諸口あきらのイブニングレーダー
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諸口あきらのイブニングレーダー(もろぐち-)は、MBSラジオで1984年10月8日から2002年3月21日まで放送された、夕方のニュースワイド番組である。なお、放送当初の番組名である「MBSイブニングレーダー」についてもここで述べる。
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[編集] 概要
全国でも珍しいテレビ・ラジオの兼営局の「ラジオ報道部」が制作する、本格的な報道・情報番組。パーソナリティには、それまで音楽番組やトーク番組などで活躍していた諸口あきらを起用した。ただし諸口は当初、報道番組を担当することがいやであったと後に番組内で語っている。なお当初の番組名は「MBSイブニングレーダー」であった。
1990年4月、「全国こども電話相談室」(TBSラジオ)のMBSラジオでのネットが終了してからは、毎回コメンテーターが出演するスタイルとなる。時事的、専門的なテーマを設定し、諸口とゲストのクロストークが番組の中心となり、同時にリスナーからの電話やFAXを受け付けるようになり、このスタイルが定着した。
諸口が「諸口あきらのイブニングレーダー」とタイトルコールを叫ぶと、本多俊之のテーマソング「EAST SIDE」が流れ出し、アシスタントが主なニュースの項目を読み上げ、番組がスタートする。また諸口本人が出演する龍角散のCMが流れた後のコメントや、エンディングにおいて「今日のところはこんなこったす」のセリフで番組を締めるのが恒例となっていた。
番組はその日のニュースのほかに、テーマに沿った2部構成によるゲストとのトーク(16時台「(三菱石油ダイヤモンドハイウェイ)キャッチ・トゥモロー」、17時台に「2ウェイ・ストリート」)がメイン。ほかに「人権レーダー」や海外からの電話レポート「ワールドクリップ」、毎日新聞編集長(当時)の近藤勝重による解説コーナー「ラジオイミダス」などがある。また、1995年まで、番組途中に「ホンダイブニングダイヤリー」[1]が挿入されていた。放送開始当初は、夕方のドライバーに向けた音楽コーナー「三菱ミュージックハイウェイ」などもあった。
こうした時事性と親しみやすさが定評を呼び、番組は関西の高聴取率ラジオ番組ベスト5に入るまでの人気となる。また1994年には放送開始10周年を記念して番組本「ラジオ屋稼業」(リブロ社)を出版。パーソナリティ・アシスタントのほか、コメンテーターやスタッフなど総勢21人が、番組に関するエピソードや、自身の専門分野など、執筆・対談などでこの本に参加した。
2001年10月の改編において放送時間の変更・拡大とともに諸口の出演は月曜から木曜までとなる。金曜日は「イブニングレーダー・金曜版」題して、水野晶子がメインパーソナリティーを務める番組となる。そして2002年3月21日、諸口の最後の出演。翌22日にはイブニングレーダー自体が終了となる。
同時間帯はニュース・情報ワイド番組は継続され「情報ラヂオ・スパイス!」が放送開始。2003年1月からは「MBSニュースワイドアングル」として放送されてきたが、2005年3月22日に約21年続いた夕方の報道ワイド番組は終了し、早朝へ移動、現在は夜に放送されている。
[編集] 放送時間の変遷
[編集] 出演者
[編集] パーソナリティー
[編集] アシスタント
- 水野晶子(MBSアナウンサー/1984年10月〜2002年3月)
- 小堀豊子(同上・当時/1984年10月〜1991年2月)
- 茂木栗子(同上・当時/1991年3月〜1991年6月)
- 三上智恵(同上・当時/1991年7月〜1993年3月)
- 魚住由紀(フリーアナウンサー/1993年4月〜2002年3月)
[編集] 主なコメンテーター
ここに挙げた以外にも数多くの有識者が出演した。
- 須藤眞志(京都産業大学教授)
- 今井一(ジャーナリスト)
- 高田智之(共同通信記者)
- 高賛侑(「未来(ミレ)」編集長)
- 荒巻裕(近畿大学助教授)
- 水野武夫(弁護士)
- 古野喜政
- 小川和久(軍事アナリスト)
- 川崎泰資(元・NHK記者)
- 網本浩幸(弁護士)
- 安達日出男(教育アドバイザー)
- 服部洋(医師)
- 杉江雅彦(同志社大学教授)
- 大村英昭(大阪大学教授)
- 近藤勝重(毎日新聞)
- 須知裕曠
- 安藤統男(野球解説者)
- 唐渡吉則
- 安倍誠治(関西大学教授)
[編集] ニュース担当アナウンサー
いずれも現在はアナウンサーではない。
[編集] 脚注
- ^ TBSラジオで「若山弦蔵の東京ダイヤル954」の1コーナーとして放送されていたラジオコラム

