道上洋三
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どうじょう ようぞう
道上 洋三 |
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| プロフィール | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1943年3月10日(65歳) |
| 血液型 | B型 |
| 最終学歴 | 日本大学法学部 |
| 勤務局 | 朝日放送 |
| 部署 | エグゼクティブ・アナウンサー |
| 職歴 | 取締役(2003年-2007年) |
| 活動期間 | 1965年- |
| ジャンル | ラジオパーソナリティ |
| 配偶者 | 熊谷瞭子(ナレーター) |
| 家族 | どうじょう拓人(長男・俳優) |
| 公式サイト | アナウンサープロフィール |
| 出演番組・活動 | |
| 現在 | 『おはようパーソナリティ道上洋三です』 『歴史街道~ロマンへの扉』 |
| 過去 | 『ABCヤングリクエスト』 |
道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年3月10日 - )は、朝日放送のエグゼクティブ・アナウンサー。同社常勤顧問でもある。
目次 |
[編集] 来歴・人物
山口県熊毛郡平生町出身で、血液型はB型。山口県立熊毛南高校を経て日本大学法学部卒業。
高校時代は一時期野球部にいたが、「弱すぎる」という理由で退部。陸上部に転籍する。その後好成績をおさめ「山口に道上あり」まで言われる様になる。大学時代は陸上競技のハードルで東京オリンピックを目指していた[1]が、怪我のために断念した。
[編集] 入社後
1965年に朝日放送(ABC)に入社した。同期に因田宏紀と辻豊人らがいる。
入社してすぐに先輩の今井音也(後の桂音也)が作った落語研究会に強引に入会させられた。新入社員なので共通語の講義を受ける一方、落語研究会の一員として桂枝雀に上方落語の稽古もつけてもらっていた。そのため、しゃべり方が混乱してしまい、共通語の講師にも桂枝雀にも「訛がとれていない」と指摘されていた。落語研究会の発表会では「煮売り屋」を演じた。
入社翌年(1966年)の4月1日から、「はがきで当てよう車と1万円」をキャッチフレーズにした『ABCヤングリクエスト』の初代パーソナリティをつとめた。
ABCヤングリクエストでの人気を買われて、1966年12月スタートの『ヤング720』(東京放送系列)の土曜日の司会に抜擢され[2]、1971年3月の終了まで出演。全国区の人気を集めた。
若手時代にはプロ野球の実況を担当したこともあるが、阪神甲子園球場での阪神主催試合の実況をさせてもらえたことはほとんどなく、大阪球場(南海ホークス)や藤井寺球場(近鉄バファローズ)などで行われたパ・リーグの試合の裏実況(ラジオでは流れない素材用の実況でまたは放送予定試合の雨天中止時に中継する予備カード)が中心であった。阪神の主催試合の実況経験もあるが、阪神の消化試合であり、ABCでは流れず、相手チームの広島東洋カープの地元である中国放送(RCCラジオ)のみ裏送りで放送された。
1977年3月にラジオ番組『おはようパーソナリティ道上洋三です』が放送開始。同番組は30年以上の歴史をもつ長寿番組である。番組内でホノルルマラソン完走、水泳長距離完泳、和太鼓などにチャレンジした。またテレビでは『歴史街道』のナレーションを担当している。
2003年に朝日放送取締役に就任した。ABCの現役アナウンサーで取締役兼任者は、道上が開局以来初めてである。しかし、「アナウンサー業務と取締役との兼業が成り立たなくなった」ことを理由に、2007年6月27日付で取締役を退任し、常勤顧問[3]兼エクゼクティブ・アナウンサーに就任した。[4]
右目奥に見つかった良性の髄膜腫が視覚・嗅覚の神経を塞いで生活に支障をきたしてきたので、髄膜腫の摘出手術を行うこととなり、2006年7月17日から『おはようパーソナリティ道上洋三です』を約3ヶ月間(当初の予定)休む事を、7月7日の放送中に明らかにした。夏休みなど以外で長期間同番組を休むのは、同番組開始以来初であった。手術は無事成功し、また順調に回復したため、当初の予定より早い約2ヶ月後の同年9月25日の放送から『おはようパーソナリティ道上洋三です』に復帰した。
長年兵庫県伊丹市に在住している。担当番組では、自宅近くにあり自身の散歩コースでもある昆陽池公園の話題をしばしば取り上げるなどしている。それらの縁もあり、2008年には伊丹市役所から、伊丹市をPRする「伊丹大使」の委嘱を受けている[5]。
[編集] 阪神タイガースファン
熱心な阪神タイガースファンとして知られる。タイガースを愛するあまり、番組でタイガースの話を始めると止まらなくなる。また、サンテレビの『バーばーヤング』に出演した際に、阪神ファンになったいきさつを詳細に語っていた。
道上が最初にあこがれたのは藤村富美男で、10人に満たない小学校のクラスで自ら希望して10番を貰ったほど。『おはようパーソナリティ道上洋三です』スタッフと結成した野球チーム「DOJOES」(ドジョウズ)では背番号が10であるのも、藤村富美男の影響である。藤村が引退後は村山実のファンとなった。
また、福岡KBCラジオの中村もときの通勤ラジオにも2005年の甲子園でのVSホークス交流戦第1戦・同じく2005年の日本シリーズ第1戦の当日に出演。ここでもタイガースの話題で暴走し、メインパーソナリティの中村基樹が「うるさいオッサンだな」と煙たがるのがお決まりであった。
彼が歌う阪神タイガースの歌(いわゆる六甲おろし)にはメロディーに誤り(「輝く 我が名ぞ 阪神タイガース」の太字部分)があり、彼のせいで誤ったメロディーが広まったとキダ・タローが語っている。しかし実際には、歌詞の音符に忠実に歌っていることから、このキダの主張は当てはまらない。
[編集] サッカー
一方で以前はサッカーアンチであり、サッカーを嫌悪する言動が行き過ぎとして批判されたこともあった。問題となった言動としては、以下のようなものがあった。
- サッカー日本代表の高原直泰がエコノミー症候群になった際に「そのまま死ねば話題になったのに」と発言したために、後に謝罪した。
- ラジオ番組で大黒将志に対する中傷をおこない、ラジオを聴いていた両親から直々に抗議された。
- サッカー日本代表戦の中継放送について、プロ野球阪神戦への差し替えをおこなわなかったことに対して苦言を発言した。
しかし、浦和レッズがAFCアジアチャンピオンズリーグを制覇した時や、野球のオフシーズンにはサッカー日本代表の話題を比較的多く取り上げるなど、以前に比べて嫌悪感を示すことはなくなっている。本人曰く「甥がサッカーをしていて、カカーの高速ドリブルやクリスチャーノ・ロナウドの無回転フリーキックの魅力などを教えてもらった。」とコメントしている。
[編集] 家族・交友関係
かつて『ABCヤングリクエスト』を共に担当した、ナレーターの熊谷暸子は妻である。またスーパー・エキセントリック・シアターのどうじょう拓人は長男(一人息子)である。
中学校・高校での一年後輩にあたる俳優の原田大二郎とは、在学当時から交流があり、今も親しい。永六輔とも交流があり、永が『おはようパーソナリティ道上洋三です』にゲスト出演したり、逆に永が担当するラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』に道上がゲスト出演するなどしている。歌手の高石ともやからは、『おはようパーソナリティ道上洋三』25周年記念曲CDの提供を受けるなどしている。
[編集] これまでの担当番組
[編集] ラジオ
- ABCヤングリクエスト(1966年4月 - 1974年4月)
- 空からコンニチワ
- ABCディスカバー・サタデー~フレンドリー大丸~(1972年)
- 明日は日曜道上です
- 歌謡曲ぶっつけ本番
- おはようパーソナリティ道上洋三です(1977年3月28日 - )
- ラジオドラマ 昔むかしのあるところ(2007年4月 - )
[編集] テレビ
- 以上東京放送とネットを組んでいた時代に出演。
- ス・テ・キの扉(2007年10月 - 2008年9月)
[編集] 映画
- ミスター・ルーキー(2002年公開)
- 観客として登場し、八木裕に「八木男になれ〜」とコール。

