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2017年9月20日 (水) 14:00時点における版

福永 健司
ふくなが けんじ
1952年に撮影
生年月日 1910年8月5日
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国 滋賀県
没年月日 (1988-05-31) 1988年5月31日(77歳没)
出身校 東京帝国大学
(現・東京大学
所属政党自由党→)
自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
子女 福永信彦(長男)

日本の旗 第63代 衆議院議長
在任期間 1983年12月26日 - 1985年1月24日

日本の旗 第49代 運輸大臣
内閣 福田赳夫改造内閣
在任期間 1977年11月28日 - 1978年12月7日

日本の旗 第52代 厚生大臣
内閣 第2次田中角榮第2次改造内閣
在任期間 1974年11月11日 - 1974年12月9日

日本の旗 第30-31代 内閣官房長官
内閣 第1次佐藤内閣第3次改造内閣
第2次佐藤内閣
在任期間 1966年12月3日 - 1967年6月22日

選挙区 埼玉県第1区
当選回数 15回
在任期間 1949年1月24日 - 1988年5月31日

その他の職歴
日本の旗 第19代 労働大臣
1961年7月18日 - 1962年7月18日
日本の旗 第10-12代 内閣官房長官
1953年3月24日 - 1954年12月10日
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福永 健司(ふくなが けんじ、1910年明治43年)8月5日 - 1988年昭和63年)5月31日)は、日本の政治家、第63代衆議院議長内閣官房長官労働大臣厚生大臣運輸大臣自由民主党国会対策委員長自由民主党総務会長を歴任。従二位勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦

来歴・人物

滋賀県甲賀都甲賀町(現・甲賀市)出身。旧制松江高校東京帝国大学卒業後、片倉製糸紡績に入社。

1947年西村実造埼玉県知事の要請を受けて埼玉県副知事となる。カスリーン台風が到来したときには、利根川が決壊するなか陣頭指揮にあたる。

1949年第24回衆議院議員総選挙吉田茂率いる民主自由党から埼玉県第1区で立候補し、トップ当選を果たす[1]。以来、吉田側近として活躍する。

1951年9月、サンフランシスコ講和会議に衆議院代表として派遣される。

1952年、一年生議員ながら自由党幹事長に推薦されるが、その承認を受けるはずだった自由党議員総会で前年の鳩山一郎公職追放解除を受けて反吉田に動き始めていた鳩山系議員が造反し、大混乱して流会に追い込まれる。結局福永は幹事長辞退を余儀なくされた(「福永幹事長指名事件」)。

その後、第4次吉田内閣及び第5次吉田内閣では内閣官房長官を務めている。

自民党誕生後は吉田の流れを受け継ぐ宏池会に所属。第1次佐藤内閣第2次佐藤内閣では内閣官房長官を務めた。自民党政権の総裁派閥以外の官房長官の例は他に、前首相の病気辞任による居抜き内閣的な場合を除けば後藤田正晴中曽根内閣)・塩川正十郎宇野内閣)がある[要出典]

1978年3月26日成田空港管制塔占拠事件時の運輸大臣であり、新東京国際空港(現・成田国際空港)の3月30日に予定されていた開港の延期を自ら発表する。長期の開港延期もやむなしとする周囲の意見を退け、同年5月20日開港を決断するとともに、三里塚芝山連合空港反対同盟戸村一作と秘書官一人を伴って会見し、さしで話し合いを行った。新東京国際空港の開港式典時では「昔から申します。難産の子は健やかに育つ」と祝辞を述べた(→成田空港問題)。

1983年12月には、第63代衆議院議長(在任期間・1983年12月28日 - 1985年1月24日)に就任したが、体力の衰えが進行していた1985年1月、国会の開会式のリハーサルで、玉座から後ろ向きに階段を下りる「右進退左」の所作がうまくできない(天皇を向けてしまうことになるため)という理由で、議長を辞任した。ただし、辞任の背景には「福永の健康問題を大袈裟にすることで辞任に追い込み、後任に二階堂進を推すことで二階堂を派閥から祭り上げたい」という金丸信幹事長の思惑があったともいう(井芹浩文「派閥再編成」中公新書、P147~148。なお二階堂議長は結局実現しなかった)。議長辞任翌年の衆議院選挙では1位で15回目の当選を果たしている。

1988年5月31日死去。享年77。

経歴

親族

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第24回衆議院議員総選挙 1949年1月23日 埼玉県第1区 民主自由党 53,069 23.0 1/12 - -
第25回衆議院議員総選挙 1952年10月1日 埼玉県第1区 自由党 53,176 20.7 1/8 - -
第26回衆議院議員総選挙 1953年4月19日 埼玉県第1区 自由党 57,545 23.3 1/8 - -
第27回衆議院議員総選挙 1955年2月27日 埼玉県第1区 自由党 56,549 20.4 2/8 - -
第28回衆議院議員総選挙 1958年5月22日 埼玉県第1区 自由民主党 62,113 19.3 1/7 - -
第29回衆議院議員総選挙 1960年11月20日 埼玉県第1区 自由民主党 72,313 23.4 2/7 - -
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 埼玉県第1区 自由民主党 83,668 21.8 1/7 - -
第31回衆議院議員総選挙 1967年1月29日 埼玉県第1区 自由民主党 118,992 20.7 1/8 - -
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 埼玉県第1区 自由民主党 115,229 19.8 1/9 - -
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 埼玉県第1区 自由民主党 128,117 17.1 3/7 - -
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月5日 埼玉県第5区 自由民主党 86,823 18.8 3/5 - -
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月7日 埼玉県第5区 自由民主党 88,647 24.6 2/5 - -
第36回衆議院議員総選挙 1980年6月22日 埼玉県第5区 自由民主党 145,313 30.9 1/5 - -
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 埼玉県第5区 自由民主党 99,720 24.0 1/7 - -
第38回衆議院議員総選挙 1986年7月6日 埼玉県第5区 自由民主党 129,805 27.7 1/5 - -
当選回数15回 (衆議院議員15)

エピソード

  • サンフランシスコ講和会議で吉田が読み上げる巻物式の原稿の作成が間に合わず、とっさに「この辺で一休みして日本代表の言い分をじっくりと聞いてもらいたい」と議長に休憩を申し出て時間稼ぎをした。
  • 日ソ航空協定締結交渉では、首都間の相互乗り入れを主張する日本に対し、ソ連側がシベリヤ上空は外国機に開放できないとして日本内の一地点とハバロフスクとの相互乗り入れを主張したため進展していなかったが、福永がフルシチョフ首相との会談で「東京モスクワの距離が遠いのは日本のせいではなく、貴国が大き過ぎるからだ。国土の大小にかかわらず、相互乗り入れは首府対首府が常識である」とユーモアを交えて主張したことから、ソ連機及びソ連人乗組員を日本航空アエロフロートが共同でチャーターするという形で東京―モスクワ間の乗り入れが実現した。
  • 1952年、衆議院議院運営委員長に就任するが、「一度も採決をしないで全部話し合いで決めた委員長」という記録を持つ。
  • 1972年テルアビブ空港乱射事件を受けて急遽特派大使としてイスラエルに赴き、列国議会同盟での活動を通じて旧知の間柄であったメイア首相に「日本国民のおわびの気持ちを伝えに来ました」と訴え、メイア首相も「すぐ飛んでこられた福永さんの姿こそ本当の日本人の姿です。イスラエル国民に日本の誠意を伝えましょう」と答えた。
  • 1983年から1988年まで日本体育協会会長を務めた。

脚注

関連項目

外部リンク

第113回国会 本会議 第5号(山口鶴男による追悼演説)、2017年8月閲覧。

議会
先代
福田一
日本の旗 衆議院議長
第63代:1983年 - 1985年
次代
坂田道太
先代
佐々木秀世
福永健司(代理)
周東英雄
石田博英
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第20・21代:1963年 - 1964年
第16代:1960年
代理:1960年
第7代:1952年 - 1953年
次代
坪川信三
小平久雄
福永健司
菅家喜六
先代
相川勝六
日本の旗 衆議院内閣委員長
1957年 - 1958年
次代
内海安吉
公職
先代
田村元
日本の旗 運輸大臣
第49代:1977年 - 1978年
次代
森山欽司
先代
斎藤邦吉
日本の旗 厚生大臣
第52代:1974年
次代
田中正巳
先代
緒方竹虎
愛知揆一
日本の旗 内閣官房長官
第10・11・12代:1953年 - 1954年
第30・31代:1966年 - 1967年
次代
根本龍太郎
木村俊夫
先代
石田博英
日本の旗 労働大臣
第19代:1961年 - 1962年
次代
大橋武夫
党職
先代
前尾繁三郎
自由民主党総務会長
第12代 : 1966年
次代
椎名悦三郎
先代
村上勇
自由民主党国会対策委員長
第4代 : 1959年 - 1960年
次代
小沢佐重喜
その他の役職
先代
河野謙三
日本体育協会会長
第10代 : 1983年 - 1988年
次代
青木半治