月原茂皓
月原 茂皓 つきはら しげあき | |
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生年月日 | 1935年3月2日 |
出生地 | 香川県観音寺市 |
没年月日 | 2019年1月19日(83歳没) |
死没地 | 埼玉県 |
出身校 | 東北大学法学部卒業 |
前職 | 防衛庁広報課長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (自由党→) (保守党→) (保守クラブ→) 自由民主党 |
称号 | 旭日重光章 |
選挙区 | 旧香川2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1983年 - 1990年 1993年 - 1996年 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1998年 - 2004年 |
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明[1]。
衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。
来歴・人物
[編集]香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る[2]。
1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任[3]。
1983年(昭和58年)に行われた第37回衆議院議員総選挙で自由民主党公認で旧香川2区から立候補し、初当選。以後、3期務める。1989年(平成元年)、宇野内閣で郵政政務次官に就任。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選後、名を「茂皓」と改名。
1993年(平成5年)、新生党結党に参加。直後の第40回衆議院議員総選挙でトップ当選し、国政に復帰した。その後、新進党に参加。1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で香川3区から立候補したが、自民党の大野功統に敗れ落選。
その後、自由党に参加。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙では自由党公認で比例区から立候補。名簿登載順位第5位で当選した。
その後、保守党の結党に参加。2000年(平成12年)保守党参議院国会対策委員長[4]。2001年(平成13年)、第2次森内閣で国土交通副大臣に就任。2002年(平成14年)の保守党解党に伴い、保守新党結成には参加せず、保守クラブを経て自民党に復党した。いわゆる防衛族議員として知られた。
2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認で比例区から立候補。しかし、前回支援を受けた防衛団体関係の候補が乱立したことにより、落選。
2019年(平成31年)1月19日17時37分、肺炎のため、埼玉県の病院で死去[5][6]。83歳没。叙正四位、旭日重光章追贈[7]。
著書
[編集]- 『世界の軍事情勢とわが国の防衛』内外情勢調査会〈講演シリーズ ; 388〉、1980年。
- 『21世紀に日本は生き残れるか : 月原茂皓対論集 : 防衛庁出身の前衆議院議員が本音で語る「日本の安全保障」』金融財政事情研究会、1998年2月。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『香川県人物・人材情報リスト 2011』(日外アソシエーツ)(2011年)
公職 | ||
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先代 佐藤静雄 泉信也 |
国土交通副大臣 佐藤静雄と共同 2001年-2002年 |
次代 中馬弘毅 吉村剛太郎 |