日出英輔
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日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月19日 - 2012年(平成24年)1月15日)は、日本の政治家。正四位。参議院議員(1期)。宮城県生まれ。
来歴
[編集]気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学法学部卒。1964年 農林省に入省。1994年 農林水産省農蚕園芸局長に就任。農林漁業金融公庫理事を経て、1998年 参議院議員に立候補し、当選。2002年 外務大臣政務官に就任。しかし2004年の参議院議員選挙で落選。 2012年1月15日に胆嚢がんのため死去[1]。
略歴
[編集]- 1963年(昭和38年)9月23日、国家公務員採用上級(甲種)試験法律職合格[2]。
- 1964年(昭和39年)4月、農林省入省。
- 1978年(昭和53年)、渡辺美智雄農水相の元で大臣秘書官を務める。
- 1979年(昭和54年)12月1日、農林水産省畜産局流通飼料課長[3]。
- 1982年(昭和57年)6月10日、農林水産省構造改善局農政部管理課長[4]。
- 1984年(昭和59年)7月6日、農林水産省農蚕園芸局企画課長[5]。
- 1985年(昭和60年)8月5日、食糧庁管理部企画課長[6]。
- 1988年(昭和63年)8月10日、農林水産省大臣官房文書課長[7]。
- 1990年(平成2年)4月16日、農林水産省大臣官房企画室長[8]。
- 1991年(平成3年)5月1日、農林水産省構造改善局農政部長[9]。
- 1992年(平成4年)7月21日、農林水産省大臣官房総務審議官[10]。
- 1994年(平成6年)2月16日、農林水産省農蚕園芸局長[11]。
- 1996年(平成8年)1月10日、農林水産省農産園芸局長辞職。農林漁業金融公庫理事。
- 1997年、農林漁業金融公庫退職。
- 1998年(平成10年)7月12日、第18回参議院議員通常選挙に比例区で自由民主党から立候補して当選[12]。
- 2000年(平成12年)6月、社団法人漁業信用基金中央会会長。
- 2001年、自由民主党国際局次長。
- 2002年、自由民主党参議院政調副会長
- 2002年(平成14年)10月4日、外務大臣政務官[13]。
- 2003年(平成15年)9月25日、外務大臣政務官依願免官[14]。
- 2004年(平成16年)、第20回参議院議員通常選挙で落選した。
- 2012年(平成24年)1月15日、正四位に叙される[15]。
- 晩年には地域活性化研究会会長、特定非営利活動法人ふるさとテレビ理事長、社団法人 漁業信用基金中央会会長を務めた。
脚注
[編集]- ^ 元自民党参院議員、日出英輔さん死去 朝日新聞 2012年1月16日閲覧
- ^ 昭和38年9月23日付け『官報』第11062号、6頁。
- ^ 昭和54年12月3日付け『官報』第15862号、11頁。
- ^ 昭和57年6月11日付け『官報』第16608号、11頁。
- ^ 昭和59年7月9日付け『官報』第16608号、8頁。
- ^ 昭和60年8月6日付け『官報』第17547号、14頁。
- ^ 昭和63年8月12日付け『官報』第18442号、5頁。
- ^ 平成2年4月17日付け『官報』第348号、7頁。
- ^ 平成3年5月7日付け『官報』第630号、6頁。
- ^ 平成4年7月23日付け『官報』第958号、7頁。
- ^ 平成6年2月18日付け『官報』第1342号、13頁。
- ^ 平成10年7月23日付け『官報』第2429号、11頁。
- ^ 平成14年10月10日付け『官報』第3464号、9頁。
- ^ 平成15年9月30日付け『官報』第3701号、14頁。
- ^ 平成24年2月20日付け『官報』第5742号、9頁。
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
公職 | ||
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先代 松浪健四郎 今村雅弘 水野賢一 |
外務大臣政務官 土屋品子 新藤義孝と共同 2002年 - 2003年 |
次代 荒井正吾 田中和徳 吉田幸弘 |