京阪特急

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京阪特急を代表する専用車両・京阪8000系0番台(新塗装)

京阪特急(けいはんとっきゅう)は、京阪電気鉄道京阪線系統で運行されている特急列車の通称である。

本項では、京阪特急の歴史と概要など、および事実上その前身となったかつての急行および最急行2003年から2008年まで運行されていたK特急、停車駅ならびに車両の接客設備が特急と遜色のない列車である2008年10月19日より運転開始の快速急行、および翌20日より運転開始の快速特急通勤快急の歴史についても記述する。なお、通勤快急はこれが正式種別名であり、通勤快速急行とは称さない。

歴史[編集]

前身[編集]

  • 京阪本線(以下、本線)は1910年に開業し、大阪天満橋駅京都五条駅の間を当初1時間40分で結んだ。その所要時間は開業後徐々に短縮され、1912年には1時間20分となった。
  • その後、京阪の役員の中に、さらなる速達を求めてノンストップの列車を運行する考えが生まれた。これに対しては反対意見もあったが、とりあえず終電の後に1本増発する形となった。
  • 当時は信号が全くなく安全を見込んで、終電後に相当運転間隔を取り、京都と大阪をそれぞれ午前0時半に出発し(現在の本線の京阪間直通最終列車発車時刻よりも遅い[1])、1時間で走破する列車として設定された。
  • 運転区間延長にも関わらず1時間運転をそのまま維持した。同年12月には四条駅に停車する急行も2本設定した。

「びわこ号」運転開始[編集]

  • 1934年昭和9年):日本初の連接車である60形による京津線直通の特急「びわこ号」が運転開始。天満橋駅 - 浜大津駅間を72分で結ぶ。2008年改定の現行ダイヤに於いても天満橋駅 - 浜大津駅間はそれ以上の所要時間がかかる(東海道線経由の場合でもびわこ号の方が速い)。
    • 当時、その前の1928年に開業した新京阪線(現在の阪急京都本線)の存在により、京阪間の直通客は新京阪線に任せて京阪本線は沿線利用中心という方針を採った。このため、昭和初期において同線には「びわこ号」を除いて特急と名の付く列車は設定されなかった。

京阪特急運転開始[編集]

  • 1950年(昭和25年)7月1日:この日のダイヤ改正で1000形・1100形運用による本線単体としては初の特急列車が設定され、9月1日[2]より運転が開始された。京橋駅 - 七条駅間ノンストップ運転はこの時から。この時点では朝夕のみの設定であった。特急でありながら特急料金を不要としたのは、将来を睨みつつ京阪間において1時間あたり3往復以上の高頻度運転を行い、かつ急行・普通とを組み合わせて効率よいダイヤを組むことを最初から計画していたためである。
    • 戦中に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄(1973年に阪急電鉄と改称)に統合され、戦後の1949年に新京阪線が阪急に残る形で再度京阪電気鉄道として発足すると、それらとも争う形で再び京阪間直通客の獲得に乗り出した。
  • 1951年(昭和26年):運転時間の日中への拡大(日中は1時間毎)にあたり、京阪として初めての特急専用電車である1700系が登場。
  • 1952年(昭和27年)
    • 特急の増発(日中は30分毎、他の時間帯は20分毎)に伴い1300系の一部車両が特急運用に入る。
    • 7月17日より公募で選ばれたデザインをベースとする特急のヘッドマーク(鳩マーク)が従来の円形のものに代わって使用される。

テレビカー登場[編集]

  • 1953年(昭和28年):日本初のカルダン駆動方式を採用した1800系が登場。この系列より一部の車両に登場間もないテレビを設置し、テレビカーと称される。また日中も20分毎の運行に増発。最終特急も1951年から1953年にかけて、天満橋・三条双方20時発から22時発に延長。
  • 1956年(昭和31年):1800系の改良型である1810系が登場。
    • これに伴って1700系は順次一般車へ格下げ改造され、また1300系も特急運用から離脱したため、これ以降は定期列車の京阪特急は原則として特急車による運行となる。また最終特急を1時間繰り下げ、運行時間帯は天満橋発は7:00 - 23:00、三条発は6:50 - 23:00とした。
  • 1958年(昭和33年):テーマソング「京阪特急」が制作される。
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月:4月の天満橋駅 - 淀屋橋駅間延伸開業に伴い、それに伴う増備と1700系と1800系の置き換えを兼ねて1900系が登場。1810系は2両を除き1900系に編入され、1700系と1800系は順次一般車へ格下げ改造される。
    • 4月16日:同区間を延伸開業。運行時間帯を淀屋橋発、三条発とも6:40 - 0:00に拡大[3]
  • 1967年(昭和42年):特急が夜間以外6両編成化される(夜間は3 - 4両編成)。この頃最終特急を双方23:50発に繰り上げ。
  • 1969年(昭和44年):翌年の日本万国博覧会開催に備えて特急の側面に掲示するサボが英語表記入りとなる[4]

特急車の冷房化から鴨東線開業まで[編集]

  • 1971年(昭和46年):阪急2800系や国鉄の新快速登場に伴う対抗策として、全車冷房装置およびカラーテレビを搭載した3000系が登場。1900系は順次一般車へ格下げ改造される。守口付近の複々線化工事の進捗と樟葉駅の改良工事、新門真駅(現在の門真市駅)の完成で運転間隔が15分ヘッドに変更される。その一方で、三条発の時刻が毎時7、22、37、52分ときりの良い時刻でなくなった。また最終特急が淀屋橋・三条発とも23:30に繰り上げられた。
  • 1973年(昭和48年):全ての特急が3000系となり、特急車の予備編成も1本から2本に増えた[5]。一方で1900系は定期特急運用を完全に失った。
  • 1975年(昭和50年):この頃、最終特急が30分繰り上げられ、淀屋橋・三条発とも23:00となった。
  • 1987年(昭和62年)6月1日:七条駅 - 三条駅間地下化工事完成(同年5月24日)に伴うダイヤ改正で、早朝と深夜に運転されていた3 - 4連の特急が廃止される(全て6 - 7連化)。
  • 1989年平成元年)9月27日鴨東線開業に伴うダイヤ改正で、その車両補充と3000系の7両編成への統一のために8000系が登場。淀屋橋23:20発の最終特急を増発(出町柳発は従来通り)。
    • 当初8000系は7両1編成と3000系6両編成への増結中間車が投入されたが、8000系の反響が大きかったために3000系の置き換えへと至り、同系列は大半がそのまま廃車となり、先頭車は富山地方鉄道大井川鉄道(現在の大井川鐵道)に譲渡される。その後の時代情勢の変化や寝屋川市駅高架化工事による運用増加に合わせて同系列は7両1編成と2両の予備車が残存する事になった。

ダブルデッカー登場と停車駅増加[編集]

  • 1993年(平成5年)1月30日:この日のダイヤ改正で平日朝の淀屋橋行が中書島駅に追加停車。京橋駅 - 七条駅間ノンストップ運転の原則が初めて破られた。
    • 京阪間輸送で競合する西日本旅客鉄道(JR西日本)がJR京都線の新快速で大攻勢をかけたことやバブル経済崩壊による影響で京阪特急の利用客が減少傾向に入ったことに対し、京阪側は京阪間の途中駅の利用客をこまめに拾う戦略へと転換を始め(阪急京都線もそれに追随する動きを見せる)、依然として混雑率の高い急行・準急の利用客の特急への誘導による混雑率の平準化を狙ったものである。
  • 1995年(平成7年)3月1日:初代3000系の車体更新工事を実施。そのうちの1両が2階建車両に改造される。既存車両のこのような改造は日本国内で初めての例となる。(同年12月25日より営業運転復帰)
  • 1997年(平成9年)
    • 3月22日:この日のダイヤ改正でさらなる特急と急行・準急の混雑の平準化を狙い、平日朝の淀屋橋行特急を枚方市駅に追加停車。これに伴い3扉セミクロスシートの9000系が投入され、これらの運用に優先的に回される。この車両の投入により41年ぶりに特急車以外の定期運用が設定される。
    • 9月11日:8000系に2階建車両増結開始。
  • 1998年(平成10年)4月28日:この日までに8000系への新造2階建車両投入と3000系の予備車を活用して全ての定期列車の特急が8両編成になる(ただし後年登場した交野線私市発のK特急を除く)。
  • 2000年(平成12年)7月1日:この日のダイヤ改正で中書島駅と丹波橋駅が終日停車駅。
    • また平日の片道1本が3000系で運用が統一されて以来、定期列車では初めてオールロングシート車両(2200系〈後2002年に撤退〉・6000系・7200系)の運用を開始する[6]
    • このダイヤ改正直前においては、夕方のラッシュ時に出町柳行特急が京橋駅発車時点でもほぼ全員着席可能な利用率であったことから(料金不要の大都市圏の速達列車としては異例であった)、それまで大阪市内からは急行で長時間乗車となっていた上記の2駅終日停車による(宇治線乗り換え客を含む)利用率向上を狙ったものである。昼間時間帯と夕方ラッシュ時では丹波橋駅で急行を追い抜くダイヤとなった。そのため、特急停車駅 - 急行以下(あるいは普通のみ)停車駅の到達時間が短縮された。
  • 2002年(平成14年)10月1日:この日から平日朝ラッシュ時特急の京都寄り先頭車を三条駅 - 天満橋駅間で女性専用車両とする(女性専用車両シールを貼付けされなかった6000系(6014Fを除く)と2200系8連車はこの日から同時間帯の特急運用から外れた。ただし6000系は2003年改正時にシールが貼付けられ、特急運用が復活する)。

京阪特急増発、K特急・支線直通の設定[編集]

K特急おりひめ(2004年9月6日 枚方市駅、運転初日の初列車)
臨時K特急(2006年10月22日 枚方市駅 - 枚方公園駅間)
  • 2003年(平成15年)9月6日:この日のダイヤ改正で従来の特急停車駅の列車を「K特急」に名称変更し(平日朝・夕方・夜間のみ運転)、特急は新たに枚方市駅と樟葉駅が終日停車駅になる。昼間時間帯の全区間通しの急行の運転がなくなる。その反面、淀屋橋駅 - 三条駅間の所要時分は1989年10月の44分だったものが、51分にスピードダウンしてしまった[7]
    • K特急の設定経緯は、このダイヤ改正で特急停車駅を追加した際、平日(昼間時を除く)に限り従来の特急停車駅で運転する特急も残すことになり、この列車には新種別を設定する必要が出て来たことから設定されたものである。そのため、公式には一応新種別と発表されているが、実質的には種別名の変更である。初めての平日となる9月8日よりK特急の運転を開始した。
      • 「K」の意味は「京阪(電車)」 (KEIHAN) および「京阪間」の意味の「K」とされているが、当種別の位置付けから「快速特急(かいそくとっきゅう)」の「K」と見なす者もいる。また、交野線直通K特急「おりひめ」の「K」は「交野市・私市」の頭文字の「K」と解釈している書籍も存在する(これは京阪間直通ではないため)。
    • K特急の私市発淀屋橋行の列車も設定され、愛称は一般公募により選ばれ、約1,000通の応募の中から交野地区が「七夕伝説」の地域であることに因んで「おりひめ」と命名された。[8]
    • 昼間時の特急が15分ヘッドから10分ヘッドに(阪急京都線では2001年にほぼ同様のダイヤ改正が行われていた)。運用増加に合わせて日中の3分の1の特急がセミクロスシート車の9000系での運用となったほか[9]、平日ラッシュ時を中心に6000系などのロングシート車運用も増加した。
    • 女性専用車両は平日朝ラッシュ時のK特急(おりひめを除く)で全区間での設定となる。
  • 2005年(平成17年):特急用車両および6000系以降の車両にも弱冷房車を設置。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月16日:この日のダイヤ改正で主に平日朝7 - 11時の時間帯においてロングシート車両の運用が増加(下りK特急3本・特急5本、上りK特急・特急各1本の合計10本にロングシート車を定期運用に充当)。平日の特急運転時間を前後30分程度拡大する。この時K特急から置き換わった一部の特急にも女性専用車両が設定される。「おりひめ」は、朝ラッシュ時の発車時刻が2列車とも約20分早められた。
    • 10月22日鉄道の日記念トーマストレイン(10000系)による臨時運転。「おりひめ」および鉄道の日マスコットキャラクター「テッピー」のヘッドマークが付いたが、幕は特急表示であった(私市9:33→天満橋10:14、休日初運行)。
  • 2007年(平成19年)1月21日宇治線10000系きかんしゃトーマス号)による本線への臨時特急を運行。宇治線での特急列車の走行は(臨時ではあるが)初となる。同線内では各駅に停車していた。
    • また、テレビカーの地デジ対応工事が7月までに全て完了、同時に受像装置も液晶モニタに交換した。
  • 2008年(平成20年)
    • 6月27日:現存する3000系が8000系に編入(改番)される(改番後は8000系30番台)。これにより、特急用車両による運行は8000系で統一される。
    • 6月30日:これまでの塗装の上下を逆転させた新塗装車両が運転を開始した(これに合わせて内装、自動案内装置、戸締め予告ブザーなどを更新)。2012年までに全ての車両が新塗装になる予定[10]
    • 10月17日中之島線開業に伴うダイヤ改正でK特急が運用を終了するのに伴い、8000系8531Fに「K特急」のヘッドマークを装着して運転した。

「おりひめ」の特記事項[編集]

以下は当時K特急で運転されていた当時の「おりひめ」の特記事項である。

  • 2003年(平成15年)9月8日:一番列車(1919-1920・特急色)
  • 2004年(平成16年)
    • 3月12日:1900系復活特急塗装 (1919-1920) さよならイベント(定期列車の運用変更)
    • 7月7日:七夕イベント(1919-1920)。
    • 9月6日:前日の地震による運用変更・鳩マーク掲出なし(1919-1920・PiTaPa塗色)。
  • 2005年(平成17年)
    • 7月7日:七夕イベント(1917-1918)。同時に新ヘッドマークの発表。
    • 7月8日:ヘッドマークのデザインを変更。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月4日:車両故障によるダイヤ乱れにより、10000系がK特急「おりひめ」の1本に充当(4連K特急初)。
    • 4月17日:前日付ダイヤ改定の祝賀列車 (1917-1918)
    • 5月18日:1917-1918編成勇退記念
    • 7月7日:七夕イベント(1929-1930)
    • 7月26日:突発的に1900系充当・鳩マーク掲出なし(1919-1920・一般色、50周年記念副標識取り付け)
  • 2007年(平成19年)
    • 1月21日:トーマストレイン10000系最終運転日の臨時運転。「おりひめ」およびトーマストレイン引退記念「ありがとう」のヘッドマークが付いたが、幕は特急表示であった(私市11:07→天満橋11:44・休日2度目の運行)。
    • 7月9日:2度目のヘッドマークデザイン変更(新ヘッドマークは前々日の七夕伝説イベントで披露)。
  • 2008年(平成20年)
    • 7月7日:七夕イベント (1919-1920)
    • 10月17日:K特急運用終了

中之島線開業から京橋 - 七条ノンストップ特急の復活[編集]

ノンストップ臨時快速特急「洛楽」(2012年5月4日 関目駅)
  • 2008年(平成20年)10月19日:中之島線開業に合わせたダイヤ改正。
    1. 昼間時に中之島発着の快速急行が毎時2本設定されている。これに充当される新型3扉セミクロスシート車両が3000系(2代)とされた関係で、従来の3000系3505Fは床下機器面などではほぼ同一の8000系30番台に改番された。
    2. また、同日よりK特急を快速特急に改称し(運転時間帯は京都方面平日夕夜のみに縮小)、下りの京阪間ノンストップの列車は完全に消滅した。さらに定期の京阪特急で初めて途中駅での折り返しを行う特急が設定されたほか、出町柳発着の一部が三条発着となり、昼間時に枚方市発着(下りは最終特急のみ枚方市到着を設定)[11]、朝夕ラッシュ時および夜間に樟葉止まり(樟葉発は1本も存在せず)の特急(快速急行と接続)が一般車で運行されている。通勤快急と快速急行の途中折り返しも設定されているが、これは前者は三条始発、後者は樟葉止まり(三条止まりと樟葉発は1本も存在せず)のみの設定となっている。この改定で19年ぶりに三条駅発着の特急が復活した。
  • これにより、昼間時[12]に運転される出町柳発着の特急・快速急行は全て転換クロスシートを備えた車両で運転されることとなる。また土曜・休日ダイヤの全線通しの特急は上り早朝1本・深夜2本を除く全便[13]が8000系での運転となる反面、平日ラッシュ時には混雑時対策による一般車特急の大幅増便[14]による対応と、夕方上りに8000系で運転される快速特急による遠距離通勤客に対する着席サービスの確保といった、曜日や時間帯に応じた臨機応変なサービスの提供が実施されている。なお、快速急行の運転は2002年ごろに既に検討されていた[15]
  • ダイヤ改定後の日中の優等列車のダイヤパターンは枚方市駅以東は従来の特急のみ10分間隔運転から特急と快速急行が一体となって10分間隔で運転され、以西も枚方市駅始発の特急と快速急行と接続することで、中之島直通の快速急行を設定しながらも、淀屋橋から京都方面への利便性は乗り換えの手間を除けば従来どおり維持されていると同時に、守口市駅・寝屋川市駅・香里園駅から樟葉駅以東の京都方面行き特急停車駅相互間のアクセスも大幅に改善した。なお、枚方市駅 - 出町柳駅間は特急・快速急行とも全く同じ停車駅であるが、土・休日ダイヤにおいては、特急は乗降に時間がかかる2扉車で運転されるため一部の駅で乗降時間を快速急行よりもわずかに長く取っており、逆に3扉車で運転される快速急行は乗降時間が特急より短く設定されている代わりに、競馬開催時の淀駅臨時停車に備えて樟葉駅 - 中書島駅間の運転余裕時分を特急より長めに取っていた。このため、特急と快速急行を合わせた途中停車駅での運転間隔は9 - 11分とわずかにずれたダイヤが組まれていた。
  • 「おりひめ」は通勤快急に格下げ、準急からの格上げで「ひこぼし」が快速急行となった。
    • 改正後最初の平日となる10月20日の運行から通勤快急に種別が変更され、停車駅と行先の変更が行われたが、この時には車型(2600系)に変更はなく、ヘッドマークについても「K特急」の部分を「通勤快急」に改めた程度で大きな変更はされていない。
  • 2009年(平成21年)
    • 正月ダイヤでは特急運転は行われたが、急行停車駅である八幡市駅伏見稲荷駅への初詣参拝客輸送のため、同駅を通過する快速急行の運転は終日行われなかった[16]。(2010年の正月も同様)
    • 9月12日:最終の特急出町柳行きが三条行きに変更され、三条より普通出町柳行きに種別変更の上で運転(実質的に神宮丸太町駅への追加停車措置と言える)。三条止まりの快速急行の設定と夕方の樟葉止まりの快速急行の削減、21時台の快速急行の樟葉までの短縮を実施。三条止まりの快速急行は樟葉で快速特急を待避するため、中書島以北への先着列車とはならなかったが、三条到着は快速特急の1分後で、出町柳へは先行の準急と接続する。また快速急行「ひこぼし」の片道1本(最終便)が4両に短縮され2600系から10000系の運用へと変更された。なお同改定では平日のみ21時台の快速急行の運用を一般車8両編成に変更した関係で3000系と運用の持ち替えを行った結果、3000系使用の淀屋橋発の特急が追加設定されている。
    • 12月19・20・23日:初めて土・日に下り臨時快速特急「光のルネサンス号」が出町柳 - 中之島間で運行された。なお、始発駅の出町柳駅ではかつてのK特急用のメロディが使用された。
  • 2011年(平成23年)
    • 5月28日:同日のダイヤ改定で平日夕方、夜間の快速特急が全て特急に格下げ、定期運用は廃止された。淀屋橋 - 出町柳間で早朝・深夜、平日朝ラッシュ時以外で特急のみの10分間隔での運転になる。快速急行の大幅削減および天満橋 - 淀屋橋間にも快速急行を運転。また土休日ダイヤの下り列車の1本が一般8両編成での運転となった。またこの改定で特急の昼間時の運用編成本数が12本から13本となる[17]。ほか、夜間に運転される快速急行の一部に8000系を充当。これに伴い折り返し駅の入線の都合と一部の駅で停車時間の延長余裕時分を見込んだ影響で淀屋橋 - 出町柳間の所要時間は下り57分、上り55分に延びた。この改定で快速急行の淀駅臨時停車を廃止した。
      • ただし中之島線直通の快速急行は大幅削減されたが、その代わりに特急と中之島駅発着の普通または準急を京橋駅で相互接続させることにより、中之島線各駅 - 樟葉駅以東の特急停車駅間の所要時間を、従来の快速急行利用時と比較して3分短縮した(主に日中)[18]
    • 10月22日:京橋→七条間ノンストップの臨時快速特急を2本、秋の行楽期(12月4日まで)の土休日に運転開始。[19]
  • 2012年(平成24年)
    • 3月24日:京橋→七条間ノンストップの臨時快速特急を2本、春の行楽期(6月3日まで)の土休日に運転開始。この運行に向けて愛称の募集も行われ「洛楽」の列車愛称があたえられている[20]。その後も何度か運行されている[21]
    • 7月:8000系0番台車のリニューアル工事が完了し、テレビが撤去される[22]。これにより、テレビ受像器を装備するのは旧3000系の8000系30番台車1編成のみとなった。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月10日:8000系30番台(旧3000系)が定期列車での営業運転を終了。同月31日までに4日間実施された臨時列車の運転などをもって引退し、同時にテレビカーも全廃された[23]
  • 2014年(平成26年)
    • 正月ダイヤで七条→京橋間ノンストップの臨時快速特急を設定[24]。春の行楽期には上り1本の増発に加え、初めて下り2本が設定された[25]

過去のダイヤ上での特記事項[編集]

  • 「びわこ号」の他に、1950年代ごろから1960年代辺りまでは京津線にも夏季海水浴シーズンや冬のスキーシーズンなどに臨時特急が運転されていたことがあった。停車駅は1950年代ごろの夏の海水浴臨時特急では京阪山科駅のみに停車、1960年代の冬の臨時特急では全線ノンストップであった。しかし、1970年代は不明確であり、また1980年代以降は設定自体がされていない。車両は1950年代には大津線1型などが、1960年代には200形260形[26]などが充当され、時には車両運用の都合で当時の最新鋭車両であった普通列車専用の80形も2両編成で充当されていた[27]。200形や260形や80形が特急として運用される場合、鳩マークの掲出はステーのない関係上不可能であったものの、前面には丸形の標識板が掲出され、側面にも当時の本線特急同様「特急」サボが掲出されていた。
  • また設定開始当初から淀屋橋延長の1963年ごろまでは正月ダイヤでは特急を全便運休としていた。このため、正月ダイヤでは特急車は急行などで運用していた[28]
  • 京阪社史『鉄路五十年』(1960年)の年表には、1958年3月9日に「琵琶湖島めぐり船連絡特急びわこ号の座席指定を開始」という記述がある。この「びわこ号」が60形による直通列車であるのか、副標識を付けた京阪線特急なのか、京津線内の臨時特急であるかは未詳であるが、京阪特急において座席指定がおこなわれた数少ない事例である。いつまで実施されたかは不明。

停車駅[編集]

特急・K特急・快速特急[編集]

現在の停車駅[編集]

特急は8000系の他に3000系(2代)でも運用される
中之島行き臨時特急もみじExpress(三条駅)
特急
快速特急
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - 七条駅 - 祇園四条駅 - 三条駅 - 出町柳駅
  • 2011年10月22日以降、行楽期の土休日に臨時列車として設定。
  • 2013年までは上りのみしか運行されていなかったが、2014年の正月ダイヤ以降は下りも運行されている。

かつての停車駅[編集]

かつて設定されていたK特急(中書島駅)
京阪本線・鴨東線K特急・快速特急(2003年9月8日 - 2011年5月27日に設定)
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - <枚方市駅> - 中書島駅 - 丹波橋駅 - 七条駅 - 四条駅(現在の祇園四条駅) - 三条駅 - 出町柳駅
  • <>の駅は朝の淀屋橋行のみ停車(K特急が運転されていた2003年9月から2008年10月まで)
交野線直通K特急「おりひめ」(運転当時)
  • 交野線内は各駅に停車していた。
特急(2000年7月1日 - 2003年9月5日)
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - <枚方市駅> - 中書島駅 - 丹波橋駅 - 七条駅 - 四条駅(現在の祇園四条駅) - 三条駅 - 出町柳駅
  • <>の駅は平日朝の淀屋橋行のみ停車
特急(1997年3月22日 - 2000年6月30日)
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - <枚方市駅> - <中書島駅> - 七条駅 - 四条駅(現在の祇園四条駅) - 三条駅 - 出町柳駅
  • <>の駅は平日朝の淀屋橋行のみ停車
特急(1993年2月1日 - 1997年3月21日)
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - <中書島駅> - 七条駅 - 四条駅(現在の祇園四条駅) - 三条駅 - 出町柳駅
  • <>の駅は平日朝の淀屋橋行のみ停車
特急(1989年10月5日 - 1993年1月31日)
  • 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - 七条駅 - 四条駅(現在の祇園四条駅) - 三条駅 - 出町柳駅

快速急行・通勤快急[編集]

京阪本線・鴨東線快速急行で運用される2代目3000系電車

2008年10月19日ダイヤ改定時に設定

中之島線・京阪本線・鴨東線快速急行・通勤快急
  • 中之島発着 中之島駅 - 渡辺橋駅 - 大江橋駅 - なにわ橋駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - <守口市駅> - 寝屋川市駅 - 香里園駅 - 枚方市駅 - 樟葉駅 - 中書島駅 - 丹波橋駅 - 七条駅 - 祇園四条駅 - 三条駅 - 出町柳駅
  • 淀屋橋発着 淀屋橋駅 - 北浜駅 - 天満橋駅 - 京橋駅 - 守口市駅 - 寝屋川市駅 - 香里園駅 - 枚方市駅 - 樟葉駅 - 中書島駅 - 丹波橋駅 - 七条駅 - 祇園四条駅 - 三条駅 - 出町柳駅
  • <>の駅は通勤快急は通過(中之島発着のみ設定)。
  • かつては競馬開催日の8 - 17時台に淀駅に臨時停車していた[29]
交野線直通通勤快急「おりひめ」
  • 私市駅 → 河内森駅 → 交野市駅 → 郡津駅 → 村野駅 → 星ヶ丘駅 → 宮之阪駅 → 枚方市駅 → 香里園駅 → 寝屋川市駅 → 京橋駅 → 天満橋駅 → なにわ橋駅 → 大江橋駅 → 渡辺橋駅 → 中之島駅
交野線直通快速急行「ひこぼし」
  • 中之島駅 → 渡辺橋駅 → 大江橋駅 → なにわ橋駅 → 天満橋駅 → 京橋駅 → 守口市駅 → 寝屋川市駅 → 香里園駅 → 枚方市駅 → 宮之阪駅 → 星ヶ丘駅 → 村野駅 → 郡津駅 → 交野市駅 → 河内森駅 → 私市駅
  • 上記2列車は、交野線内は各駅に停車する。

車両[編集]

専用車両[編集]

特急・K特急・快速特急[編集]

特急時代の1900(1810)系電車(1971年頃 七条駅)
初代3000系電車(後の8000系30番台)
  • 初の特急専用車で、特急専用塗装と鳩マークを初めて採用した。特急専用車で唯一の吊り掛け駆動式車両であった。一般車格下げ後は1983年の京阪線1500V昇圧まで運用された。
  • 日本初のカルダン駆動を採用した電車。先述のように京阪特急初のテレビカーを連結している。1900系登場と共に一般車に格下げされた。後に昇圧対応改造を兼ねて足回りを600系に譲る形で2代目1800系が登場している(1989年に全廃)。
  • この系列より18m・空気バネ台車に変更された。1900系登場時に金属バネ台車の2両を除いて同系列に編入した。
  • 淀屋橋延伸開業時に登場した、前面のバンパーが特徴の高性能車。初代3000系登場後は特急運用から離脱して一般車に格下げた後も、臨時特急の他、2000年代にはK特急「おりひめ」にイベントなどで運用された実績もあり、その際は前面に特急鳩マークとヘッドマークの両方を掲出していた。
  • 中之島線開業前日の2008年10月18日をもって営業運転を終了し、同年12月に実施したさよなら運転をもって引退した。
  • 特急専用車として初めての冷房車となり、テレビカーもカラーテレビ搭載となった。しかし、8000系増備に伴い大半が廃車または譲渡されたため、1編成のみ(改番前の編成は3505F)が運用されている。1995年の改修工事に合わせて1両をダブルデッカー化改造(改造車のダブルデッカーは日本の鉄道車両で唯一の存在)するとともに特急マークはプレート式から幕式に更新された。そして、2008年の2代目3000系登場に合わせて8000系30番台に改番された。詳細は該当記事を参照。また2011年より平日の一部の快速急行でも運用を開始した。
  • 2013年3月10日をもって営業運転を終了し、同31日のさよなら運転をもって引退した。それと同時にテレビカーは全廃となった。なお、当初予定されていた新塗装化は見送られた。
  • 現行の主力で、鴨東線開業時に登場した。特急専用車として初めて固定編成となった。バケットタイプの転換クロスシートに横引きカーテンを装備する豪華な車内設備が特徴である。1998年には3000系に続いて新造ダブルデッカーを連結し、特急専用編成は8両固定編成に統一された。
  • 2009年度より車端部の座席について、背もたれの高さをクロスシートと同等以上の位置まで確保したハイバックロングシートに改造の上、テレビ受像機も撤去するリニューアル工事が開始(新塗装化も同時に施工)。この改造車は2010年3月27日より運転が開始され、その後も順次リニューアル工事は進行し、テレビカーは2012年7月をもって当形式からは消滅した[22]。2009年12月に運行された快速特急「光のルネサンス号」はこの0番台が充当された。30番台と同様に2011年より平日の一部の快速急行でも運用を開始した。

快速急行・通勤快急[編集]

  • 中之島線開業による所要車両数の増加および快速急行の設定に際して製造した車両である。2008年10月19日より主に快速急行や通勤快急に使用され、ほかに平日夕方ラッシュの内1本と夜間・深夜および土曜・休日ダイヤの上り早朝・深夜には淀屋橋方面にも入線し、特急や急行の運用にも就く運用であった。また、土曜・休日ダイヤは検査や部品交換時の代走を除く全ての快速急行に3000系が使用された。2009年9月12日当時のダイヤでは従来一般3扉車で運転されていた平日夜間の上り特急6本(出町柳行き4本・樟葉行き2本)が3000系の運用となった。
  • 2011年5月28日のダイヤ改正で日中の快速急行が廃止された代わりに一部の特急運用に入っている。このため3000系の中之島線入線は大幅に減少している。この時、朝ラッシュ時の特急の一部が3000系で運用されることとなったため、全編成に女性専用車両シールが京都方先頭車に貼付された。また、早朝と深夜には8000系と同様に入・出庫を兼ねた普通・準急運用などにも使用されている。また、臨時運転(主に春や秋に)の特急や快速急行・通勤快急が運行されない正月ダイヤ時の一部急行・準急にも用いられる。

特色[編集]

  • 特急専用車両は全て2扉転換クロスシート車で、カーマインレッドとマンダリンオレンジの専用塗装を施している(現在は8000系30番台のみ)。塗装は初代の1700系から現在の8000系に至るまで変わっていないが、1989年の同系列登場後は若干色調が変更されていた。また、鋼索線1・2号車両も専用塗装を施している。なお、2010年に8000系0番台の塗装を逆転する塗装の変更が完了した。
  • いずれの車両も乗車券のみで乗車できる特別料金不要列車としては最高水準の接客設備を備えているが、登場当時のタイミングの悪さからブルーリボン賞ローレル賞受賞を逃している。京阪でのローレル賞受賞車両は、通勤車の6000系と3000系(2代目)のみである[30]
  • 技術面では、1700系で日本で初の空気ばね台車KS-50をテストし、1800系が日本初のカルダン駆動車、1900系でデフレンシャルギヤ台車のKS-68の長期テストをするなど、鉄道技術史上において重要な存在である。1995年からは先述のダブルデッカーを連結している。
  • 特急専用車は、車内広告を一切排除する施策をとっている。これは、料金不要の特急列車としては異例である。競合する阪急京都線の特急でも同様の施策を長年続けていたが、不況の影響などにより現在は車内広告を導入している。また、初代3000系が主力だった時代は座席枕カバーに名刺程度の大きさの広告を入れていたことはあった。

特急運用兼用車両[編集]

以下の車両は、特急車に入る事を前提とした車内設備などを持ち、準専用車両という位置付けと言える。

  • 戦後の京阪特急運転開始時は同系列が専用車として充当された(運転開始時には1700系はまだ登場していなかった)。戦前製の流線形ロマンスカー。
本来は通勤車であるが、3両が1700系の増結用に特急車となった。塗装は京阪特急色に変更されたが、車内はロングシートのままであった。
  • 1997年3月22日のダイヤ改正で朝の下り特急(現在の快速特急)が枚方市に停車するのに伴い、ラッシュ時の特急運用向けに登場した3扉セミクロスシート車(クロスシートは2人掛け固定クロスシート)である。通勤車の7200系をベースにしており、塗装も通勤車のグリーン濃淡に水色の帯を追加しただけである。
  • 2003年9月6日のダイヤ改正から2008年10月18日までは10分ヘッドとなった日中(一部夜間)の特急の定期運用も担っていた(日中の特急の1/3は本系列であった。ただし、検査入場時は6000系などのオールロング通勤車8両編成が代走していた)。
  • 2008年10月19日のダイヤ改定からは3扉車特急・快速急行(または通勤快急)を中心とする6000系・7200系8連グループとの間で共通運用が組まれることとなり、同改定以降はデビュー時代に類似する運用に就くこととなった(ただし同系列のロングシート化完成までは暫定的に9000系を優先的に特定運用に就かせたが、これも2009年9月12日改定で終了した)。また2008年から2011年までの日中および土曜・休日ダイヤにおいては枚方市折り返し特急や深夜急行・準急以下一般種別の運用にも就いていた。また3000系の検査時には代走を行う場合がある。
  • なお、2008年度より同系列は全編成がロングシート化される計画[31]が実行され、全編成完了した。

臨時特急使用車両[編集]

以下の車両は京阪が公式に臨時特急使用車両として形式を指定していた時期もあった。ただし、車両運用の都合によりこれ以外の車両形式が充当される場合もあった。

  • 1700系1800系(1963年 - 1966年)
  • 2200系(1964年 - 1971年。ただし、2000系が充当されることも多々あった。)
  • 1900系(1971年 - 1983年。2200系・2400系[32]も冷房が必要な時期を中心にしばしば使用された)
  • 6000系(1983年 - 1993年)
  • 7000系(1993年 - 1995年)
    • 1995年6月19日のダイヤ改正より7連車両(5000系を除く[33])に、1998年4月28日の特急全列車8連化により8連車両全形式に変更(ただし、特急車の予備車を最優先とし、次に3000系の予備車、一般8連車の優先順位で運用される)。
    • 2200系は2000年から2002年まで8両編成で定期の特急運用に就いた実績もある(下記参照)。
    • 1000系5000系も過去に特急運用に就いたことがある。特に5000系は1985年の春に運用の都合で5554F×7連車がリニューアル前(正面種別・行先幕設置前)に鳩マークをつけて走った実績があるが、普段は5000系は臨時特急運用を持っていない。

なお、現在は8連編成であること以外に臨時特急使用車両の形式限定はない。

通勤車の特急・快速急行・通勤快急使用車両[編集]

特急・快速急行・通勤快急には通勤車も定期運用に充当されているが、編成両数の関係上、8・5・4両編成のみに限定され、使用車両形式も下記の系列に限定される。なお快速特急や7両編成の特急・快速急行などはこれらの車両は事故や災害によるダイヤの大幅な乱れが発生した時を除いて運用されることはない。なお、過去に定期列車で使用されていた形式も含む。

  • 運用開始当時より1971年までは、臨時特急や運用開始当時特急車の予備編成が1本(5 - 6両程度)しかなかった関係上、2000系とともに定期特急の代走に充当された実績があり、その後の冷房改造後も時折臨時特急での運用があったが、2000年7月1日の改正で8両編成5本のみ定期特急運用に就いていた(現在は2200系の8両編成はない)。下記の6000系と7200系との共通運用であった。2002年、女性専用車両試験導入を機に定期特急運用から外れた。
  • 2600系(0番台のうち5両編成のみ。1978年 - )
  • 交野線直通の通勤快急「ひこぼし」と通勤快急「おりひめ」のみで使用される。原則として5両編成を使用して運行されるが、これはホーム有効長の関係で交野線内が5連までしか入線できないためである。また、前面に「直通通勤快急 おりひめ」「直通快速急行 ひこぼし」のヘッドマークを掲出して運転される。2009年から2011年まで最終便が4両編成に短縮されたが、これには交野線運用の間合いである10000系を充当しており、2600系は運用されていなかった。2011年以降は「おりひめ」「ひこぼし」はそれぞれ片道1本のみとなった。
  • 2008年から2011年までは昼間は、枚方市折り返しの特急列車(平日ダイヤの大半と、土曜・休日ダイヤの一部)に主に使用されていたが、2011年以降も昼間時以外の本線の特急・快速急行・通勤快急に広く運用されている。6000系は8両編成の第3編成以降が運用される。なお第1編成・第2編成は現在は7両編成となったが、8両編成で運用された時期があり、全編成が特急での運用実績がある。前出の9000系同様、3000系運用の代走にも使われることがある。
  • 7200系は8連の第1、第2編成が運用される。8両編成の運用は9000系や6000系と共通(一般8両編成運用)。6000系同様、昼間時以外の本線の特急・快速急行・通勤快急に運用されている。この第1、第2編成は中間車3両を外した5連編成の組成が可能であるが、通常時には「おりひめ」「ひこぼし」に充当されることはない。この車両も9000系や6000系同様、3000系運用の代走にも使われる。
  • きかんしゃトーマスラッピングのラストランで午前中のK特急「おりひめ」の他に、午後の宇治発天満橋行きの臨時特急に使用された実績がある(上記参照)。2009年8月10日には宇治川花火大会開催による車両運用変更により、快速急行「ひこぼし」にも使用され、中之島線にも初めて10000系が入線した。2009年より2011年まで最終「ひこぼし」に運用されていたが、「ひこぼし」の減便により10000系は快速急行運用および中之島線、本線の寝屋川信号所 - 天満橋間の定期運用から外れた[34]

特急運用上の特色[編集]

  • をデザインした特急のヘッドマークは公募で選出されたデザインによるもので、沿線にある石清水八幡宮で鳩が神勅の使いとされていることなどがその由来とされる。1900系までは金属製の板で貫通扉に取り付けられた金具に吊り下げて使用していた。通勤用車両も臨時特急の運用に就く可能性があったため、5000系(第4編成まで)以前の主な車両の貫通扉にこの金具が装備されていたが、2代目600系の630型〈旧1650型〉などに例外もあった。
    • しかし、近年は通勤用車両(セミクロスシート時代の9000系を含む)が特急運用に入る場合は種別幕のみで、鳩マークは表示されない。ただし、更新後の2200系でのダイヤ乱れ時の代走の際(の影響によるもの)に標識板ステーに鳩マークを1度のみ掲出したことがある[35]
  • 特急の定期運用を持つ9000系は通勤車と同様に中吊り広告枠があるが、近年までは広告を掲示せず、沿線案内などのみ掲示。後には主に1編成貸し切り形のジャック広告を掲示していたが、2008年10月16日から一般車同様の広告を掲示している。また、1編成貸し切り形のジャック広告は3000系が受け継いでいる。
  • 1981年頃[36]以降、1997年までは特急車は定期ダイヤでは特急以外の列車に使用されることはなく、車両基地への出入庫はすべて回送列車で行っていた。ただし、競馬開催時や夏季の祭事時、正月などの臨時列車で急行以下の列車に使用されることはあった。1991年に2400系が改造により正面行先表示器を設置してから、1995年に当時の3000系(現・8000系30番台)がダブルデッカー車組み込み改造を行うまでの間は、3000系が臨時列車で特急以外の運用につく時が、京阪線系統の営業列車で唯一方向板を使用する機会であった。
  • 2000年以降、通勤車運用による特急が特急車運用の急行以下の列車を追い抜くという光景が見られたこともあった。
  • ダイヤが乱れた場合、定期運用で使用しない車両が特急運用の代走となることがまれにある。同様に運転整理の関係で途中の駅発着(運転打ち切り)となる場合もある。
  • 始発・終着駅でのドア扱いにおいては独特の手順を践んで行われる。すなわち、一部の列車を除き終着駅に到着する際に、まず乗車目標位置のない手前の停止位置に列車を停止させてからドア扱いを行う。この時、乗客が全て降車したことを乗務員と駅係員が確認し、一旦ドアを閉じてから車内整理(転換クロスシートの方向転換および補助椅子の施錠。転換式シートのない列車またはテレビカーの場合は補助椅子施錠のみ。)を行った後、乗車目標位置に対応する停止位置へ列車を数メートル移動させてから乗客を乗せるためにドア扱いを行う(ラッシュ時を中心に淀屋橋駅ではロングシート車運用の特急や準急でも同じことが行われることがある。これは利用客への整列乗車の促進が目的である。)。淀屋橋駅や中之島駅、出町柳駅では、このようなドア扱いをする列車が到着する直前に「降りる方が済みますと、扉を閉め、車内整理の後、今お並びの乗車位置に入れ替えしますので、そのままお待ち下さい。」という駅構内放送が自動音声で流れることがある。この車内整理の扱いは、快速急行でも同様に行う(転換クロスシートの自動転換を行うため)。なお、到着列車が遅延して折り返し時間に余裕がないときは、車内整理を省略する場合がある。また、車庫や引上線などから回送された列車の場合は、車内整理は行われない。
  • 鴨東線開業以降、1990年代半ばまでは「エレガン都エクスプレス」というキャッチコピーで宣伝が行われていたが、通勤客対応で停車駅を増やしてからは使われていない。なお8000系の塗色更新車には「ELEGANT SALOON」というフレーズが車体に描かれている。
  • 長らく特急は臨時列車であっても大阪側は淀屋橋発着を原則としていた。祇園祭五山送り火平日夕方ラッシュ時に臨時特急を運転する時は、運転時刻が接近する区間急行や普通を淀屋橋発着から天満橋発着に変更することもあった。しかし、1998年5月に初めて京橋始発の臨時特急が試行的に運転され、1999年まで運転された。2000年以降の臨時特急は淀屋橋発着に戻した後、2003年以降中之島線開業までの臨時特急は天満橋発着が多かった。同線開業後は、臨時特急は中之島発着となった。なお、同線開業後は枚方市始発臨時特急出町柳行きの運用例もある。
  • 2005年10月23日には競馬客対応のため特急淀屋橋行き4本が急遽、淀駅に臨時停車した。
  • 中之島線の開業後、競馬開催時に特急の停車駅ではない淀駅始発の臨時特急淀屋橋行きが運転された(ただし、通常の枚方市駅始発特急の延長運転によるもの)。
  • ノンストップ時代には、京橋駅 - 七条駅間無停車であったことから、上り・下りとも一定区間に達したところで、おおよその残り時間を見極めつつ「ご案内いたします。京橋(七条)には、ただいまから約30分で到着いたします。」とアナウンスされていたが、中書島・丹波橋に終日停車するようになってからはそれがなくなった(ただし「ご案内いたします。ただいまから補助椅子がご使用になれますので、ご利用ください。」(8000系のみ)と「ただいまから車掌が車内にまいります。ご用の方はお申し出下さい。」は継続)。
  • 同様に、特急のノンストップ時代においては、特急が停車する各駅での案内が下記のように行われていた。当時は現在と異なり、停車駅の案内には終着駅を含んでいなかった。
    • 大阪市内の各駅(淀屋橋駅 - 京橋駅間)では女性アナウンスで放送された。
      • (例:淀屋橋駅の場合)「途中の停車駅は、北浜・天満橋・京橋と、京都の七条・四条(現在の祇園四条)・三条です。
    • 京都市内の停車駅(出町柳・三条・四条・七条の各駅)では男性アナウンスで放送された。
      • (例:出町柳駅の場合)「途中の停車駅は、三条・四条・七条と、大阪の京橋・天満橋・北浜です。
  • ひらかたパークで催し物が行われているとき(夏期のプールも含む)、枚方公園駅付近を通過した際に車内CMが車掌の肉声および自動放送によって行われる。

副標識[編集]

京阪では京津線直通の「びわこ号」、交野線から直通のK特急「おりひめ」を除いて本線特急に個別の愛称を設定したことはない。ただしノンストップ時代には、ダイヤ上江若鉄道1969年廃止)や琵琶湖汽船への乗り継ぎに便利(浜大津駅大津港)でそれぞれの便と連絡する京津線準急(古い時期には急行)と三条で接続)な上り(京都方面)列車に以下のような副標識を掲示して運行したことがある。

  • 「比良」(江若鉄道連絡)
    • 夏山シーズンに淀屋橋7時40分発の列車に掲示[37]
  • 「びわこ連絡」「ミシガン(ショウボートまたはナイト)」「ビアンカ」(琵琶湖汽船連絡)
    • 「びわこ連絡」(1989年まで)「ビアンカ」(1990年以降)は琵琶湖開きから11月までの期間に淀屋橋9時発、「ショウボート」は同じ期間に淀屋橋17時発の列車に掲示[37][38][39]

また、夏の水泳シーズンに三条駅から琵琶湖畔の近江舞子に向かう専用バスに接続する便には「まいこ」、比叡山ドライブウェイ納涼バスに連絡する便には「ひえい」の副標識が掲示された(「まいこ」の副標識には同じ図柄で一部の色が異なる2種類が存在した)[40]

「比良」は江若鉄道の廃止後もその代替交通となった江若交通バスへの連絡便に掲示されたが、1974年7月の国鉄湖西線開通に伴い掲示を終了。琵琶湖汽船連絡の副標識も1997年京都市営地下鉄東西線の開通に伴い、京津線と京阪本線との接続が断ち切られたことで掲示は行われなくなった(「まいこ」の終了時期は不明確だが「比良」と同時期かそれ以前と考えられる)。

2003年から1年間、京阪本線の淀屋橋延長40周年を記念して1900系1編成の特別塗装(特急色への塗り替え)が実施された際には、2004年にファイナルイベントとしてこれらの副標識を掲示し、7年ぶりの「復活運行」となった。また、2008年12月20日に1900系が「ラストラン」を行った際にも、特急色に復元された1929編成が「びわこ連絡」の副標識をつけて「リバイバルびわこ号」、一般色の1919編成が「比良」の副標識をつけた「リバイバル比良号」として運行された。

上記以外にも沿線の特急停車駅付近で催事のある際にはそれにちなんだ副標識が付けられたことがある。特急では1960年代後半ごろまで「ルーブル号」などの副標識を付けていたが、後に廃止された。しかしその後催事関連の副標識は2008年に3000系を使用する列車で再開され、これまでに「水都大阪2009」、「ルーブル美術館展」や「長谷川等伯展」の副標識が掲出された。

快速特急・特急と快速急行・通勤快急の共通点・相違点[編集]

京阪では快速急行・通勤快急は快速特急・特急に準ずる列車の扱いをしており、種々の点で一般列車ではなく快速特急・特急と同じ運用上の扱いをすることが多いが、いくつかの点では特急と異なる扱いをされている面がある。

  • 終点駅(出町柳駅、淀屋橋駅、中之島駅)での車内整理の扱いは共通。快速急行(中之島駅では「ひこぼし」を含む)・通勤快急も快速特急・特急と同様の車内整理を行う。乗車位置の手前で停車して降車し、転換クロスシート車両の場合はドアを閉めて転換クロスシートの向きを自動転換して、正規の乗車位置へ移動する(なお、8000系・3000系が急行以下の種別で運用されるときはこの扱いは行われない)。ただし、2011年5月28日改定以降は、夜間に出町柳駅を発車する快速急行での車内整理の扱いは廃止された。
  • 駅での乗車位置は、快速急行・通勤快急は一般列車用(○○で表示)ではなく、特急列車用(△△)である。(一部の駅を除く)
  • 車内の自動放送・ジングルは、快速急行・通勤快急も快速特急・特急と同様のものが使用される(8000系と3000系使用列車のみ)。
  • 駅の発車メロディーは、快速急行・通勤快急には一般列車用のメロディーが使用される。
  • 開始時期は不明であるが、車内限定販売の「京阪特急 ご乗車記念スルッとKANSAI Kカード」(車掌から購入する)が特急車内のみで販売されていたこともあった。快速急行・通勤快急車内では販売されていなかったが、通勤車で運行される日中の淀屋橋駅 - 枚方市駅間の折り返しの特急列車においてもカードは販売されていた。対象であったのは、平日は淀屋橋発 9:00 - 15:50、出町柳発 9:00 - 15:50、土曜・休日は淀屋橋発 9:00 - 15:50, 出町柳発 9:00 - 15:50の特急列車の車内だけである(運転時間帯の関係上、快速特急では取り扱わない)[41]。このカード販売は2011年3月30日で終了した。

京阪特急に関する楽曲[編集]

発車メロディ[編集]

  • 1971年8月15日改正より特急専用の発車メロディが始発駅(三条駅→鴨東線開業後は出町柳駅・淀屋橋駅)にて導入されている(それ以外の種別にも別のメロディが現在のものに更新されるまで使用されていた)。導入以前は始発駅を毎時0分発に限りNHKの時報を発車ベル代わりに使用していた。
  • 1995年12月25日よりこれまで使用していたフィガロの結婚から牛若丸をベースにした曲に変更された。ただし、駅放送の声優更新に伴い、音質が向上した同じメロディーとなった。
  • 2007年6月17日より向谷実作曲による新しい発車メロディが導入された。快速特急・特急停車駅では出町柳駅三条駅丹波橋駅中書島駅樟葉駅枚方市駅京橋駅天満橋駅淀屋橋駅の各駅に導入され[42]、さらに京橋駅の上り快速特急の発車時は「朝靄の京橋で乗り換え」をアレンジしたものを使用している。
  • 2008年10月19日のダイヤ改正で登場した快速急行・通勤快急の発車メロディは、特急用ではなく一般列車用のものを使用している。
    • かつてK特急が運転されていたころは、出町柳駅で「出町柳から」をアレンジしたものを、私市駅で普通列車とは違うメロディを使用していたが、上記のダイヤ改正によってK特急の廃止とともに役目を終えた。[43]
  • 淀駅では京都競馬場の多客時に始発の臨時特急が運転されるが、この時の発車メロディはフィガロの結婚を使用している。

車内チャイム・ジングル[編集]

  • 2000年7月1日のダイヤ改正(特急の中書島・丹波橋終日停車化)の際に、オルゴールの車内チャイム[44]を導入した。自動放送が入る前にチャイムが鳴っていた。ただし、チャイムがなるのは自動放送装置を備えた8000系と初代3000系(現在の8000系30番台8531F)のみ。
  • 2003年9月6日のダイヤ改正の際に、停車駅増加による放送装置ROM容量の増加と、自動放送装置を持たない9000系や一般車の特急運用増加によって、到着前の開扉方向の案内をのぞいて特急の自動放送がいったん中止され、車内放送のチャイムもいったん廃止された。
  • 2008年10月の中之島線開業に合わせて特急と快速急行で自動放送が再び導入され、放送前に向谷実作曲のジングルが鳴るようになった。ジングルは上りと下りで曲が異なり、曲調は発車メロディに合わせて上りが琴、下りが都会的な曲になっている。発車メロディとは異なり、特急と快速急行で同じ曲を使用する。なお、放送開始前のジングルは自動放送装置を備えた8000系(初代3000系から編入され、現在は廃車となった30番台を含む)と3000系のみで使用される。しかし、2009年2月ごろからは8000系と3000系においても一部の放送でシングルが流れず、停車駅の音声案内による自動放送のみに切り替えられている。この自動放送は快速急行の淀への臨時停車にも対応している。なお10000系にも自動放送装置自体は設置されているものの、同系の装置には交野線内の駅しか収録されていないため、快速急行運用での自動放送は行わなかった。

看板[編集]

祇園四条駅すぐ上のビルに掲出されている広告看板。
  • 祇園四条駅など一部の主要駅には「京阪特急」の広告看板が掲出されている。

参考文献・関連書籍[編集]

  • 『京阪特急』JTBキャンブックス 沖中忠順 編著 2007年2月28日発売 ISBN 9784533066504
  • 『京阪時刻表』1980年以降発行分各号 京阪電気鉄道
  • 『鉄道ピクトリアル』2000年12月臨時増刊号、2009年8月臨時増刊号 電気車研究会
  • 『京阪特急 駅配布パンフレット』2011年秋発行 京阪電気鉄道
  • 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』1957年以降発行分各号(1987年頃に廃刊)、日本交通公社関西支社

関連項目[編集]

  • 大伴英嗣 - 車内自動放送アナウンスを長年にわたって務めた声優。2012年9月に発売された初代3000系惜別DVDのナレーションも担当。
  • 船渓真弓 - 現在の車内自動放送アナウンスを務めている声優。上記の大伴が代表を務める芸能事務所に属する[45]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 2009年9月12日改正での直通最終列車は京都寄りが出町柳23時25分発の急行淀屋橋行き、大阪寄りが淀屋橋23時40分発の特急三条行き。
  2. ^ 井上廣和・藤原進『カラーブックス 日本の私鉄 京阪』 保育社、1999年 p.149 ISBN 4586509090
  3. ^ 1963年の淀屋橋開業時は、最終電車は淀屋橋1:30発(普通守口行)、三条1:25発(普通深草行)であり、終着駅到着は1時40 - 50分頃であったが、数年間のうちに短縮されていき、1968年頃には双方とも0:45発、1970年頃には双方とも0:40発となっていた。
  4. ^ 特急」文字の下に青字で「LTD.EXPRESS」の文字が追加されたもの。
  5. ^ これにより2本以上入場した際の一般車の代走は原則的になくなった。
  6. ^ それ以前では1100形・1500形および1300系はオールロングシートであり、1800系にもオールロングシートの編成が存在しが、車両運用上、止むを得ない場合を除き特急ではオールロングシート編成を使用しなかった。またそれ以外の1700系、1800系、1810系、1900系も車内に部分的にロングシートのある車両であった(1900系の付随車を除く)。
  7. ^ ただし運転間隔は従来の15分間隔から10分間隔となったことで、待ち時間を加味した実効的な所要時間増は差し引き2分に留まる。
  8. ^ 交野線⇔大阪間直通電車の愛称が『おりひめ』と『ひこぼし』に決定しました (PDF) - 京阪電気鉄道(2003年7月24日付、2013年11月3日閲覧) ※インターネット・アーカイブ
  9. ^ 当時のダイヤ改正を周知するテレビCMでは回転する時計の針の上を、10分毎に全て8000系特急が滑りこむという演出がされていた。しかし実際は8000系の車両本数が足りず9000系での運用を交えることが当初から予定されていたため、CM上の演出が一部の利用客に誤解を与えることとなってしまった。
  10. ^ 6月30日(月)、新カラーデザインの特急車両がデビューします (PDF) 2008年6月27日付 京阪電気鉄道ウェブサイト報道発表資料
  11. ^ 枚方市発着の特急は原則的にロングシート車で運転される。ただし2008年改定より2009年改定までは平日下り最終と土曜・休日ダイヤの大半は9000系が優先的に枚方市発着特急の運用に割り当てられていたが、9000系のロングシート化が完了したため2009年改定以降は9000系は6000・7200系8両と完全共通運用となった。
  12. ^ 平日10 - 16時台(出町柳発10時の特急のみ一般用3ドア車両で運転)、土曜・休日9 - 19時台に始発駅を発車する列車を指す。なお、2009年9月12日のダイヤ改正以降は出町柳で折り返す特急列車の混雑に対応するため平日淀屋橋発15時50分、16時50分の特急も一般用車両で運転されており、この原則が若干崩れている。
  13. ^ 土・休日の全線通しの3扉車特急は23時40分発の1本を除きいずれも3000系で運用されていた。なお、23時40分発の三条行き特急は三条で普通列車に種別変更した上で出町柳駅まで運転されていたが、出町柳での滞泊後翌日に急行で折り返す関係上、土曜・休日ダイヤで唯一ロングシート車での京阪間通しの特急として運転されていた。
  14. ^ 平日ダイヤにおいて9000系以外のオールロングシート一般車で運転される前提で運用が組まれている特急は、区間運転のものが主流ではあるものの、2008年10月18日以前の10本から57本(朝および夕方以降25本、日中の枚方市折り返し便が32本)へと激増した(なおこの本数は前者は当時限定運用であった9000系運用を除き、後者は9000系を含めた一般8両編成車の運用本数である)。2009年9月12日のダイヤ改正以後は9000系と一般車の完全共通運用化が図られているが、平日夜間に運転される淀屋橋発の特急の一部に3000系(2代)が充当されている。
  15. ^ JTBキャンブックス『京阪特急』の2003年9月6日改定の記事内にこの記述があったが、この時は特急の停車駅増加で対処した。つまり、2008年設定の快速急行とは無関係である。
  16. ^ 年末年始の列車運転について (PDF)
  17. ^ 厳密には途中で編成の差し替えがあるので実際の運用編成本数は13本を越えている。内訳は平日日中及び土休日の全日:8000系8本および3000系5本。平日夕方以降は原則8000系7本・3000系4本・一般8両編成車2本。ただし土休日の出町柳発8時台の1本と淀屋橋発最終は一般8両編成車
  18. ^ 淀駅付近立体交差化事業における上り線(京都方面行き)の高架化に伴い5月28日(土)始発から京阪線のダイヤを一部変更します (PDF)  - 京阪電気鉄道 2011年3月1日 報道発表資料
  19. ^ 秋の観光シーズンに淀屋橋発出町柳行き「ノンストップ京阪特急」を運転します! (PDF)
  20. ^ ノンストップ京阪特急“洛楽”運転開始 京阪公式サイト(2012年4月2日時点でのアーカイブ
  21. ^ ノンストップ京阪特急「洛楽」 京阪公式サイト
  22. ^ a b 京阪テレビカー引退へ 来春記念グッズなど販売 2012年7月10日、10月11日閲覧。
  23. ^ さようならテレビカー ありがとう旧3000系特急車 - 京阪電気鉄道
  24. ^ 年末年始の列車運転について
  25. ^ 今春も観光に便利な「ノンストップ京阪特急『洛楽(らくらく)』」を運転します
  26. ^ NEKO MOOK「鉄道車輌ガイドVOL.17 京阪大津線の小型車たち」(ネコ・パブリッシング 2014年)には260形の臨時特急の写真が掲載されている。
  27. ^ 2011年にスカイプラザ浜大津で開催されていた「浜大津 懐かしの写真展&鉄道模型走行会」に80形の臨時特急の写真が展示されていた。
  28. ^ 車両発達史シリーズ 1 京阪電気鉄道 1991年発行
  29. ^ 出典:K PRESS 2008年10月号
  30. ^ 6000系の設計当時、車両担当の役員だった宮下稔(後に社長)は「3000系特急車の時には果たせなかったので、今度の6000系車両ではぜひブルーリボン賞かローレル賞を取りたい」と当時の青木精太郎社長に述べたと回想している(出典:京阪電気鉄度総務部(編集・発行)『青木精太郎さんの思い出』1992年、p.159 - 160)
  31. ^ 出典:とれいん 2008年9月号
  32. ^ 特に冷房付きの3000系(初代)が登場する前の1970年夏期には、2400系は当時京阪唯一の冷房車ということもあったため、臨時特急の運用にも重用された。
  33. ^ ただし、ダイヤが乱れた際に定期特急の代走に5000系が使用された事はある。
  34. ^ 本線では中書島・枚方市 - 寝屋川信号所、中書島 - 淀、および土曜・休日の深夜に設定されている中書島 - 三条 - 淀の回送列車のみ定期運用が残る。なお、10000系は宇治線がワンマン化された2013年6月1日より13000系と共通運用されている。
  35. ^ 2000年発売の鉄道の日記念スルッとKANSAI Kカードにその2200系代走時の写真が掲載されたものが「2200系ピンチランナー」と称して発売されていた。
  36. ^ 当時の『京阪時刻表』(京阪電気鉄道編集)では始発・終着駅の入線時刻や到着番線が記載されておらず確認は不可能だが、『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会編)1980年11月号(京阪電気鉄道特集)のp.99に掲載された1980年3月改正ダイヤ(平日)によると、萱島発淀屋橋行区間急行(535列車)の折り返しが淀屋橋6:40発の特急(60列車)となっていることが確認できる。
  37. ^ a b 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション25 京阪電気鉄道1960~70』鉄道図書刊行会、2013年、p11
  38. ^ 「ミシガンショウボート」はミシガン就航前は「たそがれショウボート」であった。「ミシガンナイト」はミシガン就航後に新規設定。
  39. ^ 「ビアンカ」は1997年3月から副標識の廃止された同年10月までは副標識付きの定期特急で唯一9000系を使用していた。
  40. ^ 京阪社史『鉄路五十年』の年表によると、「ひえい」は1958年の7月20日から8月31日まで運行。
  41. ^ 京阪電気鉄道株式会社/スルッとKANSAI Kカードギャラリー - 京阪公式サイト(2010年2月1日時点でのアーカイブ
  42. ^ 中之島駅は定期の特急の発着はないが、臨時特急の発着を想定して特急用メロディ自体は用意され、運転の際には使用されている。
  43. ^ 音楽館「京阪電車発車メロディコレクション」には私市駅のK特急用メロディも「上り特急」用として収録されている。ただし、出町柳駅のK特急用メロディは向谷実作曲でないためか収録されなかった(京橋駅の上りK特急・快速特急用メロディも同様)。発売後に制定された淀駅の特急用のメロディ「フィガロの結婚」も収録されていない。なお出町柳発の臨時快速特急運行時に「出町柳から」をアレンジしたものが使用されていた。
  44. ^ 作動音は西鉄天神大牟田線の駅到着時の旧放送と同じだった。
  45. ^ 京阪電車オリジナルDVD「京阪電車 次世代通勤車両 13000系」を販売します。(京阪公式HP)

外部リンク[編集]