自殺サイト殺人事件

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自殺サイト殺人事件じさつ-さいと-さつじんじけん)とは、2005年8月2日に行方不明であった女性の遺体が大阪府河内長野市にある河川敷にて発見されたのを発端として発覚した事件である。8月5日、当時堺市に住んでいた36歳派遣の修理工の男が逮捕された[1]。この事件は、犯人の実父の元勤務先に捜査本部が設置されたことでも有名となった。

当初、殺害容疑はこの女性1人だけだったがその修理工の供述によりいじめ被害者とされる男子中学生や男子大学生の殺害も発覚。その後の捜査でこの2名の遺体が山中で発見された(うち男子大学生の遺体遺棄現場は第1被害者の女性のそれと全く同じ場所のダム湖であって、遺体発見現場としては数kmしか離れていなかった)。

目次

事件の概要

容疑者である36歳修理工の男は人の苦しむ姿を見て興奮するという性癖を持っており[2]、過去にも高校・大学時代に白色スクールソックスを着用した男性の学友の首を絞めたり(後述、ともに無期限停学処分となるも揉み消しにより公にされず)、ゆうメイト時代にいじめに復讐するために加害者に当たる同僚兼飲み仲間の首を絞めて負傷させたり(執行猶予付き有罪)、通りがかりの人などにいきなり襲いかかり口を塞いだ(執行猶予付き有罪→懲役10ヶ月)として逮捕されたという暴行または傷害の前科が3度、首絞め路上強盗など同様の行為を小学校高学年の初犯から今回の殺人事件で逮捕されるまで50件以上行っていたことが判明。

この修理工の男がもがき苦しむ人を見て興奮し、もしくはそれと関連して衝動的に暴行を加えないと情緒不安定に陥るという各性癖へと走るきっかけとなったのは、少年時代に読んだある連続快楽殺人を主題とした推理小説の挿絵からであると警察で供述している。2年6月の判決に対し、2年弱の刑期を終えて「奇跡的に模範囚となって」仮出所後、この男は修理工となったのだが、それと相前後して犯行予告文ともとれる自著の推理小説を自らのホームページに掲載している。

その時この男が目を付けたのが、自殺系サイトである。自殺サイトを物色し、多重債務やいじめなどを苦にした自殺志願者を「集団自殺しませんか」と言葉巧みに騙し被害者を呼び出しては、あえてなぶり殺しにするという形で自殺そのものを手伝い、自らは死刑になるという形で後を追う、という「無理心中目的の説得ずくの快楽殺人」という手口までに及んだ。

更にこの修理工の手口は巧妙で、自分へ警察の捜査が及ばないように被害者を騙して、自殺サイトの使用履歴をパソコン上から削除させたり、自殺未遂経験者という意味で玄人からの助言ということで遺族宛てに遺書を書かせたりし、殺害についても被害者を苦しめるために何度も被害者の口を塞いで失神させては蘇生させたり、ラップフィルムやゴム手袋を利用して証拠を残さないようにしていたりと悪質であると言われている。更には被害者を殺害する様子を写したビデオテープや、被害者の苦しむ声が録音されたテープも修理工の自宅の倉庫から押収された(男性2人の殺人について言えば、これらは「残された唯一の物証」と断定することができ、第3回以降の公判の中で上映されている)。さらには、いじめ被害者とされる男子中学生を殺害後、この修理工の男は男子中学生の遺族から現金400万円を脅し取ろうと計画。誘拐を見せかけ男子中学生の携帯を盗んでその遺族に電話していた。だが結局、現金を得ることはできなかった。その腹いせとして、この修理工はその中学生を殺害したと遺族に告白したものの、不可解なことに半年近くも発覚することはなかった。

裁判

この修理工の男が受けた「一審の初公判」はこれで人生4度目である。

彼には、白色スクールソックスに興奮するという、もう一つの性癖があることが、本件の初公判の冒頭陳述で明らかにされた。この性癖のきっかけとなったのは、中学生時代に教育実習の女子大生を窒息させるという妄想にふけりながら自慰行為を繰り返す過程で、彼女が着用していた白色スクールソックスも性的興奮の対象となったためとされている。その性癖のために、この男は、大学生時代に、白色スクールソックスを着用した男性の友人を見て欲求を抑えられなくなり、襲って首を絞めたことが明らかになり大学を1年(無期限停学処分により留年した2年次の春)で中退(自主退学)している(高校時代にも同様の事件を起こしてはいるものの、転校するなどしてなんとか卒業することはできた)。本件においては、犯行の際に被害者に白色スクールソックスを履かせて興奮を高めていた(3件とも)。かつて同僚だったゆうメイトが好き好んで履いていたといい、これまでの殺傷事件の被害者が全員白色スクールソックスを履いていたことがここで判明して以降は、大阪拘置所内に「白色スクールソックスは禁止」というドレスコードができたほどである。

第2回公判では、その修理工の男が出所後に購入した電子手帳に「実行記録」と名付けたデータを保存していた事実が明らかにされた。「実行記録」には、「男子中学生、私服、窒息麻酔」などと被害者の特徴や犯行内容を記録していた。「実行記録」には、殺人事件の被害者以外にも首絞め路上強盗など通り魔的犯行の被害者と見られる65人についてのデータも残されていた。もし仮にこれらが「前年に出所してからの犯行」であるとすれば、余罪は100件以上にのぼるという。以後の被告人質問における「人を殺した時の感触を鮮明に覚えており、忘れたくても忘れることができず、現在に至っても他人をいたぶらないと情緒不安定になる」との発言が示すとおり、実際、第3回公判以後にテープを再生するなどして証拠資料の提示の段階で凶行の詳しい態様が説明された日にも、拘置所に帰ってから衝動的にそこに居合わせた未決囚仲間か看守かのいずれかに殴り掛かるという暴力沙汰まで起こしている。

第4回公判の被告人質問では、警察及び検察の取調べの段階では否認していた自殺願望について、修理工の男は「これまでに3~4回自殺未遂をしたが死にきれなかったため、苦し紛れに今回の犯行を思いついた」と真の殺害動機を述べる形で「ある」と供述を翻している(控訴直後に弁護側に当てた遺書にも同様のことが書かれている)。この次の公判後から精神鑑定が行われた。

2007年2月に検察側は死刑を求刑した(その際大阪地方検察庁の検事は「被害者は全員、ただ自殺願望が強固過ぎただけで、別に犯行を持ちかけていたわけではない。よって被害者全員何の罪もなかったことは明白だ」とその理由を述べている)が、その際に求刑を被害者遺族も参加できるようにする、という初の試みがなされており、また被告本人も最終弁論において死刑になることを望んでいる。

同年3月28日大阪地裁で修理工の男に求刑通りの死刑判決が下った[3]。 その理由として、水島和雄裁判長は、以下のことを挙げた。

  • 被害者が被告と同じ自殺志願者であったことについては「直前に、被害者自身が殺していいという意思表示をした」という「刑法202条(自殺幇助及び同意・嘱託・承諾殺人、7年以下の懲役)を満たす、被告側に有利となるような要件」については、唯一の物証であるテープの冒頭部分を見る限りでは「あった」と立証できるものの、「練炭による安らかなる死、という偽りの殺害方法」を提示して誘拐したついでに「リンチもしくは拷問によって」これまでに数回自殺を図ったが死にきれなかったために味わった被告自身の「生き地獄の責め苦」を「自らの性的欲望を満たす意味合いも兼ねて被害者にも強要していた」という、「殺され方を選択できる余地がなかった」被害者の望んでいた、あるいは期待していた「最初に提示されていた、練炭による安らかなる死」とは180度異っているという途中経過の差異を見るからに、同じ自殺志願者仲間のやるようなこととは到底思えず、結果の重大性を左右できるようなものでもありえない、ということで前述の「刑法202条に基づいた、死刑回避できるような減刑事由」に相当しかねること。
  • 男性2人の殺人については自首が成立するとともに、遺族に対しては反省や謝罪の言葉をしきりに口にしており、最終弁論の最後においては土下座もしているという言動を見る限り、法律の上では弁護側が主張したとおりの「減刑事由」に相当するものの、それ以前に被告は罪状の過少申告をして減刑を勝ち取ったり、また今回の事件について言えば下準備や証拠隠滅工作を重ね、完全犯罪をほぼ達成できていたという事実を見るからに、完全責任能力を有していたばかりか、また過去の連続(強盗)傷害罪の再犯併合罪加重がたちはだかっているという事実と合わせ、第1の殺人について言えば準婦女暴行致死罪が成立するような状況だったとの事実認定ができる以上は、いくら自首したり土下座して謝罪したからとはいえ「死刑回避できるような減刑事由」に相当しかねること。
  • 1年以上にわたって行われた精神鑑定によると、被告人は両親から、特に元警察官である父親からは独自の逮捕武術から派生した窒息によるリンチ虐待を受けていたということが被告の言う「4つの性癖(白色スクールソックス、窒息、唯一効力のある「精神安定剤」が他人をいたぶることであること、そのことを苦にしたことで生じた自殺願望)」の根本となっていると言う事実を察するに、元々うつ病で騙されやすい体質の被害者全員はもちろんのこと、似たような境遇である被告もお互い何の非もなく悲劇的であり同情に値するが、これまでに検察側や被告本人が主張した通りに被告の「4つの性癖」は、本判決までに120人以上を殺傷して裁判所と塀の外を行ったりきたりして「非行歴も含めて、前科5犯の再犯者(しかも前科の内容は5つとも全く同じもの)」となっているという事実を見る限り非常に根深いものがある以上、手のほどこしようがないと断言することができ、さらには今回の殺害動機とも因果関係があるとも立証できた時点で、矯正・更生の見込みは極めて絶望的であり、最終弁論において被告本人自身もそうであると認めている以上、弁護側のみが主張した「死刑回避できるような減刑事由」に相当しかねるということは明白であり、被害者遺族及び関係者の理解できる処罰感情の峻烈さと相俟って、死をもって償わせるしか被害者・被告など当事者全員を救う方法はないこと(この連続リンチ殺人事件というのは、虐待を受けたことによって生じた犯人側の「難病」に原因があったとの立証ができると事実認定した。最判平13.12.6および18.1.17)。

弁護側は即日控訴した[4]ものの、修理工の男が2007年7月5日付けで弁護人の控訴を取り下げたため、死刑が確定した[5]。 その際修理工の男は、刑事訴訟法475条2項に則って半年以内、できれば3ヶ月以内に、少なくとも自分は宮崎勤もしくは宅間守模倣犯であるので、遅くとも宅間みたいに1年以内に死刑を執行して欲しい、と話していた。

2007年7月7日に、控訴取り下げの無効を求める審理開始の弁護人の申し立てを大阪高等裁判所は受理した。

脚注

関連項目