宮沢吾朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

宮沢吾朗(みやざわ ごろう、1949年11月29日 - )は[1]囲碁棋士北海道出身、木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。新人王戦優勝2回、棋聖戦名人戦本因坊戦リーグ入りなど。剛打、剛腕の戦闘的な棋風で高い人気を持ち、80-90年代にかけて一線級の棋士として活躍した。

経歴[編集]

帯広市生まれ。父は衣料店経営の傍ら囲碁の指導をしていたアマチュア強豪。

1961年に木谷實九段に入門し、日本棋院院生となる。1966年に入段。1976年に棋聖戦五段戦で優勝。1980、85年に新人王戦優勝。1981年天元戦ベスト4。1985、86年に棋聖戦七段戦に優勝し、最高棋士決定戦ベスト8進出。1986、89年王座戦ベスト4。1992年の十段戦では勝者組を勝ち抜いて挑戦者決定戦に進むが、小林光一棋聖に敗れる。同年名人戦リーグ入りするが1勝7敗で陥落。1992年九段。1996年本因坊戦リーグで2勝5敗。1997年JT杯星座囲碁選手権戦ベスト4。2000年の棋聖戦リーグでは2勝3敗で残留、翌年も2勝3敗ながら陥落。2005年にもリーグ入りするが5敗で陥落。2009年にもリーグ入り。2011年NHK杯戦ベスト4。

日中囲碁交流には、1981、84、86年に参加。通算成績は860勝583敗6ジゴ(2014年時点)

筋がよく、鋭い着眼で猛攻を仕掛ける棋風に心酔するアマチュアは多い。木谷実は宮沢を初めて見たとき「久しぶりに尾のハネ上がったをつかまえた」と言ったという。打碁集(日本棋院、2005年)の解説には「先生の常識は世の非常識。常識人でありたいのなら、この先生の碁に深入りしてはならない。」とまで書かれた。

魚類学者・タレントのさかなクンの父でもある。趣味は50歳を過ぎて始めたオートバイで、愛車はカワサキ・GPX250R/II。

主な棋歴[編集]

著作[編集]

  • 『詰碁ジョイブックス (10) 上級編』日本棋院 1982年
  • 『宮沢吾朗 打碁鑑賞シリーズ(10)』日本棋院 2005年
  • 『常識破壊-殻を破る発想法』毎日コミュニケーションズ 2005年

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 戸籍上の名前は「宮澤」。

外部リンク[編集]