永福
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永福 | |
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![]() 永福の街並み | |
北緯35度40分33.86秒 東経139度38分32.06秒 / 北緯35.6760722度 東経139.6422389度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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人口 | |
• 合計 | 15,151人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
168-0064[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 杉並 |
永福(えいふく)は、東京都杉並区の地名。住居表示実施済みであり、現行行政地名は永福一丁目から永福四丁目。郵便番号は168-0064[2]。
地理[編集]
杉並区の南部に位置する。地内北部は方南通りと接し、これを境に杉並区大宮になる。西部は杉並区浜田山に接し、南西部は杉並区下高井戸に接する。東部は概ね井ノ頭通りに接し、杉並区和泉に接する。南部は甲州街道に接し、これを境に世田谷区松原になる。住居表示実施後の町名は「町」字の付かない「永福」であるが、地区内にある駅名や旧町名から「永福町」と呼ばれることも多い。一丁目と二丁目の間を神田川が流れている。永福町駅・西永福駅周辺は商業地が見られるが、地内の多くは住宅地からなる。三丁目は歩道が整備された幅員の広い道路が格子状に走っている。一軒あたりの土地面積が比較的大きく、高級住宅街とされる。地域南部の世田谷区との境界付近には、明治大学の和泉校舎が置かれている。それに隣接して、築地本願寺和田堀廟所がある。付近には寺院も多い。地名の由来にもなっている永福寺も当地にある。
歴史[編集]
旧・武蔵国多摩郡永福寺村(えいふくじむら)。戦国期には既に「永福寺」の地名が見える。江戸期は多摩郡野方領の内。
1889年(明治22年)、永福寺村は町村制施行により和田堀内村(のち1926年(大正15年)より町制施行により和田堀町)大字永福寺となる。1932年(昭和7年)、東京市への編入に伴い杉並区に所属し、同区永福町(えいふくちょう)となる。
住居表示実施により、1966年(昭和41年)7月1日に一部が和泉3丁目の内に、1968年(昭和43年)7月1日に一部が大宮2丁目の内に、1969年(昭和44年)7月1日に一部が下高井戸2丁目の内、浜田山1丁目の内となり、残部は1969年7月1日に下高井戸1丁目・2丁目・4丁目、和泉町、大宮町の各一部を編入し永福1 - 4丁目となった[4]。
地名の由来[編集]
当地内にある永福寺に由来する。
世帯数と人口[編集]
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
永福一丁目 | 1,736世帯 | 3,086人 |
永福二丁目 | 2,241世帯 | 4,509人 |
永福三丁目 | 2,352世帯 | 4,077人 |
永福四丁目 | 1,992世帯 | 3,479人 |
計 | 8,321世帯 | 15,151人 |
小・中学校の学区[編集]
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
永福一丁目 | 1~3番 7~44番 |
杉並区立永福小学校 | 杉並区立和泉中学校 |
その他 | 杉並区立向陽中学校 | ||
永福二丁目 | 全域 | ||
永福三丁目 | 全域 | ||
永福四丁目 | 1番 4~6番 9~28番 |
杉並区立大宮中学校 | |
2〜3番 7番 |
杉並区立新泉和泉小学校 | ||
その他 | 杉並区立大宮小学校 |
交通[編集]
井ノ頭通り沿いに京王井の頭線の永福町駅(永福二丁目)・西永福駅(永福三丁目)の各駅があり、また京王線との連絡駅である明大前駅も利用可能で利便性は良い。また、永福町からバスの便(京王バス東・関東バス)も利用できる。
施設[編集]
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玉川上水永泉寺緑地