三岐鉄道三岐線

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三岐線
三岐鉄道三岐線の電車
三岐鉄道三岐線の電車
三岐鉄道三岐線の路線図
路線総延長 26.6 km
軌間 1067 mm
最大勾配 25 パーミル
最小半径 200 m
KRW+l KRWgr
↑↓JR東海関西本線
DST BHF
-
0.0*
富田駅
STR STR BHF KBHFa
0.0
-
近鉄富田駅
KRZu KRZu STRrf STR
近畿日本鉄道名古屋線
eBHF STR STR
-
0.4*
富田西口駅 -1985年
ABZrg KRZu STRq STRrf
↑↓三岐線/近鉄連絡線→
DST STR
1.1
1.0*
三岐朝明信号場
STRlf KRZu STRlg
STRrf STR
←JR東海:関西本線↑
BHF
2.6 大矢知駅
BHF
4.2 平津駅
BHF
5.4 暁学園前駅
BHF
7.1 山城駅
BHF
9.6 保々駅
BHF
11.3 北勢中央公園口駅 1997年-
eBHF
大長駅 -1997年
BHF
13.2 梅戸井駅
eBHF
大井田駅 -1986年
BHF
15.4 大安駅 1986年-
BHF
17.2 三里駅
BHF
19.7 丹生川駅
BHF
20.9 伊勢治田駅
BHF
23.2 東藤原駅
KBSTl ABZglr KBSTr
↑↓三岐線/←太平洋セメント専用線→
BHF
25.4 西野尻駅
KBHFe
26.6 西藤原駅
藤原岳へ向かう列車

三岐線(さんぎせん)は、三重県四日市市富田駅から三重県いなべ市西藤原駅までを結ぶ三岐鉄道鉄道路線である。このうち富田駅 - 三岐朝明信号場間は貨物列車専用であり、旅客列車近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となる。

概要[編集]

全線単線の電化路線である。旅客輸送を行っているほか、富田駅 - 東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っている。日本においてJR以外でセメント輸送を行う鉄道事業者は三岐鉄道のほかに西武鉄道秩父鉄道樽見鉄道などがあったが、西武鉄道が1996年、秩父鉄道・樽見鉄道が2006年にセメント輸送を廃止して以降は三岐鉄道の本路線のみとなっている。

旅客列車には、西武鉄道の中古車両が黄色いカラーリングを施され使用されている。貨物輸送の割合が大きいが、通学・生活路線として、また鈴鹿山脈へのハイキングの足などとして旅客輸送の比率も高まっている。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):
    • 三岐線:富田 - 西藤原間 26.5km(富田 - 三岐朝明間1.0kmは貨物営業のみ)
    • 近鉄連絡線:近鉄富田 - 三岐朝明信号場間 1.1km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:三岐線15駅、近鉄連絡線1駅(いずれも起終点駅含む、信号場のぞく)
  • 複線区間:なし(全線単線)[1]
  • 電化区間:全線(直流1500V)[1]
  • 最急勾配:25パーミル(伊勢治田 - 東藤原間、東藤原 - 西野尻間)[1]
  • 最小曲線半径:200メートル[1]
  • 閉塞方式:自動閉塞式[1]
  • 最高速度 70km/h

運行形態[編集]

旅客列車は、近鉄富田 - 保々間の区間運転列車を含め、1時間あたり朝が3 - 4本、それ以外の時間帯ではほぼ2本の運転であるが、貨物列車が走る兼ね合いもあってパターンダイヤにはなっていない。2013年3月17日のダイヤ変更より若干減便され、昼間に近鉄富田 - 保々間の区間列車も設定されるようになった。そのため保々 - 西藤原間では1時間ほど列車の間隔が開くことがある。以前は夕方に沿線の学生のために近鉄富田 - 保々間に臨時列車が1往復設定されており、この列車は休日と春・夏・冬の学校長期休暇期間は運休となっていたが、現在は運転日を指定する列車は設定されていない。すべて各駅に停車する普通列車であるが、1989年平成元年)まで急行が運転されていた実績もある。

旅客列車・貨物列車ともワンマン運転を行っている。ただし、早朝・夜間(近鉄富田駅・東藤原駅をのぞく全駅が無人になる時間帯)の列車には車掌が乗務している。西野尻駅をのぞく全駅が有人駅であるため車内に運賃箱は設置されていない。

貨物列車の行き違いのため、交換駅は180 - 250m程度の有効長をもつ。全交換駅で安全側線が整備され、列車の行き違い時には、上下列車が場内信号機により停車せず同時に駅構内に進入できる。終点以外の大半の駅(暁学園前、北勢中央公園口、大安、西野尻駅以外)で行き違いが可能である。保々、伊勢治田、東藤原駅には貨物列車の着発線があり、貨物列車1本を待避させた上で、旅客列車(または貨物列車)同士の行き違いも可能である。

自転車を車内に持ち込めるサイクルパス制度があり、近鉄富田駅以外で利用できる。大矢知 - 三里間は休日と春・夏・冬の学校長期休暇期間のみ利用でき、三里 - 西藤原間は通年利用できる。

運賃・切符[編集]

普通乗車券・回数券・定期券[編集]

  • 三岐線内有人駅では硬券による入場券乗車券を発売している。
  • 回数券は、普通回数券(10枚分の価格で11枚発券)と、5枚分の価格で6枚発券される昼間割引回数券(平日10 - 16時と、土休日の終日使用可)がある。
  • 通勤定期は1・3・6か月定期の3種類がある。通学定期については、1・3・6か月定期と、学期定期として1・2・3学期定期および前・後学期定期(原則として当該学期の始業式から終業式当日まで有効)が設定されている。
  • 近鉄名古屋線(一部区間)・湯の山線内部線八王子線との間に連絡定期券連絡乗車券が発売されている。
  • それ以外の路線(近鉄名古屋線を介しての三岐鉄道北勢線、JR線、養老鉄道線)との連絡定期券・連絡切符は設定されていない。

企画乗車券[編集]

1日乗り放題パス
三岐線内1日乗り降り自由の「1日乗り放題パス」に代わり、2009年10月1日より北勢線でも使用が可能な『三岐鉄道1日乗り放題パス』(大人1000円、小人500円)が三岐鉄道全線の有人駅で発売されている。

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

三岐線の1965年昭和40年)からの輸送実績を下表に記す。

輸送人員は年度での値である。1965年以降における最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)

収入実績[編集]

三岐線の近年の収入実績を下表に記す。最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

出典:鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)

営業成績[編集]

三岐線の近年の営業成績を下表に記す。最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

戦前の輸送収支実績[編集]

  • 鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版

歴史[編集]

当路線は鉄道敷設法別表75項「三重県四日市ヨリ岐阜県関ケ原ヲ経テ滋賀県木ノ本ニ至ル鉄道」の一部を形成し、「三岐鉄道」という社名も三重県四日市と岐阜県大垣市上石津を経て、関ヶ原とを結ぶことを目指したことによるものであった。

1928年藤原鉄道に対し四日市市 - 関ヶ原町間他の鉄道敷設免許状が下付され、三岐鉄道に名称を改め会社を設立[2]。社長は三重県の実業家伊藤伝七[3]が就任し、取締役には浅野セメント[4]から専務取締役の浅野良三、金子喜代太が、浅野財閥系の鶴見臨港鉄道[5]から取締役の山田胖が、小野田セメント[6]から専務取締役の狩野宗三が名を連ねた。

1931年7月23日に富田 - 東藤原間が開業し、同年12月23日に東藤原 - 西藤原間が延伸開業したものの、1937年に西藤原 - 関ヶ原間の免許が失効し、富田 - 西藤原間が建設されただけにとどまった。

近鉄連絡線建設前は旅客列車も国鉄富田駅発着であった。近鉄連絡線建設には富田駅前の商店街が反対したが、完成後も国鉄富田駅への旅客列車を運行することで妥協した[要出典]。しかし、近鉄富田駅利用客の多さは歴然で、1985年(昭和60年)に旅客列車は近鉄富田駅発着に統一された。

年表[編集]

  • 1927年(昭和2年)
    • 3月 浅野セメントが藤原鉄道、小野田セメントが員弁鉄道として鉄道敷設免許を申請(浅野セメント・小野田セメントとも現在の太平洋セメントの前身)。
    • 11月 藤原鉄道として計画を一本化して鉄道敷設免許申請。
  • 1928年(昭和3年)
  • 1931年(昭和6年)
  • 1932年(昭和7年)12月 小野田セメント藤原工場操業開始。翌年1月よりセメント出荷[12]
  • 1935年(昭和10年)
    • 6月26日 鉄道免許取消(四日市起点1.1km-保々間及び連絡線 指定ノ期限マテニ竣工セサルタメ)[13]
    • 12月13日 起業廃止(許可)(四日市 - 四日市起点1.1km間、三重郡常磐村 - 同郡川島村間)[14]
  • 1937年(昭和12年)12月2日 鉄道免許失効(員弁郡西藤原村 - 不破郡関ケ原町間 指定ノ期限マテニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[15]
  • 1950年(昭和25年)10月30日 富田 - 大矢知間に三岐朝明駅開業。
  • 1952年(昭和27年)12月1日 国鉄四日市駅まで旅客列車直通運転開始。
  • 1954年(昭和29年)3月29日 全線電化され、貨物列車で電気機関車を使用開始。
  • 1956年(昭和31年)12月25日 電車運転開始。
  • 1964年(昭和39年)10月1日 国鉄四日市駅までの旅客列車直通運転廃止。
  • 1965年(昭和40年)8月21日 萱生駅を暁学園前駅に改称。
  • 1968年(昭和43年)6月1日 三里駅を宇賀渓口駅に改称。
  • 1970年(昭和45年)6月25日 近鉄富田 - 三岐朝明間の近鉄連絡線が開業。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 富田・近鉄富田 - 東藤原間がCTC化。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月14日 富田 - 三岐朝明間の旅客営業を休止。
    • 5月16日 貨物列車のワンマン運転開始。
  • 1986年(昭和61年)3月25日 大井田駅を移設し大安駅に改称。宇賀渓口駅を三里駅に改称。
  • 1988年(昭和63年)1月7日 旅客列車のワンマン運転開始。
  • 1989年(平成元年)
    • 旅客車両の冷房化開始。
    • 4月1日 三岐朝明駅を廃止、三岐朝明信号場に変更。また、朝にのみ運転されていた急行も廃止。
  • 1990年(平成2年)11月2日 炭酸カルシウムフライアッシュ(石炭灰)の貨物輸送を開始。
  • 1997年(平成9年)4月1日 大長駅を移設し北勢中央公園口駅に改称。電車内に自転車を無料で持ち込めるサービスを開始。
  • 2000年(平成12年)7月24日 中部国際空港向けの埋立土砂輸送を開始。
  • 2002年(平成14年)12月21日 中部国際空港向けの埋立土砂輸送を終了。
  • 2011年(平成23年)
    • 9月4日 台風12号に伴う大雨で保々 - 北勢中央公園口間の朝明川橋梁が損傷し全線で不通に。
    • 9月6日 近鉄富田 - 山城間と三里 - 西藤原駅間で運転再開。
    • 9月7日 山城 - 保々間で運転再開。
    • 9月8日 梅戸井 - 三里間で運転再開。
    • 11月10日 保々 - 梅戸井間で運転再開し全線復旧。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月8日 東藤原駅構内で電気機関車が脱線し、伊勢治田 - 西藤原間が不通に。10日運転再開。
    • 2月29日 骨材輸送が廃止され、東藤原 - 富田 - 四日市間で骨材輸送最終記念列車を運転。
    • 6月27日 東藤原駅構内で電気機関車が脱線し、伊勢治田 - 西藤原間が不通に。30日伊勢治田 - 東藤原間が運転再開。
    • 11月8日 三里駅構内で、富田発東藤原行きの普通列車(3両編成)が安全側線に進入し車止めを乗り越えて先頭車両が脱線。梅戸井 - 西藤原間が不通に[16]。11日梅戸井 - 東藤原間が運転再開(東藤原 - 西藤原間は引き続きバス代行)。
  • 2013年(平成25年)1月12日 東藤原 - 西藤原間が運転再開[17]

営業区間および駅一覧[編集]

三岐線はJR富田駅 - 西藤原駅の三岐線および三岐朝明信号場 - 近鉄富田駅の近鉄連絡線(近鉄連絡線の起点は三岐朝明信号場である)から構成されるが、実際は近鉄富田駅 - 西藤原駅で旅客営業を、JR富田駅 - 東藤原駅で貨物営業を行なっている。本表では便宜上、旅客営業を行なう近鉄富田駅 - 西藤原駅と貨物営業のみを行なうJR富田駅 - 三岐朝明信号場の2区間に分けて記載している。

全駅・信号場三重県に所在。括弧書き(背景色がグレー)の駅は廃止駅。廃止駅の廃止年は休止期間があった場合は休止年を記載している。乗車人員は2006年度(平成18年度)の値を記している。

駅名 駅間
キロ

累計
キロ
行違設備 乗車人員 開業年 廃止年 接続路線 所在地
実数
人/年
順位
三岐線(貨物のみ営業区間)
富田駅 - 0.0 1931年 - 東海旅客鉄道:関西本線 四日市市
富田西口駅 0.4 0.4 1970年 1985年  
(三岐朝明駅)
三岐朝明信号場
0.6 1.0 1950年 1989年
信号場化
 
三岐線・近鉄連絡線(旅客・貨物(三岐朝明信号場 - 東藤原駅)営業区間)
近鉄富田駅 - 0.0 1,372,415 1 1970年 - 近畿日本鉄道:名古屋線 四日市市
(三岐朝明駅)
三岐朝明信号場
1.1 1.1 1950年 1989年
信号場化
 
大矢知駅 1.5 2.6 114,334 8 1931年 -  
平津駅 1.6 4.2 78,401 9 1931年 -  
暁学園前駅 1.2 5.4 629,077 2 1931年 -  
山城駅 1.7 7.1 170,015 4 1931年 -  
保々駅 2.5 9.6 198,612 3 1931年 -  
北勢中央公園口駅 1.7 11.3 138,105 6 1997年 -  
大長駅 - 11.4 1931年 1997年   員弁郡東員町
梅戸井駅 1.9 13.2 54,826 11 1931年 -   いなべ市
大井田駅 - 15.3 1931年 1986年  
大安駅 2.2 15.4 161,865 5 1986年 -  
三里駅 1.8 17.2 132,628 7 1931年 -  
丹生川駅 2.5 19.7 47,456 13 1931年 -  
伊勢治田駅 1.2 20.9 65,983 10 1931年 -  
東藤原駅 2.3 23.2 16,296 14 1931年 -  
西野尻駅 2.2 25.4 12,893 15 1931年 -  
西藤原駅 1.2 26.6 47,894 12 1931年 -  

※近鉄富田、東藤原をのぞく全駅は早朝(始発から6:30)と夜間(21:00以降)は無人になる。西野尻は終日無人。

車両[編集]

かつては複数の鉄道会社からの譲渡車のほか、自社発注車も存在したが、現在は西武鉄道からの譲渡車で統一されている。西武でも黄色を主体とした塗装を採用していたが、これは偶然の一致である。

現有車両[編集]

電車[編集]

  • 801系 - 元西武701系
  • 101系 - 元西武401系
  • 851系 - 元西武701系。
    • 851F - 1995年移籍。 2013年に脱線事故でクハ1851を失い、代わりに部品確保用として購入してあった元西武新101系のクハ1238を整備、クハ1881として連結したため編成の前後で顔が異なっている。
  • 751系 - 元西武新101系。
    • 751F - 2009年移籍。編成の組換え及び行先表示がLED化されている。

電気機関車[編集]

貨車[編集]

(事業用車)

  • ワム200形 - ワム229が救援車として残存(籍無)。

過去在籍した車両[編集]

電車[編集]

琴電譲渡後の120形
(琴電1013形電車・仏生山工場
琴電譲渡後の130形
(琴電1063形電車・高松築港付近)

以前は窓周りが緑色、窓上と窓下が紺色という、京成電鉄の高性能車登場直前頃によく似た塗装だったが、この色が沿線の田園風景と区別がつきにくいという声があり、現在の黄色を主体に、裾のみ朱色という塗り分けになった。

電気機関車[編集]

ED22 2


車両数の変遷[編集]

モハ120形 モハ130形 クハ210形 モハ150形 501系 601系 801系 101系 851系 751系 計(冷房車)
1982 4 1 4 4 6 19
1983
-1987
1 2 4 6 6 19
1988 1 2 2 6 8 19
1989 1 2 2 6 8 19
1990 1 2 2 3 8 3 19(3)
1991 1 2 3 8 3 2 19(5)
1992 3 8 3 4 19(7)
1993 3 6 6 4 19(10)
1994 3 6 6 6 21(12)
1995 3 6 6 6 21(12)
1996 6 6 6 3 21(15)
1997 6 6 6 3 21(15)
1998
-2008
2 8 6 4 20(18)
2009
-2011
8 6 4 3 21(21)
  • 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

その他[編集]

現役時代の富田西口駅。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。1975年度。

1952 - 1964年には、国鉄富田駅を経由して国鉄四日市駅に直通する旅客列車があった。当時非電化だった国鉄四日市駅直通のために気動車を使用しており、関西本線富田浜 - 四日市間には三岐鉄道からの直通列車専用の「午起駅」も設けられた。

富田駅構内の近鉄名古屋線をアンダークロスする部分には、近鉄富田駅への乗換客の便宜を図って「富田西口駅」という名のプラットホームがあり(近鉄富田駅と同一駅扱い)、朝の富田行き列車のみ停車していた。このホームは近鉄連絡線開業後も国鉄富田行列車が廃止されるまで使われていた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e 「現有私鉄概説 三岐鉄道」p.33
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. ^ 『人事興信録. 第8版(昭和3年)』国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  5. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  7. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  9. ^ 11月1日名称変更届出『鉄道統計資料. 昭和3年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  10. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年7月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年1月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『近代日本と地域交通』、343頁
  13. ^ 「鉄道免許取消」『官報』1935年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1935年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1937年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ “赤信号見落とし?列車脱線 三重の三岐鉄道、けが人なし”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). (2012年11月8日). http://www.asahi.com/national/update/1108/NGY201211080024.html 2012年11月9日閲覧。 
  17. ^ “平成25年1月12日(予定)三岐線全線開通のお知らせ” (プレスリリース), 三岐鉄道, (2012年12月20日), http://www.sangirail.co.jp/contents/annai/sangisen/24.12.20.html 2012年12月25日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 武知京三『近代日本と地域交通』臨川書店、1994年
  • 藤岡雄一「現有私鉄概説 三岐鉄道」、『鉄道ピクトリアル臨時増刊号』第685号2000年5月、 32 - 38頁。

関連項目[編集]