高取町
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目次 |
[編集] 地理
- 河川: 高取川、 吉備川、 曽我川
[編集] 隣接している自治体
[編集] 人口
| 高取町と全国の年齢別人口分布図(比較) | 高取町の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は高取町
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
- 2007年10月1日現在 : 7,894人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -1.8%
[編集] 歴史
[編集] 古代
飛鳥の南に位置しており、町内にも古墳が多数見られる。また、飛鳥から吉野や紀伊に通じる道の途上にあたる位置でもあった。渡来人の東漢(やまとのあや)氏がこの地域に定着した。日本書紀には、676年に高取山周辺の森林伐採を禁止する記述(日本最古の保安林的制度)が見られることから、古くから周辺の人口集中を支える地域として発展していたことが伺える。
[編集] 中・近世
大和国内で有力であった越智氏の勢力圏に属する。越智氏の本城は貝吹山城(橿原市との境に位置)であったが、その支城として高取山城が築かれていた。越智氏は北部の筒井氏とたびたび対立していたが、これに敗れ衰亡していく。
豊臣秀吉の弟秀長が大和の国主となり郡山城に入ると高取周辺もその領地となり、高取山城も改修の手が加えられ日本三大山城に数えられる高取城が姿を見せた。なお同城には秀長の家臣本多氏が入った。
江戸時代には引き続き本多氏が続くも断絶、天領の時期を経て譜代の植村氏が二万五千石で封ぜられる。この高取藩は一時分知により二万五百石となるが再度加増を受け2万5000石に復帰、明治維新まで続いた。
[編集] 近代
江戸時代末に起こった天誅組事件の舞台の一つとなる。五条の代官所を襲撃した天誅組の一団が高取城を目指し進撃するも高取藩兵の迎撃を受け敗退、吉野方面に退却していった。
[編集] 行政
- 町長:筒井良盛
- 町長:植村家忠
- 起訴された前町長の辞職に伴う出直し町長選で初当選した。
植村町長は、江戸時代に2万5000石の高取藩を治めた藩主・植村家の子孫。
[編集] 学校
- 高取町立たかむち小学校
- 育成小学校の閉鎖により、育成小学校と高取小学校が合併した。
- 校名、校歌は町民のアンケートにより決定した。
- 高取町立高取中学校
[編集] 経済
[編集] 産業
- 農業、林業、薬
[編集] 町内に本社を置いている企業
薬の町
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
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- 西南部は近鉄葛駅が至近。
[編集] 道路
- 一般国道
- 市町村内を走る一般国道:国道169号
- 都道府県道
- 市町村内を走る県道:
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
たわらもと== 高取町出身の有名人 ==
[編集] 外部リンク
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