名鉄蒲郡線

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名古屋鉄道 蒲郡線
拾石駅跡地付近(2006年8月 国道23号上より)
拾石駅跡地付近
(2006年8月 国道23号上より)
路線総延長 17.6 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V(直流
最高速度 85 km/h
exSTR
三河線
exSTR STRrg eABZq+l
西尾線
xCPICla CPICr exSTR
0.0 吉良吉田駅
ABZrg STRrf exKBSTe
吉田港駅 -1928
eBHF
1.7 宮崎口駅 -1970
BHF
3.2 三河鳥羽駅
BHF
4.7 西幡豆駅
BHF
7.0 東幡豆駅
BHF
8.9 こどもの国駅 -1944, 1974-
eBHF
洲崎駅 1952-1974
BHF
10.5 西浦駅
BHF
11.7 形原駅
BHF
13.5 三河鹿島駅
eBHF
15.0 拾石駅 -1968
STR STRrg
JR東海東海道本線
15.3 蒲郡競艇場前駅 1968-
STR STR
右:三河塩津駅
eBHF STR
15.7 竹谷駅 -1953
eBHF STR
15.8 塩津駅 1953-68
eBHF STR
16.2 江畑駅 -1953
17.6 蒲郡駅
蒲郡線の車窓
(2005年9月14日 こどもの国-西浦間)

蒲郡線(がまごおりせん)は、愛知県西尾市吉良吉田駅から愛知県蒲郡市蒲郡駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線

概要[編集]

三河湾に沿って走る風光明媚な路線で、沿線には形原温泉西浦温泉吉良温泉愛知こどもの国など温泉地やレジャー施設があり、潮干狩りや海水浴など季節のレジャーも楽しむことができる。そのため、かつては犬山線知多新線と並ぶ観光路線として脚光を浴び、多数の本線直通特急が運転されていたが、レジャーの多様化や意識の変化による三河湾観光の衰退に伴い通勤路線へと変貌していった。2008年6月29日のダイヤ改正西尾線との直通列車が消滅し、現在は線内折返しのワンマン運転のみとなっている。

運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。

鉄道要覧』による起点は吉良吉田駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、蒲郡駅から吉良吉田駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。また、キロポストは三河線からの数字を受け継いでおり、知立駅からの距離の表示となっている(三河線碧南 - 吉良吉田間廃止後もそのまま)。

蒲郡線では吉良吉田駅 - 蒲郡駅間の全線が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている[1]

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):17.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:10駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:85km/h(過去に存在した特急は95km/h、急行は90km/h。いずれも形原 - 蒲郡間)
  • 最急勾配:25(西幡豆 - 西浦の各駅間に点在)

歴史[編集]

元々は三河鉄道(三河線の前身会社)の蒲郡方面延長線として建設された路線で、三河鉄道が名古屋鉄道に合併された直後はこの区間も三河線として扱われていた。また、三河鉄道は三河鳥羽駅までを1500V電化で開業させていたものの、残る三河鳥羽駅 - 蒲郡駅間は資金不足により非電化で延伸したため、同区間が電化されるまでは三河鳥羽駅で乗換えを余儀なくされた[2]

西尾線の吉良吉田駅(初代)と三河線の三河吉田駅(現、吉良吉田駅)とが1943年2月に統合されると、三河吉田駅 - 三河鳥羽駅間の電圧が600Vに降圧され、同じく600V電化の西尾線と直通運転を行うようになった[3]。1946年10月に三河鳥羽駅 - 東幡豆駅間、1947年4月に東幡豆駅 - 蒲郡駅間が600V電化され、1948年5月16日のダイヤ改正で三河吉田駅 - 蒲郡駅間は「蒲郡線」として三河線から分離した[2]

その後、1500Vへの昇圧の過程で一時的に三河線直通運転に戻った時期があるものの、西尾線が1500Vに昇圧されてからは再び西尾線直通運転に戻った[4]。以後、2004年の三河線末端部廃止、2008年の直通運転全廃に至るまで西尾線への直通が主体であった。

1958年には三河湾が国定公園に指定されるなど、1950年年代後半から三河湾沿岸の観光開発が盛んになり、名鉄は蒲郡線を三河湾観光路線と位置付けるようになった[4]1965年9月15日のダイヤ改正で蒲郡線にも本線直通の定期特急が設定され[5]、最盛期には日中毎時2本の特急が乗り入れていた[6]。そのため、名鉄は更なる増発に備えて蒲郡線の複線化を計画し、1970年には認可も受けていた[注釈 1]

しかし、日本国内各地にできた新しいテーマパークなどとの競合で三河湾観光の衰退が顕著になると、名鉄もうさぎ島などを閉園するなど蒲郡線沿線の観光事業から撤退した。蒲郡線は通勤路線へ転じたものの、周辺道路網の整備によって元々高かった沿線地域の自動車普及率が更に高まり、鉄道利用率は低かった。また鉄道においても蒲郡線経由よりルートが短く、複線で線形が良い東海道本線が、1980年代後半の国鉄末期から始まる名古屋近郊区間のダイヤ拡充で優勢となっていた。東海旅客鉄道(JR東海)発足後は特別快速新快速などの投入で所要時間の差が更に広がったほか、それまで蒲郡競艇場への主要な交通アクセスを担っていた蒲郡競艇場前駅の真横に三河塩津駅が開業したことにより、競艇場利用客も東海道本線に流出した。

存続問題[編集]

2008年3月に名鉄が、西尾線・蒲郡線の西尾 - 蒲郡間の利用活性化策を2008年末までに、沿線の西尾市、吉良町幡豆町、蒲郡市(当時)に対して示すように求めた[7]。「大量輸送機関として鉄道の特性が発揮できないほどに利用者が少ない」との認識が示され、名鉄側の企業努力は既に限界を超えているという[8][9]1997年12月19日に名鉄の箕浦宗吉社長(当時)が定例記者会見の席で「不採算路線の整理・統廃合を関係自治体と協議したい」と発言し、谷汲線八百津線などとともに廃止検討路線として挙げられ、ワンマン運転導入や途中駅の無人駅化などの合理化が行われた。

しかし利用客の減少と運行本数、直通優等列車の削減の悪循環が続いているため、2005年12月20日に名鉄の要請で西尾 - 蒲郡間の利用促進と経費節減を図る目的とする、沿線の二市二町と名鉄で構成された名鉄西尾・蒲郡線対策協議会を設立した。この会で名鉄は、ワンマン運転で蒲郡線と一体的に運用されている西尾線内2駅[注釈 2]が、新システム用の自動改札機導入に伴い、設置費用面から維持困難のため廃止の方向であるとし、その後に根拠として「1日の乗降客数が300人に満たない市街地以外の駅」という条件を公表した。この具体的数値を示す手法は蒲郡線に対しても行われ、「バスへの転換等を検討する指標である輸送密度の目安が4000人/日であるのに対し、蒲郡線は2857人/日(2005年度)である」と廃線を強く匂わせたが、これに対し沿線自治体側は「名鉄の公共交通機関としての責任」などを訴え、存続を要望した。この中で蒲郡線の均一制運賃やサイクルトレインの導入も検討され、実際に2007年3月1日から5月31日までの間、西尾線福地駅 - 蒲郡競艇場前駅の各駅(こどもの国駅のぞく)でサイクルトレインの試験運用が実施された[10]

2009年9月の第6回対策協議会から、愛知県も参加するようになり、2010年11月の第8回対策協議会で「1. 西尾・蒲郡線を道路と同様な大切な社会基盤としてとらえて存続維持をするため、沿線市町は名鉄に対して鉄道施設保有に必要な費用の一部を、三年間(2010年度から2012年度まで)にわたり支援する。2. 沿線市町と愛知県、名鉄の三者は協力して、沿線の住民団体、小・中・高等学校、企業等と連携をはかり、各種の系発活動や駅周辺環境の整備などを行い、利用促進を図ること。」といった取り決めがされた。西尾市と蒲郡市は、名鉄の運行に対して年間で2億5千万円を支援し、愛知県は両市に年間で計8千3百万円を補助している。2013年度以降の存続については、2012年10月22日に開催された第12回対策協議会で、2013年度以降も引き続き、沿線の二市が経費を補てんした上で、運行を継続していくことが決まった。支援の金額や期間については2013年3月に行われる次回の対策協議会で決定される[11]

なおトランパスは吉良吉田駅をのぞき蒲郡線全線では導入しないことが発表された[12]。結果としてICカードmanacaも全線で未導入である。

年表[編集]

  • 1920年(大正9年)12月2日 - 三河鉄道が三河吉田駅(現、吉良吉田駅) - 蒲郡駅間の免許を取得[13]
  • 1929年(昭和4年)8月11日 三河鉄道により三河吉田駅 - 三河鳥羽駅間が開業[14]
  • 1936年(昭和11年)
  • 1937年(昭和12年)
    • 3月9日 - 拾石駅 - 蒲郡駅間に竹谷駅開業。
    • 5月11日 - 竹谷駅 - 蒲郡駅間に江畑駅開業。
  • 1941年(昭和16年)6月1日 - 名古屋鉄道が三河鉄道を合併。三河線の一部となる。
  • 1943年(昭和18年)2月1日 - 三河吉田駅 - 三河鳥羽駅間の架線電圧を1500Vから600Vに降圧し、西尾線と直通運転開始。
  • 1944年(昭和19年) - 宮崎口駅、洲崎駅(現、こどもの国駅)、竹谷駅、江畑駅休止。
  • 1946年(昭和21年)10月31日 - 三河鳥羽駅 - 東幡豆駅間が600V電化。
  • 1947年(昭和22年)4月23日 - 東幡豆駅 - 蒲郡駅間が600V電化。
  • 1948年(昭和23年)5月16日 - 三河吉田駅 - 蒲郡駅間を蒲郡線とする。
  • 1952年(昭和27年)10月1日 - 洲崎駅を移設、営業再開。
  • 1953年(昭和28年)1月1日 - 休止していた竹谷駅と江畑駅を統合し塩津駅開業。
  • 1959年(昭和34年)7月12日 - 蒲郡線の架線電圧を1500Vに昇圧。三河線との直通に戻る[17]
  • 1960年(昭和35年)
    • 3月27日 - ダイヤ改正。西尾線の1500V昇圧により西尾線との直通運転再開[17]。最高速度を55km/hから70km/hに引き上げ[4]
    • 11月1日 - 三河吉田駅を吉良吉田駅に改称。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月12日 - ダイヤ改正。曲線改良に伴いスピートアップ[18]
    • 10月1日 - 拾石駅と塩津駅を統合し蒲郡競艇場前駅開業。
  • 1969年(昭和44年)7月6日 - ダイヤ改正。レール重軌条化。最高速度を95km/hに引き上げ[19]
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月5日 - 複線化のための鉄道施設の計画変更認可受領(実際には行われず)。
    • 10月5日 - 休止中の宮崎口駅廃止。
  • 1971年(昭和46年)
    • 1月24日 - 形原駅 - 三河鹿島駅間の一部を高架化(国道247号との立体交差事業)。
    • 9月10日 - 蒲郡駅高架化工事のため同駅が仮駅に移転。蒲郡駅(仮) - 蒲郡駅間を休止しバス代行運転開始。
  • 1972年(昭和47年)3月14日 - 蒲郡駅高架化。蒲郡駅(仮) - 蒲郡駅間運行再開。蒲郡(仮)駅と代行バス廃止。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 愛知こどもの国開園に伴い、最寄り駅として洲崎駅を再び移設。
  • 1976年(昭和51年)10月10日 - 洲崎駅をこどもの国駅に改称。
  • 1992年(平成4年)11月24日 - ダイヤ白紙改正。特急列車にそれまでの7000・7700系白帯車に加えて8800系が使用されるようになる。なる。休日昼間の特急が廃止され平日休日共に1往復の運転となる[20][注釈 3]
  • 1997年(平成9年)12月19日 - 名鉄・箕浦社長(当時)の定例記者会見で、不採算路線の整理・統廃合を関係自治体と協議したい旨の発言。対象路線に蒲郡線が含まれるが、後に回避。
  • 1998年(平成10年)
  • 2000年(平成12年)11月11日 - 蒲郡競艇場前駅 - 蒲郡駅間高架化。
  • 2005年(平成17年)
  • 2007年(平成19年)3月1日 - 西尾線福地駅 - 蒲郡競艇場前駅の各駅(こどもの国駅除く)でサイクルトレイン5月31日まで試験運用[10]
  • 2008年(平成20年)6月29日 - ダイヤ改正。ワンマン運転区間が蒲郡線内のみに縮小[25]
  • 2009年(平成21年)10月25日 - 2000系が団体列車として初めて入線[26]

運行形態[編集]

2008年6月29日改正以降は終日ワンマン運転で、毎時2本運転されている[25]。ワンマン改造された6000系2両編成3本で運用され、昼間は三河鳥羽駅と西浦駅で上下列車がすれ違う。線内の所要時分は28 - 30分である。

1998年4月6日改正から2008年6月28日改正までは西尾駅 - 吉良吉田駅 - 蒲郡駅間のワンマン運転[23]で、朝と夜の一部に新安城駅発着列車や名古屋本線直通列車が設定されていた。

2005年1月29日改正までは蒲郡線内にも「特急」と「急行」が存在した。昭和の頃には昼間にも名古屋本線直通の特急が運転されており、主に7000系パノラマカー」が使用されていた。廃止直前の特急は8800系「パノラマDX」による3両編成で1往復のみ運転されていた[27][注釈 4]。また、1998年4月6日改正までは昼間に蒲郡駅 - 津島方面間に毎時1往復の直通列車(蒲郡駅 - 西尾駅間は普通でそれ以外の区間は急行)が運転されていた[22]。2005年1月29日改正直前の停車駅は特急・急行とも同じで、吉良吉田駅、西幡豆駅(朝の下り特急は特別通過)、東幡豆駅、西浦駅、形原駅、蒲郡駅に停車していた[28][注釈 5]

晩年の直通列車は蒲郡線内はすべて普通列車として運行しており、新安城駅西尾駅などで種別変更していた。また、朝や夜には4両編成の列車も見られた。特に、始発の蒲郡行きは吉良吉田駅2番線(旧三河線ホーム)から発車する唯一の列車であった(ホームが3両分しかないため1両は扉が開かない)[注釈 6]。形原駅と三河鹿島駅は2両分しかホームが無いため、4両編成の場合は後ろ2両をドアカットしていた。

6000系をのぞく現有車両で当線での定期運用の実績があるのは、5300・5700系6500系・6800系で、これらの車両は2008年6月29日改正まで主に朝と夜に乗り入れていた。なお、現用の特急車3500系3300系などのインバータ制御車、2代目5000系などは当線で定期運用されたことはないが、2000系「ミュースカイ」は団体列車として当線に入線した実績がある[26]

ワンマン運転[編集]

西尾駅に停車中の西蒲ワンマン

蒲郡線は全列車ワンマン運転である。広見線の一部区間(新可児駅 - 御嵩駅間)をのぞいた他の名鉄線のワンマン運転(三河線、小牧線、豊川線、尾西線、築港線)とは利用方法が異なり、車内に料金箱を設置するなど専用に改造された2両組成の6000系車両が使用される。運転区間内の無人駅では乗車扉と降車扉は決められており、乗車は先頭車両の後ろ扉、降車は先頭車両の前扉で、先頭車両の中扉と後方車両の扉は開かないが、有人駅の蒲郡駅、吉良吉田駅と、駅員配置時間帯の蒲郡競艇場前駅はホーム側の全部の扉が開く。

各駅に設置されている券売機であらかじめ乗車券を購入し、降車時に運転台近くの運賃箱に乗車券、乗り越しの場合は運賃を入れて降車する。すべての駅に自動券売機が設置されているため、路線バスや他社のワンマン対応車両に設置されている乗車整理券発行機やデジタル式運賃表示器は無い(三角表式運賃表はある)。ただし名鉄線内でこの方式で降車するのは、蒲郡線内は蒲郡と吉良吉田をのぞき無人駅となっている駅(駅員配置時間帯の蒲郡競艇場前駅をのぞく)だけで、それ以外の場合は降車駅の改札口で駅員に手渡しをするか、自動改札機に投入するか、降車時に車掌に手渡しする。

蒲郡線では従来(2008年6月28日改正まで)、ワンマン改造された6000系(6009F - 6013F)の5編成で西尾駅 - 吉良吉田駅 - 蒲郡駅間のワンマン運転を行ってきたが、ワンマン運転区間が吉良吉田駅 - 蒲郡駅間に短縮されたことで余剰となり、新たにワンマン運転区間となった広見線に1編成が回された。6000系ワンマン対応車には予備車がないため、検査で1編成でも運用を離れると別編成が代走する。代走編成はワンマン対応機器を装備していないため車掌が乗務し、全駅でホーム側のすべての扉が開き、車掌が切符の発券や回収を行う。

manacaについては線内での利用はできない。また、蒲郡線内の自動券売機は吉良吉田駅をのぞいて対応していない。ただし、吉良吉田駅の中間改札で処理をすることによって他線との直通利用は可能である。具体的には以下の手順を踏む。

  • 他線からの利用者は吉良吉田駅の中間改札そばの窓口で精算を行う。その後精算済み証を受け取ってワンマン列車に乗車し、降車時に運賃箱に入れる(蒲郡駅の場合は駅員に渡す)。
  • 蒲郡線内から利用する場合は乗車駅の自動券売機で乗車駅証明書を受け取り、吉良吉田駅の中間改札そばの窓口で駅係員がカードに乗車駅の記録を行う。

駅一覧[編集]

  • 全駅愛知県に所在。
  • 普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。
凡例
線路(全線単線) … |:交換不可 ◇・∧:交換可能
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
吉良吉田駅 - 0.0 名古屋鉄道:西尾線 西尾市
三河鳥羽駅 3.2 3.2  
西幡豆駅 1.5 4.7  
東幡豆駅 2.3 7.0  
こどもの国駅 1.9 8.9  
西浦駅 1.6 10.5   蒲郡市
形原駅 1.2 11.7  
三河鹿島駅 1.8 13.5  
蒲郡競艇場前駅 1.8 15.3 東海旅客鉄道東海道本線三河塩津駅
蒲郡駅 2.3 17.6 東海旅客鉄道:東海道本線

途中駅は蒲郡駅、吉良吉田駅をのぞきすべて駅集中管理システム未対応の無人駅である。蒲郡駅は高架化されている。

過去の接続路線[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ その頃に建設・整備されたこどもの国駅や国道247号を跨ぐ形原駅 - 三河鹿島駅間の高架には複線化用地確保されている。
  2. ^ 鎌谷駅三河荻原駅。この2駅は2006年12月16日に廃止。
  3. ^ 世界デザイン博覧会開催に合わせた1989年7月15日ダイヤ改正で一時的に蒲郡線直通特急を減便したが、デザイン博終了後3往復に戻した(11月27日改正)[21]
  4. ^ 朝の285列車(平日、津島行き)または305列車(休日、佐屋行き)、夜の414列車(平日、佐屋発)または404列車(休日、佐屋発)の各1本[28]
  5. ^ 1984年頃まで一部の特急がこどもの国駅に特別停車していたことがある。
  6. ^ 蒲郡発の最終列車が吉良吉田止まりであり、吉良吉田駅2番線に到着した後そのまま夜間滞泊し翌朝に先述の始発列車になっていた。

出典[編集]

  1. ^ 列車運行に支障がある場合の取扱い”、名古屋鉄道、2014年10月16日閲覧。
  2. ^ a b 新實守 「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』 徳田耕一、JTB、2001年、158頁。ISBN 978-4533039232
  3. ^ 新實守 「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』 徳田耕一、JTB、2001年、157頁。ISBN 978-4533039232
  4. ^ a b c 新實守 「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』 徳田耕一、JTB、2001年、161頁。ISBN 978-4533039232
  5. ^ 清水武「名古屋鉄道各線相互の直通運転」、『鉄道ピクトリアル』第246巻、電気車研究会、1971年1月、 63頁。
  6. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、1022頁。
  7. ^ 第2回 名鉄西尾・蒲郡線(西尾駅〜蒲郡駅)対策協議会の実施について (PDF) 、蒲郡市、2014年10月19日閲覧。
  8. ^ 2008年4月12日付 中日新聞朝刊の20面、愛知県内版より
  9. ^ 名鉄蒲郡線の存続問題再浮上”、東日新聞(ウェイバックマシンによるアーカイブ。2011年9月25日取得)、2014年10月19日閲覧。
  10. ^ a b 西尾線および蒲郡線の一部で「サイクルトレイン」を試験的に実施 ―3月1日(木)〜5月31日(木)の間、列車に自転車を持ち込むことが可能になります―”、名古屋鉄道、2014年10月19日閲覧。
  11. ^ 2012年12月6日付 中日新聞朝刊20、21面
  12. ^ 『“平成20年度設備投資計画 - 鉄道事業を中心に総額22,127百万円 - ”』、名古屋鉄道、2014年10月19日閲覧。
  13. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年12月3日”、国立国会図書館デジタルコレクション、2014年10月19日閲覧。
  14. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年8月19日”国立国会図書館デジタルコレクション、2014年10月19日閲覧。
  15. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1936年8月6日”国立国会図書館デジタルコレクション、2014年10月19日閲覧。
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1936年11月18日”国立国会図書館デジタルコレクション、2014年10月19日閲覧。
  17. ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、1002頁。
  18. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、1024頁。
  19. ^ 新實守 「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』 徳田耕一、JTB、2001年、162頁。ISBN 978-4533039232
  20. ^ 今尾恵介、原武史(監修) 『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車』 新潮社、2010年、51頁。ISBN 978-4107900418
  21. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、1070頁。
  22. ^ a b 4月6日からダイヤ改正 新造車両33両を投入し、輸送サービスを向上 三河線、尾西線、岐阜線区など支線区強化を中心に”、名古屋鉄道(ウェイバックマシンによるアーカイブ。1999年2月2日取得)、2014年10月19日閲覧。
  23. ^ a b 福田衛司「輸送と運転 近年の動向」、『鉄道ピクトリアル』第771巻、電気車研究会、2006年1月、 28頁。
  24. ^ 徳田耕一「名古屋鉄道空港線開業―1月29日名鉄ダイヤ改正」、『鉄道ピクトリアル』第761巻、電気車研究会、2005年5月、 117頁。
  25. ^ a b ダイヤ改正を6月29日(日)に実施 ―西尾・津島線の全列車が乗車券のみでご利用いただけるようになります―、名古屋鉄道、2014年10月17日閲覧。
  26. ^ a b 「ミュースカイで行く錦秋の蒲郡線」”、名古屋鉄道(archive.todayによるアーカイブ。2013年11月6日取得)、2014年10月19日閲覧。
  27. ^ 徳田耕一 『まるごと名鉄ぶらり沿線の旅』 河出書房新社、2004年、53頁。ISBN 978-4309224248
  28. ^ a b 『名鉄時刻表 Vol.19』 名古屋鉄道、2003年、84頁、89頁、291頁、294頁。

関連項目[編集]