小平事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

小平事件(こだいらじけん)は、1945年昭和20年)から1946年(昭和21年)にかけて、東京とその周辺で発生した連続強姦殺人事件である。

概要[編集]

太平洋戦争末期から敗戦直後の東京において、言葉巧みに若い女性に食糧の提供や就職口の斡旋を持ちかけ、山林に誘い出したうえで強姦して殺害するという手口で行われた連続事件である。

初めの強姦・殺人事件から1年以上を経た1946年(昭和21年)8月17日、7人目の被害者女性が遺体となって発見されたが、直前にこの女性と会っていた小平義雄(こだいら よしお。当時41歳)が逮捕され、犯人であると判明した。小平が他の事件への関与も自供したことから、連続強姦殺人事件が発覚した。小平は事件10件について起訴され、3件が無罪、7件が有罪となった。1948年(昭和23年)11月16日、小平に対する死刑判決が確定し、翌年10月に執行された。

事件[編集]

第1の事件
1945年(昭和20年)5月25日、勤務していた海軍衣糧廠で女子寮に侵入して21歳女子隊員を強姦して殺害。憲兵隊が捜査の際に、別の男に嫌疑がかかった隙をみて、小平は退職をして寮を抜け出した。
第2の事件
同年6月、東武新栃木駅で31歳女性を農家を案内すると山林に誘い出し、3度強姦したのちに絞殺。現金70円と腕時計を奪った。遺体は9月10日に発見された。
第3の事件
同年7月12日、渋谷駅で22歳女性を農家に案内すると山林に誘い出し、女性に持っていた小刀を突きつけられたが、逆に奪い取って馬乗りになって絞殺。現金40円入りの財布と腕時計を奪った。
第4の事件
同15日、池袋駅で21歳女性に農家を案内すると声をかけて雑木林に彼女を連れこみ強姦、絞殺。現金60円と下駄1足を奪った。遺体は11月5日に白骨死体となって見つかった。
第5の事件
同年9月28日、東京駅で21歳女性に農家を案内すると声をかけ、山村に連れこみ強姦・絞殺。現金300円と、物々交換のために持って来ていた縮緬洋服を奪った。遺体は11月1日に発見された。
第6の事件
同年12月29日、東武浅草雷門駅で21歳女性に農家に案内すると声をかけ、栃木県の山村に連れ込んで強姦・絞殺。現金130円入りの財布リュックを奪った。
第7の事件
1946年(昭和21年)8月6日、就職の斡旋をすると6月18日に声をかけていた17歳女性を公園裏に連れだし乱暴し殺害。8月17日に遺体が発見された。この事件では6月に声をかけられた被害女性が小平と住所を交換し、8月4日に彼女の自宅を訪ねて母親が小平と会っていたため、8月6日に女性が小平と出かけたことが判明し、逮捕された。

小平義雄[編集]

1905年明治38年)1月28日生まれ。子供の頃から吃音症であった。1923年大正12年)6月に横須賀海兵団に入団、海軍軍人となったが、戦地として赴いた中国山東出兵)においても婦女暴行妊婦の殺害などを行っていたという[1]。1924年5月海軍三等機関兵曹として退役。その後小平は結婚したが、浮気相手である女性に子供を産ませていた。1932年(昭和7年)7月、それを知った妻が小平から離れて実家に戻ったところ、逆上した小平は妻の実家を襲撃、鉄棒で義父を殺害し、6人を負傷させた。この殺傷事件で小平は懲役15年の有罪判決を受けたが、二度の恩赦によって1940年(昭和15年)に仮出所した。

逮捕後の取り調べおよび公判での本人質問の際に「戦争の時はわしよりむごいことをした連中を知っていますが、平和なときにわしだけひどいことをした者はいないと思います。全く人間のすることじゃありません」と答えた。

なお一審から上告審までの弁護人は小平本人の希望で元司法次官で元大審院部長の三宅正太郎 が弁護人を務めた他公判では当時は許可されていた法廷内での写真撮影、インタビューには一切応じず三宅正太郎弁護士を通じて法廷内での写真撮影の一切の禁止を求め認められた事が後の法廷内における撮影、録音の禁止、取材活動の制限に繋がることになった。

死刑[編集]

死刑判決直後は粗暴な態度が目立った小平であったが、面会に来た妻が自責の念を泣いて告白したことや、また教誨師との交流を通じて、次第に態度を改めていった。1949年(昭和24年)10月5日に死刑執行。当日、教誨師に対し「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と言った。そして、「自分は荘厳な気持ちですべてを清算し、静かな気持ちで死んで行きます。長い間、お世話になった人々によろしくお伝え下さい。家族の者もどうぞ天命を完うしてください」とする遺書と「亡きみ霊、赦し給へし過去の罪、今日を最後に深く果てなん」という辞世の句を残した。

映画化[編集]

映画化作品と犯人役の一覧である。

その他[編集]

  • 第7の事件で被害者となった17歳女性は、大相撲の立行司第24代 木村庄之助の実娘であった。
  • 女性へ職の斡旋をして山林に誘い出して殺害する似たような事件が1948年に発覚し、『第二小平事件』と呼ばれた。
  • 殺人犯・大久保清は「群馬の小平」と言われた
  • 映画『男はつらいよ』には渥美清演じる車寅次郎が、「助平の始まりは小平の義雄」と語る場面がある。

脚注[編集]

  1. ^ 「新評」1971年(昭和46年)1月号、予審調書:「上海事変当時、太沽では強姦のちょっとすごいことをやりました。仲間4、5人で支那人の民家へ行って父親を縛りあげて、戸棚の中へ入れちまって、姑娘を出せといって出させます。それから関係して真珠を取ってきてしまうんです。強盗強姦は日本軍隊のつきものですよ。銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で刺して子供を出したりしました。私も5、6人はやっています。わしも相当残酷なことをしたもんです。」

関連項目[編集]