上内間木

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上内間木
—  大字  —
文明堂朝霞工場売店前
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 埼玉県
市町村 朝霞市
人口 (2009年(平成21年)10月1日現在)
 - 計 1,306人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 351-0001 
市外局番 048
ナンバープレート 所沢

上内間木(かみうちまぎ)は、埼玉県朝霞市大字。旧新座郡上内間木村[1][2]2009年10月1日現在の人口は1,306人[3]郵便番号は351-0001。

地理[編集]

朝霞市の東北部に位置し、北部を志木市下宗岡及び宗岡荒川左岸飛地に接した東部をさいたま市桜区大字下大久保田島南区堤外、荒川を跨いだ東南部を戸田市大字曲本重瀬、南部を下内間木新河岸川を跨いだ西部を田島浜崎宮戸と接している。西辺は新河岸川の旧流路に合わせて境界が設定されているため、それぞれ新河岸川の左岸に張り出し、地内と川を渡らずに移動できる飛地が存在する。また、新河岸川の対岸、田島とは地内西端の新盛橋で接続している[1]。北部から新河岸川右岸に向かう際には宮戸飛地から新宮戸橋または志木市下宗岡から宮戸橋から渡る方法が使われている。荒川の左岸との間にはJR武蔵野線鉄橋荒川橋梁(1,293メートル、武蔵野線開業当時は日本第2位の長さだった[4]。)が存在しているが、人や自動車が渡ることのできる橋梁は存在しない。荒川左岸に向かう場合は北に回り志木市宗岡の秋ヶ瀬橋を利用する。地形は東を荒川、西を新河岸川に挟まれた低湿地であり、水害防止のために作られた竹林の残る水田地帯だったが、1970年代以降は工場が進出している[1]文明堂朝霞工場・難波製本朝霞工場のほか、スズキ螺子工業昌栄鋲螺朝霞鋲螺会朝霞ファスナー鋼遊会所属の機械部品工場も多い。また物流倉庫、残土置場、中間処分場最終処分場が散見される。また荒川沿いの河川敷朝霞パブリックゴルフ場のコース北半分になっており、クラブハウスも地内にある[1]埼玉県道79号朝霞蕨線(旧称県道田島膝折線)が南北に貫いている[1]。最寄駅は東武東上線朝霞台駅JR武蔵野線北朝霞駅)になるが約2km離れている。また国際興業バス朝50系統、朝霞市内循環バス根岸台線が通っており、これを利用して朝霞台駅(北朝霞駅)または朝霞駅に到達できる。地内には内間木公園(湯〜ぐうじょう)・丸沼・上内間木・上内間木三在・新盛橋の5つの停留所が存在する。

地名の由来[編集]

内間木の名は『江戸名所図会』によれば武蔵五牧のひとつ立野の一部を占めることから内牧の転訛で、河川以内の牧野を示す説[5]の他、特定の一族内部の牧とする説もある[1]。頭につけられた「上」は下内間木に比べて河川の上流にあることを示す。

河川[編集]

  • 荒川 - 東辺を南流している一級河川
  • 新河岸川 - 西辺を南流する一級河川。かつては水運に利用された。
  • 鴨川 - 荒川左岸の飛地で荒川に合流する一級河川。
    • 鴨川放水路 - 上記鴨川の分流上流のさいたま市桜区下大久保で分かれ、荒川左岸の飛地で再合流する。

地価[編集]

住宅地の地価は2013年平成25年)7月1日の埼玉県の地価調査によれば上内間木字中通117番1外の地点で6万8600円/m2となっている。

歴史[編集]

阿弥陀堂

1591年天正19年)5月17日、前年に小田原城を落城させ、関東に国替えを行った徳川家康から加藤源四郎正勝が内間木村の他入間郡池辺村大仙波村併せて300の土地を賜ったとされている[6]。この時期は原野だったが元禄年間までに下内間木村の村民が入殖し、化政期までには下内間木村と別の名主を立てていた[6]。上内間木村が下内間木村から分立したのは1707年宝永4年)といわれている。

元々新河岸川と荒川に挟まれたびたび水害を受ける場所だったが、1629年寛永6年)に旧入間川が荒川の本流になって後水害の常襲地域となった[1]。農民は土地の高いところに僅かに畑を作り、他は専ら原野での草茅の採集を産業としていた[6]。家一軒ごとに舟を備え、洪水の際には台地に逃げるようにしていたといわれる[7]。東西を川に阻まれ、さらに原野の隔てがあったため近隣の村との交わりも疎く、貧しく質素な暮らしぶりだった。外来者が殆ど無い上に貧しい村だったために家々は戸を閉ざすことが無かったと言われる[6]。元禄年間に開発されて以降天領とだったが、さらに後化政期には代官川崎平右衛門の支配となっている[6]

明治時代に入って上内間木村は1872年(明治5年)の大区小区制では第二大区第六小区、翌1873年(明治6年)の熊谷県設置以降は南第二大区第六小区に配置された[8]1876年(明治9年)の人口は312人[9]この当時の戸長野島利八副戸長野島広輔[10]1878年(明治11年)の郡区町村編制法において大区小区制は廃止されたが、1884年(明治17年)の連合戸長制の実施により、上内間木村は浜崎村宮戸村田島村下内間木村台村岡村根岸村と連合して浜崎村連合戸長役場を置いた。1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の際、上内間木村は下内間木村浜崎村宮戸村田島村と合併し新座郡内間木村となり、上内間木は新座郡内間木村の大字となった[8][2]。翌1890年(明治23年)の第一回帝国議会において「郡分合ニ関スル法案」が提出され、これを受けて埼玉県知事小松原英太郎内務省に対し新座郡を北足立郡に統合することは全く問題ない、と上申したことが発端となり、内間木村を含む2町7ヶ村から北足立郡への統合を撤回するとともに東京府北豊島郡への統合を求める請願運動が起きた。しかし、1896年(明治29年)3月29日には榑橋村及び新倉村の一部を除いて北足立郡への統合が行われ、上内間木は北足立郡内間木村の大字となった[8][11]1910年(明治43年)8月11日荒川大洪水では家々は軒先まで水に浸かり、人畜・家屋・田畑に甚大な損害を受けた[1]。これを受けて荒川は大規模な改修工事が行われ、流路の変更が行われた。その結果、1923年(大正13年)工事は完成したが、地内の東側の一部がは荒川左岸に分断された[12]1944年(昭和19年)2月11日戦時町村合併促進法により内間木村は志木町、入間郡宗岡村水谷村と合併し、志紀町となり、志紀町大字上内間木となった。この戦時合併は1948年(昭和23年)4月1日に解体され、元の内間木村上内間木に戻った。1955年(昭和30年)4月1日、内間木村は朝霞町と合併し、北足立郡朝霞町大字上内間木となった。1967年(昭和42年)3月15日には市制施行により朝霞市大字上内間木となった。

沿革[編集]

  • 1591年天正19年)5月17日、加藤源四郎正勝が、内間木・池辺・大仙波の所領300石を賜る。
  • 1690年頃以降、下内間木の村民によって開発され、天領となる。
  • 1707年宝永4年)、上内間木村が下内間木村から分立する。
  • 1871年明治4年)12月25日廃藩置県により、入間県に所属、入間県新座郡上内間木村となる。
  • 1872年(明治5年)10月10日、大区小区制の施行により第二大区第六小区に属する。
  • 1873年(明治6年)6月15日、入間県が群馬県と合併し、熊谷県となる。大区小区は南第二大区第六小区に属する。
  • 1884年(明治17年)、連合戸長制の実施により、浜崎村・宮戸村・田島村・上内間木村・台村・岡村・根岸村と連合して浜崎村連合戸長役場を設置する。
  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、上内間木村は浜崎村・宮戸村・田島村・下内間木村と合併し新座郡内間木村となり、新座郡内間木村大字上内間木となる。
  • 1896年(明治29年)3月29日、新座郡が北足立郡に統合され、北足立郡内間木村大字上内間木となる。
  • 1944年(昭和19年)2月11日戦時町村合併促進法により内間木村が志木町、宗岡村、水谷村と合併し、志紀町となり、北足立郡志紀町大字上内間木となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日、合併が解消され内間木村は再置、北足立郡内間木村大字上内間木となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日、内間木村が朝霞町と合併、北足立郡朝霞町大字上内間木となる。
  • 1967年(昭和42年)3月15日、市制施行により朝霞市大字上内間木となる。
  • 1973年(昭和48年)4月1日1964年から工事が行われていた国鉄武蔵野線が開業する。

史跡[編集]

内間木神社

交通[編集]

鉄道[編集]

荒川橋梁

現在地内に鉄道駅は存在しない。一部には北朝霞駅 - 西浦和駅間に新駅東朝霞駅(仮称)」の設置を推進する動きがあるが[14]、設置に際しての費用負担や駅利用者数の確保について見通しが立っていない等の問題を抱え、2013年(平成25年)12月現在、具体的な進捗は見られない。

バス[編集]

国際興業バス
  • 朝50系統・朝霞駅東口〜内間木
    • 地内には内間木・丸沼・上内間木三在・新盛橋の停留所が存在する。
朝霞市内循環バス
  • 内間木線・内間木公園 - 丸沼 - 上内間木三在 - 上内間木 - 新盛橋 - わくわくどーむ - 東京都朝霞浄水場前 - 北朝霞駅
    • 地内には内間木公園・丸沼・上内間木三在・上内間木・新盛橋の停留所が存在する。
    • 内間木公民館前停留所は田島2丁目にあり、当地内には無い。

道路[編集]

施設[編集]

朝霞パブリックゴルフ場クラブハウス
  • 朝霞パブリックゴルフ場 - コースの南半分は下内間木にあたる。
  • 内間木公園 - 中央部は浜崎地内。
  • 上内間木町内会館
  • 朝霞市憩いの湯(湯〜ぐうじょう) - 市営温浴施設。閉鎖中[15]。施設としては閉鎖中だが、正面ロータリーがバス停留所・折返場として利用されている。
  • さくらそう水門 - 荒川左岸の飛地に存在する。
  • 難波製本朝霞工場
  • 文明堂日本橋店朝霞工場

環境[編集]

地内には複数の中間処分場・最終処分場・建設残土置場がみられ、工場群もみられる。平成21年11月30日付の環境省告示地下水の水質汚濁に係る環境基準について」の一部改正により、新たに地下水の水質環境基準項目に加えられた項目である1,4-ジオキサン及び塩化ビニルモノマーの測定値が2010年(平成22年)8月の地下水モニタリング調査で観測井戸12箇所中のそれぞれ2箇所・1箇所で地下水の環境基準値を超えたと発表された[16]。環境基準を超えた観測井戸の下流側に位置する観測井戸及び新河岸川の水質測定結果では、「不検出」又は「検出下限値(環境基準の1/10)」だったため、周辺地下水や新河岸川への影響はないと考えられると報告されている[16]

不法投棄事件[編集]

埼玉県の新河岸川左岸河川改修事業取得用地(朝霞市上内間木地内河川敷[17])について、1990年(平成2年)に県が有害な産業廃棄物による土壌汚染を隠していた事が発覚した。地元住民らによる県への抗議等を経て、当時の県知事が記者会見の席で陳謝する社会問題となった[18]。結局、犯人の特定が出来ないまま時効が成立し未解決事件となった。

JR武蔵野線の車窓より見下ろした現地

県の公表によれば、1988年(昭和63年)12月河川改修事業に伴う築堤のための掘削工事中に、1970年(昭和45年)頃に不法投棄された産業廃棄物を発見し、推定10,000m3以上の廃棄物にはPCBなどの有害物質が含まれていたため、応急措置として鉛直遮水壁の打ち込みや遮水シートで覆う工事を行なったとされる[19]

1991年(平成3年)には、一時保管する移転先確保の必要性についても議論された。当該廃棄物にはトリクロロエチレンテトラクロロエチレン等の揮発性有機溶剤(特定有害産業廃棄物に規定されている有害物質)も多く含まれていたため、これらの物質が地下水や大気等の周辺環境に影響を与えないようにするための暫定措置として1996年(平成8年)から有機溶剤(揮発性有機化合物:VOC)の吸引除去工事を行ない、1996年(平成8年)から2010年(平成22年)までの間、推定50トン以上の有機溶剤を回収している[20]

2009年(平成21年)には学識者らの技術検討委員会を立ち上げ、無害化に向けての具体的な工法の検討をしている[21]ものの、事態の全面解決には至っていない。第2回新河岸川産業廃棄物処理技術検討委員会では、ガス吸引の効率が悪くなっている事や今後“第2帯水層”の地下水への影響が心配される等の討議がなされた[22] [23]

1990年(平成2年)に応急措置で現場周囲に鉛直遮水壁(鋼矢板=シートパイル)が打設[24]されてから既に20年以上が経過している。防食対策[25]がされていない鋼矢板は、耐用年数が経過すると腐食により穴が開く。有害物質が漏れ出しても地中に埋まった状態のため、発見が遅れる可能性は極めて高い。県の基本方針では、PCB処理特別措置法(ポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法)により、PCB廃棄物の処理期限が明確になっているため、2016年(平成28年)までに無害化処理するものと位置付けられている[26]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月。
  2. ^ a b 『埼玉大百科事典 第1巻』埼玉新聞社、1974年3月、p411
  3. ^ 朝霞市町(丁)・大字別世帯、人口一覧表(朝霞市役所HP)PDF) 2009-11-10閲覧。
  4. ^ 『広報浦和』1973年4月(原文スキャン画像、2009-11-12閲覧)
  5. ^ 吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』冨山房、1970年6月増補(1903年10月初版)p425。
  6. ^ a b c d e f g 『新編武蔵風土記稿巻之百三十二』、「大日本地誌体系(八)新編武蔵風土記稿 第八巻」雄山閣、1957年9月再版所収。
  7. ^ 災害伝承データベース(総務省HP)、2009-11-12閲覧。
  8. ^ a b c 朝霞市教育委員会社会教育部市史編さん室『朝霞市史普及版 あさかの歴史』朝霞市、1997年3月21日、pp144-148。
  9. ^ 新編埼玉県史 別編5 統計 付録『町村編制区域表他』埼玉県、1981年3月。
  10. ^ 森春男『宮戸村村界証認書』、朝霞市郷土史研究会「郷土史朝霞」所収、1983年4月1日、pp5-6。
  11. ^ 神山健吉・井上國夫・高橋長次『しきふるさと史話』埼玉県志木市教育委員会、1994年11月30日、pp122-123
  12. ^ 森春男『旧内間木地区歴史散歩』、朝霞市郷土史研究会「郷土史朝霞」所収、1983年4月1日、pp7-10。
  13. ^ 『朝霞市彫刻調査報告書』朝霞市教育委員会、1995年3月、pp194-196。
  14. ^ JR武蔵野線新駅(仮称_東朝霞駅)設置について-埼玉県議会平成12年12月一般質問(埼玉県HP),2010-10-21閲覧。
  15. ^ 憩いの湯施設改修等調査検討報告書(PDF),朝霞市役所HP、2009-11-10閲覧。
  16. ^ a b 地下水モニタリング調査の結果について-埼玉県朝霞県土整備事務所、2011-06-20閲覧。
  17. ^ 投棄現場周辺(奥の白い建物が掘削物の仮置所)(川の手前左岸が産業廃棄物埋設箇所=鋼管矢板護岸)-(財)埼玉県生態系保護協会
  18. ^ “報道記事”(1990年11月9日)(1990年11月23日)-朝日新聞
  19. ^ 新河岸川産業廃棄物対策の経緯-埼玉県
  20. ^ 有機溶剤吸引工事-埼玉県
  21. ^ 新河岸川産業廃棄物処理対策-埼玉県
  22. ^ 第2回技術検討委員会(2009年12月21日)pdf6・7頁目-埼玉県新河岸川産業廃棄物処理推進委員会
  23. ^ 断面図“廃棄物と第2帯水層の位置関係”-㈱東京建設コンサルタント
  24. ^ 応急対策(鋼矢板の打設,1990年5月実施)-埼玉県
  25. ^ 鋼矢板の防食方法-(一般社団法人)鋼管杭・鋼矢板技術協会
  26. ^ 新河岸川産業廃棄物処理対策懇談会の概要(pdf2頁目,2009年2月20日方針案) -埼玉県

関連項目[編集]

外部リンク[編集]