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2020年2月12日 (水) 02:05時点における版

松村 邦洋
高木豊のYouTube動画に出演する松村
(2019年7月)
本名 松村 邦洋
ニックネーム まっちゃん
バウバウ
生年月日 (1967-08-11) 1967年8月11日(56歳)[1]
出身地 日本の旗 日本山口県熊毛郡田布施町[2]
血液型 A型[1]
身長 164cm
言語 日本語
方言 共通語山口弁
最終学歴 九州産業大学中退
芸風 ものまね
事務所 太田プロダクション
活動時期 1988年 -
同期 爆笑問題
さまぁ〜ず
雨上がり決死隊など
現在の代表番組 高田文夫のラジオビバリー昼ズ
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
過去の代表番組 進め!電波少年
スーパージョッキー
配偶者 独身(離婚歴あり)
弟子 みつまJAPAN'(旧芸名:美妻隆盛、唯一の弟子)
受賞歴
1992年 第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞
1994年 第32回ゴールデン・アロー賞芸能賞
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松村 邦洋(まつむら くにひろ、1967年8月11日[1] - )は日本お笑いタレントものまねタレント。日本史上の人物・タレント・プロ野球選手・政治家など幅広くものまねをしている[2]。愛称はまっちゃんバウバウ太田プロダクション所属[1]

略歴

山口県熊毛郡田布施町出身[2]河本育之は中学時代の同級生。「河本とは同じ野球部でバッテリーを組んでいた」とよく言われるが松村は野球部ではなかったので[3] 事実ではない。

山口県立田布施農工高等学校卒業[2]。1980年代前半に大流行した「ツッパリブーム」に影響され、中学校時代から“ヤンキー”だったが、いじめられるようなタイプでもあった[4]。なお、ヤンキーではあったが、悪いことはせず、友達とお菓子を食べながら雑談に花を咲かせていたという。高校時代から、山口や広島県のテレビ・ラジオ番組に出演。中国放送サテライトNo.1』でアルバイトADをしていたことがあり、得意のものまねを披露し人気者となり、番組レギュラーにもなった。卒業後の進路としてお笑い芸人の道を本気で目指していたと言い、学校の視聴覚室で教師にビデオを回してもらい、得意のものまねを収録したテープを吉本興業に送付したことがあるという。また、高校2年時に8科目が赤点となり、1年留年修学旅行に二回行ったという[5]。高校を4年かけて卒業し九州産業大学に進学した。

大学在学中に『発表!日本ものまね大賞』に出演、ビートたけしをはじめ石橋貴明古舘伊知郎らのものまねを披露し、チャンピオンとなるも、この時点で芸能界デビューはならなかった。その後、テレビ西日本でケーブル捌きのアルバイトをしていた時、番組を見ていた片岡鶴太郎に見出され、1988年に大学を中退し上京。当時片岡は『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』の中継で同局を訪れていた。

鶴太郎の在籍する太田プロから芸能界デビュー。当時所属していた爆笑問題太田光代(当時は松永光代)らと下積みを重ねながら、『ものまね王座決定戦』の常連として、ビートたけしや掛布雅之のものまねで茶の間を沸かせるようになる。

林家ブー」や「バウバウ」で高田文夫に気に入られ師弟関係になる。1992年4月から『たまにはキンゴロー』など一連のTV番組への出演を経て、1993年秋からは『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』金曜日のレギュラー。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(1992年1月、第8回)の「冷凍室ダジャレ→ものまね合戦」にて披露した、高田文夫のものまね「バウバウ」でブレイクする。この回での活躍により番組の常連となり、ダチョウ倶楽部出川哲朗らとともに「リアクション芸人」の代表挌となる。同年7月からは松本明子とともに『進め!電波少年』で司会を務め「アポ無し取材」で人気を博す。

1992年には、第30回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を、1994年にも第32回の同賞で芸能賞を受賞した。

1993年から1999年にかけて『松村邦洋のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。一旦はパーソナリティを降板したが3ヶ月後に復帰。トータルで約6年に渡る長寿番組であった。

1990年代には俳優としても活躍(『STATION』では吉田栄作に次ぐ準主役、『ハンサムマン』では長野博とのW主演)。1995年には『君を忘れない』で、当時若手として伸び盛りだった木村拓哉反町隆史らとともに名を連ねている。

an・an』の「抱かれたくない男性タレント」の上位に出川哲朗とともにランキングしていたことでも有名。

1997年に『電波少年』を降板させられた(進め!電波少年#松村降板騒動)ものの、2000年から2013年9月まで『探偵!ナイトスクープ』のレギュラーを務めるなど、テレビ番組やラジオ番組のレギュラー出演を続けている。

2013年7月に『アメトーーク!』で「本当はスゴイ!!松村邦洋」が放送される。また同年下半期は堺雅人がブレイクしたので堺の物真似をしている松村の仕事も増加した[6]。一方で9月27日放送分を以って13年間出演し続けた関西の人気番組・探偵ナイトスクープを卒業した[7]

人物

3人兄弟の長男。生家は農家だが元々は江戸時代から商取引をしていて一方で戦前までは質屋をしていた[8]

身長は164cm。上京した頃の体重は75kg程だったが更に太り最大141kgになった。2017年時点の体重は「煩悩の数=108kg」と述べている。

以前、ダイヤルQ2にハマり100万円請求されたことの時ダイヤルQ2でもモノマネをしていて、当時面識のなかった田中裕二と繋がったと爆笑問題カーボーイで田中が語った。

『進め!電波少年』の企画で公募された一般視聴者と1日だけ夫婦になった[注 1]。これにより夫婦関係の実態が全く無いものの婚姻・離婚の事実だけ残るため、いわゆるバツイチである[9]

野球選手の似顔絵を描くことで知られ、2008年に母校九州産業大学で展覧会を開き[10]、2015年東京美術倶楽部チャリティー企画にアクリル絵3作品を出品した[11]

ダイエット

ダイエットを決意したきっかけは主に2つあり、あるテレビ特番で人間ドックを受けた際、「このままでは長生きできない」と宣告されたことと、石塚英彦伊集院光内山信二・松村らで作られる「デブの健康組合」で「みんな一緒にやせればバレない。一緒に5キロずつやせよう!」と決せられたが、松村だけ逆に10キロ増え「まっちゃん、そのまま行くと死ぬよ」と身を案じて言われたことだった[12]

中でも成果を上げたものはCanCamダイエット」なるもので、これは、『CanCam』を読みながら夜道をウォーキングするというものである。歩いている途中で辛くなった時にCanCam(特に蛯原友里押切もえ山田優が写っているページ)を見ると、モデルが「まっちゃん、がんばって」などと励ましてくれる感じがして、よりダイエットが捗ったという。その成果あって、2006年の時点で30キロ超減って110キロ台になっていた[12]

下記の東京マラソンでの心肺停止事件をきっかけに自身の健康管理のため、2016年末にライザップを始め、減量に取り組んだ。2017年9月13日に行われたライザップ新CM発表会見では、約8か月で体重110.6キロから80キロと30キロの減量に成功した姿を見せた[13]

マラソン

ダイエットを通じてマラソンに興味を持つようになり、和田アキ子から「走ってこい!」と言われ、2007年7月1日の「ゴールドコーストマラソン」に参加し、フルマラソンに挑んだ。このマラソンは7時間10分以内にゴールしないと完走と認められないが、松村は諦めずに9時間9分6秒かけて走りぬいた。時間オーバーのため記録には残らないが、主催者側の心遣いで、松村にもメダルが贈られた。森脇健児とトレーニング方法について綿密にメールで連絡し合っていたという。

続いて、『TokYo,Boy』の企画でも、マラソンに挑戦することになり、2008年2月17日の「東京マラソン2008」に出場するが、35km地点で時間切れとなり完走はならなかった。

同年7月6日の「ゴールドコーストマラソン2008」に出場し、6時間51分40秒で完走。初めて制限時間内にゴールした。

2009年3月22日、『TokYo, Boy』の企画として再び「東京マラソン2009」に参加したが、スタート地点から約15kmの港区高輪2丁目付近で急性心筋梗塞による心室細動で倒れ、一時心肺停止状態となる。丁度付近で取材していた右松健太が救急車を即座に呼んだ他[14]、伴走していた国士舘大学の救護班がAEDを使用したり、医師団の処置により意識を回復、入院して順調に回復した[15]。その後、入院から12日で退院。「復帰の際には蛯原友里安倍晋三から祝福のコメントが寄せられ、入院中に安否を心配する関係者や芸人仲間などから合計486通ものメールが携帯に届いていた」と述べている。また、松村の退院の模様は通常の報道番組でも取り上げられた。

2011年10月1日放送の「オールスター感謝祭'11秋 芸能界No.1決定戦SP」では、心肺停止以来控えていた「赤坂5丁目ミニマラソン」に久々に参加した。

健康関連のイベントに呼ばれて心肺停止状態の経験談を語ることがある[16]

趣味・嗜好

歴史・大河ドラマ・高校野球・プロ野球に詳しいことで知られている[2]

野球

熱狂的な阪神タイガースファンである父親に影響され自身も大変な野球好きである。

子どもの頃は広島カープが強い時代で、周りはカープファンが多かったが[17]、「自身があまのじゃくな性格から阪神ファンになった。もし大阪に生まれていたら阪神ファンにはなっていなかったと思う」と話している[17]。自身も野球をするようになり、高校時代(軟式野球部)にキャッチャーを務めるが1試合で27盗塁を許した経験を持つ弱肩で「デブ = キャッチャーという固定観念で決められた」などと述べている[5][18]

デイリースポーツ』(同紙の特命応援団長に任命されている)でも連載を持ち、過去に『週刊ベースボール』ではカラーグラビア見開きで自ら選手の絵も描いていた(#芸術の項を参照)。

ドラフトで阪神に入団が決まった選手がいると、選手の実家に「阪神入団おめでとう 松村」と書かれた大きな花を贈る。しかも阪神側が頼んでいる訳ではなく、自分の意志により自腹で贈っている。選手も、その花が届く事で「阪神に入団したんだ」と実感するという[19]

また、阪神以外の球団、また高校野球大学野球に関する知識も相当なもので、阪神以外の球団の試合や春季キャンプにも駆けつけることが多くある。ファイターズスタジアム由宇球場にも足を運んでいる。かつては、中山秀征率いる草野球チームに初代キャッチャーとして所属していた。また、竜兵会の草野球にも参加している。

正月に実家へ帰省する際、知り合いの現役やOBの野球選手を自腹で呼び、近所の子供を集め、無償で野球教室を開いている[19]

プロ野球再編問題で球界が揺れていた頃、プロ野球ファンの集会に参加し、12球団、2リーグ制の維持を訴えた。登壇した松村は「プロ野球は皆のもの。渡邉恒雄のものではありません」と名指しで批判発言し、その模様はテレビでも放送された。

進め!電波少年』を強制降板後、裏番組である『世界ウルルン滞在記毎日放送制作)』、北米独立リーグフロンティアリーグロンドン・ウェアウルブズ英語版の試合に代打として出場。公式記録[20]として残されている。

好角家

野球界のみならず、相撲界にも人脈を持つ。上京した際の中野区の居住先の近くに二子山部屋(後の貴乃花部屋)があり交流を持つようになった。貴乃花親方と親交があり、部屋の朝稽古を見学したり、ちゃんこを御馳走になることもあった。貴闘力忠茂とは特に親しくしており、断髪式でも鋏を入れた1人である。この2名のほか、振分親方のものまねも得意としている。2019年2月、貴ノ岩の断髪式にも出席し、「ただ断髪するよりも、呼ばれたからにはお客さんを喜ばせたいと思って」と土俵上で鋏を入れるときも[21]、その後のパーティーでも貴乃花のものまねをして会場を和ませていた[22]

テレビっ子

少年時代にはまだビデオデッキが普及していなかったのでラジカセをテレビに近付けて音声のみを録音し、それを繰り返し聞いていたという。中でも『3年B組金八先生』シリーズと『スクール☆ウォーズ』などの大映ドラマに詳しく、台詞を一言一句覚えているという。また、『金八先生』パート4では、北に「廊下を走らない!」と注意される生徒役でエキストラ出演していた。天野ひろゆきに並ぶ『金八先生』ファンであり、特に直江喜一の他、松村雄基木村拓哉の熱狂的なファン。

1970年代から1980年代のアイドルにも詳しく、松本明子大沢逸美といったマイナーアイドルも詳しい。

日本史

戦国大名毛利元就中国地方を征服して“中国の覇者”になったが、毛利元就以前の中国地方は戦国大名・大内氏尼子氏が“二大勢力”だった。松村の先祖は“大内氏の家臣”である。その影響で松村は、1997年NHK大河ドラマ・『毛利元就』(主演・中村橋之助)の大ファンとなり、毎週ビデオに録画して見ていて、NHK大河ドラマがきっかけで“大の日本史好き”になり、DJ日本史など歴史関連番組や企画に多数出演。全国の歴史に関するイベントにもパネラーとして参加している[23][24]。自宅の本棚には多数の“歴史の本”がずらりと揃えられている。

描画

高田文夫の勧めで阪神タイガースの歴代選手を題材にした絵画製作にも力を注いでいる。デイリースポーツや週刊ベースボールではコラムとともに紹介され、2000年には1冊の本にまとめた画集『愛しの虎 松村邦洋の阪神タイガース応援日記』(太田出版)、2004年にはカレンダー『松村邦洋・阪神タイガース画集 2004年度カレンダー』を発表している。

ものまね

ものまねに関しては「似てる・似てないは関係なく、その人を好きになることが大事」と語っている[25][26]堺雅人など全く逆の声質の有名人のモノマネが出来る。有名人であるモノマネであっても、弔辞(上岡龍太郎から横山ノックへ、古舘伊知郎から放送作家・腰山一生へ、など)を切り取り、結果としてマニアックな内容になってしまうこともある。最初にやったモノマネはドラマ『3年B組金八先生』の加藤優で、これは自信作と言っていたが、当の本人がどこかに行ってしまったと語る。のちに、直江喜一本人から、『金八先生ファイナル』に15年ぶりの出演にあたり、「加藤ってどうやるの?」と相談され、松村が本家に演技指導したほか、金八ファイナル終了後は金八ファンの為に直江と動画サイトで共演している。

ものまねの対象とする有名人にはお中元とお歳暮をよく贈るという。津川雅彦西田敏行に違いを指摘されていたが、お中元を贈った所、本家が松村に合わせるという本末転倒なことになった。中尾彬のモノマネをやるにあたり、事前に中尾にお中元を贈ってからモノマネを始めた所、中尾は池波志乃に「松村のモノマネが一番似てるねぇ」と言っている。野村克也が「松村が出ているなら番組に出る」と出演依頼を快諾したこともあったという。また、ビートたけしは「どんどんやってくれ」と言っていた他、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』のロケの時に、リアクションが上手く取れなかった松村にリアクションの取り方をマンツーマン指導したことがあり、「バイク事故を起こした時の顔」のものまねをした時には、「表情が左右逆だ」と指摘をしたこともあった[27]

本人が芸能界きっての歴史好き、大河ドラマ好きであることもあり、糸井重里が提案し、イベント『ほぼ日刊イトイ新聞ニッポン放送 presents 「ほぼ織田信長のオールナイトニッポン 〜本能寺の変スペシャル〜」』を開催した[28]。松村がビートたけしの声真似のまま、織田信長になりきって本能寺の変の直前に、本能寺をキーステーションにオールナイトニッポンを放送するというもので、その後松村の持ちネタとなっている。

自身のモノマネの歴史をプロジェクトXの要領で披露する『松村ものまねプロジェクトX』というネタもある。

アウトレイジ ビヨンド及びアウトレイジ 最終章のDVD&Blu-ray発売のCMでは、出演者全員の声をアテレコし、緊迫したシーンに松村がそっくりのモノマネで宣伝していくという松村にしか出来ないCMで話題を呼んだ。本人と間違われないためにワイプで松村が出演している。

「ものまね紅白」等で共演しているコージー冨田は、松村のふだんの話し方をものまねレパートリーに加えている。

ものまねレパートリー

注釈なきものは事務所の公式プロフィール[1] に掲載されているもの。オビスポ森光子など、ビバリー昼ズでのみ披露するレパートリーもある[29]。ネタはアスリート、役者、議員が中心。

レパートリーは約150。(「お願い!ランキング」2012年2月11日「最新のランキング」より

出演

テレビ番組

レギュラーおよびゲスト出演の多い番組
過去に出演・終了した番組

ラジオ番組

現在出演中の番組
過去に出演した番組

テレビドラマ

映画

Vシネマ

インターネット配信番組

Webドラマ

テレビアニメ

  • ヤッターマン 第26話「歴代三悪オールスター勢揃いだコロン!」(2008年12月1日、読売テレビ) - 本人、コーコーキュージ 役(2役)

CM

MV

ビデオ教材

作品

著書
画集
個展
  • 松村邦洋似顔絵展(2007年12月12日 - 2008年2月3日、筆の里工房
  • 九州産業大学OB 松村邦洋似顔絵展 -可能性へのメッセージ-(2008年9月8日 - 2008年11月3日、九州産業大学美術館)
  • 高田文夫プロデュース 松村名人会(2011年7月29日 - 8月7日、GALLERY工)

CD

シングル
  • ピロピロダンス(1993年)
  • 冬場のI LOVE YOU(1995年)明星食品「一平ちゃん」CM曲。「一平ちゃんとれいこちゃん」としてかとうれいことデュエット。
  • 負ける気せんね 〜野村阪神応援ヴァージョン〜(1999年)森たけしとデュエット。
  • 嵐は西から(2003年)「Tigers Freaks Band」として。
アルバム

ゲームソフト

著書

脚注

注釈

  1. ^ 実際に当日に婚姻届を出し、暫く時間を空けて離婚届を提出した。

出典

  1. ^ a b c d e 松村邦洋 太田プロダクション
  2. ^ a b c d e 山口県/広報広聴課/インタビュー「山口ゆかりの人々」第6回松村邦洋さん(2013年2月14日掲載)
  3. ^ スペシャルインタビュー「夢破れて、お笑いあり 〜ボクたちのフィールド・オブ・ドリームス〜」”. 太田プロダクション公式サイト. 2014年5月5日閲覧。
  4. ^ モノマネの第一歩は、相手を好きになって、その人に夢中になることです”. エレベータメンテナンス事業協同組合 (2003年1月1日). 2017年8月6日閲覧。
  5. ^ a b 松村邦洋の恋バナ暴露に宮本和知氏焦る!「そんなことどうでもいいじゃないですか」”. 芸能ニュースラウンジ (2012年11月9日). 2014年5月5日閲覧。
  6. ^ 堺雅人の温かい一言に松村邦洋が感激。「セリフが多くて御迷惑をお掛けしてませんか?」”. エンタがビタミン♪ (2013年12月17日). 2014年1月2日閲覧。
  7. ^ 小枝、松村らが「ナイトスクープ」卒業”. サンケイスポーツ. 2013年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月7日閲覧。
  8. ^ 「マツムラ」(自著)第1章・青雲篇 より。
  9. ^ 松村邦洋、『電波少年』の企画でバツイチになっていた!エピソードがブッ飛びすぎwwwAOLニュース、2016年4月5日 18時0分。
  10. ^ 近藤耕平 意外な才能にビックリ! 松村邦洋の似顔絵展が開催 福岡ウォーカー 2008年8月29日 15時38分 配信
  11. ^ 松村邦洋が阪神藤浪らを描いた絵を出品 2015年7月8日11時45分 日刊スポーツ
  12. ^ a b 松村邦洋、脱デブタレ宣言…31キロ減に成功”. 夕刊フジ ZAKZAK (2006年6月12日). 2014年5月5日閲覧。
  13. ^ “松村邦洋、8ヶ月で30キロ減量に成功「草野球やりたい!」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2017年9月13日). http://www.oricon.co.jp/news/2097165/full/ 2017年9月13日閲覧。 
  14. ^ 当日の『真相報道 バンキシャ!』でもこの事項が伝えられた。
  15. ^ “松村邦洋、東京マラソンで一時心肺停止”. nikkannsports.com. (2009年3月23日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090323-474214.html 2010年5月6日閲覧。 
  16. ^ ふれあい健康フェスティバル”. 名古屋徳洲会総合病院 (2016年10月31日). 2016年11月11日閲覧。
  17. ^ a b 「プロ野球情念の天敵対決 松村邦洋・タイガースを語りまくる!」「別冊宝島」1517号、2008年、宝島社、pp.109-111 ISBN 978-4-7966-6289-5
  18. ^ 松村邦洋さんが柳井市の国体イベントに出演![8月11日]”. 山口県公式サイト. 2014年5月5日閲覧。
  19. ^ a b 「アメトーーク!」 2013年7月11日(木)放送内容”. 価格.com (2013年7月11日). 2014年5月5日閲覧。
  20. ^ Kunihiro Matsumura Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-refernce.com. 2014年9月13日閲覧。
  21. ^ 元貴ノ岩断髪式に松村邦洋が登場 元貴乃花親方のモノマネをしながらはさみ入れる(デイリースポーツ) - goo ニュース”. gooニュース (2019年2月3日). 2019年2月3日閲覧。
  22. ^ 元貴親方が来ない断髪式 モノマネで沸かす松村邦洋|BIGLOBEニュース”. BIGLOBEニュース(2019年2月2日). 2019年2月3日閲覧。
  23. ^ 松江城天守国宝指定記念シンポジウム『松江城再発見〜天守・城・城下町〜』【大阪会場】”. 島根県 (2015年12月8日). 2016年11月11日閲覧。
  24. ^ 福知山城天守閣再建30周年記念「丹波福知山明智光秀サミット」を開催します”. 福知山市 (2016年4月13日). 2016年11月11日閲覧。
  25. ^ ラジ魂!!掲示板(HBCラジオ、2010年5月9日)
  26. ^ 松浦亜弥のオールナイトニッポン 番組オフィシャルサイト(ニッポン放送、2007年10月18日)
  27. ^ 【エンタがビタミン♪】野村克也氏やビートたけしも。松村邦洋が大物たちの心を動かす理由。(Techinsight 2014年1月9日)
  28. ^ ほぼ織田信長のオールナイトニッポン(ほぼ日刊イトイ新聞 2005年6月10日)
  29. ^ 高田文夫のラジオビバリー昼ズ” (2010年6月4日). 2015年9月5日閲覧。
  30. ^ エキストラ出演。廊下を走った所を北に「廊下を走らない」と注意される生徒役で出演
  31. ^ 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(終了時間未定) | 無料のインターネットテレビは【AbemaTV(アベマTV)】”. AbemaTV (2019年4月10日). 2019年4月10日閲覧。
  32. ^ “110kgの松村邦洋、RIZAPに挑戦「命あっての物まね」”. Smartザテレビジョン. (2016年12月30日). https://thetv.jp/news/detail/96986/ 2017年1月6日閲覧。 
  33. ^ 松村邦洋、声なし物まねでコウベリーズMV出演”. 日刊スポーツ (2016年2月10日). 2016年2月10日閲覧。

外部リンク