日本における死刑囚の一覧
日本における死刑囚の一覧は、日本の刑事裁判で死刑判決が言い渡された主な死刑囚の確定順による一覧である。下級審で死刑判決を言い渡された後、上訴中に死亡した者については死刑確定囚ではないためここに含めない。
本項では2020年時点で死刑判決を受け上訴中の被告人についても記載する(上訴審で破棄されたり上訴中に死亡した者を除く)。
概要
死刑囚の項目では、未執行死刑囚と執行済死刑囚の一覧があるが、この項目は明治維新後1870年以降に死刑判決が言い渡された死刑囚の確定順の一覧である。そのため、恩赦で無期懲役に減刑されたものや、冤罪が指摘されている死刑囚、再審で無罪が確定した(冤罪事件の)元死刑囚も含まれる。なお一覧が膨大であるうえに詳細のわからない事件などがあるため、完全なリストではない。また1945年以前については書籍などによって詳細がある程度判明するものについて記載している。死刑囚の氏名についてはイニシャル表記を原則とするが、死刑囚本人が氏名を明らかにして著作などを発表している場合や、事件名称に死刑囚当人の氏名が付されて通称されている[注 1]場合、その他個別に氏名が広く認知されているなどの理由で実名または筆名表記としているものもある。
有名な事件である場合には具体的な事件名を記述しているが、その他詳細が判明しない場合には事件名は罪状名をもとに便宜上つけたものもあることに留意されたい。
なお「判決確定日」であるが、特記事項がない場合は以下のとおりとする。
- 最高裁判所で上告を棄却されて確定した場合は、上告審判決日。
- 下級審の判決に対して上訴しなかった場合は、上訴期限(現行刑事訴訟法では判決から14日)の翌日。
- 下級審の判決に対して一度は上訴したが、その上訴を取り下げて確定した場合は、取り下げ日。(ただし、上訴期間内に取り下げた場合は、上訴期限の翌日。これは検察側にも上訴権があるからである。)
なお、最高裁判決に対しては判決宣告から10日以内に被告人などの当事者が誤りを発見した場合、その誤りを訂正するよう申し立てることができる(刑事訴訟法415条)。そのため、実際に最高裁判決が実際に確定するのは、訂正申立をしなかった場合は申立期間(10日間)を経過した翌日、申立があった場合は申立棄却決定の通知が被告人または弁護人に送達された日である(刑事訴訟法418条)。死刑事件では1990年12月14日に最高裁第二小法廷(中島敏次郎裁判長)で強盗殺人・強盗致傷などの罪に問われた福岡県直方市強盗殺人事件の死刑囚(1998年に死刑執行・#1990年死刑確定囚(7人)を参照)に対し言い渡された上告審判決の理由にて、同小法廷が2つの事件の犯行間隔を誤記したために最高検察庁からの申立てを受け訂正した事例があるが[1]、下級審の死刑判決を支持する主文そのものが訂正された事例はない。
判決訂正申立の有無、あるいは決定の送達日はほとんど把握することが難しいため、本表では(報道などで申し立ての事実が確認されている事例を除き)便宜的に上告審判決日を確定日として取り扱った。2019年12月26日現在、法務省によると「同日時点で死刑が確定している死刑囚は112人(2014年に執行停止・釈放された袴田事件の死刑囚(袴田巌)も含む)。このうち、同日時点で再審請求しているのは84人」である[2]。
1870年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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石鐵県死刑囚蘇生事件(田中藤作) | 1872年11月 | 1871年8月15日 | 放火犯。死刑執行も、不備により蘇生。再度の死刑執行はされず。 |
紀尾井坂の変(島田一郎) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 大久保利通殺害犯。同志5人とともに判決確定1時間後に斬首刑に処せられた(30歳没)。 |
紀尾井坂の変(長連豪) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(23歳没)。 |
紀尾井坂の変(杉本乙菊) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(30歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(脇田巧一) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(29歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(浅井寿篤) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(25歳没)。1889年に大赦。 |
紀尾井坂の変(杉村文一) | 1878年7月27日 | 1878年5月14日 | 上記共犯で斬首刑に処された(18歳没)。1889年に大赦。 |
東京・浅草蔵前古物商強盗殺人事件(高橋お伝) | 1879年1月31日 | 1876年8月23日 |
1880年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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秩父事件(田代栄助) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 政府に対する武装蜂起。1885年5月17日に死刑執行(52歳没)。 |
秩父事件(加藤織平) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(37歳没)。 |
秩父事件(高岸善吉) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(37歳没)。 |
秩父事件(坂本宗作) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(32歳没)。 |
秩父事件(新井周三郎) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯として死刑執行(24歳没)。 |
秩父事件(菊池貫平) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。1886年に強盗教唆で逮捕されて収監されるが、大日本帝国憲法発布の大赦で免罪、別件で無期懲役。1905年に出獄、1914年死去。 |
秩父事件(井上伝蔵) | 1885年2月19日 | 1884年10月31日-11月9日 | 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。北海道で変名で生活し、1918年に死去。 |
人力車夫殺害事件(赤井景韶) | 1885年6月9日[3] | 1884年 | 高田事件で重禁錮9年の判決を受けて服役中に脱獄し、逃走中に人力車夫を殺害して逮捕された。1885年7月27日に死刑執行[4](27歳没)。 |
加波山事件(富松正安) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 栃木県令三島通庸の暗殺未遂。1886年10月5日に死刑執行(38歳没)。 |
加波山事件(保多駒吉) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(27歳没)。 |
加波山事件(琴田岩松) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(25歳没)。 |
加波山事件(小針重雄) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(23歳没)。 |
加波山事件(杉浦吉副) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(43歳没)。 |
加波山事件(三浦文治) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑執行(31歳没)。 |
加波山事件(横山信六) | 1886年8月12日 | 1884年9月23日 | 上記共犯で死刑判決を受けるが、執行前の1886年9月3日に肺病のため獄死[5](24歳没)。 |
「青森の亭主殺し」事件(小山内スミ) | 1886年11月6日 | 1886年8月18日 | 12月に死刑執行。青森県陸奥国中津軽郡鬼沢村(現在の弘前市)で自分の夫を浮気相手と殺害。法に反して公開で斬首刑に処されたという。地元では数え歌が作られたり、『鬼沢新聞・枕の刃』という覗きメガネが作られた。[6] |
「青森の亭主殺し」事件(小野長之助) | 1886年11月6日 | 1886年8月18日 | 12月に死刑執行。上記共犯。[6] |
「ピストル強盗[7]」事件(清水定吉) | 1887年8月[8] | 1882年 - 1886年 | 日本最初のピストル強盗。1887年9月7日に死刑執行[8]。 |
1890年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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連続針金強盗殺人事件(貝原喜勢冶) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 連続強盗殺人犯、処刑場に護送中に脱獄し警察官と格闘した際の傷で1897年12月死亡[9]。 |
連続針金強盗殺人事件(福永友三郎) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し警察官と格闘し首を切り落とされ1897年6月死亡[9]。 |
連続針金強盗殺人事件(湊蔵蔵) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄したが、再逮捕され広島監獄に収監[9]。 |
連続針金強盗殺人事件(明石章吉) | 1897年3月 | 1894年 - 1897年 | 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し、以後消息不明[9]。 |
山陽鉄道列車強盗殺人事件(岩永元吉) | 1899年2月27日 | 1898年12月2日 | 走行中の夜行列車で陸軍大尉を殺害、列車内の殺人は日本国内では最初[10]。1899年10月30日に死刑執行。 |
山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎) | 1899年5月3日 | 1898年12月2日 | 上記共犯者、一審は無期だったが、検察が控訴し逆転死刑判決。1899年10月30日に死刑執行。 |
1900年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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「紬屋殺し[11]」事件(大久保時三郎) | 1906年11月17日 | 1905年11月8日 | 紬屋1人を誘い出し殺害。そして紬屋仲間1人を偽の書状で誘い出しこれも殺害。反物を質に入れ400円を得る。さらに2人に借金をしたが返済がないと嘘を言い、家人をだまし現金を得ようとした。共犯の妻は無期徒刑となった。また、別件で詐欺もしている[12]。1909年4月23日に死刑執行[13]。 |
野口男三郎事件(野口男三郎) | 1907年10月10日[14] | 1905年5月14日 | 3件の殺人と1件の文書偽造で起訴。うち薬店店主殺害事件と卒業証書偽造が有罪となる。1908年7月2日に死刑執行。 |
1910年代
1910年死刑確定囚
1911年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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幸徳事件(幸徳秋水) | 1911年1月 | 1910年6月 | 天皇の暗殺を計画した大逆罪[注 2]の首謀者として死刑、判決6日後の1月24日に死刑執行(39歳没)。ただし実際には死刑判決を受けた24人(12人は恩赦減刑)のうち、陰謀に加担[注 3]していたのは5人のみであり、幸徳秋水も含む19人は冤罪だったと言われている。政府による社会主義者弾圧事件であったとされている。 |
幸徳事件(管野スガ) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 女性の社会運動家、彼女のみ1月25日に死刑執行(29歳没)。実際に陰謀に加担していた。 |
幸徳事件(森近運平) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(30歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(宮下太吉) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(25歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(新村忠雄) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(23歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(古河力作) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(26歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。 |
幸徳事件(奥宮健之) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(44歳没)。 |
幸徳事件(内山愚童) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 僧侶の社会主義者。1月24日に死刑執行(36歳没)。 |
幸徳事件(大石誠之助) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(43歳没)。 |
幸徳事件(松尾卯一太) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(31歳没)。 |
幸徳事件(新美卯一郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(32歳没)。 |
幸徳事件(成石平四郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 1月24日に死刑執行(29歳没)。兄も同罪として死刑判決を受けたが恩赦減刑。 |
幸徳事件(高木顕明) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 住職を務める和歌山県の浄泉寺で幸徳の談話会を寺で開催したことを咎められ死刑判決。後に恩赦減刑されたが1914年に自殺(50歳没)。判決前に僧籍剥奪処分を受けたが1996年に僧籍復帰の名誉回復が行われた。 |
幸徳事件(峯尾節堂) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1919年に獄死。 |
幸徳事件(岡本一郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1917年に獄死。 |
幸徳事件(三浦安太郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に自殺。 |
幸徳事件(佐々木道元) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に獄死。 |
幸徳事件(成石勘三郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 弟平四郎とともに同罪として死刑判決を受けたが弟処刑後に恩赦減刑された。1929年仮出所、1931年死去。 |
幸徳事件(坂本清馬) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑。1934年仮出所、1947年特赦[注 4]。1961年に再審請求したが1967年に最高裁で棄却。1975年死去[15]。 |
幸徳事件(崎久保誓一) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1955年死去。 |
幸徳事件(武田九平) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1932年に事故死。 |
幸徳事件(飛松与次郎) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1925年に仮出所、1953年死去。 |
幸徳事件(小松丑治) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1945年死去。 |
幸徳事件(岡林寅松) | 1911年1月18日 | 1910年6月 | 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1948年死去。 |
1912年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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岡山県勝田郡強盗殺人事件 (J) | 1912年2月6日 | 1911年7月8日 | 勝田郡梶並村で、孫(当時32歳)が住居侵入罪の罰金20円が支払えず労役場留置処分を免れる為に金策協力を頼んだ祖父(当時74歳)に断られた。そのため祖父のへそくり50円を奪う為に殺害。1914年2月7日に死刑執行[16]。 |
1913年死刑確定囚
1914年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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愛知貰い子殺人事件(坂倉しげ) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 養育できない私生児を金銭とともに引き取りながら殺害する貰い子殺人常習犯。犠牲者は200人以上とされる。共犯2人とともに1915年9月9日に死刑執行。 |
愛知貰い子殺人事件(沖つた) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 上記共犯者。 |
愛知貰い子殺人事件(猪飼なか) | 1914年10月21日 | 1898年 - 1913年 | 上記共犯者。 |
岡山興除村一家3人殺害事件 (A) | 1914年12月16日 | 1914年9月26日 | 未亡人A(当時52)は養子一家が家督相続することを不満に思っていた。そこで情夫B(当時55)に借金230円の棒引きと400円の報酬を約束し、養子一家殺害を指示し自身は事件当日外泊しアリバイ工作をしていた。また近所には自分が虐待されているといった虚偽の噂を立てていた。1915年8月27日に死刑執行[17] |
岡山興除村一家3人殺害事件 (B) | 1914年12月16日 | 1914年9月26日 | 上記共犯者。なおBは殺害の手助けをCにさせていたが、Cは懲役10年になった。主犯Aとともに1915年8月27日に死刑執行[18] |
1915年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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小石川七人斬事件 (A・B) | 1915年10月22日 | 1915年3月15日 | 東京電燈会社小石川出張所において、同社主任以下7人が襲われ、5人が死亡した強盗殺人事件。1916年8月12日死刑執行[19]。 |
1916年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大米龍雲連続殺人事件(大米龍雲) | 1916年5月22日 | 1905年 - 1915年 | 僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日に死刑執行。 |
一家四人死刑事件 (H) | 1916年7月8日 | 1914年12月30日 | 一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして無実を訴え続けたが1917年12月8日に死刑執行[20]。 |
1917年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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ドイツ海軍大尉夫人殺害事件 (A) | 1917年10月26日 | 1917年2月25日 | 日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。1918年3月11日に死刑執行。 |
1918年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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鈴ヶ森おはる殺し事件(石井藤吉) | 1917年3月31日 | 1915年4月30日 | 同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされた石井は1918年8月17日に死刑執行。 |
神戸山中妻殺害事件 (A) | 1918年5月15日 | 1917年4月6日 | 養子を虐待する妻との離婚話がこじれた為、岡山市の男が神戸市の山中に連れ出して殺害。男は養子を実家に預けたあと外地に逃亡。1918年2月になって朝鮮から中華民国の青島へ逃亡しようとしていたところを逮捕。1919年2月19日に死刑執行[21]。 |
1919年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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岡山巡礼女性殺害事件 (A) | 1919年12月2日 | 1916年4月ごろ | 1916年4月に京都の寺院に巡礼に出かけるとして行方不明になっていた広島県高田郡の主婦が1917年4月18日になって岡山県都窪郡の廃坑で白骨死体として発見された。犯人として金銭目当てに被害女性の夫を広島県深安郡に呼び出し、山陽本線大門駅付近の山道で殺害しようとした殺人未遂の罪で服役中のAが逮捕起訴された。Aは殺害を否定し被害者は情夫の妻に殺害され自身は何者かにはめられたと主張したが、該当する人物は存在せず、そのうえAが妻に胴着するようにと渡した羽織が被害者が持参していたものと判明。それらを証拠に死刑が確定。1923年8月21日に死刑執行[22]。 |
1920年代
1924年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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虎ノ門事件(難波大助) | 1924年11月13日 | 1923年12月27日 | 摂政宮(後の昭和天皇)暗殺未遂で大逆罪により有罪(法定刑は死刑のみ)。確定2日後の11月15日に死刑執行。 |
1926年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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朴烈事件(朴烈) | 1926年3月25日 | 1925年 | 天皇暗殺を計画したとして無政府主義者の朝鮮人が有罪になるも4月5日に恩赦により減刑。1945年10月に釈放され韓国国務委員に就任したが朝鮮戦争の最中に北朝鮮へ連行され、1974年死亡(田中清玄によると処刑という)。 |
朴烈事件(金子文子) | 1926年3月25日 | 1925年 | 女性無政府主義者で朴烈の愛人。共犯として死刑宣告も4月5日に恩赦で減刑。7月23日に獄死(当局発表は縊死)した。 |
関東連続少女殺人事件(吹上佐太郎) | 1926年7月2日 | 1922年 - 1924年 | 27人を強姦し、うち6人を殺害。1926年9月28日に死刑執行。 |
1930年代
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大岡山殺人事件 (G) | 1931年4月20日 | 1925年9月6日 | 下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している。Gは控訴せず一審で確定し、1933年3月7日に死刑執行[23]。 |
大岡山殺人事件 (T) | 1932年4月5日 | 1925年9月6日 | 上記Gの共犯。最高裁まで争うも確定し、Gと同じく1933年3月7日に死刑執行[23]。 |
日大用務員殺害事件 (D) | 1932年8月29日 | 1930年12月 | 上告棄却。元用務員の男が日本大学に侵入し用務員を殺害し670円を奪った[24]。 |
桜田門事件(李奉昌) | 1932年9月30日 | 1932年1月8日 | 昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日に死刑執行(32歳没)。 |
十三釣堀屋事件 (F) | 1933年3月8日 | 1931年3月1日 | 愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。1934年6月28日に死刑執行。共犯の愛人は無期懲役[25]。 |
安田銀行玉島支店強盗殺人事件 (O) | 1933年10月30日 | 1933年6月18日 | 現職警察官による銀行ギャング。1934年7月30日死刑執行[26]。 |
隅田川コマ切れ殺人事件 (K) | 1934年9月19日 | 1934年6月 | 10月に死刑執行[27]。 |
福岡刑務所囚人殺害事件 (D) | 1934年11月7日 | 1933年10月28日 | 上告棄却。殺人未遂で懲役20年、恩赦により刑期短縮も1929年に殺傷事件を起こし無期懲役になった受刑者が同囚の者に「死に損ない」と罵られたことに腹を立て刑務活動中に刺殺[28]。 |
バス屋殺し事件 (G) | 1936年3月30日 | 1931年8月27日 | 家業の利益目的で夫を殺害した被告人について死刑判決が下ったが、後に無期刑に減軽され、1943年頃に獄死。被告人と共謀したとされていた愛人の男性については、一審の死刑判決が控訴審で無罪へ覆った[29]。 |
浅草青酸カリ殺人事件 (U) | 1936年8月3日 | 1935年11月21日 | 足袋屋経営の男が、顔なじみの小学校校長を紅茶の中に入れた青酸カリで毒殺し、教職員の給料を奪った。日本における青酸カリによる殺人事件第1号。1937年10月26日死刑執行[30]。 |
松山城放火事件 (F) | 1938年 | 1932年 - 1936年 | 西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日に死刑執行。 |
1940年代
1945年死刑確定囚(9人?)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
三重県上野市山林内主婦強盗殺人事件 (K) | 1945年2月20日 | 1944年 | 死刑執行日は不明。 |
札幌一家3人強盗殺人事件 (T) | 1945年3月23日 | 1944年12月17日 | 1945年8月24日に死刑執行。 |
茨城県柳河村一家4人強盗殺人放火事件 (S) | 1945年7月3日 | 1944年8月29日 | 1945年12月22日に死刑執行。 |
樺太・西柵丹強盗殺人事件 (S) | 1945年7月7日 | 1944年10月22日 | 樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太がソ連軍に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により、1949年12月24日、個別恩赦。無期懲役に減刑された[31]。 |
東京洲崎人夫強盗殺人事件 (I) | 1945年8月3日 | 1943年12月3日 | 殺人前科(懲役5年)。1945年12月20日に死刑執行。 |
大阪戦時強盗致死事件 (M) | 1945年9月5日 | 不明 | 詳細不明。1945年11月20日に死刑執行。 |
同性愛少年友人一家殺傷放火事件 (S) | 1945年9月5日 | 1944年7月29日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。1947年2月18日に個別恩赦。 |
戦時強姦致死事件 (T) | 1945年11月25日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
兵庫県岩岡村朝鮮人2人強盗殺傷事件 (M) | 1945年12月4日 | 1945年1月20日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。1946年2月6日に死刑執行。戦後唯一の少年時に死刑執行。少年では確定から執行までの最短記録(2ヶ月と2日) |
茨城県強盗殺人事件 (O) | 1945年12月18日 | 不明 | 詳細不明。1946年2月17日に死刑執行。確定から執行の戦後最短記録(1ヶ月と30日) |
戦時強盗殺人事件 (Y) | 1945年12月18日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
1946年死刑確定囚
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
戦時強盗殺人事件 (T) | 1946年1月14日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
強姦殺人事件 (F) | 1946年2月12日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
第二鬼熊事件 (S) | 1946年3月7日 | 1944年9月5日 | 1946年11月30日に死刑執行。 |
新居浜老夫婦強盗殺人事件 (K) | 1946年4月12日 | 1945年9月4日 | 死刑執行日は不明。 |
静岡県葉梨村老女強盗殺人事件 (A) | 1946年4月15日? | 1945年9月21日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。 |
強盗殺人事件 (N) | 1946年4月18日 | 不明 | 詳細・死刑執行日とも不明。 |
確定年不明
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
松山農家強盗殺人事件 (K) | 不明 | 1945年10月29日 | 1949年7月30日に死刑執行。 |
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (I) | 1946-1947年 | 1946年2月28日-3月1日 | 1947年6月10日に死刑執行。 |
福岡県中間町質屋一家6人殺害事件 (T) | 1946-1947年 | 1946年4月13日 | 1948年1月27日に死刑執行。 |
宮城貨物経理課長強盗殺人事件 (S) | 1946-1947年 | 1945年11月3日 | 1947年9月5日に死刑執行。 |
五島貨物船船員2人強盗殺人事件 (N) | 1946-1947年 | 1946年2月13日 | 1947年12月15日に死刑執行。 |
1947年死刑確定囚(33人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
島原一家4人殺害事件 (H) | 1947年2月14日 | 1946年8月4日 | 1947年10月30日執行 |
奈良県大淀町夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1947年3月8日 | 1945年11月21日 | 1948年8月24日執行 |
大分県判田村拳銃強盗殺傷事件 (K) | 1947年3月12日 | 1946年7月10日 | 1948年7月27日執行 |
名古屋市港区真砂町煙草屋強盗殺人事件 (O) | 1947年3月18日 | 1946年10月8日 | 1947年9月17日執行 |
久留米母子3人殺害事件 (I) | 1947年3月19日 | 1946年8月28日 | 1948年10月20日執行 |
広島県西志和村老女強盗殺人事件 (S) | 1947年3月24日 | 1946年2月28日 | 1948年10月5日執行 |
中野ラジオ商夫婦強盗殺人事件 (O) | 1947年4月9日 | 1945年9月5日 | 1948年8月25日執行 |
名古屋医師ら2人射殺事件 (R) | |||
熊本県一勝地村一家6人殺害事件 (S) | |||
兵庫県奥吉川村住職夫婦強盗殺傷事件 (K) | |||
熊本県一勝地村一家6人殺害事件 (K) | |||
福岡県川崎町金物商夫婦強盗殺傷事件 (T) | |||
中津一家4人強盗殺人事件 (R) | |||
四日市伯母夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
戸畑引揚者強盗殺人事件 (T) | |||
北アルプス山小屋4人殺傷事件 (K) | |||
北アルプス山小屋4人殺傷事件 (S) | |||
久留米母子3人殺害事件 (O) | |||
北海道奈井江村一家5人強盗殺傷事件 (K) | |||
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (O) | |||
知人一家3人強盗殺傷事件 (T) | |||
福岡県山田町男性強盗殺人事件 (A) | |||
徳島県三名村山林内ブローカー強盗殺人事件 (S) | |||
大阪市大正区古物商一家3人強盗殺傷事件 (R) | |||
半田ブローカー強盗殺人事件 (M) | |||
伊達夫婦強盗殺人事件 (F) | |||
宮崎県野尻村母子強盗殺人放火事件 (C) | |||
愛知県鳴海町一家3人強盗殺人事件 (O) | |||
窃盗団長崎署刑事射殺事件 (O) | |||
富山県大家庄村老婆強盗殺人事件 (T) | |||
奈良県船倉村農家強盗殺傷事件 (U) | |||
寝屋川レーシング工場一家6人殺害事件 (M) | |||
北海道古丹別古物商強盗殺人事件 (M) | |||
甲府雑貨商強盗殺人事件 (A) |
1948年死刑確定囚(41人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
友人強盗殺人事件 (Y) | 1948年1月28日 | 1946年2月24日 | 友人を鉄棒で撲殺。1948年12月6日に死刑執行。 |
京都雇い主強盗殺人事件 (U) | 1948年2月12日 | 1946年6月21日 | 雇い主を斧で殺害。1948年12月10日に死刑執行。 |
京都一家3人強盗殺人・口封じ殺人事件 (S) | 1948年3月9日 | 1946年2月28日-3月1日 | 1949年7月20日に死刑執行。 |
死刑制度合憲判決事件 (M) | 1948年3月12日 | 1946年9月16日 | 犯行時19歳(少年死刑囚)。夕飯を用意してもらえなかったことに逆上して母妹を殺害し遺体を井戸に遺棄。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は日本国憲法に反せず合憲とした判例。1949年7月27日に死刑執行。 |
名古屋愚連隊殺人事件 (K) | 1948年3月11日 | 1947年6月21日 | 犯行時17歳(少年死刑囚)。強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取り下げにより死刑確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。 |
神奈川県吉浜町重役夫婦射殺事件 (K) | 1948年3月27日 | 1946年7月7日 | 強盗に入った家で夫婦を射殺。1948年12月8日に死刑執行。 |
百田駐在所巡査殉職事件 (R) | 1948年4月8日 | 1947年3月35日 | 1948年12月20日に死刑執行。 |
山口県国木峠農家老夫婦強盗殺人事件 (G) | |||
東京都中野区女性・北海道江部乙村農家連続強盗殺人事件 (M) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (Y) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (G) | |||
名古屋古着屋強盗殺人事件 (S) | |||
岩手県広瀬村老女強盗殺人事件 (K) | 1948年6月4日 | 1947年9月14日 | 共犯2名は一審死刑、控訴審無期懲役判決。量刑の均衡のため1950年7月29日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
岐阜県清見村一家3人殺害事件 (R) | 1948年6月8日 | 1947年4月9日 | 一審は無期懲役。犯行時17歳。少年法改正により18歳未満に死刑が適用できなくなったことから、1949年3月23日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
広島県乃美尾村知人姉妹絞殺事件 (N) | |||
丸亀老夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
丸亀老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
愛媛県石城村農業会宿直員強盗殺人事件 (Y) | |||
都島煙草屋一家3人強盗殺人事件 (K) | |||
都島煙草屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | |||
北海道奈井江村一家5人強盗殺傷事件 (A) | |||
神戸刑務所戒護課長殺害事件 (S) | 1948年7月7日 | 1947年6月9日 | 殺人前科(懲役15年)。1949年2月18日に死刑執行。 |
呉沖洋上ブローカー2人射殺事件 (A) | |||
鶴見時計商射殺・浦賀署巡査部長射殺未遂事件 (K) | |||
芦別歯科医一家3人強盗殺人事件 (T) | |||
千葉県大柏村叔母一家殺害事件 (A) | |||
栃木県城山村老女強盗殺人事件 (H) | |||
明石2女性強盗殺人事件 (N) | |||
熊本県花房村飛行場跡ブローカー強盗殺人事件 (A) | |||
三重県荻原村近隣女性強盗殺人放火事件 (N) | |||
淡路島古物商ら強盗殺人事件 (T) | |||
愛知肝とり殺人事件 (H) | 1948年10月18日 | 1948年4月1日 | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
長崎県時津村夫婦強盗殺人事件 (S) | |||
長崎海上強盗殺人事件 (Y) | |||
大阪看板屋父子殺害事件 (N) | |||
小平事件(小平義雄) | 1948年11月16日 | 1945年5月25日 - 1946年8月6日 | 連続強盗強姦殺人事件。10人殺害で起訴され、うち7人殺害で有罪となった。なお、小平には軍隊時代に山東出兵に派遣された際に現地の婦女子を殺害(軍規違反に問われず)したうえ、1932年に前妻の義父を殺害し懲役15年(二度の恩赦により8年で仮出所)を受けており、殺人前科があった。1949年10月5日に死刑執行。 |
豊中競馬誌編集人長女強盗強姦殺人事件 (U) | |||
鹿児島一家3人強盗殺傷放火事件 (A) | 1948年12月5日 | 1947年12月18日 | 犯行時17歳(少年死刑囚)。少年法改正により18歳未満に死刑が適用できなくなったことから、1949年4月6日、個別恩赦により無期懲役に減刑。 |
福岡県筑紫村夫婦強盗殺人事件 (H) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強姦殺人事件 (S) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強姦殺人事件 (S) | |||
亀戸情婦母子3人殺害事件 (O) |
1949年死刑確定囚(76人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
徳島県阿野村雑貨商夫婦強盗殺傷事件 (O) | |||
姫路母子強姦殺人事件 (N) | |||
和歌山県地蔵峠古着商射殺事件 (K) | |||
柏原旅館一家4人殺害事件 (Y) | |||
徳島県三庄村叔母一家4人殺傷事件 (F) | |||
岡山下宿先老女強盗殺人事件 (Y) | |||
荒尾隣人夫婦殺害事件 (K) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
和歌山県船着村逆恨み母子事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
警視庁巡査による通行人射殺・母親と甥射殺事件 (U) | |||
阿倍野一家4人強盗殺傷事件 (H) | |||
十条友人の妹強盗強姦殺人事件 (I) | |||
神奈川県共和村老夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
鈴鹿署巡査部長射殺事件 (O) | |||
諫早尼僧強盗殺人事件 (H) | |||
伊達夫婦強盗殺人事件 (E) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
毒殺強盗団事件他 (H) | |||
三重県鈴鹿郡老女強盗殺人事件 (K) | |||
三重県鈴鹿郡老女強盗殺人事件 (K) | |||
川崎ブローカー強盗殺人事件 (H) | |||
千葉県二宮町老女強盗殺人事件 (S) | |||
神奈川県大野町砂糖売買強盗殺人事件 (I) | |||
横浜運転手強盗殺人事件 (O) | |||
鹿児島県西南方村小切手強盗殺人・神戸キャバレー経営者射殺事件 (C) | |||
熊本県郡浦村知人女性強盗殺人事件 (S) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
千葉県遠山村強盗強姦殺人事件 (K) | |||
兵庫県小野尻峠隧道強盗殺人事件 (T) | |||
鹿児島県東市来町恩人夫婦強盗殺人事件 (N) | |||
西宮・神戸連続強盗殺人事件 (M) | |||
福島県若松市ブローカー一家5人強盗殺人事件 (S) | |||
東淀川親族強盗殺人事件 (S) | |||
滝川老女強盗殺人事件 (S) | 未成年(少年死刑囚)。1954年1月15日、個別恩赦。 | ||
千葉県旭村白米取引拳銃殺傷事件 (I) | |||
笠岡情婦殺害事件 (F) | |||
栃木県国本村一家4人強盗殺傷事件 (M) | |||
奈良県平城村兄弟強盗殺人事件 (S) | 1949年5月28日 | 1946年12月11日 | 強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に死刑執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚[32]。 |
熊本県龍峯村老夫婦強盗殺人事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
海南ブローカーら強盗殺人事件 (K) | |||
海南ブローカーら強盗殺人事件 (Y) | |||
別府男性・奈狩江村老女強盗殺傷事件 (T) | |||
岩手県巻堀村母娘強盗殺人事件 (S) | |||
栃木県氏家町恩人女性強盗殺人事件 (K) | |||
栃木県東那須野村ブローカー強盗殺人事件 (I) | |||
福岡県宝珠山村飲食店女性強盗殺人事件 (H) | |||
長崎県加津佐町いとこ夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
姫路母子強盗殺人事件 (M) | |||
長野刑務所看守殺人事件 (T) | |||
山下村男女強盗殺傷事件 (O) | |||
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (S) | |||
福島県津島村古着行商女性強盗殺人事件 (K) | |||
北海道淕別村家族3人殺害事件 (K) | |||
横浜市金沢区父親ら3人殺害事件 (M) | |||
奈良県榛原町朝鮮人強盗殺傷事件 (R) | |||
奈良県榛原町朝鮮人強盗殺傷事件 (R) | |||
広島県田森村酪農一家強盗殺人事件 (H) | |||
大垣飲食店強盗殺人事件 (N) | |||
大津野村強盗殺人事件 (K) | 1949年7月13日 | 1945年12月18日 | 架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。 |
大津野村強盗殺人事件 (K) | 1949年7月13日 | 1945年12月18日 | 上記共犯。 |
和歌山県上名手村祖母・孫娘強盗殺傷事件 (K) | |||
滝川老女強盗殺人事件 (S) | 1954年1月15日、個別恩赦。 | ||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (M) | |||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (Y) | |||
兵庫県東志方村住職兄妹強盗殺人事件 (H) | |||
北海道南尻別一家3人強盗殺人事件 (Y) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
新発田青果商番頭強盗殺人事件 (S) | |||
宇多津拳銃強盗夫婦殺傷事件 (M) | |||
茨城県吉田村蓮乗壕内殺人事件 (Y) | |||
和歌山一家8人殺害事件 (O) | 1949年8月18日 | 1946年1月29日 | 母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。1968年春に仮出獄。 |
三重県柿野村内妻殺害事件 (N) | 殺人予備前科(懲役1年6月)、殺人前科(懲役8年)1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
荻窪美容師強盗殺人事件 (P) | |||
北海道鵡川村老兄弟強盗殺人事件 (S) | |||
福島県江名町雨宿り強盗殺人事件 (A) | |||
藤沢姉一家3人強盗殺人事件 (W) | |||
前橋警察官連続殺傷事件 (K) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
北海道古平峠ゴム長靴商強盗殺人事件 (O) | |||
滋賀刑務所看守部長殺害事件 (T) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
佐賀県境野村銀行員日本刀強盗殺人事件 (H) |
1950年 - 1954年
1950年死刑確定囚(23人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
福岡県八幡市堂守夫婦バラバラ殺人事件 (W) | 1950年1月8日 | 1949年3月25日 | 控訴せず確定。1950年7月5日に死刑執行。 |
和歌山市自転車店老女強盗殺人事件 (H) | 1950年1月31日 | 1949年6月8日 | 無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。1950年4月26日に死刑執行。現行の刑事訴訟法下で確定から執行の最短記録(2ヶ月と26日) |
愛知県上郷村呉服商母娘強盗殺人事件 (N) | 1950年2月2日 | 1948年6月9日 | 1953年4月10日に死刑執行。 |
第二小平事件 (K) | 1950年2月3日 | 1946年(3月31日・11月9日・12月21日) | 埼玉県と茨城県で発生。司法の認定では3人殺害であるが、ほかに2人の殺害も自供。若い女性ばかり被害者であったことから。同様な小平事件からこの事件名で報道された。 |
志和堀村両親殺害事件 (M) | 1950年2月21日 | 1948年6月11日 | 犯行時19歳、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約恩赦で無期懲役に減刑。 |
呉拳銃強盗殺人事件 (W) | 1950年4月7日 | 1948年4月10日 | 控訴取下げ。死刑執行日は不明。 |
埼玉県本畠村母娘強盗殺人事件 (S) | 1950年4月18日 | 1947年6月9日 | |
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (Y) | 1950年5月9日 | 1948年2月24日 | |
横浜朝鮮人青果商一家殺傷事件 (Y) | 1950年5月9日 | 1948年2月24日 | |
修善寺2女性強盗殺人事件 (I) | 1950年5月18日 | 1948年9月23日 | |
横須賀ガソリン売買強盗殺人事件 (H) | 1950年5月30日 | 1946年11月20日 | 1951年1月23日に死刑執行。 |
横須賀ガソリン売買強盗殺人事件 (N) | 1950年5月30日 | 1946年11月20日 | 1951年1月23日に死刑執行。 |
秋津村未亡人強盗殺人事件 (O) | 1950年5月23日 | 1949年5月11日 | 控訴取下げ。1950年11月28日に死刑執行。 |
国際ギャング団連続強盗殺傷事件 (K) | 1950年6月23日 | 1946年(1月12日・3月2日) | 年度は不明だが、12月28日もしくは29日に死刑執行。 |
愛知県岡田町飲食店男女強盗殺人事件 (R) | 1950年6月30日 | 1949年3月25日 | 1951年1月16日に死刑執行。 |
戸塚寄宿先家族強盗殺人事件 (K) | 1950年7月25日 | 1947年10月5日 | 控訴取下げ。1951年1月29日に死刑執行。 |
水俣沖船頭夫婦強盗殺人事件 (S) | 1950年7月28日 | 1947年4月8日 | 1954年9月24日に死刑執行。 |
日立雑貨商強盗殺人事件 (T) | 1950年7月29日 | 1949年8月8日 | 上告せず確定。1951年2月2日に死刑執行。 |
3人組拳銃強盗殺人事件 (O) | 1950年9月5日 | 1947年4月23日 | 1955年2月11日に死刑執行。 |
静岡銀行留守番老女強盗殺人事件 (T) | 1950年10月5日 | 1949年3月13日 | 1951年5月21日に死刑執行。 |
三河島三味線師母子強盗殺人事件 (S) | 1950年10月31日 | 1948年1月11日 | |
福岡雇い主強盗殺人事件 (I) | 1950年11月22日 | 1950年4月6日 | 控訴取下げ。1951年7月31日に死刑執行。 |
佐賀県切木村強姦殺人事件 (I) | 1950年11月30日 | 1949年4月24日 | 殺人未遂前科(懲役4年)。死刑執行日は不明。 |
北海道枝幸町一家3人強盗殺人事件 (O) | 1950年12月14日 | 1948年6月4日 | 最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。 |
1951年死刑確定囚(40人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
島根県湯里村老夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1951年1月8日 | 1950年1月3日 | 控訴取下げ。1951年に死刑執行。 |
佐賀県龍光寺住職一家7人殺傷事件 (Y) | 1951年1月23日 | 1950年10月5日 | 控訴せず確定。1951年12月14日に死刑執行。 |
三重県安濃村老女強盗殺人事件 (T) | 1951年1月26日 | 1949年4月1日 | 1951年9月13日に死刑執行。 |
鶴見老夫婦強盗殺人事件 (K) | 1951年1月30日 | 1949年3月7日 | 死刑執行日は不明。 |
矢野村強盗殺人事件 (F) | 1951年2月2日 | 1947年5月23日 | 未成年(少年死刑囚)。兄弟で犯した強盗殺人について死刑判決を受けた弟が「主犯は兄である」と主張していた。兄もそれを裏付ける主張を行っていたが、弟の再審請求は容れられず、1953年2月20日に死刑執行。 |
福井県遠敷村老女ピストル強盗殺人事件 (K) | 1951年2月16日 | 1949年10月5日 | 1951年?執行。 |
福島県鳩花温泉旅館強盗殺傷事件 (K) | 1951年3月6日 | 1948年12月4日 | 死刑執行日は不明。 |
千葉県富里村商売仲間女性強盗殺人事件 (T) | 1951年3月30日 | 1949年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
大分市元町強盗殺人事件 (S) | 1951年4月18日 | 1949年1月20日 | 1959年6月10日に死刑執行。 |
大分市元町強盗殺人事件 (N) | 1951年4月18日 | 1949年1月20日 | 1959年6月10日に死刑執行。 |
土浦老人強盗殺人事件 (O) | 1951年4月26日 | 1948年1月12日 | 死刑執行日は不明。 |
福島県鮫川村一家3人殺傷事件 (S) | 1951年6月8日 | 1949年6月28日 | 死刑執行日は不明。 |
鷺宮元陸軍大佐夫人強盗殺人事件 (Y) | 1951年6月15日 | 1948年11月5日 | 上告せず確定。1955年7月に死刑執行。 |
今里新地タクシー運転手強盗殺人事件 (Y) | 1951年6月19日 | 1949年10月24日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
江東区友人の母強盗殺人事件 (Y) | 1951年7月5日 | 1949年11月21日 | 死刑執行日は不明。 |
福島県高久村一家4人殺害事件 (O) | 1951年7月6日 | 1949年6月3日 | 未成年(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。 |
山梨県昭和村一家3人強盗殺傷事件 (S) | 1951年7月10日 | 1947年1月26日 | 死刑執行日は不明。 |
菅野村強盗殺人・放火事件 (Y) | 1951年7月10日 | 1949年6月10日 | 犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核・精神病を罹患し1969年9月2日に恩赦減刑され、1978年に病死(63歳没)。 |
板橋母娘強盗殺人事件 (K) | 1951年8月6日 | 1949年11月24日 | 上告取下げ。死刑執行日は不明。 |
兵庫県東谷村老女強盗殺人事件 (T) | 1951年8月9日 | 1949年10月2日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
熊本県宮内村煙草屋強盗殺人事件 (I) | 1951年8月9日 | 1950年4月20日 | 1952年6月19日に死刑執行。 |
熊本県菱形村社長夫妻強盗殺人事件 (U) | 1951年8月31日 | 1949年12月15日 | 1958年4月14日に死刑執行。 |
北海道弟子屈町母子3人強盗殺人事件 (K) | 1951年9月3日 | 1950年3月14日 | 上告取下げ。 |
千歳母子強盗殺人事件 (K) | 1951年9月4日 | 1950年7月19日 | 上告取下げ。 |
小田原一家5人殺害事件 (S) | 1951年9月6日[33] | 1949年9月14日[33] | 事件当時18歳4か月(少年死刑囚)[33]。大量殺人犯だが、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑[34]。1970年3月に仮出獄したが[34]、1984年7月8日に殺人未遂事件を起こし[35]、同年12月19日に東京地裁刑事第15部(柴田孝夫裁判長)で懲役8年の実刑判決(求刑:懲役12年)を受けた[36]。これに伴い、仮釈放も取り消され再収監された[34]。 |
宮城刑務所看守殺害事件 (N) | 1951年9月6日 | 1949年7月29日 | 強盗強姦罪で無期懲役が確定し服役中。1952年6月19日に死刑執行。 |
福島県小塩江村老女強盗強姦殺人事件 (P) | 1951年10月8日 | 1950年3月28日 | 死刑執行日は不明。 |
宮城一家強盗殺傷事件 (A) | 1951年10月18日 | 1950年4月26日 | 一審は無期懲役。1955年1月29日に死刑執行。 |
強盗計画者による家人射殺事件 (P) | 1951年11月8日 | 1949年10月15日 | 一審は無期懲役。1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
名古屋2女性連続強盗殺人事件(中京の小平事件) (T) | 1951年11月30日 | 1947年2月10日・1948年4月15日 | |
長野県長瀬村煙草屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月7日 | 1948年12月19日 | |
高知県大川村拳銃強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月18日 | 1949年11月12日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
帯広一家3人強盗殺傷事件 (O) | 1951年12月20日 | 1950年3月26日 | |
大阪連続強盗強姦殺人事件 (K) | 1951年12月21日 | 1947年11月30日・1948年3月29日 | 未成年(少年死刑囚)。懲役15年(強姦致傷罪)刑執行停止中。死刑執行日は不明。 |
東住吉主婦強盗強姦殺人事件 (K) | 1951年12月21日 | 1950年3月10日 | 一審は無期懲役。1954年5月6日に死刑執行。 |
免田事件(免田栄) | 1951年12月25日 | 1948年12月29日 | 1983年7月に再審で無罪が確定した冤罪事件。 |
栃木県須賀川村老婆強盗殺人事件 (Y) | 1951年12月25日 | 1950年4月9日 | |
姫路知人2人強盗殺人事件 (O) | 1951年12月27日 | 1950年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
姫路知人2人強盗殺人事件 (T) | 1951年12月27日 | 1950年2月20日 | 死刑執行日は不明。 |
宇治博徒仲間強盗殺人・鉄道轢断事件 (K) | 1951年12月28日 | 1948年11月14日 | 一審は無期懲役。1957年6月27日に死刑執行。 |
1952年死刑確定囚(34人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (A) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (T) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
福島県清水峠拳銃強盗殺人事件 (H) | 1952年1月22日 | 1949年7月15日 | 執行日不明 |
島根県連続強盗殺傷放火事件 (M) | 1952年1月23日 | 1951年5月25日/29日 | 1952年10月22日執行 |
静岡雇い主一家3人殺害事件 (R) | 1952年1月23日 | 1950年6月25日 | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 |
大分県駅館村雑貨商一家強盗殺傷事件 (N) | |||
兵庫友人兄弟強盗殺人事件 (G) | |||
兵庫友人兄弟強盗殺人事件 (N) | |||
水戸露天商夫婦強盗殺傷事件 (Y) | |||
神田知人父娘強盗殺人事件 (I) | |||
大分県上井田村内妻一家3人刺殺事件 (S) | 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
九段老女・太秦タクシー運転手連続強盗殺人事件 (O) | |||
栃木県落合村幼児強盗殺人事件 (N) | |||
宮城県吉田村3人組母子強盗殺人事件 (O) | |||
宮城県吉田村3人組母子強盗殺人事件 (T) | |||
市川博徒仲間殺人事件 (Y) | 1970年7月17日、個別恩赦減刑。その後病死。 | ||
石岡強盗殺傷事件 (S) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (M) | |||
柳井元日通職員強盗殺人事件 (T) | |||
池袋カルピス毒殺事件 (N) | |||
福岡連続強盗殺人事件 (S) | 1952年4月9日(控訴審判決日)[37] | 1951年(5月15日・6月3日)[38] | 事件当時19歳10か月(少年死刑囚)[37]。福岡県内(福岡市および八幡市)で男性2人を殺害[39]。逮捕後、「『ソウさん』という共犯者(=当時逃亡中の古谷惣吉)がいる」と主張したが、警察はほとんどその共犯者(=古谷)について追及せず[40]、1951年11月7日に福岡地裁で死刑判決[39]。控訴したが、1952年4月9日に福岡高裁で控訴棄却判決を受け死刑が確定[37]。1953年に死刑執行[41]。 共犯者・古谷惣吉はSの死刑執行後に逮捕され、懲役10年の判決を受け服役したが[42]、出所後に8人連続殺人事件(警察庁広域重要指定105号事件)を起こして死刑確定(1985年〈昭和60年〉8月1日に死刑執行)[43]。 |
埼玉の小平事件 (T) | |||
国鉄職員による小山駅女性全裸殺人事件 (I) | |||
栃木県粟野町住職夫妻ら強盗殺人事件 (K) | |||
茨城県軽野村一家3人強盗殺人事件 (T) | 1952年7月10日 | 1950年2月19日 | 1956年11月10日に名古屋拘置所で死刑執行。 |
蔵前元雇い主親子強盗殺人事件 (K) | |||
宮城馬喰強盗殺人事件 (H) | |||
平戸幽霊船大生丸殺人事件 (U) | |||
貸しボート上暴力団抗争射殺事件 (T) | 1952年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
茨城連続強盗殺人事件 (W) | |||
和歌山・奈良2女性連続殺人事件 (M) | |||
福岡・神戸警察官ら連続射殺事件 (H) | |||
埼玉県大門村一家5人強盗殺傷事件 (I) | |||
佐賀県小城町玩具商父娘強盗殺傷事件 (W) |
1953年死刑確定囚(26人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
北海道穂別村老夫婦強盗殺人事件 (I) | |||
新潟八百屋夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
富良野住職夫婦強盗殺人放火事件 (H) | |||
北海道永山村飯場仲間一家ら6人殺傷事件 (I) | |||
長崎若妻強盗殺人事件 (K) | |||
鳥取県大宮村林業従事者殺人窃盗事件 (M) | 1953年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
矢板山林売買強盗殺人事件 (T) | |||
伊那老女強盗殺人事件 (N) | |||
千葉県富勢村ヤミ屋一家3人強盗殺人事件 (Y) | |||
千葉県富勢村ヤミ屋一家3人強盗殺人事件 (M) | |||
杉並老女強盗殺人事件 (S) | |||
元巡査による架空取引強盗殺人事件 (N) | |||
福岡県筑紫村牛目的強盗致死事件 (U) | |||
上伊那郡朝日村農協強盗殺人事件 (S) | |||
倉敷時計商親子強盗殺人事件 (H) | |||
長野県七貴村強盗殺人事件 (N) | |||
長野県七貴村強盗殺人事件 (S) | |||
北海道津別町一家5人強盗殺傷事件 (T) | |||
福島県白方村一家6人殺傷事件 (K) | |||
横浜火薬廠守衛長夫婦強盗殺人事件 (S) | |||
横浜火薬廠守衛長夫婦強盗殺人事件 (Y) | |||
共同事業者青酸ビール毒殺事件 (S) | 1954年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
御殿場町役場宿直員強盗殺人事件 (K) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
茨城県磯浜町一家5人殺傷事件 (S) | 1954年、サンフランシスコ講和条約締結に伴う政令恩赦で減刑。 | ||
天草一町田村強盗殺人事件 (Y) | |||
東京松沢マーケット商人強盗殺人事件 (S) |
1954年死刑確定囚(20人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
大阪看板屋父子殺人・広島強盗事件 (N) | |||
香川県山内村一家4人殺害事件 (W) | |||
香川県山内村一家4人殺害事件 (N) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (N) | |||
淀川堤防タクシー強盗殺人事件 (W) | |||
熊本県柿迫村炊事婦殺害事件 (M) | |||
横須賀材木商強盗殺人事件 (F) | |||
石巻図書館司書殺人事件 (A) | |||
別府内妻両親強盗殺人事件 (T) | |||
秋田一家3人殺害事件 (Y) | |||
茅ヶ崎知人の妻強盗殺人事件 (Y) | |||
岡山県和意谷叔父一家4人殺傷事件事件 (M) | |||
埼玉県幡羅村パチンコ店留守番強盗殺人事件 (A) | |||
水戸無尽会社宿直員殺傷事件 (H) | |||
神戸巡査夫人強盗殺人事件 (Y) | |||
福岡県添田町質商夫婦強盗殺傷事件 (H) | |||
金比羅丸事件 (I) | |||
兵庫県多加野村農協事務員強盗殺人事件 (F) | |||
検見川事件 (栗田源蔵) | |||
おせんころがし殺人事件 (栗田源蔵) | 上記と同一人。 | ||
大宮女性郵便局員殺人事件 (S) |
1955年 - 1959年
1955年死刑確定囚(20人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
広島刑務所副看守長殺害事件 (I) | 1955年2月2日 | 1953年5月29日 | 控訴取下げ。殺人前科あり。1957年2月4日に死刑執行。 |
京都クリーニング店3人殺害事件 (U) | 1955年3月16日 | 1953年10月24日 | 上告取下げ。死刑執行日は不明。 |
横浜市金沢区留守番男性強盗殺人事件 (F) | 1955年3月22日 | 1952年1月28日 | 死刑執行日は不明。 |
帝銀事件(平沢貞通) | 1955年4月6日 | 1948年1月26日 | 1987年5月10日獄死(95歳没)。 |
大阪港機帆船船長兄弟殺人事件 (Y) | 1955年4月12日 | 1954年2月17日 | 上告せず確定。死刑執行日は不明。 |
蕨隣家夫婦射殺・茨城2人射殺未遂事件 (S) | 1955年6月9日 | 1947年12月30日・1951年12月25日 | 死刑執行日は不明。 |
三鷹事件(竹内景助) | 1955年6月22日 | 1949年7月15日 | 電車顛覆致死事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年1月18日に獄死(45歳没)。 |
栃木雑貨商一家殺害事件 (K) | 1955年6月28日 | 1953年3月17日 | 上告棄却、白内障を患った母親の治療費欲しさに近所の雑貨商に侵入し、一家3人と使用人を殺害。最高裁上告中に脱獄、後に確保され、1955年6月28日に最高裁が上告を棄却。同年11月22日宮城刑務所にて死刑執行。死刑確定から執行までの期間は戦後最短とする文献もあるが、これは誤りで、昭和20年代には確定から2か月前後で執行された者もいる。 |
湯島・羽生連続強盗殺人事件 (H) | |||
福島県黒土村強盗殺人事件 (F) | |||
宮崎老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
兵庫県若狭野村遠縁3人強盗殺人事件 (N) | |||
北海道標茶町内妻実家放火殺人事件 (A) | |||
大阪市住吉区銭湯一家4人強盗殺人事件 (S) | |||
神戸洋服商殺人事件(孫斗八) | 1955年12月16日 | 1951年1月17日 | 上告棄却、以前オーバーコートを購入した洋服商店に上り込み、夫婦2人を殺害。 |
新宿家政婦殺害事件[44] (F) | 1955年12月20日 | 1951年5月25日 | 上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害。 |
福岡・豊津村一家8人殺害事件 (N) | 1955年12月26日 | 1954年9月7日 | 上告棄却、同居していた一家8人を惨殺。殺人未遂前科(懲役4年)。 |
門司3人殺害事件[45] (K) | 1955年12月26日 | 1952年(4月21日・5月13日・5月19日) | 上告棄却、幼児3人を惨殺。1958年4月12日に死刑執行。当時としては異例の再審請求中の執行。 |
喜多方巡査殺害事件[46] (S) | 1955年12月26日 | 1953年5月7日 | 上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害。成人4日後の犯行。死刑執行日は不明。 |
長野・松尾村医師見習強盗致死事件[47] (M) | 1955年12月26日 | 1954年9月5日 | 上告棄却、1人を刺殺。死刑執行日は不明。 |
1956年死刑確定囚(21人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
福島県田人村母子強盗殺人事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
旭川通運宿直員強盗殺人事件 (H) | |||
旭川通運宿直員強盗殺人事件 (K) | |||
福岡事件 (N) | 1956年4月17日 | 1947年5月20日 | 1975年6月17日に死刑執行(60歳没)。 |
福岡事件 (I) | 1956年4月17日 | 1947年5月20日 | 1975年6月17日に個別恩赦で無期懲役に減刑。1989年仮出獄、2008年11月7日に死去(91歳没)。 |
宗像坑木商強盗殺人事件 (O) | |||
京都母親強盗殺人事件 (K) | |||
宮城県利府村一家6人殺傷事件 (S) | |||
熊本市長安寺町女性強盗殺人事件 (T) | |||
延岡タクシー運転手強盗殺人事件 (T) | 控訴取下げ。 | ||
半田伯父ら連続強盗殺人事件 (I) | |||
福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (T) | |||
福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (Y) | |||
相模原質店強盗殺人事件 (S) | |||
文京区小2女児殺害事件 (S) | |||
茨城恩人強盗殺人事件 (M) | |||
藤井寺旅館母子殺傷事件 (M) | |||
銀座弁護士妻子殺人事件 (B) | 控訴せず確定。 | ||
名古屋守衛夫人強盗殺人放火事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
帯広一家3人強盗殺傷事件 (S) | |||
大阪市松屋町主人一家4人殺害事件 (M) | 未成年(少年死刑囚)。 |
1957年死刑確定囚(25人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
函館金塊事件 (M) | 1957年1月 | 1954年8月22日 | 二審判決が確定。 |
財田川事件(谷口繁義) | 1957年1月22日 | 1950年2月28日 | 高松地方検察庁で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、古畑種基による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する拷問といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。 |
大分県野津町叔父夫婦強盗殺傷事件 (Y) | 1957年2月27日 | 1955年8月15日 | 鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、上告せず確定。 |
兵庫女性強姦殺人事件 (I) | 1957年4月5日 | 1954年12月1日 | 通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却。 |
保土ヶ谷女性強盗殺人事件 (U) | 1957年4月18日 | 1953年12月31日 | 通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却。 |
我孫子女子中学生殺害事件 (S) | 1957年4月26日 | 1955年9月12日 | 通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日に死刑執行[48](28歳没)。 |
八王子マダム福笑い殺人事件 (Y) | 1957年6月27日 | 1955年2月3日 | 1人を縄で絞殺、控訴取下げ。 |
佐賀雇主一家強盗殺傷事件 (W) | 1957年6月27日 | 1952年11月3日 | 知人1人を日本刀で惨殺。 |
和歌山県九重村一軒家母娘強盗殺傷事件 (T) | 1957年7月13日 | 1956年8月2日 | 執行日不明 |
福岡県糸田町幼女殺害事件 (T) | 1957年7月16日 | 1955年3月7日 | 殺人未遂前科(執行猶予中)。1959年12月3日執行 |
三越部長夫人強盗殺人事件 (T) | 1957年7月18日 | 1954年7月1日 | 執行日不明 |
三越部長夫人強盗殺人事件 (Y) | 1957年7月18日 | 1954年7月1日 | 執行日不明。上記共犯。 |
人違いバラバラ殺人事件 (F) | 1957年7月19日 | 1954年9月5日 | 一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日に死刑執行(40歳没)。 |
神戸生田神社通行人2人強盗殺人事件 (O) | 1957年7月24日 | 1956年6月30日 | 控訴取下げ。 |
藤本事件(藤本松夫) | 1957年8月23日 | 1952年7月6日 | 1962年9月14日に死刑執行(40歳没)。死刑囚がハンセン病患者であったため、当時から捜査と裁判の不正さ、冤罪の可能性が指摘されていたが、国の委託を受けた日弁連法務研究財団[49]は、2005年に調査報告書で、「手続的保障が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した[50]。 |
北海道・千歳質店夫婦強盗殺人事件[51] (Y) | 1957年8月30日 | 1954年11月27日 | 一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月で確定時も21歳。 |
十二銭五厘強盗殺人事件[52] (I) | 1957年9月3日 | 1955年12月9日 | 手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。 |
鹿児島雑貨商夫婦殺害事件 (Y) | 1957年9月12日 | 1955年6月28日 | 1960年8月31日執行 |
栃木建設局員強盗殺人事件 (T) | 1957年9月12日 | 1951年5月20日 | 執行日不明 |
栃木建設局員強盗殺人事件 (I) | 1957年9月12日 | 1951年5月20日 | 執行日不明。上記共犯 |
宮城県利府村ハイヤー運転手強盗殺人事件 (M) | 1957年9月17日 | 1956年3月9日 | 執行日不明 |
福岡県名島老女強盗致死事件 (A) | 1957年10月10日 | 1952年6月25日 | 執行日不明 |
大分県鶴崎町青酸カリ毒殺事件 (K) | 1957年10月18日 | 1947年12月19日 | 別件殺人罪(懲役13年)服役中に発覚。1960年9月14日執行 |
横浜一家6人殺傷事件 (O) | 1957年10月25日 | 1951年6月16日 | 執行日不明 |
梅田事件等(北見・留辺蘂営林署員連続強盗殺人事件) (H) | 1957年11月14日 | 1950年10月10日・1951年6月11日 | Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。青地晨の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日に死刑執行(37歳没)。 |
1958年死刑確定囚(21人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
須坂連続親族毒殺事件 (H) | |||
蒲田・磯子連続強盗殺傷事件 (K) | 共犯のNは1955年8月30日自殺。 | ||
岩見沢女性祈祷師強盗殺人事件 (H) | |||
大宮公園強盗殺人事件 (H) | |||
八王子老女強盗殺人事件 (S) | 控訴取下げ。 | ||
函館金塊殺人事件 (S) | |||
東京高校小使殺害事件 (Y) | |||
葛飾区神社殺人事件 (I) | 上告せず確定。 | ||
穂高一家4人殺害事件 (K) | |||
穂高一家4人殺害事件(死刑受執行業務不存在確認請求) (M) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
八戸通運店員強盗殺人事件 (H) | 一審は無期懲役。 | ||
八戸通運店員強盗殺人事件 (K) | 一審は無期懲役。 | ||
神奈川県牧野村飲食店女性強盗殺人事件 (O) | 一審は無期懲役。 | ||
墨田老女強盗殺人事件 (M) | 控訴取下げ。 | ||
江戸川運転手殺害事件 (M) | 1958年6月13日 | 1956年4月5日 | 江戸川区で運転手を殴り付近のハス田に投げ込み窒息死にし約2500円を奪った[53]。 |
中野質屋夫婦殺傷事件 (T) | 1958年6月13日 | 1955年11月4日 | 遊興費に窮した男が質屋に押し入り、妻をナタで撲殺し夫は重傷。500円と腕時計を奪う[54]。 |
兵庫県戸倉峠強盗殺人事件 (K) | |||
浅草夫婦強盗殺人事件 (O) | |||
小金井少女強姦殺人事件 (K) | 控訴取下げ。求刑は無期懲役。 | ||
牟礼事件(佐藤誠) | 1958年8月5日 | 1950年4月13日 | 実行犯による証言のみ。物的証拠がないため冤罪との指摘がある。再審請求8回。1989年10月27日、くも膜下出血のため死亡(81歳没)。 |
津新町駅長夫人殺害事件 (N) | 一審は無期懲役。 |
1959年死刑確定囚(14人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
北海道連続強盗強姦殺傷事件 (K) | 1959年3月12日 | 1953年9月5日・1958年1月3日 | 控訴せず確定、侵入先一家3人を惨殺。 |
杉並重役夫人殺害事件[55] (H) | 1959年4月16日 | 1957年4月24日 | 一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺。 |
銀座雑貨商殺害事件[56] (S) | 1959年4月16日 | 1955年3月5日 | 上告棄却、侵入先で1人を殺害。 |
長野一家4人殺害事件 (O) | 1959年4月23日 | 1956年12月30日 | |
札幌重役夫人殺害事件 (W) | 1959年4月28日 | 1957年1月30日 | |
横浜母子強盗殺人事件 (A) | 1959年6月9日 | 1957年5月17日 | |
八王子マダム福笑い殺人事件 (O) | 1959年6月16日 | 1955年2月3日 | 犯行当時は未成年者(少年死刑囚)。共犯のYは1957年6月27日に控訴取下げで死刑確定。 |
宇部市兄一家4人殺害事件[57] (S) | 1959年9月18日 | 1957年3月6日 | 上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺。 |
品川トランク詰殺人事件 (N) | 1959年9月18日 | 1956年6月28日 | 男性に青酸カリ入りの寿司を食べさせて毒殺し、逃亡。共犯の女性Oは懲役15年(求刑無期懲役)。 |
中野友人殺害事件[58] (T) | 1959年9月18日 | 1956年12月1日 | 上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑。 |
鹿児島接客婦殺害事件 (K) | 1959年10月22日 | 1957年12月18日 | 控訴取下げ。1960年3月1日に死刑執行。嘱託殺人前科(懲役1年)、殺人前科(懲役20年)。 |
北海道・羽幌強盗放火殺人事件[59] (O) | 1959年12月4日 | 1956年4月4日 | 上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺。 |
東京・神奈川・埼玉連続婦女暴行殺傷事件[60] (A) | 1959年12月15日 | 1954年7月4日・10月26日 | 上告棄却。殺人・強姦致死各1件のほか婦女暴行31件の余罪。 |
大分県山香町伯母夫婦ら3人殺害事件 (O) | 1959年12月25日 | 1955年12月15-16日 | 1962年2月21日に死刑執行。 |
1960年 - 1964年
1960年死刑確定囚(36人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
鹿児島2女性井戸投げ込み強盗殺人事件 (M) | 1960年1月6日 | 1958年11月26日 | 上告せず確定。1962年8月10日執行 |
豊中運転手強盗殺人事件 (I) | 1960年2月5日 | 1956年7月12日/1957年2月14日 | 執行日不明 |
霧島山一家4人強盗殺人事件 (Y) | 1960年2月24日 | 1957年1月4日 | 控訴取下げ。執行日不明 |
松島パークホテル殺人事件 (H) | 1960年2月26日 | 1956年8月14日 | 執行日不明 |
高知証券融資会社社長殺害事件 (T) | 1960年3月3日 | 1956年4月2日 | 執行日不明 |
横浜重役夫人殺害事件 (S) | |||
稚内牧場強盗殺人事件 (U) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
秋田県花矢町一家4人強盗殺傷放火事件 (S) | |||
茨城県八郷町土地詐取殺人事件 (H) | |||
盛岡一家3人殺害事件 (K) | |||
江戸川船頭一家4人殺傷事件 (M) | 上告せず確定。 | ||
刈谷母娘強盗殺人事件 (K) | |||
呉雑貨商夫婦強盗殺人事件 (K) | |||
田川小6女児身代金誘拐殺人事件 (K) | 未成年(少年死刑囚)。 | ||
日光中宮祠事件 (P) | 1960年6月10日 | 1946年5月4日 | 強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日に死刑執行。 |
日光中宮祠事件 (S) | 1960年6月10日 | 1946年5月4日 | 上記共犯。1974年6月6日に死刑執行。 |
京都・大映部長一家4人殺害事件[61] (K) | 1960年6月21日 | 1957年12月6日 | 1962年に死刑執行。 |
別府銀行員強盗殺人事件 (N) | 1960年6月28日 | 1956年9月5日 | 1973年5月11日に死刑執行。 |
宮城自動車販売店外交員殺害事件 (I) | 1960年7月15日 | 1955年11月4日 | 購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた[62]。 |
熊本質屋女性主人殺害事件[61] (I) | 1960年8月4日 | 1958年10月30日 | 1963年2月14日に死刑執行。 |
広島・八本松タクシー強盗殺人事件 (T) | 1960年8月4日 | 1957年1月29日 | 銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪[63]。また1961年4月3日に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした[64]。 |
ブローカー連続殺人事件 (Y) | 1960年8月30日 | 1952年(4月10日・7月11日) / 1954年3月14日 | 殺人前科(無期懲役、講和恩赦で懲役20年に減刑)。1969年11月病死。 |
ブローカー連続殺人事件 (N) | 1960年8月30日 | 1952年(4月10日・7月11日) / 1954年3月14日 | 上記共犯。1970年10月30日に死刑執行。 |
札幌元雇い主夫人強盗殺人事件 (W) | |||
小松元警官による女性殺害事件 (H) | |||
富士宮農協強盗殺人事件 (K) | |||
松山事件(齋藤幸夫) | 1960年11月1日 | 1955年10月18日 | 強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月11日であった。 |
富田林姉弟殺害事件 (K) | 控訴取下げ。 | ||
江戸川主婦強盗殺人事件 (K) | |||
伊東老夫婦強盗殺人事件 (T) | |||
水戸クリーニング店一家3人殺害事件 (H) | |||
柏老夫婦強盗殺傷事件 (P) | |||
島田事件(赤堀政夫) | 1960年12月15日 | 1954年3月10日 | 女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定[注 5]で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年1月31日に無罪判決。静岡県警察警部であった「拷問王」紅林麻雄による冤罪犠牲者[注 6]のひとりとされている。 |
熊本饅頭屋夫妻殺人事件 (S) | 1960年12月16日 | 1956年1月12日 | 上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日に死刑執行(26歳没)。 |
愛知県吉良町夫婦殺害事件 (H) |
1961年死刑確定囚(18人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
和歌山愛人ら爆殺事件[65] (H) | 1961年2月2日 | 1954年10月15日 | 元愛人ら2人をダイナマイトで殺害。裁判時は62歳。死刑執行日は不明。 |
三鷹タクシー運転手強盗殺人事件 (O) | 1961年2月21日 | 1958年3月26日 | 1967年10月26日執行 |
西宮通り魔殺人事件(広域連続強盗・強姦事件) (K) | 1961年3月2日 | 1957年12月17日 | 執行日不明 |
滝野川左官屋夫婦殺害事件 (N) | 1961年3月24日 | 1958年8月4日 | 執行日不明 |
下関養父母殺害逃亡事件(連続身代わり殺人事件) (0) | 1961年3月30日 | 1955年6月1日・1956年2月7日・1958年1月11日 | 養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年3月2日に死刑執行。 |
高岡質屋女性主人殺害事件 (I) | 1961年6月6日 | 1960年3月14日 | 質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪[66]。1967年10月22日に死刑執行。 |
葛飾守衛強盗殺人事件 (T) | 1961年6月9日 | 1959年1月1日 | 執行日不明 |
奈良少女強姦殺人事件 (K) | 1961年7月11日 | 1957年11月20日 | 1962年9月15日 |
名古屋老夫婦強盗殺人事件 (I) | 1961年7月19日 | 1956年2月29日 | 一審は懲役15年 |
名古屋老夫婦強盗殺人事件 (I) | 1961年7月19日 | 1956年2月29日 | 一審は無期懲役 |
昭和郷アパート放火事件 (I) | 1961年7月31日 | 1957年10月27日 | 現住建造物等放火罪(死者8名)で死刑。一審は無期懲役。戦後、殺人や致死罪に問われず死刑が確定した唯一の事例。1970年に死刑執行。 |
愛知老女・幼児強盗殺人事件 (K) | 1961年8月10日 | 1960年11月4日 | 控訴取下げ。取下げ無効を訴えるも、1964年9月25日、取下げ有効が最高裁で確定。1967年10月23日に死刑執行。 |
小松川事件(李珍宇) | 1961年8月17日 | 1958年(4月20日・8月17日) | 犯行時18歳、犠牲者は女性2人。1962年11月16日に死刑執行(22歳没)。 |
愛知佐久島漁協宿直員強盗殺人事件 (Y) | 1961年8月17日 | 1958年11月16日 | 漁協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役[67]。1967年10月25日に死刑執行。 |
相模原精肉店夫婦殺害事件 (M) | 1961年9月8日 | 1958年9月1日 | 執行日不明 |
相模湖町若妻殺害事件 (O) | 1961年9月14日 | 1958年7月28日 | 執行日不明 |
尼崎周旋業夫婦強盗殺人事件 (K) | 1961年10月13日 | 1958年2月23日 | 執行日不明 |
立川宿直員強盗殺人事件 (S) | 1961年10月31日 | 1959年5月11日 | 執行日不明 |
1962年死刑確定囚(14人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
横浜船長父子殺人放火事件 (M) | 1962年2月16日 | 1959年2月8日 | |
釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件 (T) | 1962年2月20日 | 1957年11月5日 | 一審は無期懲役。 |
岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件 (A) | 1962年3月31日 | 1960年2月19日 | 控訴せず確定。 |
岐阜鉱山主殺害事件 (P) | 1962年4月6日 | 1957年9月16日 | 在日コリアンによる事件。一審は無期懲役。1970年10月23-24日に死刑執行。 |
佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (K) | 1962年5月8日 | 1959年4月14日 | 1970年9月19日に死刑執行。 |
長崎奈留島雑貨商殺人事件 (M) | 1962年5月29日 | 1955年9月28日 | 1974年1月24日獄死。 |
小千谷農家強盗殺傷事件(島秋人) | 1962年6月1日 | 1959年4月6日 | 凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。本名は中村覚。1967年11月2日に死刑執行(33歳没)。 |
山口同僚強盗殺人事件 (H) | 1962年6月29日 | 1958年10月10日 | |
闇屋連続4人殺害事件 (I) | 1962年7月17日 | 1946年(7月17日・12月28日)・1947年4月22日 | 生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日に死刑執行(68歳没)。 |
広島・加計町強盗殺人事件 (Y) | 1962年10月9日 | 1957年7月12日 | 被害者3人。 |
広島・加計町強盗殺人事件 (O) | 1962年10月9日 | 1957年7月12日 | 上記共犯。 |
北海道・赤平母子殺害事件 (K) | 1962年10月18日 | 1960年1月17日 | |
静岡清水村老婆強盗殺人事件 (T) | 1962年12月11日 | 1960年12月30日 | |
箕面社長一家殺傷事件 (U) | 1962年12月14日 | 1959年3月16日 | 犠牲者1人。 |
1963年死刑確定囚(16人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
バー・メッカ殺人事件(正田昭) | 1963年1月25日 | 1953年7月27日 | 当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日に死刑執行(40歳没)。 |
西宮雇い主一家3人殺害事件 (K) | 1963年2月8日 | 1958年8月7日 | 犯行時19歳。 |
葉山主婦強盗殺人事件 (M) | 1963年3月28日 | 1959年4月21日 | |
中野刑務所看守殺害事件 (S) | 1963年3月28日 | 1961年1月21日 | 共犯(無期懲役)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年10月26日に死刑執行。 |
女性連続毒殺魔事件(杉村サダメ) | 1963年3月28日 | 1960年12月(6日・14日・18日・28日) | 女性死刑囚。1970年9月19日に死刑執行。 |
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (K) | 1963年4月12日 | 1960年8月26日 | 下記共犯Sも死刑。 |
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (S) | 1963年4月12日 | 1960年8月26日 | 上記K(死刑)の共犯。 |
神戸重役夫人殺害事件 (Y) | 1963年4月23日 | 1958年12月8日 | |
看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件 (H) | 1963年4月30日 | 1960年10月(23日・24日) | 控訴するも直後に取り下げ。 |
岩槻一家7人殺害事件 (A) | 1963年4月30日 | 1959年7月26日 | 家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。死刑執行日は不明。 |
熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (T) | 1963年5月10日 | 1961年5月31日 | 顔見知りの警察官に毒入りジュースを飲ませ毒殺し、奪った拳銃でタクシー運転手を射殺。 犯行時18歳、1969年11月18日に死刑執行。 |
愛知一宮女性事務員殺害事件 (M) | 1963年5月14日 | 1961年6月30日 | 1969年3月5日に死刑執行? |
松島老堂守殺害事件 (M) | 1963年6月25日 | 1961年4月15日 | |
上尾老夫婦殺害・放火事件 (N) | 1963年6月27日 | 1959年6月23日 | |
東伊豆ダイナマイト殺傷事件 (H) | 1963年9月5日 | 1960年10月9日 | 盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害[68]。 |
福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件 (Y) | 1963年10月1日 | 1960年1月19日 | 共犯は無期、1967年10月21日に死刑執行。 |
1964年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
目黒母子殺害事件 (I) | 1964年1月7日 | 1963年1月17日 | 控訴取下げ確定。1942年に満州で上官を射殺未遂した罪により、軍法会議で無期懲役の前科あり。1957年に刑を免除されていた。1966年、死刑執行。 |
南千住宿直員父子殺害事件 (M) | 1964年1月8日 | 1960年5月14日 | 上告取下げ。 |
大阪・住吉実母殺害事件 (O) | 1964年2月7日 | 1960年6月8日 | 強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日に死刑執行(42歳没)。 |
大和タクシー運転手強盗殺人事件 (K) | 1964年2月18日 | 1954年12月11日 | |
一宮大叔母強盗殺人事件 (N) | 1964年4月2日 | 1961年12月4日 | |
伊那たばこ店老夫婦毒殺事件 (M) | 1964年7月14日 | 1956年4月1日 | |
新潟新聞販売店一家3人殺害事件 (A) | 1964年7月16日 | 1960年4月24日 | かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店[69]に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。1967年11月13日に死刑執行。 |
新潟新聞販売店一家3人殺害事件 (S) | 1964年7月16日 | 1960年4月24日 | 上記事件の共犯者[70]。1967年11月13日に死刑執行。 |
愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件 (H) | 1964年12月8日 | 1960年6月13日 | 1972年獄死。 |
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (S) | 1964年12月25日 | 1962年6月5日 | 判決訂正を申し立てず、翌年1月5日に死刑確定。 |
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (M) | 1965年1月29日 | 1962年6月5日 | 上記事件共犯者。翌年1月29日に判決訂正申立棄却、死刑確定。 |
1965年 - 1969年
1965年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
新宿女性殺害事件 (C) | 1965年1月22日 | 1962年9月14日 | 傷害致死前科(懲役3年・執行猶予5年)。 |
横浜一家3人殺傷事件 (F) | 1965年6月29日 | 1963年4月16日 | 一審は無期懲役。 |
世田谷クリーニング店夫婦殺害事件 (O) | 1965年7月13日 | 1963年6月17日 | 上告せず確定。 |
清水一家4人殺傷事件 (O) | 1965年7月20日 | 1960年2月3日 | |
横須賀廃品回収業者殺害事件 (U) | 1965年9月17日 | 1961年2月13日 | 一審は無期懲役。 |
横浜女児殺害事件 (W) | 1965年12月17日 | 1963年6月16日 | |
釧路甥保険金殺人事件 (A) | 1965年12月21日 | 1959年11月5日 | 殺人未遂前科(懲役3年・執行猶予3年)。 |
1966年死刑確定囚(12人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
釧路雑貨商夫婦殺害事件 (M) | 1966年2月4日 | 1963年11月6日 | 上告棄却。犯行時19歳(少年死刑囚)で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害[71]。一審は無期懲役。1967年に死刑執行。 |
横浜韓国人夫婦殺害事件 (C) | 1966年3月13日 | 1964年8月5日 | 控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。1969年に死刑執行。 |
四国連続強盗殺人事件 (M) | 1966年3月31日 | 1964年10月2-20日 | 6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。 |
座間市女性殺害事件 (K) | 1966年4月8日 | 1963年6月22日 | 上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った[72]。1969年3月14日に死刑執行[73]。 |
小倉強盗殺人放火事件 (H) | 1966年5月31日 | 1963年2月22日 | 上告棄却[74]。 |
旭川連続短銃殺傷事件 (C) | 1966年5月31日 | 1964年6月(15日・17日・18日) | 上告棄却[75]。 |
熊谷夫毒殺事件、ホテル日本閣殺人事件(小林カウ) | 1966年7月14日 | 1952年10月2日・1960年(2月8日・12月31日) | ホテル経営者夫妻を相次いで殺害。 戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。1970年6月11日に死刑執行(61歳没)。女性死刑囚としては戦後初の死刑執行。 |
ホテル日本閣殺人事件 (O) | 1966年7月14日 | 1960年2月8日・12月31日 | 上記共犯。1970年6月11日に死刑執行。 |
西口彰事件(西口彰) | 1966年8月15日 | 1963年(10月18日・11月19日・12月29日) | 元同僚ら5人を殺害。上告取下げ。1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。 |
日南刑務所仲間両親強盗殺人事件 (N) | 1966年8月26日 | 1965年9月29日 | 控訴せず確定。重過失致死前科、傷害致死前科。1969年12月19日に死刑執行。 |
厚木親方一家4人殺害事件 (H) | 1966年12月1日 | 1964年10月25日 | 1969年に死刑執行。検察の資料等でも少年死刑囚とされているが、これは誤りで実際は犯行時20歳0か月。 |
九州三女性殺害事件(S) | 1966年12月8日 | 1952年9月10日・1962年(1月23日・3月26日) | 上告棄却。1952年9月10日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた[76]。翌年1月12日に判決訂正申立棄却で確定。殺人前科(懲役8年)。1970年6月20日に死刑執行。 |
1967年死刑確定囚(13人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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東京・中野靴職人殺害事件 (O) | 1967年3月24日 | 1958年2月17日 | |
福神丸殺人事件 (K) | 1967年3月16日 | 1965年3月23-24日 | 上告棄却。九州近海の漁船「福神丸」で発生。義母が死亡したため漁船員が帰港を申し出て船長も受諾。しかし途中で嵐に会い口永良部島に寄航。その時船長と早く出港するように申し出たところ喧嘩になり船長を傷害致死。さらに止めに入った同僚二人を刺した。同僚は船室に逃げ込んだため二人を閉じ込めて水没させ海難事故に見せかけて殺害した[77]。1970年10月29日に死刑執行。 |
品川バーマダム強盗殺人事件 (K) | 1967年4月7日 | 1965年9月17日 | 上告棄却。出所したばかりの男が自分が住むアパート内の部屋を物色中にその部屋で寝ていたバーの雇われマダムを刺殺し2000円を奪った。ほかにも窃盗事件8件の余罪あり[78]。 |
日南刑務所仲間両親強盗殺人事件 (U) | 1967年4月11日 | 1965年9月29日 | 控訴取下げ。1969年12月19日に死刑執行。 |
雅樹ちゃん誘拐殺人事件(本山茂久) | 1967年5月25日 | 1960年5月16-18日 | 幼稚園児を誘拐し殺害し逃亡。前職は歯科医。1971年に死刑執行。 |
大阪・西成幼女殺害事件 (K) | 1967年5月25日 | 1960年2月13日 | |
盛岡・強盗殺人放火事件 (Y) | 1967年7月14日 | 1965年1月14日 | 一審は無期懲役。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (O) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 被害者2人に対し強盗団3人とも死刑。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (K) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 上記共犯者。 |
船橋・夫婦強盗殺害事件 (T) | 1967年7月25日 | 1964年2月27日 | 上記共犯者。 |
静岡・中学生強姦殺害事件 (M) | 1967年9月22日 | 1965年10月14-15日 | 上告棄却。妻の経営するバーの前を通り過ぎていた14歳少女を連れ込み手足を縛り暴行。翌朝絞殺し床下に隠していた。一審は無期判決だった[79]。 |
八王子金融業者夫婦殺害事件 (Y) | 1967年9月29日 | 1963年7月5日 | |
吉展ちゃん誘拐殺人事件(小原保) | 1967年10月13日 | 1963年3月31日 | 見ず知らずの幼児を誘拐後、殺害。自供したのは2年後のことだった。1971年12月23日に死刑執行(38歳没)。 |
1968年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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札幌建設会社社長強盗殺人事件 (Y) | 1968年4月5日 | 1966年9月8日 | 上告せず確定。警察の名を騙って被害者を呼び出した上で殺害、小切手帳などを奪い死体を原野に埋めたもの[80]。共犯者は無期懲役。 |
下松ホステス路上強盗殺人事件 (S) | 1968年4月12日 | 1963年7月12日/22日 | |
国分寺主婦強盗殺人事件 (H) | 1968年4月26日 | 1966年5月21日 | 上告棄却。会社員宅に押し入り同家の妻を刺殺し現金2020円とネックレスなどを奪った[81]。1971年11月9日に死刑執行。 |
岡崎採石場経営者兄弟殺害事件 (N) | 1968年5月2日 | 1964年10月7日 | 1973年に死刑執行。 |
岩手薪炭業者夫婦殺害事件 (Y) | 1968年5月2日 | 1964年12月18日 | 上告棄却。12月15日に薪炭業者に手持ちがないのに木炭を買い取って欲しいと嘘を言って15万円を騙し取った。さらに警察に通報されることを恐れ薪炭業者夫婦を猟銃で殺害し4万6500円を奪った[82]。 |
静岡母娘強盗殺傷事件 (N) | 1968年5月2日 | 1966年4月20日 | 執行日不明 |
名古屋埠頭タクシー運転手強盗殺人事件 (I) | 1968年5月10日 | 1967年4月17日 | 控訴取下げ。1971年11月18日に死刑執行。 |
仙台幼児誘拐殺人事件 (K) | 1968年7月2日 | 1964年12月21日 | 一審は無期懲役。1974年7月5日に死刑執行。元映画俳優。 |
葛飾路上税理士強盗殺人事件 (N) | 1968年7月16日 | 1966年10月2日 | 殺人前科(懲役10年)。 |
高山友人強盗殺人事件 (D) | 1968年12月13日 | 1961年8月12日 | 1972年2月2日に死刑執行。 |
名古屋埠頭タクシー運転手強盗殺人事件 (K) | 1968年12月24日 | 1967年4月17日 | 控訴取下げ。1971年11月18日に死刑執行。 |
1969年死刑確定囚(13人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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熊本雑貨商一家3人強殺事件 (K) | 1969年3月25日 | 1958年2月18日 | 共犯は無期懲役、1975年7月11日に死刑執行。 |
秋田元同僚強盗殺人事件 (S) | 1969年4月25日 | 1966年2月21日 | |
田無・春日部連続強盗殺人事件 (N) | 1969年6月28日 | 1966年9月 | 控訴取下げ、1973年10月12日に死刑執行。 |
兵庫衣料品店夫妻強殺事件 (K) | 1969年7月11日 | 1968年5月24日 | |
鶴見上司バラバラ殺人事件 (N) | 1969年8月22日 | 1966年12月17日 | |
門真一家3人殺害事件 (M) | 1969年10月21日 | 1968年8月7日 | 元同棲相手の家族を殺害。 |
少年ライフル魔事件 (K) | 1969年10月2日 | 1965年7月29日 | 神奈川県で警官を殺傷した後、渋谷の銃砲店に籠城。犯行時18歳。高裁の死刑判決を受けて211ページにわたる上告趣意書を提出、殺意が無かった旨を主張したが、1969年10月2日に上告棄却[83]。1972年7月21日に死刑執行(25歳没)。 |
東京切り裂きジャック事件 (T) | 1969年11月14日 | 1967年 - 1968年 | 被害者2人、殺人前科あり、1972年8月に死刑執行。 |
宇都宮保険金殺人事件 (O) | 1969年11月6日 | 1967年4月19日 | |
八戸農婦強姦殺人事件 (I) | 1969年12月5日 | 1966年4月14日 | |
長崎質店夫婦強盗殺人事件 (Y) | 1969年12月12日 | 1966年12月23日 | 1975年10月3日に死刑執行。 |
昭島老女強盗殺人事件 (S) | 1969年12月16日 | 1965年2月19日 | 東京都昭島市で71歳女性を絞殺して1万円を奪った強盗殺人の容疑で逮捕。1965年4月から八王子拘置支所へ入所したが、同年9月23日、「世間の空気を1日でも良いから吸いたい」として他の収容者2人とともに脱走。2時間余り後に再逮捕された[84]。 |
福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T) | 1969年12月23日 | 1964年12月15日 | 家庭不和解決のため金銭を奪うことを計画したTは、福岡県筑後市にて知り合いの市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み青酸カリ入りの栄養剤を言葉巧みに飲ませた。一人は吐き出して助かったが二人はそのまま死亡した[85]。死刑執行当日の1975年10月3日朝、左手首を剃刀で切り付け自殺。死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。また当日は福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚も死刑が執行されるはずであったが、Tの自殺のため延期され、Kは2日後の1975年10月5日に死刑を執行された。 |
1970年 - 1974年
1970年死刑確定囚(12人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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川越一家3人殺傷事件 (M) | 1970年2月19日 | 1965年8月24日 | 交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた[86]。 |
浜松義妹殺害事件 (I) | 1970年2月20日 | 1968年1月10日 | 犠牲者1人。死刑執行日は不明。 |
町田署警察官殺害事件 (O) | 1970年3月26日 | 1967年10月5日 | 愛人と無理心中するために交番勤務の警察官を殺害し、拳銃を強奪[87]。死刑執行日は不明。 |
福岡2人連続殺傷事件 (K) | 1970年3月26日 | 1966年・1967年 | 一審は無期懲役。福岡現金輸送車職員毒殺事件のT死刑囚と同じ1975年10月3日に死刑執行予定であったが、当日Tが自殺したため延期。2日後の1975年10月5日に死刑執行(37歳没)。 |
三原食堂女主人強盗殺害事件 (H) | 1970年5月 | 1963年1月20日 | 殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行(38歳没)。 |
弘前宝石商殺害事件 (N) | 1970年4月16日 | 1967年8月10日 | 共犯は無期懲役、死刑執行日は不明。 |
北海道知人強盗殺人事件 (N) | 1970年6月 | 1968年10月19日 | 控訴取り下げにより死刑確定。死刑執行日は不明。 |
秋田・五城目夫婦殺害事件 (I) | 1970年6月11日 | 1968年7月23日 | 強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った[88]。 |
女性美容師殺害事件 (S) | 1970年8月20日 | 1967年1月26日 | 犯行時19歳(少年死刑囚)。一審は無期懲役。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した[89]。1968年に一時脱走の前科あり。 |
日暮里用務員夫婦殺害事件 (T) | 1970年9月22日 | 1966年8月10日 | 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。 |
マルヨ無線事件 (O) | 1970年11月12日 | 1966年12月5日 | 1946年(昭和21年)9月19日生まれ[90]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在77歳)[92]。 一・二審で死刑判決を受け、1970年11月12日に最高裁で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、被害者の死因の1つとされる放火を否認して再審請求中[90]。死刑確定後収監年数50年は帝銀事件の平沢を上回る世界記録。 |
栃木連続少女殺害事件 (U) | 1970年12月15日 | 1962年・1963年 | 殺人前科あり(懲役8年)。死刑執行日は不明。 |
1971年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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横浜団地主婦殺害事件 (W) | 1971年2月23日 | 1967年6月9日 | 死刑執行日は不明。 |
静岡同僚妻殺害放火事件 (M) | 1971年3月9日 | 1967年4月29日 | 死刑執行日は不明。 |
横須賀線電車爆破事件(純多摩良樹) | 1971年4月22日 | 1968年6月16日 | 犠牲者1人。本名はW。獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日宮城刑務所にて死刑執行(32歳没)。純多摩の希望により遺骨は支援者の牧師が預かったが、1995年、遺族により遺骨が引き取られ、短歌新聞社より歌集『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 が刊行された。 |
新潟デザイナー誘拐殺人事件 (Y) | 1971年5月11日 | 1965年1月13日 | 1977年5月21日に東京拘置所の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺(35歳没)。 |
栃木呉服店一家3人強盗殺人事件 (M) | 1971年8月17日 | 1969年1月3日 | 犯行当時19歳(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。 |
横浜母子強盗殺人事件 (H) | 1971年10月26日 | 1967年3月14日 | 1975年12月7日に死刑執行(37歳没)。 |
愛知義妹夫婦殺害事件 (F) | 1971年12月21日 | 1969年2月20日 | 1976年に死刑執行。 |
1972年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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京都幼稚園管理人夫婦強盗殺傷事件 (A) | 1972年2月22日 | 1966年6月11日 | 無期懲役仮出獄中。1976年に死刑執行。 |
愛知母親・長崎少女連続殺人事件 (K) | 1972年4月20日 | 1969年(4月19日・5月26日) | 1976年9月2日に死刑執行。 |
名張毒ぶどう酒事件(奥西勝) | 1972年6月15日 | 1961年3月28日 | 1926年(大正15年)1月1日生まれ[90]。1964年12月13日に津地裁で無罪判決を受けたが、1969年9月10日に名古屋高裁で一審破棄・死刑判決を受けた[90]。 1972年6月15日に最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定[90]。その後再審請求を繰り返し、2005年4月には第7次再審請求が認められたが、検察の異議申し立てにより2006年12月に再審開始取り消し決定がなされた[90]。最高裁で2010年4月に名古屋高裁への差し戻し決定がなされるも、その後も再審は認められなかった[90]。 第9次再審請求中の2015年10月4日に八王子医療刑務所で病死(89歳没)[90]。死後、2015年11月6日に実妹が第10次再審請求[90]。 |
東北大学女子職員殺害事件 (K) | 1972年6月27日[93] | 1969年9月1日[93] | 事件当時19歳6か月(少年死刑囚)[93]。 事件当日夜、宮城県亘理郡山元町の町道で東北大学農学研究科職員の女性(20歳)を襲い[94]、背後から左手を首に巻き付けて後方に引き寄せ、所携の小刀を女性の背中に数回突き刺すなどして強姦し、失血死させた[93]。 第一審・仙台地裁は1971年1月28日に無期懲役判決を言い渡したが[93]、控訴審・仙台高裁は1971年8月3日に逆転死刑判決を宣告[94]。1972年(昭和47年)6月27日[93][95]に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け死刑確定[93]。 1976年に宮城刑務所で死刑執行[96]。 |
藤沢市女子高生殺害事件 (S) | 1972年7月18日 | 1967年1月13日 | 1941年(昭和16年)7月10日生まれ[97](出身地:岩手県西磐井郡花泉町[注 7])[98]。強盗強姦・窃盗・傷害の罪により懲役刑に処された前科がある[97]。 神奈川県藤沢市内で帰宅途中の女子高生(事件当時19歳・神奈川県立湘南高等学校定時制4年生)[99]を襲い、強姦した上で絞殺し、死体を被害者宅近くの宅地造成地に埋めた[100]。 第一審・横浜地裁第3刑事部[97](赤穂三郎裁判長)は死刑求刑に対し、1969年3月18日に無期懲役判決を言い渡したが[101]、控訴審・東京高裁刑事第5部(吉川由己夫裁判長)[100]は1971年(昭和46年)11月8日に逆転死刑判決を宣告[102]。1972年(昭和47年)7月18日に最高裁第三小法廷(田中二郎裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[103]。 死刑確定後も再三にわたり再審請求を繰り返したが、確定から10年4か月後の[104]1982年11月25日に東京拘置所で死刑執行[105](41歳没)[106]。拘置所長から死刑執行を宣告された際には激しく抵抗し、刑場で刑務官たちと格闘を繰り広げた[107]。 |
戸田・異常性欲男殺人事件 (H) | 1972年8月1日 | 1970年8月8日 | 実兄宅を襲撃し、一家4人をまき割で殴殺した事件。1972年7月17日に浦和地方裁判所で死刑判決。控訴せず確定[108]。1976年4月27日に死刑執行。 |
尼崎母娘強盗殺人事件 (M) | 1972年12月8日 | 1969年4月5日 | 強盗殺人未遂前歴(中等少年院送致)。1976年4月23日に死刑執行。 |
1973年死刑確定囚(5人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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群馬連続女性殺害事件(大久保清) | 1973年3月9日 | 1971年 | 「絵のモデルになってくれませんか?」と女性を誘きだして8人を殺害、被害者多数。一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。1976年1月22日に死刑執行(41歳没)。 |
福岡農協強盗殺傷事件 (A) | 1973年3月2日 | 1967年6月20日 | 1976年9月2日に死刑執行。 |
富山少女殺害事件 (T) | 1973年10月18日 | 1970年3月29日 | 1977年に死刑執行。 |
山口・徳山市家政婦殺害事件 (B) | 1973年9月27日 | 1967年11月11日 | 上告棄却。Bは仲間D(無期)と共謀し女性金融業者宅に押し入り金融業者の悲鳴を聞いた家政婦を殺害、金融業者の手足を縛り銀行に電話をかけさせ約42万円を届けさせそれを奪取。逃亡時にBは金融業者の首を縛った。彼女は命は助かったものの全治7ヶ月の重傷であった[109]。1978年に死刑執行。 |
神奈川3人連続毒殺事件 (H) | 1973年12月13日 | 1969年12月 | 上告棄却。金欲しさのため友人三人を次々と毒殺。犯行を隠すため放火もした[110]。最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却。 |
1974年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大田原女性セールスマン殺害事件 (A) | 1974年7月 | 1971年8月 | 知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取り下げにより死刑確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳没[111]。 |
沼津金融業者殺害事件 (A) | 1974年12月20日 | 1969年2月 | 上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年に死刑執行。 |
1975年 - 1979年
1975年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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山口2女性強盗殺傷事件 (H) | 1975年5月27日 | 1966年10月7日 | 1983年11月29日に死刑執行。 |
木曽川アベック殺人事件 (O) | 1975年10月3日 | 1973年2月4-5日 | 4人で木曽川河川敷にいた面識のない男女2人を拉致、それぞれを殺害、死体を遺棄した事件[112]。主犯にのみ死刑判決、1977年に死刑執行。 |
1976年死刑確定囚(1人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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波崎事件 (T) | 1976年4月1日[90] | 1963年8月26日[90] | 1917年(大正6年)4月26日生まれ[90](事件当時46歳)。 1971年12月24日に水戸地裁土浦支部(田上輝彦裁判長)で死刑判決を受け、1973年7月6日に東京高裁(堀義次裁判長)で死刑判決[90](破棄自判)[113]。 1976年4月1日に最高裁第一小法廷[113](藤林益三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[90]。 物証・自白とも一切なく、再審請求中の2003年9月3日に東京拘置所で病死(86歳没)[90]。 |
1977年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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ピアノ騒音殺人事件 (O) | 1977年4月16日 | 1974年8月28日 | 1928年(昭和3年)6月4日生まれ[90]。騒音トラブルの末に隣人の母子を殺害。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在95歳)[92]。 1975年10月20日に横浜地裁小田原支部で死刑判決を受けた[90]。その後控訴したが自ら取り下げ、1977年4月16日付で死刑が確定[90]。 |
沖縄一家殺傷事件 (O)[114] | 1977年4月26日[115] | 1973年3月30日[116][117] | 1942年(昭和17年)3月30日生まれ(事件当時31歳)[114]。 沖縄県名護市字古我地の義父宅で[118]義母(当時47歳)と義弟(同19歳)の2人を包丁で刺殺し、義父(当時62歳)も包丁で刺し殺そうとして2か月の怪我を負わせた[115]。動機は自身の不倫から妻に家出され、義父母に乱暴な振る舞いをしたことから離婚話が出たところ、それを逆恨みしたものだった[115]。 1974年(昭和49年)3月12日に那覇地裁刑事第2部で死刑判決を受け[119]、1976年(昭和51年)1月19日に福岡高裁那覇支部で控訴棄却判決を受けた[115][114]。 1977年(昭和52年)4月26日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け、死刑が確定[115]。1980年12月16日に死刑執行(38歳没)。 |
北九州組員4人連続殺人事件 (K)[120][116] | 1977年6月7日[116] | 1975年6月(4日・17日)[116] | 1945年(昭和20年)4月12日生まれ[注 8][120](事件当時30歳)[116]。暴力団合田一家3代目「小桜組」組員[121]。 福岡刑務所に服役中[注 9]、同じ作業所で働いていた男性(事件当時46歳)[注 10]の紹介を受け、1975年4月24日に仮出所すると翌日に「小桜組」に入った[122]。知人男性宅(福岡県北九州市小倉南区城野一丁目のマンション)で男性夫婦と同居して覚醒剤の密売を始めたが、男性の内妻(当時34歳)[注 11]と不倫関係になり、それを巡って男性とトラブルになったことで本事件を起こした[121](強盗殺人・殺人・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反)[116]。
このほか殺人未遂・公務執行妨害1件[注 12]、覚醒剤取締法違反2件を犯した[116]。 |
1978年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K)[114] | 1977年12月20日[注 13] | 1969年9月10日[127] | 1950年(昭和25年)8月28日生まれ[128]。犯行時19歳の少年死刑囚。 金のある質屋の子供を誘拐して身代金を得ようと考え[127]、東京都渋谷区内で当時6歳の男児(広尾小学校1年生・渋谷区恵比寿在住)を身代金目的で誘拐し、渋谷区東三丁目の公衆便所内[129]にて繰り小刀で刺殺した[127]。その後、男児の死体をオープンケースに詰め、これを駅構内の携帯品一時預かりところに預けて遺棄したほか、男児の実家(質屋)に電話を掛けて身代金500万円を要求した(殺人・死体遺棄・身代金目的拐取および要求)[127]。このほか身代金目的拐取予備1件・器物損壊2件・恐喝未遂1件・現住建造物放火未遂1件の余罪あり[127]。 1972年(昭和47年)4月8日に東京地裁刑事第12部で死刑判決を受け、1976年(昭和51年)7月20日に東京高裁第8刑事部で控訴棄却判決を受けた[128]。 1977年(昭和52年)12月20日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受けて死刑が確定[130]。1979年10月に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。 |
東京連続少年誘拐殺人事件 (K)[131] | 1978年1月26日[132] | 1965年1月22日・1970年10月17日[132] | 1925年(大正14年)5月31日生まれ[131](2. の事件当時45歳)[132]。海軍軍楽隊当時、上官から求められて同性愛行為の間柄となったことを契機に、終戦後にはバンド仲間や家出少年、勤務先の工場付近で遊んでいた中学生などと同性愛行為を繰り返し、1962年(昭和37年)6月には中学生の裸体写真を撮影したことが発覚して警察署で取り調べを受けたこともあった[注 14][134]。
1973年1月31日に東京地裁刑事第11部で死刑判決を受け[131]、1976年10月7日に東京高裁第8刑事部で控訴棄却判決を受けた[140]。 |
愛知県武豊町一家3人強盗殺人事件 (O) | 1978年4月17日 | 1971年5月1日 | 土地の売買を持ち掛けたが値段が折わなかったため、所有者および家族ら2人をハンマーで撲殺。3人の遺体を敷地内の水槽に遺棄した[141]。1985年5月31日に名古屋拘置所で死刑執行(53歳没)[142]。 |
群馬2女性強盗殺人事件 (N)[143] | 1978年6月22日[143] | 1968年9月9日・1971年3月11日[143] | 1930年(昭和5年)10月3日生まれ[144](1. の事件当時37歳)[143]。過去に詐欺1回・強盗および窃盗1回の前科あり[143]。強盗および窃盗の罪で服役後、1967年12月に仮出所したが、群馬県碓氷郡松井田町(現:安中市)で[145]以下の2事件(強盗殺人・死体遺棄・死体損壊)を起こしたほか[143]、群馬県(安中市・高崎市)および埼玉県熊谷市で[146]詐欺4件を犯した[143]。
1974年(昭和49年)7月26日に前橋地裁高崎支部で死刑判決を受け[144]、1975年(昭和50年)10月8日に東京高裁第9刑事部で控訴棄却判決を受けた[148]。 |
1979年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大分・福岡女性連続殺人事件 (A) | 1979年1月 | 1977年2月28日・3月8日 | 控訴取下げ、1985年7月25日に福岡拘置所で死刑執行。 |
古谷惣吉連続殺人事件(古谷惣吉)[150] | 1979年1月[注 15][152] | 1965年(10月30日ごろ - 12月12日)[153] | 1914年(大正3年)2月16日生まれ[150](事件当時51歳)[153]。警察庁広域重要指定105号事件[152](8人殺害で起訴)[153]。 1951年に福岡県で2人を殺害して強盗殺人罪で懲役10年に処された前科があり(参照:福岡連続強盗殺人事件)[154]、1964年11月9日に熊本刑務所を仮出所して以降もなお定職に就かず[155]、金銭に窮した末に強盗目的で犯行におよんだ[156]。 1971年4月1日に神戸地裁第二刑事部[150](中川幹郎裁判長)で死刑判決を受け[157]、1974年12月13日に大阪高裁第5刑事部[158](本間末吉裁判長)で控訴棄却判決を受けた[159]。 1978年11月28日に最高裁第三小法廷(高辻正己裁判長)で上告棄却判決を受け[151]、翌1979年1月に死刑が確定[152]。死刑確定後の1982年12月2日、収監先・大阪拘置所で下記Oら死刑囚2人を襲撃する事件を起こしたが、「仮に同事件で起訴されれば古谷は判決が確定するまで死刑執行が見送られる一方、かえって自分たちの死刑執行順位が繰り上がることになる」と恐れた被害者2人が立件を望まなかったため[160]起訴されなかった。 1985年5月31日に大阪拘置所で死刑執行(71歳没)[152]。 |
芦屋の人妻一家殺傷事件 (O)[161] | 1979年4月17日[162] | 1976年12月24日 | 1943年(昭和18年)10月12日生まれ[163](事件当時33歳)[162]。 神戸地裁尼崎支部で1977年(昭和52年)3月30日に無期懲役判決を受けたが[163]、検察官が控訴したところ、同年10月18日に大阪高裁第7刑事部で死刑判決(破棄自判)を受けた[164]。1979年4月17日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け、死刑が確定[162][165]。 死刑確定後の1982年12月2日に収監先・大阪拘置所内で、別の死刑囚1人とともに古谷惣吉に襲撃された[160]。1987年9月30日に大阪拘置所で死刑執行[161](43歳没)。 |
熊本義兄一家殺傷事件 (K) | 1979年7月10日 | 1970年7月4日 | 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1989年11月10日に福岡拘置所で死刑執行。 |
1980年 - 1984年
1980年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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上野消火器商一家殺人事件 (K) | 1980年1月5日 | 1974年2月6日 | 最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(52歳没)。 |
上野消火器商一家殺人事件 (T) | 1980年1月16日 | 1974年2月6日 | 上記共犯。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(49歳没)。 |
銚子民宿母子殺害事件 (Y) | 1980年3月11日 | 1976年6月14日 | 殺人の前科あり。1987年9月30日に東京拘置所で死刑執行(35歳没)。 |
福島連続保険金殺人事件 (K) | 1980年4月25日 | 1970年7月28日・1971年5月20日 | 1974年3月29日に福島地裁白河支部で死刑判決を受け、1977年6月28日に仙台高裁で控訴棄却判決[90]。1980年4月25日に最高裁(栗木一夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、殺人1件を否認して計4回にわたり自力で再審請求していた[90]。 1993年3月26日に[90]宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接。刑場は宮城刑務所にある)[注 16]で死刑執行(55歳没)。 |
徳島上那賀母子強盗殺人事件 (M) | 1980年7月22日 | 1976年3月12日 | 被害に遭った家庭に強盗に押し入り母娘2人を殺害。その後、タクシーを奪い郵便局に強盗に入るも失敗、幼児を人質にして車内に籠城する事件を起こした[166]。一審は無期懲役、上告取り下げで確定。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。 |
寝屋川夫婦殺害事件 (W) | 1980年11月6日 | 1975年8月23日 | 拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。 |
袴田事件(袴田巌) | 1980年11月28日 | 1966年6月30日 | 1936年(昭和11年)3月10日生まれ(現在88歳)[90]。 第一審から無罪を主張したが、1968年9月11日に静岡地裁(石見勝四裁判長)で死刑判決[90]。1976年6月18日に東京高裁(横川敏雄裁判長)で控訴棄却判決・1980年11月19日に最高裁(宮崎梧一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[90]。 2011年には「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定(当時42年間、その後46年間)。第二次再審請求の際のDNA鑑定により有罪の証拠とされた犯行時に着用したとされる衣服から加害者と被害者双方のDNAが検出されなかったことから、2014年3月27日に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が再審開始を決定。これにより死刑の執行が停止され、同日に東京拘置所から48年ぶりに釈放された。釈放後、袴田は拘禁反応や糖尿病のため東京都内の病院に入院したが、その後病状は回復しつつあると診断され、2014年5月27日、故郷の浜松市に帰り、市内の病院に転院した。 2018年6月11日に東京高裁で再審開始決定を取り消す決定が出された[90]が、死刑の執行および拘置は停止されていない。 |
1981年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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釧路薬局一家殺害事件 (K) | 1981年3月19日[90] | 1974年8月7日[90] | 一家3人を殺害し金銭を強奪した。 1975年9月に釧路地裁で死刑判決を受け、1977年8月23日に札幌高裁で控訴棄却判決[90]。 1981年3月29日に最高裁(藤崎万里裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定し、責任能力の認定などから再審請求したが棄却された[90]。1993年11月26日に札幌刑務所(収監先・札幌拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(61歳没)[90]。 |
長崎雨宿り殺人事件 (O) | 1981年6月16日[90] | 1977年9月24日[90] | 殺人前科あり。 1978年9月に長崎地裁で死刑判決・1979年9月に福岡高裁で控訴棄却判決[90]。 上告審から無実を主張したが、1981年6月16日に最高裁(環昌一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[90]。それ以降は自力で18年にわたり再審請求し、死刑執行時点では初めて弁護人が付いて再審請求してから4日目だった[90]。 第8次再審請求中の1999年12月17日に福岡拘置所で死刑執行(62歳没)。 |
愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T) | 1981年6月26日[90] | 1971年1月 1972年7月[90] |
保険金目的で実母を殺害し、口封じのため妻も殺害。別々に審議され死刑と無期懲役が確定。共犯2人も有罪確定。 1976年2月18日に松山地裁で死刑判決・1979年12月18日に高松高裁で控訴棄却判決[90]。 1981年6月26日に最高裁(木下忠良裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[90]。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(62歳没)[90]。 |
1982年死刑確定囚(1人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
世田谷女性殺害事件 (S) | 1982年9月1日 | 1977年12月3日[168] | 東京都世田谷区にて不動産売主の女性を強盗目的で殺害した。共犯は懲役13年。 1979年5月17日に東京地裁(金隆史裁判長)で死刑判決・1982年9月に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受け、上告せず死刑確定[168]。1993年11月26日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[168]。 |
1983年死刑確定囚(1人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
徳島高齢者連続殺人事件 (F) | 1983年4月14日 | 1978年11月[168] 1978年12月16日[168] |
1983年4月14日に徳島地裁(山田真也裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず確定したが[168]「知的障害者で自分が死刑になることを理解できなかった」との指摘がある。1995年5月26日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[168]。 |
1984年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
大阪電解事件 (D) | 1984年4月27日[168] | 1974年7月10日[168] 1974年10月3日[168] |
勤務先の上司2人を殺害した。 下記共犯Sとともに1978年2月23日に大阪地裁(浅野芳朗裁判長)で死刑判決を、1980年11月28日に大阪高裁で控訴棄却判決を受けた[168]。 1984年4月27日に最高裁(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[168]。1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(70歳没)[168]。 |
大阪電解事件 (S) | 1984年4月27日[168] | 1974年7月10日[168] 1974年10月3日[168] |
上記Dの共犯[168]。1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)[168]。 |
近畿連続強盗殺人事件 (K) | 1984年9月13日[168] | 1975年4月3日[168] - 1977年 | 7府県で強盗をし3人を殺害。 1980年9月13日に神戸地裁(高橋通延裁判長)で死刑判決を受け、1982年5月26日に大阪高裁(八木直道裁判長)で控訴棄却判決[168]。 1984年9月13日に最高裁(矢口洪一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[168]。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(48歳没)[168]。死刑執行時は精神疾患であった可能性が指摘されている[168]。 |
1985年 - 1989年
1986年に死刑が確定した死刑囚はいない。
1985年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
群馬3女性殺害事件 (A) | 1985年4月26日[168] | 1977年4月16日[168] | 1950年(昭和25年)2月10日生まれ[169]。旧姓K[169]。 1978年3月8日に前橋地裁(浅野達男裁判長)で死刑判決を受け、1980年2月20日に東京高裁第11刑事部[170](岡村治信裁判長)で控訴棄却判決[168]。 1985年4月26日に最高裁第二小法廷[171](牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[168]。1994年12月1日(当時は養父母との接見交通禁止に対し国家賠償請求訴訟中)に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[168]。 |
青森旅館連続女性殺人事件 (S) | 1985年7月1日 | 1984年9月9日[168] | 1928年(昭和3年)3月1日生まれ[172]。1958年(昭和33年)6月5日に岐阜県大垣市で強盗殺人事件を起こし、同年9月2日に岐阜地裁大垣支部で無期懲役判決を受け、1976年(昭和51年)3月31日に仮釈放されるまで岐阜刑務所に服役していた[173]。 1985年6月17日に青森地裁第一刑事部で死刑判決を受け[172]、弁護人が控訴した翌日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[168]。1994年12月1日に宮城刑務所(収監先:仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(65歳没)[168]。 |
1987年死刑確定囚(8人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S) | 1987年1月19日 | 1986年5月9日[168] | 1940年(昭和15年)9月20日生まれ[174]。 1986年12月22日に東京地裁刑事第5部[174](高島英世裁判長)で死刑判決を受け、本人の控訴取り下げにより死刑確定[168]。 1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行[168](54歳没)。 |
連続企業爆破事件(大道寺将司) | 1987年4月20日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[175] |
1974年8月30日-1975年5月4日 | 1948年(昭和23年)6月5日生まれ[168]。共犯の一部が超法規的措置で出国[168]。 1979年11月12日に東京地裁(蓑原茂広裁判長)で死刑判決を、1982年10月29日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[168]。1987年3月24日に最高裁第三小法廷(伊藤正己裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[176]、同判決への訂正申し立ても1987年4月20日付で棄却されたため[175]、益永とともに死刑が確定[177]。同決定により共犯者の黒川芳正は無期懲役、共犯の女も懲役8年が確定した[177]。 交流誌「キタコブシ」が出ていたほか、著書『死刑確定中』や句集『鴉の目』『棺一基』『残の月』などがある[168]。 東京拘置所に収監されていたが2017年5月24日に収監先・東京拘置所内で多発性骨髄腫のため病死(68歳没)[178]。 |
連続企業爆破事件(益永利明) | 1987年4月20日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[175] |
1974年8月30日-1975年5月4日 | 1948年(昭和23年)6月1日生まれ(旧姓:片岡)[168]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在75歳)[179]。 裁判経緯は同上。国家賠償請求訴訟を多数提訴しているほか、交流誌「ごましお通信」が出ていた[168]。著書『爆弾世代の証言』がある[168]。 |
名古屋保険金殺人事件 (I) | 1987年4月15日[168] | 1979年11月19日-1983年12月25日 | 1942年(昭和17年)6月27日生まれ[180][168]。 1985年12月5日に名古屋地裁刑事第2部[180](鈴木雄八郎裁判長)で死刑判決を受けた[168]。1987年3月31日に名古屋高裁刑事第1部[181](山本卓裁判長)で控訴棄却判決を受け、上告せず1987年4月15日付で死刑確定[168]。 1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(56歳没)[168]。共犯のHは1993年9月に最高裁で死刑が確定し、2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行[182]。 |
名古屋市女子大生誘拐殺人事件(木村修治) | 1987年7月9日[168] | 1980年12月2日[168] | 1950年(昭和25年)2月5日生まれ[168]。愛知県名古屋市の被差別部落出身(参考・白山中学校事件)。 1982年3月23日に名古屋地裁(塩見秀則裁判長)で死刑判決を、1983年1月26日に名古屋高裁(村上悦夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[168]。1987年7月9日に最高裁(大内恒夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[168]。 最高裁上告後「水平社宣言」や死刑廃止運動を知り、1986年2月には死刑廃止運動を行う死刑囚による「日本死刑囚会議・麦の会」に入会、同年には同会運営委員となる。上告審では死刑違憲論を主張するも棄却。大道寺将司・益永利明・坂口弘らとともに統一獄中者組合員として獄中活動。1993年9月に恩赦出願。1995年1月に手記『本当の自分を生きたい 死刑囚・木村修治の手記』(インパクト出版会)を出版。恩赦出願の結果は代理人に通知されないまま、1995年12月21日に名古屋拘置所で死刑執行(45歳没)[168]。また日本死刑囚会議・麦の会『死刑囚からあなたへ 国には殺されたくない』(インパクト出版会)に手記「強く、優しく生き抜いてください」を寄稿(死刑執行後の1997年3月刊行)。 |
秋山兄弟事件(秋山芳光)[183] | 1987年7月17日[184] | 1975年8月25日[184] | 1929年(昭和4年)8月23日生まれ[185]。 秋山兄弟(双生児)の弟。兄が経営していた紙工場の元従業員。 1976年12月16日に東京地裁刑事第20部で死刑判決を受け[185]、1980年3月27日に東京高裁第12刑事部[186](千葉和郎裁判長)で控訴棄却判決[184]。1987年7月17日に最高裁第二小法廷(香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[187]。 2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(77歳没)[184]。この年齢での死刑執行は日本国憲法下では最高齢で、確定から19年5か月後の死刑執行は戦後最長。 共犯者である兄も芳光とともに死刑を求刑されたが[188]、従犯とされ[189]、第一審で無期懲役判決を受けた[185]。検察官が死刑を求めて控訴したものの[188]、控訴審でも無期懲役が支持され[186]、確定したが、主犯は兄であるとして2003年8月に再審請求するも棄却。 |
東村山署警察官殺害事件 (T) | 1987年10月23日[184] | 1976年10月18日[184] | 1925年(大正14年)1月30日生まれ[190]。旧姓K[190]。 1977年11月18日に東京地裁八王子支部(現:東京地裁立川支部)刑事第2部で死刑判決を受け[191]、1981年7月7日に東京高裁第8刑事部[192](市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決[184]。1987年10月23日に最高裁第二小法廷(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[193]。1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行[184](70歳没)。 |
熊本連続強盗殺人事件(平田直人)[194] | 1987年12月18日[184] | 1979年3月28日[184] | 1932年(昭和7年)1月1日生まれ[184]。 1980年10月2日に熊本地裁(辻原吉勝裁判長)で死刑判決を受け、1982年4月27日に福岡高裁(平田勝雅裁判長)で控訴棄却判決を受けた[184]。 1987年12月18日に最高裁(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。事実誤認を主張して再審請求していたが棄却され、1995年12月21日に福岡拘置所で死刑執行(63歳没)[184]。 |
1988年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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3連続保険金殺人事件(浜田武重[195]) | 1988年3月8日 | 1978年3月24日-25日、7月1日、1979年5月9日 | 1927年(昭和2年)3月10日生まれ[184]。 内縁の妻(一審公判中に死亡)と共謀して内縁の妻の子供(当時16歳)を農業用水路で水死に見せかけ殺害するなど、3件の殺人事件を起こして被害者2人の保険金約1,100万円を詐取した[196]。 3件中2件の殺人について無罪を主張していたが[197]、1982年3月29日に福岡地裁(秋吉重臣裁判長)で死刑判決を受け、1984年6月19日に福岡高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決[184]。1988年3月8日に最高裁(伊藤正己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。福岡拘置所に収監されていたが2017年6月26日に所内で死亡(90歳没・当時は確定死刑囚で最高齢)[197]。 |
福岡病院長殺人事件 (S) | 1988年4月15日[184] | 1979年11月4日-5日[184] | 1982年3月16日に福岡地裁小倉支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決[184]。殺害された被害者1人で被告人2人に死刑判決が言い渡された事例[184]。 1984年3月14日に福岡高裁(緒方誠哉裁判長)で控訴棄却判決、1988年4月15日に最高裁(香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)[184]。自力で再審請求していたとされるが詳細不明[184]。 |
福岡病院長殺人事件 (Y) | 1988年4月15日[184] | 1979年11月4日-5日[184] | 上記Sの共犯(裁判経緯はいずれも同上)[184]。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[184]。再審請求準備中だった[184]。 |
日立女子中学生誘拐殺人事件 (W) | 1988年4月28日[184] | 1978年10月16日[184] | 1939年(昭和14年)3月25日生まれ[184]。経営していた鉄工所の経営難に加え韓国へのキーセン旅行に何度も行ったことから1,400万円の負債を重ね、資産家であった妻の養父の中学校3年生の娘を金銭目的で誘拐[198]。被害者にクロロホルムを嗅がせて気絶させ、車内で鼻・首を押さえつけて殺害した[199]。 1980年2月8日に水戸地裁(大関隆夫裁判長)で死刑判決を受け、1983年3月15日に東京高裁(菅野英男裁判長)で控訴棄却判決[184]。1988年4月28日に最高裁(角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。東京拘置所に収監されていたが2013年6月上旬にくも膜下出血で倒れ、同月23日夜に病死[200](74歳没・当時再審請求中[184])。 |
群馬連続女性農夫殺害事件 (S) | 1988年5月20日 | 1981年10月2日・1982年7月3日 | 1959年1月27日に千葉県で女性を殺害した罪で、無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[184]。1983年12月26日に前橋地裁(小林宣雄裁判長)で死刑判決[184]。 1985年1月17日に東京高裁(小野啓二裁判長)で控訴棄却、1988年6月20日に最高裁(奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。 1995年12月21日に東京拘置所で死刑執行(68歳没)[184]。このほか、1947年10月15日に夫婦を殺傷した強盗殺傷事件も自供したが、既に時効が成立していた。 |
男娼等連続強盗殺人事件[201] (W) | 1988年6月2日 | 1967年(4月24日・8月5日)、1972年4月10日・1973年3月20日 | 1948年(昭和23年)3月17日生まれ[184]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在76歳)[202]。 以下の事件を起こした(被害者は売春婦3人・男娼1人)[203]。前半2件は少年時代の犯行(少年死刑囚)。
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神田ビル放火殺人事件 (I) | 1988年7月1日[184] | 1981年7月6日[184] | 1982年12月7日に東京高裁(大関規雄裁判長)で死刑判決を受け、起訴から1年半後となる1984年3月15日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決[184]。 1988年7月1日に最高裁(奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[184]。1996年7月11日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[184]。 |
夕張保険金殺人事件 (H) | 1988年10月11日[205] | 1984年5月5日[205] | 下記の妻。女性死刑囚としては戦後3人目に処刑された。裁判経緯は夫と同一[205]。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所[注 16]で死刑執行(51歳没)[206]。 |
夕張保険金殺人事件 (H) | 1988年10月13日[205] | 1984年5月5日[205] | 1944年(昭和19年)生まれ[205]。夫婦による犯行で上記の夫。 現住建造物等放火・殺人・詐欺罪に問われた[206]。放火を認めた一方で殺意は否認したが、1987年3月9日に妻とともに札幌地裁(鈴木勝利裁判長)で死刑判決を受けた[205]。その後、妻とともに量刑不当を理由に札幌高裁へ控訴していたが[206]、1988年10月11日に2人とも控訴を取り下げ死刑が確定[205]。これは(昭和天皇の容体悪化により)[206]恩赦を期待したものだったが[205]、恩赦はされず、1996年5月には夫だけが控訴取り下げ無効を申し立てたが、札幌高裁・最高裁ともにこれを棄却し、1997年6月までにすべて審理を終えていた[206]。 1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所[注 16]で死刑執行(54歳没)[206]。 |
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) | 1988年10月17日[205] | 1978年5月21日・6月10日[205] | 1980年1月18日に東京地裁(小野幹雄裁判長)で死刑判決を受け、1982年1月21日に東京高裁(市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決[205]。 恩赦を期待して1988年10月22日付で上告を取り下げ死刑が確定したが[205]、恩赦はされなかった。共犯Nは1990年2月に最高裁で死刑確定[205]。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)[205]。 |
元昭和石油重役一家殺害事件 (I) | 1988年10月22日[205] | 1983年1月29日[205] | 1984年6月5日に東京地裁(佐藤文哉裁判長)で死刑判決を受け、1985年11月29日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決[205]。 恩赦を期待したためか1988年10月22日付で上告を取り下げ死刑が確定したが[205]恩赦はされなかった。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)[205]。 |
1989年死刑確定囚(5人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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日建土木事件 (N) | 1989年3月28日[205] | 1977年1月7日[205] | 1936年(昭和11年)12月18日生まれ[205]。1980年7月8日に名古屋地裁で死刑判決、1981年9月10日に名古屋高裁で控訴棄却判決[205]。 1989年3月28日に最高裁(安岡満彦裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[205]。共犯とされた人物は無罪を主張したが、最高裁で異例の減軽判決(無期懲役)が言い渡された[205]。1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(61歳没)[205]。 |
埼玉2女性殺害事件(石田富蔵[207]) | 1989年6月13日[205] | 1973年8月4日・1974年9月13日[205] | 1921年(大正10年)11月13日生まれ[205]。1973年8月に埼玉県川口市内で交際中の女性を絞殺し、1974年9月には同県鳩ヶ谷市(現:川口市)の飲食店に盗み目的で侵入して経営者女性を絞殺した[208]。1件の強盗殺人事件で取り調べを受けていた際にもう1件の殺人を自白したが、刑事裁判では強盗殺人事件[205](1974年の事件)[208]について冤罪を主張し[205]、後者(1973年の事件)[208]についても傷害致死罪を主張した[205]。 1980年1月30日に浦和地裁(杉山英巳裁判長)で死刑判決を受け、1982年12月23日には東京高裁(菅間英男裁判長)で控訴棄却判決を受けた[205]。最高裁(坂上壽夫裁判長)で1989年6月13日に上告棄却判決を受け死刑確定[205]。 2009年6月以降は東京拘置所内の病棟で治療を受けていたが、2014年4月19日に前立腺癌のため所内で病死(92歳没)[208]。当時は再審請求を棄却され、再度請求する準備をしていたところだった[208]。 |
「殺し屋」連続殺人事件 (F)[205] | 1989年10月13日 | 1970年2月13日-1973年4月15日 | 1942年(昭和17年)2月23日生まれ(旧姓S)[205]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在82歳)[209]。 従兄弟の暴力団員に依頼し都合の悪い相手3人を殺害したほか、会社経営者らから恐喝で金銭を巻き上げるなど多数の余罪がある[210]。中日スタヂアム事件にも関与した。 1977年3月31日に東京地裁(林修裁判長)で死刑判決を受け、1982年7月1日に東京高裁(船田三雄裁判長)で控訴棄却判決[205]。 1989年10月13日に最高裁(貞家克己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[205]。 |
埼玉父親ら3人殺害事件 (K) | 1989年11月20日[205] | 1985年3月8日[205] | 1986年5月20日に浦和地裁(杉山忠雄裁判長)で死刑判決を受け、1986年12月22日(控訴から半年後)に東京高裁(萩原太郎裁判長)で控訴棄却判決[205]。 1989年11月20日に最高裁(香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[205]。1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(43歳没)[205]。 |
伊勢崎女子中学生2人殺害事件 (U) | 1989年12月8日[205] | 1976年4月1日[205] | 1951年(昭和26年)6月29日生まれ(旧姓T)[205]。覚醒剤の購入資金を得るため、隣家で留守番をしていたその家の長女と従兄弟の中学生2人を刺して金品を奪った後、2人がまだ息がある状態で放火して焼殺した[211][212]。 1979年3月15日に前橋地裁(浅野達男裁判長)で死刑判決を受け、1983年11月17日に東京高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決を受けた[205]。 1989年12月8日に最高裁(島谷六郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[205]。死刑確定後も「犯行時は覚せい剤の影響があり責任能力に問題があった」として再審請求していたが[213]、2013年11月15日に肺癌のため収監先・東京拘置所内で病死(62歳没)[214]。 |
1990年 - 1994年
1990年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) | 1990年2月1日[205] | 1978年5月21日・6月10日[205] | 1980年1月18日に東京地裁(小野幹雄裁判長)で死刑判決を、1982年1月21日に東京高裁(市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[205]。 共犯のHは1988年に上告を取り下げ死刑確定し、自身も1990年2月1日に最高裁(四ツ谷巖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定した[205]。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)[205]。 |
熊本主婦殺人事件(金川一[215]) | 1990年4月3日 | 1979年9月11日 | 1950年(昭和25年)7月7日生まれ[205]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在73歳)[209]。 客観的証拠がなく、第一審の途中から無実を主張したが、1982年6月14日に熊本地裁八代支部(河上元康裁判長)で無期懲役判決[205]。控訴審・福岡高裁(緒方誠哉裁判長)では1983年3月17日に一審破棄・死刑判決を受け、最高裁(安岡満彦裁判長)で1990年4月3日に上告棄却判決を受け死刑が確定[205]。 |
永山則夫連続射殺事件(永山則夫) | 1990年5月9日 (正式な死刑確定日)[216] |
1968年10月11日 - 11月5日 | 「警察庁広域重要指定108号事件」[217]。1949年(昭和24年)6月27日生まれ[218]・各事件当時19歳の少年死刑囚。 1979年7月10日に第一審・東京地裁刑事第5部(蓑原茂広裁判長)で死刑判決を受けたが控訴し[219]、1981年8月21日に控訴審・東京高裁刑事第2部(船田三雄裁判長)は第一審判決を破棄自判して無期懲役判決を言い渡した[220]。 しかしこの控訴審判決を不服とした東京高検が最高裁へ上告したところ[221][222]、1983年7月8日に最高裁第二小法廷(大橋進裁判長)は上告審判決公判で「死刑を回避した控訴審判決は量刑不当。破棄しなければ著しく社会正義に反する」などとして原審を破棄し、審理を東京高裁に差し戻した[223]。最高裁が量刑不当を理由に被告人に不利益な方向で控訴審判決を破棄して高裁への差し戻しを命じた事例は戦後刑事裁判史上初で、最高裁は同時に判決理由で死刑適用基準について初めて詳細に明示した[223](後の「永山基準」)。 差し戻し後の控訴審では1987年3月18日に東京高裁刑事第3部(石田穣一裁判長)が第一審・死刑判決を支持して被告人・永山の控訴を棄却する判決を言い渡した[224]。そして1990年4月17日に最高裁第三小法廷(安岡満彦裁判長)が上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を言い渡し[225]、永山は同判決に対し訂正を申し立てたが、これも最高裁第三小法廷(坂上壽夫裁判長)から棄却決定が出されたため、(決定が永山に通達された)1990年5月9日に死刑が確定[216]。 1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[206]。 |
長崎3人殺害事件(村竹正博[226]) | 1990年4月27日 | 1978年3月21日[218] | 1944年(昭和19年)3月30日生まれ[218]。第一審・長崎地裁佐世保支部(亀井義朗裁判長)では情状酌量により無期懲役判決(1983年3月30日)を受けたが、控訴審・福岡高裁(桑原宗朝裁判長)で1985年10月18日に一審破棄・死刑判決を受けた[218]。 1990年4月27日に最高裁(藤島昭裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[218]。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(54歳没)[218]。 |
空知連続殺人事件 (H) | 1990年10月25日 (正式な死刑確定日)[227] |
1972年(5月6日・8月19日) / 1974年5月12日[228] | 1934年(昭和9年)5月8日生まれ[218]。離婚後、重機の運転手として勤務しながら男で1つで小学生の息子2人を育てていたが、1972年5月6日に[228]空知支庁管内・月形町で女子専門学校生A(当時19歳)を乗用車内で暴行して窒息死させた[229](殺人・強姦致死事件)ほか、同年8月19日には[228]同管内奈井江町でデパート店員の女性B(当時19歳)を同様の手口で殺害して遺体を山林に遺棄した[229](殺人・強姦致死および死体遺棄事件)。また1974年5月12日には奈井江町内で農家の主婦C(当時40歳)を乗用車で拉致し、強姦して負傷させた上で農道上に放置する事件(強姦致傷事件)を起こし[228]、同年5月26日にC事件の容疑で緊急逮捕された[230]。その後A・B両被害者の殺害を自供し[230]、1974年6月6日にC事件(強姦致傷)の加害者として、同月22日にはA事件(殺人・強姦致死)とB事件(殺人・強姦致死および死体遺棄)の加害者としてそれぞれ起訴された[228]。「証拠は違法捜査による自白のみで物証がない」として無罪を主張[218]。1976年6月24日に札幌地裁岩見沢支部は罪状のうち死体遺棄を無罪と判断し、殺意も否定して無期懲役判決を言い渡したが、被告人H・検察官とも控訴した[230]。その後、札幌高裁は検察官の主張を全面的に認め、1979年4月12日に原判決を破棄して死刑判決を言い渡した[230]。上告審では安田好弘らが弁護団を再編して弁護活動を行ったが[注 17][231]、1990年9月13日に最高裁(角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け[218]、同年10月23日付で判決訂正の申し立ても棄却されたため、同月25日に死刑が確定[注 18][227]。 死刑確定後の1992年9月24日に札幌高裁へ再審請求したが[232]、2001年2月16日に再審請求棄却決定がなされた[233]。同月19日に異議申し立てをしたが2003年3月31日に異議申し立ても棄却されたため、同年4月7日に最高裁へ特別抗告していた[233]。 札幌刑務所札幌拘置支所[注 16]に収監されていたが、2003年8月にスキルス性胃癌と診断され、同年12月には胃の全摘手術を[233]八王子医療刑務所で受けた後、収監先・札幌拘置支所へ戻り[229]療養していた[233]。しかし2004年6月4日、癌性悪液質により札幌刑務所[注 16]の病舎内で病死(70歳没)[233]。 |
三崎事件(荒井政男[234]) | 1990年10月16日[218] | 1971年12月21日[218] | 1927年(昭和2年)2月4日生まれ[218]。 1976年9月25日に横浜地裁横須賀支部(秦不二雄裁判長)で死刑判決を受け、1984年12月18日には東京高裁(小野慶二裁判長)で控訴棄却判決[218]。1990年10月16日に最高裁(坂上壽夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[218]。 東京拘置所に収監されていたが、再審請求中の2009年9月3日に所内で病死(82歳没)[218]。死後、家族が再審を引き継いだ[218]。 救援会の機関紙『潮風』がある[218]。 |
福岡県直方市強盗殺人事件 (T) | 1990年12月17日 (訂正判決宣告日)[235] |
1980年4月23日[218] | 1932年(昭和7年)6月20日生まれ[218]。 1956年(昭和31年)9月9日に福岡県飯塚市外二瀬町の質屋へ3人組で押し入り、経営者を刺殺する強盗殺人事件を起こし、飯塚警察署(福岡県警)に逮捕された[236]。同事件では1957年(昭和32年)10月30日に福岡高裁で無期懲役判決を受けて熊本刑務所に収監され、1978年(昭和53年)11月22日に仮釈放されたが[237]、仮釈放中に本事件を起こした(再犯)[1]。 1980年4月23日に福岡県直方市頓野で女性(当時64歳)宅に侵入し、金品を物色中に被害者に見つかったことから絞殺して現金2,000円を奪った[1]。また同年6月25日には同県北九州市八幡西区楠木二丁目へ盗みに入り、それを見つけて追いかけてきた男性の首などをナイフで突き刺し[238]、約6か月の怪我を負わせたほか、1979年11月 - 1980年6月にかけて15件の盗みを重ねた[239]。 1981年7月14日に第一審・福岡地裁小倉支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決[239]。1986年12月2日に控訴審・福岡高裁刑事第1部(永井登志彦裁判長)で控訴棄却判決を受け[240]、最高裁第二小法廷(中島敏次郎裁判長)で1990年12月14日に上告棄却の判決を受けたが、上告審の判決文に殺人事件と余罪の空き巣の間隔を「2か月」とすべきところ「1年2か月」と誤記していたため、これを把握した最高検察庁が同日中に判決訂正の申し立てを行い[1]、同月17日に改めて訂正判決が言い渡された[235]。最高裁が刑事事件判決における誤記などを訂正する判決を言い渡した事例は1964年(昭和39年)[注 19]以来26年ぶりで、死刑事件では史上初だった[235]。 1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(66歳没)[218]。 |
1991年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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自殺偽装夫殺害事件 (M) | 1991年1月31日 | 1974年8月8日・1978年4月24日[218] | 1932年(昭和7年)3月10日生まれ[218]。夫を殺害したなどとして死刑が確定した女性死刑囚[218]。別の男性殺害でも起訴。 夫殺害については無実を主張したが、1980年5月6日に東京地裁(小林充裁判長)で死刑判決[218]。1986年6月5日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決を、1991年1月31日に最高裁(四ツ谷巖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[218]。 東京拘置所に収監されていたが、再審請求中の2007年7月17日に所内で病死(75歳没)[218]。 |
パチンコ景品商殺害事件 (S) | 1991年2月5日 | 1983年1月16日[218] | 1931年(昭和6年)12月28日生まれ[218]。1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受け、仮釈放後に再犯。 1984年1月23日に東京地裁(田尾勇裁判長)で死刑判決を受け、1985年7月8日には東京高裁(柳瀬隆治裁判長)で控訴棄却判決[218]。 1991年2月5日に最高裁(可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[218]。1998年6月25日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)[218]。 |
泰州くん誘拐殺人事件 (T) | 1991年6月11日 | 1984年2月13日[218] | 1939年(昭和14年)8月15日生まれ[218]。 1985年7月17日に広島地裁福山支部(雑賀飛龍裁判長)で死刑判決を、1986年10月21日に広島高裁(久安弘一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[218]。 1991年6月11日に最高裁(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[218]。死刑確定後に俳句の投稿を禁止され、1998年11月19日に広島拘置所で死刑執行(59歳没)[218]。 |
大宮母子殺人事件(佐川和男[241]) | 1991年11月29日 | 1981年4月4日[218] | 1951年(昭和26年)3月21日生まれ[218]。 1982年3月30日に浦和地裁(米沢敏雄裁判長)で死刑判決を、1987年6月23日に東京高裁(小野慶二裁判長)で控訴棄却判決を受けた[218]。 1991年11月29日に最高裁(藤島昭裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[218]。共犯は逃亡中に病死[218]。1999年12月17日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[218]。 |
1992年死刑確定囚(5人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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市原両親殺害事件 (S) | 1992年1月30日 | 1974年10月30日[182] | 1952年(昭和27年)9月14日生まれ[182]。2019年10月1日付で[242]東京拘置所に収監中(現在71歳)[182]。 1984年3月15日に千葉地裁(太田浩裁判長)で死刑判決を、1986年8月29日に東京高裁(石丸俊彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[182]。1992年1月31日に最高裁(大堀誠一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、無実を主張[182]。 |
東京都北区幼女殺害事件 (S) | 1992年2月18日 | 1979年7月28日[182] | 1937年(昭和12年)2月12日生まれ[182]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[182]。 1981年3月16日に東京地裁(松本時夫裁判長)で死刑判決を、1985年9月17日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[182]。 1992年2月18日に最高裁(可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[182]。1999年9月10日に東京拘置所で死刑執行(62歳没)[182]。 |
福島女性飲食店経営者殺害事件 (T) | 1992年6月18日 | 1990年5月2日[182] | 1938年(昭和13年)4月27日生まれ[182]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[182]。 1992年6月18日に福島地裁郡山支部(慶田康男裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず同年7月に死刑確定[182]。1999年9月10日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(61歳没)[182]。 |
熊本母娘殺害事件 (M) | 1992年9月24日 | 1985年7月24日 | 1930年(昭和5年)4月10日生まれ[182]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[182]。 1986年8月5日に熊本地裁(荒木勝己裁判長)で死刑判決を受け、1987年6月22日に福岡高裁(浅野芳朗裁判長)で控訴棄却判決を受けた[182]。 1992年9月24日に最高裁(大堀誠一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[182]。1999年9月10日に福岡拘置所で死刑執行(69歳没)[182]。 |
赤穂同僚妻子殺害事件 (N) | 1992年9月29日 | 1983年1月19日[182] | 1950年(昭和25年)6月17日生まれ[182]。1984年7月10日に神戸地裁姫路支部(藤原寛裁判長)で死刑判決を、1987年1月23日に大阪高裁(家村繁治裁判長)で控訴棄却判決を受けた[182]。 1992年9月29日に最高裁(貞家克己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[182]。2007年4月27日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)[182]。 |
1993年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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連合赤軍事件(坂口弘) | 1993年3月9日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[243] |
1971年 - 1972年2月 | 1946年(昭和21年)11月12日生まれ[182]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在77歳)[244]。 共犯の一部が超法規的措置で出国[182]。 1982年6月18日に東京地裁(中野武男裁判長)で死刑判決を、1986年9月26日に東京高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決を受けた[182]。1993年2月19日に最高裁第三小法廷(坂上寿夫裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[243]、同判決への訂正申し立ても1993年3月9日付で棄却されたため[245]、坂口・永田の死刑と植垣康博(元兵士)の懲役20年判決が確定[246]。 著書『坂口弘歌稿』『あさま山荘1972』や歌集『常しへの道』『暗黒世紀』など[182]。 |
連合赤軍事件(永田洋子) | 1993年3月9日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[243] |
1971年 - 1972年2月 | 1945年(昭和20年)2月8日生まれ[182]。坂口の共犯(裁判経緯は坂口と同一)[182]。 脳腫瘍の手術後に脳萎縮・誤嚥性肺炎などを患い[247]、2011年2月5日に多臓器不全のため東京拘置所内で死去(65歳没)[247][248]。死去時点で再審請求中だった[182]。著書『十六の墓標』『私生きてます』など多数[182]。 |
山中湖連続殺人事件(澤地和夫) | 1993年7月7日 | 1984年10月(11日・25日) | 1939年(昭和14年)4月15日生まれ[182]。元警視庁警部[249]。 警視庁退職後の1984年10月に知人を通じて知り合った共犯Iと共謀し、宝石取引を装って東京都の宝石商を山中湖畔(山梨県)の別荘で絞殺して現金約720万円などを奪い、遺体を床下に埋めて遺棄した[249]。さらに同月には融資話を装って埼玉県の金融業者を別荘に誘い、乗用車内で絞殺して現金約2,000万円などを奪い、遺体を埋めた[249]。 刑事裁判では強盗殺人・死体遺棄罪などに問われ[250]、1987年10月30日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決を受けた[182]。控訴審・東京高裁(内藤丈夫裁判長)でも1989年3月31日に控訴棄却判決を受けた[182]。1993年7月に上告を取り下げ死刑確定[182](共犯Iは1995年に最高裁で上告棄却判決・死刑確定)[251]。 2007年10月から胃癌の治療を受けていたが[250]完治せず延命治療を拒否し、2008年12月16日に東京拘置所内で多臓器不全のため獄死(69歳没・再審請求中)[249]。公判中の1989年1月に手記『監獄日記 東京拘置所の四季』(彩流社)を出版。以後、死刑確定後には『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(2006年3月・彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚の言い分』(2006年10月・柘植書房新社)を刊行したほか、死後にも『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(2010年4月・彩流社)が刊行された[182]。 |
今市覚醒剤殺人事件(藤波芳夫)[252] | 1993年9月9日 | 1981年3月29日 | 1931年(昭和6年)5月15日生まれ[182]。離婚した妻の実家に押し入り2人を殺害した[253]。 1982年2月19日に宇都宮地裁(竹田央裁判長)で死刑判決を受け、控訴審・東京高裁(岡田満了裁判長)でも1987年11月11日に控訴棄却判決[182]。1993年9月9日に最高裁(味村治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[182]。死刑確定後に「事件当時は覚醒剤の影響下にあり、印書よりフラッシュバック状態になって事件を起こした」として責任能力の問題を主張し再審請求していた[253]。 2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(75歳没)[182]。2008年10月11日に開催された「響かせあおう死刑廃止の声2008 死刑囚からあなたへ」では「死刑執行時は車椅子に乗った状態から刑務官に両脇を抱えられて刑場に立たされた」とする死刑執行の場面が再現されているほか[254]、『年報・死刑廃止2007』には遺書全文が掲載されている[255]。 |
名古屋保険金殺人事件 (H) | 1993年9月21日 | 1979年11月19日-1983年12月25日 | 旧姓T[182]。経営していた板金塗装会社の経営不振から、1979年11月に知人の共犯Iと共謀して知り合いの織布工A(当時20歳)[256]に生命保険(2,000万円)を掛け[257]、衣浦港(愛知県知多郡武豊町)に突き落として殺害した[256]。さらに1983年1月にも雇っていた従業員B(同30歳)に生命保険(2,000万円)[257]を掛けた上で京都府相楽郡加茂町内にて交通事故を装って殺害したほか、同年12月には愛知県半田市内で金融業者C(当時39歳)を[256]借金逃れのために殺害した[257]。 1985年12月5日に名古屋地裁刑事第2部[180](鈴木雄八郎裁判長)で[182]共犯Iとともに死刑判決を受け[168]、1987年3月31日に名古屋高裁刑事第1部[181](山本卓裁判長)で控訴棄却判決を受けた[257]。共犯Iは控訴審判決後に上告せず、死刑確定[168]。 自身も1993年9月21日に最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決(5裁判官全員一致)を受け[258]死刑が確定したが、裁判官・大野正男が「死刑制度は憲法違反とは断言できないが、合憲判断を下した1948年の大法廷判決以降、死刑が「残虐な刑罰」(日本国憲法36条違反)に当たると評価される余地は著しく増大した[注 20]。死刑廃止に向かいつつある国際的動向と、死刑制度の存続を支持する我が国民との意識とが大きな隔たりを持ち続けることは好ましくない。一定期間、死刑執行を法律で実験的に停止し、犯罪増加の有無との相関関係を調べるなどの立法的施策が考えられる」と補足意見を述べた[256]。 死刑確定後には1997年11月[259]・2000年5月下旬と[260]2度にわたり恩赦出願をしたが、2度とも名古屋拘置所から「恩赦不相応」の告知がなされた[259]。死刑が確定した1993年および死刑確定後の2000年には被害者Bの遺族(母親・兄ら)が「Hを許すことはできないが、生きてこそ償いだ。死刑執行は望まない」とする嘆願書を収監先・名古屋拘置所宛に提出し、後者は死刑囚Hの弁護人が2000年5月下旬に提出した恩赦願いに添えていた[260]。 Bの兄は2001年4月にも高村正彦法務大臣に対し死刑執行の中止などを訴えたが[261]、森山眞弓法務大臣の死刑執行命令により2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)[262]。 |
北九州母娘殺傷事件 (M) | 1993年11月16日[263] | 1990年3月12日 | 1950年(昭和25年)3月18日生まれ[182]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[182]。 1993年10月27日に福岡地裁小倉支部(森田富人裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、1993年11月16日に自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した[182]。その後公判再開を申し立てたが棄却され、2009年1月29日に福岡拘置所で死刑執行(58歳没)[182]。 |
平取事件 (O)[264] | 1993年12月10日 | 1979年7月18日[251] | 日高振興局管内・沙流郡平取町で剥製業者一家4人を射殺した[264]。1984年3月23日に札幌地裁(安藤正博裁判長)で死刑判決を受け、1987年5月19日に札幌高裁(水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決[251]。 1993年12月10日に最高裁(小野正男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが[251]、1999年11月8日に収監先・札幌拘置支所(札幌刑務所に隣接)[注 16]で入浴中、貸し出された剃刀で右頸部右頸部(頸動脈)を切り自殺(55歳没)[注 21][264]。 |
1994年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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勝田清孝事件(勝田清孝) | 1994年2月5日 (正式な死刑確定日)[265] |
1972年9月 - 1982年10月 | 1948年(昭和23年)8月29日生まれ[251]。事件の一部(1982年10月 - 1983年1月 / 警察官を襲撃して拳銃を強奪し、その拳銃で起こした連続強盗殺傷事件)は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定された[266]。 強盗殺人罪など合計33の罪状・計27の犯罪事実で名古屋地方裁判所へ起訴されたが、併合罪(刑法第45条)の規定により[注 22]、「113号事件」を起こす以前に受けた有罪判決X[注 23]を境に「X判決前の強盗殺人7件ほか17罪」(前半事件)+「X判決後の殺人1件ほか『113号事件』16罪」と分離されて判決が言い渡された[268]。 名古屋地裁(橋本享典裁判長)で1986年3月24日に前半事件・113号事件ともに死刑判決を受け[268]、名古屋高裁に控訴したが[269]、1988年2月19日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受けた[270]。 1994年1月17日に最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが[271]、同日に支援者・来栖宥子の実母(藤原姓)と養子縁組して「藤原清孝」に改名していた[265][272]。 1994年1月26日付で最高裁判決を不服として最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)に判決を訂正するよう申し立てたが、1994年2月3日付で同小法廷から申立て棄却決定が出され、同決定書が1994年2月5日に勝田宛に届いたことで正式に死刑判決が確定した[265]。 2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)[251]。 |
岐阜前妻一家殺害事件 (M) | 1994年3月18日 | 1989年2月14日[251] | 1943年(昭和18年)7月26日生まれ。殺害した被害者3人のうち2人については傷害致死罪を主張したが、1989年12月14日に岐阜地裁(橋本達彦裁判長)で死刑判決[251]。 1990年7月16日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受け上告したが、1994年3月18日に上告を取り下げ死刑確定[251]。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)[251]。 |
北海道庁爆破事件(大森勝久) | 1994年9月5日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[273] |
1976年3月2日[251] | 1947年(昭和22年)9月7日生まれ[251]。2020年9月27日時点で[91]札幌刑務所札幌拘置支所[注 16]に収監中(現在76歳)[274]。 極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」によるテロ事件。一貫して無実を主張したが、1983年3月29日に札幌地裁(生島三則裁判長)で死刑判決を受け、1988年1月21日に札幌高裁(水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決[251]。 1994年7月15日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[275]、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが[276]、1994年9月5日付で棄却されたため[273]死刑が確定[276]。 1985年、支援者と獄中結婚。獄中で極左から保守主義に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論のホームページを運用している。 |
1995年 - 1999年
1995年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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佐賀隣人一家殺人事件 (O) | 1995年4月21日 | 1983年5月16日 | 1945年(昭和20年)1月10日生まれ[251]。 刑事裁判では「事件当時は精神障害だった」として責任能力を争ったが、1987年3月12日に佐賀地裁(早船嘉一裁判長)で死刑判決[251]。1989年10月24日には福岡高裁(丸山明裁判長)で控訴棄却判決を受け、1995年4月21日に最高裁(中島敏次郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[251]。2000年11月30日に福岡拘置所で死刑執行(55歳没)[251]。 |
山梨・新潟連続殺人事件 (F) | 1995年6月27日[277] | 1986年3月6日・3月11日[251] | 1958年(昭和33年)4月22日生まれ[251]。 1987年7月6日に甲府地裁(古口満裁判長)で死刑判決を受け、1988年12月15日に東京高裁(石丸俊彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[251]。 1995年6月8日に最高裁(高橋久光裁判長)で上告棄却判決を受け[251]、同年6月27日付で死刑確定[277]。 2013年12月12日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)[251]。 |
山中湖連続殺人事件 (I) | 1995年7月3日 | 1984年10月 | 1949年(昭和24年)7月2日生まれ[251]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在74歳)[274]。 1987年10月30日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決、1989年3月31日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[251]。共犯・澤地和夫は1993年7月に上告を取り下げ死刑が確定(2008年12月に病死)[182]。 自身も1995年7月3日に最高裁(大西勝也裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[251]。 |
1996年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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徳島隣人3人射殺事件 (I) | 1996年3月4日 | 1986年6月3日[251] | 1932年(昭和7年)12月12日生まれ[251]。第一審・徳島地裁(山田真也裁判長)では1988年3月22日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・高松高裁(村田晃裁判長)では1989年11月28日に一審破棄・死刑判決[251]。 1996年3月4日に最高裁(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[251]。2007年12月7日に大阪拘置所で死刑執行(74歳没)[251]。 |
不動産会社連続殺人事件(山野静二郎)[278] | 1996年10月25日 | 1982年3月21日-3月25日 | 1938年(昭和13年)7月31日生まれ[274]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在85歳)[274]。 自身が経営していた不動産会社の資金繰りに困り、知人の不動産会社社長を架空取引で誘き出し殺害、社長が持参していた小切手を換金した。ついで役員を誘い出して殺害し手付金として持参してきた2100万円を奪った[279]。 刑事裁判では重大な事実誤認を主張したが、1985年7月22日に大阪地裁(池田良兼裁判長)で死刑判決を受け、1989年10月11日には大阪高裁(西村清治裁判長)で控訴棄却判決を受けた[251]。 1996年10月25日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[251]。 著書に『死刑囚の祈り』『死刑囚の叫び』、支援会誌に「オリーブ通信」がある[251]。 |
練馬一家5人殺害事件 (A) | 1996年11月14日 | 1983年6月27日 | 1935年(昭和10年)3月9日生まれ(秋田県秋田市出身)[280]・元不動産鑑定士[281]。1961年9月10日に死亡した父親の遺産を巡り、弟が姉の夫に対し暴力をふるったことから弟を出刃包丁で刺し、左目を失明させる事件を起こしたことで殺人未遂罪・傷害罪に問われ、1962年8月7日に秋田地裁で懲役3年の実刑判決を受けた前科がある[282]。 「競売で落札した物件に立退き料吊り上げのために居座っていた賃借人が邪魔になった」という動機から一家5人を殺害し遺体をバラバラにした。 1985年12月20日に東京地裁(柴田孝夫裁判長)で死刑判決[251]。1990年1月23日に東京高裁(高木典雄裁判長)で控訴棄却、1996年11月14日に最高裁(高橋久子裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[251]。2001年12月27日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)[251]。 |
姫路母子3人殺害事件 (M) | 1996年12月17日 | 1985年11月29日・12月3日[251] | 1961年(昭和36年)8月17日生まれ[283]。 1988年2月26日に神戸地裁(加藤光康裁判長)で死刑判決を受け、1990年10月3日に大阪高裁(池田吉兼裁判長)で控訴棄却判決を受けた[283]。 1996年12月17日に最高裁(尾崎行信裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[283]。2003年9月12日に大阪拘置所で死刑執行(42歳没)[283]。アムネスティ・インターナショナル日本支部が2006年に出した報告書によれば、死刑囚Mは精神状態に問題があり、死刑執行当時は再審請求準備中だった[284]。 |
1997年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N) | 1997年1月28日 | 1982年5月20日[283] | 1943年(昭和18年)12月24日生まれ[283]。1985年5月16日に大阪地裁堺支部(重富純和裁判長)で死刑判決、1991年10月27日に大阪高裁(池田吉兼裁判長)で控訴棄却判決[283]。 1997年1月28日に最高裁(可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。死刑確定から約11年1か月後の[285]2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)[283]。 |
徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M) | 1997年4月28日 | 1988年4月18日・6月1日[283] | 1944年(昭和19年)3月19日生まれ[283]。1990年5月22日に徳島地裁(虎井寧夫裁判長)で死刑判決、1992年1月23日に高松高裁(村田晃裁判長)で控訴棄却判決[283]。 1997年1月28日に最高裁(根岸重治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。 死刑確定から約10年8か月後の[286]2008年2月1日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。 |
福岡内妻一家4人殺害事件(大城英明[287]) | 1997年9月11日 | 1976年6月13日 | 1942年(昭和17年)3月10日生まれ(旧姓:秋好)[283]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在82歳)[288]。 被害者4人中3人殺害については「内妻の犯行」と主張[283]。1985年5月31日に福岡地裁飯塚支部(松信尚章裁判長)で死刑判決、1991年12月9日に福岡高裁(雑賀飛龍裁判長)で控訴棄却判決[283]。 1997年9月11日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。関連書籍に『秋好事件』『秋好英明事件』(いずれも著者:島田荘司)がある[283]。 |
警察庁広域重要指定115号事件 (J) | 1997年12月19日 | 1984年9月4日 | 1943年(昭和18年)1月5日生まれ(旧姓H)[283]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在81歳)[288]。 1988年10月25日に大阪地裁(青木暢茂裁判長)で死刑判決、1993年4月30日に大阪高裁(村上保之助裁判長)で控訴棄却判決[283]。 1997年12月19日に最高裁(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。2事件とも無実を主張し再審請求中[289](2004年6月末時点)[290]。 |
1998年死刑確定囚(6人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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熊本大学生誘拐殺人事件(春田竜也[291]) | 1998年4月23日 | 1987年9月14日 | 1966年(昭和41年)4月18日生まれ(旧姓:田本)[283]。1988年3月30日に熊本地裁(荒木勝己裁判長)で死刑判決、1991年3月26日に福岡高裁(前田一昭裁判長)で控訴棄却判決[283]。上告中に脱獄未遂を起こし、当時の福岡拘置所所長が自殺。 1998年4月23日に最高裁(遠藤光男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。2002年9月18日に福岡拘置所で死刑執行(36歳没)[283]。 |
岐阜県坂祝町一家3人殺害事件 (H) | 1998年6月3日[283] | 1994年6月3日 | 殺人前科あり。1998年5月15日に岐阜地裁(沢田経夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、6月3日に自ら控訴を取り下げて死刑確定[283]。2002年9月18日に名古屋拘置所で死刑執行(43歳没)[283]。 |
富山・長野連続女性誘拐殺人事件 (M) | 1998年9月4日 | 1980年2月-3月 | 警察庁広域重要指定111号事件。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中[283]。犠牲者は女性2人[288]。Mは戦後7番目の女性死刑囚。共犯とされた男性については無罪となったが、検察は一審審理中に主犯と共犯を逆転させた。 1988年2月9日に富山地裁(大山貞雄裁判長)で死刑判決、1992年3月31日に名古屋高裁金沢支部(浜田武律裁判長)で控訴棄却判決を受けた[283]。 1998年9月4日に最高裁(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。一時期は「F」姓を名乗っていたが[注 24][293][295]、2019年10月1日時点では[242]「M」姓に戻っている[283]。 |
中村橋派出所警官殺害事件 (S) | 1998年9月17日 | 1989年5月16日 | 1969年(昭和44年)1月1日生まれ[283]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在55歳)[288]。元陸上自衛官が銀行強盗のために拳銃を奪おうとして練馬警察署の「中村橋派出所」を襲撃し、警察官2名をサバイバルナイフで刺殺した。派出所勤務中の警察官2人が同時に殺害され殉職した事件は1955年(昭和30年)以降では初だった[298]。 1991年5月27日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決、1994年2月24日に東京高裁(小林充裁判長)で控訴棄却判決を受けた[283]。 1998年9月17日に最高裁(井嶋一友裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。 |
宮代事件(村松誠一郎[299]) | 1998年10月8日 | 1980年3月21日 | 1956年(昭和31年)5月17日生まれ[283]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在67歳)[288]。 犠牲者2人。兄弟が起訴され兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。 村松は宮代事件について無実を主張したが、1985年9月26日に浦和地裁(林修裁判長)で死刑判決[283]。1992年6月29日に東京高裁(新谷一信裁判長)で控訴棄却[注 25]、1998年10月8日に最高裁(小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[283]。 死刑確定後の2001年2月27日に日本弁護士連合会(日弁連)に対し「東京拘置所が自分に対し違法に新技術を用いたポリグラフ実験を行ったり、ミクロ通信器による人工テレパシー・遠隔痛覚実験などを行っている」などと人権救済を申し立て、これを受けた日弁連は「村松は統合失調症あるいは拘禁ノイローゼなど重篤な精神疾患を患っている」として法務省に対し死刑執行停止を勧告した[301]。 |
妙義山麓連続殺人事件 (M) | 1998年12月1日 | 1990年12月4日・1991年7月6日 | 1965年(昭和40年)2月20日生まれ[283]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在59歳)[288]。 2人への殺人罪+1人への傷害致死罪および死体遺棄罪に問われ[283]、1993年8月24日に前橋地裁高崎支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決[283]。 1994年9月29日に東京高裁(小林充裁判長)で控訴棄却、1998年12月1日に最高裁(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[283]。1件の殺人については無実を主張し、他の殺人・傷害致死についても「犯行はシンナーの影響によるもの」と主張して再審請求中[289](2004年6月末時点)[290]。 アムネスティ・インターナショナル日本支部は2013年の報告書で死刑囚Mについて「『マイクロ波放射線に曝されている』『血液が紫色である』などの妄想があり、弁護団が再審請求しているが、自身の弁護活動に関与できていない」と述べている[302]。 |
1999年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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埼玉県友人ら3人殺害事件[303] (T) | 1999年2月25日 | 1972年2月・1973年7月・1974年2月[304] | 1932年(昭和7年)8月17日生まれ[305]。埼玉県熊谷市[注 26]で以下の事件を起こした[306]。
被害者3人のうち1人は遺体が発見されていない[289]。1986年3月28日に東京地裁(杉山忠雄裁判長)で死刑判決、1994年9月14日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決[305]。 |
熊本・菊池市保険金殺人事件 (S) | 1999年3月9日 | 1988年3月 | 第一審・熊本地裁では1992年11月30日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁(池田憲義裁判長)で1995年3月16日に一審破棄・死刑判決[305]。 1999年3月9日に最高裁(千種秀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[305]。2004年9月14日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[305]。 |
高知3連続殺人事件 (F) | 1999年6月25日 | 1978年12月・1980年4月・1981年1月[305] | 1942年(昭和16年)7月14日生まれ[305]。 1988年3月9日に高知地裁(田村秀作裁判長)で死刑判決を受け、1994年3月8日に高松高裁(米田俊昭裁判長)で控訴棄却判決[305]。 1999年6月25日の最高裁判決(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[305]。 2006年12月25日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)[305]。 |
群馬県安中市親子3人殺害事件 (M) | 1999年9月13日 | 1994年2月13日 | 1948年(昭和23年)1月23日生まれ[305]。 1975年2月14日に[308]群馬県高崎市内で自身との交際を断った[309]女子専門学校生(当時20歳)を包丁で刺殺する殺人事件を起こし[308]、懲役10年の判決を受け刑務所に服役した前科があった[309]。一時期、姓がNだったが元に戻した。 前述事件の刑期を終えて出所後、群馬県安中市で交際相手の女性(当時42歳)の両親(夫69歳・妻65歳)から結婚に反対され、女性からも結婚を断られたことに逆上し、3人をハンマーで撲殺した[309]。さらに女性の妹夫婦宅にも侵入し、妹とその長女を殺そうと首を絞めるなどした[310]。 前橋地裁高崎支部(佐野精孝裁判長)で1994年11月9日に死刑判決を受け[310]、1995年10月6日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決を受けた[311]。 1999年9月13日に最高裁第一小法廷(大出峻郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[312]。 一時期は「N」姓を名乗っていた[注 28]。第4次再審請求中の2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[321]。 |
2000年 - 2004年
2000年死刑確定囚(6人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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千葉・高知連続強盗殺人事件 (K) | 2000年2月4日 | 1983年8月・1989年2月 | 1947年(昭和22年)5月21日生まれ[305]。 高知地裁(隅田景一裁判長)で1994年2月23日に死刑判決を受け、高松高裁(米田俊昭裁判長)で1995年3月30日に控訴棄却判決[305]。 2000年2月4日の最高裁判決(北川弘治裁判長)で上告棄却・死刑確定。 2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行(58歳没)[305]。 |
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) | 2000年2月24日 | 1996年4月 - 9月 | 2000年2月9日に広島地裁(戸倉三郎裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず死刑が確定[305]。2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没)[305]。 |
福岡・赤池町保険金殺人事件 (O) | 2000年3月30日 | 1990年12月25日・26日 | 2000年3月15日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、同年3月30日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[305]。2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[305]。 |
京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M) | 2000年4月4日 | 1990年9月・1991年9月 | 1951年(昭和26年)2月3日生まれ[305]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在73歳)[322]。 実兄(自殺)と共謀して1990年に京都府城陽市で従兄弟(当時36歳)を殺害し、1991年にも滋賀県東浅井郡湖北町(現:長浜市)で知人女性(当時66歳)を殺害した[323]。共犯の兄(主犯とされる)は逮捕前に自殺[305]。 2件の強盗殺人罪に問われ、1993年9月17日に大津地裁(土井仁臣裁判長)で死刑判決を受け、1996年2月21日に大阪高裁(朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決[305]。 2000年4月4日に最高裁(奥田昌道裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[305]。 弁護団は「胎児性水俣病に由来する知的障害で、裁判手続きを理解できない」と主張して再審請求している[302](2020年2月時点で大津地裁に第8次再審請求中)[323]。 アムネスティ・インターナショナル日本支部は2013年の報告書で死刑囚Mについて「大阪拘置所内で車いすを使っているようだ。2008年10月に支援者宛の手紙で『レーダーとマイクロ波で調べられている』など支離滅裂な内容を書き記しているほか、他の死刑確定者たちが自身の弁護人に対しNの健康状態を心配する発言をしている」と述べている[302]。また大阪地裁に対し「再審請求中の死刑執行は『裁判を受ける権利』を保障する日本国憲法第32条に違反する」として執行に応じる義務がないことの確認を求める訴訟を起こしていたが、同地裁(松永栄治裁判長)は2020年2月20日に死刑囚Mの請求を棄却する判決を言い渡した[323] |
4都県連続4人殺害事件 (T) | 2000年9月8日 | 1984年・1988年 1989年・1991年 |
1964年(昭和39年)9月12日生まれ[305]。旧姓M[305]。 1994年1月27日に横浜地裁(上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、1995年12月20日に東京高裁(佐藤文哉裁判長)で控訴棄却判決[305]。 2000年9月8日に最高裁(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[305]。 2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[305]。再審請求を棄却され[注 29]、恩赦請求を提出する直前だった[305]。 |
今市連続殺人事件 (T) | 2000年12月26日 | 1990年9月13日[305] 1993年7月28日[305] |
1998年3月24日に宇都宮地裁(山田公一裁判長)で死刑判決を受け、2000年12月11日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決。 弁護人は「嫉妬妄想による犯行」と主張していたが、控訴審判決後に上告せず死刑が確定[305]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[305]。 |
2001年死刑確定囚(5人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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富山社長夫婦射殺事件 (S) | 2001年1月30日 | 1991年5月7日 | 1993年7月15日に富山地裁(下山保男裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に名古屋高裁金沢支部(高木實裁判長)で控訴棄却判決[305]。 2001年1月30日に最高裁(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[305]。 2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没)[305]。 |
東京連続強盗殺人事件 (I) | 2001年2月6日 | 1996年6月10日・1999年7月8日 | 2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決[305]。 弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[305]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[305]。 |
愛知連続殺人事件 (U) | 2001年9月20日 | 1993年2月16日・3月3日[324] | 強盗で2人殺害(強盗殺人)・1人重傷(強盗殺人未遂)のほか、窃盗など余罪多数。 1994年5月25日に名古屋地裁一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決[324]。 2001年9月20日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[324]。 死刑確定後の2003年2月28日に名古屋拘置所内で病死(33歳没)[325]。 |
市川一家4人殺人事件 (S) | 2001年12月3日 | 1992年3月5日 | 1973年(昭和48年)1月30日生まれ・犯行時19歳の少年死刑囚[324]。1994年8月8日に千葉地裁(神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決[324]。 2001年12月3日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告棄却判決を受け[326]、(判決訂正申し立て棄却決定により)2001年12月21日までに死刑が確定[327]。 2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[321]。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった[328]。 少年犯罪に対する死刑確定・執行は連続射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・永山則夫以来で平成の事件では初だった。 |
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) | 2001年12月6日 | 1988年1月15日 | 1940年(昭和15年)1月24日生まれ[324]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[324]。 1991年2月7日に大阪地裁(米田俊昭裁判長)で死刑判決、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決[324]。 2001年12月6日に最高裁(深沢武久裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[324]。 死刑確定から約6年8か月後の[329]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[324]。 |
2002年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (C) | 2002年6月11日[324] | 1992年5月30日[324] | 1961年(昭和36年)2月13日生まれ[324]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在63歳)[330]。 中国国籍で、定住以外の外国人の死刑確定は戦後初だった[324]。主犯格は国外逃亡中[324]。 1995年12月15日に東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)で下記共犯とともに死刑判決を受け、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決[324]。 2002年6月11日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[324]。 |
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H) | 2002年6月11日 | 1992年5月30日 | 1964年(昭和39年)10月3日生まれ[324]。上記共犯Cと同じく中国籍で、判決期日はいずれも同上[324]。 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在59歳)[330]。 |
川口バラバラ殺人事件 (Y) | 2002年10月24日 | 1999年1月9日 | 1949年(昭和24年)5月23日生まれ[324]・秋田県横手市出身[331]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在74歳)[330]。 1978年に千葉県松戸市で生活保護を受給していた男性を殺害して現金などを奪った事件を起こし、同年9月に強盗殺人罪で無期懲役判決を受けた[331]。服役先・岐阜刑務所内では模範囚で、母親が身元引受人となったことから1998年1月に仮釈放されたが、出所後は半年ほどで再就職先を退職した一方、被害者女性がアルバイトをしていたスナックなどで飲み歩き、自分が渡した小遣いに被害者から不満を言われたことなどに激昂して被害者を殺害した[331]。 2001年6月28日にさいたま地裁で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で一審破棄・死刑判決[324]。 弁護人が上告したが、本人が同年10月24日付で自ら上告を取り下げたため確定[332]。その後、死刑囚Yは東京高裁に対し「上告取り下げは無効」と主張して最高裁への事件送付を申し入れる申入書・上告審の弁護人選任届を提出し、東京高裁は事件記録を最高裁に送付したが、最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は2007年12月17日付の決定で「上告取り下げは有効であり、上告は取り下げにより既に終了したものである」として死刑囚Yの申し立てを棄却した[333]。 |
2003年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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江戸川老母子強盗殺人事件 (F) | 2003年1月 | 1999年4月19日 | 老母子2人を殺害したほか、別件で詐欺事件も起こしていた。 2001年3月21日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受け、2001年12月19日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決[324]。 上告していたが、2003年1月5日に上告を取り下げたため死刑が確定[324]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[324]。 |
附属池田小事件(吉岡守) | 2003年8月28日 | 2001年6月8日 | 旧姓:宅間。2003年8月28日に大阪地裁(川合昌幸裁判長)で死刑判決を受け、第一審の弁護人が控訴したが、本人が同年9月26日に控訴を取り下げたため死刑が確定。[324] 死刑確定からわずか1年後の2004年9月14日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[324]。 |
2004年死刑確定囚(15人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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警察庁広域重要指定121号事件 (W) | 2004年4月19日 | 1993年10月27日 - 12月20日[324] | 1968年(昭和43年)12月14日生まれ[324]。中国系のマレーシア国籍で、2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在55歳)[330]。 東京都・群馬県・滋賀県など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた[334]。 刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で死刑判決[324]。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決[324]。 2004年4月19日に[324]最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)で[334]上告棄却判決を受け[324]、判決への訂正申し立ても同小法廷の決定(2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑が確定[334]。 共犯Mは2005年9月に死刑が確定[324]。 |
神奈川2件強盗殺人事件 (I) | 2004年4月27日 | 1988年12月28日・1989年1月1日[324] | 1937年(昭和12年)10月25日生まれ[324]。 第一審・横浜地裁小田原支部(萩原孟裁判長)は1996年3月8日に強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決を言い渡した[324]。 しかし控訴審・東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日に死刑判決を言い渡し、2004年4月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決を言い渡したため死刑が確定[324]。 再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死(72歳没)[324]。 |
藤沢市母娘ら5人殺害事件 (F) | 2004年6月15日 | 1981年10月6日 - 1982年6月5日 | 1960年(昭和35年)8月21日生まれ[335]。 神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手の女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺害事件の共犯者を逃走先の兵庫県内で殺害した。一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。 1988年3月10日に横浜地裁(和田保裁判長)で死刑判決を受けて東京高裁に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した[336]。 最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日に上告棄却判決を受け[337]、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず確定した[338]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[335]。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (O) | 2004年6月25日 | 1986年7月[335] 1989年7月[335] 1991年5月[335] |
1953年(昭和28年)6月30日生まれ[335]。 118号事件の主犯格で元岩手県警警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された[335]。 下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、福島地裁(井野場明子裁判長)で死刑判決[335]。 1998年3月17日に仙台高裁(泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[335]。 死刑確定後に東京拘置所へ移送されたが[注 30]、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死(60歳没)。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった[335]。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (S) | 2004年6月25日 | 1986年7月[335] 1989年7月[335] 1991年5月[335] |
1940年(昭和15年)7月25日生まれ[335]。 上記O・下記K両加害者の共犯者[335]。裁判経緯はO・Kと同一[335]。 2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所[注 16]医務棟で急性肺炎により病死(73歳没)。 |
警察庁広域重要指定118号事件 (K) | 2004年6月25日 | 1986年7月[335] 1989年7月[335] 1991年5月[335] |
1943年(昭和18年)2月10日生まれ[335]。 上記O・S両加害者の共犯者[335]。裁判経緯はO・Sと同一[335]。 死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死(67歳没)[340]。 |
徳之島兄家族殺傷事件 (N) | 2004年8月26日 | 2002年8月16日 | 1970年(昭和45年)5月7日生まれ[335]。2004年6月18日に鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定[335]。死刑確定から約3年5か月後の[286]2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行(37歳没)[335]。 |
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) | 2004年9月9日 | 1989年10月10日・12月26日[335] | 1947年(昭和22年)3月11日生まれ[335]。 1995年5月19日に大津地裁(中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴棄却判決[335]。 2004年9月13日に最高裁8福田宏裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[335]。 死刑確定から約3年6か月後の[285]2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[335]。 |
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三)[341] | 2004年9月13日 | 1988年1月9日 | 1958年(昭和33年)9月3日・大阪府大阪市西成区生まれ[342](旧姓:河村)[335]。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳)[注 31]を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画[343]。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして京都府南山城村の山林に埋めて遺棄した[343]。 刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが[343]、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった[341]。大阪地裁(谷村充祐裁判長)は[335]「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定[注 32]し[341]、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決[335]。 2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[335]。 死刑確定後に旧名「河村啓三」名義でインパクト出版会から著書『こんな僕でも生きてていいの』[344]『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』[345]『落伍者』を出版[346]。 2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが[347]、請求中の[335]2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[348][349]。 |
コスモ・リサーチ事件 (S)[341] | 2004年9月13日 | 1988年1月9日 | 1951年(昭和26年)9月16日生まれ[335]。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上[335]。 2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(67歳没)[348][349]。 |
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) | 2004年11月10日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[350] |
1997年4月18日 | 1942年(昭和17年)5月15日生まれ[341]。殺人前科あり(1976年に広島県広島市内で家出中の女子高生を殺害して懲役10年の刑に処された)。 第一審・東京地裁(山室惠裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが[351]、控訴審・東京高裁(仁田陸郎裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた[352]。 最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)にて2004年10月13日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2004年11月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[350]。 死刑確定から約3年2か月後の[286]2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行(65歳没)[341]。 |
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) | 2004年11月13日[353] | 2002年7月19日[353] | 1966年(昭和41年)5月19日生まれ[353]。 第一審・前橋地裁(久我泰博裁判長)では2003年10月9日に無期懲役判決が言い渡されたが、2004年10月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で一審破棄・死刑判決[353]。上告せず、同年11月13日に死刑確定[353]。 死刑確定から約3年4か月後の[285]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[353]。 |
高知連続保険金殺人事件 (S) | 2004年11月19日 | 1987年1月17日[353] 1992年8月19日[353] |
1927年(昭和2年)6月21日生まれ・死刑確定時77歳[353]。女性死刑囚としては最高齢。 高知県室戸市内で1987年に共犯者らと共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円を詐取したほか、1992年にも交通事故を装って同居女性を殺害し、保険金を詐取しようとした[354]。殺人・詐欺などの罪で起訴され、刑事裁判では無罪を主張したが[354]、1998年7月29日に高知地裁(竹田隆裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決[353]。 2004年11月19日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[353]。共犯3人は懲役刑が確定。 大阪拘置所に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり[354]、同年12月に大阪拘置所から大阪医療刑務所へ移送された[355]。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため大阪医療刑務所で死亡(83歳没)[354]。 |
福岡連続強盗殺人事件 (H) | 2004年12月2日 | 1995年4月18日 | 1951年(昭和26年)7月2日生まれ[353]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在72歳)[356]。 1995年4月に福岡県大牟田市で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[353]。 2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[353]。 |
フィリピン人2女性殺害事件 (M) | 2004年12月14日[357] (上告審判決宣告日) |
1998年12月25日 | 旧姓S。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中[注 33][356]。 1998年11月に三重県松阪市でフィリピン人女性2人(いずれもスナック従業員[359]・20歳代[注 34])を絞殺して現金13,000円とネックレス(時価合計約25万円相当)などを奪ったほか[357]、1998年5月には愛知県名古屋市内のパチンコ店[注 35]へ侵入し[359]、従業員1人の頭部を木刀で殴って重傷(全治6か月)を負わせ、売上金1,920万円余りを奪ったとして、強盗殺人罪・建造物侵入罪・強盗致傷罪に問われた[357]。 2000年3月1日に共犯者3人とともに津地裁(柴田秀樹裁判長)で共犯者2人とともに死刑判決を受け[359]、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決[353]。2004年12月14日に最高裁第三小法廷(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け[357]、同月24日に判決訂正申立書を提出したが、2005年1月21日に申立てが却下されたことで死刑判決が確定[358]。 死刑確定後の2015年には親族へ飴・食パンなどに付属している応募券19枚を郵送しようとしたり、知人からネガフィルムの差し入れを受けようとしたが、いずれも拘置所側から不許可にされたことで精神的苦痛を受けたとして国家賠償請求訴訟を起こし、2017年4月13日に名古屋高裁(藤山雅行裁判長)で一部勝訴の判決(賠償金額22,500円)の判決を受けた[360]。 ともに第一審で死刑判決を受けた共犯者のうち1人は公判途中(2000年10月)に死亡し[359]、もう1人は控訴審(名古屋高裁・2001年5月14日判決)で「殺害実行犯としての責任は重いが、従属的な面がある」として、死刑判決を破棄され無期懲役判決を受けた[361]。 |
2005年 - 2009年
2005年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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仙台・高松保険金殺人事件 (Y) | 2005年1月25日 | 1985年11月・1990年3月 | 1935年(昭和10年)6月10日生まれ[353]。 1997年2月18日に第一審・高松地裁(重吉孝一郎裁判長)で無期懲役判決を受けたが、控訴審・高松高裁(島敏男裁判長)で2000年10月26日に一審破棄・死刑判決を受けた[353]。 2005年1月25日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[353]。 死刑確定から約3年4か月後の[362]。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)[353]。 |
同級生連続殺人事件 (M) | 2005年1月27日 | 1989年(8月9日・9月13日) | 1967年(昭和42年)12月6日生まれ[353]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在56歳)[356]。 同級生2人を殺害した[356]。1994年7月6日に水戸地裁下妻支部(小田部米彦裁判長)で死刑判決を、2001年5月1日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[353]。 2005年1月27日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[353]。 |
資産家老女ら2人殺害事件 (A) | 2005年3月3日 | 1989年10月1日 - 4日 | 1946年(昭和21年)12月14日生まれ[353]。旧姓O[353]。 第一審・東京地裁(山崎学裁判長)では1999年3月11日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・東京高裁(吉本徹也裁判長)では2001年5月17日に一審破棄・死刑判決を受けた[353]。 2005年3月3日に最高裁(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[353]。 死刑確定から約3年後の[285]2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)[353]。 |
オウム真理教事件(宮前一明) | 2005年5月6日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[363] |
1989年2月 - 11月3日 | 1960年(昭和35年)10月8日生まれ[353]。旧姓は岡崎および佐伯[353]。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。 刑事裁判では自首の成立は認められたが量刑は減軽されず、1998年10月23日に東京地裁(山室惠裁判長)で死刑判決[353]。2001年12月13日には東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[353]。 最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[363]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[364]、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)[353]。 |
スナックママ連続殺人事件 (N) | 2005年6月7日 | 1991年(12月13日 - 12月28日) | 1956年(昭和31年)1月14日[353]・鳥取県鳥取市西品治生まれ[365]。警察庁広域重要指定119号事件[353]。 18歳の時(1974年7月6日)に鳥取市永楽温泉町で殺人事件を起こし、1975年2月に鳥取地裁で懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決を受けた前科がある[365]。1984年6月に松江刑務所を仮出所したが、同年9月にも永楽温泉町で強盗致傷事件を起こして1985年1月に懲役7年の判決を受け、1991年10月に鳥取刑務所を出所してから約2か月後の犯行[365]。 兵庫県姫路市(12月12日)・島根県松江市(21日)・京都府京都市(26日に2件)で相次いでスナックママ4人を殺害[366]。4件の強盗殺人事件を起こした後、指名手配中の1992年1月5日には大阪府大阪市天王寺区で落語家・3代目桂あやめを襲撃して現金14万円を奪う強盗殺人未遂事件を起こし[367]、同月7日には同区内のマンションに侵入して金を奪おうとするが、住人から自首するよう説得されて逮捕された[366]。大阪地裁刑事第3部にて行われた第一審の公判では強盗殺人4件について全面的に無罪を主張したが[368]、1995年9月11日に大阪地裁(松本芳希裁判長)で死刑判決を受けた[注 36][369]。 控訴審では姫路市の殺人事件のみ一転して犯行を認めたが「多量の飲酒で病的に深酔いし責任能力がなかった」として、それ以外の罪状(強盗殺人3件+桂への強盗殺人未遂事件)も含め一審と同様に無罪を主張[370]。しかし2001年6月20日に大阪高裁(河上元康裁判長)は一審判決を支持し、被告人N(当時K姓)の控訴を棄却する判決を言い渡した[371]。2005年6月7日に最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[372]。 第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没)[373]。 |
大阪連続バラバラ殺人事件 (K) | 2005年7月8日 | 1985年5月 - 1994年3月[374] | 1940年(昭和15年)7月10日生まれ[353]。 警察庁広域重要指定122号事件[353]。1985年5月下旬 - 1994年3月下旬にかけて大阪市内の自宅で女性5人(46歳主婦・19歳福祉施設寮生・9歳女児45歳・スナック店員・38歳飲食店員)を絞殺し、遺体を山中に遺棄した(うち9歳女児を除く4人の遺体は切断されていた)[374]。また、1985年5月に9歳女児を殺害した際には女児の自宅などに身代金を要求する電話を計5回掛けた[375]。 捜査段階では身代金要求を除きすべて犯行を認めたが、公判では「殺害したのは知人で、自分は遺体の遺棄などを手伝っただけだ」と無罪を主張[376]。一連の事件の途中(3件目と4件目の間)に別の窃盗罪で2件の有罪判決が確定していたため、大阪地方検察庁は刑法の規定(併合罪)により確定判決の前後で「殺人3件」と「殺人2件+窃盗」に事件を分離し、前後両事件について死刑を求刑した[注 22][375]。 大阪地裁(横田信之裁判長)は1999年3月24日に殺人5件をすべて有罪と認定し、被告人Kに死刑判決を言い渡したが、身代金要求については「第三者による便乗的犯行の疑いがある」として無罪とした[376]。被告人Kだけでなく、大阪地検も身代金要求の事実認定を不服として大阪高裁へ控訴した[377]。 2001年3月27日に大阪高裁(福島裕裁判長)は身代金要求に関しても有罪と認定し、同部分を無罪とした一審判決を破棄した上で改めて死刑判決を言い渡した[378]。その後、2005年7月8日に最高裁第二小法廷(福田博裁判長)は控訴審判決を支持して被告人Kの上告を棄却する判決を言い渡し、死刑が確定した[379]。 2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)[353]。 |
警察庁広域重要指定121号事件 (M) | 2005年9月16日 | 1993年10月27日 - 12月20日[380] | 旧姓S[380]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[381]。 1998年5月26日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で犯行の主導的な役割を認定され死刑判決を受けた[380]。 2001年5月30日に東京高裁(龍岡資晃裁判長)で控訴棄却、2005年9月16日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[380]。 共犯Wは2004年4月に上告棄却判決を受け死刑確定[324]。 |
仙台老夫婦殺害事件 (H) | 2005年9月26日 | 1986年2月20日 | 1950年(昭和25年)12月29日生まれ[380]。2020年9月27日時点で[91]宮城刑務所仙台拘置支所[注 16]に収監中(現在73歳)[注 37][381]。 1981年に入院先(宮城県仙台市内の眼科)で知り合った元会社社長の被害者男性(死亡当時82歳)と交際を深めるうちに被害者が資産家であることを知った一方[382]、被害者が左官の仕事を紹介してくれないことを逆恨みし[383]、金に困っていたことから被害者夫婦を殺害して金を奪うことを計画[382]。1986年2月20日午後に男性宅を訪れ[383]、借金を申し込んだが断られたため[384]、男性の頭部を鉄棒で滅多打ちにして殺害し、約30分後に帰宅した妻(当時75歳)も鉄棒で撲殺した上で郵便預金証書など(額面約450万円)と現金12,000円を奪った[383]上で同日夜、トラックで2人の遺体を仙台市内の山林に遺棄した[382]。 1988年9月12日に仙台地裁刑事第1部(渡辺達夫裁判長)で死刑判決を受け[385]控訴したが[386]、1991年3月29日に仙台高裁(小島建彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[384]。 1991年4月に上告したが[387]、上告中の1992年3月27日に自ら上告取下書を提出した[388]。しかし弁護人から「控訴取り下げは訴訟能力を欠いた状態でなされたため無効」とする申し出がなされたことを受け、最高裁が[389]福島章に命じて精神鑑定(1992年6月29日に実施)したところ[388]、心神喪失状態であることが判明した[389]。このため最高裁は控訴取り下げ書を無効とし、刑事訴訟法に基づいて被告人Hが回復するまで公判手続きを停止することを決定した[389](1993年5月31日付・最高裁第二小法廷〈大西勝也裁判長〉決定)[390]。死刑事件で公判に付される能力(訴訟能力)に異議を申し立てて認められた初の事例で[注 38]、本件以外に同様の事例は藤沢市母娘ら5人殺害事件のみである[392]。その後、同小法廷は1997年6月12日に再度の精神鑑定を命じ(福島が実施)、「知的障害の境界線上にいるが、統合失調症など重大な精神障害とはいえない」とする同鑑定結果を踏まえて[393]1998年3月17日付で「被告人が心神喪失の状態でなくなった」として公判手続停止決定を取り消す決定を出した[394]。 2003年には西山詮が3度目の精神鑑定を実施し、「被告人Hは拘禁反応の状態だ。これはほとんどが裁判の状況及び被告人Hと接触する人々の言動に起因するものだ」とする鑑定結果を出した[395]。最高裁第二小法廷は2004年9月に上告審口頭弁論公判期日を指定したが、実質的な弁論が行われなかったため、2005年7月15日に改めて弁論を実施し[396]、上告から14年余りで審理が終結することとなった[397]。2005年9月26日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[387]。 アムネスティ・インターナショナル日本支部は2006年の報告書で死刑囚Hについて「精神病の病状が重く、判決の意味が理解できていないそうだ」「公判手続が停止されてからはいったん症状が改善して病院へ送られたが、拘置所に戻ると悪化した」と述べている[398]。 |
東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) | 2005年10月17日 | 1995年12月21日[380] | 1998年6月5日に東京地裁(岩瀬徹裁判長)で死刑判決、2001年9月11日に東京高裁(高木俊夫裁判長)で控訴棄却判決[380]。 2005年10月17日に最高裁(泉徳治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)[380]。死刑確定 - 執行までの期間は約2年8か月[362]。 著書に『死と生きる-獄中哲学対話』(池田晶子との共著)[399]がある[380]。 |
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) | 2005年11月30日[380] | 2003年(2月23日・4月1日)[380] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[381]。 2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2005年7月13日に本人が控訴取り下げ[380]。弁護人が異議を申し立てたが、2005年11月30日に死刑確定[380]。共犯Oは2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[400]。 |
大阪愛犬家連続殺人事件 (U) | 2005年12月15日 | 1992年6月19日 - 1993年10月29日 | 1954年(昭和29年)8月14日生まれ[380]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在69歳)[381]。 警察庁広域重要指定120号事件。無実を主張したが、1998年3月20日に大阪地裁(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を受けた。2001年3月15日に大阪高裁(栗原宏武裁判長)で控訴棄却判決を、2005年12月15日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。 |
2006年死刑確定囚(20人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤) | 2006年2月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[401] |
1988年8月 - 1989年6月 | 1962年(昭和37年)8月21日生まれ[380]。警察庁広域重要指定117号事件。 1997年4月14日に東京地裁(田尾健二郎裁判長)で死刑判決、2001年6月28日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決を受けた[380]。 最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[401]。再審請求準備中の[402]2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)[380]。死刑確定 - 執行までの期間は2年4か月だった[362]。 |
右翼幹部ら2人殺害事件 (T) | 2006年2月14日 | 1992年2月9日・1994年4月28日 | 1963年(昭和38年)7月13日生まれ(旧姓K)[380]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在60歳)[381]。 1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した[403]。 2000年3月16日に大阪地裁(古川博裁判長)で無期懲役判決を受けたが、2001年12月25日に大阪高裁(池田真一裁判長)で一審破棄・死刑判決[380]。 2006年2月14日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。 |
古美術商ら2人殺害事件 (Y) | 2006年2月24日 | 1994年3月 - 1995年3月 | 1949年(昭和24年)11月16日生まれ[380]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在74歳)[381]。 Yは1994年4月に元暴力団員3人と共謀し古物商宅に押し入って現金を奪ったが、この時の共犯の1人が反抗するようになったため4月に殺害した。1995年3月に三重県四日市市の古物商を殺害し、現金を奪った上に遺体を丸山ダムに遺棄した[403]。 1997年3月28日に津地裁四日市支部(柄多貞介裁判長)で共犯の男Nとともに死刑判決を受けたが[404]、1997年9月25日に名古屋高裁(土川孝二裁判長)は「利害の反する2人の被告人に1人の弁護人を付けたことは訴訟手続き上の不備だ」として第一審判決を破棄し、審理を津地裁(本庁)に差し戻す判決を言い渡した[405]。その後、1999年6月23日に差戻審・津地裁(柴田秀樹裁判長)で無期懲役判決(共犯Nは死刑判決)を受けたが、第2次控訴審となった2001年6月14日・名古屋高裁(小島裕史裁判長)では再びNとともに死刑判決を受けた[404]。なお共犯Nは2002年、上告中に病死した[380]。 2006年2月24日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。 |
愛知・静岡2女性殺害事件 (M) | 2006年3月2日 | 1996年8月31日・1997年9月4日 | 1944年(昭和19年)1月31日生まれ[380](旧姓T)。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在79歳)[381]。 静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し尾張旭市の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した[406]。 静岡の事件は否認したが、2000年7月19日に名古屋地裁(山本哲一裁判長)で死刑判決を受け、2002年2月28日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決を受けた[380]。 2006年3月2日に最高裁(横尾和子裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。 |
神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) | 2006年4月4日[380] | 2004年7月22日[380] | 1940年4月2日生まれ[380]。神戸地裁(笹野明義裁判長)における審理で期日間整理手続が適用され、4回目の公判となる2006年3月20日に開かれた判決公判で死刑判決[380]。弁護人が控訴したが翌日(2006年3月21日)に本人が取り下げ、2006年4月4日付で死刑が確定[380]。 死刑確定から約2年5か月後の[329]2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[380]。 |
鶴見事件(高橋和利) | 2006年3月28日 | 1988年6月20日[380] | 1934年(昭和9年)4月28日生まれ[380]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在89歳)[381]。 横浜市鶴見区にて不動産取引と金融業を営む夫婦が殺害され、現金1,200万円と預金通帳が奪われた事件。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認。殺害時のアリバイを主張し再審請求している[407]。 1995年9月7日に横浜地裁(上田誠治裁判長)で死刑判決を、2002年10月30日に東京高裁(中西武夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[380]。2006年3月28日に最高裁(堀米幸雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[380]。確定後の2011年5月に手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会)[408]を出版したほか、2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。 |
豊中市2人殺害事件 (N) | 2006年6月13日 | 1992年3月5日 | 1948年(昭和23年)1月13日生まれ[409]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[409]。 2001年11月20日に大阪地裁(氷室真裁判長)で死刑判決、2003年10月27日に大阪高裁(浜井一夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[409]。 2006年6月13日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、2014年5月15日に大阪拘置所内で病死(66歳没)[409]。 |
川崎中国人6人殺傷事件 (C) | 2006年6月27日 | 1999年5月25日 | 1968年(昭和43年)4月20日生まれ[409]。中国・福建省出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された[403]。 事実誤認および強盗殺人の殺意の不在を主張したが、2001年9月17日に横浜地裁川崎支部(羽渕清司裁判長)で死刑判決を、2003年3月20日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[409]。 2006年6月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[409]。2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[409]。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。 |
ドラム缶女性焼殺事件 (K) | 2006年7月6日 (正式な死刑確定日)[263] |
2000年4月4日 | 1964年(昭和39年)3月23日生まれ[409]。下記Sの共犯で、加害者のうち4人に死刑が求刑されK・S両被告人の死刑、2人の無期懲役が確定[409]。 2002年2月21日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で死刑判決、2003年3月12日に名古屋高裁(川原誠裁判長)で控訴棄却判決[409]。 2006年6月9日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[410]、2006年7月6日付で死刑判決が確定[263]。再審請求したが棄却され[409]、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[263][409]。 |
ドラム缶女性焼殺事件 (S) | 2006年7月6日 (正式な死刑確定日)[263] |
2000年4月4日 | 1969年10月17日生まれ(旧姓N)[409]。上記Kの共犯(裁判経緯はKと同一)[409]。再審請求したが後に取り下げ、2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)[409]。 |
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) | 2006年9月1日 | 1994年12月19日 | 1948年(昭和23年)2月10日生まれ[409]。殺人前科あり。 放火と殺意を否認したが、2000年2月17日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決、2002年7月4日に東京高裁(安弘文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[409]。 2006年9月1日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[409]。 死刑確定から約1年11か月後の[329]2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)[409]。 |
堺夫婦殺害事件 (E) | 2006年9月7日 | 1997年10月30日 | 1942年(昭和17年)7月21日生まれ[409]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在81歳)[411]。 知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画し、知人3人と共謀して言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。被害者2人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された[412]。 2001年3月22日に大阪地裁堺支部(湯川哲嗣裁判長)で死刑判決を、2003年1月20日に大阪高裁(那須彰裁判長)で控訴棄却判決を受けた[409]。2006年9月7日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[409]。 共犯者は逃亡中。 |
飯塚事件(久間三千年[413]) | 2006年9月8日 | 1992年2月20日 | 1938年(昭和13年)1月9日生まれ[409]。 一貫して無実を主張したが、1999年9月29日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決[409]。2001年10月10日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月8日に最高裁(滝井繁雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[409]。 死刑確定から約2年後の[414]2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。死後、2009年10月に家族が再審請求[409]。 |
オウム真理教事件(麻原彰晃) | 2006年9月15日[409] | 1989年2月 - 1995年3月 | 1955年(昭和30年)3月2日生まれ・本名:松本智津夫[409]。オウム真理教の元教祖で、坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件など麻原が主導した一連の事件で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。 2004年2月27日に第一審・東京地裁(小川正持裁判長)で死刑判決を受け[409]弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかった。これを受け、東京高裁(須田贒裁判長)は2006年3月27日付で控訴趣意書が期限内に提出されなかったことを理由に控訴棄却を決定した[415]。弁護団は東京高裁の別の部(白木勇裁判長)へ異議を申し立てたがこれも同年5月31日付決定で棄却され[416]、それに対する最高裁への特別抗告も同年9月15日付で最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)が出した決定により棄却されたことで死刑が確定した[417]。第一審で死刑判決を受けた被告人の控訴審が手続き上の理由で打ち切られ、確定した事例は最高裁に統計が残っている1966年以降で初めてだった[417]。第四次再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[409]。 |
宮崎2女性殺害事件 (I) | 2006年9月21日 | 1996年8月29日・1997年6月13日 | 1958年(昭和33年)5月23日生まれ[409]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在65歳)[411]。 父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した[418]。 一部無罪を主張したが、2001年6月20日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受けた。2003年3月27日に福岡高裁宮崎支部(岩垂正起裁判長)で控訴棄却判決を、2006年9月21日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[409]。 |
奈良小1女児殺害事件(小林薫[419]) | 2006年10月10日 | 2004年11月17日 | 1968年(昭和43年)11月30日生まれ[409]。2006年9月26日に奈良地裁(奥田哲也裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2006年10月10日付で取り下げ[409]、控訴期限が切れた2006年10月11日0時に死刑確定[420]。 弁護人は2007年6月16日に控訴取り下げ無効の申し立てをしたが2008年4月に棄却された[409]。「恩赦不相当」の判断がなされてから2週間後の2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)[409]。 |
栃木・妻と知人殺害事件 (N) | 2006年10月12日 | 1988年11月・1989年11月 | 1966年(昭和41年)9月11日生まれ[421]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在57歳)[422]。 無実を主張したが、2001年12月18日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた[421]。2003年9月10日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却、2006年10月12日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[421]。 |
医師ら生き埋め殺人事件 (T) | 2006年10月26日 | 1992年7月 | 1949年(昭和24年)9月16日生まれ[421]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在74歳)[422]。 殺人に関しては無罪を主張したが、2000年8月29日に横浜地裁(矢村宏裁判長)で死刑判決を受けた[421]。2003年4月15日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却、2006年10月26日に最高裁(島田仁郎裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[421]。実行犯3人は無期懲役[421]。 |
名古屋・福岡連続殺人事件 (P) | 2006年11月24日 | 1995年1月12日・1月28日[421] | 1946年(昭和21年)12月7日生まれ[421]。元内縁の妻Aが結婚したことを逆恨みし、Aが経営する名古屋市内の居酒屋でAの首を刃物で刺して殺害したほか、福岡市に逃亡中には乗車したタクシー運転手Bを包丁で刺殺して現金数千円などを奪った[423]。 公判では「名古屋事件は知人の犯行で、福岡事件は薬物の影響により心神喪失状態だった」などと主張したが、1999年6月14日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決[421]。2003年3月28日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決・2006年11月24日に最高裁(中川了滋裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[421]。再審請求中の[421]2009年1月4日に肺炎のため収監先・福岡拘置所で獄死(62歳没)[423]。 |
いわき市母娘強盗殺人事件 (T) | 2006年12月20日[421] | 2004年3月18日 | 第一審・福島地裁いわき支部(村山浩昭裁判長)では2006年3月22日に無期懲役判決を受けたが、2006年12月5日に控訴審・仙台高裁(田中亮一裁判長)で一審破棄・死刑判決[421]。2006年12月20日に自ら上告を取り下げ死刑確定[421]。 死刑確定から約1年10か月後の[414]2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(55歳没)[421]。 |
2007年死刑確定囚(23人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) | 2007年1月11日[263] | 2004年1月13日 - 9月7日 | 1976年(昭和51年)10月22日生まれ[421]。長野地裁(土屋靖之裁判長)で2006年5月17日に死刑判決を受け控訴したが、2007年1月11日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[421]。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)[421]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (MA) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年5月[421] | 1954年(昭和29年)6月29日生まれ[421]。下記MKの双子の兄[424]。199412月に宮崎市の元会社員Aの元妻らと共謀し、生命保険の保険金目当てにフィリピン・マニラで被害者Aを殺害した[424]。1995年6月には知人の貿易商Bに共犯(双子の弟MK)を受取人とする旅行傷害保険を掛けた上でBをマニラで殺害したほか、知人C(愛知県尾西市〈現:一宮市〉・旅行代理店社員)のキャッシュカードを奪い、Cを長野県駒ヶ根市の別荘地で殺害した[424]。一連の犯行ではM兄弟と友人Sの計3人が共謀したとされるが、3人とも「被害者は病死した」と主張してマニラの事件を否認[421]。 2002年1月30日に共犯者2人とともに名古屋地裁一宮支部(丹羽日出夫裁判長)で死刑判決を受け、2003年7月8日には名古屋高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[421]。 2007年1月30日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[421]。名古屋拘置所に収監されていたが、2016年1月に肺炎のため八王子医療刑務所へ移送され、同月22日に肺炎のため病死(61歳没)[425]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (MK) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年6月[421] | 上記MAの双子の弟[424]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在69歳)[422]。 裁判経緯は兄MAおよび共犯者Sと同一[421]。控訴審判決では「(犯行に当たり)最も中心的な役割を果たした」と認定されている[424]。 |
マニラ連続保険金殺人事件 (S) | 2007年1月30日 | 1994年12月 - 1996年5月[421] | 1971年(昭和46年)3月9日生まれ[421]。上記MA・MK兄弟の共犯者(裁判経緯はM兄弟と同一)で[421]、2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中[注 39](現在53歳)[422]。 控訴審判決では「MA・MK両被告人に対し従属的な役割で加担した。矯正可能性は否定できないが罪責は大きい」として同様に控訴棄却判決(第一審の死刑判決を支持)を受けている[424]。2008年11月25日に第一次再審請求[427]。 |
宮崎連続強盗殺人事件 (M) | 2007年2月6日 | 2001年11月25日・12月7日[421] | 1968年(昭和43年)2月23日生まれ[421]。2003年1月24日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受け、2004年5月21日には福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)で控訴棄却判決を受けた[421]。 2007年2月6日に最高裁(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[421]。2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)[421]。 |
宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) | 2007年3月8日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[428] |
2000年6月11日 | 1951年(昭和26年)3月13日生まれ[421]。公判では第一審から「店員を脅すためにライターに着火したら爆発した」と主張し殺意を否認したが[424]、2002年3月19日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた[421]。 2003年4月23日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決を受け[421]、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)から2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡された[429]。その後、2007年3月8日付で同小法廷が被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定した[注 40][428]。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)[421]。 |
名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) | 2007年3月22日 | 2002年3月14日 | 1950年(昭和25年)3月12日生まれ[431]。旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。 第一審・名古屋地裁(伊藤新一裁判長)では2003年5月15日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁(小出錞一裁判長)で2004年2月6日に一審破棄・死刑判決を受けた[431]。 2007年3月22日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定[431]。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)[431]。 |
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) | 2007年4月14日[432] | 2001年5月8日 | 1958年(昭和33年)5月19日生まれ[431]。 2003年2月12日に青森地裁(山内昭善裁判長)で死刑判決を受け、2004年2月19日に仙台高裁(松浦繁裁判長)で控訴棄却判決を受けた[431]。 最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが[433]、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却され[434]、同月14日付で死刑が確定[432]。 2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(56歳没)[431]。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。 |
池袋通り魔殺人事件 (Z) | 2007年5月2日 (正式な死刑確定日)[430] |
1999年9月8日 | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[435]。 公判では犯行時の責任能力が争点となったが、東京地裁(大野市太郎裁判長)は2002年1月18日に完全責任能力を認定して死刑判決を言い渡した[436]。当時、死者が出た通り魔事件で完全責任能力が認定され死刑判決が言い渡された事例は極めて異例だった[注 41][437]。 控訴審・東京高裁(原田國男裁判長)でも2003年9月29日に控訴棄却判決を[438]、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)でも2007年4月19日に上告棄却判決を受け[439]、訂正申し立て期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑が確定した[注 40][430]。 |
福山市独居老婦人殺害事件 (N) | 2007年5月9日 (正式な死刑確定日)[440] |
1992年3月29日 | 1953年(昭和28年)1月13日生まれ[431]。2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中(現在71歳)[435]。 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[431]。第一審・広島地裁(1994年9月30日)および控訴審・広島高裁(1997年2月4日)はいずれも無期懲役判決だったが[431]、1999年12月10日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は控訴審判決を破棄して審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した[441]。2004年4月23日に差し戻し後の控訴審・広島高裁(久保真人裁判長)で死刑判決を、2007年4月10日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決(死刑判決支持)を受け[442]2007年5月9日付で死刑が確定した[440]。 1997 - 1998年の検察上告中、唯一高裁へ差し戻された事例で[431]、最高裁が死刑を求めた検察の上告を認めて無期懲役判決を破棄し、差し戻し後の控訴審で言い渡された死刑判決が確定した事例は永山則夫連続射殺事件以来戦後2件目だった[442]。 |
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫) | 2007年5月31日[431] | 2005年11月17日 | 1983年(昭和58年)8月21日生まれ[431]。16歳のとき山口母親殺害事件を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした。 2006年12月13日に大阪地裁(並木正男裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[431]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)[431]。 |
太州会内部抗争連続殺人事件 (N) | 2007年6月12日 | 1997年10月 | 1947年(昭和22年)6月3日生まれ[431]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在76歳)[435]。 無罪を主張したが、2003年5月1日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受けた[431]。2005年4月12日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却、2007年6月12日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[431]。 |
春日部中国人夫婦殺害事件 (S) | 2007年6月19日 | 2000年9月22日 | 元筑波大学大学院生。被害者・加害者とも中国人留学生[431]。被害者夫は新越谷外国語会話教室中国語講師で埼玉大学大学院生、妻は筑波大学大学院生。 2002年2月22日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2004年1月23日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決[431]。2007年6月19日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[431]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[435]。事実誤認・量刑不当を主張[431]。 |
自殺サイト殺人事件 (M) | 2007年7月5日[431] | 2005年2月19日 - 6月[431] | 1968年(昭和43年)8月8日生まれ[431]。2007年3月28日に大阪地裁(水島和夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月5日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[431]。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。 |
三重連続射殺事件 (H) | 2007年7月5日 | 1994年7月19日・11月20日[431] | 1960年(昭和35年)4月10日生まれ[431]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在64歳)[435]。 男性2人を射殺した罪に問われ、無実を主張したが2002年12月18日に津地裁(天野登喜治裁判長)で死刑判決を受けた[431]。2004年3月22日に名古屋高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却、2007年7月5日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[431]。 |
熊谷男女4人殺傷事件 (O) | 2007年7月18日[431] | 2003年8月18日 | 1977年(昭和52年)7月20日生まれ[431]。2007年4月26日にさいたま地裁(飯田喜信裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月18日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[431]。 2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)[431]。死刑執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて死刑執行に立ち会った。 |
オウム真理教事件(横山真人) | 2007年8月23日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[443] |
1995年3月20日 | 1963年(昭和38年)10月19日生まれ[444]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。 1999年9月30日に東京地裁(山崎学裁判長)で死刑判決を受け、2003年5月19日に東京高裁(原田國男裁判長)で控訴棄却判決[444]。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した[443]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され[364]、同所で第一次再審請求即時抗告中の2018年7月26日に死刑執行(54歳没)[444]。 |
上申書殺人事件 (G) | 2007年10月16日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[445] |
2000年7月30日・8月20日[444] | 1958年(昭和33年)7月24日生まれ[444]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在65歳)[446]。 茨城県水戸市・栃木県宇都宮市で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ[445]、2003年2月24日に宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で死刑判決を受けた[444]。2004年7月6日に東京高裁(山田利夫裁判長)で控訴棄却判決を受けたが、上告中の2005年10月に「1999年 - 2000年、起訴された事件とは別に3件の殺人事件に関与した」とする上申書を[444]茨城県警に提出した[447]。 水戸・宇都宮事件の上告審では最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[445]。10月9日に判決の訂正を申し立てたが[448]、2007年10月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[445]。 余罪事件では2009年6月30日に水戸地裁で懲役20年の判決を受け[444]、控訴棄却を経て2012年2月20日付の最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)決定により上告が棄却されたことで確定したが、既に死刑が確定していたため刑法の規定[注 42]により懲役刑は執行されない[447]。 |
オウム真理教事件(端本悟) | 2007年11月12日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[449] |
1989年12月など | 1967年(昭和42年)3月23日生まれ[444]。オウム真理教の元幹部で坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件などに関与[444]。 2000年7月25日に東京地裁(永井敏雄裁判長)で死刑判決を受けた[444]。2003年9月18日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決を[444]、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[449]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)[444]。 |
マブチモーター社長宅殺人放火事件(畠山鐵男) | 2007年11月1日 | 2002年(8月5日・9月24日・11月21日) | 1943年(昭和18年)4月17日生まれ(旧姓:小田島)[444]。本事件以前にも練馬三億円事件(1990年発生)を起こして懲役12年に処された前科がある[450]。 一連の連続殺人(4人殺害)を起こした後、2004年 - 2005年に新聞のお悔やみ記事を見て通夜・葬式で留守の家に押し入る空き巣を繰り返して逮捕され[451]、その後連続殺人への関与が判明した。最初の事件(2002年8月にマブチモーター社長の妻・娘を殺害した事件)は2005年10月に解決し[452]、一連の連続殺人は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された[453]。 2007年3月22日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け、2007年11月1日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[444]。共犯Mも一・二審で死刑判決を受け[454][455]、2011年11月に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[456]。ノンフィクション作家・斎藤充功と交流していたほか[注 43]、実名(「小田島鐵男」名義)で2009年に『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版)を出版した[458]。 食道癌のため2017年9月16日に東京拘置所内で病死(74歳没)[459]。 |
大和連続主婦強盗殺人事件 (S) | 2007年12月5日(正式な死刑確定日)[460] | 2001年(8月29日・9月19日)[444] | 1954年(昭和29年)10月28日生まれ[444]。共犯者は無期懲役判決(求刑:死刑)を受けた[444]。 2003年4月30日に横浜地裁(田中亮一裁判長)で死刑判決を受け、2004年9月7日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決[444]。2007年11月6日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[444](正式な死刑確定日は2007年12月5日)[460]。 再審請求中の2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)[444]。 |
横浜前妻一家3人殺害事件 (F) | 2007年11月15日 | 2002年7月31日 | 1965年(昭和40年)4月7日生まれ[444]。2004年3月30日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を受け、2005年5月24日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[444]。 2007年11月15日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[444]。2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)[444]。 |
岡山女性殺害事件 (U) | 2007年11月30日 | 2001年8月9日[444] | 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[444]。1980年3月に出身地・愛知県内で知人女性2人を相次いで殺害し、遺体を遺棄したとして無期懲役判決を受けた[461]。1999年11月に仮釈放されたが、出所後の2001年8月に金銭トラブルから岡山県岡山市内で無職女性(当時57歳)を絞殺し[461]遺体を市内の竹やぶに遺棄した[462]。 2003年5月21日に岡山地裁(榎本巧裁判長)で死刑判決を、2004年2月5日に広島高裁岡山支部(安原浩裁判長)で控訴棄却判決を受けた[444]。2007年11月30日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[461]死刑が確定したが、2008年2月7日に肝門部胆管癌のため大阪医療刑務所内で病死(68歳没)[462]。この時、法務省は病死した死刑確定者(それまでは氏名・性別を秘匿し病死の事実の未公表)の氏名を初めて公表した[注 44][462]。 |
2008年死刑確定囚(10人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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長崎・佐賀連続保険金殺人事件 (S) | 2008年1月31日 | 1992年9月11日・1998年10月27日[444] | 1947年(昭和22年)7月11日生まれ[444]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在76歳)[446]。2003年1月31日に長崎地裁(山本恵三裁判長)で死刑判決を受け、2004年5月21日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[444]。共犯者は一審で死刑判決を受けたが、控訴審で無期懲役になった[444]。 2008年1月31日に最高裁(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[444]。 |
オウム真理教事件(小池泰男) | 2008年3月3日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[463] |
1995年3月20日等 | 1957年(昭和32年)12月15日生まれ(旧姓:林)[444]。オウム真理教の元幹部で松本サリン事件・地下鉄サリン事件などに関与[444]。 2000年6月29日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を、2003年12月5日に東京高裁(村上光鵄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[444]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[463]。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され[364]、第一次再審請求の特別抗告中だった2018年7月26日に宮城刑務所(仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(60歳没)[444]。 |
三島女子短大生焼殺事件 (H) | 2008年3月17日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[464] |
2002年1月22日 | 1972年(昭和47年)2月21日生まれ[444]。「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度な計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油を掛け、生きたまま焼き殺した。 第一審・静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)では2004年1月15日に無期懲役判決を受けたが、2005年3月29日に東京高裁(田尾健二郎裁判長)は一審破棄・死刑判決を言い渡した[444]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月29日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け[465]、判決訂正申し立ても2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[464]。2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)[444]。 |
宇都宮実弟殺害事件 (H) | 2008年3月17日[466] | 2005年5月8日[466] | 1942年(昭和17年)8月6日生まれ[466]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在81歳)[467]。 無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[466]。 2007年1月23日に宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)で死刑判決を受け、2007年8月16日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決[466]。2008年3月17日に自ら上告を取り下げ死刑確定[466]。 |
京都・神奈川親族連続殺人事件 (M) | 2008年4月8日[466] | 2007年1月(16日・23日)[466] | 1981年(昭和56年)8月3日生まれ[466]。気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。2008年3月17日に京都地裁(増田耕兒裁判長)で死刑判決を受け、同年4月8日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[466]。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)[466]。 |
入間暴力団組員5人射殺事件 (Y) | 2008年4月23日 | 2003年12月14日[466] | 指定暴力団・住吉会系元組長[468]。埼玉県入間市内の暴力団事務所で同系列の別の暴力団組長らを射殺したとして殺人罪などに問われた[469]。2005年9月8日にさいたま地裁(福崎伸一郎裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月28日に東京高裁(阿部文洋裁判長)で控訴棄却判決を受けた[466]。2008年4月24日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[466]。 死刑確定後の2009年8月に肝臓癌が判明したが手術を希望せず、容体が悪化した同年11月から東京拘置所内の病室で酸素吸入を受けるなどの処置を受けていた[468]。2010年1月2日に病死(62歳没)[469]。 |
伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K) | 2008年6月5日 | 2001年8月4日[466] | 1961年(昭和36年)4月30日生まれ[466]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在63歳)[467]。 2004年2月4日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を、2005年7月19日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[466]。2008年6月5日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 |
下関通り魔殺人事件 (U) | 2008年7月11日 | 1999年9月29日 | 1964年(昭和39年)3月6日生まれ[466]。下関駅の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。 第一審の精神鑑定では「心神耗弱」と「完全責任能力がある」とするものに結果が分かれたが、判決では完全責任能力が認定され、山口地裁下関支部(並木正男裁判長)で2002年9月20日に死刑判決を受けた[466]。2005年6月28日に広島高裁(大渕敏和裁判長)で控訴棄却判決を[466]、2008年7月11日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても同小法廷決定(2008年8月30日まで)で棄却されたため死刑が確定した[470]。2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。 |
本庄保険金殺人事件(八木茂) | 2008年8月6日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[471] |
1995年6月3日 - 1999年5月29日[466] | 1950年(昭和25年)1月10日生まれ[466]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在74歳)[467]。 殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ[471]無実を主張したが、さいたま地裁は共犯者の調書を根拠に有罪と認定し、2002年10月1日にさいたま地裁(若原正樹裁判長)で死刑判決を言い渡した[466]。 2005年1月13日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を[466]、2008年7月17日に最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[471]。 |
福島悪魔払い殺人事件 (E) | 2008年10月5日[472] | 1994年12月 - 1995年6月[466] | 1947年(昭和22年)8月21日生まれ[466]。戦後女性死刑囚執行第4号。2002年5月10日に福島地裁(原啓裁判長)で死刑判決を受け、2005年11月22日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[466]。2008年9月16日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[473]、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却され[474]、同年10月5日付で死刑が確定[472]。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(65歳没)[466]。 |
2009年死刑確定囚(17人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (W) | 2009年1月22日[466] | 2000年7月13日[466] | 旧姓I[466]。元暴力団組長[475]。 2004年3月26日に富山地裁(手崎政人裁判長)で死刑判決を、2006年2月16日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却判決を受けた[466]。2009年1月22日に最高裁(涌井紀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[466]。なお同事件ではW・I両被告人とは別に(被害者の組長が率いていた暴力団の)副組長も「事件の首謀者」として死刑を求刑されたが、2006年11月21日に富山地裁(手崎政人裁判長)で無罪判決を受け[475]、控訴審・名古屋高裁金沢支部(青木正良裁判長)でも2008年4月17日に無罪判決を受けた[476][477]。 名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に肝不全による出血性ショックにより入院先の病院で病死(56歳没)[478]。 |
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (I) | 2009年3月23日[466] | 2000年7月13日[466] | 1947年(昭和22年)3月15日生まれ(旧姓O)[466]。上記Wの共犯者で元暴力団幹部(被害者である組長の舎弟)[475]。取調べの段階で「副組長(無罪確定)と一緒に組長Wに対し、被害者夫婦の殺害を依頼した」と供述した[475]。2005年1月27日に富山地裁(手崎政人裁判長)で死刑判決を受け、2006年10月12日に名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)で控訴棄却[466]。2009年3月22日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[466]。 再審請求中の2014年7月16日に肝臓癌のため収監先・名古屋拘置所内で病死(67歳没)[479]。 |
熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M) | 2009年4月3日[472][466] | 1973年(昭和48年)5月26日生まれ[466]。2003年10月16日[466] | 2006年9月21日に熊本地裁(松下潔裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月3日に福岡高裁(仲家暢彦裁判長)で控訴棄却判決[466]。 2009年4月3日に水から上告を取り下げ死刑確定[466]。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)[466]。 |
闇サイト殺人事件 (K) | 2009年4月13日[400] | 2007年8月(24日 - 25日) | 1973年(昭和48年)3月9日生まれ[400]。2009年3月18日に名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で死刑判決を受け、控訴したが2009年4月13日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[400]。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)[400]。 共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した[480]。 |
和歌山毒物カレー事件(林眞須美)[400] | 2009年5月18日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[481] |
1998年7月25日[400] | 1961年(昭和36年)7月22日生まれ[400]。女性死刑囚。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在62歳)[482]。 第一審では黙秘したが、2002年12月11日に和歌山地裁(小川育央裁判長)で死刑判決を受けた[400]。控訴審ではカレー事件について無実を主張したが、2005年6月28日に大阪高裁(白井万久裁判長)で控訴棄却判決を受けた[400]。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[483]、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[484]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した[481]。2014年3月に支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩と養子縁組。著書に『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』『和歌山カレー事件--獄中からの手紙』(共著)がある[400]。 |
埼玉愛犬家連続殺人事件 (S) | 2009年6月22日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[485] |
1993年4月20日 - 8月26日 | 1942年(昭和17年)1月2日生まれ[400]。共犯者・風間の元夫[486]。事件前にはテレビ番組「男のBEタイム」(テレビ東京系列、1988年9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演したほか、有名ブリーダーとして雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。 従犯・山崎永幸は懲役3年の判決を受け(1998年8月28日に満期出所)、出所後の1999年に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社)[注 45]を出版したほか、2001年6月20日放映のテレビ番組『オフレコ!』(TBS系列)に出演し事件について証言した。 公判で被告人Sは「犯行は元妻・風間が主導した」と主張したが[487]、風間とともに2001年3月21日に浦和地裁(須田贒裁判長)で死刑判決を、2005年7月11日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決をそれぞれ受けた[400]。2009年6月5日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で風間とともに上告棄却判決を受け[488]、両被告人の判決訂正申し立ても同月22日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[485]。 死刑確定後の2016年11月に収監先・東京拘置所内で心臓発作を起こして外部の病院に救急搬送され、以降は拘置所内で治療を受けていたが[486]、2017年3月27日に多臓器不全のため所内で病死(75歳没)[489]。 |
埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子[490]) | 2009年6月22日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[485] |
1993年4月20日 - 8月26日 | 1957年(昭和32年)2月19日生まれ[400]。共犯者Sの元妻[486]・女性死刑囚。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在67歳)[482]。 事件前の1992年2月に著書『愛しのアラスカン・マラミュート』(アフリカケンネル)を出版している。 公判で風間は「一部の死体損壊・遺棄に関与しただけで、元夫Sに利用された」と主張していたが[487]、元夫Sとともに死刑判決を受け確定した[400]。 死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに2人の手記・絵画が掲載されている。2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。 |
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) | 2009年6月9日[400] | 2003年(2月23日・4月1日)[400] | 1957年(昭和32年)2月19日生まれ[400]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在67歳)[482]。 2004年3月26日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受けた[400]。2009年6月9日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[491]。共犯Tは控訴を取り下げ、2005年11月30日に死刑が確定した[380]。 |
ファミレス2人射殺事件 (M) | 2009年6月26日[492] | 2005年4月25日 | 1956年(昭和31年)8月15日生まれ[400]。2005年12月12日に千葉地裁(金谷暁裁判長)で死刑判決を、2006年10月5日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた[400]。2009年6月15日に最高裁(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け[400]、同年6月26日付で死刑が確定[492]。 共犯1人 (H) は2011年12月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[493]、もう1人の共犯は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で共犯Hとともに死刑執行(52歳没)[494]。 |
仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T) | 2009年6月23日 | 2001年(1月8日・2月3日) | 1963年(昭和38年)6月10日生まれ(旧姓I)[400]。2020年9月27日時点で[91]宮城刑務所仙台拘置支所[注 16]に収監中(現在60歳)[482]。 貸金業者ら2人を殺害し、2004年3月25日に仙台地裁(本間榮一裁判長)で死刑判決を受けた[400]。2005年7月26日に仙台高裁(田中亮一裁判長)で控訴棄却の、2009年6月23日に最高裁(堀籠幸男裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[400]。 |
前橋スナック銃乱射事件 (K) | 2009年7月10日 | 2003年1月25日 | 1969年(昭和44年)8月18日生まれ[400]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在54歳)[482]。 住吉会系暴力団の元組員。暴力団住吉会幸平一家Y会の元会長YO(2014年に死刑確定・2020年に獄中で自殺)から同じ住吉会系暴力団組員・YK(2013年に死刑確定)とともに対立していた元暴力団組長の殺害を指示され、群馬県前橋市のスナック店内で拳銃を乱射して計4人(店の前にいた元組長の護衛約1人+客3人)を射殺し、元組長ら2人にも重傷を負わせた[495]。 2005年3月28日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、2006年3月16日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決[400]。 2009年7月10日に最高裁(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[400]。 |
オウム真理教事件(早川紀代秀) | 2009年7月31日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[496] |
1989年2月・1989年11月4日 | 1949年(昭和24年)7月14日生まれ[400]。オウム真理教の元幹部でオウム真理教男性信者殺害事件・坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。 最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため[496]、2008年8月1日までに死刑が確定した[497]。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され[364]、第3次再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(69歳没)[400]。 |
オウム真理教事件(豊田亨) | 2009年12月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[498] |
1995年3月20日 | 1968年(昭和43年)1月23日生まれ[400]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。広瀬とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[498]。第1次再審請求の即時抗告中だった2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)[400]。 |
オウム真理教事件(広瀬健一) | 2009年12月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[498] |
1995年3月20日 | 1964年(昭和39年)6月12日生まれ[400]。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件実行犯の1人。豊田とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[498]。第1次再審請求中の2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)[400]。 |
北見市資産家夫婦殺害事件 (K)[499] | 2009年12月4日[499] | 1988年10月21日 | 1945年(昭和20年)1月1日生まれ[500]。2020年9月27日時点で[91]札幌刑務所札幌拘置支所[注 16]に収監中(現在79歳)[501]。 生命保険契約を結んでもらうために虚偽の説明をしたことが発覚することを免れるため、北海道北見市で顧客の資産家夫婦をドライバー・包丁で刺殺した[499]。事件後には海中に車を転落させ、自殺を装うなどして[499]13年余り逃亡したが[500]、公訴時効成立の約10か月前(2002年12月)に逮捕された[499]。 2004年3月2日に釧路地裁北見支部(伊東顕裁判長)で死刑判決を受け、2005年12月1日に札幌高裁(長島孝太郎裁判長)で控訴棄却判決を受けた[500]。 2009年12月4日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[499]。 |
架空建設計画取引における連続殺人事件 (S) | 2009年12月24日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[502] |
1996年(6月8日・11月19日) | 1950年(昭和25年)10月4日生まれ[500]。下記Tの共犯。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在73歳)[501]。 2004年3月11日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受け、2006年5月24日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決[500]。2009年12月11日に最高裁(古田佑紀裁判長)から上告棄却判決を受け[500]、2009年12月24日付で最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定[502]。 |
架空建設計画取引における連続殺人事件 (T) | 2009年12月24日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[502] |
1996年(6月8日・11月19日) | 上記Sの共犯。第一審・福岡地裁では(Sが死刑判決を受けた日と同日に)無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁では一審破棄・死刑判決を受け、上告棄却により死刑確定[500]。2010年4月14日に収監先・福岡拘置所で病死(66歳没)[500]。 |
2010年 - 2014年
※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。
2010年死刑確定囚(9人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
オウム真理教事件(井上嘉浩) | 2010年1月12日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[503] |
1994年1月 - 1995年3月 | 1969年(昭和44年)12月28日生まれ[500]。オウム真理教の元幹部で駐車場経営者VX襲撃事件・会社員VX殺害事件・オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件・地下鉄サリン事件などに関与。 2000年6月6日に第一審・東京地裁(井上弘道裁判長)で無期懲役判決を受けたが、2004年5月28日に控訴審・東京高裁(山田利夫裁判長)で一審破棄・死刑判決[500]。 2009年12月10日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決を受け[504]、同小法廷に対し判決の訂正申し立てをしたが、それも2010年1月12日付の決定で棄却されたため、死刑が確定した[503]。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され[364]、第1次再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(48歳没)[500]。 |
土浦連続殺傷事件 (K) | 2010年1月5日[505] | 2008年3月(19日・23日)[505] | 1983年(昭和58年)10月13日生まれ[500]。土浦市内の民家で男性1人を殺害し、その4日後に同市内の荒川沖駅(JR東日本・常磐線)で通り魔事件を起こして8人を殺傷(1人が死亡・7人が重傷)[505]。 2009年12月18日に水戸地裁(鈴嶋晋一裁判長)で死刑判決を受け[500]、同日中に弁護人が東京高裁に控訴した[505]。しかし同年12月28日に被告人K自身が控訴を取り下げ、控訴期限が切れた2010年1月5日0時に死刑確定[505]。2013年2月21日に東京拘置所で死刑執行(29歳没)[500]。 |
オウム真理教事件(新実智光) | 2010年2月16日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[506] |
1995年3月他多数 | 1964年(昭和39年)3月9日生まれ[500]。オウム真理教の元幹部。一連のオウム真理教事件で坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件など11件26人の殺人に関与したと認定された。 2002年6月26日に東京地裁(中谷雄二郎裁判長)で死刑判決を受け、2006年3月15日に東京高裁(原田國男裁判長)で控訴棄却判決を受けた[500]。2010年1月19日に最高裁第三小法廷(近藤崇晴裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[507]、判決への訂正を申し立てたが2010年2月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[506]。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され[364]、同所で2018年7月6日に死刑執行(54歳没)[500]。 |
大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件 (O) | 2010年1月29日 | 2005年(4月27日・5月11日)[508] | 1940年(昭和15年)12月3日生まれ[242]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在83歳)[501]。 パチスロによる借金の返済に窮し、岐阜県揖斐郡揖斐川町でパート従業員の女性を殺害して現金15,000円を奪ったほか、大阪府大阪市旭区のマンションに強盗目的で侵入して主婦を殺害した[508]。他にも空き巣の余罪あり。 2006年11月2日に大阪地裁(中川博之裁判長)で死刑判決を受け、2007年4月27日に大阪高裁(陶山博生裁判長)で控訴棄却判決を受けた[242]。2010年1月29日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑確定[508]。 |
久留米看護師連続保険金殺人事件 (Y) | 2010年3月18日 | 1998年1月24日・1999年3月27日[242] | 女性死刑囚。1959年(昭和34年)7月10日生まれ[242]。同じ看護学校に通っていたことなどがきっかけで知り合った女(A・B・Cの3人)と共謀し、1998年1月にはA・Bと共謀してAの夫を睡眠薬で眠らせ、静脈に空気を注射して殺害し保険金3,500万円を詐取した[509]。また1999年3月にはA・B・Cと共謀し、Cの夫を睡眠薬で眠らせた上で医療用チューブを使用し、大量の洋酒を胃に流し込んで殺害した上で保険金約3,300万円を詐取した[509]。被告人Aは死刑を求刑されたが公判中(判決前)の2004年に病死し[510]、Bは無期懲役、Cは懲役17年が確定した[509]。 2004年9月24日に福岡地裁(谷敏行裁判長)で死刑判決を受け、2006年5月16日に福岡高裁(浜崎裕裁判長)で控訴棄却判決[242]。 2010年3月18日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑確定[509]。2016年3月25日に福岡拘置所で死刑執行(56歳没)[242]。戦後女性死刑囚執行第5号。 森功のノンフィクション『黒い看護婦』は同事件を題材にしている。 |
館山市一家4人放火殺人事件 (T) | 2010年9月16日 | 1998年2月11日[511]・2003年12月18日[512] | 1963年(昭和38年)10月3日生まれ[500]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在60歳)[501]。 館山市内で放火を繰り返し、1998年の放火事件で1人を[511]、2003年の放火事件で一家4人を死亡させた[512]。 2005年2月21日に千葉地裁(土屋靖之裁判長)で死刑判決を受け、2006年9月28日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[500]。 2010年9月16日に最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[513]。 |
大分替え玉保険金殺人事件 (O) | 2010年11月8日 | 2002年1月(8日・31日)[514] | 1974年(昭和49年)5月16日生まれ(旧姓T)[500]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在49歳)[501]。 共犯Hと共謀して2002年1月8日に福岡県北九州市で無職男性(当時73歳)を刺殺して男性宅に放火し、通帳を奪ったほか、同月31日にはHに掛けた保険金を騙し取る目的で身代わりのホームレス男性(当時62歳)を大分県内で川に沈めて水死させた[514]。 一連の事件では首謀者とされ[514]、2005年5月16日に福岡地裁小倉支部(野島秀夫裁判長)で死刑判決を受けた[500]。2007年1月16日に福岡高裁(浜崎裕裁判長)で控訴棄却判決を受け[500]、2010年11月8日に最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[514]。 |
大分替え玉保険金殺人事件 (H) | 2010年11月8日 | 2002年1月(8日・31日)[514] | 1957年(昭和32年)8月12日生まれ(旧姓T)[515]。上記Oの共犯で実行犯[514](裁判経緯は同一)[515]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中[516]。 |
鉾田町独居高齢者連続強盗殺人事件 (F) | 2010年12月1日 (正式な死刑確定日)[517] |
2005年1月 | 1961年(昭和36年)8月31日生まれ[500]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在62歳)[501]。 連続殺人で逮捕される前に自動車盗などの犯罪を繰り返して計8回服役したが、その際の裁判では心神耗弱と認定されたこともあった[517]。スナックでの飲食のための金欲しさから、2005年1月18日に茨城県鹿島郡鉾田町(現:鉾田市)で顔見知りの高齢女性(当時75歳)を殺害して現金7万円余りを奪ったほか、同月28日にも別の高齢女性(当時79歳)を殺害するなどして強盗殺人・強盗強姦未遂などの罪に問われた[518]。 2005年12月22日に水戸地裁(林正彦裁判長)で死刑判決を受け、2006年12月21日に東京高裁(河辺義正裁判長)で控訴棄却判決[500]。 2010年10月14日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決を受け[518]、同年12月1日に死刑が確定[517]。 |
2011年死刑確定囚(23人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
オウム真理教事件(土谷正実) | 2011年3月7日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[519] |
1995年3月他多数 | 1965年(昭和40年)1月6日生まれ[515]。オウム真理教の元幹部で松本サリン事件・会社員VX殺害事件・地下鉄サリン事件などに関与。 殺害行為には直接関与しなかったが、サリンなど一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の共同正犯として2004年1月30日に東京地裁(服部悟裁判長)で死刑判決を受けた[520]。2006年8月18日には東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受け[515]、2011年2月15日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[521]。上告審判決への訂正を申し立てたが2011年3月7日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[519]。 2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)[515]。 |
渋谷駅駅員銃撃事件[522](熊谷徳久)[523] | 2011年3月1日 | 2004年(4月26日・5月29日・6月23日) | 1940年(昭和15年)5月8日生まれだが、戦災孤児で2つ戸籍があり、もう1つの戸籍では「1938年(昭和13年)1月25日生まれ」となっている[515]。 2004年4月12日に福島刑務所を出所した直後[524]、同月26日に[525]「東京駅地下のキオスク集金所」(実際は勘違い)へ強盗に入ろうとしたが失敗したために用意していた軽油を撒いて放火したほか[526]、同年5月29日には横浜中華街の料理店主宅へ押し入り、店主の男性を拳銃で射殺[527]。さらに6月23日には渋谷駅で東京地下鉄(東京メトロ)職員を集金係と勘違いして銃撃し、現金を奪った[528]。渋谷駅事件の被害者には重い後遺症が残った[529]。 2006年4月17日に東京地裁(毛利晴光裁判長)は無期懲役判決を言い渡したが[515]、2007年4月25日に東京高裁(高橋省吾裁判長)は「殺害された被害者は1人だが、死刑を直ちに回避すべき事例とはいえない」として原判決を破棄し死刑判決を言い渡した[529][530]。2011年3月1日に最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[531]。 著書に『奈落-ピストル強盗殺人犯の手記-』がある(#参考文献を参照)[515]。2013年9月12日に東京拘置所で死刑執行(73歳没)[515]。 |
福岡3女性連続強盗殺人事件 (S) | 2011年3月27日 (正式な死刑確定日)[460] |
2004年12月 - 2005年1月 | 強盗・強姦目的に飯塚市・北九州市・福岡市で凶行に及んだ[532]。 2006年11月13日に福岡地裁(鈴木浩美裁判長)で死刑判決を受け[532]、2008年2月7日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決[533]。2011年3月8日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で上告棄却判決を受け[534]、同年3月25日付で同小法廷から判決訂正申し立て棄却決定を出されたことにより死刑確定[535](正式な死刑確定日は2011年3月27日)[460]。 2019年8月2日に福岡拘置所で死刑執行(50歳没)[515]。 |
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KM) | 2011年3月30日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[536] |
1994年9月28日-10月7日 | 1975年(昭和50年)3月19日生まれ[515]。 下記KA・HMの共犯で少年死刑囚(事件当時19歳)。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在49歳)[516]。不良少年グループによる連続リンチ殺人事件の主犯格。戦後の少年犯罪史上、複数の被告人の死刑が確定した初のケース[537]。 主犯格3人の中で唯一、第一審・名古屋地裁でも死刑判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁では第一審が傷害致死事件と認定した「木曽川事件」について殺人罪と認定され、原判決破棄の上で改めて死刑判決を受けた。2011年3月10日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決の訂正を申し立てたが2011年3月30日付の同小法廷決定で棄却されたため、下記2人とともに死刑が確定[536]。 この他に3つの事件で共犯7人が刑事処分を受け、5人の有罪判決が確定し、2人は少年院送致された。 |
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KA) | 2011年3月30日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[536] |
1994年9月28日-10月7日 | 1975年(昭和50年)7月21日生まれ[515]。 上記KM・下記HMの共犯で少年死刑囚(事件当時19歳)。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在48歳)[516]。 旧姓Ko[538]、死刑確定直前にOへ改姓し[注 46]、現姓はKu[515]。第一審・名古屋地裁では「木曽川事件」が傷害致死罪と認定されたほか「事件への関与の度合いもKM被告人より低い」と判断され、KAとともに無期懲役判決を受けたが、控訴審では木曽川事件について殺人罪と認定されたほか、「3人の刑事責任はいずれも重い」とされ、被告人3人全員が死刑判決を受けた。再審請求中。 |
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (HM) | 2011年3月30日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[536] |
1994年9月28日-10月7日 | 1975年(昭和50年)10月23日生まれ[515]。 上記KM・KAの共犯で少年死刑囚(事件当時18歳)。旧姓K[注 47][541]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中(現在48歳)[516]。獄中で国家賠償請求訴訟を多数起こしている。 |
広島・岡山独居老人強盗殺人事件 (K) | 2011年3月24日 (上告審判決宣告日) |
2003年9月28日・2004年12月10日[542] | 2003年9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で一人暮らしの91歳無職女性を強盗目的で絞殺したほか、2004年12月に岡山県井原市で一人暮らしの76歳蕎麦屋店主男性を強盗目的で撲殺した[543]。 2人への強盗殺人罪で起訴されて死刑を求刑されたが[544]、岡山地裁(松野勉裁判長)は2006年3月24日に[515]広島の事件について殺意を認めず強盗致死罪を適用し、無期懲役を言い渡した[542]。しかし控訴審・広島高裁岡山支部(小川正明裁判長)は2008年2月27日に[515]「広島の事件でも確定的殺意を持って被害者の首を絞めた」と殺意を認定し、2件とも強盗殺人罪の成立を認定した上で一審を破棄し死刑判決を言い渡した[542]。2011年3月24日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で控訴審判決支持・上告棄却の判決を受けたことで死刑が確定[545](79歳での死刑確定は戦後最高齢)[544]。 上告中の2008年10月にアルツハイマー病と診断され、死刑確定後の2016年1月14日に収監先・広島拘置所で意識不明となって拘置所外の病院に入院したが、2016年2月14日にアルツハイマー病による摂食障害・衰弱のため広島県内の病院で死亡(84歳没)[546]。 |
東大阪集団暴行殺人事件[547] (K) | 2011年3月25日 (上告審判決宣告日) |
2006年6月19日 | 1984年(昭和59年)12月22日生まれ[515]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在39歳)[516]。 被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯・首謀者であるKが死刑に処されたほか、共犯8人のうち殺害発案者は無期懲役、最初に暴行された2人は懲役11年および懲役9年、重機を操作した少年は懲役15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は懲役17年、見張り役は懲役7年の判決がそれぞれ確定している。また他の2人(事件当時少年)は殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。 2007年5月22日に大阪地裁(和田真裁判長)で死刑判決を受け、2008年5月20日に大阪高裁(若原正樹裁判長)で控訴棄却判決を受けた[515]。2011年3月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年4月15日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[548]。 |
同僚・妻連続殺人事件 (O) | 2011年5月9日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[549] |
2004年・2005年 | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[516]。自身の不倫相手を中傷されたことに腹を立てて同僚男性を殺害したほか、不倫を知り離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄[550]。事件当時の姓は「T」[551]。 2007年2月26日に静岡地裁(竹花俊穂裁判長)で死刑判決を受け、2008年3月25日に東京高裁(安原文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[515]。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2011年4月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月9日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[549]。 |
宮崎の口封じ連続殺人事件 (F) | 2011年5月20日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[552] |
1999年 | 1969年(昭和44年)1月23日生まれ[553]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在55歳)[554]。 保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害し、次いで事件の真相を知った税理士を殺害[555]。1件については無罪・もう1件についても事実誤認を主張[556]。進行性筋ジストロフィー症で自力歩行も困難とされる[556]。 2003年5月26日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受け、2007年1月23日に福岡高裁宮崎支部(竹田隆裁判長)で控訴棄却判決を受けた[553]。2011年4月19日に[553]最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[552]。 |
広島連続保険金殺人事件 (O) | 2011年6月7日 | 1998年10月・2000年3月1日[553] | 2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中[554]。 それぞれ保険金目的で1998年に義父を交通事故を装って殺害したほか、2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した[557]。 2005年4月27日に広島地裁(岩倉広修裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月16日に広島高裁(楢崎康英裁判長)で控訴棄却判決を受けた[553]。2011年6月7日に最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定[558]。 |
※川崎アパート3人殺害事件 (T) | 2011年7月4日[553][559] | 2009年5月30日[553] | 川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。 2011年6月17日に横浜地裁(秋山敬裁判長)で死刑判決を受け、同年7月4日付で自ら控訴を取り下げたことで死刑確定[553]。裁判員裁判で2例目の死刑確定(横浜港バラバラ殺人事件の死刑囚〈表では#2012年死刑確定囚(11人)に記載〉に次ぐ)[560]。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(63歳没。裁判員裁判による死刑囚として初の死刑執行)[553]。 |
大牟田4人殺害事件 (KM) | 2011年10月3日 | 2004年9月16日・18日 | 1959年(昭和34年)4月26日生まれ[561]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在65歳)[554]。 KSの妻でIT・KTの母親。福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件。 裁判経緯は次男IT(当時はK姓)と同一(夫KS・長男KTとは分離公判)で[553]、2006年10月17日に福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)でITと共に死刑判決を[562]、2007年12月25日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決を受け[563]、2011年10月3日に最高裁第二小法廷で上告棄却判決を受けたことにより死刑確定[564]。 戦後日本14番目の女性死刑囚[565]。 |
大牟田4人殺害事件 (IT) | 2011年10月3日 | 2004年9月16日・18日 | 1984年(昭和59年)6月9日生まれ[561]・福岡県大牟田市出身[566]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在39歳)[554]。 KS・KM夫妻の次男かつ夫妻とその長男(異父兄)K3の共犯者[567]。松ヶ根部屋の元力士「三池山」[568]。旧姓K。2013年に支援者女性と獄中結婚し父・母・兄(K姓)とは違う姓(I姓)になっている。 |
大牟田4人殺害事件 (KS) | 2011年10月17日 | 2004年9月16日・18日 | KMの夫でKT(KMと前夫との子供)の養父[569]・ITの実父[570]。元暴力団組長[571]。2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中[554](2011年末に福岡拘置所から移送)[561]。 裁判経緯は長男KTと同一(妻KM・次男ITとは分離公判)で[553]、第一審にて妻子との共謀を否定し自身の単独犯を主張したが[572]、2007年2月27日に福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で妻子との共謀を認定され死刑判決を受けた[573]。控訴審では一転して共謀を認めた一方で強盗目的を否定したが[574]、2008年3月27日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決[575]。2011年10月17日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、本事件では妻と息子2人を含め、犯行に関与した一家4人全員が死刑判決を受け確定する異例の事態になった[576]。 |
大牟田4人殺害事件 (KT) | 2011年10月17日 | 2004年9月16日・18日 | 1980年(昭和55年)12月20日生まれ・福岡県大牟田市出身[577]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在43歳[554] / 2011年末に福岡拘置所から移送)[561]。 KS・KM夫妻の長男[567]。父KSとは養子縁組関係[578]・弟K4とは異父兄弟関係である[579]。大島部屋の元力士「旭竜神」[568]。引退後は母KMが経営していた建設会社で働いていたが、19歳だった2000年6月25日には福岡県三潴郡城島町(現:久留米市城島町)で同僚の少年(当時18歳)を不良仲間6人とともにリンチして死なせる傷害致死事件を起こし逮捕[580]・起訴された[581]。2001年6月26日に傷害致死罪で福岡地裁久留米支部から懲役3年6月の実刑判決を受け[582]、2004年春まで刑務所に服役していた[583]。 逮捕後の2004年11月13日に福岡地検久留米支部庁舎から一時逃亡し[584]、単純逃走罪で追起訴された[585]。 |
福岡一家4人殺害事件 (G) | 2011年10月20日 | 2003年6月20日 | 1979年(昭和54年)11月14日生まれ[586]。中国河南省出身[586]。2001年(平成13年)に留学のため来日したが[586]、2003年に福岡市東区中国人3人組による一家4人殺害事件を起こした(主犯)[587]。 2005年5月19日に福岡地裁(川口宰護裁判長)で死刑判決を受け、2007年3月8日に福岡高裁(浜崎裕裁判長)で控訴棄却判決を受けた[553]。2011年10月20日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受け[588]、2011年11月に正式に死刑が確定した[589]。 2019年12月26日に福岡拘置所で死刑執行(40歳没)[589]。 共犯の被告Y・Oは中国に逃亡後、中国当局により身柄を拘束された。2005年1月24日に中国遼寧省遼陽市中級人民法院はYに死刑・Oに無期懲役の判決を言い渡し[590]、いずれも後に確定[591]。Yは同年7月12日に死刑執行(25歳没)[591]。 |
オウム真理教事件(中川智正) | 2011年12月8日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[592] |
1995年3月他多数 | 1962年(昭和37年)10月25日生まれ[553]。オウム真理教の元幹部。 坂本堤弁護士一家殺害事件で弁護士の長男を殺害し、松本・地下鉄の両サリン事件ではサリンの製造に関与した。 2003年10月29日に東京地裁(岡田雄一裁判長)で死刑判決を受け、控訴審の鑑定では「入信直前 - 犯行時は解離性障害ないし祈祷性精神病」と診断されたが、東京高裁(植村立郎裁判長)は2007年7月13日に完全責任能力を認定して控訴棄却判決を言い渡した[553]。2011年11月18日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[593]、同月28日付で判決の訂正を申し立てたが[594]、2011年12月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[592]。 2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され[364]、再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(55歳没)[553]。 |
オウム真理教事件(遠藤誠一) | 2011年12月12日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[595] |
1995年3月他多数 | 1960年(昭和35年)6月5日生まれ[553]。オウム真理教の元幹部。松本・地下鉄の両サリン事件でサリンの製造などに関与した。 2002年10月11日に東京地裁(服部悟裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた[553]。 2011年11月21日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、12月1日付で判決の訂正を申し立てたが[596]、2011年12月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定し、1995年6月から始まったオウム裁判は(この時点で逃亡中の高橋克也ら3人を除き)完全に終結した[595]。 再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(58歳没)[553]。 |
マブチモーター社長宅殺人放火事件 (M) | 2011年11月22日 | 2002年(8月5日・9月24日・11月21日) | 1950年(昭和25年)10月17日生まれ[597]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在73歳)[554] 1989年に殺人・窃盗罪で懲役12年に処された前科あり[597]。4人が殺害された一連の連続殺人事件は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された[453]。 2006年12月19日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け[454]、2008年3月3日に東京高裁(中川武隆裁判長)で控訴棄却判決を受けた[455]。2011年11月22日に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[456]。 共犯である畠山鐵男(旧姓:小田島)は2007年11月に控訴を取り下げ死刑が確定していたが[444]、2017年9月16日に食道癌で病死[459]。 |
愛知交際2女性殺害事件 (K) | 2011年11月29日 | 1999年8月15日・2003年5月25日[553] | 1957年(昭和32年)10月30日生まれ[553]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中[598]。 交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄した。2007年2月23日に岐阜地裁(土屋哲夫裁判長)で死刑判決を、2008年9月12日に名古屋高裁(片山俊雄裁判長)で控訴棄却判決を受け[553]、2011年11月29日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受けたため死刑が確定[599]。 |
北九州監禁殺人事件 (M) | 2011年12月12日 | 1996年2月 - 1998年6月 | 1961年(昭和36年)4月28日生まれ[561]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中[598](現在63歳)。 1996年2月 - 1998年6月にかけてマンションで同居していた男女6人(共犯者として無期懲役が確定した女の母親・妹夫婦やその子供ら)を相次いで殺害し、女の父親も虐待の末に死亡させた[600]。7人への殺人罪で起訴され(刑事裁判における認定では被害者6人は殺人・1人は傷害致死)、2005年9月28日に福岡地裁小倉支部(若宮利信裁判長)で「被害者全員の遺体を解体・遺棄した事件の首謀者」と認定されて死刑判決を受けた[601]。2007年9月26日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を受け[602]、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)にて2011年12月12日に上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[600]。 殺害実行犯とされた共犯者の女性は第一審でMとともに死刑判決を受けたが[601]、控訴審では「Mから長年にわたり暴力・虐待を受けたことで正常な判断力が低下し、Mに追従していた」として原審破棄・無期懲役判決を受け[602]、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)が2011年12月12日付で検察側の上告を棄却する決定を出したことにより無期懲役が確定[603]。 |
ファミレス2人射殺事件 (H) | 2011年12月27日[492] | 2005年4月25日 | 1948年(昭和23年)9月18日生まれ[493]。千葉県市原市にあったファミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺し、共犯1人 (M) は2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定[400]。もう1人の共犯は犯行後に自殺。 2007年10月26日に千葉地裁(古田浩裁判長)で死刑判決を受け、2008年9月26日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決[493]。2011年12月15日に最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)で上告棄却判決を受け[604]、同年12月27日付で死刑が確定[492]。 死刑確定から1年4か月後の2013年4月26日に東京拘置所で共犯Mとともに死刑執行(52歳没)[494]。 |
2012年死刑確定囚(11人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W) | 2012年2月4日[559] | 2006年7月19日 | 岩手県九戸郡洋野町の民家(母娘2人暮らし)に暴行・強盗目的で侵入して金品を強奪し、母娘2人を殺害して遺体を山林に埋めた[605]。 2007年4月24日に盛岡地裁(杉山慎治裁判長)で死刑判決を受けた[493]。控訴審(仙台高裁)以降は「産業廃棄物の不法投棄グループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張したほか、上告審でも事実誤認・量刑不当を主張した[606]。しかし2009年2月3日に仙台高裁(志田洋裁判長)で控訴棄却判決を受け[493]、2012年1月16日に最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[605]。 同判決への訂正申し立ても2012年2月2日付の同小法廷決定で棄却され[606]、同月4日に死刑が確定[559]。2015年12月18日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 16]で死刑執行(39歳没)。 |
光市母子殺害事件 (O) | 2012年3月14日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[607] |
1999年4月14日 | 1981年(昭和56年)3月16日生まれ[493]。2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中(現在43歳)[598]。 少年死刑囚。犯行時の年齢(18歳1か月)は1966年以降の死刑確定囚として史上最年少。山口県光市の社宅に強姦目的で侵入し、計2人(住人の女性と生後11か月の娘)を殺害。第一審・山口地裁(渡辺了造裁判長・2000年3月22日)および控訴審・広島高裁(重吉孝一郎裁判長・2002年3月14日)は無期懲役判決だったが[493]、広島高検が上告。最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)は口頭弁論を経て2006年5月20日に原判決破棄(広島高裁への審理差し戻し)判決を言い渡し[608]、差し戻し後の控訴審・広島高裁(楢崎康英裁判長)が2008年4月22日に死刑判決を言い渡した[609]。2012年2月20日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け[607]、判決への訂正申し立てを行ったが[610]、2012年3月14日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[607]。 死刑確定判決となった2012年の差し戻し上告審判決では裁判官1人(宮川光治)が反対意見を述べ、死刑事件としては極めて異例の展開となった[611]。 |
本庄夫婦強盗殺人事件 (I) | 2012年3月2日 (上告審判決宣告日) |
2007年2月21日 | 1945年(昭和20年)4月28日生まれ[493]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在79歳)[598]。知人男性宅で男性とその妻を殺害して現金1万円を奪った[612]。 第一審・さいたま地裁(飯田喜信裁判長・2008年3月21日)では無期懲役判決を受けたが、2009年3月25日に控訴審・東京高裁(若原正樹裁判長)で一審破棄・死刑判決[493]。2012年3月2日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[612]。 |
香川・坂出3人殺害事件 (K) | 2012年7月12日 | 2007年11月16日 | 1946年(昭和21年)1月20日生まれ[493]。金銭トラブルを抱えていた女性(義理の姉)とその孫姉妹の計3人を殺害[613]。 2009年3月16日に高松地裁(菊池則明裁判長)で死刑判決を受け、同年10月14日に高松高裁(柴田秀樹裁判長)で控訴棄却判決を受けた[493]。2012年7月12日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[613]。2014年6月26日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[493]。 |
大阪連続強盗殺人事件 (K) | 2012年8月4日[277] | 2000年7月29日・2008年2月1日[493] | 1950年(昭和25年)1月3日生まれ[493]。2000年7月に大阪市中央区の路上で中国人留学生からバッグを奪い、追いかけてきた被害者を刺殺したほか、2008年2月には大阪市北区の商業施設「D・Dハウス」にて強盗目的でナイフを用い、会社員男性を刺殺するなどした[614]。後者事件の被害者はプロ野球選手(投手)・久保康友(事件当時はロッテ所属)の義兄だった[615][616]。 2009年2月27日に大阪地裁(細井正弘裁判長)で死刑判決を受け、2009年11月11日に大阪高裁(湯川哲嗣裁判長)で控訴棄却判決を受けた[493]。上告審では殺意を否認したが[614]、2012年7月24日に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け[617]、同年8月4日付で死刑が確定[277]。 2013年12月12日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)[618][493]。 |
※横浜港バラバラ殺人事件 (I) | 2011年6月16日 | 2009年6月18日-19日 | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[598]。麻雀店経営の男性2人を千葉県内のホテルに監禁し、電動ノコギリでバラバラにして殺害。遺体を横浜港や山梨県内に遺棄した。2010年11月16日に横浜地裁(朝山芳史裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受けた[493]が、判決を言い渡した裁判長から控訴することを勧められた。その後弁護側が控訴したが、2011年6月16日に自ら控訴を取り下げた[493]。弁護人が審理継続を申し立てたが、2012年7月に「死刑確定者」の処遇に切り替わった[493]。裁判員裁判で初めて死刑判決を受けた人物であり[493]、死刑確定も裁判員制度下では初である。共犯は現在も指名手配中[619]。 |
※宇土市院長夫人殺害事件 (T) | 2012年9月10日 | 2004年3月13日・2011年2月23日[493] | 2004年に熊本県宇土市にて強盗目的で女性を殺害し、2011年には熊本市の民家で夫婦を殺傷。2011年10月25日に熊本地裁(鈴木浩美裁判長)で死刑判決を受け、2012年4月11日に福岡高裁(陶山博生裁判長・裁判員裁判)で控訴棄却判決を受けた[493]。その後上告したが、2012年9月10日に自ら上告を取り下げ死刑確定[493]。裁判員裁判での死刑判決で刑が確定したのは3人目。2016年11月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)[493]。 |
品川製麺所夫婦強盗殺人事件 (S) | 2012年10月19日 | 2002年8月31日 | 1977年(昭和52年)9月7日生まれ[493]・中国籍[620]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在46歳)[621]。 強盗目的で東京都品川区の製麺所兼ラーメン店へ侵入し、同店の経営者(自身が当時住んでいたアパートの大家)夫婦を殺害した[622]。 2006年10月2日に東京地裁(成川洋司裁判長)で死刑判決を受け[493]、2008年10月9日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた[622]。2012年10月19日に最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[620]。 |
群馬県暴力団組長等3人射殺事件 (T) | 2012年11月14日[432] | 2001年11月 - 2005年9月[623] | 1955年(昭和30年)4月20日生まれ[623]。山口組系暴力団元組長。組員と共謀して対立していた暴力団の組長ら3人を射殺した。 配下の組員に指示し、2001年11月に群馬県碓氷郡松井田町(現:安中市)において土木作業員の男性(当時60歳)を射殺させ、2005年4月には安中市の自身の組の事務所を訪れた男性元組員(同35歳)を自ら射殺した。更に配下の組員に指示し、2005年9月には安中市内の路上において対立していた暴力団の組長の男性(当時61歳)を射殺させた。 2008年2月4日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、同年12月12日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決[623]。2012年10月23日に最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受け[624]、同年11月14日付で死刑が確定[432]。 2014年8月29日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)[623]。 |
山梨キャンプ場殺人事件(阿佐吉廣[625]) | 2012年12月11日 (正式な確定は2013年)[626] |
1997年3月 - 2000年5月 | 1949年(昭和24年)5月21日生まれ[623]。1997年3月頃、自身が経営する建設会社の従業員だった身元不明の男性を木刀で殴り、死亡させた。2000年5月には暴力団関係者(事件後に病死)らと共謀し、同じく従業員だった当時51歳と50歳の男性を絞殺。3人の遺体を山梨県都留市のキャンプ場に遺棄した。 2人への殺人罪・1人への傷害致死の罪に問われ[626]、2006年10月11日に甲府地裁(川島利夫裁判長)で死刑判決[623]。2008年4月21日に東京高裁(中川雄孝裁判長)で控訴棄却判決を受けたが[623]、上告審では第一審で「阿佐が被害者2人を殺した」と証言していた男性受刑者が証言を一転させ「阿佐は事件当時、現場にいなかった」とする陳述書を提出[626]。結審後に再び弁論が開かれる異例の展開になったが、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は2012年12月11日に一・二審の死刑判決を支持して被告人・阿佐の上告を棄却する判決を言い渡し[627]、訂正申し立ても2013年1月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[626]。東京拘置所に収監されていたが、2020年1月14日に気胸の症状が見られ、治療中の同年2月11日に間質性肺炎のため同拘置所内で死亡した(70歳没)[628]。 |
お台場フィリピン人バラバラ殺人事件 (N) | 2012年12月14日 | 1999年4月22日・2008年4月3日 | 1959年(昭和34年)8月29日生まれ[629]。 1999年・2008年にそれぞれ交際していたフィリピン人女性2人を殺害した[630]。1999年の事件後に被害者の死体を損壊・遺棄したとして死体遺棄・損壊罪などで検挙され懲役刑に処されたが、当時は被害者の死亡経緯が不明だったため殺人罪では立件されず、刑務所出所後の2008年に2回目の殺人事件を起こして逮捕[630]。その後1999年の殺人容疑も認めたため、2人への殺人罪で起訴された[630]。 2009年12月16日に東京地裁刑事第17部(登石郁朗裁判長)[631]で無期懲役(2008年の事件)+懲役14年(1999年の事件)の判決を受けたが[630]、2010年10月8日に東京高裁第12刑事部(長岡哲次裁判長)で2008年の事件について一審破棄・死刑判決を受けた[注 22][632]。2012年12月14日に最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定した[633]。 2020年(令和2年)12月13日に慢性腎不全のため収監先・東京拘置所内で獄死(61歳没)[634][635]。 |
2013年死刑確定囚(7人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (S) | 2013年1月29日 | 2004年10月(13日 - 16日)[623] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[621]。架空請求詐欺事件および殺害首謀者。下記I・Wの共犯者。仲間CがAら幹部殺害を計画していたことに激怒。Aらは共犯のDの伝手により暴力団員Eらを加えて、Cら4人を殺害して遺体を遺棄。 2007年8月7日に千葉地裁(彦坂孝孔裁判長)で死刑(同日に判決宣告の共犯Wは無期懲役)判決を受け、2009年5月12日に東京高裁(長岡哲次裁判長)で控訴棄却判決[623]。 2013年1月29日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で被告人W(控訴審で死刑判決)と共に上告棄却判決を受けたことで死刑が確定[636]。 |
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (W) | 2013年1月29日 | 2004年10月(13日 - 16日)[623] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[621]。上記S・下記Iの共犯で元暴力団員。 2007年8月7日に千葉地裁(彦坂孝孔裁判長)で無期懲役(同日に判決宣告の共犯Sは死刑)判決を受けたが、2009年3月19日に東京高裁(長岡哲次裁判長)で一審破棄・死刑判決[623]。 2013年1月29日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で被告人S(一・二審とも死刑判決)と共に上告棄却判決を受けたことで死刑が確定[636]。 |
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (I) | 2013年2月28日 | 2004年10月(13日 - 16日)[623] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[621]。上記S・Wの共犯。 2007年5月21日に千葉地裁(彦坂孝孔裁判長)で死刑判決を受け、2009年8月28日に東京高裁(長岡哲次裁判長)で控訴棄却判決[623]。2013年2月28日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[637]。 |
※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 (S) | 2013年3月28日 | 2011年9月30日[638] | 1982年(昭和57年)9月29日生まれ[623]。勤務先である岡山市の倉庫で元同僚の女性から現金約24,000円・バッグなどを奪い、性的暴行を加えた上で殺害し、遺体を切断して大阪市内に遺棄した[638]。 2013年2月14日に第一審・岡山地裁(森岡孝介裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け控訴したが[638]、同年3月28日付で本人が控訴を取り下げたため死刑が確定[639]。殺害された被害者が1人である殺人事件の被告人に裁判員裁判で死刑判決が言い渡された事例は3例目で、被告人に前科がない事件では初だった[640]。 2017年7月13日に広島拘置所で死刑執行(34歳没)[623]。 |
前橋スナック銃乱射事件 (YK) | 2013年6月7日 | 2003年1月25日 | 1966年(昭和41年)8月23日生まれ[623]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在57歳)[621]。 元住吉会系暴力団組員。暴力団住吉会系会の元会長YO(2014年に死刑確定・2020年に獄中で自殺)から同じ住吉会系暴力団組員・K(2009年に死刑確定)とともに対立していた元暴力団組長の殺害を指示され、群馬県前橋市のスナック店内で拳銃を乱射して計4人(店の前にいた元組長の護衛約1人+客3人)を射殺し、元組長ら2人にも重傷を負わせた[495]。 2008年1月21日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、2009年9月10日に東京高裁(長岡哲次裁判長)で控訴棄却判決を受けた[623]。 2013年6月7日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[641]。 |
姫路2女性殺害事件 (T) | 2013年11月25日 | 2005年1月9日 | 1966年(昭和41年)1月10日生まれ[623]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中[621]。 兵庫県警察による職務怠慢があり、被害者の両親が飛松五男の協力を得て犯人特定・逮捕に至った事件。 2009年3月17日に神戸地裁姫路支部(松尾嘉倫裁判長)で死刑判決を受け、2010年10月15日に大阪高裁(湯川哲嗣裁判長)で控訴棄却判決を受けた[623]。2013年11月25日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[642]。 |
あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 (O) | 2013年12月17日 | 2008年4月9日 | 知人の男と共謀して東京都あきる野市の資産家姉弟から現金やキャッシュカードを奪い、2人を窒息死させた後に遺体を長野県の山中へ埋めた。共犯者は無期懲役。 2009年5月12日に東京地裁立川支部(山崎和信裁判長)で死刑判決を受け、2010年11月10日に東京高裁(金谷暁裁判長)で控訴棄却判決を受けた[623]。 2013年12月17日に最高裁(木内道祥裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[623]。死刑確定後は東京拘置所に収監されていたが、転移性脳腫瘍を患い2014年7月2日に病死(66歳没)[643]。 |
2014年死刑確定囚(6人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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大阪個室ビデオ店放火事件 (O) | 2014年3月6日 | 2008年10月1日 | 2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中[644]。 自殺しようとして個室ビデオ店内に放火し、16人を殺害・9人を負傷させた。 2009年12月2日に大阪地裁(秋山敬裁判長)で死刑判決を受け、2011年7月26日に大阪高裁(的場純男裁判長)で控訴棄却判決を受けた[623]。 2014年3月6日に最高裁(横田尤孝裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[645]。 |
日医大事件・前橋スナック銃乱射事件(YO) | 2014年3月14日 | 2002年2月25日・2003年1月25日 | 1948年(昭和23年)12月20日生まれ[646]。2020年1月26日に収監先・東京拘置所で自殺(65歳没)[495]。元暴力団住吉会幸平一家Y会会長。 2001年8月に東京都葛飾区の斎場で起きた暴力団稲川会大前田一家系組員による住吉会幹部射殺事件が発端となり、暴力団同士の抗争に発展。YOは2002年2月25日に文京区の日本医科大学付属病院で入院中の住吉会幸平一家系暴力団の幹部Iを、Y会の下部団体のT組組長Tらとともに日医大病院東館1階の高度救命救急センター集中治療室に侵入し射殺した。幹部Iは射殺される前日に豊島区内の路上で脇腹を拳銃で撃たれ重傷を負い、日医大に搬送されていた。幹部Iは同月に大前田一家元総長宅襲撃に失敗したため制裁と口封じのため殺された。同年3月、YOとT組組長Tはガソリン噴射器を用いて大前田一家元総長宅を襲撃。同年8月、YOは別の詐欺事件で警視庁に逮捕された。T組組長Tは日医大事件等で無期懲役確定。なおも抗争は激化し、前橋スナック銃乱射事件を起こすに至る。 YOは逮捕前、住吉会系暴力団組員のK(2009年に死刑確定)・YK(2013年に死刑確定)の両名に対し、大前田一家関係者が出入りしていた前橋市のスナックを襲撃し同一家関係者を射殺するよう指示した。 K・YK両加害者は翌2003年1月25日[646]に前橋市内のスナックで拳銃を乱射して計4人(組長の護衛役1人+客3人)を射殺し、組長ら2人に重傷を負わせた[495]。 組長射殺事件・銃乱射事件などで起訴され、2007年12月10日に東京地裁(朝山芳史裁判長)で死刑判決を受けた[646]。2009年11月10日に東京高裁(山崎学裁判長)で控訴棄却判決を受け[646]、2014年3月14日に最高裁第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定[647]。 死刑確定後の2014年9月、「金銭トラブルなどにより他の複数の人物も殺害し、遺体を遺棄した」という内容の文書を警視庁目白警察署に送付。警視庁は任意でYOに事情聴取したところ同趣旨の証言をしたため、裏付け捜査に入った。2016年2月、文書の内容とその真偽を確かめるための捜査が行われている事実が明らかとなった[648][649]。YOが文書で「殺害した」と告白している東京都内の会社社長男性と神奈川県伊勢原市内の不動産業男性はいずれも20年近くにわたって行方が分からず失踪している。うち東京都内の会社社長男性は1996年のオレンジ共済組合事件に関与し、友部達夫・新進党参議院議員の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」・「リュー一世」(YOが提出した文書内での呼称)と呼ばれる人物。この会社社長男性は1997年4月、オレンジ共済組合事件に関して国会に証人喚問された[650]が、その後1998年春頃より行方が分からなくなっている[651][652]。YOは同社長を絞殺し、配下の元Y会組員男に命じ遺体を遺棄したという[653]。配下の元Y会組員男は死体遺棄を認め場所も説明したため、YO死刑囚と配下の元Y会組員男の供述に基づき警視庁と神奈川県警は不明両名の捜索を行い、2016年4月19日に神奈川県伊勢原市内の山林で1996年8月から行方不明となっていた不動産業男性の白骨死体を発見した[654][655][656]。YOは不動産業男性とトラブルになっていたという暴力団関係者から依頼を受け、1996年8月、別の暴力団関係者に不動産業男性を殺害させ、配下の元Y会組員男に死体を遺棄させた。トラブルになっていたという暴力団関係者や、殺人の実行役とされる暴力団関係者はその後いずれも死亡しており、配下の元Y会組員男の死体遺棄容疑については既に時効が成立している。更に2016年11月29日には同社長と思われる遺体が発見され[657]、DNA鑑定および歯形照合を行った。2017年4月10日に警視庁組織犯罪対策4課はYOを同社長に対する殺人の容疑で東京拘置所において逮捕した[658]。同年5月1日にYOは東京地検より改めて殺人罪で起訴され[659]、裁判員裁判に付された。確定死刑囚の逮捕・起訴は極めて異例であるうえ、裁判員裁判の被告が確定死刑囚という事例は初めて。2018年11月、東京地方裁判所においてYOの裁判員裁判が開始されたが、YOは初公判の被告人質問において、起訴事実について「間違いです」と全面否定し、上述の自身の殺人告白は「全く虚偽です」「(東京都内の会社社長男性について)私は殺していません。ただし殺させました」「(神奈川県伊勢原市内の不動産業男性について)名前すら知りません。間違いです」と述べた。YOの告白が契機となって始まった裁判であるが、その当人がいずれの容疑についても無罪を主張した[660][661]。YOは告白の目的について、「死刑判決を受けた事件などの再捜査であり、自身の死刑執行の先延ばしではない」と主張したが、YO以外に事件に関与したとされる者は既に全員死亡しており、再捜査や立件は困難な状況であるという[662]。検察はYOが後から告白した二件の殺人について、「(裁判になれば判決確定までは死刑執行は見送られる可能性が高いため)告白の目的は死刑執行の引き延ばしであるが、告白の内容は信用できる」と指摘。裁判において否認に転じた理由は「裁判も引き延ばすため」と推認し[663]、無期懲役を求刑。弁護側は「証拠不十分」のため無罪判決を求めた。同年12月13日、東京地裁は「告白の主な目的は死刑執行の先延ばしだった」「手紙には犯人でなければ知り得ない情報はない」「(告白内容を記載した)手紙は信用できない」と指摘し、YOに無罪判決を言い渡した[664][665]。判決の言い渡し後、裁判長はYOに「検察が控訴しなければ裁判は終わり」と宣告した。なお、刑法の併合罪に関する規定により、確定死刑囚に他の刑は執行しないため、仮にYOが後から告白した二件の殺人について有罪が確定しても刑は課されない[注 42][666]。東京地検は同月27日の期限までに控訴せず、YOの無罪が確定した[667][668]。殺人事件の無罪判決に対して検察側が控訴しなかった事例はまずないという。 死刑囚YOは2020年1月26日に収監中の東京拘置所において衣服を着たまま布団の中で血を流した状態で発見された[669]。首の左右に切り傷があり、死亡していた[670]。自作の刃物状の鋭利なもので首を切り、自殺したものとみられる[671]。71歳没[672]。 |
元厚生事務次官宅連続襲撃事件 (K) | 2014年6月13日 | 2008年11月(17日・18日) | 1962年(昭和37年)1月26日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在62歳)[644]。 元厚生省事務次官宅2軒を襲撃して2人(山口剛彦とその妻)を殺害したほか、吉原健二の妻に重傷を負わせた。2010年3月30日にさいたま地裁(伝田喜久裁判長)で死刑判決を受け、2011年12月26日に東京高裁(八木正一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2014年6月13日に最高裁第二小法廷(山本庸幸裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[673]。 |
※長野市一家3人殺害事件 (M) | 2014年9月25日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[674] |
2010年3月(24日・25日) | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[644]。 裁判員裁判で言い渡された死刑判決が最高裁で支持され確定した初のケース[674]。2011年3月25日に長野地裁(高木順子裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2012年3月22日に東京高裁(井上弘通裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2014年9月2日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[674]、弁護人が同月10日付で判決の訂正を申し立てたが[675]、2014年9月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[674]。 共犯2人のうち1人 (I) は2016年に死刑確定。もう1人は一審で死刑判決を受けるが二審で無期懲役に減軽され、その後確定。 2016年5月31日付で犯行当時の責任能力を争い長野地裁へ再審を請求した[676]。 |
※宮崎家族3人殺害事件 (O) | 2014年11月5日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[677] |
2010年3月1日 | 1988年(昭和63年)2月13日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在36歳)[644]。 同居する義母の叱責から逃れたいために義母、妻、長男の3人を殺害した。2010年12月7日に宮崎地裁(高原正良裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2012年3月22日に福岡高裁宮崎支部(榎本巧裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2014年10月16日に最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で上告棄却の判決を受け、被告人Oから出された判決への訂正申し立ても2014年11月5日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[677]。 公判中、被告人Oとその両親はTBS(JNN)系列の報道・ドキュメンタリー番組『報道特集』から取材を受け、死刑確定後の2015年4月11日には同番組にて特集「確定死刑囚の告白」が放送された。 |
※静岡2女性殺害事件 (K) | 2014年12月2日 | 2005年10月26日・2010年2月23日[646] | 1966年(昭和41年)6月26日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在57歳)[644]。 2005年に交際相手の女性を、2010年に妻を殺害した。2011年6月21日に静岡地裁沼津支部(片山隆夫裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2012年7月10日に東京高裁(山崎学裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2014年12月2日に最高裁(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[678]。 |
2015年 - 2019年
※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。
2015年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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秋葉原通り魔事件(加藤智大) | 2015年2月17日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[679] |
2008年6月8日 | 1982年(昭和57年)9月28日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在41歳)[644]。 東京都千代田区外神田(秋葉原)の歩行者天国に貨物自動車で突入し、5人をはねて3人を死亡させたほか、ダガーナイフで12人を切りつけて4人を死亡させた戦後最悪の通り魔事件。2011年3月24日に東京地裁(村山浩昭裁判長)で死刑判決を受け、2012年9月12日に東京高裁(飯田喜信裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。 2015年2月2日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[680]、判決への訂正申し立ても同月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[681]。著書に『解』『解+』『東拘永夜抄』『殺人予防』がある[646]。 |
加古川7人殺害事件 (F) | 2015年6月10日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[682] |
2004年8月2日 | 1956年(昭和31年)12月5日生まれ[683]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在67歳)[644]。 「親戚や近隣住民に見下されている」との思いを抱いたことから、自宅両隣の民家で7人を包丁で刺殺し、1人に重傷を負わせた。 2009年5月29日に神戸地裁(岡田信裁判長)で死刑判決を受け、2013年4月26日に大阪高裁(米山正明裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2015年5月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決を受け[684]、それに対する訂正の申立も同小法廷が棄却する決定(2015年6月10日付)を出したため死刑が確定[685]。 |
※横浜深谷連続殺人事件 (A) | 2015年12月4日 | 2008年3月13日・2009年8月7日[646] | 1969年(昭和44年)6月6日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在54歳)[644]。 従兄弟の男と共謀し、2008年に男の養母(横浜市在住)を保険金目的で殺害したほか、2009年には金銭トラブルを抱えていた自分と従兄弟のおじを殺害した[686]。共犯は第一審で無期懲役判決(求刑:死刑)が確定。 2012年2月24日にさいたま地裁(田村真裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2013年6月27日に東京高裁(井上弘通裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2015年12月4日に最高裁第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[686]。 |
2016年死刑確定囚(6人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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※大阪此花区パチンコ店放火殺人事件 (T) | 2016年2月23日 | 2009年7月5日 | 1968年(昭和43年)1月4日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在56歳)[644]。 借金など生活に対する不満を募らせ、パチンコ店の床にガソリンを撒いて放火。客と従業員5人を死亡させ、10人を負傷させた。 2011年10月31日に大阪地裁(和田真裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2013年7月31日に大阪高裁(中谷雄二郎裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2016年2月23日に最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[687]。 |
※福島県会津美里町夫婦殺害事件 (T) | 2016年3月8日 | 2012年7月26日 | 1966年(昭和41年)9月12日生まれ(旧姓Y)[646]。2020年9月27日時点で[91]宮城刑務所仙台拘置支所[注 16]に収監中(現在57歳)[644]。 福島県大沼郡会津美里町で病院職員の夫婦(55歳男性と56歳妻)を殺害した。2013年3月14日に福島地裁郡山支部(有賀貞博裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年6月3日に仙台高裁(飯渕進裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。 2016年3月8日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[688]。 |
※長野市一家3人殺害事件 (I) | 2016年5月25日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[689] |
2010年3月(24日・25日) | 1979年(昭和54年)2月16日生まれ[646]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在45歳)[644]。 2011年12月27日に長野地裁(高木順子裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年2月20日に東京高裁(村瀬均裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2016年4月27日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)から上告棄却の判決を受け[690]、判決への訂正申し立ても2016年5月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[689]。 共犯Mは2014年に死刑が確定。 |
※山形・東京連続放火殺人事件 (A) | 2016年6月13日 | 2010年10月2日・2011年11月24日[646] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[691]。 2010年に山形市で元交際相手(男性)の実家を放火し、男性の両親を殺害[692]。翌2011年には東京都江東区内で別の交際相手(男性)の母親が住むマンションに侵入してその母親を殺害した後、室内に火をつけ全焼させた[692]。 2013年6月11日に東京地裁(平木正洋裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年10月1日に東京高裁(八木正一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[646]。2016年6月13日に最高裁(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[692]。 |
※石巻3人殺傷事件 (C) | 2016年6月29日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[693] |
2010年2月10日 | 1991年(平成3年)7月2日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]宮城刑務所仙台拘置支所[注 16]に収監中(現在32歳)[691]。 事件当時18歳7か月の少年死刑囚[694]。共犯の少年と共に元交際相手少女の実家に押し入り、少女の姉とその友人の女子高校生計2名を牛刀で殺害。その場に居合わせた少女一家の知人男性1名に重傷を、元交際相手の少女にも軽傷を負わせた。共犯の少年は2010年12月、殺人幇助罪により懲役3年 - 6年の不定期刑を言い渡された。 2010年11月25日に仙台地裁(鈴木信之裁判長)で死刑判決を受け、2014年1月31日に仙台高裁(飯渕進裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2016年6月16日に最高裁第一小法廷(大谷直人裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[695]、同月27日に判決の訂正を申し立てたが、2日後の同月29日付で同小法廷から出された決定により棄却されたため死刑が確定[693]。裁判員裁判で少年事件に死刑判決が言い渡され確定した史上初の事例[693]。 |
※長崎ストーカー殺人事件 (T) | 2016年8月10日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[696] |
2011年12月16日 | 1984年(昭和59年)11月4日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]福岡拘置所に収監中(現在39歳)[691]。 2011年に長崎県西海市で同居中の女性をその家族が連れ去ったと思い込んで77歳の女性の祖母と56歳の母を刺殺し母の車のトランク内に遺体を遺棄。千葉・三重・長崎各県警の対応が問題として浮き彫りになった[697](警察不祥事)。 無罪を主張したが、2013年6月14日に長崎地裁(重富朗裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年6月24日に福岡高裁(古田浩裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2016年7月21日に最高裁第一小法廷(池上政幸裁判長)で上告棄却判決を受け[698]それに対する訂正申し立ても2016年8月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[696]。 |
2017年死刑確定囚(3人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
※首都圏連続不審死事件(木嶋佳苗) | 2017年5月9日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[699] |
2008年9月 - 2009年9月 | 1974年(昭和49年)11月27日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中(現在49歳)[691]。 犯行では「吉川桜」の偽名を使用。裁判員裁判では初めて死刑判決を受けた女性。戦後15人目の女性死刑囚で、同時に史上初の裁判員裁判による女性死刑囚である。 無罪を主張[694]。上告中に獄中結婚して「D」姓へ改姓し[700]、2019年10月1日時点では[242]「I」姓を名乗っている[694]。 2012年4月13日にさいたま地裁(大熊一之裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年3月12日に東京高裁(八木正一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2017年4月14日に最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)で上告棄却判決を受け[700]、それに対する訂正申し立ても2017年5月9日付の小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[699]。 木嶋は裁判中、『女性自身』に268通の手紙を送り、事件及び裁判に関する手記と、自身の半生を「1年半かけて執筆した」という小説を寄稿、同誌2013年10月22日号に木嶋佳苗名義ですべて掲載された。小説は『礼讃』と題され、2015年2月にKADOKAWAより単行本として刊行された。また2014年1月5日よりブログ「木嶋佳苗の拘置所日記」を運用、木嶋が東京拘置所で書いた文章を支援者が掲載・更新している。 |
※鳥取連続不審死事件 (U) | 2017年8月23日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[701] |
2004年5月-2009年10月 | 1973年(昭和48年)12月21日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中(現在50歳)[691]。 裁判員裁判では木嶋に続いて2番目に死刑判決を受け確定した女性で、戦後16人目の女性死刑囚。無罪を主張[694]。 2012年12月4日に鳥取地裁(野口卓志裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け[694]、2014年3月20日に広島高裁松江支部(塚本伊平裁判長)で控訴棄却判決を受けた[702]。2017年7月27日に最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)で上告棄却判決を受け[703]、それに対する訂正申し立ても2017年8月23日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[701]。 |
※大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件 (S) | 2017年12月8日 (正式な死刑確定は2018年)[704] |
2004年12月3日 | 1967年(昭和42年)5月13日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在56歳)[691]。大阪府和泉市の元カーペット製造販売会社社長夫妻鈍器で殴って殺害し、金品を奪い遺体をのこぎりで切断してドラム缶に詰め、同府阪南市内の貸ガレージに遺棄した。 事件から5年後の2009年11月になって夫婦の遺体が発見され、被害者宅での別の窃盗容疑で逮捕された。その後、2010年12月に強盗殺人容疑で再逮捕・追起訴された。 無罪を主張したが2013年6月26日に大阪地裁堺支部(畑山靖裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2014年12月19日に大阪高裁(笹野明義裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2017年12月8日に最高裁第三小法廷(戸倉三郎裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[705]。 上告審判決後の2017年12月末時点では判決訂正申立中だったため「新たな死刑確定者」としては言及されておらず[706]、正式な死刑確定は2018年に入ってからとなった[704]。 |
2018年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
※愛知県蟹江町母子3人殺傷事件 (L) | 2018年10月3日 (正式な死刑確定日)[707] |
2009年5月1日 - 5月2日 | 2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中[691]。中国国籍で犯行当時は三重大学に在学していた留学生だった。 生活に困り、別の万引き事件で科された罰金が払えなくなることを恐れて愛知県海部郡蟹江町内の民家に強盗目的で侵入し一家3人を殺傷した。 事件後に三重大を卒業して自動車部品会社に就職したが1年後に退職、本事件で逮捕される直前には別の自動車盗事件で逮捕されていた。 2015年2月20日に名古屋地裁(松田俊哉裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、同年10月14日に名古屋高裁(石山容示裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2018年9月6日に最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)で上告棄却判決を受け[708]、それに対する訂正申し立ても2018年10月2日付で同小法廷が棄却する決定を出したため、2018年10月3日付で正式に死刑が確定[707]。 |
※埼玉資産家夫婦死体遺棄事件 (W) | 2018年12月21日 (上告審判決宣告日[709] / 正式な確定は2019年) |
2012年12月7日 | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[691]。スイス在住・東京都中央区銀座に一時帰国していた資産家(ファンドマネージャー)の男性夫妻を絞殺し、遺体を埼玉県久喜市内の空き地に埋めて遺棄した。 被害者男性とは事件1年ほど前から付き合いがあったが、2013年に逮捕された当時は「被害者男性から勧められた投資で数億円の損をさせられた」と虚偽の供述をしていた。 殺害を否認したが[694]、2014年9月19日に東京地裁(田辺三保子裁判長)で死刑判決を受け[710]、2016年3月16日に東京高裁(藤井敏明裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2018年12月21日に最高裁判所第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑確定[709]。2018年12月27日時点では判決未確定[704](判決訂正申立期限内のためだがその有無は不明)。 |
2019年死刑確定囚(4人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
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※堺市連続強盗殺人事件 (N) | 2019年2月12日 (上告審判決宣告日)[711] |
2011年11月5日・12月1日 | 1961年(昭和36年)8月26日生まれ[694]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中(現在62歳)[691]。 保険金詐欺目的で自宅に放火した罪で逮捕・起訴され実刑判決を受け服役していた。仮出所後に幼少期から親交があった象印マホービンの元副社長ら2人を顔に食品用ラップを巻き付けて窒息死させ、うち1人の遺体をドラム缶で焼却した。 2014年3月10日に大阪地裁堺支部(森浩史裁判長)で死刑判決を受け、2016年9月14日に大阪高裁(後藤真理子裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2019年2月12日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定[711]。 |
※寝屋川市中1男女殺害事件 (Y) | 2019年5月18日 (控訴取り下げ日)[712] |
2015年8月13日 | 1970年(昭和45年)4月4日生まれ[注 48]。2020年9月27日時点で[91]大阪拘置所に収監中[691](現在54歳)。深夜に出歩いていた中学1年生の男女2人を殺害して遺体をそれぞれ遺棄したとされる[712]。 公判では男子生徒の殺害に関しては無罪・女子生徒に関しても傷害致死罪の成立を主張し[712]、判決直前には『朝日新聞』記者・畑宗太郎の取材に対し「裁判は第一審では終わらないだろう」と述べていた[714]。 2018年12月19日に大阪地裁(浅香竜太裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け[715][716]、大阪高裁に控訴するも本人取下げにより確定[712]。令和改元(2019年5月1日)以降では初の死刑確定。 しかし弁護人が大阪高裁に「控訴取り下げは無効」と異議を申し立て[717]、2019年12月に高裁がこれを認め控訴審を再開する決定を出した[718]。大阪高検は同決定を不服として最高裁への特別抗告・大阪高裁への異議申し立てを行った[719]。2020年2月25日、最高裁は大阪高検の特別抗告を棄却[720]。同年3月16日、大阪高裁第1刑事部は異議審において同高裁第6刑事部の控訴取り下げを無効とする決定を取り消し、審理を同高裁第6刑事部に差し戻した[721]。 2019年12月の大阪高裁第6刑事部の控訴取り下げ無効決定後、月刊誌『創』編集長の篠田博之がYに接見し、Yは2020年2月発売の同誌2020年3月号に獄中手記を寄せた[722]。 |
※山口連続殺人放火事件 (H) | 2019年8月1日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[723] |
2013年7月(21日 - 22日)[694] | 2020年9月27日時点で[91]広島拘置所に収監中[691]。 帰郷した山口県周南市の地元集落に馴染めず、近隣住民とのトラブルが多発していた。 近隣住民らへの恨みから5人を殺害・被害者宅を放火した。無罪を主張。 2015年7月28日に山口地裁(大寄淳裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2016年9月13日に広島高裁(多和田隆史裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2019年7月11日に最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)で上告棄却判決を受け[724]、それに対する訂正申し立ても2019年8月1日付の同小法廷決定で棄却されたことで正式に死刑が確定[723]。 |
※碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件(堀慶末) | 2019年8月7日 (上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[725] |
1998年6月28日 | 1975年(昭和50年)4月29日生まれ[726]。2020年9月27日時点で[91]名古屋拘置所に収監中[691](現在49歳)。 1998年に当時同僚だった男2人(いずれも無期懲役が確定)と共謀して愛知県碧南市内でパチンコ店長夫婦2人を殺害し、2006年にはさらにそのうち1人と共謀して高齢女性を襲撃し金品を奪う強盗殺人事件を起こした。 本件起訴容疑の2事件を起こした後、2007年に闇サイト殺人事件に実行犯として関与し逮捕されたがこの時点では夫婦殺害事件・強盗殺人未遂事件については発覚しなかった。 闇サイト事件の第一審では2015年に死刑執行された死刑囚と同様に死刑判決を受けるも、控訴審で破棄・無期懲役に減軽され上告審で確定した。 その直後、夫婦殺害事件で当時仕事仲間だった共犯の男2人(闇サイト事件とは無関係)とともに逮捕・起訴され、翌年には強盗殺人未遂事件に関して夫婦殺害事件の共犯の1人とともに再逮捕・起訴された。 本事件の裁判では一部無罪を主張。本事件の裁判では闇サイト事件について審理すると一事不再理の原則に抵触するため、闇サイト事件については審理されなかった。 2015年12月15日に名古屋地裁(景山太郎裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2016年11月8日に名古屋高裁(山口裕之裁判長)で控訴棄却判決を受けた[694]。2019年7月19日に最高裁第二小法廷(山本庸幸裁判長)で上告棄却判決を受け[727]、それに対する訂正申し立ても2019年8月7日付の同小法廷決定で棄却されたことにより正式に死刑が確定[725]。死刑確定に伴い闇サイト事件で確定した無期懲役刑の執行は停止された[注 42]。 上告中の2019年5月にインパクト出版会より実名で著書『鎮魂歌』(レクイエム)を出版した[728][729]。 |
2020年以降
※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。
2020年死刑確定囚(2人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
※相模原障害者施設殺傷事件(植松聖) | 2020年3月31日 | 2016年7月26日[730] | 1990年(平成2年)1月20日生まれ(現在34歳)[731][732]。 かつて勤務していた神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、職員を含め26人を負傷させた[730]。公判では動機について「意思疎通のできない重度障害者は不幸を生む」などと障害者への差別発言を繰り返していた[730]。 弁護人は公判で「大麻による精神障害で心神喪失状態だった」と無罪を主張していたが、横浜地裁は完全な責任能力を有していたことを認定し2020年3月16日に死刑判決を言い渡した[730]。 その後も控訴しない意向を示していたが、弁護人が3月27日付で東京高裁に控訴した[733]。しかし3月30日に被告人・植松自身が控訴を取り下げ、控訴期限が切れた2020年3月31日0時(日本標準時)をもって死刑が確定した[734]。 死刑確定後の2020年4月7日付で身柄を横浜拘置支所(横浜刑務所に隣接)から東京拘置所へ移送され[735]、同年9月27日時点で同所に収監中[91]。 |
※前橋市連続強盗殺傷事件 (T) | 2020年9月8日[736] | 2014年(11月10日・12月16日)[736] | 2020年9月27日時点で[91]東京拘置所に収監中[91]。携帯電話のソーシャルゲームへの課金のための浪費が原因で消費者金融に約120万円の借金があり、携帯電話・電気・ガスを料金滞納で止められていた。 群馬県前橋市内で高齢者を次々と襲い2人を殺害、1人に重傷を負わせた[736]。 翌2015年2月5日までに強盗殺人容疑などで逮捕された。 2016年7月20日に前橋地裁(鈴木秀行裁判長)で死刑判決を受け[737]、2018年2月14日に東京高裁(栃木力裁判長)で控訴棄却判決を受けた[738]。 2020年4月14日に最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)にて上告審・口頭弁論が予定されていたが[739]、新型コロナウイルスの大流行により緊急事態宣言が発令されたことを受け2020年4月7日付で弁論期日が取り消された[740]。その後、同小法廷は緊急事態宣言解除後に改めて公判期日を指定し[741]、同年7月7日に上告審口頭弁論が開かれ[742]、同年9月8日に上告棄却判決を受けて死刑が確定[736]。 |
2021年死刑確定囚(1人)
事件名(死刑囚名) | 判決確定日 | 事件発生日 | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|
※座間9人殺害事件 (S) | 2021年1月5日[743] | 2017年8月23日ごろ - 10月23日[744] | 1990年(平成2年)10月9日生まれ(現在33歳)[745]・神奈川県座間市出身[746]。2020年12月16日時点で立川拘置所に収監中[747]。 Twitterなどで自殺願望を仄めかしていた若い男女計9人(女性8人+女性のうち1人と知人関係だった男性1人)の計9人を座間市内の自室アパートに誘い出し絞殺[744]。それぞれの被害者から現金を奪うなどしたほか、女性8人には性的暴行を加え、9人の死体を損壊・遺棄したとして、強盗殺人(1件)、強盗・強制性交等殺人(8件)、死体損壊・死体遺棄罪(9件)に問われた[744]。 刑事裁判では弁護人が承諾殺人罪を主張したが、2020年12月15日に東京地裁立川支部(矢野直邦裁判長)は「被害者が殺害に同意していたとは認められない」として死刑判決を宣告[748]。弁護人は同月18日に東京高裁へ控訴したが[749][750]、被告人S自身が同月21日に控訴を取り下げたため、控訴期限が切れる2021年1月5日0時[注 49]をもって死刑が確定した[743]。 |
死刑判決を受け上訴中の被告人一覧
以下の情報は2020年9月27日時点で[91]第一審・控訴審にて死刑判決を受け控訴・上告中の被告人についての情報を記載する。なお控訴審・上告審の日程は未定の場合特に記載しない。
上訴審で死刑判決が破棄されて無期懲役以下に減軽・もしくは無罪判決が出たか審理が差し戻された場合、上訴中に被告人が死亡して公訴棄却となった場合はこの表からは除外される。最高裁判決で上告が棄却されるか被告人自ら上訴を取り下げて死刑が確定した場合は上節の「死刑確定囚」に移動する。
※は第一審・裁判員裁判による被告人。
最高裁上告中の死刑判決事件被告人一覧(4人)
事件名(被告人名) | 第一審判決日・ 裁判所名 |
控訴審判決日・ 裁判所名 |
上告審日程 | 事件発生日 | 収監先 | 備考 |
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※伊東市干物店強盗殺人事件 (H) | 2016年11月24日 静岡地裁沼津支部・死刑判決[753] |
2018年7月30日 東京高裁・被告人側控訴棄却[754][755][756] |
2021年1月28日 最高裁第一小法廷・上告審判決[757] |
2012年12月18日[756] | 東京拘置所[注 50][91] | かつて働いていた干物店(静岡県伊東市八幡野)に押し入って社長女性・常務男性の2人をそれぞれ刃物で突き刺した上に店内に設置されたプレハブ型冷凍庫内に閉じ込め出血性ショックで殺害し、店の売上金・釣り銭など現金約29万円を奪った[756]。 殺害された社長に「解雇したことにしてほしい」と迫りトラブルになっていたことがあった。 2013年に失業保険金をだまし取ったとして詐欺容疑で逮捕され、同年6月3日に有罪判決を受けた翌日に強盗殺人容疑で逮捕された。 無罪を主張。弁護人は控訴審で「第三者が現場付近にいた可能性がある」と主張した[758]。 |
※浜名湖連続殺人事件 (K) | 2018年2月23日 静岡地裁・死刑判決[759][760][761] |
2019年3月15日 東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[762][763][764] |
2021年2月15日 最高裁第二小法廷・上告審判決[765] |
2016年1月29日 2016年7月5日 |
東京拘置所[注 50][91] | 1月29日ごろに静岡県浜松市西区のマンションで元同僚の無職男性を何らかの方法で殺害しキャッシュカード・実印などを奪い、遺体を焼損して浜名湖周辺に遺棄したほか、この被害者男性のマンション所有権などを不正に取得・老齢厚生年金を詐取するなどした[760]。 同年7月5日ごろには同県磐田市のアパートで知人工員男性の右腹部を2回刃物で刺して殺害・遺体を切断し浜名湖周辺に遺棄した[760]。 公判で被告人K本人は事件関連の質問に対し一貫して黙秘し[760]、弁護人が無罪を主張した[766]。 控訴中の2018年9月に工員男性の友人宛に「面会して話をしてほしい」旨の手紙を送ったが、同年9月・11月と2回にわたり被害者の友人が事件に関して質問しても沈黙して語らず[767]、控訴審初公判前に『中日新聞』記者・瀬田貴嗣と面会した際も「自分は世間に戻れないから」と述べて事件の核心を語らなかった[768]。控訴審で弁護人は「第一審判決の事実誤認・裁判官の訴訟手続きに関する法令違反」を主張したが、具体的な内容は述べず、新証拠の提出もなかった[769]。 |
※関西青酸連続死事件 (K) | 2017年11月7日 京都地裁・死刑判決[770][771][772] |
2019年5月24日 大阪高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[773] |
最高裁上告中[773] | 2007年12月18日 2012年3月9日 2013年9月20日・12月28日 |
大阪拘置所[注 50][91] | 京都・大阪・兵庫の3府県で、結婚相談所で知り合った夫や内縁関係の男性ら4人の遺産を取得しようと、青酸化合物を飲ませ殺害した(うち1人は街中で突然倒れて入院、1年半後に転院先で死亡)。 2014年11月19日に夫の殺害容疑で初逮捕、のちに3件の殺人罪と1件の強盗殺人未遂罪に問われた。 他に4人の男性の突然死事件については立件・追送検されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった。 「認知症の影響で責任能力などがない」として無罪を主張。 |
※マニラ連続保険金殺人事件 (I) | 2017年8月25日 甲府地裁・死刑判決[774] |
2019年12月17日 東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[775] |
最高裁上告中[776] | 2014年10月19日 2015年8月31日 - 9月1日 |
東京拘置所[注 50][91] | 高校の同級生だった男ら4人と共謀し、2件の連続保険金殺人事件を起こした主犯格とされる。 2014年10月19日、整骨院院長の男性(共犯の女の夫)の死亡保険金を詐取しようと、男性をフィリピン・マニラ市内に誘い出して殺害した。 その後、仲違いした共犯者の1人である男に約5000万円の海外旅行保険をかけ、2015年8月31日にマニラ市内で殺害した。 その後、準主犯格だった男の自供により事件が発覚、逮捕・起訴された。 無罪を主張。 共犯者らは、準主犯格の無期懲役(求刑同)、整骨院院長殺害の実行犯を手配した男の懲役15年(求刑同)、整骨院院長殺害をほう助した整骨院院長の元妻である女の懲役6年(求刑懲役7年)の判決が確定した。 本事件で殺害された共犯者の1人は容疑者死亡で不起訴処分となった。 殺害実行犯とされるフィリピン人の男は2017年1月13日、フィリピン警察当局に逮捕されたが、捜査段階でも山梨県警・甲府地検にも存在こそ把握されていたものの、日本の警察権はフィリピンに及ばないことから逮捕されず、日本とフィリピンの間には犯罪人引き渡し条約が結ばれていないことから、日本で刑事裁判を受ける可能性はまずない。 2019年3月15日にはフィリピン警察当局がマニラ市内在住・広島県出身の日本人の男を「被告人Iら犯行グループに実行犯の男を紹介した」として殺人容疑で逮捕した[777]。 |
高裁控訴中の死刑判決事件被告人一覧(4人)
事件名(被告人名) | 第一審判決日・ 裁判所名 |
控訴審日程・ 裁判所名 |
事件発生日 | 収監先 | 備考 |
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※川崎老人ホーム連続殺人事件 (I) | 2018年3月22日 横浜地裁・死刑判決 |
控訴中・東京高裁 | 2014年11月4日 2014年12月9日 2014年12月31日 |
東京拘置所[注 50][91] | 職員として働いていた川崎市の有料老人ホームの入居者3人を相次いで転落死させた。 入所者の財布を盗んで窃盗罪の有罪判決を受けた後に本事件が発覚。 「健忘症により事件当時の記憶がない」として無罪を主張。 |
※姫路市3人連続監禁殺人・致死事件 (U) | 2019年3月15日 神戸地裁姫路支部・死刑判決[778][779] |
控訴中・大阪高裁 | 2010年4月・6月[780] 2011年2月[780] |
兵庫県姫路市内で2010年4月に元暴力団組員(当時57歳)を監禁させて死なせた傷害致死罪1件・同年6月に元広告会社社長(当時50歳)を拳銃で射殺したほか2011年2月に前述とは別の元暴力団組員(当時37歳)を窒息させて殺害した殺人罪2件などの罪に問われており[780]、神戸地検姫路支部側は「首謀者からの報酬を目当てに一連の事件で犯行に及んだ実行犯」と主張している[781]。無罪を主張。 神戸地検姫路支部は被告人Uとは別に韓国籍(在日韓国人)・パチンコ経営者の男(無罪を主張)を主犯格としてこの被告人に対しても「被告人Uらを利用して犯行を主導した」と死刑を求刑したが、神戸地裁姫路支部は2018年11月8日に「3件のうち元社長に対する殺人罪1件は無罪」と判断した上で無期懲役を言い渡し[782]、検察・被告人側の双方が控訴している[783]。 死亡した被害者3人のうち元会社社長・57歳元組員の2人は遺体が発見されておらず[782]、検察・弁護人双方の主張が対立したほか途中で裁判員3人が交代するなどして審理が長期化し[784]、初公判 - 判決までの実審理期間は無期懲役判決を受けた「主犯格」が裁判員裁判として過去最長の207日・死刑判決を受けた被告人Uもそれに次いで2番目の166日といずれも異例の長期審理となった[783]。 | |
※福岡県小郡市母子3人殺害事件 (N)[785] | 2019年12月13日 福岡地裁・死刑判決[785] |
控訴中・福岡高裁[785] | 2017年6月5日深夜 - 6日未明[785] | 福岡県警の元巡査部長(事件後に懲戒免職)[785]。福岡県小郡市の自宅で妻と小学4年生の長男・小学1年生の長女を絞殺した殺人罪に問われている[785]。 警察官が在職中に起こした事件で死刑判決を受けた異例の事件[785]。無罪を主張[786]。 | |
※日置市5人殺害事件 (I) | 2020年12月11日 鹿児島地裁・死刑判決[787] |
控訴中・福岡高裁[788] | 2018年3月31日 - 4月6日[789] | 鹿児島拘置支所[注 51][790] | 2018年3月31日に祖母と父親を絞殺して死体を近くの山中に遺棄したほか、同年4月6日に伯母姉妹と知人男性を殺害した[789]。 |
脚注
注釈
- ^ 日本国内・国外を問わず事件名に加害者あるいは被害者の氏名を付けて呼称されている事例は少なくなく、一部は既に歴史用語となっているものもあり、そのような事件名称を本項に限って匿名・イニシャル表記とすることは困難であるため。
- ^ 未遂に終わったとしても法定刑は死刑しか規定されていない刑罰。戦後廃止された
- ^ あくまでも構想のみであり、実際に犯行計画をすすめていないため、日本では罰則規定が現在もない共謀罪であった。
- ^ 大逆罪廃止による
- ^ 東京大学教授の古畑種基による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。
- ^ 拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は幸浦事件、二俣事件、小島事件など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。
- ^ 現:岩手県一関市。
- ^ 大分県別府市生まれだが、6歳のころ(1951年夏ごろ)に父親からの虐待に耐えかねて母とともに家を出、親戚や担任教師の家(佐賀市や熊本県天草郡など)に預けられ、佐賀市内の小中学校を卒業した[121]。
- ^ 脅迫1回、横領・傷害等(2回)、強盗・同未遂等(1回)の前科あり[116]。
- ^ 1928年(昭和3年)12月3日生まれ[121]。
- ^ 1941年(昭和16年)5月9日生まれ[121]。
- ^ 2件目の殺人の直後(6月18日未明まで)、小倉北区中津口一丁目のホテルに潜伏していたところ、ホテル従業員が警察に通報したため、小倉北警察署(福岡県警)などの警察官たちに取り囲まれ、説得された[124]。このため逮捕を免れ、あるいは遅延させる目的で警察官を射殺しようとし、小倉北署の警察官2人に相次いで拳銃を発砲したが、防爆盾に阻まれたり、標的を外したりしていずれも未遂に終わった[125]。
- ^ 上告審判決日[126]。判決確定は1978年1月5日。
- ^ 一時は家出少年を自宅に同居させるなどしていたが、同性愛行為の現場を妻に発見されて性癖が露見したり、妻が1962年ごろに胎児を逆子のため死産したことなどから、妻はやがてKとの性交渉を忌避するようになり、1. 事件後の1967年ごろからは関係が途絶していた[133]。
- ^ 上告審判決は1978年11月28日[151]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 札幌高裁・仙台高裁の管内(前者は北海道全域・後者は東北6県)で死刑が確定した死刑囚はそれぞれ札幌拘置支所・仙台拘置支所に収監されるが、死刑執行設備(刑場)はそれぞれ拘置支所に隣接する札幌刑務所・宮城刑務所に位置するため、死刑執行はそれぞれ刑務所で行われる[167]。
- ^ 弁護団結成のきっかけは北海道庁爆破事件で死刑判決を受けた大森勝久(1994年に死刑確定)から「冤罪の可能性がある人がいる」と情報を寄せられたことである[231]。
- ^ 最高裁における係属期間は11年5か月(当時戦後最長)で[231]、担当裁判官が定年退官で相次いで交代するなどしたため上告審が長期化し、通常は1度限りの口頭弁論が2回[229](1985年7月4日・1990年6月21日)[230]開かれた[229]。
- ^ 1964年7月、窃盗未遂事件の被告人に対し第一審への差し戻し判決を言い渡した際、主文で「上告審の訴訟費用を被告人に負担される」と誤記した例[1]。
- ^ 死刑冤罪4事件(免田・財田川・松山・島田の各事件)の存在や死刑廃止国の増加など[256]。
- ^ 法務省によれば当時、自殺した死刑囚は1936年以降で4人目だった[264]。
- ^ a b c 刑法第45条「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。」
- ^ 1981年1月に窃盗罪で大阪簡裁から懲役10月・執行猶予3年の判決を受けていた[267]。
- ^ 『年報・死刑廃止』によれば1999年9月28日時点[292]では元の「M」姓から「F」姓に改姓していた[293]。その後、2006年9月15日時点[294]までは「F」姓を名乗っていたが[295]、2007年8月31日時点[296]では元の「M」姓に戻っている[297]。
- ^ 同日以降、村松は自身の弁護人(後に解任 / 弟の弁護人になった)だった安田好弘を敵とみなしている[300]。
- ^ 『朝日新聞』 (2019) では「熊谷市など」と報道されている[304]。
- ^ ギャンブル仲間だった不動産業者。
- ^ 『年報・死刑廃止』によれば2004年7月末時点[313]では「M」姓だったが[314]。2005年7月31日時点[315]・2006年9月15日時点[294]および2007年8月31日時点[296]では「N」姓を名乗っていた[316][317][318]。その後、2008年9月30日時点[319]では元の「M」姓に戻っている[320]。
- ^ 被害者4人のうち2人の殺害について実を主張して再審請求していたが、2004年2月9日に横浜地裁で再審請求棄却決定を受け、即時抗告(東京高裁)も同年4月23日に、特別抗告(最高裁)も同年5月29日で棄却され[289]、2004年6月末時点で[290]次の再審請求を準備していた[289]。
- ^ 2004年7月末[313](上告棄却判決直後)時点では共犯S・K両名とともに仙台拘置支所に収監されていた[339]。
- ^ 被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた[343]。
- ^ 無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった[341]。
- ^ 第一審判決後(2000年4月17日)に三重刑務所から名古屋拘置所へ移監された[358]。
- ^ 加害者Mは被害者2人と面識があった[357]。
- ^ 加害者Mがかつて勤務していたパチンコ店[357]。
- ^ ただし、姫路市の事件(控訴審で唯一犯行を認めた)は「殺害後に金品奪取の意図が生じた疑いが残る」として強盗殺人罪の成立を認めず殺人・窃盗罪を適用した[369]。
- ^ 上告中の2004年7月末時点では[313]八王子医療刑務所に収監されていた。
- ^ 『毎日新聞』はこの時に「最高裁によれば、確認できた限りでは上告審で公判手続きが停止された例はないようだ」と報道した[391]。
- ^ 上告中の2004年7月末時点では[313]共犯MA・MKとともに名古屋拘置所に収監されていた[426]。
- ^ a b 宇都宮宝石店放火殺人事件の加害者の死刑確定(2007年3月8日)により[428]、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)で初めて100人に達した[429]。同年4月27日に3人の死刑が執行されたことで拘置中の死刑囚人数は99人に減少したが、池袋通り魔殺人事件の加害者が同年5月2日付で死刑確定したことにより再び100人に達した[430]。
- ^ 新宿西口バス放火事件・深川通り魔殺人事件では複数人の死者が出たが、いずれも判決では心神耗弱が認定されて無期懲役(求刑:死刑)が出ていたほか、心神喪失で不起訴となった事例も複数あった[437]。
- ^ a b c 刑法第51条「併合罪について二個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行する。ただし、死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない。」
- ^ 斎藤は小田島鐵男(畠山鐵男)の死後に『3650 死刑囚小田島鐡男"モンスター"と呼ばれた殺人者との10年間』(ミリオン出版)を出版した[457]。
- ^ 法務省成人矯正課はその理由を「死刑執行された死刑囚の氏名を公表するようになった2007年12月以降の流れを踏まえた」と説明したが、年齢・犯罪事実は公表しなかった[462]。
- ^ 実際は『週刊新潮』元記者・作家の蓮見圭一による代筆。2000年発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義。後に『愛犬家連続殺人』に改題して角川書店(角川文庫)から発刊。
- ^ 上告棄却判決直前(2011年3月4日)に支援者であるクリスチャンの女性と養子縁組し、女性と同じ「O」姓に改姓したが[539]、2019年時点では死刑確定前とは別の「K」姓に改姓している[515]。
- ^ 第一審公判中の1999年(平成11年)12月9日に養子縁組して改姓[540]。
- ^ 月刊『創』編集部宛ての手記で「2019年4月4日に49歳の誕生日を迎える」と述べている[713]。
- ^ 控訴期限は通常、第一審判決正本が送達された日の翌日から起算して[751]14日間(刑事訴訟法第373条)だが、最終日が土日祝日又は年末年始(12月29日 - 1月3日)であるときは、その翌日(その翌日が土日等であれば更にその翌日)が最終日となる[752]。判決正本受領日が12月15日の場合、翌日(12月16日)から数えて14日目は12月29日(「年末年始」に含まれる)であるため、翌年1月4日が控訴期限となる[752]。
- ^ a b c d e 2020年9月27日時点[91]。
- ^ 2020年12月1日時点[790]。
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- 同書「事件一覧表」5頁 - 藤沢市女子高生殺害事件(1967年1月13日発生)の事件概要を収録。
- 本文(64 - 71頁) - 【47-5】「強姦致死、殺人、死体遺棄被告事件」(第一審)横浜地方裁判所 昭和42年(わ)第145号 1969年(昭和44年)3月18日第三刑事部判決[被告人:S 熔接工 1941年(昭和16年)7月10日生]
- 本文(72頁) - 昭和46年(あ)第2597号 1972年(昭和47年)7月18日第三小法廷判決(控訴人:被告人Sおよび弁護人・諸橋㐮)
- ^ 『読売新聞』1967年1月18日東京朝刊第15版第一社会面15頁「【藤沢】Aさん(藤沢の女高生)は殺されていた 宅造地から死体発掘 労務者を逮捕、犯行自供 「S」のいとこからの通報で」(読売新聞東京本社)
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- 裁判官:加藤幸雄(裁判長)・舟橋恭子・片山博仁
- 主文
- 名古屋拘置所長が,原告に対して平成17年6月10日にした,教父母との交通(礼状の発信と面会)を不許可とする告知の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
- 原告のその余の請求を棄却する。
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- 大塚公子「巨漢百キロ、「言い渡し」を聞いて狂乱・格闘 女子高生殺し S」『死刑囚の最後の瞬間』 お 21-2(八版)、角川書店〈角川文庫〉、1997年12月10日(原著1996年6月25日)、161-169頁。ISBN 978-4041878026 。2020年9月15日閲覧。 - 原著『あの死刑囚の最後の瞬間』(ライブ出版)は1992年2月に刊行された。
- 村野薫『死刑はこうして執行される』(第1刷発行)講談社〈講談社文庫〉、2006年1月15日、141-142頁。ISBN 978-4062753043。
個別事件関連の著書(加害者・被害者などの手記を含む)
- 大下英治「練馬一家五人殺し」『増刊週刊大衆』第29巻第28号、双葉社、1986年7月11日、214-239頁。 - 1986年7月11日号(通巻1582号)。練馬一家5人殺害事件の関連記事
- 来栖宥子 著、斉藤繁人(発行人) 編『113号事件 勝田清孝の真実』(初版)恒友出版、1996年8月8日。ISBN 978-4765261104。 - 勝田清孝事件の関連書籍
- 河村啓三『こんな僕でも生きてていいの』(第1刷発行)インパクト出版会(発行人:深田卓)、2006年4月10日。ISBN 978-4755401633 。 - コスモ・リサーチ事件の加害者(2004年に死刑確定 / 2018年に死刑執行)による著書
- 熊谷徳久『奈落-ピストル強盗殺人犯の手記-』(初版第一刷発行)展望社(発行人:唐澤明義)、2006年11月14日。ISBN 978-4885461675 。 - 渋谷駅駅員銃撃事件(2004年)の加害者(2011年に死刑確定 / 2013年に死刑執行)による著書
- 鈴木智彦『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』(初版第1刷発行)小学館文庫、2017年11月12日。ISBN 978-4094064759。 - 大牟田4人殺害事件の加害者次男による獄中手記
- 堀慶末 著、(発行人:深田卓) 編『鎮魂歌(レクイエム)』(第1刷発行)インパクト出版会、2019年5月25日。ISBN 978-4755402968。 - 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件・闇サイト殺人事件に関与した加害者(2019年に死刑確定)による著書
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- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:阿部圭太・岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:国分葉子・フォーラム90実行委員会) 編『死刑と情報公開 年報・死刑廃止1999』(第1刷発行)インパクト出版会、1999年11月10日。ISBN 978-4755400957 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:阿部圭太・岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会) 編『終身刑を考える 年報・死刑廃止2000-2001』(第1刷発行)インパクト出版会、2001年3月15日。ISBN 978-4755401046 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・島谷直子・末広哲・高田章子・対馬滋・永井迅・安田好弘・深田卓) 編『世界のなかの日本の死刑 年報・死刑廃止2002』(第1刷発行)インパクト出版会、2002年7月15日。ISBN 978-4755401237 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会・国分葉子) 編『無実の死刑囚たち 年報・死刑廃止2004』(第1刷発行)インパクト出版会、2004年9月20日。ISBN 978-4755401442 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会・国分葉子) 編『オウム事件10年 年報・死刑廃止2005』(第1刷発行)インパクト出版会、2005年10月8日。ISBN 978-4755401572 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会・死刑廃止のための大道寺幸子基金運営会・国分葉子) 編『光市裁判 年報・死刑廃止2006』(第1刷発行)インパクト出版会、2006年10月7日。ISBN 978-4755401695 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90実行委員会・国分葉子) 編『あなたも死刑判決を書かされる 21世紀の徴兵制・裁判員制度 年報・死刑廃止2007』(第1刷発行)インパクト出版会、2007年10月13日。ISBN 978-4755401800 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・江頭純二・菊池さよ子・菊田幸一・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:フォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・「光市事件」報道を検証する会・国分葉子・深瀬暢子・中井厚) 編『犯罪報道と裁判員制度 年報・死刑廃止2008』(第1刷発行)インパクト出版会、2008年10月20日。ISBN 978-4755401923 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、中井厚、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所) 編『命の灯を消さないで 死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』(発行)インパクト出版会、2009年4月10日。ISBN 978-4755401978 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、高田章子、中井厚、深瀬暢子、安田好弘、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所、死刑廃止のための大道寺幸子基金) 編『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』(発行)インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN 978-4755402241 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』(第1刷発行)インパクト出版会、2017年10月15日。ISBN 978-4755402807 。
- 年報・死刑廃止編集委員会『オウム死刑囚からあなたへ 年報・死刑廃止2018』インパクト出版会、2018年10月25日。ISBN 978-4755402883 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日、259頁。ISBN 978-4755402982 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『コロナ禍のなかの死刑 年報・死刑廃止2020』(第1刷発行)インパクト出版会、2020年10月10日。ISBN 978-4755403064 。