「さいたま市」の版間の差分

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* [[鈴木葉留彦]] - 野球
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* [[反町康治]] - サッカー、[[湘南ベルマーレ]]監督・[[北京オリンピック|北京五輪]]日本代表監督
* [[反町康治]] - サッカー、[[松本山雅FC]]監督・[[北京オリンピック|北京五輪]]日本代表監督
* [[田口禎則]] - サッカー
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* [[永井良和]] - サッカー、[[浦和レッドダイヤモンズ・レディース]]監督、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原]]・[[アルビレックス新潟]]プロ化後初代監督(浦和区)
* [[永井良和]] - サッカー、[[浦和レッドダイヤモンズ・レディース]]監督、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフ市原]]・[[アルビレックス新潟]]プロ化後初代監督(浦和区)
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* [[吉野誠]] - 野球(見沼区)
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2012年1月21日 (土) 13:45時点における版

さいたまし ウィキデータを編集
さいたま市
 
さいたま市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11100-7
法人番号 2000020111007 ウィキデータを編集
面積 217.43km2
総人口 1,345,724[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 6,189人/km2
隣接自治体 上尾市川口市朝霞市川越市
志木市戸田市蓮田市
富士見市蕨市春日部市
越谷市南埼玉郡白岡町
市の木 ケヤキ
市の花 サクラソウ
他のシンボル 市の花木:サクラ
市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」
市の愛称:のびのびシティ さいたま市
市の歌:『希望のまち
作詞:福原くにこ
作曲:タケカワユキヒデ
さいたま市役所
市長 清水勇人
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
さいたま市役所・浦和区役所
さいたま市役所・浦和区役所
外部リンク さいたま市

さいたま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

さいたま市行政区画図

特記事項 さいたま市の旧境界
旧4市の境界
  1. 旧・浦和市
  2. 旧・大宮市
  3. 旧・与野市
  4. 旧・岩槻市

ウィキプロジェクト

さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置するで、同県の県庁所在地である。政令指定都市

概要

2001年5月1日浦和大宮与野の3市の合併により成立した埼玉県県庁所在地政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月1日には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生して10区体制となった。

日本で9番目に多くの人口を抱える市であり、新幹線をはじめ周辺各地の鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。

市政

  • 面積:217.49 km²
  • 人口:1,214,077人
    • 男性:608,325人
    • 女性:605,752人
  • 世帯数:507,393世帯
  • 人口密度:5,582人/km²

(2010年1月1日現在、面積以外は推計人口による[1]


さいたま市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


健康

(2010年9月1日現在)

  • 平均年齢:41.94歳(男=40.96歳、女=42.92歳)

インフラ整備の状況

  • 都市計画道路整備率:44.5%(平成21年度末)
  • 下水道普及率:86.6%(平成21年度末)

都市計画事業

現在、市内では旧大宮市の中央に位置した富士重工業の工場跡地を都市再開発する「北部拠点宮原土地区画整理事業」を実施している。

地理

幸魂大橋

日本の首都である東京の都心部から北に約20-30 km、関東平野の中央部に位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。また、東京から最も近い県庁所在都市である。

関東平野に位置する当市には山岳丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。海抜が20mを超える地区は殆どない。荒川の近い市西部に低地が広がるほか、元荒川芝川綾瀬川などの中小河川周辺に谷状の地形がみられる。市中央部・東部はこのような低地・谷地を除けば市の北方から市南部に連なる大宮台地上に位置する。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。

気候はケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的に見られるように夏季に比べ冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京23区横浜市千葉市といった近隣の沿岸部諸都市と比べ、より顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区にある)における1979年から2000年までの22年間の記録によると、年平均気温は14.6℃、年間平均降水量は1338.0mmである。

内陸にある市としては札幌市京都市に次ぐ人口を有する一方、面積は217.49平方キロメートルであり、政令指定都市としては川崎市堺市に次いで3番目に狭い。ただし、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。また、さいたま市は内陸県にある唯一の政令指定都市である。

東北新幹線上越新幹線が分岐し、多くの在来線の路線も交錯、また東北自動車道東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。

主要な商業・業務地は浦和駅さいたま新都心駅大宮駅といった市内を南北に縦断する東北本線の主要駅周辺のほか、東武野田線岩槻駅周辺に点在しており、その周囲を住宅地が取り囲んでいる。一方、荒川芝川綾瀬川といった河川周辺の低地のうち、鉄道駅から離れた地域には農地が多い。

河川・湖沼


さいたま市(さいたま地域気象観測所)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.7
(65.7)
25.5
(77.9)
26.9
(80.4)
31.2
(88.2)
34.2
(93.6)
38.0
(100.4)
39.3
(102.7)
38.7
(101.7)
37.4
(99.3)
33.1
(91.6)
26.1
(79)
25.1
(77.2)
39.3
(102.7)
平均最高気温 °C°F 9.4
(48.9)
10.3
(50.5)
13.7
(56.7)
19.2
(66.6)
23.8
(74.8)
26.5
(79.7)
30.5
(86.9)
31.8
(89.2)
27.7
(81.9)
21.9
(71.4)
16.5
(61.7)
11.7
(53.1)
20.3
(68.5)
日平均気温 °C°F 3.9
(39)
4.9
(40.8)
8.4
(47.1)
13.7
(56.7)
18.6
(65.5)
22.0
(71.6)
25.9
(78.6)
27.0
(80.6)
23.2
(73.8)
17.5
(63.5)
11.4
(52.5)
6.2
(43.2)
15.2
(59.4)
平均最低気温 °C°F −1.1
(30)
−0.2
(31.6)
3.3
(37.9)
8.4
(47.1)
13.9
(57)
18.3
(64.9)
22.2
(72)
23.2
(73.8)
19.5
(67.1)
13.5
(56.3)
6.8
(44.2)
1.2
(34.2)
10.8
(51.4)
最低気温記録 °C°F −9.8
(14.4)
−8.8
(16.2)
−5.0
(23)
−2.0
(28.4)
4.8
(40.6)
11.5
(52.7)
14.7
(58.5)
16.3
(61.3)
9.5
(49.1)
3.6
(38.5)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−9.8
(14.4)
降水量 mm (inch) 42.4
(1.669)
39.6
(1.559)
88.0
(3.465)
101.9
(4.012)
121.4
(4.78)
144.8
(5.701)
148.0
(5.827)
164.0
(6.457)
202.8
(7.984)
196.8
(7.748)
70.9
(2.791)
45.2
(1.78)
1,371.3
(53.988)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 3.8 4.6 8.7 9.0 10.0 11.6 11.8 8.8 10.8 10.0 6.7 4.4 100.8
平均月間日照時間 201.4 186.4 186.6 187.1 185.3 128.4 152.5 181.9 135.6 135.1 156.6 181.1 2,018
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[2][3]

歴史

沿革

さいたま市成立以前の年表は、さいたま市の新設合併に関するもののみ記載している。それ以外の構成旧市ごとの歴史については、浦和市大宮市与野市岩槻市、またはこれらの市に編入された町村の記事を参照。

  • 1980年(昭和55年)10月 - 県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市大宮市上尾市与野市伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。
  • 1982年(昭和57年)9月 - 「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
  • 1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
  • 1990年(平成2年)7月 - 「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
  • 1991年(平成3年)4月 - 「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色だった現職の中川健吉を破っての就任であった。
  • 1992年(平成4年)4月 - 国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
  • 1993年(平成5年)6月 - 旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。
  • 1993年(平成5年)12月 - 4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
  • 1995年(平成7年)7月19日 - 上尾市が、浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
  • 1997年(平成9年)12月18日 - 浦和市・大宮市・与野市による任意協議会設置。
  • 2000年(平成12年)4月29日 - 3市による法定協議会設置。
  • 2000年(平成12年)9月5日 - 合併協定調印式
  • 2000年(平成12年)9月25日 - 合併関連議案を、3市の市議会が可決。
  • 2000年(平成12年)12月22日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
  • 2001年(平成13年)1月25日 - 官報告示
  • 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。
    人口50万の規模の大きい「双子都市」を含む合併として注目を集めた。同様の「双子都市」合併例としては、他に2003年静岡市清水市の合併がある(ただし静岡市と清水市の人口は大きな差があった)。
  • 2001年(平成13年)7月29日 - 上尾市が、「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施し、その結果は「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」となった。
  • 2001年(平成13年)8月6日 - 伊奈町が、「合併協議を断念する」と返答する。
  • 2001年(平成13年)8月8日 - 上尾市が、「合併協議を辞退する」と正式に返答する。
  • 2002年(平成14年)3月19日 - さいたま市議会が、「政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
  • 2002年(平成14年)3月20日 - さいたま市が、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
  • 2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会が、「政令指定都市の指定促進に関する意見書」を可決。
  • 2002年(平成14年)8月9日 - さいたま市が、総務大臣に政令の改正(政令指定都市移行)を要望。
  • 2002年(平成14年)10月25日 - 閣議決定
  • 2002年(平成14年)10月30日 - 政令公布
  • 2002年(平成14年)11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
  • 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施し、その結果は「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」となった。
  • 2003年(平成15年)2月5日 - これを受けて、岩槻市はさいたま市に対して合併協議を申入れる。
  • 2003年(平成15年)2月24日 - さいたま市は、「岩槻市との合併について検討に入る」と返答する。これを受け、岩槻市議会が「さいたま市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
  • 2003年(平成15年)3月12日 - さいたま市議会が「岩槻市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に指定、9つの行政区が発足。
  • 2003年(平成15年)4月21日 - 2市で連絡会「さいたま市・岩槻市合併問題連絡会議」設置。
  • 2003年(平成15年)7月15日 - 2市による任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。
  • 2004年(平成16年)6月25日 - 2市による法定協議会設置。
  • 2004年(平成16年)8月24日 - 合併協定調印式
  • 2004年(平成16年)9月29日 - 合併関連議案を、岩槻市議会が可決。
  • 2004年(平成16年)10月13日 - 合併関連議案を、さいたま市議会が可決。
  • 2004年(平成16年)12月20日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
  • 2005年(平成17年)1月26日 - 官報告示
  • 2005年(平成17年)3月25日 - さいたま新都心へのさいたまタワーの誘致に失敗。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。

地区

さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。

近世の浦和は中山道宿場町浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。

旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。関東大震災での被害が小さかったことから大正時代以降東京神奈川からの移住者が相次ぎ人口が増えた旧浦和市は瑛九高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあり、同時にサッカーの盛んな地としても知られるようになる。また、旧市内には埼玉大学浦和高校埼玉県立浦和図書館などの機関が設置されている。東京都心への利便性が良い事から合併前の時点で埼玉県内最大の人口を擁しており、合併後の現在、旧浦和市域単独でも人口が50万人を超えている。

旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、鉄道交通の結節点として多くの企業の支店が置かれ商業、業務機能が集積し、「県都」、「文教都市」浦和に対し「商都」、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地として発展した。また東北上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたがる貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地は後にさいたま新都心となった。

旧与野市は明治時代初期など浦和、大宮両宿場町よりも栄えていた時期もあり、当時は「大きな買い物は与野でする」と言われた。その後県都としての機能が集積した浦和と交通の要衝として発展した大宮に挟まれた住宅街として発達するが、市内を通る国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれるようになった。

旧岩槻市はかつての城下町であり、江戸時代にはこの地域の中心的な町であった。埼玉県の県庁は当初城下町の岩槻に置かれる予定であったが、県庁舎に適した建物がなかったことなどから旧浦和県庁を使用することになり、現在に至る。東武野田線岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形のまち」として全国的に知られる。東京7号線埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、これはかつての計画線・武州鉄道とほぼ同じルートである。

なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。しかし実際には合併後にも旧浦和市域で積極的な商業開発がなされていたり、旧浦和市中心部以外でもさいたま新都心に国の行政機能の一部が移転されている。

旧市間の関係

さいたま市は浦和と大宮というほぼ同規模の都市の合併を伴って誕生した経緯もあり、しばしば旧市間の軋轢が指摘される。これを含め、旧市間の関係について記述する。

市街地の連檐

現在さいたま市を構成する旧4市域のうち、岩槻市を除く3市は、市の中心部同士の距離が近い。1960年(昭和35年)国勢調査において初めて人口集中地区(DID)が定義された時点において、既にこの3市の中心部を含む人口集中地区は互いに接しており、市街地が連檐していた。一方、この時点ではこの人口集中地区と他市町村の人口集中地区とは接していなかった。

過去の合併構想

現さいたま市域周辺では、第二次世界大戦前から浦和・大宮・与野の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」など)や、さらに蕨・川口などを含む地域でのさらに大きな規模の合併など、多くの合併構想が提起されてきたが、さいたま市成立までその構想が実現することはなかった。

  • 1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出す。当時、埼玉県内で市制を施行したのは川越市だけであった。
  • 1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」として打ち出す。
  • 1933年(昭和8年) - 熊谷川口が相次いで市制を施行。合併論が再燃する。
  • 1934年(昭和9年) - これを受けて、「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・さいたま市水道局)が設立。後の合併の礎となる。
  • 1939年(昭和14年) - 浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗する。
  • 1940年(昭和15年) - 埼玉県が仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入る。六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
  • 1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動が起きる。
  • 1943年(昭和18年) - これを受けて、埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想を打ち出す。
  • 1954年(昭和29年) - 埼玉県が、いわゆる「昭和の大合併」の合併試案で、二市一町と大久保・土合の二村を加えての合併試案が示される。またもや、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
  • 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をすると言うものだった。
  • 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった、都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。

名称問題

浦和市大宮市与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。

『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後に合併した旧岩槻市南埼玉郡に属する)。単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても、例えば「与野」の地名が消滅したなどの批判がある[4]

名称選定までの推移 [5]

  • 1997年(平成9年)
    • 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
    • 10月30日 - 3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
  • 1999年(平成11年)
    • 8月31日 - 第14回第2小委員会開催。新市名検討委員会の報告に基づき、市名の公募の実施が合意される。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月10日 - 市名の公募が実施される。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。
    • 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
    • 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』(公募2位)、大宮市から『大宮市』(3位)の2つの市名案が提案される。尚、『大宮市』の名称は新市名検討案の市名候補5案にはないものだった。
    • 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないで欲しいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
    • 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。新市名を『さいたま市』とすることが合意される。
    • 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』(公募2位)とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。
    • 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。

市名公募の結果 [6]

応募総数67,665件、うち無効269件

順位 市名 応募件数 順位 市名 応募件数
1位 埼玉市 7,117 11位 浦野宮市 920
2位 さいたま市 3,821 12位 和野宮市 875
3位 大宮市 3,008 13位 埼京市 827
4位 彩玉市 2,588 14位 新埼玉市 771
5位 彩都市 2,495 15位 彩の国市 685
6位 浦和市 1,821 16位 大浦野市 579
7位 さきたま市 1,374 17位 彩央市 506
8位 大和野市 1,131 18位 宮野浦市 488
9位 彩京市 1,025 19位 氷川市 486
10位 彩市 962 20位 大野浦市 479
37位 関東市 217

さいたま市役所の位置に関して

旧浦和、大宮、与野市にまたがってさいたま新都心が建設されてからは、さいたま新都心が浦和・大宮両都心に次ぐ「第三極」となっている。このことから大宮市は合併時に、新市の名称を「大宮市」とする主張を取り下げるかわりに新市庁舎のさいたま新都心への建設を主張したが、結局「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」という玉虫色の妥結がとられている(#名称問題を参照)。

また合併した三市の他にYOU And I(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈から頭文字が取られている)構想に組み込まれていた上尾市と伊奈町も合併すると新市の地理的中心は旧大宮市となることから、大宮市議会は上尾市の合併離脱を取り下げるよう説得を行っていた。

また、前述の宮原土地区画整理事業敷地の一角に北区の区役所が設置されているが、かつて大宮市議会は、ここに大宮市の新しい市役所を建設する計画があったために、新市の市役所として活用する案を推していた。政令指定都市に移行時に建設された北区役所の庁舎はプレハブ造の仮庁舎で業務をしていたが、建設予定地だった場所に北区役所本庁舎を中心とした「プラザノース」が建設され、2008年4月28日に新庁舎での業務を開始した。この北区役所の周辺の土地は長く更地の区画が多かったが、建築物が建つようになりつつある。だが、どれも仮設的に建設されたものが多いために再々開発される可能性は残されている。

ただし、財政上の問題もあり早急な市役所本庁舎の移転建設は予定されていない。

埼玉県庁の位置に関して

埼玉県では、明治維新以降度々県庁の位置をめぐる綱引きが行われており、その多くに浦和大宮が関わってきた。1869年以降県庁が置かれる浦和、交通の要衝である大宮、旧城下町であり一時は埼玉県庁の設置が予定されていた岩槻と、県庁をめぐる様々な動きの渦中にあった三つの街が、一つの大都市となる珍しい経緯を持つことになった。

  • 1869年(明治2年) - 1月、大宮県が誕生。名目上の県庁所在地は大宮宿であったが、実質的な県庁機能は殆どなかった。9月、浦和住民の土地の提供や川口住民の請願により、県庁は浦和宿に置かれることとなり(設置は翌10月)、県名も浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩が岩槻県になる。11月、岩槻・浦和・忍の3県が合併して、埼玉県が誕生。太政官は県庁を岩槻町におくよう達したが、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務が行われることとなる。(同時に、西部・北部・秩父地方では川越県品川県を併せて入間県が誕生する。その後1873年(明治6年)6月に入間県は群馬県と合併し熊谷県となる。)
  • 1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県が合併、現在の埼玉県の領域がほぼ確定する。この際、県庁所在地は浦和宿となった。
  • 1886年(明治19年) - 1884年(明治17年)の秩父事件への対応の遅れなどから県庁所在地の偏りの弊害が指摘され、熊谷町への移転運動が浮上。しかし熊谷に支庁を設置することで対応し、県庁は浦和に残る。
  • 1890年(明治23年) - 9月25日勅令により、正式に浦和町が県庁所在地となる。
  • 1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会が熊谷町への移転建議を可決。しかし、翌1898年(明治31年)1月27日内務省より「不可」との通知が下る。
  • 1948年(昭和23年) - 10月25日、放火により県庁の大部分が焼失すると、その後3日のうちに大宮、熊谷が県庁の誘致に乗り出し、浦和大宮熊谷3市の激しい誘致合戦となる。
  • 1950年(昭和25年) - 県庁復興対策特別委員会における浦和と大宮の決選投票の結果、県庁の浦和市残留が決定。

鉄道駅に関して

県庁、および県内の主要な教育施設が設置されてきた浦和は数多くの行政施設、文化施設が設置され「県都」、「文教都市」として発展してきた。一方、新幹線など多くの鉄道の結節点となっている大宮駅を擁する大宮は、交通の要衝であるほか、埼玉県有数の経済都市として発展した。なお2008年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は約24万人で、これはJR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位であり、県内においてはトップの座にある。

  • 1883年(明治16年) - 8月、日本鉄道により現在の東北本線及び高崎線の一部、上野~熊谷間の鉄道が開通。県庁所在地である浦和に駅が設置される。大宮には駅が設置されなかった。
  • 1885年(明治18年) - 3月、大宮に駅が設置される。7月、現在の東北本線の大宮~栗橋間の鉄道が開通。建設にあたり鉄道の分岐点としてさまざまな案が出されその中で浦和、大宮はともに候補として挙げられていた。しかし大宮住民の土地の提供などの誘致運動や鉄道が浦和分岐となることで分岐した北側で経由することになる岩槻の住民による鉄道反対運動(これについては鉄道忌避伝説によるものとの疑いも否定できない)、アメリカ人技師のクロフォードによる大宮案の支持などにより、分岐点案は最終的に大宮と桐生・足利などの機業家の支持を受けた熊谷の2案で争われ、コスト面から大宮に決定した。
  • 1894年(明治27年) - 大宮駅に鉄道工場が併設される。

行政区と「区の色」

以下の10区で構成される。「区の色」は市内の小中学生から募集し、区のイメージカラーとして2005年4月に制定された。市の広報誌やポスター等に使用されている。

さいたま市の行政区
区名 団体コード 設置 地域 面積 人口 世帯数 区の色 区の花
西区 11101-5 2003年4月1日 大宮市西部 29.14km² 84731人 34260世帯 あお アジサイ
北区 11102-3 2003年4月1日 旧大宮市北部 16.91km² 140528人 60965世帯 ふかみどり 菜の花
大宮区 11103-1 2003年4月1日 旧大宮市南部 12.75km² 109681人 49431世帯 オレンジ さくら
見沼区 11104-0 2003年4月1日 旧大宮市東部 30.63km² 158354人 65856世帯 そらいろ クマガイソウ
中央区 11105-8 2003年4月1日 与野市 8.39km² 96526人 42128世帯 バラ色 バラ
桜区 11106-6 2003年4月1日 浦和市西部 18.6km² 96715人 42352世帯 さくら色 サクラソウ
浦和区 11107-4 2003年4月1日 旧浦和市北部 11.51km² 145320人 62960世帯 あか ニチニチソウ
南区 11108-2 2003年4月1日 旧浦和市南部 13.89km² 175794人 75527世帯 レモン色 ヒマワリ
緑区 11109-1 2003年4月1日 旧浦和市東部 26.51km² 111213人 43396世帯 みどり サクラ
岩槻区 11110-4 2005年4月1日 岩槻市 49.16km² 111095人 43393世帯 やまぶき色 やまぶき

※中央区には旧浦和市(上木崎1丁目)・大宮市(錦町・吉敷町2丁目・北袋町1丁目)のうち東北本線線路西側の地区が含まれ(現在の地番は「新都心」)、大宮区には旧浦和市の大原6・7丁目が含まれるなど一部旧市域と異なる地区あり

政治

  • 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
  • 2003年4月13日 - 初の市議会一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2004年12月26日 - 南区選出議員の補欠選挙。
  • 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の増員選挙。浦和区選出議員の補欠選挙。議員定数を71に増加。
  • 2007年4月8日 - 市議会一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2009年5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の補欠選挙。
  • 2011年4月10日 - 市議会一般選挙。議員定数を60に削減。

行政

さいたま市歴代市長
氏名 就任 退任 期・備考
井原勇 2001年5月1日 2001年5月26日 市長職務執行者
1983年5月1日-2001年4月30日まで与野市長として5期在任
相川宗一 2001年5月27日 2005年5月26日 1期・1991年5月2日-2001年4月30日まで浦和市長として3期在任(通算4期)
2 2005年5月27日 2009年5月26日 2期(通算5期)
3 清水勇人 2009年5月27日 現職 1期

過去の市長選挙

2009年5月24日さいたま市長選挙 投票率 42.78% 有権者数 953,436人 有効投票数 403,867票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
155,966 清水勇人 無所属
98,816 相川宗一 無所属
62,991 中森福代 無所属
32,249 日下部伸三 無所属
27,448 松下裕 無所属
26,397 高橋秀明 無所属

さいたま市議会

さいたま市議会を参照

国政

本市における衆議院小選挙区は、3つに区分されている。

埼玉県第1区:見沼区、浦和区、緑区、岩槻区
埼玉県第5区:西区、北区、大宮区、中央区
埼玉県第15区:桜区、南区、(蕨市戸田市

県政

本市における県議会の議員定数は15で、行政区ごとに選挙区を区分している。

南第3区:西区(定数1)
南第4区:北区(定数2)
南第5区:大宮区(定数1)
南第6区:見沼区(定数2)
南第7区:中央区(定数1)
南第8区:桜区(定数1)
南第9区:浦和区(定数2)
南第10区:南区(定数2)
南第11区:緑区(定数1)
南第12区:岩槻区(定数2)

広報活動

市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。[7]

主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『きらめきいっぱい さいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[8]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。

市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[9]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[10]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。

消防

警察

第一方面本部、さいたま市警察部、交通管制センターを併設

その他警察施設

  • 交通機動隊(西区)
  • 警察学校(北区)
  • 高速道路交通警察隊岩槻分駐隊(岩槻区・東北自動車道岩槻インターチェンジ内)
  • 鉄道警察隊(大宮区・大宮駅西口)
    • 大宮駅派遣所
    • さいたま新都心駅派遣所
  • 音楽隊(北区)
  • 運転教育課大宮分室(北区)
  • 国外運転免許センター(大宮区)
  • 関東管区警察局埼玉県情報通信部(浦和区)
  • 関東管区警察局岩槻高速道路管理室(岩槻区)

県の出先機関

埼玉県庁(浦和区)
  • さいたま農林振興センター(浦和区)
  • さいたま県土整備事務所(南区)
  • 企業局大久保浄水場(桜区)
  • 企業局第一水道建設事務所(桜区)
  • 中央産業労働センター(浦和区)
  • 埼玉県計量検定所(北区)
  • 埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
  • 埼玉県立職業能力開発センター(北区)
  • ヤングキャリアセンター(大宮区)
  • 埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
  • 埼玉県衛生研究所(桜区)
  • 中央家畜保健衛生所(北区)
  • 中央環境管理事務所(浦和区)
  • 浦和県税事務所(浦和区)
  • 大宮県税事務所(大宮区)
  • 自動車税事務所(西区・納税部門は大宮区)
  • 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)(中央区)
  • 競技事務所(大宮区)
  • 中央地域創造センター(浦和区)
  • パスポートセンター(大宮区)
  • 南部教育事務所(浦和区)
  • 埼玉県立総合教育センター(緑区)
  • 埼玉県立文書館(浦和区)
  • 工業技術研究所(浦和区)
  • 埼玉県土地開発公社(浦和区)
  • 県民生活部交通安全課交通事故相談所(浦和区・埼玉県庁内)
  • 荒川左岸南部下水道事務所(南区)
  • 別所沼会館(南区)
  • 食肉衛生検査センター(中央区)
  • 母子福祉センター(大宮区)
  • 埼玉県救急救命士養成所(桜区)
  • 産学連携支援センター埼玉(中央区)
  • 障害者交流センター(浦和区)
  • 児童養護施設いわつき(岩槻区)
  • さいたま労働時間等相談センター(浦和区)

国の出先機関

合同庁舎などの行政機関が集積するさいたま新都心

経済

大宮ソニックシティ
NACK5サテライトスタジオが入居する大宮アルシェ
浦和ロイヤルパインズホテルや浦和美術館などが入居する浦和センチュリーシティー

産業

文化

教育機関

大宮法科大学院大学

小中学校及び高等学校、特別支援学校等は各区を参照。

公立小学校の飽和問題

人口増加の続くさいたま市では、「過大規模」とされる小学校の多さが指摘されている。2002年の時点では、全国に17校しかなかった「児童数1200名以上の公立小学校」のうち4校がさいたま市で占められており、更に2005年2006年にはそれが5校に増加した(南区の沼影小、大宮区の三橋小、北区の宮原小・大砂土小、見沼区の大砂土東小)。また一般に「過大規模」とされる31学級以上の小学校も2006年現在で9校(上記に加え南区の辻小、北区の日進小・日進北小、見沼区の春岡小)ある。これに鑑み、さいたま市では教育委員会内に「大規模校教育環境整備推進検討会議」、「大規模校解消プロジェクト会議」が設置され、大規模校の施設改善のあり方・地区の実情に合わせた学校新設・通学区域の見直し等の全市的な取り組みが始められている。また、2007年には南区に「辻南小学校」、2009年には北区に「つばさ小学校」が開校し、さらに、緑区に「美園小学校」が2012年に新設される予定である。

また、桜区の東日本鉄工工場跡地に862戸(実際は812戸)のマンションが建設されたが、着工時に開かれた住民説明会では1,000人の児童が増えることが見込まれるという説明があった。だが、市当局は2006年1月20日の審議会でマンションの世帯数から実際の児童数は100人から150人にとどまるだろうという見解を示している。[1]

スポーツ

サッカー

2007年、浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグで優勝した際に真っ赤なイルミネーションで飾られた浦和駅西口。
同じく東口。

さいたま市は、旧浦和市を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校浦和西高校浦和市立高校浦和南高校が次々と全国制覇し、サッカー王国・埼玉の名を轟かした。近年ではJリーグに所属の2チーム、浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャを本拠地に置き、人気を博している。両チームの対戦はさいたまダービーと呼ばれている。

また女子サッカーなでしこリーグ(旧L・リーグ)所属の浦和レッドダイヤモンズ・レディースのほか、かつてL・リーグに所属し現在は関東女子リーグに加入の浦和本太レディースFCがあり、そのほかにも各年代のチームが男女ともに活動している。

2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区埼玉スタジアム2002で行われた。

2007年9月30日にはJR大宮駅の2番線に大宮アルディージャ公式ソング『Vamos Ardija』が、10月1日にはJR浦和駅の1番線に浦和レッズ公式応援歌『Keep On Rising』がそれぞれ発車メロディとして流れることになった。

バスケットボール

バスケットボールについては、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区さいたまスーパーアリーナにて行われた。

野球

野球も市内で盛んであり、県営や市営の野球場が多数占めている。高校野球においては、大宮工業高校1968年埼玉県勢唯一の選抜高校野球大会優勝を果たしている他、最近では浦和学院高校といった強豪校が存在している。社会人野球においても、戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍で全国にその名を轟かせた。戦後は、浦和市に本拠に置いた日本通運1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権の優勝を果たした。また、多くのプロ野球選手を輩出している。

スポーツ文学賞

さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、隔年で実施されている。受賞作品集『SPORTS STORIES』が毎回刊行されている。

スポーツ施設

さいたまスーパーアリーナ正面の夜景
埼玉スタジアム2002

サッカー

野球

その他

観光

名所・旧跡

氷川神社
別所沼公園
埼玉県立近代美術館
鉄道博物館
彩の国さいたま芸術劇場
さいたま新都心・けやき広場のイルミネーション

観光スポット

祭事・催事

特産品

  • 盆栽(北区の土呂駅大宮公園駅付近には、関東大震災の際に盆栽業者が集団移住した通称「盆栽村」がある。この周辺は、後に住居表示においても盆栽の名前が採用されて「盆栽町」と命名されている。)
  • 岩槻人形ひな人形)(岩槻区の中心部は、古くから「人形の街」として有名。経済産業大臣指定伝統的工芸品
  • 慈姑(緑区は、国内有数の産地として知られている。)
  • (岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している。)

料理

  • ウナギ蒲焼(浦和は鰻の蒲焼発祥の地とされており、江戸時代、浦和近郊は沼地が多く、魚釣りなどを楽しむ行楽客に沼地でとれたうなぎを出したのが始まりと言われている。現在でも浦和地区の名物として知られ、2002年から「うなぎまつり」が開催されている。)
  • ケーキ(総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)平均より>によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
  • 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる。)

交通

鉄道路線

埼玉高速鉄道線
埼玉新都市交通伊奈線

路線バス

市の全域で民営バスによる運行が行われており、主に南部は国際興業バス、北部は東武バスウエストが運行している。公営交通(市営バス)の運行実績はない。乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMOSuica(非接触型IC乗車カード)が利用でき、乗車時に読取機にタッチし、降車時に運賃箱に併設された読取機にタッチして精算する。また、回数券が利用できるバス会社もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されないので、注意が必要である。なお、バス共通カードは、さいたま市内を通るバス路線ではすでに販売・使用を終了しており、手数料無料で払い戻しを行っている。

さいたま市のコミュニティバスに関してはこちらを参照のこと。

タクシー

タクシーの営業区域県南中央交通圏で、川口市鴻巣市上尾市戸田市などと同じエリアとなっている。

道路

首都高速埼玉新都心線
国道17号・与野大宮道路を歩道橋から。

高速道路・有料道路

一般国道

都道府県道

姉妹都市・提携都市

出身有名人

政治家

文化人

スポーツ

芸能

音楽

キャスター・アナウンサー

学者

その他

ゆかりのある人物

名誉市民

※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。

市民栄誉賞

※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。

その他

  • 市外局番は市内全域「048」。市内局番が「6XX」(旧大宮市域)「7XX」(旧岩槻市域)「8XX」(旧浦和市域、旧与野市域)の地域との通話は市内通話料金で利用可能(浦和MA)。「7xx」から始まる市内局番はさいたま市以外も広範囲に使われている。エリアは上尾市、桶川市、北足立郡伊奈町、蓮田市、春日部市はさいたま市内から同一の市内通話料金の課金となっている。
  • 上尾市北足立郡伊奈町との合併も構想されていたが、上尾市では住民投票の結果、合併反対が多く、伊奈町が飛び地となってしまうため計画は頓挫した。その際のプロジェクト愛称名は「さいたまYOU And Iプラン」(構成地域の与野、大宮、浦和、上尾の4市と伊奈町のローマ字表記の頭文字を組み合わせた名称で、後に「彩の国YOU And Iプラン」と改められた)
  • 初めて都市名がひらがなで、また初めて内陸県で誕生した政令指定都市である(2007年8月現在唯一)。
  • さいたま市の全国地方公共団体コードは11100(検査数字を除く)で、行政区は11101から順に割り当てられる。これに基づいて仮定すると、現在最も新しく発足した岩槻区が11110であるため、仮に新たな行政区が発足(11番目)した場合は11111のゾロ目となる。ちなみに、2006年2月現在実在するゾロ目の団体コードは、静岡県伊豆市の22222だけである。

さいたま市に関わる百選

  • 日本さくら名所100選:大宮公園
  • 日本の都市公園100選:大宮公園
  • 公共建築百選:埼玉県立歴史と民俗の博物館
  • 名木百選:与野の大カヤ
  • 都市景観100選:盆栽町地区
  • 歴史の道百選:見沼通船堀

さいたま市に関わる作品

赤き血のイレブン梶原一騎
サッカー漫画及びアニメ作品。浦和南高校が舞台(作中では「新生高校」)。
エースをねらえ!山本鈴美香
テニス漫画。作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデル(アニメ・ドラマ版の舞台は「神奈川県立西高校」)。
おおきく振りかぶってひぐちアサ
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデル(作中では「西浦高校」)。
行け!稲中卓球部古谷実
ギャグ漫画。作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル(作中では「稲豊市」)。
キャプテン翼高橋陽一
サッカー漫画。「明和市」として日向小次郎若島津健の出身地として描かれている。旧浦和市がモデルであるが、大宮公園サッカー場浦和駒場スタジアムが実名で登場している。
Jドリーム塀内夏子
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
灼眼のシャナ
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている(作中では「御﨑市」)。
フジログ
見沼区大和田町が舞台。実際の町内の風景がそのまま登場する。
宙のまにまに柏原麻実
天文をテーマにした漫画及びアニメ作品。さいたま市青少年宇宙科学館さいたま市立東浦和図書館などの施設がモデルとなった(作中では「小杉野市」)。
タナカヒロシのすべて
主人公がさいたま市に住んでいる。
レンアイ至上主義水波風南
大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。
マネーウォーズ宮川総一郎
山興証券浦和支店を舞台とした株式をテーマとする漫画作品。
ノンちゃん雲に乗る石井桃子
児童文学作品。舞台には作者の石井桃子が幼いころ遊んだ旧浦和町の神社や池が使われている。
青年森鴎外
主人公が友人に誘われ出掛けたのが大宮。二人は、氷川公園氷川神社を巡る。
写生紀行(寺田寅彦
寺田寅彦本人が写生のため氷川公園を訪れた時の手記が綴られている。

脚注

  1. ^ 埼玉県推計人口
  2. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
  3. ^ 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年2月閲覧。
  4. ^ 今尾恵介『地図から消えた地名』東京堂出版。市町村合併によって地名が消滅した例としては、他に旧下館市などがある。
  5. ^ 合併推進協議会報告書
  6. ^ 「新市名称公募」結果のお知らせ(さいたま市ホームページ)
  7. ^ 広報課の紹介 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  8. ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  9. ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
  10. ^ つなが竜ヌゥ - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  11. ^ 人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり - hinameguri.com(2010年11月1日閲覧)
  12. ^ さくら草まつりをまもなく開催します!(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年4月2日付、同年11月1日閲覧)
  13. ^ やなせさんコンサートも 浦和うなぎまつり盛況 - MSN産経ニュース(2010年5月29日付、同年11月1日閲覧)
  14. ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
  15. ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)

関連項目

さいたま市域に存在した市町村の項目

外部リンク

行政
観光