東京優駿

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東京優駿
(日本ダービー)
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第79回東京優駿
(優勝馬・ディープブリランテ
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗東京競馬場
施行時期 5月下旬 - 6月上旬
(原則2回東京12日目)
格付け GI
1着賞金 2億円
賞金総額 3億8000万円
距離 芝2400m
出走条件 サラブレッド系3歳牡馬牝馬(国際)(指定)
出走資格も参照
負担重量 定量(牡馬57kg、牝馬55kg)
第1回施行日 1932年昭和7年)4月24日
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東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場2400mで施行する競馬重賞競走である。一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」[注 1]という呼称もマスコミが広く用いている。

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞。副賞は「トヨタ賞」としてトヨタの高級車が与えられる。

概要[編集]

1932年昭和7年)にイギリスクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つである。毎年5月末頃に開催され皐月賞菊花賞とともに牡馬の三冠競走を構成する。

出走資格は3歳牡馬牝馬の競走馬だけに与えられ、騸馬(去勢された牡馬)は出走権がない。また、未出走馬・未勝利馬も出走できない。牝馬も出走可能だが前週に優駿牝馬(オークス)があるため、出走することは稀である。

日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。

1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった[注 2]。2012年までは賞金額においては国際招待競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっていた。2010年平成22年)から国際格付けで最高格となるGIとなる。2013年から1着賞金が2億円に引き上げられ、ジャパンカップに次ぎ、有馬記念と並んで2番目の高額賞金競走となった。なお付加賞金を含めた賞金総額としては有馬記念を上回る。

解説[編集]

名称[編集]

東京優駿大競走」の名称で創設され「東京優駿競走」、「優駿競走」という名称を経て「東京優駿」が現在の正式な名称となっており副称として「(日本ダービー)」が付されている[注 3]

JRAが配布するレーシングプログラム競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、「東京優駿(第〜回日本ダービー)」または「東京優駿(日本ダービー)」と表記されている[1](日本のつかない「ダービー」と呼んでいた時期もあった)。一般の新聞では知名度の高い副称を前面に出し、「日本ダービー(東京優駿)」とも表記される。

勝馬投票券には、副称である「日本ダービー」のみが表記されている。

創設の経緯[編集]

日露戦争で内外の軍馬の性能差を痛感した政府によって国内では産馬育成が奨励されたが、1908年明治41年)に馬券の発売が禁止されると馬産地は空前の大不況に見舞われた。大正中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 4]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

  1. 4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
  2. 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
  3. (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
  4. 2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
  5. 負担重量は馬齢重量とすること。
  6. 施行時期は原則的に春季とすること。
  7. 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7大原則のもと4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の定量の重賞競走東京優駿大競走として創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表[2]、初回登録が同年10月に行われた(牡92頭、牝76頭、計168頭)。第1回は1932年(昭和7年)4月24日目黒競馬場(旧・東京競馬場)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された[3]

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった[4]。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 5]であり2歳(現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬(牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

意義[編集]

中央競馬が誇る八大競走の1競走で、皐月賞・菊花賞とで中央競馬の牡馬クラシック三冠競走を構成する。牡馬のクラシック三冠競走として皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われるのに対し東京優駿は「最も幸運な馬が勝つ」という謳い文句がある。これは圧倒的な有力馬と目されていたものが最大の目標であり世間の注目の集まる本競走において何らかのアクシデント[注 6]によって勝利を逃したり、出走を断念せざるを得ない事態[注 7]に見舞われる例が屡見られるのを象徴している[注 8]桜花賞・皐月賞のどちらかと近年新設されたNHKマイルカップを合わせて変則三冠競走と呼ばれることもある。

日本の競馬における本競走の位置づけは特別である。皐月賞や菊花賞など他の競走はスタンド改築工事などにより他の競馬場で代替開催されることはあるが、東京優駿は第3回に目黒の競馬場から現在の府中の東京競馬場への移転によるコース変更があっただけで他の競馬場での代替開催は一切行われたことがない[注 9]。過去に東京競馬場のスタンド改修などがあった時にも時期をずらして施行されている[注 10]。また、近年は東京競馬場の改修工事を東京優駿の開催は変更しない前提で日程を組んでいる。これは前述の7大原則の7の「以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること」に基づいているからである[注 11]

創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが常にその中核をなし国内での最高賞金を誇っていた。後に一年の活躍馬を集めて年末に行われるグランプリの有馬記念や国外の活躍馬を招待して開催され八大競走と同格扱いとされることのあるジャパンカップに賞金面では譲り、公式な格付においても専ら外国の馬[注 12]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、この格付上は国内の他の多くの競走よりも下位に置かれるようになった(興行上は独自の格付であるJpnIとして名目上の最高格を維持した。2010年(平成22年)からは正式に国際規格に基づく最高格のGIと認定される)。さらに近年、本競走を頂点とする従来の国内の競走体系から様々な距離体系等の分野別のチャンピオンを選別する体系に遷移し、必ずしも全ての競走馬が本競走を目指すという状況ではない。しかしながら、しばしばある年の一年の競馬を端的に表す場合には有馬記念やジャパンカップの優勝馬や年度代表馬ではなく、その年の本競走の優勝馬が挙げられ[注 13]日本競馬界の象徴であり最大級の目標であるという点については創設以来の価値を保っている。

主要な変遷[編集]

1932年(昭和7年)4月に東京競馬倶楽部が目黒競馬場に於いて第1回開催。1周1600mのコースを1周半した。

1934年(昭和9年)から目黒競馬場の廃止により府中の東京競馬場に開催場所を変更。[5]これ以後「東京競馬場2400m」の条件は現在まで1度も変更されていない。

1936年(昭和11年)5月に旧競馬法の改正によってそれまで各競馬倶楽部が主催していた競馬を日本競馬会のみを唯一の主催団体とすることとなり、12月に各競馬倶楽部(11団体)と帝国競馬協会は解散して特別法人日本競馬会が設立された。これによって日本競馬会が全国の競馬場で行われる競走体系を統一できることになり、英国に倣った競走体系を確立する作業が始まった。[6]

1937年(昭和12年)4月に東京競馬倶楽部が主催する最後の競走を開催。また帝室御賞典をそれまで各競馬場で独自に開催されていたのを春秋の2回として同年秋に第1回を開催した。[7]

1938年(昭和13年)に日本競馬会主催となり、名称を東京優駿競走に変更して5月に繰り下げて開催。以後5月下旬と6月上旬を中心とした開催日程となる。[8]6月に日本競馬会理事会が4歳(現3歳)馬による「五大特殊競走」の創設を決定し、これに伴い同年秋に京都農林省賞典四歳呼馬阪神優駿牝馬を新設した。[9]

1939年(昭和14年)春に横濱農林省賞典四歳呼馬中山四歳牝馬特別を新設して日本のクラシック競走体系が確立され、イギリスのクラシック三冠競走を模範とする4歳(現3歳)馬のクラシック三冠競走も体系化[10]されて、ここに東京優駿競走はクラシック三冠競走の第2戦として4歳(現3歳)の競走馬及び日本中のホースマンの最大の目標となり、後に「競馬の祭典」とも言われる大競走として位置付けられた。ただしもともと牝馬の出走が多く、優駿牝馬が戦前は阪神で戦後はしばらく東京で秋の開催であったため、牝馬が多く出走する現象は戦後まで続いた。

1944年(昭和19年)は太平洋戦争(戦時中)の影響で勝馬投票券の販売なしの競馬能力検定競走として施行。[11]

1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争および終戦におけるアメリカ進駐軍の競馬場の占領により開催中止。

1946年(昭和21年)10月17日からの競馬再開に伴い、優駿牝馬(オークス)と農林省賞典四歳馬(菊花賞)が再開された。

1947年(昭和22年)に東京優駿競走が桜花賞・農林省賞典(皐月賞)と天皇賞(春・秋)とともに再開された。

1948年(昭和23年)からは名称を優駿競走に変更。しかし同年7月進駐軍から日本競馬会の運営が独占禁止法に違反するとの見解から日本競馬会は解散され、新競馬法が公布されて秋から農林省畜産局競馬部へ移管して国営競馬となった。[12]

1949年(昭和24年)から最初の国営競馬優駿競走が開催された。[13]

1950年(昭和25年)から名称を現在の「東京優駿」に変更、「日本ダービー」という副称も付けられ[14]、正式名称を超える競馬の代名詞に至った。

1953年(昭和28年)から優駿牝馬が秋から春に移行された。[15]

1954年(昭和29年)にNHKによりテレビ中継が開始された。そして同年7月に日本中央競馬会法が公布、9月に日本中央競馬会が設立されて、国営競馬から中央競馬会に移管された。[16]

1955年(昭和30年)から日本中央競馬会主催として開催された。。[17]

1959年(昭和34年)から当時開局したばかりの日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が中継を始めた。

1962年(昭和37年)から日本教育テレビを引き継ぐ形でフジテレビが中継を始めた。

1968年(昭和43年)は東京競馬場のスタンド改築工事により1ヶ月遅れの7月7日に開催。「七夕ダービー」と呼ばれた。[18]

1971年(昭和46年)は東京競馬場の施設改修工事により、6月13日に開催。[19]

1972年(昭和47年)はストライキ馬インフルエンザの影響で7月9日に順延開催。[20]

1974年(昭和49年)から人気馬への勝ち馬投票の集中で枠番連勝における万一の取消しによる混乱を防ぐため、一定の人気が集中する馬を単枠指定馬とするシード制度が始まりこの年のキタノカチドキが第1号となった。[21]また枠順抽選が公開されるようになる。

1984年(昭和59年)からはグレード制施行により最高位のGIに格付けされる。[22]

1992年平成4年)から馬番連勝式馬券の発売に伴い、出走頭数が18頭となった。[23]


1993年平成5年)には皇太子徳仁親王小和田雅子の御結婚を祝い皇太子殿下御成婚奉祝の副称が付けられた。

1995年(平成7年)からは指定競走となり、地方競馬所属の競走馬も出走可能になった。

1996年(平成8年)に高松宮杯(現・高松宮記念)がGIに格付けされ、開催時期が優駿牝馬(オークス)の前週に繰り上げられたことに伴い、6月第1日曜に開催日を変更した。

2000年(平成12年)に高松宮記念の開催が3月最終日曜に再度繰り上げられたため、開催日が5月最終週の日曜日に戻った。ただし2003年(平成15年)からは6月1日が日曜日の場合に限り、5月最終日曜ではなく6月1日に開催されることになった。

2001年(平成13年)からは外国産馬の活躍による出走資格の見直しの一環により総収得賞金額上位2頭の外国産馬が出走可能になった。これによりクロフネシンボリクリスエスなどの外国産馬が出走した。

2005年(平成17年)からは青葉賞での優先出走権の取得を設けたことにより、外国産馬の上位4頭に拡大され2006年(平成18年)はさらに上位5頭までに拡大された。ただし外国産馬の優勝はまだ出ていない。

2007年(平成19年)に国際競馬統括機関連盟国際セリ名簿基準委員会の「国際パート1」に昇格したことに伴い国際競走ではない重賞(2・3歳馬限定競走の多く。当競走含む)は「Jpn」(国内限定グレード)を用いることになったため格付け表示を「JpnI」に変更した。

2010年(平成22年)には国際競走となり外国調教馬の出走が可能になったのに伴い、JpnIで施行されていた格付けがGIに戻ることとなった。

  • 現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。

出走資格[編集]

  • サラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の牡馬・牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び地方所属の牡馬・牝馬の競走馬(本競走への優先出走権を獲得した牝馬及びJRAのGI競走1着馬)及び外国調教馬の牡馬・牝馬(外国産馬と合わせて9頭まで)、出走枠は18頭まで。未出走馬・未勝利馬は出走できない。
  • 以下のトライアル競走に必要な着順に入った場合優先出走できる(最大7頭)。

トライアル競走[編集]

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 優先出走権
皐月賞 GI 日本の旗中山競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・国際競走・指定交流競走 4着以内
青葉賞 GII 日本の旗東京競馬場 芝2400m 2着以内
プリンシパルステークス OP 日本の旗東京競馬場 芝2000m 牡馬牝馬限定・指定交流競走 1着馬

未勝利馬(収得賞金が0の馬)には出走権はないが、未出走馬および未勝利馬も出走できる青葉賞で2着になれば未勝利のまま本競走に出走できる(この場合、収得賞金は1050万円になる)。2009年(平成21年)までは青葉賞は3着、プリンシパルステークスは2着までが優先出走権を得られた。

  • 残りの枠(最低11頭)は通常の収得賞金の総計が多い順に出走できる(残る1枠が複数の同収得金額馬だった場合は抽選で出走馬が決まる)。
  • 地方馬は、上記のトライアル競走3競走で優先出走権を得た馬、および京都新聞杯・NHKマイルカップの2着以内馬、またはJRAの芝の3歳重賞優勝馬が出走できる。[24]

その他のステップレース[編集]

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 競走条件 備考
京都新聞杯 GII 日本の旗京都競馬場 芝・外2200m 国際競走・指定交流競走 本競走のステップ競走指定
NHKマイルカップ GI 日本の旗東京競馬場 芝1600m

負担重量[編集]

  • 定量で牡馬は57kg、牝馬は55kgである。
    • 第1回は別定重量。第2 - 8回は牡55kg、牝53kg。第9 - 13回は牡57kg、牝55.5kgだった。

賞金[編集]

グレード制が施行された第51回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第51回(1984年) 1億4250万円 7500万円 3000万円 1900万円 1100万円 750万円
第52回(1985年) 1億4880万円 7800万円 3100万円 2000万円 1200万円 780万円
第53回(1986年) 1億5200万円 8000万円 3200万円 2000万円 1200万円 800万円
第54回(1987年) 1億6150万円 8500万円 3400万円 2100万円 1300万円 850万円
第55回(1988年) 1億8050万円 9500万円 3800万円 2400万円 1400万円 950万円
第56回(1989年) 1億9530万円 1億300万円 4100万円 2600万円 1500万円 1030万円
第57回(1990年) 2億1000万円 1億1000万円 4400万円 2800万円 1700万円 1100万円
第58回(1991年) 2億2800万円 1億2000万円 4800万円 3000万円 1800万円 1200万円
第59回(1992年) 2億4800万円 1億3000万円 5200万円 3300万円 2000万円 1300万円
第60回(1993年)
第61回(1994年)
第62回(1995年) 2億5120万円 1億3200万円 5300万円 3300万円 2000万円 1320万円
第63回(1996年)
第64回(1997年)
第65回(1998年)
第66回(1999年)
第67回(2000年)
第68回(2001年) 2億8600万円 1億5000万円 6000万円 3800万円 2300万円 1500万円
第69回(2002年)
第70回(2003年)
第71回(2004年)
第72回(2005年)
第73回(2006年)
第74回(2007年)
第75回(2008年)
第76回(2009年)
第77回(2010年)
第78回(2011年)
第79回(2012年)
第80回(2013年) 3億8000万円 2億円 8000万円 5000万円 3000万円 2000万円

歴史[編集]

沿革[編集]

  • 1932年 - 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の別定重量の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。1着賞金1万円。 [25]
  • 1933年 - 負担重量を「別定重量」から「定量」に変更(負担重量は牡馬55kg・牝馬53kgに設定)。
  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
  • 1937年 - 全国11場の競馬倶楽部が合体して日本競馬会が発足。帝室御賞典が春秋に統合。
  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更。日本競馬会主催となる。秋に阪神優駿牝馬と京都農林省賞典四歳呼馬が創設
  • 1939年 - 中山四歳牝馬特別・横濱農林省賞典四歳呼馬が創設。四歳クラシック競走体系が確立。
  • 1940年 - 負担斤量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更。[26]
  • 1944年 - 能力検定競走として施行(馬券発売なし)。[27]
  • 1945年 - 太平洋戦争の戦況激化により中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
  • 1947年 - 戦後初の東京優駿競走を再開。牝馬の負担重量を55.5kgから55kgに変更。1着賞金10万円。[28]
  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更。1着賞金30万円。6枠連勝単式馬券発売。夏に日本競馬会解散。農林省へ事業移管。[29]
  • 1949年 - 国営競馬として主催。[30]
  • 1950年 - 名称を「東京優駿」に変更。日本ダービーの副称が付く。1着賞金60万円。[31]
  • 1951年 - 1着賞金100万円。
  • 1954年 - 1着賞金200万円。秋に日本中央競馬会設立。[32]
  • 1955年 - 日本中央競馬会主催となる。[33]
  • 1959年 - 1着賞金300万円。
  • 1960年 - 1着賞金500万円。 バリヤー式スタートの最後の年。  
  • 1961年 - 1着賞金700万円。スターティングゲート採用の年。出走可能頭数を32頭に限定。[34]
  • 1963年 - 1着賞金800万円。8枠連勝複式馬券発売。(6枠連単は廃止)[35]
  • 1964年 - 1着賞金900万円。
  • 1965年 - 1着賞金1000万円。
  • 1967年 - 1着賞金1300万円。
  • 1968年 - 1着賞金1800万円。
  • 1969年 - 1着賞金2000万円。
  • 1970年 - 1着賞金2300万円。
  • 1971年 - 1着賞金2800万円。
  • 1972年 - 1着賞金3300万円。
  • 1973年 - 1着賞金3600万円。
  • 1974年 - 1着賞金4000万円。天皇賞、有馬記念と同額となる。
  • 1976年 - 1着賞金5000万円。
  • 1984年 - 1着賞金7500万円。グレード制施行によりGIに格付けされる。
  • 1986年 - 1着賞金8000万円。出走可能頭数を28頭から24頭に削減。
  • 1988年 - 馬名入りゼッケンが採用される。
  • 1989年 - 1着賞金1億300万円。初めて1億円台に到達する。
  • 1990年 - 1着賞金1億1000万円。出走可能頭数を22頭に変更。
  • 1991年 - 1着賞金1億2000万円。出走可能頭数を20頭に変更。
  • 1992年 - 1着賞金1億3000万円。出走可能頭数を現在の18頭に変更。馬番連勝複式馬券発売。[36]
  • 1993年 - 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。
  • 1994年 - ゼッケンの縁に金糸の刺繍が施される。
  • 1995年 - 1着賞金1億3200万円。指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 2000年 - ワイド馬券発売。
  • 2001年 - 1着賞金1億5000万円。外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
  • 2003年 - 馬番単勝式及び三連勝複式馬券発売。
  • 2005年 - 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
  • 2006年 - 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
  • 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
  • 2008年 - 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
  • 2010年 - 国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付表記が2006年以来4年ぶりにGIに戻る。
  • 2013年 - 1着賞金2億円に増額。

できごと[編集]

1932年の第1回東京優駿大競走(右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)

1930年代[編集]

  • 1932年 - 第1回(出走馬19頭) 不良
    • 優勝馬ワカタカ。千葉下総御料牧場産。父トウルヌソル。母種信(サラ系)。東原玉造調教師と函館孫作騎手。ダービーまでの戦績は3戦2勝。後に帝室御賞典も制した。生涯通算21戦12勝。雨の目黒競馬場。1番人気ワカタカ。第1回登録頭数168頭。1着本賞金1万円。
    • ワカタカの単勝39円。1923年に競馬法施行で馬券が復活。1人1競走1枚で20円で売られていた。最大10倍(200円表示)までで上限が定められていた。
    • 2着オオツカヤマ。岩手小岩井農場産。父シアンモア。尾形景造(後の藤吉)厩舎。尾形景造調教師が騎乗。第1回から下総御料牧場(トウルヌソル)と小岩井農場(シアンモア)の争いであった。
    • この競走は目黒競馬場のコースの内側からフィルムでスタートからゴールまで完全に撮影されて「東京優駿大競走」のタイトルで無声の記録映画が残っている。翌年の第2回も同じ。
  • 1933年 - 第2回(出走馬19頭) 稍不良
    • 優勝馬カブトヤマ。小岩井農場産。父シアンモア、母アストラル。大久保房松厩舎。同師が騎乗。ダービーまでの戦績は3戦2勝。後に帝室御賞典を制した。生涯通算29戦12勝。
    • 引退後種牡馬として、産駒のマツミドリがダービーを優勝。ダービー馬がダービー馬を生んだ最初の例。その功績をたたえ、カブトヤマ記念競走(2003年廃止)が創設された。
    • 1番人気アスリート(伊藤勝吉騎乗)が3着。3番人気カブトヤマ(大久保房松騎乗)が1着。4番人気エツフォード(武田文吾騎乗)が14着。その後の競馬史を彩る先人達の若き日の記録である。
  • 1934年 - 第3回(出走馬10頭) 不良
    • 優勝馬フレーモア。父シアンモア。尾形景造調教師は初勝利。大久保亀治騎乗。ダービーまでの戦績は3戦3勝。後に帝室御賞典も制した。生涯通算13戦7勝。当時の小岩井農場と下総御料牧場の2大牧場以外からでた秋田産ダービー馬。
    • 尾形景造厩舎が1~3着独占。この記録はその後破られていない。シアンモアの産駒が1~3着独占。これも初。
    • ミラクルユートピアが直前の予想で大本命だったが、当日朝に骨折して競走生命を絶たれる。
  • 1935年 - 第4回(出走馬11頭) 不良
    • 優勝馬ガヴァナー。小岩井農場産。父シアンモア、母アストラル。布施季三調教師。この勝利でデビュー以来3連勝。しかし、この1ヵ月後調教中に骨折して死亡した。生涯通算3戦3勝。同馬はカブトヤマの全弟で兄弟での初制覇であった。シアンモアが種牡馬として3連覇。
    • 牝馬クレオパトラトマス(伊藤勝吉騎乗)が1番人気だったが9着。だが、その後通算16勝を挙げた後に繁殖牝馬となり、桜花賞馬ハマカゼを産む。1956年ダービー馬ハクチカラは孫にあたる。
    • 2着はアカイシダケ。尾形景造騎乗。同氏は騎手としてこれが最後の出走。騎手としての栄冠は成らなかったが、調教師としてはこの後1977年ラッキールーラまで8回の栄冠に輝く。
  • 1936年 - 第5回(出走馬13頭) 稍不良
    • 優勝馬トクマサ。下総御料牧場産。父トウルヌソル。尾形景造調教師は2勝目。伊藤正四郎騎乗。ダービーまでの戦績は6戦2勝。生涯通算27戦9勝。引退後に朝鮮の蘭谷牧場で種牡馬になったが、産駒成績の記録がなく、1943年以降の消息が不明である。
    • 41年後の1977年、ラッキールーラに騎乗した伊藤正徳との親子制覇となったが、後述の中島騎手の方が3年早く達成した。なお、騎手の親子制覇はこの後の武邦彦と武豊の3組のみである。
    • 初の単勝払戻しの上方限度額200円を配当。特配で9円50銭を付けている。現在で表示すると1,000円の払戻し額となる。大穴が出て余った場合は不的中馬券に特別配当として分配。このレースの的中馬券は20円に対し200円。ハズレ馬券は20円に対し9円50銭の戻りがあったことになる。
  • 1937年 - 第6回(出走馬17頭) 良
    • 優勝馬ヒサトモ。下総御料牧場産。父トウルヌソル。中島時一調教師。同師が騎乗。ダービーまでの戦績は5戦3勝。後に帝室御賞典を制した。生涯通算26戦14勝。牝馬として史上初の制覇。同馬はその後繁殖牝馬になったが不受胎が多く、戦後、地方競馬で競走馬として復帰したが、1949年11月に浦和競馬場で急死した。
    • 関西馬が初制覇。デビューは中山で古馬になって関西に戻った。中島時一調教師は阪神の所属だがこの時は騎手に専念する形で中山の大久保房松調教師に預ける形であった。37年後の1974年、コーネルランサーの中島啓之騎手とで初の親子制覇となった。
    • 2着も牝馬サンダーランドで牝馬の1~2着はこれが唯一の記録。
    • 断然1番人気ゼネラル(武田文吾騎乗)は4着。同師はその後名伯楽としてコダマ・シンザンを育て、大きな足跡を残す。
    • 先頭に立って逃げた馬はミスターシービーで10着。後の三冠馬と同名異馬だが牧場は同じ千明牧場。
    • 12着のハッピーマイトはこの年、秋に統合された第1回天皇賞(この当時はまだ帝室御賞典)を4歳(現3歳)馬として制覇。この「4歳の天皇賞馬」はその後1996年にバブルガムフェローが天皇賞(秋)を制するまで59年間唯一の記録として続いた。
    • 第1回から不良馬場が続き、6回目で初めての良馬場となった。
  • 1938年 - 第7回(出走馬14頭) 良
    • 優勝馬スゲヌマ。千明牧場産。父プライオリーパーク。中村広調教師。同師が騎乗。ダービーまでの戦績は6戦4勝。翌年、帝室御賞典(春)を制した。生涯通算23戦12勝。
    • 千明牧場から初のダービー馬。この牧場はその後メイズイ、ミスターシービーへと続く。
    • 翌年から皐月賞(当時は横浜農林省賞典四歳呼馬)が開始されるのに合わせて、開催をそれまでの4月29日から5月下旬に繰り下げた。
  • 1939年 - 第8回(出走馬20頭) 重
    • 優勝馬クモハタ。下総御料牧場産。父トウルヌソル。田中和一郎調教師。阿部正太郎騎手。ダービーまでの戦績は3戦2勝。生涯通算21戦9勝。
    • デビューが5月20日で2着、6日後の5月26日に初勝利。その2日後の5月28日がダービーで1着。デビューして8日後のダービー制覇は史上最短。今後まず破られない記録である。
    • 同馬は引退後種牡馬としてメイヂヒカリなどを送り出して、1952年から6年連続リ-ディングサイアーになった。その功績をたたえてクモハタ記念競走(1980年廃止)が創設された。
    • 第1回皐月賞(横浜農林省賞典4歳呼馬)馬ロックパークは当日出走取消。
    • 単勝払戻しの上方限度額200円の配当を記録。特配で11円を付けている。

1940年代[編集]

  • 1940年 - 第9回(出走馬24頭) 良
    • 優勝馬イエリュウ。下総御料牧場産。父トウルヌソル。石門虎吉調教師。ダービーまでの戦績は5戦2勝。しかし、翌年1月に脳膜炎で急死。生涯通算16戦6勝。
    • 関西馬の勝利は史上2頭目。また阪神(この当時は鳴尾)デビューの馬では初。また初のハナ差勝負。ハナ差2着がミナミ。小岩井農場産でプリメロの初年度産駒。後にプリメロは種牡馬として大活躍する。
    • 1番人気で皐月賞馬ウアルドマインは15着。
  • 1941年 - 第10回(出走馬16頭) 重
    • 優勝馬セントライト。小岩井農場産。父ダイオライト。田中和一郎調教師は2勝目。ダービーまでの戦績は7戦6勝。既に皐月賞を勝ち、秋に菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)を制して史上初の三冠馬となった。生涯通算12戦9勝。
    • 2着馬に8馬身差は史上最大の着差として今も破られていない。
    • 三冠をたたえて戦後、セントライト記念競走が創設される。日本ダービー馬でその名を冠した記念重賞は戦前のカブトヤマ・クモハタ・セントライト、戦後のトキノミノル・シンザン。現在も存在するのはセントライト記念とシンザン記念で2つで、トキノミノル記念は共同通信杯の副称となっている。
  • 1942年 - 第11回(出走馬17頭) 良
    • 優勝馬ミナミホマレ。小岩井農場産。父プリメロ。東原玉造調教師は2勝目。同馬はこのダービーが最後のレースとなった。生涯通算4戦3勝。種牡馬として戦後、ゴールデンウエーブとダイゴホマレを輩出。また、父プリメロは戦後にトサミドリ、クリノハナ、ハクリョウを輩出する。
    • 1番人気皐月賞馬アルバイトは2着。前年の三冠馬セントライトの全弟。この後クリヒカリと改名して天皇賞(秋)を制す。
    • 3着はハヤタケ。後にシンザンのブルードメアサイアーとなる。
  • 1943年 - 第12回(出走馬25頭) 良
    • 優勝馬クリフジ。下総御料牧場産。父トウルヌソル。尾形景造調教師は3勝目。前田長吉騎手。ダービーまでの戦績は3戦3勝。この後、秋のオークス(阪神優駿牝馬)と菊花賞を制して、変則三冠馬と言われた。生涯通算11戦11勝。牝馬としてヒサトモ以来史上2頭目の制覇。この後、牝馬の優勝は64年後の2007年、ウオッカが優勝するまで待つことになる。
    • 父トウルヌソルの産駒がダービー6勝。後に2005年ディープインパクトの勝利で父サンデーサイレンスが同じ6勝に並んだが、この記録は今も破られていない。
    • 前田長吉の20歳3か月の勝利は史上最年少記録。しかし、前田は翌年満州に出征して旧ソ連軍の捕虜になり、シベリアで死亡した。
  • 1944年 - 第13回(出走馬18頭) 重
    • 優勝馬カイソウ。北海道錦多峯牧場産。父月友。久保田金造調教師。橋本輝雄騎手。ダービーまでの戦績は10戦7勝。だが、その後菊花賞で1着になりながらコースを間違えるという事象によりレースが不成立になっている。生涯通算13戦8勝。同馬はこの後、現役最後のレースとなった1級種牡馬選定で12着と惨敗し種牡馬になれず、軍馬となり、戦争末期の混乱の中で行方不明となった。
    • 戦争の激化で馬券発売は無く、観客も入れない「能力検定競走」として競馬関係者と軍人約200人が見守る中で開催された。
    • 初の北海道産馬。初の京都デビューの馬。また父が持込馬(その父はマンノウォー)であるのも初。
  • 1945年 - 戦争のため開催中止。
  • 1946年 - 戦後の混乱で開催不能。秋に競馬を再開。 
  • 1947年 - 第14回(出走馬24頭) 良 
    • 優勝馬マツミドリ。青森東北牧場産。父カブトヤマ。ダービーまでの戦績は9戦4勝。生涯通算23戦9勝。史上初の父子制覇。
    • 2着は皐月賞馬で牝馬トキツカゼ。秋にオークスを制した。後に産駒のオートキツが1955年のダービーで母子制覇を果たす。
    • 3着は桜花賞馬ブラウニー。秋に菊花賞を制す。
    • 戦後最初のこの年は牝馬が皐月賞、オークス、桜花賞、菊花賞を制し、唯一ダービーだけ牡馬が制した。
    • 1着賞金10万円。馬券払戻し額が戦前の10倍の上限が100倍に拡大。
  • 1948年 - 第15回(出走馬23頭) 良
    • 優勝馬ミハルオー。北海道産。父月友。ダービーまでの戦績は10戦9勝。翌年、天皇賞(春)を制した。生涯通算19戦13勝。北海道産馬としてはカイソウ以来史上2頭目。初の函館デビューの日本ダービー馬。
  • 1949年 - 第16回(出走馬23頭) 良
    • 優勝馬タチカゼ。小岩井農場産。父プリメロ。ダービーまでの戦績は8戦3勝。生涯通算16戦7勝。
    • 関西の伊藤勝吉厩舎が初制覇。しかし、伊藤は府中には来ていなかった。
    • 単勝払戻し額55,430円は史上最高記録。戦前の10倍の上限が戦後から100倍に拡大。
    • プリメロ産駒が1~3着。これは史上2頭目。
    • 2着は牝馬のシラオキ。同馬は後にダービー馬コダマを産む。
    • 皐月賞馬トサミドリは7着。秋の菊花賞を制して初の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。
    • 激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。

1950年代[編集]

  • 1950年 - 第17回(出走馬26頭) 不良
    • 優勝馬クモノハナ。小岩井農場産。父プリメロ。ダービーまでの戦績は14戦4勝。生涯通算28戦9勝。三冠馬セントライトを除いて最初の皐月賞・ダービーの二冠馬。この年限りで競走馬生産を中止した小岩井農場にとって6頭目の最後のダービー馬。橋本輝雄騎手は2勝目。
  • 1951年 - 第18回(出走馬26頭) 良
    • 優勝馬トキノミノル。父セフト。三石本桐牧場産。田中和一郎調教師は3勝目。岩下密政騎手は初勝利。史上2頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。無敗の10連勝で二冠に輝いたが、17日後に破傷風で死亡。生涯通算10戦10勝。
  • 1952年 - 第19回(出走馬31頭) 良
    • 優勝馬クリノハナ。父プリメロ。千葉大東牧場産。ダービーまでの戦績は6戦5勝。その後は不振で1つも勝てなかった。生涯通算11戦5勝。史上3頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。父プリメロは4頭目の産駒。尾形藤吉調教師は4勝目。
  • 1953年 - 第20回(出走馬33頭) 重
    • 優勝馬ボストニアン。父セフト。浦河ヤシマ牧場産。増本勇調教師及び蛯名武五郎騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は11戦7勝。生涯通算28戦16勝。史上4頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。父セフトは2頭目の産駒。
    • この年から日本ダービーの前にNHK杯が創設され、皐月賞→NHK杯→日本ダービーという春の4歳馬の重賞ロードが出来たが、同馬はこの3競走を3連勝。この記録はその後1971年ヒカルイマイと1975年カブラヤオーしか達成していない。
    • 3着はハクリョウ。秋の菊花賞でボストニアンの三冠を阻止した。
    • 出走馬33頭は史上最多。なお出走登録は35頭、当日2頭が出走を取消、そしてレース中に3頭が落馬。
    • 前年まで秋に開催していたオークスがこの年からダービーの前週に移行した。
  • 1954年 - 第21回(出走馬18頭) 稍重
    • 優勝馬ゴールデンウエーブ。父ミナミホマレ。藤本冨良調教師は初勝利。岩下密政騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は公営競馬の戦績を含めて16戦12勝。生涯通算37戦16勝。公営出身馬として史上初。史上2頭目の父子制覇。同馬は大井所属でデビューは船橋。
    • 前週開催のオークスがこの年は前日に開催されて牝馬の出走は無かった。
    • 皐月賞馬ダイナナホウシュウは出遅れて4着。秋に菊花賞を制して史上2頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。
  • 1955年 - 第22回(出走馬24頭) 不良
    • 優勝馬オートキツ。父月友、母トキツカゼ。大久保房松調教師は2勝目。二本柳俊夫騎手は初。ダービーまでの戦績は11戦5勝。生涯通算22戦14勝。戦後最初のダービーで惜しい2着であったトキツカゼの産駒が制し初の母子制覇。
    • 2着カミサカエにつけた8馬身差はセントライトと並ぶ史上最大着差であり、外枠21番からの発走は、その後1977年のラッキールーラが24番で勝つまでダービー馬の最外枠の記録であった。
    • 大久保房松は1933年カブトヤマに騎乗して勝ち、騎手と調教師とを別々に制した最初の人。また二本柳俊夫騎手も後に調教師として1985年シリウスシンボリで制す。
  • 1956年 - 第23回(出走馬27頭) 重
    • 優勝馬ハクチカラ。父トビサクラ。ダービーまでの戦績は10戦7勝。その後天皇賞(秋)と有馬記念を制してその後米国へ遠征。日本馬として初めて海外の競走で勝利。生涯通算49戦21勝。同馬は引退後、青森と千葉で種牡馬として供用され、その後インドへ寄贈された。
    • 尾形藤吉調教師は5勝目。保田隆芳騎手は初勝利。
    • 2着はキタノオー。後に菊花賞を制した。
    • 3着は皐月賞馬ヘキラク。ハクチカラ、キタノオー、ヘキラクの三強はこの年、第1回中山グランプリ(現・有馬記念)に出走した。
    • 雨の重馬場で1コーナーで落馬事故があり、2頭が落馬。作家の吉川英治が馬主だったエンメイが安楽死処分に、鞍上の阿部正太郎騎手も騎手生命を絶たれている。この後、事故防止委員会が開かれて雨で不良状態が多いダービーを比較的晴れる日が多い5月最終日曜日に開催することとした。
  • 1957年 - 第24回(出走馬20頭) 良 
    • 優勝馬ヒカルメイジ。父ボワルセル、母イサベリーン。藤本冨良調教師と蛯名武五郎騎手は2勝目。持込馬として初の制覇。ダービーまでの戦績は13戦7勝。生涯通算15戦9勝。
    • 持込馬はその後、1971年に外国産と同じ扱いになりダービーに出れなくなったが、後に内国産と同じ扱いに変更され、39年後の1996年にフサイチコンコルドが2頭目の持込馬のダービー馬となった。
  • 1958年 - 第25回(出走馬25頭) 良
    • 優勝馬ダイゴホマレ。父ミナミホマレ。ダービーまでの戦績は14戦12勝。生涯通算23戦13勝。公営出身馬として史上2頭目。史上3頭目の父子制覇。同馬は大井所属でデビューは川崎。3歳時は公営で7連勝。
    • ハナ差2着はカツラシュウホウ。ハナ差勝負は史上2度目。同馬は三冠と翌年の天皇賞(春)まで全て2着であった。なお、牡馬クラシック三冠レースが全て2着の馬は同馬のみ。
  • 1959年 - 第26回(出走馬25頭) 不良
    • 優勝馬コマツヒカリ。父トサミドリ、母イサベリーン。大久保房松調教師は3勝目。古山良司騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は11戦4勝。生涯通算35戦6勝。兄はヒカルメイジで兄弟制覇は史上2組目。父トサミドリは自身の雪辱を果たす。
    • 皐月賞馬ウイルディールは15着。

1960年代[編集]

  • 1960年 - 第27回(出走馬26頭)  良
    • 優勝馬コダマ。父ブッフラー、母シラオキ。デビュー以来7連勝。生涯通算17戦12勝。史上5頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。武田文吾調教師が初制覇。栗田勝騎手も初勝利。母シラオキは1949年ダービー2着。勝ちタイム2分30秒7はレコード。
    • 出走馬の中には、5着マツカゼオー(朝日杯3歳ステークス)、13着キタノオーザ(菊花賞)、2着ヤマニンモアー(翌年天皇賞・春)、3着シーザー(翌年宝塚記念)、10着タカマガハラ(翌年天皇賞・秋)、7着ホマレボシ(翌年有馬記念)がいて、後に公営から来たオンスロート(翌々年天皇賞・春及び有馬記念)以外は全て出走。この後古馬戦線まで活躍する馬が目白押しであった。
    • バリヤー式スタートの最後の年であった。
  • 1961年 - 第28回(出走馬32頭) 良
    • 優勝馬ハクショウ。父ヒンドスタン。ダービー後復帰することなく引退。生涯通算9戦7勝。尾形藤吉調教師は6勝目。なお遡ること昭和初期の尾形厩舎に同名の馬がいて通算35戦17勝。ダービー創設以前の名馬として記憶されている。
    • 勝ちタイム2分30秒2。ハナ差2着でメジロオー。ハナ差勝負は史上3度目。スターティングゲートから発走する初のダービーであった。
    • 父ヒンドスタンは初勝利で、この年から中央競馬リーディングサイアーに7回に輝き、GI級競走の勝ち馬を13頭送り出して戦後屈指の種牡馬となる。
  • 1962年 - 第29回(出走馬32頭)  良
    • 優勝馬フエアーウイン。父ゲイタイム。松山吉三郎調教師は初勝利。ダービーまでの戦績は10戦6勝。生涯通算20戦8勝。ダービー後は重賞を勝つことはなかった。
    • 勝ち馬からわずか0秒2差で、皐月賞馬ヤマノオー、コレヒサ、スズホープがせめぎ合い、2着はヤマノオーとコレヒサが同着となった。コレヒサは翌年、天皇賞(春)を制した。
    • 8着はリュウフォーレル。翌年、天皇賞(秋)と有馬記念を制す。
    • 21着はヒロキミ。秋の菊花賞を制した。
  • 1963年 - 第30回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬メイズイ。父ゲイタイム。千明牧場産。ダービーまでの戦績は7戦6勝。尾形藤吉調教師は7勝目。史上6頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。誰もが三冠達成を疑わなかった。しかし、菊花賞では6着に敗れて三冠達成はならず。その後もGI級競走で勝つことは無かった。生涯通算22戦15勝。
    • 2着は同厩舎のグレートヨルカ。秋の菊花賞を制す。
    • 勝ちタイム2分28秒7はそれまでの記録を1秒5も上回る衝撃的なレコードタイムで、その後、1972年のロングエースまで9年間破られなかった。
  • 1964年 - 第31回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬シンザン。父ヒンドスタン。武田文吾調教師は2勝目。栗田勝騎手も2度目。ダービーまでの戦績は8戦7勝。菊花賞を勝ち史上2頭目の三冠馬。翌年、天皇賞(秋)と有馬記念も制して史上初の五冠馬。生涯通算19戦15勝。その後、北海道の谷川牧場で種牡馬となる。
    • シンザンは産駒にスガノホマレ、シルバーランド、ミナガワマンナ、ミホシンザンを出したがダービー馬は出なかった。1996年7月に死亡したが、35歳3か月11日はサラブレッドの日本最長寿記録となっている。
    • 2着はウメノチカラ。菊花賞も2着だった。
    • 3着は同厩舎のオンワードセカンド。
  • 1965年 - 第32回(出走馬22頭) 不良
    • 優勝馬キーストン。父ソロナウェー。ダービーまでの戦績は10戦8勝。その後菊花賞2着、天皇賞(春)5着。1967年12月に行われた阪神大賞典のレース中で骨折し死亡した。現在までダービー馬で競走中の事故で死亡した唯一の馬。生涯通算25戦18勝。
    • ダービー馬でその後牧場に戻らなかったのは、戦前のガヴァナー(事故死)、イエリユウ(病死)、カイソウ(行方不明)、戦後のトキノミノル(病死)とキーストン(事故死)の5頭。その他は現在まですべて繁殖入りし種牡馬となっている。
    • 2着はダイコーター。直前の馬主トレードが話題になったが結局ダービーを勝てず。同馬は秋の菊花賞を制したがその後障害入り。
    • 5着はカブトシロー。翌々年、天皇賞と有馬記念を制した。
    • コレヒデは17着だったが、翌年に天皇賞と有馬記念を制している。
  • 1966年 - 第33回(出走馬28頭) 良
    • 優勝馬テイトオー。父ソロナウェー。ここまで10戦4勝。重賞初挑戦で制覇。しかし、その後菊花賞で惨敗し引退。生涯通算12戦4勝。
    • 父ソロナウェー産駒が連覇し、ヒンドスタンと対抗する存在となる。
    • 2着ソロモンもソロナウェー産駒だった。
    • 3着はナスノコトブキ。後に菊花賞を制す。
    • 8着はスピードシンボリ。菊花賞で2着になり、古馬になってから天皇賞(春)、宝塚記念を制し、7~8歳(現6~7歳)で有馬記念を連覇した。
  • 1967年 - 第34回(出走馬28頭) 良
    • 優勝馬アサデンコウ。父シーフリュー。藤本冨良調教師が3勝目。増沢末夫騎手が初勝利。だが、ゴール後に左前脚を骨折したため、表彰式に出られず、そのまま引退。生涯通算9戦6勝。
    • 2着ヤマニンカップは同厩舎の馬だった。
    • 皐月賞馬リュウズキは5着。翌年、有馬記念を制す。
    • 8着はフイニイ。古馬になってから天皇賞に4度出走したが2着3回、3着1回と無冠に終わっている。
  • 1968年 - 第35回(出走馬19頭) 稍重
    • 優勝馬タニノハローモア。父ハロウェー。静内カントリー牧場産。戸山為夫調教師が初勝利。ダービーまでの戦績は18戦6勝。生涯通算30戦9勝。
    • スパルタ調教で前年8月デビューして以降休みなく中2~3週の間隔で使われて、連闘も厭わずダービーが18戦目。これはダービー馬までの最高出走記録。いわゆる三強を尻目に逃げ切った馬だがそのタフな強さは特筆される。
    • この時の三強はタケシバオー、アサカオー、皐月賞馬マーチスの3頭だったが、タケシバオーは2着、アサカオーは3着、マーチスは4着に終わった。
    • 2着タケシバオーは翌年、天皇賞(春)を制した。
    • 3着アサカオーは同年、菊花賞を制した。
    • この年からカラーでの競馬実況中継が始まった。
  • 1969年 - 第36回(出走馬28頭) 不良
    • 優勝馬ダイシンボルガード。父イーグル。大崎昭一騎手が初勝利。ダービーまでの戦績は10戦5勝。生涯通算24戦7勝。同馬が勝ったことよりゴール後に厩務員がコースに入って走って愛馬を追いかけ、優勝騎手が競馬ファンに胴上げされるという珍事が話題になった。
    • 1番人気の関西馬タカツバキが発走直後に落馬している。
    • 2着は関東の尾形厩舎の四天王の1頭だったミノル、3着も尾形四天王の1頭だったハクエイホウだった。
    • 皐月賞馬ワイルドモアも尾形四天王の1頭だったが、故障で出走できなかった。
    • 16着メジロアサマも尾形四天王の1頭。翌年、天皇賞(秋)を制す。
    • 4着リキエイカンも翌年、天皇賞(春)を制している。

1970年代[編集]

  • 1970年 - 第37回(出走馬22頭) 良
    • 優勝馬タニノムーティエ。父ムーテイエ。静内カントリー牧場産。安田伊佐夫騎手が初騎乗初勝利。ダービーまでの戦績は15戦12勝。史上7頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。その後、喘鳴症を患いながら出走した菊花賞で11着と敗れ、三冠制覇ならず。生涯通算18戦12勝。ダービー勝利時点で12勝目。この最多勝利数記録は今も破られていない。また初の1億円馬でもある。
    • 関東のアローエクスプレスとの対決に湧いたがタニノムーティエの二冠に終わった。しかし種牡馬になると逆転してアローエクスプレスが内国産種牡馬として活躍。競走馬ではタニノムーティエが、種牡馬ではアローエクスプレスが勝った。
  • 1971年 - 第38回(出走馬28頭) 稍重
    • 優勝馬ヒカルイマイ。父シプリアニ。田島良保騎手が初騎乗初勝利。史上8頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。ダービーまでの戦績は13戦7勝。直線で他馬をごぼう抜きした追い込みは印象深い。三冠挑戦を前に屈腱炎で引退。生涯通算15戦7勝。
    • 田島良保騎手の23歳7か月の勝利は戦後では最年少となる。
    • 同馬はいわゆるサラ系で1899年に豪州から輸入した繁殖牝馬ミラに繋がる血統で、これは第1回のワカタカ以来となる。
    • 同馬は皐月賞→NHK杯→ダービーの春の3競走を3連勝した史上2頭目の馬。また重賞競走で1度も1番人気になった事が無い馬。
  • 1972年 - 第39回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬ロングエース。父ハードリドン。松田由太郎調教師は2勝目。武邦彦騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦6勝。その後は不振で1勝もできなかった。生涯通算10戦6勝。
    • 勝ちタイム2分28秒6はメイズイの記録を9年ぶりに更新。ここまで2分30秒を切ったのはメイズイとシンザンのみ。この年まで7年間、2分30秒を切っていなかったが、これ以後スピード化が進む。
    • 関西馬が3連勝。また、1~3着を関西馬が独占した。この翌年から関東馬が6連勝する。
    • 2着は皐月賞馬ランドプリンス
    • 3着はタイテエム。翌年、天皇賞(春)を制す。
    • 6着はイシノヒカル。同年、菊花賞と有馬記念を制す。
  • 1973年 - 第40回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬タケホープ。父インディアナ。浦河谷川牧場産。嶋田功騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は12戦4勝。この後、菊花賞を制し二冠達成。三冠馬以外唯一のダービー・菊花賞の二冠馬。翌年には天皇賞(春)を制している。生涯通算19戦7勝。
    • 嶋田功騎手はこの前週のオークスをナスノチグサで勝ち、5月に移行後、オークス・ダービーを連勝した初の騎手となった。
    • 皐月賞馬ハイセイコーが断然の1番人気で単勝支持率は66.6%に上ったが3着に敗れる。同馬は菊花賞でも2着に終わったが、翌年に宝塚記念を制す。
    • 2着はイチフジイサミ。翌々年に天皇賞(春)を制する。
    • 穴人気していたカミノテシオは出走取消。翌年、天皇賞(秋)を制す。
    • このダービーはタケホープが勝ったレースではなく、ハイセイコーが敗れたレースとして記憶されている。この6年後にハイセイコーは産駒のカツラノハイセイコで雪辱を果たす。
  • 1974年 - 第41回(出走馬23頭) 良
    • 優勝馬コーネルランサー。父セダン。中島啓之騎手が初勝利。そして1937年の中島時一騎手との初の親子制覇。同馬はその後脚部の故障から引退。種牡馬になったが、当時の韓国大統領だった全斗煥に寄贈された。生涯通算11戦4勝。
    • ハナ差2着はインターグッド。ハナ差勝負は史上4度目。
    • 皐月賞馬キタノカチドキはこの年から施行されたシード制で初めて単枠指定馬となったが3着に終わる。その後、秋の菊花賞を制して、皐月賞と菊花賞の二冠馬となる。これはトサミドリ・ダイナナホウシュウ以来史上3頭目。
  • 1975年 - 第42回(出走馬28頭) 良
    • 優勝馬カブラヤオー。父ファラモンド。菅原泰夫騎手が初勝利。ダービーまでの戦績は9戦8勝。史上9頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。その後、脚部不安で菊花賞に出走できず三冠制覇ならず。翌年、復帰したが再び脚部の故障で引退。生涯通算13戦11勝。
    • 同馬は皐月賞→NHK杯→ダービーの春の3競走を3連勝。これはボストニアン・ヒカルイマイに続く史上3頭目。以後この3連勝の記録は無い。
    • 菅原泰夫騎手はこの年、テスコガビーで桜花賞・オークスを勝って、春のクラシック四冠騎手となった。これは現在も唯一の記録である。
    • 松田由太郎厩舎のロングホークとロングファストの2頭はGIで2着が多かった。皐月賞はロングホークが2着、ダービーはロングファストが2着、菊花賞はロングファストが2着、翌年の天皇賞(春)はロングホークが2着、そして宝塚記念はロングホークが2着で結局無冠に終わった。
    • 5着はイシノアラシ。同年、有馬記念を制す。
    • 12着はエリモジョージ。翌年、天皇賞(春)を制す。
  • 1976年 - 第43回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬クライムカイザー。父ヴェンチア。加賀武見騎手が初勝利。ダービーまでの戦績は12戦5勝。その後は不振で1勝もできなかった。生涯通算21戦5勝。
    • テンポイントとトウショウボーイの対決で湧いたこの年、皐月賞でトウショウボーイが圧勝。断然ムードで迎えたのだが、直線で出し抜くようにクライムカイザーが快勝。この馬が両馬に勝ったのはこのダービーのみ。その後も全く勝てず、「ダービーは運のいい馬が勝つ」という言葉通りとなった。また、同馬は1度も1番人気になった事が無い馬である。
    • 皐月賞馬トウショウボーイは逃げて2着。父テスコボーイの最高傑作でもダービー制覇は叶わなかった。同馬は同年に有馬記念、翌年に宝塚記念を制し、種牡馬入り。7年後にミスターシービーを輩出する。
    • テンポイントはレース中に骨折した影響で7着。古馬になってから天皇賞(春)と有馬記念を制したが、海外遠征前の壮行レースとなった日経新春杯で骨折し、死亡した。
    • 後の菊花賞馬グリーングラスは未出走。
  • 1977年 - 第44回(出走馬28頭) 良
    • 優勝馬ラッキールーラ。父ステューペンダス。尾形藤吉調教師は8勝目。これは史上最多記録。伊藤正徳騎手は初勝利。1936年の伊藤正四郎騎手とで史上2番目の親子制覇。ダービーまでの戦績は12戦4勝。生涯通算24戦6勝。引退後種牡馬になったが、晩年は韓国で種牡馬生活を送った。
    • 同馬の出走枠は24番で史上最外枠の優勝。なお、歴代ダービー馬の大外枠優勝はオートキツとタケホープの21番、クライムカイザーの20番。なおバリヤー式時代にミハルオーがイレ込んで大外に廻された(出走馬は23頭)ケースもある。
    • 皐月賞馬ハードバージは2着。
    • 3着はカネミノブ。翌年、有馬記念を制す。
    • 7着はプレストウコウ。後に菊花賞を制す。
    • 同世代のマルゼンスキーは持込馬のため、出走できなかった。
  • 1978年 - 第45回(出走馬20頭) 良
    • 優勝馬サクラショウリ。父パーソロン。シンボリ牧場産。小島太騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は11戦4勝。この後、宝塚記念を制した。生涯通算24戦8勝。種牡馬として二冠馬サクラスターオーを輩出した。
    • 父パーソロンは初の制覇。輸入時にはダービーは距離が長いのではと一部では言われていた。この6年後にパーソロンの最高傑作が現れる。
    • 勝ち馬から0秒1差の3着だったカンパーリに騎乗していたのが福永洋一。この年9年連続リーディングジョッキーに輝き、桜花賞と翌週の宝塚記念を勝ち、まさに絶頂期でダービー制覇も近いと目されていたが、翌年の落馬事故で騎手生命を断たれてしまい、これが福永の最後のダービー騎乗となった。
    • 6着はインターグシケン。後に菊花賞を制す。
    • 父テスコボーイは1970年代に数々の優駿をダービーに送り込み、リーディングサイアーにも輝いたが、産駒がダービーを勝つことはなかった。
  • 1979年 - 第46回(出走馬26頭) 良
    • 優勝馬カツラノハイセイコ。父ハイセイコー。松本善登騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は13戦5勝。この後、天皇賞(春)を制した。生涯通算23戦8勝。勝ちタイム2分27秒3はレコード。2着リンドプルバンとのハナ差勝負は史上5番目。
    • 外国産輸入種牡馬全盛の時代での父内国産馬の勝利は1959年以来20年ぶり史上9頭目。シンザンですら制覇が叶わなかったがハイセイコーが達成。なお松本善登騎手はそのシンザンに騎乗して有馬記念を勝っている。
    • 皐月賞馬ビンゴガルーは4着。

1980年代[編集]

  • 1980年 - 第47回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬オペックホース。父リマンド。郷原洋行騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は9戦4勝。その後、大スランプに陥り32戦して1つも勝つことができなかった。生涯通算41戦4勝。
    • 2着はモンテプリンス。菊花賞でも2着になり、古馬になってから天皇賞(春)と宝塚記念を制した。
    • 9着はアンバーシャダイ。古馬になってから有馬記念と天皇賞(春)を制した。
    • 10着はノースガスト。後に菊花賞を制している。
    • 皐月賞馬ハワイアンイメージは14着に終わっている。
    • アンバーシャダイはノーザンテーストの初年度産駒で、やがて生産界はノーザンテーストの時代に入る。
  • 1981年 - 第48回(出走馬27頭) 良
    • 優勝馬カツトップエース。父イエローゴッド。大崎昭一騎手は2勝目。史上10頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。その後、故障で引退。種牡馬になったが、晩年は韓国で種牡馬生活を送った。生涯通算11戦4勝。重賞勝ちは皐月賞とダービーのみ。2着サンエイソロンとのハナ差勝負は史上6番目。
    • この年は重賞を勝った馬が次々と故障していくサバイバルレースとなった。
    • 2着のサンエイソロンは後にトライアル三冠馬。菊花賞でも2着になっている。
    • 8着はミナガワマンナ。後に菊花賞を制す。
  • 1982年 - 第49回(出走馬28頭)  良
    • 優勝馬バンブーアトラス。父ジムフレンチ。布施正調教師と岩元市三騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦4勝。その後、菊花賞直前に故障で引退。生涯通算8戦4勝。4ヵ月前に未勝利戦を勝ち上がった馬が4ヵ月後にはダービー馬になった。
    • この年も重賞を勝った馬が次々と故障していくサバイバルレースであった。
    • 2着のワカテンザンは母オキワカ(テンポイントの半姉)でワカクモ~クモワカに繋がる系統である。
    • 皐月賞馬アズマハンターは3着。
    • 9着はホリスキー。後に菊花賞をレコードで制す。
    • ノーザンテーストが初のリーディングサイアーに。この後11年連続の記録を達成。
  • 1983年 - 第50回(出走馬21頭) 良
    • 優勝馬ミスターシービー。父トウショウボーイ。千明牧場産。松山康久調教師と吉永正人騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦6勝。秋の菊花賞も制して史上3頭目の三冠馬。翌年、天皇賞(秋)も制して四冠達成。生涯通算15戦8勝。父内国産馬の優勝は4年ぶり史上10頭目。
    • 松山康久調教師は1962年フェアーウインの松山吉三郎調教師とで親子制覇。この両師はその後それぞれもう1度ダービーを制覇することになる。また千明牧場もスゲヌマとメイズイに続き親子3代のダービーオーナーとなった。
    • 皐月賞2着のメジロモンスニーはまたも2着。
    • カツラギエースは6着。翌年、宝塚記念とジャパンカップを制す。
    • スズカコバンは10着。翌々年、宝塚記念を制す。
    • 桜花賞馬シャダイソフィアは17着。
    • 後にマイルGIを3勝するニホンピロウイナーは皐月賞で20着(最下位)に終わったため、ダービー出走を断念している。
  • 1984年 - 第51回(出走馬21頭) 良
    • 優勝馬シンボリルドルフ。父パーソロン。シンボリ牧場産。野平祐二調教師と岡部幸雄騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦6勝。秋の菊花賞を制して史上4頭目の三冠馬。その後、有馬記念連覇、天皇賞(春)、ジャパンカップを制して七冠馬。生涯通算16戦13勝。また、新潟デビューの初のダービー馬でもある。
    • 勝った馬が強すぎて、その後GI競走を制したのは4着のスズパレード(1987年宝塚記念)のみだった。
  • 1985年 - 第52回(出走馬26頭) 重
    • 優勝馬シリウスシンボリ。父モガミ。シンボリ牧場産。二本柳俊夫調教師と加藤和宏騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦4勝。その後、欧州へ遠征したが勝利を得ることなく帰国。生涯通算26戦4勝。
    • 4歳(現3歳)に入って3月末に若葉ステークスを勝って7週間後のダービー優勝は異例。二本柳俊夫は騎手と調教師の両方で制覇。
    • 出走馬でその後GIを制覇した馬はいなかった。
    • 皐月賞馬ミホシンザンは故障で出走できなかったが、秋に菊花賞を制し二冠達成。2年後には天皇賞(春)も制した。
    • この年は極端な馬場悪化に伴い、ほぼ全馬がスタートからゴールまで大外ラチ沿いを進むというこれまでにない異様な展開となった。
  • 1986年 - 第53回(出走馬23頭) 良
    • 優勝馬ダイナガリバー。父ノーザンテースト。社台ファーム千歳産。松山吉三郎調教師と増沢末夫騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は6戦4勝。同年、有馬記念を制したが、古馬になってからは故障続きで1つも勝てなかった。生涯通算13戦5勝。同年のダービーと有馬記念を勝った馬はシンボリルドルフに次いで史上2頭目。
    • 増沢末夫騎手は最年長優勝騎手(48歳7ヵ月)となった。
    • ノーザンテースト産駒の初勝利。しかしリーディングサイアーを独走するもダービー制覇はこの1頭のみであった。また生産者の社台ファームは23回目の挑戦で初勝利。吉田善哉オーナーのこの日の喜びの様子はその後NHKでドキュメンタリー番組として放送された。
    • この年米国で1頭の馬が誕生。3年後ケンタッキーダービーを制し、翌年社台グループが購入。
  • 1987年 - 第54回(出走馬24頭) 良
    • 優勝馬メリーナイス。父コリムスキー。橋本輝雄調教師と根本康広騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は8戦4勝。その後は不振で1勝しかできなかった。生涯通算14戦5勝。
    • 皐月賞馬サクラスターオーは故障で回避。後に秋の菊花賞を制するも、年末の有馬記念で骨折し、死亡した。
    • メリーナイスはスターオーが競走を中止した有馬記念でスタート直後に落馬している。
    • この世代は古馬になって芦毛タマモクロスに席巻されることとなる。
    • 橋本輝雄は騎手時代に2度勝っており、騎手と調教師と両方で制覇した。
  • 1988年 - 第55回(出走馬24頭) 良
    • 優勝馬サクラチヨノオー。父マルゼンスキー。境勝太郎調教師は初勝利。小島太騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は8戦5勝。その後、屈腱炎を患い1勝もできなかった。生涯通算10戦5勝。
    • 1番人気サッカーボーイは15着。同年、マイルチャンピオンシップを制す。
    • 皐月賞馬ヤエノムテキは4着。2年後、天皇賞(秋)を制す。
    • オグリキャップは登録漏れで出走できず。同年、有馬記念を制し、古馬になってから安田記念、マイルチャンピオンシップ、有馬記念を制す。
    • スーパークリークは故障で出走できず。同年、菊花賞を制し、古馬になってから天皇賞(春)、天皇賞(秋)を制す。
  • 1989年 - 第56回(出走馬24頭) 良 
    • 優勝馬ウィナーズサークル。父シーホーク。松山康久調教師と郷原洋行騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は9戦3勝。生涯通算11戦3勝。茨城県産馬。
    • 芦毛馬のダービー制覇は史上初。芦毛馬のGI馬は過去に天皇賞馬メジロアサマ、菊花賞馬プレストウコウがいる。
    • 同馬は芝で1度も勝利の経験がなく、初の芝勝ちがダービーだった。

1990年代[編集]

  • 1990年 - 第57回(出走馬22頭) 良
    • 優勝馬アイネスフウジン。父シーホーク。中野栄治騎手は初勝利。その後、故障でこのダービーを最後に引退。生涯通算8戦4勝。
    • 逃げ切っての勝利はカブラヤオー以来史上9頭目。ゴール後「ナカノ」コールにスタンドが揺れた。
    • 2着はメジロライアン。翌年、宝塚記念を制す。
    • 皐月賞馬ハクタイセイは5着。
    • 世界最高となる入場者数19万6571人を記録する[注 14]
  • 1991年 - 第58回(出走馬20頭) 良
    • 優勝馬トウカイテイオー。父シンボリルドルフ。松元省一調教師と安田隆行騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦6勝。史上4頭目の父子制覇。三冠馬を除いて史上11頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。しかし、ダービー後骨折し菊花賞を断念、三冠制覇ならず。翌年、ジャパンカップ父子制覇を達成。翌々年には1年ぶりに出走した有馬記念で優勝する奇跡を起こした。生涯通算12戦9勝。
    • 無敗で二冠を制した馬としてはトキノミノル、コダマ、シンボリルドルフ以来史上4頭目(三冠馬を含める)。
    • 栗東トレーニングセンターの坂路調教馬で初めてのダービー馬。これ以降関西馬が6連勝。
    • 出走馬で最大外枠からの優勝は初めて。なお20番での優勝は1976年のクライムカイザー以来2頭目。その後出走制限によりこの枠からの優勝は最後。
    • 2着はレオダーバン。秋の菊花賞を制す。
  • 1992年 - 第59回(出走馬18頭) 稍重
    • 優勝馬ミホノブルボン。父マグニチュード。戸山為夫調教師は2勝目。小島貞博騎手は初。ダービーまでの戦績は7戦7勝。三冠制覇を期待されたが、菊花賞は惜しくも2着。史上12頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。生涯通算9戦8勝。
    • 無敗で二冠を制した馬としては史上5頭目(三冠馬を含める)。戸山流に鍛え上げられた坂路の申し子。
    • 2着はライスシャワー。秋の菊花賞でミホノブルボンの三冠制覇を阻止。翌年、メジロマックイーンの天皇賞(春)3連覇も阻止している。
  • 1993年 - 第60回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ウイニングチケット。父トニービン。伊藤雄二調教師と柴田政人騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦5勝。その後は1勝のみと振るわず引退。生涯通算14戦6勝。
    • ビワハヤヒデが2着。秋に菊花賞を制し、三強で三冠を分ける。翌年、天皇賞(春)と宝塚記念を制す。
    • 皐月賞馬ナリタタイシンが3着。
    • 柴田政人は19回目の挑戦で初勝利。
  • 1994年 - 第61回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ナリタブライアン。父ブライアンズタイム。大久保正陽調教師と南井克巳騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は11戦8勝。秋の菊花賞を制して史上5頭目の三冠馬。同年有馬記念を制し四冠を達成したが、古馬になってGIは未勝利に終わる。生涯通算21戦12勝。
    • 2着馬につけた着差が皐月賞で3馬身半、ダービーで5馬身、菊花賞で7馬身。
    • 出走馬でその後GI競走を制したのは8着のオフサイドトラップのみ。同馬は屈腱炎と闘いながら、8歳(現7歳)で天皇賞(秋)を制す。
  • 1995年 - 第62回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬タヤスツヨシ。父サンデーサイレンス。鶴留明雄調教師は初勝利。小島貞博騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は10戦4勝。生涯通算13戦4勝。
    • サンデーサイレンス産駒の初のダービー制覇。また2着の皐月賞馬ジェニュインもサンデーサイレンス産駒。この2頭は皐月賞とダービーで1、2着を占め、着順がダービーでは逆になった。このケースは着順が同じ場合も含めて10回目。
  • 1996年 - 第63回(出走馬17頭) 良
    • 優勝馬フサイチコンコルド。父カーリアン。小林稔調教師と藤田伸二騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は3戦3勝。わずか3戦目のキャリアでダービー制覇。菊花賞3着後に故障で引退。生涯通算5戦3勝。
    • 1月の新馬戦を勝ち、3月のすみれステークスを勝ち、そして6月のダービーを勝つ。デビューして無傷の3連勝でのダービー制覇はフレーモア、ガヴァナー、クリフジ以来史上4頭目。実に53年ぶり。常識破りのローテーションであった。
    • 持込み馬の勝利はヒカルメイジ以来史上2頭目。これも39年ぶり。
    • 2着はダンスインザダーク。この秋に菊花賞を制す。
    • 皐月賞馬イシノサンデーは6着。
  • 1997年 - 第64回(出走馬17頭) 良
    • 優勝馬サニーブライアン。父ブライアンズタイム。中尾銑治調教師と大西直宏騎手は初勝利。ダービーから2日後に骨折が判明し、結局このダービーを最後に引退。生涯通算10戦4勝。史上13頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。
    • 出走馬最外枠からの勝利。これはトウカイテイオー以来史上2頭目。この年の春の四冠競走は全て大外枠の馬が優勝。
    • シルクライトニングが蹄鉄のズレから発走寸前に競走除外。史上最高額となる98億3052万1200円が返還。
    • 2着はシルクジャスティス。同年、有馬記念を制す。
    • 3着はメジロブライト。翌年、天皇賞(春)を制す。
    • 7着はマチカネフクキタル。秋の菊花賞を制す。
    • 9着はサイレンススズカ。翌年、宝塚記念を制す。
    • このダービーに出走したメンバーから4頭もGI馬が輩出した事が、引退したサニーブライアンの評価を大きく押し上げる要因となった。
    • 7年ぶりに関東馬が優勝。しかし、この後関東馬が勝つのは12年後となる。
  • 1998年 - 第65回(出走馬18頭) 稍重
    • 優勝馬スペシャルウィーク。父サンデーサイレンス。白井寿昭調教師と武豊騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦4勝。翌年、史上2頭目の天皇賞春秋連覇達成し、ジャパンカップも制した。生涯通算17戦10勝。
    • 武豊は父武邦彦と史上3人目の親子制覇。また、このダービーでの勝利により八大競走完全制覇となった。これは現在まで保田隆芳と2人しか記録していない。
    • サンデーサイレンス産駒のダービー制覇は2頭目。
    • スペシャルウィークの母系を辿ると、1949年のダービー2着のシラオキに達する。
    • 皐月賞馬セイウンスカイは4着。その後、菊花賞を制し史上6頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬。
    • 同世代のグラスワンダーエルコンドルパサーは外国産馬のため出走できなかった。
  • 1999年 - 第66回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬アドマイヤベガ。父サンデーサイレンス、母ベガ。橋田満調教師は初勝利。武豊騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は6戦3勝。菊花賞6着後、故障で引退。生涯通算8戦4勝。 武豊が史上初の連覇。
    • サンデーサイレンス産駒のダービー制覇は3頭目。オークス馬の母からダービー馬が誕生したのは1955年オートキツ(母トキツカゼ)以来史上2度目。他のクラシックも含めて母子2代制覇は史上7組目。
    • 2着はナリタトップロード。その後、菊花賞を制す。天皇賞(春)3年連続3着という記録を持っている。
    • 3着は皐月賞馬テイエムオペラオー。三強で三冠を分けたが、翌年になるとテイエムオペラオーが古馬GIの5競走を完全制覇する。

2000年代[編集]

  • 2000年 - 第67回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬アグネスフライト。父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ。長浜博之調教師と河内洋騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は5戦4勝。その後1勝もできずに引退。生涯通算14戦4勝。
    • サンデーサイレンス産駒のダービー制覇は4頭目。
    • 母アグネスフローラは桜花賞馬。祖母アグネスレディーはオークス馬。母子2代のクラシック制覇は史上8組目。また親子3代のクラシック制覇はこれが初めて。(天皇賞は父子3代制覇の記録がある)
    • 河内洋は祖母から3代とも騎乗。デビュー27年目の初勝利であった。
    • 2着は皐月賞馬エアシャカール。同じサンデーサイレンス産駒だがハナ差で敗れる。秋に菊花賞を制して史上7頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となる。ハナ差勝負は史上7度目。もし勝っていたら武豊のダービー3連覇の達成であった。惜しい7cm差であった。
  • 2001年 - 第68回(出走馬18頭) 重
    • 優勝馬ジャングルポケット。父トニービン。渡辺栄調教師と角田晃一騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦4勝。その後、ジャパンカップを制した。生涯通算13戦5勝。
    • 皐月賞馬アグネスタキオンは屈腱炎を発症しダービーは出走できず、同年引退。7年後に産駒ディープスカイがダービーを制する。
    • マンハッタンカフェはこのダービーに出走できず、秋に菊花賞、有馬記念を、翌年に天皇賞(春)を制す。
    • この年の三冠競走の勝ち馬3頭は後にいずれも種牡馬として活躍することになる。
    • この年から外国産馬のダービー出走が可能になった。その先陣を切ったNHKマイルカップの覇者クロフネは5着。後にジャパンカップダートを制す。
  • 2002年 - 第69回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬タニノギムレット。父ブライアンズタイム。松田国英調教師は初勝利。武豊騎手は3勝目。その後、屈腱炎で引退。生涯通算8戦5勝。武豊の3勝目は史上初。
    • 同馬のローテーションは皐月賞3着→NHKマイルカップ3着→ダービー1着。NHKマイルカップを使ったことで以後NHKマイルカップからダービーを目指すローテーションが注目されるようになった。
    • 2着はシンボリクリスエス。その後、天皇賞(秋)2連覇、有馬記念2連覇を達成。2002年、2003年の年度代表馬になった。
    • 皐月賞馬ノーリーズンは8着。
    • サンデーサイレンスがこの年の夏に蹄葉炎で死去。しかし、同馬の最高傑作がこの年に生まれ、3年後に送り出す。
  • 2003年 - 第70回(出走馬18頭) 重
    • 優勝馬ネオユニヴァース。父サンデーサイレンス。瀬戸口勉調教師とミルコ・デムーロ騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦6勝。その後、菊花賞は3着で三冠達成はならなかった。生涯通算12戦7勝。史上14頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。
    • ミルコ・デムーロ外国人騎手として史上初。
    • サンデーサイレンス産駒のダービー制覇は5頭目。
    • 2着はゼンノロブロイ。翌年、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と秋の古馬GIを3連勝した。
    • 3着はザッツザプレンティ。秋の菊花賞を制し、ジャパンカップ2着。
  • 2004年 - 第71回(出走馬18頭) 良
  • 2005年 - 第72回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ディープインパクト。父サンデーサイレンス。池江泰郎調教師は初勝利。武豊騎手は4勝目。ダービーまでの戦績は5戦5勝。秋の菊花賞を制して史上6頭目の三冠馬。無敗の三冠馬としてはシンボリルドルフ以来2頭目。その後天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を制して七冠馬になった。生涯通算14戦12勝。
    • 16着のシャドウゲイトは後にシンガポール航空インターナショナルカップを制す。
    • 武豊が騎手として史上初の4勝目。
    • サンデーサイレンス産駒のダービー制覇は6頭目。これはトウルヌソルと並ぶ最高記録。
  • 2006年 - 第73回(出走馬18頭) 稍重
    • 優勝馬メイショウサムソン。父オペラハウス。瀬戸口勉調教師は2勝目と石橋守騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は11戦6勝。秋の菊花賞は4着に敗れて三冠達成はならなかったが、翌年天皇賞(春)と天皇賞(秋)を制し、史上4頭目の天皇賞春秋連覇を達成した。生涯通算26戦9勝。史上15頭目の皐月賞・ダービーの二冠馬。
    • 2着のアドマイヤメインは菊花賞で3着。
    • 3着のドリームパスポートは皐月賞2着で菊花賞も2着。
    • 皐月賞4着アドマイヤムーンは7着。翌年、ドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンカップを制す。
    • サンデーサイレンス産駒の最後の年であった。
  • 2007年 - 第74回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ウオッカ。父タニノギムレット。角居勝彦調教師と四位洋文騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は7戦5勝。その後、安田記念、ヴィクトリアマイル、天皇賞(秋)、ジャパンカップを制す。2008年、2009年の年度代表馬。生涯通算26戦10勝。GIを7勝しているが、その内の6勝を東京競馬場で挙げている。
    • 牝馬としてクリフジ以来64年ぶり3頭目の制覇。史上5組目の父子制覇及び史上初の父娘制覇。
    • 同馬は東京競馬場の芝GI競走を完全制覇し、牝馬として牡馬混合GI競走最多勝(5勝)の記録を達成。
    • 皇太子殿下が台覧する中で、勝ったウオッカと四位洋文がスタンド下で馬上から深々と一礼する。
    • 2着のアサクサキングスは秋の菊花賞で四位洋文とのコンビで制し、同じ騎手が同じ年のダービーと菊花賞を異なる馬で制覇することとなった。
    • 皐月賞馬ヴィクトリーは9着。
    • ドリームジャーニーは5着。翌々年に宝塚記念と有馬記念の両グランプリレースを制す。
    • フサイチホウオーが単勝1.6倍の1番人気で7着に敗退。1番人気の連勝が6で止まる。平成になって単勝1倍台の1番人気で負けたのはこの馬のみ。
  • 2008年 - 第75回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ディープスカイ。父アグネスタキオン。昆貢調教師は初勝利。四位洋文騎手は2勝目。ダービーまでの戦績は11戦4勝。生涯通算17戦5勝。
    • NHKマイルカップ馬の制覇は史上2頭目。
    • 四位洋文が史上2人目の連覇。牡馬と牝馬の両方で制覇した史上初の騎手。
    • 皐月賞馬キャプテントゥーレは故障で出走せず。
  • 2009年 - 第76回(出走馬18頭) 不良
    • 優勝馬ロジユニヴァース。父ネオユニヴァース。皐月賞14着から巻き返しての優勝だった。萩原清調教師と横山典弘騎手は初勝利。ダービーまでの戦績は6戦5勝。生涯通算9戦5勝。横山典弘が15回目の騎乗で初勝利。
    • 史上6組目の父子制覇。
    • 2着はリーチザクラウン。
    • 4着はナカヤマフェスタ。翌年、宝塚記念を制し凱旋門賞2着。
    • 皐月賞馬アンライバルドは12着。
    • NHKマイルカップ馬ダノンシャンティは直前に故障が発覚し、出走取消。
    • 関東馬が12年ぶりに勝利。通算43勝。
    • 第36回(1969年)以来40年ぶりに不良馬場での開催となった。

2010年代[編集]

  • 2010年 - 第77回(出走馬17頭) 良
    • 優勝馬エイシンフラッシュ。父キングズベスト。藤原英昭調教師と内田博幸騎手は初勝利、史上2人目の地方競馬出身のダービージョッキーとなる。ダービーまでの戦績は7戦4勝。翌々年、天覧競馬となった天皇賞(秋)を制している。生涯通算27戦6勝。
    • 2着はローズキングダム。菊花賞2着の後、ジャパンカップを制す。
    • 皐月賞馬ヴィクトワールピサは3着。凱旋門賞7着の後、有馬記念を制し、そして翌年ドバイワールドカップを制す。
    • 5着はルーラーシップ。翌々年香港のクイーンエリザベス2世カップを制す。
  • 2011年 - 第78回(出走馬18頭) 不良
  • 2012年 - 第79回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬ディープブリランテ。父ディープインパクト。矢作芳人調教師と岩田康誠騎手は初勝利、岩田康誠は史上3人目の地方競馬出身のダービージョッキーになった。ダービーまでの戦績は6戦3勝。その後キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに挑戦したが8着と敗れ、その際に脚部を痛めて引退。生涯通算7戦3勝。
    • 史上7頭目の父子制覇。
    • フェノーメノが2着。翌年、天皇賞(春)を制す。
    • 1番人気のワールドエースは4着。
    • 皐月賞馬ゴールドシップは5着。同馬は同年、秋の菊花賞を制して史上8頭目の皐月賞・菊花賞の二冠馬となり、有馬記念も優勝。翌年には宝塚記念も制した。
    • 11着のジャスタウェイはまだ無名で、15番人気と評価も低かった。同馬は翌年、天皇賞(秋)で優勝し、翌々年にはドバイデューティーフリーも制した。
    • 出走した6頭にその後故障が発生する[注 17]
  • 2013年[38] - 第80回(出走馬18頭) 良
    • 優勝馬キズナ。父ディープインパクト。佐々木晶三調教師は初勝利。武豊騎手は5勝目。ダービーまでの戦績は7戦5勝。同年、凱旋門賞に出走し4着になった。現在、通算10戦7勝。
    • 武豊は5勝目となり、自身の持つ最多勝記録を更新。
    • キズナはディープインパクト産駒で史上8組目の父子制覇。また史上初の同一騎手による父子制覇。
    • 2着はエピファネイア。同馬は皐月賞も2着だったが、秋に菊花賞を制す。
    • 皐月賞馬ロゴタイプは5着。
    • 関西馬が4連勝。通算37勝。
    • 80回を記念して、以下のレースが行われた。
      • 本競走の前後のレースにてファン投票により選出された各年代の当競走優勝馬と、第1回優勝馬ワカタカの名前を冠した記念競走を施行した[39][40](同時開催の京都競馬場でも実施)[注 18]
      • 「復刻 ダービースタリオンステークス」として、当競走またはダービーステークス(英ダービー)、ジョッケクルブ賞(仏ダービー)、アイリッシュダービー(愛ダービー)、ケンタッキーダービー優勝馬の産駒に限定した競走を施行した。ファンファーレも旧来使われていたものが使用される。
      • 「ホープフルジョッキーズ」として、本来は第3場で行われる若手騎手限定競走を東京競馬場の特別競走として施行された[注 19]
      • 当日の東京競馬場で行われるすべての競走が、WIN5を除くすべての式別でJRAプレミアムレースとなった[41]

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2010年以降は優勝馬の国旗を表記する。

回数 開催日 優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 フレーモア 牡3 2:45 2/5 大久保亀治 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 井川為男 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 トクマサ 牡3 2:42 1/5 伊藤正四郎 尾形景造 山中清兵衛
第6回 1937年4月29日 ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 中島時一 宮崎信太郎
第7回 1938年5月29日 スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月02日 イエリユウ 牡3 2:34 2/5 末吉清 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月06日 クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝雄 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月08日 マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 茂木為二郎 松末博光
第15回 1948年6月06日 ミハルオー 牡3 2:33 2/5 新屋幸吉 上村大治郎 石川了吉
第16回 1949年6月05日 タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月03日 トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 岩下密政 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 オートキツ 牡3 2:36 3/5 二本柳俊夫 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月03日 ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第24回 1957年5月26日 ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 小松重雄
第27回 1960年5月29日 コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎
第28回 1961年5月28日 ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月07日 タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月09日 ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 勝又忠 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 桂土地(株)
第47回 1980年5月25日 オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 ホース産業(株)
第48回 1981年5月31日 カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康広 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月02日 フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月01日 サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月07日 スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月06日 アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司
第69回 2002年5月26日 タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月01日 ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人
第73回 2006年5月28日 メイショウサムソン 牡3 2:27.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第74回 2007年5月27日 ウオッカ 牝3 2:24.5 四位洋文 角居勝彦 谷水雄三
第75回 2008年6月01日 ディープスカイ 牡3 2:26.7 四位洋文 昆貢 深見敏男
第76回 2009年5月31日 ロジユニヴァース 牡3 2:33.7 横山典弘 萩原清 久米田正明
第77回 2010年5月30日 日本の旗エイシンフラッシュ 牡3 2:26.9 内田博幸 藤原英昭 平井豊光
第78回 2011年5月29日 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:30.5 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第79回 2012年5月27日 日本の旗ディープブリランテ 牡3 2:23.8 岩田康誠 矢作芳人 (有)サンデーレーシング
第80回 2013年5月26日 日本の旗キズナ 牡3 2:24.3 武豊 佐々木晶三 前田晋二

東京優駿の記録[編集]

最高・最低記録[編集]

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  • レースレコード - 2:23.3(第71回優勝馬キングカメハメハ、第72回優勝馬ディープインパクト)
  • 2着との最大着差 - 8馬身(第10回優勝馬セントライト[42]、第22回優勝馬オートキツ[43])
  • 最多キャリアでの優勝 - 17戦(第35回優勝馬タニノハローモア[44]、ただし本競走を含まない)
  • 最少キャリアでの優勝 - 2戦(第1回優勝馬ワカタカ[45]、第2回優勝馬カブトヤマ[46]、第3回優勝馬フレーモア[47]、第4回優勝馬ガヴアナー[48]、第8回優勝馬クモハタ[49]、第12回優勝馬クリフジ[50]、第63回優勝馬フサイチコンコルド[51]、いずれも本競走を含まない)
  • 最多勝利数での優勝 - 11勝(第37回優勝馬タニノムーティエ[52])、ただし本競走を含まない)
  • 最少勝利数での優勝 - 1勝(第1回優勝馬ワカタカ[53]、第2回優勝馬カブトヤマ[54]、第5回優勝馬トクマサ[55]、第8回優勝馬クモハタ[56]、第9回優勝馬イエリユウ[57]、いずれも本競走を含まない)
  • 単勝最高支持率 - 73.4%(第72回ディープインパクト・単勝1.1倍)
  • 単勝最低支持率勝利 - 72票(第16回優勝馬タチカゼ・単勝554.3倍・19番人気)[58]

騎手[編集]

  • 最多勝利騎手 - 武豊 5勝(第65、66、69、72、80回)
  • 連覇騎手 - 武豊(第65・66回)、四位洋文(第74、75回) それぞれ2連覇
  • 最年少勝利騎手 - 前田長吉 20歳3か月(第12回)[59]
    • 日本中央競馬会成立以後に限ると、第38回を優勝した田島良保の23歳7か月。[60]
  • 最年長勝利騎手 - 増沢末夫 48歳7か月(第53回)[61]

調教師[編集]

  • 最多勝利調教師 - 尾形藤吉(旧名・景造) 8勝(第3、5、12、19、23、28、30、44回)[62]

種牡馬・繁殖馬[編集]

  • 最多勝利種牡馬 - トウルヌソル 6勝(第1回ワカタカ、第5回トクマサ、第6回ヒサトモ、第8回クモハタ、第9回イエリユウ、第12回クリフジ)、サンデーサイレンス 6勝(第62回タヤスツヨシ、第65回スペシャルウィーク、第66回アドマイヤベガ、第67回アグネスフライト、第70回ネオユニヴァース、第72回ディープインパクト)

その他[編集]

  • 最高出走頭数 - 33頭(第20回)[63]
  • 東京優駿当日の総入場者数 - 19万6571人(競馬の総入場者数世界最高記録・第57回)[64]
  • 東京優駿1競走の勝馬投票券最高売上げ-567億8692万400円(第61回))[65]
  • 東京優駿当日の東京競馬場の勝馬投票券最高売上げ-726億3531万5600円(第61回))[66]

史上初の記録[編集]

[編集]

  • 無敗のダービー馬 - フレーモア(第3回)[67]
  • 牝馬による制覇 - ヒサトモ(第6回)[68]
  • 持込馬による制覇 - カイソウ(第13回)[69]
  • 持込馬による制覇 - ヒカルメイジ(第24回)[70]
  • 北海道産馬による制覇 - カイソウ(第13回)[71]
  • 芦毛馬による制覇 - ウィナーズサークル(第56回)[72]
  • 青鹿毛馬による制覇 - キズナ(第80回)[73]
  • 公営出身馬による制覇 - ゴールデンウエーブ(第21回)[74]
  • 親子制覇 - カブトヤマ・マツミドリ(第2回・第14回)[75]
  • 兄弟制覇 - カブトヤマ・ガヴアナー(第2回・第4回)[76]

騎手・調教師[編集]

  • 2勝した騎手 - 橋本輝雄(第13・17回)[77]
  • 連覇した騎手 - 武豊(第65・66回)[78]
  • 3勝以上した騎手 - 武豊(第65・66・69・72・80回)[79]
  • 親馬・子馬の両方で制した騎手 - 武豊(第72回 ディープインパクト、第80回 キズナ)[80]
  • 外国人騎手による制覇 - ミルコ・デムーロ(第70回)[81]
  • 地方競馬出身騎手による制覇 - 安藤勝己(第71回)
  • 父子騎手による制覇
  • 父子調教師による制覇
  • 騎手・調教師両方で制覇 - 大久保房松(騎手:第2回、調教師:第2・22・26回)[84]
    • 大久保師は調教師と騎手の兼任時代の騎乗。
    • 調教師・騎手兼任時代を除くと二本柳俊夫(騎手:第22回、調教師:第52回)[85]
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 - 四位洋文(第74・75回)

馬主[編集]

  • 所有馬が連覇した馬主 - 金子真人(第71・72回)[注 20]
  • 同一馬主による1・2着独占 - サンデーレーシング(第79回)

その他[編集]

  • 東京優駿競走の勝馬投票券売上げ100億円初突破 - 第41回(118億7436万円)[86]

父仔制覇[編集]

ダービー馬はダービー馬から(生まれる)」と言う競馬界での格言があり[誰によって?]、東京優駿父仔優勝は8組が達成している。[87]

父馬名 優勝回 仔馬名 優勝回 特記事項
1組目 カブトヤマ 第2回 マツミドリ 第14回
2組目 ミナミホマレ 第11回 ゴールデンウエーブ 第21回
3組目 ミナミホマレ 第11回 ダイゴホマレ 第25回
4組目 シンボリルドルフ 第51回 トウカイテイオー 第58回 父仔とも無敗のクラシック二冠達成
5組目 タニノギムレット 第69回 ウオッカ 第74回 父娘による制覇
6組目 ネオユニヴァース 第70回 ロジユニヴァース 第76回
7組目 ディープインパクト 第72回 ディープブリランテ 第79回
8組目 ディープインパクト 第72回 キズナ 第80回 父仔とも武豊騎乗による勝利

東京優駿に出走して敗れた馬の産駒が東京優駿を制しているのは[88]

父馬名 出走回 着順 仔馬名 優勝回
トサミドリ 第16回 7着 コマツヒカリ 第26回
ハイセイコー 第40回 3着 カツラノハイセイコ 第46回
トウショウボーイ 第43回 2着 ミスターシービー 第50回

の3組ある。他にも東京優駿不出走の日本調教馬が父として産駒が東京優駿を制した例として、

父馬名 仔馬名 優勝回
マルゼンスキー サクラチヨノオー 第55回
アグネスタキオン ディープスカイ 第75回
ステイゴールド オルフェーヴル 第78回

がある(外国調教馬、未出走の馬を除く)。

兄弟制覇[編集]

過去に2組の兄弟制覇(競馬でいう兄弟は同母に限る)の例がある。[89]

兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回 母馬名
1組目 カブトヤマ 第2回 ガヴアナー 第4回 アストラル
2組目 ヒカルメイジ 第24回 コマツヒカリ 第26回 イサベリーン

なお、1組目のカブトヤマとガヴアナーは父馬も同じ全兄弟である。

デビューから無敗制覇[編集]

過去に10頭がデビューから無敗で東京優駿を制覇しているが、ガヴアナー、トキノミノルは東京優駿後は不出走。クリフジは11戦無敗を保った。

優勝回 馬名 東京優駿
終了時の成績
生涯成績
1 第3回 フレーモア 3戦3勝 13戦7勝
2 第4回 ガヴアナー 3戦3勝 3戦3勝
3 第12回 クリフジ 3戦3勝 11戦11勝
4 第18回 トキノミノル 10戦10勝 10戦10勝
5 第27回 コダマ 7戦7勝 17戦12勝
6 第51回 シンボリルドルフ 6戦6勝 16戦13勝
7 第58回 トウカイテイオー 6戦6勝 12戦9勝
8 第59回 ミホノブルボン 6戦6勝 8戦7勝
9 第63回 フサイチコンコルド 3戦3勝 5戦3勝
10 第72回 ディープインパクト 5戦5勝 14戦12勝

騎手の父子制覇[90][編集]

優勝回 優勝回
1組目 中島時一 第6回(ヒサトモ) 中島啓之 第41回(コーネルランサー)
2組目 伊藤正四郎 第5回(トクマサ) 伊藤正徳 第44回(ラッキールーラ)
3組目 武邦彦 第39回(ロングエース) 武豊 第65回(スペシャルウィーク)、第66回(アドマイヤベガ)、
第69回(タニノギムレット)、第72回(ディープインパクト)、
第80回(キズナ)

調教師の父子制覇[編集]

優勝回 優勝回
1組目 松山吉三郎 第29回(フエアーウイン)、第53回(ダイナガリバー) 松山康久 第50回(ミスターシービー)、第56回(ウィナーズサークル)
2組目 池江泰郎 第72回(ディープインパクト) 池江泰寿 第78回(オルフェーヴル)

本競走優勝馬による菊花賞の制覇[編集]

ベストターンドアウト賞[編集]

エピソード[編集]

優勝馬[編集]

本競走の優勝馬の中にはその後故障による早期引退[注 21]、成績不振[注 22]に喘いでいる馬も少なくない。本競走優勝馬でその後古馬GI競走を制した馬は以下の通りである。

本競走優勝馬で古馬GI競走を制した馬(グレード制導入の1984年以降)
回数 馬名 主な勝ち鞍、備考
第51回 シンボリルドルフ 第29回・第30回有馬記念、第91回天皇賞(春)、第5回ジャパンカップ
第53回 ダイナガリバー 第31回有馬記念[注 23]
第58回 トウカイテイオー 第12回ジャパンカップ、第38回有馬記念
第61回 ナリタブライアン 第39回有馬記念[注 23]
第65回 スペシャルウィーク 第119回天皇賞(春)、第120回天皇賞(秋)、第19回ジャパンカップ(いずれも1999年)
第68回 ジャングルポケット 第21回ジャパンカップ[注 23]
第72回 ディープインパクト 第133回天皇賞(春)、第47回宝塚記念、第26回ジャパンカップ、第51回有馬記念
第73回 メイショウサムソン 第135回天皇賞(春)、第136回天皇賞(秋)
第74回 ウオッカ 第58回・第59回安田記念、第138回天皇賞(秋)、第4回ヴィクトリアマイル、第29回ジャパンカップ
第77回 エイシンフラッシュ 第146回天皇賞(秋)
第78回 オルフェーヴル 第56回・第58回有馬記念、第53回宝塚記念

一方、2着馬はその後優勝馬以上に活躍・出世するケースが近年顕著になってきている。古馬GI競走を制した馬は以下の通り。このほか、レオダーバン(第58回)・ダンスインザダーク(第63回)・ナリタトップロード(第66回)・エアシャカール(第67回)・アサクサキングス(第74回)の5頭が菊花賞優勝を果たしたが、古馬GI競走を制することはできなかった。

本競走2着馬で古馬GI競走を制した馬(グレード制導入の1984年以降)
回数 馬名 主な勝ち鞍、備考
第57回 メジロライアン 第32回宝塚記念
第59回 ライスシャワー 第107回・第111回天皇賞(春)
第60回 ビワハヤヒデ 第109回天皇賞(春)、第35回宝塚記念
第62回 ジェニュイン 第13回マイルチャンピオンシップ
第64回 シルクジャスティス 第42回有馬記念[注 23]
第68回 ダンツフレーム 第43回宝塚記念
第69回 シンボリクリスエス 第126回・第128回天皇賞(秋)、第47回・第48回有馬記念
第70回 ゼンノロブロイ 第130回天皇賞(秋)、第24回ジャパンカップ、第49回有馬記念
第71回 ハーツクライ 第50回有馬記念、第9回ドバイシーマクラシック
第77回 ローズキングダム 第30回ジャパンカップ[注 24]
第79回 フェノーメノ 第147回天皇賞(春)

優勝馬の血統面に関しては、トニービンの初年度産駒がクラシック世代に到達した1993年以降、1996年のフサイチコンコルドと2004年のキングカメハメハと2006年のメイショウサムソン、2010年のエイシンフラッシュ以外は三大種牡馬(サンデーサイレンス・トニービン・ブライアンズタイム[要出典]の直仔・孫が優勝している。2003年のダービーではサンデーサイレンス系(直仔または孫)の馬が掲示板を独占することとなり、2011年のダービーでは、出走する全頭がサンデーサイレンスの孫となった。[注 15]

優勝騎手・調教師[編集]

  • 長年ダービーの最多勝利ジョッキーは2勝が大多数で連覇達成もなかなかできない状態だったが1998年に初優勝を達成した武豊が1999年に史上初の2連覇、2002年に新記録の通算3勝目(2005年に4勝、2013年に5勝に伸ばしこれが現状の最高記録)を達成した。なお連覇は2008年まで武豊と四位洋文(2007、2008年)しか達成していない。
  • 国営競馬時代から現行の中央競馬に至るまで3歳(旧4歳)クラシック競走で唯一、連覇した調教師が存在しない(2013年現在)。本競走を8勝した尾形藤吉でさえ成し得なかった。
  • 2006年12月、1997年にサニーブライアンで制した大西直宏が騎手を引退したことにより美浦トレーニングセンターに所属する現役ダービージョッキーが不在になる事態となり[注 25]、2009年に横山典弘ロジユニヴァースで勝つまで続いた。横山の勝利まで美浦トレーニングセンター、またそれ以前の関東圏の競馬場に厩舎が所属していた時代も含めて関東圏に籍を置く現役ダービージョッキーが不在になるという事態は日本近代競馬のクラシック路線の成立後、史上初の事態であった。[要出典]

特別仕様[編集]

  • 中央競馬の3歳クラシック競走ではゼッケンは紺地に黄色の数字のものを使用するが、本競走に限り第1回から変更されることなく一般競走と同様の白地に黒の数字のものを用いている。ただし1994年から一般競走のそれと異なり、金糸による縁取りが施されている。また馬番の下に記載されるものはスタンド側から見えるものについては馬名、内馬場側から見えるものについては第○○回日本ダービーの表示である。なお、その他のGI競走で使用されるゼッケンは紺地に白色の数字を用いたものである。また、馬名が併記されるようになったのは1988年以降である(それまでは馬名入りゼッケンはジャパンカップ(1983年の第3回より使用)のみであった)。
  • 発走ゲートもダービー特別版。ゲートの上には日本ダービーと書かれている。

レースと枠順[編集]

  • フルゲートが最大で35頭(1950年代)から28頭時代(1960年代から1980年代前半頃まで)、24頭時代(1980年代後半)、22頭時代(1990年)を経て20頭時代(1991年)までは、第1コーナーに入る時点で10番手以内に入らなければ勝てないという「ダービーポジション」にとらわれて、スタート直後に各馬が第1コーナーに殺到し、コーナーを回って向う正面に入るとペースが落ちないのでハイペースに巻き込まれる馬が多かった。それを見てファンはテレビによく映るから距離がもたないと分かりながらも大逃げを打つテレビ馬だと揶揄していた。例えば1988年のアドバンスモア(8枠24番)がそうであった(ただし第3コーナー以降で失速し、第4コーナーから直線にかけて残り全部の馬に追い抜かれ、この馬は最終的には最下位で入線した)。実際はほとんどの場合は初めて超多頭数で揉まれる競馬を経験して驚く馬が多かっただけのことだが、その後の展開を考えて第1コーナーで10番手以内に入ることは重要とみる考え方は当時は根強いものがあった。そこで大外枠からの発走では第1コーナーまで余分なスタミナを消耗することで20番(枠番では概ね6枠)以上の馬はなかなか勝てないと考える向きが多かった。しかし実際には、例えば1955年は1着オートキツ21番、2着カミサカエ24番、3着ケゴン20番(1番人気)、4着ヒシタカ22番で上位4頭まで大外枠であり、勝った馬だけで見ると1973年1着タケホープ21番。1976年クライムカイザー20番の例がある。この2頭はどちらも最初のコーナーで最後方に位置している。その他、外枠ではないが1971年ヒカルイマイや1983年三冠馬ミスターシービーも、追込馬の特徴を生かし、最後方からの競馬をして勝っている。
  • ただ、能力が同じレベルで対戦すると内枠に入った馬が勝つケースが多い。例えば3強が揃った1956年は1着ハクチカラ4番、2着キタノオー25番(1番人気)、3着ヘキラク22番。1972年は1着ロングエース6番(1番人気)、2着ランドプリンス20番、3着タイテエム22番。混戦になればやはり内側に入った馬が有利であった。1966年は1着テイトオー9番、2着ソロモン24番、3着ナスノコトブキ28番、4着ダイニセエチョウ25番。この時の1番人気ショウグン20番で9着、2番人気ニホンピロエース23番で20着。またブービー人気(最低人気の1つ上のことを指す)だったスピードシンボリ(後のJRA顕彰馬)は21番で8着。東京優駿史上最外枠で優勝した1977年のラッキールーラ(28頭中7枠24番)は、最初のコーナーを先頭で回って一旦2~3番手になり直線でまた先頭に立って押し切る競馬であった。
  • 1933年の勝ち馬カブトヤマは19頭で18番。これは目黒での記録だが、1939年~1944年までは勝ち馬が10~18番で、戦前に開催したダービー13回で1桁の馬番の馬が勝ったのは3頭だけ、また20頭を超える出走も3回だけだった。戦後も10~14番に入った馬が勝つケースが多く、むしろ内枠の方が実績としてはもうひとつであった。しかし戦後に入り徐々に出走頭数が増え、1991年の競馬法の改正までは、競馬場のコース幅などでの制約で出走頭数を制限することはあったものの、最大出走頭数の上限は法的には特に設けられていなかったことや、日本競馬最大の競走だったこともあり、東京優駿は超多頭数での出走となることとなり、1950年代の後半から30頭を超す出走馬になって、道中で多数の馬を捌いていく器用さが求められ、そのため20番以降の馬にとっては条件が悪いものになった。それでも1948年に1番人気ミハルオーがスタート時に入れ込んで8番の所定位置(この時代はバリアー式)に立てなかったので23頭立ての大外発走となったものの快勝したり、1961年にメジロオーが32番の超大外枠で出走し1着馬にハナ差の2着まで追い込んで史上最外枠の2着馬になったケースもあった。また、超多頭数での出走ゆえに、8枠制が導入されて以降は、枠順抽選で8枠を引いた馬は勝てないと言われていたが、出走頭数が徐々に減ってきた頃の1991年にトウカイテイオーが8枠の馬で初めて優勝し、以後法律で最大出走可能頭数が1レースで18頭までに制限されてからは、多数の馬を捌く必要も薄らいだこともあり、8枠の勝ち馬も1994年のナリタブライアン、1997年のサニーブライアン、2001年のジャングルポケットと増えている。
  • 内枠は1番、3番、6番などはずっと勝ち馬が出ない枠として不思議がられて、1番は1962年、3番は1981年、6番は1972年に初めて勝ち馬を出した。3番が初めて優勝した時には21番はすでに2頭の勝ち馬を出していたことと、それまでに20頭を超えない出走馬の回(要するに21番以上の馬番が存在しない回)が14回もあったことは特筆される。また1番は2007年から2013年までの7年間に実に5頭も勝ち馬を出し、とりわけ2008年から2010年に3年連続勝ち馬が出るなど、馬群に包まれて結果を出せないとされていた枠から変わってきている。
全80回勝ち馬の枠番と頭数
  • 1番(6頭)
    • フェアーウイン・タニノハローモア・ディープスカイ・ロジユニヴァース・エイシンフラッシュ・キズナ
  • 2番(6頭)
    • スゲヌマ・クリノハナ・ダイゴホマレ・キーストン・アドマイヤベガ・メイショウサムソン
  • 3番(4頭)
    • カツトップエース・ウィナーズサークル・タニノギムレット・ウオッカ
  • 4番(6頭)
    • トクマサ・ゴールデンウエーブ・ハクチカラ・メイズイ・オペックホース・アグネスフライト
  • 5番(7頭)
    • ヒカルメイジ・コダマ・コーネルランサー・サクラチヨノオー・スペシャルウィーク・ディープインパクト・オルフェーヴル
  • 6番(2頭)
    • ロングエース・ダイナガリバー
  • 7番(2頭)
    • ヒサトモ・カツラノハイセイコ
  • 8番(2頭)
    • ミハルオー・メリーナイス(ミハルオーは実質23番枠)
  • 9番(2頭)
    • トキノミノル・テイトオー
  • 10番(8頭)
    • ガヴァナー・クリフジ・シンザン・アサデンコウ・タニノムーティエ・シンボリルドルフ・ウイニングチケット・ディープブリランテ
  • 11番(4頭)
    • フレーモア・マツミドリ・コマツヒカリ・サクラショウリ
  • 12番(5頭)
    • セントライト・カブラヤオー・ミスターシービー・アイネスフウジン・キングカメハメハ
  • 13番(7頭)
    • クモハタ・ミナミホマレ・カイソウ・ボストニアン・ハクショウ・フサイチコンコルド・ネオユニヴァース
  • 14番(4頭)
    • タチカゼ・クモノハナ・ヒカルイマイ・タヤスツヨシ
  • 15番(1頭)
    • ミホノブルボン
  • 16番(2頭)
    • ワカタカ・シリウスシンボリ
  • 17番(2頭)
    • バンブーアトラス・ナリタブライアン
  • 18番(5頭)
    • カブトヤマ・イエリュウ・ダイシンボルガード・サニーブライアン・ジャングルポケット
  • 20番(2頭)
    • クライムカイザー・トウカイテイオー
  • 21番(2頭)
    • オートキツ・タケホープ
  • 24番(1頭)
    • ラッキールーラ

なお22・23番と25番以上の馬番での勝ち馬は存在していない。

内枠(1~9番)と外枠(10番以降)の勝ち馬数

  • 01回~第10回 内枠3頭  外枠7頭
  • 第11回~第20回 内枠3頭  外枠7頭
  • 第21回~第30回 内枠3頭  外枠7頭
  • 第31回~第40回 内枠4頭  外枠6頭
  • 第41回~第50回 内枠4頭  外枠6頭
  • 第51回~第60回 内枠4頭  外枠6頭
  • 第61回~第70回 内枠4頭  外枠6頭
  • 第71回~第80回 内枠8頭  外枠2頭

ダービーフェスティバル[編集]

東京優駿の開催気運を盛り上げるために1983年から毎年開かれている日本中央競馬会主催のイベントである。

毎年、東京優駿が開催される週(原則5月最終日曜日)の月曜日に東京都内で開かれるこのイベントでは、その年の東京優駿に出走が予定されている注目馬の騎手や競馬愛好家のタレント、新聞・放送マスコミに携わる競馬ジャーナリストが一堂に会し東京優駿のレース展望会や騎手インタビュー、クイズ大会などで盛り上がっている。なお2005年度は主催者の都合により都内ではこのイベントは行わずに、東京競馬場内でのサービスの拡充に費やした。

またダービーを題材にしたイベントが主としてダービーウィークの平日を中心に全国各地で展開されており、新潟市において「ダービーフェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場新潟放送の共催で毎年行われる。なお、現在イベントの形で残っているダービーフェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。2005年度は2004年の有馬記念フェスティバルを受けて新潟でも元JRA職員で格闘家の小川直也が招かれた。

開催当日のほかの競走[編集]

中央競馬ではほとんどのGI競走は第11競走で施行される[注 26]が、東京優駿当日は全体の競走数ならびにメインとなる本競走の競走番号が他の競走と異なる[注 27]。1989 - 2001年までは当日は全部で10競走で東京優駿は第9競走で行われていた。2002年からは全体で1競走増加し当日は11競走行われ、東京優駿は第10競走で行われていた。2006年からは東京優駿当日についても全体で12競走行われるようになり最終第12競走に目黒記念薄暮競走として実施するようになったが[注 28]東京優駿は2005年までと同様第10競走で行われており、通常の日程と勘違いして勝馬投票券を第11競走のものを購入してしまう観客も毎年のように見られる。[要出典]また馬券を発売している施設ではその旨注意の喚起放送が繰り返される。

現在の中央競馬では草木の名前を冠した競走は3歳(あるいは2歳)馬限定で行われるが、本競走の前に行われる「むらさき賞」に限っては例外で4歳以上の競走として施行される。なお2013年は「1980'sダービーメモリーズ」として施行された。

1988年より本競走開催日を「ダービーデー」と称し、東京優駿制覇騎手のみが騎乗出来るダービージョッキーズステークスと東京優駿優勝馬の産駒のみが出走できるダービースタリオンズステークス(ともに準オープン)という競走が開催されていたが、ともに出走対象が激減したために廃止された。

なお、2013年は「東京優駿第80回記念」として先述の「目黒記念」「1980'sダービーメモリーズ(=むらさき賞)」を含め、午後に開催される東京競馬の全競走を特別競走とし、それぞれの年代ごとのダービー優勝馬の名前を冠した「○○'sダービーメモリーズ・○○カップ」(これは京都競馬場も対象)、更に歴代の日本・イギリスフランスアイルランドアメリカ合衆国の各ダービー(東京優駿、ダービーステークスジョッケクルブ賞(フランスダービー)、アイルランドダービーケンタッキーダービー)において優勝したことがある競走馬の産駒限定による「復刻 ダービースタリオンステークス」[注 29]若手騎手限定競走による「ホープフルジョッキーズ」を開催した[38][注 19]

ダービーメモリーズの開催競走名
  • 東京
    • 第6競走 1960'sダービーメモリーズ・シンザンカップ
    • 第7競走 1970'sダービーメモリーズ・タケホープカップ
    • 第8競走 1980'sダービーメモリーズ・シンボリルドルフカップ
    • 第11競走 1stダービーメモリーズ・ワカタカカップ(1932年の初代東京優駿馬にちなむ)
  • 京都
    • 第9競走 1990'sダービーメモリーズ・ナリタブライアンカップ
    • 第10競走 2000'sダービーメモリーズ・ディープインパクトカップ
    • 第11競走 1932-1950'sダービーメモリーズ・トキノミノルカップ

2013年3月9日~24日まで年代別にファン投票を行い、1位の票を集めた東京優駿馬の馬名を冠したレース名が2013年4月1日に決定した[92](第1回優勝のワカタカについてはすでに決定済み)。

地方競馬での各地の3歳馬頂点を決めるとともにジャパンダートダービー出場をかけたダービーWeekの初日が2008年以後、この東京優駿と同日開催となる傾向がある。

その他[編集]

  • レースで実際に使用したは東京競馬場のJRA競馬博物館に永久保存・展示される。このため騎手は他のGIレースと異なり、鞭を観客席へ投げ入れることは通常行っていない。ただし例外があり、第38回(1971年開催)と第65回(1998年開催)で使用された鞭は展示されていない。第38回は、同レースをヒカルイマイで制した田島良保が装鞍所に引き上げる際にスタンドに投げ入れたため。第65回はこのレースでダービー初制覇となった武豊(騎乗馬はスペシャルウィーク)がゴール直前で鞭を落としたため。(どちらも映像が残っている)
  • 日本競馬最大のイベントであるということで、本馬場入場後に日本国国歌君が代」の斉唱が行われる。この独唱は声楽家や合唱団だけでなく、年度により日本を代表する歌手(過去に北島三郎和田アキ子小林幸子ら)が行う。震災のあった2011年は独唱でなく国歌演奏として行われた。
  • 例年、東京優駿のファンファーレ表彰式の演奏は陸上自衛隊中央音楽隊が担当している(他にもジャパンカップや年度にもよるが有馬記念でも同様に演奏を担当している場合がある)。なお、ファンファーレは競走の出走可能頭数と同じ18人で演奏する。
  • 第80回記念の2013年の競走は「ダービーへようこそ」というキャッチフレーズと記念ロゴマークを制定し、東京競馬場のスタンドにもこのキャッチフレーズ他をかたどった横断幕が設置された。
  • 2013年のダービー当日の東京競馬場開門時刻は午前7時20分であった。

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 「春競馬の祭典」とも
  2. ^ 1961年昭和36年)の主要大レースの賞金は東京優駿が700万円。天皇賞、有馬記念、菊花賞が500万円。皐月賞優駿牝馬が400万円。桜花賞中山大障害が300万円。宝塚記念が200万円。安田記念が150万円。一般重賞は100万円前後であった。
  3. ^ 公式な名称には付されていないものの1932年(昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
  4. ^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
  5. ^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。
  6. ^ 多い年では30頭を超す出走頭数があり、有力でも他馬が邪魔になったり抽選で外側や内側の発走枠となると大きな不利を被った。
  7. ^ 1934年(昭和9年)、前年の優勝馬を相手に前走でレコード勝ちした3戦無敗のミラクルユートピアが本競走当日の朝に脱臼し引退となった。
  8. ^ ほかにも、1935年(昭和10年)のガヴァナーや1951年(昭和26年)のトキノミノルは本競走優勝後に急逝している。もちろん実際には本競走に限らずこうしたアクシデントは常に起きているが、こうしたフレーズができるほど本レースが特別に世間一般の耳目を集める顕れである。
  9. ^ 同様に1956年創設の「有馬記念(第1回だけ「中山グランプリ競走」)」も中山競馬場のみで開催されており、一度も他場に振り替えられていない。
  10. ^ 2002年平成14年) - 2003年(平成15年)の大規模改修など。
  11. ^ このため1968年(昭和43年。スタンド改修工事による開催延期)と1972年(昭和47年。馬インフルエンザ蔓延で関東での開催が一時中止になったうえに厩務員ストライキも行われた為)に関しては本来の5月に皐月賞が行われ、ダービーは7月に開催時期を延期しており「七夕ダービー」といわれる。
  12. ^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬、日本国外で生産された馬、日本国外で調教された馬が制限の対象となってきた。
  13. ^ 単に有馬記念やジャパンカップ、年度代表馬は同じ馬が複数年に名が出る可能性があるのに対し本競走の優勝馬は必ず毎年変わるという、実際上の利便性によるという事情もある。
  14. ^ JRAの競馬場においては再入場する際には新たに入場券が必要となること(地方競馬では再入場する際は退場時に再入場券を取得すれば新たに入場券を購入する必要はない)、また東京優駿発走前に退場したものも少なからずいるため東京優駿発走時に19万人が競馬場に滞留していたわけではないことに留意すべきである。
  15. ^ a b 出走馬18頭のうち、16頭はサンデーサイレンスの直孫、2頭は母父がサンデーサイレンス。ちなみに当レースの最終登録馬は22頭いたが、この段階で全馬がサンデーサイレンスの孫という事態となっていた。
  16. ^ 優勝馬オルフェーヴルサンデーレーシング、2着馬ウインバリアシオンウインレーシングクラブ、3着馬ベルシャザール社台レースホース
  17. ^ 優勝したディープブリランテは右前脚屈腱炎で引退、3着のトーセンホマレボシも右前脚屈腱炎で引退、4着のワールドエースは左前脚屈腱炎、6着のコスモオオゾラは両第1指骨剥離骨折、10着のグランデッツァは腱周囲炎、13着のアルフレードは右前浅屈腱炎を発症した。
  18. ^ 対象は1932 - 1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代の6つ。有馬記念のファン投票選出方法と同様に公式投票用紙(競馬場ウインズ各会場、新橋と梅田の『Gate J』で配布)、インターネットから投票可能だが1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と投票用紙による印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効。また2000年代の投票対象は2009年まで、かつ2013年1月31日時点で現役登録されている馬は対象外(事実上のロジユニヴァースへの組織票対策とみられる[要出典])。
  19. ^ a b 当初は16名の若手騎手で実施される予定だったが杉原誠人が当日の第2競走で落馬負傷したため、急遽若手騎手ではない松岡正海が参加することになった(結果は2着)。
  20. ^ 実質的には第51・52回の和田共弘・シンボリ牧場の例がある。
  21. ^ トキノミノル(1951年)はレース後に破傷風を発症して急死。カツトップエース(1981年)、アイネスフウジン(1990年)、サニーブライアン(1997年)、タニノギムレット(2002年)などはこのレースを最後に引退。
  22. ^ 引退までに32連敗を記録したオペックホース(1980年)、脚部不安で2度の長期休養を余儀なくされたロジユニヴァース(2009年)など。
  23. ^ a b c d その後のGI制覇が3歳(旧4歳)時の制覇のみで古馬になってからのGI制覇はない
  24. ^ 2位入線繰り上げでのもの
  25. ^ 1998年以降2008年まで11年連続で栗東トレーニングセンター所属の騎手(2003年優勝ミルコ・デムーロも優勝時は関西から参戦)が勝利した。大西直宏以前は1993年の柴田政人
  26. ^ 1日の競走数が12にほぼ固定されるようになった1998年以降。
  27. ^ 他にジャパンカップ(1984年から2003年、2005年から2011年までは第10競走だったが2004年及び2012年からは第11競走)と有馬記念(1988年から2007年まで第9競走だったが2008年からは第10競走)開催日は競走数が少ない。
  28. ^ 但し2011年は東日本大震災の影響で薄暮開催はなし。目黒記念は前日(5月28日)に実施。東京優駿は第11競走で行われた。
  29. ^ ただし、出走馬登録時点でタヤスツヨシ・スペシャルウィーク・ジャングルポケット・タニノギムレット・ネオユニヴァース・キングカメハメハ・ディープインパクト産駒の登録だったため、日本ダービー以外の各国のダービー馬産駒の登録は1頭もなかった。

出典[編集]

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参考文献[編集]

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  • 『競馬百科』日本中央競馬会・編、株式会社みんと・刊、1976年
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  • 『続日本馬政史』(財)神翁顕彰会、1963年
  • 『東京競馬場及東京競馬倶楽部史』長森貞夫編、1941年
  • 『Gallop臨時増刊・日本ダービー70年史』2004年6月発行 産経新聞社
  • 『Gallop臨時増刊・菊花賞全史』2005年11月発行 産経新聞社
  • 『別冊宝島2078』競馬激闘史「不滅の大記録」2013年11月発行 宝島社
  • 『優駿』2000年11月号「20世紀のベストホース100」
  • 『優駿』2002年4月号「日本の競馬60年」
  • 『優駿』2003年3月号「伝説の名レース・名勝負」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]