広陵町

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広陵町
こうりょうちょう
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 奈良県
城郡
団体コード 29426-8
面積 16.33km²
総人口 33,519
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 2,050人/km²
隣接自治体 橿原市香芝市大和高田市
河合町上牧町磯城郡
田原本町三宅町
町の木 木犀(もくせい)
町の花 ヒマワリ
広陵町役場
所在地 〒635-8515 奈良県
城郡広陵町大字南郷583-1
広陵町役場
電話番号 0745-55-1001
外部リンク 広陵町公式WEB

広陵町位置図(奈良県)

:市 / :町・村
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広陵町(こうりょうちょう)は奈良県城郡の南東部に位置する町である。 奈良県の町のなかで最も人口が多い。

目次

[編集] 地理

大和高田市の北に位置することから、河川に関しては同じように高田川・葛城川が北流し、さらに町の東辺を曽我川が流れる。町の東部では平坦な地形が広がるのに対して、西部は丘陵地帯となっているが、ここは隣接する香芝市に跨って真美ヶ丘ニュータウンを形成している。

町の西部には馬見古墳群が広がる。中でも、特別史跡である巣山古墳では死者を古墳へ運ぶ際に用いられた“霊柩船”と見られる木製品が出土し、貴重な史料として注目されている。また、竹取物語ゆかりの延喜式内社・讃岐神社が鎮座する。町東部の葛城川と曽我川に挟まれた地域には百済の集落があり、百済寺三重の塔が残る。

[編集] 町域

  • 635-0825 安部(あべ)
  • 635-0831 馬見北1~9丁目(うまみきた)
  • 635-0832 馬見中1~5丁目(うまみなか)
  • 635-0833 馬見南1~6丁目(うまみみなみ)
  • 635-0834 大塚(おおつか)
  • 635-0803 大野(おおの)
  • 635-0801 大場(おおば)
  • 635-0821 笠(かさ)
  • 635-0805 萱野(かやの)
  • 635-0813 百済(くだら)
  • 635-0815 古寺(こでら)
  • 635-0804 沢(さわ)
  • 635-0817 寺戸(てらど)
  • 635-0816 中(なか)
  • 635-0814 南郷(なんごう)
  • 635-0824 疋相(ひきそ)
  • 635-0822 平尾(ひらお)
  • 635-0812 広瀬(ひろせ)
  • 635-0811 弁財天(べざいてん)
  • 635-0802 的場(まとば)
  • 635-0835 みささぎ台(みささぎだい)
  • 635-0823 三吉(みよし)
  • 635-0818 南(みなみ)

[編集] 西部(真美ヶ丘ニュータウン)

馬見丘陵の南縁に当たり、竹林と田畑が点在する里山であったが、1980年(昭和55年)代前半から住宅・都市整備公団によって宅地造成がなされ、当町が住宅都市として発展するきっかけとなった。区域内には中和幹線をはじめとした2~4車線道路が張り巡らされ、道路事情が芳しくない奈良県内において希有の景観を作り出している。近年は畿央大学の開校に見られるように、新興住宅地として成熟期を迎えていると言える。

[編集] 西部(旧馬見町域)

三吉地区から大塚地区にかけて、馬見丘陵東斜面に沿うように住宅が密集。中心は平尾・疋相両地区であり、農協・銀行や商店が集中。飲食店舗が靴下工場跡などに建設されている。出店近年は西部、真美ヶ丘ニュータウンでの住宅開発が当地区にも及び、新興住宅が散見されるようになった。一方、高田川より東側では広大な水田地帯であるものの、県道大和高田斑鳩線沿道で、郊外型飲食店が急増しており、「外食街道」の様相を呈している。新たなスーパーマーケット出店計画[1]も浮上している。秋には各村でだんじり祭りなどが開催される。毎年1月の第2日曜日には、各村で川辺でとんどなどが焚かれて盛り上がる。

[編集] 中南部(旧瀬南村域)

町役場が置かれるなど行政の中心地区であるが、住宅・商店の集積度は低く、長閑な田園地帯である。南郷地区では環濠集落が見られ、旧瀬南村の中心であった往時の繁栄を忍ばせる。

[編集] 北部(旧箸尾町域)

後に広陵町に編入された区域であり、教行寺を中心とする寺内町として発展。大和鉄道(現在の近鉄田原本線)が開通し、箸尾駅が設置されるなど、奈良県内では比較的早い時期に町制を施行した。新興住宅も増加傾向である。また、この地区にはかつて箸尾町立箸尾中学校が存在していたが、1958年(昭和33年)に広陵町立広陵中学校と合併された。

[編集] 東部(旧百済村域)

葛城川曽我川に挟まれた田園地帯で、水田の中に住宅・集落が点在。百済地区中心部にある百済寺には三重塔があり、田植えが終わった頃の梅雨の晴れ間には、水田にその姿が良く映える。都市化が進む当町の中では最もその流れが緩やかであると言えよう。

[編集] 人口

広陵町と全国の年齢別人口分布図(比較) 広陵町の年齢・男女別人口分布図
紫色は広陵町
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 18,427人
1985年 20,345人
1990年 24,605人
1995年 29,457人
2000年 31,444人
2005年 32,810人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

広陵町の人口

1980年(昭和55年)代後半から1990年(平成2年)代前半には全国屈指の人口増加率を誇った。2007年(平成19年)現在もなお、高い増加率を維持している。

2006年(平成18年)6月ごろに人口が田原本町を追い越し、奈良県においては一番人口が多い町となった。

[編集] 歴史

和名抄大和国広瀬郡山守(やまもり)郷、散吉(さぬき)郷、十市郡川辺(かわのへ)郷の地である。広瀬の名は、今も町内の大字として残っている。1985年(昭和60年)頃より、町西部の丘陵地帯において大規模な宅地開発(真美ヶ丘ニュータウンみささぎ台ニュータウン)が行われ、大阪市から直線距離で25Kmという立地条件も手伝って、ベッドタウンとして人口が急増。 増加率は香芝市や生駒市、上牧町とともに県内上位であり、一時は全国でも 有数の数値を誇ったこともある。

  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、広瀬郡箸尾村、馬見村、瀬南村、百済村の4村が成立。
  • 1896年(明治29年)3月29日 広瀬郡・下郡が併合し、北城郡が成立。4村はいずれも北城郡に属することとなる。
  • 1927年(昭和2年)4月29日 箸尾村が町制施行。箸尾町となる。
  • 1953年(昭和28年)5月1日 馬見村が町制施行。馬見町となる。
  • 1955年(昭和30年)4月15日 馬見町・瀬南村・百済村が合併。広陵町となる。
  • 1956年(昭和31年)9月1日 箸尾町を編入合併。現在の広陵町が成立。

真美ヶ丘ニュータウン内にある町清掃センターの操業問題がクローズアップされていたが、古寺地区への移転が決定。新施設は2007年(平成19年)3月に稼働した。

[編集] 町のキャッチフレーズ

  • 靴下の町(国内トップクラスの生産量に由来。全国生産量の約4割)
  • かぐや姫のまち(町内にある讃岐神社にまつわる伝承に由来)

[編集] 経済

[編集] 産業

1995年(平成7年)、近鉄プラザ真美ヶ丘店・ジョイフル朝日(現・オージョイフル)真美ヶ丘店を 核テナントとするショッピングセンター「エコール・マミ」が開業した。 (売場は香芝市にまたがっており、広陵町域にあるのは北館である)

[編集] 名産・特産

  • 農業(いちご・なす)
  • 繊維(靴下・織布)

[編集] 教育

[編集] 大学

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

[編集] 小学校

[編集] 福祉施設

  • 広陵町手をつなぐ育成会すみれ作業所(古寺)=広陵交通公園内にある。
  • さわやかホール(笠)

[編集] 県の施設

  • 第二浄化センター(萱野)

[編集] 隣接する自治体

[編集] 交通機関

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 県道

奈良県道112号田原本広陵線のうち、広陵町役場前交叉点~広陵農協前交叉点と、それに連続する広陵農協前交叉点~馬見中4丁目までの町道「柳板大谷線」は、町出身の柔道家野村忠宏にちなみ、「金メダルロード」という別名が制定されている。

[編集] その他

[編集] 名所・旧跡・観光・祭事・催事

[編集] 神社

[編集] 寺院

  • 百済寺三重の塔
  • 与楽寺
  • 正楽寺
  • 大福寺
  • 教行寺箸尾御坊

[編集] 名所・旧跡

[編集] 祭事

[編集] 広陵町を舞台にした作品

[編集] 町出身・ゆかりのあるの有名人

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク