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大分市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大分市長から転送)
おおいたし ウィキデータを編集
大分市
大分市旗 大分市章
大分市旗
1966年2月11日制定
大分市章
1965年6月11日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
市町村コード 44201-1
法人番号 4000020442011 ウィキデータを編集
面積 502.39km2
総人口 470,818[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 937人/km2
隣接自治体 別府市臼杵市竹田市豊後大野市由布市
愛媛県西宇和郡伊方町豊予海峡を挟んで隣接)
市の木 ホルトノキ
市の花 サザンカ
市の歌 大分市歌(1983年制定)
大分市役所
市長 足立信也
所在地 870-8504
大分県大分市荷揚町2番31号
北緯33度14分22秒 東経131度36分34秒 / 北緯33.23956度 東経131.60936度 / 33.23956; 131.60936座標: 北緯33度14分22秒 東経131度36分34秒 / 北緯33.23956度 東経131.60936度 / 33.23956; 131.60936

地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

大分市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

大分市(おおいたし)は、大分県中部に位置する。大分県の県庁所在地で、中核市に指定されている。

人口では、大分県内および東九州(大分県および宮崎県)で最多、九州では福岡市北九州市熊本市鹿児島市に次ぐ第5位。

概要

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大分県の沿海部のほぼ中央に位置し、大分県の行政・経済・交通の中心地で、大分都市圏の中心地でもある。県内の総人口の42.7 %が集中する首位都市であり、これは九州地方の県庁所在地の中では、熊本市(42.7 %)と並んで最も高い。人口が微増していた本市も、2017年度には1981年の統計開始以来、初めて減少に転じたが、減少率は県内の市町村の中では最も少ない。現在の市域は、かつて大分郡及び北海部郡(明治初期までは海部郡)に属していた。

古くは豊後国国府が置かれ、府内(ふない)と呼ばれた。中世には大友氏の城下町として発展し、戦国時代にはキリシタン大名大友義鎮(宗麟)の庇護のもと、日本におけるキリスト教布教の中心地となり、南蛮文化が花開いた。

高度経済成長期に、鉄鋼業化学工業などの重化学工業の進出に伴い、大分臨海工業地帯工業都市として急成長し、近年では電子工業の立地が進んでいる。

地理

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上野丘陵から見た大分市中心部のパノラマ画像
霊山から見た大分市中心部のパノラマ画像
大分市中心部周辺の空中写真。2007年4月29日撮影の75枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

瀬戸内海別府湾に面し、東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵とを抱え、中心市街は、大分川の河口西側に位置する。別府市との境界付近にあってニホンザルで知られる高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。森林セラピー基地認定地域。

高速道路大分自動車道及び東九州自動車道が市域をほぼ東西に貫通し、一般国道国道10号国道210号などと接続している。

市内の郊外地域ではニュータウンショッピングセンターなどの開発により、人口の増加が著しい。

  • 東端 - 東経131度57分46秒
  • 西端 - 東経131度25分07秒
  • 南端 - 北緯 33度04分11秒
  • 北端 - 北緯 33度17分24秒

気候

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瀬戸内海式気候に属し、年間を通じて温暖、少雨である。平均気温は16.8℃、降水量1727.0mm(平年値)。ただし、旧大分郡野津原町地域は障子岳御座ヶ岳などの600~800m級の山々が連なり、内陸部への入り口に当たるため内陸性気候に属し、平地より気温が若干低くなる。

  • 気温 - 最高37.8℃(2013年(平成25年)7月24日、最低-7.8℃(1918年(大正7年)2月19日
  • 最大日降水量 - 443.7ミリ(1908年(明治41年)8月10日
  • 最大瞬間風速 - 44.3メートル(1999年(平成11年)9月24日
  • 夏日最多日数 - 152日(2005年(平成17年))
  • 真夏日最多日数 - 79日(2022年(令和4年)、2023年(令和5年))
  • 猛暑日最多日数 - 24日(2013年(平成25年))
  • 熱帯夜最多日数 - 40日(2022年(令和4年))
  • 冬日最多日数 - 67日(1918年(大正7年)、1936年(昭和11年))


大分地方気象台(大分市長浜町、標高5m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 24.6
(76.3)
25.5
(77.9)
29.3
(84.7)
31.2
(88.2)
32.7
(90.9)
35.4
(95.7)
37.8
(100)
37.6
(99.7)
36.5
(97.7)
33.1
(91.6)
28.0
(82.4)
25.0
(77)
37.8
(100)
平均最高気温 °C°F 10.7
(51.3)
11.5
(52.7)
14.6
(58.3)
19.7
(67.5)
24.1
(75.4)
26.5
(79.7)
30.9
(87.6)
32.2
(90)
28.2
(82.8)
23.3
(73.9)
18.1
(64.6)
13.0
(55.4)
21.1
(70)
日平均気温 °C°F 6.5
(43.7)
7.2
(45)
10.2
(50.4)
14.8
(58.6)
19.3
(66.7)
22.6
(72.7)
26.8
(80.2)
27.7
(81.9)
24.2
(75.6)
19.1
(66.4)
13.8
(56.8)
8.7
(47.7)
16.8
(62.2)
平均最低気温 °C°F 2.6
(36.7)
3.0
(37.4)
5.9
(42.6)
10.3
(50.5)
15.0
(59)
19.3
(66.7)
23.5
(74.3)
24.3
(75.7)
20.9
(69.6)
15.2
(59.4)
9.5
(49.1)
4.6
(40.3)
12.8
(55)
最低気温記録 °C°F −7.3
(18.9)
−7.8
(18)
−5.2
(22.6)
−2.1
(28.2)
1.7
(35.1)
7.2
(45)
14.0
(57.2)
14.1
(57.4)
8.8
(47.8)
2.0
(35.6)
−2.0
(28.4)
−6.1
(21)
−7.8
(18)
降水量 mm (inch) 49.8
(1.961)
64.1
(2.524)
99.2
(3.906)
119.7
(4.713)
133.6
(5.26)
313.6
(12.346)
261.3
(10.287)
165.7
(6.524)
255.2
(10.047)
144.8
(5.701)
72.9
(2.87)
47.1
(1.854)
1,727
(67.992)
降雪量 cm (inch) 0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
1
(0.4)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 5.9 7.7 10.0 10.0 9.7 14.0 12.0 10.6 11.1 7.7 6.9 5.5 111.0
平均降雪日数 6.4 4.6 1.5 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.1 4.6 17.3
湿度 62 63 65 65 68 77 77 75 74 70 69 64 69
平均月間日照時間 149.4 149.1 175.0 190.1 194.6 135.7 180.8 202.8 151.5 164.2 148.2 151.2 1,992.4
出典:気象庁 (平均値:1991年 - 2020年、極値:1887年 - 現在)[1][2]


隣接する自治体

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地名

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歴史

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古代

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古代には、現在の大分市周辺は大分郡(おほきたのこほり)と呼ばれ、現在の市の中心部からやや南に外れた大分川下流沿い(現在の古国府)に、豊後国国府が置かれたと推測されている。

「大分」の名は、『豊後国風土記』によれば、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と言って名づけたもので、「碩田」が後に「大分」と書かれるようになったとされる。実際には大分平野はさほど広大であるとは言えないため、今日では、景行天皇の言葉は、平野の広大さではなく、多くの田が並ぶ様子を描写したものと解されているが、いずれにしても大分平野に古くから田圃が開けていたことを示すものと言える。

中世

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鎌倉時代には大友氏が豊後国守護に任じられ、第3代当主大友頼泰貞応元年(1222年) - 正安2年(1300年))の代に豊後国に下向して土着した。元弘3年(1333年)には豊後国の守護職に任ぜられている。室町時代に入ると、第7代当主大友氏泰は、拠城をわずかに北にずらして大分川河口付近に館を構えた(現在の市の中心部の東側で、顕徳町などにあたる)。これが現在の大分市に連なる城下町のはじまりで、町の名を府内といった。現在の大分市街地中心部に残る「府内町」という地名や「府内5番街」という商店街はこの名残である。

戦国時代の府内は、最盛期には九州の過半を手中に収めた第21代当主大友義鎮(宗麟)のもとで、日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど、南蛮文化を受容し栄えた。しかし、大友氏は島津氏等との抗争に敗れて衰退し、府内は1586年天正14年)の島津家久の侵攻(豊薩合戦)によって炎上し壊滅したとされる。近年、大分駅付近の連続立体交差事業および区画整理事業に伴い、大友氏館跡をはじめとする中世から戦国時代にかけての府内の遺跡が発掘され、2001年平成13年)には大友氏館跡として国の史跡に指定されている。

義鎮(宗麟)の跡を継いだ大友義統文禄の役での失態のために改易された後、豊後国は細分され諸侯に封じられた。1597年慶長2年)に府内を封じられた福原直高府内城(大分城)の築城を開始した。

近世

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1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いの戦功により府内藩(大分藩)の藩祖となった竹中重利によって府内城は大規模な改修が行われ、1607年(慶長12年)に近世大名の居城としての規模となった。その城下町もまた重利によって整備され、後の繁栄の基となった。

江戸時代の府内は、1712年正徳2年)の調査によると5,591人の人口を擁しており、豊後最大級の城下町であった。

幕末時点では、現在の市域に、府内藩のほか、臼杵藩岡藩延岡藩熊本藩・幕府の領地が存在した。

近代

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明治になると府内には大分県の県庁が置かれ、1889年明治22年)の町村制施行により大分町となった。明治の大合併と呼ばれる市町村合併が進む中、1907年(明治40年)に3町村を編入。1911年(明治44年)には市制を施行した。1920年大正9年)の人口は、4万3,150人であった。

1928年昭和3年)、初代の「大分市歌」(作詞:須賀金夫、作曲:山田耕筰)を制定。

戦後・現代

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旧大分市域(1963年3月10日 - 2004年12月31日)

全国の都市の中でも、大分市は高度経済成長期以降に急激に成長した都市のひとつである。

1950年代には大分市の人口は10万人弱で、宮崎市よりもわずかに少なく、九州(沖縄県を除く)では佐賀市に次いで2番目に小さな県庁所在地であった[3]

1960年代(昭和35年ごろ)からの高度経済成長期に入ると、工業化による地域振興を図り大分地域の発展計画のために新産業都市指定を目指した。人口要件を満たすために1963年(昭和38年)に鶴崎市大南町などとの大合併(新設)に踏みきり、2代目市歌(作詞:市歌審査委員会、作曲:中野静雄)を制定。1964年(昭和39年)1月に新産業都市に指定されると、沿岸部に新日鉄などの大工場が進出した。それまでの鄙びた小都市から九州を代表する工業都市へと急速に開発が進み、大分市は「新産都の優等生」と呼ばれた。

人口も1960年代以降急激に増加し、1963年(昭和38年)の合併時には21万人であった人口が1970年(昭和45年)には26万人、1980年代には36万人、1990年代には40万人を突破し、ほぼ倍増するという著しい増加を見せた。周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成され、城南団地明野団地敷戸団地などのニュータウンスプロール化して連なる特異な郊外環境が誕生した[4]。1983年(昭和58年)に現行の3代目市歌(作詞:竹森カヨ、作曲:中山悌一)を制定。

新産業都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋ダイエーニチイジャスコ西友など関東・関西資本の大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに九州では珍しい首都圏の郊外都市のような駅前型の繁華街が形成された。しかし、その後、商業のドーナツ化が進み郊外ではショッピングモールが開発された一方、2009年までに中心部の大型スーパーはすべてが業態転換または撤退[5]。中心部では、大分駅の高架化に伴い2015年(平成27年)春にアミュプラザおおいたが開業している。

1997年(平成9年)4月1日には、中核市へ指定されている。平成の大合併では、2005年(平成17年)1月1日に佐賀関町と野津原町が大分市へ編入された。

市政

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市長

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歴代市長[6]
氏名 就任日 退任日 備考
官選旧大分市長
1 後藤喜太郎 1911年(明治44年)7月26日 1917年(大正6年)7月25日
2 三浦数平 1917年(大正6年)8月9日 1926年(大正15年)2月6日
3 高田保 1926年(大正15年)4月23日 1929年(昭和4年)4月10日
4 高山英明 1929年(昭和4年)7月11日 1932年(昭和7年)6月8日
5 高田保 1932年(昭和7年)6月20日 1933年(昭和8年)6月29日
6 朝吹亀三 1933年(昭和8年)12月23日 1937年(昭和12年)12月22日
7 小野廉 1938年(昭和13年)6月16日 1942年(昭和17年)6月15日
8 高田保 1942年(昭和17年)7月1日 1944年(昭和19年)5月2日
9 武藤一彦 1944年(昭和19年)6月24日 1945年(昭和20年)3月31日
10 三好一 1945年(昭和20年)4月1日 1945年(昭和20年)10月9日
11 木下郁 1945年(昭和21年) 1947年(昭和22年)
公選旧大分市長
12 上田保 1947年(昭和22年)4月7日 1963年(昭和38年)3月9日
大分市長
1 安東玉彦 1963年(昭和38年)3月 1975年(昭和50年)4月
2 佐藤益美 1975年(昭和50年)4月 1991年(平成3年)4月
3 木下敬之助 1991年(平成3年)4月 2003年(平成15年)4月
4 釘宮磐 2003年(平成15年)4月 2015年(平成27年)3月2日
5 佐藤樹一郎 2015年(平成27年)4月26日 2023年(令和5年)3月2日
6 足立信也 2023年(令和5年)4月24日

議会

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市議会

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  • 定数:44名
  • 議長:二宮博(自由民主党)
  • 副議長:高橋弘巳(新市民クラブ)
  • 任期:2021年(令和3年)3月10日 - 2025年(令和7年)3月9日
会派名 議席数
自由民主党 14
ネットワークみらい 9
公明党 6
新市民クラブ 4
立憲民主党 2
日本共産党 2
Oita市民クラブ 2
無所属 4

大分県議会(大分市選挙区)

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  • 定数:13名
  • 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日
議員名 会派名 備考
麻生栄作 自由民主党
穴見憲昭 自由民主党
阿部英仁 自由民主党
木田昇 県民クラブ 党籍は無所属
後藤慎太郎 自由民主党
澤田友広 公明党
首藤健二郎 自由民主党
堤栄三 日本共産党
福崎智幸 県民クラブ 党籍は国民民主党
三浦由紀 日本維新の会
御手洗朋宏 県民クラブ 党籍は立憲民主党
守永信幸 県民クラブ 党籍は立憲民主党
吉村哲彦 公明党

衆議院

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選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
大分県第1区(旧佐賀関町野津原町域を除く大分市) 吉良州司 無所属 6 選挙区
大分県第2区(旧佐賀関町・野津原町の大分市など) 衛藤征士郎 自由民主党 13 選挙区
吉川元 立憲民主党 4 比例復活

行政区域の変遷

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おおいたし
大分市
大分市章
大分市章
1917年4月制定
廃止日 1963年3月10日
廃止理由 新設合併
大分市(旧)、鶴崎市大分郡大分町大南町北海部郡大在村坂ノ市町 → 大分市
現在の自治体 大分市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
隣接自治体 鶴崎市、大分郡大分町、挾間町
大分市役所
所在地 大分県
ウィキプロジェクト
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、以下の各町村が発足する。
    • 大分郡大分町・西大分町・鶴崎町・別保(べっぽ)村・三佐(みさ)村・桃園村・松岡村・高田村・明治村・荏隈(えのくま)村・豊府(ほうふ)村・東大分村・八幡村・日岡村・戸次(へつぎ)村・判田村・河原内(かわらうち)村・竹中村・吉野村・稙田(わさだ)村・東稙田村・西稙田村・賀来(かく)村・諏訪村・野津原村
    • 北海部郡佐賀関町・川添村・一尺屋(いっしゃくや)村・大志生木(おおじうき)村・神馬木村・佐加村・市村・小佐井村(こざい)・丹生(にう)村・西大在(にしおおざい)村・東大在村
    • 大野郡今市村
  • 1892年(明治25年)10月28日 - 佐加村が佐賀村と改称する。
  • 1907年(明治40年)
    • 4月1日
      • 大分町・西大分町・荏隈村・豊府村が合併(新設合併)し、新たに大分町となる。
      • 竹中村・河原内村が合併(新設合併)し、新たに竹中村となる。
      • 稙田村・西稙田村が合併(新設合併)し、新たに稙田村となる。
      • 野津原村・諏訪村が合併(新設合併)し、新たに野津原村となる。
    • 6月1日 - 西大在村と東大在村が合併(新設合併)し、大在村となる。
    • 7月1日
      • 佐賀村と市村が合併(新設合併)し、佐賀市村となる。
      • 大志生木村と神馬木村が合併(新設合併)し、神崎村となる。
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 大分町が市制施行し、大分市となる。
  • 1920年(大正9年)1月1日 - 佐賀市村が町制施行し、坂ノ市町となる。
  • 1921年(大正10年)1月1日 - 戸次村が町制施行し、戸次町となる。
  • 1922年(大正11年)4月1日 - 東大分村のうち、大分川左岸の地域(中島裏・弁天島)を編入する[8]
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 別保村を鶴崎町に編入する。
  • 1939年(昭和14年)8月15日 - 八幡村・滝尾村・東大分村を編入する。
  • 1941年(昭和16年)11月3日 - 小佐井村・丹生村を坂ノ市町に編入する。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月1日 - 三佐村を鶴崎町に編入する。
    • 11月11日 - 日岡村を編入する。
  • 1944年(昭和19年)2月11日 - 桃園村を鶴崎町に編入する。
  • 1947年(昭和22年)3月1日 - 大野郡大野町[注釈 1]の一部(沢田の一部)が野津原村に編入される。
  • 1950年(昭和25年)1月1日 - 川添村・今市村の所属郡を大分郡に変更する。
  • 1954年(昭和29年)3月31日
    • 鶴崎町・松岡村・高田村・明治村・川添村が合併(新設合併)、同時に市制施行し、鶴崎市となる。
    • 戸次町・判田村・竹中村・吉野村が合併(新設合併)し、大南町となる。
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日
      • 佐賀関町・神崎村・一尺屋村が合併(新設合併)し、新たに佐賀関町となる。
      • 東稙田村の一部(旦野原の一部)・賀来村の一部(賀来の一部)を編入する。
    • 2月1日 - 稙田村・東稙田村・賀来村が合併(新設合併)し、大分村となる。
    • 3月31日 - 野津原村・今市村が合併(新設合併)し、新たに野津原村となる。
    • 7月1日 - 鶴崎市の一部、挾間町[注釈 2]の一部(高崎の一部)を編入する[9]
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 挾間町[注釈 2]の一部(宮苑・東院の一部)が大分村に編入される[10]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 大分村が町制施行し、大分町となる[注釈 3]
  • 1960年(昭和35年)2月1日 - 野津原町の一部(廻栖野の一部)が大分町に編入される。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月5日 - 大野郡大野町[注釈 1]の一部(安藤の一部)が大南町に編入される。
    • 3月10日 - 大分市・鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町が合併(新設合併)し、新たに大分市となる。
  • 2005年平成17年)1月1日 - 北海部郡佐賀関町・大分郡野津原町を編入する。
大分市域における自治体の変遷
  • 大正11年(1922年)4月1日の境界変更(本市への編入)は割愛した。

明治以前 明治初年 - 明治22年
[注釈 4]
明治22年
4月1日
町村制施行
明治22年 - 明治33年 明治34年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和34年 昭和35年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在


府内町 大分町 大分町 大分町 明治40年4月1日
大分町
明治44年4月1日
市制 大分市
大分市 大分市 大分市 大分市 昭和38年3月10日
大分市
大分市 大分市
松末町
千手堂町
笠和町
同慈寺町
南勢家町
勢家町 勢家町 西大分町 西大分町
駄原村 駄原村
生石村 生石村
上村 荏隈村 荏隈村 荏隈村
尼ヶ瀬村
竹上村
奥小路村 奥田村
田中村
永興村 永興村
井蕪村
太平寺村 南太平寺
北太平寺 三芳村
志手村
椎迫村
古国府村 古国府村 豊府村 豊府村
律院村 上野村
六坊村
畑中村 畑中村
羽屋村 羽屋村
豊饒村 豊饒村
由原村 八幡村 八幡村 八幡村 八幡村 昭和14年8月15日
大分市に編入
大山村
上金谷迫村 金谷迫村
下金谷迫村
白木村 神崎村
田浦村
津守村 津守村 滝尾村 滝尾村 滝尾村
片島村 片島村
本曲村 曲村
今曲村
下郡村 下郡村
羽田村 羽田村
中津留村 津留村 東大分村 東大分村 東大分村
花津留村
今津留村 今津留村
萩原村 萩原村
牧村 牧村
高松村 高松村 日岡村 日岡村 日岡村 昭和18年11月11日
大分市に編入
原村 原村
新貝村 新貝村
高崎村 一部 高崎村 石城川村
の一部
石城川村の一部 石城川村の一部 石城川村の一部 石城川村の一部 昭和29年10月1日
挾間村の一部
昭和30年4月1日
町制 挾間町[注釈 2]
昭和30年7月1日
大分市に編入
新村
宮苑村 宮苑村 昭和31年4月1日
大分市に編入
東院村 一部 東院村 由布川村
の一部
由布川村の一部 由布川村の一部 由布川村の一部 由布川村の一部
鶴崎町 鶴崎町 鶴崎町 鶴崎町 鶴崎町 鶴崎町 鶴崎町 昭和29年3月31日
鶴崎市
鶴崎市 鶴崎市
鶴崎村
国宗村
寺司村
小中島村 小中島村
森村 森村 別保村 別保村 別保村 昭和13年4月1日
鶴崎町に編入
森町村 森町村
門田村 皆春村
中島村
三佐村 三佐村 三佐村 三佐村 三佐村 昭和18年4月1日
鶴崎町に編入
海原村 海原村
家島村 家島村
千歳村 千歳村 桃園村 桃園村 桃園村 昭和19年2月11日
鶴崎町に編入
山津村
乙津村 乙津村
本三川村 三川村
今三川村
横尾村 横尾村 明治村 明治村 明治村 明治村 明治村
猪野村 猪野村
小池原村 小池原村
葛木村 葛木村
下徳丸村 下徳丸村 高田村 高田村 高田村 高田村 高田村
上徳丸村 丸亀村
亀甲村
関門村 関園村
堂園村
大鶴村 鶴瀬村
鵜猟河瀬村
常行村 常行村
南村 南村
松岡村 松岡村 松岡村 松岡村 松岡村 松岡村 松岡村
池上村(延岡領)
成松村
真萱村


大津留村 所属変更
大分郡大津留村
毛井村 所属変更
大分郡毛井村
広内村 広内村 北海部郡
川添村
川添村 川添村 川添村 昭和25年1月1日
所属変更 大分郡
宮河内村 宮河内村


鶴村 所属変更
海部郡種具村
中瀬村
百堂村
迫村 迫村
上志村 所属変更
海部郡志村
北海部郡
西大在村
西大在村 明治40年6月1日
大在村
大在村 大在村 大在村 大在村
下志村


北村 北村
角子原村 角子原村
大西村
城原村 城原村 東大在村 大在村
竹下村 竹下村
浜村 浜村
政所村 政所村
中村
菅迫村
横田村 横田村
八幡林村
細村 細村 佐加村 明治25年10月28日
改称 佐賀村
明治40年7月1日
佐賀市村
大正9年1月1日
町制改称 坂ノ市町
昭和16年11月3日
坂ノ市町
坂ノ市町 坂ノ市町 坂ノ市町
東上野村 上野村
西上野村
東道尻村
西道尻村
久原村 久原村
市村 市村 市村 市村
蔵掛村
木田村 木田村
由迫村
江子村
岡村(岡組) 丹生村 丹生村 丹生村 丹生村
誓願寺村
上久所村 上久所村
下久所村 下久所村
原村(丹生原組) 原村
久土村 久土村
一木村 一木村
屋山村 屋山村 小佐井村 小佐井村 小佐井村
市尾村 市尾村
里村 里村


稙田市村 市村 稙田村
の大部分
稙田村の大部分 明治40年4月1日
稙田村の大部分
稙田村の大部分 稙田村の大部分 昭和30年2月1日
大分村の大部分
昭和32年4月1日
町制 大分町[注釈 3]
大分町
世利村
雄城村 玉沢村
粟野村
桑本村
木上村 木上村
口戸村 口戸村
上宗方村 上宗方村
下宗方村 下宗方村
八幡田村
小野津留村 小野津留村 西稙田村 西稙田村
田原村 田原村
横瀬村 横瀬村
鬼崎村 一部 鬼崎村
田野小野村 一部
光吉村 光吉村 東稙田村 東稙田村 東稙田村 東稙田村 東稙田村
秋岡村 岡川村
石川村
高城村(延岡領) 高瀬村
仲村
鴛野村 鴛野村
寒田村 寒田村
田尻村 田尻村
宮崎村 宮崎村
旦野原村 一部を除く 旦野原村
一部 昭和30年1月1日
大分市に編入
大分市 大分市
賀来村 一部 賀来村 賀来村 賀来村 賀来村 賀来村 賀来村
一部を除く 昭和30年2月1日
大分村の大部分
昭和32年4月1日
町制 大分町[注釈 3]
大分町
中尾村
(府内領里郷)
中尾村
野田村 野田村
国分村 国分村
平横瀬村 平横瀬村
廻淵村 一部 廻栖野村 野津原村 野津原村 明治40年4月1日
野津原村
野津原村 野津原村 昭和30年3月31日
野津原村
昭和34年2月1日
町制 野津原町
昭和35年2月1日
大分町に編入
一部 野津原町 平成17年1月1日
大分市に編入
塚野村 一部
一部 昭和35年2月1日
大分町に編入
昭和38年3月10日
大分市
大分市
胡麻鶴村 一部
一部 野津原町 平成17年1月1日
大分市に編入
野津原村 野津原村
恵良村
福宗村 福宗村
入蔵村 入蔵村
吉熊村
辻原村 辻原村 諏訪村 諏訪村
岡蔵村
竹内村 竹矢村
矢野原村
下詰村 下原村
原村(熊本領)
上詰村 上詰村
太田村 太田村
今畑村


今市村 今市村 大野郡
今市村
今市村 今市村 今市村 昭和25年1月1日
所属変更 大分郡
石合村
山中村(朽網郷)
練ヶ迫村


杵ヶ原村 荷尾杵村
尾原村
荷小野村
高沢村 高原村
小原村(藤北郷)
山峯村 沢田村の一部 土師村
の一部
土師村の一部 明治40年6月1日
東大野村の一部
昭和3年8月1日
町制改称
大野町の一部
昭和22年3月1日
野津原村に編入
野津原村
沢田村 一部
安藤村 一部 安藤村の一部 大野町の一部 大野町の一部 昭和38年3月5日
大南町に編入
昭和38年3月10日
大分市
大分市
黒岩村 一部


利光村 上戸次村 戸次村 戸次村 戸次村 大正10年1月1日
町制 戸次町
戸次町 戸次町 昭和29年3月31日
大南町
大南町 大南町
上尾村
大塔村
影木村
川原村
嶺村
戸次市村 中戸次村
川床村
佐柳村
門前村
大内村 下戸次村
小津留村
楠木生村
備後村
赤仁田村 上判田村 判田村 判田村 判田村 判田村 判田村
百木村
安田村
住床村
米良村
高取村
昆布刈村 中判田村
高江村
上光永村 下判田村
下光永村
原村 明治13年
改称 吉野原村
吉野村 吉野村 吉野村 吉野村 吉野村
上志津留村 志津留村
中志津留村
下志津留村
長畑村
月形村 月形村
辻村 辻村
福良村 福良村
宮尾村 宮尾村
奥村 奥村
杉原村 杉原村
萩尾村 萩尾村
竹中村(熊本領) 竹中村 竹中村 竹中村 明治40年4月1日
竹中村
竹中村 竹中村
中畑村(熊本領)
冬田村
岩上村 端登村
伊与床村
花香村
岩屋金村
鳥巣村
河原村
三ヶ村
高城村(熊本領) 河原内村 河原内村 河原内村
中野村
中無礼村(熊本領)
弓立村
石塚村
樫原村
小中尾村
杢代村
黒仁田村
津ヶ無礼村


関村 関村 佐賀関町 佐賀関町 佐賀関町 佐賀関町 佐賀関町 昭和30年1月1日
佐賀関町
佐賀関町 平成17年1月1日
大分市に編入
古宮村
白木村 白木村
一尺屋村 一尺屋村 一尺屋村 一尺屋村 一尺屋村 一尺屋村 一尺屋村
田浦村
神崎村 神崎村 神馬木村 神馬木村 明治40年7月1日
神崎村
神崎村 神崎村
河内村
馬場村 馬場村
中山村
東木佐上村 木佐上村
西木佐上村
東松迫村
西松迫村
大平村 大平村 大志生木村 大志生木村
大志生木村 志生木村
小志生木村
辛幸谷村

公共機関

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国の出先機関

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警察庁

総務省

法務省

財務省

厚生労働省

農林水産省

国土交通省

防衛省

裁判所

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県の行政機関

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経済

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大分市の市内総生産は約1兆9千億円と、大分県の総生産の46.8%を占めている[13]。産業別に見ると、第2次産業の総生産が31.3%と、日本全体(国内総生産)での26.2%(2015年)[14] に比べ高い比率を占めている。

産業別総生産(カッコ内は構成比。平成24年度 大分の市町村民経済計算(大分県)より)[13]

事業所数(産業(大分類)別事業所数上位5位まで。カッコ内は構成比。2014年経済センサス基礎調査より)[15]

  1. 卸売・小売業 - 5,256 (25.8%)
  2. 宿泊業、飲食サービス業 - 2,541 (12.5%)
  3. 建設業 - 2,001 (9.8%)
  4. 生活関連サービス業、娯楽業 - 1,896 (9.3%)
  5. 医療、福祉 - 1,664 (8.2%)

産業人口(産業(大分類)別就業者数上位5位まで。カッコ内は構成比。2010年国勢調査報告より)[15]

  1. 卸売・小売業 - 39,987人 (18.1%)
  2. 製造業 - 27,556人 (12.5%)
  3. 医療、福祉 - 27,298人 (12.4%)
  4. 建設業 - 21,832人 (9.9%)
  5. サービス業(他に分類されないもの) - 13,412人 (6.1%)

農林水産業

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主要農産物生産量(2015年(平成27年))[15]

  1. 水稲 - 7,755トン
  2. にら - 1,821トン
  3. みつば - 649トン
  4. 温州みかん - 600トン
  5. おおば - 544トン

畜産物生産数(2015年度(平成27年度))[15]

工業

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大分臨海工業地帯のパノラマ画像

1964年(昭和39年)に新産業都市の指定を受け、鉄鋼、化学、石油など基礎素材産業が進出したことにより、大分臨海工業地帯を中核に工業都市へと発展した。近年では、集積回路などの加工組立産業が進出するとともに、物流団地の整備、地域輸入促進計画のもと大分港大在コンテナターミナルが設置され、物流の拠点としても成長を続けている。2014年(平成26年)の製造品出荷額等は約3.1兆円で、全国の市町村で11位に位置する[16]

また、メガソーラーの進出が進んでおり、2014年(平成26年)4月末時点の太陽光発電の発電容量(10kW以上の太陽光発電設備の合計)は130,288kWで、全国の市町村で1位となっている[17][18]

製造品出荷額等(2014年(平成26年)。産業(中分類)別製造品等出荷額上位5位まで。)[15]

  1. 石油製品・石炭製品 - 74,887,039万円
  2. 化学 - 60,050,403万円
  3. 鉄鋼業 - 56,791,479万円
  4. 非鉄金属 - 55,849,724万円
  5. 電子部品・デバイス・電子回路 - 17,977,543万円

商業

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大分駅北側には、九州では珍しい駅前型の繁華街が広がっており、大型店のほか、アーケード商店街のセントポルタ中央町及びガレリア竹町が位置している。近年、中心部の大型小売店舗が閉鎖する一方、郊外でショッピングモールが開発されている。

市内に拠点のある主要企業

[編集]

市内に本社を置く主要企業

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建設・製造業
[編集]
卸売業
[編集]
小売業・飲食業
[編集]
電気
[編集]
情報通信業
[編集]
金融機関
[編集]

銀行

協同組織金融機関

信販会社

その他金融

サービス
[編集]

市内に拠点事業所などのある主要企業

[編集]
建設・製造業
[編集]
電気
[編集]
金融機関
[編集]

銀行

信託銀行

政策金融機関

協同組織金融機関

姉妹都市・提携都市

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姉妹都市・友好都市・交流促進都市は以下の通り[20]

日本国内

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1966年10月26日に東亜国内航空(当時)が羽田-大分線と羽田-帯広線を同時に開設したことを機に空港姉妹都市として提携[21][22]

日本国外

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大友義鎮(宗麟)の時代からのポルトガルとの交流の縁[24]。1977年、大分日本ポルトガル協会が設立された際に、ペドロ・マディラ・デ・アンドラーデ前駐日ポルトガル大使が仲介となり、アヴェイロ市との姉妹都市提携が進められた[23]
大分県とテキサス州の交流が活発であった(1985年に別府市ボーモント市が姉妹都市提携、1987年に湯布院町で第14回日本・テキサス会議開催、など)ことに加え[23][26]、オースチン市と大分市が産業・文化面で類似する(半導体産業など)ことから[25]
1974年以後、武漢鉄鋼コンビナート(武漢鋼鉄公司)の設備近代化を新日本製鐵大分製鐵所(現在の新日鐵住金大分製鐵所)が中心となって指導し[23]、双方の技術者が往来したことが契機[27]
アジア太平洋都市サミットにともに参加していることが縁[28]

地域

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人口

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大分市と全国の年齢別人口分布(2005年) 大分市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大分市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大分市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 289,951人
1975年(昭和50年) 347,702人
1980年(昭和55年) 385,635人
1985年(昭和60年) 413,622人
1990年(平成2年) 429,927人
1995年(平成7年) 446,581人
2000年(平成12年) 454,424人
2005年(平成17年) 462,317人
2010年(平成22年) 474,094人
2015年(平成27年) 478,146人
2020年(令和2年) 475,614人
総務省統計局 国勢調査より

県内人口占有率は2005年国勢調査で38.22%、2010年調査で39.62%、2012年2月1日付の大分県の人口推計で40%を突破するなど、顕著に集積が進んでいる。

教育

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学校名などは基本的に五十音順

小学校

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国立

公立

中学校

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国立

県立

市立

私立

高等学校

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県立

私立

高等専門学校

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国立

短期大学

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公立

私立

大学

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国公立大学

  • 大分大学
    • 旦野原キャンパス(事務局、教育学部・教育福祉科学部、経済学部、理工学部など)
    • 王子キャンパス(附属学校(幼、小、中、特別支援)、附属教育実践総合センター)
    • 挾間キャンパス(医学部 医学科/看護学科・附属病院など)
  • 大分県立看護科学大学

私立大学

特別支援学校

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国立

公立

学校教育以外の施設

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公共職業能力開発施設

社会教育施設

文化施設

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スポーツ関連施設

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歴史施設

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研修施設

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交通

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空港

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大分空港ターミナルビル(国東市)

最寄の空港は大分空港(大分県国東市)。

鉄道

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同県の中心駅となる大分駅
九州旅客鉄道(JR九州)

1900年から1972年まで、別府市との間に路面電車大分交通別大線が運行していた。当路線は九州地方では初の路面電車である。

路線バス

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  • 大分バス - 大分市内のバス路線の多くを運行する。大分市以南の竹田市・臼杵市・佐伯市と大分市を結ぶ路線がある。
  • 大分交通 - 別大国道を経由し、大分市以北の別府市・日出町国東市と大分市を結ぶ路線を運行する。大分駅の北側や、市域北西部などに市内路線もある。

高速バス・特急バス

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愛称名 運行会社 運行区間 昼/夜行
SORIN号 大分バス
近鉄バス
京都市大阪市神戸市 - 中央通り・大分新川 夜行
とよのくに号 大分バス
大分交通
西日本鉄道
福岡市福岡空港国際線・基山町日田市 - 椎迫・要町・中央通り・大分新川 昼行
サンライト号 大分バス
大分交通
長崎県交通局
長崎自動車
長崎市 - 諫早市 - 大村市 - 朝倉市 - 日田市 - 玖珠町 - 由布市 - 中央通り・大分新川 昼行
やまびこ号 大分バス
九州産交バス
熊本市 - 益城町 - 阿蘇くまもと空港 - 大津町 - 南阿蘇村 - 阿蘇市 - 竹田市 - 豊後大野市 - 戸次 - 米良バイパス入口 - 要町 - 中央通り - 大分市役所合同新聞社前 - 県庁正門前 - 金池ターミナル 昼行
エアライナー 大分交通 大分空港 - 生石 - 大分駅前 - 荷揚町 - 大分新川
日清号 日清観光 福岡市・福岡空港 - 大分駅・日清観光大分営業所 昼行

航路

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道路

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高速道路・有料道路

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大分川に架かる高速大分川橋(大分光吉IC - 大分IC間)
  • E10 東九州自動車道

一般国道

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国道10号西大分付近
国道10号西大分付近
国道210号大道トンネル南口(南大分側)
国道210号大道トンネル南口(南大分側)

主要地方道

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大分中央幹線道路芸短大北交差点付近

一般県道

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道の駅

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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主な史跡・旧跡など

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観光

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祭り

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スポーツ

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スポーツチーム

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かつて大分市で活動したスポーツチーム

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スポーツ関連の大会・試合

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出身有名人

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政治

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経済界

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法曹

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学術

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芸術

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スポーツ

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野球

[編集]

(球団名は最終所属球団)

サッカー

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J3リーグ以上のカテゴリのクラブに在籍経験がある選手のみ記載する。

その他

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芸能

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音楽

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俳優

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お笑い

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その他

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マスコミ

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大分市を舞台とした作品

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小説
漫画
映画
アニメ映画
ゲーム
  • Fate/stay night奈須きのこ、2004年- ) - 作中の舞台となる冬木市には大分県大分市をモデルに描かれたことが示唆される部分がある。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 2005年平成17年)3月31日に合併(新設合併)して豊後大野市となる。
  2. ^ a b c d 2005年平成17年)10月1日に合併(新設合併)して由布市となる。
  3. ^ a b c 同日、一部(鬼崎の一部)が挾間町[注釈 2]に編入。
  4. ^ 特記がない限り明治8年。なお、明治11年に海部郡が分割され、のちに大分市となる地域はすべて北海部郡となった。
  5. ^ 東京都新宿区との2本社制。

出典

[編集]
  1. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2023年8月閲覧。
  2. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2023年8月閲覧。
  3. ^ 石黒正紀、「戦後における九州地方の人口構造変化」『福岡教育大学紀要,第二分冊,社会科編』 2006年 第55号 p.1-8, 福岡教育大学
  4. ^ レファレンス事例集 大分県内の(住宅)団地開発について 大分県立図書館
  5. ^ a b デパート 商店街とデパートの競争”. 大分歴史事典. 大分放送. 2002年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月27日閲覧。
  6. ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。
  7. ^ 会派とは 大分市
  8. ^ 大分今昔(7)中島かいわい” (PDF). 大分合同新聞. 2018年4月14日閲覧。
  9. ^ 大分市報 昭和30年7月1日号 (PDF)
  10. ^ 大分県大分郡大分町 (44B0070013)”. ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター 歴史的行政区域データセットβ版. 2023年5月29日閲覧。
  11. ^ OASISひろば21職業相談窓口 厚生労働省大分労働局
  12. ^ 大分家畜保健衛生所 - 大分県
  13. ^ a b 大分市総合計画「おおいた創造ビジョン2024」基本計画総論 (PDF) 大分市、2016年6月
  14. ^ 年次推計主要計数 4.生産 (PDF) 内閣府
  15. ^ a b c d e 統計年鑑(平成28年版) 大分市
  16. ^ 第2次大分市商工業振興計画 資料編 3.データでみる本市商工業の現況 (PDF) 大分市
  17. ^ 太陽光発電:大分市がナンバー1 13万キロワット - ウェイバックマシン(2014年8月13日アーカイブ分) 毎日新聞、2014年8月12日
  18. ^ 太陽光発電導入件数日本一!! 浜松市
  19. ^ “100億企業 3社増 16年度”. 大分合同新聞. (2017年10月6日). オリジナルの2017年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171005222221/https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/10/06/JD0056213592 (以下の売上高順位もこの記事に基づく)
  20. ^ 姉妹都市・友好都市・交流促進都市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  21. ^ a b 《姉妹都市》帯広市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  22. ^ a b c 国内姉妹都市紹介”. 帯広市. 2016年3月27日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2012年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
  24. ^ a b 《姉妹都市》アベイロ市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  25. ^ a b 《姉妹都市》オースチン市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  26. ^ アメリカ合衆国”. 国際一村一品交流協会. 2016年3月27日閲覧。
  27. ^ a b 《友好都市》武漢市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  28. ^ a b 《交流促進都市》広州市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  29. ^ 関あじ・関さばまつり”. 2020年10月10日閲覧。
  30. ^ <中止>関あじ・関さばまつり”. 2020年10月10日閲覧。
  31. ^ “衛藤美彩 ミスマガンGP ふるさとPRしたい”. 大分合同新聞 夕刊 第40351号 (大分合同新聞社). (2011年7月13日) 

外部リンク

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