飯塚事件
飯塚事件(いいづかじけん)とは1992年(平成4年)に発生した殺人事件である。自白は得られなかったが、導入されたばかりのDNA型鑑定結果が多くの状況証拠の一つとされて有罪判決が確定し、死刑が執行された事例である。事件の概要から飯塚女児二人誘拐殺害事件とも呼ばれる。足利事件の無罪判決を受け、同様に当時のDNA鑑定を利用したこの事件も冤罪ではないかという報道が多くなされたが、再鑑定によって犯人と矛盾しない結果が出たと指摘する者もいる。
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[編集] 事件の概要
1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学校1年生だった女児2人(当時7歳)が登校中に行方不明になった。 同年2月21日、その後、同県甘木市(現在の朝倉市)の雑木林で殺害され遺棄されているのが発見された。死因は窒息死だった。同年2月22日、遺留品が発見される(着衣・ランドセル)。
[編集] 被疑者と起訴までの経緯
この事件では犯人を特定するために必要な遺留品が乏しかった。1992年2月25日、捜査に当たっていた福岡県警察は被疑者としてK(当時54歳)の自宅を訪問し、事件当日のアリバイについて事情聴取をおこなった。これは遺体遺棄現場付近で目撃された紺色のワンボックスカーを所有していたためである。またKが1988年12月4日に発生した女児失踪事件でも捜査線上に名前があがっていた人物であったためでもあった。1992年9月26日、中古車ディーラーに売られていたKの所有車を押収し、尿痕および血痕が発見された。1993年9月29日、Kが捜査員に対する傷害容疑で逮捕され、罰金10万円の刑を受ける。1994年4月、死体遺棄容疑でK逮捕。同年10月14日、誘拐、殺人で再逮捕。同年11月5日、殺人と略取誘拐ならびに死体遺棄で起訴。
この事件では、Kから犯行の自白がなかったばかりか、指紋といった証拠がなく、状況証拠の積み重ねが公判の対象となった。その状況証拠の一つとして認定されたのは、DNA型であった。
2000年代後半の段階ではDNA型鑑定の精度は約4兆8000億人に一人の確率で判別[1]できるが、これはDNAの複雑な配列の読み取りをコンピューターによって超高速でおこなうことが可能となったためである。しかし、起訴当時に警察庁科学警察研究所が使用していた「MCT118型検査法」は人の目による識別[1]であり、染色体のうち16個の塩基配列が繰り返される回数で個人差を特定する方法であった。そのため、一般的な型で16人に一人、特殊な型で3万5000人に一人しか判別[1]できず、平均すると、およそ1000人に1.2人の確率[2]とされた。
[編集] 裁判
- 第一審・福岡地裁判決
一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決は、DNA型については、「犯人が一人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約266人に1人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない」ことを認めつつも、DNA型以外の点について、犯人について被害児童の失踪場所・遺体発見場所などから土地勘を有するものであると推測されるところKが土地勘を有すること、犯人の車について複数の目撃証言によると紺色の後輪ダブルタイヤのワゴン車でリアウインドーにフィルムか貼ってあるなどといった特徴を有していたところKが特徴を同じくする車を所有していたこと[3]、被害児童の着衣から繊維片が発見されているところKの所有車と同型の座席シー卜の繊維片である可能性がきわめて濃厚であること[4](福岡県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所、東レ、ユニチカによる鑑定結果より)、当該所有車の後部座席シートから血痕(被害者の一人と同血液型)および人尿痕が検出され少なくとも一回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められるにもかかわらずKがその付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができないこと(Kおよび妻は捜査段階では車内での家族の尿痕付着の可能性について完全に否定していたにも関わらず、公判段階では供述を変更しており、「極めて不自然」および「たやすく信用することはできない」と結論づけられた)[5]、被害者の膣とその周辺および腹部付近にあった木の枝に犯人の血液が残っていたがそれ以外には血液が付着していないため犯人の陰茎が出血していた可能性が高いところKが亀頭包皮炎を発症しており容易に陰部から出血することがあった点と一致すること(1991年11月8日と11日にKが受診した泌尿器科の医師の証言より。さらに、Kは捜査段階である1992年3月21日に警察官に対して、事件当時は性に興味がなかったことを主張するため陰部の病気で出血していたことを述べており、それとも合致する。同様の発言は1992年8月に親戚宅でもしており、その発言をテープに録音して同席した毎日新聞記者に渡している。それにも関わらず、血液が残っている事が明らかになった公判段階で、Kは突如として、事件前の1991年11月末には同病気が完治していたという供述に変更している。また、1991年12月頃まで皮膚病の薬をある薬局で購入した事実は全くないというKと妻の供述は、その薬局の経営者と元店員の供述に照らして「いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない」と結論づけられた)[6][7]、当日Kにはアリバイが成立しないこと(Kは事件当日、妻を職場まで送り届けた後その足で実母宅に行き10時20分頃からパチンコをして午後1時頃に帰宅したとのアリバイを主張していたが、「アリバイを直接に裏付ける証拠は全くな」く、「アリバイに関する供述は、その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで変遷しており」、「信用できない」と結論づけられた)[8]などを状況証拠として認定し、(DNA型も含めて)総合判断として、Kが犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができるとして、Kに死刑判決を下した。
なお、DNA型について提出された3つの鑑定のうち、石山鑑定人による鑑定では被告人のDNA型が検出されなかったが、この点に関しては、「これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、大きいもので約1.8cm×約2.4cm大、小さいもので約0.6cm×約1.2cm大の脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)、また、混合血痕の場合、血液型が違えば凝集が起こることなどから、必ずしも資料各部で均一に混合していないことも考えられる(甲630・2頁の石山見解)というのであるから、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる」とし、「石山鑑定の追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる以上」、「被告人が犯人であることと矛盾するものではない」と判示した[9]。
- 控訴審・福岡高裁判決
控訴審の福岡高等裁判所2001年10月10日判決は、第一審で認められた状況証拠を認め、「(1)繊維鑑定の結果及び遺留品発見現場上の路上における車両等車両目撃状況等を総合すると、犯行に使用された車はマツダウエストコーストと認めるに十分であること、(2)被告人は、誘拐現場付近に居住する者でほかならぬその車両を保有しており、これを保有する者は現場付近や飯塚市内及びその周辺においては極めて少数に限られていること、(3)被告人の使用車両からは、被害者の一人であるAの鼻血により生じたものであるとして付着状況が矛盾せず、Aの血液型、DNA型と同じ特徴を備えた血痕と、扼頚による殺害に伴う被害者の失禁と考えて矛盾しない尿痕が、後部座席(血痕は座席裏側)から発見されていること(4)被告人は、マツダウエストコーストを使用して誘拐の犯行時刻ころ日常的に本件誘拐現場付近を通行していた者であり、被告人のいう当日のアリバイは信用できず、犯行当日の誘拐の犯行時刻ころも被告人が犯行現場を通行していたことが強く推認されること、(5)他方、死体に付着、混人する血液からは被告人の血液型、DNA型の一部と一致するものが発見されており、これと積極的に矛盾する要素は見出されず、犯人が出血していたという特異な事実は被告人の亀頭包皮炎罹患の事実により裏付けられることなどの情況事実が累積している。これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである。」として被告が犯人であると認定して死刑判決を維持した。
- 上告審・最高裁判決
最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決(滝井繁男裁判長)は、判例違反を主張する弁護側の上告趣意に対し、「実質は事実誤認、単なる法令違反の主張」であるとし、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性があるということができるから、これと同旨の原判決の事実認定は,正当として是認することができる。」、と上告を棄却し死刑が確定した。
- その他
また裁判では直接の動機は明らかにならなかったが、これはKが終始犯行を否認した為である。これについて捜査関係者は「彼は家族を守るために否認を貫いた」との見解を示している。それによれば犯行を認めれば自分の家族が崩壊するが、冤罪を主張したまま死ねば救われるというものであった、と述べている[10]。
[編集] 足利事件の冤罪判明後
2009年6月に、足利事件で有罪が確定し服役していた菅家利和が、Kと同じ「MCT118型検査法」による鑑定結果を最新鋭のDNA型鑑定によって否定されたため、これを契機に、メディアで飯塚事件の冤罪説が唱えられることが多くなされた。
担当弁護士岩田務は、足利事件の被疑者に関しDNA検査の再鑑定される見通しになったと報道されたのが死刑執行の一週間前であったことを引き合いに出し、死刑執行について「まさかと思うが、国は再審請求させないために死刑を執行したのではないかと考えることもある」と思っていると言う[11]。そのため、Kの弁護団が同じ方法で誤判を招いたことを「証拠」に再審を請求するという[2]。なお、問題になった科捜研の当時のDNA型鑑定に対し専門家からは「正確な知識が要求されるジェット機を、素人が操縦するようなものだった」と、当時の鑑定方法は初歩的な誤りがあるなど第三者からすれば「出来の悪い」との批判もあるという[11]。
2009年10月にKの遺族が福岡地方裁判所に対して再審請求を行った[12]。この際の鑑定書は足利事件の再鑑定にもかかわった筑波大学の本田克也教授が作成したもので、当時の鑑定結果を再検証したものである。これによると真犯人の血液型はAB型[13]であるとしている。これは警察による鑑定ではO型の被害者に付着した混合血液からはA,B,O全ての血液反応が出ており、被害者2人の血液型はA型とO型、KはB型であるから、反応の強弱から犯人はB型であるはずだから、Kが関与していたことに間違いないと判断したものであるが、再検証によれば混合血液で「A型」反応の要素となるはずのA型の被害者(先に犠牲になったと思われる)のDNA型が検出されておらず、O型の被害者から検出された混合血液は被害者2人とKの3人の血液が交わったものではなく、O型の被害者と真犯人の2人の血液が交わったものであり、Kを真犯人と判断したのは誤りという主張であった[14]。
[編集] 足利事件との相違点
足利事件は、DNA型がほぼ唯一の証拠であり、その証拠能力が最大の争点となった。
それに対し、飯塚事件はDNA鑑定のみでの証拠能力が弱いことを前提にして、現場で複数名によって目撃された車とKの車が同一のものと解されること、被害者に付着した繊維とKの車の繊維が同一のものである可能性がきわめて濃厚なこと、Kの車から尿痕と血痕が検出されたが被害者のものである以外の説明がつかないこと、犯人の陰部から出血した可能性が高いところKの陰部の病状と一致することなどの数々の状況証拠が存在しており、その点で足利事件と飯塚事件は大きく異なる、との指摘をする者もいる。
第一審判決直後の法律専門誌においては、「犯人性認定において、DNA型が一致したという事実は、それほど重視されていないものと思われる」と解説されている[15]。検察関係者も、「全面否認されてもDNAの鑑定がなかったとしても、有罪に持ち込めるような捜査をした」と述べている。[11]。
[編集] 再鑑定結果
弁護団がKの毛髪を再鑑定したところ、当初16-26型とされたKのDNA型が16-27型であったことが判明したとして、犯人のDNA型は16-26型であることから冤罪を指摘しているものがある[16]。しかし、裁判時、弁護側は「アレリックラダーマーカーによる方が検査方法として優れている」と主張し、かつ、東京高裁判決もその主張を認め、「123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合では、18-30型に対応するとされているが、18-29、18-31型に対応する場合もあり得る」と判示していたところ、KのDNA型が123塩基ラダーマーカーで16-27型であるのならばアレリックラダーマーカーでは18-31型であることから[17]、より正確なアレリックラダーマーカーでも犯人のDNA型と矛盾していないのであり、再鑑定の結果をもって冤罪というには無理がある、との指摘をする者もいる。
なお、足利事件の場合、アレリックラダーマーカーによる判定では、真犯人は18-24型・菅谷利和は18-29型となり、矛盾する結果となった。
[編集] 1988年の女児行方不明事件
1988年12月4日に7歳女児が同事件の被疑者の自宅で目撃されたのを最後に行方不明になる事件が発生。上記の事件で逮捕後のKを1994年11月11日にポリグラフにかけた際に、反応の出た山林一帯を捜索した結果、赤いジャンパーとトレーナーが発見され、女児の母親によって女児の物と確認された。Kは事件当日に女児と会っていた事は認めたが、女児の行方については知らないとした。遺留品が発見された一帯を捜索したがそれ以上の発見はなく、7歳女児行方不明事件の捜査は打ち切られた。また、女児の物とされる遺留品については、6年前に遺棄された物としては非常に傷みが少ないと指摘する意見があった。
[編集] 注釈・引用
- ^ a b c 読売新聞2009年6月5日朝刊
- ^ a b 朝日新聞2009年6月5日朝刊
- ^ 判決文「二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について」「三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について」「四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて」より
- ^ 判決文「五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について」より
- ^ 判決文「六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について」より
- ^ 判決文「八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて」より
- ^ 判決文より引用
「3 フルコートFについて。
被告人は、平成3年7月ころから12月ころにかけて、福岡県嘉穂郡穂波町にある薬局「ドラッブストア甲」で、フルコートFという薬を頻繁に購入していたが、この薬は、かゆみを伴う湿疹等の皮膚病に効く薬で、効き目は強いが、ステロイド剤が含まれているので、長期間使用すると皮膚の抵抗力がなくなり、副作用として黒皮や皮膚の過敏等の症状が出たり、使用をやめると以前の症状が悪化することもあるというものであった(甲553、554)。
なお、被告人は、捜査公判を通じて一貫して「ドラッグストア甲」でフルコートFを購入した事実は全くないと供述し、妻も公判で同様の供述をしているが、同店の経営者は、「被告人は一か月に2、3回は店に来る得意客で、そのうち一回はフルコートFを買っていた、フルコートFは副作用が強いので、自分からは勧めず、客が名指しした場合にのみ販売していたので、これを名指しで買っていた被告人は強く印象に残っている。」と供述しており、また、同店の元店員も、「被告人は常連客であり、フルコートFを買っていたことを覚えている。」と供述しているのであって、同店経営者及び元店員の各供述の信用性には疑問の余地がない。したがって、フルコートFを購入した事実は全くないという被告人及び妻の各供述は、いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない。」 - ^ 判決文「九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について」より
- ^ 判決文「七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について」より
- ^ 西日本新聞朝刊 2008年10月29日朝刊
- ^ a b c 2009年12月28日号、68頁、朝日新聞出版
- ^ 時事ドットコム 2009年10月28日(2009年10月29日閲覧)
- ^ ABOの血液型は血液中の抗原による分類法。A抗原とB抗原のどちらかを持つのが、A型とB型、双方の抗原をもつのがAB型、そのいづれの抗原を持たないのがO型である。詳細はABO式血液型を参照のこと。
- ^ 福岡・飯塚の2女児殺害:元死刑囚の妻が再審請求 昨年死刑執行「DNA鑑定に誤り」毎日新聞2009年10月29日、2009年11月21日閲覧
- ^ 判例タイムズ1059号256ページ
- ^ 「日本の『未解決事件』100」77ページ(別冊宝島)。
- ^ 報道特集NEXTで映された対照表による。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- いわゆる飯塚事件に関する質問主意書(衆議院)
- いわゆる飯塚事件に関する再質問主意書(衆議院)
- いわゆる飯塚事件に関する第三回質問主意書(衆議院)