったSteelyardの場所に建てられている。この駅はトラベルカード・ゾーン1にある。
目次 |
ナショナル・レール [編集]
この駅は、テムズ川の南岸からキャノン・ストリート鉄道橋を渡りシティの南端に達したところにある終着駅で、頭端式ホーム4面7線のプラットホームを持つ高架駅である。元々は8番線まであったが、1990年代後半の改装により元の1番線が撤去されている。
鉄道橋を渡ったテムズ川南側において線路は東西にあるロンドン・ブリッジ駅・ウォータールー・イースト駅の両方向へ分岐し、東西に両駅を結ぶ線路に合流するデルタ線の形になっている。 駅はキャノン・ストリートとDowgate Hillに出入口を有する。
キャノン・ストリート駅はネットワーク・レールが所有のみならず管理も行う17の駅のひとつである。
歴史 [編集]
初期の建築物 [編集]
この駅は1866年9月1日にサウス・イースタン鉄道 (イギリス)により開業した。初期の駅舎はJohn Hawkshaw卿およびJ.W. Barryにより設計されたもので、テムズ川に面する高さ135フィート・面積23平方フィートのWren-styleの2本のタワーが特徴的であった。この塔は、鉄とガラスでできたほぼ半円形の高い天蓋がかけられた、700フィートの長さを持つ鉄製の駅の屋根を支えた。1867年には、これに街路への印象的な建物の正面と同様に駅の旅客設備の多くを提供したE.M. Barryにより設計されたItalianateスタイルのホテルおよび前庭が接合された。この配置はチャリング・クロス駅における配置にとてもよく似ている。駅はレンガ造の陸橋でアッパー・テムズ・ストリートを越えて続いている。この陸橋の下には多くのローマ時代の建築物が残されている(これらは計画された遺跡を形作っている)。 バリーの5階建ての「City Terminus Hotel」は名称を二回変更された。一度目は「Cannon Street Hotel」であり、後にオフィスビルとして「Southern House」とされた。
大戦期 [編集]
1926年6月5日~28日から、サザン鉄道は、ホームの建て替え、線路の取り替えおよび電気信号の新しいシステム(4色の発光信号)の導入を含む、様々な工事を続けた。
また、駅の改装およびガラスの天蓋の清掃も行われた。新しい電車用の5本の側線(留置線、five set aside)とともに、ホームの数は9から8に削減された。鉄道橋の幅に架かっていた信号扱所は撤去された[2]。
第二次世界大戦の前には構造的な問題を無視されていた駅は、爆弾の被害を大きく被り、屋根を破壊したいくつかの焼夷弾が命中した。高性能爆弾も8番ホームに命中した[3]。初期のガラスの天蓋は戦前にそれを保存する試みで撤去されていたが、その天蓋を格納していた工場が酷い爆撃を受け、天蓋は破壊されてしまった。
再建 [編集]
1950年代、戦争の被害を受けたキャノン・ストリート駅は、不動産開発業者にとり重要なターゲットになった。1950年代の不動産ブームの際に一等地にある駅が注目され、またイギリス国鉄には代替的な収入源を模索する必要があったからである。
様々な計画がキャノン・ストリート駅の再建のために提案された(イギリス国鉄の近代化計画の一部としての1955年にはSouthern Houseの下への新しいticket hallとコンコースの設置から、駐車場[4]やさらにはヘリポートの建設[5].まで)。1962年、British Transport CommissionはTown & Country Properties Ltdと、駅の上に総計154,000平方フィートとなる多階建てのオフィスビルを建設する契約を交わした。開発費用は230万ポンド、また1965年6月の完成と見込まれた[6]。
再開発の準備のため、かつての壮大な駅の天蓋の残部は1958年に撤去された。また、Barryのホテル(1931年からはオフィスビルとして使用されていた)もすぐ後の1960年に撤去された[7]。
新しいビルの設計に選ばれた建築家は、イギリス国鉄総裁Graham Tunbridgeが大戦中に出会い、親友であったJohn Poulsonであった。Poulsonは様々なBritish Rail terminiの再開発につき契約を得るため、この友情を利用した。彼はTunbridgeに週あたり£25を支払い、そしてビルの契約(ウォータールー駅、イースト・クロイドン駅を含む)という反対給付を受けた。1974年、彼の裁判において、彼はキャノン・ストリート駅ビルの契約の少し前に、Tunbridgeに200ポンドの小切手と80ポンドの財物を供与したことを認めた[8]。Poulsonは後に贈賄の罪で有罪とされ、7年のconcurrent判決を受けた。Tunbridgeは15ヶ月の執行猶予判決と彼の事務における役職につき (for his role in the affair) 4000ポンドの罰金を受けた[9]。Poulsonのビルはイギリスの全ての駅舎の中でも最も醜いもののひとつとされ、酷い異形のご立派な建物と注目される (turning once a fine building into a hideous monstrosity) 。
現在残る初期の駅構造物はcountry endにある120フィートの赤レンガのツインタワーと低い側壁のみである (the twin 120-ft red-brick towers at the country end and parts of the low flanking walls) 。
近年 [編集]
1974年の8月2日-9月9日までの5週間、駅は線路およびresignalledされるロンドン・ブリッジ駅へのアプローチの設置の変更を可能にするため、閉鎖された。列車はロンドン・ブリッジ駅、チャリング・クロス駅およびブラックフライアーズ駅に振り分けられた[10]。
1976年3月4日、IRAの爆弾およそ10lb (4.5kg) がキャノン・ストリート駅を発車した回送の通勤列車内で爆発し、隣を走っていた別の列車内の8人が負傷した。爆弾が、列車がセブンオークスから7時49分に通勤客を乗せていた13分前に爆発していたら、大惨事となっていただろう[11]。
1984年2月15日、タイム紙はキャノン・ストリート駅が廃止されると報じた。当時、駅は週末・午後は休業しており、またイギリス国鉄の1984-85年新ダイヤの発表は、南東方面からの全てのオフピーク時間帯の列車の発着が廃止されることを明らかにした。ラッシュ時を除き、イギリス南東部からの列車は、代わりにひとつ手前のロンドン・ブリッジ駅を終点とするとされた[12]。鉄道橋の架け替えに1000万ポンドの投資が必要で、またオフピーク時間帯に南東方面から来た乗客はほとんどがシティではなくウェスト・ロンドンに向かうだろう、という指摘についてはイギリス国鉄は否定した[13]。
1986年、1972年に第2種指定建造物に指定されていた (Grade II listed) 駅のツインタワーは24万2000ポンドの計画で修復された。この工事の際に、東のタワーが、蒸気機関車の時代に機関車に水を補給し駅の水力システムを動かすのに使用された、大きな水槽をいまだ内包していることが明らかになった。レンガ積みは修復・清掃および目地の塗り直しをされ、また近隣のセント・ポール大聖堂のドームの補完となるweathervanes guildedであった (weathervanes guilded to complement) 。この工事はRailway Heritage Trustの最初の工事のひとつであり、また同年の8月には駅開業150周年の到達と抑えられた駅の公開が符合した[14]。
1980年代には別の不動産ブームがあり、イギリス国鉄は再びキャノン・ストリート駅の敷地の将来の商業利用を模索しはじめた。Poulsonのオフィスビルの裏にあたるホーム上の空中利用権は、駅のホームの上および(Cannon Streetのアーチの下に1981年にオープンしたスポーツクラブである)Cannon Sports Centreの上に建設する6000トンの鉄製の人工地盤上に、2棟のオフィス棟を含む自立構造物を建設するため、Bovis Constructionを指定するSpeyhawkに売却された。 この工事では、450本の三角形の杭 (tripod pile) が、鉄製の人工地盤を支える必要から駅の地下30mの深さに打ち込まれることによる、複雑な基礎工事を行った。
大きい方のオフィス棟である「Atrium building」は6フロアに19万平方フィートのオフィス・スペースを有し、また小さい方の「River building」へは(中央のガラス張りのアトリウム-吹き抜け)を通して上げられたglazed link(ガラス張りの通路)を経由して通じている。2フロアからなるThe River buildingは、鉄製の人工地盤の上に立てられ、再築された駅の2つの側壁に収められており、9万5千平方フィートのオフィス・スペースを有している。このビルは、開発に対し川岸の限界線を形作っていた、修復されたツインタワーよりわずかに出っ張っている[15]。Atrium buildingは後にLiffeに賃貸された。River buildingはおよそ50万ポンドの費用がかかった、屋上の1エーカーを覆う屋上庭園を持ち、またセント・ポール大聖堂からタワー・ブリッジまで景観を維持するために低く平らであるようにビルを要求するという計画の制限に従うために低くされた[16]。
キャノン・ストリート駅は、列車が車止めに衝突し2名が死亡し248名が負傷した、1991年1月8日のキャノン・ストリート鉄道事故の現場である。
将来 [編集]
2007年3月、Poulsonのビルを建て替え、Foggo Associatesによる設計の空中利用権建築物を建てる計画免許が認可された[17]。アメリカのディベロッパーであるHinesは、Poulsonのオフィス棟の撤去と1万7千平方フィートの駅小売りスペースとともに40万平方フィート以上のオフィス・スペースを含めた複合開発ビルへの建て替えを含む、3億6千万ポンドのプロジェクトを導いた。 この再開発はネットワーク・レールにより着手されたより広い近代化及びロンドンの主要ターミナル駅についての「unlock the commercial potential」への再生プログラムの一部である(ユーストン駅及びロンドン・ブリッジ駅の両方もまた再開発される予定)。
キャノン・ストリート駅の計画について、ネットワーク・レールの商業用不動産の担当者は「the finished station will be less congested and more accessible for passengers(完成した駅は乗客にとりより混雑せず、よりアクセスしやすくなる)」と語った[18]。
運行 [編集]
この駅はロンドン・ブリッジ駅を経由してロンドン南東部とシティの南部とを接続する。
数系統がケントやイースト・サセックスからキャノン・ストリート駅まで直通運行するが、ラッシュ時のみの運行である。稀に週末、線路の保守点検がなされている場合には、ロンドン・ブリッジ駅からウォータールー・イースト駅を経由してチャリング・クロス駅に向かう路線の途中駅となる。すなわち列車がロンドン・ブリッジ駅を出たあとまっすぐ進まずにデルタ線を北方向に進み、キャノン・ストリート駅で方向転換(スイッチバック)してデルタ線を西方向に進み、ウォータールー・イースト駅に至るというルートをとる。もしくは、旅客が列車を乗り換えることになる。
以下は1時間当たりの典型的なオフ・ピーク時のサービスである。
- 2本 ルイシャム駅経由ヘイズ駅行き
- 2本 グリニッジ駅経由ダートフォード駅行き
- 2本 ルイシャム駅とウーウィッチ・アーセナル駅経由プラムステッド駅行き
- 2本 グリニッジ駅とシドカップ駅経由ロンドン・キャノン・ストリート駅行き (環状)
- 2本 シドカップ駅とグリニッジ駅経由ロンドン・キャノン・ストリート駅行き (環状)
- 1本 ミッドストーン・イースト駅経由アシュフォード国際駅行き
隣の駅 [編集]
- ナショナル・レール
- ■サウスイースタン
- サウス・イースタン本線
- キャノン・ストリート駅 - ロンドン・ブリッジ駅
- サウス・イースタン本線
ロンドン地下鉄 [編集]
| キャノン・ストリート駅 Cannon Street station |
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|---|---|
| 位置 | |
| 所在地 |
キャノン・ストリート EC4N 6AP 北緯51度30分37.44秒 西経0度5分26.77秒 / 北緯51.5104000度 西経0.0907694度 |
| 行政区 | シティ・オブ・ロンドン |
| 駅情報 | |
| 運営 | ロンドン地下鉄 |
| 路線 | ディストリクト線 サークル線 |
| 駅構造 | 地下駅 |
| ホーム数 | 2 |
| ゾーン | 1 |
| 地下鉄年間乗降員数 | |
| 2004年 | 4.096百万人[19] |
| 2007年 | 4.109百万人[19] |
| 歴史 | |
| 1884年 1949年 |
開業(MICCR) サークル線運行開始 |
ロンドン地下鉄の駅は浅い場所にある地下駅で、ナショナル・レールの駅の直下にある。ディストリクト線とサークル線の列車が線路・ホームを共有して発着する。
出入口はキャノン・ストリート、Dowgate Hillおよび通勤者への相互乗り換えを提供するナショナル・レールの駅へのコンコースからなる。この駅は実現しなかったフリート線の第二次延伸部の一部である。
地下鉄の駅は月曜日~金曜日の各日20時58分まで、土曜日の07時31分から19時29分まで営業している。日曜日は一日中閉鎖している。
歴史 [編集]
1876年までには、メトロポリタン鉄道 (MR) およびメトロポリタン・ディストリクト鉄道 (MDR) はインナー・サークル(現在のサークル線)の大部分を建設していた(サウス・ケンジントン駅を境にそれぞれがオルドゲート駅とマンション・ハウス駅まで達し、円環のほとんどが完成していた)。しかし路線の完成を前にして、MDRは財政難に直面し、MRは完成がシティ地域でのMDRとの競争の激化を通してMRの収入に影響することを心配することから、両社は論争中であった。路線の完成を切望するシティの資産家は、1874年にマンション・ハウス駅とオルドゲート駅を結ぶためにMetropolitan Inner Circle Completion Railwayを設立した。この行動に動かされてMRはこの会社を買い取り、そしてMDRは1879年にインナー・サークルの最後の区間の建設を始めた。
1884年10月6日、インナー・サークルの最後の区間が開業し、完全な円環が完成した。この際にこの区間のひと駅としてキャノン・ストリート駅も開業した。当初は駅は両社の列車により、環状運転するインナー・サークル系統の一部として運行されていたが、駅の歴史上様々な運行パターンが用いられている。インナー・サークルは1949年にディストリクト線・メトロポリタン線の一部としての運行から、サークル線として独立した。
この駅は上にあるナショナル・レールの駅と同時に建て替えられた。
隣の駅 [編集]
- ロンドン交通局
- ロンドン地下鉄
- ■ディストリクト線
- 本線
- マンション・ハウス駅 - キャノン・ストリート駅 - モニュメント駅
- 本線
- ■サークル線
- マンション・ハウス駅 - キャノン・ストリート駅 - モニュメント駅
- ■ディストリクト線
参照 [編集]
- ^ a b c d Annual passenger usage based on sales of tickets in stated financial year(s) which end or originate at キャノン・ストリート駅 from Office of Rail Regulation statistics
- ^ “Cannon Street Station Reopened”. The Times. (1926年6月29日)
- ^ “London Termini Bomb Damage”. The Times. (1943年11月19日)
- ^ “Rebuilding of Cannon Street Station”. The Times. (1955年11月17日)
- ^ “First Choice for Helicopter Site”. The Times. (1962年3月3日)
- ^ “Big New Buildings Over Two London Termini”. The Times. (1962年3月22日)
- ^ Weinreb, Ben (1983). The London Encyclopaedia. London: Papermac. pp. 112. ISBN 0333300246..
- ^ “John Poulson tells of gifts to rail man”. The Times. (1974年1月15日)
- ^ “Seven-year concurrent sentence on Mr Poulson”. (1974年3月16日)[リンク切れ]
- ^ “Cannon Street station closing for five weeks”. The Times. (1974年7月29日)
- ^ “Thirteen minutes saved hundreds on the 7.49 from Sevenoaks”. The Times. (1976年3月5日)
- ^ “Cannon Street rail station 'close to closure'”. The Times. (1984年2月15日)
- ^ “Letters to the Editor, David Kirby”. The Times. (1984年2月22日)
- ^ “Restoration at Cannon Street”. The Times. (1985年12月2日)
- ^ “Construction Contracts: Building Over Busy Station”. Financial Times. (1989年3月6日)
- ^ “City garden feels the frost”. The Times. (1991年11月27日)
- ^ Architects Journal, 21 March 2007
- ^ “Cannon Street to lead revamp of stations”. The Times. (2007年4月6日)
- ^ a b Transport for London - London Underground performance update
外部リンク [編集]
- ロンドン交通博物館・アーカイブ
- 駅情報(ネットワーク・レールによるキャノン・ストリート駅のもの)
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