永福

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永福
永福の街並み
永福の街並み
永福の位置(東京都区部内)
永福
永福
永福の位置
北緯35度40分33.86秒 東経139度38分32.06秒 / 北緯35.6760722度 東経139.6422389度 / 35.6760722; 139.6422389
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 杉並区
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 15,151人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
168-0064[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 杉並

永福(えいふく)は、東京都杉並区の地名。住居表示実施済みであり、現行行政地名は永福一丁目から永福四丁目。郵便番号は168-0064[2]

地理[編集]

杉並区の南部に位置する。地内北部は方南通りと接し、これを境に杉並区大宮になる。西部は杉並区浜田山に接し、南西部は杉並区下高井戸に接する。東部は概ね井ノ頭通りに接し、杉並区和泉に接する。南部は甲州街道に接し、これを境に世田谷区松原になる。住居表示実施後の町名は「町」字の付かない「永福」であるが、地区内にある駅名や旧町名から「永福町」と呼ばれることも多い。一丁目と二丁目の間を神田川が流れている。永福町駅西永福駅周辺は商業地が見られるが、地内の多くは住宅地からなる。三丁目は歩道が整備された幅員の広い道路が格子状に走っている。一軒あたりの土地面積が比較的大きく、高級住宅街とされる。地域南部の世田谷区との境界付近には、明治大学和泉校舎が置かれている。それに隣接して、築地本願寺和田堀廟所がある。付近には寺院も多い。地名の由来にもなっている永福寺も当地にある。

歴史[編集]

旧・武蔵国多摩郡永福寺村(えいふくじむら)。戦国期には既に「永福寺」の地名が見える。江戸期は多摩郡野方領の内。

1889年明治22年)、永福寺村は町村制施行により和田堀内村(のち1926年大正15年)より町制施行により和田堀町)大字永福寺となる。1932年(昭和7年)、東京市への編入に伴い杉並区に所属し、同区永福町(えいふくちょう)となる。

住居表示実施により、1966年(昭和41年)7月1日に一部が和泉3丁目の内に、1968年(昭和43年)7月1日に一部が大宮2丁目の内に、1969年(昭和44年)7月1日に一部が下高井戸2丁目の内、浜田山1丁目の内となり、残部は1969年7月1日に下高井戸1丁目・2丁目・4丁目、和泉町、大宮町の各一部を編入し永福1 - 4丁目となった[4]

地名の由来[編集]

当地内にある永福寺に由来する。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
永福一丁目 1,736世帯 3,086人
永福二丁目 2,241世帯 4,509人
永福三丁目 2,352世帯 4,077人
永福四丁目 1,992世帯 3,479人
8,321世帯 15,151人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
永福一丁目 1~3番
7~44番
杉並区立永福小学校 杉並区立和泉中学校
その他 杉並区立向陽中学校
永福二丁目 全域
永福三丁目 全域
永福四丁目 1番
4~6番
9~28番
杉並区立大宮中学校
2〜3番
7番
杉並区立新泉和泉小学校
その他 杉並区立大宮小学校

交通[編集]

井ノ頭通り沿いに京王井の頭線永福町駅(永福二丁目)・西永福駅(永福三丁目)の各駅があり、また京王線との連絡駅である明大前駅も利用可能で利便性は良い。また、永福町からバスの便(京王バス東関東バス)も利用できる。

施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁別世帯数及び人口”. 杉並区 (2017年12月1日). 2017年12月26日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月26日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月26日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典 13.東京都 1978年 ISBN 4040011309 p.127-128、884-888
  5. ^ 区立学校学区域一覧”. 杉並区 (2016年1月14日). 2017年12月26日閲覧。

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]