急行列車

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日本の急行列車の例:「あしずり」
ロンドン発コンスタンチノープル行きオリエント急行のポスター

急行列車(きゅうこうれっしゃ)とは、普通列車(緩行)に対し、一部のを通過して主要駅にのみ停車し、速達輸送を行なう列車のことをいう。 一般的に、停車駅が特別急行列車(特急)よりも多く、準急列車(または快速列車)よりは少ない。急行列車の英訳はExpressが当てられ、事業者によってはExp.と略される。

なお本節では、急行料金が必要な優等列車長距離列車)としての急行列車のほか、以下についても取り扱うこととする。

  • 料金不要の「急行」 - 日本国有鉄道(国鉄)・JRでは広義の普通列車に含まれる列車[注釈 1]
  • 社名に「急行」を冠する事業者
  • 鉄道以外の急行

急行列車の各国の呼称

急行列車の英語訳は"Express"であるが、これは日本語の「急行列車」とは一対一で対応するとは限らない。日本の急行列車に相当する列車に与えられる列車種別をあらわす名称としては、高速性が示せる言葉から自然発生した、"Flyer", "Mail Train", "Rapide(フランス語。英語の"Rapid"に相当)"、"Schnelzug(ドイツ語。"Schnel"は英語の"fast"に、"Zug"は英語の"Train"に相当)"といった用語と、事業者の創作・命名に由来するが、個別列車の愛称とははっきり区別できる"InterCity (IC) ", "InterRegio (IR) ", "EuroCity (EC) "などといった名称が存在する。また、日本語の「特別急行列車(特急)」「快速急行」と同様の、Expressという名称の変形として"Trans Europ Express (TEE) ", "InterCityExpress (ICE) ", "RegionalExpress (RE) "といったものが用いられることがある。一部の都市内路線や地下鉄では"Skip Stop"という表現も用いられる。

日本国外の急行列車

急行列車の歴史については不明な点が多いが、最古の急行列車は"Mail Train"という名称を用い、他の列車とは速度の面で特に区別されて運行された1830年代のイギリスの郵便と旅客の混合列車であると推定される[誰?]。19世紀のイギリスの鉄道は高速化に熱心で、"Express"、"Flyer"といった名称のついた列車が散見されるが、反面需要の有無に関わらず、各駅停車に相当する列車の運行にきわめて不熱心で、議会で低運賃の各駅停車の運行が義務づけられ、各駅停車の方が「議会列車"Parliament Train"」として認識されているほどであったことや、"Express"呼称と特別料金の有無が一致しなかったことから、こうした高速列車が優等列車として意識され、急行列車という名称が列車種別として意識されていたかどうかについては疑問の余地がある。なお、"Mail Train"はイギリスの植民地であったインドの鉄道の列車種別として現在でも用いられている。

急行列車が発展した地域としては、他にアメリカ合衆国ヨーロッパなどを挙げることができる。長距離を走るアメリカの列車には速達性が求められ、19世紀末にはニューヨーク-シカゴ間の"Empire State Express"など、"Express"の呼称を用いた列車が多数存在した。ただし、20世紀以降は"Express"という名称は、フェデラルエクスプレスなど現在の宅配便に相当する小口荷物を輸送する「急行貨物列車」もしくは「急送便」といった意味合いで用いられることが多くなり、また、競合路線が多い中で旅客誘致をするためにも特別さをアピールできるものが相応しいことから、旅客列車には"Limited"という名称を用いることのほうが標準になった。現在のアムトラックの列車名を見ても、その路線の唯一の列車で、取り立てて高速でもない列車が" - Limited"を名乗るケースが多い。例外は、近郊鉄道や都市高速鉄道で、急行線を運行する電車を"Express"と名付ける習慣は現在のニューヨーク地下鉄に残されている。アメリカにおいても"Express"呼称と特別料金の有無は現在でも一致していない。

ヨーロッパでは、1883年に国際寝台車会社 (Compagnie Internationale des Wagons-Lits) の寝台車によって国際急行列車"Orient-Expres"(オリエント急行)が運行された。国際寝台車会社の寝台車によって運行された国際急行列車「ヨーロッパ大急行」"Grands Express Europeens"は豪華さとともに、速達性によって第二次世界大戦前の花形列車としてヨーロッパで活躍した。ヨーロッパではこのほかにも座席車連結の国際急行や国内急行列車が存在した。これらは第二次世界大戦後に、国際特急TEE(のちにECとして発展的解消)やインターシティ (IC) サービスとして発展的解消を遂げたが、"Express"の名称自体はスペインやイタリアの列車種別として残されている。大陸ヨーロッパの諸国では、かならずしも"Express"呼称の列車に対してではないものの列車種別によって特別料金を取る列車が多く、列車本数も多いことから、急行という名称は列車種別として定着している模様である。

国鉄・JRにおける急行列車

JR国鉄)の急行列車は、利用の際に急行券を購入し、急行料金を支払う必要がある。本来定期乗車券による乗車はできず、急行券のほか普通乗車券または回数乗車券で乗車しなければならないが、従来も列車・区間を限定して乗車を認めている場合があった。

なお正確には普通急行列車特別急行列車(特急)の総称が急行列車であるが、一般に「急行」といえば普通急行列車のことを指す。このほか、かつては準急行列車(準急)も運行されていたが、普通急行列車に統合されて消滅した。

以下、この節において急行列車という場合は普通急行列車のことを指すものとする。

歴史

「急行列車」の登場

日本初の「急行列車」は、1894年(明治27年)10月に山陽鉄道(現在の山陽本線)が神戸 - 広島間で走らせたものとされている。3往復のうち1往復を主要駅だけの停車にしたもので、両駅間を9時間弱で結んでいた。これ以前にも、1882年(明治15年)3月1日新橋 - 横浜間で運転を開始した列車を始めとして、「官報」掲載の時刻表で「急行」と表記された列車は存在したが、それらは現在の快速列車に近い存在で、長距離旅客の利便性やサービス向上を本格的に意識した列車はこれが初めてであった。翌1895年(明治28年)10月20日には官設鉄道に乗り入れ、京都発着となった。官設鉄道では1896年(明治29年)9月1日に、新橋 - 神戸間での急行列車を登場させた。それまで約20時間かかっていた両駅間が、17時間強で結ばれることになった。その後1899年(明治32年)には食堂車が、1900年(明治33年)に寝台車がそれぞれ山陽鉄道の急行列車に日本で初めて連結された。

その後急行列車の本数は増えていき、「最急行」・「最大急行」などといった急行より上の格の列車も登場するが、日露戦争中は削減または廃止されスピードも大幅に低下した。

日露戦争が終結した後には急行列車券規定が公布され、1906年(明治39年)4月16日に新橋 - 神戸間に設定された最急行列車の利用に、初めて急行料金が必要となった。急行料金を必要とする列車は徐々に増加していき、明治最後の年である1912年(明治45年)6月には、最初に急行料金が必要になった最急行列車が格上げされ、日本初の「特別急行列車」(特急列車)となった。

急行列車の黄金期

大正から昭和時代初期にかけては急行列車の黄金時代で、日本の多くの幹線で設定された。そのころの特急列車は東海道本線山陽本線の「富士(ふじ)」・「櫻(さくら)」・「燕(つばめ)」・「鴎(かもめ)」の4種類しかなかったので、東北本線などその他の幹線では急行列車は「最優等列車」として君臨し、「特急列車」にも引けを取らない列車も多く存在した。1934年(昭和9年)12月、丹那トンネルなどが開通した時に行われたダイヤ改正時の、そのような列車には次のようなものがある。

7・8列車
(東海道本線・山陽本線・呉線東京 - 下関間運転。終点下関駅では、関釜航路(下関 - 釜山)と接続し、朝鮮満州中国、そしてシベリア鉄道を経由してモスクワロシア)・ベルリンドイツ)・ロンドンイギリス)など、国際連絡運輸の一翼を担うという役割も果たしていたほか、呉線全通後は同線を経由することで、呉鎮守府および呉在籍の艦船に赴任・出張する海軍士官の足となった。格別な列車として、一等二等三等の各等の座席車・寝台車をすべて連結した。食堂車は特急「櫻」を含む他の多くの列車が「和食堂車」である中、「洋食堂車」であった。当時、「洋食堂車」のほうが高級感があったからである。昼行区間(京都 - 下関間)では一等展望車も連結した。
17・18列車
(東海道本線)東京 - 神戸間運転。関東と関西を結ぶ夜行列車で、神戸では満州の大連などへの航路にも接続していた。一・二等寝台車と洋食堂車を連結していたが三等車は連結されず、また座席車は二等車の1両のみであり、ある意味では「寝台列車」の走りともいえるような列車であった。その高貴性から政府などの要人や著名人などが多く使用し、「名士列車」と呼ばれた。
201・202列車
常磐線・東北本線)上野 - 青森間運転。東北本線の列車には、北海道樺太連絡の使命も与えられていたが、この列車はそれらのなかでも最も重要な位置付けをされていた。二・三等車のみで一等車はなく、食堂車も和食堂車であったが(1934年以降一等車および洋食堂車の連結は東海道・山陽本線のみとなった)、二等寝台車の一部には「特別室」と呼ばれる一等寝台車並みの設備を持った車両が連結されていた。またこの改正時に大幅な速度向上が行われており、上野 - 青森間を下りが12時間45分、上りにいたっては12時間25分で走破し、上り列車の平均時速は60.46kmにも達していた。1940年(昭和15年)10月、上り列車は所要時間をさらに5分短縮し、この記録は1958年(昭和33年)10月に、東北初の特急列車「はつかり」が登場(上野 - 青森間を上下列車とも12時間で運転)するまでの18年間も破られなかった。
1・2列車
函館本線室蘭本線宗谷本線函館 - 札幌稚内間運転。上記の201・202列車青函連絡船をはさんで接続する列車で、下りの場合長万部駅で函館本線経由札幌駅行きと、室蘭本線経由稚内行きとを切り離した。(上りも同駅で併結した)この列車にも「特別室」が設けられていて、稚内駅では樺太の大泊(現在のコルサコフ)への航路と接続した。

急行列車は日中戦争に突入しても、そのために満州や樺太などへの需要が増したことから、各地で増発が続けられるが、太平洋戦争の戦況が悪化してきた1943年(昭和18年)2月ごろから削減されるようになった。

1944年(昭和19年)4月に特急列車が全廃(同時に一等車・寝台車・食堂車の連結はすべて中止された)、そして1945年(昭和20年)3月に、全国でも急行列車は東京 - 下関間(6月から東京 - 門司間)の1往復のみとなってしまう。

復興と特急への置き換え

戦後は石炭・車両・整備の事情が戦時中以上に悪化し、1947年(昭和22年)1月 - 4月にはついに急行列車が消滅するという事態も迎えている。しかし同年6月ごろからは、日本全国に準急列車とともに増発・新設されていくことになる。戦後はいわゆるローカル線などにも広く設定されていった。しかし準急列車は急行列車に統合される形で1966年(昭和41年)3月に100km以上を走行する本来の意味での「準急列車」は消滅、残りも1968年(昭和43年)10月に姿を消す。

かつては、首都圏の中央線や関西地区の東海道本線・山陽本線、阪和線といった路線では、急行料金不要の列車として、急行“列車”ではなく「急行“電車”(急電)」という列車が運行されていた。しかし、同様の種別名称で料金が必要なものとそうでないものが混在するのは、旅客案内上好ましくないことから、電車や気動車を使用した有料準急の新設をきっかけとして、1958年(昭和33年)10月に「急行電車」は「快速電車」に改称された(後述の「急行電車(急電)」も参照)。

戦時買収私鉄であった阪和線では「特急電車」・「準急電車」も存在したが、この時に「特急電車」を「快速電車」に、「急行電車」と「準急電車」は「直行電車」(のちに「区間快速」)とした。

急行列車の最盛期となる昭和40年代には数多くの列車が設定されたが、その中には非常な長距離を走るもの、運行区間が独特なもの、分割・併結を繰り返すものなど、さまざまな特徴を持った列車も多く存在することとなった。1968年(昭和43年)10月改正(通称「ヨン・サン・トオ」)時の、それらの一例には下記のような列車がある。

高千穂
(東海道本線・山陽本線・日豊本線)東京 - 西鹿児島(現在の鹿児島中央)間運転。日豊本線周りで東京から西鹿児島までの1574.2kmを、この当時は28時間15分もかけて走破するという、屈指の長距離列車であった。なお、1965年(昭和40年)10月 - 1980年(昭和55年)10月の寝台特急列車(いわゆるブルートレイン)「富士」も同区間を運行していたが、「急行列車」の中では最長であった。なお、1968年10月のいわゆる「ヨンサントオ改正」より東京駅から門司駅までは鹿児島本線経由の「霧島」(のちに「桜島」と変更)と併結して運転し、またこの当時の東海道本線では唯一の昼行客車列車であった。
さんべ
山陰本線美祢線山口線・山陽本線・鹿児島本線)米子 - 小郡(現在の新山口)・小倉博多熊本間運転。この当時は昼行2往復、夜行1往復の計3往復が設定されていたが、下りの「さんべ2号」と上りの「さんべ1号」は運行経路が複雑であった。下りの「さんべ2号」の場合、米子駅を発車して益田駅で山口線経由小郡行きの列車をまず分割するが、長門市駅でも山陰本線経由と美祢線・山陽本線経由の列車を分割して、その分割した編成を再び下関駅で併結するという運用を行っていたのである。この後もこの列車は昭和50年代末まで運行され、西村京太郎の作品の影響からか、いつしか「再婚列車」と呼ばれるようにもなっていた。
陸中
(東北本線・釜石線山田線花輪線奥羽本線仙台 - 秋田間運転。この列車は当時、仙台駅から秋田駅までを最短経路の北上線を経由する急行「きたかみ」では、同区間は当時4時間半で運行できるものを釜石線・山田線・花輪線を経由し13時間半もかけて運転するという、運行経路も奇妙なものであったが、それ以上に分割・併結の複雑な多層建て列車が多く存在した東北地区を象徴するような列車でもあった(詳しくは、はまゆり (列車)の記事を参照)。

特別急行列車が文字どおりの「特別」な列車であった時代は、急行列車は庶民の足として日本全国津々浦々で運転されていたが、1964年(昭和39年)10月に新幹線が、そして1972年(昭和47年)10月にエル特急が登場すると特急の大衆化が進む。経済の高度成長に伴う鉄道輸送の飽和から列車運行速度の異なる急行形車両(運転最高速度95km/h - 110km/h)がダイヤ上のネックとなった。中長距離は特急列車に格上げし、近距離や一部の中距離列車(元準急列車が中心)を快速に格下げすることにより、列車速度の単純化と優等列車の車種統一による車両運用の合理化、さらには陳腐化していた急行列車のサービス向上などを図った。こういった施策は自動車や高速バスの普及したこの時期においては不可避だったとはいえ、特急格上げの際に車内設備の改善はともかく、所要時間短縮が少なかったことから、国鉄の増収手段の1つという批判も強かった。ただし、当時の国鉄運賃は物価水準に対し政策的に低く抑えられており、また国鉄運賃の値上げは国会承認事項であり必ず政治問題となることから簡単な値上げは不可能であり、手っ取り早く必要に見合った増収を目指すには運賃外の料金値上げが利用されたという背景もある。

この時期には、いわゆる新性能電車との置き換えなどにより、臨時列車(「はりま」など)や大都市圏(とりわけ首都圏・「かいじ」など)では、所定の車両が揃わない等の理由で、一般形車両により運行される急行列車もあった。それらの列車は「遜色急行」(そんしょくきゅうこう)と一部の鉄道ファンから揶揄された。これはかつての準急行列車が速度を第一とし、その対価として急行料金に比べ安価な準急行料金を徴したのだが、その準急以下と見られたからである。一方で西日本を中心に急行形車両への冷房取り付けも進み、一等車は1968年までに、関東以西の普通車(旧二等車)も1970年代後半までには完了したが、東北以北では普通車への冷房設置は遅々として進まなかった[注釈 2]

急行全盛期の列車編成に欠かすことのできない車両として、特別二等車二等車(ともにのちの一等車・グリーン車)、食堂車(ないしは、ビュッフェ)・荷物車が挙げられたことから、ダイヤグラム作成に際して速度を含めて優等車両を備えた列車のことを、略して「優等列車」と呼ぶようになったともいわれている。

こういう経過の中でも存置された急行列車は、次第に特急と普通列車に挟まれた中途半端な存在として利用客が減少していった。

衰退から消滅への流れ

1980年代以降の新幹線延伸などによって、それまで在来線特急列車で使用されていた特急形車両が余剰になり、時を同じくして急行列車に使用していた車両が老朽化してきた。そのため急行列車は特急列車へ格上げされるものと、快速列車・普通列車へ格下げされるか廃止されるものとに分化し、大きく数を減らしていった。1982年11月15日の国鉄ダイヤ改正を皮切りに、JR発足後もその流れは止まらず、ほぼ毎年のように急行列車が廃止された。

JR四国1999年3月、JR九州2004年3月、JR東海2008年3月、JR西日本2012年3月の各改正をもって、それぞれの管内から定期急行列車が消滅している。

ちなみに昼行急行列車は、最後に残っていた「つやま」が2009年3月改正により廃止されたため、電車・気動車・客車ともに全廃となっている。

その結果、2015年時点では定期運転の急行列車は夜行の「はまなす」のみとなったが(後述の「最後まで残った急行列車」を参照)、同列車についても2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い廃止された[1]。これにより、JRグループから定期運行の急行列車は完全消滅した。

かつては全国各地に存在していた、グリーン車を連結した急行列車も減少している。上に述べたとおり、長距離昼行急行は必ず編成中にグリーン車があった。昼行列車で最後まで全室グリーン車を連結していた「たかやま」も、1999年12月4日に特急「ひだ」昇格により廃止。半室グリーン車キロハ28形を連結していた「つやま」も、2003年9月30日をもって車両変更により編成から外され、グリーン車を連結する定期昼行急行列車は全廃。2012年3月改正での「きたぐに」の臨時格下げにより、グリーン車を連結する定期急行列車は完全に消滅した。

なお、臨時列車化以降の「きたぐに」も廃止される2013年3月以降は、グリーン車を連結する列車は使用車両の一部に設置ないしは、いわゆるジョイフルトレインを使用した列車に限られており、一般的な臨時列車ではグリーン車の連結は行なわれない事例が多い。

なお、1998年に廃止された周遊券のうち、均一周遊乗車券(ワイド周遊券・ミニ周遊券)では急行列車の自由席利用が出発地から自由周遊区間までの経路を含めて可能となっていた。

急行列車の車両について

急行形車両の例:475系

急行列車に運用される車両は、153系165系直流電車や455系・475系交直流電車、キハ28系・58系気動車、12系客車などを代表とする急行形車両や旧型客車で運行されるのが基本であった。

しかし、列車によっては485系583系電車や20系14系客車、キハ181系気動車などの特急形車両や、113系401・403/421・423系電車やキハ40系気動車などの一般形車両を使用する列車が存在した。特に、後者の一般形車両を使用した急行列車については、通常の急行形車両よりサービス設備がランク落ちすることから、鉄道ファンからなどからは“遜色急行”と呼ばれることもある。

なおJR化後、急行専用車(急行形車両)として開発された車両は一形式もなく、わずかにキハ110形に急行仕様の車両が存在するのみである。ただし現在は、定期列車としては快速列車運用のみとなっている。

JR化後に製造された車両を使用していた「かすが」(ただし、運用に入っていたキハ75形は転換クロスシートではあるものの、両開き3扉でデッキ仕切りはない)が2006年3月改正で廃止されたあとの定期急行列車は、すべて国鉄時代の車両を改修して使用している。車両自体も、専用とされた急行形車両を使用する定期列車はおろか、一般形車両を使用した急行列車についてもすでに全廃されている。また、前述の「はまなす」や後述の臨時列車については特急形車両を使用している。なお以前は、特急の間合いなどでJRの特急形が使用された列車もあった。

旧・国鉄において急行列車向けに設計された車両については、急行形車両を参考にされたい。

最後まで残った急行列車

事実上唯一の急行である多摩急行唐木田行き

定期列車としてははまなすが唯一最後まで急行列車として運行されたが、既述のとおり同列車も廃止された。

しかしながら、小田急線のダイヤ改正に伴いE233系2000番台の小田急線乗り入れによって通勤型による初の急行・準急が登場することとなり、またJR化後(国鉄民営化後)としては初めて、国鉄時代も含めると1968年以来48年ぶりに、JR車による準急が復活した。

臨時急行列車

上記の「はまなす」が廃止された現在、多客期の臨時列車(多客臨)が経年の特急形車両を急行列車として運行させる場合があるのみである。これは、以下の背景によるものである。

  • 定期運転する特急列車に比べ設備が古いなど、車両自体の問題。
  • ダイヤの編成上、所要時間が多くかかるという問題。

急行電車(急電)

概要

関西急電で使用されたモハ52系

昭和初期より、急行列車とは別に「急行電車(きゅうこうでんしゃ)」と呼ばれる普通列車が運行される路線があった。「急電(きゅうでん)」と略して呼ばれることもあった。

急行電車は、複々線化に際して近距離を利用する都市近郊客と遠距離利用客を分離ないしは、貨客分離を意図した場合において、各駅停車(緩行電車)に対し、一部のを通過して速達サービスを提供した。

こういった列車には通常、急行料金を徴収せず、車両にも近距離仕様の車両のそれに比べて、特別なサービス設備のないものが用いられるが、駅間が長くなるためサニタリー設備を持つ車両が提供される場合もある。また、座席配分も近距離のそれに用いられるロングシートではなく、セミクロスシートなどが用いられる場合もある。

歴史

日本の鉄道では、高速度電気鉄道(路面電車などの軽軌道に対し、本格的な鉄道設備の上を電車によって高速運転する鉄道)が普及し始めたころ、機関車と無動力の客車によって運転される動力集中方式列車と、動力分散方式を採る電車は、「単に同じレールの上を走りうる、全く別の性格の乗り物」と定義されていたことによる。

かつての旧国鉄においても、電車で運転される「急行」のことをこの呼称で呼び、急行料金を徴収する急行列車とは別の存在として位置づけていた[注釈 3]。また阪和電気鉄道を母体とし、戦時買収により国鉄が所有した阪和線では、料金不要の特急電車・準急電車も存在した。

しかし、1958年(昭和33年)に151系電車153系電車が登場し、急行料金を定める特急列車や急行列車に投入されたのに合わせ、国鉄の急行料金の不要な列車は順次「快速」へと呼称を変更した。

ちなみにかつての名残として、中央快速線は現在も通称であり、正式なJR東日本の社内規定上の名称は「中央急行線」である。

一方私鉄では現在も料金不要の「急行」が運行されているが、これについては次項「私鉄の急行列車」を参照のこと。

私鉄の急行列車

概要

私鉄では1906年(明治39年)の鉄道国有法によって、国鉄のような動力集中方式で長距離列車を運行する路線を有する会社は東武鉄道南海鉄道(これらものちには分散方式へ移行する)などを除いてほぼ皆無となったことや、現在存在する私鉄はその後米国におけるインターアーバンを摸した高速度電気鉄道として出発した会社がほとんどであるため、このような区別にとらわれず「急行」を設定した。そのため、必ずしも急行列車が標準的な速達列車とならない場合もある。

ただし東武鉄道の場合、かつて東京群馬県栃木県とを結んできた東武本線系統において、国鉄の制度に準じた急行券を要する列車(伊勢崎線急行「りょうもう」や日光線系統の急行。以下「有料急行」)とは別に料金不要の「急行」を運行していた。この列車は1951年の運転系統の改正により名称上廃止され、「快速」・「準快速」(停車駅が少ない)「準急」など(以下「快速等」)と呼称変更された。

その後は「準急」(=無料かつ途中停車駅が比較的精選されていない列車)と有料急行の間に位置する列車種別として存在するものもあったが、有料急行については2006年3月ダイヤ改正までに「特急」に格上げされた。これに伴い、本線での料金不要の「急行」が前述の快速等とは別に設定された。

なお、快速列車が急行列車より停車駅が少ない会社もあるが、これについては列車種別#日本のその他の鉄道会社の列車種別・快速列車の項も参照。

また以上のような経緯から、都市近郊輸送手段としての性格の薄い一部の会社では、急行料金を設定している列車を走らせている場合がある。また、かつての富士急行長野電鉄、そして島原鉄道など観光地の路線などでは、旧国鉄からの乗り入れ(またはその逆)を行なう関係で別途急行料金を徴収する事例もままみられた。同様の事例でも小田急電鉄の「あさぎり」、名古屋鉄道の「北アルプス」や南海電気鉄道の「きのくに」、そして富山地方鉄道に乗り入れていた国鉄の急行列車(「立山」「のりくら」)などは、国鉄線内は急行でも私鉄線内では特急として扱われていた。

有料急行列車

有料急行列車(秩父鉄道)

既述のとおり、かつては大手私鉄でも東武鉄道日光線系統に唯一の有料急行列車が存在したが、2006年(平成18年)3月18日の改正で特急に格上げされ、同時に料金不要の「急行」が新たに設定された。以後、急行券が必要な急行列車は以下の4社でのみ運転されている。車両は専用車両が使われることが多い。

以下、会社名を50音順で記す。

運行会社 愛称 運行区間 備考
秋田内陸縦貫鉄道 もりよし 角館 - 鷹巣
いすみ鉄道 観光急行列車
 (急行○号)
大多喜 - 大原 土休日に運転。
指定席は追加料金が必要。
大井川鐵道 SL急行 新金谷 - 千頭 全席指定であるが、満席となった場合も立席承知で発売される。
秩父鉄道 秩父路 羽生熊谷 - 影森三峰口 あくまで車両サービスではなく「速達サービス」であるため、
ロングシート車で運用の場合も急行券が必要。

かつて運行されていた列車

運行会社 愛称 運行区間 備考
大井川鉄道
(現:大井川鐵道
(電車急行) 金谷 - 千頭 現在も臨時で運転する場合がある。
小田急電鉄 あさぎり 新宿 - 御殿場 国鉄・JR線直通。正式表記は「連絡急行」(小田急線内)。
現在は特急に格上げ。
島原鉄道 (愛称名なし) 諫早 - 加津佐 10km以上乗車する場合に有料。
現在は料金不要。
定山渓鉄道
(現:じょうてつ
いでゆ
しらかば
みどり
むいね
もみじ
札幌 - )東札幌 - 定山渓 国鉄函館本線直通[2]
東武鉄道 りょうもう 浅草 - 赤城伊勢崎葛生 現在は特急に格上げ。
しもつけ 浅草 - 東武宇都宮
ゆのさと 浅草 - 鬼怒川温泉新藤原
きりふり 浅草 - 新栃木東武日光
東武鉄道
野岩鉄道
会津鉄道
南会津 浅草 - 会津田島
のと鉄道 能登路 金沢 - )七尾 - 輪島珠洲 JR七尾線直通。
のと恋路号 七尾 - 珠洲 自社線内のみ運行。

料金不要の「急行」

急行料金不要の「急行」(京王電鉄

現在私鉄の多くが運行している「急行」とは、料金不要の列車のうち速達運転を行なうものとして用いられ、JRにおける「快速」(普通列車)に相当する。最初にそれを導入したのは京阪電鉄京阪本線で、1914年(大正3年)のことである。同社はその後1916年(大正5年)にノンストップ運転であった従来の急行を「最急行」に改称し、「急行」を主要駅停車の列車としている。

車両は通勤形車両(一般車両)が使われることがほとんどであるが、中には近郊形車両に近い車内設備を持つ専用車両を保有している場合もある。またこれらの会社のうち、料金不要の「特急」を走らせている会社(京浜急行電鉄や京阪電鉄など)では、これらの専用車両を利用していることもある。

昨今では千鳥停車による停車駅分散や、乗客数ごとに駅の停車列車本数に格差を設ける関係もあってか、急行をベースとした種別も多様化する傾向がある。

列車一覧

  • 一部を除いて全て電車で運転。
  • 表中の「派生種別」については、特急および準急を除く。
  • 地下鉄については別枠でまとめた。
  • ×」表記のものはかつて運行されていた運行会社・路線および派生種別
北海道地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
×定山渓鉄道 ×定山渓鉄道線 1965年10月1日改正以降無料化。1966年10月1日廃止[2]
×夕張鉄道 ×夕張鉄道線 1967年10月1日廃止[3]
関東地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
小田急電鉄 小田原線
江ノ島線
多摩線
快速急行
×通勤急行
×湘南急行
多摩急行
×箱根登山鉄道 ×鉄道線 小田急線直通列車のみ、2008年3月のダイヤ改正で廃止。
京王電鉄 京王線
高尾線
相模原線
新線
競馬場線
動物園線
×通勤急行
区間急行
都営新宿線とも直通して運行。
井の頭線
×京浜急行電鉄
(京急)
×本線 ×空港線
×逗子線
×久里浜線
×通勤急行
エアポート急行
本線は泉岳寺 - 京急蒲田間のみ、2010年5月のダイヤ改正で「エアポート急行」に名称変更(同時に本線での運行範囲も広がる)。
久里浜線の急行は1970年6月20日廃止[4]
逗子線の急行は1999年7月30日廃止[4]
×京成電鉄 ×押上線 ×本線
×東成田線
×通勤急行 東成田線の急行は2002年10月11日廃止[5]
押上線、本線の急行は2010年7月17日廃止[5]
北総鉄道 北総線
相模鉄道
(相鉄)
本線 通過運転区間は横浜駅 - 二俣川駅間のみ。以西は各駅に停車。
詳細は相鉄本線#急行を参照。
西武鉄道 池袋線 狭山線
西武秩父線
快速急行
通勤急行
狭山線は臨時便のみ運行。
新宿線 西武園線
拝島線
多摩湖線
通勤急行
東京急行電鉄
(東急)
横浜高速鉄道
東横線
目黒線
みなとみらい線
田園都市線
大井町線
東武鉄道 伊勢崎線 日光線 区間急行
東上線 快速急行
×通勤急行
現在の快速急行は、以前は特急として運用されていた。
通勤急行は2016年3月26日廃止。
野田線 2016年3月26日開始。
東海地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
×伊豆箱根鉄道 ×駿豆線 1971年以降廃止[6]
静岡鉄道 静岡清水線 通勤急行 急行は2011年10月より運行再開、下り列車(新清水行き)のみ設定。
通勤急行は2011年10月より運行開始、上り列車(新静岡行き)のみ設定。
×遠州鉄道 ×鉄道線 1972年10月1日廃止[6]
×豊橋鉄道 ×渥美線 1985年9月1日廃止[6]
名古屋鉄道
(名鉄)
名古屋本線
×竹鼻線
×羽島線
犬山線
×一宮線
×広見線
各務原線
×小牧線
常滑線
河和線
津島線
西尾線
×蒲郡線
×三河線
豊川線
空港線
知多新線
尾西線
快速急行 通過駅のない伊奈始発の上り列車も急行として運行。
一宮線の急行は1941年8月11日廃止[7]
小牧線の急行は1968年8月25日廃止[8]
三河線の急行は1981年11月20日廃止[9]
竹鼻線、羽島線の急行は2001年10月1日廃止[10]
蒲郡線の急行は2005年1月29日廃止。
広見線の急行は2011年3月26日廃止。
瀬戸線
×揖斐線
×谷汲線
×美濃町線
×岐阜市内線
×田神線
美濃町線・田神線の急行は1975年9月16日廃止。
谷汲線の急行は1984年3月20日廃止。
岐阜市内線・揖斐線の急行は2005年4月1日(路線廃止)まで運行。
明知鉄道 明知線 愛称は「大正ロマン号」で、気動車で運転。
明智行のみ食堂車を連結(要予約)。月曜は運休。
近畿日本鉄道
(近鉄)
名古屋線
大阪線
山田線
×志摩線
×養老線
鈴鹿線
鳥羽線
快速急行
×区間快速急行
英語表記は「EXP.」。
鳥羽線は朝夕のみ運行。
鈴鹿線は平日に名古屋線近鉄四日市から直通する平田町行き1本のみ。
志摩線の急行は1969年12月9日廃止[11]
養老線の急行は1983年3月24日廃止[11]
×伊勢電気鉄道 ×本線 1938年6月25日廃止[12]
×三岐鉄道 ×三岐線 1989年廃止[6]
北陸地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
富山地方鉄道
(地鉄)
本線
立山線
快速急行
×A急行
×B急行
[13]
×北陸鉄道 ×能美線
×山中線
×能登線
×石川線
×浅野川線
能美線(石川線直通)の急行は1939年頃に存在した[13]
山中線の急行は1971年7月1日廃止[13]
能登線の急行は1971年廃止[13]
石川線の急行は1971年以降に廃止[13]
浅野川線の急行は2006年11月30日廃止[13]
×京福電気鉄道
福井本社
×越前本線
×三国芦原線
×永平寺線 [13]
福井鉄道 福武線 ×準急
区間急行
準急は2004年10月1日廃止
区急は2016年3月27日開始
えちぜん鉄道 三国芦原線 2016年3月27日開始※福井鉄道福武線と相互直通運転開始(フェニックス田原町ライン
近畿地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
近畿日本鉄道
(近鉄)
大阪線
山田線
鳥羽線 快速急行
×区間快速急行
×通勤急行
×区間急行
英語表記は「EXP.」。
長野線は平日朝上り、夕方下りのみ。
奈良線の快速急行は阪神線とも直通して運行。
奈良線 難波線 快速急行
京都線
橿原線
天理線 ×快速急行
南大阪線 吉野線
長野線
区間急行
×奈良電気鉄道 ×奈良電気鉄道線 1968年12月19日廃止[14]
南海電気鉄道 南海本線 和歌山港線
空港線
×多奈川線
空港急行
区間急行
急行そのものの種別はラッシュ時のみの運転。
多奈川線の急行は1993年4月17日廃止[15]
高野線 快速急行
区間急行
×江若鉄道 ×江若鉄道線 1969年11月1日廃止[14]
京阪電気鉄道 京阪本線 中之島線
鴨東線
×宇治線
通勤快急
快速急行
深夜急行
区間急行
派生種別ではない急行そのものは、日中は淀屋橋 - 樟葉間での運転。
中之島発着は正月特別ダイヤ(1月1日-3日)とその他臨時便のみ運行。
宇治線の急行は1989年9月26日廃止[16]
×京津線 ×石山坂本線 石山坂本線の急行(線内各停)は1976年1月8日廃止[16]
京津線の急行は1981年4月11日廃止[16]
阪神電気鉄道 本線
阪神なんば線
快速急行
区間急行
阪神なんば線は、近鉄線と直通運転を行なう快速急行のみ。
神戸電鉄 有馬線
粟生線
三田線
神戸高速線
×通勤急行
×山陽電気鉄道 ×本線 通過駅のある全線通しの急行は1984年廃止。
阪神本線内で急行運転する直通列車は2009年3月廃止。
能勢電鉄 妙見線 日生線 妙見急行
日生急行
「急行」という種別は公式には存在しない。いずれも朝に川西能勢口行きのみ運行。
妙見急行は日曜祝日を除き運行。日生急行は土曜日のみ運行。
阪急電鉄 神戸本線 神戸高速線 快速急行
通勤急行
宝塚本線 ×快速急行
×通勤急行
京都本線
×千里線
快速急行
×堺筋急行
×堺筋快速急行
2007年3月のダイヤ改正で準急に格下げされ、「急行」という種別は現存しない(現在は快速急行のみ)。
千里線は淡路 - 天神橋筋六丁目間のみ、堺筋急行や堺筋快速急行(ただし、運行表示幕は「急行」および「快速急行」)が運行されていた時期があるが、こちらも現在は堺筋準急に格下げ。
中国・四国地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
×井笠鉄道 ×本線 1952年度中に廃止[17]
一畑電車 北松江線
大社線
×広島高速交通 ×広島新交通1号線 2004年3月20日廃止。
詳細は広島高速交通広島新交通1号線#急行列車を参照。
×高松琴平電気鉄道 ×琴平線 1967年3月廃止[17]
×土佐電気鉄道 ×後免線 ×安芸線
×伊野線
1971年以降に廃止[17]
九州地方
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
西日本鉄道
(西鉄)
天神大牟田線 太宰府線 ×快速急行
×ローカル急行
ダイヤ上は太宰府線内は普通列車扱い。
島原鉄道 島原鉄道線 気動車で運転。
地下鉄
運行会社 運行路線 派生種別 備考
通過駅あり 各駅に停車
京都市交通局
京都市営地下鉄
烏丸線 昼間時のみ。
近鉄線内で急行運転をする直通列車のみ。
東京地下鉄
(東京メトロ)
千代田線 多摩急行 小田急線内で急行運転をする直通列車のみ。
半蔵門線 東急線・東武線内で急行運転をする直通列車のみ。
南北線 東急線内で急行運転をする直通列車のみ。
副都心線 通勤急行
東京都交通局
都営地下鉄
都営浅草線 京急線でエアポート急行となる直通列車のみ。
都営新宿線 京王線とも直通運転を行なう。
都営三田線 東急線内で急行運転をする直通列車のみ。
埼玉高速鉄道 埼玉高速鉄道線 東急線内で急行運転をする直通列車のみ。
×大阪市交通局
大阪市営地下鉄
×堺筋線 ×堺筋快速急行 使用車両は阪急車のみ。
阪急京都本線朝時間帯の河原町発(夕時間帯は天下茶屋発の
堺筋快速急行)の直通列車のみ。
いずれも2007年3月のダイヤ改正で堺筋準急に格下げ。

派生種別

通勤急行
運行会社 運行線区 備考
通過駅あり 各駅に停車
×小田急電鉄 不明 1972年3月廃止[18]
×京王帝都電鉄
(現:京王電鉄
×京王線
×高尾線
1992年5月28日廃止[19]
×京浜急行電鉄 ×本線 ×久里浜線 1958年9月6日廃止[4]
×京成電鉄 ×本線
×押上線
1974年12月15日廃止[5]
西武鉄道 池袋線
新宿線
東武鉄道 東上線
東京地下鉄 副都心線
静岡鉄道 静岡清水線
×近畿日本鉄道 ×大阪線
×山田線
1961年9月20日廃止。翌日から区間急行に変更[12]
×神戸電鉄 ×有馬線
×粟生線
×三田線
×神戸高速線
1984年10月6日廃止、翌日から急行に統合・変更[20]
阪急電鉄 神戸本線
×宝塚本線 2015年3月20日のダイヤ改正で廃止。運行区間を川西能勢口→梅田間に短縮し、通勤特急に変更。
×広島電鉄 ×宮島線 1960年代に運転。廃止時期は不明。
広電五日市 - 広電西広島(当時は西広島)間)のみ通過運転。
区間急行
運行会社 運行線区 備考
通過駅あり 各駅に停車
東武鉄道 伊勢崎線 日光線
×鬼怒川線
鬼怒川線は上り1本のみ設定されていた。
京王電鉄 京王線 新線
高尾線
相模原線
2013年2月22日より、通勤快速を改称する形で運行開始。
近畿日本鉄道 ×大阪線
×山田線
1978年3月14日廃止[12]
南大阪線 ×吉野線 南大阪線は上りは平日朝に1本、下りは平日深夜に2本、土休日は深夜に2本。
吉野線は土休日ダイヤの上り1本のみ設定されていた。
南海電気鉄道 南海本線 日中以外の運転(ただし土休日の上りの夕方から深夜の運行はなし)
高野線 難波駅 - 林間田園都市駅間での運転。
泉北高速鉄道 泉北高速鉄道線 南海高野線との接続駅の中百舌鳥駅のみ通過。そのまま南海高野線に直通する。
京阪電気鉄道 京阪本線 中之島線 他の私鉄の一般的な種別立てと異なり、準急より下位という位置づけとなっている。
朝と夕方から深夜にかけて運転。
阪神電気鉄道 本線 平日朝ラッシュ時のみ。
その他
種別名 運行会社 備考
エアポート急行 京浜急行電鉄 従来の急行から改称された種別。
空港急行 南海電気鉄道
深夜急行 京阪電気鉄道 淀屋橋0時20分発樟葉行きの1本のみ。
多摩急行 小田急電鉄・
東京地下鉄(東京メトロ)
東京メトロでは各駅停車。
東京メトロ管内では小田急線内乗り入れ列車の種別が表示されるため。
妙見急行・日生急行 能勢電鉄 両急行の重複区間では、妙見急行は一の鳥居駅に停車するが、日生急行は通過する。
×A急行・B急行 富山地方鉄道
×湘南急行 小田急電鉄 快速急行へと改変され廃止。
×堺筋急行・堺筋快速急行 阪急電鉄
大阪市交通局
使用車両は阪急車のみ。堺筋線内では各駅停車。堺筋準急に格下げされ廃止。
×ローカル急行 西日本鉄道 准急の後身として、1956年から1959年に設定された種別。

鉄道・バス事業者名における「急行」

鉄道事業者バス事業者の中には、社名へ「急行」の文字を取り入れているものがある。これは1918年(大正7年)に阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)が最初に採用したとされているが、「既存の鉄道(バス)路線に対して、速達性をアピールするため」のものであった。そのため、運行されている列車(バス)が各駅停車のみである場合にも、「急行」をつけたものは存在する。のちには、「単に目的地へ早く着く」ことを強調するためにも使用されている。さらには社名を改正したため、「急」の文字だけが残ることになったものもある。

バスについては、高速バス運営における合弁出資バス会社で、多く「急行」の社名を取り入れたものが存在した。「急行バス」も参照のこと。

「急行」を名前につけた鉄道事業者の一覧

鉄道以外の急行

急行は通常は鉄道の列車を示すが、高速バスを含む路線バスにも超特急特急急行快速便が存在する。これらの中にも急行券座席指定券を必要とするものもある。バスの急行については「急行バス」を参照されたい。

また、かつての宇高航路にはホバークラフト高速艇による急行便が存在した。これに乗船するときは、乗車券のほかに連絡船急行券を必要とした。ただしこの急行便は、運行時には接続する本州・宇野線側ですでに特急・急行列車寝台特急瀬戸」以外設定されていなかったことや、宇野駅および高松駅では鉄道連絡船で運行されていた普通便とは別桟橋での発着であったこともあり、運賃上の連帯を行なうのみで鉄道側との乗り継ぎ料金制度は存在しなかった。→「宇高連絡船」を参照されたい。

このほかにもフェリーと高速艇を並行して運行する場合には、所要時間の短い高速艇を急行扱いとして料金を高く設定することがある。

船舶会社の社名に急行をつける例としては、四国フェリーグループの小豆島急行フェリーなどに事例がある。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 基本的に私鉄では、「優等列車」とは料金徴収の有無を問わず「速達列車」の意味として考えられている。しかし一方で、国鉄・JR同様に運賃のほかに料金を徴収する列車も存在し、必ずしも全ての速達列車が優等列車とはいい難い部分もあるため、京王電鉄や近畿日本鉄道のように、料金不要の速達列車であっても優等列車という表現に否定的な見解を持つ事業者もある(優等列車#私鉄も参照)。
  2. ^ その一方でキハ58系を中心に冷房準備工事車が多く配置されていたが、東北以北では冷房の使用期間が短く、冷房化の需要はなかった。
  3. ^ このことからも「急行電車」の語については、153系以降のような「電車を使用した急行列車」とは異概念である場合が多い。

出典

  1. ^ 北海道新幹線 新青森~函館北斗間開業に伴う運行計画の概要について - JR東日本 2015年9月16日付 プレスリリース
  2. ^ a b 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 1号 北海道―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、55-56頁。ISBN 978-4107900357 
  3. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 1号 北海道―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、57頁。ISBN 978-4107900357 
  4. ^ a b c 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、32頁。ISBN 978-4107900395 
  5. ^ a b c 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、52頁。ISBN 978-4107900395 
  6. ^ a b c d 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、47頁。ISBN 978-4107900418 
  7. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、48頁。ISBN 978-4107900418 
  8. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、54頁。ISBN 978-4107900418 
  9. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1050頁。 
  10. ^ 徳田耕一「2001年10月1日 名古屋鉄道ダイヤ改正」『鉄道ピクトリアル』第712巻、電気車研究会、2002年1月、138頁。 
  11. ^ a b 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、34頁。ISBN 978-4107900449 
  12. ^ a b c 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、33頁。ISBN 978-4107900449 
  13. ^ a b c d e f g 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 6号 北信越―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、56頁。ISBN 978-4107900401 
  14. ^ a b 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、58頁。ISBN 978-4107900449 
  15. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、43頁。ISBN 978-4107900449 
  16. ^ a b c 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、48頁。ISBN 978-4107900449 
  17. ^ a b c 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 11号 中国四国―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、56頁。ISBN 978-4107900456 
  18. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、39頁。ISBN 978-4107900395 
  19. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2010年、42頁。ISBN 978-4107900395 
  20. ^ 今尾恵介、原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車』新潮社、2011年、57頁。ISBN 978-4107900449 

関連項目