住吉会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

住吉会の代紋

住吉会(すみよしかい)は、東京都港区に本拠を置く日本博徒指定暴力団。勢力範囲は1都1道1府17県。構成員は、平成19年(2007年)12月17日約6100人[1]右翼団体日本青年社[2] 大日本朱光会[3]を傘下に持つ。住吉一家を中心とした組織。

目次

[編集] 略歴

[編集] 港会

昭和33年(1958年)、住吉一家三代目阿部重作は、住吉一家を中心として、関東の博徒と的屋を連合して、「港会」を結成した。阿部重作は、港会会長に青田富太郎(幸平一家十代目総長)を据えた[4]

[編集] 住吉会(旧)

昭和37年(1962年) 阿倍重作が引退し、磧上義光が港会と住吉一家四代目を継承した。その後、磧上義光は、港会を住吉会と改称した。

昭和38年(1963年)12月 住吉会は、松葉会錦政会日本国粋会、義人党、東声会、北星会と共に、児玉誉士夫の提唱する関東会に参加した。

昭和39年(1964年)3月 警察庁は広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、山口組本多会柳川組、錦政会、松葉会、住吉会、日本国粋会東声会、日本義人党、北星会だった。

同年6月 関東会定例総会において、住吉会・磧上義光会長が二代目理事長に就任した。また、警察の第一次頂上作戦により磧上義光が逮捕され、[5] 翌年の解散につながった。

昭和40年(1965年)5月 住吉会が解散した。

[編集] 住吉連合会

昭和42年(1967年) 堀政夫が住吉一家五代目を継承すると共に、解散した住吉会を引寄せ「住吉連合」を結成し代表に就任した。

昭和47年(1972年) 住吉会、稲川会、國粹会、東亜会、交和会、義人党、松葉会、二率会、双愛会により、博徒系暴力団の親睦団体・関東二十日会が結成された。

昭和57年(1982年) 堀政夫は組織を刷新し、組織名を「住吉連合会」に改め会長に就任した。

[編集] 住吉会

平成3年(1991年)2月 西口茂男が住吉連合会会長と住吉一家六代目を継承した。西口茂男は、住吉連合会を住吉会と改称した。

平成10年(1998年)6月 西口茂男は住吉一家六代目総長のまま、住吉会理事長(住吉一家小林会二代目会長)福田晴瞭に住吉会会長を継承させ、自らは住吉会総裁となった。

平成17年(2005年)4月 福田晴瞭は住吉一家七代目を継承した。

[編集] 住吉一家歴代継承者

[編集] 住吉会最高幹部

2009年6月現在

[編集] その他の幹部

2009年4月現在

[編集] 脚注

[編集] 参考文献

他の言語