夕張保険金殺人事件
夕張保険金殺人事件(ゆうばりほけんきんさつじんじけん)とは1984年(昭和59年)に北海道夕張市で発生した、火災保険および生命保険の詐取を目的とした放火殺人事件である。またこの事件の首謀者は夫婦であり、実行犯に放火を依頼して犯行に及んだが、首謀者として死刑が確定、戦後初めて夫婦2人ともに対して死刑が執行された。
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[編集] 事件の背景
首謀者の夫婦は1970年より夕張炭鉱の下請け会社を経営していたが、経営能力が低く、倒産と再建を繰り返していた。そんな折、1981年(昭和56年)10月に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故により雇用者の半数近くを失う。この事故により多額の保険金が会社に支払われ、社員の遺族に保険金の一部を支払うものの、1億円以上の金が夫婦の手元に残ったという。この多額の金銭に麻痺した夫婦は海外旅行や高級車の買いあさり、自宅の新築などの浪費を重ね、わずか2年ほどの間に使い果たした末、生活に困窮。保険金詐欺の計画を立案するに至る。
[編集] 事件の経緯
1984年(昭和59年)5月5日、北海道夕張市内の炭鉱労働者のための宿舎の食堂から出火し、宿舎内にいた子供2人を含む6人が焼死し、消火活動をしていた消防士1人も殉職する惨事となった。
当初は不慮の事故として、保険会社は当該宿舎の所有者であった炭鉱に労働者を派遣する会社経営者夫婦に対して火災保険金及び死亡保険金として約1億3千万円を支払った。
しかし実際には、この会社経営者夫婦が、同社の従業員男性(本人も火災で重傷を負った)に報酬を約束した上で放火させた事件であった。そのためこの男性が、報酬を支払われないことに対する不満、また口封じされることへの恐れから警察に自首し、事件が明るみに出た。
[編集] 刑の確定と執行
裁判で夫婦は、火災保険金のみが目的であって、宿舎内にいた従業員の生命まで奪うつもりはなく殺意がなかったとし、焼死者が出たのも実行犯が逃げられるようにやれと指示していたのにやらなかったためだと主張した。そのため実行犯と夫婦の主張は対立していたが、検察側は殺人についての未必の故意があったと主張して被告人夫婦は極刑に処すべきであるとした。
1審の札幌地裁は1987年(昭和62年)3月に実行犯に対し無期懲役(減刑の対象になりうる自首が認定されたためと考えられる)を言い渡し、夫婦については殺人の共謀共同正犯として共に責任を認定し、死刑を言い渡した。ただちに3人は札幌高裁に控訴したが、1988年(昭和63年)10月に控訴を取り下げた。妻は戦後日本において4人目の女性死刑囚である。
これは、当時昭和天皇の病状が重篤であり、仮に天皇が崩御すれば恩赦の特典に与れると計算したためである。過去にも明治天皇や大正天皇が崩御した際には、殺人犯のような重罪人であっても恩赦によって刑が減軽されており、戦後もサンフランシスコ講和条約締結時に死刑囚であっても殺人罪のみ(強盗殺人などは対象外)であれば無期懲役に減刑されていた。
そのため恩赦の対象となるには刑が確定していなければならず、被告人の立場から抜け出すために控訴を取り下げたものであった。当時、弁護士の指示などにより、本事件の被告人以外にも同様のことを目的に控訴や上告を取り下げた者が少なからず存在していた。しかし実際には、昭和天皇の崩御に際しては、懲役受刑者や禁錮受刑者、死刑確定者に対する恩赦は一例も行われなかった。
恩赦をあてにしていた夫婦は法律の不知を事由に控訴審の再開を申請したが、受け入れられるはずもなく、1997年(平成9年)8月1日に2人とも刑が執行された。女性死刑囚に対する死刑執行は1970年(昭和45年)に執行された女性連続毒殺魔事件以来27年ぶりで戦後3例目であった。
[編集] その後
主犯の2人が逮捕された事で会社はすぐに倒産して廃業となった。しかし、住居兼事務所だった建物は2010年現在も夕張市内に廃墟となって残っている。