日産自動車

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日産自動車株式会社
Nissan Motor Co., Ltd.
ロゴ
種類 株式会社
市場情報
略称 日産、日産自
本社所在地 日本の旗 日本
220-8686
グローバル本社
横浜市西区高島一丁目1番1号
本店所在地 220-8623
横浜市神奈川区宝町2番地
設立 1933年12月26日
(自動車製造株式会社)
業種 輸送用機器
法人番号 9020001031109 ウィキデータを編集
事業内容 自動車車種一覧を参照)
代表者 代表取締役会長社長最高経営責任者 カルロス・ゴーン
代表取締役副会長兼CCO 西川廣人
代表取締役専務執行役員 グレッグ・ケリー
取締役副会長 志賀俊之
資本金 6058億1300万円
2014年3月31日現在)
発行済株式総数 45億2071万5112株
売上高 連結:10兆4825億2000万円
(2014年3月期)
営業利益 連結:4983億6500万円
(2014年3月期)
純利益 連結:3890億3400万円
(2014年3月期)
純資産 連結:4兆6715億2800万円
(2014年3月期)
総資産 連結:14兆7034億300万円
(2014年3月期)
従業員数 連結:14万2925人
単独:2万3085人
(2014年3月現在)
決算期 3月末日
主要株主 フランスの旗 ルノー 43.4%(2016年2月現在)
主要子会社
関係する人物 鮎川義介川又克二石原俊カルロス・ゴーン
外部リンク nissan.co.jp(日本)
nissan-global.com(Global)
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日産自動車株式会社(にっさんじどうしゃ、英称:Nissan Motor Co., Ltd. )は、神奈川県横浜市に本社を置く日本の大手自動車メーカー。通称とブランド名は「日産 (NISSAN) 」。日本国外の一部では、高級車ブランドである、「インフィニティ (INFINITI) 」も展開しており、現在はフランスの自動車製造大手ルノーとアライアンス関係である。

概要

本社は神奈川県横浜市西区高島一丁目1番1号(日産グローバル本社)。芙蓉グループ(旧富士銀行系列)に属する東証一部上場企業であるが、フランスの自動車製造大手ルノーが株式の44パーセントを所有しアライアンス関係である。

日産自動車の関連会社には、委託製造会社である日産車体、モータースポーツ専門のニスモなどがある。また、国外では高級車の「インフィニティ」ブランドおよび新興国向けの低価格車ブランド「ダットサン」での展開も行なっている他、親会社のルノーの車種を「日産」ブランドで販売している(ルノー・ジャポンは日産グローバル本社屋内に籍を置く)。

現在親会社のルノーから派遣されたレバノン系ブラジル人(フランスとの2重国籍)のカルロス・ゴーン代表取締役会長社長最高経営責任者(CEO)を務める。なお、ゴーンは2005年4月より親会社のルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。現在、日産自動車の経営は、ゴーンCEOの指揮の下で、最高執行責任者(COO)を置かずに、西川廣人アンディ・パーマートレバー・マンの副社長3人が最高執行責任者(COO)の役割を分担している。

日産自動車の2010暦年のグローバル販売台数及び、グローバル生産台数は共に400万台を超え、日本の自動車メーカーとしてはトヨタ自動車に次いで2番目に400万台の大台を突破した[1]

歴史

創業 - 1970年代

旧本社(東京都中央区銀座六丁目)

第二次世界大戦前は日産コンツェルンの一員であった。「日産」という名称は、当時グループの持株会社であった日本産業が由来となっている。

創業期より先進技術の吸収に積極的で、日産自動車は日本フォード日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年(昭和11年)にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年(昭和27年)にイギリスのオースチンと技術提携している。

1958年(昭和33年)には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場して見事にクラス優勝を飾り、1960年(昭和35年)には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。

1966年(昭和41年)8月1日には、経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。スカイライングロリアなどの車種と、中島飛行機立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。

1973年(昭和48年)の米国環境庁 (EPA)燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジン燃焼制御技術の開発からCAD/CAM産業用ロボットの開発まで、「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。

しかし、その反面、戦時中に自動車の配給独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化されたために販売力でハンディとなってしまい、技術面では「技術の日産」と評されるほどに優位を保っていた反面、販売面では「販売のトヨタ」と評されるほどのマーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタ自動車には及ばず、1970年代までトヨタに肉薄していた日産の販売シェアは、特に1980年代以降、その差が広がる一方となる。

901活動

1980年代には「90年代までに技術世界一を目指す」という名の下、全車種を対象にエンジンをはじめ、シャシサスペンションの設計目標と、走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上などに力を注いだ「901活動」がおこなわれており、日本車の技術向上に大きく貢献したことでは一定の評価を受けている。

1980年代後半のバブル景気時代には、K10型マーチをベースにしたパイクカーの第一弾として限定10000台で発売され2ヶ月で予約完売となったBe-1や、当時日本唯一の3ナンバー専用の高級車であったY31型シーマや、洗練されたデートカーとして人気となったS13型シルビアなどをヒットさせ、「Be-1効果」や「シーマ現象」なる流行語まで生みだし、「901活動」のもとで開発されたR32型スカイラインなどのスポーツ系車種をはじめとしてP10型プリメーラなどのセダン系車種なども高い評価を得るなど存在感を示していた。

経営危機

しかし、「901活動」のもとで開発されて高い評価を得るなど存在感を示していた車種は、1991年から1994年にかけてフルモデルチェンジの時期が到来し、新型車として発売された、U13型ブルーバード4ドアセダンSSS/EEXJY32型レパードJフェリーC34型ローレルR33型スカイラインS14型シルビアB14型サニーなどの各車種は、「901活動」のもとで開発されて高い評価を得るなど存在感を示していた旧型とは一転して、デザインや商品面で評価が低い結果となってしまい販売不振に陥ってしまった。

さらに、バブル景気が崩壊(終了)した影響で、高価格で収益性の高いシーマやセドリック、グロリアなどの高級車の販売が減少した上に、もともと商品企画(いわゆるマーケティング)や販売戦略が不得意な上にヒット車種を数多く出せないこと、さらに過激な組合運動に足を引っ張られ抜本的なコスト削減もままならないまま財務内容はますます悪化の一途を辿り、「901活動」でコスト上昇を招いた走行実験部やデザイン部を中心としたリストラを断行してもなお1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え経営危機に陥ってしまう。その中でも、A32型セフィーロ、E50型エルグランド、K11型マーチ、C23型バネットセレナ(のちのセレナ)などがコンスタントに販売台数を記録して経営危機に陥っていた日産を支えていた。

その後、軽自動車市場の拡大を背景に、軽自動車を含めた日本国内シェアで、一時期ではあったがホンダの後塵を拝し、国内シェア第3位に転落してしまった時期があった。現在は、軽自動車販売のシェアがホンダと逆転したため、国内シェア第2位[2]に返り咲いている。

ルノー傘下へ

カルロス・ゴーン

継続的な販売不振により、2兆円あまりの有利子債務を抱え倒産寸前の経営状態となった1999年3月に、フランスの自動車メーカーのルノーとの資本提携(後述「ルノー=日産アライアンス」)を結び、同社の傘下に入り更生を図ることとなった。当初は両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや労働組合の抵抗などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行き先を危惧した。

同年中に日本人社長の塙義一は解任され、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) であったルイ・シュヴァイツァーの指示より同社副社長のカルロス・ゴーンが新たな最高経営責任者に就任した。ゴーンらのチームは、同年10月に発表した「日産リバイバルプラン (NRP)」のもとリストラを進めた。

ルノーから資金や人員が注入されると同時に、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場や、京都府宇治市日産車体京都工場などの生産拠点の閉鎖、資産の売却や人員の削減とともに、子会社の統廃合や取引先の統合、原材料の仕入の見直しなどによってコストを削減した。またこれに先立って外国企業の影響を避けるため、宇宙航空事業部が石川島播磨重工業に売却され、IHIエアロスペースが設立された。

更に、車種ラインアップの整理と同時にデザインなどを刷新し、積極的な新車投入を行った結果、販売台数は増加した。国内シェアでは第2位の座を奪回し、2003年6月には負債を完済した。

ルノー=日産アライアンス

ルノー=日産アライアンス
両社共通の「アライアンス・Bプラットフォーム」を使用する日産・ティーダ

2006年5月現在、ルノーは日産株の44パーセントを所有し日産を連結子会社としているが、日産もルノー株全体の15パーセントを所有しており一部持合となっている。なおフランスの法律によって日産の保有するルノー株は日産が保有する間は議決権が行使できない。資本関係上は日産がルノーの連結子会社となる。

さらにルノーからは多くが日産の役員として送り込まれているほか、多くの管理職クラスの人員も送り込まれているが、ルノーに日産出身の役員は皆無であった(2008年にルノーに日産から副社長が送り込まれている)。株式資本の総額は子会社の日産本体のほうが多く「日産に投資するよりも寧ろ、親会社のルノー本体に投資するほうが利にかなう」逆転現象が起きている。

ビジネス上では、車台(プラットフォーム)やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化や購買の共同化によってコストダウンを図っているほか、ルノーの車を日産ブランドで販売、日産車をルノーのブランドで販売するなどの相互のOEM供給も行っている。また、同じルノー傘下である韓国ルノーサムスンにおいてもこのアライアンスを生かし、自社はもちろん、ルノーや日産ブランドでの製造・輸出を行っている。2005年1月には、当時のルノー会長のルイ・シュヴァイツァーが、「2010年までに日産自動車とともに世界市場の10%のシェアを確保し、年間400万台の生産を達成する」という目標を掲げた。ルノーは傘下の日産を含めて、自社が「フォルクスワーゲングループを上回る欧州最大の自動車メーカーである」と述べている。

現在

ゴーンは日産自動車の建て直しの手腕が高く評価され、2005年4月からは親会社のルノーの取締役会長兼CEO (PDG) も兼任している。2013年11月までは、ゴーンCEOの指揮の下で日産自動車生え抜きの志賀俊之最高執行責任者(COO)を務めていた(現在は日産社内での最高執行責任者(COO)職は設けていない)。

2008年には、サブプライムローン問題に端を発した金融危機や原油高騰による不況の中、世界販売台数は0.9%増加し、アメリカでは自動車販売台数が18%減少の中、日産は10.9%減にとどまった。

2007年春に、企業誘致に熱心な横浜市の「横浜みなとみらい21 (MM21) 地区」66街区に本社社屋の建設を着工し、2009年8月2日に「横浜グローバル本社」として竣工した。2009年8月7日に、長らく本社のあった東京・東銀座から移転(登記簿上の本店は、横浜市神奈川区横浜工場のまま)。当初は、2010年をめどに移転する予定であったが、2009年に横浜開港150周年を迎えるを機に1年前倒しとなった。この本社立地にあたり、神奈川県から施設整備等助成制度及び横浜市から企業立地等促進特定地域における支援措置を受けることができた。新社屋は建築家谷口吉生の設計によるものとなっている。

なお、東京・東銀座の旧・本社社屋は、読売新聞グループ本社読売新聞東京本社が建て替えに伴う間の仮本社として2010年9月から2014年1月まで使用していた。この建物は、今後三井不動産2015年1月の完成を目途に一部改修したうえで、同社の本社機能の一部を移転させるとしている。これは現在の三井不動産本社がある中央区日本橋室町の「三井別館」が、再開発事業により取り壊されるためによるもの[3]

前史

ダットサン15
ダットサン1000
プリンス・スカイライン
(初代)
フェアレディZ
(初代S30型系)
スカイラインGT-R
(BNR32型)
X-TRAIL・クリーンディーゼル
(T31前期型)
セレナ・ハイウェイスター
(先代C25型)
GT-R
(現行R35型)

沿革

歴代社長

名前 任期
初代 鮎川 義介(あいかわ よしすけ) 1933年12月 - 1939年05月
2代 村上 正輔(むらかみ まさすけ) 1939年05月 - 1942年02月
3代 淺原 源七(あさはら げんしち) 1942年03月 - 1944年09月
4代 工藤 治人(くどう はると) 1944年09月 - 1945年06月
5代 村山 威士(むらやま たけし) 1945年06月 - 1945年10月
6代 山本 惣治(やまもと そうじ) 1945年10月 - 1947年05月
7代 箕浦 多一(みのうら たいち) 1947年05月 - 1951年10月
8代 淺原 源七(あさはら げんしち) 1951年10月 - 1957年11月 3代目社長の復帰
9代 川又 克二(かわまた かつじ) 1957年11月 - 1973年11月 1986年3月29日死去
10代 岩越 忠恕(いわこし ただひろ) 1973年11月 - 1977年06月 1981年3月19日死去
11代 石原 俊(いしはら たかし) 1977年06月 - 1985年06月 2003年12月31日死去
12代 久米 豊(くめ ゆたか) 1985年06月 - 1992年06月 日蘭協会・(社)日本自動車会議所 顧問
2014年9月10日死去
13代 辻 義文(つじ よしふみ) 1992年06月 - 1996年06月 2007年2月11日死去
14代 塙 義一(はなわ よしかず) 1996年06月 - 2000年06月 元同社相談役名誉会長 2015年12月18日死去
15代 Carlos Ghosn(カルロス ゴーン) 2000年06月 -

販売車種

ロゴマーク・企業フォント

日産自動車のロゴマークはもともと「ダットサン」で使われていたもので、吉崎良造(よしざき りょうぞう)と田中常三郎(たなか じょうざぶろう)がシボレーのマークにヒントを得て、赤の日の丸と太陽をベースに天空をモチーフとしたコバルトブルーをいれ、真ん中に白で横一文字で「DATSUN」と書かれていたのが前身である[9]。なお、1937年に制定された社章=記章、株券等に使用していた=は、日の丸の真中に一本の横棒を挿入し、周囲を“日”を抽象化したもので囲ったもので、日立や日本興業銀行の社(行)章と類似していることから、発足時からの「日産・日立・興銀」の関係も表していた、とされている。

その後、文字を筆記体のカタカナで「ニッサン」[10] と書き直し日産コンツェルン全体の社紋として統括企業に普及するが、戦後の財閥解体とともに日産自動車のみの社紋としてローマ字表記の「NISSAN」に変更となった。

創業50周年を迎えた1983年には、アメリカのペンタグラム社が制作したロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、さらに2001年には、1999年以降のルノー傘下になってからのゴーン体制下でデザインが社内コンペで検討され、立体的なものとなったロゴマーク及び指定フォント(書体)に一新され、2001年にフルモデルチェンジしたシーマ(F50型)、プリメーラ(P12型)から採用されて現在に至る。ちなみに、このとき採用されたロゴのサンプルは現在でもゴーンのオフィスに飾られているという。

企業フォントはTBWA開発の「NISSAN AG(Akzidenz Groteskの日産バージョン)」とモリサワ新ゴ」の組合せ、車名バッジはG10型ブルーバードシルフィからNE-01というフォントに基本的に統一されている。

赤・白・青トリコロールカラーは、日産自動車のコーポレートカラーとして日産ディーラーの各販売会社の店頭看板やレースカーのボディデザインなどとして古くから親しまれている。日産自動車がスポンサーとなっている横浜F・マリノスのチームカラーとしても起用されている。

なお、カタカナの車名ロゴは、2001年にロゴマークおよび指定フォント(書体)が一新された後も、1983年の創業50周年を機に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)が引き続き使用されていたが、2007年5月にマイナーチェンジして発売されたラフェスタ(B30後期型)、新規車種として発売されたデュアリス(J10型)以降から、新たに製作された指定フォント(書体)に一新されている。

そのほか、日産ディーラーの各販売会社の大型看板 (NISSAN Blue Stage, NISSAN Red Stage, NISSAN Red & Blue) の「NISSAN」の指定フォント(書体)は、1983年に米ペンタグラム社が製作した指定フォント(書体)を引続き使用していたが、2007年から、日本国内の日産販売会社各店のレッド/ブルーの色分けを中止してからは、2001年に一新されたロゴマーク及び指定フォント(書体)へ変更された新しいVI(ビジュアルアイデンティ)への変更が順次進められており、大型看板も2001年以降の指定フォント(書体)を中央に配し、赤い線を上部に、グレーの線(線内中央に白文字で日産ディーラーの各販売会社名を表示)を下部に配した新しい大型看板に更新されている。

キャッチフレーズ

メイン・キャッチフレーズ

  • 世界の日産(1960年代)
  • 人とクルマの調和をめざす 日産自動車(1970年 - 1973年)
  • 人とクルマの明日をめざす 日産自動車(1974年 - 1977年)
  • 人とクルマの明日をめざす 技術の日産(1978年 - 1981年)
  • 世界に愛される 先進技術の日産(1982年)
  • もう走り始めています 21世紀へ 先進技術の日産(1983年 - 1985年)
  • 21世紀を目指す 先進技術の日産(1985年)
  • Feel the Beat もっと楽しく感じるままに 技術の日産(1985年 - 1991年)
  • LIFE TOGETHER 人間のやさしさをクルマに(1991年 - 1998年)
  • クルマのよろこびを(1999年1月 - 「ルノー=日産アライアンス」資本提携前)
  • NISSAN, RENAISSANCE(「ルノー=日産アライアンス」資本提携後 - 2000年4月)
  • SHIFT_the future(2001年10月 - 2008年11月)
  • SHIFT_the way you move クルマの可能性を、未来へ。(2008年11月 - 2012年3月)
  • 今までなかったワクワクを。 SHIFT_[11](2012年4月 - 2013年4月)
  • Innovation that excites 今までなかったワクワクを。(2013年4月 - 現在)  

サブ・キャッチフレーズ

  • 無理のない運転で、貴重なエネルギーを大切に(1970年代 - 1985年)
  • 安全は、人とクルマでつくるもの。(1970年 - 1985年)
  • シートベルトは“安全ベルト”正しく使う習慣を(1970年代 - 1985年)
  • スペース・テクノロジー(1983年)
  • 20世紀の残りは日産がおもしろくする(1990年 - 1991年)
  • いい運転 日産からのお願いです。(1990年 - 1991年)
  • 熱血業界宣言(1990年代前半)
  • スピードおさえていい運転(1991年 - )
  • 変わらなきゃ(1995年)
  • 変わらなきゃも 変わらなきゃ(1996年)
  • もっと日産になる(1997年 - 1998年)
  • SHIFT ワード(車種別広告でのキャッチフレーズ)(2004年 - 2008年)
  • 今こそ、モノづくりの底力を。(2011年5月 - 2012年3月)(東日本大震災の被災による)
  • 80 years of moving people 80年のありがとうを、クルマにのせて。(2013年11月 - )(日産自動車創立80周年による)
  • 技術の日産が、人生を面白くする。 "やっちゃえ"NISSAN(2015年8月 - )

フェア&イベント・タイトル

  • 日本全国日産デー(1970年代後半-1992年、1994年)
1986年 - 1987年頃に展開されていたCMには、当時デビューして間もない歌手・タレントの西村知美が「日本全国日産デー」キャンペーン専属のCMキャラクターとして起用されていた。
  • ヨンセンマン(1992年)
日産自動車の生産累計台数が4000万台達成したことを記念し数々の特別仕様車が発売され、車のボディをモチーフにした顔が特徴的な「ヨンセンマン」のCGアニメキャラクターが存在していた。
  • 熱血大感謝フェア(1993年)
1993年の創業60周年を記念し、数々の60周年特別仕様車などを取り揃えた、「熱血大感謝フェア」と名付けたキャンペーンCMの専属キャラクターとして、「熱血業界宣言」キャンペーン専属のCMキャラクターを務める吉田栄作をはじめとして、島崎俊郎神田利則中山美穂松居直美中條かな子が起用されていた。
  • イチロニッサン(1995年-1999年)
1991年から1994年にかけてフルモデルチェンジした新型車を続々と投入していたが、新型車の評判がフルモデルチェンジ前の旧型車と比較して芳しくなく販売不振が続き、その結果、人気度・信頼度・企業イメージが低下していた日産自動車全体の建て直しと、タクシー・パトカー・教習車モデルを除く乗用車全車種に、運転席と助手席にSRSエアバッグを標準装備化して他メーカーとの差別化を図ったことによる販売回復の起爆剤になることを願って、野球選手のイチローをメインに、野球解説者(当時)の原辰徳、サッカー選手の川口能活、ボクシング選手の辰吉丈一郎、タレントのかとうれいこ、競馬騎手の武豊といったの大物スポーツ選手、タレントをCMに起用し、「変わらなきゃ」「変わらなきゃも変わらなきゃ」「イチロ・ニッサン」「こんどの週末は、イチロ・ニッサン」「エアバッグなら、イチロ・ニッサン」「エアロRVなら、イチロ・ニッサン」「イチロ・エアバッグ」「イチロ・エアロ」「ワゴンボックスに乗ろう」などのキャッチフレーズをつけていた。
なお、「ワゴンボックスに乗ろう」のキャッチフレーズのCMでは、元マラソンランナーの増田明美が、マラソンの実況解説風のCMナレーションを担当していた。
それに対して、危機感を抱いたライバルメーカーのトヨタ自動車は、乗用車全車種にSRSエアバッグの標準装備化に加えてABSも標準装備化して、日産自動車のCMに起用の野球選手のイチローに対抗して、ライバルの野球選手の野茂英雄を起用したり、ABS(エービーエス)をA(エ)B(ビ)S(ス)というダジャレ的なネタにちなんでタレント・漫画家の蛭子能収(えびす・よしかず)をCMに起用して日産自動車に対抗した安全装備の標準化による日産VSトヨタでの販売競争が他メーカーにも波及し、後に、軽自動車を除くほとんどの国産車でSRSエアバッグとABSが標準化されるきっかけになった。
  • のってカンガルー(2007年-2012年)
声、ナレーションは、スチャダラパー アニ貴家堂子桂玲子安齋肇Perfume郷ひろみバナナマン日村勇紀設楽統)、伊武雅刀小林克也井上順を起用。
CMキャラクターは、栗山千明渡部陽一古屋隆太木村多江を起用。
  • ノッテコニッサン(2013年-2015年)
CMキャラクターにを起用。なお、嵐は2012年4月から2015年6月までのPURE DRIVEシリーズのメインキャラクターも務めていた。
  • "やっちゃえ"NISSAN(2015年-現在)
CMキャラクターには矢沢永吉、およびシャーロット・ケイト・フォックスを起用。

日産生産方式 (Nissan Production Way)

日産自動車が21世紀の生産・販売戦略として導入した生産方式。顧客の注文に基づく詳細な生産指示書を関係工程に指示し生産する方法で、これにより受注から納車までの時間が最短で3日という迅速な生産を実現した。現在、インフィニティブランドを取り扱う栃木工場などに導入されている。

日産のエンジン型式

日産では、1960年代以降、以下のような規則でエンジン型式を定めているが、ルノーと共同開発したM9R型ディーゼルエンジンには適用されない。また、OEM供給を受けている車種が搭載している他社製エンジンや、一時期シビリアンが採用していた三菱ふそう製ディーゼルエンジンなども、当然にこの規則が適用されない。

1 2 3 4 5
エンジン系列名 排気量(100cc未満は四捨五入) バルブ機構 燃料供給方式 過給器

1 エンジンのシリーズ名をアルファベット1~2文字で記す。80年代の前半までは1文字のものが多かったが、現在はすべて2文字である。

  • オースチンBMC)「Aタイプ」をコピーした「A」(部品レベルの完全なコピー)
  • メルセデス・ベンツロッカーアーム(locker arm)式OHCのコピーで「L」
  • もと「プリンス自動車」の「G」系はそのまま「G」
  • ツインプラグで「究極」の排ガス対策と言う意味の「Z」
  • エコノミカルの「E」
  • マーチ/マイクラ用の「MA」
  • スモールディーゼルの「SD」

など、分かりやすいネーミングが多い。また、慣例的にV型エンジンには「V」(かつてのV型8気筒 「Y」型を除く)、ディーゼルエンジンには「D」が使われている。また1980年代後半以降に開発された比較的新しい直列4気筒ガソリンエンジンは「○R」とつけられる傾向がある。

2 1960年代以前は開発順に番号が付けられていたが、それ以降は排気量の100cc未満を四捨五入し、100で割った値。呼び排気量が1000ccに満たない場合は、頭に0をつける(例 MA09)。ただし、CG13の後継でCGA3DEとなった例外もある。

車検証の原動機型式欄に記載されるのはここまで。なお、3 - 5はVQxxHR系(VQ25DEに対するHigh Revolutions(高回転仕様)から取られている)のように例外も存在する。

3 無印の場合はSOHCまたはOHV、「D」とついている場合はDOHC、「V」がついている場合はNEO VVLもしくはVVEL(可変バルブリフトタイミング)である。ただし、FJ系は全機種DOHCであるため空欄となっている。

4 無印の場合はキャブレター、「S」の場合は電子制御キャブレター(ガソリン車)、「i」はシングルポイントインジェクション、「E」は電子制御式燃料噴射装置(ガソリン車:EGI マルチポイント インジェクション、ディーゼル車:EDI 電子制御機械式噴射燃料ポンプ)、「P」はLPGエンジン、「N」はCNGエンジンを表す。「D」はガソリン、ディーゼルともに「NEO Di」(ガソリンのみ「DIG」と呼ばれるエンジンもある)と呼ばれる直噴エンジンであるが、ディーゼルの場合、通常のインジェクターと、ユニットインジェクター(UI)、コモンレール式のソレノイドインジェクターの区別はない。

5 無印の場合はNA(自然吸気)、「T」が1つの場合はシングルターボ、「TT」の場合はツインターボ。「R」はスーパーチャージャー付き、さらに、スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせたツインチャージャーは「RT」となる。
ディーゼルエンジンでインタークーラー付きの場合は、後に「i」がつく(ただし、ガソリン車にインタークーラー付きターボエンジンがなかったわけではなく、CA18DETやFJ20ETにはインタークーラー付きとインタークーラーなしがあるが、エンジン型式での区別はされていない)。

実例

A10

A 10 なし なし なし
Aシリーズ 1000cc OHV キャブレター 自然吸気

CA18i

CA 18 なし i なし
CAシリーズ 1800cc SOHC シングルポイントインジェクション 自然吸気

SR20VET

SR 20 V E T
SRシリーズ 2000cc NEO VVL EGI マルチポイントインジェクション シングルターボ

VQ23DE

VQ 23 D E なし
VQシリーズ 2300cc DOHC EGI マルチポイントインジェクション 自然吸気

YD25DDTi

YD 25 D D Ti
YDシリーズ 2500cc DOHC NEO Di インタークーラー付ターボ

VK56VD

VK 56 V D なし
VKシリーズ 5600cc VVEL DIG 自然吸気

RB26DETT

RB 26 D E TT
RBシリーズ 2600cc DOHC EGI マルチポイントインジェクション ツインターボ

HR12DDR

HR 12 D D R
HRシリーズ 1200cc DOHC DIG スーパーチャージャー

日産車のエンジン用語解説

日産自動車のネーミングは、軽快感やさわやかなネーミングが多いライバルのトヨタ自動車とは正反対に、やや誇大で硬いネーミングが多いのが特徴であり、トヨタ自動車の広告を担当している電通と日産自動車の広告を担当している博報堂の戦略の違いとも言われる。

  • NAPS「ナップス」
(Nissan-Anti-Pollution-System) の頭文字を取った、低公害車をアピールする造語白金ペレット酸化触媒(昭和53年規制適合車は三元触媒)を主とした排出ガス浄化システムで、昭和50年昭和51年と、初期の昭和53年自動車排出ガス規制適合車に使用。
(Powerful&Econonomic-Lightweight-Accurate-Silent-Mighty-Advanced) の頭文字を取った造語。
日産の新世紀エンジン・シリーズの愛称。トヨタのLASRE(レーザー)エンジンに対抗するために付けられた。
日産における新開発エンジンの総称で小型・軽量・高性能・低燃費・静粛性と耐久性など全ての要素を高次元で調和させた新世紀エンジンの意向での(当時の)高性能エンジンシリーズであった。
PLASMAは(当時の)先進のテクノロジーと最新のエレクトロニクスを駆使した日産のエンジンにあたえられた称号であった。
  • NEO
(Nissan Ecology Oriented performance)の頭文字を取り、英語の接頭辞で「新しい」という意味のneoともかけている。
1990年代後半以降に登場したエンジンにはこの称号が与えられた。「日産(Nissan)が提案する、環境を大切にしながら(Ecology Oriented)、かつ卓越した走り(Performance)を実現する次世代の新しい(NEO)エンジンシリーズ」である。
「NEOストレート6」(この時期に設計を一新したRB系エンジン)、「NEO Di」(直噴エンジン)、「NEO VVL」(可変バルブ機構)といったバリエーションがある。
この称号が与えられたエンジンは、エンジン形式の後ろに(NEO)が付く。
(Electronic-Gasoline-Injection) の頭文字を取った造語。
日本車では初採用の電子制御燃料噴射装置。ただしこの英文自体和製英語である(Electronic-Fuel-Injection がより正確だがこの短縮形EFIは日本ではトヨタの登録商標になっており、トヨタ及びダイハツのみが使用できる)。
電子制御燃料噴射装置の名称は登録商標化したため各社毎に異なる名称だが、日産が採用した当時、グループ企業だった富士重工は共用が認められている。
  • NISSAN ECCS「エックス」システム
(Electronic-Conetrated-Engine-Control-System) の頭文字を取った造語。
電子式エンジン集中制御システムのことで一つのマイクロコンピュータによりエンジンのあらゆる運転状態に応じ燃料噴射量、排出ガス還元量、アイドル回転数、フェールポンプ制御などを常に最適にコントロールし、燃費の向上や排出ガスの浄化、運転性の向上を実現させている。
ECCSのエンジン制御は、あらかじめコントロールユニットに多くの運転状態における最適制御値を記憶させ、その時々の状態をセンサーで検出し、その入力信号により、コントロールユニットが記憶しているデータの中から最適値を選出し、アクチュエータに出力し、制御する。
世界初の電子制御ユニットであり、日産ECCSが現在のECUの元祖である。当時の月間自家用車誌によれば、VW社から技術供与を求める依頼があったとされる。
  • NISSAN NVCSシステム
(Nissan-Valve-Timing-Control-System) の頭文字を取った造語。
日産自動車のエンジンに搭載される位相可変型可変バルブタイミング機構
量産車では世界初の可変バルブタイミング機構。バルブタイミングは2段切り替え式。
現在は連続可変のCVTC(油圧式と電磁式)に発展している。
  • NISSAN VVELシステム
(Variable-Valve-Event-andLift-system) の頭文字を取った造語。
バルブの作動角とリフト量を連続的に可変制御する機構。
BMW社が世界に先駆けて開発したVANOSと組み合わせたバルブトロニックと同じ効果がある。
BMW社のバルブトロニックに対し、リターンスプリングを持たないリンク機構のみであるため、フリクションが小さく可変領域が大きい。また高回転での作動が安定していることも特徴。
専用オイルとの組み合わせにより従来のコーティングと比較して、部品間のフリクションを約40%低減する。
2008年時点ではバルブリフターにのみ採用されているが、先進技術発表会などで、将来的にはピストンリングやピストンピンなどへの採用も公表されている。
2011年欧州市場のマイクラ(日本名:マーチ)に採用されたHR12DDRエンジンではリフターに加えピストンリングにも水素フリーDLCが使われている。同エンジンは日本市場では2012年よりノートに搭載されている。
  • DIG
(Direct Injection Gasoline)の略。
日産では、一時期大排気量車を中心に、省燃費化に有利なガソリン直噴エンジンを積極的に採用していたが、さらなる窒素酸化物の削減が盛り込まれた排出ガス規制の改訂により、通常のポート噴射式に戻され、ラインナップから一時ガソリン直噴エンジンが姿を消していた。
2010年に発売されたインフィニティM56のVK56VDは久々のガソリン直噴エンジンとなったが、かつての「NEO Di」ではなく、新たなネーミングとして「DIG」が採用された。
「DIG TURBO」(ターボチャージャー搭載)「DIG-S」(ルーツ式スーパーチャージャー搭載)「VVEL DIG」(VVELと組み合わせる)といったバリエーションがあり、、一部車種にはエンブレムが装着される。
  • PURE DRIVE(ピュアドライブ)
日産の「エンジン進化型エコカー」の総称で、アイドリングストップシステム、ハイブリッドシステムなど既存のガソリン車のエンジンに付加する技術で燃費を向上している。クリーンディーゼル車も含まれる。
これらの技術を搭載した車種には「PURE DRIVE」エンブレムが装着されるが、ハイブリッド車には「HYBRID」、スマートシンプルハイブリッド車には「S-HYBRID」、エコスーパーチャージャー搭載車には「DIG-S」、クリーンディーゼル車には「dCi」が追加されたものが装着される。

日産の車両型式

C10型系スカイラインGT-Rのモデルプレート
この書式のプレートは140型系ジュニアの生産が終了する1983年まで使用された

1970年代までに開発された車種には3桁の数字が割り当てられ、モデルチェンジのたびに百の位を増やしていった。各型系初代の百位は「0」で、表記されないため2桁となる。車種の増加に伴い数字の重複が起こり、識別のためアルファベット1文字が付与される場合があった。

同一型系で、エンジン型式や排ガス規制年度に変更があり、新たに型式指定を受けた場合は一の位を増やしていく。

  • 型系記号

モデルチェンジした際に最初のアルファベットが変わることがある(例:スカイラインは5代目まで「C」、6代目から10代目まで「R」、11代目以降は「V」と変化している。ただし、「R」代までシャシを共用するローレルは最後まで「C」であった)。

  • 特徴記号
  • エンジン識別記号
    • 無印 - 基準排気量
    • P - 排気量拡大版、または高性能版
    • H - 「P」よりも排気量の大きいもの、または高性能なもの

型式10位の数字

  • ダットサン
    • 1 - 小型乗用(小排気量) - スカイラインは本来「3」だが、政治的な理由で小型扱いとなった。S30 型系フェアレディZのみ 2.4 - 2.8L エンジンの設定があり「3」。
    • 2 - 小型貨物(小排気量) - セレナはバネットコーチ時代の名残で「2」。
  • ニッサン
    • 3 - 小型・普通乗用(中排気量) - S30 型系フェアレディZのみはダットサン。
    • 4 - 小型・普通貨物(中排気量) - エコー / シビリアンキャブオールシャシのため「4」。
    • 5 - 普通乗用(大排気量)
    • 6 - 普通商用(大排気量) - サファリには乗用登録モデル(3ナンバー)あり。
    • 7 - 大型乗用車(戦前) - ニッサン・乗用車、中型貨物(戦後) - キャリアー
    • 8 - 大型貨物 - 日デとの提携後、780型系を最後に廃止(1976年)。3.5t積トラック(C80型)
    • 9 - 大型バス - 同じく690型系を最後に廃止(1972年)。トラックシャシ流用の場合は「8」。

基本的には奇数が乗用系、偶数が貨物およびバス等業務系になっている なお、型式10位の付番法則は現在でも踏襲されている。

C31ローレル以降はアルファベット1文字に2桁の数字を合わせ、モデルチェンジの度に一の位を変えることになった。そのため、同一車種でエンジン・車体形状などの変更、シャーシを共有した異なる車種の場合は、型式名の前(排ガス記号ハイフンの後)にアルファベットが加えられている。これは車両によってバラバラだが、下記の仕様については共通のアルファベットが割り当てられる。

現行のルールが制定されてから初めてモデルチェンジした際に、上記のアルファベットがない車種はアルファベットを新しく定めた上で一の位を「0」(ブルーバードは「1」)からふりなおした。アルファベットがある車種はそれをそのまま使い「1」からふっている(サニー:B11 - 、ローレル:C31 - 、キャラバン / ホーミー:初代が「E22」のため、E23 - )が、スカイラインは「R」に変えて0から(R30)、フェアレディZは「Z」に変えて1から(Z31)ふっている。

現行のルール制定後に登場した新規車種は原則として「0」から始まるようになっているが、ティアナ(J31)やティーダ(C11)、ノート(E11)のように既に使用された型式と重複する場合は「1」から振ることもある(前車はJ30型マキシマ、中車はC10型スカイライン、後車はE10型チェリーが存在したため)。また、レアケースとしてジューク(型式:F15)やマツダからOEM供給を受けるラフェスタハイウェイスター(社内型式:B35)のように「5」からスタートしている車種もある(前者は過去にF10、F11が2代目チェリーとして存在し、後者は初代・B30型と区別するため)。

マツダ・ボンゴOEMに切り替えられたバネットは、3代目を「S20」(マツダ型式SS/SE)、4代目を「S21」(同SK)とする日産独自の社内呼称が与えられ、小型貨物としての「2」が受け継がれている。

軽自動車については、ベース車両(共同開発の場合は製造元の車両)に準じた型式のほかに社内型式が設定されるが(車検証に記載されるのは前者)、前者はベース車両のアルファベット(スズキ製)もしくは数字(三菱製)の一部分が変わり、後者は「○(この部分にはアルファベットが入る)A0」からスタートして○A1、○A2・・・といった具合にモデルチェンジごとに数字部分が増えていく。例として、ベース車両であるスズキ・MRワゴン(初代)の「MF21S」に対してモコは「MG21S」ならびに社内型式「SA0」、MRワゴン(2代目)の「MF22S」に対してモコは「MG22S」ならびに社内型式「SA1」、MRワゴン(3代目)の「MF33S」に対してモコは「MG33S」ならびに社内型式「SA2」・・・という具合である。共同開発の場合も日産自体が生産していない限りは同様の法則で、製造元の三菱・eK(3代目)と三菱・eKスペースの「B11W」「B11A」に対してデイズデイズルークスは「B21W」「B21A」ならびに社内型式「AA0」「BA0」・・・となる。

ただし、電気自動車であるリーフに限っては登録車でありながら上述の法則からはやや外れ、軽自動車の社内呼称型式に似た「ZE0」(=Zero Emission 0)が与えられている。

モータースポーツ

生産拠点

現在の生産拠点

かつて存在した生産拠点

ブランド

  • 「日産」ブランド(現行)
  • インフィニティ」ブランド(現行) - 1989年、北米で設立。
  • ダットサン」ブランド(現行) - 日本では1981年以降、順次「日産」ブランドに変更。2014年から新興国向け低価格ブランドとして展開[12]
    • プリンス」ブランド(停止) - 1966年8月1日に日産自動車との合併以降、順次「日産」ブランドに変更。

販売会社

かつて存在した販売店

日本国外の事業所および販売

東アジア
  • 日産自動車台湾(台北)事業所 (NISSAN/YULOONG)
  • 日産自動車北京事業所
  • 日産自動車香港事業所 (HONEST MOTOR LTD)
  • 日産自動車上海事業所
  • 日産自動車大連事業所
  • 日産汽車(中国)有限公司 (NISSAN/INFINITI/RENAUT/DONGFENG)
  • 韓国日産 (한국닛산:NISSAN/INFINITI/RENAUT/SAMSUNG)
  • 日産自動車ソウル事業所(닛산자동차서울사업소)
  • 日産自動車釜山事業所(닛산자동차부산사업소)
東南アジア
  • 日産モータースマレーシアBHD (NISSAN MOTORS MALAYSIA BHD)
  • 日産自動車クアラルンプール事業所
  • 日産自動車コタキナバル事業所
  • 日産自動車シンガポール事業所 (NISSAN MOTOR SINGAPORE PTE.LTD)
  • タンチョンモーターPTE.LTD(シンガポール)
  • ニッサンモーターフィリピンズ (NISSAN MOTOR PHILIPPINES INC)
  • 日産自動車バンコク事業所
  • 日産自動車タイランドリミテッド
  • 日産自動車ジャカルタ事業所
  • PT.日産モータースインドネシア (PT.NISSAN MOTORS INDONESIA)
南アジア
  • 日産自動車インディアリミテッド (NISSAN MOTOR INDIA LIMITED)
  • 日産自動車ムンバイ事業所
  • 日産自動車カラチ事業所
  • 日産自動車イスラマバード事業所
  • 日産自動車パキスタン
オセアニア
  • 日産自動車シドニー事業所
  • 日産自動車メルボルン事業所
  • 豪州日産自動車 (NISSAN MOTOR AUSTRALIA PTY)
  • 日産自動車オークランド事業所
  • 日産ニュージーランドリミテッド (NISSAN MOTOR NEW ZEALAND LIMITED)
北アメリカ
  • 日産自動車ホノルル事業所
  • 日産自動車シアトル事業所
  • 日産自動車サンフランシスコ事業所
  • 日産自動車ロサンゼルス事業所
  • 日産自動車ニューヨーク事業所
  • 日産自動車バンクーバー事業所
  • 日産自動車トロント事業所
  • 日産自動車モントリオール事業所
  • 日産ノースアメリカINC(INFINITI/NISSAN)
ラテンアメリカ
  • 日産自動車サントドミンゴ事業所
  • 日産セルビシオ・デ・ドミニカーナ (NISSAN SERVICIO DE DOMINICANA)
  • ルノードミニカーナS.A.
  • 日産自動車サンパウロ事業所
  • 日産ブラジルLTDA (NISSAN/RENAUT)
  • ルノーアルゼンチィーナS.A.
  • 日産自動車ブエノスアイレス事業所
  • 日産モートル・デ・アルゼンティーナS.A. (NISSAN MOTOR DE ARGENTINA S.A.)
  • 日産自動車リマ事業所
  • 日産モートル・デ・ペルーS.A. (NISSAN MOTOR DE PERU S.A.)
  • 日産自動車メキシコシティ事業所
  • 日産メキシカーナS.A. (NISSAN MOTOR DE MEXICANA S.A. deC.V)
  • ルノー・メキシカーナS.A.
  • 日産自動車サンチアゴ事業所 (NISSAN MOTOR SERVICIO DE CHILE)
  • 日産丸紅セルビシオ・デ・チリS.A. (現地丸紅との共同出資:NISSAN MARUBENI SERVICIO DE CHILE)
  • シデフ社(チリ:日産車正規ディーラー)
  • 日産セルビシオ・デ・コロンビアS.A.
  • 日産自動車ボゴタ事業所
  • 日産セルビシオ・デ・エクアドルS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・ベネズエラS.A.
  • 日産セルビシオ・デ・パラグアイS.A.
ヨーロッパ
  • 欧州日産自動車エヌヴィ(NISSAN MOTOR EUROPE N.V.)
  • 日産自動車モスクワ事業所
  • 日産ロシアエヌヴィ (NISSAN RUSSIA N.V.)
  • 日産ジャーマンGmBH (NISSAN GERMAN GmBH)
  • 日産自動車フランクフルト事業所
  • 日産自動車ミュンヘン事業所
  • 日産フランスS.A. (NISSAN DE FRANCE S.A.)
  • 日産自動車パリ事業所
  • 日産自動車ローマ事業所
  • 日産自動車ブリュッセル事業所
  • 日産自動車アテネ事業所
  • 日産自動車マドリード事業所
  • 日産自動車コペンハーゲン事業所
  • 日産自動車ヘルシンキ事業所
  • 日産自動車マンチェスター事業所
  • 日産自動車ロンドン事業所
中東・アフリカ
  • 日産自動車ドバイ事業所
  • 日産自動車アブダビ事業所
  • 日産セールス・オブ・ミドルイースト(NISSAN/INFINITI/RENAUT)
  • 日産自動車ジェッダ事業所
  • 日産自動車ドーハ事業所
  • 日産サウスアフリカLTD
  • 日産自動車ヨハネスブルク事業所
  • 日産自動車テヘラン事業所
  • 日産自動車ケニア事業所
  • 日産自動車カイロ事業所

関連企業・団体

脚注

  1. ^ http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110127-OYT1T01079.htm 「日産、ホンダ抜く…自動車世界販売台数」読売新聞 2011年1月28日
  2. ^ 現在ではホンダ、スズキ、ダイハツとの販売台数差が少なく、月単位では国内シェア第5位となる時がある。
  3. ^ 三井不/旧日産本社ビル改修(東京都中央区)/鹿島で着手、本社機能の一部移転(2014年8月5日4面。2014年9月6日閲覧)
  4. ^ 自動車工業株式会社東京瓦斯電気工業と合併し、東京自動車工業を経てヂーゼル自動車工業となる。その後、日野重工業(後の日野自動車)が分社、戦後ヂーゼル自動車工業はいすゞ自動車となる。
  5. ^ 東京自動車工業の設立は、商工省の意向による軍用保護自動車および商工省標準車いすゞの生産を主体としたものであり、ダットサンの如く小型車製造はその対象外であった。
  6. ^ 自動車製造株式会社は日産の源流であり、自動車工業株式会社と名前は似ているが別会社である。
  7. ^ 日産と三菱ふそう、OEM 供給で基本合意 - 日産自動車ニュースリリース(2012年6月29日)
  8. ^ 日産自動車、スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意 - 日産自動車プレスリリース 2013年8月29日
  9. ^ 従って、マルティーニとロゴマークが似通っているのは偶然でしかなく、日産とは何の関係もない。
  10. ^ 下記「車両形式」欄にあるC10型系スカイラインGT-Rのメーカーズプレートの写真を参照のこと。
  11. ^ 「SHIFT_」はR35型GT-RのSHIFTワードとして使われた( - 2008年11月)。
  12. ^ 日産、復活「ダットサン」デザイン世界初公開!新興国共通ブランド投入で巻き返し - ダイヤモンドオンライン(2013年7月4日)

関連項目

技術関連

モータースポーツ関連

広告関連

冠大会

その他

外部リンク