名鉄知多新線

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名古屋鉄道 知多新線
知多奥田駅に進入する内海行き普通列車
知多奥田駅に進入する内海行き普通列車
路線総延長 13.9 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V(直流
最高速度 100 km/h
BHFq ABZq+r
0.0 富貴駅 名鉄河和線
DST
3.0 別曽池信号場
TUNNEL1
深谷トンネル 409.3m
TUNNEL2
上野間トンネル 110m
BRÜCKE+BHF
5.8 上野間駅
TUNNEL2
小原トンネル 111m
BHF
6.7 美浜緑苑駅
TUNNEL2
谷トンネル 195m
BRÜCKE+BHF
8.1 知多奥田駅
BRÜCKE+BHF
9.8 野間駅
TUNNEL2
細目トンネル 205m
小野浦駅(仮称) 未成駅
TUNNEL1
小野浦トンネル 405m
TUNNEL1
内海トンネル 440m
hKBHFe
13.9 内海駅

橋梁、隧道の詳細は
『鉄道ピクトリアル No.816』p.101による

知多新線(ちたしんせん)は、愛知県知多郡武豊町富貴駅から愛知県知多郡南知多町内海駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線

概要[編集]

沿線の宅地・観光開発のために建設された比較的新しい路線で、沿線には海水浴場や名鉄が開発した行楽地(南知多ビーチランドやかつての内海フォレストパークなど)が立地する。また、知多奥田駅周辺には日本福祉大学美浜キャンパスがあり、通学路線としても利用されている。知多半島東側にある富貴駅から半島中央部を貫き、半島西側の丘陵部を走っているため、名古屋鉄道の路線の中では最もトンネル数が多く(7か所)、急勾配も随所にある。

全線において単線となっているが、用地の確保及びトンネルは複線規格で造られており、橋梁部分は橋台のみが設置されている。利用者数の伸び悩みにより複線化への進展は見られないが、複線化用地を流用して別曽池信号場が設置されている。かつては山海までの延長が構想されていたが、延伸の目処は立っていない。

途中駅は知多奥田駅を除き無人駅だが、駅集中管理システム導入前は季節によって上野間駅野間駅に駅員が配置されていたことがある。

運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。さらに、建設費回収のための加算運賃が適用される。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが利用できる。

なお、『鉄道要覧』による起点は富貴駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、内海駅から富貴駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。

加算運賃[編集]

新線であるため、キロ程で算出された運賃に加えて、加算額を加算する。大人の普通運賃への加算額は、利用区間の営業キロを下の表に照らし合わせて算出する。駅間距離が長いうえに「C線+加算運賃」という条件下にあるため、他の路線に比べて初乗り運賃が高くなることがある(野間 - 内海が260円、富貴 - 上野間が280円、その他の隣接駅間は190円)。

営業キロ 加算額
0.1キロ - 2.9キロ 20円
3.0キロ - 4.9キロ 30円
5.0キロ - 7.9キロ 40円
8.0キロ - 8.9キロ 50円
9.0キロ - 11.9キロ 60円
12.0キロ - 13.9キロ 70円

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):13.9km
  • 軌間:1067mm
  • 軌条:50kgN
  • 駅数:6駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線・複線用地が確保されている)
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 交換可能駅:美浜緑苑駅を除く全駅・信号場
  • 最急勾配:34.8‰(別曽池信号場 - 上野間駅間)
  • 最小曲線半径:350m(富貴駅付近)
  • 最高速度:100km/h

交換駅は片開き式分岐器が使用されている。また、交換駅のホーム両端には出発信号機が1基ずつ(計4基)立っている。 踏切は富貴駅構内を除き存在しない。

東海地震への対応[編集]

知多新線では富貴駅 - 内海駅間の全線(および常滑線・河和線各々の全線)が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている[1]

歴史[編集]

知多半島の海岸線は古来より風光明媚な地として知られており、半島南部(南知多)へ鉄路を伸ばす試みが戦前より企図されていた[2]。1912年8月に常滑駅 - 内海間の免許を取得した愛知電気鉄道の「内海線」計画、これに刺激された地元資本が設立した知多軽便鉄道(武豊 - 常滑、武豊 - 師崎間。1913年5月免許取得)、そして鉄道省武豊線の延伸として測量まで行った師崎延伸計画[注釈 1]の3案である[3]。しかし、南知多は鉄道敷設に見合うほど人口密度が高くなく、産業も乏しかったため[2]、昭和不況や戦況悪化の影響もあっていずれの案も実現せずに終わっている[3]

戦後になると、半島北部は名古屋港衣浦港を軸とする工業化・宅地化が進行し、景観に優れた海岸線は失われていった[2]。他方、南知多には従来の自然環境が残されており、都市近郊の観光地として注目を集め、1958年には三河湾国定公園の一部に指定された[2]。名鉄も昭和30年代から南知多の開発に力を注ぎ、河和駅からのバス連絡で観光客を輸送していたが、これを機に南知多への鉄道延伸を改めて企図することにした[4]

新線のルートはいくつかあった。まずどの駅から延伸するかについて、常滑駅延伸案(常滑ルート)、河和駅延伸案(河和ルート)、河和線途中分岐案(野間ルート)の3案が検討されたが、常滑ルートは南下距離が長いことから却下され、河和ルートより半島中央部の開発が期待できる野間ルートが採択された[5]。次に、半島西部のルートを海岸寄り(海岸ルート)にするか、丘陵部(丘陵ルート)にするかが検討された。海岸ルートは海水浴客などの輸送に向いており、丘陵ルートは宅地造成に適していたが、副社長の竹田弘太郎は宅地造成の将来性を主張し、社長の土川元夫もこれを承諾、丘陵ルートに決定した[4]。また、河和線からの分岐地点についても変遷があった。当初は知多武豊駅 - 富貴駅間に知多信号所を設けて分岐する予定で1966年9月に免許を申請し、翌年に認可を得ていたが、用地買収が難航していた。これを受けて分岐地点の変更が検討されたが、分岐駅機能を誘致したい富貴地区が用地買収に応じたことで富貴駅分岐に落ち着いた[4]。かくして分岐地点は富貴駅に変更され、1969年10月には第1工区(富貴駅 - 別曽池間)の施工認可が下りた[2]

第1工区の建設は比較的順調に進み[4]、1971年6月には別曽池 - 内海間の施工も認可された[2]。このうち別曽池 - 上野間間を第2工区として8月より着工した[4]が、途中区間にある深谷トンネルで出水事故が起きた。出水は広目側(上野間側)300m地点の試掘中に発生し、排水の目処が立たないことから工事は一旦中断された[6]。検討の結果、早期開通を優先するため工法を開削工法に切り替えることとし、そのために必要な用地の追加買収を行った[6]。深谷トンネルは予定より6ヶ月遅れて1973年4月に開通[6]、1974年6月には富貴駅 - 上野間駅間が無事開業した[7]。その後の小原、谷トンネルは問題なく開通し[6]、1975年7月には知多奥田駅、1976年4月には野間駅まで延伸した[8][注釈 2]

内海への延伸に当たり問題となったのが内海駅の位置である。当初案では小野浦トンネルからそのまま南下して知多乗合内海管理所付近に駅を設置し、隣接する旧内海中学校用地(1964年取得)と合わせて総合開発を計画していた[10]。地元は鉄道延伸そのものには賛成していたが、観光客への商売、内陸部の開発といった観点から海岸沿いの駅設置に反対した。最終的には名鉄側が折れて現在地への駅設置に計画が変更され、トンネルが一つ追加された(内海トンネル)[10]

内海駅の位置変更により2つの問題が生じた。ひとつは近隣の内海中学校が電車の騒音を問題視したことで、これは学校隣接地約300mに渡って防音壁を設置して解決した[11]。もうひとつは予期せぬ遺跡の発見である。1978年6月の内海駅建設工事中に発見された「先苅貝塚」は東海地方最古の貝塚で[12]縄文時代に起きた縄文海進を裏付けるなど学術的には貴重な発見と言える[3]が、発掘調査のため知多新線の延伸は遅延することになった[5]

こうした紆余曲折の末、1980年6月にようやく内海駅まで延伸、知多新線が全通する[8]が、着工からすでに10年が経過しており[5]、この10年間で南知多を巡る情勢は大きく様変わりしていた。まず、宅地造成は建設中に沿線の大半が市街化調整区域に指定された[13]ことでほとんど不可能になり、美浜緑苑など僅かな開発に留まった。また、内海駅延伸と同時に開業予定だった小野浦駅(仮称)[14]は付近の開発が遅れたことで建設が中止された(未成駅[15][注釈 3]。知多新線の需要予測は宅地造成による居住者利用を基に想定されていたため、実際の利用者数は予測を大きく下回った[13][注釈 4]

そこで名鉄は1977年2月に南知多開発局を半田市内に設け、宅地開発の不調を補うためにも南知多の観光開発を推進することにした[13]。まず内海駅を拠点にバス連絡網を整備し、名鉄海上観光船の高速船に連絡するバスダイヤを設定した[18]。しかし、海水浴客輸送だけでは利用が夏季に偏ってしまうきらいがあり[13]、その海水浴客のアクセスも道路整備や意識変化によってマイカー利用へ流れ始めていた[17][19]ため、開発局は通年利用の行楽施設を知多新線沿線に作る方針を固め、海水浴客以外の観光利用を創出することにした[13]。この方針に従って建設されたのが南知多ビーチランド(1980年4月29日開園)や内海フォレストパーク(1982年10月20日開園)である[18]。このほか、1984年には『移動も楽しむ』という観光ニーズの変化に対応するため新型特急車両『8800系「パノラマDX」』を犬山線 - 知多新線間に投入。マイカーや観光バスのプライベート性・居住性に対抗した[18]。ただ、宅地造成を優先して丘陵ルートを選択したことが仇となり、行楽施設へはバスなどを介する必要があった[20]

観光ニーズのさらなる変化[21]によって南知多観光が停滞気味[注釈 5]となったこともあり、現在は日本福祉大学および付属高校(ともに1983年移転)への通学利用が中心となっている[19]

年表[編集]

運行形態[編集]

昼間以降は特急急行普通が毎時各1本運転されるが、いずれの種別も通過駅はなく、実質的には各駅停車が毎時3本運転される形となる。当線内標準所要時分は全列車各駅停車で16 - 21分である。

最大編成は河和線などと同じく8両だが、途中駅のホームは6両までしか対応していないため、8両編成では後ろ2両のドアが開かない。また駅間距離が他の路線に比べて長い区間が多く、トランパス導入前は車内改札を行うことも多かった。

現行ダイヤでは、昼間 - 夕刻は上下列車の列車交換が別曽池信号場で1時間当たり2回(昼間の特急と普通)、知多奥田駅で同2回(特急と急行、夕方以降の普通同士)、野間駅で同1回(昼間の普通同士)行われる。交換可能駅及び別曽池信号場では安全側線が無いため、列車交換の際は必ず一方の列車が先着してから対向列車が進入する。

2011年3月26日のダイヤ改正以降の種別ごとの基本ダイヤは以下の通りである。

特急[編集]

平日昼間帯のみ全車一般車で、それ以外は一部特別車で運行されている。原則として名古屋駅発着だが、平日の17時台 - 20時台は津島線・尾西線の佐屋駅まで延長運転となり(折り返しは、名鉄名古屋まで回送)、平日21、22時台と休日21時台は金山止まりとなる。平日最終の下り特急は新鵜沼発である。名鉄名古屋駅 - 内海駅間の所要時間は下りが56 - 58分、上りが58 - 59分。

使用車両は全車一般車の場合5300系・5700系の4両がほとんどで、1800系の重連4両での運用が1本ある。5000系による代走もある。一部特別車の場合は平日の3往復、休日の1往復が2200系で運用される以外は、すべて1000・1200系の運用である。

2008年12月27日のダイヤ改正までは、全車特別車が原則であった。停車駅は、上野間と知多奥田のみで、一部が美浜緑苑と野間にも停車していた。また、2008年12月改正から2011年3月改正までは平日の朝に快速特急も運転されていたが、日中の特急の運行はなかった。快速特急は野間には停車せず、美浜緑苑には特別停車扱いで停車していた。

1990年までは高速も設定されていた。知多新線内は各駅に停車していた。

快速急行・急行[編集]

快速急行は平日朝に上り1本だけ設定され、佐屋行きである。5700系・5300系4両で運転される。

急行は毎時1本設定されており、日中の列車は新鵜沼駅発着で線内のみの運行はない。名鉄名古屋駅 - 内海間の所要時間は、下りが1時間2分 - 4分、上りが1時間3分 - 4分。

車両は4両、6両編成が基本で、3500・3700・3100系3300・3150系6000・6500・6800系、5000系、5300系・5700系により運行される。全車一般車特急の折り返しとして1800系重連4両による運用もある。現行ダイヤでは8両の急行は存在しない。

運行系統は、名鉄岐阜駅発着で犬山線経由が基本だったが、2008年12月27日のダイヤ改正より新鵜沼駅発着となった。2011年3月26日のダイヤ改正までは毎時2本の運行だった。

普通[編集]

朝と深夜のみ線内折り返しの列車があるが、日中は原則として金山駅の発着である。2両 - 4両で運行される。1800系で運用される列車もある。阿久比駅で河和発の特急と接続し、内海駅から名鉄名古屋駅への所要時間は1時間7分 - 9分である。

2008年12月27日のダイヤ改正以前は線内折り返しの列車が日中毎時1本あり、佐屋駅発着の列車が毎時1本運行されていた。急行と同様に2011年3月26日のダイヤ改正までは毎時2本の運行だった。

利用状況[編集]

愛知県の統計によれば一日平均、2006年度は4,763人の乗客があった。

駅一覧[編集]

  • 全駅愛知県に所在。
  • 知多新線内で運行される種別として、特急・快速急行・急行・普通があるが、知多新線内では全列車が各駅に停車する。
  • 停車駅は2011年12月17日改正時点。
凡例
線路(全線単線) … |:交換不能駅 ∨・◇・∧:交換可能駅・信号場
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
富貴駅 - 0.0 名古屋鉄道:河和線 知多郡武豊町
別曽池信号場 3.0 3.0  
上野間駅 2.8 5.8   知多郡美浜町
美浜緑苑駅 0.9 6.7  
知多奥田駅 1.4 8.1  
野間駅 1.7 9.8  
内海駅 4.1 13.9   知多郡南知多町

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 鉄道省の計画は武豊―坂井―上野間―奥田―野間―細目谷―小野浦―浜田―東端―師崎という経路を辿っており、これは知多新線の当初ルートに酷似していた[3]
  2. ^ 建設中にオイルショックが発生したため工事が緩慢になり、1駅ごとの小刻みの延伸となった[9]
  3. ^ 現在でもその遺構が残されており、車窓から相対式ホームの名残を見ることができる。
  4. ^ 将来を見越して複線化用地を確保していた[7]ものの、利用が伸び悩んだこともあり日の目を見なかった。知多新線の複線化は1986年3月の別曽池信号所新設[16]によって事実上棚上げされている[17]。後年、この複線化用地を使ってHSSTの実験線を敷設することが検討されたが、最終的に築港支線の複線敷跡地に敷設された[17]
  5. ^ 内海フォレストパークは2003年11月に閉園した[21]
  6. ^ この変更により武豊信号所は未設置となった。
  7. ^ 1986年7月20日設置とする説もある[17]。なお、同日ダイヤ改正が実施されている。

出典[編集]

  1. ^ 列車運行に支障がある場合の取扱い”、名古屋鉄道、2014年11月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、449頁。
  3. ^ a b c d 中村隆義 『鉄路風雪の百年―なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年、247頁。ISBN 978-4885200175
  4. ^ a b c d e f g 中村隆義 『鉄路風雪の百年―なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年、243頁。ISBN 978-4885200175
  5. ^ a b c d 川島令三 『全国鉄道事情大研究 名古屋東部篇』 草思社、2002年、170頁。ISBN 978-4794211408
  6. ^ a b c d e 中村隆義 『鉄路風雪の百年―なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年、244頁。ISBN 978-4885200175
  7. ^ a b c d e f g h i 南知多町誌編集委員会(編) 『南知多町誌 本文編』 南知多町、1991年、668頁。
  8. ^ a b c d e 南知多町誌編集委員会(編) 『南知多町誌 本文編』 南知多町、1991年、669頁。
  9. ^ 青木栄一「名古屋鉄道のあゆみ [戦後編] -路線網の形成と地域開発-」、『鉄道ピクトリアル』第624巻、電気車研究会、1996年7月、 100頁。
  10. ^ a b 中村隆義 『鉄路風雪の百年―なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年、245頁。ISBN 978-4885200175
  11. ^ 中村隆義 『鉄路風雪の百年―なるほど・ザ・名鉄』 中部経済新聞社、1995年、246頁。ISBN 978-4885200175
  12. ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、503頁。
  13. ^ a b c d e 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、504頁。
  14. ^ 中西文孝「名鉄の主要建設・改良工事」、『鉄道ピクトリアル』第370巻、電気車研究会、1979年12月、 28頁。
  15. ^ 徳田耕一 『新版 まるごと名鉄ぶらり沿線の旅』 七賢出版、1997年、88頁。ISBN 978-4883043323
  16. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編) 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年、502頁。
  17. ^ a b c d e f g h 清水武「名古屋鉄道の新線展開を振り返る」、『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 115頁。
  18. ^ a b c 三木理史「名鉄と観光 沿線地域の開発」、『鉄道ピクトリアル』第473巻、電気車研究会、1986年12月、 95頁。
  19. ^ a b 太田貴之「輸送と運転 近年の動向」、『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 39頁。
  20. ^ 川島令三 『全国鉄道事情大研究 名古屋東部篇』 草思社、2002年、172-173頁。ISBN 978-4794211408
  21. ^ a b c d e 曽根悟(監修) 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 No.09―大手私鉄 名古屋鉄道 2』 朝日新聞出版、2010年、11頁。ISBN 978-4023401396
  22. ^ 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海―全線・全駅・全廃線』 新潮社、2008年、48頁。ISBN 978-4107900258

関連項目[編集]

外部リンク[編集]