馬見古墳群

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馬見古墳群(うまみこふんぐん)は奈良盆地西南部、奈良県北葛城郡河合町広陵町から大和高田市にかけて広がる馬見丘陵とその周辺に築かれ、北群、中郡、南群の3群からなる県下でも有数の古墳群

概要[編集]

4世紀末から6世紀にかけて造営されたと見られる。古代豪族・葛城氏の墓域とみる説もある。この葛城地域には、古墳時代前期の中頃から有力な古墳の造営が始まり、前期中葉から中期には、墳丘長200メートルを超える規模の古墳が造営されている。

主な古墳[編集]

大型前方後円墳の分布により、大きく北群・中央群・南群の3群に分けられる。

北群[編集]

  • 大塚山古墳(河合町川合、中期、前方後円墳、全長215メートル、後円部径118メートル、高さ15.8メートル、前方部幅123メートル高さ16.89メートル、墳丘は三段築成、葺き石と埴輪列をもつ。埋葬施設は竪穴式石室に長持ち形石棺ではと推測されている。) - 大塚山古墳群は馬見古墳群に含めない見解もある。古墳群は5世紀中葉と推定されている。
  • 島の山古墳(川西町唐院、前期、前方後円墳、190メートル)
  • 高山塚1~4号古墳
    • 1号古墳(中良塚古墳、前方後円墳、全長68メートル、後円部径45メートル、高さ6.5メートル、周囲に平均14メートルの周濠、葺き石と円筒埴輪列(家形などの形象埴輪が含まれる)。
    • 2~4号古墳(三基とも円墳。一号墳の西南に点在している。)
  • 九僧塚古墳(大塚山古墳のくびれ部に接する一辺33メートル、高さ3メートルの二段築成の方墳で陪塚[ばいづか])
  • 丸山古墳(帆立貝形古墳、全長60メートル、周濠。)

中央群[編集]

復元されたナガレ山古墳のくびれ部。前方部から見る。
  • 領家山古墳(りょうけやま、大和高田市領家) - 鶏頭埴輪などが出土。
  • 巣山古墳((すやま、広陵町三吉、前期、前方後円墳、204メートル) - 特別史跡。日本を代表する周濠型前方後円墳
  • 佐味田ナガレ山古墳 (河合町佐味田(さみた)) (5世紀前半、前方後円墳、105メートル)- 史跡。墳丘の半分の葺石・埴輪列が復元される。
  • 佐味田宝塚古墳(さみたたからづか、河合町佐味田) - 史跡。30面を超える銅鏡が出土。その中に鏡背に四棟の家屋文様が描かれた家屋文鏡がある。葛城王朝末期の宮殿の模様を描いたもので、それぞれの文様から高殿、高屋、高倉、殿舎であろうと推測されている。
  • 新木山古墳 (にきやま、広陵町新木山、中期、前方後円墳、200メートル) - 陵墓参考地
  • 乙女山古墳(北葛城郡河合町佐味田字乙女山・広陵町大字寺戸字乙女、帆立貝形古墳、130メートル、5世紀前半)
  • ナガレ山古墳(河合町大字佐味田、東西約98メートル、南北約145メートルの方形の基壇の上に全長106メートル、後円部径65メートル、同高さ8.75メートル、前方部幅71.8メートル、同高さ6メートルの墳丘を置いて築造されている。1976年(昭和51年)国の史跡に指定された。墳丘は地山を削りだして整形しており、形が左右対称になっていないこと、また、くびれ部の位置がずれていること、墳丘裾に円筒埴輪列があり、その外に板石で基底や玉砂利を敷き外周帯を造り、墳丘は三段築成、埴輪列と葺石が葺かれていることが1989年(平成元年)~1990年(平成2年)などの基礎調査で明らかになった。

南群[編集]

  • 新山古墳(しんやま、広陵町大塚、前期、前方後方墳、137メートル) - 34面の銅鏡が出土。
  • 狐井城山古墳(香芝市狐井・良福寺、後期、前方後円墳、全長109メートル、後円部径60メートル、高さ10メートル、前方部幅73メートル、葺石と円筒埴輪が施されている。周濠。)
  • 築山古墳(つきやま、大和高田市築山、中期、前方後円墳、210メートル)- 陵墓参考地

参考文献[編集]

  • 泉森皎「大塚山古墳群」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版 1991年 ISBN 978-4-8104-0926-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]