北陸鉄道浅野川線

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浅野川線
大野川を渡る浅野川線の8800形電車(2002年3月20日 内灘 - 粟ヶ崎)
大野川を渡る浅野川線の8800形電車
(2002年3月20日 内灘 - 粟ヶ崎)
路線総延長 6.8 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V(直流
停車場・施設・接続路線
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金沢市内線
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中:金沢駅前/右:六枚町
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0.0 北鉄金沢
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金沢 JR西日本北陸新幹線(建設中)
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金沢 JR西日本:北陸本線
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中橋
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金石線
BHF
0.6 七ツ屋
BHF
1.5 上諸江
BHF
2.2 磯部
AKRZu
北陸自動車道
BHF
2.8 割出
BHF
3.3 三口
BHF
3.9 三ツ屋
BHF
4.5 大河端
BHF
5.1 北間
BHF
5.5 蚊爪
WBRÜCKE
大野川橋梁 大野川
BHF
6.3 粟ヶ崎
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6.8 内灘
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8.1 粟ヶ崎海岸

浅野川線(あさのがわせん)は、石川県金沢市北鉄金沢駅から同県河北郡内灘町内灘駅間を結ぶ北陸鉄道鉄道路線。浅野川電気鉄道を前身とすることから今でも浅電(あさでん)の愛称で呼ばれている。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):6.8km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:12駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式

運行形態[編集]

すべて北鉄金沢 - 内灘間の運転である。1時間あたりおおむね2 - 3本運行されており、朝夕は約22分間隔、日中は30分間隔で運行されている。北鉄金沢 - 内灘間の所要時間は普通列車17分である。内灘駅の始発は6時、北鉄金沢駅の終電は23時である。

2012年4月1日からは毎日、内灘駅の始発が5時40分、北鉄金沢駅の終電が23時になる。

以前はほぼ1駅おきに停車する急行が夜間を除いて(日中の半数が中心)運転されていたが、2006年(平成18年)12月1日のダイヤ変更以後は全列車普通となった。途中停車駅は上諸江駅割出駅三ツ屋駅蚊爪駅で、北鉄金沢 - 内灘間の所要時間は14分であった。

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

収入実績[編集]

浅野川電気鉄道時代の輸送収支実績[編集]

車両[編集]

現有車両[編集]

過去の車両[編集]

  • モハ3500形・モハ3550形
  • モハ3560形・クハ1200形
  • モハ3200形・クハ1000形
  • モハ5100形・クハ1300形
  • モハ3300形
  • モハ3010形
  • クハ1210形
    サハ2000形2001, 2002がその前身である。サハ2001は1955年(昭和30年)に自社工場で、サハ2002は翌1956年(昭和31年)に東洋工機でそれぞれ新製され、いずれも台枠および台車を能登線の前身である能登鉄道が開業時に新製した木造客車ホハ1, 2より流用している。普通屋根構造の2001に対し2002は張り上げ屋根構造とされ、同一形式ながらその外観は大きく異なっていた。当初より乗務員扉が設置され、先頭車化改造を考慮した設計となっており、1966年(昭和41年)に制御車化されてクハ1710形1711, 1712と改称され石川総線で使用されていた。浅野川線には1973年(昭和48年)に転入し、転入に際して制御方式が変更されたためクハ1210形1211, 1212と改称されている。1996年(平成8年)の昇圧まで在籍したが、2両とも最終日を待たずに運用から離脱していた。

歴史[編集]

浅野川線は、1924年1月23日に設立された浅野川電気鉄道(浅電)によって開業した路線である。富山県経済人を中心とする金沢堀川電気軌道が先願していたが、金沢市の平沢嘉太郎を中心とする石川県政財界人が出願した浅野川電気鉄道に対し1923年5月に鉄道敷設免許状が下付された。1925年5月10日に七ツ屋駅 - 新須崎駅(1961年廃止。蚊爪駅 - 粟ヶ崎駅間)間5.3km、翌年5月18日に金沢駅前駅(現:北鉄金沢駅) - 七ツ屋駅間0.8km、1929年7月14日に新須崎駅 - 粟ヶ崎海岸駅間2.4kmを開業した。浅電は1925年に粟崎遊園を開設し、粟ヶ崎遊園前駅をその近くに設置して利用者の便を図るなど、阪急電鉄に倣った多角経営を行っていた(遊園地は浅電社長に就任した平沢嘉太郎個人の事業として開園したが、後に浅電が引き継いだ)。

しかし、第二次世界大戦に突入すると、粟ヶ崎遊園地は軍の宿営地となり、粟崎遊園前駅 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路も接収された。さらに、戦時統合で北陸鉄道(北鉄)に合併することが決まったが、当時の藍元義範社長は合併条件を不満として拒否した。結局、社長を刑事事件で逮捕[1]した後の1945年に北鉄に合併され、同社の浅野川線となった。

戦後の1952年、粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸駅間の線路は復旧され、北鉄金沢市内線(1967年廃止)との直通運転も行われた。同時期に内灘砂丘米軍試射場が作られる計画があがり、物資・人員輸送の専用線として粟ヶ崎遊園前駅から内灘砂丘方面に延伸された。しかし、内灘闘争の結果、1957年に返還となり専用線も廃止された。この路線は、後に移設する内灘駅に利用された。その後、1974年に港湾整備などのため内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅間が廃止された(ただし、粟ヶ崎遊園前(内灘) - 粟ヶ崎海岸駅間は夏季の海水浴シーズン中のみであり、1972年8月31日が最終運転である)。

地下化された北鉄金沢駅(2007年5月25日)

2001年に北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅間が地下化された。地下化するに当たり車両をすべて不燃化する必要があったため元京王3000系電車を導入することとなり、同車に対応するために1996年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、同時にワンマン運転を開始した。地方私鉄路線の地下化は長野電鉄長野線に次いで2例目となった。

年表[編集]

  • 1923年(大正12年)5月25日 鉄道免許状下付(金沢市西堀川町-石川郡潟津村間)[2]
  • 1924年(大正13年)1月23日 浅野川電気鉄道株式会社設立(社長 平沢嘉太郎)[3][4]
  • 1925年(大正14年)
    • 5月10日 浅野川電気鉄道により七ツ屋 - 新須崎(後に廃止)間 5.3km 開業[5]
    • 7月19日 粟崎遊園(平沢嘉太郎経営)が開園[6]
  • 1926年(大正15年)
    • 4月25日 新須崎駅構内で遊覧船、貸舟業を開始[6]
    • 5月18日 金沢駅前(現在の北鉄金沢) - 七ツ屋間 0.8km 開業[7]
  • 1928年(昭和3年)6月23日 鉄道免許状下付(石川郡潟津村-河北郡内灘村間)[8]
  • 1929年(昭和4年)7月14日 新須崎 - 粟ヶ崎遊園前(現在の内灘) - 粟ヶ崎海岸間 2.4km 開業[9]
  • 1932年(昭和7年)6月1日 平沢嘉太郎死去。
  • 1933年(昭和8年)12月8日 粟崎遊園が競売となり、浅野川電鉄所有となる[10]
  • 1935年(昭和10年)
    • 5月10日 乗合自動車運行開始(新須崎-宇ノ気間)[10]
    • 11月 乗合自動車運行開始(金沢駅前-大根布間)[10]
  • 1941年(昭和16年)
    • 9月22日 乗合自動車運行休止[11]
    • 粟崎遊園閉鎖[12]
  • 1945年(昭和20年)
    • 2月11日 粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸間 1.8km 廃止。
    • 10月1日 北陸鉄道が浅野川電気鉄道を合併。浅野川線となる。
  • 1946年(昭和21年)4月21日 三ツ屋駅を吊橋駅に改称。
  • 1952年(昭和27年) 粟ヶ崎遊園前 - 粟ヶ崎海岸間 1.3km 開業。
  • 1956年(昭和31年)7月5日 金沢駅前広場拡張に伴い北鉄金沢駅移転。
  • 1960年(昭和35年)5月14日 粟ヶ崎遊園前駅を移転し内灘駅に改称。0.1km延長。
  • 1961年(昭和36年)6月30日 新須崎駅廃止。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 貨物営業廃止。
    • 9月1日 内灘 - 粟ヶ崎海岸間 1.3km 休止。
  • 1974年(昭和49年)
    • 7月8日 内灘 - 粟ヶ崎海岸間 1.3km 廃止。
    • 11月26日 吊橋駅を三ツ屋駅に改称。
  • 1996年(平成8年)12月19日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。ワンマン運転開始。
  • 2001年(平成13年)3月28日 北鉄金沢 - 七ツ屋間地下化。ATS使用開始。七ツ屋駅0.1km北鉄金沢方へ移転。
  • 2006年(平成18年)12月1日 急行列車を全廃し、全列車普通とする。

駅一覧[編集]

  • 全駅石川県に所在。
  • すべて普通列車で各駅に停車。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
営業中の区間
北鉄金沢駅 - 0.0 西日本旅客鉄道:北陸本線金沢駅 金沢市
七ツ屋駅 0.6 0.6  
上諸江駅 0.9 1.5  
磯部駅 0.7 2.2  
割出駅 0.6 2.8  
三口駅 0.5 3.3  
三ツ屋駅 0.6 3.9  
大河端駅 0.6 4.5  
北間駅 0.6 5.1  
蚊爪駅 0.4 5.5  
粟ヶ崎駅 0.8 6.3   河北郡内灘町
内灘駅 0.5 6.8  
廃止区間
粟ヶ崎海岸駅 1.3 8.1   金沢市

先述の通り、北鉄金沢駅が地下駅であり、1面2線である。ほかは地上駅である。三ツ屋駅は、列車の行き違いが行われるため相対式ホーム2面2線であり、この他の駅は1面1線となっている。また内灘駅に隣接して電車基地があり、車両の留置が行われている。金沢駅・内灘駅(以上終日)・割出駅(平日ラッシュ時のみ)以外は無人駅である。

開業より1929年まで終端駅であった新須崎駅は大野川左岸にあった。ここで浅野川電気鉄道は河北潟への遊覧船運行や貸舟の営業を始め、また粟崎遊園行きの乗合自動車が運転されていた。1961年に乗客減少により廃止となった[13]

過去の接続路線[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 西脇恵「私鉄車両めぐり [77] 北陸鉄道(2)」 鉄道ピクトリアル216号 電気車研究会 1968-11 による。
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  5. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b 『内灘町史』1145頁
  7. ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1926年5月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年6月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ a b c 『北鉄の歩み』318頁
  11. ^ 『北鉄の歩み』322頁
  12. ^ 『内灘町史』1147頁
  13. ^ 『内灘町史』445頁

参考文献[編集]

  • 『内灘町史』1982年、444-449、1145-1147、1180-1182頁
  • 『北鉄の歩み』北陸鉄道、1974年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]