東京優駿

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東京優駿
(日本ダービー)
One-And-Only Tokyo-Yushun 2014(IMG1).jpg
第81回東京優駿
(優勝馬・ワンアンドオンリー
主催者 日本中央競馬会
競馬場 日本の旗東京競馬場
創設 1932年昭和7年)4月24日
距離 芝芝2400m
格付け GI
賞金 1着賞金 2億円[1]
出走条件 サラブレッド系3歳牡馬牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
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東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場2400メートルで施行する中央競馬重賞競走GI)である。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞(騎手賞)[1]副賞は「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が与えられる。[要出典]

概要[編集]

1932年昭和7年)にイギリスの「ダービーステークス」を範として、目黒競馬場にて創設[2]。後に創設された皐月賞菊花賞とともに「牡馬三冠競走」を構成する。第3回より施行場を現・東京競馬場(府中)に変更したほかは、開催地・距離ともに変更されていない[2]。本競走を優勝することは、日本の競馬に関わる全ての関係者(ホースマン)が憧れる最高の栄誉とされている[2]

一般的には副称の「日本ダービー」が知られている。この「ダービー(Derby)」は1780年にイギリスでダービーステークスを創設した第12代ダービー卿のエドワード・スミス・スタンレーに由来[2]し、現在は「競馬の祭典」として競馬ファン以外にも広く知れ渡っている[2]

1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金競走だった[注 1]。その後、国内最高賞金レースはジャパンカップ有馬記念が上回っていたが、2013年から1着賞金が2億円に引き上げられ、有馬記念と並んで2番目の高額賞金競走となった[3]

解説[編集]

名称[編集]

1950年より「(日本ダービー)」の副称が付けられている[2][注 2]

JRAが配布するレーシングプログラム競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、「東京優駿(第〜回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている[4](日本のつかない「ダービー」と呼んでいた時期もあった)。一般紙では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。

位置づけ[編集]

皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」といわれるのに対し、本競走は「最も幸運に恵まれた馬が勝つ」といわれる[2]

日本の競馬における本競走の位置づけは特別で、創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが、常にその中核をなし国内での最高賞金競走となっていた。後に創設されたジャパンカップに国内最高賞金は譲ったが、2013年(平成25年)現在も国内で2番目の高額賞金競走である。競走の格付も1984年(昭和59年)のグレード制導入当初から最高の「GI」に格付けされたが、専ら外国の馬[注 3]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、格付表記も国内ローカル扱いの「JpnI」と改められた[注 4]。その後、2010年(平成22年)から外国調教馬も出走可能な国際競走となったことで正式に国際格付が認められ、格付表記も「GI」に戻された。

近年は本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から様々な距離体系などカテゴリーごとにチャンピオンを選別する体系に遷移しており、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況は薄まりつつある。しかし、1年間の競馬を象徴するときにもしばしば本競走の優勝馬が挙げられるように、日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。

出走資格[編集]

  • サラ系3歳(旧4歳)の牡馬・牝馬
    • JRA所属馬
    • 地方所属馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)
    • 外国調教馬(JRA所属の外国産馬と合わせて最大9頭まで)
    • 出走制限頭数は最大18頭。未出走馬・未勝利馬は優先出走権獲得馬を除き出走できない。
  • 以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる(最大7頭)。
優先出走権トライアル競走
競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権を
得られる条件
皐月賞 GI 日本の旗中山競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 4着以内
青葉賞 GII 日本の旗東京競馬場 芝2400m 2着以内
プリンシパルステークス オープン 東京競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・指定交流競走 1着馬

東京優駿自体は未勝利馬(収得賞金が0の馬)に出走権はないものの、青葉賞およびプリンシパルステークスは未出走馬および未勝利馬も出走できるため、これらにおいて上記の着順に入った場合は同時に東京優駿への出走権も得られる(重賞競走においては収得賞金は2着馬まで加算される。日本の競馬の競走体系を参照)。2009年(平成21年)までは青葉賞は3着、プリンシパルステークスは2着までが優先出走権を得られた。

  • 残りの枠(最低11頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる)。
  • 地方馬は、上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た馬、および京都新聞杯NHKマイルカップの2着以内馬、またはJRAの芝の3歳重賞優勝馬が出走できる[2]

負担重量[編集]

  • 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)[1]
    • 第1回は別定重量。第2 - 8回は牡55kg、牝53kg。第9 - 13回は牡57kg、牝55.5kg。

賞金[編集]

2014年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円[1]

1着賞金の2億円はジャパンカップの2億5000万円に次いで、日本の競馬では2番目の高額賞金競走である[5][注 5]

歴史[編集]

1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)

日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 6]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

  1. 4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
  2. 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
  3. (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
  4. 2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
  5. 負担重量は馬齢重量とすること。
  6. 施行時期は原則的に春季とすること。
  7. 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7つの原則のもと、4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の「東京優駿大競走」を創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表[8]、初回登録は同年10月に行われ、牡92頭・牝76頭の計168頭が登録。第1回は1932年(昭和7年)4月24日目黒競馬場(旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された[9]

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった[10]。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 7]であり2歳(現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬(牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

年表[編集]

  • 1932年 - 4歳(現3歳)牡馬・牝馬による「東京優駿大競走」を創設、目黒競馬場の芝2400mで施行[11]
  • 1933年 - 負担重量を「別定重量」から「定量」に変更(牡馬55kg・牝馬53kg)。
  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更。
  • 1940年 - 負担重量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更[12]
  • 1944年 - 能力検定競走として施行(馬券発売なし)[13]
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響により中止。
  • 1947年 - 戦後初の東京優駿競走を再開。牝馬の負担重量を55.5kgから55kgに変更[14]
  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更[15]
  • 1950年 - 名称を「東京優駿」に変更、これ以降「日本ダービー」の副称が付く[16]
  • 1984年 - グレード制導入、GIに格付け。
  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称をつけて施行。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能になる。
  • 2001年 - 外国産馬が最大2頭まで出走可能となる。
  • 2007年 - 重賞格付け表記をJpnIに変更。
  • 2010年
    • 国際競走に指定され、外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる。
    • 重賞格付表記をGIに戻す。
  • 2014年 - 皇太子徳仁親王が東京競馬場に来場し、本競走を台覧[17]

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。

優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記で揃えている。

コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。

競走名は第6回まで「東京優駿大競走」、第7回 - 第14回は「東京優駿(第13回のみ能力検定競走として施行)」、第15回・第16回は「優駿競走」、第17回 - 第30回は「東京優駿競走」(「日本ダービー」の副称を付ける)、第31回より「東京優駿(日本ダービー)」[2]

回数 開催日 競馬場 距離 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 目黒 2400m ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 目黒 2400m カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 東京 2400m フレーモア 牡3 2:45 2/5 大久保亀治 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 東京 2400m ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 井川為男 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 東京 2400m トクマサ 牡3 2:42 1/5 伊藤正四郎 尾形景造 山中清兵衛
第6回 1937年4月29日 東京 2400m ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 中島時一 宮崎信太郎
第7回 1938年5月29日 東京 2400m スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 東京 2400m クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月2日 東京 2400m イエリユウ 牡3 2:34 2/5 末吉清 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 東京 2400m セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 東京 2400m ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月6日 東京 2400m クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 東京 2400m カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝雄 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月8日 東京 2400m マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第15回 1948年6月6日 東京 2400m ミハルオー 牡3 2:33 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 石川了吉
第16回 1949年6月5日 東京 2400m タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 東京 2400m クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月3日 東京 2400m トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 東京 2400m クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 東京 2400m ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 東京 2400m ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 岩下密政 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 東京 2400m オートキツ 牡3 2:36 3/5 二本柳俊夫 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月3日 東京 2400m ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第24回 1957年5月26日 東京 2400m ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 東京 2400m ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 東京 2400m コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 小松重雄
第27回 1960年5月29日 東京 2400m コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第28回 1961年5月28日 東京 2400m ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 東京 2400m フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 東京 2400m メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 東京 2400m シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 東京 2400m キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 東京 2400m テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 東京 2400m アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月7日 東京 2400m タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 東京 2400m ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 東京 2400m タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 東京 2400m ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月9日 東京 2400m ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 東京 2400m タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 東京 2400m コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 勝又忠 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 東京 2400m カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 東京 2400m クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 東京 2400m ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 東京 2400m サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 東京 2400m カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第47回 1980年5月25日 東京 2400m オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 ホース産業(株)
第48回 1981年5月31日 東京 2400m カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 東京 2400m バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 東京 2400m ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 東京 2400m シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 東京 2400m シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 東京 2400m ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 東京 2400m メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康広 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 東京 2400m サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 東京 2400m ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 東京 2400m アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 東京 2400m トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 東京 2400m ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 東京 2400m ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 東京 2400m ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 東京 2400m タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月2日 東京 2400m フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月1日 東京 2400m サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月7日 東京 2400m スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月6日 東京 2400m アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 東京 2400m アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 東京 2400m ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司
第69回 2002年5月26日 東京 2400m タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月1日 東京 2400m ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 東京 2400m キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 東京 2400m ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人
第73回 2006年5月28日 東京 2400m メイショウサムソン 牡3 2:27.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第74回 2007年5月27日 東京 2400m ウオッカ 牝3 2:24.5 四位洋文 角居勝彦 谷水雄三
第75回 2008年6月1日 東京 2400m ディープスカイ 牡3 2:26.7 四位洋文 昆貢 深見敏男
第76回 2009年5月31日 東京 2400m ロジユニヴァース 牡3 2:33.7 横山典弘 萩原清 久米田正明
第77回 2010年5月30日 東京 2400m 日本の旗エイシンフラッシュ 牡3 2:26.9 内田博幸 藤原英昭 平井豊光
第78回 2011年5月29日 東京 2400m 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:30.5 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第79回 2012年5月27日 東京 2400m 日本の旗ディープブリランテ 牡3 2:23.8 岩田康誠 矢作芳人 (有)サンデーレーシング
第80回 2013年5月26日 東京 2400m 日本の旗キズナ 牡3 2:24.3 武豊 佐々木晶三 前田晋二
第81回 2014年6月1日 東京 2400m 日本の旗ワンアンドオンリー 牡3 2:24.6 横山典弘 橋口弘次郎 前田幸治

東京優駿の記録[編集]

  • レースレコード - 2:23.3(第71回・第72回)
  • 最多勝利騎手 - 5勝
    • 武豊(第65回・第66回・第69回・第72回・第80回)
  • 最多勝利調教師 - 8勝
    • 尾形藤吉(第3回・第5回・第12回・第19回・第23回・第28回・第30回・第44回)[18]

参考文献[編集]

本文参考文献[編集]

  • 『日本競馬史』 日本中央競馬会、1969年
  • 長森貞夫 『競馬と共に歩んだ安田伊左衛門翁傳』 日本競馬会、1948年
  • 『競馬百科』日本中央競馬会・編、株式会社みんと・刊、1976年
  • 『日本競馬史』日本中央競馬会、1969-1970年
  • 『続日本馬政史』(財)神翁顕彰会、1963年
  • 『東京競馬場及東京競馬倶楽部史』長森貞夫編、1941年
  • 『Gallop臨時増刊・日本ダービー70年史』2004年6月発行 産経新聞社
  • 『Gallop臨時増刊・菊花賞全史』2005年11月発行 産経新聞社
  • 『別冊宝島2078』競馬激闘史「不滅の大記録」2013年11月発行 宝島社
  • 『優駿』2000年11月号「20世紀のベストホース100」
  • 『優駿』2002年4月号「日本の競馬60年」
  • 『優駿』2003年3月号「伝説の名レース・名勝負」

脚注・出典[編集]

注釈[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1961年昭和36年)の主要大レースの1着賞金は東京優駿が700万円、天皇賞・有馬記念・菊花賞が500万円、皐月賞優駿牝馬が400万円、桜花賞中山大障害が300万円、宝塚記念が200万円、安田記念が150万円。その他の重賞は100万円前後であった。
  2. ^ 公式な名称には付されていないものの1932年(昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
  3. ^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。
  4. ^ 国内グレードとしては引き続き最高格を維持した。
  5. ^ 地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック(JpnI)の1着賞金8000万円が最高額で、東京大賞典(GI)の7000万円がこれに続く[6][7]
  6. ^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
  7. ^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 平成26年第2回東京競馬番組(第7日 - 第12日) (PDF) - 日本中央競馬会、2014年7月12日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i 今週の注目レース(第81回東京優駿) - 日本中央競馬会、2014年7月12日閲覧
  3. ^ 平成25年度重賞競走一覧 (PDF) - 日本中央競馬会、2014年7月12日閲覧
  4. ^ Gallop 日本ダービー70年史 38P
  5. ^ 平成26年度重賞競走一覧 (PDF) - 日本中央競馬会、2014年8月16日閲覧
  6. ^ 2014年ダート交流重賞競走一覧 - 地方競馬全国協会、2014年6月21日閲覧
  7. ^ JBC特設サイト2013【JBCについて】JBC実施要綱 - 地方競馬全国協会、2014年6月21日閲覧
  8. ^ 『競馬百科』p82
  9. ^ 『競馬百科』p83
  10. ^ 『競馬百科』p83
  11. ^ Gallop 日本ダービー70年史 21P
  12. ^ Gallop 日本ダービー70年史 29P
  13. ^ Gallop 日本ダービー70年史 34P
  14. ^ Gallop 日本ダービー70年史 35P
  15. ^ Gallop 日本ダービー70年史 36P
  16. ^ Gallop 日本ダービー70年史 38P
  17. ^ JRAニュース:皇太子殿下の東京競馬場への行啓について - 日本中央競馬会、2014年7月12日閲覧
  18. ^ Gallop 日本ダービー70年史 70p

各回競走結果の出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]