日田県

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日田県(ひたけん)は1868年慶応4年)に豊前国豊後国幕府領旗本領を管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は、当初は現在の大分県全域と福岡県東部に、のちに宮崎県全域に分布した。

概要[編集]

府藩県三治制のもとで、江戸幕府西国筋郡代の代官所所在地であった日田に設置され、当初は豊後国日田郡玖珠郡豊前国下毛郡の132ヶ村6万2千石を支配した。初代県知事は薩摩藩出身の松方正義。2代目県知事は同じく薩摩藩出身の野村盛秀である。同じく西国筋郡代を前身として日向国に置かれた富高県など周辺の天領所領を合わせて県域を広げた。2代知事のときに、士族や農民による日田県庁襲撃事件「竹槍騒動」が起こったことで、西街道鎮台の分営が置かれた。

1871年(明治4年)の第1次府県統合により豊後国の8県が統合して大分県が設置されたため廃止された。ただし、豊前国は小倉県に、旧富高県である日向国は美々津県に移管された。

松方正義と日田県[編集]

初代知事の松方正義は近代日本最初の孤児院とされる「日田養育館(ひたよういくかん)」を設置したほか、県内視察の際、海上交通の便を図れば別府の発展が期待されるとの発案から別府港を築港、今日日本一温泉都市となった別府温泉の発展の礎を築いた。また、隣接する福岡藩から太政官札偽札が県内に流れてきている事実を告発、その結果、福岡藩の大量偽札製造が明らかとなった。

このことが評価され、大久保利通の推挙で1870年(明治3年)閏10月3日民部大丞に抜擢されて中央政界に進出し、のちに内閣総理大臣元老に至った。

なお、最後の知事となった2代知事である野村盛秀は、廃藩置県後に新設された埼玉県の初代県令に就任している。

竹槍騒動[編集]

竹槍騒動(たけやりそうどう)は、2代知事の野村盛秀が任命される直前の11月13日(1871年1月4日)に起こった、士族や農民などによる日田県の県庁襲撃事件である。

この騒動は、大楽源太郎率いる一党による大楽騒動により県機構が弱体化したことで起こった、日田県一揆と呼ばれる、主に農民による打ちこわし暴動であるとされる。

大楽騒動(たいらくそうどう)は、長州藩で反乱を起こし、九州に逃亡してきた攘夷派大楽源太郎率いる集団が、知事の交代を知って、新政府の陰謀から福岡藩と仏教を守ることを名目に、豊津藩久留米藩の攘夷派や、廃仏毀釈によって追放された僧侶、さらに農民一揆とも結んで日田県庁を襲撃した事件である[1]

これを明治政府転覆計画と見た新政府は、大楽一派相手に孤独な戦いを続ける野村盛秀(明治3年12月28日任命、明治4年2月4日着任)を救出するために、3月に、当時陸軍少将であった四條隆謌を総督とする長州藩肥後藩連合軍を日田に派遣した(さらに隣の森藩もこれを支援した)。ところが、共同出兵を命じられた薩摩藩は出兵に遅延し、四條を補佐する予定であった薩摩の大山綱良が、大楽よりも長州藩に非があるとして、軍の解散を独断で決定した。これに、大楽派の取締のために山口に戻っていた木戸孝允が、「薩摩藩が大楽を助けている」と激怒して下野する態度を見せた。これに驚いた西郷隆盛大久保利通が、大山の行動を詫びて鎮圧の継続を命じた。これによって日田にひとまず平穏が戻ることになった。刑部省の指示により、大楽ら騒動の関係者は指定の諸藩で処刑された。

日田県一揆(ひたけんいっき)は、1869年(明治2年)の全国的な農作物の不作、それに伴う税制改革が直接の一揆の動機である[2]1871年(明治4年)11月17日に、巡回中の日田県の警備兵と五馬村の農民の暴力衝突によって全県域を巻き込む打ちこわしへと発展した。

参加した農民一揆勢は6千人から1万人ともいわれ、日田玖珠地域で300ほどの庄屋、日田県の施設、県兵の宿舎を襲撃し、焼き討ちを行った。県庁の役人は英彦山に一時非難していたため死傷者はいなかったが、鎮圧のため兵を送った森藩と日田県官に犠牲者が出た。日田での一揆は、最初の暴動から4日後の11月21日にほぼ鎮圧されたが、豊後・豊前の各地に広まった。政府は騒動の後、大楽と通じていた豊後、豊前、筑前、筑後の藩士の動きを警戒して四條隆謌を日田へ派遣し、質疑で呼び出された諸藩の関係者で豆田町は混乱したという[2]。日田県での一揆関係者は、1872年(明治5年)2月27日に処刑が執行された。

沿革[編集]

  • 1868年(慶応4年)
  • 1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により豊後国の8県が統合して大分県が発足。同日日田県廃止。ただし、豊前国は小倉県に、旧富高県である日向国は美々津県に移管。

管轄地域[編集]

富高県からの編入地域は同県の項目を参照。

歴代知事[編集]

  • 1868年(慶応4年)閏4月25日 - 1870年(明治3年)閏10月3日 : 知事・松方正義
  • 1870年(明治3年)閏10月3日 - 1870年(明治3年)12月19日 : 不在
  • 1870年(明治3年)12月19日 - 1871年(明治4年)11月14日 : 知事・野村盛秀(前長崎県知事)

脚注[編集]

  1. ^ なお、大楽は日田の咸宜園出身で地元に人脈があったという。
  2. ^ a b 日田市編纂『日田市史』日田市 1990年

関連項目[編集]

先代:
西国筋郡代管轄地域の一部
豊前国豊後国内の幕府領
富高県
行政区の変遷
1868年 - 1871年
次代:
大分県(豊後国)
小倉県(豊前国)
美々津県(日向国)