毎日放送

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株式会社毎日放送[1]
MAINICHI BROADCASTING SYSTEM, INC.
[1]
本館(左・M館)と新館(右・B館)
種類 株式会社
略称 MBS
本社所在地 日本の旗 日本
530-8304[1]
大阪府大阪市北区茶屋町17番1号[1]
北緯34度42分30.5秒 東経135度29分59.5秒 / 北緯34.708472度 東経135.499861度 / 34.708472; 135.499861
設立 2016年平成28年)7月28日[1]
(毎日放送分割準備株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 3120001199924
事業内容 放送法による基幹放送事業(ラジオ・テレビの放送)放送番組の企画、製作ならびに販売 ほか[1]
代表者 代表取締役社長 三村景一
代表取締役専務 梅本史郎[2]
資本金 1億円
(2020年3月31日現在)[3]
発行済株式総数 2,634万9,800株
(2012年6月21日現在)
売上高 572億9200万円(2019年度)[3]
営業利益 △9500万円(2019年度)[3]
経常利益 5億円(2019年度)[3]
純利益 2億3600万円(2019年度)[3]
純資産 186億3000万円
(2020年3月31日現在)[3]
総資産 294億6700万円
(2020年3月31日現在)[3]
従業員数 連結: 870人 単独: 618人
(2012年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 株式会社
MBSメディアホールディングス
100%[1]
外部リンク https://www.mbs.jp/
特記事項:1950年12月27日に新日本放送株式会社として創業(法人としては現在のMBSメディアホールディングス)。現法人の株式会社毎日放送は、2017年4月1日に放送持株会社移行に伴い、毎日放送分割準備株式会社から商号変更。
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株式会社毎日放送(まいにちほうそう、: Mainichi Broadcasting System, Inc.、略称 : MBS)は、近畿広域圏放送対象地域(エリア)とする特定地上基幹放送事業者

大阪府内では唯一の同一法人による中波放送(AMラジオ放送)と地上波テレビジョン放送兼営局で、ラジオ放送はJRNおよびNRNとのクロスネット局、テレビ放送はJNN準キー局

2017年4月1日、旧法人の株式会社毎日放送が認定放送持株会社に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」(エムビーエスメディアホールディングス)に変更、放送事業などの現業全般は会社分割により設立された新法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。本項では会社としての毎日放送について説明する。

ラジオ放送についてはMBSラジオを、テレビ放送についてはMBSテレビをそれぞれ参照。

本社および主な事業所

本社

旧ギャラクシーホールエントランス(現在のM館1階:「ちゃやまちプラザ Live Space」に活用)

在阪テレビジョン放送局の中でも、人通りが多い場所にある。本社前は、平日では通勤者の通り道にもなっている。

近隣には、梅田芸術劇場が入居する「ちゃやまちアプローズ」、阪急電鉄本社ビル、梅田ロフトNU茶屋町などの業務・商業施設が立ち並び、阪急神戸宝塚京都各線の大阪梅田駅 - 中津駅間およびJR京都線大阪駅 - 新大阪駅間を走行する列車の車内から現社屋ビルを確認可能である。

本社の社屋は、大阪市と阪急電鉄が茶屋町地区の再開発計画の一環として、阪急百貨店の流通センターの跡地に建てられたもので、上部部分は「M」の文字を象った形をしている。当時の建材は、英単語の「Mirror」に例えて流行のの建材を惜しみなく用いた。

「毎日」(Mainichi)をイメージした造型だとの文献も散見されているが、当時この空域でNTTの電波が送信されていたため、建物の高さ制限があり、このデザインとなったのはそのためでもある。

1990年平成2年)9月1日、大阪市北区茶屋町に15階建ての社屋が完成。堂島にあった営業など本社機能と、千里丘放送センターにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組の一部を除いて茶屋町の新社屋に移転して[注 2]、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって、開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送した。

同日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)やタリーズコーヒーの支店も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。後に、「ギャラクシースタジオ」へ転用。テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いられていた。

2010年7月、本社北側に免震構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「B館」と呼称[4])を建設することを発表。大阪市から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用されたこと[5] を受けて、2011年4月に着工した後に、2013年9月4日に竣工して、本館は「M館」の名称が付けられた。

B館」は、MBSテレビのチャンネル番号(4)とMBSラジオの周波数(1179)にちなんで、201444日午前1179秒にグランドオープン[6][7]MBSラジオでは、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(月-金曜にレギュラー放送中の生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた[注 3]

B館」には、中継基地、「MBSスタジオ in USJ」(後述)から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36m(地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。また千里丘にあった中継車車庫も集約して、従来の社屋(「B館」の竣工を機に「M館」と呼称[4])とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。2015年4月20日に主調整室(マスター)を「B館」に新設したマスターに更新した[注 4]

毎日放送では、「B館」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「M館」(本社屋)の1階でもB館建築により大幅な改修工事が行われ、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に在阪放送局の社屋内では初めての試みとして、「らいよんデイリーストア」(デイリーヤマザキに「MBSグッズショップ」の機能を統合させたコンビニエンスストア)を開店した。「M館」では、「ギャラクシースタジオ」の名称を「Cスタジオ」へ変更する一方で、「Cスタジオ」を「ギャラクシーホール」として運用していた時期に活用していた1階のエントランスおよび「アトリウム」を一般にも利用できる「ちゃやまちプラザ」(放送上の通称は「ちゃプラステージ」)にリニューアル。旧エントランスを「ちゃやまちプラザ Live Space」、旧「アトリウム」を「ちゃやまちプラザ Lobby Space」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用するようになった[8]。「ちゃやまちプラザ Live Space」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。M館のほぼ南(「らいよんデイリーストア」西口の隣)に位置している「マーらいよん石像モニュメント」は、木目のベンチと一体になっていて、石像の視野が西側へ向くように設計されている。

当社がテレビ放送事業開始60周年を迎えた2018年からは、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で、「M館」の2階を「ライブセンター」として新装する工事に着手。Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装したうえで、2019年1月28日(月曜日)の『ちちんぷいぷい』(テレビの生放送番組)から運用を開始した[9][10]。さらに、M館1階の「ちゃプラステージ」も、「ライブセンター」へ組み込むことを前提に改装された[11]

ちなみに、「M館」「B館」という呼称は、毎日放送の略称である「MBS」に由来している。ただし、「B館」の運用開始時点で、正式に「S館」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない[注 5]

日本国内の支社・支局

毎日放送東京支社が入居する赤坂Bizタワー
出典[1]

日本国外の支局

現在は、パリフランス)と上海中国)に設置。いずれも、毎日放送の活動拠点にとどまらず、JNNの国外支局(放送上の名義は「JNN〜支局」)としても機能している。かつては、マニラフィリピン)にも支局(放送上の名義は「JNNマニラ支局」)を設置。2017年10月にパリ支局を自社で開設[20] するまでは、ベルリンドイツ)に支局(放送上の名義は「JNNベルリン支局」)を設置していた[21]

会社情報

  • 2017年平成29年)4月1日に、商号を「MBSメディアホールディングス」に変更し、テレビ・ラジオ両放送事業を「(新)毎日放送」が引き継いでいる。
    • RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは腸捻転時代も九州朝日放送(KBC)の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。三菱UFJ銀行りそな銀行とも関係が親密である。
    • 在阪放送局中、同社と朝日放送テレビ関西テレビの3社は各々の在京キー局(TBSテレビテレビ朝日、フジテレビ)より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日は現キー局のTBSテレビより約4年、旧キー局のテレビ朝日(当時は日本教育テレビ(NETテレビ))と比べてもほぼ同時期だが1か月遅れている。一方、読売テレビテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
    • FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。現在でも、イベントを共催することが多い。2019年令和元年)7月には、FM802および、同社が運営するFM COCOLOとの間で災害情報共有パートナーシップ協定を締結した[22]
  • テレビのJNNでは「5社連盟」にも加盟する基幹局の1社であり、またTBS HDの大株主でもあることから、同系列での発言権・影響力はTBSテレビと並び強いものとされる。
  • ラジオネットワークはJRN、NRN双方に加盟している。ラジオネットワークには基幹局・準キー局は厳密には存在しないが、JRNではTBSラジオMBSラジオRKBラジオが設立時から幹事社とされ、NRNではネットワークラインへの送出し可能な設備を持ち、基幹局に近い扱いを受けている。
    • なお、毎日放送が保有してきたラジオ放送免許とラジオ放送事業を「株式会社MBSラジオ」が承継する2021年4月1日からは、毎日放送に代わって株式会社MBSラジオがJRNとNRNに加盟する。

沿革

阪急百貨店うめだ本店13階屋上広場に設置された「民間放送誕生の地」プレート(2016年9月9日撮影)
  • 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」設立。初代社長に杉道助が就任。大阪市北区天神橋7丁目に仮スタジオと研修センターを置いた。その後、大阪市北区角田町にある梅田阪急ビル(阪急百貨店本店、現・阪急百貨店うめだ本店)屋上に本社及び演奏所を建設。試験放送開始と同時に業務機能を完全に移転。
  • 1951年(昭和26年)4月21日 - 中部日本放送(現・CBCラジオ)他15局と共に予備免許が交付される。コールサイン:JOOR、周波数:1210kc、出力10kW。この日は1993年記念日「民放の日」となった。
  • 1951年(昭和26年)7月8日 - 日本初の民間放送として試験電波を発射。
  • 1951年(昭和26年)7月31日 - 本免許交付。
  • 1951年(昭和26年)8月15日 - サービス放送開始(8月31日まで実施)。
  • 1951年(昭和26年)9月1日 - 新日本放送、本放送開始(JOOR)。中部日本放送より5時間30分遅れて正午に本放送開始。民放では日本で2番目。キャッチフレーズは「あなたの民間放送
  • 1951年(昭和26年)9月3日 - 現在も続く民放ラジオ最長寿番組歌のない歌謡曲』放送開始。
  • 1956年(昭和31年)9月1日 - 開局5周年。
  • 1956年(昭和31年)12月1日 - 朝日放送、朝日新聞社毎日新聞社と合弁で会社を設立し大阪テレビ放送を開局。
  • 1958年(昭和33年)6月1日 - 新日本放送の社名を「株式会社毎日放送」に改称。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 - MBSテレビ、地上アナログ本放送開始(JOOR-TV)。東京・フジテレビ、福岡・九州朝日放送と同日開局。日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)・フジテレビとネットワークを結ぶが、翌年NETテレビに1本化された。
  • 1959年(昭和34年)3月6日 - 長寿紀行番組『真珠の小箱』放送開始。
  • 1959年(昭和34年)10月 - ラジオの出力を20kWに増力。
  • 1959年(昭和34年)10月5日 - 長寿番組『皇室アルバム』放送開始。
  • 1960年(昭和35年) - 大阪府吹田市千里丘陵に2階建ての「千里丘スタジオ」完成。番組制作機能を移転。
  • 1961年(昭和36年)9月1日 - 開局10周年。
  • 1963年(昭和38年)10月6日 - 全国ネットのクイズ番組アップダウンクイズ』放送開始。1985年(昭和60年)の放送終了まで22年間に亘って放送された看板番組であった。
  • 1964年(昭和39年) - TBSラジオRKBラジオと暫定ラジオネットワークを結成。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
  • 1965年(昭和40年)5月2日 - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRNに加盟。
  • 1965年(昭和40年)5月3日 - 文化放送ニッポン放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(National Radio Network)に加盟。
  • 1966年(昭和41年)9月1日 - 開局15周年。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - テレビのカラー本放送開始。大阪地区では4番目。
  • 1967年(昭和42年)6月10日 - 民間放送教育協会(民教協)発足と同時に加盟。
  • 1967年(昭和42年)10月2日 - 深夜ラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』(現在の『MBSヤングタウン』)放送開始。
  • 1968年(昭和43年)7月1日 - 三井物産三菱商事などの支援を受けて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組制作を請け負う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)を設立。
  • 1969年(昭和44年)7月3日 - 桂三枝(現・6代桂文枝)が司会のバラエティ番組『ヤングおー!おー!』放送開始。吉本興業の若手お笑い芸人の登竜門として、明石家さんま島田紳助らを輩出した。
  • 1969年(昭和44年)10月1日 - 東京12チャンネルとマイクロネットを結び、NETテレビとのクロスネット局となる(1975年3月30日まで)。
  • 1970年(昭和45年)1月1日 - 同日、NETテレビをキーステーションとしたテレビニュースネットワーク、ANNに加盟。全国ニュースタイトルは、他の系列局に遅れて、4月より『ANNニュース』(スポットニュースは『MBSニュース ANN』)となる(それまでは従来通り『MBSニュース』だった)。
  • 1971年(昭和46年)9月1日 - 開局20周年。
  • 1971年(昭和46年)11月 - ラジオの出力を50kWへ増力。
  • 1971年(昭和46年)12月31日 - この日を最後にNETテレビ(現在のテレビ朝日)の『23時ショー』のネットを打ち切り、金曜日分の制作からも撤退。地方からの問題提起として話題を撒く。
  • 1972年(昭和47年)10月9日 - ラジオの生ワイド番組『ごめんやす馬場章夫です』放送開始。
  • 1974年(昭和49年)4月8日 - ラジオの生ワイド番組『ありがとう浜村淳です』放送開始。
  • 1974年(昭和49年)- ラジオニュースの編集権が毎日新聞社から毎日放送に移管。ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - テレビのキー局をNETテレビからTBSテレビに変更。テレビネットワークの“腸捻転”が解消される。朝日放送テレビに代わって、5社連盟北海道放送、TBSテレビ、CBCテレビ、MBSテレビ、RKB毎日放送)、JNNにそれぞれ加盟、「東芝日曜劇場」の制作にも参加。また当日から近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が朝日放送ラジオからMBSラジオに移管した。
  • 1976年(昭和51年)1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送開始。
  • 1976年(昭和51年)9月1日 - 開局25周年。
  • 1977年(昭和52年)5月15日 - ラジオの周波数を1210kHzから1180kHzに変更。
  • 1978年(昭和53年)11月23日 - 国際電気通信連合(ITU)の取り決めにより、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもってラジオの周波数を1180kHzから1179kHzに変更。
  • 1978年(昭和53年)12月10日 - テレビの音声多重放送を開始。
  • 1980年(昭和55年)4月 - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番組『映像'80』放送開始(2020年現在、番組タイトルは『映像'20』)。
  • 1981年(昭和56年)9月1日 - 開局30周年。
  • 1982年(昭和57年)2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。年2回の開催を経て、2012年(平成14年)の第31回から、開催日を3月20日春分の日)に固定している(新型コロナウイルスへの感染が拡大している2020年は中止)。
  • 1982年(昭和57年)9月19日 - 『ヤングおー!おー!』放送終了。
  • 1983年(昭和58年)4月7日 - 全国ネットのクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(東京支社制作、東京での収録)放送開始(大橋巨泉石坂浩二ビートたけし他出演)。『アップダウンクイズ』と共にテレビの看板クイズ番組であった。
  • 1983年(昭和58年)12月4日 - 交響曲第9番 (ベートーヴェン)の第4楽章を1万人前後で合唱する音楽興行サントリー1万人の第九』の第1回公演を、主催(サントリーの協賛→特別協賛)事業として大阪城ホールで開催。翌1984年(昭和59年)以降も、毎年12月の第1日曜日に催されている。
  • 1984年(昭和59年)1月25日 - 毎日放送アナウンサーが総出演のバラエティ番組『あどりぶランド』放送開始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。
  • 1985年(昭和60年)10月6日 - 『アップダウンクイズ』放送終了。
  • 1986年(昭和61年)3月 - 『選抜高等学校野球大会』を国内テレビ初のサラウンド放送実施。
  • 1986年(昭和61年)9月1日 - 開局35周年。
  • 1990年(平成2年)4月5日 - 『世界まるごとHOWマッチ』放送終了。
  • 1990年(平成2年)4月16日 - 明石家さんま冠番組痛快!明石家電視台』放送開始。
  • 1990年(平成2年)7月 - 毎日放送の社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)[注 7] 制定。
  • 1990年(平成2年)9月1日 - ラジオ開局40周年を機に大阪市北区茶屋町に15階建ての新本社・放送センター完成、同区堂島毎日大阪会館内)にあった登記上本店機能と吹田市の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合。9月1日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送。
  • 1991年(平成3年)9月1日 - 開局40周年。
  • 1992年(平成4年)3月15日 - 午前9時、ラジオのAMステレオ放送開始(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、朝日放送ラジオと同時)。
  • 1992年(平成4年)3月31日 - 民教協を脱退。近畿地方においての民教協番組はKBS京都サンテレビジョンテレビ和歌山がクッション期間としての形で1年間放送した後、1993年(平成5年)から朝日放送テレビに移行。
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)が発生し、ニューススタジオにあったセットが倒壊。テレビ・ラジオとも、当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送。
    後に、震災当時のラジオ放送を活字にまとめた『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか 「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』(ISBN 4810422259)という本が出版されている。
  • 1996年(平成8年)9月1日 - 開局45周年。
  • 1998年(平成10年)3月18日 - 『あどりぶランド』放送終了。
  • 1998年(平成10年)4月5日 - 日曜夜の看板番組となる全国ネットの人物密着ドキュメンタリー番組『情熱大陸』放送開始。
  • 1999年(平成11年)9月 - 『MBSヤングタウン』月 - 金曜の放送終了(金曜日2018年4月6日から再開し、土日は現在も継続)。
  • 1999年(平成11年)10月11日 - テレビの看板番組となる夕方の情報生番組『ちちんぷいぷい』放送開始。
  • 2000年(平成12年)9月29日 - 『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『VOICE』へとリニューアル。
  • 2001年(平成13年)3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にMBSスタジオ in USJ完成。
  • 2001年(平成13年)4月14日 - 土曜デイタイムの情報生番組『せやねん!』放送開始。『ちちんぷいぷい』とともにMBSテレビを代表する看板番組。
  • 2001年(平成13年)9月1日 - 開局50周年。
  • 2003年(平成15年)9月26日 - 『ごめんやす馬場章夫です』放送終了。
  • 2003年(平成15年)10月7日 - なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
  • 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時 地上デジタルテレビジョン放送開始(JOOR-DTV)。この際、社長・山本雅弘(当時、後に会長を歴任)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「スーパーリージョナルステーション」にすることを宣言。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - アナログ・デジタル統合マスター(NEC製)運用開始。
    • 現在発行しているベリカード(テレビ・ラジオ共通)は前述のアナログ・デジタル統合テレビマスターの全景写真(パノラマ撮影)がデザインされている[注 8]
  • 2004年(平成16年)3月27日 - 『真珠の小箱』放送終了。
  • 2004年(平成16年)7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となるオーサカキングを大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる。好評につき、2008年(平成20年)まで開催された。
  • 2006年(平成18年)9月1日 - 開局55周年。
  • 2007年(平成19年)8月25日 - 9月2日 - 世界陸上選手権大阪大会をJNN・JRN系列で独占中継。制作協力として参加した。
  • 2008年(平成20年)2月6日 - 千里丘ミリカセンターがオープン。
  • 2008年(平成20年)2月12日 - 東京支社が赤坂Bizタワーに移転。
  • 2010年(平成22年)3月1日 - 未明の放送終了を以ってラジオのAMステレオ放送を終了。早朝4:30の放送開始よりモノラル放送に移行。
  • 2010年(平成22年)3月15日、ほかの在阪ラジオ5局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」を試験的に開始(大阪府・京都府・兵庫県・奈良県。2010年12月1日からは滋賀県・和歌山県にも拡大)。「radiko」ではステレオ配信を実施している。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - この日正午をもって地上アナログテレビ放送を終了(TBSテレビ制作『アッコにおまかせ!』の放送中に終了)。新聞・テレビ情報誌の表記が「毎日テレビ」「毎日ラジオ」から「MBSテレビ」「MBSラジオ」に変更される。アナログ放送停波前に特別な局名告知が放送され、こちらの映像は同局の公式Youtubeチャンネルにアップロードされている。
  • 2011年(平成23年)9月1日 - 開局60周年を迎えることを記念として、CIを刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの変更、コーポレートカラーに黄緑色を制定する。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更。また社章(バッジ)は2011年度入社分までは従来の物を使用しているが、2012年度分から新デザインにて使用される。)テレビでの製作・著作クレジット表示を毎日放送からMBSに統一。
  • 2013年(平成25年)10月1日 - 地球環境保護、電力供給不安の解消、社会への貢献を目的に、高石ラジオ送信所(大阪府高石市)の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を関西電力に販売する。
2011年8月まで使用されたロゴ。現在も一部に限り継続使用され、ミリカセンター、ベリカード、デジタル放送のSTLパラボラ、子会社などは現在も使用。
  • 2014年(平成26年)4月4日 - 午前1179[23] 秒に、本社「B館」がグランドオープン。このオープンを機に、「あらためまして、MBS」というキャッチフレーズを使用。
  • 2015年(平成27年)4月20日 - 本社B館にマスターを移転し、災害時でも確実に放送を継続できるように対応した新マスターの運用を開始(NEC製)。
  • 2016年(平成28年)3月19日 - この日の正午放送の在阪3局共同制作特別番組『ほんまもんのワイドFMをハッキリ愛して』より、朝日放送ラジオ・ラジオ大阪と共に、奈良県生駒市の生駒山にある生駒FM補完中継局からFM補完放送(ワイドFM、90.6MHz)を開始[24]
  • 2016年(平成28年)7月28日 - 認定放送持株会社に移行する計画であると発表、同日付で分割準備会社である「毎日放送分割準備株式会社」を設立[25]
  • 2016年(平成28年)9月 - 在阪の放送事業者では初めて、気象庁から予報業務許可事業者としての実施許可を受けた(許可第202号)[26]。この許可によって、近畿地方などを対象に、毎日放送が独自に調査した天気予報(ピンポイント予報など)をテレビ・ラジオ番組で放送できるようになった[27]
  • 2016年(平成28年)9月1日 - 開局65周年。
  • 2016年(平成28年)9月6日 - 同月1日にラジオの本放送開始65周年を迎えたことから、ワイドFMの周波数 (90.6MHz) にちなんで、9月6日を「MBSラジオの日」にすることを発表。日本記念日協会に申請したところ、記念日として正式に認定されたため、この日に放送された『ありがとう浜村淳です』内で登録証の授与式が催された。放送局によるワイドFM用周波数にちなんだ記念日の登録・認定は日本初の事例で、AM用周波数にちなんだ記念日を含めても、文化放送・ニッポン放送に次ぐものである[28]。また、当時と同じ阪急百貨店うめだ本店屋上に、「民間放送誕生の地」記念プレートを設置。
  • 2016年(平成28年)10月 - 開局65周年を記念した特別企画として、13日から16日までの期間に、クルーズ客船ぱしふぃっくびいなす」のチャーターによる有料のスペシャルツアー「MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』」を開催。船上では、テレビ番組(『ちちんぷいぷい』『せやねん!』)・ラジオ番組(『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』『ヤマヒロのぴかいちラジオ』)向けの生中継や、テレビ・ラジオのレギュラー番組(『プレバト!!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』)からの派生企画などのイベントを連日実施した。最終目的地の屋久島に到着した15日には、『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』(系列局・南日本放送とのコラボレーションによる開局65周年特別番組)を同局と同時に生放送(11:58 - 12:54)[29]。また、近藤光史(元・アナウンサーで『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』パーソナリティ)や山中真アナウンサーの案内によるオプショナルツアーを開催した。
  • 2017年(平成29年)1月6日 - 前年9月に気象庁から気象予報業務の実施許可を受けたことを背景に、この日放送の『ちちんぷいぷい』から、毎日放送の独自調査による「ピンポイント天気予報」(特定の地点に向けた天気予報)の放送を開始。2017年9月29日まで、毎週金曜日の第2部(関西ローカルパート)エンディングで放送していた。
  • 2017年(平成29年)4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で(旧)毎日放送の商号を「MBSメディアホールディングス」に変更。全国で8社目、在阪準キー局では初めて放送持株会社体制へ移行した。また、分割準備会社である毎日放送分割準備に放送事業などを承継させたうえで、「(新)毎日放送」(以下「新社」と略記)を発足。新社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を維持する[25] ほか、旧社に所属していたアナウンサーや番組スタッフも新社に自動転籍したうえで引き続き勤務している。
  • 2017年(平成29年)4月3日 - テレビの『ちちんぷいぷい』に続いて、ラジオの平日生ワイド番組『松井愛のすこ〜し愛して♥』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』や、ラジオのプロ野球中継『MBSベースボールパーク』(阪神甲子園球場から阪神タイガースの主催試合を中継する場合)でも毎日放送の独自観測に基づく天気予報のレギュラー放送を開始。
  • 2018年(平成30年)5月11日 - 『あどりぶランド』の復活版に当たる『コトノハ図鑑』を、深夜に特別番組として放送したうえで、7月12日からレギュラー化。2020年3月29日まで、1年9ヶ月にわたって放送された。
  • 2018年(平成30年)7月29日 -(28日深夜)午前3時半頃〜午前6時10分まで、台風12号の影響で高石ラジオ送信所に落雷があり、約2時間半中波での放送が停止した。落雷による放送停止は同社が1951年にラジオ放送を開始して以来初めて。茶屋町の本社にある予備送信所を使用して代替放送したが、出力が1kWなため電波は大阪市内と北摂地域周辺にしか届かなかったと見られる[30]。なおFM補完中継局やradikoでの放送に異常は無かった。
  • 2019年(平成31年)1月8日(7日深夜) - 対話型ヒューマノイドロボット「CommU(コミュー)」3体(せんた・れふた・らいた)が人間の悩みに答えるテレビ番組『ロボロボ』を、この日からレギュラーで放送。石黒浩大阪大学特別教授)を初めとするロボット工学の研究者と毎日放送による産学連携プロジェクトに沿った共同研究実験(番組表上の略称は「阪大MBS」)の一環で、人間が一切登場しない代わりに、ロボットだけで進行するテレビのレギュラー番組は日本の放送局で初めてとされる[31]
  • 2019年(平成31年)1月28日 - 本社M館の2階に新装された「ライブセンター」の運用を、この日の『ちちんぷいぷい』の生放送から開始。
  • 2019年(平成31年)3月29日 - 『VOICE』の放送終了。
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 『ちちんぷいぷい』の放送時間を番組史上最短の1時間54分(13:55 - 15:49)まで短縮したうえで、同日から全編を同時ネット番組として放送。また、同番組の関西ローカルパートと『VOICE』の放送枠を統合したうえで、平日の15:49 - 19:00で総合情報番組『ミント!』の放送を開始。
  • 2019年(令和元年)7月16日 - 千里丘ミリカセンターが閉鎖[1]
  • 2019年(令和元年)11月1日 - 「日本一早い2025大阪万博応援番組」と銘打ったラジオ番組『ばんぱく宣言 われら21世紀少年団』を、この日から2025年(令和7年)までの6年間にわたってレギュラーで放送。
  • 2020年(令和2年)3月30日 - 2014年10月からJNN加盟局の一部で同時ネットを実施していた『ちちんぷいぷい』を、この日から再び関西ローカル番組として編成。また、前月まで単独番組として放送されてきた『コトノハ図鑑』を、この日から「へぇ~のコトノハ」というレギュラーコーナーに移行させた。
  • 2020年(令和2年)4月 - 年頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることへの対応策として、テレビ・ラジオ番組の制作・放送体制を平時から大幅に変更。その一方で、テレビ制作局のプロデューサー時代に『ちちんぷいぷい』などの番組を立ち上げた岡田公伸取締役が、感染に伴う心筋症のため9日に60歳で急逝した。以上の事態を受けて、20日(月曜日)からは、同番組と『ミント!』の放送枠を暫定的に統合。『おうちにいようよ ちちんぷいぷい&ミント!』(5月最終週のみ『あしたのために ちちんぷいぷい&ミント!』)というタイトルで、5月29日(金曜日)まで放送している。
  • 2020年(令和2年)12月6日 - 新型コロナウイルス感染拡大の影響で大阪城ホールにおける『サントリー1万人の第九』の有料興行を初めて断念したことに伴って、興行として予定していた第38回公演を、インターネット上の無料ライブ配信コンサートとして開催。
  • 2021年(令和3年)1月14日 - 『ありがとう浜村淳です』に第1回から(放送休止期間や休暇期間を除いて)出演を続けてきたパーソナリティの浜村淳(当時86歳)が、検査入院を理由に、同番組を初めて完全に休演。前日(13日:水曜日)の出演後に受けた定期検診で脳内の血管にごく小さな梗塞が見付かったことに伴う入院で、15日(金曜日)放送分にも出演を見合わせたが、16日放送分の土曜版(『ありがとう浜村淳です土曜日です』)に電話で出演。18日(月曜日)放送分からスタジオに復帰した。
  • 2021年(令和3年)3月(予定) - 新型コロナウイルス感染拡大の影響で毎日放送グループ全体の収益が急速に悪化していることなどを背景に、『ミント!』『ちちんぷいぷい』『サワコの朝』(TBSテレビとの共同制作による全国ネット番組)を順次終了[32]
  • 2021年(令和3年)4月1日(予定) - 毎日放送(新社)が保有するラジオ放送事業とラジオ放送免許を、吸収分割方式で「毎日放送ラジオ分割準備株式会社[33](MBSメディアホールディングスの全額出資で2020年5月28日に設立)へ承継[34][35]。毎日放送ラジオ分割準備会社は、商号を「株式会社MBSラジオ」に変更する。毎日放送(新社)については、テレビ放送事業とテレビ放送免許を保有するテレビ単営局として、「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用[32]
  • 2021年(令和3年)9月1日 - 開局70周年(予定)。

設立

第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法電波法電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの1つ、新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西財界の支援の下、毎日新聞社京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。

高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。

京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現・うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという[注 9]

民放初の試験電波発射

1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分、日本の民間放送として初めて試験電波を発射。電波管理局(「監理局」ではない)の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみ。7月12日、26日にも実施。

1951年(昭和26年)8月15日、サービス放送開始。12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送。

試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(現・CBCラジオ)より5時間半遅れているため、単独ではCBCラジオが日本初の民間放送として扱われる。ただし日付上は同日の開局であるために、両者併記されることもある。

キャッチフレーズは「あなたの民間放送」。

持株会社へ

近年のインターネットスマートフォンなどの普及により、日本の放送業界全体にも変化が見え始め、2008年のフジ・メディア・ホールディングス(旧フジテレビジョンから社名変更)を皮切りに認定放送持株会社への移行が全国各地で進んでいる。そんな中、毎日放送も2016年7月28日に認定放送持株会社に移行することを発表した。同日付で持株会社の分割準備会社として「毎日放送分割準備株式会社」を設立し、2017年4月1日に旧・毎日放送は「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号を変更し、放送免許・放送事業などの現業全般は、毎日放送分割準備から商号変更した「(新)株式会社毎日放送」が継承した。日本の放送持株会社移行は、在京キー局以外では中部日本放送(CBC)、RKB毎日ホールディングスに次いで3社目となり、全国で8番目で、JNN系列局では4番目、在阪準キー局では初となる。なお、TBSやCBCのようなラジオ・テレビの分社化[36] を実施しなかっため、RKBと同様にテレビ・ラジオの兼営を名実とも続けていた。ラジオ放送事業部門の分社化によって、ラジオ・テレビ放送事業を別々の法人で運営する2021年4月1日[37]以降は、広域圏が放送対象地域に定められているテレビ・ラジオ局がすべて単営局になる。

ラジオ放送事業の分社化・テレビ単営局化に伴う組織改編

毎日放送では、ラジオ放送免許とラジオ放送事業を「株式会社MBSラジオ」が承継する2021年4月1日付で、社内の組織を以下のように改編する[38]
●:東京支社からも一部の業務を移管

  • テレビ編成局・アナウンサー室・Mビジョン推進局の一部→「総合編成局」●(改組)
  • テレビ営業局→「総合営業局」●(改称)
  • テレビ制作局の一部・テレビ報道局→「報道情報局」●(改組)
  • テレビ制作局の一部・スポーツ局→「制作スポーツ局」●(改組)
  • コンテンツビジネス局→「コンテンツ戦略局」●(改組)
  • 事業局・Mビジョン推進局の一部・京都プロジェクト室の一部→「エリアプロデュース局」(改組)
  • 制作技術局・放送運営局・京都プロジェクト室の一部→「総合技術局」(改組)
  • 役員室・経営戦略室・経理局・総務部の一部→「経営戦略局」●(改組)
  • 人事局・総務局の一部→「クリエイトサポート部」(改組)
  • コンプライアンス室→「コンプライアンス局」(改称)
  • 業務監査室→「業務監査局」(改称)

毎日放送の東京支社自体は分社化後も存続するが、分社化の前まで本社に組み込まれていた「ラジオ局」(ラジオ放送事業を統括する部局)については、株式会社MBSラジオが「コンテンツデザイン局」「オーディオビジネス局」という名称で業務を承継することに伴って廃止。同社では、経営管理室と東京支社を独自に設けるとともに、毎日放送に新設される「経営戦略局」からの出向者を役員(取締役)として迎え入れる。

社史・記念誌

毎日放送では、新日本放送時代に発行した1冊も入れて、以下の5冊を発行している(2016年7月時点)。

  • NJBの四年(新日本放送株式会社・編) 1954年発行、108ページ。
  • 毎日放送十年史(毎日放送株式会社・編) 1961年12月15日発行、284ページ。
  • 毎日放送の40年(毎日放送40年史編纂室・編) 1991年9月発行、697ページ。
  • 毎日放送の40年・資料編(毎日放送40年史編纂室・編) 1991年9月発行、382ページ。
  • 毎日放送50年史(毎日放送50年史編纂委員会事務局・編) 2001年9月発行、519ページ。

施設一覧

スタジオ

中継車

  • 多数の中継車を保有。そのほとんどは千里丘ミリカセンターに常駐していたが、2014年4月4日からは、本社「B館」に常駐している。そのためナンバープレートの地名表示は北摂・東大阪地域で登録される大阪ナンバーからなにわナンバーへと移行が順次進んでいる。
  • 近年はハイビジョン対応の小型中継車を導入。三菱ふそう・キャンター(2004年式)と、日野・デュトロハイブリッド(2005年式)を保有している。

ヘリコプター

取材用ヘリコプター (JA04CH)

過去に存在した施設

千里丘センター
千里丘ミリカセンター
MBSスタジオ in USJ
MBSスタジオ in USJ(現在は閉鎖)
シアターBRAVA!
大阪ビジネスパーク内で営業していた時期のシアターBRAVA!

番組

局データ

マスコットキャラクター

在阪テレビ局各局はそれぞれ独自の名物マスコットキャラクターを輩出しているが(大阪市内の土産店でこれらのキャラクターグッズ類も売られているほど)、毎日放送も例外ではない。

エムぞう

茶屋町への本社屋移転を機に設定された初代のマスコットキャラクター。本社(現在のM館)の形を模していて、設定期間中は、本社1階のオフィシャルグッズ(MBSグッズ)ショップを「エムぞうの店」と称していた。

第2代キャラクターにぷいぷいさん(後述)が起用されてからも、本社の玄関に「エムぞうの店」の看板を掲げていたが、第3代キャラクターにらいよんチャン(後述)が起用された頃に自然消滅。「エムぞうの店」も、「ネビュラ・エムぞうの店」→「ネビュラ」への改称を経て、「らいよんデイリーストア」内のMBSグッズ売場に集約された。

ぷいぷいさん

『ちちんぷいぷい』のイメージキャラクター。番組の開始(1999年10月)から一時ステーションキャラクターも兼ねていたため、「ちちんぷいぷいMBS」というステーションフレーズを使用していた。現在でも、本社M館の玄関上に(異常気象時を除いて)大型のバルーンを設置しているほか、「ちちんぷいぷいMBS」というロゴ付きのアニメーション映像を、テレビCM枠のフィラー映像として流している(主に深夜)。

現在の仲間にひーさんわんわんくもくもとりさんげじー[注 10] と、『せやねん!』のイメージキャラクターのせやねんちゃんちゃうやろちゃんがいる。ただし、『ちちんぷいぷい』が2021年3月12日で放送を終了してからの扱いは未定。

らいよんチャン

2003年(平成15年)6月2日に、MBSテレビにおける番組宣伝のメインキャラクターとしてデビュー。2004年から2007年まで「らいよんキング」としてオーサカキング宣伝隊長、2009年頃から毎日放送全体のマスコットキャラクター(ステーションキャラクター)としての役割を担っている。

本社M館1階の「ちゃやまちプラザ」には、「らいよんチャンハウス」が設置されているほか、「プルタブ・プラキャップ集積コーナー」の書割パネルなどに「らいよんチャン」の絵やイラストを採用。冬期には、「らいよんチャン」をLED照明で浮かび上がらせるオブジェが、夜間のフォトスポットとしてM館のエントランス前に設けられている。

バルーン

社屋玄関にぷいぷいさんとらいよんチャンのバルーンも掲げられており『あん!』放送時には、あん!ちゃんのバルーンが掲げられていた。ぷいぷいさんのバルーンは、現在のもので2代目で初代に比べて、やや小ぶりになった。台風が近畿地方に接近・上陸し一定以上の強風になった際、防災上の観点から空気を抜いて「避難」することもある。なお、空気を抜き折り畳んだぷいぷいさんバルーンの大きさは軽トラックに積める程度である。また、らいよんチャンバルーンは初代は裸の姿だったが、2代目はTシャツ姿の物になった。

じゃがポテ仮面

はれときどきうた』(2010年7月15日からMBSテレビで放送されていた天気予報シリーズ)向けのキャラクターとして誕生。放送期間中に、レトルトカレーDVDが発売されている。同番組が終了してからも、毎日放送が自社で編成するテレビショッピングゾーンのオープニング・エンディング映像に登場。

待遇データ

  • 初任給 大卒266,400円(2013.4実績・住居手当込)
  • 諸手当 家族手当、通勤交通費など
  • 昇給・賞与 昇給・年1回 賞与・年2回
  • 勤務地 大阪・東京 他
  • 勤務時間 10:00 - 18:00 ※上記通常勤務のほか、職場により不定時間勤務、輪番勤務、介護勤務など。育児勤務者にはフレックス制導入。
  • 休日 完全週休2日制・国民の休日・年末年始(12月30日・31日、1月1日 - 3日)、年次有給休暇(10 - 23日)、特別休暇(結婚・出産等慶弔時)、リフレッシュ休暇 ほか
  • 福利厚生 診療所、カフェテリア、喫茶、バークラブ・同好会、提携フィットネスクラブあり
  • 諸制度 育児・介護休業制度、年金および住宅資金融資制度、健康保険組合あり、各種社会保険完備、財形貯蓄
  • 教育研修 内定者研修、新入社員研修、新入社員フォローアップ、若手社員フォローアップ面談、若手社員集合研修、中堅社員集合研修、管理職集合研修、海外研修、資格取得祝金制度

その他

オーサカキング
  • 在阪の民放局では初めて、気象情報部(通称「お天気部」)を報道局内の部署として設置。在阪の放送事業者では初めて気象庁から気象予報業務の実施許可を受けた(前述)ことから、2016年度の下半期からは、同部で独自に調査した天気予報をテレビ・ラジオの生放送番組やスポーツ中継で随時伝えている(2021年4月1日付で「報道情報局」に移管)。また、日本の民放ラジオ・テレビ兼営局では珍しく、ラジオでの報道系番組制作・ニュース取材を担う報道部(通称「ラジオ報道部」)をラジオ局内に設置していた(2021年4月1日付で「株式会社MBSラジオ」に移管)。
  • 夜間から早朝にかけて緊急事態が発生することに備えて、宿直勤務制度を実施。テレビ・ラジオニュース担当のアナウンサー(最低1名)と、制作・技術・報道部門のスタッフ数名が、毎日交代で本社内へ泊まり込んでいる。
  • AERA』で社名入りの特集が組まれるほど、女性社員に対する福利厚生制度が充実[40]。近年では、既婚の女性アナウンサーの大半が、産前産後・育児休暇を経て職場復帰を果たしている[注 11]。上記の休暇から復帰したばかりの女性社員には、育児との両立を図るべく、一定の期間まで(早朝・深夜の時間帯を除く)短期間勤務に専念させることを社内で規定している[41]
  • 男性社員には、60歳の定年を迎えても、嘱託社員扱いの「シニアスタッフ」として最長で5年間の勤務を認めている。アナウンサーとして定年を迎えた男性社員(角淳一野村啓司松井昭憲など)は肩書なし(「専属パーソナリティ」という扱い)で番組への出演を続けていたが、2016年9月定年の美藤啓文以降は放送上「アナウンサー」の肩書を保っている(美藤のみラジオ制作センターへ異動、柏木宏之以降のアナウンサーはアナウンサー室に残留)。その一方で、テレビ・ラジオ放送事業の兼営時代にアナウンサーとして定年を迎えた吉田智子水野晶子は、60歳の誕生月末日付で退職している。ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)では、ラジオ制作センターの業務が「株式会社MBSラジオ」に移管されるが、(アナウンス関連の部署を引き続き管理する毎日放送を含めた)「シニアスタッフ」の扱いについては不明。
  • ラジオの天気予報を、『お天気のお知らせ』という呼称で統一。かつては、テレビの天気予報のタイトルにも用いていた。
  • 週末や祝日に日本中央競馬会(JRA)が実施する重賞競走をラジオで定期的に中継するほか、以下の重賞競走に対して「毎日放送賞」を寄贈している。
  • 阪急電鉄大阪梅田駅2階JR線連絡通路、阪神電鉄大阪梅田駅地下1階東側出入り口、JR西日本大阪駅御堂筋口に広告スペースを常設している。
    • 阪急大阪梅田駅通路にはドラマの広告、阪神大阪梅田駅には野球中継の広告を掲示。かつては、茶屋町の本社社屋に近い阪急中津駅の西側フェンスに、大量の広告看板を設置(現在は撤去)。JR大阪駅には、駅構内の改良工事で巻き取り式の広告スペースが設けられた当初から、自社制作のバラエティ番組やドラマ、らいよんチャンの広告を出していた(2008年10月で終了)。
    • また、2020年3月までは長らく、戎橋の南西側に建つ道頓堀観光ビルの東側壁面にも番組単位での大型看板を設置。『イチハチ』、『EXILE魂』、『ちちんぷいぷい』(2014年度)、『サタデープラス』(2015・16年度)、『所さんお届けモノです!』(2017年度上半期)、『教えてもらう前と後』(2017年度下半期 - 2018年度下半期)、『ミント!』(2019年度)の順にPR看板を出していた(『ちちんぷいぷい』『サタデープラス』『ミント!』以外は東京支社制作の全国ネット番組)。この場所は「大阪を代表するスポット」として日本の国内外で頻繁に紹介されているため、上記の看板が他局のテレビ番組のロケ映像へ写り込むことも多かった(2020年度上半期からはファンケルの看板を設置)。
  • 2004年(平成16年)から2008年(平成20年)までの夏季には、オーサカキング大阪城公園を中心に実施されたイベント)を主催。開催期間中には、特別番組や『ちちんぷいぷい』内で連動企画を放送していた。
  • 情報番組などに芸能リポーターらが登場することはほとんどないが、ディレクターが記者などとして、出演することなどがある。
    • リポーターなどは出演しないが、独自の目線で独占インタビューなどを頻繁に『ちちんぷいぷい』内などで放送しており、タレント俳優などのこれまでとは違う一面を引き出しているためリポーターを出演させなくてもやっていけるということを証明している。その一方で、一部のテレビ・ラジオ番組には、KOZOクリエイターズ所属のリポーター(井上公造駒井千佳子→中西正男)や『スポーツニッポン』大阪本社の芸能担当記者を定期的に出演させている。
  • 2005年(平成17年)シーズン、阪神タイガースは前半戦首位を独走したものの、後半戦に入ると中日ドラゴンズの猛追を受け、ついに0.5ゲーム差まで迫られてしまった。このままでは逆転されてしまうということで、「阪神優勝してよん ドリームズカムつる〜」というイベントを実施した。これはタイガースの優勝をファンと、『ちちんぷいぷい』の角淳一、『せやねん!』のトミーズ、『っちゅ〜ねん!』(当時)の上泉雄一で後押ししようというキャンペーンで、毎日放送社屋内と阪神百貨店内に特別ブースが設けられた。その後阪神が優勝したので優勝特別番組で100万羽の折り鶴が舞った。「この企画が無かったら本当に逆転されていた」とトミーズ雅は語っている。その後、この折り鶴は甲子園球場近くの廣田神社で燃やされた。
    • 2007年(平成19年)シーズンも、9月18日から阪神の日本一を祈願して、阪神がナゴヤドームで行われたクライマックスシリーズ第1ステージで敗退した翌日の10月15日まで「ドリームズカムつる〜2007」を『ちちんぷいぷい』と『せやねん!』の共同キャンペーンとして開催した。2007年(平成19年)シーズンでは、阪神タイガースの黄色に加え、金本知憲(外野手、背番号6)の活躍を祈って金色赤星憲広(外野手、背番号53)の活躍を祈って藤川球児(投手、背番号22)の活躍を祈って藤色桜井広大(外野手、背番号51)の活躍を祈って桜色の折り紙で鶴を折ることが出来た。それと同時に、毎日放送玄関前では『ちちんぷいぷい』のコーナー「今日のポン」が「目指せ!阪神ニッポンイチ」と題して行われた(ポンの時間: 平日は午後2時、午後2時50分ごろ、午後4時ごろ、午後5時ごろの4回、土・日・祝日は午後3時の1回)。終了後、その折り鶴は前と同じく廣田神社で奉納された。
    • 2008年(平成20年)シーズンには、8月26日から「MBSめざせ阪神優勝キャンペーン 笑虎 (タイガースマイル)2008」が行われた。内容は阪神タイガースがセントラル・リーグ優勝を決めた夜に毎日放送で放送される「優勝特番」で選手が最高の笑顔を見せるような"一品"をプレゼントするというもの。"一品"の情報を提供し、特番で紹介された場合、その視聴者には"一品"とともに、笑顔の選手の生写真をプレゼント。しかし阪神がセ・リーグ優勝を逃したため、この企画は幻となった。
    • 2012年(平成25年)以降のシーズン中には、毎日放送グループ(MBSテレビ・MBSラジオ・GAORA)のコラボレーションによる阪神応援キャンペーン「with Tigers」を展開している。
  • 毎日放送の公式サイトがリニューアルした際にトップページに、「今週のMBSには、こんな人が出ます!」と題して1週間の内にローカル・全国ネット問わず、毎日放送で放送されるテレビ番組に出演するタレント・俳優・スポーツ解説者・アナウンサーがレギュラー・ゲスト問わず表記されている。毎日放送以外にもキー局TBSテレビ・ラジオや他の系列局の番組に出演する者も含まれる。再放送の関係で故人も名を連ねることもある。人名の横には回数も併記されている。ほぼ全員載せているのは珍しい。ただし、自社制作・他系列問わずアニメ番組(土6枠やアニメシャワー枠など)に出演している声優の名前は表記されない。
  • トップページにある当日の番組表で、MBSテレビで放送されるすべての番組を対象として「おもしろかった番組投票」を実施している。結果は翌日に発表される。
  • 公式サイトにあるアナウンサーのウェブページから、全員の顔が載ったものや、特定の人のみが載った壁紙が無料配信されている。
  • 設立当初から放送局の方針上、テレビでは長らく創価学会聖教新聞テレビCMを流していなかった。ただし、ラジオでは1990年代初期まで流し、一時中断後2009年(平成21年)から提供番組内のみ再開しているほか、創価大学や、国政選挙期間中に限り公明党も流している。テレビでは2010年(平成22年)9月から「キー局の名のもとに」との立場から、TBSテレビ発の『アッコにおまかせ』のスポンサーネットで聖教新聞のCMが放送され、MBSテレビもそのまま受けている(2011年9月末まで)。また、TBSテレビやCBCテレビ制作の全国ネット番組で聖教新聞がスポンサーの場合もそのまま放送される。また、2012年4月から自社制作番組の番組スポンサー参加及びスポットCMへの出稿を段階的に受けて入れている。
  • テレビ番組に使用されるフォントは、『痛快!明石家電視台』や『ジャイケルマクソン』などを中心に 視覚デザイン研究所 のロゴGやロゴ丸を多く使用している。
  • 阪神・淡路大震災の取材を担った放送局として、ラジオのレギュラー番組(『ネットワーク1・17』『地震防災メモ』)や自社制作のラジオCMを通じて、普段から地震・防災関連の情報を積極的に提供している。また、本社内では毎晩、大地震発生直後の報道を想定したリポートなどの訓練を実施[42]。さらに、大地震や大津波の発生に備えて、報道局の主導による本格的な災害放送訓練を毎年実施している。
    • 阪神・淡路大震災が発災した1月17日には、前夜から「阪神・淡路大震災 1・17のつどい」(震災犠牲者追悼行事)が開かれる東遊園地(神戸市中央区)からの生中継リポートを、テレビ・ラジオとも発災時刻の15:46前後に関西ローカル向けに放送している。
    • 東日本大震災の発災直後には、ラジオを中心に、独自の方針による報道特別番組や被災地の復興支援番組『ネットワーク3・11』を長時間にわたって放送した。また、「MBS災害復興基金」という名義で、自社専用の義援金口座を設置。2011年3月30日までは、本社やサービスエリア内の繁華街(大阪・梅田、神戸、京都)において、複数のアナウンサー・ラジオパーソナリティや同局と縁の深い芸能人・スポーツ関係者が交代で街頭に立って義援金への協力を呼び掛けていた。2012年以降も、『ちちんぷいぷい』『ネットワーク1・17』などのレギュラー番組や、『映像』シリーズ(テレビのドキュメンタリー番組枠)で東日本大震災被災地への追跡取材企画を定期的に放送している。
    • 2011年9月にも、平成23年台風12号で和歌山県・奈良県の南部に甚大な被害が出たことを受けて、「MBS災害復興基金」の下に同様の活動を展開している。同年6月には、ラジオの聴取率調査週間に合わせて設定される「MBSラジオ スペシャルウィーク」において、被災地の復興支援キャンペーンを実施した。また、2016年4月に発生した熊本地震の直後にも、アナウンサーが番組やイベントなどで「MBS災害復興基金」への協力を呼び掛けた。
  • 国際連合の「SDGsメディア・コンパクト」に参加する唯一の在阪局として、ラジオで『ばんぱく宣言 われら21世紀少年団』内にSDGs関連のコーナーを設けているほか、テレビで2020年4月から『ゴエが行く!らいよんチャンSDGsニュース』を毎週月曜日にレギュラーで放送。SDGsが17項目の目標を掲げていることにちなんで、同年10月第4週(19日)以降の『ちちんぷいぷい』では、17人の現役アナウンサーが取材と報告を分担する「SDGsのススメ」というコーナーを毎週月曜日に編成している[35]

アナウンサー

最初に記載した西暦年号は新日本放送・毎日放送への入社年。
☆:『あどりぶラヂオ』(2018年4月改編からMBSラジオで放送中)のパーソナリティ経験者[43](内包コーナーのみの出演者を除く)

概要

ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)までは、ラジオ制作センター所属の「シニアスタッフ」である美藤啓文を除く現職アナウンサー全員がアナウンサー室に所属。分社化後もアナウンサー関連の部署は毎日放送に残るものの、同日付の組織改編を機に、新設の「総合編成局」へ組み込まれる[38]。また、同日以降に「株式会社MBSラジオ」が制作する番組には、毎日放送からの派遣扱いで「MBSアナウンサー」としての出演を予定している。

アナウンサー室長

  • 小林亮(2020年6月18日 - [2]、妻は毎日放送の社員で元・アナウンサーの岩城潤子
    • 2021年4月1日付で肩書を「総合編成局アナウンサー担当局長」に変更[38]

現職アナウンサー

元アナウンサー

◎:新日本放送の開局を機に第1期アナウンサーとして1951年に入社
○:アナウンサー室長・アナウンスセンター長を歴任
▲:在職中にスポーツアナウンサーとして活動[44]
■:TTB所属の契約アナウンサーとして在職
●:アナウンサーとして入社後にアナウンサー室(アナウンスセンター)以外の部署へ異動[45]

  • 異動先の部署については、特記のない限り、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)以前の名称で記載。

男性

  • 青木和雄(1968年:2005年に定年退職後、毎日放送専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身)
  • 青木克博(1957年)
  • 池口和雄●(1970年:後に報道局長や関連会社・GAORAの常勤監査役などを歴任。現在は堺市情報公開審査会会長)
  • 板倉俊彦▲(1968年:2006年の定年退職後に、社団法人デジタルラジオ推進協会大阪事務所事務局長を歴任)
  • 伊藤広▲(2006年:2008年7月から東京支社ラジオ営業部員を経て、本社テレビ制作部のディレクターとして『ちちんぷいぷい』『ミント!』などの番組を担当)
  • 伊東正治▲●(1974年:アナウンサー時代の1989年4月から3年間、BBCの日本語放送へ出向した後にラジオ制作部へ異動。2011年の定年後は、嘱託契約のシニアスタッフを経て、フリーのプロデューサー・パーソナリティとしてMBSラジオの番組へ出演中)
  • 井上光央▲(1955年:1994年定年退職。現在は講演活動を中心に活動)
  • 今野秀隆●(1986年:異動後にテレビ制作局でプロデューサーなどを歴任)
  • 岩佐一穂(1952年)
  • 岩崎光平●(1958年:異動後にBBCの日本語放送へ出向)
  • 岩崎宏●(1964年:異動後は、毎日放送ニューヨーク支局・JNNマニラ支局の支局長を歴任したほか、「1万人の第九」や劇団四季の大阪公演などに参画。定年退職後は映画「0からの風」の上映実行委員長を務めるかたわら、同作品に出演)[46]
  • 宇多光雄●(1955年:報道局へ異動後に、毎日放送ニューヨーク支局へ赴任)
  • 海野春樹◎
  • 海野光雄●(1953年)
  • 宇野省也(1952年)
  • 梅沢二三男◎▲(1952年にMBSラジオ初の競馬中継である「日本ダービー中継」で実況を担当)
  • 江本三千年◎(1953年の日本テレビ開局を機に同局へ移籍)
  • 太田亀雄(1956年)
  • 太田兼三郎●(1960年)
  • 大月勇●☆(1996年:2010年7月からラジオ営業部、2017年7月からラジオ局制作センターへ異動。ラジオ営業部員時代から、「ビッグムーン大月」という名義で、MBSテレビ・ラジオの通信販売番組・コーナーへ随時出演)
  • 大八木友之●▲(1997年:2009年から報道局ニュースセンターの記者→デスク→大阪府政キャップを歴任。2005年10月から2014年3月までは、MBSテレビ『VOICE』のメインキャスターを担当。現在はJNNパリ支局長
  • 緒方憲吾▲●(1969年:2007年に定年退職後は、フリーアナウンサーとして活動)
  • 春日貴▲(1970年:現在はミリカスポーツ振興社長)
  • 加藤康裕○●☆(1988年:2011年7月から2017年6月までは、アナウンスセンター長を兼務。2017年7月から2018年6月まで事業局でコマース事業部長を務めた後に、2018年7月からアナウンサー室へ復帰したが、2019年4月で早期定年退職。退職後の2020年にティプラムアナウンススクールを設立するとともに、報道局の気象情報業務を担う気象予報士事務所へ所属)
  • 金指誠▲●(1982年:2000年に異動した後に、ラジオ局制作部でディレクターやプロデューサーを歴任)
  • 金子勝彦▲(1958年:1964年の東京12チャンネル開局を機に同局へ移籍。1994年の定年退職後はフリーのスポーツアナウンサー)
  • 鎌田正明●(1980年:1985年に記者として報道局へ異動したが、実母の介護を理由に2006年退職した。退職後は、体験取材に基づく著述活動を主に展開。2015年以降は、「中沢彰吾」という名義で活動している)
  • 香西正重▲(1954年:NHKから移籍)
  • 河相誠一郎◎
  • 小池清▲○●(1954年:1984年の異動後に秘書室長・報道局解説委員長・社長室長、1993年の定年退職後にMBS企画代表取締役社長などを歴任。その後は2011年まで、フリーアナウンサーとしてMBSテレビ『ちちんぷいぷい』のナレーターを務めた。アナログ停波の挨拶を勤めた翌年の2012年に逝去)
  • 小林正史●(1953年:退職後は作詞家・大阪芸術大学芸術学部放送学科教授)
  • 小林昌彦(1959年)
  • 子守康範(1985年:1999年の退職直後に、映像制作会社の アンテリジャン を設立。現在は、同社の代表取締役社長を務めながら、フリーアナウンサーとしてMBSラジオ『子守康範 朝からてんコモリ!』でメインパーソナリティを担当)
  • 小山紀一●(1964年:異動後も『映像』などのドキュメンタリー番組でナレーターを担当)
  • 近藤光史●(1971年:1992年の退職後は、タヒチでの会社経営を経て、昭和プロダクション所属のフリーアナウンサーとしてMBSラジオ『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』などでメインパーソナリティを担当)
  • 斎藤市郎(1964年)
  • 斎藤努▲●○(1966年:異動後にテレビ制作専任局長などを歴任したが、アナウンサー室長として一時同室へ復帰。2002年の退職後は、羽衣国際大学産業社会学部教授・副学長を経て、2012年4月から名誉教授・株式会社ウィズ代表取締役社長)
  • 阪本時彦○(1965年:2002年の定年退職を機に、J:COM 吹田の営業部長へ転身。フリーアナウンサーとしても活動していたが、2020年に逝去)
  • 城野昭▲●(1973年:テレビ西日本から移籍。2004年の定年退職後も、2010年までGAORA専属のスポーツアナウンサーとして活動)
  • 繁村純孝◎(大阪テレビ放送第1期のアナウンサー8人の内の1人として出向した後に、毎日放送へ復帰)
  • 鈴木健太●(2007年:2017年7月から東京支社のPR部を経て、同支社のコンテンツビジネス部へ異動)
  • 角淳一(1968年:2004年の定年退職後は、毎日放送専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身。『ちちんぷいぷい』初代パーソナリティで、勇退後も2019年3月までMBSテレビ・ラジオの番組にレギュラー出演)
  • 杉本隆平◎▲(MBSラジオで野球中継の初代実況や『近鉄パールクイズ』の司会などを担当した後に、フリーアナウンサーへ転身)
  • 高井智彦●(1962年:アナウンサー時代にはMBSテレビ『大阪株式市況』のキャスターなどを務めたほか、『皇室アルバム』で長年にわたってナレーターを担当)
  • 高木(佐々木)良三▲●(1954年:MBSテレビ・ラジオで競馬中継レギュラー放送の初代実況を担当)
  • 高梨欣也○(1958年:在職中に毎日放送ニューヨーク支局へ2年間赴任。1997年の定年後は、2年間の嘱託契約を経て、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授に就任)
  • 高村昭(1958年:在職中にNETテレビ系列全国ネットのテレビ番組『ランデブークイズ・ペアでハッスル』の司会を務めたほか、1982年10月から3年間BBCの日本語放送へ出向。定年退職後は、アナウンスアカデミー大阪や早稲田セミナー梅田校・京都校の講師に転身)
  • 多仁治(1952年)
  • 田丸一男☆(1991年:NHKからスポーツアナウンサーとして移籍したが、『VOICE』の放送開始を機にニュースナレーターへ転じたほか、災害報道体制の構築、アナウンサー室主催の朗読イベント、ガン検診の受診啓発活動などに尽力した。アナウンサー室のマネジャーを経て、2020年9月に定年退職。退職後は、フリーランスのナレーターとして活動)
  • 千葉猛☆(1990年:1996年7月からラジオ報道部やテレビ制作部へ異動した後に、2005年4月からアナウンサー室へ復帰。復帰後は、ラジオ報道部制作の番組で数々の表彰を受けるかたわら、「日本の放送局の現役アナウンサーでは最も多い」とされる60以上の資格・免許を取得していた。2020年8月からは、報道局クロスメディア部でインターネット向けのニュース関連の業務に従事しながら、アナウンサー時代からパーソナリティを務めている『ネットワーク1・17』に翌9月まで出演)
  • 鶴本康彦●(1986年:後に報道局やコンプライアンス室[47] へ異動。現在は東京支社制作室の番組アドバイザーとして、『情熱大陸』『林先生が驚く初耳学!』『教えてもらう前と後』などを担当)
  • 長井展光●☆(1983年:1987年に記者として報道局へ異動後に、マニラ支局長・メディア開発局専任部長を経て役員室へ勤務。経営戦略室エグゼクティブを兼務した後に、2019年4月で定年を迎えたが、定年後も「シニアスタッフ」として役員室で勤務)
  • 中谷常善●(1952年)
  • 中西安●(1955年:後にラジオ局や報道局へ異動。MBSラジオ『MBSイブニングレーダー』でニュースキャスターを担当)
  • 二木正之●(1957年)
  • 野村啓司○(1971年:2008年の定年退職後は、専属パーソナリティを経て、2013年10月からフリーアナウンサーへ転身。専属パーソナリティ時代から、MBSラジオで複数の冠番組を担当)
  • 馬場雅夫(1956年:1958年のNETテレビ→テレビ朝日設立を機に同局へ移籍)
  • 蜂谷薫▲(1969年:2005年に定年退職。現在は競艇中継の実況を担当)
  • 平松邦夫▲●(1971年:異動後に毎日放送ニューヨーク支局長などを歴任したが、2007年大阪市長選挙への出馬を機に退職。同選挙で当選後に、2011年まで第18代大阪市長
  • 広瀬允昭●▲(1961年)
  • 藤本永治○(1954年:1993年の定年退職後も、2018年に永眠するまで、MBSラジオの番組へゲストで随時出演)
  • 古瀬賢徳◎○(NHKから移籍。退職後に仏門へ入るとともに、「古瀬日宇」という名で妙満寺第302世貫首などを歴任)[48]
  • 本荘貫一◎
  • 前田治郎●(1960年:毎日放送ニューヨーク支局に特派員として赴任中の1963年に、日本初のテレビ衛星中継を通じてケネディ大統領暗殺事件をリポート)
  • 増田一樹●(1978年:1995年に異動したが、2003年から2008年までデスク専任で再びアナウンス室に在籍。現在はコンプライアンス室に勤務)
  • 松田武晴◎
  • 松井昭憲●(1970年:1992年に広報部へ異動したが、後にアナウンス室へ復帰。2006年の定年退職後も、2009年7月まで、MBSラジオの専属パーソナリティとして月 - 木曜日昼帯の『MBSニュース』のキャスターを担当)
  • 三澤肇●(1994年:『VOICE』の初代メインキャスターで、2002年に報道局へ異動後、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしてTBSへ出向。毎日放送への復帰後は、報道局大阪府庁キャップ・JNNベルリン支局長・報道局ニュースセンターのデスクを経て、2016年4月から後述する解説委員へ就任)
  • 水谷勝海▲●(1966年:在職中に一時スポーツ局へ異動。2003年の定年退職を機に、GAORAのチーフアナウンサーとして実況に復帰した。現在は毎日文化センター梅田校講師)
  • 美藤啓文☆(1980年:2016年9月30日の定年後も、嘱託扱いの「シニアスタッフ」としてラジオ制作センターに在籍)
  • 皆川資雄◎(新日本放送のラジオ本放送開始後最初のニュースを担当)
  • 宮川恭一●(1964年)
  • 三宅定雄▲(1961年:1986年の退職後も、一時フリーアナウンサーとしてプロ野球・競艇の実況を担当)
  • 三好俊行●(1973年:2009年に定年退職)
  • 森本宏(1954年)
  • 矢部貢(1952年)
  • 山本善一●(1964年)
  • 山根曻◎
  • 結城哲郎▲○●(1974年:スポーツアナウンサーとして2011年からGAORAへ出向。2017年3月の定年退職後もフリーアナウンサーとして活動)
  • 吉岡喜久男◎
  • 吉弘七郎◎
  • 渡邊清◎

女性

  • 明石光子(1953年)
  • 阿部洋子(1965年:現姓・志風)
  • 新井洋子◎(現姓:紺野)
  • 安良淑(1955年)
  • 石黒静(1969年)
  • 石田敦子●(1990年:2003年から東京支社テレビ編成部で同支社制作・TBS系全国ネットのテレビ番組のプロデュース・編成業務へ携わった後に、2017年の人事異動で東京支社報道部の記者へ転身。ただし、アナウンサー職からの異動後も、不定期でドキュメンタリー番組のナレーターを担当。2017年10月から2019年3月まで、アナウンサー時代にリポーターやアシスタントを務めた『ちちんぷいぷい』へ再びレギュラー出演)
  • 石田美紀(1958年)
  • 市毛毬子■(1970年:MBSテレビ『アップダウンクイズ』の3代目出題者)
  • 伊藤かをる◎(現姓:佐伯)
  • 伊藤美代子(1966年)
  • 井上知津子(1962年)
  • 岩城潤子●(1988年:2000年に異動。2020年6月からアナウンサー室長を務める小林亮とアナウンサー時代に結婚)
  • 小野陶子(2001年:2006年に退職)
  • 北澤咲弥花(1997年:2000年の退職後に医師へ転身)
  • 岡田美智子(1954年)
  • 岡本郁代(1952年)
  • 岡本純江●(1962年)
  • 川上小夜子(1968年)
  • 北島英子●(1958年)
  • 倉沢雅子■(1970年)
  • 河本俊美■(1980年:美藤啓文の妻で、契約満了後はフリーアナウンサーとしてセイに所属。現在は契約扱いでFM802報道センターのアナウンサー)[49]
  • 小林優子(1961年:元フジテレビアナウンサー小林大輔夫人)
  • 小堀豊子●(1964年:2001年の定年退職後は、2012年3月まで大阪芸術大学芸術学部放送学科で教授を歴任)
  • 紺野馨代(1958年)
  • 斎藤裕美●(2008年:2013年7月からラジオ営業部へ異動した後に退社。ただし、異動後もMBSラジオのスポットCMの一部でアナウンスを担当していた。退社後はフリーアナウンサーとして活動)
  • 坂本登志子◎(新日本放送ラジオ本放送第一声のアナウンスを担当。1980年の定年退職後は、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授を歴任)
  • 坂元毬子(1956年)
  • 桜井良子
  • 佐々木美絵■(1971年:後に正社員として採用。斎藤努との結婚・退職後は、フリーアナウンサーとして昭和プロダクションに所属するとともに、2012年から羽衣国際大学の教授へ就任)
  • 佐藤昌子(1960年)
  • 佐藤良子■☆(1973年:MBSラジオ『MBSヤングタウン』で長年にわたって谷村新司ばんばひろふみのパートナーを担当。1983年に契約期間を満了してからは、2013年4月から1年間『嘉門達夫のどんなんやねん!』にアシスタントとして出演していた)
  • 塩川美枝(1956年)
  • 塩田信子(1952年)
  • 鈴木佳代子(1966年)
  • 鈴木延枝(1958年)
  • 田井員子(1960年)
  • 高橋明子(1964年)
  • 田中美紀■(1971年)
  • 津田英子■(1970年)
  • 鶴見寿子(1962年)
  • 豊崎由里絵(2013年:在職中は『ちちんぷいぷい』『痛快!明石家電視台』『プレバト!!』でアシスタントを担当。2017年の結婚・2019年1月の第1子出産を経て、2019年4月から半年間『ミント!』の初代アシスタントを務めた。2019年10月の退社後は、育児を優先する一方で、フリーアナウンサーとして『ミント!』のナレーターを担当中。2020年2月からアミューズに所属)
  • 永井玲子(1968年)
  • 長田淑子(1957年:『アップダウンクイズ』の2代目出題者)
  • 中村摩耶子●(1956年)
  • 中村香奈●(1997年:毎日放送アナウンサーで唯一、在職中に気象予報士の資格を取得。2005年の異動・退社を経てフリーアナウンサーに転身)
  • 二木洋子(1957年)
  • 野沢秋子(1958年)
  • 服部光代■(1970年)
  • 平山真理■(1983年)
  • 古沢久美子■(1977年:テレビ熊本アナウンサーから転身。契約満了後はフリーアナウンサーとして活動するかたわら、アドバンス朗読教室で講師を担当)[50]
  • 前田阿希子(2006年:ドバイへの移住を兼ねた結婚を機に2017年9月で退職)
  • 三上智恵(1987年:1995年の琉球朝日放送開局を機に同局へ移籍。2014年3月に退社するまで、報道部でアナウンサーとディレクターを兼務した。現在は映画監督)
  • 水野晶子■(1981年:1991年4月から正社員に採用された後に、2018年12月31日付の定年退職までアナウンサーとして勤務。退職後も、フリーアナウンサーとしてMBSラジオの番組へ引き続き出演)
  • 宮川ヒロミ(退職後の1970年代後半からフリーアナウンサーとして、日本テレビ・読売テレビ『THEワイド』などのリポーターを担当)
  • 村上多美子(1959年)
  • 森口かすみ■(1983年:読売テレビアナウンサー牧野誠三との結婚を機に1986年退職)
  • 茂木栗子■(1983年:JNNマニラ支局へ特派員として出向していた毎日放送記者との結婚を機に1991年退職)
  • 八木早希(2001年:2011年4月からフリーアナウンサーに転身。2014年3月まで三桂に所属した後に独立)
  • 八島洋子(1984年:中部日本放送から移籍。『MBSヤングタウン』で共演したCHAGE and ASKA飛鳥涼との結婚を機に退職)
  • 柳原百代(1961年:現姓・水谷。娘は文化放送アナウンサーの水谷加奈
  • 山岸幸子(1959年)
  • 山添洋子
  • 吉竹史(2007年:2014年1月で退社した後に、セント・フォース所属のフリーアナウンサーへ転身)
  • 吉田智子(1965年:2002年の定年退職後に個人事務所「吉田智子事務所」を設立。フリーアナウンサーとして朗読などで活動するかたわら、大阪芸術大学短期大学部広報学科の教授に就任)
  • 吉田彌生(1958年)

解説委員

以前から報道局に設けられていたが、2016年度からスポーツ局にも新設。いずれの委員も、自社で制作する報道・情報番組で、定期的にニュース解説を担当する。

  • 尾嵜豪☆(報道局の所属で、2018年7月から自然科学担当の解説委員に就任。水産学を専攻していた京都大学からの卒業後に入社すると、テレビ営業局・テレビ制作部を経て、2016年の気象情報部設立を機に初代の部長を務めた。『ちちんぷいぷい』のディレクター時代から、「お魚博士」と称して、水産・魚類関係のリポートや解説を随時担当[51]。2011年には、全国ネットの特別番組『クニマスは生きていた!~“奇跡の魚”はいかにして「発見」されたのか?~』のプロデュースで、日本民間放送連盟賞・テレビ教養番組部門の優秀賞を受賞した[52]
  • 辻憲太郎(報道局ニュースセンター所属で、解説委員としては経済分野を担当。1997年に入社してから、スポーツ局やラジオ報道部の記者を経て、2015年3月までJNN上海支局に支局長として赴任。『ちちんぷいぷい』では、2017年10月から月 - 水曜日のニュース解説、2018年2月の平昌オリンピック期間中に現地での周辺取材を担当した。2019年4月からは、『ミント!』の月 - 木曜日にレギュラーで出演中)
  • 橋本佐与子(報道局ニュースセンター所属で、『VOICE』の初代女性キャスター。キャスター降板後も、長年にわたって臓器移植などの医療問題などを取材)
  • 三澤肇(報道局ニュースセンター → 東京支社報道部の所属で、『VOICE』の初代男性キャスター。JNNベルリン支局からの帰任を機に、同番組でニュース解説やメインキャスター代理を担当。2017年7月に東京支社へ異動してからは、国政・裁判・災害関連の取材へ従事している。同年の10月以降は、『VOICE』や金曜日の『ちちんぷいぷい』にレギュラーで出演。『VOICE』終了後の2019年4月からは、『ミント!』にも随時登場している)
  • 宮前徳弘☆(スポーツ局所属で、1985年に入社後、同局で記者・ディレクター・プロデューサーを歴任。『情熱大陸』の制作にも携わった。解説委員就任後の2016年8月から、「スポーツのおっちゃん」と称して『ちちんぷいぷい』『戦え!スポーツ内閣』へ出演)[53]

なお、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)以降は、報道局と東京支社報道部が「報道情報局」、スポーツ局が「制作スポーツ局」に再編される[38]

主な記者

アナウンサー出身の主な記者(経験者)や、解説委員は前述。ラジオ報道部からは、毎日放送の東京支社に、国会担当として記者を常時駐在させている。

現在

2021年1月現在、およそ40名の記者を擁している。

  • 米沢飛鳥(2000年に入社後、人事局労政部→報道局ニュースセンター記者・大阪府警クラブサブキャップを経て、2012年7月に報道局番組センターへ異動。『映像』シリーズでディレクターを担当した後に記者へ復帰)[54]
  • 神﨑智大(東京支社付の国会担当記者などを経て、2014年4月から2019年3月まで『VOICE』のフィールドキャスターを担当)
  • 米田佳史(こめだ よしふみ:テレビのドキュメンタリー番組『映像』シリーズのディレクターなどを経て、2015年4月から2018年3月まで辻憲太郎の後任でJNN上海支局へ赴任)
  • 森岡紀人(2018年4月から米田の後任でJNN上海支局へ赴任中)
  • 丸尾陽樹(北海道大学大学院卒業後の2011年に入社する一方で、「岡山CA」所属の男子カーリングの選手として、2013 - 2015年のカーリング日本選手権大会に出場。最高成績は4位だった。カーリング競技の第一線を退いてからは、報道局映像センターのカメラマンを経て、2020年7月からJNNパリ支局へ赴任中)
  • 亘佐和子(わたり さわこ:ラジオ報道部の所属で、ドキュメンタリー番組のディレクターを務めるかたわら、記者やデスクとして報道系の番組へ随時出演)
  • 成相宏明(なりあい ひろあき:テレビ制作部でバラエティ番組のディレクターなどを担当した後に、『ちちんぷいぷい』『VOICE』『ミント!』へ記者として出演。2019年度から東京支社の報道部に駐在中)
  • 奥西亮太(テレビ営業部を経て、京都支局で主に科学・学術分野を取材。大阪大学の学部生・大学院生時代に細胞生物学の研究へ携わったことから、自然科学関連の話題を『ちちんぷいぷい』などで取り上げる際にはスタジオ解説も担当。同姓同名の元子役俳優とは別人)
  • 井上大輔(京都支局でデスクを担当)
  • 帯刀総司(大阪府警察記者クラブでキャップを担当)
  • 辻本敬詩(阪神・淡路大震災発災直後の1995年3月に神戸市長田区で出生。2017年の入社後に地元の神戸支局へ配属)
  • 阿部雄気(2015年入社。大阪府警担当)
  • 冨永晋平(2015年入社)
  • 石倉真衣(2016年入社。東京支社ラジオ部での営業職を経て、大阪府政を担当)
  • 飯坂侑士(2016年入社。編成局員や報道局のカメラマンを歴任後に記者へ転身)
  • 河東宏樹(2017年入社。大阪府警察本部記者クラブ・捜査1課担当)
  • 柳瀬良太(東海テレビで愛知県警や愛知県政・名古屋市政などの記者を経て、2018年に中途採用。大阪府警のサブキャップを経て、現在は大阪府政・市政のキャップ)
  • 法花直毅(ほっけ なおき:NHK京都放送局・放送センターなどの記者を経て、2019年に中途採用)
  • 富永高史
  • 原田康平
  • 原田康史
  • 鹿毛裕輝
  • 渡紗也子
  • 梅田新平
  • 入口茉莉
  • 山田ひかる
  • 木村富友佳
  • 宇治宮汐梨(2018年入社。大阪府政担当を経て、2020年2月から京都支局へ配属)
  • 工藤舞弥(京都支局)
  • ビジャン亜里沙(神戸支局)
  • 大里奈々
  • 國土愛殊
  • 秦瑞穂

過去

  • 石田英司☆(1984年の入社後に、営業部員、報道局社会部の記者・デスク、制作局エグゼクティブなどを歴任。『ちちんぷいぷい』では、1999年10月の番組開始当初から2017年9月まで、「ニュースのおっちゃん」と称してニュース解説を担当していた。2018年1月以降は、『上泉雄一のええなぁ!』の水曜日→木曜日にレギュラー出演中。2019年7月の定年後も、ラジオ局ラジオ制作センター所属の「シニアスタッフ」として、ラジオ番組への出演を続けている)
  • 西村秀樹(1975年に入社後、報道局社会部の記者として豊田商事会長刺殺事件に遭遇。犯人への取材を試みる一方で、所轄警察署への通報によって、犯人の逮捕につなげた。その後は、『映像』シリーズやニュース番組で、人権と平和に関するドキュメンタリーを多数制作。退社後は、近畿大学人権研究所の客員教授や、近畿マスコミ倫理懇談会の顧問などを務める)
  • 黒木奈々(2006年に一般職で入社後、記者として報道部に配属。しかし、アナウンサーになることを学生時代から強く希望していたため、2007年2月に退社した。退社後は、CMA所属のフリーアナウンサーとして、『TBSニュースバード』のキャスターなどを歴任。セント・フォースへの移籍や闘病生活などを経て、NHK BS1国際報道』シリーズの月曜キャスターを担当していたが、2015年9月19日に32歳で逝去)[55]
  • 榛葉健(1987年に入社。報道局社会部の記者や、報道・ドキュメンタリー系テレビ番組のプロデューサーとして、多数のスクープ・受賞歴を持つ。現在は、テレビ営業局営業開発部次長として勤務するかたわら、個人の立場で東日本大震災の被災地を定期的に取材・撮影したドキュメンタリー映画「うたごころ」シリーズを発表)
  • 山田厚史(1971年に入社したが、同年に朝日新聞社へ移籍。政治・経済記者、外国通信員、編集委員を経て、現在はジャーナリスト・「AERA」シニアライターとして活動)
  • 奥田信幸(報道局ニュースセンターの記者として大阪府政・大阪市政などを担当した後に、同センターのデスク・解説委員・報道部長・番組編集部長を経て、2020年6月から報道局長へ着任→ラジオ放送事業分社化後の2021年4月1日以降は新設の「報道情報局長」[38]

その他の著名社員

正社員ではないが、2009年から和歌山県新宮市の市長を務める田岡実千年は、市長就任前の1987 - 2008年に、同市内で家業(カメラ販売店の経営)へ就くかたわら、報道局から新宮駐在員(和歌山県南部および近隣地域の映像取材を担当する駐在カメラマン)の職を委嘱されていた。

その他

ロゴ

毎日放送の現行ロゴ使用開始後、旧ロゴは徐々に使用を中止され、生駒テレビ送信所や一部中継局ではすでにロゴ変更作業が完了された。今後も子会社のロゴが変更され、旧ロゴは淘汰される見通しである(すでに社の封筒やベリカードなどではロゴの変更が行われた)。その一方で本社社屋(M館[4])の壁面にある旧ロゴはその後もしばらく残っていたが、2013年9月の新館(B館[4])の完成と同時に取り外された。新館には、毎日放送の現行ロゴが取り付けられている。会見等で使われるマイクも変更されている。

旧ロゴについては、放送中のテレビ映像の上部で気象警報・地震速報を表示する際の字幕にも組み込まれていた。ロゴの変更後は、新ロゴを字幕へ組み込まない代わりに、タイトル(「MBS気象警報」「MBS地震速報」)と本文の字体を丸ゴシック体で統一している。

アニメ製作

  • 毎日放送テレビはアニメの製作に積極的な局でもあり、アニメシャワー、アニメイズムといった枠などでアニメを製作し放送している。現在TBSテレビ系全国ネットの放送におけるアニメ製作は毎日放送テレビとTBSテレビである。
  • また、近畿地区におけるアニメソング歌手・声優のライブコンサートの後援につくことも多い。

在京局との関係

毎日放送は毎日新聞社が創業に関わった関東の放送局であるラジオ東京(現・東京放送ホールディングス)およびラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)、そして旧東京12チャンネルプロダクションの時代から支援してきたテレビ東京の3局と関係性が深い。フジサンケイグループの局でもニッポン放送とはNRNやFOLネットを通じて緊密な関係を有し、後にラジオ日本を傘下に収めた読売グループ日本テレビとも比較的良好な関係があるなど多くの局に対して対等に渡り合っているが、一方でネットチェンジ後のテレビ朝日と、フジサンケイグループの影響が一時薄れて旺文社・テレビ朝日との関係が強くなっていた時期の文化放送に対しては、過去の様々な経緯から距離を取っている面があった。

特にTBSグループはラジオにおいては朝日放送ラジオとの並列ながら開局当初からネットワークを組んでいる。テレビにおいても開局時からラジオ東京テレビ(KRT、現・TBSテレビ)とネットワークを組むつもりだったが、諸事情によって日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)と組まざるを得なくなり、1975年(昭和50年)3月30日まではANN系列となっていた。一方、1969年からは東京12チャンネル(現・テレビ東京)とも一般番組に限り相互ネット関係を結んでいたが、1975年(昭和50年)3月31日に朝日放送テレビとの間でネットチェンジが行われ、以後はJNN系列となっている。なおNET主導で設立された教育・教養番組専門のネットワークである民間放送教育協会にも参加していたが、1992年に脱退し、1年間暫定的に独立放送局が番組販売扱いで放送した後、1993年に関西地区の加盟社が朝日放送グループ(テレビ・ラジオの分社後は朝日放送テレビが加盟し、朝日放送ラジオが番販参加)に移譲された。

ネットチェンジを前にした事前協議では、TBSテレビ系時代の朝日放送テレビよりも多く全国ネット番組を抱えていたことから、それらの製作・放送枠確保をめぐりTBSテレビとの調整が難航した末に、一部の番組や主催スポーツイベントを打ち切らざるを得なくなり、ネットチェンジ後は、NET系時代にキー局志向を持ち、在京局と対等に亘り合っていたMBSテレビと、「民放の雄」という意識が強く、MBSテレビとの関係を主従関係と捉えたTBSテレビとの企業体質や認識の違いなどもあり、次第にTBSとの関係に齟齬が生じるようになった。

鎌田正明は『週刊現代』にて全国ネットレベルの特ダネがTBSに横取りされてしまったことを証言している。鎌田は地球温暖化の原因とされるフロンガスの問題にいち早く着目したものの、JNNの全国ニュース取材に対する仕組み[58] を理由にTBSが事実上「召し上げ」てしまったと述べた。鎌田らMBS報道局のスタッフはTBSに抗議したものの、TBS報道局のデスクは「お前らは素材を上げていればいいんだよ!!」と言い放ったという[59]。また、TBS・MBSの双方の番組に多数出演している明石家さんまは、関西テレビ『さんまのまんま』にて『(他の在阪局におけるキー局との不仲ぶりを挙げながら)TBSとMBSの関係が特に酷い』と漏らしている[60]

近年はTBSテレビ製作ドラマの好調のためか、関係は以前より改善はされているが、深夜帯に関しては自社製作の番組を優先しているため、TBSテレビ製作の深夜番組の放送は、同時・遅れネットともに比較的少なく、深夜アニメに関してはサンテレビなど関西圏の独立放送局に回す場合もある。

アール・エフ・ラジオ日本に対しては、同局が得意としている中央競馬中継で関西主場のメインレースと最終レースの実況をネットする等の関係がある。2010年にそれまで関係の深かったKBS京都が日曜の競馬中継を終了したことを機に、競馬番組におけるラジオ日本との関係を切った後は、ラジオ日本の競馬中継でイレギュラーが発生した際に、MBSラジオが極力支える体制を取っている。また、2018年以降のTBSラジオの野球中継制作業務縮小後は、JRN担当だった金曜日の阪神タイガース読売ジャイアンツの対戦時と予備カードのオリックス・バファローズ戦時にラジオ日本との相互ネットが可能な体制を取っている。

江戸笑芸番組に対する扱い

MBSテレビ放送開始以来、上方笑芸を大事にする姿勢に徹し、ローカル・西日本ブロックネット枠では数々の人気番組(『よしもと新喜劇』シリーズ」『素人名人会』『オールザッツ漫才』)を世に送り出している。その反面、「上方(関西)では江戸笑芸は受け入れられないだろう」との考えから江戸笑芸番組の放送を抑制する方針に徹している。[要出典]

その典型的な例として、腸捻転時代の1963年(昭和38年)6月、NETテレビが製作した江戸笑芸番組『大正テレビ寄席』が開始され、MBSテレビでもネット受けを行ったが、関東と比べて視聴率が振るわず、これを知った高橋ら当時の毎日放送首脳陣は「やはり、我々の考えは正しかった」と判断し、同年10月の改編で『大正テレビ寄席』が水曜12時台の30分枠から日曜正午の45分枠へ移動したのを契機にネットを打ち切った。この枠では既にあった『サモン日曜お笑い劇場・吉本新喜劇』がNETテレビにもネットされていたが、スポンサーの大正製薬はそのままで企画ネット番組としてMBSテレビのみ放送を継続、事実上差し替えた。結果視聴率が伸びネットチェンジまで日曜の正午から午後2時台の視聴率が安泰となるが、この事が放送界きっての江戸笑芸啓蒙主義者として知られる永六輔の逆鱗にふれた。

[要出典]

ただ、永は毎日放送とは直ちに絶縁とはならず、その後もMBSテレビ制作ながら江戸笑芸も一部扱っていたテレビ番組『芸能わらいえて 目で見る百年史』(当初の半年間はNETテレビへ、その後は東京12チャンネルにネット)や選抜高校野球中継の客席リポート等への出演を継続し、ラジオ番組にも出演していた他、MBS関連企業のミリカスポーツ振興が1970年にボウリング場『MBSミリカレーンズ』をオープンさせた際に、同社が『ボウリングファン』(マスレジャー研究所)に出稿した見開き広告に永からのメッセージが掲載されるなど一定の関係を持っていたが、その後関係を緩やかに縮小し、2011年9月3日(TBSラジオ・CBCラジオ。MBSラジオは9月11日)放送のTBSラジオ・MBSラジオ・CBCラジオ開局60周年記念ラジオ番組『永六輔・つボイノリオ浜村淳の御三家ラジオ』(TBSラジオ主管の3社共同制作)までMBSラジオが関与する番組への出演がなかった。[いつから?]

TBSラジオ制作の『永六輔の誰かとどこかで』の番組本編は、近畿ではかつてラジオ大阪で放送されていたが、ラジオ大阪が放送を打ち切った後のMBSラジオ・ABCラジオへのネット引継ぎは、永の意向[要出典]や自社制作番組などの編成の兼ね合いもあり実現せず、MBSラジオでは2013年9月の同番組終了までスポンサーの桃屋のCMのみがネットされていた。

23時ショー打ち切り事件

『大正テレビ寄席』打ち切りから8年後の1971年(昭和46年)12月、毎日放送は同じくNETテレビが制作した深夜の帯番組『23時ショー』のネット受けを、「低俗である」として打ち切ることを突然発表した[61]。打ち切りの理由は、お色気関係の話題を興味本位でとらえていたこの番組の姿勢を、当時の社長だった高橋信三が否定したためといわれた[要出典]

このことは朝日放送テレビや関西テレビなどにも影響し、他の在阪局による、在京キー局発のお色気番組のネット受け打ち切りが相次いだ。この一件は「準キー局のキー局に対する反乱」ととらえられ大いに話題となった[要出典]。在京キー局でも、1990年代以降お色気番組では徐々に減少し、独立ローカル局では、デジタル1本化直後に姿を消した。

なお『23時ショー』の近畿地方向けネットは、のちに1972年(昭和47年)10月から、近畿放送テレビとサンテレビへの番販マイクロネットされ、実質的に再開されている(23時ショー#ネット局参照)。

その一方で、ドラマやバラエティなどの娯楽番組については、『プレイガール』を東京12チャンネルからネット受けしたり、バラエティショー『夜の大作戦』を自社制作して同局に配信するなど、お色気色が強いものを取り扱っていた。

日本初の海外衛星中継

1963年(昭和38年)11月のケネディ大統領暗殺事件の模様を、アメリカ合衆国ニューヨークに当時駐在していた毎日放送社員で元同局アナウンサーの前田治郎(まえだ じろう)が克明に情報を伝えていた。

当初、日本初の海外衛星中継(宇宙中継)実験として、ケネディ大統領のスピーチを放送することになっていたが、その最中に遊説していたテキサス州ダラスでのパレード中に暗殺されたことを受けて、急遽前田がその状況を克明に放送。

前田は初めに「この日米間宇宙生中継という輝かしい試みに、悲しいニュースをお伝えしなければなりません」とあいさつし、民間放送社員の立場でありながら、その実況リポートがNHKの放送でもそのまま生中継される前代未聞のケースとなった(この件に関しては、毎日放送の開局50周年記念特別番組をはじめ、NHK総合の番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』や当時のキー局・テレビ朝日(事件当時はNETテレビ)の開局50周年記念特別番組『“ニュースの記憶”〜あの頃あの時あなたは…報道50年映像全史〜』に詳しい)。

その他の問題・不祥事

  • 江崎グリコ江崎勝久社長が誘拐された1984年(昭和59年)3月18日深夜、この事件に関する報道協定が成立する前に、MBSテレビで江崎社長の誘拐を伝えるニュースの第一報が報じられた。[要出典]
  • 2005年(平成17年)4月に放送された『VOICE』で、兵庫県宝塚市在住のたこ焼き屋台経営の女性が、暴力団関係者らと共に同市内の喫茶店に対して嫌がらせを繰り返し、喫茶店を廃業に追い込んだとの報道を行った。これに対し、女性が名誉を傷つけられたとして神戸地裁訴訟を起こし、同地裁は2007年2007年(平成19年)10月31日に原告の名誉を毀損したとして、40万円の支払いを毎日放送に命じた。大阪高裁での二審では隠し撮りという取材手法が問題とされたが、名誉棄損は認めず一審判決を変更して10万円に減額し、最終的に2009年(平成21年)2月13日最高裁は両者の上告を退け、二審の大阪高裁判決が確定した[62]
  • 2005年(平成17年)9月の同局の報道番組での、兵庫県南淡町談合疑惑に絡んだ報道で、同町が約2億8,000万円を支出した造成工事について、森紘一・元同町長のファミリー企業が予定価格通りに落札したなどとした報道を行った。これについて、森元町長が毎日放送と住民監査請求を行った市民団体を相手にそれぞれ1,000万円の支払いを求め、神戸地裁に訴訟を起こした。同地裁は2008年(平成20年)9月26日名誉棄損を認め、毎日放送に100万円の賠償を命じた。
  • 2006年(平成18年)11月4日に放送した「2006ミズノクラシック」中継では、宮里藍の成績を首位に立っていないにもかかわらず「首位に立った」と表示したため、12月8日総務省近畿総合通信局から厳重注意を受けた。[63]
  • 2008年(平成20年)5月23日に放送されたMBSテレビ制作の全国ネットバラエティ番組『ランキンの楽園』で健康チェック「ティッシュ箱飛ばし」を紹介した際、この番組を視聴していた千葉県在住の60代女性が実践した際に怪我を負ったことが同年5月27日に明らかになった。同年5月30日には、同番組のエンディングでお詫びと視聴者に注意喚起を促すテロップをアナウンス付きで放送した。
  • 2008年に収録された同局の特別番組内で行われた「番組対抗駅伝」企画で、吉本総合芸能学院大阪校に当時在籍していた男性が同年7月25日に行われた同企画の野外リハーサルで走らされた際、熱中症を発症して高次脳機能障害が残った。当時、気温は35度以上あり、運動を原則中止すべき気象条件だったにもかかわらずリハーサルを実施したことで熱中症になったことが原因で障害が残ったとして、男性は毎日放送と吉本総合芸能学院を運営する『よしもとクリエイティブ・エージェンシー』を相手取り、2011年4月に訴訟を起こした。男性側は「速やかな病院搬送など適切な対応を怠った」などと主張している。毎日放送は2009年7月に、この男性に対して約177万円を支払っているという[64]2015年4月17日に同地裁は「熱中症の後遺症ではない」などとして、原告の訴えを退けた[65]
  • 2010年(平成22年)12月5日に、大阪府堺市内のグラウンドで『くらべるくらべらー』の収録が行われ、「Jリーグの選手と子ども100人が(サッカーの)試合をしたらどんなスコアになるのか」との企画で、セレッソ大阪の選手らや同球団傘下のサッカースクールに通う児童らが参加して行った。ところが、この収録中にセレッソ側のゴール前へ児童らが殺到し、うち小学校3年生の男子児童1人が転倒したうえ、この児童は他の児童に左腕を踏まれて左骨折で全治3か月の重傷を負った[66]
  • 2011年(平成23年)1月12日放送の『イチハチ』で、富裕な芸能人を紹介する特集『お坊ちゃまお嬢様芸能人No.1 決定戦』に出演していた日本人の女性タレントを、本人の事前申告を基に「アメリカニューヨークビル内の部屋に居住する資産家」と紹介したが、放送後には視聴者からの指摘をきっかけに、このビル内の物件を女性タレントが所有した事実がなかった疑いが浮上した。毎日放送では同年2月4日に事実確認が不十分だったことに対する謝罪と、放送後の現地調査を基に「事実と異なる内容を放送したと客観的に疑わざるを得ない」とする見解を記した文章を同番組の公式サイトなどで発表した[67]
  • 2011年(平成23年)6月26日に、複数の報道番組で平野区韓国人母娘殺害事件の被害者とは別人の写真を被害者として報じた。誤報事件を受け、毎日放送はチェック体制を強化すると発表した。
  • 2013年(平成25年)12月7日放送の『せやねん!』では、コーナー「今週の気になるお金」で「特殊詐欺・ダイヤモンド詐欺」を取り上げた。しかし、同コーナーで紹介した具体的な手口・実例・被害金額が、前々日(12月5日)に読売テレビの『かんさい情報ネット ten.』で放送されたばかりの独自取材特集「モクゲキ〜ダイヤモンド劇場型詐欺」の内容に酷似していることが、同局からの指摘で判明した。毎日放送で社内調査を進めたところ、『せやねん!』のスタッフが、読売テレビの公式サイトで配信されていた当該特集の動画の内容を同局に無断でナレーションの原稿などへ引用したことが判明した。このため、毎日放送では2013年12月26日付で「読売テレビや取材に協力された方に多大な迷惑をおかけしたことをお詫びします。放送人としてモラルを徹底させるとともに、チェック体制を見直したい」という謝罪コメントを広報部から発表する[68] とともに、『せやねん!』の公式サイトに謝罪文を掲載した[69]
  • 2014年(平成26年)8月2日にTBSテレビ系列全局で放送された『音楽の日』で、大阪府立清水谷高等学校合唱部に出演を依頼したが、放送前日に出演依頼を取り下げたことを公表した。その理由として、東京のスタジオと中継を結ぶ『情熱大陸SPECIAL LIVE SUMMER TIME BONANZA』(万博記念公園もみじ川芝生広場にて開催)において、冠スポンサーがアサヒビールであること、ならびに会場内でアサヒビール社製品を販売していた事から、毎日放送側が未成年の出演を社会通念上避けるべきと判断したが、そのような状況を社内で充分に認識していなかったため。毎日放送は同日付で高校に謝罪し、当日の放送ではブルーバックで「このあと放送される『音楽の日』に大阪府立清水谷高校の皆さんが出演される予定でしたが、毎日放送の不手際のため、出演していただくことができなくなりました。関係者の皆さんに深くおわび申し上げます。」と謝罪のテロップを放送した。mazda(マツダ)も同じく会場内での実車展示をしていた。[70]
  • 2017年7月16日に神戸市北区で、高齢男女など5人が殺傷される事件が発生したが、この事件に関連して、17日に放送された『JNNニュース』と『ちちんぷいぷい』に於いて、被疑者の顔写真として紹介した写真が、別人のものであったことが判明し、同局は同日夕方以降のニュース番組内で繰り返し謝罪した[71]
  • 2017年12月26日にラジオで放送された『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』で沖縄県における米軍基地反対運動を取り上げた際に、パーソナリティの近藤光史が、「中国韓国の勢力が内部から日本を分断しようとしている」との私見や「これらの勢力が基地反対運動でも活動しており、純粋に反対運動をしている人は少ない」という趣旨のコメントを発した。 この発言について、社長の三村景一は、2018年1月18日の定例記者会見の席上で「近藤の発言は不適切だった」と謝罪した。近藤に対して、沖縄の現状を改めて取材・報告させる方針を示した[72] ため、翌2月には近藤の冠番組(「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」「日曜コンちゃん おはようさん」)で上記の方針に沿ったリポートが放送された。

関連会社

連結子会社

出典[1]

持分法適用関連会社

  • スポーツニッポン開発(スポーツニッポンカントリー倶楽部)
  • 千代田ビデオ

その他非連結子会社・関連会社

友好会社・系列放送局

関係の深い系列外放送局

脚注

注釈

  1. ^ MBSベースボールパーク』(ラジオ番組)、『ちちんぷいぷい』など
  2. ^ 但し暫くは、ラジオ番組の一部を梅田の阪急グランドビル内にあったサテライトスタジオ「ラジオポートMBS」で制作して、『すてきな出逢い いい朝8時』などのテレビ番組制作は千里丘に残った。
  3. ^ MBSテレビでは、TBSテレビからの同時ネットで『ひるおび!』を放送していた。
  4. ^ 放送技術67巻8月号 新マスター稼働後はワンセグ2サービスやHD+SDマルチ編成が可能になる。
  5. ^ ただし 毎日放送の公式フェイスブック では「「M館」→「MAIN」の「M」、「B館」→「BASE」(=基地)の「B」、「S館」(千里丘)→「STORAGE」(=倉庫)」とコメントしている(2013年9月4日)
  6. ^ 在京キー局の本社周辺に在阪準キー局が東京支社を構えているのは、毎日放送と日本テレビ系列読売テレビの2局のみである。読売テレビの東京支社は以前汐留シティセンターに構えていたが2009年(平成21年)11月に汐留の日本テレビ本社などが入居する「日本テレビタワー」に移転し、在阪準キー局の東京支社で唯一読売テレビが、在京キー局の本社ビルに入居する形となった。
  7. ^ それまでの社章は、同心円を3つ重ねて縦に電波を、横に“MBS(NJB)”をレイアウトしたものが使われていた。
  8. ^ 受信報告書はテレビ・ラジオとも視聴者センターで受け付け
  9. ^ 澤田隆治「上方芸能笑いの放送史」、『NHK人間大学』1994年10月 - 12月期、日本放送出版協会、1994年、90頁。
  10. ^ 「くもくもとりさん」は2006年4月から、「げじー」は2015年7月から登場。
  11. ^ 2019年11月時点の現役アナウンサーでは、関岡香・高井美紀・古川圭子・武川智美・松井愛・西村麻子・松川浩子・上田悦子・松本麻衣子が該当。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 会社紹介 - MBS
  2. ^ a b 役員の改選に関するお知らせ - 株式会社MBSメディアホールディングス・株式会社毎日放送
  3. ^ a b c d e f g 第4期決算 貸借対照表/損益計算書(100万円未満切捨て) - 株式会社毎日放送
  4. ^ a b c d MBS:本社北側に新館 - 毎日jp(大阪夕刊、2013年9月4日付、同年12月6日閲覧) ※インターネットアーカイブ
  5. ^ (株)毎日放送本社新館を助成対象として決定しました(大阪市経済戦略局企業立地部企業立地課2011年4月11日付プレスリリース)[リンク切れ]
  6. ^ MBS:本社北側に新館インターネットアーカイブ) - 毎日新聞・2013年9月4日付掲載記事
  7. ^ ほなね君(毎日放送) - 公式Facebookアカウント(2013年2月12日エントリー)
  8. ^ 2014年4月4日。MBS本社1階に「ちゃやまちプラザ」がオープンします。
  9. ^ MBS 生放送を一層重視…番組に来年2月に「ライブセンター」完成で(『デイリースポーツ2018年1月18日付記事)
  10. ^ 社長記者会見を開催しました” (PDF). 毎日放送 (2019年1月18日). 2019年1月20日閲覧。
  11. ^ 毎日放送の新情報発信基地「MBSライブセンター」が28日に「ちちんぷいぷい」生放送で始動(『スポーツ報知2019年1月18日付記事)
  12. ^ きょうと地域創成府民会議構成団体順不同 - 京都府(2012年8月25日閲覧)
  13. ^ 『MBSマンスリーリポート』2020年11月1日放送分特集「京都支局の記者に密着」
  14. ^ 兵庫県 神戸市中央区 江戸町の郵便番号 - 日本郵便
  15. ^ 井門神戸ビルの入居テナント情報 - 日本全国のビルに入居している会社やオフィスをまとめる
  16. ^ 〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目6-35 - Google マップ
  17. ^ 株式会社毎日放送名古屋支局(名古屋市中区錦/放送業・放送局) - iタウンページ
  18. ^ 徳島県の記者クラブに加盟している報道機関が知りたい。(Q & A) - 徳島県庁コールセンター すだちくんコール(徳島県、2010年3月31日更新、2012年8月25日閲覧)
  19. ^ 徳島県 徳島市 八百屋町の郵便番号 - 日本郵便
  20. ^ MBSテレビのネットチェンジ以前は朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)、以後はTBSテレビが「JNNパリ支局」を開設していた。
  21. ^ 毎日放送報道局からベルリン・パリの両支局に派遣されていた大西史浩カメラマンが「MBS NEWS」Facebook公式アカウントに2017年10月19日付で投稿した記事 を参照。
  22. ^ 社長記者会見を開催(毎日放送2019年7月24日付プレスリリース)
  23. ^ ラジオの周波数1179kHzから
  24. ^ MBS・ABC・OBC3局にワイドFM免許交付 3月19日放送開始へ THE PAGE 2016年2月29日
  25. ^ a b ニュース - 毎日放送が認定放送持株会社に移行を計画、社名は「MBSメディアホールディングス」,ITpro,2016年7月28日
  26. ^ 予報業務許可事業者(気象・波浪)の連絡先 気象庁
  27. ^ オンエアの裏側 MBS「お天気部」広瀬駿キャスター 生活情報交え幅広く 毎日新聞 2016年12月20日
  28. ^ 9月6日は「MBSラジオの日」…FM周波数にちなみスポーツ報知 2016年9月6日
  29. ^ MBSテレビでは、通常編成の『せやねん!』第2部を、当番組の放送枠に充てた。ちなみに、南日本放送(MBCテレビ)では、2016年10月3日(月曜日)から『ちちんぷいぷい』前半(13:55 - 15:50)の同時ネットを実施している。
  30. ^ MBSラジオが落雷で放送停止 放送開始後初トラブル、約2時間半 神戸新聞
  31. ^ 出演者はロボットだけ 毎日放送が大阪大と組んで新番組(『日本経済新聞』2018年12月12日付記事)
  32. ^ a b 社長記者会見をオンラインで開催しました(毎日放送2021年1月20日プレスリリース)
  33. ^ 毎日放送ラジオ分割準備株式会社の情報 国税庁法人番号公表サイト
  34. ^ ラジオの分社に向けた新会社設立について(毎日放送2020年5月28日付プレスリリース)
  35. ^ a b 社長記者会見を書面で開催しました(毎日放送2020年8月26日付プレスリリース)
  36. ^ 在阪局では、2018年4月1日に「朝日放送グループホールディングス株式会社」への商号変更・放送持株会社体制へ移行した朝日放送が、同日付でテレビ放送部門とラジオ放送部門を分社化。持株会社の子会社として、「朝日放送テレビ」と「朝日放送ラジオ」が発足した(参考)。
  37. ^ [1]
  38. ^ a b c d e 2021年4月1日付の新体制に関するお知らせ(MBSホールディングス・毎日放送2021年1月28日付プレスリリース)
  39. ^ 阪急航空株式会社からの報道取材部門の譲受について 朝日航洋 2009年4月1日
  40. ^ 毎日放送はママアナがいっぱい(『AERA』2007年4月5日臨時増刊号「カラダ AERA」)を参照。
  41. ^ MBS・西村麻子アナウンサー 〝時短〟弁当メニューでフル勤務もお任せ(『スポーツニッポン』「在阪民放アナのリレーコラム『アナランド』」2019年4月29日付記事)
  42. ^ 田丸一男アナウンサーがMBSアナウンサーページ内で開設する公式ブログ『田丸一男のことばエッセイ』2017年2月15日付記事「~が見て取れます」
  43. ^ MBSアナウンサー - MBS毎日放送
  44. ^ MBSラジオ『サンデー競馬中継 みんなの競馬』MBS競馬ヒストリー などを参照
  45. ^ 毎日放送編・著『まるのまんな あどりぶランド』(シンコーミュージック、1987年)に掲載の「開局以来のアナウンサー名鑑」などを参照
  46. ^ 「西宮流」Who's Who 「0からの風」上映実行委員長 岩崎宏さん
  47. ^ 2013年3月6・13日放送『カンニング竹山のゼニウスの夜』出演時に紹介。
  48. ^ 古瀬日宇氏死去 宗総本山妙満寺第302世貫首共同通信2003年9月5日付配信記事)
  49. ^ 株式会社セイ 河本俊美
  50. ^ アドバンス朗読教室講師 フリーアナウンサー・古沢久美子
  51. ^ 当番組のディレクターからテレビ営業局タイム営業部へ異動した時期の尾嵜のプロフィール を参照
  52. ^ 日本民間放送連盟賞/2011年(平成23年)テレビ教養番組・優秀賞<毎日放送>クニマスは生きていた!~“奇跡の魚”はいかにして「発見」されたのか?~
  53. ^ MBS「ちちんぷいぷい」五輪コーナーに“スポーツのおっちゃん”(『スポーツニッポン2016年8月4日付記事)
  54. ^ 毎日放送社員紹介 報道局番組センター・米沢飛鳥
  55. ^ 黒木奈々さん死去 32歳の若さで、フリーアナウンサー 胃がん闘病中 - スポニチアネックス(2015年9月19日)※2015年9月22日閲覧
  56. ^ 放送人「情熱大陸」(TBS系、日曜午後11時)ディレクター・宮瀬永二郎さん(『毎日新聞2016年3月28日付記事)
  57. ^ 「情熱大陸」世界選手権を終えた羽生結弦の思いとは(『ザ・テレビジョン2016年4月6日付記事)
  58. ^ 系列局取材のニュースが全国級になった場合、JNNの基金から補助金が支払われる代わりに、系列局単独ではなく「JNNの取材」と表記される。
  59. ^ 鎌田正明「テレビよ、誇りはあるか」『週刊現代』第51巻第35号、講談社、2009年9月、pp. 152-153、2009年9月18日閲覧 
  60. ^ 明石家さんま 同局系列の不仲を暴露「TBSと毎日放送は特にひどい」 ライブドアニュース 2016年8月1日、同16日閲覧。
  61. ^ 『テレビ史ハンドブック 改訂増補版』自由国民社、1998年 p.70
  62. ^ 名誉棄損めぐり毎日放送の賠償確定 MSN産経ニュース
  63. ^ 「宮里藍首位!」はうそー民放スポーツ中継の自殺行為 - YAHOO!ニュース2006年12月12日19:28配信
  64. ^ 番組リハで脳障害に…毎日放送と吉本子会社提訴 読売新聞 2011年6月1日
  65. ^ 熱中症:元NSC生徒の請求棄却 大阪地裁 毎日新聞 2015年4月18日
  66. ^ MBS:バラエティー番組収録中、小3男児が骨折
  67. ^ 「お嬢様の部屋」はウソ?毎日放送にやらせ疑惑 読売新聞 2011年1月27日
  68. ^ MBS謝罪 「せやねん!」が読売テレビの取材内容を無断引用(「産経ニュースwest」2013年12月26日付記事)
  69. ^ 当番組における他社放送内容の無断引用について|おしらせ|せやねん!
  70. ^ お詫び | MBS
  71. ^ 毎日放送 容疑者の写真取り違え 神戸5人殺傷事件で 毎日新聞 2017年7月18日
  72. ^ 毎日放送 基地反対運動巡り、社長が謝罪 司会者の不適切発言 毎日新聞 2018年1月19日

参考文献

  • 辻一郎『私だけの放送史』清流出版2008。

外部リンク