清水定吉

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清水 定吉しみず さだきち1837年 - 1887年9月)は、「日本初の拳銃強盗犯」として知られる明治時代日本の元死刑囚である。また「日本初の劇映画」である『ピストル強盗清水定吉』(1899年)、および『清水定吉』(1930年)として映画化された映画作品のタイトル、および登場人物名である。

目次

[編集] 来歴・人物

1837年天保8年)8月13日、江戸・浅草清島町(現在の台東区東上野6丁目)に生まれる[1]

職業はマッサージ師であった。当時の「按摩師」のスタイルは清水の犯罪にとって、格好のカモフラージュとなった。東京市本所区相生町(現在の東京都墨田区両国からまでの地域)に住んでいた[2]

1882年(明治15年)から、覆面をして拳銃を使用、東京市(現在の東京都)で80件以上の強盗を行い5人を殺害した。拳銃を使用した強盗事件は日本犯罪史上初めてのことであり、当時の首都は震撼した。

日本橋区馬喰町(現在の中央区日本橋馬喰町)の商家に押し入った直後、1886年(明治19年)12月3日未明に同区浜町(現在の中央区日本橋浜町)で逮捕、その際に、清水に不審尋問をした久松警察署小川佗吉郎巡査[3]が清水の発砲で重傷を負い、その後回復し2階級特進で警部補に昇進するが、4か月後に傷が悪化し翌1887年(明治20年)4月26日、24歳で死亡した[3]。同年9月、清水は死刑に処された。50歳没[1]

殉職した小川警部補を悼み、当時の浜町川に架かる橋は「小川橋」と名づけられ、川が埋められ橋が撤去された現在、1974年(昭和49年)4月26日、小川警部補の命日に建てられた石碑が建っている。[3]

[編集] 新派芝居

当時、新聞ではこの種の事件を読物として連載した。新派の芝居でも「ピストル強盗清水定吉」を1897年(明治30年)ごろに上演している。里見弴が10歳のころ、鎌倉で観たことを回想している[4]

[編集] 映画作品

1899年(明治32年)から駒田好洋の「日本率先活動写真会」の製作・興行のなかで、清水の事件をモチーフにした劇映画『ピストル強盗清水定吉』[5](『清水定吉(稲妻強盗)』[6]とも)がつくられた。これが「日本初の劇映画」となり、警官を演じた横山運平は「日本初の映画俳優」となった。なお「稲妻強盗」とは脱獄の名人坂本慶次郎(1866年 - 1900年)のことである。のちに河合映画製作社がリメイクした。

[編集] 書籍化作品

  • 『探偵実話 清水定吉』、無名氏、金松堂、1893年
現在、本項の#外部リンクにある国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」上で、同図書館の蔵書が公開されており、ウェブ上で閲覧が可能である。

[編集] 関連事項

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  1. ^ a b 『探偵実話 清水定吉』(無名氏、金松堂、1893年)p.158にある戸籍写しの記述による。1837年の日本は「寛政暦」を採用しており、現在の「8月13日」とは異なる。没年齢は計算上。
  2. ^ 芥川龍之介のエッセイ『本所両国』の記述を参照。「青空文庫」サイト内の「芥川龍之介「本所両国」」に原文がある。
  3. ^ a b c 「小川橋」跡の碑文(1974年建立)の記述を参照。「viva! edo」サイト内の「小川橋の由来」に碑文の写しがある。
  4. ^ 『里見弴随筆集』(岩波文庫、1994年 ISBN 4003106083)の記述を参照。
  5. ^ 田中純一郎『日本映画発達史〈1〉活動写真時代』(中央公論社1968年)の記述を参照。
  6. ^ 日本映画データベースの「清水定吉(稲妻強盗)」を参照。

[編集] 外部リンク

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