黒田鉄山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

黒田 鉄山(くろだ てつざん 1950年 - )は、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれの武術家。第15代振武舘宗家。幼少より祖父(黒田泰治)や父(黒田繁樹)から家伝の古武道5流派を学び、現在でも伝承している。「動きを消すこと」をキーワードとして古武道の研鑽と研究を積む。

月刊秘伝』の連載『鉄山に訊け』で読者の質問に答えるコーナーが人気を博している。

来歴[編集]

幼少期[編集]

1950年、埼玉県大宮市(現さいたま市)で、父・黒田繁樹の元に生まれる。曾祖父の幼名「鉄之助」や祖父の号「鉄心齋」や永田鉄山に「鉄」の文字が使われていたことから。それにあやかって「鉄山」と名づけられた。幼い頃から大人に交じって稽古に参加しており、本人も具体的にいつから稽古を始めたかは覚えていない。少年時代は、厳しく育てられることもなく、成績もいたって普通だったという。この頃は、武術よりも漫画に興味を持ち、自分で漫画を描くほどだった。中学、高校時代は剣道部に所属していたが、自身の学んでいた振武舘の剣術とは違っていたため、最初は苦労したという。試合のときも、軽い打ち方があだとなり、審判になかなか一本をとってもらえなかった。ただ、本人は剣道に対して本気で打ち込んでおらず、中学時代は練習をサボることが多かった。また、剣道部も高校2年のときに退部してしまった。さらに受験勉強の忙しさから、自宅での武術の稽古にも参加しなかった。結局、武術の稽古を本格的に始めるのは大学進学後になってからになる。本人によれば、この頃、勉強や稽古を強制されたことはなかったという[1]

青年期[編集]

1968年に法政大学の法学部に進学したが、大学紛争が頻発したせいで授業が休講になることが多くなったため、武術の稽古に参加するようになった。この頃は、力任せの厳しい稽古が多く、道場を辞めるもの多かったが、逆に厳しい稽古が評判になり、生徒は集まっていた。同年3月、先輩の知り合いの道場開きに祖父と共に招かれた為、そこで剣術居合の型を披露した。しかし、切附を抜いたときに、柄に左手を沿えることが出来なかった。鉄山本人は、その失敗をすぐに忘れてしまったが、帰宅前に立ち寄った飲み屋で祖父・泰治にそれを指摘されてしまう。鉄山は、型の披露で失敗しながらも、その場を誤魔化して他人に褒められて得意になっていた自分に腹を立てた。これが切っ掛けで、本格的に武術の稽古に邁進するようになった。自身の失敗を指摘された翌日、鉄山は道場の雑巾がけをはじめた。そして、掃除を終えて改めて刀を抜くと、どうしても刀の切っ先が鞘に引っかかってしまうことに気づいた。その後は、刀を抜く動作だけを繰り返し稽古するようになった。その稽古は厳しく、刀が汗で錆びてしまうほどで、錆び落としが毎日の習慣となっていた。そして、鉄山に実力がついてくる様子を見た泰治はそれを喜び、大日本武徳会に推薦状を送り、鉄山に古武道の称号を取らせてしまった。そして鉄山は、19歳のときに教士号を、20歳のときには古武道八段範士号を賜った。ただし、発行した大日本武徳会は戦前の大日本武徳会とは関係がない任意団体である。また、鉄山自身、自分の稽古に全く納得していなかったという[2]

中年期[編集]

40代半ばになると、弟子から自身の動きがあまりにも速すぎると指摘されるようになった。その後、祖父・泰治の動きが撮影された8ミリフィルムを見た際に、物理的な速さではないことに気づいた。その後、柔術にも力をいれるようになり、体が柔らかくなっていくことにも気づいた。そして、弟子からは気配が消えたと指摘されるようになった。本人によれば、そこまで到達できたのは祖父の残した型があったからだという[3]

武術論[編集]

武術的身体[編集]

黒田鉄山は勝負事や強い弱いには関心が薄いと自ら述べている武術家である。彼の関心は家伝の武術を通した武術的身体の探求にある。彼は武術的身体を次のように定義している。

武術的身体とは、武術の修練によって培われた非日常的な働きを有する武術的な術技的身体であると同時に芸術的普遍的価値を有する理想的な美的身体であり、自然体とも言われるものである。[4]

武術的身体の獲得を可能にするのがの稽古である。黒田は「型は実戦の雛形ではない」という。戦いの中で型の順序そのままに動くことには意味がない。型は身体の運用理論であり、実戦に対応するための動きを作り上げる手段(方便)である。型には一般的、日常的な動作から離れた身体運動を要求してくる部分がある。慣れてしまった日常的な動きから離れるのはとても難しいことであるが、型の要求どおりに正しく動こうとすることで動きの質が変化する。逆に、表面の動きだけを似せて自分の動きやすいように動いてしまうと、型は形骸化する。

身体操法に関する用語[編集]

  • 順体法
「手を以ってせず足を以ってせず」「動かずに動く」手先や足先で動くのではなく身体全体から動くこと。身体の全体が連動しており、特定の部位が攻撃目標に向かっているわけではないので、相手はその動きを認識できず消える動きとなる。
  • 無足之法
地を蹴らずに歩む歩法。身体が倒れる力を利用する。脚力に頼る日常的な動きでは速さの限界が早期に訪れるため、それを否定して真に速い動きの獲得を目指す。居つかない身体の基礎でもある。無足の足捌きは、足音がたたない軽い足の使い方である。
  • 浮身
引力に逆らわずしかも浮き上がるような感覚での身体の使い方を差していう。居合術で座った状態から立ち上がる際に重視される。足を踏みしめることを否定しているため、一見するとこの立ち方は不安定に見える。しかし動作の気配を消し、動きの短絡化を可能にする重要な身体運用技法である。浮身は無足と直結している。
  • 最大最小理論
身体を最大に使うことで最小にして最速の動きを作り出す。これによって長いものが最短最小の、短く小さいものが最大の運動を得ることになる。剣術の廻剣素振りがこの運動理論をよく表している。太刀の運動抵抗を極小に抑える円運動と、最速・最短の直線運動をひとつの動きに内包することから「直線に支えられた円運動」とも呼ばれている。[5]
  • 等速度運動
初動から終動までを同じ速度で動く。「消える動き」の要となる。この動きは、動き始めの気配がない「一調子の動き」と不可分である。日常的な動きや一般的なスポーツの動きはこの動きと逆の、初動から段々とスピードを上げてゆく加速度運動である。

振武舘の武術体系[編集]

黒田が道場主を務める振武舘においては剣術柔術居合術が三位一体であるとされている。順体、無足、等速度などの身体操作をそれぞれの武術の中で学んでゆき、それらが一体となって武術的身体が形成される。

柔術[編集]

振武舘の柔術は相手を投げる、極めるという結果を重視したものではない。剣を相手にした身体の使い方及び剣を扱うための「斬りの体捌き」を学ぶことを重視している。「柔術が先行して剣術を引っ張っていく」とも言われる。剣の世界においては、ふんばったり居付いたりすることは斬られることになるため避けねばならない。そのため絶対に力をいれず、相手の力にぶつからず柔らかく相手を崩すことを訓練する。

基本となる稽古法に、床を蹴らずにその場で前回り受身を行う「無足の受身」がある。床を蹴らなければほとんど前進しないため、たたみ一畳で何十回と回転することができる。一畳での回転数を徐々に増やしてゆくことが稽古の指標になる。

剣術[編集]

剣術では太刀だけでなく、十手小太刀薙刀など様々な武器の扱いを学ぶ。これらの武器を手先で振り回したり叩きつけたりすることを否定し、無拍子の斬りの体捌きで扱う術理が剣術の根底に流れている。

稽古の基本は「廻剣素振り」である。刀の切先が斜め下に直線を描いて落ちるように手首を返してから振り上げ、頭上から正中線沿いに振り下ろす。その際、肘は真っ直ぐ伸ばしたままにするというものである。一見すると無駄な動きがあるように思えるがそれこそ最大最小理論であり、「輪の太刀は魔の太刀」と言われるほどの、真に斬れる太刀筋の獲得を可能にするとされる。この運剣法が、受け流しと斬撃の一体化、一調子の動き、崩れない正中線の確立といった、剣術の極意への入り口であるという。

居合術[編集]

居合は剣術中の精髄とも言われ、難度が高い術技である。刀の抜き方は「右手で抜かない」ことが基本となる。右手で抜かず体捌きで抜くことが大きな斬撃力を生み出す。

しかし居合術は単に鞘から刀を速く抜くだけの技術ではない。相手は既に刀を抜いており、自分は未だ抜いていないという居合の想定する条件は、自分に不利なものである。また基本となる座構えも、動きが制限されて不利であるかに見える。不利を覆す術理を型の中で学ぶのである。最終的には刀を抜かずに相手を制する(太刀を捨てる)ことを目指す。

棒術[編集]

剣を持った相手を棒で制御する体捌きを訓練する。棒で剣を受けないという特徴がある。

殺活術[編集]

極め技当身などの殺法と、身体の不具合を矯正する活法。一般には教授されていない。

流派[編集]

  1. 駒川改心流剣術
  2. 四心多久間四代見日流柔術
  3. 民弥流(民彌流)秘術居合術
  4. 椿木小天狗流棒術
  5. 誠玉小栗流殺活術

称号[編集]

著作[編集]

[編集]

ビデオ[編集]

  • 『剣術精義』 壮神社
  • 『居合術精義』(上・下巻) 壮神社
  • 『振武舘の技』 壮神社
  • 『振武舘武術講習会第一巻駒川改心流剣術』 壮神社
  • 『振武舘武術講習会第二巻民弥流居合術』 壮神社
  • 『振武舘武術講習会第三巻四心多久間流柔術』 壮神社
  • 『AIKI EXPO 2003 講習会編 vol.2』 合気ニュース
  • 『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』 合気ニュース
  • 『武 融合への祭典』 合気ニュース
  • 『古伝武術 極意指南 第1巻 民弥流居合』』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第2巻 駒川改心流剣術』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第3巻 四心多久間流柔術』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第4巻 民弥流居合「行之太刀」之極意』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第5巻 駒川改心流剣術「切上」之極意』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第6巻 四心多久間流柔術「腰之剣」之極意』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第7巻 棒術指南 椿小天狗流』 BABジャパン
  • 『古伝武術 極意指南 第8巻 剣・柔・居 三位一体の世界』 BABジャパン
  • 『黒田鉄山 改 剣之巻』 BABジャパン
  • 『黒田鉄山 改 柔之巻』 BABジャパン
  • 『黒田鉄山 極意!一調子の動き』 BABジャパン
  • 『黒田鉄山の型が導く超次元身体の法 第1巻 剣体編』 BABジャパン
  • 『黒田鉄山の型が導く超次元身体の法 第2巻 柔体編』 BABジャパン
  • 『岡島瑞徳×黒田鉄山 整・体・稽・古』 BABジャパン

連載[編集]

  • 「柔術万華鏡」『合気ニュース』合気ニュース
  • 「鉄山に訊け」『月刊秘伝』 BABジャパン
  • 「伝書に守られて」『季刊道』合気ニュース

脚注[編集]

  1. ^ 岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊秘伝』(2005年8月)通巻212号、BABジャパン、2005年8月1日発行、10頁
  2. ^ 岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊 秘伝』(2005年8月)通巻212号、BABジャパン、2005年8月1日発行、11-12頁
  3. ^ 岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊 秘伝』(2005年8月)通巻212号、BABジャパン、2005年8月1日発行、13頁
  4. ^ 黒田鉄山『気剣体一致の武術的身体を創る』BABジャパン、1998年8月発行、16頁。
  5. ^ 黒田鉄山『気剣体一致の「改」』BABジャパン、2000年8月、23頁
  6. ^ 戦前の大日本武徳会とは関係がない任意団体

参考文献[編集]

  • 岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊秘伝』(2005年8月)通巻212号、BABジャパン、2005年8月1日発行、8-33頁。
  • 黒田鉄山『気剣体一致の「改」』BABジャパン、2000年8月発行。
  • 黒田鉄山『気剣体一致の「極」』BABジャパン、2004年8月発行。
  • 黒田鉄山『気剣体一致の武術的身体を創る』BABジャパン、1998年8月発行。

外部リンク[編集]