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* [http://www.tokuraren.org/activity/Me_Mic/MeMic_66.htm ロシア人が驚いたワイヤレス] - [[マイクロホン]]開発者の記録。モスクワでテレビレポーターとして活躍する栗原小巻の姿が見られる。([[個人サイト]])
* [http://www.tokuraren.org/activity/Me_Mic/MeMic_66.htm ロシア人が驚いたワイヤレス] - [[マイクロホン]]開発者の記録。モスクワでテレビレポーターとして活躍する栗原小巻の姿が見られる。([[個人サイト]])
* [http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/52/menu02.html シマネスク 52]{{リンク切れ|date=2015年3月}} - 島根県知事との対談。
* [http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/52/menu02.html シマネスク 52]{{リンク切れ|date=2015年3月}} - 島根県知事との対談。
* [https://imawoaikawa.blogspot.com/2018/09/komaki-kurihara-filmography.html Komaki KURIHARA, Filmography]



{{毎日映画コンクール女優主演賞}}
{{毎日映画コンクール女優主演賞}}

2018年9月13日 (木) 07:21時点における版

くりはら こまき
栗原 小巻
本名 栗原 小巻(同じ)
生年月日 (1945-03-14) 1945年3月14日(79歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区[1]
身長 163 cm
職業 女優
ジャンル 舞台映画テレビドラマ
活動期間 1967年 -
活動内容 1963年俳優座養成所入所
配偶者 なし
著名な家族 栗原一登(父)
主な作品
テレビドラマ
三姉妹[1]
樅ノ木は残った
黄金の日日
関ヶ原
初婚・再婚

映画
戦争と人間』(第一・二部)
いのちぼうにふろう
忍ぶ川[1]
サンダカン八番娼館 望郷[1]
八甲田山
 
受賞
毎日映画コンクール
女優演技賞
1972年忍ぶ川
第6回紀伊國屋演劇賞
第36回文化庁芸術祭賞優秀賞
第46回文化庁芸術祭賞
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栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日[1] - )は、日本女優。本名同じ。東京都世田谷区出身。父は劇作家栗原一登[1]。弟・加来英治は演出家[2]

人物・来歴

日本大学藝術学部で父の同僚だった三浦朱門によると、父は「二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。困ったな、困り切った、というので小巻という名前にした」という[3]

当初はヴァイオリニストになろうとしていたが断念。桐朋女子を経てバレリーナを目指し東京バレエ学校に通っていたが、演技の基礎が必要と教師に言われ同校を卒業した後、1963年劇団俳優座に入った[1][注釈 1]俳優座花の15期生の一人。1968年の『三人姉妹』(チェーホフ)で注目を浴び、以降、舞台を主軸に活動[1]

テレビドラマでは、1964年に『虹の設計』にてデー。1967年の『三姉妹』を皮切りに、『樅ノ木は残った』『黄金の日日』などの出演で知られる。

映画では、高橋治監督の『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』は代表作の1つで、加藤剛相手に大胆なベッドシーンを見せたことで有名(毎日映画コンクール女優演技賞)。1970年代には『戦争と人間』『いのちぼうにふろう』『サンダカン八番娼館 望郷』『八甲田山』と出演を重ねた。『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』『柴又より愛をこめて』にてマドンナ役を演じている。

70年代に入ると舞台女優としての評価も高まり、多くの賞を受賞する。

ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ戦争と平和』を挙げている。

イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の「青少年のための管弦楽入門」の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品)

改革開放期の1978年に「サンダカン八番娼館」、1979年に「愛と死」が中国で上映されたことが契機となり、以降中国でも人気を博する[4]1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国との繋がりも深い。2015年6月1日には、CCTVの大型児童番組「2015年六一晩会中国語版[注釈 2]に出演し、日中双方の児童と共に「故郷」と「茉莉花」を歌った[5]

クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。

玄人受けする演技力と現代的美貌から熱狂的な男性ファンが多く、吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた(奇しくも吉永とは生年月日が1日違い)。アイドル的存在として人気を二分したが、中年以降、吉永が映画を主軸に据えているのに対し、栗原は舞台を主軸としている[1]。近年は舞台の衣装デザインも手がけている[6]

受賞[7]

出演

舞台

  • NINAGAWAマクベス- マクベス夫人 役
  • 愛の讃歌-ピアフ
  • 薔薇の刺青
  • 令嬢ジュリー
  • 欲望という名の電車
  • メアリー・スチュアート
  • 櫻の園
  • 松井須磨子- 松井須磨子 役

テレビドラマ

映画

吹き替え

ラジオ

バラエティ

CM

書籍

  • 『ソビエト研究』第3号(1990年4月25日) 栗原小巻「ペレストロイカとソ連の芸術」
  • 『ロシアを友に 演劇・文学・人』 舞台公演『櫻の園』の立役者、宮澤俊一の著作。ISBN 4-905821-39-8

レコード

  • 『愛は蜃気楼のように』(1984年, クラウンレコードGGA-109。2007年にBRIDGEレーベルからCDとして復刻された)

脚注

注釈

  1. ^ 2013年4月に退団。
  2. ^ 6月1日は中国における「子供の日」である。当日の夜は「六一晩会中国語版」という大型児童向けコンサート番組が全国放送される。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.66.
  2. ^ 読売人物データベース
  3. ^ 三浦朱門『朱に交われば…』p.33。
  4. ^ 女優・栗原小巻さん”. 中国国際放送局 (2013年7月2日). 2018年8月15日閲覧。
  5. ^ 栗原小巻さん 中国の「2015国際児童デーCCTVスペシャル」へ出演”. CCTV大富 (2015年6月2日). 2018年8月15日閲覧。
  6. ^ 2017年11月17日 プレミアムトーク 栗原小巻 NHK 「あさイチ
  7. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
  8. ^ 放送ライブラリー 番組ID:001068
  9. ^ 放送ライブラリー 番組ID:001591
  10. ^ 企画展アーカイブ 「イメージ作りのパートナーたち」 象印 まほうびん記念館 平成23年8月17日(水)〜11月30日(水)
  11. ^ 会社概要 あゆみ 「電子ジャー新発売」 象印
  12. ^ 栗原小巻のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年12月1日閲覧。

外部リンク