永六輔の誰かとどこかで
| 永六輔の誰かとどこかで | |
|---|---|
| ジャンル | トーク番組 |
| 放送方式 | 録音 |
| 放送期間 | 1967年1月2日 〜 |
| 放送時間 | 平日11:38〜11:47 |
| 放送回数 | 12000 |
| 放送局 | TBSラジオ |
| ネットワーク | JRN |
| パーソナリティ | 永六輔 遠藤泰子 |
| 提供 | 桃屋 |
| 特記事項: 番組開始から1964年(昭和39年)10月4日までは『どこか遠くへ』のタイトルで放送。放送回数は2011年(平成23年)5月2日現在。 |
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『永六輔の誰かとどこかで』(えいろくすけのだれかとどこかで)とは、TBSラジオをキーステーションに、全国JRN系列で放送中のラジオ番組である。桃屋の一社提供。
目次 |
[編集] 出演者
※ 遠藤は、2代目のアシスタントであり、開始当初からの出演ではない。
[編集] 概要
1967年(昭和42年)1月2日に放送開始。当初の番組タイトルは『どこか遠くへ』で、1969年(昭和44年)10月6日に現在の番組タイトルに変更。初代アシスタントは佐藤ユキが担当したが、番組途中で降板。遠藤が後を継いで、現在に至る(交代当時の遠藤は、TBSのアナウンサーだった)。また、開始当初の提供スポンサーは呉羽化学工業(現:クレハ)だったが、こちらも番組途中で桃屋に変わって、現在に至る。
2003年(平成15年)9月1日には、放送回数が10,000回に到達。2007年(平成19年)1月2日放送分で、放送開始から40周年を迎え、同年7月2日放送分で11,000回に到達した。2011年(平成23年)5月2日放送分で12,000回に到達した。
TBSラジオでは、1974年(昭和49年)4月12日までは独立番組であったが、同年4月13日から、当時、永がパーソナリティを務めていた『永六輔の土曜ワイド』が中断時間を挟み、午前午後から一続きの二部構成に移行したのを機に、土曜のみ、ワイド内包番組となる。(永は1975年(昭和50年)3月29日午前中の放送で一旦土曜ワイドから降板するが、ワイド内包コーナーは継続されていた)
1981年(昭和56年)1月31日をもって、土曜放送が終了すると同年2月2日から独立番組に戻って、1985年(昭和60年)4月5日まで続く。
同年4月8日放送開始の『スーパーワイドぴいぷる』(1986年(昭和61年)4月4日まで、1985年(昭和60年)10月3日までは、木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』)から平日のワイド内包番組となり、今に至っている。
[編集] コーナー
金曜日の「七円の唄」のコーナーでは、リスナーから届いた日常の風景を紹介する。コーナータイトルは、番組開始当時の郵便はがきが一枚 7円だったことに由来する。1981年(昭和56年)1月までは日曜を除く全曜日放送であったため土曜日の放送であったが、同年2月から金曜日に移行している。コーナーのBGMにはタレガの「アルハンブラの思い出」が使われている。番組開始から長らく永と遠藤の2人でハガキを読む形式だったが、2008年(平成20年)10月3日以降は、遠藤がハガキを読み、その内容に永がひと言付け加える形式に変更された。なお、2011年(平成23年)10月現在、この番組は葉書・封書のみでお便りを受け付けている。
「七円の唄」が放送されない月曜日から水曜日の内容は、永六輔が自分の思っていることと感じていること、また永自身が各地を旅したことを述べるコラムである。2008年(平成20年)に入ってから木曜日には「五十円の小言」というリスナーからの投稿はがきを紹介するコーナーをレギュラー放送している(ただし月〜水曜にも放送されたり、木曜に放送されない場合もある。2010年(平成22年)4月以降は不定期で紹介されている)。そのほかにも「七円の旅」(BGMは「遠くへ行きたい」(ギター版))、「五十円の感謝状」(2010年(平成22年)1月ごろから)といった投稿企画がある。特に「七円の旅」は首都圏におけるラジオ聴取率調査期間中の月~木に特集されることが多い。
[編集] 桃屋の提供あり・なしの違い
- 桃屋提供ありの場合
- オープニングは「遠くへ行きたい」がフルで流れる。この曲をBGMに、﨑南海子作の「○月の唄(桃屋を織り込んだ詩)」が遠藤によって朗読される。この中で「窓辺、(または空の下、)桃屋の空き瓶に・・・・」というくだりが日替わりで変更される。
- 遠藤によるスポンサー紹介ナレーションは、番組開始時・終了時ともに「この番組は味を大切にする桃屋がお送りします(しました)」となっている。
- 本編のトーク後に、遠藤が桃屋製品の紹介をする(プレゼントの紹介をする時もある)。
- 終了時に遠藤が「誰かとどこかで、ではまた明日(来週)です」と締めているが、このときのBGMはワイド番組内包局と独立番組局で若干長さが異なる(前者は後者より早く、フェイド・アウトしている)。
- 桃屋提供なしの場合
- オープニングは「遠くへ行きたい」のBGMと共に、遠藤アナウンスのタイトルが放送される。その後、各局の提供 → CMになる。CMが無い局は、本編に入るまでテーマ曲が流れ続ける。
- 桃屋提供より、本編のトークが若干長くなっている。
- 「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔、遠藤泰子でした」と締めたあと、BGMが時間まで流れ続ける。局によってCMや提供アナウンスを挿入するところもある。
- <例>山梨放送の場合(2007年(平成19年)12月現在の内容)
- 提供なし版タイトル後、一旦、音楽が下がってから「ローカル提供」 → ローカルCM → 再び音楽が上がって、本編へ → 挨拶後、音楽が下がって、ローカルCM → ローカル提供 → 再び音楽が上がって、11:49に音楽が下がって、番組が終わる。
[編集] 番組に関する豆知識
- 歌謡曲の「遠くへ行きたい」をテーマ曲として使っているのは、この番組が最初で「六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい」のテーマ曲として使われるのは、3年後の1970年(昭和45年)の事。しかし、認知度という点では、テレビ番組に譲っている。
- 遠藤は1978年(昭和53年)に自損事故を起こして『3時にあいましょう』を降板、永は1983年(昭和58年)に参議院議員選挙へ立候補しているが、どちらも降板せず仕事を続けた。
- TBSラジオでは『大沢悠里のゆうゆうワイド』に内包されているため、放送開始前に流される番組のジングルが月曜-木曜は遠藤泰子とともに歌い(「大沢悠里の〜ゆうゆう〜ワイドぉ〜〜〜」)、金曜日のみ遠藤と歌ったあと最後に永が「土曜ワイドもよろしく〜」とコールしている(ジングルの前に大沢悠里が「(現在時刻)、続いては永さんと遠藤さんです」と言う(金曜日は大沢がジングル前に「永さん明日は土曜ワイドです」と追加で入れる。)言わない場合は、ジングルもない)[1]。
- CBCラジオでは『つボイノリオの聞けば聞くほど』に内包され、パーソナリティのつボイノリオが「続きましては!」と言ったあと「パンパカパッパ〜(?)」とファンファーレを流し、つボイが「です」と言ってから放送開始となる[2]。終了後は「さぁ、永さんの話を聞いていると、だんだん11時が近付いてまいりました」と言って、トークを挟んだ後11時の時報に入る。永は名古屋に訪れた際毎回のように『聞けば聞くほど』へゲスト出演している(つボイは永が『聞けば聞くほど』の真のパーソナリティーとしており、この縁から永が担当する「土曜ワイドラジオTOKYO」にもゲスト出演している)。ただし、つボイが休みの時はこのファンファーレを使用しない場合もある。
- 永が1995年(平成7年)3月に『聞けば聞くほど』へゲスト出演した際、つボイとの話の最中に『誰かとどこかで』の時間になり、つボイが話を一旦終わらせようとすると、永が「(『誰かとどこかで』は)流さなくていいです。桃屋には僕から言っておきますから」とそのまま話を続け、『誰かとどこかで』を放送しなかったことがあった。桃屋からクレームが入ることはなかったが、CBCの編成や営業部門では大きな問題となり、これ以降は必ず放送している[3]。
- 番組は冒頭で遠藤が放送月日・曜日を読んで始まるが、月曜日のみ放送月日・曜日に加え放送回数も読むのが通例となっている。
- 番組は、事前にTBSラジオが制作し、録音してから全国にネットするテープネット番組であるが、制作局のTBSラジオの放送時間に報道特別番組が編成されて放送できなくなると、裏送りネット番組に変更する。
- 桃屋提供局の中には、夏の高校野球選手権地方大会の中継時には、本編を放送せずCMのみネットする局がある。
- 1976年(昭和51年)に尺貫法を用いた物差しを利用した職人が警察に事情聴取されたことに抗議して、あえて番組内で尺貫法を使用したことがある[4]。
- 2011年(平成23年)3月14日から3月25日の放送では11日に発生した東北地方太平洋沖地震に配慮し番組を休止、遠藤泰子が担当し番組休止のお知らせと「この時間は音楽でお楽しみ下さい」とナレーションした後インストゥルメンタル2〜3曲を放送した。この際は桃屋のスポンサーコールはなく、オープニングは「遠くへ行きたい」の別アレンジ曲が使用された。
[編集] 関連番組
- 1970年代から80年代にかけて、当番組の増刊号的な姉妹番組「六輔七転八倒」(ろくすけしちてんばっとう)が、プロ野球オフシーズンの毎週水曜20:00〜20:55(JST)に放送されていたことがある(提供は桃屋、アメリカ屋靴店など)。こちらは全編生放送で、永・遠藤に加え両者と親交のある中村八大もレギュラー出演。トークの合間に中村がピアノ演奏していた。なお、同番組は近畿広域圏で朝日放送(ABC)がネットしていたが、11月下旬の水曜に「速報!日本レコード大賞」(レコ大ノミネート歌手発表番組。TBSテレビとの同時放送)が放送された場合、「速報! - 」はテレビネットワークの関係上毎日放送(MBS)にネットされるため、本来休止となる「七転八倒」は、ABCのみ裏送りネットで生放送された。ABCには親交のあるアナウンサー道上洋三がいるが、「誰かとどこかで」は編成の都合で放送していない。
[編集] ネット局一覧
放送時間の早い順に記載。同じ時間帯に放送する局が複数ある場合は、北から順に記載する。
太字の放送局は桃屋提供。細字の放送局は桃屋以外の複数社提供、またはスポンサーなし。
ワイド番組に内包している場合は、内包しているワイド番組名を記載(都合により放送時間が前後する場合がある)。
ラ・テ兼営局でラジオ部門が別記事になっている場合は、その記事名で記載する。また、社名に略称が含まれるIBC岩手放送を除き、原則として略称は付記しない。
9:10 - 9:20
- ラジオ福島(朝から全開!)
10:25 - 10:35
10:30 - 10:40
10:40 - 10:50
10:48 - 10:58
11:00 - 11:10
- 静岡放送(月曜 - 木曜:ほのぼのワイド 中村こずえのsmile for You、金曜:ラジオWEST〜寺田繭子のわくわく金曜日〜)
11:05 - 11:15
- 四国放送(えんやこらワイド)
11:15 - 11:25
11:25 - 11:35
11:30 - 11:40
11:35 - 11:45
11:38 - 11:47
11:40 - 11:50
11:50 - 12:00
13:15 - 13:25
16:00 - 16:10
[編集] 過去に放送していた局
- 秋田放送(2009年(平成21年)10月2日までネットしていた)
- 新潟放送(1990年代までネットしていた)
- ラジオ大阪(1987年(昭和62年)までネット。終了後、1972年(昭和47年)までネットしていた毎日放送が引継ぎ・再開を希望したが、[6]実現せず、桃屋のCMのみ引継いで現在に至る。なお、番組は大阪府北中部と京都府南部・滋賀県・奈良県及び和歌山県新宮市でCBCラジオが受信可能なほか、大阪府泉南・兵庫県播磨地区及び淡路島・和歌山県の紀伊水道沿いなどでは四国放送が受信可能)
- 和歌山放送(1990年代までネット。午前6時台の放送で、放送時間も短かった)
- 山陰放送(1997年(平成9年)3月28日までネットしていた)
- 山陽放送(2006年(平成18年)3月31日までネットしていた[7])
- 山口放送(2010年(平成22年)4月2日までネットしていた)
- 西日本放送(2010年(平成22年)10月1日までネットしていた。半年間でネット終了、末期は午前5時台の放送であった)
- 高知放送(2010年(平成22年)4月2日までネットしていた。同時に西日本放送でネット開始)
- 熊本放送(2004年(平成16年)3月26日までネットしていた)
- 宮崎放送(2009年(平成21年)10月2日までネットしていた)
[編集] 番組関連書籍
永六輔・崎南海子・遠藤泰子編『七円の唄 誰かとどこかで』シリーズ(『・・・』1~3、『・・・生きているということは』、『・・・ことづて』、『・・・めぐりあい』、『永六輔の「誰かとどこかで」北から、南から』)朝日出版社
[編集] 脚注
- ^ 以前は金曜日のみ永六輔が一人で歌い「大沢悠里のぉ〜ゆうゆう〜ワイドぉ〜ようワイド(土曜ワイド)もよろしく」とコールしていた。
- ^ 以前つボイノリオが担当していたKBS京都の朝ワイド番組「おはようアドベンチャー」でも、同様のスタイルが採られていた。
- ^ 「つボイノリオの聞けば聞くほど本」学研より。
- ^ 『久米宏 ラジオなんですけど』2010年(平成22年)10月16日放送分。
- ^ 1980年代までは9:20 - 9:30の独立番組であったがその後ワイド番組に内包され9:30頃からの放送になり、2004年(平成16年)3月29日よりこの時間に移動した。
- ^ 自社制作番組を優先して打ち切った経緯から、永六輔が難色を示したためとされる。過去の経緯は当該記事を参照。
- ^ 1993年(平成5年)よりネット開始。1995年(平成7年)に終了後、2003年(平成15年)から再開するも3年で終了。