品川県

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品川県(しながわけん)は、1869年明治2年)に武蔵国内の旧幕府領の管轄のために明治政府によって設置された。おおむね現在の東京都練馬区杉並区中野区新宿区渋谷区目黒区品川区大田区世田谷区および多摩地区の東部・南部、埼玉県の一部を管轄した。

概要[編集]

1869年(明治2年)2月9日武蔵知県事古賀定雄の管轄区域をもって品川県が設置された。県名は、県庁を荏原郡北品川宿東海寺境内(現品川区北品川三丁目11番9号)に置く予定だったことによるが、実際には暫定的に東京府浜町の旧旗本・小笠原弥八郎邸(現東京都中央区日本橋浜町二丁目9番付近)に置かれ、品川への移転準備が完了する前に県が廃止された。東京府(第1次)や韮山県川越藩などとの管轄区域の交換を経て、主に東京の南郊から西郊を管轄した。

1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県を経て、同年11月14日に第1次府県統合により東京府(第1次)および小菅県と合併して東京府(第2次)となり、新座郡入間郡内の管轄区域は入間県に移管された。なお、多摩郡に関しては、太政官布告では東京府に移管するとされたものの、横浜に居留する外国人の遊歩区域に含まれるとの上申により神奈川県に移管されている。

沿革[編集]

  • 1869年(明治2年)
    • 1月13日 - 武蔵知県事・古賀定雄の管轄区域に品川県を設置。韮山県から多摩郡の一部を移管される。
    • 4月 - 入間郡高麗郡および比企郡の一部を韮山県に移管。
  • 1869年(明治2年)
    • 前年に言い渡された社倉制度に反対する、旧関前村新田を中心とした武蔵野一二村の農民とその代表が品川県庁へ門訴を決行。武力を伴わない訴えであったが、知事古賀定雄はこれを武力で鎮圧し、首謀者を投獄した。(御門訴事件
  • 1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により小菅県、東京府(第1次)と合併し、改めて東京府(第2次)が発足。同日品川県廃止。

管轄地域[編集]

戸口34,511戸188,650人(府藩県別人員表)。●の地域の詳細は錯綜をきわめるため各郡の項目を参照。

なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。

歴代知事[編集]

  • 1869年(明治2年)2月9日 - 1871年(明治4年)11月3日 : 知事・古賀定雄(前武蔵知県事、元佐賀藩士

関連項目[編集]

先代:
武蔵国の一部の
幕府領旗本領など)
韮山県の一部
多摩郡の一部)
行政区の変遷
1869年 - 1871年
次代:
東京府荏原郡豊島郡多摩郡
神奈川県(多摩郡)
入間県新座郡
韮山県(入間郡高麗郡比企郡