日産・プリメーラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日産・プリメーラ (PRIMERA) は、日産自動車が生産していた乗用車である。かつては日欧両地域で生産・販売されていたが、日本では2005年に生産・販売が終了している。
目次 |
[編集] 概要
ボディタイプはセダン、ステーションワゴン、5ドアハッチバックの3種類を持つ。日本市場ではミドルクラスに、欧州市場ではDセグメントに属し、一貫して欧州車を強く意識した卓越したハンドリング性能と洗練されたスタイリングを特徴としている。
[編集] 歴史
[編集] 初代 P10型(1990年-1995年)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 1990年2月、世界戦略車としてリリースされていたオースター/スタンザと日産自動車がライセンス生産し、サニー店(発売当初より)とプリンス店(1987年4月より)で取り扱っていたフォルクスワーゲン・サンタナの後継車種として、B13型サニーのプラットフォームをベースとして登場し、日欧両市場に投入された。
- ほぼ同時期に発表された日本国内専売車のプレセアとは対照的に、スタイリング、動的性能両面で欧州車を強く意識して開発された。901運動から生まれたフロント・マルチリンク式サスペンションによるハンドリングの評価は特に高く、発表当時には「欧州車を超えた」とすら評された。また、「プリメーラパッケージ」と称したその居住性は、コンパクトな車体ながら室内は当時のクラス最大級の広さを誇るものであり、スタイリングも居住性と空力性能をバランスよく両立させ且つ機能的で洗練されたもので、低全高で居住性に劣るハードトップ車が主流であった1990年代当時の日本市場では異色の存在であった。
-
- 日本市場ではバブル崩壊に伴うユーザーのベーシック志向への回帰と相まって、モデル末期まで堅調な販売実績を誇った。一方で、当時の日本のミドルクラスのファミリーセダンとしては足回りが固く、乗り心地には若干の難があった(ただし、1992年9月のマイナーチェンジ以降からダンパー、ブッシュ等のセッティングを見直しある程度乗り心地を改善させている)が、欧州車の足回りに近いと好意的に解釈されることも多かった。また、欧州車と対等に渡り合える初の日本車として、欧州車から乗り換えるユーザーも見られた。欧州市場でも、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は日本車としては異例なほど高かった。北米市場にもインフィニティチャンネルからインフィニティ・G20として投入された。
年表(※特記以外、日本国内での出来事)
- 1989年10月 第28回東京モーターショーにコンセプトカー「PRIMERA-X」を出品。尚、この車両はフランクフルトショーにおいては「UV-X」として出品された。
- 1990年2月 スタンザ/オースターの後継車種としてデビュー。
- 1990年7月 北米でインフィニティ・G20を発表。
- 1990年秋 英国サンダーランド工場で現地生産開始。
- 1990年10月 SR20DE型エンジン搭載モデルに4WD車を追加。
- 1991年5月 ヨーロッパ各賞受賞記念車として「Te-r」を7月までの期間限定で発売。
- 1991年10月 英国生産の5ドアハッチバックが日本へ輸入開始。4ドアセダン一部改良。安全装備として前後サイドドアビームの追加やハイマウントストップランプの標準化など。
- 1992年9月 4ドアセダンがマイナーチェンジ、1800ccエンジンがEGI化され、SR18Di型からSR18DE型に変更。(110PS→125PS) 2000cc車に電子制御ATを採用。2000ccの一部グレードにフルフレックスショックアブソーバーの採用。フロントターンシグナルランプのアンバー色化、ライセンスプレート取付面の黒色化など外装に若干の変更を受ける。内装はブラウンとブルーが廃止され、オフブラックに統一される。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。従来は4WD車のみに設定されていたトランクスルー、リアアームレスト、リアヘッドレストを2WDの一部グレードに拡大採用。Tm、CiグレードにLセレクション仕様車の追加。運転席エアバッグをOP設定など。
- 1993年1月 日産自動車60周年記念限定車としてCi-Sを発売。
- 1993年5月 エアコンを新冷媒に変更。可変コンプレッサーの廃止。60周年記念限定車として、Ci-S2、Tm-Fを発売。
- 1993年8月 一部改良。サイドシル部分のブラックアウト塗装の廃止など。
- 1993年11月 60周年記念限定車として、Ci-S3、Tm-F2を発売。
- 1994年1月 Ciクルーズ、Tmクルーズを発売。
- 1994年2月 5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。エアコンを新冷媒に変更。一部装備の簡略化。ハイマウントストップランプ、電子制御AT、EGIを採用。助手席パワーウインドウスイッチをドアにも設置。運転席エアバッグをOP設定など。
- 1994年9月 4ドアセダンがマイナーチェンジ。全車、ホイールを14インチ化。運転席エアバッグを標準装備。助手席エアバッグをOP設定。内外装を一部コストダウン。灰皿照明、グローブボックス照明、パワーウインドウ照明を廃止。オーテックバージョンと同仕様のスポーツスポイラーをTeにOP設定。Tm-Sセレクション、Ciクルーズ仕様車の追加。5ドアハッチバックの運転席エアバッグOP設定を廃止など。
- 1994年11月 オーテックジャパンより「オーテックバージョン」発売。
- 1995年1月 5ドアハッチバックがマイナーチェンジ。灰皿照明、グローブボックス照明、フロントパワーウインドウ照明を廃止。運転席エアバッグを標準装備。eGTの助手席にシートバックポケットを装備。5ドアハッチバック2.0SLX、4ドアセダン1.8SVが追加。
- 1995年6月 円高差益還元で5ドアハッチバックの価格を10万円値下げ。
[編集] 2代目 P11型(1995年-2001年)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 1995年9月 初のフルモデルチェンジを受け、P11型に移行。初代はB13型サニーベースであったが、2代目ではU14型ブルーバードと基本コンポーネンツを共用する[2]こととなった。
- ボディタイプは日本のデビュー当初4ドアセダンのみ。グリル等を変更したサニー店向け姉妹車「プリメーラカミノ」も同時に登場、欧州では5ドアハッチバックもラインナップされ、一部が日本にも輸入された。また、1997年にはワゴンモデルも追加された。プリメーラカミノはやや高級感を強めたフロントフェイスとなっている。
- 初代に引き続き、欧州へは「プリメーラ」として英国サンダーランド工場生産車が供給された。また、北米市場へは「インフィニティ・G20」としてプリメーラカミノフェイスのモデルが投入された。
- 初代の成功を踏まえ、基本的にはキープコンセプトでのモデルチェンジとなった。初代の弱点の1つであった固めたサスペンションによる乗り心地の悪さは、2代目では若干ソフトな方向に変更された。新開発の車軸懸架・マルチリンクビーム式リアサスペンションが採用されたこともあり、乗り心地は大幅に改善されたものの、「硬いがよく動く」という欧州車的な乗り味を求めるユーザーには不評を買うこととなった。とはいえ当時の日本車の水準と比較すれば「しっかりした足」は健在であると言える。
- 日本仕様車の場合、エンジンやトランスミッションは初代からのキャリーオーバーであるが、エンジンは1800cc、2000cc共に若干リファインされて搭載されている。2代目プリメーラは、日本国内でセダン離れ(特に1800cc~2000ccのミドルクラス・ファミリーセダン)の兆候が見え始めたことやライバル車種が増えたこと、日産自身の経営危機などの要因から、初代ほどの成功を収めるには至らなかった。
年表(※特記以外、日本国内での出来事)
- 1995年9月 フルモデルチェンジ。姉妹車プリメーラカミノも同時に登場。
- 1996年8月 デュアルエアバッグとABSが全車標準装備となる。
- 1997年2月 英国生産の5ドアハッチバック(プリメーラUK)を日本で発売
- 1997年9月 マイナーチェンジ。プリメーラワゴン/カミノワゴンが登場。可変バルブタイミング機構を備え、190PSを発揮する可変バルブ機能「NEO VVL」採用のSR20VE型エンジンとHyper CVTを組み合わせたスポーツモデル「Te-V」がラインナップに加わる。
- 1998年4月 ニューヨーク・オートショーにて、カミノをベースとする2代目「インフィニティ・G20」を発表。
- 1998年9月 QG18DD型直噴エンジン搭載車を設定。これに伴い1800cc標準モデルのエンジンがこれまでのSR18DEからQG18DEに差し替えとなる。
- 1998年9月 同月、日産サウスアフリカ会社(南アフリカ)にてノックダウン生産を開始し、10月より南アフリカで発売開始。部品供給は英国から受けていた。
- 1999年4月 日産販売店の再編により、プリメーラを扱うプリンス店、プリメーラカミノを扱うサニー店の取扱車種が共通化されたため、プリメーラカミノはモデル廃止され、プリメーラに一本化された。
- 欧州仕様モデル(英国日産・サンダーランド工場製)は日本向けがP12系に切り替わった2001年まで、2000年にフェイスリフトを受けたP11-144型を生産・販売していた。
[編集] 3代目 P12型(2001年-2008年)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 2001年1月30日、フルモデルチェンジ、3ナンバーの専用ボディとなる。初代、2代目に引き続き日欧をメイン市場として開発された。ボディタイプは4ドアセダンとワゴン、5ドアハッチバック(欧州のみ)と変化はない。ただし、3代目では英国製ハッチバックモデルの日本への輸入は行われていない。また、初代・2代目はG20として北米市場で販売されていたが、後継車のG35セダン(日本名・スカイライン)が発売されたのに伴い、北米市場からは撤退することとなった。
- デビュー直後の日本仕様車では、2500cc直噴と2000ccのQR型エンジンにそれぞれHyper CVTと4速ATが組み合わされていた。欧州仕様車には2200ccのYD22DTI型、1800ccのルノー製F9Q型のターボディーゼルエンジンが搭載されているほか、廉価機種には1600ccガソリンエンジンも存在する。
- 3代目を最も特徴付けるのはその先進的なデザインである。セダンは欧州のデザインスタジオの手によるもので、前進させたカウルと極めて短いリアデッキをアーチ型のラインで結んだモノフォルムに近い造形が特徴である。5ドアハッチバックでは更にモノフォルム感が強調されている。特にセダンのスタイリングに対する専門家筋の評価は高く、経済産業省グッドデザイン賞「金賞」やドイツ・レッドドットデザイン賞など、数々のデザイン賞を獲得している。しかし、先進的なスタイルの代償として、前後見切りは「極めて」悪い。
- その一方、プリメーラのアイデンティティの一つとも言える動的性能面では特筆すべきトピックは少ない。前期モデルでは可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付きのSR20VE型エンジン+6速MT搭載のスポーツモデルの20Vも追加発売されたが、マイナーチェンジを機に消滅した。この20Vは堺自動車教習所と富田林モータースクール(共に日産プリンス系)で、珍しくスポーツセダンベースの教習車として使われている。
また、ボディの3ナンバー化やセンターメーターの採用も、初代・2代目で培ってきたスポーツセダン/ワゴンとしてのプリメーラのイメージや性格を大幅に薄めてしまう結果となり、日本市場では既存のユーザーの支持を集めることができなかった。折からのセダン・ワゴン離れの傾向と同じ3ナンバーV6エンジンのティアナ登場も追い討ちをかけ、4気筒エンジンを搭載する性格が中途半端な3代目プリメーラは日本市場では商業的に失敗に終わった。
- 2005年12月、ブルーバードシルフィがモデルチェンジし、従来より1クラス上のミドルクラスセダンに格上げされたことにより、プリメーラの日本国内での生産・販売が中止されることとなった[3]。
年表(※特記以外、日本国内での出来事)
- 2001年1月30日 フルモデルチェンジ。新車発表は東京都現代美術館で行われた。4WDモデルはワゴンのみ先行発売。オーテックジャパンから運転補助装置を持つモデル「アンシャンテ」も同時発売された。目標月販台数はセダン2,000台、ワゴン3,000台。
- 2001年8月28日 セダン/ワゴンに可変バルブタイミング機構「NEO VVL」付SR20VE型エンジン+6速MTを搭載したモデル、「20V/W20V」をそれぞれ追加。セダンに4WD車が加わる。
- 2001年10月 経済産業省グッドデザイン賞「金賞」受賞(セダン)。
- 2001年12月 ボディカラーの「ルミナスレッド(ワゴン)」「シリカブレス(セダン)」が2002年度オートカラーアウォードの審査委員特別賞と技術部門賞をそれぞれ受賞。
- 2001年12月19日 オーテックジャパンからワゴン「ライダー」を追加。
- 2002年2月6日 セダンにQG18DE型エンジンを搭載する廉価モデル「18C」を追加。
- 2002年3月 英国生産開始。
- 2002年5月27日 セダン/ワゴンを一部改良。
- 2002年7月2日 ドイツ・レッドドットデザイン賞を受賞。
- 2003年7月8日 セダン/ワゴンをマイナーチェンジ。内外装デザインの一部変更、仕様・装備の見直しが行われた。スポーツモデルの「20V/W20V」が消滅。
- 2005年12月 日本国内での販売を終了しラインナップから消滅。
- 尚、欧州では引き続き、英国日産サンダーランド工場にて生産・販売を継続した。
- 2007年 ドイツでの販売を終了。
- 2008年 生産・販売終了予定。(en:Nissan Primera)
[編集] 車名の由来
- 「第一級の、最高級の」という意のスペイン語に由来する。
[編集] キャッチコピー・CM
この車は1~3代目を通してCMキャラクターが無く、あまり印象に残るものではなかったが、欧州車に対抗できる性能を持つ車種であることをアピールするためか、一貫して外国人を起用していた共通点があった。3代目は運転補助装置を操っている西洋人がモチーフとされていた。
[編集] 初代
- コンフォート・パッケージセダン
[編集] 2代目
- フル・パフォーマンス・パッケージセダン(セダン)
- サスが、プリメーラ(セダン)
- Air(カミノ)
- 英国生まれの5ドア (UK)
- Primera DRIVING WAGON(ワゴン)
[編集] 3代目
- ITドライビング、はじまる。(セダン、ワゴン)
- CMソングには、セルジオ・メンデスの「マシュ・ケ・ナダ」、モービーの「ポルセリン」、ブライアン・フェリーの「ドント・ストップ・ザ・ダンス」を採用。
- 新たに3つの機能を搭載(セダン)
- PRIVATE PRIMERA(セダン)
[編集] モータースポーツ
[編集] 初代(P10型)
- 1993年 英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にヤン・レーシングから2台がシーズン通して参戦。メインスポンサーはカストロール、ボディカラーはブラック、タイヤはヨコハマタイヤ。ドライバーはキース・オードアとウィン・パーシーだった。
- 1994年 英国ツーリングカー選手権 (BTCC) にヤン・レーシングから3台がシーズン通して参戦。メインスポンサーはオールドスパイス、ボディカラーはレッド、タイヤはダンロップ。ドライバーは元F1ドライバーのエリック・ヴァン・デ・ポール、キース・オードア、ティフ・ニーデルの3人だった。
- 同年から始まった全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にNISMOからエントリーの2台がシーズン開幕からフル参戦。カストロール・プリメーラ(ボディカラーはグリーン)を長谷見昌弘が、カルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。タイヤは2台ともブリヂストン。
- 1995年 全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にNISMOからエントリーの2台が引き続きフル参戦。ユニシアジェックス・プリメーラ(ボディカラーはホワイト/オレンジ)を長谷見昌弘が、カルソニック・プリメーラ(ボディカラーはブルー)を星野一義がそれぞれドライブした。タイヤは2台ともブリヂストン。
- 1995年11月 富士スピードウェイで行われた最終戦インターTECにてカルソニック・プリメーラがラウンド15で2位。ラウンド16で優勝した。
- この年、BTCCへの参戦は一時休止し、代わりにドイツツーリングカー選手権(クラス2ツーリングのSTW