矢沢永吉
矢沢 | |
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別名 |
E.YAZAWA 永ちゃん ボス 五大洋光 |
生誕 | 1949年9月14日(74歳) |
出身地 | 日本、広島県広島市 |
ジャンル | ロックンロール |
職業 |
ボーカリスト ミュージシャン |
担当楽器 |
ボーカル ギター ブルースハープ ベース ピアノ |
活動期間 | 1972年 - |
レーベル | GARURU RECORDS |
共同作業者 |
キャロル NOBODY |
公式サイト | 矢沢永吉公式サイト |
矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年(昭和24年)9月14日 - )は、日本のロックボーカリスト、ミュージシャン[1]。広島県広島市仁保(現:南区)出身[2]。身長180cm、血液型はB型[3]。
人物概要
- 愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。
- ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された[4]。
- ほぼ全曲にわたる作曲、および数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。
- 1975年のソロデビュー以降、特にテレビ媒体に露出することは少なかった[注 1]。1978年、資生堂のCMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を初め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず[出典無効][注 2]。ラジオは1970年代に何度か出ている[8][注 3]。このため1980年2月10日に当時テレビに出ないと言われており、NHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ[9]。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMには出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛けている[10][11]。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒー「BOSS」のCMに起用されてからである[12][13]。1980年代もテレビに出演することの少なかったが、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた[12]。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じ[注 4]その後、ドラマ数本と映画に出演している[12]。
- 活字メディアにもキャロル時代からしばしば登場した[6]。『週刊プレイボーイ』は、キャロル時代から矢沢を応援しており、誌面への登場はミュージシャンでトップの32回に及ぶ[16]。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾った[17]。
- 多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る[18]。
- 自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している[19]。
- 声以上の楽器はないと話しており[20][21]レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い[21][22]。
- 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える[11]。
- オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持[23]。
- オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初であった[1]。
- 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティストである。
- 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う[1][24][25]。以降2017年まで武道館最多公演記録142回と更新中[26]。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる[27]。
- 1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。
- オリコンアルバムランキング最年長首位(63歳8ヶ月)を記録[23]。
- ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得[23]。
- 1978年、資生堂のCMソングとしてヒットした「時間よ止まれ」が、2014年再び同社のCM曲として復活した[28]。
- ホットドッグプレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蠅のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた(紅白については後の2009年に第60回NHK紅白歌合戦でサプライズゲストとして初出場)。
- 2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)を獲得した(Blu-rayの売上枚数と合算した「総合ミュージック映像ランキング」でも1位を獲得)。また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた[29]。
- 2018年7月13日、平成30年7月豪雨の発生を受け、自身のホームページ内の動画にて、同年9月11日に行われる広島グリーンアリーナ公演で得た収益を被災地に寄付することを表明した[30]。
- 2019年9月、アルバム『いつか、その日が来る日まで...』が、初週11.2万枚を売り上げ、同年9月16日付オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。2016年5月16日付に小田和正が『あの日あの時』で1位を獲得した際の68歳8ヶ月を上回り、最年長1位獲得アーティストとなった(1949年9月14日生まれの矢沢にとっては、今回が70歳での1位獲得(9月16日時点の年齢)。「最年長1位獲得アーティスト」記録は、ソロアーティストおよび作品が対象。年齢の月数は、月の過半日数以上で翌月に繰り上げとなる)。また、自身が歴代1位記録を持つ「アルバムTOP10入り作品数」を本作で54作に更新した[31]。
家族
前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親でもある。また、次女の矢沢洋子は歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と入籍したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月、洋子が第一子となる女児を出産[32][33]。
経歴
生い立ち 〜 広島
母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発[6][34][35]。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別[34][35]。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされ[35]その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした[6][36]。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め[34]、さらにザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる[注 5]。
横浜へ 〜 キャロル結成
- 1968年 - 1972年
- 高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京する[6][38][39][40]。しかし、東京駅へ向かうはずだったが、長時間の移動で尻が痛くなったのと、ザ・ビートルズの出身であるリヴァプールと横浜が同じ港町だったことから横浜駅で途中下車、チャイナタウンや喫茶タクト(日ノ出町)などで働きながらバンド活動を始める[6][36][41]。
- 自作の曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」という理由から東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが「売れない」と断られる[34]。CBSソニーにも持ち込んだが不採用だった[42]。
- 「ザ・ベース」「イーセット」を経て、「ヤマト」を結成[36][43]。「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた[41]。この頃、もう一人のNOBODYメンバーである相沢行夫とも知り合う。「才能の無い奴は去れ!」という考えから、無能なメンバーを切り離し、使える者をピックアップすることでバンドの能力向上を図った[6]。
- 蒲田、川崎、横浜、横須賀などのライブハウスの「ゴールデンカップ」やキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う[34][36]。
- 「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により横浜市立大学講堂で解散[44]。
- 1975年
- 解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き、幹部と面会して自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている[47]。面会後、CBSソニーから借金をして多額の現金をフォノグラムに払い、同社のプロジェクトチームが動き始めた[47][48]。
- 所属会社の要請で4月13日、日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散。
1970年代、ソロデビュー
- 1975年
- CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍後、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、キャロル解散から20日後の5月3日、初の渡米[49]。渡米の準備は1974年末から始めており[49][50]、キャロル解散5か月後の9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバム『I LOVE YOU, OK』でソロデビューした[50]。制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んだ[48]。当時のシラケ世代の中で「ロックの世界から陽水、拓郎に挑戦するんだ」と先行するフォーク勢打倒を打ち出した[49]。
- キャロルを否定するような曲構成にファーストツアーでの評判は散々で、"キャロルの矢沢"を期待するファンが一気に離れた[50][51]。9月27日の京都会館を皮切りにソロ初のツアーを行ったが[49]、極端に不入りだった佐世保公演でのエピソードは、"リメンバー・佐世保"として『若い広場』を初め、矢沢の口からよく語られる[18][52][53]。
- 1976年
- 1977年
- 1978年
- CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット[出典無効][54]、累計売上はミリオンセラーを記録した[24][55]。同曲には、バックバンドの一員として坂本龍一や高橋幸宏、後藤次利らが参加している[55]。
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978「GOLD RUSH '78 PART-1」を3月20日からスタート
- 会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行[18][24][54]。
- 5月長者番付歌手部門で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得[10][54][56]。
- 7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる[54][57]。ライターを担当したのは糸井重里である。
- 新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位に選ばれた。
1980年代
- 1980年代に入ると黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。
- この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であった大野真澄はフォークシンガーであり、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきらや山川啓介を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズの加藤ひさしに作詞を依頼している。
- 1980年
- 第1弾ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開。
- ワーナーパイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。アメリカでの活動を視野に入れたもの。
- 長者番付歌手部門で1978年に続き首位獲得。
- 1981年
- 単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。
- 9月25日、第1弾海外版アルバム『YAZAWA』全世界発売。全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。
- 1982年
- 2月10日 第2弾海外版アルバム『YAZAWA It's Just Rock'n Roll』全米発売。
- ビルボードの推薦曲として、シングル『ROCKIN' MY HEART』がジョージ・ハリスン、バリー・マニロウと共に掲載される。
- ドゥービー・ブラザーズのメンバーと共にE.YAZAWA として“来日”し、凱旋武道館ライブ「MILES AND MILES」を敢行。このコンサートの模様はNHKで放送される。
- 長者番付歌手部門で1980年に続き首位獲得。
- 1983年
- 「I am a Model EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1983」をスタート。
- 1984年
- 「E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート。
- 1985年
- ライブエイドに出演。
- 「TAKE IT TIME EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '85」をスタート。
- 1986年
- 「FEELIN' COME HA-HA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '86」をスタート。
- 1987年
- 1988年
- アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。
- 東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍。日本国内を重視した活動になる。
- 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。このことからアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。
- 「It's Only YAZAWA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '88」をスタート。
- 1989年
- 「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9/1からスタート
- 「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12/6からスタート
1990年代
- 1990年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。
- 1991年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991「Big Beat」をスタート。
- 1992年
- 1993年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993「Come On!」をスタート。
- 1994年
- 1995年
- ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995「JUST TONIGHT」をスタート。
- 1996年
- インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996「WILD HEART」をスタート。
- 原宿にてゲリラライブ敢行。
- 1997年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997「YES,E」をスタート。
- ウェンブリー・スタジアム(英国ロンドン)で、エルヴィス・プレスリー没後20年を記念して行われたロックフェスティバル「songs and visions」にアジア代表として選ばれ、ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーン等と競演。世界60か国に放映されるが、ロッドから最初「矢沢? 知らないね」とコメントされる。しかしゲスト紹介とともに現れたYAZAWAのパフォーマンスを8万人の観衆は快く受け入れ、ロッド自身もエンディングでYAZAWAをステージ中央に呼ぶなどし、最後には楽屋裏で「君、うまいね。エルヴィスのナンバー最高だったよ。今度いっしょにツアーやろうぜ!」とまで言わしめたが、両者によるツアーは行われていない。この模様をNHKがドキュメント番組"Do You Know YAZAWA?"として制作、放送した。
- ヘヴィメタルバンド、BOW WOWのギタリスト、山本恭司がツアーに参加。以後矢沢のツアーに参加する機会が増える。
- ウィーンにてゲリラライブ敢行。
- 1998年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998「SUBWAY EXPRESS」をスタート。
- 1999年
2000年代
- 2000年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2000「STOP YOUR STEP」をスタート。
- ナラダ・マイケルウォールデンプロデュースのチャリティ・クリスマスアルバム『music of love〜for tomorrow's children〜』にスティーヴィー・ワンダー、スティング、エンヤなどと参加。
- 前年同様アメリカツアーを行う(サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク)。
- 2001年
- 「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001「Z (zi)」をスタート。
- FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。
- 自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。
- 2002年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002「ONE MAN」をスタート。
- 初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。
- 2003年
- 2004年
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「YAZAWA CLASSIC II」,「FIFTY FIVE WAY」をスタート。
- 7月24日、25日のPOCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004で、エアロスミス、ザ・フー、ブラック・アイド・ピーズ、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズと共に参加。大トリを務める。
- 2005年
- ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005「ROOTS」をスタート。
- 2006年
- 10月20日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2006「NEW STANDARD 〜Rock Opera2〜」をスタート。
- 8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。
- 12月2日、ブルーノート東京にてライヴ。
- 2007年
- 8月18日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。
- 10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。
- 郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。
- 2008年
- デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが、37年目で初めてステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表した。EMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズレーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる[58]。
- 2009年
- 7月20日、ap bank fesにサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなって出演に至った。
- 7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。
- 8月2日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。
- 8月19日、新宿のタワーレコード新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビューにして初めてのインストアライブ。
- 9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介、甲本ヒロト、真島昌利、長女の矢沢洋子が出演した。
- 9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。
- 10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009「ROCK'N'ROLL」をスタート。
- 11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。
- 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演。大物歌手揃いの紅白で、一人の歌手が持ち歌を2曲歌うという特例を許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。「時間よ止まれ」の中で歌詞を間違えたためNHK側の配慮で字幕テロップを消すという場面が見られた。
2010年代
- 2010年
- 5月30日、「東京大学 五月祭」にて、初の学園祭ライヴにサプライズ出演。
- 7月24日、HIGHER GROUND 2010に出演。
- 8月7日、8日のSUMMER SONIC 2010に出演。
- 8月14日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOに出演。
- 8月28日、音楽と髭達2010 "GENERATION"にサプライズ出演。
- 10月28日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2010「TWIST」をスタート。
- 2012年
- 5月12日、開業前の東京スカイツリー350m天望デッキにてスペシャルライブを行う。
- 8月20日よりEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE in LIVE HOUSEを開催。
- 9月1日、日産スタジアム(横浜国際総合競技場)にてEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」を開催。
- 11月7日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2012「JAMMIN' ALL NIGHT」をスタート。
- 12月31日、第63回NHK紅白歌合戦に白組特別出演歌手としてサプライズ出演。「IT'S UP TO YOU」を熱唱。
- 2013年
- 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2013「ALL TIME HISTORY -A DAY-」をスタート。
- 12月24日・25日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。
- 2014年
- 2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成[59]。
- 5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。
- 8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。
- 8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。
- 8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。
- 9月6日、第19回東京ガールズコレクションにサプライズ出演。
- 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。
- 12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。
- 2015年
- 4月12日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT』」を配信(4月24日から27日までの4日間、YAZAWA CLUB会員限定で再配信された)。
- 9月5日、東京ドームにてソロデビュー40周年を記念したライブ「EIKICHI YAZAWA ROCK IN DOME 2015」開催。その模様はWOWOWプライムにて生中継された。また、本ライブに先駆けて、ファンクラブ・YAZAWA CLUB会員限定のライブ「EIKICHI YAZAWA OPEN REHEARSAL GIG」を行った(8月28日・Zepp Sapporo、8月31日・Zepp Namba (OSAKA)、9月1日・Zepp Nagoya)。本公演の模様は同年12月2日にBlu-ray&DVDで同時リリース[60]。
- 2016年
- 2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST RESPECT ARTIST(音楽シーンに貢献し、多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)」を受賞[61]。
- 2017年
- 10月22日、実に7年ぶりとなる25本以上のツアー、「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」」開始。
- 2019年
- 2月10日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT 2』」を配信。同ライブはYAZAWA CLUB会員で、申し込みのあった中から抽選で選ばれた50名が招待され、前日9日に行われたライブを収録したものである(10日・11日にはオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」にて各一回ずつ特別上映)。
- 7月6日、自身初のロックフェス「E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019"」を幕張メッセで開催。出演は矢沢の他、氣志團、KREVA、東京スカパラダイスオーケストラ(Guest・奥田民生)、MIYAVI。ライブの模様は動画配信サービス・Huluを通じて生配信された(なお、同年7月25日より1ヶ月限定で、矢沢のライブのみを独占配信[62]。同フェスを開催するにあたっての意気込みやリハーサル風景などに独占密着した映像を、同年7月10日に日本テレビのワイドショー・情報番組「スッキリ」にて放映。翌週17日には独占インタビューが放送された)。ライブ中盤、日本テレビ系列で生放送された音楽番組「THE MUSIC DAY 2019 時代」の中継に出演した[63]。
- 10月10日、令和元年台風第19号の接近による公共交通機関の混乱及びそれらに伴う来場者の安全を第一に考慮し、10月12日に日比谷野外大音楽堂で開催予定だったワンマンライブ「EIKICHI YAZAWA SPECIAL LIVE『THE STAR IN HIBIYA 2019』」の中止を発表した[64][65]。矢沢にとって70歳の誕生日を迎えて初のライブだったこともあり思い入れも深く、また、43年ぶりの日比谷野外音楽堂での公演を楽しみにしていたファンの気持ちを汲み、10月19日夜にチケット当選者に向けてリハーサル風景などを編集した映像をインターネットを通じて限定配信[66]。
- 11月24日、同年11月16日より行われているライブツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019『ROCK MUST GO ON』」マリンメッセ福岡での公演を体調不良(喉)により急遽中止を発表した。札幌公演より喉の調子が思わしくなく、できる限りの対策や治療を施したが回復が見られなかったため。自身の体調不良を理由に公演を取り止めたのは歌手生活47年にして初めてである[67]。27日の浜松アリーナ公演もドクターストップがかかり、中止を余儀なくされた[68]。
2020年代
- 2020年
- 3月26日、4月21日から予定していたライブツアー『E.YAZAWA "ROCK MUST GO ON" TOUR -EXTRA- 2020』の全公演を中止すると発表した[69]。これは前年2019年より猛威を振るっている2019新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け(「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」、「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」参照)、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスターを発生させないための決定である[70]。
- 5月2日 、公式YouTubeチャンネルにて、ファンクラブ会員限定で『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1』(2015年)、同月3日に『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2』(2019年)を再配信。また同月5日・6日の2日間、<YAZAWAとSTAY HOME,STAY ROCK!>『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1、2スペシャルプログラム』と題し、選りすぐりの8曲を一般にも配信した。これは上記「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」に基づく「いのちを守る STAY HOME週間」で外出を自粛しているすべての人へ矢沢からの心意気である(配信動画冒頭に矢沢からのスペシャルメッセージが添えられた)。後日、緊急事態宣言が延長されたことを憂慮、また、配信が好評だったこともあり5月9日から24日まで再配信することを発表した。
- 6月17日 - 2020年6月現在までに商品化されていない過去のライブ映像の中から厳選した3本を有料配信すると発表した。プロジェクトの名称は代表作のひとつである「SOMEBODY'S NIGHT」に因み『3 BODY'S NIGHT(サンバディーズナイト)』とした[71]。第1弾は6月27日に、2017年の『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」』武道館公演の模様をフルバージョンで配信。第2弾は7月に、2019年の『ROCK MUST GO ON』横浜アリーナ公演、第3弾は8月に、1999年の『LOTTA GOOD TIME』日本武道館公演の模様を配信。なお、本配信にあたって、矢沢本人が音源のミックスダウンを行い、少しでも臨場感を伝えられるよう努めた。また、ライブ本編以外にも撮影していたリハーサル風景などを含むメイキング映像も併せて配信した。
- 9月12日 - 日本テレビ系列で放送された大型音楽番組「THE MUSIC DAY」にて、矢沢のロングインタビューをもとに『時間よ止まれ』に纏わる逸話をドラマ化した特別企画『矢沢永吉 特別ドラマ』が放送された。矢沢を演じたのは俳優の神尾楓珠[72]。
様々な事件・騒動
- 山中湖の自宅取り壊し
- ポルシェ盗難事件
- マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件
- そっくりさんによる3億円CM裁判[75]
- 最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。
- オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件
- 土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15、6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である。
- サントリー「BOSS」CM自粛
- サントリー「BOSS」CM中のセリフ「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…どこ行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議し、CMは自粛となった。次回のCMではセリフが「冗談じゃねえよ」となった。
- 桑田佳祐による「すべての歌に懺悔しな!!騒動」
- キャロルの著作権を巡るジョニー大倉との争い
- ものまねタレントへの提訴
- 2007年、ものまねタレントの石山琉大が、「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自身の公式ホームページに記載し、ものまね芸および自身の経営する飲食店の広告・宣伝のために矢沢の知名度を利用した。しかし、石山自身の借金がたまり、イベント会場を借りたが支払いもせず、車販売などでもトラブルを次々起こす。石山のビジネスには何ら係わりのない矢沢の事務所にも被害者から苦情が舞い込むことがしばしば発生したため、業を煮やした矢沢側が石山を相手に1000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。
- すると石山は、矢沢側からの損害賠償の訴えが精神的苦痛になったことを理由に、矢沢に対して1億円の賠償を求める逆訴訟を起こした。代理人を通し、矢沢は石山に誠意を込めて謝ってほしいと譲歩を示したことで石山側が折れた。石山から謝罪文書と50万円を受け取った。しかし、後に“石山が和解に納得していない”という内容のコメントを矢沢が自身のHPに掲載したことで、再び関係が悪化、2009年10月19日に石山は名誉棄損を主張して矢沢に対して3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2010年3月25日、全て棄却された。
上述のような逆境に見舞われたが、CMやテレビドラマ、映画への出演により2005年までに借金を完済し、東京・赤坂の一等地に5階建てのスタジオを建設するまでに至る。なお本人はその件に関し「また新たなローンが出来てしまった」と笑い交じりに話している。金融機関から「あなたは返済の優等生ですよ」と評価されているという。[要出典]
音楽性
特徴
- 団塊の世代であり、特にザ・ビートルズの影響を強く受けている[76]。最初にプロデビューを飾ったキャロルは、初期ビートルズを模範としたロックンロールをベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、他のメンバーとの間に大きな溝が生まれ解散に至った[8][77]。
- キャロル解散の後、ソロ活動を始めたが、バラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。1975年9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるアルバム『I LOVE YOU,OK』および、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット」でソロデビュー。本アルバムでは、当時まだ日本では珍しかったセルフプロデュースを行い、アレンジも同時に行うというセルフプロデュース方式をとった[78]。外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサーを起用するという、現在では当たり前の手法を行った[78]。『I LOVE YOU,OK』を作り終え「俺はバンドのなかの矢沢永吉と決別して、ひとりでやっていけるかもしれない」という手応えを得る[78]。海外レコーディングの成果に一つにアレンジの習得がある。アレンジーつによって原曲がいろんな顔に変わることに驚いたと述べている。1980年代前半には、レコーディングに参加したドゥービー・ブラザーズのメンバーらを連れてコンサートを行った。[要出典]
- 39歳前後のインタビューで「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った[79]。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代〜50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった[79][80]。
- 主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れている[81]。
- マイクスタンドを振り回す独特のアクションは「マイクターン」と呼ばれ[26]、ソロ・デビュー当時からライブでの見せどころの一つである[82]。ソロデビューした時にベースを弾くのを止めたら、触るものが無くなって手持ち無沙汰になり、ある日、マイクを蹴って、スパーンと決まった[48]。自身もびっくりしたが、観客もびっくりした。「あっ、これはいいな」と気づいて始めた[48]。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープで固定、シールドコードも白色に統一してある。ステージ衣装も白のスーツを着用することが多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する[注 7]。コンサート終盤には楽曲(「止まらないHa〜Ha」「トラベリン・バス」等)に合わせてタオル投げが会場全体に起こるのも大きな特色の一つである。この「タオル投げ」は、客側から「トラベリン・バス」演奏時に自然発生で起こったのが最初であるという[84][85]。また、いちはやく舞台装置にレーザー光線や可動式ライトなどを使用した。[要出典]
- コンサートの広告には、現在に至るまで「特攻服での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。キャロル時代から始まり、1975年のソロデビュー以降、1980年代にかけても[5][86]、矢沢は暴走族やヤンキーなどの不良層から支持を受けており、それゆえコンサート会場周辺は毎年不良の集会と化し、血の気の多いファン同士の乱闘もしばしば起こり会場周辺に混乱を引き起こすことも少なくなく、社会問題にまでなり[86]、一般のファンが近寄り難かったためである[5][8]。1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない[5]、洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった[87][88]。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった[8]。ちなみに、矢沢はこういったことがあった時期に「なんで桑田佳祐には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思っていたことがあったことを1980年代後半から1990年代前半までサザンオールスターズや桑田の作品に関わっていた小林武史とインタビューをした際に明かしている[89]。一連の騒ぎや「会場拒否」が落ち着いたのは1990年代に入ってからであった[86]。また、過去の迷惑行為の多くが飲酒者によって引き起こされていたため、現在では入場時、アルコールチェックが行われ、飲酒者を締め出している。[要出典]2019年1月には私設応援団なる迷惑ファンの出入り禁止およびファンクラブの強制脱会の措置を下したことを公式サイトで報告した[90]。
- 1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす[91]。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した[91][92]。
- 自身をシンガーソングライターではなくメロディーメーカーであると自負をしており、作曲のみを行っている。作詞をしないのは「才能がないから」としている[93]。
- 1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」「僕はなにひとつ、つくらなかった(捏造しなかった)」[94]という趣旨の発言をしている。
- 近年は大人の切ない世界観を渋く重厚に歌い上げ、自分自身の音楽性をクラシックロックとして、芸域を拡大し、新たな市場を開拓していった。巻き舌でコブシを利かせた歌い方は、一部には「演歌ロック」との評価もあった。[要出典]
- チェコ・ナショナル交響楽団をバックバンドに招聘し、「Rock Opera」を開催した。[要出典]
功績
ロックのメジャー化
独立独歩のステータスの確立という点において、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在である[18][95][96]。
キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい[97]。1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館公演[1][24][25]。1978年3月21日に発売した資生堂CMソング「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得しミリオンセラーを記録[24][54][98][55][99]。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[出典無効][98][100]。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバム『ゴールドラッシュ』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢が一位を独占した[6]。またこの年12月に出したライブ・アルバム『LIVE 後楽園スタジアム』もオリコンアルバム1位を獲得している。
同年5月長者番付(1977年度納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得[5][54][56][98][注 8]。1980年と1982年にも1位となる。ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を打ち破った。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[91]。自身では「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べている[91]。7月15日に刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに18刷60万部を売り上げ[5][98]版を重ねて100万部をえるベストセラーとなる[38][54][57]。矢沢は、音楽スタイルの表面的な部分だけでなく、ロックという生き様を体現した[102]。
8月28日には後楽園球場コンサート。ロックの単独公演で5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された[24][99]。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先鞭をつけた[13]。後楽園球場コンサートを控えた1978年当時の雑誌インタビューで矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロックの実質的な始祖であると言い切った[6][103][注 9]。1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた[105]。
海外レコーディング先駆け
1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した[106][107]。また1981年、米国のレコード会社アサイラム・レコードと契約し、アルバム『YAZAWA』を発売'するが、直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った日本人シンガーは矢沢が初めてである[108]。矢沢は「誰よりも誰よりも先に海外に出た。誰よりも誰よりも日本一になってやろうと思った。誰よりも誰よりも絶対上にいってやろうと思った。誰よりも誰よりも誰よりも最高の世界的なやつらとセッションした。セッションしないで海外に出もしないで、英語で苦労したこともないのに、お前らなにがわかるんだっていうのがおれの言い分。日本の国内あたりでピィピィやってて、なにお前らにわかるんだっていうのが」などと述べている[109]。
ライブミュージシャンの先駆者
1975年ソロデビュー以降、「ライブと言えば矢沢永吉」と言われるほど[105]ショーマンシップ溢れるライブを展開してきた[105]。自身のロック・スピリッツを明確に表現できるのはステージであると確信し、積極的にツアーを行った[105]。1970年代は21人の"矢沢ファミリー"と4トン半のトラック二台に機材を積み全国を"ドサ回り"した[6][110]。ツアーを重ねるたびに規模も会場のキャパも大きくなっていったが、同時に新たなファンも確実に獲得していった[105]。2012年まで総ライブ数は1800回を超え、ライブの実績において他の追随を許さない[11]。矢沢は制作や興行という面でも先駆者と呼ぶべきキャリアを歩んできた[11][18]。矢沢がライブ制作を自前で手掛け始めたのは1990年[11][111]。音楽業界の常識を破る試みだったが、リーダーシップを発揮し、ステージセットの刷新や音響環境の改善。大規模なホーン隊やストリングスを招聘するなど、ミュージシャンらしい視点を取り入れたライブは、日本の音楽シーンに大きなインパクトを与えた[11]。
著作権ビジネスの先駆者
矢沢はキャロル解散後に、ビートルズにならって自らの音楽出版社を設立した[11]。音楽の著作権(出版権)は通常、レコード会社から音楽出版社に管理が委託されるが、出版権だけでなく肖像権にも目をつけた。グッズ販売なども自らの手でコントロールした[112]。2008年「GARURU RECORDS」設立で、音源制作や流通をすべて自前で行うスタイルを確立した[11]。現在、世界の音楽業界では、CD販売のみに頼ることなく、あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっており、矢沢は日本に於ける先駆者であると言われる[11]。こうした銭金の話が日本人に馴染まないこともあって、これまで多くのトラブルが発生した。「だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。ファッションだったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の芸能界でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。だからオレ、浮いてたよ。"にぎりの矢沢"って言われてた。にぎりってのはドケチっていうことね。守銭奴扱いよ。中にはオレに賛同してくれたミュージシャンもいたけど、いざとなると自分の身がかわいいんだな。体制側についちゃうんだよ。だけどオレは貫き通した。自分が守るためってのもあったけど、芸能界のカラクリにハラがたったからよ。(中略)オレ、雑誌のインタビューなんかで芸能界をバンバン批判した。しまくったよ。テレビ局から、芸能プロダクションから、レコードカンパニーから。だって、オレの方がスジ通ってると思ったもの。(中略)そりゃあね、風当たりムチャクチャ強かったよ。芸能プロダクションとしちゃあ、ミュージシャンが賢くなるのは困る。音楽バカでいてくれたほうが都合がいいのよ、コントロールできるから。実際、オレを潰そうとしたとこもあったしね。矢沢がバンバン発言するようになって、だんだんみんな目覚めてきたよね。この世界も、オレが正しいと思った方向に変わってきた」などと述べている[103][104]。前述のトラブルの大半が先に挙げた著作権や肖像権に関わることである。
矢沢ファンを公言する著名人
- ミュージシャンや歌手では、桑田佳祐[113]、横浜銀蝿[114]、藤井フミヤ、松本孝弘[115]、横山剣、横山健[107][81]、山本恭司、ギターウルフ、田島貴男[116][117]、松任谷由実、大友康平、甲本ヒロト、高橋ジョージ、氷室京介[118]、門倉有希[119]、大木温之、増子直純、ヒダカトオル、ダイスケはん、上中丈弥、清木場俊介[120]、志磨遼平ら[121]。文化人など著名人としては、橋下徹[122]、舛添要一[123][124]、常見陽平[125]、辻本秀幸[125]、徳光和夫、黒沢年雄[126]、明石家さんま、泉ピン子、たかの友梨、ビートたけし、モーリー・ロバートソン、リリー・フランキー[123][124]、重松清[127][128]、藤山直美、大場久美子、平野寿将、とんねるず、柳沢慎吾、松本人志[129]、伊原剛志[130]、板尾創路、恵俊彰、中森明菜[131]、西村和彦、中山秀征、今田耕司[132]、矢沢あい、薬師寺保栄、吉田栄作、的場浩司、吉田豪[133]、浅野忠信、井岡一翔、市原隼人、前田典子[134]、出川哲朗[135]、五味隆典[136]、三浦大輔[137]、木下優樹菜、金本浩二[124]、那須川天心、ギタウ・ダニエル[138]、竜星涼[139]、古橋舞悠(アイドリング!!!)[140][116][141]、田中美佐子らがいる。
- ジャニーズタレント(元を含む)にも矢沢ファンが多く、田原俊彦[142]、近藤真彦[143]、錦織一清、山下智久[144]、生田斗真らが矢沢ファン。田原はカラオケでは自分の曲は歌わず、浜田省吾と矢沢を歌うという[145]。少年隊の錦織も矢沢の大ファンで、少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」は矢沢の楽曲の作詞を多く手掛けたちあき哲也に、錦織が作詞を希望し実現したもの[146]。
- 作詞家の売野雅勇は矢沢に憧れ、自ら矢沢に長いラブレターを書いて売り込み、会ってハートをガシッ!と掴まれて挑んだ矢沢との競作が「SOMEBODY'S NIGHT」「PURE GOLD」などの楽曲[147][148]。
- 小池聰行のカラオケの十八番は「時間よとまれ」だという[149]。
- 所ジョージは矢沢の著書「成りあがり」のパロディとして「成りさがり」(廣済堂出版、1978年12月)を出版している[注 10]。ダイアモンド☆ユカイにも「成りさがり」という著書がある。
ディスコグラフィ
シングル
発売日 | タイトル | カップリング | 規格 | 規格品番 | 順位 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
CBS・ソニー | |||||||
1st | 1975年9月21日 | アイ・ラヴ・ユー、OK | セクシー・キャット | EP | SOLB-305 | 43位 | |
1989年3月21日 | 8cmCD | 10EH-3256 | - | ||||
2nd | 1976年3月21日 | 真夜中のロックン・ロール | 最後の約束 | EP | SOLB-305 | 65位 | |
1979年9月21日 | 06SH-605 | - | |||||
3rd | 1976年9月21日 | ひき潮 | 写真の二人 | EP | 06SH-65 | 50位 | |
1989年3月21日 | 10EH-3257 | - | |||||
4th | 1977年6月21日 | 黒く塗りつぶせ | せめて今夜は | EP | 06SH-170 | 78位 | |
5th | 1978年3月21日 | 時間よ止まれ | チャイナタウン | EP | 06SH-270 | 1位 | |
1989年3月21日 | 8cmCD | 10EH-3258 | - | ||||
6th | 1979年4月1日 | I say Good-bye, So Good-bye | 天使たちの場所 | EP | 06SH-464 | 16位 | |
ワーナー・パイオニア | |||||||
7th | 1980年3月10日 | THIS IS A SONG FOR COCA-COLA | RUN & RUN | EP | K-30W | 5位 | |
8th | 1980年5月10日 | 涙のラブレター | レイニー・ウェイ | EP | K-31W | 9位 | |
-[注 11] | 1980年11月28日 | 兄貴に相談 | - | EP | KZ-2W | - | |
9th | 1981年9月25日 | You/Shampoo | EP | K-1510W | 23位 | ||
10th | 1982年2月20日 | YES MY LOVE | YOKOHAMA FOGGY NIGHT | EP | K-1510W | 8位 | |
11th | 1982年4月10日 | LAHAINA | SEPTEMBER MOON | EP | K-1516 | 16位 | |
12th | 1982年10月9日 | ROCKIN' MY HEART | WHY DID YOU EVER GO | EP | K-1519 | 15位 | |
13th | 1983年6月29日 | ミスティ -misty- | WHY YOU… | EP | K-1524 | 16位 | |
14th | 1983年11月16日 | Last Christmas Eve | シーサイド#9001 | EP | K-1527 | 14位 | |
15th | 1984年3月10日 | THE BORDER | I SAID I LOVE YOU | EP | K-1530 | 42位 | |
16th | 1984年7月10日 | 逃亡者 | BALL AND CHAIN | EP | K-1534 | 24位 | |
17th | 1985年6月25日 | TAKE IT TIME | あ・い・つ | EP | K-1550 | 18位 | |
18th | 1986年5月25日 | BELIEVE IN ME | 棕櫚の影に <1985・12・19武道館LIVE> | EP | K-1560 | 17位 | |
Warner Bros. Records | |||||||
19th[注 12] | 1987年5月13日 | FLASH IN JAPAN | YOKO | EP | 7-28325 | - | |
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
20th | 1988年7月6日 | 共犯者 | RISKY LOVE | EP | RT07-2130 | 6位 | |
8cmCD | XT10-2030 | ||||||
CT | ZX10-6145 | ||||||
21st | 1988年9月21日 | ニューグランドホテル | キャンディ | EP | RT07-2200 | 26位 | |
8cmCD | XT10-2200 | ||||||
CT | ZX10-6200 | ||||||
22nd | 1988年11月30日 | くちづけが止まらない | ルイジアンナ (ニューヴァージョン) | EP | RT07-2250 | 42位 | |
8cmCD | XT10-2250 | ||||||
CT | ZX10-6250 | ||||||
23rd | 1989年4月26日 | SOMEBODY'S NIGHT | アゲイン | EP | RT07-2333 | 2位 | |
8cmCD | XT10-2333 | ||||||
CT | ZX10-6333 | ||||||
24th | 1989年7月19日 | 愛しい風 | 六本木ショット | EP | RT07-2400 | 17位 | |
8cmCD | XT10-2400 | ||||||
CT | ZX10-6400 | ||||||
25th | 1989年10月11日 | バラードよ永遠に | FLESH AND BLOOD | EP | RT07-2425 | 6位 | |
8cmCD | XT10-2425 | ||||||
26th | 1990年5月23日 | PURE GOLD | I LOVE YOU,OK -1990 Version- | Maxi | TODT-2513-Y | 1位 | |
8cmCD | TODT-2513 | ||||||
CT | TOST-2513 | ||||||
27th | 1991年4月19日 | 夢の彼方 | フェンス越しのFICTION | 8cmCD | TODT-2650 | 3位 | |
CT | TOST-2650 | ||||||
28th | 1991年5月31日 | ラスト・シーン | LONELY WARRIOR | 8cmCD | TODT-2670 | 4位 | |
CT | TOST-2670 | ||||||
29th | 1991年12月11日 | BIG BEAT | DON'T WANNA STOP | 8cmCD | TODT-2780 | 29位 | |
30th | 1992年6月3日 | Anytime Woman | Sail Away | 8cmCD | TODT-2839 | 9位 | |
CT | TOST-2839 | ||||||
31st | 1992年6月17日 | Anytime Woman -English Version- | アンジェリーナ | 8cmCD | TODT-2863 | 9位 | |
CT | TOST-2863 | ||||||
32nd | 1993年2月10日 | 東京 | 心花よ | 8cmCD | TODT-2980 | 6位 | |
CT | TOST-2980 | ||||||
33rd | 1993年10月27日 | 黄昏に捨てて | 闇の中のハリケーン | 8cmCD | TODT-3123 | 24位 | |
34th | 1994年4月27日 | アリよさらば | SEA BREEZE | 8cmCD | TODT-3215 | 4位 | |
CT | TOST-3215 | ||||||
35th | 1994年5月25日 | いつの日か | センチメンタル・コースト | 8cmCD | TODT-3230 | 8位 | |
CT | TOST-3230 | ||||||
36th | 1995年2月8日 | 夏の終り | 抱いちまったら | 8cmCD | TODT-3430 | 19位 | |
37th | 1995年5月24日 | 青空 | THE TROUBLE MAN | 8cmCD | TODT-3490 | 30位 | |
38th | 1996年5月16日 | MARIA | 終わりじゃないぜ | 8cmCD | TODT-3700 | 26位 | |
39th | 1996年11月7日 | もうひとりの俺 | WILD HEART | 8cmCD | TODT-3880 | 37位 | |
40th | 1997年9月3日 | Still | China Girl | 8cmCD | TODT-5040 | 34位 | |
41st | 1997年11月7日 | あの日のように | だから、抱いてくれ | 8cmCD | TODT-5075 | 37位 | |
42nd | 1998年7月29日 | チャイナタウン | 黒く塗りつぶせ | 8cmCD | TODT-5178 | 33位 | |
43rd | 1999年6月30日 | Oh!ラヴシック | I have no reason | Maxi | TODT-4155 | 17位 | |
馬鹿もほどほどに (Live at CLUB CITTA' KAWASAKI Sep.29th,1998) | |||||||
44th | 2000年8月9日 | THE TRUTH | Brother! | Maxi | TOCT-4235 | 16位 | |
ユニバーサル インターナショナル | |||||||
45th | 2000年10月25日 | Tonight I Remember | Little Drummer Boy (Song by Narada Michael Walden) | Maxi | UICE-5001 | 35位 | |
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
46th | 2001年8月29日 | 背中ごしの I LOVE YOU | THE STRANGE WORLD -remix- | Maxi | TOCT-4315 | 19位 | |
47th | 2002年7月26日 | 鎖を引きちぎれ | 気ままなロックン・ローラー | Maxi (CD-EXTRA) | TOCT-4403 | 15位 | |
48th | 2005年8月24日 | ONLY ONE | 面影 | Maxi | TOCT-4895 | 20位 | |
EMI Music Japan | |||||||
49th | 2007年9月5日 | 夏の終り | この道の向こうに | Maxi | TOCT-40142 | 27位 | |
GARURU RECORDS | |||||||
50th | 2009年2月25日 | Loser | Maxi | GRRC-7 | 17位 | ||
51st | 2009年6月3日 | コバルトの空 | 未来をかさねて | Maxi | GRRC-8 | 13位 |
オリジナルアルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | 発売元 | 備考 | 順位 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CBS・ソニー | |||||||
1st | 1975年9月21日 | I LOVE YOU,OK | LP | SOLN-4 | CBS・ソニー | - | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1256 | CD選書 | ||||
2006年11月15日 | MHCL-951 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 99位 | |||
2nd | 1976年6月21日 | A Day | LP | 25-AH-35 | CBS・ソニー | - | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1257 | CD選書 | ||||
2006年11月15日 | MHCL-952 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 109位 | |||
3rd | 1977年4月21日 | ドアを開けろ | LP | 25-AH-185 | CBS・ソニー | 2位 | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1260 | CD選書 | - | |||
2006年11月15日 | MHCL-955 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 114位 | |||
4th | 1978年6月1日 | ゴールドラッシュ | LP | 25-AH-485 | CBS・ソニー | 1位 | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1263 | CD選書 | - | |||
2006年11月15日 | MHCL-958 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 100位 | |||
5th | 1979年6月21日 | Kiss Me Please | LP | 25-AH-734 | CBS・ソニー | 2位 | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1266 | CD選書 | - | |||
2006年11月15日 | MHCL-961 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 118位 | |||
ワーナー・パイオニア | |||||||
6th | 1980年6月10日 | KAVACH | LP | K-10022W | ワーナー・パイオニア | 2位 | |
CD | 32XL-136 | ||||||
1990年10月25日 | WPCL-195 | - | |||||
2010年11月20日 | GRRC-11 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 246位 | |||
7th | 1981年8月5日 | YAZAWA | LP | K-10022W | ワーナー・パイオニア | 9位 | |
1981年9月25日 | 5E-536-B | 海外発売 第1弾 / 逆輸入盤 | 3位 | ||||
CD | 35XL-21 | ||||||
32XL-97 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-199 | - | |||||
2010年11月20日 | GRRC-12 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 247位 | |||
8th | 1981年10月25日 | RISING SUN | LP | K-12502W | ワーナー・パイオニア | 3位 | |
CD | 35XL-14 | ||||||
32XL-226 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-200 | - | |||||
2010年11月20日 | GRRC-13 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 278位 | |||
9th | 1982年7月10日 | P.M.9 | LP | K-12056 | ワーナー・パイオニア | 1位 | |
CD | 35XL-2 | ||||||
1985年7月25日 | 32XL-100 | - | |||||
1990年10月25日 | WPCL-201 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-14 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 218位 | |||
10th | 1982年12月4日 | YAZAWA It's Just Rock'n Roll | LP | SDM-15005 | ワーナー・パイオニア | - | |
1983年2月10日 | 60199-1 | 海外発売 第2弾 / 逆輸入盤 | |||||
CD | 35XL-7 | ||||||
32XL-223 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-202 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-15 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 256位 | |||
11th | 1983年7月20日 | I am a Model | LP | K-12507 | ワーナー・パイオニア | ||
CD | 35XL-13 | ||||||
32XL-104 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-203 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-16 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 277位 | |||
12th | 1984年7月25日 | E' | LP | K-12512 | ワーナー・パイオニア | - | |
CD | 35XL-44 | ||||||
32XL-98 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-205 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-17 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 248位 | |||
13th | 1985年7月25日 | YOKOHAMA二十才まえ | LP | K-12517 | ワーナー・パイオニア | 1位 | |
CD | 32XL-94 | ||||||
1990年10月25日 | WPCL-206 | - | |||||
2010年11月20日 | GRRC-18 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 261位 | |||
14th | 1986年7月25日 | 東京ナイト | LP | K-12525 | ワーナー・パイオニア | - | |
CD | 32XL-158 | ||||||
1990年10月25日 | WPCL-209 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-19 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | 245位 | |||
Warner Bros. Records | |||||||
15th | 1987年5月18日 | FLASH IN JAPAN | LP | 25384-1 | Warner Bros. Records | 海外発売 第3弾 / 日本未発売 | - |
CD | 25384-2 | ||||||
1999年12月24日 | TOCT-24280 | 東芝EMI / EASTWORLD | |||||
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
16th | 1988年7月21日 | 共犯者 | LP | RT28-5255 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
CT | ZT28-5255 | ||||||
CD | CT32-5255 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-20 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
17th | 1989年6月21日 | 情事 | LP | RT28-5500 | 東芝EMI / EASTWORLD | 2位 | |
CT | ZT28-5500 | ||||||
CD | CT32-5500 | ||||||
2010年11月20日 | GRRC-21 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
18th | 1990年7月31日 | 永吉 | CD | TOCT-5780 | 東芝EMI / EASTWORLD | 2位 | |
2010年11月20日 | GRRC-22 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
19th | 1991年7月5日 | Don't Wanna Stop | CD | TOCT-6200 | 東芝EMI / EASTWORLD | - | 3位 |
2010年11月20日 | GRRC-23 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
20th | 1992年6月24日 | Anytime Woman | CD | TOCT-6521 | 東芝EMI / EASTWORLD | 5位 | |
2010年11月20日 | GRRC-23 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
21st | 1993年3月31日 | HEART | CD | TOCT-6925 | 東芝EMI / EASTWORLD | 1位 | |
2010年11月20日 | GRRC-25 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
22nd | 1994年7月6日 | the Name Is... | CD | TOCT-8480 | 東芝EMI / EASTWORLD | 1位 | |
2010年11月20日 | GRRC-26 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
23rd | 1995年7月5日 | この夜のどこかで | CD | TOCT-9110 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
2010年11月20日 | GRRC-27 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | ||||
24th | 1996年7月3日 | MARIA | CD | TOCT-9550 | 東芝EMI / EASTWORLD | 5位 | |
2010年11月20日 | GRRC-28 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
25th | 1997年8月8日 | YES | CD | TOCT-9930 | 東芝EMI / EASTWORLD | 8位 | |
2010年11月20日 | GRRC-29 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
26th | 1999年8月6日 | LOTTA GOOD TIME | CD | TOCT-24200 | 東芝EMI / EASTWORLD | 10位 | |
2010年11月20日 | GRRC-30 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
27th | 2000年9月27日 | STOP YOUR STEP | CD | TOCT-24400 | 東芝EMI / EASTWORLD | 7位 | |
2010年11月20日 | GRRC-31 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
28th | 2001年9月27日 | YOU,TOO COOL | CD | TOCT-24650 | 東芝EMI / EASTWORLD | 6位 | |
2010年11月20日 | GRRC-32 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
29th | 2004年9月1日 | 横顔 | CD | TOCT-25449 | 東芝EMI / EASTWORLD | 8位 | |
2010年11月20日 | GRRC-33 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
30th | 2005年9月14日 | ONLY ONE | CD | TOCT-25834 | 東芝EMI / EASTWORLD | 4位 | |
2010年11月20日 | GRRC-34 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
GARURU RECORDS | |||||||
31st | 2009年8月5日 | ROCK'N'ROLL | CD | GRRC-10 | GARURU RECORDS | 3位 | |
32nd | 2010年6月9日 | TWIST | CD+DVD(初回限定盤) | GRRC-35 | GARURU RECORDS | 3位 | |
CD(通常盤) | GRRC-36 | ||||||
33rd | 2012年8月1日 | Last Song | CD+DVD(初回限定盤) | GRRC-38/E | GARURU RECORDS | 2位 | |
CD(通常盤) | GRRC-38 | ||||||
34th | 2019年9月4日 | いつか、その日が来る日まで… | CD+Blu-ray (初回限定盤A) | GRRC-54〜55 | GARURU RECORDS | TBA | |
CD+DVD (初回限定盤A) | GRRC-58〜59 | ||||||
CD+Blu-ray (初回限定盤B) | GRRC-56〜57 | ||||||
CD+DVD (初回限定盤B) | GRRC-60〜61 | ||||||
CD (通常盤) | GRRC-53 |
ライブアルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | 発売元 | 備考 | 順位 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CBS・ソニー | |||||||
1st | 1976年11月21日 | THE STAR IN HIBIYA | LP | 40AH-119/20 | CBS・ソニー | - | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1258/9 | CD選書 | ||||
2006年11月15日 | MHCL-953/4 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 132位 | |||
2nd | 1977年11月21日 | スーパーライブ 日本武道館 | LP | 40AH-384/5 | CBS・ソニー | - | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1261/2 | CD選書 | ||||
2006年11月15日 | MHCL-956/7 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 120位 | |||
3rd | 1978年12月5日 | LIVE 後楽園スタジアム | LP | 40AH-645/6 | CBS・ソニー | - | |
1990年10月15日 | CD | CSCL-1264/5 | CD選書 | ||||
2006年11月15日 | MHCL-959/60 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 108位 | |||
ワーナー・パイオニア | |||||||
4th | 1980年11月28日 | The Rock | LP | K-10022W | ワーナー・パイオニア | ||
1990年10月25日 | CD | WPCL-196/7 | |||||
5th | 1983年3月26日 | 1982 P.M.9 LIVE | LP | K-5503/4 | ワーナー・パイオニア | ||
1990年10月25日 | CD | WPCL-198 | |||||
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
6th | 1989年2月15日 | STAND UP!! | LP | RT16-5395/7 | 東芝EMI / EASTWORLD | 1位 | |
CD | CT24-5395/6 | ||||||
7th | 1992年9月30日 | Anytime Woman LIVE ALBUM | CD | TOCT-6690 | 東芝EMI / EASTWORLD | 3位 | |
8th | 1998年4月22日 | LIVE!YES,E | CD | TOCT-10270 | 東芝EMI / EASTWORLD | 10位 | |
9th | 2000年3月29日 | LIVE DECADE 1990-1999 | CD | TOCT-24331/2 | 東芝EMI / EASTWORLD | 15位 | |
10th | 2002年3月30日 | EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR "Z" 2001 | CD | TOCT-24775/6 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
11th | 2004年2月25日 | YAZAWA CLASSIC〜VOICE〜 | DVD-Audio[注 13] | TOAT-1005 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
12th | 2004年2月25日 | ONE MAN in BUDOKAN | DVD-Audio | TOAT-1006 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
GARURU RECORDS | |||||||
13th | 2016年7月27日 | LIVE HISTORY 2000〜2015 | CD | GRRC-49/50 | GARURU RECORDS | 5位 | |
2018年3月5日 | GRRC-51/2 | 45位 |
ベストアルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | 発売元 | 備考 | 順位 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CBS・ソニー | |||||||
1st | 1980年7月1日 | THE GREAT OF ALL | LP | 28-AH-994 | CBS・ソニー | - | |
2001年4月25日 | CD | SRCL-5064 | Sony Music Entertainment (Japan) | ||||
2006年11月15日 | MHCL-962 | Sony Music Direct / GT music | デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 | 116位 | |||
2nd | 1980年12月1日 | THE GREAT OF ALL VOL.2 | LP | 44-AH-1160/1 | CBS・ソニー | - | |
2001年4月25日 | CD | SRCL-5065/6 | Sony Music Entertainment (Japan) | ||||
3rd | 1983年11月21日 | THE GREAT OF ALL -Special Version- | CD | 35-DH-55 | CBS・ソニー | - | |
1993年10月1日 | SRCL-2718 | Sony Records | |||||
ワーナー・パイオニア | |||||||
4th | 1984年2月15日 | THE BORDER | LP | K-12510 | ワーナー・パイオニア | - | |
CD | 35XL-36 | ||||||
32XL-76 | |||||||
1990年10月25日 | WPCL-204 | ||||||
CBS・ソニー | |||||||
5th | 1985年11月21日 | 矢沢永吉全集 | CD | 00-DH-327/30 | CBS・ソニー | CBS・ソニーからリリースされた『CD-BOXシリーズ』シリーズの1つ | - |
ワーナー・パイオニア | |||||||
6th | 1988年3月25日 | ROCK'N ROLL | GOLD CD | 32XL-275 | ワーナー・パイオニア | - | |
1990年10月25日 | WPCL-210 | ||||||
7th | 1988年3月25日 | BALLAD | GOLD CD | 32XL-276 | ワーナー・パイオニア | - | |
1990年10月25日 | WPCL-209 | ||||||
CBS・ソニー | |||||||
8th | 1988年7月21日 | ベスト・コレクション | CD | 15EH-8046 | CBS・ソニー | CBS・ソニー20周年企画『My Favorite Songs』シリーズの1つ。8cmCD、5曲入り | - |
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
9th | 1990年10月31日 | THE ORIGINAL | 2CD | TOCT-5850/1 | 東芝EMI / EASTWORLD | 4位 | |
10th | 1993年12月8日 | THE ORIGINAL 2 | CD | TOCT-8270 | 東芝EMI / EASTWORLD | ||
Sony Records | |||||||
11th | 1997年10月1日 | E.Y 70'S | CD (CD-EXTRA) | SRCL-4838 | Sony Records | 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 | 12位 |
2003年12月17日 | CD | MHCL-838 | Sony Music Direct / GT music | - | |||
ワーナーミュージック・ジャパン | |||||||
12th | 1997年10月1日 | E.Y 80'S | CD (CD-EXTRA) | WPC6-8383 | ワーナーミュージック・ジャパン | 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 | 13位 |
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
13th | 1997年10月1日 | E.Y 90'S | CD (CD-EXTRA) | TOCT-9960 | 東芝EMI / EASTWORLD | 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 | 11位 |
GARURU RECORDS | |||||||
14th | 2013年5月15日 | ALL TIME BEST ALBUM | 3CD+DVD (初回限定盤) | GRRC-39/42 | GARURU RECORDS | 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、初のオール・タイム・ベスト | 1位 |
3CD(通常盤) | GRRC-43/5 | ||||||
15th | 2015年7月1日 | ALL TIME BEST ALBUM II | 3CD | GRRC-46/8 | GARURU RECORDS | 2位 | |
16th | 2020年10月21日 | STANDARD 〜THE BALLAD BEST〜 | 3CD+Blu-ray (初回限定盤A) | GRRC-73/6 | GARURU RECORDS | 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、オールタイム・バラード・ベスト | 1位 |
3CD+DVD (初回限定盤A) | GRRC-81/4 | ||||||
3CD+Blu-ray (初回限定盤B) | GRRC-77/80 | ||||||
3CD+DVD (初回限定盤B) | GRRC-85/8 | ||||||
3CD (通常盤) | GRRC-70/2 | ||||||
5LP (数量限定盤) | GRRR-01/5 |
その他アルバム
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | 発売元 | 備考 | 順位 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ワーナー・パイオニア | |||||||
1st | 1985年11月28日 | TEN YEARS AGO | LP | K-12520 | ワーナー・パイオニア | キャロル時代の楽曲のセルフカバー | - |
CD | 32XL-118 | ||||||
1990年10月25日 | WPCL-207 | ||||||
東芝EMI / EASTWORLD | |||||||
2nd | 1998年9月8日 | SUBWAY EXPRESS | CD | TOCT-10420 | 東芝EMI / EASTWORLD | セルフカバー | 3位 |
3rd | 2002年9月4日 | SUBWAY EXPRESS 2 | CD | TOCT-24840 | 東芝EMI / EASTWORLD | 9位 | |
4th | 2006年5月17日 | YOUR SONGS 1 | CD | TOCT-26003 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 5位 |
2010年11月20日 | GRRC-1 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
5th | 2006年5月17日 | YOUR SONGS 2 | CD | TOCT-26004 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 6位 |
2010年11月20日 | GRRC-2 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
6th | 2006年5月17日 | YOUR SONGS 3 | CD | TOCT-26005 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 7位 |
2010年11月20日 | GRRC-3 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
7th | 2007年9月26日 | YOUR SONGS 4 | CD | TOCT-26343 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 20位 |
2010年11月20日 | GRRC-4 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
8th | 2007年9月26日 | YOUR SONGS 5 | CD | TOCT-26344 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 22位 |
2010年11月20日 | GRRC-5 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
9th | 2007年9月26日 | YOUR SONGS 6 | CD | TOCT-26345 | 東芝EMI / EASTWORLD | リミックスベスト | 16位 |
2010年11月20日 | GRRC-6 | GARURU RECORDS | 紙ジャケット仕様 | - | |||
GARURU RECORDS | |||||||
10th | 2011年7月6日 | ONLY ONE 〜touch up〜 | CD | GRRC-37 | GARURU RECORDS | リミックス | 10位 |
DVD&Blu-ray
※はDVDとBlu-rayでのリリース、それ以外はDVDのみ
- OPEN RECORDING GIG(1996年)
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE(1999年)
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN(1999年)
- TONIGHT THE NIGHT!〜ありがとうが爆発する夜〜(2000年)
- THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001(2001年)
- THE STAR IN HIBIYA(2001年)
- EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001(2002年)
- YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002(2003年)
- ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002(2003年)
- Rock Opera Eikichi Yazawa(2004年)
- 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN-(2004年)- TSUTAYAオンライン限定
- ROCK 'N' ROLL KNIGHT2(2004年)- ファンクラブ限定
- FIFTY FIVE WAY(2005年)
- YAZAWA CLASSIC II(2005年)
- FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN(2005年)
- RUN&RUN(2006年)
- お受験(2007年)
- Rock Opera2 NEW STANDARD(2007年)
- THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX(2007年)
- THE REAL(2008年4月23日)※
- SPECIAL X'mas LIVE(2009年1月30日)- ファンクラブ限定
- ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME(2009年12月09日)
- E.YAZAWA ROCK(2010年7月21日)※
- THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo 2005(2011年4月13日)
- New Standard 〜Blue Note Style〜 2006(2011年4月13日)
- ONLY ONE〜touch up〜 SPECIAL LIVE in DIAMOND MOON(2011年8月17日)
- EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』(2012年11月7日)
- JAMMIN' ALL NIGHT 2012 in BUDOKAN(2014年5月7日)
- STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜 2011 in BUDOKAN(2014年5月7日)
- JUST TONIGHT 1995 in YOKOHAMA STADIUM(2014年5月7日)
- It's Only YAZAWA 1988 in TOKYO DOME(2014年5月7日)
- TREASURE BOX(2014年5月7日)- DVD BOX
- ROCK IN DOME(2015年12月2日)※
- Dreamer 2016 IN GRAND HYATT TOKYO(2017年9月6日)※
- BUTCH!! 2016 IN OSAKA-JO HALL(2017年9月6日)※
- EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018「STAY ROCK」(2018年12月26日)※
LD
- RUN&RUN(1981年)
- MILES AND MILES(1983年)
- 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
- 東京ナイト(1986年)
- 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
- STAND UP '89 ARENA(1990年)
- STAND UP '89 DOME(1990年)
- ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN(1991年)
- 1991 BIG BEAT STADIUM(1992年)
- 1991 BIG BEAT BUDOKAN(1992年)
- LIVE VIDEO Anytime Woman(1993年)
- VIDEO CLIPS(1993年)
- The name is YAZAWA(1995年)
- OPEN RECORDING GIG(1996年)
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE(1999年)
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOUKAN(1999年)
VHS
- RUN&RUN(1983年)
- MILES AND MILES(1983年)
- 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
- 東京ナイト(1986年)
- 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
- E' LIVE 1984(1988年)- ファンクラブ限定
- STAND UP '89 ARENA(1990年)
- STAND UP '89 DOME(1990年)
- Rock'n'Roll Army '90 BUDOKAN(1991年)
- 1991 Big Beat STADIUM(1992年)
- 1991 Big Beat BUDOKAN(1992年)
- VIDEO CLIPS(1993年)
- VIDEO CLIPS2(1993年)
- Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992(1992年)
- Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993(1994年)- ファンクラブ限定
- THE NAME IS YAZAWA CONCERT TOUR 1994(1995年)
- OPEN RECORDING GIG(1996年)
- JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995(1996年)- ファンクラブ限定
- WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996(1998年)- ファンクラブ限定
- YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997(1998年)- ファンクラブ限定
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 1998(1999年)
- SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 1998(1999年)
- お受験(2000年)
校歌
- Nishiyamato Academy of California School Song「今日をありがとう」
タイアップ一覧
楽曲 | タイアップ | 収録作品 |
---|---|---|
トラベリン・バス | SONY ラジカセ『リズムカプセル9000』CMソング | アルバム『A Day』 |
時間よ止まれ | 資生堂『アクエア』CMソング | シングル「時間よ止まれ」 |
資生堂「美への挑戦」編 CMソング | ||
I say Good-bye, So Good-bye | アルパイン'79“アルパイン・カーオーディオセンサー<SK-800>”CMソング | シングル「I say Good-bye, So Good-bye」 |
THIS IS A SONG FOR COCA-COLA | コカ・コーラ CMソング | シングル「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」 |
RUN & RUN | 富士映画配給『RUN&RUN』主題歌 | |
抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- | マクセル・カセットテープ CMソング | シングル「抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST-」 |
You | TBS系ドラマ『はじめまして再婚』主題歌 | シングル「You/Shampoo」 |
Shampoo | 三菱『ギャランΣ』CMソング | |
YES MY LOVE | '82 コカ・コーラ CMイメージ・ソング | シングル「YES MY LOVE」 |
LAHAINA | 資生堂キャンペーン・ソング | シングル「LAHAINA」 |
ROCKIN' MY HEART | パイオニア・シェルフコンポーネント・プライベート CMソング | シングル「ROCKIN' MY HEART」 |
Last Christmas Eve | Johnnie Walker Red Label CMソング | シングル「Last Christmas Eve」 |
THE BORDER | シングル「THE BORDER」 | |
TAKE IT TIME | ホンダ『eve PAX』CMソング | シングル「TAKE IT TIME」 |
苦い雨 | 宝酒造『バービカン』CMソング | アルバム『YOKOHAMA二十才まえ』 |
BELIEVE IN ME | シングル「BELIEVE IN ME」 | |
止まらないHa〜Ha | 第一興商『LIVE DAM HD』CMソング[注 14] | アルバム『東京ナイト』 |
フジテレビ系『IPPONグランプリ』テーマソング | ||
共犯者 | 銀座ジュエリーマキ・カメリアダイアモンド CMソング | シングル「共犯者」 |
ニューグランドホテル | シングル「ニューグランドホテル」 | |
くちづけが止まらない | シングル「くちづけが止まらない」 | |
SOMEBODY'S NIGHT | AXIAビデオテープ CMソング | シングル「SOMEBODY'S NIGHT」 |
FLESH AND BLOOD | AXIAオーディオテープGT-X CMソング | アルバム『情事』 |
シングル「バラードよ永遠に」 | ||
愛しい風 | 東宝東和提供『子熊物語』メッセージソング | シングル「愛しい風」 |
バラードよ永遠に | AXIAオーディオテープPS-X CMソング | シングル「バラードよ永遠に」 |
PURE GOLD | TBS系ドラマ『ホットドッグ』主題歌 | シングル「PURE GOLD」 |
I LOVE YOU, OK -1990 Version- | AXIAビデオテープ CMソング | |
GET UP | アルバム『永吉』 | |
夢の彼方 | アサヒ生ビール"Z" CMソング | シングル「夢の彼方」 |
ラスト・シーン | 日本テレビ系ドラマ『刑事貴族2』エンディングテーマ | シングル「ラスト・シーン」 |
BIG BEAT | TBS系『世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ | シングル「BIG BEAT」 |
東京 | 日本テレビ系ドラマ『はだかの刑事』主題歌 | シングル「東京」 |
心花よ | サントリーBOSS CMソング | |
黄昏に捨てて | シングル「黄昏に捨てて」 | |
Midnight Jungle | NHKBS2 衛星アニメ劇場『おまかせスクラッパーズ』オープニングテーマ | アルバム『the Name Is...』 |
ミス・ロンリー・ハート | NHKBS2 衛星アニメ劇場『おまかせスクラッパーズ』エンディングテーマ | |
アリよさらば | TBS系ドラマ『アリよさらば』オープニングテーマ | シングル「アリよさらば」 |
ブリヂストン『GRID II』CMソング | ||
SEA BREEZE | シーブリーズ'94 イメージソング | |
いつの日か | TBS系ドラマ『アリよさらば』エンディングテーマ | シングル「いつの日か」 |
夏の終り | サントリーBOSS CMソング | シングル「夏の終り」 |
マンダム『ルシード』CMソング | ||
青空 | サントリーBOSS CMソング | シングル「青空」 |
THE TROUBLE MAN | PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』オープニングテーマ | |
PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』CMソング | ||
THE RAIN[注 15] | PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』エンディングテーマ | シングル、アルバム共に未収録 |
MARIA | サントリーBOSS CMソング | シングル「MARIA」 |
終わりじゃないぜ | サントリーBOSS 1995 CMソング | |
Love is you | 映画『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』主題歌 | アルバム『E.Y 90'S』 |
テレビ東京系『愛の貧乏脱出大作戦』エンディングテーマ | ||
もうひとりの俺 | サントリーBOSS CMソング | シングル「もうひとりの俺」 |
TBC CMソング | ||
Stll | 資生堂『ピエヌ』CMソング | シングル「Stll」 |
しなやかな獣たち | 日産『ラルゴ ハイウェイスターツーリング』CMソング | アルバム『YES』 |
あの日のように | TBS系東芝日曜劇場『ベストパートナー』主題歌 | シングル「あの日のように」 |
だから、抱いてくれ | サントリーBOSS CMソング | |
I have no reason | 映画『お受験 OJUKEN』主題歌 | シングル「Oh!ラヴシック」 |
フォーチュン・テイラー | TBS系月曜ドラマスペシャル『雨に眠れ』主題歌 | アルバム『LOTTA GOOD TIME』 |
THE TRUTH | ファミリーマート CMソング | シングル「THE TRUTH」 |
背中ごしのI LOVE YOU | サントリー『角瓶』CMソング | アルバム『YOU,TOO COOL』 |
ワン・ナイト・ショー | 三菱ふそう『キャンター』CMソング | アルバム『SUBWAY EXPRESS 2』 |
ロックンロールドラッグ | ユニクロ CMソング | アルバム『横顔』 |
ONLY ONE | TBC CMソング[注 16] | シングル「ONLY ONE」 |
Loser | PS3用ゲームソフト『龍が如く3』メインテーマ | シングル「Loser」 |
コバルトの空 | ロッテ『キシリトールガム』CMソング | シングル「コバルトの空」 |
Sweet Rock'n'Roll | ロッテ『キシリトールガム』CMソング | アルバム『ROCK'N'ROLL』 |
あの日、アイツに | 第一興商『MTV DAM』CMソング | |
サイコーな Rock You! | ロッテ『キシリトールガム』CMソング | アルバム『TWIST』 |
Shake Me | 日本郵便『ゆうパック』CMソング | |
闇を抜けて | AXN『フラッシュフォワード』イメージソング | |
ワニ革のスーツ | 第一興商『LIVE DAM』CMソング | |
HEY YOU… | トヨタ『アルファード』CMソング | |
IT'S UP TO YOU! | 第一興商『LIVE DAM』CMソング | アルバム『Last Song』 |
翼を広げて | 映画『デンジャラス・ラン』日本版イメージソング | |
JAMMIN' ALL NIGHT | ヨコハマタイヤ『アイスガードファイブ』CMソング |
出版物
成りあがり
- 著書
- ドラマ化作品
- 漫画化作品
その他
- 矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE(1979年)稲越功一 小学館
- 矢沢永吉『矢沢永吉写真集 「19490914」THE LIFE OF EIKICHI YA ZAWA』新潮社、1995年。ISBN 4-10-408001-2。
- 地球音楽ライブラリー 矢沢永吉(1997年)TOKYO FM出版
- アー・ユー・ハッピー?(2001年)日経BP社
- イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学(2006年)ぴあ
- 矢沢永吉×操上和美写真集「FACE EIKICHI YAZAWA 2006-2009」(2009年)
- 俺 矢沢永吉(2019年4月15日)ぴあ
矢沢永吉が登場する本
- 森永博志『原宿ゴールドラッシュ』ワニブックス、1985年。(文庫、ワニブックス、1990年、エンジェルワークス文庫/ソニー・マガジンズ、2004年)
- 初版本のみ矢沢が登場する。矢沢の件は『成りあがり』番外編といえる優れた逸話が多い。特にヤクザ風の男と矢沢との対峙は本作の中でも白眉というべき名場面である[注 18]。
出演
テレビドラマ
- 夜明けの刑事 第2話「キャロル知らない奴はおくれてる」(1974年10月9日、TBS)- 本人 役
- アリよさらば(1994年4月15日 - 7月1日、TBS)- 安部良太 役
- 時よとまれ(1995年8月5日、テレビ朝日「土曜ワイド劇場・戦後五十年特別企画」)- 吉村直之 役
- 雨に眠れ SLEEP IN THE RAIN(2000年5月29日、TBS「月曜ドラマスペシャル・500回特別企画」)- 小野静夫 役
- BG〜身辺警護人〜 最終話(2018年3月15日、テレビ朝日)- 矢沢永吉(本人)役 ※ 特別出演
音楽番組
- ベストヒットUSA(1982年、テレビ朝日)
- TOKIOロックTV(1984年、テレビ東京)
- ミュージックフェア(1986年、1996年、2001年、2019年9月7日・14日(矢沢永吉ミュージックフェアスペシャル前編・後編[152])、フジテレビ)
- 夜のヒットスタジオ(1985年、1988年、1989年、フジテレビ)
- ライヴエイド (1985年7月12日、フジテレビ)- 小田和正、南こうせつと共演
- うたばん(1998年、TBS)
- HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(1997年、1998年、2000年、2001年、フジテレビ)
- 夢・音楽館(2003年、NHK)
- SOUND ARENA(1992年、フジテレビ)
- MJ -MUSIC JOURNAL-(1993年、フジテレビ)
- SONGS(2007年、2009年、NHK)
- SONGSスペシャル(2015年9月25日、NHK)
- 第60回NHK紅白歌合戦(2009年、NHK)- ゲスト出演で正規な出場ではない
- 第63回NHK紅白歌合戦(2012年、NHK)- ゲスト出演で正規な出場ではない
- 僕らの音楽-OUR MUSIC-(2010年、フジテレビ)- 自身の出演CMのライバル会社がスポンサーを務めている番組だったため、番組内のCMはACジャパンに差し替えとなった
- Music Lovers(2012年、日本テレビ)
- THE MUSIC DAY 2019 時代(2019年7月6日、日本テレビ)
- ミュージックステーション(2019年8月30日、テレビ朝日)[153]
その他番組
- YOU 青春プレイバック(1985年、NHK教育テレビ)
- ファンキートマト(1984年、テレビ神奈川)
- キャッチアップ(1989年、TBS)
- 私…(1977年4月24日、東京12チャンネル(現:テレビ東京))
- ねるとん紅鯨団(1991年、フジテレビ)
- SMAP×SMAP(1999年、2009年、フジテレビ)
- EXテレビ(1992年、日本テレビ)
- ニュースステーション(1988年、1992年、1996年、2003年、テレビ朝日)
- ザ・スクープ(テレビ朝日)
- 情報プレゼンター とくダネ!(2000年、フジテレビ)
- 終わらない夢
- 情熱大陸(2005年、TBS)
- K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!(2005年12月31日、TBS)
- ICHIRO×E.YAZAWA英雄の哲学
- NHKスペシャル「永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか」(2006年2月26日、NHK)
- ズームイン!!SUPER(2009年、2010年、日本テレビ)
- NEWS ZERO(2009年、2012年、日本テレビ)
- めざましテレビ(2010年、フジテレビ)
- とんねるずのみなさんのおかげでした(2013年、フジテレビ)
- スッキリ(2019年7月10日・7月17日、日本テレビ)
- ドキュメント矢沢永吉〜70歳 最後のレコーディング〜(2019年8月24日、NHK総合)[154]
- 関ジャム 完全燃SHOW(2019年8月25日・2020年10月18日、テレビ朝日系列)※VTR出演[155][156]
- 嵐にしやがれ(2019年8月31日、日本テレビ)[157]
ラジオ
- E.YAZAWA TALK RADIO FROM LONDON(1997年8月)
- 矢沢永吉のオールナイトニッポン(2007年9月20日深夜)
- 矢沢永吉 ROCK MUST GO ON(2019年9月7日〈予定〉、ニッポン放送)[158]
ほか
映画
CM
- SONY
- ラジカセ「リズムカプセル9000」
- 「ブルーレイディスクレコーダー & BRAVIA」
- ハウス食品「シャンメン BIG」
- コカ・コーラ
- コカ・コーラ 「パワーエイド」
- サントリー
- 「BOSSコーヒー」
- 「角瓶」
- 「ザ・プレミアム・モルツ」
- AXIA カセットテープ・ビデオテープ
- ジョニーウォーカー
- 宝酒造「バービカン」
- ブリヂストン「GRID II」
- ファミリーマート
- 三菱自動車工業(当時のトラック・バス部門、キャンター・7代目
- ユニクロ
- TBC
- トヨタ自動車「トヨタケータイ (au) TiMO W44T II」
- マンダム ルシード
- ロッテ キシリトールガム
- 第一興商
- 「MTV DAM」
- 「LIVE DAM」
- 「LIVE DAM HD」
- イー・アクセス「イー・モバイル」
- 日産自動車
- 「“やっちゃえ”NISSAN」シリーズ( - 2017年)
- 「“NISSAN PRIDE” 日産がやらなくて、ほかに誰がやる。」シリーズ(2018年)-[159]
- 「ぶっちぎれ。技術の日産」シリーズ(2019年 - 2020年)
インターネット配信
- E.YAZAWA “ONE NIGHT SHOW 2019”(2019年7月6日、Hulu)- ライブの模様を生中継(同年7月25日より1ヶ月限定で矢沢の出演部分のみ配信)
受賞歴
- 1994年
- 第1回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞(『アリよさらば』)
注釈
- ^ 1978年10月頃、TBSのクイズ番組『ベルトクイズQ&Q』で、「テレビの歌番組に、まだ一度も登場したことのない有名なロック歌手。さて、だれでしょう」答え「矢沢永吉」という問題が出された[5]。
- ^ 当時の雑誌インタビューでは「歌番組ィーッ?どっこのチャンネルひねっても同じ顔ばかり並んでからに"賄賂"もらってるのか、プロダクションから金ころがしてんのか知らんけど。矢沢のシングルが1位になったからって何で出なくちゃならんの。誤解しないように言っとくけど、テレビ拒否じゃないの。いい番組なら、こっちから頼んででも出たいし、実際出たこともある」「ソロシンガーになって売れなきゃハナもひっかけられないこの世界で自分の道を切り拓いてきた。その中で得た三つの宝、レコード制作、ナマのステージ、そして"矢沢ファミリー"。あのテの番組にハイ、そうですかって出てしまえば、俺がこの数年間やってきたことは、みんなウソになっちゃうわけョ」などと話している[6]。「時間よ止まれ」が大ヒット中の1978年6月にフジテレビの『ザ・ポップ』に出演して「鎖を引きちぎれ」など6曲歌った他、同年11月に日本テレビが矢沢の特番を放送した[7]。
- ^ 1970年代後半は仲のよかった「吉田拓郎のセイ!ヤング」に1979年7月7日にゲスト出演した。
- ^ 連続ドラマ主演を渋ったが、プロデューサーの遠藤環に「矢沢さん、怖いんですか?」と言われ、「何にも怖くないよ!じゃあやってやるよ」と出演が決まった[14][15]。
- ^ 矢沢がギターを学んだ山中ジャズスクールは、当時のまま、現在も広島市に現存している。建物の外観も当時と変わらない[34][37]。
- ^ 『成りあがり』には、『週刊平凡』と記載。
- ^ タオルはソロになってから、ステージで動き回り、汗を大量にかくので、途中でスタッフに「ちょっとタオルくれ」って言ったのが始まり。最初は手ぬぐいみたいな小さいタオルで拭いていたが、「もうちょうと大きいのくれ」とバスタオルを使うようになった。人に使われたくないから、「名前ちゃんと入れとけ」とロゴ入りタオルになった。最初にうちは、汗拭いちゃスタッフに投げ返していたが、めんどくさくなり、タオルを肩にかけて歌ったら、それがサマになった。白のスーツはただ着てみたいと思ったから着た。まだ専属のスタイリストなんていない時代、ファッションにも興味がなく、どこで買えばいいか分からないから、当時住んでいた弘明寺商店街のテイラーで作ってもらった[83]。
- ^ 長者番付は翌1979年は2位だったが、美空ひばりが不動産を処分したために1位を明け渡したもので実質は二年連続1位だった[101]。
- ^ 1995年の著書では「20年前の日本のロックって、そのへんのジャリが集まってセンズリかいているような音楽だった。エレキギター持って女の子にキャーキャー言われても、コンサートを開けるのは東京、大阪ぐらいでね。まだまだマイナーだったのよ。都会を離れて地方でもやれるようになったのは、キャロルが最初だった。全国ツアーってヤツ。それを具体的に定着させたのは、矢沢だったんじゃないかな」と述べている[104]。
- ^ 「成りあがり」の「広島」「横浜」「キャロル」「E・YAZAWA」の四章に対し、「成りさがり」では「所沢」「都内」「有楽町」「スター」「G・TOKORO」「成りさがり」の六章の構成になっている。
- ^ アルバム『The Rock』付属のEP盤
- ^ アメリカのみ発売。
- ^ リニアPCM、48KHz、20bit、5.1/2CH
- ^ 『ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME』の映像を使用。
- ^ アルバム『この夜のどこかで』に収録されている「予感の雨」の英語詩バージョン。エンドロール曲でありゲームをクリアしないと聴くことができない
- ^ アカペラバージョンを使用。
- ^ 1978年に小学館より刊行された赤貧の少年時代を綴った自伝。インタビュアーに糸井重里が独特の矢沢口調で構成されている[127]。ベストセラーとなり、そのサクセス・ストーリーは社会現象にまで昇華した[38][73]。本作はアーティストの自伝本のはしりでもある[150]。当時の週刊誌には「編集スタッフのひとり、ルポライターの糸井重里」と書かれている[5]。
- ^ 山崎眞行の店で矢沢が早い時間から飲んでいた。その日は酔いが早かった。矢沢はそのころ、キャロルの解散を考えはじめていた。いつもの矢沢とは違う、と山崎は感じとっていた。そこに女連れで、一見ヤクザ風の男がやって来た。男は山崎の知り合いで矢沢に男を紹介した。矢沢が「矢沢永吉です、よろしく」と男に手を差し出した。ところが、男は握手しようとしなかった。矢沢の手が宙に浮いたままになる。もう一度矢沢がいった。「矢沢永吉です」「お前、手ひっこめな」男がいった。一瞬、空気がけわしくなった。矢沢の手はそのままだ。「いいから、ひっこめな」「いや」矢沢がいった。「男が一度出した手はひっこめられない」「うるせえな、ひっこめろ」「ここでひっこめたら、オレは負けたことになる」「矢沢永吉だか、なんだか知らないけど、あっちにいけよ」「おたくが手を出すまで、オレは動かない」数秒のうちに爆発する気配となり、若い店員が割って入りその場は収まった。「また来るわ」と男は店を出て行った。「なんだ、いまのやつ?」矢沢が言った。「鉄板焼き屋です」「なにー!鉄板焼き屋!ふざけやがって。オレ、ヤクザかと思ってたのに」矢沢はまた急ピッチでウイスキーの水割りを飲み始めた[151]。
出典
- ^ a b c d e GARURU RECORDS | 矢沢永吉 | PROFILE
- ^ 嬉一夫(中国新聞)『あの時この歌―戦後日本歌謡史―』渓水社、1983年 p.212
- ^ 矢沢永吉携帯公式サイト「E.YAZAWA」内コンテンツ「世話がやけるぜ」より
- ^ 永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか NHKスペシャル 2006年2月26日放送
- ^ a b c d e f g #新潮1978113 pp.175-177
- ^ a b c d e f g h i j #サンデー毎日1978730 pp.126-131
- ^ #写真集 pp.28-29
- ^ a b c d #吉見 pp.205-209
- ^ 特集 なつかしの番組 若い広場-NHKアーカイブス
- ^ a b c #写真集 p.28
- ^ a b c d e f g h i #R&Rぴあ pp.64-65
- ^ a b c #TV SONGS p.38
- ^ a b #クロニクル1 p.73
- ^ #写真集 pp.432-433
- ^ #カドカワ pp.64-65
- ^ 「週プレが追った男たちの肖像 矢沢永吉」『週刊プレイボーイ創刊50周年記念出版「熱狂」』(集英社ムック)、2016年10月14日、集英社 pp.221-224。
- ^ 「引退をにおわせる作戦も!」矢沢ビジネス健在なぜ今“永ちゃん節”がメディア席巻なのか
- ^ a b c d e 『LIVE 後楽園スタジアム』で実感する矢沢永吉がロック界の最高峰であること
- ^ 矢沢永吉さんの名言について考える
- ^ #写真集 p.352
- ^ a b #R&Rぴあ pp.66-67
- ^ いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p4- WEB GOETHE ヒューマン
- ^ a b c “【オリコン】矢沢永吉、63歳8ヶ月で“最年長”1位”. オリコンスタイル (2013年5月21日). 2013年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f ACTIVITY|矢沢永吉公式サイト|YAZAWA'S DOOR[リンク切れ]
- ^ a b c #R&Rぴあ p.24
- ^ a b いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p3- WEB GOETHE ヒューマン
- ^ 「日本のロック愛 矢沢永吉107回の武道館」『BRUTUS』2010年3月1日号 p.83
- ^ 矢沢永吉名曲が36年ぶり資生堂CMソングに復活オリコンニュース(2014.1.5)2019.1.28アクセス
- ^ “【オリコン】矢沢永吉ライブDVDが総合1位 最年長記録を66歳3ヶ月に更新”. ORICON STYLE (2015年12月9日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ “矢沢永吉からメッセージ”. 矢沢永吉 公式サイト. 2018年7月17日閲覧。
- ^ “矢沢永吉、最年長1位獲得アーティストに「気づいたらこの歳」”. SANSPO.COM (2019年9月10日). 2019年10月10日閲覧。
- ^ “矢沢永吉孫誕生 長女・矢沢洋子が第1子出産 サポートに感謝「本当に幸せ」”. SponichiAnnex (2021年1月23日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ “矢沢永吉の娘・矢沢洋子が第1子女児を出産 “世界のYAZAWA”が孫にメロメロな姿が想像できてしまうな!”. ねとらぼ (2021年1月23日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g #写真集 pp.116-117, 182-185, 192, 252-253, 246, 250-253
- ^ a b c 「『成りあがり』の魂いまも ミュージシャン・矢沢永吉:上(逆風満帆)」『朝日新聞』be2010年6月26日朝刊
- ^ a b c d #カドカワ pp.50-54, 69
- ^ 山中ジャズスクール
- ^ a b c 矢沢永吉『成りあがり』『アー・ユー・ハッピー?』電子書籍化!、『成りあがり』 矢沢永吉 : 本よみうり堂 : 読売新聞[リンク切れ]
- ^ 矢沢永吉「マイク握って死にたい」 8日から全国ツアー - スポニチ
- ^ 小林武史 × 矢沢永吉 | エコレゾ ウェブ、矢沢永吉「Last Song」インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー Power Push、ほぼ日刊イトイ新聞 - はっきりした形がほしい。-10
- ^ a b アーティスト「矢沢永吉」さんは、トップスターになる夢を横浜でどのように過ごし育んできたのか、徹底調査!
- ^ 『新装版成りあがり』(角川文庫、2004)p.91
- ^ #塩沢 pp.22-23
- ^ 『新装版成りあがり』(角川文庫、2004)pp.165-172
- ^ 矢沢永吉 オリコン芸能人事典-ORICON STYLE
- ^ GOOD OLD ROCK AND ROLL キャロルから始まる、不良の、不良による、不良のためのロックンロール
- ^ a b #成りあがり p.235, 257
- ^ a b c d #カドカワ pp.55-56
- ^ a b c d “メタメタに燃える"ロックの虫" ソロで再出発 矢沢永吉(元キャロルのリーダー) 陽水、拓郎の挑戦だ 27日から全国音楽ツアー 突っぱり派の代表選手、矢沢永吉。愛称"エイちゃん"”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 9. (1975年9月16日)
- ^ a b c 「サブウェイ特急」で“ヤミに向かって突っ走るのさ どこまでも”と歌われたフレーズは40年たった今も有効だ・・・本日は矢沢永吉、66回目の誕生日。
- ^ #写真集 p.37
- ^ 今日と明日、2日間に渡ってゲストにお迎えするのは…矢沢永吉
- ^ a b c d #カドカワ pp.57-58
- ^ a b c d e f g h 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p2- WEB GOETHE
- ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 - みんなCM音楽を歌っていた。(6)
- ^ a b 11月18日ロック界のカリスマ 矢沢永吉に直撃インタビュー - スッキリ!![リンク切れ]
- ^ a b 矢沢永吉 伝説のベストセラーが電子書籍化決定 - ウレぴあ総研
- ^ 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p3- WEB GOETHE
- ^ “伝説”再び…矢沢永吉 40年ぶりロックバンド「Z’s」結成 スポニチ Sponichi Annex 芸能 2014年(平成26年)2月27日掲載、2014年3月10日閲覧
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- 「TV SONGS」『ザテレビジョン』、角川書店、2010年11月6日、ISBN 978-4-04-895406-8。
- 『別冊カドカワPremium 総力特集 矢沢永吉』KADOKAWA。ISBN 978-4-04-731150-3。
- 『GOOD ROCKS!』 30巻、シンコーミュージック・エンタテイメント。ISBN 978-4-401-76130-2。
- 「1972-2012 矢沢永吉、40年間の軌跡と奇跡」『R&Rぴあ』 2012年8月30日発行、ぴあ。ISBN 978-4-8356-2124-1。
関連項目
- 1975年の音楽#デビュー - (ソロデビュー)同じ年にデビューした歌手
外部リンク
- 矢沢永吉公式サイト - 公式サイト
- 矢沢永吉 公式アカウント (@official_YAZAWA) - X(旧Twitter)
- 矢沢永吉 - EIKICHI YAZAWA - (official.eikichiyazawa) - Facebook
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