矢沢永吉

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矢沢
別名 E.YAZAWA
永ちゃん
ボス
五大洋光
生誕 (1949-09-14) 1949年9月14日(74歳)
出身地 日本の旗 日本広島県広島市
ジャンル ロックンロール
職業 ボーカリスト
ミュージシャン
担当楽器 ボーカル
ギター
ブルースハープ
ベース
ピアノ
活動期間 1972年 -
レーベル GARURU RECORDS
共同作業者 キャロル
NOBODY
公式サイト 矢沢永吉公式サイト

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年(昭和24年)9月14日 - )は、日本ロックボーカリストミュージシャン[1]広島県広島市仁保(現:南区)出身[2]。身長180cm、血液型はB型[3]

人物概要

  • 愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。
  • ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された[4]
  • ほぼ全曲にわたる作曲、および数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。
  • 1975年のソロデビュー以降、特にテレビ媒体に露出することは少なかった[注 1]。1978年、資生堂CMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を初め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず[出典無効][注 2]ラジオは1970年代に何度か出ている[8][注 3]。このため1980年2月10日に当時テレビに出ないと言われており、NHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ[9]。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMには出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛けている[10][11]。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒーBOSS」のCMに起用されてからである[12][13]1980年代もテレビに出演することの少なかったが、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた[12]。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じ[注 4]その後、ドラマ数本と映画に出演している[12]
  • 活字メディアにもキャロル時代からしばしば登場した[6]。『週刊プレイボーイ』は、キャロル時代から矢沢を応援しており、誌面への登場はミュージシャンでトップの32回に及ぶ[16]。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾った[17]
  • 多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る[18]
  • 自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している[19]
  • 声以上の楽器はないと話しており[20][21]レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い[21][22]
  • 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える[11]
  • オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持[23]
  • オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初であった[1]
  • 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティストである。
  • 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う[1][24][25]。以降2017年まで武道館最多公演記録142回と更新中[26]。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる[27]
  • 1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。
  • オリコンアルバムランキング最年長首位(63歳8ヶ月)を記録[23]
  • ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得[23]
  • 1978年、資生堂のCMソングとしてヒットした「時間よ止まれ」が、2014年再び同社のCM曲として復活した[28]
  • ホットドッグプレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蠅のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた(紅白については後の2009年第60回NHK紅白歌合戦でサプライズゲストとして初出場)。
  • 2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)を獲得した(Blu-rayの売上枚数と合算した「総合ミュージック映像ランキング」でも1位を獲得)。また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた[29]
  • 2018年7月13日、平成30年7月豪雨の発生を受け、自身のホームページ内の動画にて、同年9月11日に行われる広島グリーンアリーナ公演で得た収益を被災地に寄付することを表明した[30]
  • 2019年9月、アルバム『いつか、その日が来る日まで...』が、初週11.2万枚を売り上げ、同年9月16日付オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。2016年5月16日付に小田和正が『あの日あの時』で1位を獲得した際の68歳8ヶ月を上回り、最年長1位獲得アーティストとなった(1949年9月14日生まれの矢沢にとっては、今回が70歳での1位獲得(9月16日時点の年齢)。「最年長1位獲得アーティスト」記録は、ソロアーティストおよび作品が対象。年齢の月数は、月の過半日数以上で翌月に繰り上げとなる)。また、自身が歴代1位記録を持つ「アルバムTOP10入り作品数」を本作で54作に更新した[31]

家族

前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親でもある。また、次女の矢沢洋子は歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と入籍したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月、洋子が第一子となる女児を出産[32][33]

経歴

生い立ち 〜 広島

母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発[6][34][35]広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別[34][35]。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされ[35]その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした[6][36]。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め[34]、さらにザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる[注 5]

横浜へ 〜 キャロル結成

  • 1968年 - 1972年
    • 高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京する[6][38][39][40]。しかし、東京駅へ向かうはずだったが、長時間の移動で尻が痛くなったのと、ザ・ビートルズの出身であるリヴァプールと横浜が同じ港町だったことから横浜駅で途中下車、チャイナタウンや喫茶タクト(日ノ出町)などで働きながらバンド活動を始める[6][36][41]
    • 自作の曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」という理由から東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが「売れない」と断られる[34]。CBSソニーにも持ち込んだが不採用だった[42]
    • 「ザ・ベース」「イーセット」を経て、「ヤマト」を結成[36][43]。「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた[41]。この頃、もう一人のNOBODYメンバーである相沢行夫とも知り合う。「才能の無い奴は去れ!」という考えから、無能なメンバーを切り離し、使える者をピックアップすることでバンドの能力向上を図った[6]
    • 蒲田川崎、横浜、横須賀などのライブハウスの「ゴールデンカップ」やキャバレー兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う[34][36]
    • 「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により横浜市立大学講堂で解散[44]
  • 1975年
    • 解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き、幹部と面会して自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている[47]。面会後、CBSソニーから借金をして多額の現金をフォノグラムに払い、同社のプロジェクトチームが動き始めた[47][48]
    • 所属会社の要請で4月13日、日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散。

1970年代、ソロデビュー

  • 1976年
    • ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく[53]。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった[53]。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂での1976年7月のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、ソロアーティストとしての矢沢の存在感を示すものとなった[53]
  • 1977年
    • 当時のファンは、いわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く、会場貸出拒否、ファンの暴走、世論など数々の難題があった中で日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行した[25]
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート。
  • 1978年
    • CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット[出典無効][54]、累計売上はミリオンセラーを記録した[24][55]。同曲には、バックバンドの一員として坂本龍一高橋幸宏後藤次利らが参加している[55]
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978「GOLD RUSH '78 PART-1」を3月20日からスタート
    • 会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行[18][24][54]
    • 5月長者番付歌手部門で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得[10][54][56]
    • 7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる[54][57]。ライターを担当したのは糸井重里である。
    • 新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位に選ばれた。

1980年代

  • 1980年代に入ると黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。
  • この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であった大野真澄フォークシンガーであり、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきら山川啓介を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズ加藤ひさしに作詞を依頼している。
  • 1980年
  • 1981年
    • 単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。
    • 9月25日、第1弾海外版アルバム『YAZAWA』全世界発売。全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。
  • 1982年
  • 1983年
    • 「I am a Model EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1983」をスタート。
  • 1984年
    • 「E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート。
  • 1985年
    • ライブエイドに出演。
    • 「TAKE IT TIME EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '85」をスタート。
  • 1986年
    • 「FEELIN' COME HA-HA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '86」をスタート。
  • 1987年
    • 「ROCK'N ROLL KNIGHT EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を5/22からスタート。
    • 「ROCK'N ROLL KNIGHT 2 EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を11/30からスタート
    • 第3弾海外版アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売。全米での売上げ枚数5万枚。MTVスタッフによるPV製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。
    • 日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。サントラが発売される。
  • 1988年
    • アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。
    • 東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍。日本国内を重視した活動になる。
      • 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。このことからアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。
    • 「It's Only YAZAWA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '88」をスタート。
  • 1989年
    • 「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9/1からスタート
    • 「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12/6からスタート

1990年代

  • 1990年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。
  • 1991年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991「Big Beat」をスタート。
  • 1992年
    • アルバム『Anytime Woman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スターの長男、ザック・スターキーが「Anytime Woman」と「銀のネックレス」を担当した。レコーディングはロンドンのアビーロード・スタジオ。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992「Anytime Woman」をスタート。
  • 1993年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993「Come On!」をスタート。
  • 1994年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1994「The name is YAZAWA」をスタート。
    • TBS系列のテレビドラマ、アリよさらばで自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。
  • 1995年
    • ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995「JUST TONIGHT」をスタート。
  • 1996年
    • インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996「WILD HEART」をスタート。
    • 原宿にてゲリラライブ敢行。
  • 1997年
  • 1998年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998「SUBWAY EXPRESS」をスタート。
  • 1999年
    • 映画「お受験」で映画初主演。
    • 9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催[54]
    • 10月、世界最大のヨットレース「アメリカスカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。
    • 初のアメリカでのツアー「Millennium America Tour」敢行(ホノルルロサンゼルスサンフランシスコ)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999「LOTTA GOOD TIME」をスタート。

2000年代

  • 2000年
  • 2001年
    • 「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001「Z (zi)」をスタート。
    • FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。
    • 自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。
  • 2002年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002「ONE MAN」をスタート。
    • 初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。
  • 2003年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2003「Rock Opera」をスタート。
    • ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。
    • 7月27日、大阪の万博記念公園で開催されたFM802主催の野外ロックフェスMEET THE WORLD BEAT 2003にシークレットゲストとして出演。披露したのは「ラブ・ファイター」1曲だけではあったが、突然の登場であったため観客を驚かせた。
  • 2004年
  • 2005年
    • ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005「ROOTS」をスタート。
  • 2006年
  • 2007年
    • 8月18日RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。
    • 10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。
    • 郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。
  • 2008年
    • デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが、37年目で初めてステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表した。EMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズレーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる[58]
  • 2009年
    • 7月20日ap bank fesにサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなって出演に至った。
    • 7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。
    • 8月2日ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。
    • 8月19日、新宿のタワーレコード新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビューにして初めてのインストアライブ。
    • 9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介甲本ヒロト真島昌利、長女の矢沢洋子が出演した。
    • 9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。
    • 10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009「ROCK'N'ROLL」をスタート。
    • 11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。
    • 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演。大物歌手揃いの紅白で、一人の歌手が持ち歌を2曲歌うという特例を許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。「時間よ止まれ」の中で歌詞を間違えたためNHK側の配慮で字幕テロップを消すという場面が見られた。

2010年代

  • 2011年
    • 11月17日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜」をスタート。
  • 2014年
    • 2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成[59]
    • 5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。
    • 8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。
    • 8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。
    • 8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。
    • 9月6日、第19回東京ガールズコレクションにサプライズ出演。
    • 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。
    • 12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。
  • 2015年
    • 4月12日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT』」を配信(4月24日から27日までの4日間、YAZAWA CLUB会員限定で再配信された)。
    • 9月5日、東京ドームにてソロデビュー40周年を記念したライブ「EIKICHI YAZAWA ROCK IN DOME 2015」開催。その模様はWOWOWプライムにて生中継された。また、本ライブに先駆けて、ファンクラブ・YAZAWA CLUB会員限定のライブ「EIKICHI YAZAWA OPEN REHEARSAL GIG」を行った(8月28日・Zepp Sapporo、8月31日・Zepp Namba (OSAKA)、9月1日・Zepp Nagoya)。本公演の模様は同年12月2日にBlu-ray&DVDで同時リリース[60]
  • 2016年
    • 2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST RESPECT ARTIST(音楽シーンに貢献し、多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)」を受賞[61]
  • 2017年
    • 10月22日、実に7年ぶりとなる25本以上のツアー、「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」」開始。
  • 2018年
    • 満69歳(「ロック」)を迎えるに当たり全国5都市のドームツアー「EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018 - STAY ROCK -」を9月1日よりスタート。9月4日の名古屋公演が台風21号の影響により翌日にずれ込むなどしたが、9月15日東京ドームで完走し、この模様はWOWOWで生中継された。
  • 2019年
    • 2月10日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT 2』」を配信。同ライブはYAZAWA CLUB会員で、申し込みのあった中から抽選で選ばれた50名が招待され、前日9日に行われたライブを収録したものである(10日・11日にはオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」にて各一回ずつ特別上映)。
    • 7月6日、自身初のロックフェス「E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019"」を幕張メッセで開催。出演は矢沢の他、氣志團KREVA東京スカパラダイスオーケストラ(Guest・奥田民生)、MIYAVI。ライブの模様は動画配信サービス・Huluを通じて生配信された(なお、同年7月25日より1ヶ月限定で、矢沢のライブのみを独占配信[62]。同フェスを開催するにあたっての意気込みやリハーサル風景などに独占密着した映像を、同年7月10日に日本テレビのワイドショー情報番組スッキリ」にて放映。翌週17日には独占インタビューが放送された)。ライブ中盤、日本テレビ系列で生放送された音楽番組「THE MUSIC DAY 2019 時代」の中継に出演した[63]
    • 10月10日令和元年台風第19号の接近による公共交通機関の混乱及びそれらに伴う来場者の安全を第一に考慮し、10月12日に日比谷野外大音楽堂で開催予定だったワンマンライブ「EIKICHI YAZAWA SPECIAL LIVE『THE STAR IN HIBIYA 2019』」の中止を発表した[64][65]。矢沢にとって70歳の誕生日を迎えて初のライブだったこともあり思い入れも深く、また、43年ぶりの日比谷野外音楽堂での公演を楽しみにしていたファンの気持ちを汲み、10月19日夜にチケット当選者に向けてリハーサル風景などを編集した映像をインターネットを通じて限定配信[66]
    • 11月24日、同年11月16日より行われているライブツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019『ROCK MUST GO ON』」マリンメッセ福岡での公演を体調不良(喉)により急遽中止を発表した。札幌公演より喉の調子が思わしくなく、できる限りの対策や治療を施したが回復が見られなかったため。自身の体調不良を理由に公演を取り止めたのは歌手生活47年にして初めてである[67]。27日の浜松アリーナ公演もドクターストップがかかり、中止を余儀なくされた[68]

2020年代

  • 2020年
    • 3月26日、4月21日から予定していたライブツアー『E.YAZAWA "ROCK MUST GO ON" TOUR -EXTRA- 2020』の全公演を中止すると発表した[69]。これは前年2019年より猛威を振るっている2019新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け(「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」、「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」参照)、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスターを発生させないための決定である[70]
    • 5月2日 、公式YouTubeチャンネルにて、ファンクラブ会員限定で『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1』(2015年)、同月3日に『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2』(2019年)を再配信。また同月5日・6日の2日間、<YAZAWAとSTAY HOME,STAY ROCK!>『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1、2スペシャルプログラム』と題し、選りすぐりの8曲を一般にも配信した。これは上記「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」に基づく「いのちを守る STAY HOME週間」で外出を自粛しているすべての人へ矢沢からの心意気である(配信動画冒頭に矢沢からのスペシャルメッセージが添えられた)。後日、緊急事態宣言が延長されたことを憂慮、また、配信が好評だったこともあり5月9日から24日まで再配信することを発表した。
    • 6月17日 - 2020年6月現在までに商品化されていない過去のライブ映像の中から厳選した3本を有料配信すると発表した。プロジェクトの名称は代表作のひとつである「SOMEBODY'S NIGHT」に因み『3 BODY'S NIGHT(サンバディーズナイト)』とした[71]。第1弾は6月27日に、2017年の『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」』武道館公演の模様をフルバージョンで配信。第2弾は7月に、2019年の『ROCK MUST GO ON』横浜アリーナ公演、第3弾は8月に、1999年の『LOTTA GOOD TIME』日本武道館公演の模様を配信。なお、本配信にあたって、矢沢本人が音源のミックスダウンを行い、少しでも臨場感を伝えられるよう努めた。また、ライブ本編以外にも撮影していたリハーサル風景などを含むメイキング映像も併せて配信した。
    • 9月12日 - 日本テレビ系列で放送された大型音楽番組「THE MUSIC DAY」にて、矢沢のロングインタビューをもとに『時間よ止まれ』に纏わる逸話をドラマ化した特別企画『矢沢永吉 特別ドラマ』が放送された。矢沢を演じたのは俳優の神尾楓珠[72]

様々な事件・騒動

  • 山中湖の自宅取り壊し
    山中湖に建てた自宅が無断で『アサヒ芸能[注 6]に取り上げられ、地図にも掲載された[10]。そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、周辺は大騒ぎとなる[73]。妻はノイローゼで入院一歩前、子供たちは登校拒否になり、しかたなく他の地区へ引越した。その後、空き家となった住居に一部のファンが侵入し、スプレーで落書きや板を剥がしてのたき火、無造作に残された女性下着など、悪質な行為がエスカレートしたため、自宅を取り壊すこととなる[73][74]
  • ポルシェ盗難事件
  • マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件
  • そっくりさんによる3億円CM裁判[75]
    最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。
  • オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件
    土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15、6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である。
  • サントリー「BOSS」CM自粛
    サントリー「BOSS」CM中のセリフ「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…どこ行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議し、CMは自粛となった。次回のCMではセリフが「冗談じゃねえよ」となった。
  • 桑田佳祐による「すべての歌に懺悔しな!!騒動
    1994年に桑田が発表した楽曲「祭りのあと」のカップリング曲である、「すべての歌に懺悔しな!!」の歌詞を巡り、マスコミによって長渕剛と共に桑田に揶揄(やゆ)された当事者とされた。この際、激怒した長渕とは対照的に「お互いクリエイター。全然、気にしていないよ。それより桑田君の方は大丈夫か?」と逆に桑田を気遣う発言をした。
  • キャロルの著作権を巡るジョニー大倉との争い
  • ものまねタレントへの提訴
    2007年、ものまねタレントの石山琉大が、「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自身の公式ホームページに記載し、ものまね芸および自身の経営する飲食店の広告・宣伝のために矢沢の知名度を利用した。しかし、石山自身の借金がたまり、イベント会場を借りたが支払いもせず、車販売などでもトラブルを次々起こす。石山のビジネスには何ら係わりのない矢沢の事務所にも被害者から苦情が舞い込むことがしばしば発生したため、業を煮やした矢沢側が石山を相手に1000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。
    すると石山は、矢沢側からの損害賠償の訴えが精神的苦痛になったことを理由に、矢沢に対して1億円の賠償を求める逆訴訟を起こした。代理人を通し、矢沢は石山に誠意を込めて謝ってほしいと譲歩を示したことで石山側が折れた。石山から謝罪文書と50万円を受け取った。しかし、後に“石山が和解に納得していない”という内容のコメントを矢沢が自身のHPに掲載したことで、再び関係が悪化、2009年10月19日に石山は名誉棄損を主張して矢沢に対して3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2010年3月25日、全て棄却された。

上述のような逆境に見舞われたが、CMやテレビドラマ、映画への出演により2005年までに借金を完済し、東京・赤坂の一等地に5階建てのスタジオを建設するまでに至る。なお本人はその件に関し「また新たなローンが出来てしまった」と笑い交じりに話している。金融機関から「あなたは返済の優等生ですよ」と評価されているという。[要出典]

音楽性

特徴

  • 団塊の世代であり、特にザ・ビートルズの影響を強く受けている[76]。最初にプロデビューを飾ったキャロルは、初期ビートルズを模範としたロックンロールをベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、他のメンバーとの間に大きな溝が生まれ解散に至った[8][77]
  • キャロル解散の後、ソロ活動を始めたが、バラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。1975年9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるアルバム『I LOVE YOU,OK』および、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット」でソロデビュー。本アルバムでは、当時まだ日本では珍しかったセルフプロデュースを行い、アレンジも同時に行うというセルフプロデュース方式をとった[78]。外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサーを起用するという、現在では当たり前の手法を行った[78]。『I LOVE YOU,OK』を作り終え「俺はバンドのなかの矢沢永吉と決別して、ひとりでやっていけるかもしれない」という手応えを得る[78]海外レコーディングの成果に一つにアレンジの習得がある。アレンジーつによって原曲がいろんな顔に変わることに驚いたと述べている。1980年代前半には、レコーディングに参加したドゥービー・ブラザーズのメンバーらを連れてコンサートを行った。[要出典]
  • 39歳前後のインタビューで「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った[79]。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代〜50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった[79][80]
  • 主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れている[81]
  • マイクスタンドを振り回す独特のアクションは「マイクターン」と呼ばれ[26]、ソロ・デビュー当時からライブでの見せどころの一つである[82]。ソロデビューした時にベースを弾くのを止めたら、触るものが無くなって手持ち無沙汰になり、ある日、マイクを蹴って、スパーンと決まった[48]。自身もびっくりしたが、観客もびっくりした。「あっ、これはいいな」と気づいて始めた[48]。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープで固定、シールドコードも白色に統一してある。ステージ衣装も白のスーツを着用することが多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する[注 7]。コンサート終盤には楽曲(「止まらないHa〜Ha」「トラベリン・バス」等)に合わせてタオル投げが会場全体に起こるのも大きな特色の一つである。この「タオル投げ」は、客側から「トラベリン・バス」演奏時に自然発生で起こったのが最初であるという[84][85]また、いちはやく舞台装置にレーザー光線や可動式ライトなどを使用した。[要出典]
  • コンサートの広告には、現在に至るまで「特攻服での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。キャロル時代から始まり、1975年のソロデビュー以降、1980年代にかけても[5][86]、矢沢は暴走族ヤンキーなどの不良層から支持を受けており、それゆえコンサート会場周辺は毎年不良の集会と化し、血の気の多いファン同士の乱闘もしばしば起こり会場周辺に混乱を引き起こすことも少なくなく、社会問題にまでなり[86]、一般のファンが近寄り難かったためである[5][8]。1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない[5]、洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった[87][88]。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった[8]。ちなみに、矢沢はこういったことがあった時期に「なんで桑田佳祐には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思っていたことがあったことを1980年代後半から1990年代前半までサザンオールスターズや桑田の作品に関わっていた小林武史とインタビューをした際に明かしている[89]。一連の騒ぎや「会場拒否」が落ち着いたのは1990年代に入ってからであった[86]また、過去の迷惑行為の多くが飲酒者によって引き起こされていたため、現在では入場時、アルコールチェックが行われ、飲酒者を締め出している。[要出典]2019年1月には私設応援団なる迷惑ファンの出入り禁止およびファンクラブの強制脱会の措置を下したことを公式サイトで報告した[90]
  • 1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす[91]。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した[91][92]
  • 自身をシンガーソングライターではなくメロディーメーカーであると自負をしており、作曲のみを行っている。作詞をしないのは「才能がないから」としている[93]
  • 1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」「僕はなにひとつ、つくらなかった(捏造しなかった)」[94]という趣旨の発言をしている。
  • 近年は大人の切ない世界観を渋く重厚に歌い上げ、自分自身の音楽性をクラシックロックとして、芸域を拡大し、新たな市場を開拓していった。巻き舌でコブシを利かせた歌い方は、一部には「演歌ロック」との評価もあった。[要出典]
  • チェコ・ナショナル交響楽団をバックバンドに招聘し、「Rock Opera」を開催した。[要出典]

功績

ロックのメジャー化

独立独歩のステータスの確立という点において、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在である[18][95][96]

キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい[97]。1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館公演[1][24][25]。1978年3月21日に発売した資生堂CMソング時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得しミリオンセラーを記録[24][54][98][55][99]。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[出典無効][98][100]。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバムゴールドラッシュ』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢が一位を独占した[6]。またこの年12月に出したライブ・アルバムLIVE 後楽園スタジアム』もオリコンアルバム1位を獲得している。

同年5月長者番付(1977年度納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得[5][54][56][98][注 8]。1980年と1982年にも1位となる。ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を打ち破った。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[91]。自身では「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べている[91]。7月15日に刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに18刷60万部を売り上げ[5][98]版を重ねて100万部をえるベストセラーとなる[38][54][57]。矢沢は、音楽スタイルの表面的な部分だけでなく、ロックという生き様を体現した[102]

8月28日には後楽園球場コンサート。ロックの単独公演で5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された[24][99]。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先鞭をつけた[13]。後楽園球場コンサートを控えた1978年当時の雑誌インタビューで矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロックの実質的な始祖であると言い切った[6][103][注 9]。1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた[105]

海外レコーディング先駆け

1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した[106][107]。また1981年、米国のレコード会社アサイラム・レコードと契約し、アルバム『YAZAWA』を発売'するが、直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った日本人シンガーは矢沢が初めてである[108]。矢沢は「誰よりも誰よりも先に海外に出た。誰よりも誰よりも日本一になってやろうと思った。誰よりも誰よりも絶対上にいってやろうと思った。誰よりも誰よりも誰よりも最高の世界的なやつらとセッションした。セッションしないで海外に出もしないで、英語で苦労したこともないのに、お前らなにがわかるんだっていうのがおれの言い分。日本の国内あたりでピィピィやってて、なにお前らにわかるんだっていうのが」などと述べている[109]

ライブミュージシャンの先駆者

1975年ソロデビュー以降、「ライブと言えば矢沢永吉」と言われるほど[105]ショーマンシップ溢れるライブを展開してきた[105]。自身のロック・スピリッツを明確に表現できるのはステージであると確信し、積極的にツアーを行った[105]。1970年代は21人の"矢沢ファミリー"と4トン半のトラック二台に機材を積み全国を"ドサ回り"した[6][110]。ツアーを重ねるたびに規模も会場のキャパも大きくなっていったが、同時に新たなファンも確実に獲得していった[105]2012年まで総ライブ数は1800回を超え、ライブの実績において他の追随を許さない[11]。矢沢は制作や興行という面でも先駆者と呼ぶべきキャリアを歩んできた[11][18]。矢沢がライブ制作を自前で手掛け始めたのは1990年[11][111]。音楽業界の常識を破る試みだったが、リーダーシップを発揮し、ステージセットの刷新や音響環境の改善。大規模なホーン隊やストリングスを招聘するなど、ミュージシャンらしい視点を取り入れたライブは、日本の音楽シーンに大きなインパクトを与えた[11]

著作権ビジネスの先駆者

矢沢はキャロル解散後に、ビートルズにならって自らの音楽出版社を設立した[11]。音楽の著作権(出版権)は通常、レコード会社から音楽出版社に管理が委託されるが、出版権だけでなく肖像権にも目をつけた。グッズ販売なども自らの手でコントロールした[112]。2008年「GARURU RECORDS」設立で、音源制作や流通をすべて自前で行うスタイルを確立した[11]。現在、世界の音楽業界では、CD販売のみに頼ることなく、あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっており、矢沢は日本に於ける先駆者であると言われる[11]。こうした銭金の話が日本人に馴染まないこともあって、これまで多くのトラブルが発生した。「だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。ファッションだったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の芸能界でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。だからオレ、浮いてたよ。"にぎりの矢沢"って言われてた。にぎりってのはドケチっていうことね。守銭奴扱いよ。中にはオレに賛同してくれたミュージシャンもいたけど、いざとなると自分の身がかわいいんだな。体制側についちゃうんだよ。だけどオレは貫き通した。自分が守るためってのもあったけど、芸能界のカラクリにハラがたったからよ。(中略)オレ、雑誌のインタビューなんかで芸能界をバンバン批判した。しまくったよ。テレビ局から、芸能プロダクションから、レコードカンパニーから。だって、オレの方がスジ通ってると思ったもの。(中略)そりゃあね、風当たりムチャクチャ強かったよ。芸能プロダクションとしちゃあ、ミュージシャンが賢くなるのは困る。音楽バカでいてくれたほうが都合がいいのよ、コントロールできるから。実際、オレを潰そうとしたとこもあったしね。矢沢がバンバン発言するようになって、だんだんみんな目覚めてきたよね。この世界も、オレが正しいと思った方向に変わってきた」などと述べている[103][104]。前述のトラブルの大半が先に挙げた著作権や肖像権に関わることである。

矢沢ファンを公言する著名人

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル カップリング 規格 規格品番 順位
CBS・ソニー
1st 1975年9月21日 アイ・ラヴ・ユー、OK セクシー・キャット EP SOLB-305 43位
1989年3月21日 8cmCD 10EH-3256 -
2nd 1976年3月21日 真夜中のロックン・ロール 最後の約束 EP SOLB-305 65位
1979年9月21日 06SH-605 -
3rd 1976年9月21日 ひき潮 写真の二人 EP 06SH-65 50位
1989年3月21日 10EH-3257 -
4th 1977年6月21日 黒く塗りつぶせ せめて今夜は EP 06SH-170 78位
5th 1978年3月21日 時間よ止まれ チャイナタウン EP 06SH-270 1位
1989年3月21日 8cmCD 10EH-3258 -
6th 1979年4月1日 I say Good-bye, So Good-bye 天使たちの場所 EP 06SH-464 16位
ワーナー・パイオニア
7th 1980年3月10日 THIS IS A SONG FOR COCA-COLA RUN & RUN EP K-30W 5位
8th 1980年5月10日 涙のラブレター レイニー・ウェイ EP K-31W 9位
-[注 11] 1980年11月28日 兄貴に相談 - EP KZ-2W -
9th 1981年9月25日 You/Shampoo EP K-1510W 23位
10th 1982年2月20日 YES MY LOVE YOKOHAMA FOGGY NIGHT EP K-1510W 8位
11th 1982年4月10日 LAHAINA SEPTEMBER MOON EP K-1516 16位
12th 1982年10月9日 ROCKIN' MY HEART WHY DID YOU EVER GO EP K-1519 15位
13th 1983年6月29日 ミスティ -misty- WHY YOU… EP K-1524 16位
14th 1983年11月16日 Last Christmas Eve シーサイド#9001 EP K-1527 14位
15th 1984年3月10日 THE BORDER I SAID I LOVE YOU EP K-1530 42位
16th 1984年7月10日 逃亡者 BALL AND CHAIN EP K-1534 24位
17th 1985年6月25日 TAKE IT TIME あ・い・つ EP K-1550 18位
18th 1986年5月25日 BELIEVE IN ME 棕櫚の影に <1985・12・19武道館LIVE> EP K-1560 17位
Warner Bros. Records
19th[注 12] 1987年5月13日 FLASH IN JAPAN YOKO EP 7-28325 -
東芝EMI / EASTWORLD
20th 1988年7月6日 共犯者 RISKY LOVE EP RT07-2130 6位
8cmCD XT10-2030
CT ZX10-6145
21st 1988年9月21日 ニューグランドホテル キャンディ EP RT07-2200 26位
8cmCD XT10-2200
CT ZX10-6200
22nd 1988年11月30日 くちづけが止まらない ルイジアンナ (ニューヴァージョン) EP RT07-2250 42位
8cmCD XT10-2250
CT ZX10-6250
23rd 1989年4月26日 SOMEBODY'S NIGHT アゲイン EP RT07-2333 2位
8cmCD XT10-2333
CT ZX10-6333
24th 1989年7月19日 愛しい風 六本木ショット EP RT07-2400 17位
8cmCD XT10-2400
CT ZX10-6400
25th 1989年10月11日 バラードよ永遠に FLESH AND BLOOD EP RT07-2425 6位
8cmCD XT10-2425
26th 1990年5月23日 PURE GOLD I LOVE YOU,OK -1990 Version- Maxi TODT-2513-Y 1位
8cmCD TODT-2513
CT TOST-2513
27th 1991年4月19日 夢の彼方 フェンス越しのFICTION 8cmCD TODT-2650 3位
CT TOST-2650
28th 1991年5月31日 ラスト・シーン LONELY WARRIOR 8cmCD TODT-2670 4位
CT TOST-2670
29th 1991年12月11日 BIG BEAT DON'T WANNA STOP 8cmCD TODT-2780 29位
30th 1992年6月3日 Anytime Woman Sail Away 8cmCD TODT-2839 9位
CT TOST-2839
31st 1992年6月17日 Anytime Woman -English Version- アンジェリーナ 8cmCD TODT-2863 9位
CT TOST-2863
32nd 1993年2月10日 東京 心花よ 8cmCD TODT-2980 6位
CT TOST-2980
33rd 1993年10月27日 黄昏に捨てて 闇の中のハリケーン 8cmCD TODT-3123 24位
34th 1994年4月27日 アリよさらば SEA BREEZE 8cmCD TODT-3215 4位
CT TOST-3215
35th 1994年5月25日 いつの日か センチメンタル・コースト 8cmCD TODT-3230 8位
CT TOST-3230
36th 1995年2月8日 夏の終り 抱いちまったら 8cmCD TODT-3430 19位
37th 1995年5月24日 青空 THE TROUBLE MAN 8cmCD TODT-3490 30位
38th 1996年5月16日 MARIA 終わりじゃないぜ 8cmCD TODT-3700 26位
39th 1996年11月7日 もうひとりの俺 WILD HEART 8cmCD TODT-3880 37位
40th 1997年9月3日 Still China Girl 8cmCD TODT-5040 34位
41st 1997年11月7日 あの日のように だから、抱いてくれ 8cmCD TODT-5075 37位
42nd 1998年7月29日 チャイナタウン 黒く塗りつぶせ 8cmCD TODT-5178 33位
43rd 1999年6月30日 Oh!ラヴシック I have no reason Maxi TODT-4155 17位
馬鹿もほどほどに (Live at CLUB CITTA' KAWASAKI Sep.29th,1998)
44th 2000年8月9日 THE TRUTH Brother! Maxi TOCT-4235 16位
ユニバーサル インターナショナル
45th 2000年10月25日 Tonight I Remember Little Drummer Boy (Song by Narada Michael Walden) Maxi UICE-5001 35位
東芝EMI / EASTWORLD
46th 2001年8月29日 背中ごしの I LOVE YOU THE STRANGE WORLD -remix- Maxi TOCT-4315 19位
47th 2002年7月26日 鎖を引きちぎれ 気ままなロックン・ローラー Maxi (CD-EXTRA) TOCT-4403 15位
48th 2005年8月24日 ONLY ONE 面影 Maxi TOCT-4895 20位
EMI Music Japan
49th 2007年9月5日 夏の終り この道の向こうに Maxi TOCT-40142 27位
GARURU RECORDS
50th 2009年2月25日 Loser Maxi GRRC-7 17位
51st 2009年6月3日 コバルトの空 未来をかさねて Maxi GRRC-8 13位

オリジナルアルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1975年9月21日 I LOVE YOU,OK LP SOLN-4 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1256 CD選書
2006年11月15日 MHCL-951 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 99位
2nd 1976年6月21日 A Day LP 25-AH-35 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1257 CD選書
2006年11月15日 MHCL-952 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 109位
3rd 1977年4月21日 ドアを開けろ LP 25-AH-185 CBS・ソニー 2位
1990年10月15日 CD CSCL-1260 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-955 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 114位
4th 1978年6月1日 ゴールドラッシュ LP 25-AH-485 CBS・ソニー 1位
1990年10月15日 CD CSCL-1263 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-958 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 100位
5th 1979年6月21日 Kiss Me Please LP 25-AH-734 CBS・ソニー 2位
1990年10月15日 CD CSCL-1266 CD選書 -
2006年11月15日 MHCL-961 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 118位
ワーナー・パイオニア
6th 1980年6月10日 KAVACH LP K-10022W ワーナー・パイオニア 2位
CD 32XL-136
1990年10月25日 WPCL-195 -
2010年11月20日 GRRC-11 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 246位
7th 1981年8月5日 YAZAWA LP K-10022W ワーナー・パイオニア 9位
1981年9月25日 5E-536-B 海外発売 第1弾 / 逆輸入 3位
CD 35XL-21
32XL-97
1990年10月25日 WPCL-199 -
2010年11月20日 GRRC-12 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 247位
8th 1981年10月25日 RISING SUN LP K-12502W ワーナー・パイオニア 3位
CD 35XL-14
32XL-226
1990年10月25日 WPCL-200 -
2010年11月20日 GRRC-13 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 278位
9th 1982年7月10日 P.M.9 LP K-12056 ワーナー・パイオニア 1位
CD 35XL-2
1985年7月25日 32XL-100 -
1990年10月25日 WPCL-201
2010年11月20日 GRRC-14 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 218位
10th 1982年12月4日 YAZAWA It's Just Rock'n Roll LP SDM-15005 ワーナー・パイオニア -
1983年2月10日 60199-1 海外発売 第2弾 / 逆輸入盤
CD 35XL-7
32XL-223
1990年10月25日 WPCL-202
2010年11月20日 GRRC-15 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 256位
11th 1983年7月20日 I am a Model LP K-12507 ワーナー・パイオニア
CD 35XL-13
32XL-104
1990年10月25日 WPCL-203
2010年11月20日 GRRC-16 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 277位
12th 1984年7月25日 E' LP K-12512 ワーナー・パイオニア -
CD 35XL-44
32XL-98
1990年10月25日 WPCL-205
2010年11月20日 GRRC-17 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 248位
13th 1985年7月25日 YOKOHAMA二十才まえ LP K-12517 ワーナー・パイオニア 1位
CD 32XL-94
1990年10月25日 WPCL-206 -
2010年11月20日 GRRC-18 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 261位
14th 1986年7月25日 東京ナイト LP K-12525 ワーナー・パイオニア -
CD 32XL-158
1990年10月25日 WPCL-209
2010年11月20日 GRRC-19 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 245位
Warner Bros. Records
15th 1987年5月18日 FLASH IN JAPAN LP 25384-1 Warner Bros. Records 海外発売 第3弾 / 日本未発売 -
CD 25384-2
1999年12月24日 TOCT-24280 東芝EMI / EASTWORLD
東芝EMI / EASTWORLD
16th 1988年7月21日 共犯者 LP RT28-5255 東芝EMI / EASTWORLD
CT ZT28-5255
CD CT32-5255
2010年11月20日 GRRC-20 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
17th 1989年6月21日 情事 LP RT28-5500 東芝EMI / EASTWORLD 2位
CT ZT28-5500
CD CT32-5500
2010年11月20日 GRRC-21 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
18th 1990年7月31日 永吉 CD TOCT-5780 東芝EMI / EASTWORLD 2位
2010年11月20日 GRRC-22 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
19th 1991年7月5日 Don't Wanna Stop CD TOCT-6200 東芝EMI / EASTWORLD - 3位
2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
20th 1992年6月24日 Anytime Woman CD TOCT-6521 東芝EMI / EASTWORLD 5位
2010年11月20日 GRRC-23 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
21st 1993年3月31日 HEART CD TOCT-6925 東芝EMI / EASTWORLD 1位
2010年11月20日 GRRC-25 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
22nd 1994年7月6日 the Name Is... CD TOCT-8480 東芝EMI / EASTWORLD 1位
2010年11月20日 GRRC-26 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
23rd 1995年7月5日 この夜のどこかで CD TOCT-9110 東芝EMI / EASTWORLD
2010年11月20日 GRRC-27 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様
24th 1996年7月3日 MARIA CD TOCT-9550 東芝EMI / EASTWORLD 5位
2010年11月20日 GRRC-28 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
25th 1997年8月8日 YES CD TOCT-9930 東芝EMI / EASTWORLD 8位
2010年11月20日 GRRC-29 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
26th 1999年8月6日 LOTTA GOOD TIME CD TOCT-24200 東芝EMI / EASTWORLD 10位
2010年11月20日 GRRC-30 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
27th 2000年9月27日 STOP YOUR STEP CD TOCT-24400 東芝EMI / EASTWORLD 7位
2010年11月20日 GRRC-31 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
28th 2001年9月27日 YOU,TOO COOL CD TOCT-24650 東芝EMI / EASTWORLD 6位
2010年11月20日 GRRC-32 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
29th 2004年9月1日 横顔 CD TOCT-25449 東芝EMI / EASTWORLD 8位
2010年11月20日 GRRC-33 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
30th 2005年9月14日 ONLY ONE CD TOCT-25834 東芝EMI / EASTWORLD 4位
2010年11月20日 GRRC-34 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
GARURU RECORDS
31st 2009年8月5日 ROCK'N'ROLL CD GRRC-10 GARURU RECORDS 3位
32nd 2010年6月9日 TWIST CD+DVD(初回限定盤) GRRC-35 GARURU RECORDS 3位
CD(通常盤) GRRC-36
33rd 2012年8月1日 Last Song CD+DVD(初回限定盤) GRRC-38/E GARURU RECORDS 2位
CD(通常盤) GRRC-38
34th 2019年9月4日 いつか、その日が来る日まで… CD+Blu-ray (初回限定盤A) GRRC-54〜55 GARURU RECORDS TBA
CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-58〜59
CD+Blu-ray (初回限定盤B) GRRC-56〜57
CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-60〜61
CD (通常盤) GRRC-53

ライブアルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1976年11月21日 THE STAR IN HIBIYA LP 40AH-119/20 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1258/9 CD選書
2006年11月15日 MHCL-953/4 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 132位
2nd 1977年11月21日 スーパーライブ 日本武道館 LP 40AH-384/5 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1261/2 CD選書
2006年11月15日 MHCL-956/7 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 120位
3rd 1978年12月5日 LIVE 後楽園スタジアム LP 40AH-645/6 CBS・ソニー -
1990年10月15日 CD CSCL-1264/5 CD選書
2006年11月15日 MHCL-959/60 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 108位
ワーナー・パイオニア
4th 1980年11月28日 The Rock LP K-10022W ワーナー・パイオニア
1990年10月25日 CD WPCL-196/7
5th 1983年3月26日 1982 P.M.9 LIVE LP K-5503/4 ワーナー・パイオニア
1990年10月25日 CD WPCL-198
東芝EMI / EASTWORLD
6th 1989年2月15日 STAND UP!! LP RT16-5395/7 東芝EMI / EASTWORLD 1位
CD CT24-5395/6
7th 1992年9月30日 Anytime Woman LIVE ALBUM CD TOCT-6690 東芝EMI / EASTWORLD 3位
8th 1998年4月22日 LIVE!YES,E CD TOCT-10270 東芝EMI / EASTWORLD 10位
9th 2000年3月29日 LIVE DECADE 1990-1999 CD TOCT-24331/2 東芝EMI / EASTWORLD 15位
10th 2002年3月30日 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR "Z" 2001 CD TOCT-24775/6 東芝EMI / EASTWORLD
11th 2004年2月25日 YAZAWA CLASSIC〜VOICE〜 DVD-Audio[注 13] TOAT-1005 東芝EMI / EASTWORLD
12th 2004年2月25日 ONE MAN in BUDOKAN DVD-Audio TOAT-1006 東芝EMI / EASTWORLD
GARURU RECORDS
13th 2016年7月27日 LIVE HISTORY 2000〜2015 CD GRRC-49/50 GARURU RECORDS 5位
2018年3月5日 GRRC-51/2 45位

ベストアルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
CBS・ソニー
1st 1980年7月1日 THE GREAT OF ALL LP 28-AH-994 CBS・ソニー -
2001年4月25日 CD SRCL-5064 Sony Music Entertainment (Japan)
2006年11月15日 MHCL-962 Sony Music Direct / GT music デジタル・リマスタリング / 初回限定紙ジャケット仕様 116位
2nd 1980年12月1日 THE GREAT OF ALL VOL.2 LP 44-AH-1160/1 CBS・ソニー -
2001年4月25日 CD SRCL-5065/6 Sony Music Entertainment (Japan)
3rd 1983年11月21日 THE GREAT OF ALL -Special Version- CD 35-DH-55 CBS・ソニー -
1993年10月1日 SRCL-2718 Sony Records
ワーナー・パイオニア
4th 1984年2月15日 THE BORDER LP K-12510 ワーナー・パイオニア -
CD 35XL-36
32XL-76
1990年10月25日 WPCL-204
CBS・ソニー
5th 1985年11月21日 矢沢永吉全集 CD 00-DH-327/30 CBS・ソニー CBS・ソニーからリリースされた『CD-BOXシリーズ』シリーズの1つ -
ワーナー・パイオニア
6th 1988年3月25日 ROCK'N ROLL GOLD CD 32XL-275 ワーナー・パイオニア -
1990年10月25日 WPCL-210
7th 1988年3月25日 BALLAD GOLD CD 32XL-276 ワーナー・パイオニア -
1990年10月25日 WPCL-209
CBS・ソニー
8th 1988年7月21日 ベスト・コレクション CD 15EH-8046 CBS・ソニー CBS・ソニー20周年企画『My Favorite Songs』シリーズの1つ。8cmCD、5曲入り -
東芝EMI / EASTWORLD
9th 1990年10月31日 THE ORIGINAL 2CD TOCT-5850/1 東芝EMI / EASTWORLD 4位
10th 1993年12月8日 THE ORIGINAL 2 CD TOCT-8270 東芝EMI / EASTWORLD
Sony Records
11th 1997年10月1日 E.Y 70'S CD (CD-EXTRA) SRCL-4838 Sony Records 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 12位
2003年12月17日 CD MHCL-838 Sony Music Direct / GT music -
ワーナーミュージック・ジャパン
12th 1997年10月1日 E.Y 80'S CD (CD-EXTRA) WPC6-8383 ワーナーミュージック・ジャパン 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 13位
東芝EMI / EASTWORLD
13th 1997年10月1日 E.Y 90'S CD (CD-EXTRA) TOCT-9960 東芝EMI / EASTWORLD 70年代 (Sony)、80年代(ワーナー)、90年代(東芝)のベストが3社から同時に発売された。 11位
GARURU RECORDS
14th 2013年5月15日 ALL TIME BEST ALBUM 3CD+DVD (初回限定盤) GRRC-39/42 GARURU RECORDS 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、初のオール・タイム・ベスト 1位
3CD(通常盤) GRRC-43/5
15th 2015年7月1日 ALL TIME BEST ALBUM II 3CD GRRC-46/8 GARURU RECORDS 2位
16th 2020年10月21日 STANDARD 〜THE BALLAD BEST〜 3CD+Blu-ray (初回限定盤A) GRRC-73/6 GARURU RECORDS 自身監修によるレーベルの垣根を越えた、オールタイム・バラード・ベスト 1位
3CD+DVD (初回限定盤A) GRRC-81/4
3CD+Blu-ray (初回限定盤B) GRRC-77/80
3CD+DVD (初回限定盤B) GRRC-85/8
3CD (通常盤) GRRC-70/2
5LP (数量限定盤) GRRR-01/5

その他アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番 発売元 備考 順位
ワーナー・パイオニア
1st 1985年11月28日 TEN YEARS AGO LP K-12520 ワーナー・パイオニア キャロル時代の楽曲のセルフカバー -
CD 32XL-118
1990年10月25日 WPCL-207
東芝EMI / EASTWORLD
2nd 1998年9月8日 SUBWAY EXPRESS CD TOCT-10420 東芝EMI / EASTWORLD セルフカバー 3位
3rd 2002年9月4日 SUBWAY EXPRESS 2 CD TOCT-24840 東芝EMI / EASTWORLD 9位
4th 2006年5月17日 YOUR SONGS 1 CD TOCT-26003 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 5位
2010年11月20日 GRRC-1 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
5th 2006年5月17日 YOUR SONGS 2 CD TOCT-26004 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 6位
2010年11月20日 GRRC-2 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
6th 2006年5月17日 YOUR SONGS 3 CD TOCT-26005 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 7位
2010年11月20日 GRRC-3 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
7th 2007年9月26日 YOUR SONGS 4 CD TOCT-26343 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 20位
2010年11月20日 GRRC-4 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
8th 2007年9月26日 YOUR SONGS 5 CD TOCT-26344 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 22位
2010年11月20日 GRRC-5 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
9th 2007年9月26日 YOUR SONGS 6 CD TOCT-26345 東芝EMI / EASTWORLD リミックスベスト 16位
2010年11月20日 GRRC-6 GARURU RECORDS 紙ジャケット仕様 -
GARURU RECORDS
10th 2011年7月6日 ONLY ONE 〜touch up〜 CD GRRC-37 GARURU RECORDS リミックス 10位

DVD&Blu-ray

はDVDとBlu-rayでのリリース、それ以外はDVDのみ

  1. OPEN RECORDING GIG(1996年)
  2. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE(1999年)
  3. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN(1999年)
  4. TONIGHT THE NIGHT!〜ありがとうが爆発する夜〜(2000年)
  5. THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001(2001年)
  6. THE STAR IN HIBIYA(2001年)
  7. EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001(2002年)
  8. YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002(2003年)
  9. ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002(2003年)
  10. Rock Opera Eikichi Yazawa(2004年)
  11. 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN-(2004年)- TSUTAYAオンライン限定
  12. ROCK 'N' ROLL KNIGHT2(2004年)- ファンクラブ限定
  13. FIFTY FIVE WAY(2005年)
  14. YAZAWA CLASSIC II(2005年)
  15. FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN(2005年)
  16. RUN&RUN(2006年)
  17. お受験(2007年)
  18. Rock Opera2 NEW STANDARD(2007年)
  19. THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX(2007年)
  20. THE REAL(2008年4月23日)
  21. SPECIAL X'mas LIVE(2009年1月30日)- ファンクラブ限定
  22. ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME(2009年12月09日)
  23. E.YAZAWA ROCK(2010年7月21日)
  24. THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo 2005(2011年4月13日)
  25. New Standard 〜Blue Note Style〜 2006(2011年4月13日)
  26. ONLY ONE〜touch up〜 SPECIAL LIVE in DIAMOND MOON(2011年8月17日)
  27. EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』(2012年11月7日)
  28. JAMMIN' ALL NIGHT 2012 in BUDOKAN(2014年5月7日)
  29. STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜 2011 in BUDOKAN(2014年5月7日)
  30. JUST TONIGHT 1995 in YOKOHAMA STADIUM(2014年5月7日)
  31. It's Only YAZAWA 1988 in TOKYO DOME(2014年5月7日)
  32. TREASURE BOX(2014年5月7日)- DVD BOX
  33. ROCK IN DOME(2015年12月2日)
  34. Dreamer 2016 IN GRAND HYATT TOKYO(2017年9月6日)
  35. BUTCH!! 2016 IN OSAKA-JO HALL(2017年9月6日)
  36. EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018「STAY ROCK」(2018年12月26日)

LD

  1. RUN&RUN(1981年)
  2. MILES AND MILES(1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
  4. 東京ナイト(1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
  6. STAND UP '89 ARENA(1990年)
  7. STAND UP '89 DOME(1990年)
  8. ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN(1991年)
  9. 1991 BIG BEAT STADIUM(1992年)
  10. 1991 BIG BEAT BUDOKAN(1992年)
  11. LIVE VIDEO Anytime Woman(1993年)
  12. VIDEO CLIPS(1993年)
  13. The name is YAZAWA(1995年)
  14. OPEN RECORDING GIG(1996年)
  15. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE(1999年)
  16. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOUKAN(1999年)

VHS

  1. RUN&RUN(1983年)
  2. MILES AND MILES(1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
  4. 東京ナイト(1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
  6. E' LIVE 1984(1988年)- ファンクラブ限定
  7. STAND UP '89 ARENA(1990年)
  8. STAND UP '89 DOME(1990年)
  9. Rock'n'Roll Army '90 BUDOKAN(1991年)
  10. 1991 Big Beat STADIUM(1992年)
  11. 1991 Big Beat BUDOKAN(1992年)
  12. VIDEO CLIPS(1993年)
  13. VIDEO CLIPS2(1993年)
  14. Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992(1992年)
  15. Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993(1994年)- ファンクラブ限定
  16. THE NAME IS YAZAWA CONCERT TOUR 1994(1995年)
  17. OPEN RECORDING GIG(1996年)
  18. JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995(1996年)- ファンクラブ限定
  19. WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996(1998年)- ファンクラブ限定
  20. YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997(1998年)- ファンクラブ限定
  21. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 1998(1999年)
  22. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 1998(1999年)
  23. お受験(2000年)

校歌

  • Nishiyamato Academy of California School Song「今日をありがとう」

タイアップ一覧

楽曲 タイアップ 収録作品
トラベリン・バス SONY ラジカセ『リズムカプセル9000』CMソング アルバム『A Day
時間よ止まれ 資生堂『アクエア』CMソング シングル「時間よ止まれ
資生堂「美への挑戦」編 CMソング
I say Good-bye, So Good-bye アルパイン'79“アルパイン・カーオーディオセンサー<SK-800>”CMソング シングル「I say Good-bye, So Good-bye」
THIS IS A SONG FOR COCA-COLA コカ・コーラ CMソング シングル「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA
RUN & RUN 富士映画配給『RUN&RUN』主題歌
抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- マクセルカセットテープ CMソング シングル「抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST-
You TBS系ドラマ『はじめまして再婚』主題歌 シングル「You/Shampoo」
Shampoo 三菱ギャランΣ』CMソング
YES MY LOVE '82 コカ・コーラ CMイメージ・ソング シングル「YES MY LOVE
LAHAINA 資生堂キャンペーン・ソング シングル「LAHAINA」
ROCKIN' MY HEART パイオニア・シェルフコンポーネントプライベート CMソング シングル「ROCKIN' MY HEART」
Last Christmas Eve Johnnie Walker Red Label CMソング シングル「Last Christmas Eve
THE BORDER シングル「THE BORDER
TAKE IT TIME ホンダeve PAX』CMソング シングル「TAKE IT TIME
苦い雨 宝酒造バービカン』CMソング アルバム『YOKOHAMA二十才まえ
BELIEVE IN ME シングル「BELIEVE IN ME」
止まらないHa〜Ha 第一興商『LIVE DAM HD』CMソング[注 14] アルバム『東京ナイト
フジテレビ系『IPPONグランプリ』テーマソング
共犯者 銀座ジュエリーマキ・カメリアダイアモンド CMソング シングル「共犯者」
ニューグランドホテル シングル「ニューグランドホテル」
くちづけが止まらない シングル「くちづけが止まらない」
SOMEBODY'S NIGHT AXIAビデオテープ CMソング シングル「SOMEBODY'S NIGHT
FLESH AND BLOOD AXIAオーディオテープGT-X CMソング アルバム『情事
シングル「バラードよ永遠に
愛しい風 東宝東和提供『子熊物語』メッセージソング シングル「愛しい風」
バラードよ永遠に AXIAオーディオテープPS-X CMソング シングル「バラードよ永遠に」
PURE GOLD TBS系ドラマ『ホットドッグ』主題歌 シングル「PURE GOLD
I LOVE YOU, OK -1990 Version- AXIAビデオテープ CMソング
GET UP アルバム『永吉
夢の彼方 アサヒ生ビール"Z" CMソング シングル「夢の彼方
ラスト・シーン 日本テレビ系ドラマ『刑事貴族2』エンディングテーマ シングル「ラスト・シーン
BIG BEAT TBS系『世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ シングル「BIG BEAT」
東京 日本テレビ系ドラマ『はだかの刑事』主題歌 シングル「東京
心花よ サントリーBOSS CMソング
黄昏に捨てて シングル「黄昏に捨てて」
Midnight Jungle NHKBS2 衛星アニメ劇場おまかせスクラッパーズ』オープニングテーマ アルバム『the Name Is...
ミス・ロンリー・ハート NHKBS2 衛星アニメ劇場『おまかせスクラッパーズ』エンディングテーマ
アリよさらば TBS系ドラマ『アリよさらば』オープニングテーマ シングル「アリよさらば
ブリヂストン『GRID II』CMソング
SEA BREEZE シーブリーズ'94 イメージソング
いつの日か TBS系ドラマ『アリよさらば』エンディングテーマ シングル「いつの日か
夏の終り サントリーBOSS CMソング シングル「夏の終り」
マンダム『ルシード』CMソング
青空 サントリーBOSS CMソング シングル「青空」
THE TROUBLE MAN PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』オープニングテーマ
PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』CMソング
THE RAIN[注 15] PlayStation用ゲームソフト『ヴァンパイア』エンディングテーマ シングル、アルバム共に未収録
MARIA サントリーBOSS CMソング シングル「MARIA」
終わりじゃないぜ サントリーBOSS 1995 CMソング
Love is you 映画『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』主題歌 アルバム『E.Y 90'S』
テレビ東京系『愛の貧乏脱出大作戦』エンディングテーマ
もうひとりの俺 サントリーBOSS CMソング シングル「もうひとりの俺」
TBC CMソング
Stll 資生堂『ピエヌ』CMソング シングル「Stll」
しなやかな獣たち 日産ラルゴ ハイウェイスターツーリング』CMソング アルバム『YES
あの日のように TBS系東芝日曜劇場ベストパートナー』主題歌 シングル「あの日のように」
だから、抱いてくれ サントリーBOSS CMソング
I have no reason 映画『お受験 OJUKEN』主題歌 シングル「Oh!ラヴシック」
フォーチュン・テイラー TBS系月曜ドラマスペシャル雨に眠れ』主題歌 アルバム『LOTTA GOOD TIME
THE TRUTH ファミリーマート CMソング シングル「THE TRUTH」
背中ごしのI LOVE YOU サントリー角瓶』CMソング アルバム『YOU,TOO COOL
ワン・ナイト・ショー 三菱ふそうキャンター』CMソング アルバム『SUBWAY EXPRESS 2
ロックンロールドラッグ ユニクロ CMソング アルバム『横顔
ONLY ONE TBC CMソング[注 16] シングル「ONLY ONE」
Loser PS3用ゲームソフト『龍が如く3』メインテーマ シングル「Loser」
コバルトの空 ロッテ『キシリトールガム』CMソング シングル「コバルトの空」
Sweet Rock'n'Roll ロッテ『キシリトールガム』CMソング アルバム『ROCK'N'ROLL
あの日、アイツに 第一興商『MTV DAM』CMソング
サイコーな Rock You! ロッテ『キシリトールガム』CMソング アルバム『TWIST
Shake Me 日本郵便ゆうパック』CMソング
闇を抜けて AXNフラッシュフォワード』イメージソング
ワニ革のスーツ 第一興商『LIVE DAM』CMソング
HEY YOU… トヨタアルファード』CMソング
IT'S UP TO YOU! 第一興商『LIVE DAM』CMソング アルバム『Last Song
翼を広げて 映画『デンジャラス・ラン』日本版イメージソング
JAMMIN' ALL NIGHT ヨコハマタイヤ『アイスガードファイブ』CMソング

出版物

成りあがり

  • 著書
    ドラマ化作品
    2002年11月23日、フジテレビにて放送、TOKIO松岡昌宏が矢沢を演じる。ほぼ矢沢の著作に基づいて構成されており、出生から武道館での大声援でのライブパフォーマンスが描かれている。また、日本で初めて、革ジャンにリーゼント・サングラスのスタイルでテレビ出演を行い、全国放送されたエピソードが紹介されている。
    デモテープを持ち込んだレコード会社の受付に、後に妻となる女性がいて出会うという設定に変更されている。
    漫画化作品
    『漫画版 成りあがり』(前編・後編の全2巻。1993年4月。矢沢クラブ)
    江原良道による漫画化。同年に『コミック版 成りあがり』として風雅書房より再刊(前編:1993年9月25日、後編:1993年12月6日)。
    『成りあがり 矢沢永吉物語』(全3巻。2008年 - 2009年。角川書店)
    コミックチャージ』連載のきたがわ翔による漫画化。主人公が亡き父の遺品である「成りあがり」を読んでいるという構成。

その他

  • 矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE(1979年)稲越功一 小学館
  • 矢沢永吉『矢沢永吉写真集 「19490914」THE LIFE OF EIKICHI YA ZAWA』新潮社、1995年。ISBN 4-10-408001-2 
  • 地球音楽ライブラリー 矢沢永吉(1997年)TOKYO FM出版
  • アー・ユー・ハッピー?(2001年)日経BP社
  • イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学(2006年)ぴあ
  • 矢沢永吉×操上和美写真集「FACE EIKICHI YAZAWA 2006-2009」(2009年)
  • 俺 矢沢永吉(2019年4月15日)ぴあ

矢沢永吉が登場する本

  • 森永博志『原宿ゴールドラッシュ』ワニブックス、1985年。 文庫、ワニブックス、1990年、エンジェルワークス文庫/ソニー・マガジンズ、2004年)
    初版本のみ矢沢が登場する。矢沢の件は『成りあがり』番外編といえる優れた逸話が多い。特にヤクザ風の男と矢沢との対峙は本作の中でも白眉というべき名場面である[注 18]

出演

テレビドラマ

音楽番組

  • SONGSスペシャル(2015年9月25日、NHK)

その他番組

ラジオ

  • E.YAZAWA TALK RADIO FROM LONDON(1997年8月)
  • 矢沢永吉のオールナイトニッポン(2007年9月20日深夜)
  • 矢沢永吉 ROCK MUST GO ON(2019年9月7日〈予定〉、ニッポン放送)[158]

ほか

映画

CM

インターネット配信

  • E.YAZAWA “ONE NIGHT SHOW 2019”(2019年7月6日、Hulu)- ライブの模様を生中継(同年7月25日より1ヶ月限定で矢沢の出演部分のみ配信)

受賞歴

1994年

注釈

  1. ^ 1978年10月頃、TBSクイズ番組ベルトクイズQ&Q』で、「テレビの歌番組に、まだ一度も登場したことのない有名なロック歌手。さて、だれでしょう」答え「矢沢永吉」という問題が出された[5]
  2. ^ 当時の雑誌インタビューでは「歌番組ィーッ?どっこのチャンネルひねっても同じ顔ばかり並んでからに"賄賂"もらってるのか、プロダクションから金ころがしてんのか知らんけど。矢沢のシングルが1位になったからって何で出なくちゃならんの。誤解しないように言っとくけど、テレビ拒否じゃないの。いい番組なら、こっちから頼んででも出たいし、実際出たこともある」「ソロシンガーになって売れなきゃハナもひっかけられないこの世界で自分の道を切り拓いてきた。その中で得た三つの宝、レコード制作、ナマのステージ、そして"矢沢ファミリー"。あのテの番組にハイ、そうですかって出てしまえば、俺がこの数年間やってきたことは、みんなウソになっちゃうわけョ」などと話している[6]。「時間よ止まれ」が大ヒット中の1978年6月にフジテレビの『ザ・ポップ』に出演して「鎖を引きちぎれ」など6曲歌った他、同年11月に日本テレビが矢沢の特番を放送した[7]
  3. ^ 1970年代後半は仲のよかった「吉田拓郎のセイ!ヤング」に1979年7月7日にゲスト出演した。
  4. ^ 連続ドラマ主演を渋ったが、プロデューサーの遠藤環に「矢沢さん、怖いんですか?」と言われ、「何にも怖くないよ!じゃあやってやるよ」と出演が決まった[14][15]
  5. ^ 矢沢がギターを学んだ山中ジャズスクールは、当時のまま、現在も広島市に現存している。建物の外観も当時と変わらない[34][37]
  6. ^ 『成りあがり』には、『週刊平凡』と記載。
  7. ^ タオルはソロになってから、ステージで動き回り、汗を大量にかくので、途中でスタッフに「ちょっとタオルくれ」って言ったのが始まり。最初は手ぬぐいみたいな小さいタオルで拭いていたが、「もうちょうと大きいのくれ」とバスタオルを使うようになった。人に使われたくないから、「名前ちゃんと入れとけ」とロゴ入りタオルになった。最初にうちは、汗拭いちゃスタッフに投げ返していたが、めんどくさくなり、タオルを肩にかけて歌ったら、それがサマになった。白のスーツはただ着てみたいと思ったから着た。まだ専属のスタイリストなんていない時代、ファッションにも興味がなく、どこで買えばいいか分からないから、当時住んでいた弘明寺商店街テイラーで作ってもらった[83]
  8. ^ 長者番付は翌1979年は2位だったが、美空ひばりが不動産を処分したために1位を明け渡したもので実質は二年連続1位だった[101]
  9. ^ 1995年の著書では「20年前の日本のロックって、そのへんのジャリが集まってセンズリかいているような音楽だった。エレキギター持って女の子にキャーキャー言われても、コンサートを開けるのは東京、大阪ぐらいでね。まだまだマイナーだったのよ。都会を離れて地方でもやれるようになったのは、キャロルが最初だった。全国ツアーってヤツ。それを具体的に定着させたのは、矢沢だったんじゃないかな」と述べている[104]
  10. ^ 「成りあがり」の「広島」「横浜」「キャロル」「E・YAZAWA」の四章に対し、「成りさがり」では「所沢」「都内」「有楽町」「スター」「G・TOKORO」「成りさがり」の六章の構成になっている。
  11. ^ アルバム『The Rock』付属のEP盤
  12. ^ アメリカのみ発売。
  13. ^ リニアPCM、48KHz、20bit、5.1/2CH
  14. ^ 『ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME』の映像を使用。
  15. ^ アルバム『この夜のどこかで』に収録されている「予感の雨」の英語詩バージョン。エンドロール曲でありゲームをクリアしないと聴くことができない
  16. ^ アカペラバージョンを使用。
  17. ^ 1978年に小学館より刊行された赤貧の少年時代を綴った自伝。インタビュアーに糸井重里が独特の矢沢口調で構成されている[127]ベストセラーとなり、そのサクセス・ストーリーは社会現象にまで昇華した[38][73]。本作はアーティストの自伝本のはしりでもある[150]。当時の週刊誌には「編集スタッフのひとり、ルポライターの糸井重里」と書かれている[5]
  18. ^ 山崎眞行の店で矢沢が早い時間から飲んでいた。その日は酔いが早かった。矢沢はそのころ、キャロルの解散を考えはじめていた。いつもの矢沢とは違う、と山崎は感じとっていた。そこに女連れで、一見ヤクザ風の男がやって来た。男は山崎の知り合いで矢沢に男を紹介した。矢沢が「矢沢永吉です、よろしく」と男に手を差し出した。ところが、男は握手しようとしなかった。矢沢の手が宙に浮いたままになる。もう一度矢沢がいった。「矢沢永吉です」「お前、手ひっこめな」男がいった。一瞬、空気がけわしくなった。矢沢の手はそのままだ。「いいから、ひっこめな」「いや」矢沢がいった。「男が一度出した手はひっこめられない」「うるせえな、ひっこめろ」「ここでひっこめたら、オレは負けたことになる」「矢沢永吉だか、なんだか知らないけど、あっちにいけよ」「おたくが手を出すまで、オレは動かない」数秒のうちに爆発する気配となり、若い店員が割って入りその場は収まった。「また来るわ」と男は店を出て行った。「なんだ、いまのやつ?」矢沢が言った。「鉄板焼き屋です」「なにー!鉄板焼き屋!ふざけやがって。オレ、ヤクザかと思ってたのに」矢沢はまた急ピッチでウイスキーの水割りを飲み始めた[151]

出典

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参考文献

関連項目

外部リンク