女流棋士 (囲碁)

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囲碁女流棋士(じょりゅうきし)とは、女性のプロ棋士のこと。

女流棋士は、男性の棋士と同様に男女混合の一般棋戦に参加すると同時に、女流しか参加できない女流棋戦に参加することができる。

制度[編集]

日本の囲碁界において、「女流棋士」とは性別が女性の棋士を指す用語であり、ほとんどの棋戦において男性の棋士と同じ扱いを受ける[注釈 1]ほか、昇段の規定も男性の棋士と同じである。一方で、女流棋士のみが出場できる女流棋戦も2019年現在5棋戦存在する。

なお、将棋の女流棋士は女流棋士固有の制度のもと活動しており、囲碁界とは事情が異なる。「棋士[注釈 2]の出場棋戦には原則として出場権が与えられず[注釈 3]、女流棋士のみが出場できる女流棋戦が存在するほか、段級位の制度も棋士とは異なる。囲碁界では女性の棋士を「棋士」と呼んでも何ら問題はないが、将棋界では「棋士」と「女流棋士」は異なる制度であるため、女流棋士のことを「棋士」と言うのは正確でない。

日本棋院[編集]

2019年現在の制度について記載する。

日本棋院棋士採用試験では、正棋士の採用枠(一般採用枠)が毎年度5名ある一方で、女流特別採用棋士の採用枠が1名ある[1]。女性であっても性別の関係ない一般採用枠でも受験することができ、日本棋院では2019年現在宮崎志摩子桑原陽子加藤啓子謝依旻の4名が一般採用枠で入段している[注釈 4]

2018年度からは、女流棋士の採用枠を緩和する目的で、女流特別採用推薦棋士の制度が制定された[2]。女性による総当たりの試験を勝ち抜いた者が棋士になれる女流特別採用棋士の試験とは異なり、院生研修などで所定の優秀な成績を収め、院生師範の推薦があった者が採用される。2018年度には、国際棋戦での活躍などが嘱望される、原則として小学生を対象とした英才特別採用推薦棋士も制定されている[3]

女流特別採用棋士や女流特別採用推薦棋士、英才特別採用推薦棋士は、正棋士と同じように棋戦に出場することができるが、棋士給与の支給や対局料で正棋士とは差がある[1]。ただし、女流特別採用棋士は三段以上、女流特別採用推薦棋士は四段以上、女流の英才特別採用推薦棋士は五段以上に昇段すると資格が正棋士に変更され、他の棋士と同等の処遇を受けられるようになる[1]。正棋士になるまでは、席次(棋士としての位)は同じ段位の正棋士の下位とされる[1]

関西棋院[編集]

関西棋院の棋士採用試験でも、定員は示されていないものの日本棋院の女流特別採用棋士と同じような制度があるほか、外来棋士採用試験での優遇[4]がある。

歴史[編集]

平安時代には囲碁は女性のたしなみとされており、枕草子など古典文学にも碁を打つ女性の姿が描写されている。しかし鎌倉期以降囲碁は男性の楽しむものという傾向が強くなる。江戸期には太夫などが嗜む程度であったが、家元制度の整備とともに18世紀後半に初段に進んだ横関伊保安井知得仙知の娘で三段まで進んだ安井鉚などが現れる。幕末に著された『大日本囲碁姓名録』(弘化3年)には、二段野口松、豊田源(のち三段)など七名が記されている。林家分家の林佐野は16歳で入段、その後四段まで進み、明治碁界でも方円社設立に関わるなど活躍した。その養子である喜多文子は六段に進み(死後名誉八段を追贈)、日本棋院設立に大きな役割を果たした。喜多は杉内寿子伊藤友恵など多くの弟子を育て、女流棋士の数も増加していった。

1952年、初の女流タイトル戦である女流選手権(後に女流本因坊戦へ発展解消)が設立される。ここでは杉内寿子、本田幸子楠光子の本田三姉妹や伊藤友恵小林禮子らが活躍した。1970年代からは小川誠子小林千寿らが活躍し、女流棋戦の数も増加した。平成以降ではこれらのタイトルを青木喜久代小林泉美加藤啓子梅沢由香里謝依旻万波佳奈矢代久美子鈴木歩ら多数の棋士で争う戦国時代に入った。

ところが、2006年に当時17歳11か月の謝が女流最強戦を制し、最年少女流棋戦優勝記録を更新すると、2008年には女流名人・女流本因坊を制した。2010年には女流棋聖3連覇中の梅沢を下し、史上初となる女流本因坊・女流名人・女流棋聖の三冠独占を達成。2011年も三冠を維持するなど、謝は2006年から2015年までの10年間で21の女流タイトルを獲得し、さらに2016年には新設された女流立葵杯扇興杯を含む女流五冠を独占する活躍を見せた。

しかし、2014年に当時15歳9か月で会津中央病院杯を制し、謝の記録を更新した藤沢里菜も力をつけ、2016年から2017年にかけ謝の獲得していたタイトルから四冠を奪取。2018年も藤沢は三冠を獲得している。

女流棋戦[編集]

現行国内棋戦[編集]

休廃止棋戦[編集]

国際棋戦[編集]

主な女流棋士[編集]

男女混合棋戦での実績[編集]

日本[編集]

日本棋院による2000年から2007年6月までの集計では、女流棋士の対男性棋士の勝率はおおむね3割台前半で推移しており、この期間の勝率は.339である[5]。これは将棋の女流棋士の対棋士勝率(おおよそ1割台半ば)よりも高い[注釈 5]。2007年6月時点で男性棋士に勝ち越している女流棋士には吉原由香里小林泉美青木喜久代がいる[5]

2019年現在、日本の女流棋士が七大タイトルの獲得や七大タイトルへの挑戦、三大リーグ(棋聖戦[注釈 6]名人戦本因坊戦の各リーグ戦)入りを果たしたことはない。しかし、男女混合の若手棋戦では下記のような優勝や準優勝の実績がある(非公式棋戦を含む)。

  • 1997年小山栄美が第12回NEC俊英囲碁トーナメント戦で準優勝。NEC俊英囲碁トーナメント戦は25歳以下で賞金ランキングが上位の13名による男女混合棋戦である。決勝戦では楊嘉源に敗退した。女流棋士が男女混合の棋戦で決勝戦に進んだのはこれが初めてである。
  • 同じく1997年、青木喜久代が第22期新人王戦で準優勝。決勝戦は山田規三生に0勝2敗で敗れた。
  • 2006年謝依旻が同年に創設された第1回若鯉戦(30歳以下および五段以下の棋士を対象)で優勝。女流棋士が男女混合の棋戦で優勝するのは初めてのことであった。ただし、若鯉戦は第1期の時点では非公式棋戦であったため、公式にはタイトル獲得数などには含まれない(若鯉戦は第6期から公式棋戦となっている)。また、謝は2006年には第3回中野杯U20選手権でも準優勝している(決勝戦は井山裕太に敗退)が、こちらも非公式棋戦である。

その他に、下記のような実績がある。

日本以外[編集]

参考文献[編集]

  • 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
  • 福井正明、相場一宏『碁界黄金の十九世紀』日本棋院 2007年

注釈[編集]

  1. ^ 七大棋戦をはじめとするほとんどの棋戦では女流棋士の扱いは男性棋士と同等である。しかし、NHK杯で女流棋士の出場枠が別途設けられているなど、一部の棋戦では女流棋士や女流タイトル保持者の出場枠があることがある。
  2. ^ 将棋の棋士は2018年現在男性のみであるため男性のトーナメントプロを指して棋士と呼ぶと思われがちだが、性別は関係なく、女性も資格を満たせば棋士になることは可能である。
  3. ^ 女流棋士上位に女流枠として出場権が与えられる棋戦もある。
  4. ^ 一般採用枠での入段であっても、他の女流棋士と同様に女流棋戦にも出場できる。一般採用枠で入段した4名はいずれものちに女流タイトルを獲得している。
  5. ^ ただし、日本における囲碁界と将棋界では棋戦や棋士の仕組み、棋士の人数などに違いがあり、単純に比較できるとは限らない点に留意する必要がある。
  6. ^ 棋聖戦については、第40期の4段階リーグ方式採用以降はSリーグ入りのみを「リーグ入り」とする。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 日本棋院棋士採用規程”. 日本棋院. 2019年1月29日閲覧。
  2. ^ 囲碁:女性プロ棋士の条件を緩和する新制度発表 日本棋院” (日本語). 毎日新聞. 2019年1月29日閲覧。
  3. ^ 棋士情報” (日本語). 棋士情報. 2019年1月29日閲覧。
  4. ^ 外来棋士採用試験規定|一般財団法人関西棋院”. kansaikiin.jp. 2019年1月29日閲覧。
  5. ^ a b 女流棋士の対男性棋士成績 ―上半期集計―|棋戦情報|公益財団法人日本棋院”. 日本棋院のアーカイブ. 2019年2月6日閲覧。対男性棋士勝ち越しの対象となる女流棋士は五段以上またはタイトル獲得経験者
  6. ^ 鈴木歩七段が天元戦本戦入り!” (日本語). 2019年1月5日閲覧。
  7. ^ 藤沢里菜四段が本戦初勝利 女流棋士で初 天元戦トーナメント” (日本語). 2019年1月21日閲覧。
  8. ^ a b 박정환, 2개월 만에 다시 1위로 최정, 여자기사 최초 30위권 내 진입”. www.cyberoro.com. 2019年1月5日閲覧。