鎌倉殿の13人

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鎌倉殿の13人
THE 13 LORDS OF THE SHOGUN
ジャンル テレビドラマ
脚本 三谷幸喜
演出 吉田照幸
末永創
保坂慶太
安藤大佑
中泉慧
小林直毅
松本仁志
出演者 小栗旬
(以下五十音順)
相島一之
青木崇高
秋元才加
浅野和之
阿南健治
新垣結衣
生田斗真
石橋静河
磯山さやか
市川猿之助
市川染五郎
市原隼人
江口のりこ
大泉洋
大竹しのぶ
大野泰広
岡本信人
緒方賢一
尾上松也
柿澤勇人
梶原善
片岡愛之助
加藤小夏
金子大地
川島潤哉
寛一郎
菊地凛子
北香那
きづき
木村昴
草笛光子
國村隼
栗原英雄
小池栄子
小泉孝太郎
小林隆
坂口健太郎
迫田孝也
佐藤浩市
佐藤二朗
佐藤B作
清水伸
シルビア・グラブ
杉本哲太
鈴木京香
菅田将暉
関智一
瀬戸康史
高岸宏行
竹財輝之助
田中直樹
田中泯
坪倉由幸
中川大志
中村獅童
新納慎也
西田敏行
西本たける
野添義弘
野仲イサオ
坂東彌十郎
福地桃子
堀田真由
堀内敬子
松平健
三浦透子
南沙良
宮澤エマ
宮沢りえ
矢柴俊博
八嶋智人
山口馬木也
山崎一
山寺宏一
山中崇
山本耕史
山本千尋
山谷花純
横田栄司
(以下特別出演)
長澤まさみ
松本潤
ナレーター 長澤まさみ
音楽 エバン・コール
時代設定 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
製作
制作統括 清水拓哉
尾崎裕和
プロデューサー 大越大士
吉岡和彦
川口俊介
結城崇史(VFX・DX担当)
制作 日本放送協会
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間2022年1月9日 - 12月18日
放送時間日曜 (地上波)20:00 - 20:45
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数48
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
番組年表
前作青天を衝け
続編どうする家康
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鎌倉殿の13人』(かまくらどのの13にん)は、2022年令和4年)1月9日から12月18日まで放送されたNHK大河ドラマ第61作[* 1]鎌倉幕府の第二代執権となった北条義時主人公[* 1]平安末期から鎌倉前期を描く[* 2]

制作[編集]

2020年(令和2年)1月8日に制作発表が行われ、三谷幸喜が脚本を担当し、小栗旬が主演することが発表された[* 1]。三谷が大河ドラマの脚本を担当するのは、『新選組!』『真田丸』に続いて3回目。小栗は、今作で8回目の大河ドラマ出演にして初主演[* 3]。発表の際、三谷は2019年および2020年の作品に関し、出演者の不祥事による放送期間中の降板・代役立て・再撮影が続いたことに触れた[* 4]

表題の「鎌倉殿」とは源頼朝をはじめとする鎌倉幕府将軍、「13人」とは頼朝死後に発足した集団指導体制「十三人の合議制」を構成した御家人を指しているが[* 5]、NHK大河ドラマにおいてタイトルにアラビア数字(算用数字)が使われるのは、今作が初であった[* 6]

今作では、源平合戦鎌倉幕府誕生の過程で繰り広げられる権力の座を巡る駆け引きを、ユーモアを交えたホームドラマのような描写とともに[* 7]、徹底して無情で陰惨な粛清劇として描いた[* 8]。三谷は執筆にあたり、日本史を知らない海外の人が見ても楽しめる「神代の時代」のドラマを書くことを目標とし、歴史書『吾妻鏡』をベースに[注釈 1]、特に『ゲーム・オブ・スローンズ』を手本とした[1]。また、物語の全体像は『ゴッドファーザー』、部分的に『アラビアのロレンス』『仁義なき戦い[1][* 10]などの影響を受けた[* 11]

放送開始まで[編集]

2020年11月6日、公式Twitterが開設され、第一次出演者の発表日が予告された[* 12]

第一次出演者発表は2020年11月16日から11月20日にかけて[* 13][* 14][* 15][* 16][* 17]、第二次出演者発表は2021年4月15日に[* 18]、第三次出演者発表は同年4月27日から4月28日にかけて[* 19]、第四次出演者発表と音楽発表は同年7月8日から7月9日にかけて[* 20]、第五次出演者発表は2022年2月16日から2月17日にかけて[* 21]、第六次出演者発表は同年3月1日[* 22]、第七次出演者発表は同年6月8日から6月10日にかけて[* 23]、それぞれ行われた。出演者の発表方法は毎回手法を変えて行われ、第一次発表は閣僚発表会見を模した形で三谷が発表する方法を、第二次は発表の6日前に三谷が出演者の似顔絵を描いて役柄について説明する方法を取り、第三〜四次では登場人物のセリフを先に公開してから発表した。第五~六次では出演者の宣材写真を背景にして発表し、特に第五次については出演者の音声コメントが公開され、出演者自身が音声にて配役を発表した。第七次では語りを担当する長澤まさみが発表を担った[* 24]。このうち、伊東祐親役で発表されていた辻萬長は、2021年(令和3年)7月16日に病気療養のため降板し、代役を浅野和之が務めることが発表された[* 25][注釈 2]

2020年11月21日には考証を担当する専門家チームの陣容も発表されたが[* 28]、このうち呉座勇一は自身のTwitter上への不適切投稿を理由に、2021年3月23日に降板した[* 29][* 30]

2021年6月9日、撮影開始[* 31]。それに伴い、本作ではスタッフおよび演者のハラスメント防止のため、Netflixなどが導入している「リスペクト・トレーニング」講習が取り入れられた[* 32]

同年7月20日、番組ロゴが発表された[* 33]

同年12月1日、メインビジュアルの公開とともに公式ホームページが開設され[* 34]、翌2日には語りも発表された[* 35]

放送開始後[編集]

2022年1月9日に15分拡大[* 36]で初回放送を開始した。新型コロナウイルスの影響で前々作『麒麟がくる』の終了が2月にずれこみ、前作『青天を衝け』の開始が遅れたが、本作から通常サイクルに戻った[* 36]

今作のタイトルバックの尺は1分45秒(冒頭の語りも含めると2分10秒)で、例年より約1分の短縮となった[注釈 3]。これに伴い、時代考証・プロデューサー陣・演出らスタッフの名前はタイトルバック明けやエンディングに流されることとなった[* 37]

本放送の終了後、番組公式Twitterでは「#かまコメ」と題して撮影直後のキャストの音声コメントを公開した[* 38]。また、「#吾妻鏡」では、放送内容の元になった史実のエピソードを紹介した[* 39]

初回放送視聴率は視聴率17.3%(個人視聴率10.6%)で、いずれも好調であった『麒麟がくる』『青天を衝け』を下回った[* 40]。これは、過去2作と比較すると知名度の低い鎌倉時代を題材としたことも関係しているとされる。一方、初回総合視聴率は25.8%で、前作『青天を衝け』を下回ったものの、16年10月の調査開始以来、大河ドラマ初回タイムシフト最高を更新した[* 41]。また、昨年よりスタートした「NHKプラス」での視聴ユニークブラウザ数は『青天を衝け』の2~3倍を記録した[* 40]

同年3月13日に放送された第10回では、一瞬ながらスタッフが映り込んでしまうミスがあり、後日番組公式ツイッターにて謝罪するとともに、土曜日の再放送では該当箇所を修正して放送した[* 42]

同年5月8日に放送された第18回の壇ノ浦の戦いのシーンは、VFXシーンが水の表現に定評があるウクライナの製作会社に発注されていたが、戦争の影響により作業の続行が困難となり、急遽国内外の別クルーが加わって何とか仕上げられた[* 43]

同年10月25日、クランクアップ[* 31]。約1年4か月にわたる撮影が終了した。

同年12月18日に放送された最終回(第48回)冒頭では、翌2023年の大河ドラマ『どうする家康』に主演する松本潤が、同作さながらの徳川家康役で出演した[* 44]

同年12月31日、通常マスコミ関係者のみを招いた上で行う当作品と次回作品の主人公(前述の松本潤)とのバトンタッチセレモニーを史上初めて『第73回NHK紅白歌合戦』のステージで行った[* 45]

全話平均視聴率は12.7%(個人視聴率7.6%)で、近年の大河では『西郷どん』とほぼ並んだ[* 46]。全話総合視聴率は20.2%で[* 47]こちらは昨年の『青天を衝け』を上回り、「NHKオンデマンド」ではこれまで配信された全てのドラマ作品で史上最多の平均視聴数を叩き出した[* 47]スポニチは最終話放送後、「若年層を中心に配信(の視聴率)は好調」だったとし、「大河最高傑作」の呼び声が高いと書き添えた[* 48](全て関東地方・ビデオリサーチ調べ)。

あらすじ[編集]

第一章(第1回 - 第13回)[編集]

平安時代末期、都では平家が栄華を極めており、伊豆でも平家方の豪族伊東家が権勢を誇っていた。伊豆の小豪族である北条家の主・北条時政が、大番役の務めを終えて京から帰還したことを祝う宴の最中、時政の次男・北条義時は、兄・北条宗時流人源頼朝を北条の館で匿っていることを知る。源氏嫡流である頼朝は、父・義朝平清盛率いる平家に敗れたことで伊豆に流罪となっていたが(平治の乱)、監視役の伊東祐親が京にいる間に、その娘・八重と密通。帰還した祐親がこれに激怒すると追われる身となり、祐親の次男・伊東祐清や宗時の手引きによって北条の館に逃げ込んでいた。戦にもにも関心の無かった義時は、平家の横暴が許せず頼朝を奉じて挙兵しようと考える宗時や、頼朝に一目惚れした姉・政子によって、反平家の戦いに巻き込まれていく。一方、祐親は下人善児に命じて頼朝と八重の子である千鶴丸を殺害し、頼朝のいる北条の館を包囲するが、相模の大豪族・大庭景親の仲裁によって北条と和解する。この一件で、頼朝を預かることになった北条家であったが、義時は頼朝の真意を掴みきれず、八重から政子に乗り換えた頼朝に不信感を募らせる。しかし、頼朝から「北条を後ろ盾として挙兵し、平家を打倒してこの世をあるべき姿に戻す」という本意を聞かされると、畏敬の念を抱くようになる。

都では、平家の総帥である清盛が、治天の君後白河法皇を幽閉する大事件が起きる(治承三年の政変)。一方、政子が頼朝の正室となり、長女・大姫も誕生した北条家は、穏やかな日々を過ごしていた。この頃、義時は実直な性格ゆえに頼朝から信頼され、本音を聞くことのできる数少ない人物となる。同時期、平家打倒を掲げた以仁王源頼政とともに挙兵すると、頼朝のもとにも叔父・源行家によって以仁王の令旨が届けられる。しかし、この反乱はすぐに鎮圧され(以仁王の挙兵)、伊豆でも平家の勢力が強化される。京にいる三善康信の報告で身の危険が迫ったと考えた頼朝は、宗時や義時、政子に説得されて立ち上がる決意を固める。その後、義時の奔走で味方となる兵を集めた頼朝は、舅である時政や三浦義澄土肥実平佐々木秀義ら周辺の豪族たちとともに挙兵し、初戦では伊豆の目代山木兼隆と後見役・堤信遠を討ち取る。だが、続く戦いでは、頼みの綱であった三浦勢と酒匂川の増水により合流できず、景親・山内首藤経俊梶原景時ら相模の豪族で構成された大軍勢と伊東軍の挟撃に遭って惨敗を喫する(石橋山の戦い)。命からがら落ち延びる中、宗時は義時に「坂東武者の世を作り、その頂上に北条が立つ」という真の志を告げるが、祐親の命を受けた善児の手によって命を落とす。宗時の死を知った義時は、時政から北条を託され、その遺志を引き継ぐことを決意する。

天に守られ敵方の景時に見逃された頼朝は、真鶴半島から海路で安房へと逃れ、合流した坂東武者たちの前で再起することを宣言。安達盛長を派遣して下総の豪族・千葉常胤を味方とする。義時は頼朝の命で和田義盛とともに上総へ向かい、景時からも誘いを受けていた大豪族・上総広常を味方とする功を挙げる。広常が加わったことで勢いに乗った頼朝軍は、武蔵に入って平家方であった畠山重忠らも味方とする。同時期、義時は時政とともに甲斐源氏武田信義の説得に成功し、北条家も坂東武者と頼朝を繋ぐ役目を任されるようになる。その後、頼朝は3万の大軍勢とともに鎌倉に入り、大倉御所を築き始める。一方、伊東の館は和田・畠山軍に攻められ、八重の再婚相手・江間次郎も八重を庇って善児に殺される。義時は祐親に降伏を促し、想い人である八重を救出する。しかし、このとき鎌倉には、清盛の孫・平維盛を総大将とする平家の大軍が迫っていた。同族である信義とともにこれを迎え撃とうと駿河へ出陣した頼朝は、信義の仕掛けた策略によって武田軍に出し抜かれるが、時政と義澄の喧嘩によって羽ばたいた水鳥の羽音に驚いた平家軍は、戦わずして敗走する(富士川の戦い)。これを好機と見た頼朝は、坂東武者たちに平家軍の追撃を命じるが、多くの反対に遭って断念。そこに奥州平泉から弟・源義経が駆け付けると、涙を流して対面を喜ぶ。この戦で大勝した頼朝は、景親を処刑した後に平家と通じる常陸佐竹義政を討伐し(金砂城の戦い)、坂東の勢力基盤を安定させる。この頃、これまでの功績を頼朝に認められて江間の領地を拝領した義時は、「江間小四郎」を名乗る。また、御所に入った頼朝は鎌倉殿を名乗り、頼朝に味方した坂東武者も御家人と呼ばれるようになる。

京では清盛が病没し、息子・平宗盛がその跡を継ぐ。この報を聞いた頼朝は、平治の乱で生き別れとなっていた弟たちの前で、改めて平家を討つことを宣言する。しかし、弟の1人である義円は、聡明さに嫉妬した義経の口車に乗って叔父・行家とともに鎌倉から尾張へ向かい、墨俣川にて平盛綱に討ち取られる(墨俣川の戦い)。一方、政子が2人目の子を妊娠すると、嫡男が欲しい頼朝は祐親・祐清父子に一度は恩赦を与えるが、祐親の命で殺害された千鶴丸の怨念が嫡男の誕生を阻むという弟・阿野全成の占い結果を信じ、侍所の所司となった景時に命じて伊東父子を暗殺する。その後、政子は無事に嫡男・万寿源頼家)を出産。その乳母夫比企能員が務めることに決まるが、政子の出世を妬む継母・りくは、懐妊中に頼朝が側女・と密通していたことを政子に伝えて後妻打ちを勧める。この提案に政子が乗ったことで、りくの兄・牧宗親は後妻打ちを実行するが、義経がこれに協力したことで事態は大事となり、激怒した頼朝によって義経は謹慎処分、宗親はを切られるという恥辱を受ける(亀の前事件)。時政は、義兄・宗親に対する処分に激怒し、妻・りくとともに伊豆へ帰国する。同時期、信濃源氏木曽義仲は北陸で力を伸ばしていた。義時は、これを危惧した頼朝の命で信濃へ向かい、義仲の子・源義高を人質として鎌倉へ送り届ける。その後、義時は実直に政務をこなす中で、幼い頃から一途に思い続けてきた八重と結ばれる。

第二章(第14回 - 第26回)[編集]

木曽義仲が北陸で平家軍に大勝すると(倶利伽羅峠の戦い)、平宗盛は安徳天皇三種の神器とともに都を落ち延びる。これにより、義仲は源頼朝より先に上洛するが、田舎者ゆえに後白河法皇と反りがあわず、後白河が頼朝に東山道の支配権を認めると2人は対立する。これを好機と見た頼朝は、御家人たちに義仲追討を命じるが反発にあい、次第に頼朝と坂東武者たちとのずれが明らかとなる。京で義仲が平知康を破り(法住寺合戦)、後白河を幽閉した頃、鎌倉では千葉常胤らを中心とする坂東勢が、頼朝の嫡男・万寿を人質にして頼朝を御所から退去させる計画を進めていた。この謀反計画を事前に察知した北条義時は、上総広常に協力を頼み、事態を収束させる。だが、頼朝は京から下ってきた文官・大江広元と謀って無実の広常を謀反の首謀者に仕立て上げ、御家人たちの前で見せしめとして殺害、鎌倉を恐怖で支配する。同時期、義時と八重の間には金剛北条泰時)が誕生する。その後、義仲を討つため先発隊として出陣していた源義経は、兄・源範頼が率いる本軍と共に義仲軍を撃破する(宇治川の戦い)。義仲は愛妾巴御前を逃がした後、近江にて討ち取られる。勢いに乗った義経は西へ進み、鉢伏山からの奇襲によって平家軍との戦いにも勝利する(一ノ谷の戦い)。一方、頼朝は今後の憂いを取り除くため、大姫の許嫁となっていた源義高の殺害を義時に命じる。義時や政子は、義高を慕う大姫のためにも彼を逃がそうとするが失敗。義高の死を知った大姫は心を閉ざし、政子は激怒する。義時は、政子の言葉を重くみた頼朝の命で、義高を討った藤内光澄を処刑。さらに、義高を焚き付けて頼朝を討とうと画策した武田信義の嫡男・一条忠頼を、謀反の罪で粛清する。

範頼の軍に属して鎌倉を出陣した義時は、九州へ渡って武功をあげ、平家軍の退路を断つことに成功する(葦屋浦の戦い)。また、義経は運の強さで嵐の中の奇襲を成功させ、再び平家軍に勝利(屋島の戦い)。さらに、天才的かつ掟破りな戦術により、壇ノ浦にてついに平家を滅亡に追い込む(壇ノ浦の戦い)。これにより、頼朝は長年の悲願を達成し、涙を流して政子と喜びを分かち合う。しかし、義経は源氏兄弟の分断を謀る後白河に接近し過ぎたことや、天から選ばれた者は2人も要らないと考える梶原景時の讒言により、鎌倉への帰還を許されず、腰越に留め置かれる。義時は、本心では義経との関係修復を望む頼朝の意を汲み、相互不信が募ってゆく頼朝・義経兄弟が対面できるよう奔走する。同時期、頼朝に敵意を持つ源行家は、義経の正妻・が愛妾・静御前に仕掛けた土佐坊昌俊の襲撃を頼朝の仕業であると吹き込み、義経を焚き付ける。これを信じた義経が頼朝追討の兵を挙げると、頼朝は後白河に義経追討の院宣を出させ、義時と北条時政に上洛を命じる。その後、京都守護に任命された時政は、義時の力を借りて後白河に守護地頭の全国設置を認めさせることに成功する。一方、朝敵となった義経は、庇護者である藤原秀衡が治める奥州平泉へ逃れるも、秀衡はまもなく死去する。義時は頼朝の命で平泉を訪れ、謀反の意思がない義経に静御前の産んだ男子が頼朝の命で殺されたことを伝えて挑発する。加えて、異母兄・藤原国衡との兄弟仲の悪さを利用して奥州藤原氏の新当主・藤原泰衡に揺さぶりをかけると同時に、藤原氏の滅亡をほのめかして脅しをかけることで、泰衡を義経追討に導く。義経は泰衡が率いる兵を前に、里と娘、従者の弁慶を道連れにし、義時に遺言を託して死去する(衣川の戦い)。頼朝は、義経を匿ったことを理由に大軍を率いて泰衡を追討し、奥州藤原氏を滅亡に追い込む(奥州合戦)。

政治的面で手を汚し続ける義時の家庭生活は平穏であったが、ある日、八重が川に取り残された孤児・鶴丸平盛綱)を助けようとして事故死する。失意の義時は、頼朝の上洛に随行した後に政から距離を置くが、政子の励ましを受けて復帰する。一方、上洛して後白河と一対一で会談した頼朝は、全国の守護を請け負うことを認めさせるとともに大姫の入内を約束させ、後白河の崩御後には、九条兼実の協力によって征夷大将軍に任官する。また、次男・千幡源実朝)が誕生すると、その乳母に義時の妹・実衣を選び、次期鎌倉殿となる万寿の披露目を兼ねた大規模な巻狩りも実施する(富士の巻狩り)。しかし、その裏では、頼朝の政治に不満を持つ曽我十郎曽我五郎が、岡崎義実とともに頼朝の暗殺計画を企てていた。曽我兄弟は、父・河津祐泰の仇である工藤祐経を殺害するためと偽って烏帽子親の時政から兵を借り、巻狩りの最中に頼朝の寝所を襲うが、頼朝は寝所を抜け出して比企一族の娘・比奈と会っていたため、頼朝の身代わりとして寝ていた祐経を誤って殺害してしまう。義時は、時政が兵を貸したことを不問とするため、この事件を「敵討ちを装った謀反」ではなく「謀反を装った敵討ち」として処理する(曽我兄弟の仇討ち)。同時期、義時は巻狩りで仲を深めた比奈と再婚する。

襲撃事件で自身の死期が近いことを悟った頼朝は、自身の暗殺計画に関わったと言いがかりをつけて弟・範頼を修善寺に幽閉する。また、朝廷との結び付きを強めるために1度は頓挫した大姫の入内を再び画策。これに対し、大姫は前に進むことを決めて頼朝や政子と共に上洛する。しかし、丹後局と対面した際に都の恐ろしさを目の当たりにして体調を崩すと、死んで義高に会いたいと願いながら病死する。大姫の死に焦った頼朝は、続いて次女・三幡の入内計画を進め、大姫が死んだのは自身を恨む者が呪詛したためであるとし、範頼の粛清を梶原景時に命じる。範頼は、景時の家人となった善児により、修善寺にて暗殺される。一方、頼家には比企能員の娘・せつとの間に長男・一幡が誕生するが、頼朝が跡継ぎを決めずに落馬し昏睡状態に陥ると、鎌倉は混乱。中でも、次期鎌倉殿に自身が乳母夫を務める頼家を推す比企能員と、娘婿である阿野全成を推す時政は、対立を激化させる。義時は、頼朝の葬儀の準備を進めると同時に新しい政の形を定めるため奔走。頼朝が死去すると、政子に頼朝の御台所として次の鎌倉殿を決めるよう促す。その後、自身の役目は終わったとして伊豆へ帰ろうとするが、政子から説得されて頼朝の持仏観音を託されると、鎌倉にとどまることを決める。

第三章(第27回 - 第38回)[編集]

二代鎌倉殿となった源頼家は、若年ながらも父を越えようと積極的に政を行い、北条時連北条時房)や北条頼時(北条泰時)、比企時員といった若い者たちを近習として登用する。しかし、代替わりによる訴訟の増加や、正妻・つつじと側女・せつの対立に嫌気が差し、政から逃げるように蹴鞠に没頭する。この現状を見た北条義時は、文官4人と梶原景時の計5人で頼家を補佐する政治体制を考案するが、北条時政と比企能員が味方となる御家人を引き入れたことで宿老は12人へと膨れ上がり、義時自身も政子の説得によって最終的に宿老の一人となる(十三人の合議制)。これを知った頼家は、宿老たちに政の権限が奪われたと反発し、6人の近習たちを重用して彼らに対抗させる。その直後、宿老の一人である中原親能が、乳母夫を務めていた三幡の病死を機に出家して鎌倉を離れる。同時期、同じく宿老の景時は、安達景盛の妻・ゆうを奪おうとする頼家を諫めたことで逆恨みされ、三浦義村結城朝光の仕掛けた策略によって66人の御家人から弾劾状が提出されたことで失脚する。このままでは終わりたくないと考える景時は、土御門通親からの誘いを受けて京で再起することを義時に打ち明けるが、これを聞いた義時は鎌倉を守るためにこの情報を頼家に報告する。これにより、奥州外ヶ浜へ流罪となった景時は、義時に坂東武者の世を託し、義時も戦場で散ろうとする景時の意を汲んで、京へ向かう梶原一族を駿河で討ち取る(梶原景時の変)。さらに、宿老であった三浦義澄や安達盛長が相次いで病死すると、合議制は崩壊する。その後、頼家とつつじとの間に次男・善哉公暁)が誕生し、乳母夫が義村に決まると、能員は娘・せつが産んだ一幡が嫡男であると強調。時政も、娘の実衣が乳母を務める千幡を次期鎌倉殿にしようと画策し、千幡の乳母夫で娘婿の阿野全成に頼家に対する呪詛を依頼する。一方、頼家は義時の助言によって人を信じることを心に決め、せつとともに鎌倉をまとめていくことを決意。せつとの子である一幡を嫡男と定める。

鎌倉では頼家が突然病に倒れ、呪詛を行った全成が謀反の罪で常陸へ流罪となる。これを好機と見た能員は、自身に反発して比企の所領を減らそうとする頼家を排除すると同時に、北条家を弱体化させるため、全成に頼家が実衣を疑っているという偽情報を告げて、頼家に対する呪詛を再び行わせる。これにより、全成は八田知家に討ち取られ、息子・頼全も京にて粛清される。その直後、頼家が急な病で危篤状態となると、義時は比企一族の粛清を決意。関東28か国の御家人を一幡に、関西38か国の御家人を千幡に仕えさせるという能員が必ず拒む案を提示して大儀名分を手に入れる。その後、和議を申し入れて北条の館へ呼び出した能員を、時政と協力して討ち取る。また、比企の館を攻めて能員の妻・や娘・せつを殺害し、比企一族を滅亡させる(比企能員の変)。全て計画通りに進めた北条家は、千幡を次の鎌倉殿とする準備を進めるが、頼家が奇跡的に病から回復すると状況は一変。義父や妻が北条に滅ぼされたことを知った頼家は政子を責め、和田義盛と仁田忠常に時政の首を取るよう命じる。一方、義時は比企の娘である比奈と離縁し、泰時が匿っていた一幡を善児の弟子・トウに殺害させる。さらに、北条家と頼家との間で板挟みとなった忠常が自害すると、頼家の鎌倉追放を決意。頼家は修善寺に幽閉され、3代目鎌倉殿・源実朝が誕生する。同じ頃、善哉の前に比企尼が現れ、実朝や北条家に対する憎悪を植え付ける。

時政が執権別当となり、新たな政治体制が確立した鎌倉に、幽閉中の頼家が御家人たちに揺さぶりをかけ、後鳥羽上皇と通じて挙兵の準備を進めているという報がもたらされる。これを知った義時は頼家の殺害を決意するが、泰時は父に反発する。その後、義時は修善寺に善児とトウを派遣。泰時は頼家を助けるために修善寺へ向かい、猿楽師に扮した善児を見破るが、頼家は自ら刀を振るって善児を返り討ちにした後、トウに討ち取られる。また、致命傷を負った善児も、範頼とともに殺された親の仇としてトウに止めを刺される。義時は、源氏の血を引く者たちを殺めたことに思い悩み、源頼朝の持仏観音を泰時に託す。同時期、時政はりくの助言により武蔵を手に入れようと画策し、武蔵の豪族で娘婿の畠山重忠と対立する。さらに、りくは後鳥羽の従妹・千世を実朝の正室と決め、息子・北条政範を使者として京へ向かわせる。しかし、政範は、後鳥羽の側近・源仲章にそそのかされて次期執権の座を狙った時政とりくの娘婿・平賀朝雅によって毒殺される。一方、義時は二階堂行政の孫娘・のえを3人目の妻とするが、彼女には裏の顔があった。

千世が到着した鎌倉では、実朝との婚礼が華やかに行われる。しかし、実朝は自身の知らないところで事が進む現状に一人苦悩する。一方、息子を失い悲観に暮れるりくのもとを訪れた朝雅は、政範毒殺の真相に気づいた重忠の息子・畠山重保に全ての罪を被せ、畠山一族を討つよう進言する。これを信じたりくが畠山討伐を望むと、時政は義時や時房の制止を無視してこれを承諾。何も知らない重保は、義村によって由比ヶ浜へ呼び出され、討ち取られる。その後、息子の死を知った重忠が二俣川に布陣すると、義時は追討軍の総大将に志願して戦を避けようとするが、武士の意地を通そうとする重忠との交渉は決裂。少数の軍で義時が率いる大軍と激闘を繰り広げた重忠は、義時と組み打ちののち、愛甲季隆に討たれる(畠山重忠の乱)。鎌倉に帰還した義時は、親友である重忠を無実の罪で死に追いやった時政の追放を、広元とともに画策。時政に畠山討伐の罪を全て娘婿・稲毛重成に被せて処刑することを提案し、これを実行することで時政に対する御家人たちの不満を増大させる。さらに、政子に恩賞の沙汰を行わせる新たな政治体制を発足させることで、時政から政の権限を奪う。

義時や政子の行動に激怒したりくは、義村を味方に引き入れ、実朝を出家させて朝雅を新たな鎌倉殿に据えようと計画。この行動に対し、時政は失敗すると分かりながらも、りくを守るために協力する。一方、義村の密告によって全てを知った義時は、謀反を起こすまで時政を泳がせることで、時政追討の大義名分を得ようと画策。実朝が連れ去られたことを確認すると、自身の覚悟を見せるために異を唱える泰時を従え、軍勢を率いて時政の館を取り囲む。しかし、夫を助けたいというりくの必死の懇願を聞いて駆けつけた政子により、館の包囲は解かれ、自害しようとしていた時政も知家によって助け出される。その後、実朝や政子が助命嘆願を行ったことで、出家した時政はりくと共に伊豆へ流罪となる(牧氏事件)。これを機に、時政に代わって幕府の政を取り仕切るようになった義時は、京の御家人に命じて全ての元凶である朝雅を追討する。だが、京で勝手に大軍勢を動かしたことに対し、後鳥羽は義時への怒りをあらわにする。

最終章(第39回 - 最終回)[編集]

束の間の平穏が訪れた鎌倉では、未だ源実朝に世継ぎが誕生しないことを、政子や実衣が懸念していた。実朝の妻・千世はこの状況に思い悩むが、実朝から同性愛者であることを告白されると夫婦間に絆が生まれる。一方、北条義時は兄・北条宗時の遺志を実現するとともに戦の火種を無くすため、他の御家人たちの力を削ごうと守護の交代制を画策。さらに、北条家の家人・平盛綱を御家人にするよう実朝に迫るなど、鎌倉殿を差し置いて政治を運営する。そんな中、朝廷から閑院内裏の再建が命じられると、御家人たちの不満は爆発。義時は、彼らが和田義盛を担ぎ上げて旗頭とする状況を苦々しく思う。同時期、後鳥羽上皇の命を受けた源仲章は、泉親衡と名乗って義時の殺害計画を企て、義盛の息子である和田義直和田義重、甥である和田胤長を加担させて鎌倉に揺さぶりをかける(泉親衡の乱)。これを義盛追討の好機と見た義時は、縄で縛り上げた胤長を和田一族の面前で引き立て流罪にするなどの挑発行為を行い、義盛の挙兵を促すが、義盛に信頼を寄せる実朝や戦を望まぬ政子の尽力によって一度は義盛と和解する。しかし、朝比奈義秀ら義盛の息子たちが、父の居ぬ間に挙兵したことで戦が勃発。義時を討伐するため鎌倉の市街地で激戦を繰り広げた義盛は、実朝の説得によって降伏したところを、義時と示し合わせた三浦勢によって討ち取られる(和田合戦)。これにより、義時は政所別当に加えて侍所別当も兼任するようになり、御家人の筆頭となる。一方、目の前で忠臣・義盛を殺された実朝は、自らが積極的に政を行うことを決意し、強大な権力を持つ後鳥羽の力を借りて安寧の世を築くことを宣言する。義時は、朝廷に接近しようとする実朝に危機感を覚える。

鎌倉を源氏の元に取り戻そうとする実朝は、北条泰時を側に置いて積極的に政を行い、義時はこれに対抗して執権を名乗る。同時期、後鳥羽の命を受けて京から帰還した仲章は、実朝の見た夢を利用して宋の技術者・陳和卿を接近させ、実朝に唐船の建造を進言。実朝はこれを実行し、後鳥羽は巨大な唐船の完成によって実朝の権威が高まることに期待する。この状況を見て鎌倉が朝廷に乗っ取られると考えた義時は、北条時房に船の設計図を書き換えさせ、造船計画を頓挫させる。しかし、この直後に実朝が、大御所になり新たな鎌倉殿を京から迎えることを突如として宣言すると、政子が自身の預かり知らぬところで行動を起こしていたことに気づく。一方、修行先の京から帰還し、次期鎌倉殿になろうと息巻く公暁は、自身が就任するのが鶴岡八幡宮の別当と知って驚愕。義時や実衣、公暁の乳母夫・義村も、実朝の考えに反発する。これらの意見を抑えるため、政子は時房を伴って上洛。後鳥羽の乳母・藤原兼子と会談し、後鳥羽の皇子・頼仁親王を次期鎌倉殿として下向させることを約束させる。だが、三浦が這い上がる最後の好機を逃すまいとする義村は、何も聞かされていない公暁に、北条が頼家や一幡を殺して実朝を鎌倉殿に祭り上げたことを告げる。父と兄の死の真相を知り、幼少期に聞いた比企尼の言葉を思い出した公暁は、実朝と義時の暗殺を決意する。

実朝の右大臣拝賀式を控える鎌倉では、公暁と義村が義時と実朝の暗殺計画を進めていた。これを察知した義時は式の中止を進言するが、実朝から御所を京へ移す構想を聞かされると、彼を見限ることを決める。さらに、北条家を追い落とすために頼家の死を調査し、脅しをかけてきた仲章の暗殺をトウに命令。自身は太刀持ちとして参加した拝賀式で、実朝を殺害した公暁を討ち取ろうと考える。同じ頃、三善康信から頼家の死の真相を聞き出した実朝は、政子を責めて公暁に謝罪するが、逆に公暁の復讐心に火をつけてしまう。その後、義時は予定通り拝賀式へ向かうが、トウが暗殺に失敗して捕縛されたことで仲章に決定的な証拠を握られ、太刀持ちの役目も取って代わられる。しかし、その直後に仲章は義時と誤解されて公暁に討たれ、実朝も自身の天命を受け入れて抵抗せずに殺される。難を逃れた義時は、鎌倉を自分一人で動かそうとするが、そこに泰時が立ちはだかる。一方、義時の暗殺失敗に焦る義村は、三浦館へ逃げ込んできた公暁を殺害。その首を差し出し、他の御家人たち前で義時に忠誠を誓う。また、政子は息子と孫を同時に亡くした絶望で自害を試みるが、トウに説得されて断念。続いて伊豆へ帰ろうとするが、義時に止められる。この一件で天に守られていると感じた義時は、仏師・運慶に「神仏と一体となった自身の像」の製作を依頼する。

鎌倉殿が不在となった鎌倉では、実衣が息子・阿野時元を鎌倉殿に据えようと画策。源氏の血を引く時元が災いの種になると考えた義時は、義村と組んで実衣を焚き付け、挙兵した時元を謀反人として自害に追い込む。また、実衣の首も刎ねようとするが、政子の説得によって沙汰は先延ばしとなる。同時期、のえも権力欲を露わにし、息子・北条政村を北条の跡取りにしようと画策する。一方、御家人たちの動揺を鎮めるために一刻も早く鎌倉殿を決めたいが自身の動かしやすい人物を下向させたい義時は、危険な鎌倉に親王を下向させたくはないが北条の力は抑えたいと考える後鳥羽と政治的な駆け引きを行う。この後、交渉が全く進展しない現状を打開するため、義時は時房を1千騎の兵とともに上洛させて朝廷に脅しをかける。これに対し、蹴鞠で勝負を挑んだ後鳥羽は、時房の技量を認めて親王の代わりとなる人物を鎌倉へ送ることを承諾。慈円が鎌倉を訪れ、2歳の三寅藤原頼経)が新たな鎌倉殿となることを報告する(摂家将軍)。これを聞いた政子は、三寅の後見となるため尼将軍を名乗り、その権限を利用して幽閉中の実衣を助け出す。

京では後鳥羽が、すべて義時の思い通りになった現状に不満を募らせていた。そんな中、三寅が次期将軍と決まったことに腹を立てた源頼茂が挙兵。源氏の跡目争いによって仁寿殿や宝物が焼失すると、後鳥羽の怒りは頂点に達する。これにより鎌倉との戦を決意した後鳥羽は、挙兵の下準備として内裏の再建費用を出すよう鎌倉に命じ、義時と御家人たちの分断を謀る。鎌倉と朝廷の間に不穏な空気が漂う中、父の身を案じた泰時は、頼朝の持仏観音を義時に返却する。その後、後鳥羽は大掛かりな呪詛を行うことで御家人たちの動揺を誘うとともに、鎌倉の御家人たちに義時追討の院宣を発する。そして遂に、兄・義村の命で自身に接近してきた三浦胤義や、西面の武士藤原秀康に命じて京都守護の伊賀光季を討ち取り、義時追討の狼煙を上げる。一方、義村や長沼宗政の報告で、自身の追討を命じる後鳥羽の院宣が御家人たちに発せられたことを知った義時は、自分一人のために頼朝の作った鎌倉を戦火に晒すことはできないと考え、泰時や時房に後を託して自身の首を朝廷に差し出そうとする。しかし、これまで私欲なく鎌倉を守り抜いてきた弟を死なせたくない政子は、御所に集結した御家人たちの前で真実を明かし、御家人たちに決起を促す。この演説によって奮い立ち、結束を強めた御家人たちは、官軍と戦うことを決意。広元や康信の忠言によって京への派兵が決まると、泰時は盛綱を含む17騎とともに先発隊として鎌倉を出陣し、叔父・時房や弟・北条朝時らが率いる大軍勢とともに官軍を撃破して入京する。この報を聞いた義時は、戦後処理を開始。武士として初めて朝廷を裁き、後鳥羽を隠岐島へ流罪と決める(承久の乱)。

人生最大の危機を脱した義時であったが、ある日突然昏倒し、意識を失う。その後、一時は政務に復帰するが、運慶が自身を模して彫ったという醜い姿の像を斬ろうとした直後、再び倒れる。医師の診断で毒を盛られたと知った義時は、後妻・のえが犯人であると確信する。この後、義時の追及を受けたのえは、政村ではなく泰時を跡継ぎと決め、自身に対して愛情を持たず冷たく接してきた義時への不満を吐露し、毒の入手先が政村の烏帽子親である義村であると告げて屋敷を出ていく。これを聞いた義時は、義村に鎌を掛けて本音を聞き出した上で、親友として義村に息子・泰時への助力を託す。同時期、父の行動を無駄にせず新しい世を作ろうとする泰時は、学のない御家人たちでもわかる武士が守るべき定を作り始める(御成敗式目)。一方、義時の見舞いに訪れた政子は、義時と昔語りをする中で、息子・頼家が病死ではなく義時の命によって殺害されたことを知る。さらに義時から、先の戦で廃位させた後鳥羽の血を引くを復権させようという動きがあるため、幼い先帝の命を奪おうとしていることを告げられる。これを聞いた政子は、義時が泰時のために全ての怒りや呪いを背負おうとしていることを理解した上で、これ以上弟が手を汚さぬよう、体調を崩した義時の前で解毒薬を捨てる。これを見た義時は、泰時に頼朝の持仏観音を渡すよう政子に託し、苦しみつつも姉に見守られ、その労いの言葉を聞きながら息を引き取る。

登場人物[編集]

あくまで当ドラマ内で描かれた内容を尊重し説明する(歴史的事実と合致しないフィクションな部分があっても、当ドラマ内で描かれた内容をそのままに説明する)。歴史上の実在人物が行ったことの歴史的説明(学術的説明)については当記事ではなく、各人物の当該記事を参照のこと。

劇中では人名の呼称を「北条義時(ほうじょう よしとき)」のように「苗字 + + 名前」としている場合がある[注釈 4]

★印は13人の合議制を構成する宿老御家人)を示す。

主人公と北条家[編集]

北条義時とその家族[編集]

北条義時(ほうじょう よしとき)★
演:小栗旬
本編の主人公
2代目執権。もとは伊豆豪族・北条時政の次男。母は伊東祐親の先妻の娘[2]通称仮名)は小四郎(こしろう)。北条領に隣接する江間(えま)郷を拝領ののちは、江間小四郎義時を名乗る[注釈 5]
当初は戦を嫌い政にも関心が無い片田舎の次男坊だったが、頼朝と出会って以降は「鎌倉あっての北条」という考えのもとで頼朝や政子を補佐し、御家人たちと頼朝の間を取り持つ。頼朝からは、実直な性格ゆえに信頼され、本音を聞くことができる数少ない者の一人となる。頼朝のもとで政治手腕を学んだことで、後に義村や時政からは「頼朝に似てきた」と称されるようになり、頼朝が亡くなって以降は「特定の御家人に力が集中すべきでない」という考えのもとで行動するが、比企の横暴が目に余るようになると、頼家のもとで悪い根を断ち切ることが自身の役目だと決意を固める。しかし、次第に「坂東武者の世の頂点に北条が立つ」という兄の遺志を実現させようと考えるに至り、鎌倉殿を差し置いて自らが政を行うことで、頼朝の作った鎌倉を守ろうとする。また、自身の跡を継ぐ泰時のため、今後の火種となりそうな御家人たちを次々に粛清する。武芸はあまり得意ではなかったが、最終的には畠山重忠と一騎打ちをするまでに成長する。恋愛は奥手で、「女子(おなご)は大体きのこが好き」という独特の女性観[注釈 6]を持っており、八重や後妻・のえに大量の茸を贈っている。長男・泰時については、八重が亡くなったのちに立派に育て上げることを誓う。成人後は、自身のかつての姿や、亡き妻・八重と重ね合わせており、幾度となく対立しながらも認めている。
源頼朝が北条館に逃げ込むと、兄・宗時の頼みでこれを助ける。当初は流人の頼朝を警戒し、政子が頼朝と恋仲になることも反対していたが、平家打倒の決意を聞いて以降は畏敬の念を抱く。挙兵時には、木簡に記された米の量から兵数を割り出して頼朝に挙兵を決意させたり、味方になる者たちを集めたりと事務方で活躍する。堤信遠の襲撃で初陣を飾り、石橋山の戦いで兄・宗時が亡くなると、兄の遺志を引き継ぐ。その後、上総広常を味方に引き入れると、武田信義との交渉にも成功する。伊東の館が頼朝軍に攻められると、伊東祐親を説得して八重を救出する。鎌倉大倉御所が完成すると、これまでの軍功を認められて江間の領地を拝領する。頼朝の浮気により勃発した後妻打ち(うわなりうち)では、事態を収束させようと動くが失敗。頼朝に怒った時政は伊豆へ帰るが、自身は鎌倉に残る。頼朝に木曽義仲の動向を探るよう命じられると信濃へ向かい、義仲から人質として源義高を託される。同じ頃、長年の思いが実り、八重と夫婦になる。
御家人たちに謀反の計画が持ち上がった際も収束に奔走。しかし、頼朝が謀反の処罰として無実の広常を粛清することを決めると、頼朝の下す非情な判断に苦しみながらも救済を諦める。同じ年、嫡男・金剛(北条泰時)が誕生する。頼朝から義高を殺すよう命じられた際には、義高を逃がそうとするも失敗。この後、北条を守るために頼朝の命で藤内光澄や一条忠頼を誅殺するが、実行後に金剛を抱きしめて涙する。また、これまでの我らとは違うとして、軽率な発言をした政子を諭す。平家討伐では源範頼軍に属して武功を挙げ(葦屋浦の戦い)、壇ノ浦の戦いでは平家の滅亡を見届ける。頼朝と源義経が対立すると間を取り持とうと奔走するが、義経が挙兵の後に姿を消すと、これを捕らえるため、時政と共に後白河法皇に日本全国に守護地頭を設置することを認めさせる。藤原秀衡没後は頼朝の命で平泉へと向かい、謀反の意思がなかった義経を焚き付けて挙兵させ、同時に藤原泰衡を脅して義経追討に導く策謀を張り巡らせる。その後、頼朝が率いる奥州合戦上洛に従う。八重の死によりいったんは政から離れるが、政子の励ましなどもあり復帰。富士の巻狩りの最中に曽我兄弟が頼朝の寝所を襲撃し、頼朝の身代わりとなっていた工藤祐経が殺害されると、曽我兄弟の烏帽子親である時政が兵を与えたことを不問とするため、この事件を「謀反を装った敵討ち」として処理する(曽我兄弟の仇討ち)。この事件で仲を深めた、比企家の娘・比奈を正式に妻として迎えると、間に2人の男子を設ける。頼朝が病に倒れ昏睡状態に陥ると、新しい政の形を定めるために奔走。頼朝の死後は鎌倉を離れて伊豆へ帰ろうとするものの、政子に説得されて思い止まる。その際、政子から頼朝の観音像を託される。
源頼家が2代目鎌倉殿となると、文官4人と梶原景時で若い頼家を補佐する政治体制を発案するが、時政と比企能員の権力争いによって宿老が12人に膨れ上がると、政子に説得されて自身も13人目の宿老となる(十三人の合議制)。これにより、頼家の反発を招く。景時が謹慎処分となり後鳥羽上皇からの誘いを受けて京へ向かう意思を固めると、鎌倉を守るために頼家へ報告する。その後、景時が一幡を人質に比企の館に立て籠もると、能員の要請でこれを説得。武士として戦場で死にたいという景時の想いを察し、京へ向かう景時に追討軍を送るよう泰時に命じる。その際、景時から善児を譲り受ける。宿老が9人に減ったことや、善哉(公暁)の誕生で北条と比企の対立が激しくなると、両家の間を取り持とうと奔走する。それと同時に、頼朝の後継として思い悩む頼家に対しては助言を行うなど、陰ながら鎌倉を支える。しかし、比企の謀略によって全成と頼全が死に追いやられると、鎌倉の秩序を守るために比企一族との全面対決を決意。頼家が病に倒れると、関東28か国の御家人を一幡に、関西38か国の御家人を千幡に仕えさせるという比企能員が必ず拒む案を提示して大義名分を得た後、能員を時政の館におびき寄せて誅殺する。また、能員の正妻・道のほか、能員の娘で頼家の側室・せつも含め、比企一族を皆殺しにする(比企能員の変)。さらに、泰時が自身の命に背いて匿っていた頼家の長男・一幡も殺害する。
この事件の直後、頼家が病から回復すると、その激しい怒りを買ったため、頼家を修善寺に幽閉。頼家の弟・千幡(源実朝)を3代鎌倉殿として担ぎ上げ、時政を初代執権として新たな政を始める。その後、修善寺の頼家が京の後鳥羽上皇に北条討伐の院宣を願い出ようとしていたことを知ると、頼家暗殺を決意し、修善寺に善児と弟子のトウを送り込む。この時、善児の小屋で宗時の形見を発見したことで善児が兄を殺したことを知るが、自身に善児は責められぬとしてこれを見逃す。この後、一幡と頼家を手にかけたことに思い悩み、2人の命を救いたいと訴え続けた長男・泰時に、政子から譲られた頼朝の観音像を託す。
執権となった時政が権力を濫用するようになると、その対応に苦慮。時政とりくの愛息・政範が京で不審死を遂げたことで時政と畠山重忠の対立が決定的となると、双方を説得することができず戦が勃発。その後、追討軍の総大将に志願して最後まで戦を避けようとするが、重忠との交渉が決裂すると二俣川にて重忠と一騎打ちをする(畠山重忠の乱)。鎌倉帰還後に時政を失脚させることを決意すると、稲毛重成を捨て石として殺害することで、重忠を死に追いやった時政に対する御家人たちの不満を増大させ、政子の威光によって時政を政から遠ざける。これに反発した時政が、実朝を廃して平賀朝雅(時政の娘婿)に鎌倉殿を継がせようと動くと(牧氏事件)、時政が死のうとしていることを察し、義村と組んで大義名分を得た後に討ち取ることを決める。この後、自身の覚悟を息子に示すため、泰時を連れて時政の館を包囲するが、政子の説得によって時政が助け出され、実朝や三善康信の執り成しによって時政とりくが鎌倉追放と決まると、父とは二度と会わないことを心に決め、時政の前で涙を流す。また、りくに対しては刺客・トウを差し向けるが、暗殺には失敗する。
時政追放後は、守護の交代制を画策すると同時に、北条家の家人・平盛綱を御家人にするよう実朝に迫るなど、独自に政治を運営したことで御家人たちの反発を招く。和田義盛の息子たちによる謀反の計画が発覚すると、かねてから警戒していた義盛を挙兵させようと和田一族を挑発するが、政子の説得や実朝のとりなしで一度は矛を収める。しかし、行き違いから和田一族の御所襲撃が決行されると、義盛の命は助けるとして実朝に義盛の説得をさせた後、降伏の意を示した義盛を三浦義村と示し合わせて討ち取る(和田合戦)。これにより、政所別当に加えて侍所別当も兼任するようになり、御家人の筆頭となるが、同時に実朝からの信頼を失うこととなる。義盛の一件で実朝が後鳥羽上皇の威光をもって鎌倉を治めようと考えると、これに対抗して執権を名乗り、後鳥羽の干渉を受けて作る船など必要ないという考えから、時房に命じて設計図を書き換えさせ、実朝の造船計画を頓挫させる。また、政子の助言を受けた実朝が、後継を朝廷から迎えて大御所となる意向を示したときも反発するが、後鳥羽上皇が親王を下向させる意向を示すと、親王が人質になるとして考えを改める。
親王の下向を控え実朝が順調に昇進する中、頼家の次男・公暁が実朝暗殺を計画していることを察知すると、実朝に拝賀式の中止を進言する。その際、実朝からいずれ御所を西に移したいと伝えられると見限ることを決め、権力欲を露わにして自身に脅しをかけてきた源仲章とともに実朝も排除しようと考える。その後、仲章の暗殺をトウに命じると、自身は太刀持ちとして参加した拝賀式で、実朝を殺害した公暁を討ち取ろうと考えるが、トウが暗殺に失敗して捕縛されたことで仲章に太刀持ちの役目を取って代わられ危機に瀕する。その直後、自身と誤解された仲章が公暁に討たれ、実朝も暗殺されると危機を脱し、実行犯の公暁が義村によって討たれると、当初の計画とは異なるが三人の排除に成功する。これにより、自身も頼朝と同様、天に守られていると考えるようになる。この後、実衣の息子で源氏の血を引く阿野時元を義村と組んで自害に追い込むと、実衣の首も刎ねようとするが、政子の説得によって沙汰は先延ばしとなる。同時期、自身の動かしやすい人物を一刻も早く下向させ、新たな鎌倉殿に就任させるため、時房を1千騎の兵とともに上洛させて朝廷に脅しをかける。これにより、2歳の三寅(のちの藤原頼経)が新たな鎌倉殿と決まると、幼い三寅を傀儡として自身が政を運営しようと考えるが、尼将軍を名乗った政子に阻止される。
京で源頼茂が挙兵したことにより激怒した後鳥羽が、藤原秀康に命じて京都守護・伊賀光季を討ち取り、自身の追討を命じる院宣を御家人たちに発すると、自分一人のために頼朝の作った鎌倉を戦火に晒すことはできないと考え、泰時や時房に後を託して自身の首を朝廷に差し出そうとする。しかし、政子の演説によって御家人たちが官軍と戦うことを決意すると、当初は自ら兵を率いて出陣しようとしていたが、広元や康信の忠言を聞き入れ、泰時と盛綱を含む18騎を先発隊として出陣させる。その後、泰時や時房、朝時らが率いる大軍勢が官軍を撃破して入京すると、戦後処理を開始。武士として初めて朝廷を裁き、後鳥羽を隠岐島へ流罪と決める(承久の乱)。これにより人生最大の危機を脱するが、ある日突然昏倒し、意識を失う。
一時は政務に復帰し、今後の憂いを取り除くため廃位させた先のの命を奪おうと考えるが、再び倒れる。医師の診断で毒を盛られたと知ると、後妻・のえが犯人であると確信して彼女を追及。毒の入手先が義村であると告げられると、義村に鎌を掛けて本音を聞き出した上で、親友として息子・泰時への助力を託す。同時期、見舞いに訪れた政子と昔語りをする中で、頼家が病死ではなく自身の命で殺害したことを話してしまう。さらに、泰時のため先のの命を奪おうとしていることを告げると、政子に目の前で解毒薬を捨てられる。その後、泰時に頼朝の持仏観音を渡すよう政子に託し、苦しみつつも姉に見守られながら息を引き取る。享年62。
八重(やえ)
演:新垣結衣
義時の最初の妻。伊東祐親と後妻の娘[3]であり、義時の叔母に当たる。源頼朝の先妻。江間次郎の元妻。
一途で頑固なところがあり、いかなる境遇にあっても頼朝を想い続ける。そのため、義時に想われていてもそれを袖にし続け、時に冷たい態度を取る。義時の長年にわたる思いに心を動かされて夫婦となった後は、義時を一途に愛する。その後、頼朝との関係は助言や親族としての付き合いのみとなり、頼朝から秋波を送られても相手にせず、恋愛関係にあった頃を「どうかしていました」と振り返る。政子とは、頼朝と別れた当初は意識し合っていたが、義時と結婚したのちは良好な関係を築く。義時との夫婦関係は非常に良好であり、義時が政治面で手を汚す中で苦悩すると、これを励まし支える。非常に慈悲深く、息子・泰時とともに孤児(みなしご)たちを育てる。このような性格から、義時は八重の姿を阿弥陀如来と重ねている。
父・祐親が京の大番役を務め伊豆を留守にする間、伊東家が預かっていた流人・頼朝と通じ、千鶴丸を産む。そのことで祐親の怒りを買うと、頼朝と別離の上、伊東の家人・江間次郎のもとへ嫁がされる。頼朝の挙兵の際には、当初は頼朝の助命を条件に頼朝側の情報を祐親に流していたが、義時に説得されると頼朝側に通じ、山木兼隆が屋敷にいることを伝える。この情報により、頼朝側は初戦で勝利を収める。息子・千鶴丸については、祐親から出家させたと聞かされていたが、伊豆山権現社を訪れた際に亡くなっていたことを知らされ、墓の前で慟哭する。その後、頼朝に内通していたことが発覚したため、祐親によって館に閉じ込められる。頼朝軍が伊東の館を包囲すると、善児に狙われながらも江間次郎や義時に助けられ、捕らえられた祐親や兄・伊東祐清と共に義兄・三浦義澄に保護される。
その後も、頼朝への思いが断ち切れず、政子に願い出て頼朝のいる大倉御所に出仕するが、頼朝と亀との情事を目の当たりにして体調を崩す。頼朝から義時との縁談を提案されると、これをすぐに断る。頼朝によって祐親と祐清が殺されると、義時が領主となった江間郷に移される。江間の地に頼朝が訪ねてくると、伊東親子の殺害や後妻打ちを経て、それでも自分に接触してこようとする頼朝を完全に拒絶するようになる。同時期、義時の自分に対する一途で真っ直ぐな想いに心を動かされ、夫婦となる[注釈 7]
結婚後間もなく金剛(泰時)を産むと、平家および義仲討伐(西国遠征)のため留守にする義村の娘・初を、半ば押し付けられる形で預かり育てることになる。それをきっかけに、度重なる戦災により増える孤児たちの世話をすることに生きがいを見出し、心を閉ざす大姫や、父を失った甥の一万(曽我十郎)・箱王(曽我五郎)兄弟も預かり面倒を見る[注釈 8]。頼朝から、対立する義経についての相談を受けると、子供の喧嘩を例に挙げ、義経を信じるよう助言する。
義時が不在の日、川遊びの最中に岩礁に取り残された鶴丸(平盛綱)を発見し、その姿を千鶴丸と重ねて単身で川へ入る。鶴丸を助けたものの力尽きて流され、帰らぬ人となる。
比奈(ひな)
演:堀田真由
義時の2人目の妻。比企尼の孫娘。比企能員の姪。
おしとやかで上品な性格の持ち主で、義時を一途に慕い続ける。そのため、義時や、義時の連れ子である泰時との仲は良好であり、北条と比企が対立した際には北条の嫁としての立場を取る。泰時に「母上」と呼ばれることを嫌う。幼い頃の万寿(源頼家)が比企館で育ったため、頼家の性格をよく知る。鹿や猪など、野生動物の生態に詳しい。
北陸道の役人であったため、北陸で育つ[注釈 9]。もともとは頼朝の側女(そばめ)となるため叔父・比企能員によって送り込まれるが、政子に阻まれて失敗する。その後、政子の圧に屈した頼朝の指図で義時と娶されることとなるが、八重を忘れられない義時にも断られる。その際、義時に対して好意を抱く。富士の巻狩りでは、万寿が獲物を仕留められるよう策を練る義時に鹿の特性を教えて仲を深め、義時に想いを告げて正式に夫婦となる。それに際して、義時に起請文を書かせ、絶対に自分と離婚しないよう誓わせている。
義時が頼家の助けに入るべきか悩むと、頼家の性格を教えて助言する。また、景時が御家人たちと対立すると義時を心配し、鎌倉の今後を危惧する。阿野全成が死罪となり、北条と比企の対立が決定的となると覚悟を決め、義時から頼まれて比企の館を訪問、能員が三浦義村を味方に引き入れようとしていることを突き止める。迷いながらも、これを義時に報告したことで、比企一族が滅ぼされる要因を作る。
比企一族の滅亡後は、実家を滅ぼすことに加担したことに責任を感じる。また、義時が自身の処遇について悩んでいることを察すると、起請文により離縁できない義時を気づかって、自ら離縁を申し出る。のちに京の公家と再嫁し、3年後に亡くなる[注釈 10]
のえ
演:菊地凛子
義時の3人目の妻。二階堂行政の孫娘。
裏表のある性格で、出会いの際にはしとやかで理解ある女性であるかのように振る舞い、嫡男が自分の実子ではない泰時であることも口先では受け入れる。しかし、実際には有力御家人の夫人として玉の輿に乗り、贅沢な生活を送るという夢を持つ。また、自分の実子に北条の家督を継がせるという野心を持ち、義時のいない場では手の平を返したように「そうでなければあんな辛気臭い男には嫁がない」と本音を吐露する。そのため、義時との信頼関係は築けず、夫婦仲も良くない。泰時には結婚前に本来の姿を目撃され、男女関係に長けている三浦義村には初対面で本性を見抜かれる。義時と泰時の親子については、反発するほど信頼が深まる気持ち悪い関係だと思っている。美男子や都人に弱く、事あるごとに都の話を聞こうとする。
執権・北条時政が権力をかさに横暴を重ねるようになったため、二階堂行政をはじめとする文官たちが義時を引き込んで対抗しようと勧めた縁談にて義時と夫婦となる。当初は子は望まないふりをしていたものの、後に義時との間に政村をもうける。和田一族が挙兵すると、義時の側にいることが危険だと知り、すぐに二階堂の館へ避難する。実朝の側近となった泰時が義時に対抗すると、執権を名乗るよう義時を後押しする。
その後、義時の弱みを握ろうと接近してきた源仲章に心をときめかせ、まんまと彼の誘いに乗ってしまう。これに気づいた義時から叱責されると、義時が仲章との関係にやきもちを焼いていると勘違いし、義時から「八重も比奈も、もう少しできた女子だった」と冷たく突き放される。以降、政村を嫡男にしようと義時や政子に働きかけるようになる。しかし、その際に八重の実家である伊東家や比奈の実家である比企家が北条と敵対していたことを引き合いに出して泰時や朝時が跡を継ぐことを批判し、義時の怒りを買う。また、政子や実衣からも義時の意向を汲むようたしなめられる。
承久の乱の直前、義時が自身に相談もなく、上皇に首を差し出すと決めて泰時にあとを託すと、義時から京都守護に任命されていた兄・伊賀光季が上皇の命で討たれたことも相まって義時に対する怒りが爆発。政村の烏帽子親の義村と組んで義時に毒を盛る。しかし、それを見破られると、体面を気にする義時によって離縁はせぬまま館から追い出される。その際、義時に対して毒を吐き、義村が協力者であると教える。
北条泰時(ほうじょう やすとき)
(金剛 → 北条頼時 → 北条泰時)
演:坂口健太郎(幼少期:松澤禾蘭森優理斗
のちの3代目執権。義時の長男。母は八重。通称は太郎(たろう)。幼名は金剛(こんごう)。初名は頼時(よりとき)。
言動や仕草が義時の若い頃や母の八重を彷彿とさせることがしばしばあり、義時からは「かつての自分」だとして希望を託される。武勇と教養に優れ、幼い頃より貞観政要を読む一方、弓の腕前も見事で、富士の巻狩りでは狩りは初めてながら簡単に獲物を仕留める。同じく文武に優れる畠山重忠を尊敬している。和歌を詠む心得はまだない。
実直で私欲がなく、八重譲りの物怖じしない頑固な性格で、義時が北条のためと称して源氏をないがしろにすることには、北条一門でありながら公然と異を唱える。そのためか、従兄弟でもある2代将軍・頼家と3代将軍・実朝からは、彼らと北条との間に亀裂が生じたあとも受け入れられている。また大変に生真面目で、義時の冗談にも気づかず、恋愛についても父と同様に奥手である。この性格により、妻・初からは結婚前に「息がつまる。面白くない」と言われたことがあるが、その後の夫婦関係は良好である。物事をよく観察する一方、時に鈍感で空気を読まない言動をすることもある。思い悩むと酒に逃げる傾向があり、特にヤケ酒を呑んだ際は普段の実直さとは正反対のだらしない酔態を見せ、二日酔いのまま合戦に出たこともある(和田合戦)。ただし、このときも一軍の将として軍功をあげている。
作中で明言されることはないものの上総広常の生まれ変わりとされ、生まれて初めて義時に抱き上げられた際には、広常が頼朝を呼ぶときの呼び名「武衛(ぶえい)」に聞こえる泣き声をあげている[* 49]。また、広常は双六の最中に誅殺されているが、泰時は双六をするとなぜか具合が悪くなる体質であり、歩き巫女にそのことを告げた際には「さもありなん」と返される。御成敗式目についても、学のない御家人に配慮した文体を念頭にし、床に素案を広げて筆を加えるなど、床に這いつくばりながら読み書きの手習いをしていた広常の行動を想起させることがある。
上総広常が誅殺された直後に誕生。幼名の「金剛」は仏法の守り神(護法善神)のことであり、源氏を守る意味を込めて頼朝により命名される。頼朝から万寿(源頼家)を支えるよう頼まれ、幼い頃から万寿の遊び相手となる。父・義時から、母・八重が亡くなる原因を作ってしまった鶴丸を恨んではならないと諭されると、孤児と揶揄われた鶴丸を守るなど、良好な関係を築いたまま成長する。富士の巻狩りでは父とともに参加し、頼朝が討たれたという報がもたらされると、万寿の警護にあたる。
元服に際し烏帽子親の頼朝から一字をもらい「頼時」と名を改める。頼朝が落馬して亡くなったと聞くと、頼朝の着物の汚れ方から、頼朝は馬に振り落とされて落馬したのではなく、先に意識を失って落馬したと見抜く。頼家が2代目鎌倉殿となると近習の1人に選ばれるが、蹴鞠を推奨する頼家の政治手法や、安達景盛の妻を奪おうとする頼家の目に余る行動に苦言を呈することが多くなる。台風によって坂東で飢饉が発生したときにも蹴鞠ばかりで対策を行わない頼家を諌め、そのことで頼家に疎まれるようになる。その後、義時の命により、困窮した農民たちを救うために伊豆へ向かい、証文を破り捨てて事態を解決する。しかし、これを頼家に嫉妬され、褒美という名目で頼朝の一字を受け継いだ名から「泰時」に改名させられ、近習からも外されてしまう。
阿野全成が謀反の罪で監禁されると、危機が迫った叔母・実衣を義時の命で警護する。比企と北条の対立が決定的となると、妻である比奈を利用して比企の情報を得ようとする義時に怒りを露わにする。比企一族の討伐では、比企の娘・せつと頼家との間の子である一幡を真っ先に殺すよう義時に命じられるが、これを無視して密かに助ける。頼家が息を吹き返すとこれを義時に報告するが、義時が善児とトウに命じて一幡を殺すと、父の行いに疑問を持つ。義時が頼家の暗殺を決めた際も猛反発し、頼家の幽閉先である修善寺に駆けつけるが、頼家を守り切れずに目の前で失ったことで、義時との関係に軋轢が生じる。その後、源氏の血を引く者たちを殺めたことに思い悩んだ義時から、頼朝の形見である持仏観音を託される。
頼家を失ってからは、幼くして3代目鎌倉殿となった実朝の側仕えとなり、実朝の様子を義時に報告する。義時とのえとの結婚には、比企討伐によって北条を去った継母の比奈を気遣い反対する一方、婚礼後にのえの裏の顔を見た後は義時のことを心配するなど、反発と父を思う気持ちの狭間で揺れ動く。
畠山重忠の乱において、本格的な合戦での初陣を飾る。その後、義時からの要請でお役替えとなり、父の下で政務を学ぶ。時政が自身の館へ実朝を連れ去ると、父の覚悟を見るように言われ義時とともに時政の館へ向かうが、義時が時政の殺害を命じると最後まで反対する。義時が和田一族を挑発することにも反発し、義時から謹慎を申し付けられるが、それでも抵抗を続けて政子に助力を請う。父との関係に悩んだあまり深酒をしてしまい、和田一族が挙兵したことで義時から御所の西門の守りを任された際も泥酔していたが、異母弟の朝時や妻・初に叱咤されたことで奮起。朝時の行動から、兵たちに戸板を持たせて敵の矢を防ぐことを思いつくと、和田勢を押し返し市街戦を制する(和田合戦)。戦の終結後、女性問題を起こして鎌倉から追放されていた朝時に自身の軍功を譲ることで、義時の朝時への勘気を解く。
和田合戦の後、義時のもとから離れて政を行うことを決意した実朝に請われて側近となる。実朝が唐船の建造を開始すると、これが仲章の計略であることを見抜いて朝廷の介入に警戒感を抱く。しかし、後鳥羽上皇の威光をもって鎌倉を治めようとする実朝の意志を尊重するため、義時が建造を中止しようと動くと抵抗。何とか御家人たちの不満を抑えるため、木材を納めた御家人たちの名前を船に記すという案を生み出す。また、新たな鎌倉殿を朝廷から迎えようとする実朝の意向に義時が反発すると、「鎌倉は父上1人のものではない」と言い放つ。実朝が左大将に任ぜられたことで、源仲章から讃岐守への任官を提案されると、3代執権に就任した際に立ちはだかるであろう仲章に借りを作ることを心配する義時の制止を聞き入れ、自身には分不相応としてこれを断る。この際、義時から後継者として認めていることを告げられる。公暁が実朝の暗殺計画を企てると、これを事前に察知して義時に相談し、館に兵を集めていた義村を牽制。その後、義時が狙われていることも突き止め、すぐに二人を助けに向かうが、太刀持ちの役目を外されていた義時に止められたことで実朝が暗殺されると、実朝を見殺しにした義時の専政を止めることを決意する。
実朝が亡くなったことで、義時が親王の下向を反故にしようとすると、実朝の悲願だとして異を唱える。鎌倉殿の座を狙った阿野時元が自害に追い込まれ、その母・実衣にも嫌疑がかかると、実衣の詮議を大江広元や三善康信とともに行う。時元の館から実衣の書状が見つかった際には、叔母の筆跡であるか判断できないとして康信とともに実衣を庇う。その後、義時が実衣の首を刎ねようとすると、妹を殺せば人心が離れるとして父を止めるが、拒否される。さらに、朝廷との融和を最後まで訴え続けたことで、義時により評議から外される。同時期、政子から協力を依頼され、盛綱とともに施餓鬼に参加する。この後、朝廷から内裏の再建を命じられた御家人たちが義時に対する不満を増大させると、頼朝の形見である持仏観音を義時に返し、父を気遣い続ける。また、義時と御家人たちの分断を謀る後鳥羽の企てを見抜き、御家人たちから理解を得ようとする。
後鳥羽上皇によって義時追討の院宣が出されると、鎌倉を守るために官軍と一戦を交える覚悟を決める。しかし、自身の首を朝廷に差し出すことで戦を回避しようと考える義時に却下され、事後の鎌倉を託される。その後、政子が御家人たちの前で演説を行うと、これを援護。この演説で御家人たちが決起すると、義時から鎌倉の命運を託され、わずか18騎で鎌倉を出陣する。総大将として大軍を率いて進撃し、木曽川にて官軍を撃ち破ると、京の最終防衛線である宇治川にて官軍と対峙。この戦いで、筏を作って兵を対岸に渡らせる策を実行し、官軍を相手に大勝利を収めると、その勢いのまま入京する。義時が後鳥羽を流罪と決めると、その沙汰を後鳥羽に伝える(承久の乱)。その際、京で生活していたりくと対面する。この後、六波羅探題に任命され、自信をつける。
義時が先の戦で廃位させた帝の命を奪おうとすると、政治介入を一蹴し、施政者として独り立ちする。同時期、父の行動を無駄にせず新しい世を作ろうと考え、学のない御家人たちでもわかる武士が守るべき定を作り始める(御成敗式目)。
(はつ)
演:福地桃子(幼少期:久野楓名遠藤みのん
泰時の妻。三浦義村の娘。
父・義村の気性を受け継いだ沈着冷静な現実主義者であり、情に流される事なく物事を客観的に見て取り対処する。また、情勢を読む力もある。泰時や盛綱とは、共に八重に育てられたという間柄であるため仲が良い。泰時のことは「生真面目すぎて面白くない」と語り、泰時から送られた茸[注釈 11]も突き返しているものの、これを泰時らしいと受け止めており、悩みの多い夫を常に気遣う。観察眼に優れているため、度々対立する義父と夫の間を、お互いの気持ちを代弁しながら取り持つ。
母は産後の肥立ち悪く、間もなく亡くなっている。義村らが西国遠征する際に八重のもとに預けられ、金剛(北条泰時)や鶴丸(平盛綱)、ほかの孤児たちとともに育てられる。成長後、義村の勧めで泰時の妻となる。
比企の乱で、泰時が一幡を独断で助けると、それをかばって泰時とともに頭を下げる。また、泰時が義時の再婚に反発した際には、義時の代わりに泰時を叩いた後、泰時の胸の内を義時に伝えて仲裁する。のえが義弟・朝時を非難した際には、朝時を庇いながら、彼の育ての親であるのえを揶揄する。和田合戦の直前には、朝時が役に立つと考え、謹慎中の朝時を独断で鎌倉に呼び戻す。さらに、戦が勃発したにも関わらず泥酔する泰時の頭に水をかけ、奮起を促す。
その後は、酒宴の席で酒を飲む泰時を常に見張る。泰時が義時によって評議から外されると、これを励ます。また、泰時が六波羅探題に就任して京へ向かうと、倒れた義時の様子を見守る。泰時が御成敗式目の作成を始めると、これを称える。
なお、初のモデルとなった泰時の正室矢部禅尼は、史実では建暦2年(1212年)以前に泰時と離別したと考えられているが、本作中では承久の乱後(1221年(承久3年)以降)のシーンである時房、泰時、朝時の酒宴[5]にも加わっており、離縁はしていない模様。
北条朝時(ほうじょう ともとき)
演:西本たける(少年期:髙橋悠悟[* 50]
義時の次男。母は比奈。通称は次郎(じろう)。
陽気でちゃっかりとした性格ながら、無遠慮かつ軽率な一面がある。女癖が悪く、「嫁に取る」という決まり文句で何人もの女性と関係を持つ。優秀な父・義時や異母兄・泰時に対して劣等感を抱いており、父から期待されぬ自身を心の内では卑下する。のえからは「下品」と評される一方で、この発言を聞いた泰時の妻・初は「あの人の母(比奈)は上品な人だった」と暗に育ての母であるのえを揶揄し、朝時を庇っている。
比企家討伐後に両親が離縁し、実弟・重時とともに義時のもとに残されると、叔父・北条時房と遊び気を紛らわせる。
御所の女房に手を出したことで実朝の怒りを買うと、義時に叱責されて一時的に鎌倉を追い出される。しかし、北条と和田との間に緊張が走ると初に呼び戻され、酒に溺れる泰時を叱責する。和田合戦では戦に臆し、一度は逃亡を考えるが、戸板で敵の矢を防ぐことを何気なく思いついたことで、泰時に勝利への足掛かりを示す。これを朝時の手柄とする泰時の進言によって、義時に許される。
その後は泰時や義時のもとで働くが、鶴岡八幡宮で行われた実朝の右大臣拝賀式では、公暁の息が掛かった僧に行列の並びを教えてしまう。実衣が謀反の罪で詮議を受けた際には、時元の館から発見された実衣の書状を泰時に届ける。後鳥羽が挙兵すると、死を覚悟した義時から、時房とともに泰時を補佐するよう託される。この後、泰時や時房とともに宇治川で官軍に勝利する。泰時や時房が六波羅探題に任じられると、留守の鎌倉を任される。
北条重時(ほうじょう しげとき)
演:加藤斗真[* 51]
義時の三男。母は比奈。
比奈が鎌倉を去ると、実兄・朝時とともに義時のもとに残され、叔父・北条時房と遊び気を紛らわせる。
北条政村(ほうじょう まさむら)
演:新原泰佑 (幼少期:林蒼央塩田宙[* 52]
義時の四男。母はのえ。のちの7代目執権。
権力欲の強い母・のえや曽祖父・二階堂行政から、異母兄である泰時を差し置いて3代執権になることを求められる。
北条時政(ほうじょう ときまさ)★
演:坂東彌十郎
初代執権。義時の父。通称は四郎(しろう)。りくからは「しい様」、実朝からは「じじ様」、サツキからは「しいさん」と呼ばれている。
やや直情型の無骨な坂東武者であり、武芸に長けるが、情も深く人間味がある。大事にしているものとして、伊豆の所領、妻・りく、息子と娘の3つを挙げ、それを死に物狂いで守ることが自身の天命であるとしている。そのため、勝つためには時に名前に傷が付くような卑怯な手を実行することもある。一方で、元来のお人好しな性格のために交渉下手で相手の口車に乗せられやすい。武者としての務めの傍ら畑仕事にも精を出しており、野菜の育成には自信を持っている。義兄弟でもある三浦義澄とは悪友であり、度々軽口を言い合う仲である。
昔から女には苦労していないが、妻のりくを始め女性の魅力に弱いところがある。りくが妻となってからは日々彼女のことで頭が一杯になり、彼女の我儘を渋々聞くようになり、それが原因で息子達に迷惑をかける。
頼朝に対しては、平家を坂東から追い出すために源氏の血筋の者が必要だっただけであり、娘婿になって以降もあまり信用しているわけではない。頼朝とのやりとりでも感情にまかせて自分の思ったことをそのまま言ってしまい何度も対立、言った後しばらくしてから自分が作り出した険悪な状況に気付き困惑したり、政の複雑さに嫌気がさし、何度も鎌倉を去り伊豆に帰ろうとする。
祐親の娘で義時らの生母である最初の妻、北条時連(時房)らの生母である2人目の妻・鶴(つる[注釈 12]、演:吉田香織[* 53][注釈 13]とも相次いで死別し、大番役のため京入りしていた時に見初めた公家の娘・りくを3人目の妻とし、伊豆へ連れ帰る。息子・宗時から、伊東の館から逃げ出した頼朝を北条の館で匿っていることを告げられると追い出そうとするが、頼朝と対面すると一転、匿うことにする。その後、頼朝を追う祐親に館を包囲されると、武士として一度決めたら命に変えても守り抜くと頼朝の引き渡しを拒む。
政子が頼朝と結ばれたため、頼朝の挙兵には舅という立場で協力する。初戦は堤信遠を討ち取るが、石橋山の戦いでは大庭景親の挑発に乗ってしまい、頼朝軍敗走の原因を作る。その後、頼朝から命じられ義時と共に甲斐の武田信義のもとへ援軍要請に向かったときには、頼朝側から武田側に寝返ろうとする。また、安房へは頼朝を置いて真っ先に落ち延びる。宗時が亡くなったことを知らされると、義時に兄の思いを継ぐよう語りかける。
頼朝の命で再び甲斐へ向かうと、信義に出し抜かれて頼朝に激怒される。富士川の戦いでは、義澄との殴り合いの喧嘩がきっかけで水鳥の群れが羽ばたき、それが結果的に源氏軍の勝利へと繋がる。その後、勝利した勢いで京に攻め上ろうとする頼朝に対し、坂東武者にとっては所領と一族が最も大切であることを説き、出陣を思いとどまらせる。
頼朝の浮気に単を発した後妻打ちによってりくの兄・牧宗親が辱めを受けただけでなく、開き直った頼朝が政子とりくに不遜な態度を取ると、激怒して伊豆へ帰る。しかし、上総広常の粛清が行われると、謀叛の疑いがかからぬよう鎌倉へ帰還し、北条が生き残る手立ては、これまで以上に源氏に取り入り付き従う以外にないと決意を新たにする。また、頼朝から源義高や藤内光澄を殺すよう命じられて悩む義時に対しても、北条家のために覚悟を決めるよう諭す。西国遠征に際しては、留守居役を命じられる。義経が平宗盛を護送して鎌倉へやってくると、頼朝の命で義経を腰越に留め置き、代わりに宗盛を鎌倉まで護送する。
後白河法皇の力を借りて義経を捕らえるよう頼朝から命じられると、京都守護となって後白河に謁見し、義時の力も借りて、全国に守護・地頭を設置することを後白河に認めさせる。その後、全く忖度しない姿勢を後白河に気に入られるが、軽くあしらって鎌倉へ戻る。同時期、りくとの間に念願の男子(のちの北条政範)が誕生する。富士の巻狩りでは、頼朝の暗殺を企む曽我兄弟に「父の仇討ち」と騙され、仁田忠常を含めた20人ほどの手勢を与えてしまう。しかし、義時の策により、兵を与えたことは不問となる。源範頼が謀反の疑いをかけられると、伊豆の領主として修善寺まで送り届ける。比企能員の娘が頼家の子・一幡を産むと、比企家の権力増大に嫉妬し、範頼を焚き付けたのが比企であるという噂を流す。また、頼朝が昏睡状態に陥ると、北条家の生き残りをかけて実衣の夫・阿野全成を次の鎌倉殿にするよう政子に頼む。しかし、頼朝の死後に政子が頼家を次の鎌倉殿と定めると、政子や義時に反発する。
文官4人と梶原景時・比企能員が宿老となった政治体制の構想を知ると、自身も宿老に入れるよう義時に要求し、能員に対抗するため三浦義澄・和田義盛・足立遠元を宿老に勧誘する(十三人の合議制)。その際、三浦義村と畠山重忠も勧誘するが断られる。義澄が危篤状態になると三浦の館に駆けつけ、悪友の死に号泣する。その後、政子の口利きで遠江守に任じられて御家人筆頭となるが、能員が一幡を嫡男にしようと動くと、りくに焚きつけられ、娘婿である全成に頼家の呪詛を依頼。このことが発覚し全成が監禁されると、自身の関与を認めて名乗り出ようとするが、義時に止められる。この後、比企の計略によって全成が斬首に追い込まれると、義息・全成を死に追いやり、娘・実衣を悲しませた自身の行いに後悔し、北条を守り抜くため義時とともに比企一族を滅ぼすことを決意。能員と一対一で話し合い、彼が一歩も引かないことを確認すると、和議を申し入れるふりをして能員を館に呼び出し、騙し討つ。
比企一族を滅ぼしたのちは、義時の提案で、回復した頼家を修善寺に幽閉。娘・実衣が乳母を務める千幡(源実朝)を3代目鎌倉殿に就け、自身は執権別当となって御家人の頂点に立つ。頼家が幽閉先で謀反を企てると、孫を殺すことを躊躇しながらも、腹を括って頼家の殺害を許可し、憂いを取り除く。しかし、元来の気のいい性格から政を私物化するようになり、義時からたびたび苦言を呈されるようになる。さらに、りくから武蔵を北条のものにするようとそそのかされ、娘婿・畠山重忠とも対立。愛息・政範の急死をきっかけにりくから畠山討伐を懇願されると、義時や時房の静止を聞かず強引に戦へと突き進む。実朝を騙して重忠追討の下文を得ると、重忠の息子・重保を人質に取ろうとするが失敗。重保を殺したことで重忠を激怒させ、戦のきっかけを作る。その後、重忠を討ち取ったことで御家人たちの不満が高まると、娘婿・稲毛重成に罪を被せるよう義時から提案されるが、これを実行したことで御家人たちからの信用をさらに失い、義時や政子に政の権限を奪われると激怒する。
義時にはめられたことを知った妻・りくが、三浦義村を味方に取り込み、実朝を出家させて娘婿・平賀朝雅を鎌倉殿に就けようと画策すると、企てが失敗するとわかりながらも妻を守るために協力。義時や政子といった家族たちと別れの宴を開いた後、実朝を屋敷に連れ去る。その後、父を討ち取ることを決意した義時の命によって動員された兵たちに館を囲まれ、和田義盛が実朝救出のために館へ乗り込んでくると、自身の脅しに屈しなかった実朝を褒め、義盛に義時に対する伝言を託した後、二人を外へ逃す。また、義時側に寝返っていた三浦義村にりくを預け、自身は自害しようとするが、政子や泰時の懇願によって兵たちの心が動かされたことで、八田知家によって救出される。
事件後は出家剃髪し、牢に監禁されるが、政子や実朝の助命、三善康信の配慮で処刑を免れ、故郷である伊豆に流罪となる。鎌倉を発つ直前には義時と対面し、最後の会話を交わす。その後は、北条館で蟄居・隠棲することになり、流人暮らしが耐えられないりくが京に帰ったことも嘆く事なく受け入れる。また、老齢により身体の自由が利かなくなってきたため、近所の村娘・サツキに面倒を見てもらいながら、義時の命で蟄居先を訪ねてきた泰時や盛綱とも穏やかに語らい、達観した様子を見せる。鎌倉追放から10年後、伊豆にて死去。享年78。
りく
演:宮沢りえ
時政の3人目の妻。義時の継母。
公家の娘で自尊心が強く、京育ちのため権力内部の力学やからくりを知っている。他者と自分の比較ばかりしており、嫉妬心が強く、我欲のためなら他人を陥れる策も次々と思いつく策略家。坂東暮らしが長くなって以降は次第に物言いが乱暴になってきているが、自覚はしていない。政子や実衣には、北条に嫁いで良いことは1つもなかったと言い放つが、北条家に馴染もうとするのえから助言を求められると、「北条に嫁いだことを誇りに思っている」と語る。
時政が京入りしていた折に見初められ、妻となり、伊豆で一緒に暮らし始める。坂東に来たことを「下向した」と思っており、京の生活が忘れられず帰りたがる。頼朝が挙兵すると、政子らとともに寺女として伊豆山権現社に匿われる。
頼朝が戦いに勝ち鎌倉に権力の座を据えると、それと連動して頼朝の妻・政子の地位も安定し強固なものとなるが、それに比べて夫・時政の処遇が悪く自分も軽く扱われている、などという見方をするようになり不満を抱く。いつまでも京が忘れられず、時政を出世させることが京に戻るための最善の手段であると考えるようになり、何かにつけて時政をけしかけ、よからぬ謀(はかりごと)を連発するようになる。政子の地位が高いことに嫉妬し、頼朝と関係をこじれさせるため、頼朝が亀と逢瀬を重ねていることを知るとあえて政子にその浮気のことをほのめかし、「後妻打ち」を耳打ちする。しかし、兄・牧宗親が頼朝から恥辱を受けると政子と共に頼朝に詰め寄り、時政とともに伊豆へ帰る。しかし、上総広常の粛清が行われると、時政に従って鎌倉へ戻る。御台所である政子に対しては、京でかつての平家のような大きな力を持つため、頼朝との子を多く作るよう助言する。また、自身は北条の跡取りを産むことを宣言する。
時政が頼朝から上洛を命じられると、嫌がる時政の尻を叩く。時政との間に待望の男子(北条政範)が生まれると、その祝いで北条一族が集まった際に、比企家がますます贔屓されていることへの不満を漏らし、畠山重忠や稲毛重成をけしかける。自分の子が最高権力者になることをひそかに望むようになり、「義時ではなく自分の子こそが北条家の跡継ぎに相応しい」などと思うようになる。富士の巻狩りで頼朝が討たれたとする真偽の分からぬ報を受けると、取り乱す政子に対して冷静になるよう促す。また、政子が大姫の死で悲しみに打ちひしがれると、御台所として今以上に強くなるよう諭す。能員の娘が頼家の子・一幡を産むと、さらに比企の力が強くなることを恐れ、頼朝が昏睡状態に陥ると実衣の夫・全成を次の鎌倉殿にするよう時政をけしかける。しかし、政子が頼家を次の鎌倉殿と定めると、義時や政子に反発する。
頼家が2代目鎌倉殿となり、文官4人と景時・能員が補佐する政治体制の構想を知ると、北条派の御家人たちを勧誘するよう時政に助言する。義村と義盛が景時排斥を求める連判状に時政の署名を求めた際には、景時を引きずり下ろすためにこれを承諾する。しかし、署名を連判状の端に書かせ、完成後に時政の名前のみを切り取ることで、北条家は生き残るよう策を講じる。
能員が一幡を嫡男にしようと動くと、千幡(源実朝)を次の鎌倉殿とするため、全成に頼家の呪詛を行わせる。このことが発覚し全成が監禁されると、自身や時政の関与を否定し、関与を認めて名乗り出ようとする時政を制止する。頼家が昏睡状態に陥ったことで義時が比企との対決を決意すると、比企一族を滅ぼした後は幼い千幡を鎌倉殿とし、夫・時政に政を行わせるよう迫る。しかし、比企一族を滅ぼした直後に頼家が回復すると、千幡を必ず鎌倉殿とするため、義時に頼家の仏門入りを提案。さらに、真相に気づいた頼家が時政の殺害を命じると、北条家と自身のために頼家を殺すよう時政に迫る。
自身の狙い通り、実朝(千幡)が3代目鎌倉殿に就任し、時政が執権別当になると、比企の遺領である武蔵を手に入れるよう時政を焚き付ける。また、実衣とともに実朝の正室を千世と決め、強引に縁談を進める。さらに、千世を迎えるための使者として愛息・政範を上洛させるが、政範が娘婿・平賀朝雅によって毒殺されると悲観に暮れる。その後、鎌倉に帰還した朝雅から、政範を毒殺したのが畠山重保であると告げられると、武蔵に所領を持つ畠山家と以前より対立していたことから朝雅の嘘を信じ、政子や義時の制止を無視して時政に畠山追討を懇願する。畠山重忠の乱の後、義時が政子や大江広元とともに時政から政の権限を奪うと激怒する。
その後、政子から力を奪い取るため、三浦義村を味方に取り込み、実朝を出家させて娘婿・平賀朝雅を鎌倉殿に就けようと画策すると、この計画を時政に実行させる。しかし、義村が裏切ったことですぐに館を取り囲まれ、死を覚悟した時政に逃げるよう諭されると、館を抜け出して政子のもとへ向かい、過ちを悔いて時政の助命を嘆願する。この後、政子の働きで助け出された時政とともに伊豆での蟄居を言い渡され、その直後に義時の命を受けたトウに暗殺されかけるも、義村の手によって助けられる。時政とともに伊豆に追放される前に義時に面会すると、今後一切時政を焚き付けることはしないと伝え、執権になることをためらう義時に対し、皮肉を言いながらもその背中を押す。
その後は、蟄居生活に耐えられなくなり、時政を置いて京へ戻ると、娘のもとで華やかな生活を送る。しかし、時政のことは長年気にかけており、時房や泰時が訪ねてきた際には、時政の様子について尋ねる。
北条宗時(ほうじょう むねとき)
演:片岡愛之助
時政の嫡男。義時の同母兄。通称は三郎(さぶろう)。
正しいと思ったことにはひたすら突き進むが、楽観的な性格のため根回しが足りず、事後処理は全て弟・義時に丸投げする。自身を「戦うために生まれてきた男」と称する。平家嫌いで、源氏を担いで坂東の地から平家を追い出し、坂東武者の世を作るという野望を持つ。
祐親を激怒させた頼朝が伊東の館から逃れると、伊東祐清とともに北条館へ移し、家族に内緒で匿う。その後、平家の世に不満を持つ坂東の豪族たちを巻き込んで頼朝とともに挙兵すると、初戦では堤信遠らを討ち取る。しかし、続く石橋山の戦いでは大庭景親ら平家方の軍勢に大敗する。なんとか戦場から脱出すると、頼朝が北条館に残した観音像を取りに行くため義時らと別れる。鎧を取り換えるために戻る工藤茂光とともに伊豆の所領へ向かうが、目前にて伊東祐親の下人・善児の手に掛かり、茂光と共に非業の死を遂げる。
別れの際、義時だけに「坂東武者の世の頂点に北条が立つ」という真の野望を語っており、その遺志は義時に引き継がれることになる。
北条時房(ほうじょう ときふさ)
(北条時連 → 北条時房)
演:瀬戸康史(少年期:田中瑛央[* 54][出典無効]
時政の三男。母は鶴。義時の異母弟。通称は五郎(ごろう)。初名は時連(ときつら)。改名してからはりくに名の発音を「トキューサ」と聞き間違えられ、以来時政・りく・実衣らからそう呼ばれている。後鳥羽上皇にも「トキューサ」と呼ばれる。
童顔のため、頼家の近習衆の中では最年長であるにもかかわらず最年少と誤解される。人懐こい性格であり、自分に「愛嬌がある」ことを自負している。その一方で、粛清をすんなりと受け入れる現実主義的なところもあり、義時に命じられると裏工作にも加担する。孤立しがちな義時を絶妙なタイミングで諌めることができ、義時が唯一本心を語れる相手でもある。義時・泰時親子が対立した際は、仲裁役に徹する。餅を丸くこねることができないなど不器用な面がある。蹴鞠の才能は突出しており、京で公家たちと渡り合うために日々稽古を重ね、指南役の平知康からは「邪心が無く球筋が真っ直ぐである」と誉められる。その実力は、「鎌倉一の蹴鞠の名手」として京でも噂となっており、これを聞きつけた後鳥羽からもその才能を認められる。実朝や善哉には、蹴鞠の心構えを教えている。
元服し、三浦から「連」の一字を貰って「時連」を名乗る。願成就院の本堂が完成すると、時政や義時と共に伊豆へ向かう。富士の巻狩りでは、時政と共に御家人たちの寝所の手配を行い、頼朝が討たれたという報を受けると警護にあたる。頼朝が昏睡状態に陥ると、時政や義澄と共に水垢離を行う。また、八田知家が行う火葬場の建設を手伝う。
頼家が2代目鎌倉殿となると、義時から頼まれて頼家の近習の1人になり、比企一族の動向を探る。その後、蹴鞠の才能を見込まれて頼家に気に入られる。甥・頼時(泰時)が頼家から疎まれると、義時と相談して頼時を伊豆へ向かわせ、自身は「頼家の気持ちを理解してあげる」という立ち位置で頼家に従う。しかし、念仏僧を斬るよう命じるなど、頼家が度を越えた行動をした際には強く制止する。義兄・阿野全成が謀反の罪で監禁され、頼家から姉である実衣を連れてくるよう命じられると、実衣を警護する政子や泰時と、頼家の側近である比企時員らの間で板挟みとなる。この頃、平知康から「「連」の字が銭の穴を貫いて束ねる連を思わせ品が悪い」として改名するよう助言を受け、頼家から「時房」という名を賜る。
次第に義時の手足となって動くようになると、比企一族の討伐に加担。意識を取り戻した頼家から一幡やせつ・能員を連れてくるよう言われた際には、全員が流行り病であると誤魔化す。義時が頼家の暗殺を決断した際には、義時が泰時を「かつての自分」として見ていることを打ち明けられ、泰時が兄の「のぞみ」であることを知る。義時が比奈と離縁すると、幼くして母と別れることとなった朝時や重時の世話を、義時に代わって行う。時政が畠山重忠を討とうと考えると義時とともに父を制し、時政の子どもたちのなかで唯一、継母のりくにも正面きって苦言を呈する。重忠が二俣川に布陣した後も、最後まで戦を回避するよう進言、義時が出陣すると時政を見張るために鎌倉に残る。一方で、時政の失脚を目論む義時が、捨て石として稲毛重成を誅殺したことに関しては容認する。この後、さらに義時と時政の関係が悪化すると、親子で争うのは良くないという考えから、双方を説得する。時政からどちらにつくか問われた際には、北条は一つであると返答する。時政が実朝を自身の館へ連れ去ると、義時とともに館を取り囲んで実朝を開放するよう説得すると同時に、父を殺そうとする義時を制止する。時政とりくが伊豆へ流罪と決まると、時政の前で涙を流す。
時政の失脚後、その跡を継いだ義時との関係について実朝が思い悩むと、側にいながらも支えになれなかった頼家のことを思い出し、心を開くことのできる相手を見つけるよう実朝に助言する。泉親衡の乱が起こると、首謀者の1人である和田胤長を縄で縛り上げ、和田一族の面前で引き立てる役目を任される。その後、義時とともに戦の準備を始めるが、政子に説得された義時が矛を収めると安堵する。しかし、行き違いによって和田一族が挙兵すると、義時の命で御所の北門を守る。和田合戦ののち、義時が御家人筆頭となるとこれを称える。実朝が巨大な唐船の建造を始めると、義時の命でトウとともに設計図を書き換え、計画を頓挫させる。政子が親王を鎌倉へ下向させるために上洛すると付き添いとして内裏に赴き、正体を伏せた後鳥羽と蹴鞠で交流する。これにより、後鳥羽から気に入られたことで、政子の後押しをすることとなる。実朝の右大臣拝賀式当日、実朝を見限った義時から、仲章の殺害と公暁の実朝暗殺計画を黙認することを告げられると、兄とともに修羅の道を進むことを決意し、これを容認する。義時の代わりに源仲章が殺されると、義時のことを頼朝同様「天に守られている」と称す。
実朝が亡くなったことで、義時が親王の下向を反故にしようとすると、実朝の悲願だとして泰時とともに異を唱える。義時が、阿野時元を次期鎌倉殿にと画策した実衣の首を刎ねようとすると、減刑を願い出る。同時期、新たな鎌倉殿を下向させる計画が行き詰ると、義時の命で1千騎の兵を率いて上洛し、朝廷に脅しをかける。その際、後鳥羽から蹴鞠で勝負を挑まれると、善戦しながらも藤原兼子に窘められたことで負けを申告し、後鳥羽の機嫌を取る。これによって後鳥羽から技量を認められると、親王の代わりとなる人物を鎌倉へ下向させることを約束させる。後鳥羽が挙兵すると、義時追討の院宣を下した鎌倉御家人の一人に選ばれる。その後、死を覚悟した義時から、後継の泰時を支えるよう頼まれる。しかし、政子の演説によって御家人たちが決起すると、泰時や朝時とともに宇治川にて官軍を撃ち破る。入京して後鳥羽と対面すると、義時への執り成しを頼まれる。同時期、京で生活していたりくと対面する。
承久の乱の後は、六波羅探題として泰時とともに西国への目配りを行う。また、朝廷を頼らず武士が中心となって行う新たな政の形を、北条が中心となって長く続けていくことを決意する。
北条政範(ほうじょう まさのり)
演:中川翼
時政の四男。母はりく。義時、時房にとっては異母弟にあたる。
りくにとっては待望の男子で、若くしてすでに官位を受けるなど、北条家の後継者としての期待を一心に受けて育つ。実朝が後鳥羽上皇の従姉妹・千世を正室に迎える際、将来の有望株として畠山重保らとともに京へ迎えに行く。しかし、京に到着した翌日の宴席で体調が急変し、そのまま亡くなる。享年16。
政子(まさこ)
時政の長女。義時の同母姉。源氏将軍家(鎌倉殿)とその妻子を参照。
実衣(みい)
時政の次女。義時の同母妹。頼朝の兄弟とその関係者を参照。
ちえ
時政の三女。母は鶴。時房の同母姉。武蔵を参照。
あき
時政の四女。母は鶴。時房の同母姉。武蔵を参照。
きく
演:八木莉可子
時政の五女。母はりく。政範の同母姉。
平賀朝雅と結婚し、千世の鎌倉入りに際しては朝雅と共に御所で出迎え、のちに朝雅と共に上洛する。
朝雅誅殺後、公卿の宰相中将と再婚、経済的に恵まれた境遇となり、時政と別れた実母りくの身柄を引き取る。
義時の妹
演:英茉[* 55] / 平賀紗奈[* 56] / 田中乃愛[* 57] / 阿部久令亜[要出典]

親族・家人・従者[編集]

牧宗親(まき むねちか)
演:山崎一
りくの兄。義時の義理の伯父。
公家であり[6]、都文化に通じていることから、京のしきたりに厳しい。いけずな性格の持ち主で、妹・りくとともに他人の不幸を楽しんでいる節がある。
御台所となった政子に作法や立ち居振る舞いなどの教育を施すため、りくの要請で鎌倉へ下向する。
頼朝を懲らしめるためにりくが提案した「後妻打ち」を引き受ける。亀の屋敷を少しだけ壊すつもりだったが、屋敷を警備していた源義経らに手伝わせたところ、派手に破壊したうえに火をかけられたため大事となってしまう。激怒した頼朝によって、義経を煽動した罰として(もとどり)を切られる恥辱を受ける。
伊賀光季(いが みつすえ)
演:日笠圭[* 58]
のえの兄。義時の義兄。二階堂行政の孫。
義時に京都守護に任じられるが、後鳥羽上皇の挙兵の際に標的になり、三浦胤義によって討ち取られる。
平盛綱(たいら の もりつな)
(鶴丸 → 平盛綱)
演:きづき(少年期:佐藤遙灯
泰時の従者。幼名は鶴丸(つるまる)。
泰時や初とは共に八重に育てられた間柄であり、仲が良い。泰時の補佐役として官僚的な業務をこなす一方、弓の腕前も見事であり、文武に優れる。御家人筆頭の北条の血筋である泰時とは、身分が大きく違うものの「太郎」と呼び捨て、タメ口でしゃべり合う仲である。初と同じく父と子の間を取り持つ役割を見せることもある。また、泰時の身に危険が及ぶときには身を呈して守ろうとするなど、忠実に泰時に仕える。泰時の弟である朝時には苦手意識を持っている。
常陸百姓の子だったが飢饉で両親を失い、孤児として八田知家を通じて他の子供たちとともに義時の屋敷で八重に育てられる。川遊びで流されかけたところを八重に助けられたものの、そのことが原因で八重が亡くなってしまう。しかしその後、金剛(泰時)が「鶴丸を恨むな」と義時から言い聞かされたこともあり、孤児と揶揄われた際には金剛に助けられるなど、お互いに絆を深めていく。八重に育てられた孤児たちのほとんどは里子に出されたものの、鶴丸だけは義時の元に残される。
成長後は従者として頼時(泰時)に仕える。富士の巻狩りでも供をし、万寿(源頼家)が鹿を仕留めるための裏工作にも協力する。頼朝が昏睡状態に陥ると、頼時と共に知家が行う火葬場の建設を手伝う。頼時が困窮した農民たちを救うために伊豆へ向かった際にも供をし、泰時に問題解決の糸口を示す。
義時が頼家を暗殺するために善児とトウを修善寺に送ると、泰時とともに修善寺へ向かい、身を呈して泰時を守る。泰時が義時から頼朝の形見の観音像を譲られたときには、受け取るのを渋る泰時に貰っておくよう勧める。畠山重忠の乱にも参戦し、初陣の泰時を警護する。義時が実質的な御家人たちの頂点に立つと、いつまでも鶴丸の名では都合が悪いとして、義時から「太郎の命綱」という意味合いを込めた「盛綱」のを与えられ、源氏の世が安泰となった証として平の姓を名乗る事を許される。また、弓の技比べで見事に的を射た功績により、晴れて御家人となる。和田一族が挙兵すると、泰時や朝時とともに御所の西門を守る。
泰時が実朝の側近として登用されてからは、その補佐役として官僚的な業務もこなし、実朝の右大臣拝賀式では行列の並びや警護の配置を考える。政子が施餓鬼を行うと、泰時とともにこれを手伝う。承久の乱においては、泰時とともに先発隊として18騎で出陣。大一番である宇治川の渡河戦においては、自ら褌一丁で川に入り、筏を押す役目を担当する。これにより、流れ矢を肩に受けて負傷するも、生き延びる。
戦後は鎌倉に帰還し、泰時・時房・初らと酒宴に参加する。その際、自身が生き延びたことについて「私はいつも誰かに守られている」と告げる。
善児(ぜんじ)
演:梶原善
義時の下人百姓の出身。伊東祐親、梶原景時を経て、義時の配下となる。トウからは「お師匠」と呼ばれている。
刺客として用いられており、暗殺だけでなく諜報活動も行う。主命を粛々と実行し、感情を表に見せることはない。一幡のために木材と縄でブランコを作成するなど、手先が器用である。
伊東家では祐清に命じられ、千鶴丸を川へ連れ出して溺死させる。頼朝が挙兵すると祐親の命を受け、宗時と工藤茂光を暗殺する。伊東の館が頼朝軍に包囲された際には、祐親から八重を殺す命を受けており、八重を逃がそうとした江間次郎を殺害した後、三浦義村と戦闘になって手傷を負う。伊東家の離散後、畠山重忠の館に盗みに入ったところを捕えられ、景時に拾われる。
景時が頼朝から伊東親子を殺すよう命じられると、景時の命により、旧主である祐親・祐清父子を暗殺する。上総広常の誅殺の際には、直接手を下してはいないが、事前に広常の刀を抜き取ることで景時を手助けする。また、静御前が男子を生んだ際には、その子を由比ヶ浜に沈める。義時が奥州へ向かった際には景時の命で行動を共にし、義時を問いただそうとした藤原頼衡を殺害する。富士の巻狩りでは、密偵として曽我十郎・五郎が謀反を企てていることを景時に伝える。源範頼に大姫の呪詛容疑がかけられると、頼家の意を受けた景時の命により、修善寺にて範頼と百姓夫妻を暗殺する。その際、殺した夫妻の娘・トウの命を助け、後継者として育てる。景時が宿老となると、御家人たちの動向を監視し、結城朝光の発言を景時に報告する。景時が流罪となると、景時の命によって次の主を義時とする。その際に義時から、景時からの預かりものである宗時の形見が入った巾着袋を渡される。
比企討伐の際は、弟子のトウとともに泰時に随行し、泰時の意向で一幡を匿う。その後、自身の小屋で一幡を匿うが、面倒をみるうちに一幡に対して情が湧くようになる。そのため、義時による暗殺命令に初めて逆らい、一幡を殺すことを躊躇う。義時から頼家の暗殺を命じられると、猿楽師に紛れて修善寺に侵入。泰時に正体を見破られるも、トウの助力を得て頼家との一騎打ちに持ち込む。その際、一幡のことを思い出した一瞬の隙を突かれて頼家に致命傷を負わされ、最期は親の敵としてトウにとどめを刺される。
トウ
演:山本千尋(少女期:高橋愛莉
善児の弟子の刺客。伊豆修善寺の百姓・五藤太の娘。
剣技に長じ、かつ抜群の身体能力の持ち主。善児同様、刺客として用いられるが、「主の命がなければ殺さない」という信念を持つ。また、暗殺だけでなく諜報活動も行う。任務中は感情を表に見せることはないが、一幡の遊び相手をしている際は笑顔を見せる。容姿端麗であるため、義村からは「俺の女になれ」と粉をかけられる。善児を「お師匠」と呼んで忠実に従いつつも、両親の仇討ちの機会を窺う。
少女時代、両親が範頼とともに殺害されるのを目撃し、その実行犯・善児によって育てられる。善児が義時の配下になると共に仕え、2代目として義時のために暗殺を実行する。比企討伐の際は、討ち入った比企館で頼家の側女・せつを躊躇なく刺殺。泰時の一存により義時に内緒で匿っていた一幡も、殺すことを躊躇った善児に代わって水遊びと称して連れ出し、殺害する。頼家を暗殺するため修善寺へ向かうと、頼家を討ち取るとともに、重傷を負った善児にもとどめを刺し、復讐を果たす。
善児の死後はその職務を引き継ぐが、りくの暗殺には三浦義村の妨害により失敗し、抵抗の末に逃亡する。和田合戦の際は、和田の館の様子を探る密偵役を務める。源仲章の暗殺を義時から命じられると、仲章の罠にはまって捕らえられる。その後、仲章が公暁に殺害された際の混乱の隙を突いて逃げ出し、その途中で絶望のあまり自害しようとしていた政子を見かけてこれを諫める。これがきっかけで政子のもとに身を寄せる。政子から戦災孤児たちの武芸の師匠となる事を勧められると、暗殺業から足を洗う。
くま
演:田中なずな
りくの侍女。
曽我十郎(そが じゅうろう) / 曽我五郎(そが ごろう)
時政の家人。伊豆を参照。

源氏将軍家(鎌倉殿)とその妻子[編集]

源頼朝(みなもと の よりとも)
演:大泉洋(少年期:生駒星汰[* 59]
初代鎌倉殿源氏将軍)。源氏の棟梁。
河内源氏嫡流源義朝の三男。かつての官職右兵衛権佐(うひょうえのごんのすけ)にちなんで「佐殿(すけどの)」、鎌倉入り後は「鎌倉殿(かまくらどの)」と称される。広常からは「武衛(ぶえい)」と呼ばれている。
政略眼に長け、平家を追討して「あるべき世」に戻すために挙兵するが、坂東武者(御家人)との意識の違いにより悶着を招くことも多い。苦労して育ったために猜疑心が強く、特定の兄弟や御家人に権力が集中しないよう腐心する。他人に本心を見せないが、義時には本心を明かす。度々訪れる命の危機を何度も回避する運の良さから、周りからは「天に守られている」と評されており、本人もそれを自覚している。観世音菩薩を信仰し、の中にも比企尼から託された小さな観音像を忍ばせている。
女癖が悪く、八重、政子、亀、比奈を次々に気に入る。自身も女好きであることは認めており、息子・頼家にせつの他に好きな女性がいることを相談されると、「女好きは我が嫡男の証である」と頼家を褒める。特に最初の妻・八重への思いは強く、彼女が川で流されたと聞いた際には、御家人たちを総動員して捜索にあたらせる。
武門の棟梁らしく弓など武芸の鍛錬に励む一方で和歌を詠む才能もあり、武芸の才能は頼家に、和歌の才能は実朝にそれぞれ受け継がれている。
父・義朝が平治の乱で敗れると、平清盛によって伊豆に流される。平家打倒の宿願のために監視役である伊東家を後ろ盾にしようと考え、伊東祐親が京の大番役で留守にしている間、その娘である八重と関係を持つ。その後、八重との間に千鶴丸をもうけるが、そのことに激怒した祐親に追われることとなり、伊東祐清と北条宗時の手によって北条の館に匿われる。そこで政子と知り合うと、今度は北条家を後ろ盾にしようと政子に近づく。また、戦を嫌い政にも関心のない義時を気に入り、彼にのみ挙兵する意思があることを明かす。その後、政子と結婚し、長女・大姫をもうける。
三善康信からの書状や後白河法皇の院宣など様々な要因が重なり、宗時や義時、政子に説得されて挙兵の意志を固めると、文覚の所持していた義朝のしゃれこうべにこれを誓う。坂東武者たちとともに挙兵すると、山木兼隆と堤信遠を討ち取らせ、伊豆において最初の政を行う。その勢いで父・義朝が本拠とした鎌倉へ向かうが、石橋山の戦いでは大庭軍と伊東軍の挟み撃ちにあい大敗する。洞窟に身を隠した際には敵に見つかりそうになるが、雷によって危機を脱し、その様子を見た梶原景時にも見逃される。その後、再起を図るために土肥実平が手配した船で安房へと渡る。
安房で三浦軍と合流すると、義時の説得を受け、再び立ち上がることを御家人たちの前で宣言する。安房を進軍した際に立ち寄った村で亀を気に入ると、関係を持つ。しかし、亀の夫が妻を取り戻しに来たことで長狭常伴の襲撃を免れ、またしても危機を脱する。また、この強運により、上総広常を味方に引き入れることにも成功する。広常が遅れて参陣してきた際には、棟梁としての威厳を見せつけて広常を感心させる。武蔵に入ると、畠山重忠ら降伏してきた者たちを許し、寛大さを見せつける。鎌倉に入ると、伊豆山に匿われていた政子や大姫と再会する。
平家の追討軍が迫ると、自ら軍を率いて武田信義と合流する。信義とは互いに牽制し合うが、策略によって信義に出し抜かれる。その後、水鳥の羽音に驚いた平家軍が敗走(富士川の戦い)すると追撃を命じるが、坂東武者たちの反対にあって断念する。これにより、自分は流人時代から今までずっと一人と傷心するが[注釈 14]、そこに弟・源義経が現れると、感激のあまり涙を流す。その後、関東の基盤を盤石にするため、平家と通じる佐竹家を討伐する。鎌倉大蔵御所に入ると、家人たちを集めて所領を与え、主従の契りを交わして坂東一帯に独自政権を作る。これを機に「鎌倉殿」と呼ばれるようになる。また、後継者となる男子が生まれなかった場合は、武人の才を見込んで義経に跡を継がせようとも考える。同時期、父の敵である平清盛が病死すると、兄弟や御家人たちの前で喜びを露わにする。
政子が第二子を身籠ると三浦家に預けていた祐親と祐清に恩赦を与えるが、男子を産むためには千鶴丸の成仏が必要だという阿野全成の占い結果をきくと考えを改め、景時に命じて祐親と祐清を暗殺する。その後、嫡男・万寿(源頼家)が誕生すると、北条家だけに力が集中しないよう比企一族の道を乳母とする。亀との関係は鎌倉入り後も続いており、政子の懐妊中も逢瀬を重ねる。このことが政子の知るところとなり、後妻打ちが起こると、実行犯の義経を謹慎処分とし、宗親の髻を切るという処罰を下す。この際、兄への仕打ちに怒ったりくや、自身を責める政子に対し、自身の過ちを棚に上げて声を荒らげたため、その仕打ちに激怒した時政が伊豆に帰ってしまい、御家人たちからの信用も失う。
同じ源氏一族である木曽義仲が勢力を拡大していることに危機感を覚えると、弟・源範頼らを使者として信濃へ遣わし、義仲に人質を要求する。義仲の嫡男・源義高が鎌倉に下向すると、大姫の許嫁とする。義仲が入京すると、鎌倉から後白河に根回しをするが失敗する。しかし、義仲が京を離れて西国へ向かうと後白河に接近し、流罪を解かれて従五位下に復帰する。また、東海道東山道の軍事支配権も認められる。その後、後白河から助けを求められるが御家人の反発にあい、自身も奥州藤原氏に備えて鎌倉を離れることができないため、先発隊として義経を出陣させる。
御家人たちの間で謀反の計画があることを知ると、大江広元と謀って謀反の罪を広常にかぶせ、景時に誅殺させる。これを機に、御家人たちを恐怖政治で統治すると、後白河から自身に対する追討の院宣が出されたため、範頼を総大将として義仲討伐の本軍を出陣させる。範頼・義経軍が義仲を討つと、義時の忠誠心を試すために義高を討つよう命じる。その命を知った大姫や政子から必死の説得を受けると、御家人たちに義高を殺さぬよう命じるが時すでに遅く、義高は藤内光澄に討ち取られてしまう。その後、義高を殺した罪で藤内光澄を斬首すると同時に、謀反を企てたとして信義の嫡男・一条忠頼を殺し、武田家の力を削ぐことに成功する。屋島の戦いで義経が勝ったという報告を受けると、義経が鎌倉殿の座を狙うのではないかと危機感を覚える。しかし、壇ノ浦の戦いで平家が滅んだという報告を聞くと、政子の前では義経を褒め、2人で涙を流して喜びを分かち合う。
壇ノ浦から帰還した景時から義経についての讒言がなされると、義経に不信感を持ち、鎌倉入を拒否する。また、義経からの詫び状が代筆であったことに激怒するが、八重の助言を受けて義経を信じようと考え、検非違使を辞めさせるために伊予守に推任したり、義朝の追善供養に義経を参加させようとしたりと奔走する。しかし、その想いが伝わることなく義経が挙兵すると、自ら軍勢を率いて出陣する。兵を集められなかった義経が行方を晦ますと、後白河の力を借りて義経を捕らえるよう時政に命じ、日本全国に守護地頭を設置する事を後白河に認めさせることに成功する。静御前が吉野で捕縛され、鎌倉にて男子を出産すると、その子を由比ヶ浜に沈める。義経が奥州へ入ったという知らせを聞くと、義経と藤原氏が手を組むことを恐れる。同時期、大姫の入内計画を進める。藤原秀衡が亡くなると、義経と同時に藤原氏も討伐しようと考え、藤原国衡・泰衡兄弟の仲を割いて泰衡に取り入り、直に手を下さず義経を殺してくるよう義時に命じる。泰衡によって義経の首が鎌倉に届けられると、首桶にすがりつき涙を流す。その後、勝手に義経を討ったことを理由に全国から兵を集め、自ら大軍を率いて奥州藤原氏を滅ぼす。藤原氏の滅亡によって日本全てを手中に収めると、本格的に朝廷対策に乗り出す。大軍を率いて上洛すると、後白河の御所を訪ねて2人きりで対面し、後白河に全国の守護を請け負う権利を正式に承認させ、後鳥羽天皇の后として大姫を差し出す約束をする。後白河が亡くなると、御家人たちを従わせる肩書を得るため、自らを「大将軍」とするよう朝廷に要求し、征夷大将軍に任じられる。次男である千幡(源実朝)が誕生すると、乳母を実衣と定める。
富士の巻狩りでは、万寿(源頼家)こそが次の鎌倉殿と知らしめるため、万寿が鹿を仕留められるよう御家人たちに裏工作を依頼する。また、比奈に会うため工藤祐経を身代わりにして寝所を抜け出すが、これによって曽我十郎・五郎兄弟の襲撃から逃れる。曽我五郎の処断では、謀反が起きたことを知った御家人たちが挙兵することを恐れ、義時の提案を受け入れて謀反を敵討ちとして処理する。しかし、命は助かったが天の導きを感じなかったことから、この世での役目が残っていないのではないかと焦り始める。鎌倉へ戻ると、範頼が次の鎌倉殿になろうとしていたと知って激怒し、謀反の疑いがあるとして範頼を修善寺に幽閉する。その後、大姫の入内計画を再び進め、丹後局や土御門通親との連携を図るが、上洛してすぐに大姫が病となったため計画を延期する。2年後に大姫が亡くなると、すぐに次女・三幡の入内計画を進めるよう義時に命じる。さらに、大姫が死んだのは範頼が呪詛したためであると疑心暗鬼になり、景時に命じて範頼を暗殺する。
相模川供養の数日前から不眠に陥り、全成から伝えられた不吉の予兆がすべて起こると怯える。範頼を焚き付けたのが比企能員であると聞くと、頼家の正妻を能員の娘・せつから、叔父である鎮西八郎為朝の孫娘・つつじにしようと考える。その後、義時と政子に頼家を託し、自身は大御所になることを伝え、命の定めに抗うことをやめて好きに生きようと決意する。橋供養の帰りに突如として右半身の麻痺に襲われ落馬する。それから約1か月間昏睡状態に陥った後、政子の眼前で一度だけ目を覚ますが、直後に息を引き取る。享年53。
八重(やえ)
頼朝の先妻。北条義時とその家族を参照。
政子(まさこ)
演:小池栄子
頼朝の後妻。北条時政の長女。義時の同母姉。頼朝婚姻後は「御台所(みだいどころ)」、頼朝没後に落飾してからは「尼御台(あまみだい)」と呼ばれる。将軍生母として従三位、後に従二位の官位を叙される。
前向きな性格で負けん気が強いが、雅やかさには目がない。北条が御家人の筆頭になることや、源氏と北条の血を引いた者が鎌倉殿となることへのこだわりは全く無く、無用な争いを嫌う。また、慈悲深く、家族に危機が迫ると自ら進んで政の世界に身を置く。他人の助言を聞き入れる柔軟性もある。為政者の妻となったことで、何気なく発した言葉の重みと影響力に戸惑うことがある。夫・頼朝とは、衝突することもあるが夫婦仲は良く、頼朝も政子の前では素直な感情を吐露する。息子たちや娘たちを非常に愛しているが、頼家に対しては比企の館で育てられており愛情を注げなかったことから、実朝に対しては3代目鎌倉殿に就任した後も助言や手助けを行う。しかし、心のうちでは争いごとに巻き込まれた頼家のようにならぬよう、鎌倉殿を早々にやめて穏やかに生きてほしいと願う。そのため、実朝の乳母を務める妹・実衣とは、考え方の違いにより度々衝突する。弟・義時に対しては、政に関して頼ることが多く、頼朝が亡くなって以降は対立・牽制し合いながらも最後まで協力関係を貫く。八重とは義時と結婚後に良好な関係を築き、頼朝が義時に向かってわざと八重と過ごした日々の話をすると、頼朝を一喝する。御家人たちの不満や相談事に対して積極的に耳を傾けており、彼らからの信頼も厚い。
北条館に逃げ込んだ頼朝に膳を運んだ際、一目惚れする。頼朝の先妻・八重に対しては、頼朝との結婚にあたって挨拶に行き、諦めるように申し出る。その後、頼朝の妻となり、大姫をもうける。頼朝が挙兵に躊躇すると、義時らと共に頼朝を説得して挙兵を決意させる。挙兵後は伊豆山権現社に寺女として匿われるが気丈に振る舞い、頼朝が鎌倉に入ると合流して御台所となる。御台所の威厳を見せるため、頼朝のことが諦めきれない八重の希望を受け入れ、大倉御所の侍女とする。その後、比企の館で嫡男・万寿(頼家)を出産する。侍女頭・亀が頼朝の愛妾であることを知ると激怒し、りくに入れ知恵された「後妻打ち」をしかける。りくがわざと亀のことを教えてきたことには気づいており、りくを懲らしめようと後妻打ちの提案を受け入れるが、事態が想像以上に大きくなってしまったことに驚く。この後、亀とは和解するが、その際に身を引くことにした亀から、御台所に対する忠告を受ける。
頼朝が義仲の嫡男・義高を大姫の許嫁にしようとすると反対するが、一目義高を見ると気に入り、頼朝と義仲の対立が決定的となると、大姫のために義高を守ることを決意する。頼朝に対する謀反が起こり、頼朝と御家人との間で溝が深まると、御家人の不平不満に耳を傾けるようになる。義仲が討たれ、義高が頼朝によって幽閉されると、義時らと協力して義高を御所から逃がし、伊豆山権現社へ匿ってもらえるよう手配する。また、義高の逃亡が露見すると、大姫と共に頼朝を説得し、義高を殺さないことを誓う起請文を書かせる。しかし、時すでに遅く、義高は藤内光澄に討ち取られる。怒りに任せて言った一言で後に光澄が処刑されると、御台所としての自分の立場の重さを痛感する。その後、心の傷ついた大姫を八重に預ける。
頼朝と義経の仲が険悪になると、頼朝の本意を汲み取り、関係修復の手助けを義時や時政に頼む。また、頼朝の前で義経を想う舞を披露した静御前に女の覚悟を感じ、頼朝が挙兵した頃の自信と重ね合わせて、静御前を頼朝から庇う。八重が不慮の事故で亡くなると、御所に戻らない義時を心配し、変装して江間館へ向かい、昔話などをして励ます。頼朝が征夷大将軍に任じられると、頼朝と2人で喜びを分かち合う。同じ年、第四子となる千幡(実朝)を出産する。実衣から、頼朝が比企から送り込まれた比奈にぞっこんになっていることを聞くと、北条と比企の架け橋になることを期待し、比奈を義時と娶せようとする。富士の巻狩りにて万寿が鹿を仕留めたという報告を受けると、比企一族の前では当たり前のことだと言い放つが、裏では大姫と共に万寿を誉める。大姫が入内を決意すると、頼朝に従って上洛し、大姫と共に丹後局と対面する。しかし、丹後局からの叱責を受け、都の洗礼を受ける。その後、大姫が若くして亡くなると、悲しみに打ちひしがれる。頼朝が落馬する直前には頼家を託され、頼朝が昏睡状態に陥いると付きっ切りで看病をする。頼朝が亡くなると、跡継ぎを頼家と全成のどちらにするか決めるよう義時に頼まれ、一度は政への介入を拒むが、最終的には頼家を次の鎌倉殿と定めるが、この事で全成を押していた時政・りく・実衣から反発を受ける。この後、鎌倉を去ろうとする義時を思い止まらせ、頼朝の観音像を義時に託す。
落飾して尼御台となると、頼家の正妻・つつじに御台所としての心構えを説く。頼家を補佐する宿老が12人まで膨らむと、義時を13人目とする。この直後、頼朝に続いて次女・三幡が亡くなると、深く悲しむ。頼家が景盛の妻を奪おうとし、それを拒んだ安達親子を誅殺するよう命じると、義時と共に頼家を諌める。景時が66人の御家人たちから訴えられると、私心では行動しない景時を評価していたことから、裁定に向かう景時を引き止める。景時が討たれ、三浦義澄や安達盛長が相次いで死去すると、北条が鎌倉を守らねばと考え、頼家に口利きを行い時政を遠江守に任じられる。同時期、比企の娘であるせつから夫・頼家についての相談を受けると、分け隔てなく助言する。義弟・阿野全成が謀反の罪で捕らえられ、その妻である実衣に危険が及ぶと、妹を守るために奔走。実衣を自身の屋敷に匿って仁田忠常に警護を依頼し、全成の助命を頼家に願い出る。その後、全成が比企の計略によって死罪となると、この状況を何とかするよう義時に迫り、頼家が危篤状態になると比企一族の討伐を認める。その一方で、幼い一幡の命は取らぬよう義時に誓わせる。しかし、義時から一幡は死んだと告げられると、最初から殺すつもりであったことを察し、次は頼家が危ないと考えて自身で今回の一件について釈明を行うが、激怒した頼家に拒絶される。この後、頼家を伊豆の修善寺に幽閉することを義時や時政から提案されると、修善寺ならば会いに行けるとして受け入れるが、この後も頼家からは面会を拒否され続ける。
実朝が3代目鎌倉殿に就任すると、和歌の講師に三善康信を任じ、和歌を自身で書き写した和歌集をさりげなく実朝に与える。頼家が亡くなると、義時から病死と聞かされる[注釈 15]。りくと実衣が、実朝の正室を千世と決めると、頼家を亡くしたばかりであることや大姫のことを思い出して難色を示すが、強引に押し切られる。時政と畠山重忠が対立すると、戦を食い止めようとする義時から協力を依頼され、りくの説得を試みる。その後、重忠が討ち取られると義時に覚悟を決めるよう促され、時政から政の権限を奪う。その一方で、時政の命は取らぬよう義時に誓わせる。政が始まると、自らの手で下知状を記す。これに激怒したりくの案によって時政が実朝を自身の館へ連れ去ると、義時に時政の助命を願うが拒否される。しかし、包囲された館を抜け出してきたりくと対面し、涙ながらに時政の助命を嘆願されると、御家人たちの前で跪きながら命乞いをし、御家人たちの心を動かすことに成功する。時政とりくが伊豆へ流罪と決まると、実衣とともにりくと面会し、昔語りをした後にお礼を告げる。この後、頼家の分も孫の善哉を幸せにしたいという考えから、善哉を実朝の猶子とする。実朝が天然痘にかかると、万が一の場合に備え、守護と地頭の仕組みといった政の仕組みを学び始める。実朝から、義盛の上総介推挙について相談を受けると、義盛のことは好きだとしながらも、政とは身内や仲の良さとは無縁な厳かなものであると優しく諭す。八田知家から義時が画策した地頭の交代制について苦言を呈されると、義時の説得を試みるが失敗する。同時期、善哉を守るために出家させる。
泰時から、義時が和田一族に対して挑発を行っていることを聞くと、義盛を孤立させることで挙兵を阻止しようと義村を味方に引き入れ、戦をせずに鎌倉を栄えさせるよう義時を諫める。これにより、義時に矛を収めさせるが、行き違いによって和田一族が挙兵すると実朝とともに鶴岡八幡宮へ移り、その目で戦を見てほしいという考えから、実朝が義盛を説得するために戦場へ出ようとすることに賛同する。和田合戦の後、落飾した丹後局に再会すると、未だに尼御台としての覚悟が定まっていないことを叱責され、覚悟を決める。同じ頃、自身の政を行おうとする実朝が唐船の建造を計画すると、頼朝の意志に反するとして抵抗する義時の意見を尊重すべきか実朝の意志を尊重すべきかで悩み大江広元に相談、彼の助言を受けて計画を続けさせることとする[注釈 16]。その後、これを良しとしない義時の謀略によって計画が頓挫すると、落ち込む実朝を励ますと同時に、実朝を大御所にして新たな鎌倉殿を朝廷から迎えることで鎌倉の揺るぎない主にする策を思いつき、これを実朝に授ける。この考えに義時や義村が反発すると、これらの意見を抑えるために時房を伴って上洛。後鳥羽の乳母・藤原兼子と会談すると、広元から授けられた策を用いて談判を有利に進め、後鳥羽の皇子・頼仁親王を次期鎌倉殿として下向させることを約束させる。この会談で兼子に気に入られると、左大将に任じられた実朝の母として、従三位に叙される。この後、実朝が右大臣に叙されると喜び、実朝からもこれまでの感謝を告げられるが、拝賀式当日に実朝が頼家の死の真相を知ると、頼家を追いやり公暁を蔑ろにしたとして責められる。その直後、実朝が公暁によって暗殺されると、息子の死を悲しみながらもせめて孫だけは生き延びてほしいと公暁を部屋に招き入れる。しかし、公暁までも義村に討ち取られたことで、息子と孫を同時に亡くして絶望。悲しみのあまり自害を試みるが、これを発見したトウに説得されて断念し、続いて伊豆へ帰ろうとするが義時に止められる。実朝の死後、実衣が息子・阿野時元を次期鎌倉殿にしようと企んだことが発覚し、義時が実衣の首を刎ねようとすると、必死に抵抗。沙汰を先延ばしにすることに成功する。同時期、民衆たちと話すことで外の世界を知りたいと考え、泰時らとともに施餓鬼を行うが、逆に民衆たちからの励ましを受け、生きる活力を得る。2歳の三寅が次期鎌倉殿に就任することが決定すると、義時の専制を阻止するために「尼将軍」を名乗り、三寅の後見となる。また、この権限を利用して幽閉中の実衣を助け出し、側近とする。
この後、朝廷から内裏の再建を命じられると、頻繁に火災が起こっている鎌倉の立て直しを先に行うべきとして、これを先送りにする。義時の後妻・のえから、政村を北条の跡継ぎにしたいと相談を受けると、泰時が跡継ぎであるとしてこれを窘める。また、三寅に対しては頼家や実朝の分まで愛情を注いで養育する。鎌倉と朝廷の間に不穏な空気が漂う中、ついに後鳥羽が挙兵し、義時が朝廷に自身の首を差し出そうとすると、これまで私欲なく鎌倉を守り抜いてきた弟を死なせたくないと考え、広元に演説原稿の作成を依頼する。その後、御所に集結した御家人たちの前に進み出ると、原稿を捨てて自身の言葉で話すことを決め、追討対象が義時のみであることを明かし、御家人たちに決起を促す。これにより、御家人たちが結束を固めると、徹底抗戦を主張する広元や康信の進言を聞き入れる。
承久の乱後は、戦で親を亡くした孤児たちの世話を実衣とともに行い、トウには孤児たちに武芸を教えることを提案する。その後、突如として倒れた義時の見舞いに訪れるが、義時と昔語りをする中で、息子・頼家が病死ではなく義時の命によって殺害されたことを知る。さらに義時から、先の戦で廃位させた幼い先帝の命を奪おうとしていることを告げられると、義時が泰時のために全ての怒りや呪いを背負おうとしていることを理解した上で、これ以上弟が手を汚さぬよう、体調を崩した義時の前で解毒薬を捨てる。これを見た義時に、頼朝の持仏観音を泰時へ渡すよう託されると、苦しむ義時に労いの言葉をかけ、その最期を看取る。
千鶴丸(せんつるまる)
演:太田恵晴
頼朝の長男。母は八重。頼家と実朝の異母兄。泰時の異父兄。
祖父・伊東祐親が京の大番役のため留守の間、流人だった頼朝と祐親の娘・八重が密かに通じ生まれた男児。頼朝が祐親の追手から逃れたため八重とともに館にいたが、平清盛に知られるのを恐れた祐親の命により、善児に川遊びとして連れ出され水に沈められる。
亡骸は伊豆山権現社で丁重に葬られる。
大姫(おおひめ)
演:南沙良(幼少期:難波ありさ落井実結子
頼朝と政子の長女。頼家と実朝の同母姉。
元々は活発で無邪気な性格をしていたが、許嫁であった源義高が亡くなってからは「スピリチュアル女子」的な言動をするようになる[* 60]
北条館で生まれる。間もなく頼朝が挙兵すると、政子らとともに伊豆山権現社に匿われ、のちに鎌倉入りする。
人質として鎌倉入りした義仲の嫡男・義高の許嫁となる。義仲が討たれ義高の命が危うくなると、頼朝の前で喉元に短刀を突きつけ義高の助命を懇願するが、願いは叶わず心を閉ざす。その後、八重のもとに預けられる。静御前が鎌倉に移送されてくると、これ以上人が死ぬのを見たくないとして、義時に静御前の助かる方法を訪ねる。八重が川で流されたという報告を聞いた際には、すぐに生存の可能性を否定した発言をする。
のちに笑顔を取り戻すものの、蝉の抜け殻を見ると義高を思い出し心的外傷が蘇るようになる。その後、源氏物語の登場人物・(あおい)を名乗り、「元気になるおまじない」と称して虚空蔵菩薩如意宝珠)の真言を唱えるようになる。
その後も義高への想いを引きずり、一条高能との婚礼を断るが、自身の中にある義高の面影が薄れていることに不安を感じ、和田義盛のもとで暮らす巴御前に相談する。巴御前から励ましを受けると前に進むことを決め、両親のために後鳥羽天皇へ嫁ぐ決意をする。しかし、上洛して丹後局と対面した際、政子ともども入内に対する見通しの甘さを徹底的に指摘されたため、その夜に失踪騒ぎを起こす。三浦義村に発見されるものの、雨の中を逃げていたために発熱し、鎌倉に戻って以降も床に伏す。「死ねば義高に会える」という考えに至ったことで体調が回復することのないまま、上洛の2年後に世を去る。享年20。
三幡(さんまん)
演:東あさ美(幼年期:太田結乃
頼朝と政子の次女。頼家の同母妹。実朝の同母姉。乳母夫は中原親能。
姉・大姫が亡くなったことで入内計画を受け継ぐ。計画は着々と進行していたが、頼朝の死去から半年後に病死する。
源頼家(みなもと の よりいえ)
(万寿 → 源頼家)
演:金子大地(幼少期:丸山蒼來田代瑞希藤原響鳥越壮真
2代目鎌倉殿。頼朝と政子の嫡男。幼名は万寿(まんじゅ)。
聡明で誇り高く、頼朝の後継者としての気慨もあり、政務にも意欲的に取り組む。自分の力で獲物を捕まえるために何度も狩りに行ったり、幼い頃から蹴鞠の練習を毎日行ったりするなど、根気強い一面もある。鎌倉殿という立場の重さと日々戦っているが、困った時ほど助けを求められない性分である。父・頼朝の女好きな面、母・政子の負けん気の強い面、その両方を受け継いでおり、度々問題行動を起こしては御家人たちと衝突する。猜疑心の強い父の姿を見ていたことから、御家人たちのことは全く信用していない。
乳母の比企館で生まれる。体が弱く、生後しばらくは何度も生死を彷徨う。頼朝への謀反計画の際には、和田義盛によって連れ去られそうになるが、義時の説得や重忠の機転によって難を逃れる。
富士の巻き狩りでは初陣を飾るが、なかなか獲物が仕留められず、最終的には御家人たちが行った裏工作で鹿を仕留める。その後、頼朝が討たれたという報を受けると、冷静に的確な指示を出して義時を感心させる。
元服して「頼家」と名を改めると、大姫の入内を進める頼朝に従って上洛する。その後、比企能員の娘・せつとの間に一幡をもうけるが、義村から紹介された賀茂重長の娘・つつじを正妻とするため頼朝に相談する。頼朝が昏睡状態に陥ると、現状を御家人たちに知らしめるよう義時に命じる。頼朝が亡くなり政子から次の鎌倉殿になるよう言われると、2代目鎌倉殿に就任する。この際、鎌倉殿の証として義朝のしゃれこうべを受け継ぐ。
御家人たちの前で父・頼朝を越えることを宣言すると、景時の助言通り北条や比企を特別扱いせず、御家人たちの訴えを直に聞くこととする。京で土御門通親の暗殺計画が露呈すると、時政や能員の意見を無視して暗殺を企てた御家人たちの処分を京で行わせる(三左衛門事件)。若い6人の御家人たちを近習とすると、三善康信に訴訟についての指南を命じ、将来上京した際に朝廷と渡り合うために蹴鞠を推奨する。しかし、代替わりによって多くの訴えが届くと政務を投げ出し、正妻・つつじと側女・せつが対立すると嫌気が差して蹴鞠に没頭する。さらに、十三人の合議制が発足し、宿老の中に信頼していた義時や景時がいることを知ると、6人の近習を重用して13人の宿老と対立する。その後、父にも側女がいたという理由で景盛の妻を奪おうとし、これを拒んだ安達父子に死罪を命じると、この行動を政子や義時から諌められたことにより御家人たちからの信頼を失う。
義盛から景時排斥を求める連判状が出されると、署名した66人の御家人たちを収めるために景時を謹慎処分とする。しかし、謹慎中の景時が京へ向かうつもりであるという報告を受けると、謀反の疑いありとして景時を奥州外ヶ浜へ流罪とする。その後、宿老が9人まで減ると、これを機に自分の好きなように政を進めようとする。しかし、能員の反発にあい、己の家のことのみを考えて行動する御家人たちに苛立つ。新熊野社の僧の所領争いについて重忠が裁きを求めると、絵図の中央に線を引き、今後は所領問題について全て自分が処断することを能員の前で宣言する。
正妻・つつじが善哉を産むと、せつの後ろにいる比企家を煩わしく思い、善哉の元にのみ通うようになる。また、台風の影響によって飢饉が発生すると、政務から逃げて蹴鞠を行い、これを頼時(泰時)から諌められると反発する。その後、伊豆で頼時が農民たちから慕われると嫉妬し、褒美と称して泰時に改名させる。さらに、5人の近習に念仏僧の死罪を命じ、時連(時房)から諌められる。周りの誰もが信じられない状況の中、せつから自分を支えたいという強い思いを伝えられると、せつの強さに心を動かされる。
征夷大将軍に任じられるが悩みは尽きず、義時に助言を求める。義時から、父・頼朝を越えるには人を信じることから始めるようにと言われると、一幡を嫡男にして芯の強いせつと共に鎌倉をまとめることを決め、義時に伝える。しかし、直後に病に倒れ、叔父・阿野全成の屋敷から呪詛道具が発見されると、政子に免じて実衣は助けるが、全成は常陸に流罪とする。その後、全成が再び呪詛を行うと死罪を命じるが、直後に床に伏し、意識が戻らぬまま出家させられる。この後、奇跡的に目を覚ますが、昏睡中に比企が北条によって滅ぼされ、せつと一幡も殺されたことを知ると、北条への憎しみを募らせる。政子すらも拒絶し、和田義盛と仁田忠常を呼び出して真相を聞くと時政を討ち取るよう命じるが、義盛には裏切られ、頼家と北条の板挟みになった忠常が自刃すると、それを知った義時によって鎌倉を追放されることとなる。その際、北条の言いなりにはならないと最後まで抵抗し、父に鎌倉の現状を問いながら泣き崩れる。
伊豆の修善寺に幽閉されると、近習を置くことも許されず、酒に溺れる生活を送る。その中でも、自身の存在を鎌倉に示すため、安達景盛の身柄引き渡しを命じる書状を送りつける。また、御家人たちを味方に引き入れて再起を図ろうとするも、義村には拒否され、足立遠元や畠山重忠には時政が武蔵を狙っていると伝えて揺さぶりをかけるも、協力を得られずに終わる。後鳥羽へ北条討伐の院宣を求める書簡を送るが、書簡を託した猿楽師が捕らえられたことで義時らに知られるところとなる。その後、泰時が修善寺へ駆け付けたことで自身に刺客が放たれたことを悟るが、逃げるよう訴える泰時を制して修善寺に留まる。泰時が猿楽師に紛れ込んだ善児を見破ると、武士の棟梁らしく一騎打ちを演じ、致命傷を負わせるまで追い込む。しかし、止めを刺そうとしたところをトウに背後から斬られて息絶える。享年23。
つつじ
演:北香那
頼家の正妻賀茂重長の娘。母は頼朝の叔父・鎮西八郎為朝の娘。
暗君の妻として謂れなき汚名を着させられ、日蔭者として目立たぬように生きている。そのような中で、善哉(公暁)の成長だけを楽しみにしており、父・頼家の分まで生きてほしいと願う。
頼家が自分の意志で結婚相手として選んだ女性であり、義村を介して、為朝の孫娘という血筋が評価され正妻となる。息子・善哉の乳母夫を三浦義村が務めていたことから、比企一族が滅ぼされ頼家が修善寺に幽閉されたのちも、三浦一族に守られる。
公暁が実朝の暗殺を企てると、息子に不穏な動きがあるのを察知して対面。自分の生涯に悔いなど無いこと、命を危うくしてはならぬことを涙ながらに訴え、実朝の暗殺を思いとどまるよう説得する。しかし、公暁に反論され、説得は失敗する。
せつ
演:山谷花純
頼家の側女(そばめ)。比企能員と道の娘。
芯が強く、息子・一幡にも深い愛情を注ぐ。頼家の跡継ぎに関してはどちらでもよいと考えており、ただ頼家に振り向いてほしいと願う。
正妻になる予定だったが、つつじの登場により側女とされる。そのため、頼家の正妻・つつじに対抗意識を持つ。頼家が、ゆうやつつじの元にのみ通うと心を痛め、その事を比奈に相談する。その後、比奈の提案で政子から助言を得ると、頼家を支えたいという素直な思いをぶつけたことで、頼家の信頼を得る。また、これを機に比奈とも交友を持つ。
北条の比企追討によって屋敷を囲まれると、母・道に逃げのびるよう促される。しかし、泰時らに行く手を阻まれ、一幡を守ろうと短刀で攻撃しようとしたところを、彼に随伴していたトウによって殺される。
一幡(いちまん)
演:相澤壮太(幼年期:佐野仁音白井悠人
頼家の長男。母はせつ。
無邪気で活発な性格であり、その無垢な心ゆえに暗殺者・善児の心をも動かす。
比企一族が滅ぼされた後、泰時に助けられて善児の小屋に匿われる。善児と過ごすうちに、素性を知らずに彼を慕うようになるが、生存を知った義時の命で殺される。その際、善児が殺すことを躊躇ったため、その弟子・トウに水遊びと称して連れていかれる。享年6。遺骸は小屋の庭に埋葬される。
公暁(こうぎょう)
(善哉 → 公暁)
演:寛一郎(幼少期:米丸玲央中野晃太朗長尾翼高平凛人
頼家の次男。母はつつじ。幼名は善哉(ぜんざい)。乳母夫は三浦義村。
頭が切れ、剣の腕は天下無双である。しかし、気性が荒く、千日参篭を途中で中断して何度もやり直すなど、思慮の浅い面がある。頼家の子として生まれながら武士の名を持たぬことに劣等感を持ち、日陰者として生きる母・つつじの姿を長年近くで見ていたことから、自分の名を歴史に刻みたいと願う。
誕生すると、つつじのもとで育てられる。比企一族が滅ぼされた後は、三浦義村が乳母夫を務めていたことから、三浦の館で匿われる。その際、突如として現れた比企尼に「北条を許すな」と言い含められる。しかし、つつじからは父親は病で亡くなったと教えられており、それを信じたまま成長する。
政子の計らいによって叔父・実朝の猶子となり、のちに出家。京の園城寺で6年間修行し、鎌倉に帰還する。実朝の後継者として鎌倉殿を継承する意欲を強く示していたが、実朝が京から迎えた皇族を新たな鎌倉殿にしようとしている事を知り、憤慨。鶴岡八幡宮別当として僧侶の立場から協力するよう実朝に求められるが、あくまでも次期鎌倉殿を目指す事を宣言する。その後、千日参篭を行うため鶴岡八幡宮に入り、親王が鎌倉に下向することが決まると鎌倉殿になる夢を諦める。しかし、北条が父・頼家や兄・一幡を殺して実朝を鎌倉殿に祭り上げたことを義村から教えられ、幼少期に聞いた比企尼の言葉を思い出すと、自身が正当な鎌倉殿であるとして実朝と義時の暗殺を決意し、義村や胤義とともに暗殺計画を企てる。
鶴岡八幡宮で行われる実朝の右大臣拝賀式にて計画を実行しようと準備を進めていたが、当日になって泰時が計画を察知したことで義村から計画の中止を進言されるが、これを無視する。その後、息子の異変に気付いたつつじからの説得によって迷いが生じ、全てを知った実朝の謝罪によって考えを改めるが、直後に実朝から北条を裁定で罰するよう告げられると再び暗殺を決意、これを実行する。しかし、直前に太刀持ちが義時から源仲章に代わっていたことで、実朝の暗殺には成功するが義時を討つことはできず、用意していた声明文も実朝の血が付着して読めなかったため、義時の放った御家人たちに追われることとなる。逃亡中、御所にいる政子を訪ねて自身の思いを吐露し、鎌倉殿の証である義朝のしゃれこうべを持ち去るが、京へ戻るために三浦館へ逃げ込んだところを、義村に背後から刺されて討ち取られる。享年20。
源実朝(みなもと の さねとも)
(千幡 → 源実朝)
演:柿澤勇人(幼少期:吉川魁理土橋蓮水戸部巧芽嶺岸煌桜
3代目鎌倉殿。頼朝と政子の次男。幼名は千幡(せんまん)。官職は征夷大将軍右近衛権中将権大納言と順調に昇進し続け、ついに正二位右大臣左大将にまで至り、「鎌倉右大臣(かまくらうだいじん)」と称せられる。和田義盛からは「羽林(うりん)」と呼ばれる。
軒の雨だれを一晩中眺めているような感性の持ち主で、あまり胸の内を人には話さない内向的な性格。無用な争いを好まず、雅を愛する心は母・政子の気性を受け継いでいる。和歌の才能は父・頼朝譲りで、三善康信や源仲章から手ほどきを受け、藤原定家からの添削も受ける。政子が書き写した和歌集を発見した際には、本能的に頼朝の詠んだ歌を気に入る。一方で、弓や馬の稽古などは真面目に取り組んでいるものの、少々不得手である。気遣いができ、意志が強く度胸もあることから御家人たちに慕われ、時政からは「いずれは頼朝を超える鎌倉殿となる」と評される。また、和田義盛も「理想の鎌倉殿を手に入れた」と称している。
和田義盛とは、将軍就任直後に息抜きにと連れていかれた和田の館で鹿汁を囲んで以来、親しく付き合うようになる。その後、たびたび義盛邸を訪れては、政務から離れた和やかな時間を過ごす。泰時に対しては、同性愛者としての恋愛感情を持ち、自身の思いを和歌に詠んで泰時に送る。また、自身の性的指向を誰にも言えずに苦悩しており、歩き巫女に悩みを見抜かれると涙を流す。しかし、自身との間に子をなすことができず苦悩する千世に対し、初めて女性を愛せないという悩みを告白した後は彼女と打ち解け、良好な夫婦関係を築く[* 61]
源頼朝征夷大将軍に就任した年に誕生する。乳母は、時政の娘・実衣。兄・頼家が修善寺へ幽閉となったことで幼くして元服し、鎌倉殿の証である義朝のしゃれこうべを受け継いで3代目鎌倉殿となる。元服の際に、後鳥羽上皇から「実朝」の名を賜る。兄・頼家の死については、政子から「突然の病で亡くなった」と教えられる[注釈 17]。訴訟の裁きに立ち会うようになると、武芸の稽古や政の学びに追われる。後鳥羽の従妹・千世を正室に迎えることが決まると、自分の意思ではないところですべてが決まる事に戸惑う。しかし、義盛と親しく付き合うことで気を晴らし、和歌にも興味を持つようになる。時政と畠山重忠が対立すると、時政に誘導される形で、内容を確かめないまま畠山討伐の下文に署名をしてしまう。これにより、幼い頃から可愛がってもらった重忠が挙兵すると、八田知家に暗にそれを咎められ、自身の役目と改めて向き合うことになる。畠山重忠の乱で御家人たちの信用を失った時政に連れ去られ、「出家して平賀朝雅に鎌倉殿を譲る」という内容の起請文を書くよう脅されると、それに屈することなく最後まで書くことを拒否し、時政を感服させる。その後、館へ乗り込んできた義盛に救出される。時政とりくの処罰が検討されると、義時に頭を下げて時政の助命を乞う。
時政の失脚後、天然痘にかかるが、完治すると政務に復帰する。しかし、兄の遺志を実現しようと動く義時に政の権限を奪われると、自分の存在意義について苦悩する。義盛から上総介へ推挙するよう願い出があると快く聞き入れるが、守護の交代制を画策する義時の反対に遭って断念する。その一方で、義時が北条家の家人・平盛綱を御家人にするよう迫ると、義盛の一件を引き合いに出して一度は拒否するが、脅しを受けるとこれを認める。その後、泉親衡の乱を機に義時が和田一族を挑発すると、挑発に乗らぬよう義盛を説得した後、政子とともに義時と義盛を一旦は和解させるが、いきちがいから鎌倉での市街戦が勃発すると、義時の命で妻・千世らとともに鶴岡八幡宮に避難する。義時の願いを聞き入れて陣頭に立つと、館に立てこもる義盛を直接説得し降伏させるが、その直後に義時と示し合わせた三浦勢によって目の前で義盛が討たれると、自らが積極的に政を行うことを決意。千世や信頼を寄せる泰時など限られたもの以外には心を閉ざし、強大な権力を持つ後鳥羽の力を借りて安寧の世を築くために朝廷を頼りにするようになる。これにより、自身に二心がないことを示す和歌を、後鳥羽に送る。
鎌倉を源氏の元に取り戻そうと考え、自身の理想とする政を行うために泰時を側近にすると、聖徳太子を手本として積極的に政を行う。同時期、仲章とともに下向した宋の技術者・陳和卿から「前世において実朝はの国の医王山の長老であり、陳和卿はその門弟であった」と告げられると、かつて夢で同じ光景を見ていたことからこれを信じる。また、陳和卿から巨大な唐船の建造を進言されると受け入れ、渡宋によって交易を行い、自身は医王山にある釈迦の骨を持ち帰ることで功徳を積もうと考える。しかし、朝廷の干渉を良しとしない義時の計略によって計画は頓挫する。これにより、政への気力を失いかけるが、政子の励ましを受けるとさらに力をつけようと考え、政子の提案を受け入れて自身は大御所となり、後継を朝廷から迎えることを宣言する。その後、このことを京から帰還した公暁に伝え、鶴岡八幡宮の別当として次期鎌倉殿を支えるよう頼むが、鎌倉殿の座を望んでいた公暁を激怒させる。さらに、義時や義村からの反対に遭うが、政子が上洛して後鳥羽の皇子・頼仁親王を鎌倉へ下向させることを約束させると、大いに喜ぶ。親王の後見となるため左大将に任ぜられ、右大将であった父・頼朝を超えると、内大臣右大臣と昇進し、その拝賀式を鶴岡八幡宮で執り行うこととする。
式の当日、公暁の不穏な動きを義時から報告されて式の中止を進言されるが、頼家の死の真相を知らぬことから公暁が自身の命を狙う理由がないとして、これを断る。この際、いずれは御所を鎌倉から京へ移すという計画を打ち明けたことで、鎌倉を第一と考える義時に見限られる。その後、信頼する泰時から武装するよう促されたことでただならぬ雰囲気を感じ取り、康信から兄・頼家の死の真相を聞き出すと、兄を追いやった政子を責める。さらに、公暁に直接謝罪して鎌倉を源氏の手に取り戻そうと説得するが、北条を裁定で罰するよう告げたことで公暁の復讐心に火をつけてしまう。拝賀式に出席すると、境内に迷い込んだ歩き巫女から「天命に逆らうな」と告げられる。この直後、八幡宮の大階段にて公暁の襲撃を受けると、事前に泰時から渡されていた短刀を捨て、自身の天命を受け入れるように抵抗せず殺される。享年28。暗殺後、部屋からは皆に別れを告げる和歌が発見される。
千世(ちよ)
演:加藤小夏
実朝の正室権大納言坊門信清の娘。後鳥羽上皇の従妹。
高貴な出自の姫君らしく優雅な物腰で、温和かつ気丈な性格の持ち主。
後鳥羽の意向により鎌倉に下向し、実朝と結婚する。政略結婚ながら実朝の良き妻であろうとし、時政に連れ去られた実朝が無事に帰還すると涙を流して喜ぶ。その一方で、夫婦として実朝と閨を共にすることができず、世継ぎの誕生を切望する政子や実衣の期待に応えられない事に悩む。しかし、実朝から真意を打ち明けられ、彼が抱えていた苦悩を知ると、その苦悩に深く同情して全てを受け入れ、伴侶として共に人生を歩んで行く事を決意する。その後は、実朝とともに永福寺のあじさいを見に行くなど良好な関係を築く。和田一族が挙兵すると、実朝らとともに鶴岡八幡宮へ避難する。実朝が宋へ渡る計画を立てた際には、ともに海を渡ることを約束する。
実朝が鶴岡八幡宮にて公暁に暗殺されると、遺体の手を握り占めて悲しみに暮れる。その際、実朝が遺した別れの歌を発見し、政子や実衣に伝える。

源氏将軍(鎌倉殿)の従者・側近・側室とその一族[編集]

安達盛長(あだち もりなが)★
演:野添義弘
頼朝の従者。は頼朝の乳母・比企尼の娘[7]。通称は藤九郎(とうくろう)。
源氏の家人として忠義を尽くしており、頼朝が本心を明かせる数少ない人物の一人。常に頼朝と行動をともにし、頼朝が八重や亀に会いに行く際も供をする。押しに弱い面がある一方で、ならぬと思ったことには毅然と諫止することもあり、強硬な頼朝の姿勢と坂東武士との間に隙間風が生じてしまうことを常に心配している。職務熱心ではあるが名誉や官位には興味が無く、生涯無位無官で通す。義時との関係性は深く、義時が八重にふられ号泣した際には抱きしめて励ます。
流人時代から頼朝に仕えており、頼朝が挙兵を決意した際には山内首藤経俊を味方に引き入れようとするが断られ、涙を流す。石橋山の戦いでは、敗走後も頼朝に常に付き従い、安房へ渡ると千葉常胤を味方に引き入れることに成功する。その後、富士川の戦いや金砂城の戦いにも参戦する。これまでの功績により「軍功特に大なり」と評されると、その文言を見て嬉し泣きする。
謀反計画を立てた御家人の処罰に関しては、温情をかけるよう頼朝に進言する。また、義時らが源義高を逃がそうとした際には、機転を利かせて脱出の手助けをする。義時が八重を亡くし政務から離れると、皆が義時の帰りを待っていると伝えて励ます。富士の巻狩りの際には、時政や義時に動かぬ鹿を用意するよう頼む。その夜、頼朝が比奈に会いに行こうとすると、御台所の許可が必要であると頼朝を制す。この後に起こった頼朝の暗殺未遂事件で、源範頼が頼朝から謀反の疑いをかけられると、義母である比企尼に助けを求める。
頼朝が落馬した際もその傍らに在り、昏睡状態に陥った頼朝を鎌倉の大倉御所まで運ぶ。また、頼朝が亡くなると、その遺骨を持仏堂に納骨する役を務める。のちに出家し、頼朝の菩提を弔いながら余生を過ごすつもりでいたが、妻が比企の娘であることで比企能員からの強引な勧誘を受け、困惑しつつも十三人の合議制の一員となる。頼家が息子・景盛の妻を奪おうとすると、処罰を受けることも厭わず頼家を諌める。そのため、頼家から親子共々死罪を命じられるが、政子や義時の仲裁によって命を救われる。
その後、病を患い自身の余命を悟ると、頼朝の墓の傍に自分の骨を埋めてほしいと義時に頼み、静かに息を引き取る。享年66。
安達景盛(あだち かげもり)
(弥九郎 → 安達景盛)
演:新名基浩(少年期:渡部澪音
盛長の嫡男。比企尼の孫。幼名は弥九郎(やくろう)。
幼いころ、鶴丸(平盛綱)が孤児であることをからかったため、金剛(北条泰時)と喧嘩になり殴られる。
2代目鎌倉殿となった頼家に妻を奪われそうになると、父・盛長と共に頼家と対面して抗議する。そのため、頼家から親子共々死罪を命じられるが、政子と義時によって救われる。のちに、梶原景時の排斥連判状に署名する[* 62]
頼家からは恨まれており、幽閉先の修善寺から身柄の引き渡しを要求されるが、義時らの拒絶で難を逃れる。
ゆう
演:大部恵理子
景盛の妻。
頼家に気に入られ、夫に隠れて頼家と関係を持つ。
小笠原長経(おがさわら ながつね)
演:西村成忠
頼家の側近。通称は弥太郎(やたろう)。
頼家の近習に選ばれると、頼家に命じられて蹴鞠の稽古や町の掃除、迷い犬の飼い主探しを行う。念仏僧を捕らえると、袈裟を剥ぎ取って鎌倉から追い出す。
中野能成(なかの よしなり)
演:歩夢
頼家の側近。通称は五郎(ごろう)。
長経と同様、頼家の近習に選ばれ、長経らと行動を共にする。
(かめ)
演:江口のりこ
頼朝の愛妾。安房の漁師の娘[8]
頼朝の寵愛を受けるが出自に劣ることもあり、武家の娘である頼朝の先妻・八重や後妻・政子に対抗心を燃やす。その一方で、頼朝に相応しい女になるため文筆を学ぶなど、努力家な一面も持つ。
安房では漁師の夫・権三がいたが、頼朝にはそれを伝えず召し出される。鎌倉入り後は政子の侍女頭を務める一方、内緒で頼朝と逢瀬を重ねる。素性を隠して侍女となった八重には、頼朝の寝室へ膳を運ばせ寵愛を見せつけて牽制する。
頼朝から屋敷を与えられるが、亀の存在を知った政子に「後妻打ち」として屋敷を燃やされる。直前に三浦義村によって逃されたため難を逃れ、一時的に上総広常の屋敷に匿われる。その際、義村から接近されるとそれを受け入れ、広常には色目を使う。
のちに新たな邸宅を与えられ、政子の来訪を受ける。政子に頼朝から身を引くことを約束する一方、坂東の女から憧れられる御台所として恥ずかしくない教養を身につけるよう忠告する。
よもぎ
演:さとうほなみ
大倉御所に仕える女房。声が大きい。
実朝の側室候補として召し抱えられる。実朝には断られるが、彼がよもぎの立場を慮って雑談を続けた際、酷い男(北条朝時)に弄ばれ捨てられたことを訴える。

源氏一門[編集]

頼朝の兄弟とその関係者[編集]

源範頼(みなもと の のりより)
演:迫田孝也
源義朝の六男。頼朝の異母弟。全成の異母兄。母は遊女であり、義経から母の出自を揶揄される。「蒲冠者(かばのかじゃ)」「蒲殿(かばどの)」と呼ばれる。義村からは「くそ真面目の蒲」と呼ばれる。
生真面目な性格で、人を全く疑わない。野心はなく、頼朝を愚直に補佐する。義経の失態を自分がしたことにするなど、兄弟想いの一面も持つ。剣の腕が立ち、城攻めでは兵糧攻めを提案するなど、常識的な思考を持つ。兵糧が無くなった際には自ら魚を釣ろうとするなど、身分の上下に関わらず御家人たちに接する。
遠江蒲御厨に生まれ[9]、平治の乱後に貴族官人藤原範季に引き取られている[9]
頼朝の元へは、道に迷ったことで全成や義経に遅れて参上する。頼朝に愛人がいることを実衣から聞いた際には、頼朝を諌めるよう時政に伝える。頼朝から義仲の動向を探るために信濃へ向かうよう命じられた際には、出立前夜に能員から常を紹介されるが、信濃行きに支障が出るからと断わる。頼朝に反発する御家人たちが攻めてきた際には、政子や万寿を守る。
西国遠征に際しては本軍の総大将を務め、義経の戦略を全面的に支持する。義仲追討では勢多に進軍して入京した後、北陸に逃亡をはかった義仲を近江で待ち構えて討ち取る。一ノ谷の戦いでは義経の策に乗り、生田口を正面から攻めて平知盛軍と激戦を繰り広げる。その後、長門において船団集めと兵糧不足に苦戦するが、豊後の水軍を味方につけると九州へ渡って筑前へ攻め込み、平家軍の退路を遮断する。壇ノ浦の戦いでは陸地に布陣し、平家の退路を塞ぐ。平家軍が三種の神器とともに入水すると、それを懸命に探す。頼朝の上洛に際しては、頼朝に不満を持つ坂東武者をまとめ上げ、頼朝と坂東武者の間を取り持つ。
富士の巻狩りにおいて頼朝が暗殺されたという情報が鎌倉にもたらされると、能員に説得され、鎌倉を守るために次の鎌倉殿になることを決意する。しかし、それが鎌倉に戻った頼朝の耳に入り、謀反の疑いをかけられる。その後、頼朝に対して身の潔白を証明しようと起請文をしたためるが、御家人に等しい立場にありながら「源」という姓を使って署名していることを大江広元に咎められたために弁明する気力を失う。
比企尼の助命嘆願によって命は助けられると、修善寺に幽閉される。修善寺では五藤太夫妻ら村人と共に農作業に従事し、穏やかに暮らす。しかし、大姫が亡くなると、頼朝に大姫を呪い殺したとの無実の罪を着せられ、景時の命を受けた善児によって誅殺される。
阿野全成(あの ぜんじょう)
演:新納慎也
源義朝の七男。頼朝の異母弟。義円と義経の同母兄。「醍醐禅師(だいごぜんじ)」と称する[注釈 18]
陰陽の術に長け[* 63]、占いを得意としている。しかし、占いの結果は半分しか当たらない。剛毅な性格から「悪禅師」と呼ばれたこともあるが[10]人を恨むことはせず、争いは好まない。その一方で、占い結果には忠実に従い、その結果によって頼朝に粛清を提案することもある。
平治の乱後、京の醍醐寺に預けられ出家する。石橋山の戦いの後、伊豆山権現に匿われていた政子たちのもとに仁田忠常とともに現れる。
頼朝と合流すると、新御所の建設場所や政子の鎌倉入りの日などを占って頼朝を補佐する。頼朝が亀と会うために政子の鎌倉入りの日を一日ずらそうとした際には、庚寅に屋移しすると親子の縁が薄く主は不慮の死を遂げると忠告する。政子が懐妊すると、男子を産むためには千鶴丸の成仏が必要だとして、頼朝に祐親を殺すよう示唆する。しかし、祐親の暗殺後に行った占いでは、祐親を殺しても実行犯(善児)を殺さなければ千鶴丸は成仏せず、万寿の寿命は短いという結果を出す。
実衣とは鎌倉入り後に相思相愛となり、やがて夫婦となる。夫婦仲は良く、頼朝に愛人がいることも実衣に教える。
頼朝から秀衡に対する調伏を任されると文覚と対立する。また、頼朝への謀反計画の際には義村に捕らえられそうになるが、事前に察知して逃げ延びる。大姫の許嫁である義高が頼朝に殺されそうになると、頼朝に扮して見張りを遠ざけるなどの手助けをする。頼朝と義経の仲が不和になると、関係修復のために勝長寿院で行われる義朝の供養へ義経を呼ぶことを提案する。八重が川で流された際には、政子から頼まれて祈祷を行う。頼朝に2人目の男子である千幡(源実朝)が誕生すると、乳母夫になるのは「吉」という占い結果が出たため引き受ける。
頼朝が昏睡状態に陥ると、時政とりくから次の鎌倉殿になるよう説得されてそれを承諾するが、最終的には頼家が鎌倉殿となる。その後、実衣との間に距離ができてしまう。時政とりくから、千幡を次の鎌倉殿とするために頼家の呪詛を依頼されると、実衣を喜ばせようとこれを承諾する。しかし、役目の重さと日々戦う頼家の姿を見たことで呪詛を取り止め、一連の出来事を正直に実衣に告げたことで、夫婦関係も修復される。
しかし、頼家が病に伏せったのと同時期に、回収漏れの呪詛人形が発見されたことで能員から疑いをかけられる。当初は否定していたが、屋敷から呪詛道具が見つかると比企によって監禁され、暴行を受ける。その後、義時や政子の奔走によって死罪は免れ、頼家から常陸に流罪を命じられる。しかし、頼家に領地を召し上げられそうになった能員から「実衣の命が危ない」という偽情報を流されると、再び頼家の呪詛を行う。これが発覚して死罪となると、庭に引き出された際に呪文を唱え、嵐を呼び起こした後、八田知家によって討ち取られる。享年51。
実衣(みい)
演:宮澤エマ
全成の妻。北条時政の次女。義時の同母妹。千幡(源実朝)の乳母。
周りに翻弄される家族を興味津々に観察する一方、口が軽く内緒事が苦手なため秘密をすぐに話してしまう。正直者であるがゆえに、場の空気を乱す発言をすることもある。姉弟たちからは重要な話を教えてもらえず、事後報告されることが多い。また、美男子に弱い。千幡の乳母となってからは権力欲を露わにし、度々争い事に巻き込まれる。実朝(千幡)には、武士の手本となり、正しい政を行える鎌倉殿になってほしいと考えているため、考え方の異なる政子の介入を嫌い、政や実朝の教育方針で度々衝突する。
頼朝が挙兵すると、姉・政子や継母・りくと共に伊豆山権現に匿われる。その後、鎌倉入りして全成と夫婦になる。夫・全成から、政子の懐妊中に頼朝が亀と逢瀬を重ねていることを聞くと、範頼にそのことを話し、亀の前事件のきっかけを作る。大姫の許嫁である義高が頼朝に殺されそうになると、政子や義時と協力して御所からの脱出を手助けする。
頼朝の次男・千幡が誕生すると、その乳母となる。富士の巻き狩りにて頼朝と頼家が討たれたという報が鎌倉にもたらされると、頼朝の跡を継ぐのは自身が乳母となっている千幡であると喜び、権力欲を露にする。さらに、頼朝が昏睡状態に陥ったことで全成が次の鎌倉殿の候補となると、御台所になることに歓喜する。しかし、政子が頼家を次の鎌倉殿と定めると、敵意を露にする。
その後、何かで政子を越えたいと琵琶を始め、重忠から紹介された結城朝光の手解きを受ける。琵琶の稽古中、朝光から景時に謹慎を命じられたことを相談されると、義時に朝光を助けるよう求める。これがきっかけとなって景時は失脚する。朝光が姿を消した後も全成とは疎遠であったが、全成から正直な思いを聞き、関係修復に至る。しかし、呪詛の発覚によって全成は捕らえられ、自身も政子の館で匿われる。これにより頼朝の死去から疎遠となっていた政子と和解するが、全成は常陸に流罪となったのち比企の陰謀によって死罪となり、息子・頼全も京にて殺されたことで、比企への憎しみを募らせてゆく。比企一族を滅ぼした後に頼家が病から回復すると、千幡を鎌倉殿とするため、りくが提案した頼家の仏門入りに賛同する。また、義時に妻・比奈に対する処罰を迫る。政子とは違い、神仏は全成を護ってくれなかったことで落飾はせず、その後も実朝の乳母を続ける。
乳人を務めた千幡が実朝と名を改め、3代目鎌倉殿となったことで、御所での影響力を強める。実朝の教育を熱心に行い、京からやってきた源仲章を教育係とする。また、りくとともに実朝の正室を千世と決め、強引に縁談を進める。時政失脚を目論む義時の要請により、政子が恩賞の沙汰を行うことが決まった際には、これに抵抗する。同時期、自身の息子・阿野時元を実朝の側近とする。時政とりくが伊豆へ流罪と決まると、政子とともにりくと面会し、昔語りをした後に別れを告げる。実朝に後継ぎができないことを心配すると、側室候補を選定する。和田一族が挙兵すると、死を覚悟しながら実朝らとともに鶴岡八幡宮へ避難する。実朝が義盛を説得するために戦場へ出ようとすると反対し、政子と対立する。その後、実朝が京から養子を迎えて自身は大御所となることを宣言すると反対し、あわよくば時元を次期鎌倉殿にしようと考える。鶴岡八幡宮にて実朝が暗殺されると、暗殺を実行した公暁を必ず討ち取り、その首を御所の正面に晒すよう時房に命じる。
実朝没後には、息子・時元を鎌倉殿に就けようと画策し、三善康信から鎌倉殿就任には院宣が必要であることを聞き出すと、執権にすることを条件に三浦義村を味方に引き入れようとする。しかし、この野心を義時によって利用され、時元を殺される。自身も処罰の対象となると、当初は息子の後を追って死のうと考えていたが、詮議が始まると政子の懇願もあり、謀反の企てを否定する。その後、時元に送った書状が発見されたことで罪を認め、幽閉の身となるが、尼将軍となった政子によって命を救われる。
その後、出家して政子の側近となる。のえが実子・政村を跡継ぎとするため政子に相談すると、鎌倉において大きすぎる望みは命取りになると、自身の経験を踏まえて忠告する。後鳥羽が挙兵し、義時と救うために政子が演説を行うと、これを援護する。承久の乱後には、政子とともに戦で親を失った孤児たちの世話を行う。
史実には残っていない「実衣」の名は、斜に構える皮肉屋なキャラクターから「ムーミン」シリーズに登場するミイの名から三谷がとったという[* 64]
頼全(らいぜん)
演:小林櫂人
全成と実衣の長男。
京の寺で修行しており、「百壇大威徳法の業」を行う旨を手紙に記して母の実衣に送る。
修行中、比企の命を受けた源仲章率いる西国の御家人に襲われ、殺される。
阿野時元(あの ときもと)
演:森優作(少年期:松平将馬[* 65]
全成と実衣の次男。実朝とは乳兄弟の間柄。
同じ源氏の一族であり、乳母子として実朝とともに育った身にありながら、鎌倉殿とその側近という扱いの差に不満があり、腹に一物持っている。しかし、それを一切顔には出さない。
父・全成が謀反の罪で死罪となり、兄・頼全が比企の命で京にて殺害されると、叔母であるちえに匿われる。
実朝が3代目鎌倉殿に就任すると、近習として仕える。時政が実朝の更迭を図った際には、実朝の居場所の情報を密かに時政へ提供するが、時政失脚後も近習としての務めを続ける。
実朝が暗殺されて鎌倉殿が不在となると、母・実衣の言葉もあり、鎌倉殿の後継を狙って阿野荘で挙兵を企てるが、義時の差し向けた軍勢に囲まれ自害する。
全成と実衣の長女
演:永野ほの波[* 66]
父・全成が謀反の罪で死罪となり、兄・頼全が比企の命で京にて殺害されると、叔母であるちえに匿われる。
義円(ぎえん)
演:成河
源義朝の八男。頼朝の異母弟。全成の同母弟。義経の同母兄。幼名は乙若(おとわか)。
文武両道に秀でる。孫子の兵法に通じ、弓矢の名手だけでなく、和歌にも精通している。
平治の乱後、近江園城寺に預けられ出家する。のちに後白河法皇の皇子・円恵法親王判官を務める[11]
兄弟では最後に頼朝の元へ参上する。頼朝から平家との戦を前に何をすべきかと問われると、孫子の教えを説いて頼朝から感心される。また、紀貫之の詠んだ歌を披露し、政子からも頼りにされる。
鎌倉に叔父・源行家が訪ねてくると、京で世話をしてもらった恩から平家討伐の誘いを断りきれず、弟・義経に相談する。しかし、義経にそそのかされ、頼朝への手紙を義経に託して行家と共に西上する。その後、頼朝に認めてもらおうと功を焦ってしまい、墨俣川の戦いにおいて平盛綱に討ち取られる[注釈 19]。享年27。
源義経(みなもと の よしつね)
演:菅田将暉
源義朝の九男。頼朝の異母弟。全成と義円の同母弟。通称は九郎(くろう)。静御前や弁慶からは「御曹司(おんぞうし)」と呼ばれている。
源氏としての誇りが強く、坂東武者と同列に扱われるのを嫌う。また、嫉妬心が強く、たとえ兄弟であっても対抗意識を燃やす。思ったことをそのまま口にしてしまい、軋轢を生むことも多々ある。その一方で、母性愛に飢えており、義姉・政子に甘える一面もある。政子に元気な子が生まれるよう願ったり、義高に蝉の抜け殻を渡したりするなど優しさも備えている。平宗盛を京へ護送した際には、自分の境遇と重ね合わせ、囚人であるにもかかわらず宗盛と息子・清宗の対面を許す。
戦の才能は突出しており、誰も考えつかぬ斬新な戦術を繰り出す。しかし、戦に勝つためにはあらゆる手を使うため、時には卑怯な手段も厭わない。梶原景時とは戦術を巡って対立するが、自身のことを一番理解してくれる人物と評価する。
幼いころに父・義朝が平治の乱で敗れたため、京の鞍馬寺に預けられる[12]。のちに寺を出て、奥州の覇者・藤原秀衡の庇護を受ける[12]
頼朝が鎌倉入りするころに参上し、頼朝を感動させる。しかし、兄である義円に嘘の情報を吹き込んで陥れたり、亀の前事件の際には義時から亀の館を警護するよう依頼されたにも関わらず弁慶に命じて館を破壊したりと、度々問題を起こして頼朝らを悩ませる。また、謹慎中の身であるにも関わらず、義時に頼んで信濃行きの使者に入れてもらうが、出立の前夜に能員に紹介された里と一夜を共にしてしまい、使者の役目を放棄するという失態を犯す。
平家および義仲討伐(西国遠征)に際しては先発隊の大将を務める。宇治川の戦いでは寡兵の偽情報を流して義仲を破る。一ノ谷の戦いでは、後白河法皇と謀って平家軍を油断させ、さらに平家本陣の背後にある鉢伏山から奇襲して勝利を治める(鵯越の逆落とし)。その功により、後白河から検非違使に任じられる。その後、屋島の戦いでも嵐の中の奇襲で勝利し、壇ノ浦の戦いでは禁じ手だった船頭を狙い撃ちして平家を滅ぼす。しかし、追い詰められた平家の女性たちが安徳天皇と三種の神器を道連れに入水し、神器の宝剣が紛失するという事態を引き起こしてしまう。平家が滅亡したことで戦う相手がいなくなると、自身について「私は戦場でしか役に立たぬ」と卑下する。
京へ戻ると後白河からは不手際を不問とされるが、頼朝からは景時の讒言によって不信感を持たれる。頼朝に自身の口で弁明しようと、後白河に検非違使の返上を申し入れるが拒否され、罪人・宗盛を鎌倉に輸送する名目で鎌倉へ向かうことを許されるが、このことが頼朝に不信感を募らせる。さらに、頼朝の命で鎌倉近郊の腰越で留め置かれると腰越状をしたためるが、これが宗盛の代筆であったため、頼朝との溝はさらに深まる。その後、頼朝が推挙した伊予に任じられても検非違使を返官できなかったこと、鎌倉で行われる父・義朝の供養へ出席しなかったことで、頼朝との対立は決定的となる。京の宿舎が土佐坊昌俊に襲われると、叔父・源行家に頼朝の仕業であるとそそのかされ頼朝追討の挙兵をするが、兵が集まらず、後白河からも見捨てられる。この後、九州へ逃れて再起を図ろうとするが、嵐によって渡航できずに断念し、奥州藤原氏のもとへ逃れる。秀衡が亡くなると、衣川のほとりにあるで里や娘と静かに暮らしていたが、鎌倉からやってきた義時から静御前の悲劇を聞かされて挙兵を決意する。
義時の圧力を受けた泰衡に館を攻められると、里と娘を手に掛ける。また、義時を館へ呼び寄せ、義時の計略を全て見破った上で、平泉を守るために死ぬことを選ぶ。その際、義時に鎌倉攻略の策を披露し[注釈 20]、それを景時に伝えるよう頼む。のちに首は鎌倉へ届けられ、頼朝と無言の再会をする。享年31。
(さと)
演:三浦透子
義経の正妻。比企尼の孫娘。比企能員の姪。
誇り高く嫉妬深い。義経を慕い自分だけで独占したいと思っており、その強烈な独占欲が行動の原点となっている。
源氏との繋がりを強めるため、能員により白羽の矢が立てられる。信濃行き前日に比企館に招かれた義経に見初められ、一夜を共にする。義経の西国遠征中に夫婦となるが、頼朝と義経の関係が悪化すると、義経と同様に鎌倉へ入ることが許されなくなる。また、京にて愛妾・静御前の存在を知り、さらに静御前が義経の子を宿していることを聞くと、静御前を殺害するために義経の宿所を昌俊に襲撃させる。
義経が挙兵に失敗し頼朝から追われる身となると、ともに奥州藤原氏のもとへ逃れ、義経との間に女児(演:泉谷星奈[* 67])を儲ける。しかし、泰衡の軍勢が迫ると、京の襲撃の真相を告白し、激昂した義経に刺殺される。享年22。その後、娘も義経によって殺される。
静御前(しずかごぜん)
演:石橋静河
義経の愛妾。都随一の白拍子。義経からは「(しずか)」と呼ばれている。
気丈で誇り高く、特に舞については譲れない矜持を持っている。義経に誘われて川釣りに付き合うなど活動的な面も持つ。京言葉を話す。
後白河の命で、検非違使に任官される前祝いとして舞を披露したことをきっかけに、義経と知り合う。里の知らぬ間に逢瀬を重ね、義経の子を身籠る。里が京へ来ると対立し、そのことで昌俊の襲撃に遭う。
義経が挙兵に失敗して頼朝から追われる身となると、義経と別れて吉野へ逃れるが、時政の軍に捕らえられて鎌倉へ移送される。義経と別れる際、自身との関係は話さぬよう釘を刺されていたため素性を隠していたが、里の叔母・道に挑発されたことで名を明かす。のちに鶴岡八幡宮で舞を披露すると、頼朝の前で義経を慕う詩を披露し、政子に「女の覚悟」と言わしめる。
のちに男児を産むが、頼朝の命で由比ヶ浜に沈められたことで鎌倉から姿を消す。その後の消息は不明だが、平泉を訪れた義時は義経に、青墓宿で静御前に似た遊女を見かけたという噂を伝えている。
弁慶(べんけい)
演:佳久創
義経の従者。元は比叡山延暦寺の僧[11]。義経からは「武蔵坊(むさしぼう)」と呼ばれている。
義経を敬愛し、常に付き従っているが、気まぐれな義経に振り回されることも多い。
亀の前事件の際には、義経に命じられて亀の館を破壊する。西国遠征の際にも義経に従い、宇治川の戦い、一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いにも参戦する。昌俊が義経を襲撃した際には、義経の窮地を救う。
義経が平泉へ逃れた際にも最後まで仕えており、泰衡の軍勢が迫った際には着物の下に木の鎧を着込み、一人きりで果敢に戦う。
家人
演:福田航也[* 68] / 藤本康平[* 69] / 中村匡志[* 70] / 幕雄仁[* 71] / 東景一朗[* 72]
義経の家人。
奥州平泉より頼朝のもとへ参上する時から、義経に付き従っている。

その他の源氏一門とその関係者[編集]

木曽義仲(きそ よしなか)
演:青木崇高
信濃源氏の棟梁。
義を重んじるため無意味な戦を嫌っており、同じ源氏である頼朝とは戦を避けようとする。無骨な田舎侍であるため、牛車の降り方がわからないなど、都のしきたりには無知である。
叔父である行家が訪ねてくると、これを庇護する。頼朝の使者である範頼が信濃へやってくると、平家と通じていない証として人質を差し出すよう要求される。義時から人質は行家ではどうかと提案されるが、自分を頼ってきた者を差し出せば誠に反するとして、嫡男・義高を鎌倉へ人質に出す。
のちに倶利伽羅峠で平家方を破り(倶利伽羅峠の戦い)、勢いに乗じて京に入り後白河と謁見する。後白河から平家が持ち去った三種の神器を奪還するよう院旨を受けるが、その意味が理解できずに公家たちを呆れさせる。また、都のしきたりがわからず、公家たちに嘲笑される。これに加え、都に攻め上った際に途中から加わった兵たちが、京で略奪行為を行ったことで民衆たちからの評判も落としてしまう。
頼朝が鎌倉から動かないため、後白河から単独で平家を滅ぼすよう命じられる。備中で平家軍相手に苦戦している中、後白河から頼朝へ信濃を含む東山道の支配権を任されたのを知り激怒。抗議のために都へ戻ったことで後白河から謀反の疑いをかけられたため、院御所を襲撃して後白河を幽閉する(法住寺合戦)。範頼・義経兄弟を大将とする討伐軍が迫ると、源氏同士の戦を回避するため使者を送るが拒絶される。義経が仕掛けた挑発を見破り、宇治川で鎌倉軍を迎え撃つが、兵を少なく見せる義経の計略にかかり敗れる(宇治川の戦い)。
その後、誰もいない院御所にて最後の上奏を行い[注釈 21]、北陸を目指すために近江へ向かうが、国境で範頼軍に行く手を阻まれる。最期まで頼朝のことを信じ、嫡男・義高へ頼朝に反旗を翻さないよう諭す手紙を巴御前に託すと、死に場所を探している最中に額を矢で射抜かれ討ち死にする。享年31。
源義高(みなもと の よしたか)
演:市川染五郎
義仲の嫡男。「清水冠者(しみずのかじゃ)」「冠者殿(かじゃどの)」と呼ばれる。
眉目秀麗かつ清廉潔白であり、父・義仲を尊敬している。気さくな人柄から、大姫や政子だけでなく、坂東武者とも打ち解ける。の抜け殻を大量に集める変わった趣味がある。
頼朝への不戦の証に、人質として鎌倉へ送られる。頼朝の命で大姫の許嫁となると、幼い大姫や、婚約に反対していた政子に気に入られる。一頼朝失脚を目論む反頼朝派から新たな棟梁になるよう誘われるとこれを断り、頼朝の嫡男・万寿(頼家)が義盛に連れ去られそうになった際には、政子や万寿、大姫を守る。
のちに義仲が討たれると、頼朝から危険視され幽閉される。盟約を反故にした頼朝と彼を止めなかった義時を恨み、自身の処刑を望むが、義仲からの文で改心し、逃亡を決意する。同じ頃、武田信義、一条忠頼父子から頼朝討伐を持ちかけられるがこれを拒否し、政子や義時らの手筈で伊豆山権現社へと逃亡することになる。しかし、義時を信じきれないため途中の名越の寺を単身抜け出す。故郷・信濃へ向かおうとしていたところ、藤内光澄に見つかり討たれる。享年12。
巴御前(ともえごぜん)
義仲の愛妾相模を参照。
今井兼平(いまい かねひら)
演:町田悠宇
義仲の家人。巴の兄[* 73]。母は義仲の乳母[* 73]
宇治川の戦いで敗れても最期まで義仲に従う。
海野幸氏(うんの ゆきうじ)
演:加部亜門
義高の従者。
人質として鎌倉入りする義高に同行する。義高が幽閉されると、志願して義高を逃がすための替え玉となる。
武田信義(たけだ のぶよし)
演:八嶋智人
甲斐源氏の棟梁。
源氏の棟梁をめぐって頼朝や義仲への対抗心を顕わにし、互いに牽制しあっている。相手を出し抜くためなら卑怯な手を使うことをいとわない。
頼朝と時を同じくして平家討伐の兵を挙げる。頼朝の使者である時政と義時が援軍を要請するために訪ねてくると一度は断り、逆に時政を懐柔しようとする。しかし、平家の大軍が京を出発したことを知ると、再び使者としてやってきた時政と義時に援軍の要請を承諾する旨を伝える。
富士川の戦いに先立って、駿河の目代・橘遠茂を討ち取るなど功績を挙げる(鉢田の戦い)。頼朝軍と合流すると、頼朝を出し抜くために酒宴を開き、両軍で決めた合戦の期日を破って勝手に出陣する。しかし、平家軍は水鳥の羽音に驚いて勝手に敗走する。義仲が勢力を拡大すると、頼朝に対抗するために娘を義仲の嫡男・義高に嫁がせようとするが失敗する[注釈 22]。すると、鎌倉を訪ね、頼朝に義仲を討たせようとする。
一ノ谷の戦いでは後詰めとして頼朝軍に貢献するが、後白河からの恩賞が一向に出ないため鎌倉に赴く。その際、幽閉中の義高に接触し、打倒頼朝を掲げともに立とうと誘うが、義高には拒否される。謀反を企てたとして嫡男・忠頼が誅殺されると、頼朝に忠誠を誓う起請文を書かされるが、これは甲斐源氏が御家人と同等の立場に転落することを意味しており、義時には鎌倉方の面々の異常性を訴え、恨み節を吐露する。
一条忠頼(いちじょう ただより)
演:前原滉
信義の嫡男。
父・信義とともに、幽閉されている義高の元を訪れ味方になるように唆すが断られる。2度目の接触で義高の逃亡が発覚し、義高が討ち取られる原因となる。
のちに大倉御所に参上したところ、義高を煽り謀反を企てたとする咎により、頼朝の面前で仁田忠常に誅殺される。
源行家(みなもと の ゆきいえ)
演:杉本哲太
頼朝や義仲らの叔父。頼朝の祖父・源為義の十男[13]。通称は十郎(じゅうろう)。
矜持が高く、頼朝の家人になることを嫌う。また、自身の野望達成のために甥である頼朝・義仲・義経らを利用するが、味方とした者は争いに必ず敗れる「死神」のような人物[注釈 23]
平治の乱では長兄・義朝とともに戦うが敗れ、熊野へ逃れている[13]。のちに八条院より蔵人を任じられ源行家と改名する。
以仁王による平家討伐の令旨を携えて全国を行脚し、頼朝ら源氏一門に決起を迫る。頼政が自害すると逃亡して姿を消し、頼朝が勢力を拡大すると再び頼朝のもとを訪れて平家追討を促す。義時から飢饉を理由に出兵を断られると、頼朝の兄弟たちに声をかけ、甥・義円と共に尾張へ向かう。しかし、墨俣川の戦いで惨敗し、義円を戦死させてしまう。
その後、再度鎌倉を訪れて頼朝に所領を要求し、無下に断られると義仲の食客となる。義仲とともに平家軍を蹴散らし入京すると、頼朝を第一の功とした後白河に対し、義仲と共に抗議する。しかし、義仲と後白河との仲が険悪となるにつれ義仲と距離を置き始め、後白河に接近する。義仲の立場が危うくなると密かにその元を去る。
平家滅亡後、頼朝との仲が険悪となった義経に近付き、頼朝が土佐坊昌俊に義経の襲撃を命じたという嘘の情報を流して頼朝討伐の挙兵をそそのかす。しかし、義経の分が悪くなるとその元を去る。のちに鎌倉方に捕らえられ、斬首される[注釈 23]
源頼政(みなもと の よりまさ)
演:品川徹
摂津源氏の長老。公卿。伊豆の知行国主[* 74]
源氏では初の従三位に叙せられ公卿昇進を果たすとともに、平清盛とも良好な関係を築いている[* 74]。感情を表に一切出さないため、この情報を聞いた頼朝は、彼が挙兵しても失敗すると予想する。
以仁王の挙兵に際して平家側として討伐軍を率いるが、以仁に呼応しており寝返る。激怒した清盛が差し向けた追討軍に敗れ、宇治平等院にて自害する。享年77。
源頼茂(みなもと の よりもち)
演:井上ミョンジュ
頼政の孫。
三寅が次の将軍になったことを腹を立てて挙兵するが、藤原秀康の軍勢に討ち取られる。
平賀朝雅(ひらが ともまさ)
演:山中崇
時政とりくの娘婿。比企尼の孫。官職は武蔵守
源氏の血筋を引く人物[注釈 24]であり、そのことを誇りに思っている。処世術に長け立身出世に意欲を燃やす野心家だが、同時に小心な保身家でもあり、その人物の程度を見切った後鳥羽上皇に手駒として利用される。義母・りくには野菊を送るなどして取り入り、非常に気に入られている。
京都守護に任じられ、都と鎌倉の橋渡しのために上洛する。実朝の正室選定を願い出るために後鳥羽と対面すると、下心を持って後鳥羽に接近し、朝廷に取り入ろうとする。しかし、後鳥羽にはその魂胆を見抜かれる。後鳥羽の意を酌んだ源仲章に唆されたことで次期執権の座を狙うようになり、実朝の正室・千世を迎える使者として上洛していた義弟・北条政範を毒殺する。この時の不審な行動を見咎めた畠山重保と口論になると、重保に全ての責任を擦り付ける讒言をしてりくの激怒を招き、畠山重忠の乱のきっかけを作る。
時政とりくが実朝の更迭を目論んだ際には次期鎌倉殿の候補とされるが、身の危険を感じて話に乗らず警戒する。のちに時政が失脚すると、政範毒殺・畠山家滅亡・鎌倉混乱の元凶として義時に断罪され、在京の御家人により誅殺される。享年24。
きく
朝雅の妻。北条義時とその家族を参照。

坂東武者・御家人とその関係者[編集]

伊豆[編集]

伊東祐親(いとう すけちか)
演:浅野和之
伊豆東海岸の豪族・伊東家の惣領。北条義時の母方の祖父。娘が北条時政・三浦義澄・工藤祐経(のちに土肥遠平[14])に嫁いでおり、娘婿や孫たちからは「爺様(じさま)」と呼ばれている。
一族思いであり、娘の八重を非常に大事に思っているが、敵対すると血を分けた身内でも容赦はしない。平家と敵対するのを何よりも恐れる。
平治の乱で敗れた流人・源頼朝を領内で監視していたが、京の大番役で留守の間に娘・八重が頼朝と関係を持ち、外孫である千鶴丸を産んだため激怒する。平清盛に知られるのを恐れ、下人・善児を放ち千鶴丸を暗殺するものの、頼朝には娘婿・時政の領内へ逃げられる。大庭景親の仲裁で頼朝を北条家への引き渡すことを認めるものの、頼朝の挙兵に北条家が追随したため親族同士で敵対することになる。
石橋山の戦いでは、頼朝軍を大庭軍と挟み撃ちにして敗走させるなどはじめは優勢だったが、次第に追い詰められる。伊東の館を攻められると自害しようとするが、義時に説得されて投降する。その後、政子や義時が頼朝を説得したことによって三浦家に預けられる。頼朝からの恩赦により死罪は免れ、その礼のために鎌倉の大倉御所へ出立しようとした矢先、梶原景時の下人に転じていた善児に暗殺される。
八重(やえ)
祐親の娘。北条義時とその家族を参照。
河津祐泰(かわづ すけやす)
演:山口祥行
祐親の長男。八重の長兄。
河津郷を本拠とする[* 75]。祐親らとともに北条館から戻るところ、工藤祐経に襲われ討死する。享年31。
伊東祐清(いとう すけきよ)
演:竹財輝之助
祐親の次男。八重の次兄。通称は九郎(くろう)。
妹思いで真面目な性格。時に空気を読まず、言わなくても良い発言をすることがある。宗時と仲が良く、敵味方に別れた際には戦いたくないと漏らす。
祐親が激怒し源頼朝を追討を命じると、八重が悲しむ姿を見たくないと、宗時と協力して内密に頼朝を北条館へ逃がす[15]。しかし、父の命には逆らえず、善児に命じて千鶴丸を殺害する。
頼朝が挙兵すると、親戚である北条家や親友の宗時と敵対することに苦悩する。宗時が討たれた際には、その首に手を合わせている。伊東家が劣勢になると、援軍を呼ぶため鯉名から舟で脱出しようとするが、頼朝方に捕らえられる。その後、義時と義村に八重の危機を伝える。
祐親と同様、三浦家に預けられ死罪を免れるが善児に暗殺される。
工藤祐経(くどう すけつね)
演:坪倉由幸
伊豆の豪族。元は伊東家の嫡流
坂東武者には珍しい文化人肌で、歌舞音曲に通じた風流人。後に、その気質が都育ちの頼朝に気に入られ、寵臣となる。武芸についてはからきしであり、襲撃や粛清に何度も失敗する。また、気が弱く、図に乗りやすい。
幼少期にが他界したため、義理の叔父である祐親が後見役となっている[16]。のちに祐親の娘(演:島侑子[* 76][注釈 13]と結婚したが、祐親に所領を奪われ妻と離縁させられる。
頼朝が北条館に逃げ込んだ際には家人となり、見張り役としてあてがわれる。頼朝の密命による祐親襲撃は失敗するが[注釈 25]、その後も頼朝には目をかけられており、祐親が亡くなると旧領を取り戻している[注釈 26]。江間館を訪れ義時と八重に再会するが、八重に怪訝な顔をされる。また、曽我十郎・五郎兄弟には父の敵として憎まれており、石を投げつけられる。一条忠頼の粛清、藤内光澄の斬首にも立ち会っており、鎌倉は恐ろしい所と義時に告げている。
しかし、その後も頼朝に引き立てられ、静御前が鶴岡八幡宮で舞を舞った際には鼓を打っている。また、頼朝が上洛した際もこれに従う。
巻狩りの計画についての話し合いの際には、富士山麓で行うことを提案し、巻狩りの最中には頼朝の願いに応えるため比奈の居所を義時に尋ねる。比奈のもとへ出かけた頼朝の身代わりに寝所で寝ていたところを、押し入ってきた五郎に頼朝と勘違いされて殺される。享年46。
曽我十郎(そが じゅうろう)
(一万 → 曽我十郎)
演:田邊和也(少年期:大藤瑛史
祐泰の長男。時政の家人。幼名は一万(いちまん)。祐成(すけなり)[注釈 27]
剛腕で武勇に秀で、仁田忠常とも互角に渡り合う。兄弟仲は良く、常に弟と共に行動する。
幼少期は弟・五郎とともに戦災孤児として八重に世話をされており、義時と八重のもとを訪れた祐経に対し、五郎と共に「人殺し」と罵倒し石を投げつける。
御家人にしてもらおうと、時政とともに頼朝のもとへ訪れるが断られたため、源氏だけが隆盛を極める現状に不満を持ち、頼朝を討つため五郎と立ち上がる。同じく頼朝に不満を持つ岡崎義実と結託し、比企能員にも協力を仰ぐ。また、単なる仇討ちであると時政を騙して北条方の兵を借りるが、その中に居合わせた仁田忠常に行動を怪しまれると、五郎を先に行かせて忠常と対峙し、討ち取られる。享年21。
曽我五郎(そが ごろう)
(箱王 → 曽我五郎)
演:田中俊介(少年期:加賀谷光輝
祐泰の次男。時政の家人。幼名は箱王(はこおう)。諱は時致(ときむね)[注釈 27]
血気盛んで、話すときに唾を飛ばしてしまう性分である。
幼少期は弟・十郎とともに八重に世話をされる。時政を烏帽子親として元服、家人となる。
兄と共に頼朝を討つため立ち上がるが、頼朝と間違えて祐経を殺してしまう。景時に捕らえられると頼朝存命を告げられ、その後頼朝と対面する。頼朝の前で、あくまで狙ったのは頼朝であると強く主張するが、実際に殺した祐経は父の仇でもあったため、義時の提案を飲んだ頼朝によって「父の仇討ち」とみなされ、巻狩り中に実行したことで斬罪に処される。享年19。
江間次郎(えま じろう)
演:芹澤興人
祐親の家人。八重の再婚相手。
寡黙かつ物静かであり、主である祐親に従順である。妻となった八重を気遣い、三島明神の祭りに誘うなど、夫として認めてもらおうと奮闘する。しかし、その思いは届かず、別れてもなお頼朝を想う八重の言動にしばしば振り回される。
北条領とは狩野川の対岸に位置する江間郷を所領とし[17]、北条館を望む小高い丘の上に館を構える。八重が頼朝と通じたことに激怒した祐親の命により、八重を娶る。頼朝が挙兵した際には、頼朝に味方する八重に利用され、山木兼隆が館にいることを教えてしまう。
頼朝軍が勢いを増すと、伊東の館が攻められた際には八重を殺すよう祐親から命じられる。その後、和田・畠山軍に館を包囲されると悩んだ末に館から逃がそうとするが、同じ命を受けていた善児により刺し殺される。
仁田忠常(にった ただつね)
演:高岸宏行
伊豆の武士。北条家とは所領が近い[18][19]
坂東武者では珍しく、気が優しく真面目な忠義者であり、穏やかな笑顔を浮かべていることが多い。剛腕で武勇に秀でているが、実直な性格から駆け引きや腹芸は苦手としており、もっぱら最前線での際どい任務を受け持つ。
頼朝の挙兵に際しては北条家と同調する。石橋山の戦いに参戦すると、頼朝軍の大敗を伊豆山権現にいる政子たちに伝える。伊東の兵から逃れるために北条館へ立ち寄った際には、宗時が届けるはずだった観音像を見つけ、これを義時に届ける。その後、頼朝が生きていることを政子たちに伝えるために再び伊豆山権現へ向かい、僧兵に襲われた政子を助ける。頼朝が鎌倉入りすると、伊豆山権現社に匿われていた政子たちを鎌倉まで護衛する。
頼朝が義高を討つよう命じると、義時らと共に義高の逃亡を手助けする。また、一条忠頼誅殺の際には、祐経に代わり忠頼を斬る。八重が川で流されたと聞くと捜索に参加し、八重が亡くなったことを政子に伝えると泣き崩れる。その後は、残された孤児たちの世話に奮闘する義時の手助けをする。富士の巻狩りの際には、時政の命で曽我兄弟の仇討ちに協力するが、言動がおかしいことに気づいて十郎と戦闘になり、これを討ち取る。
頼家が2代目鎌倉殿となると、頼家の政について結城朝光と語り合う。阿野全成が謀反の罪で監禁され、その妻・実衣にも危険が迫ると、政子の命で実衣が匿われている政子の屋敷を警護し、比企時員といった頼家の5人の側近を追い返す。
比企氏の乱では時政の館に呼び出された比企能員を討ち取る。その後、比企氏の滅亡を知って激怒した頼家から北条討伐を命じられる。頼家と北条との板挟みになったことで苦悩し、義時に相談しようとするがそれも果たせず、悩み抜いた末に御所で自害を遂げる。享年37。
工藤茂光(くどう もちみつ)
演:米本学仁
伊豆の武士。
北条家とは所領が近く、義時らと仲が良い[* 77]。非常に恰幅が良く、頼朝から太り過ぎと心配される。
石橋山の合戦の敗戦後、鎧を取り換えるため、北条館に向かう宗時とともに自身の所領に戻ろうとするが、目前で善児の手に掛かって討たれる。
藤内光澄(とうない みつずみ)
演:長尾卓磨
伊豆の武士。
頼朝の命で逃亡した義高の首級を挙げるが、殺害から生け捕りに変更するという新たな指示と行き違いになったため、政子の怒りを買う。褒美を得るどころか捕縛され、新たな指示を知らなかったことを考慮されず、義時の立会いのもと斬首される。首は片瀬川に晒された。

相模[編集]

三浦義澄(みうら よしずみ)★
演:佐藤B作
相模三浦郡の豪族[20]三浦家の惣領・三浦義明の次男[20]。妻(演:中尾文子[* 78][注釈 13]は伊東祐親の娘。通称は次郎(じろう)。和田義盛からは「叔父御」(おじご)と呼ばれている。
陽気な性格だが義理堅く、卑怯な手を嫌い、敵方となった相手をも心配する。決断を迫られた際には、切れ者の嫡男・義村に常に相談する。義兄弟でもある北条時政とは悪友で、気心が知れた仲である[20]
の死により三浦家の家督を継いでいる[20]。頼朝が北条の館に匿われていることを知ると、大庭景親に祐親と時政の仲裁を頼む。源頼朝の挙兵に際しては北条家と同調するが、石橋山の戦いでは酒匂川の増水に阻まれ合流できず、水が引くのを待つもやむなく引き返す。その際、三浦が頼朝方に加わったことに気づいていない大庭たちと正々堂々戦うため、和田義盛に命じて離反の意を示す。その後、平家方となった甥・畠山重忠の軍と鉢合わせし、戦闘となる[20]。さらに、本拠地である衣笠城が陥落し父・義明が戦死すると(衣笠城合戦)、海路で安房へ逃れる。のちに頼朝らと合流し鎌倉入りする。
富士川の戦いでは、夜更けに富士川のほとりで時政と殴り合いの喧嘩をしたことで水鳥の群れが羽ばたき、図らずも頼朝軍を勝利へと導く。頼朝の西国遠征には反対し、坂東の地盤固めを主張する。のちに頼朝の失脚を狙う謀議に加担するよう迫られると、三浦家の親族でもある北条家は見逃すという条件で反頼朝派に加わる。息子・義村が、頼朝の命を無視して源義高を脱走させる手助けをすると、頼朝に逆らえば三浦は終わりだとして義村を問い詰める。
平家討伐の際には、当初は後詰めを任され、後に義経軍に加わる。頼朝が義経追討の兵を挙げようとすると、戦の強い義経とは戦いたくないと出兵を断る。頼朝の上洛にも随行するが、出費はかさむが所領は増えず、頼朝とその身内だけが良い思いをする現状に不満を持ち、酒宴では範頼側に参加する。その後、頼朝の2度目の上洛にも従う。頼朝が昏睡状態に陥ると、時政や時連と共に水垢離を行う。
頼家が2代目鎌倉殿となり、十三人の合議制の選考が行われると、北条派閥として加わるよう時政から頼まれ、当初は渋ったものの義村の説得を受けて引き受ける。
梶原景時が討ち取られた3日後、病で危篤状態となる。時政が三浦の館に到着すると、一緒にあの世へ行こうと時政を誘うが突き飛ばされ、その直後に息を引き取る。享年74。
三浦義村(みうら よしむら)
演:山本耕史
義澄の嫡男。義時の従弟で盟友。通称は平六(へいろく)。官職は右兵衛尉
沈着冷静かつ頭脳明晰な知恵者だが、正論を皮肉交じりに語ることが多い現実主義者。基本的には情に流されず損得勘定で行動しており、時に冷徹で非情な判断を下すことも厭わない。その一方で女好きで、頼朝の先妻・八重や愛妾・亀、公家の娘である時政の後妻・りく、さらにはりくの暗殺を試みたトウにまで粉をかける。特に頼朝の元交際相手に対しては、彼女らと付き合うことで「頼朝を超える」ことができるという、義時には理解しがたい考えを持っている。義時が後妻としてのえを娶ると、会った瞬間にのえの裏の顔を見抜く。武勇にも優れており、身体能力も高い。肉体を入念に鍛え上げており、筋骨隆々の肉体美をしばしば披露している。嘘をつくときに衿を触る癖がある[21]。父・義澄からは全幅の信頼を寄せられ、相談相手になることも多々ある。頼朝については当初から快く思っておらず、義時には事あるごとに頼朝を裏切るよう助言する。実朝が3代目鎌倉殿に就任すると、処世の術を授ける。
義時とは幼い頃からの付き合いであり、良き相談相手となる。しかし、心の内では頭の良さや見栄え、剣の腕前など、子供の頃から全てにおいて義時に勝っていると考えている。そんな義時が執権に就任し、自身は一介の御家人に甘んじているため、義時を越えようと執権の座を狙う。
頼朝が北条の館に匿われていることを知ると、そのことを父・義澄に伝えて景親に祐親と時政の仲裁を頼むが、義時には頼朝の首をはねて平家に渡すよう告げる。頼朝が挙兵すると同調するが、石橋山の戦いの際に酒匂川が増水すると、頼朝軍を見捨てて引き返すよう父・義澄に進言する。その後、三浦領に引き返す最中で畠山軍と遭遇し戦闘になる。安房で頼朝たちと合流すると、頼朝の首を大庭景親に差し出すよう義時に告げる。頼朝が安房を進軍すると警護につき、頼朝を襲撃した長狭常伴を討ち取る。頼朝が鎌倉に入るとそれに従い、亀の前事件の際には義時に頼まれて亀を上総広常の館に避難させる。また、義時が木曽義仲のもとへ使者として向かった際にはこれに付き添う。頼朝への謀反計画には父の意向に従って参加し、阿野全成を押さえる任務を任されるが失敗する。この後、広常の誅殺が決まると、助けに向かおうとする義時を引き止める。頼朝が源義高を討つよう命じると、娘・初を八重に預けたことで義時に借りがあることから、一度は義時らに協力して義高脱走の手助けをする。しかし、義時や政子に会っていたことを義澄から問い詰められると、義高を捕らえようとする。
平家討伐では、初めは後詰めを任され、後に範頼軍に加わる。長門において船団集めに苦戦すると、義時から豊後の緒方家を味方につけるよう提案され、説得の末に緒方家を味方に引き入れることに成功する。この後、壇ノ浦の戦いにも参戦する。義経が挙兵した際には、義経には兵が集まらないため戦わずして負けると分析する。頼朝の上洛に随行すると、範頼側の酒宴に向かった義澄に対し、自身は頼朝側に参加する。大姫の入内計画が進むと、時政が帝の外曾祖父となることで北条と三浦の差がさらに開くことに不満を持つ。その後、屋敷から抜け出した大姫を発見すると、相談に乗るふりをして言葉巧みに入内をやめるよう誘導する。義澄と賀茂重長が若い頃に共に戦った仲であったことから、重長の娘・つつじと頼家との間を取り持つ。頼朝が昏睡状態に陥ると義時から頼まれ、つつじが頼家との間に男子を産んだ場合はその乳母を三浦一族から出すことを引き受ける。
頼家が2代目鎌倉殿となり、十三人の合議制の選考が行われると、三浦家から2人出すのは角が立つと考えて勧誘を断り、代わりに義盛を推薦する。合議が本格的に始まると、景時失脚の計画を立て、結城朝光に協力を持ちかける。その後、朝光が景時から謹慎処分を命じられた後に死罪となると、義時からの相談を受ける形で景時排斥を求める連判状を作成し、計画通りに景時を失脚させることに成功する。つつじが頼家の次男・善哉(のちの公暁)を産むと、約束通り乳母夫となる。また、娘・初を北条頼時(北条泰時)に嫁がせる。阿野全成が謀反の罪で監禁されると、これ以上比企の力が強くなることを警戒し、助命に協力する。全成が殺されたことで北条と比企の対立が深まると、能員から味方になるよう誘われ、その時は返事を濁していたが、時政、義時らが能員を時政邸に呼び出した際には北条の後詰めに回る。比企の滅亡後には、善哉とその母・つつじを自身の館に匿い、千幡の身に何かあれば次の鎌倉殿は善哉だと野心をたぎらせる。義盛が時政を討つよう頼家に命じられると、頼家は終わりだとして、時政に報告するよう重忠とともに助言する。また、北条に不満を持つ者が増えていることを義時、時房に伝え、執権となった時政が行き過ぎたことをしないよう忠告する。
実朝が3代目の鎌倉殿となり、頼家が修善寺に幽閉されると、使者として修善寺を訪れた際に頼家から再起への助力を頼まれるが、挙兵を勧めながらも協力は拒絶。頼家の様子を義時らに報告する。時政と畠山重忠の間で緊張が走ると、時政から誘導を受けるが返事を濁す。また、義時からの相談を受けると忠告するが、両者の対立が決定的となると、時政から命令を受けたことを義時には黙ったまま、重忠の息子・重保を由比ヶ浜に誘き出し、抵抗すると殺害する。これを知った重忠が陣を敷くと北条方として参戦し、鎌倉へ帰還した後は、時政からの勧誘や重保の一件を報告しなかった罰として、義時から稲毛重成の誅殺を命じられる。その後、政の権限を奪われた時政とりくから、善哉を鎌倉殿とすることを条件に、実朝を出家させて娘婿・平賀朝雅を鎌倉殿に就任させる計画への助力を頼まれるが、朝雅が鎌倉殿となれば善哉に芽はないことを見抜き、計画の内容を全て聞き出した上で義時に報告する。義時から時政を泳がせるよう頼まれると、そのまま時政の計画に加担し、実朝を時政の館へ連れ去る。これにより、大義名分を得た義時が館を取り囲むと時政を説得、りくを京へ逃がすよう時政から頼まれる。伊豆へ流罪と決まったりくがトウに命を狙われるとこれを見抜き、りくを助ける。
失脚した時政の跡を継いだ義時が、相模の守護を務める自身に対して真っ先に守護の交代制について賛成するよう迫ると激怒、同じく義時に対して不満を抱いていた義盛を義時追討に導くと同時にこれを義時へ報告することで、どちらが勝利した場合でも三浦は生き残るよう暗躍する。その後、政子から宿老に取り立てることを条件に北条につくよう提案されると承諾し、義時の命で弟・胤義や知家と共に和田軍に加わった後に寝返ろうとするが、寝返りの疑念を抱いた巴に起請文の灰を飲まされたことで一度は寝返りを取り止める。しかし、義盛から寝返りを容認されると、灰を無理やり吐き出した後に北条方につく。戦闘が始まると義時の命で御所の南門を守り、実朝の説得で義盛が降伏の意を示すと、義時とともに義盛を含む和田一族を討ち取る。公暁が修行先の京から鎌倉へ帰還すると、実朝に実子がいないことから次の鎌倉殿は公暁だと期待するが、実朝が新たな鎌倉殿を京から迎えようとしていることを義時から聞くと、実朝に反発する。これを受けた政子が上洛し、後鳥羽の皇子を鎌倉へ下向させる約束を取り付けると、三浦の這い上がる最後の好機を逃すまいと、何も聞かされていない公暁に、北条が頼家や一幡を殺して実朝を鎌倉殿に祭り上げたことをわざと吹き込んで焚き付ける。これにより、公暁が実朝と義時の暗殺を決意すると、実朝の右大臣拝賀式で計画を実行することとし、三浦の館に兵を集結させる。この後、泰時に全て見抜かれたと察したことで公暁に計画の中止を進言するが、これを無視した公暁が勝手に暗殺を決行した末、義時の殺害に失敗すると、焦りながらも三浦が生き残る道を模索。三浦の館へ逃げ込んできた公暁を油断させて殺害した後、その首を義時に差し出し、他の御家人たちの前で義時に忠誠を誓う。
実朝の死によって鎌倉殿の座が空席となると、息子・阿野時元を鎌倉殿にしようと画策する実衣から協力を依頼され、執権にすることを条件に承諾する。しかし、その裏では義時と繋がり、義時の依頼を受けて実衣を焚き付け、時元を挙兵に駆り立てたうえで、謀反の罪で自害に追い込む。その後、義時に対する御家人たちの不満が益々高まると、大番役で京にいた胤義を後鳥羽に接近させる。後鳥羽が挙兵した際には、胤義から協力を要請され、押松(平知康)から義時追討の院宣を受け取るが、院宣が長沼宗政より後に届けられていたことを知ると、突如として義時に院宣の存在を伝え、鎌倉方の信頼を得る。さらに、押松を捕縛して残りの院宣を回収し、京へ送り返す。この後、鎌倉方として戦に参加しつつ官軍に寝返る機会を窺うが、宇治川で鎌倉方が官軍を圧倒したため、その機会を失う。
承久の乱後、北条政村の烏帽子親であることから、その母・のえに依頼され、義時を殺害するための毒を調達する。これを見破られたのえが全てを白状したことで義時から呼び出されると、毒入りと称す酒を飲まされで本音を吐き出す。しかし、自身が飲んだのはただの酒であると告げられ、義時に鎌を掛けられたことに気づくと、負けを認めて泰時への助力を約束する。
初(はつ)
義村の娘。北条義時とその家族を参照。
駒若丸(こまわかまる)
演:込江大牙
義村の息子。
千日参籠行をする公暁と外部との連絡役を務める。
三浦胤義(みうら たねよし)
演:岸田タツヤ
義澄の息子。義村の末弟。
義澄譲りの裏表が無いまっすぐな気性の持ち主。現実主義者である兄・義村に対し違和感を持っているが、兄の考えを見抜いており、常に義村の命に従って行動する。
常に兄・義村とともに行動し、畠山重忠の乱では北条方について畠山重保の騙し討ち、重忠の追討、稲毛重成の誅殺に加担する。時政が実朝の更迭を目論むと、兄とともに実朝を時政の館へ連れ去る。和田合戦では当初和田に味方するが、兄が和田一族を裏切って北条につくと、兄の行動に違和感を持ちながらも同じく北条につく。義村が公暁とともに実朝と義時の暗殺を企てると、これに加担する。
大番役で京にいる際、鎌倉で義時に対する御家人たちの不満が高まると、兄の命で後鳥羽に接近し、鎌倉の内情を後鳥羽に伝える。承久の乱では、藤原秀康と密談して自身の味方となるよう兄に文を出し、京都守護である伊賀光季を討ち取る。しかし、圧倒的な兵力で進撃してきた泰時軍に宇治川にて敗北。後鳥羽に出馬を願うため秀康とともに内裏を訪れるが、後鳥羽に拒否される。
岡崎義実(おかざき よしざね)
演:たかお鷹
義澄の叔父。三浦義明の弟。通称は平四郎(へいしろう)。
高齢ながらも血気盛んで、坂東武者の誇りが高い。同じく老将の土肥実平や佐々木秀義、千葉常胤らと馬が合う。「御家人は頼朝の駒ではない」という考えを持ち、度々頼朝に対して謀反を企てる。
頼朝の挙兵では甥・義澄らとともに戦に参加する。石橋山の戦いで息子を亡くし[注釈 28]、衣笠城が陥落すると義澄らとともに安房へ逃れる。義澄らとともに鎌倉へ入ると、義朝ゆかりの地・亀谷(かめがやつ)に新御所を建てるよう頼朝に進言するものの断られる。
頼朝の西国遠征には反対し、反頼朝派の謀議に参加する。計画が失敗した際には、政子の前で本音を語り、涙を見せる。奥州攻めに従軍して勝利を収めると、他の御家人たちと義経を偲ぶ。頼朝の上洛にも随行するが、頼朝とその身内だけが良い思いをする現状に不満を持つ。
その後、曽我十郎・五郎兄弟の養父・曽我祐信と幼馴染であった縁から、兄弟の頼朝暗殺計画に協力する。暗殺計画が失敗すると死を覚悟して出家するが、頼朝の挙兵にいち早く参加した功績により死罪は免れ鎌倉を去る。のちに、梶原景時を排斥する連判状に署名する[* 62]
和田義盛(わだ よしもり)★
演:横田栄司
相模の豪族。三浦家の庶流・和田家の惣領。三浦義澄の甥。義村の従兄。通称は小太郎(こたろう)。
髭を蓄えた強面に常に袖まくりをしている、血気盛んな荒武者。弓の名手である[22]など武芸に秀でるが、戦い方は単純であるため、長年行動を共にしていた畠山重忠には作戦を見破られる。時政から義時に対する伝言を託された直後に内容を忘れるなど頭を働かせることは苦手としており、自身でも「難しいことはよくわからない」と公言する。平家に対して闘志をむき出しにする一方で、源氏や鎌倉幕府の内紛に関わることには難色を示す。また、仲間意識が強いため、坂東武者同士の争いへの加担は躊躇する。壇ノ浦に入水する平家一門に向かって手を合わせるなど敵に対しても誠意をもって接しており、義仲からの使者を斬殺することに難色を示すなど姑息を手段を用いることを嫌う。軍陣で(つぐみ)を捕まえて「(ひよどり)がいた」と喜んだり[注釈 29]、木曽義仲討伐の戦功報告を絵入りで文にしたりする[注釈 30]など、お茶目な面も持つ。起請文を書くことを躊躇う実朝に後で破ればいいと助言するなど、信仰についてはそれほど厳密ではない。相撲好きで、事あるごとに相撲で勝敗を決しようとする。自身の誠意や覚悟を見せようとする際には、眉毛を剃ろうとする。大の風呂嫌いであり、一ヶ月も風呂に入らずとも平気でいられる。
正妻は兎のように大人しいため、物足りなさを感じている。そのため、巴御前を気に入って側女にするが、喧嘩になると投げ飛ばされるなど、頭が上がらない。義時とは一対一で酒を酌み交わすなど親しく付き合い、義時、三浦義村、畠山重忠と行動を共にすることが多い。他の御家人たちからも慕われており、時房からは「あのお方を嫌いな人なんていない」と称されている。実朝とは、屋敷に招いて鹿汁を振る舞ったことで親しい間柄となり、「鎌倉一の忠臣」と称される。実朝が羽林という官職であることを知ると、以降は親しみを込めて羽林と呼ぶ。
頼朝の挙兵では叔父・義澄らとともに戦に参加する。平家方に敵と思われていなかったにも関わらず、義村が止めるのも聞かずに先制攻撃をしかける。その後、戦を避けようとしていた重忠の軍に誤って攻撃を仕掛けてしまい、のちに重忠から攻撃を受ける。安房へ逃れると頼朝に「侍大将」になりたい旨を直訴し、義時とともに広常を説得して味方にする功績を挙げる。頼朝が鎌倉へ入ると、約束通り「侍所別当」に任じられる。この後、平家方として敵対したのち頼朝に下った重忠を恨み、重忠と先陣を争いつつ伊東の館を2人で攻撃する。富士川の戦いや金砂城の戦いにも参加するが頼朝の西国遠征には反対し、頼朝の失脚を狙う反頼朝派の謀議に参加する。その際、頼朝に情報を流していた景時を捕らえる。また、鶴岡八幡宮にいる万寿(源頼家)を連れ去る役目を任されるが、単純な性格を重忠に利用され、万寿奪取の役目を放棄する。
義仲追討の際には、範頼が総大将を務める本軍に加わり、北陸に逃れようとする木曽義仲を近江で待ち構える。その際、巴御前の勇猛果敢な戦いぶりに惚れ込んで鎌倉へ連れ帰り、のちに側女とする。一ノ谷の戦いでは、範頼軍に属して生田口を正面から攻める。一度鎌倉へ戻ると、巴のためにと義高を逃がすための作戦に協力する。範頼軍に属して再び鎌倉を出陣すると、長門において兵糧不足に苦しめられたため、範頼に鎌倉への撤退を提案する。壇ノ浦の戦いでは、入水する平家軍に手を合わせる。頼朝が義経追討を宣言すると出兵を断るが、重忠が出陣を支持すると意見を変える。奥州攻めに従軍すると、頼朝から河田次郎を斬罪に処するよう命じられる。また、他の御家人たちと義経を偲び、頼朝に対して義経の讒言を行った景時を嫌う。その後、頼朝の上洛や富士の巻狩りにも参加する。頼朝が落馬して亡くなったと聞くと、「武士の棟梁として情けない」と言い放つ。
頼家が2代目鎌倉殿となると、景時と侍所別当の座を巡って対立する。十三人の合議制の選考の際には、りくの言葉を受けて二つ返事で引き受ける。その際、重忠の勧誘には難色を示す。義時から朝光死罪についての相談を受けると、景時に対する長年の不信感から、景時排斥を求める連判状の作成に積極的に参加し、66人の御家人たちから署名を集めることに成功する。また、頼家に連判状を渡すことをためらった広元に詰め寄り、すぐに渡すよう迫る。景時が失脚すると、侍所別当に復帰する。阿野全成が謀反の罪で監禁されると、彼のことはよく知らないが戦になれば北条に味方するとし、義時に頼まれて助命に協力する。北条と比企の対立が深まると北条方に付き、気乗りしないとしつつも重忠と共に比企館に攻め込む。その後、比企一族滅亡の真相を頼家から問い詰められると、時政の命であったことを話す。これにより、頼家から時政の首を刎ねて持参するよう命じられるが、義村と重忠の助言を受けてこれを拒否し、時政に頼家が北条打倒を狙っていることを告げる。
実朝が3代目鎌倉殿となると、実朝に弓の稽古をつけるよう命じられ、これがきっかけで実朝との仲を深める。時政が畠山討伐を決断するとそれに戸惑い、重忠が挙兵すると説得の使者に志願する。しかし、最後まで筋を通そうとする重忠の心意気に感銘を受けると、正々堂々戦うことを誓う。その後、重忠を討ち取ったことで信頼を失った時政が、実朝を館に閉じ込めて出家を迫ると、義村の策が理解できずに無理やり館に押し入り、1人で実朝を救出する。時政が失脚し、御家人たちから和田が柱になるよう要請されると、実朝に上総介への推挙を願い出る。この願いを実朝には認めてもらうが、御家人たちの力を弱めたい義時に止められたことで、北条に不満を持つ。後鳥羽から閑院内裏の再建が命じられると、御家人たちから相談を受けて旗頭となるが、これによって義時から不信感を持たれてしまう。
同時期、甥・和田胤長が泉親衡という偽名で接触してきた源仲章にそそのかされて義時暗殺計画に加わり、自身の息子である和田義直や和田義重を仲間に引き入れていたことが発覚する。これを知ると、息子や甥の罪を軽くするよう義時に直談判し、結果として義直と義重はお咎めなしとなる。ところが、首謀者の1人として捕らえられていた胤長は、和田一族を挙兵させたい義時の計略によって縄で縛り上げられ、和田一族の面前で引き立てられた末に陸奥国へ流罪となる。その後、追い打ちをかけるように胤長の幼い娘が父に会えないまま病死し、本来ならば和田一族に下げ渡されるはずの胤長の屋敷も義時の命によって他の御家人に下げ渡されると、義時を討つよう義村に焚き付けられていたこともあり、ついに挙兵の決意を固める。しかし、自身を慕う実朝から挙兵を思い留まるよう懇願され、政子の執り成しで義時と和解すると、一度は矛を収める。これにより、御所にて実朝と双六に興じるが、帰りが遅くなったことで父が北条に討たれたと誤解した息子たちが自身の許可なく勝手に挙兵すると、実朝に手出しをするなと息子たちに言い聞かせた後、北条追討と実朝奪還を目的に挙兵を許可する。その際、義村が義時に通じていることを察し、裏切りを容認する。
御所・大江広元の館、北条義時の館の3箇所に攻め込み当初は北条方を圧倒していたが、西相模の援軍が寝返ったことで徐々に劣勢となると、巴御前に逃げるよう諭し、自身は一族とともに館に立てこもる。この後、実朝から直接説得を受けたことで降伏しようとするが、直後に義時と示し合わせた義村の命令で放たれた矢を全身に受け、息子たちとともに壮絶な最期を遂げる。享年67。
巴御前(ともえごぜん)
演:秋元才加
義盛の側女。元は木曽義仲の愛妾
武勇に優れる女武者。一本眉が特徴だが、義盛のもとで過ごすようになって以降は容姿を整える。義仲とは幼馴染であり、男女の絆を超え、一生を捧げて仕える決意を持つ。義盛の側女となってからは、鹿の顔真似をするなどお茶目な姿も見せるようになる。義盛との関係は良好であるが、喧嘩になると義盛を投げ飛ばすなど、その強さは健在である。
義仲の愛妾時代は、兄・今井兼平とともに各所を転戦する。宇治川の戦いで敗れると、義仲と運命を共にしようとするが義仲から説得され、義高への文を託された後、落ち延びる。その最中、和田義盛に捕らえられ、鎌倉へ移送される。
鎌倉に到着すると義高へ文を渡し、死を覚悟していた義高に再び生きる決意を促す。その後は義盛の元で暮らし、彼の想いを受け入れるようになる。義高の死後も彼を慕い続ける大姫が、義高の話を聞こうと訪ねてきた際には、大姫を笑顔で励まし未来へ進むよう促す。また、頼朝が和田屋敷を訪れた際には、義仲を討ったことについて頼朝から謝罪を受ける。
実朝が3代目の鎌倉殿となり、政務の疲れを癒しに和田の屋敷を訪れると、義盛とともに快く迎え入れ、鹿汁を振る舞う。
和田合戦では、三浦義村・胤義兄弟や八田知家らが裏切らぬよう彼らに起請文を書かせるなど、夫の挙兵を手助けする。また、自身も出陣することを望むが、義盛に制止されて生き延びるよう諭される。和田勢の敗北の報を聞いた後は、義盛の妻であることを高らかに宣言しつつ、追手を蹴散らしながら鎌倉を去る。
朝比奈義秀(あさひな よしひで)
演:栄信
義盛の三男。通称は三郎(さぶろう)。
父に似て血気盛んな荒武者。鮫の刃を装飾とした首飾りを付けている。
御所に出向いた父の帰りが遅いことから北条に討たれたと早とちりし、勝手に挙兵する。実朝を奪還するため御所へ攻め込むと、父に従い勇猛果敢に戦う。義盛が討たれると、重傷を負いながらも巴御前に敗北の報を伝え、その場で力尽きる。
和田義直(わだ よしなお)
演:内藤正記
義盛の四男。通称は四郎(しろう)。
胤長に誘われ、義時打倒の反乱の謀議に参加する。兄たちとともに父の許しなく勝手に挙兵し、大江広元の館を攻める。その後、劣勢となると館に立てこもり、父が討たれた直後に戦死する。享年37。
和田義重(わだ よししげ)
演:林雄大
義盛の五男。通称は五郎(ごろう)。
義直と同じく胤長に誘われ義時打倒の反乱の謀議に参加する。兄たちとともに父の許しなく勝手に挙兵し、劣勢となると館に立てこもる。父が討たれた直後に戦死する。享年34。
和田胤長(わだ たねなが)
演:細川岳
義盛の甥。通称は平太(へいた)。
偶然出会った「泉親衡」を名乗る怪人物(源仲章)の口車に乗せられ、義時打倒の反乱(泉親衡の乱)の謀議に参加、さらには和田一族の者たちを謀議に引き込んでしまう。反乱鎮圧後に首謀者の一人として捕えられ、義盛の助命嘆願によって罪一等は減じられたものの陸奥国へ流罪となる。その際、縄で縛り上げられ、和田一族の面前で引き立てられる。その後、屋敷も北条家に没収され、面目を失った義盛ら和田一族が義時打倒の決意を固めるきっかけとなる。
胤長の娘
演:吉田舞香
父・胤長に会えなくなった悲しみから病が悪化してしまう。義盛らは胤長の赦免を願い出るが義時に拒否されたため、結局父に会えぬまま亡くなる。
家人
演:鎌倉智士[* 79] / 志賀野晋平[* 80]
和田家に仕える家人。源平合戦や和田合戦に付き従う。
梶原景時(かじわら かげとき)★
演:中村獅童
相模鎌倉郡の豪族[23]。通称は平三(へいぞう)。
武勇と戦術に長けており、血気盛んで無骨な坂東武者が多い中、戦場では冷静に状況を判断し行動する。一方で、型式の整った戦況報告書を書くことができ、和歌を詠むなどの教養も持ち合わせる文武両道の人物。「刀は斬り手によって名刀にも鈍らにもなる」として、自身の身込んだ者を主と仰いで付き従う。職務熱心ではあるが名誉や官位には興味が無く、生涯無位無官で通す。神仏を非常に信じており、他人の運命だけでなく、自身の運命を天に占わせる癖がある。頼朝に対しては、出会った当初から天に守られていると感じて崇拝する。義経については、その才能に嫉妬しながらも天に選ばれた者であると認め合っており、その死後も度々回想している。大庭景親とは同族で分家筋にあたり、本家筋の景親に従属していたが、景親の人柄は好んではいない。
石橋山の戦いでは平家方として戦い、景親や経俊らとともに頼朝を追い詰める。しかし、山中に隠れていた頼朝を発見した際、頼朝は天に守られていると感じて見逃す。その後、上総広常を平家方に取り込むため、交渉役として広常の館を訪れる。その際、同じく交渉役として館を訪れた義時と知り合う。この後、頼朝が勢いを盛り返すと、景親らと袂を分かち、義時の仲介で頼朝の配下となる。
以降は侍所の所司となり、頼朝の命で諜報活動を行う。頼朝が伊東親子の粛清を決意すると、直前に畠山重忠によって捕らえられていた善児に命じてこれを実行する。その後、善児を下人とする。義経が義円の書状を破り捨てた際には、これを頼朝に報告し、後妻打ちが起こると実行犯が義経であると突き止める。反頼朝派がいることを察知するとその会合に潜り込むが、義盛らに内偵を気付かれて捕まる。のちに解放されると頼朝から寝返りを疑われたため、大倉御所にて広常を誅殺する。その際、広常に双六を提案し、勝負の結果で広常を殺すかどうかを占う。この出来事により他の御家人たちとの間に溝が生じる。
西国遠征の際には範頼率いる本隊の軍奉行(いくさぶぎょう)を務める。義経とは、鉢伏山からの奇襲や逆櫓論争など、戦術を巡って対立するものの、彼の判断には理解を示しており、一ノ谷の戦いにおける義経の戦いぶりを「八幡大菩薩の化身」と評価する。屋島の戦いでは、嵐の中船で出陣する義経を止めず、無事に屋島へ辿り着けるか否かで義経が神に選ばれた男かどうかを占う。壇ノ浦の戦いでは、頼朝から総大将に任命されるが、義経が大将となれるよう芝居を打つ。平家が滅亡すると、天に選ばれた者は2人もいらないと考え、頼朝に義経についての讒言を行う。義経が討ち取られた後、義経が考案した鎌倉攻撃の策を知ると、その内容に感服する。また、奥州攻めで勝利を収めると、義経を陥れた自分は愚か者として名を残すと義時に語る。善児から曽我兄弟による謀反の情報を得ると、その計画に時政が関わっている事を極秘で義時に伝える。その後、富士の巻き狩りで曽我兄弟が祐経を殺すと、頼朝の寝所を襲った五郎を捕らえて斬首する。大姫が病で亡くなると、範頼を殺すよう頼朝からの命じられ、その役目を善児に任せる。
頼朝から頼家を託されると、政子から次の鎌倉殿になるよう言われた際には一度断るよう頼家に助言する。これを機に頼家からの信頼を得ると、政治体制や三左衛門事件の処罰についての助言も行う。しかし、義盛とは侍所別当の座を巡って対立する。義時から、文官4人と自身で訴訟を請け負う政治体制を提案されると、これを承諾して頼家を説得するが、最終的に宿老が13人となったことで頼家からの信頼を失う(十三人の合議制)。合議が本格的に始まると、好を重んじて便宜を図る宿老たちを叱責する。また、朝光に謀反の疑いありとして、謹慎処分を命じる。頼家が景盛の妻を奪おうとしていることを頼時から聞くと、事態を収束させるために政子を呼ぶが、このことで頼家から恨みを買う。
その後、人妻略奪未遂で頼家が御家人たちの信用を失ったため、朝光を見せしめとして死罪にしようとするが、逆に66人の御家人たちから自身の排斥を求める連判状が出される。これにより頼家から謹慎を命じられると、後鳥羽上皇から京へ来るよう誘いを受けるが、このことを義時に教えたことで、頼家から奥州外ヶ浜への流罪を命じられる。このままでは終わりたくないと、京へ向かう際の人質として一幡を比企の館から連れ出そうとするが、義時に説得されて断念。義時に坂東武者の世を作ることを再確認させ、善児を譲り渡す。その後、流罪先の外ヶ浜へ向かうとして館を発つが、武士として戦場で死ぬために京へ向かう動きを見せ、駿河で義時の放った追手に一族もろとも討ち取られる。享年61。
義時に善児を託した際、善児のこれまでの働きに対する褒美として、善児が宗時を殺した際に奪った巾着袋を義時に渡しており、自分の死後での善児の命運も天に占わせる。
梶原景季(かじわら かげすえ)
演:柾木玲弥
景時の嫡男。
父・景時が頼朝から広常の誅殺を命じられると、心配しながらもこれに協力。誅殺の際には景時に刀を手渡す。
景時が謀反の罪で奥州へ流罪となると、一幡を人質にするため景時と共に比企の館へ向かう。その後、京を目指して進軍し、駿河にて父共々追手に討ち取られる。享年39。
大庭景親(おおば かげちか)
演:國村隼
相模の豪族。「相模の奉行」と称す。
清盛に心服しており、篤い忠誠心の持ち主。平家の権勢を笠に着ている面はあるが、堤信遠のように暴慢ではなく、のちに時政や義澄からは「悪い奴ではなかった」と評される。
平治の乱では頼朝の父・義朝に味方したが敗れ、清盛の温情に助けられてからは平家方に与する。平家を後ろ盾として北条家はおろか伊東家や三浦家をも凌ぐ勢力を持つ。
伊東館を逃れ北条館に逃げ込んだ頼朝の引き渡しに端を発した祐親と時政の小競り合いでは、両者の仲介役を務める。頼朝が挙兵すると、石橋山の戦いで時政を挑発して撃破し、山内首藤経俊や梶原景時らとともに頼朝を追い詰めるが取り逃がす。のちに頼朝が力を盛り返し鎌倉へ入ると景時に見限られ、経俊とともに捕らえられる。
処刑時も、取り乱した素振りを一切見せず、広常に対して頼朝を生かしたことを後悔しないよう警告した後、即座に広常に斬首される。首は木の枝から吊るす形で晒された。
山内首藤経俊(やまのうちすどう つねとし)
演:山口馬木也
相模の豪族。は頼朝の乳母[16]。通称は瀧口三郎
平治の乱でが戦死し、家督を継いでいる[16]。楽観的で自主性がなく、長いものに巻かれやすい。
祐親の追手から富士山麓に逃れた頼朝と再会し、頼朝の挙兵に参加することを約束する。しかし、いざ挙兵するとそれを反故にするどころか、頼朝の使者である安達盛長に悪態をつき、頼朝挙兵の情報を景親に伝える。その後、平家方として頼朝に弓を引くが、石橋山の戦いで頼朝を取り逃したため形勢は逆転し、景親とともに捕らえられる。見苦しく弁明するが、母が頼朝に嘆願したことで斬罪は免れ、鎌倉を追放される。
土肥実平(どい さねひら)
演:阿南健治
相模土肥郷の豪族[24]。通称は次郎(じろう)。
湯河原の温泉郷に館を構える[24]。「みんな仲良く」が口癖で、坂東武者同士の争いを嫌う。奥州合戦に従軍した際には、義経の亡くなった衣川の館に行って手を合わせようとするなど、仲間想いの性格である。
義時に頼まれ、頼朝の挙兵にいち早く呼応する。頼朝が石橋山の戦いで敗れ、方々を彷徨った際も頼朝の側を片時も離れず、所領で手配した小舟で真鶴岬から安房へ脱出させる。頼朝らとともに鎌倉入りすると、平家討伐を急ぐ頼朝に坂東の地固めを主張する。その後は、富士川の戦いや金砂城の戦いに従軍する。
頼朝が義仲の討伐を決めると反頼朝派の謀議に参加するが、頼朝に弓引くことにためらい、体調不良を理由に離脱する。義時に謀議について問い詰められると、謀反の計画があることをほのめかす。
範頼・義経軍が義仲軍を破って入京すると、義経と共に後白河に謁見する。その後、一ノ谷の戦いにも参戦。頼朝が義経追討を宣言すると、戦の強い義経とは戦いたくないと一度は出兵を断る。義経が平泉で討たれるとその死を偲ぶ。頼朝が上洛した際も随行するが、頼朝に対する不満から範頼側の酒宴に参加する。
十三人の合議制の選考の際には、自分の名前が挙がらない事を嘆き、亡き頼朝への恩返しをしたいと加入を申し出るも、「北条と比企の権力争いに巻き込まれるのでやめるべき」と義時に退けられる。景時排斥を求める連判状が作成されると、署名を行う御家人たちを諌め、坂東武者同士が対立する現状を嘆く。
佐々木秀義(ささき ひでよし)
演:康すおん[注釈 31]
元は近江の豪族。頼朝の祖父・源為義の娘婿。
歯がほとんど抜け、発言内容は不明瞭である。同じ老将である岡崎義実や土肥実平と馬が合う。
平治の乱では頼朝の父である義兄・源義朝に従い戦うが敗れ、相模へ逃れる。頼朝の挙兵には齢68歳ながら参陣し、息子らとともに山木兼隆がいる館を襲撃する。その後、石橋山の戦いで敗れ安房へ逃れた頼朝らと合流する。
頼朝没後、2代目鎌倉殿となった源頼家を補佐する宿老選考の際に時政がその名を挙げるも、三浦義村によってすでに亡くなっていることが伝えられる。享年73。
佐々木定綱(ささき さだつな) / 佐々木経高(ささき つねたか) / 佐々木盛綱(ささき もりつな) / 佐々木高綱(ささき たかつな)
演:木全隆浩(定綱) / 江澤大樹(経高) / 増田和也(盛綱) / 見寺剛(高綱)
秀義の息子たち。
次男・経高が山木館に火矢を射掛けたことが、4年7か月におよぶ源平合戦の始まりとなる。
医者
演:康すおん[注釈 31]
秀義の孫[注釈 32]
昏睡状態の頼家を治療、回復させ、また実朝の疱瘡を治療する。義時が病に伏せった際にも診察を行い、その病因を見抜く。

武蔵[編集]

比企尼(ひきのあま)
演:草笛光子
源頼朝の乳母(めのと)。常・里・比奈・安達景盛・平賀朝雅の祖母。武蔵比企郡の代官・比企掃部允の妻[26]長女は安達盛長、次女河越重頼三女は伊東祐清に嫁いでいる[26]
とても大らかな性格で、頼朝を長年支援するなど慈愛に満ちている。頼朝に意見することのできる数少ない人物であり、時に頼朝の頬を叩くこともある。
平治の乱により頼朝が伊豆へ配流となると、夫とともに武蔵の所領に下向する[26]。その後も長年にわたり頼朝に資金の援助を続けており、道から小言を言われるも意に介さない。頼朝が鎌倉へ入ると御所を訪れ再会する。
範頼が謀反の疑いをかけられた際には、娘婿である盛長の要請を受け、孫娘が妻になっている範頼の助命嘆願を行い、昔と変わってしまった頼朝を叱責する。頼朝の落馬前には、久々に頼朝と対面するが自身が目を開けながら眠ってしまい、対話は叶わずに終わる。北条の比企追討によって邸宅が囲まれた際、道に逃がしてもらう。その後、寺前で一人遊んでいた善哉の前に変わり果てた姿で現れ、「北条を許すな」と言い含めた後に姿を消す。
比企能員(ひき よしかず)★
演:佐藤二朗
武蔵比企郡の豪族[27]。叔母である比企尼の養子。通称は藤四郎(とうしろう)。
飄々としているが、目先の損得に流されやすいところがあり、脅しにもすぐに屈する。決断力に欠けるため、思い切りの無さから二の足を踏むことが多く、重要な場面で勝機を逃す。その性格に加えて坂東育ちではないため、実力者ながら他の坂東武者たちからはあまり尊敬されていない。道からは苦言を呈されることもあるが夫婦関係は良く、二人三脚で比企家の立場を押し上げる。北条を伊豆の小物と考えて対抗意識を燃やすが、義時については「北条の割には出来が良い」と評価する。
頼朝の挙兵の際には静観していたが、勢いが増し鎌倉に入ると急接近する。頼朝と政子の嫡男・万寿(源頼家)が産まれると、その乳母夫(めのと)となる。亀の前事件で北条時政が伊豆へ帰ると、北条家に取って代わるために源氏との繋がりを強めようとし、比企尼の孫娘である常と里を範頼と義経に接近させる。
頼朝に対する謀反計画を知ると、頼朝側について御家人たちの偵察に向かうが、自身の身に危険が迫るとすぐに寝返る。さらに、義時から広常が味方であることを知らされると再び頼朝側につく。
義仲追討の際には後詰めを任されるが、一ノ谷の戦いで源氏軍が勝利すると頼朝に出陣を願い出る。その後、義経との婚姻が決まった里も連れて京へ向かい、義経軍に加わる。奥州攻めでは総大将の一人に選ばれる。また、この頃には比企尼の孫娘を範頼に嫁がせることに成功する。しかし、時政が後白河に気に入られると、対抗意識を燃やす。頼朝の上洛に際して御家人たちの不満が高まっていることを知ると、身内である範頼が次の鎌倉殿になれば比企一族は安泰だと考え始める。頼朝の次男・千幡の乳母に北条の娘である実衣が選ばれると、道の考えで姪に当たる比奈を頼朝の側女にしようと考えるが、政子に阻まれて失敗する。
富士の巻狩りに際しては、曽我兄弟と義実に頼朝暗殺計画への協力を求められる。初めは加担することを断るが、時政が関わっていることを知ると考えを巡らし、暗殺計画が失敗すればその計画に関わった北条家は潰れ、もし頼朝の暗殺計画が成功したとしても自分たちが乳母を務める万寿が次の鎌倉殿となるため、計画を口外しないようにする。巻狩りが始まると、獲物が仕留められない万寿のため時政や義時に裏工作を依頼するが、万寿の放った矢が足に刺さり先に鎌倉へ戻る。巻き狩りの最中に頼朝だけでなく万寿までもが討たれたという報が鎌倉にもたらされると、比企一族の存亡のために範頼を次の鎌倉殿にしようと考え、範頼を焚き付ける。しかし、頼朝が生きて鎌倉へ戻ると病と称して館に引きこもり、助けを求める範頼との面会を拒否する。娘・せつが頼家の子・一幡を産むと、頼朝が生きているうちに頼家を次の鎌倉殿とし、さらに一幡をその後継者と定めるよう文官たちに詰め寄る。また、頼朝が昏睡状態に陥ると、頼家の世が来ることを喜ぶ。しかし、2代目鎌倉殿となった頼家がせつを側室にし、比企の後ろ楯を断ると激怒する。
文官4人と景時が主導する政治体制の構想を知ると、自身も入れるよう義時に要求し、時政が宿老となると、盛長と八田知家を比企派閥として勧誘する(十三人の合議制)。さらに、文官4人を取り込むため、接待宴会を行う。義村と義盛から景時排斥を求める連判状への署名を求められると、時政に続いて2番目に署名する。その後、流罪となった景時が京へ向かう際の人質として一幡を比企の館から連れ去ろうとすると、義時に説得を要請する。宿老が9人となると、これを機に自身が頼家を動かそうと考えるが、頼家からの反発にあう。また、頼家の正室・つつじが善哉(公暁)を産むと、つつじの産んだ男子を嫡男にするという頼朝の意向は文書に残っていないとして、嫡男を一幡にするよう義時に迫る。北条氏に近い阿野全成を頼家呪詛の容疑で拷問の末に鎌倉から追放するが、頼家と領地の配分を巡って対立したことで、逆に流刑先の全成に頼家への呪詛を依頼する。これが全成死罪につながったために北条家を激怒させてしまい、北条家と比企家の協調にこだわっていた義時をも打倒比企家に駆り立たせてしまう。
頼家が危篤に陥った際には、かつて義時に自白させられた「一幡様の外祖父として武士の頂に立つ」という野望を叶えるために本性を剥き出しにして活動。全成の息子・頼全を殺害し、三浦義村を味方味方に引き入れようと動くが、「関東28か国の御家人を一幡に、関西38か国の御家人を千幡に仕えさせる」という義時の提案を退けたことで、北条家に大儀名分を与えてしまう。時政と一対一で語り合った際には、頼朝の挙兵にいち早く加担した北条家を認める発言をすると同時に、比企家の加担が遅れたことを悔しがる。その後、自身に有利な案を北条家が認めたことに気をよくし、単身和睦のために丸腰で北条館に乗り込んだところを騙し討ちに遭う。自分を殺したら北条の名に傷が付き、三浦が比企方として北条と対峙することになると威嚇するが、坂東生まれでない境遇や三浦義村の裏切りもあって軽く一蹴され。隙をついて脱出を図るもあえなく失敗。着物の下に着込んだ鎧の存在も暴かれると、負け惜しみと北条家への呪詛の言葉を吐き、仁田忠常に斬首される。
道(みち)
演:堀内敬子
能員の妻。万寿(源頼家)の乳母。
世情に敏感で、勢いのあるものに乗りたがる。一方で、厄介事に関わる事を露骨に嫌がる。一族に対する思いが強く、夫と二人三脚で比企家の立場を押し上げる。また、娘・せつや乳母を務める万寿に対して愛情を持って接し、同じ一族である比奈や里のことも気に掛けている。
平家隆盛の中、頼朝に協力しようとする義母・比企尼に異を唱え、頼朝の挙兵の際には呼応しないよう夫・能員に釘を刺す。しかし、流れが変わると源氏に取り入るよう能員をけしかける。万寿が産まれると、その乳母となる。
静御前が捕縛されて鎌倉に移送されてくると、里の叔母という立場から静を挑発する。頼朝の次男・千幡の乳母に実衣が選ばれると、能員の姪・比奈を頼朝の側女にしようと考えるが、政子に阻まれて失敗する。富士の巻狩りにて頼朝と万寿が討たれたという報が鎌倉にもたらされると、比企一族の娘を妻に持つ範頼を次の鎌倉殿にするよう能員を焚き付ける。その後、頼朝が生きて鎌倉へ戻ると、範頼に会おうとする能員を引き留める。
頼家が2代目鎌倉殿となると、頼家がせつを側室にし、比企の後ろ楯を断ったことに激怒する。また、文官4人と景時・能員が宿老となった政治体制に時政が入ると、比企派閥の御家人たちを勧誘するよう能員に助言する。頼家が危篤状態になると、自身が育て上げたせいであると政子に告げ、涙を流す。
時政たちによって能員が討たれ、邸宅が軍勢に取り囲まれると、せつを比企尼・一幡らと共に逃げるよう差配し、自らは邸宅に残って一族滅亡の運命に殉じる。
せつ
能員と道の娘。源氏将軍家(鎌倉殿)とその妻子を参照。
比企時員(ひき ときかず)
演:成田瑛基
能員と道の息子。通称は弥四郎(やしろう)。
頼家の近習の一人に選ばれる。頼家に命じられ、蹴鞠の稽古や町の掃除、迷い犬の飼い主探しを行う。頼家の命で念仏僧を捕らえると、袈裟を剥ぎ取って鎌倉から追い出す。
阿野全成の謀反疑惑の際には、実衣を引き渡すことを先頭に立って要求するが、仁田忠常の威勢に怯んで逃げ去る。
北条の討手が比企家の邸宅に迫るとこれに応戦し、討ち死にする。
比企宗朝(ひき むねとも)
演:Kaito
比企一族の武士。通称は三郎(さぶろう)。
頼家の近習の一人に選ばれる。頼家に命じられ、時員と行動を共にする。
北条の討手が比企家の邸宅に迫るとこれに応戦し、討ち死にする。
常(つね)
演:渡邉梨香子
比企尼の孫娘。能員の姪。
源氏との繋がりを強めるため、里とともに能員により白羽の矢が立てられる。信濃行き前日に比企館を訪れた範頼にあてがわれるが、断られる。
里(さと)
比企尼の孫娘。能員の姪。頼朝の兄弟とその関係者を参照。
比奈(ひな)
比企尼の孫娘。能員の姪。北条義時とその家族を参照。
畠山重忠(はたけやま しげただ)
演:中川大志
武蔵の豪族。名門・秩父平氏の嫡流。時政の娘婿。通称は次郎(じろう)。
武勇と教養に優れ、清廉潔白な人柄から「坂東武士の鑑」と評される。自身の見栄えの良さについては自覚している。基本的には無益な殺生は好まないが、一旦覚悟が定まると苛烈な戦闘も辞さない剛毅さを持つ。見た目に反して腕力は強く、激怒すると床を凹ませるほどの力を持つ。その一方で、銅拍子の腕前も一流であり、音曲を侮る三浦義村に対しては怒りを露わにする。義経を裏切った泰衡が滅びると「神罰」と発言するなど、非常に信心深い。頼朝と坂東武者たちとの間を取り持つ義時を、陰に陽に手助けする。義時、三浦義村、和田義盛と行動を共にすることが多く、度々相談を持ち掛けられる。
義時や義村らと仲が良かったが、が平家との繋がりが深いこともあり、頼朝の挙兵に際しては心ならずも北条家や三浦家と敵対する。三浦軍と鉢合わせすると、坂東武者同士での争いを回避しようと兵を引くが、義盛の勘違いから戦闘が始まり敗走する。その後、三浦の本拠地である衣笠城を陥落させるが、頼朝方が優勢になると鎌倉入り前に降伏する。
他者・自身共に認める見栄えの良い風貌の持ち主で、頼朝に仕えた当初は、若く見た目が良いことを理由に優遇され、広常らに嫉妬される。とりわけ義盛には強い反発心・対抗心を持たれており、伊東の館を攻めた際には頼朝によって義盛と競わせられる。また、御家人たちの謀反騒動の際は、義盛の性格を逆手に取り、義盛の行動を制御する。
義仲追討の際には義経軍に属し、宇治川の戦いでは先陣争いが行われている間に川を渡って武功を上げる。一ノ谷の戦いでは、義経と共に鉢伏山から奇襲を行い源氏軍の勝利に貢献する。一度鎌倉へ戻ると、義時に頼まれて義高を逃がすための作戦に協力。壇ノ浦の戦いでは、敵の船頭を射殺そうとする義経を制止しようとするが、義経から強く指示されて覚悟を決めると、自ら船頭を射殺する。
頼朝が義経追討の兵を上げようとすると、初めは出兵に難色を示すが、困っている義時の様子を見かねて出兵を宣言する。静御前が鶴岡八幡宮で舞を舞った際には、銅拍子の伴奏を務める。頼朝の上洛に随行すると、頼朝の上洛に不満を持つ御家人たちが範頼の元に集まっていることを義時に教える。富士の巻狩りでは、義父・時政に頼まれて頼朝の寝所を警護し、頼朝を殺しにやって来た曽我五郎や北条の兵と戦闘になる。阿野全成が謀反の罪で監禁されると、義時をとともに助命に奔走する。
頼家が2代目鎌倉殿となり、宿老が選考された際には、妻・ちえが北条家であるという理由からりくの勧誘を受けるが、同じく武蔵に領地を持つ能員に牽制されたため断る。これにより、りくとの間に確執が生まれる。また、時政が御家人たちを勧誘していることを義時に伝えると共に、頼家の政治に疑問を呈す。阿野全成が謀反の罪で監禁されると、義時とともに助命に奔走。北条家と比企家の衝突が不可避となると北条側に付き、義盛と共に比企館を襲う討手に選ばれる。その際、躊躇する義盛に対して「我々は食らいついていくしかない」と言い切り、館に突入する。義盛が時政を討つよう頼家に命じられると、頼家の返り咲きの芽はないとして、時政に報告するよう義村とともに助言する。これにより、頼家は修善寺に幽閉されることとなる。
実朝が3代目鎌倉殿となると、修善寺に幽閉された頼家に呼び出されて味方になるよう誘われるが拒否し、これを義時に報告する。しかし、このとき頼家から、執権に就任した時政が武蔵を狙っていることを教えられ、北条に不信感を抱く。その後、時政から武蔵守就任を打診されるが、同時に代々で世襲してきた重職「惣検校職(そうけんぎょうしき)」の返上を迫られると、挙兵も辞さないと義時に言い放つ。同時期、息子・重保が時政の息子である政範を毒殺したという疑いをかけられると激怒し、武蔵にて兵を整える。
その後、武蔵を訪れた義時の説得により、弁明のために鎌倉へ向かうことを決める。その際、父・時政を庇う義時に理解を示しつつ、鎌倉のために時政と戦うよう迫る。出立前には、万が一の時のため、ちえに所領を譲り、後事を託す。しかし、鎌倉へ向かう道中の二俣川にて、嫡男・重保が北条の手によって由比ヶ浜で討ち取られた事を知ると、全滅覚悟で挙兵を決意。少数の兵で鶴ヶ峰に陣を構える。使者としてやってきた義盛に「生きようぜ!楽しいこともあるぞ」と説得されるもこれを拒絶。「戦など誰がしたいと思うか!」と心情を吐露しつつも、義時率いる幕府方の大軍に寡兵を率いて突撃を敢行する。乱戦の最中、わざと初陣の泰時を狙い、息子を助けるために単騎で現れた義時との一騎打ちに持ち込むと、殴り合いの末にあえて義時にとどめを刺さず、晴れ晴れとした笑顔を浮かべてその場を立ち去る。その後、愛甲三郎季隆に討ち取られる。享年42。
ちえ
演:福田愛依
重忠の妻。北条時政の三女。義時の異母妹。
夫・重忠が餅を上手く丸めたことを家族に自慢するなど重忠が夫であることを誇りに思っている。そのため、夫婦関係は良好であり、重忠からも信頼されている。
異母姉・実衣の息子である頼全が比企の命で京にて殺害されると、鎌倉にいた実衣の子供たちを匿う。頼家が修善寺に幽閉されると、彼の許に会いに行く異母姉・政子についていくが、北条の者とは会いたくないと姉と共に対面を拒絶される。
3代目の鎌倉殿となった実朝と、京から下向した千世との婚礼の儀にも出席。畠山家と北条家の決裂が決定的になると、重忠より所領を譲られ後事を託される。
乱の終結後、義時と政子から所領を安堵する事が告げられるが、謀反人の遺言に従ってはならないとして固辞する。重忠は謀反人ではないととりなす政子に対して「謀反人だから討伐されたのではないのですか!」と涙ながらに抗議した後、武蔵へ帰国する。後に本領で再婚し、生まれた子に畠山の家名を存続させる。
畠山重保(はたけやま しげやす)
演:杉田雷麟
重忠とちえの息子。時政の外孫。義時の甥。
父に似て清廉潔白な人物。
千世を出迎えるための正使として上洛した北条政範の随員として同行すると、政範の急逝とその直前の平賀朝雅の不審な行動を目撃する。のちに鎌倉へ戻ると、朝雅を問い詰めて口論となった事を義時らに報告する。しかし、朝雅から責任を擦り付けられ、りくの激怒を招いた事から北条家と畠山家の衝突が不可避の状態となってしまう。
時政が畠山討伐を決意すると、三浦義村の策略によって由比ヶ浜に誘き出される。時政は生け捕りにするつもりであり、和田義盛からも「手向かいしなければ命は取らぬ」と説得されるが、武士の維持を通して激しく抵抗したため、三浦義村に討たれる。その死を見届けた義盛からは、「坂東武者の名に恥じない立派な最期だった」と称えられる。
家人
演:高味翔一郎[* 82][* 83]
畠山家に仕える家人。畠山重忠の乱で戦死。
足立遠元(あだち とおもと)★
演:大野泰広
武蔵の豪族。
文筆の才能に長ける。自分の意見を持たず、他人の言動に流されやすい。自己評価は高いが、周囲からの評価がそれほどでもない事を残念に思っている。当初、政子のもとへ突然現れたため、その場に居合わせた実衣から「一番得体が知れない」と評される。
頼朝から大倉御所の差配を任されると、同時に政子の身の回りの世話も行う。のちに大姫の遊び相手にもなる。頼朝が昏睡状態に陥ると、御家人たちに頼朝の容態を伝える役目を任される。
十三人の合議制の選考の際には、北条派閥として宿老となる。実朝が3代目鎌倉殿となると、修善寺に幽閉された頼家に呼び出され、執権に就任した時政が武蔵を狙っていることを教えられて味方になるよう誘われる。この後、時政らを中心に展開される権力闘争の凄まじさに怯え、年齢を重ねたせいもあって宿老の務めをこなす自信を失った事を政子に告白する。政子から引退して所領で余生を過ごすよう勧められ、これを受け入れる。
稲毛重成(いなげ しげなり)
演:村上誠基
武蔵の豪族。秩父平氏の一門で、畠山重忠の従兄弟。時政の娘婿。
北条の婿の中では影が薄いが、あきとの夫婦仲は良好である。
あきに先立たれたことをとても悲しみ、供養のために相模川に橋を掛ける。のちに、梶原景時の排斥連判状に署名する[* 62]
北条家と畠山家の決裂が決定的となると、時政から命じられ、「惣検校職」を継承させるという条件で畠山重保をおびき出す役目を引き受ける。畠山家滅亡後、時政失脚を目論む義時と広元による謀略の一環として混乱の責任を押し付けられ、捨て石として三浦義村により誅殺される。
あき
演:尾碕真花
重成の妻。北条時政の四女。義時の異母妹。
幼い頃より体が弱く、夫・重成に先立って亡くなる。

下総・上総・安房[編集]

千葉常胤(ちば つねたね)
演:岡本信人
下総の豪族。上総広常の又従兄弟[28]
頼朝から頼られる坂東の重鎮[* 84]
岡崎義実と同様に、老齢ながら血気盛んな坂東武者。頼朝の父義朝の郎党であった事を誇りとし、栄えある戦さに出られる事を誉れと考える、根っからの戦人。酒を飲むと同じことを繰り返す癖があり、義経が亡くなると「九郎殿は強かった」と何度も発言している。
頼朝が安房へ逃れると、齢60歳過ぎにして下総の目代を討ち取り、その首級を手土産にいち早く味方につく。その際、感激した頼朝から「父も同然」と称される。
頼朝の鎌倉入り後は、富士川の戦いや金砂城の戦いに従軍する。義経が頼朝の馬引きを断るとこれを志願するが、見栄えを理由に断られる。頼朝の西国遠征には反対し、反頼朝派を先導して頼朝を御所から退去させる計画を立てる。頼朝側に計画が漏れると責任を取って自害しようとするが、義時らに説得され断念。兵を退くことを条件に許される。
平家討伐や奥州攻めにも従軍して勝利を収める。しかし、頼朝が上洛した際には、頼朝とその身内だけが良い思いをする現状に不満を持つ。
十三人の合議制の選考の際には、候補者の一人として名前が挙がるが、老年であるため外される。景時排斥を求める連判状に署名すると、戦に発展する可能性がある現状を喜ぶ。
上総広常(かずさ ひろつね)
演:佐藤浩市
上総の豪族。通称は介八郎(すけのはちろう)。「上総介(かずさのすけ)」と呼ばれることが多い。
2万騎と称される大兵力を持つため、自尊心が高い。若い頃は「坂東の暴れ馬」の異名を取るほどの荒くれ者だったが、本人は否定している。中年になって多少は行動が慎重になり、又従兄弟の常胤から「小さく収まった」と言われるが、時折往年の荒い気性を見せる事がある。その一方で、身柄を預かった亀から色目を使われると「ああいう女は苦手だ」と義時にこぼすなど、女性に対しては自律的な面を持つ。頼朝を「佐殿」と呼ぶことを嫌がり、義村に入れ知恵され「佐」の唐名を「仲間」への呼びかけと誤解したまま「武衛」と呼ぶ。義時からは頼りにされており、度々相談事を持ちかけられる。また、広常自身も義時に心を開き、書や文字に拙いため上京を見越して練習していることを義時だけに明かしている。
頼朝方の義時と平家方の梶原景時から勧誘を受けると、頼朝と平家を値踏みしたうえで、長狭常伴の襲撃をくぐり抜けた頼朝の運を見定めて頼朝方につく。その際、頼朝の陣にあえて遅参し、頼朝の出方次第ではこれを討たんと目論むが、それを見抜いた頼朝に一喝されたことで臣従する。これにより坂東における源氏方と平家方の力関係の差は決定的となったため、鎌倉入り後には御家人の筆頭となる。
金砂城の戦いでは、身勝手な振る舞いをする義経を諌め、交渉の使者として金砂城へ向かうが、挑発されたことで佐竹義政を斬り捨てる。
義仲討伐に反発する御家人たちが頼朝に対して謀反を起こそうとすると、義時から頼まれて謀叛軍の中に入り込み、計画を不発に終わらせる。しかし、広元と頼朝の謀略によって、鎮圧後に謀反の首謀者とされ、頼朝の命を受けた景時の手によって「誅殺」の名目で粛清される。粛清は他の御家人たちの面前で行われ、見せしめとして利用された。しかし、粛清後に頼朝の大願成就と東国の泰平を願う広常自筆の願文が見つかる。
死後、その膨大な所領や財産が他の御家人たちに分け与えられたことから、以降は頼朝の思惑通り、不忠の名目で御家人が誅されれば、その家の財産が手に入るという欲と警戒と恐怖が御家人たちの間に生まれることとなる。その結果、鎌倉殿への忠誠心と「鎌倉」としての組織が固まる一方で、御家人の不満が燻り続けることになった。
安西景益(あんざい かげます)
演:猪野学
安房の豪族。
頼朝とは幼馴染であり[* 85]、石橋山の戦いで敗れて安房へ逃れた頼朝を支援する。また、頼朝が亀を気に入ると、安達盛長に亀の素性を教える。
長狭常伴(ながさ つねとも)
演:黒澤光司
安房の豪族。通称は六郎(ろくろう)。
平家方に与しており、景親から情報を得て頼朝の宿舎を襲撃するが、漁師・権三らと乱闘になった隙を突かれて義村に討ち取られる。

下野・常陸[編集]

八田知家(はった ともいえ)★
演:市原隼人
常陸の豪族。
常に着物の胸元をはだけた格好をしており、鍛え上げられた胸筋を常に覗かせている[* 86]。若々しく精悍な風貌の持ち主だが実は三善康信と同世代で、鎌倉の主だった御家人の中でも年長格である。「俺は俺」という考えから、頼朝や比企能員など自分より高位の存在の人物にも媚びたりはせず、あくまでも自分の思いを通す誇り高き一匹狼的な存在。基本的には寡黙で他人とも不必要な関わりは持たないが、任された仕事に黙々と取り組む職人気質の持ち主であるため、要所要所で重要な役割を担う機会も多い。また、情に厚い面もある。土木作業や大工仕事に長け、政子からも棚の修繕を依頼される。女性を見る目はなく、義時からのえとの婚姻について相談された際には、彼女の裏の顔を全く見抜けず、婚姻を後押しする。
頼朝に道路の修繕を命じられると、自らも現場に出て働く。八重が孤児を世話していることを知ると、義時に孤児・鶴丸(平盛綱)を引き渡す。富士の巻狩りでは、なかなか獲物を射止められない万寿(源頼家)のために鹿の仕掛けを作り、かつ万寿が矢を外すと草葉の陰からそれを射止める。頼朝が昏睡状態に陥ると、京の上級貴族たちと同じ火葬を行うため、火葬場を建設する。
十三人の合議制の選考の際には、能員から金品を受け取り宿老の一人となるが、比企派閥に属することは断り独断で行動する。合議の際も、北条と比企のどちらの味方になるわけでもなく、淡々と事実のみを語る。頼家の政治については、無理があると断罪する。全成が頼家を呪詛した罪で常陸に流罪となると、源氏一門の全成に対して忠節を尽くすが、彼が常陸にて再び呪詛を行うと怒り、自身の手で全成を斬首する。頼家が危篤状態になると、頼朝の時と同様に火葬場を建設する。その際、義時から比企と北条のどちらに付くか問われると、あくまでも自身は中立であると強調する。修善寺に幽閉された頼家に挙兵の意志があることを知ると、鎌倉殿は二人いらないとして暗に頼家の殺害を示す。また、修善寺の警護中、後鳥羽に宛てた頼家の書簡を持った猿楽師を捕らえると、すぐに義時らに知らせる。
実朝が3代目の鎌倉殿となると、実朝に薙刀の稽古をつける。畠山重忠が挙兵すると鎌倉に残って実朝を警護し、時政に押し切られて重忠追討の下文に署名した実朝を暗に咎める。その後、鎌倉へ帰還した義時に頼まれ、稲毛重成が「惣検校職」の地位を狙って畠山討伐を仕向けたという偽の情報を、長沼宗政に吹き込む。実朝の更迭を目論む時政の命で義村が実朝を時政の館へ連れ去ると、その跡をつけて義時に報告。義時が時政の追討を決意するとこれを支持し、時政の首を刎ねるよう進言するが、政子の助命嘆願を聞くと、自害を試みた時政を救い出す。
時政の失脚後、跡を継いだ義時が守護の交代制を画策すると、政子に義時の横暴を伝えて不満を吐露する。後鳥羽から、焼失した閑院内裏の再建費用を出すよう命じられた際には、長老格の和田義盛に不満を吐露する。和田合戦では、義村胤義兄弟や宗政と共に和田軍に加わるが、義村から寝返りの策がある事を知らされると北条方につこうとする。その後、寝返りの疑念を抱いた巴に起請文の灰を飲まされたことで一度は寝返りを取り止めるが、義盛が義村たちの寝返りを容認すると灰を無理やり吐き出した後に北条方につき、実朝を警護する。実朝の造船計画が持ち上がると泰時に頼まれ、陳和卿が設計した唐船建造の現場監督となる。造船に加わると、進捗状況を確認に来た康信に自身の年齢と引退の意志を明かし、引退前の最後の大仕事として張り切って作業に取り組む。しかし、実朝の権威が高まることを恐れる義時の妨害工作により、建造は失敗に終わる。
佐竹義政(さたけ よしまさ)
演:平田広明
常陸の豪族。
甲斐源氏と先祖が同じ常陸源氏でありながら、平家方に与している[* 87]
頼朝が派遣した佐竹討伐軍の一員である上総広常と金砂城の門前にて交渉するが、挑発の言葉を口にしたため斬られる(金砂城の戦い)。
小山朝政(おやま ともまさ)
演:中村敦
下野の豪族・小山政光の長男。義母は頼朝の乳母[注釈 33]
頼朝の鎌倉入り後に家人となる。義母が乳母であることで優遇され、広常に嫉妬される。のちに梶原景時の排斥連判状に署名する[* 62]
長沼宗政(ながぬま むねまさ)
演:清水伸
小山政光の次男。結城朝光の異母兄。
直情型の熱血漢で激高しやすい性格であり、しばしば暴言を吐く。兄貴分の八田知家とともに行動することが多く、知家の引退後は三浦義村と行動を共にする。
花押は無いが梶原景時の排斥連判状に署名している[* 62]
畠山重忠の乱では北条方として参戦するが、重忠が討たれると時政に不信感を抱く。その後、畠山討伐を仕向けたのが稲毛重成と知家から聞かされると彼を捕らえるが、時政が娘婿である重成を見捨てて殺害を命じると激怒する。後鳥羽から、焼失した閑院内裏の再建費用を出すよう命じられると、このことを長老格の和田義盛に相談し、不満を吐露する。
和田合戦では、義村・胤義兄弟や知家と共に和田軍に加わるが、義村から寝返りの策がある事を知らされると北条方につこうとする。その後、寝返りの疑念を抱いた巴に起請文の灰を飲まされたことで一度は寝返りを取り止めるが、義盛が義村たちの寝返りを容認すると、灰を無理やり吐き出した後に北条方につく。
実朝の死後、義時の力が益々強まると、義村とともに朝廷へ接近する。後鳥羽が挙兵した際には、義時追討の院宣を受け取り、これを義村に報告して官軍への加担を相談する。しかし、院宣が自身より後に届けられていたことを知った義村が、突如として義時に院宣の存在を伝えると、鎌倉方として戦に参加。その後も、義村とともに官軍に寝返る機会を窺うが、宇治川で鎌倉方が官軍を圧倒したため、その機会を失う。
承久の乱後、義時から問い詰められると、義村とともに官軍に寝返ろうとしていたことを白状する。
結城朝光(ゆうき ともみつ)
演:高橋侃
小山政光の三男。母は寒河尼。頼朝の烏帽子子。通称は七郎(しちろう)。八田知家の甥。
容姿端麗で、琵琶の名手でもある。
畠山重忠の紹介で実衣に琵琶を教える。三浦義村から梶原景時失脚の計画を持ちかけられるとこれを承諾し、実衣を利用する。
頼家の政について仁田忠常と語る中で「忠臣は二君(じくん)に仕えず」と発言し、景時から死罪を命じられるが、66人の御家人たちが景時排斥を求める連判状に署名したことで死罪を免れ、計画通り景時を失脚させる。義村から報酬を受け取ると身を隠す。

鎌倉の文官[編集]

三善康信(みよし やすのぶ[注釈 4])★
演:小林隆
下級公家。太政官書記。母は源頼朝の乳母の妹[29]。法名は善信(ぜんしん)[注釈 34]
心優しく、温厚な性格の持ち主で、責任感も非常に強い。実務能力が高く、忠実に仕事をこなす。しかし、少々慌てもので、早とちりすることがある。また押しに弱く、物事を頼まれると断れない。和歌の才能はあまりなく、政子の依頼で実朝の歌道の指南役となるが、仲章からは馬鹿にされる。心が折れそうになり指南役の辞退を申し出るが、政子の激励と実朝の信任の厚さに励まされて指南役を続け、以降は実朝の忠実な側近として近侍する。
流人となった頼朝に月に一度書状を送り、都や朝廷の情勢を伝える。以仁王の挙兵の際には、「平家が以仁王の令旨を受け取った全ての源氏を追討しようとしている」という誤った内容の書状を送り、頼朝の挙兵のきっかけを作る。鎌倉入りした頼朝からの要請により、大江広元・中原親能・藤原行政(二階堂行政)を文官に推挙する。その後、平家が都落ちや義仲軍の狼藉についても頼朝に知らせる。
のちに鎌倉に下向し、問注所執事となる。頼朝と義経の間に緊張が走ると、京にいた時の経験から、後白河が頼朝と義経の対立を望んでいることを頼朝に伝える。静御前が捕縛されて鎌倉に移送されてくると、取り調べを行う。富士の巻き狩りの最中に頼朝と頼家が討たれたという報を受けると、鎌倉殿の座に就こうとする範頼を支持し、朝廷へ使者を送る。しかし、この早計な行動によって範頼は頼朝から謀反の疑いをかけられる。頼朝が昏睡状態に陥ると、頼朝の臨終出家を執り行う。
頼家が2代目鎌倉殿となると、頼家の近習たちに訴訟についての指南をする。その後、十三人の合議制の宿老となる。宿老就任後ほどなくして出家するが、その後も出仕を続け、頼家が病に伏せると呪詛道具を所持していた阿野全成を尋問する。頼家が昏睡状態に陥ると、義時の要請を受けて千幡の元服の儀を進める。
実朝が3代目鎌倉殿になった後も宿老の任に留まり、修善寺に幽閉された頼家に挙兵の意志があることを知った際は、先の鎌倉殿であるとして殺害を躊躇う。その後、政子からの依頼で、源仲章と共に実朝の歌道の指南役を務める。牧氏事件の際には、首謀者の時政は旗揚げ以来の大功労者であり、その功労に免じて死一等を減ずべきと主張し、伊豆への流罪で決着させる。和田合戦の際には、自ら鎧を着用し、体を張って実朝を守ろうという意気を示す。また、西相模の御家人たちを和田軍に加勢させぬため、義時と広元が、実朝に御教書へ花押を記すよう迫ると、これにより北条と和田の争いが実朝と和田の争いに形を変えてしまうことを危惧し、苦言を呈する。実朝が唐船の建造を開始し、義時がこれを中止させようと動くと、唐船には実朝の思いがこもっていると政子に訴え、建造を中止させまいと必死に懇願する。浜辺に埋まった唐船を引いた際に腰を患った後は、杖をつきながら出仕を続ける。実朝から、頼家の死の真相を教えるよう迫られると、頼家の身に起こったことを全て話してしまう。その後、実朝が公暁によって暗殺されると深く嘆き悲しむが、広元の叱咤によって立ち直り、事後処理にあたる。
実朝が亡くなったことで、義時が親王の下向を反故にようとすると、朝廷の信用を全て失うとして異を唱える。実衣から、仮の話として阿野時元を鎌倉殿にする方法を問われると、何の疑いも持たずに教えてしまう。また、その出来事を何気なく広元に話す。その後、時元が自害に追い込まれ、実衣にも嫌疑がかかると、広元や泰時とともに実衣の詮議を行う。この際、広元から実衣との会話について問われるが、記憶にないとして否定し、泰時とともに実衣を庇う。その後、証拠が見つかったことで義時が実衣の首を刎ねようとすると、必死に説得を行う。承久の乱の直前には、年齢を重ねたことで執務中に居眠りするようになるが、後鳥羽が挙兵した際には作戦会議に駆け付け、徹底抗戦を主張して義時らを後押しする。
大江広元(おおえ ひろもと[注釈 4])★
演:栗原英雄
幕府の政策を担う官僚。元は朝廷に仕える下級公家。官職は安芸(あきのすけ)[注釈 35]
頭脳明晰且つ冷静な性格の持ち主。坂東武者とは違った立場で動向を観察・分析し、「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」という考えのもと、時に顔色一つ変えず非情な決断を下す。意思が強いため、接待を受けた際にも酒や食事に一切手を着けず頑なに拒む。その一方で、情に熱い一面もある。御家人に対しては、坂東の勇者のおかげで都落ちと嘲笑った公家たちの鼻を明かすことができたと感謝する。文官ながら、武芸にも秀でている。頼朝の存命時は、知恵袋として鎌倉を支える。義時のことは当初から頼りになる人物と評価しており、義時が執権に就任して以降も幾度となく助言を与える。また、政子のことを非常に慕っており、政子が迷い悩んだ際にも、助言や後押しをする。
頼朝の要請で康信の推挙により鎌倉に下向し[30]、頼朝から鎌倉に足りないものは何か見極めるよう頼まれる。頼朝が義仲の勢力拡大を懸念すると、義仲の真偽を確かめるために信濃へ軍勢を送り、人質を出すよう義仲に迫ることを提案する。御家人たちの謀反計画を知ると、これを利用して広常を排除しようと考え、義時を利用して広常をわざと謀反計画に加担させ、その罪を広常一人にかぶせて誅殺する。公文所が設置されると、その別当となる。頼朝と義経の仲が険悪になると、検非違使である義経が鎌倉へ帰れるようにするため、義経を受領にして検非違使の任を解かせるという策を考案する。その後、頼朝の上洛にも随行する。富士の巻狩りの最中に頼朝と頼家が討たれたという報を受けると、真偽を確かめるのが先であると、鎌倉殿の座に就こうとする範頼を制止する。頼朝が無事に鎌倉へ帰還すると、範頼が次の鎌倉殿になろうとしていたことを伝え、範頼が頼朝に対して起請文をしたためると、御家人に等しい立場にありながら「源」の姓を使用していることを咎める。頼朝が昏睡状態に陥ると、頼朝逝去の前に駆け込みで頼家の日本国総守護任命を願い出る。
頼家が2代目鎌倉殿となると、当初は義時から提案された政治体制に難色を示すが、義時の考えを聞くと賛同し、十三人の合議制の宿老となる。義盛から景時排斥を求める連判状が出されると、景時が罪に問われるのは不憫だと考えて頼家に渡すことを拒むが、義盛に詰め寄られたことで最終的に提出する。頼家が病に倒れ、比企能員が阿野全成の呪詛を疑うとこれを義時に報告し、足元をすくわれぬようにと忠告する。頼家が危篤状態になると、中立の立場にいるという理由から、義時の要請で頼家を自身の館に移す。義時が比企一族の討伐を決意するとこれを見抜き、暗に義時を支持する。頼家が息を吹き返し、時政を謀反人として討ち取ろうとすると、御家人たちの総意であるとして頼家に鎌倉から出ていくよう迫る。
実朝が3代目鎌倉殿になった後も頼家が書状を送りつけてくると、謀反の芽に成りかねないとしてこれを拒絶。頼家に挙兵の意志があることを知ると、先の鎌倉殿であっても躊躇せず手を打つよう進言する。頼家が亡くなり、実朝が訴訟の裁きに立ち会うようになると、政の講釈を行う。りくと実衣が実朝の正室を千世と決めると賛同し、難色を示す政子を説得する。同時期、執権となった北条時政が権力をかさに横暴を重ねるようになると、義時を味方に引き入れようと二階堂行政の孫・のえとの縁談を勧める。畠山重忠の討伐後、義時が時政の失脚を決意すると、稲毛重成を捨て石として殺害することで、娘婿を見殺しにした時政に対する御家人たちの不満を増大させることを提案。計画通り、時政が御家人たちの信用を失うと、義時とともに政子を説得し、尼御台の威光によって時政を政から遠ざける。その後、時政が謀反を企むと、梶原・比企・畠山を例に挙げて助命に難色を示すが、最終的には伊豆へ流罪と決める。
時政が失脚すると、跡を継いだ義時とともに新たな政の形を定める。同時期、義盛が実朝に直接上総介への推任を願い出ると、絵にかいた坂東武者は消えゆく存在であるとして、義時に対し暗に義盛の粛清を促す。泉親衡の乱が起こると、裏で後鳥羽が糸を引いていることを瞬時に見抜いて義時に伝え、これを利用して和田一族を討つよう助言する。和田一族が挙兵すると、館を攻められるが何とか抜け出し、御所にある政所に駆け付け頼朝以来の文書や記録を鶴岡八幡宮に移す。さらに、実朝からの要請で、義朝のしゃれこうべを取りに敵がひしめく御所へ戻り、見事任務を果たして帰還する。その後、西相模の御家人たちが和田軍に加勢せぬよう、義時とともに御教書へ花押を記すよう実朝に迫り、これを認めさせる。
目を患った後も出仕を続け、実朝の渡宋計画を続けさせるべきか悩む政子に、実朝の計画を後押しする助言を与えつつ決意を政子に委ね、逃げてはならぬと諭す。実朝が京から養子を迎えて自身は大御所となることを宣言すると、政子の提案ということで賛同し、政子の上洛も後押しする。また、会談相手が藤原兼子であると予測し、政子に談判のコツを授ける。実朝の右大臣拝賀式当日、御所を京へ移すことを実朝に告げられた義時から相談を受けると、鎌倉の流儀として源仲章を殺すよう提案する。実殿と仲章が暗殺されると、三善康信とともに事後処理にあたる。この後、出家する。
空席となった鎌倉殿の座を狙った阿野時元が自害に追い込まれると、その母である実衣の詮議を康信や泰時とともに行う。実衣が謀反の企てを認めると、妹の助命嘆願を行う政子に対し、身内だからこそ厳しく罰するべきだと主張。義時に、耳と鼻を削いでから流罪にしてはどうかと提案する。政子から、外の世界を見たいという相談を受けると、施餓鬼を提案する。同時期、新たな鎌倉殿を下向させる計画が行き詰ると、鎌倉殿の不在が長引けば信頼を損なうことになると義時を諫める。この後、後鳥羽が挙兵し、義時が自身の首を朝廷に差し出そうとすると、政子の依頼で演説原稿を作成する。また、政子の演説によって御家人たちが決起すると、速やかに京へ攻め上るよう、義時や政子に進言する。承久の乱後、廃位させた先帝を復権させる動きが京にて起こると、義時に先帝の殺害を提案する。
中原親能(なかはら ちかよし[注釈 4])★
演:川島潤哉
頼朝を支える官僚。官職は斎院次官(さいいんのすけ)[注釈 35]
鎌倉の文官として実直に政務をこなし、朝廷と鎌倉の繋ぎ役を務めるが、心の内では鎌倉を恐ろしい場所と考えている。乳母夫を務める三幡の死をうけて涙を流すなど、情に厚い面もある。
頼朝からの要請で鎌倉へ下向し、主に外交を担当する。頼朝の使者として度々上洛し、義経が後白河へ拝謁した際にも同道。義経の検非違使任官については、鎌倉殿の任官推挙が無いことを進言する。頼朝が昏睡状態に陥ると、頼家を次の鎌倉殿とするため、朝廷との橋渡しを行う。
頼家が2代目の鎌倉殿となった直後に三左衛門事件が起こると、頼家の命で京へ向かい、暗殺を企てた御家人たちを処罰する。十三人の合議制の宿老となると、書記を務める。頼朝の次女・三幡が若くして亡くなると、乳母夫を務めていたことからその死を深く悲しみ、出家して帰洛する。
その後も鎌倉との関係は絶えず、鎌倉から千幡(源実朝)を次の鎌倉殿に推戴する書状が送られてくると、後鳥羽上皇にこれを手渡す。畠山重忠の乱が起こると、畠山一族は全て滅ぼされたことを後鳥羽に報告する。平賀朝雅が次期鎌倉殿の候補に擁立された際には、話に乗らないよう助言する。朝雅誅殺後は、その妻・きくに京から逃れるよう勧める。
二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)★
(藤原行政 → 二階堂行政)
演:野仲イサオ
頼朝を支える官僚。本姓藤原行政(ふじわら の ゆきまさ)。官職は主計(かずえのじょう)[注釈 35]
口数が少なく、表情一つ変えずに黙々と政務をこなす。秩序や法に厳しく、時に皆を一喝し、厳しい沙汰を進言することも多い。しかし、外孫娘・のえと義時との縁談を進めたあたりから、徐々に権勢欲を見せるようになる。
頼朝からの要請で鎌倉へ下向し、政所で財務を担当する。十三人の合議制の宿老となると、評議を進行する。しかし、のちに宿老たちが全く集まらなくなると、これを一喝する。修善寺に幽閉された頼家に挙兵の意志があることを知り、時政が頼家の殺害を口にすると、頼朝の実子であるとしてこれを躊躇う。執権となった北条時政が権力をかさに横暴を重ねるようになると、義時を味方に引き入れようと外孫娘・のえとの縁談を進める。畠山重忠の乱で政の権限を奪われた時政から、高野山への下知状を内密に記すよう迫られると、これを義時に報告。その後、時政が実朝の更迭を目論み失敗すると、厳罰に処すべきと主張し、流罪を提案する。義時とのえとの間に曾孫・北条政村が誕生すると、いずれ泰時を差し置いて政村を3代執権に就けようと企む。
老齢により宿老を引退し、隠居生活を送るようになってからも権勢欲を捨てず、度々のえの元を訪れては彼女の野心を煽りたてる。のえから義時と泰時が信頼し合っていることを聞くと、政村の烏帽子親である三浦義村に相談するよう助言する。義時によって孫の伊賀光季が京都守護に任じられると歓喜するが、後に光季が後鳥羽の命で官軍に討たれると、のえとともに激怒する。

平家[編集]

平家一門[編集]

平清盛(たいら の きよもり)
演:松平健[注釈 36]
平家の棟梁。武士として初めて太政大臣となったことで[31]相国(へいしょうこく)」、剃髪しているため「清盛入道」と称される。法名は「浄海[注釈 37]
豪胆で狡猾な政治家で、非常に執念深い。戦経験が豊富なことから時勢の変化に敏感であり、当初は頼朝の挙兵を気にも留めていなかったが、反乱が大規模になると次々と対応策を打つ。
平治の乱に勝利した後、敵将・源義朝の長男・義平以外の子息は助命し、頼朝は伊豆へ配流、あとは寺へ入れている[31]。その後は平氏政権を樹立し、大輪田泊の交易(日宋貿易)で莫大な富を手に入れ、朝廷とのつながりで一族を要職に就かせるなど、絶大な力を誇る。後白河法皇とは蜜月の仲だったが、鹿ケ谷の陰謀が露見したことで[31]福原に幽閉し、外孫である安徳天皇を即位させる(治承三年の政変)。
以仁王の挙兵はすぐに鎮圧し、頼朝の挙兵に対しては嫡孫・維盛を総大将とする大規模な追討軍を送り込む。その後、以仁王の挙兵に協力した近江の園城寺や奈良の東大寺を焼き討ちにするが病に倒れ、京の六波羅にある平盛国の館で二位尼や宗盛らに看取られて息を引き取る。享年65。臨終の際、頼朝の首を自身の墓前に供えるよう宗盛に言い遺しており、これが平家滅亡へと繋がることになる。
二位尼(にいのあま)
演:大谷恭子
清盛の妻。宗盛の母。
清盛の臨終の際には宗盛とともに立ち会う[注釈 38]
壇ノ浦の戦いで平家軍が追い詰められると、三種の神器のひとつである宝剣を抱いて入水して自害する。
平宗盛(たいら の むねもり)
演:小泉孝太郎
平清盛の三男[32]で後継者[* 89]の死により家督を相続する[32]
父・清盛に比べて線が細く、武将としての剛毅さに欠ける。家族思いであり、決して愚鈍ではないが、現状認識が甘く、しばしば後手を踏む。亡き兄に対し敬意を持ちつつも、劣等感を感じている。
清盛が頼朝を死罪にせず伊豆へ配流にしたことを気する。頼朝の挙兵を侮って対応が遅れ、鎮圧どころか規模を拡大させると清盛を激怒させる。清盛が死ぬと後継者として平家を守ろうとするが、義仲軍が京に迫ると安徳天皇と三種の神器を擁して都落ちする。その際、後白河も連れて行こうとするが、逃げられる。
その後、一ノ谷の戦いで義経の奇襲によって破れると四国の屋島に渡る。しかし、続く屋島の戦いでも義経軍に敗れ、壇ノ浦の戦いで遂に平家を滅亡させてしまう。自身は壇ノ浦で入水するも失敗して捕らえられる。
検非違使である義経に連れられて鎌倉に赴き、御簾越しの頼朝と対面する。その後、鎌倉内に入れない義経に対し、頼朝宛の書状の代筆を申し出る。義経の取り計らいにより、本来は罪人同士で会うことのできない嫡男・清宗と対面する。その後、京で斬首になる。
平維盛(たいら の これもり)
演:濱正悟
清盛の嫡孫[33]。清盛の嫡男・平重盛の嫡男[33]。官職は少将[注釈 39]
容姿端麗で「光源氏の再来」と称される[* 90]
頼朝追討軍の総大将として大軍を率い鎌倉へ遠征するが、富士川の戦いで水鳥の羽音に総崩れとなり惨敗する。
平知盛(たいら の とももり)
演:岩男海史
宗盛の同母弟。
一ノ谷の戦いでは主力を率い、生田口に着陣して範頼軍と対峙する。
平清宗(たいら の きよむね)
演:島田裕仁
宗盛の嫡男。
壇ノ浦の戦いで父・宗盛とともに捕らえられる。義経の取り計らいにより、罪人同士で本来会うことのできない宗盛と腰越で対面する。

伊豆の官僚[編集]

堤信遠(つつみ のぶとお)
演:吉見一豊
伊豆の権守。山木兼隆の後見役
平清盛から権守に任命されたことを笠に着て、横暴な振る舞いを多々行う。
道ですれ違った義時を泥の中に無理やり跪かせたり、国衙に参上した時政らを恫喝し手土産として持参した野菜を踏みにじって時政の顔に擦り付けたりするなど様々な嫌がらせをしたため、義時や時政の怒りを買う。
頼朝の挙兵の際には兼隆とともに標的となり、堤館に乗り込んだ時政・宗時・義時に討ち取られる。
山木兼隆(やまき かねたか)
演:木原勝利
伊豆の目代。本姓は平兼隆(たいら の かねたか)。
以仁王の挙兵の後に、清盛の義弟・平時忠が伊豆の知行国主となったことから目代に任じられる。時政が野菜を手土産に国衙へ参上したと聞くと、ボヤきつつ嘲笑う。
頼朝の挙兵では最初の標的となり、三島明神大祭当日に山木館にいたところを討ち取られる。
中原知親(なかはら ともちか[注釈 4]
演:森本武晴
伊豆の目代。下田を治める。山木兼隆の縁者。
顔が長く[* 91]、義時や宗時から「馬面」と揶揄される。
兼隆と信遠を討ち取った坂東武者への論功行賞のため、頼朝により領地を召し上げられる。

奥州藤原氏[編集]

藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)
演:田中泯
奥州藤原氏第3代当主。官職は鎮守府将軍[注釈 40]。「奥州の覇者」と称される[34]。源義経からは「御館(みたち)」と呼ばれている。
源氏と平家が争うと両者に味方するという意思を見せて中立の立場を取るなど老獪な面を見せる一方で、情に厚い面も持ち合わせており、義経を実子のように養育する。
平泉を拠点に陸奥出羽を支配し、平家と並ぶ勢力を誇る。京から来た源氏の御曹司である義経を庇護し[34]、頼朝が挙兵すると惜しみながらも義経を送り出す。その後、義経から平家追討の兵を、清盛から頼朝追討の兵を挙げるようにという書状が届くと、自身の協力が無くとも義経は大願を成し遂げるとして、どちらにも「承知した」と返事をする。頼朝と対立した義経が挙兵すると、早まった義経に勝機は無いとして協力を拒む。しかし、頼朝から追われた義経が平泉へ戻ると快く迎え入れ、日本一の英雄となった義経を褒め称える。
義経の帰還後、間もなくして死の床に伏すと、泰衡を新たな御館と定め、国衡・泰衡兄弟の対立を避けるために正妻・とくを国衡の妻とするよう命じる。また、義経を大将軍とし、藤原氏が義経の下で力を合わせるよう言い残す。その後、自らの手で鎌倉を攻め落とせなかったことを後悔しながら亡くなる。享年65。義経が死期を悟ると、霊となってその前に姿を現す。
とく
演:天野眞由美
秀衡の正妻。泰衡の母。
秀衡の遺言により、義理の長男・国衡の妻となる。
藤原国衡(ふじわら の くにひら)
演:平山祐介
秀衡の長男。藤原泰衡の異母兄[* 92]
好戦的な性格であるため弟の泰衡とは仲が悪く、度々衝突する。一方で、義経には協力的である。
頼朝と対立した義経が挙兵すると、頼朝が出陣して手薄となった鎌倉を攻め落とすよう、父・秀衡に進言する。秀衡が亡くなると、その遺言により秀衡の正妻・とくを妻とし、泰衡の義父となる。義時が平泉を訪れると、秀衡の遺言に従って義経の引き渡しを拒み、義時の挑発で挙兵を決意した義経に同調する。
藤原泰衡(ふじわら の やすひら)
演:山本浩司
秀衡の次男で後継者[* 93]
臆病で慎重な性格であるため兄・国衡とは仲が悪く、義理の親子となっても度々衝突する。
父・秀衡が亡くなると、その遺言により新たな御館となる。義時が平泉を訪れると、当初は秀衡の遺言に従って義経の引き渡しを拒む。しかし、義経が挙兵の動きを見せると動揺し、目の前で弟・頼衡を殺されると義時の恫喝に屈する。その後、自ら兵を率いて義経の館を襲撃し、義経の首を鎌倉に届ける。
勝手に義経を討ったという理由で頼朝率いる大軍に攻められると、逃亡中に家人・河田次郎に討ち取られる。享年25。
藤原頼衡(ふじわら の よりひら)
演:川並淳一
秀衡の六男。泰衡の異母弟。
平泉に来た義時の動きを不審に思い、刀を抜いて真意を尋ねたところを善児に殺される。
河田次郎(かわだ じろう)
演:小林博
泰衡の家人。
頼朝軍が迫ると泰衡を裏切って殺し、その首を献上し降伏する。しかし、頼朝から主を裏切ったことを非難され、その場で斬首を命じられる。

朝廷[編集]

天皇・皇族[編集]

後白河法皇(ごしらかわほうおう)
演:西田敏行[注釈 41]
治天の君。「日本一の大天狗(ひのもといちのおおてんぐ)」と称される[* 94]
狡猾な政治家であり、直轄軍を持たない中で自らの威光を保つため、源氏と平家、頼朝・義仲・義経を操り戦わせ翻弄する。朝廷の権力を守りながらも、乱世を楽しむ。大仏の再建に尽力し、開眼を自らの手で行うなど、行動力も持ち合わせる。今様を好み、自身で歌うこともある。脇に毬を挟んで脈を止めるなど、医学的知識も持つ。
天皇在任時に保元の乱で兄・崇徳上皇方を破り、権力を強化する[35]二条天皇へ譲位後、院政を開始する[35]。清盛とは蜜月の仲であったが、間を取り持っていた清盛の義妹・建春門院(演:一木香乃[* 95])が死去すると関係が悪化し[* 96]、鹿ケ谷の陰謀が発覚すると福原に幽閉される(治承三年の政変)。その頃から頼朝の夢枕にたびたび現れ、発破を掛ける。
富士川の戦いで平家軍が大敗すると大いに喜ぶ。清盛自身が頼朝の討伐に動き出すと文覚を呼び寄せ、清盛を呪い殺すよう命じる。清盛が亡くなり宗盛に政権を返上されると、頼朝追討の院宣を平家に与える。
義仲の軍が京に迫ると、都を落ち伸びようとする平家から逃れる。義仲が入京すると、義仲と行家に平家追討と三種の神器の奪還を命じるが、京のしきたりに無知な義仲に失望する。その後、神器が無い中で後鳥羽天皇を即位させる。義仲と行家に西国への出陣を命じると頼朝と接近。頼朝を従五位下に復帰させ、東海道・東山道の軍事支配権も認める。これに怒った義仲が京へ戻ると頼朝に助けを求める。義経の軍が京に迫ると、義仲に法住寺殿を襲撃されて再び幽閉されたため、頼朝追討の院宣を義仲に下す。
範頼・義経の軍によって義仲が討たれると、入京してきた義経と対面。その際、義経を大いに気に入り、一ノ谷の戦いにおいては義経からの提案に乗り、宗盛に源氏との和議を勧めて油断させることで、義経の勝利を手助けする。その後、平家軍を破った恩賞として義経を検非違使に任じ、任官の前祝いとして静御前を遣わす。義経が壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼすと、安徳天皇と三種の神器を奪還できなかったことを不問に処す。また、頼朝と義経を対立させようと考え、義経を京へ留め置こうとする。義経が鎌倉へ帰るために検非違使を返上しようとするも認めず、罪人である平宗盛を鎌倉に護送するという名目での鎌倉行きを許す。
その後、頼朝が義経を伊予守に推任すると検非違使と兼任させ、義経が義朝の追善供養に参加するために鎌倉へ帰ろうとすると、仮病を使ってこれを阻止する。頼朝と義経の対立が決定的となると、義経に頼朝追討の宣旨を与えるが、義経が姿をくらまし頼朝軍が京へ迫ると、義経追討の宣旨を頼朝に与える。上洛した時政と義時にこれらの行為を問い詰められると、義経に脅された故の行為であると責任転嫁し、日本全国に守護・地頭を設置することを容認する。その際、頼朝の伝言を受けた義時から「日本一の大天狗」と罵倒される。京都守護となった時政については、自分に対して全く忖度しない姿勢を気に入り、京に残って欲しいと頼むが断られる。
頼朝が上洛の意思を示すと、未だに頼朝が怒っているのではないかと怯え、平家や義仲、義経を滅ぼしたことを後悔する。また、その苛立ちを平知康にぶつけて京から追放する。頼朝が上洛すると、御所にて2人きりで対面。頼朝を牽制しながらも、頼朝が全国の守護を請け負うことを正式に承認し、後鳥羽天皇の后として大姫を迎えることを約束する。
頼朝との対面からしばらくして死の床に伏すと、後鳥羽に「守り抜かれよ」という遺言を託して崩御する。宝算66。
以仁王(もちひとおう)
演:木村昴
後白河法皇の第三皇子。
清盛により後白河が幽閉されると、打倒平家と後白河の奪還を試みて諸国に挙兵の令旨を送る。しかし、それを清盛に知られて挙兵するも敗れ、奈良に逃れる途中で討たれる(以仁王の挙兵)。
安徳天皇(あんとくてんのう)
演:相澤智咲(幼年期:伊藤光之丞
後白河法皇の第七皇子・高倉天皇の第一皇子。母は清盛の娘・建礼門院[* 97]
清盛の外孫でもあり、清盛により後白河が幽閉されると3歳で天皇に即位する。
義仲率いる討伐軍が都に迫ると、宗盛によって三種の神器とともに都落ちする。一ノ谷、屋島へと逃れ、壇ノ浦の戦いで平家軍が追い詰められると、女官に抱かれて入水する。宝算8。
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
(後鳥羽天皇 → 後鳥羽上皇)
演:尾上松也(幼少期:尾上凛菊井りひと
高倉天皇の第四皇子[* 98]。安徳天皇の異母弟。後白河法皇の孫。
祖父・後白河の才能と気性を受け継ぎ、権謀術数と洞察力に長ける。謀略を一種の遊戯と捉え、まるで遊びを楽しむが如くに様々な策を仕掛ける。慈円からは、「思考が義時と似ている」と称される。多芸多才の趣味人でもあり、刀、弓、蹴鞠、似絵など、常に何かしらの趣味を楽しむ。後白河と同様に実朝の夢枕に現れ、発破を掛ける。
兄・安徳天皇が平家とともに都落ちすると、三種の神器が無いまま4歳で天皇に即位する[* 98]。後白河から遺言を受けると、朝廷を守り抜くことを決意。その後、19歳にして第一皇子(土御門天皇)に譲位し、治天の君として院政を開始する。
頼朝死去の報を受けると、頼朝の死因は飲水の病による落馬と推理する。土御門通親から鎌倉で梶原景時が謹慎処分となったことを伝えられると、景時に京へ来るようにとの書状を送って鎌倉を揺さぶる。
中原親能から千幡(源実朝)を次の鎌倉殿に推戴する書状を受け取ると、慈円の上申を受け、元服する千幡に「京と鎌倉を繋ぐ実(さね)になってほしい」という意味を込めた「実朝」という名を与える。鎌倉から実朝の正室についての願い出があると、時政の考えであると見抜きながらも、自分の従妹である千世を与える。また、実朝が北条に取り込まれぬよう導こうと考え、源仲章を下らせる。さらに、北条の力を削ごうと、仲章に幽閉中の頼家の様子を探らせる。
頼家が亡くなると、朝廷に近い者を執権に就任させるため、仲章を通じて平賀朝雅を焚き付け、千世を出迎えるための使者として上洛した時政の後継者・北条政範を毒殺させる。これがきっかけとなって畠山重忠の乱が勃発し、時政を失脚させることに成功するが、時政の跡を継いだ義時が自分の頭越しに朝雅を誅殺すると激怒。これ以降、義時を不倶戴天の宿敵と見做すようになる。閑院内裏の再建を考えた際には、その費用を鎌倉が出すよう命じ、御家人たちの不満を爆発させる。同時期、仲章を下向させて義時の殺害計画を企てさせ、有力御家人である和田義盛の息子たちを計画に加担させることで鎌倉に揺さぶりをかける(泉親衡の乱)。これにより、和田合戦が勃発すると、義時に対する実朝の不信感を増大させることに成功する。
実朝が朝廷を頼り、義時がこれに対抗するため執権を名乗ると、仲章に命じて宋の技術者・陳和卿を実朝に接近させ、巨大な唐船を完成させることによって実朝の権威が高まることに期待する。また、新たな鎌倉殿を京から迎えるために政子が上洛し、自身の乳母・藤原兼子と会談した際には、政子の付き添いとして御所を訪れた北条時房に身分を隠して接近。時房の蹴鞠の腕前を見て気に入ると、自身の皇子・頼仁親王を次期鎌倉殿として下向させることを約束する。実朝が暗殺されたことで鎌倉殿が不在となると、危険な鎌倉に親王を下向させたくはないが北条の力は抑えたいと考え、義時と政治的な駆け引きを行う。この後、時房が1千騎の兵とともに上洛すると、脅しであることをすぐに見抜き、時房に蹴鞠で勝負む。これにより、時房の技量を認めると、親王の代わりとなる人物を鎌倉へ送ることを承諾し、三寅(のちの藤原頼経)を下向させる。
三寅の下向により、全て義時の思い通りになった現状に不満を募らせる中、源氏の跡目争いが原因で挙兵した源頼茂が仁寿殿や宝物を焼き払った後に自害すると激怒。これにより鎌倉との戦を決意すると、挙兵の下準備として内裏の再建費用を出すよう鎌倉に命じ、義時と御家人たちの分断を謀る。また、大掛かりな呪詛を行うことで御家人たちの動揺を誘うとともに、鎌倉の御家人たちに義時追討の院宣を発する。その後、自身に接近してきた三浦胤義や西面の武士・藤原秀康に命じて京都守護・伊賀光季を討ち取り、義時追討の狼煙を上げる。しかし、政子の演説によって結束した鎌倉軍が宇治川で官軍を撃破し入京すると状況は一変。内裏を訪れた秀康や胤義に出陣を乞われると、当初はこれに応じて御所を出ようとするが、藤原兼子に説得されて後白河の遺言を思い出し、最終的には拒否する。時房と対面した際は、秀康や胤義が勝手にやったこととして罪を免れようとするが、義時の裁定によって隠岐島へ流される(承久の乱)。

朝廷の女性[編集]

丹後局(たんごのつぼね)
演:鈴木京香
後白河法皇の寵妃。
政治感覚に優れ、単に寵妃というだけでなく後白河の秘書的役割を果たし、権勢を持つ。上洛した政子たちを「東夷(あずまえびす)」と呼んで牽制するなど、坂東の者たちに朝廷の実力者としての凄みを見せつける。しかし、都を追われた義仲を「可哀そうなお人」と称するなど、情も持ち合わせる。政子に対しては、大きな力を持つ人物の側に仕えた「似た者同士」だと感じており、迷いを持つ政子に助言を与えたりするなど、厳しさの中にも愛のある発言をする。
後白河の側近・平業房と結婚するが、後白河の幽閉で夫が伊豆に配流となり処刑される[36]。のちに後白河の寵愛を得て、皇女を産む[36]
義仲が後白河に会うため法住寺殿に乗り込んでくると、これを追い返す。義経が鎌倉へ帰るために検非違使の返上を申し入れた際には、義経が戻ってこないことを心配する後白河に対し、罪人である平宗盛を鎌倉に護送するという名目で、検非違使のまま義経の鎌倉行きを許すという策を授ける。
後白河の崩御後も、土御門通親と組んでその権勢を維持する。政子・大姫親子が後鳥羽天皇への入内についての相談に来た際には、彼女たちの見通しの甘さを指摘して叱責する。
後鳥羽が院政を開始すると朝廷から引退して落飾、修行と称してきままな旅を楽しむ。和田合戦後の鎌倉を突如訪れ久しぶりに政子と面会、未だに尼御台としての覚悟が定まらない様子の政子に自身の経験を踏まえつつ厳しい言葉で叱咤激励し、天下人の妻としての自覚を促す。
藤原兼子(ふじわら の かねこ)
演:シルビア・グラブ
後鳥羽上皇の乳母。通称は卿二位(きょうのにい)。
後鳥羽の側近として院政を支える実力者。常に後鳥羽の傍らにあって相談相手を務め、時に献策もする参謀的な存在。交渉力に長けており、高い政治手腕を持つ。基本的に後鳥羽に対して忠実であるが、彼の安全と権威を守るためならあえて意向に逆らい、抑えつける事もある。強気で誇り高く、武士を終始見下している。その一方で、政子のことは会談の折に気に入り、「東大寺の大仏様のよう」と称す。
後鳥羽が実朝の正室に千世を選ぶと、これに尽力。その後、義時が後鳥羽を差し置いて京で大軍勢を動かし、勝手に平賀朝雅を誅殺すると激怒する。後鳥羽が閑院内裏の再建を考えると、その費用を鎌倉の御家人たちに出させるよう提案する。実朝から親王下向の要請があると、後鳥羽の皇子・頼仁親王の養育係を務めていたことから彼の立身出世を目論み、上洛してきた政子と交渉、頼仁を実朝の後継者とする事で話をまとめる。しかし、実朝が暗殺されると、危険な場所に親王は下向させられないという考えから、一転して頼仁の鎌倉行きに猛反対する。
実朝の死後、新たな鎌倉殿の選定を催促するため上洛した北条時房が、後鳥羽との蹴鞠の勝負で勝利しそうになると、すぐに中断して引き分けとし、勝利すれば朝敵の汚名を着せられることになると時房を窘める。後鳥羽が義時討伐の意志を示すと積極的に賛成し、反対論を唱える慈円を追い払う。承久の乱が勃発すると、不利な状況を打開するために後鳥羽自身の出馬を求めた胤義・秀康の策を猛反対し、出馬に動きかけていた後鳥羽を説得して取りやめさせる。
千世(ちよ)
後鳥羽上皇の従妹。源氏将軍家(鎌倉殿)とその妻子を参照。

公家・武士とその一族[編集]

九条兼実(くじょう かねざね)
演:田中直樹
摂関家の実力者。
意志が強く、自分が違和感を感じたことに対しては、相手が法皇であっても暗に苦言を呈す。作法しきたりに疎い田舎侍を下に見ている。
義仲が後白河へ謁見した際には、義仲の無知ぶりを嘲笑う。頼朝・義経兄弟への対応に関しては後白河に振り回されるが、義経の検非違使と国司の兼任や、義経追討の宣旨発布に際しては、後白河への抵抗を言葉の中に滲ませる。上洛した頼朝と対面すると、自身のが後鳥羽天皇入内していることを伝え、大姫入内を画策する頼朝を牽制する。
その後、朝廷の内部に於いて、勢力を強める土御門通親と力関係が逆転し、当初予定されていた頼朝と陳和卿との対面を拒絶される。その後、実権を失うと、弟・慈円に朝廷の繁栄を託す。
慈円(じえん)
演:山寺宏一
兼実の弟。後鳥羽上皇に仕える僧侶。後鳥羽からは「慈円僧正(じえんそうじょう)」と呼ばれる。
学識豊かで弁が立つため、後鳥羽の政治顧問として活躍する一方で、鎌倉とも友好関係を保とうとする。人の本質を見抜き、義時と対面する以前から義時と後鳥羽の思考が似ていることを見抜く。親譲りだという大きい鼻の持ち主で、後鳥羽から鼻を極端に強調した自筆の似絵を渡された際は憤慨して破り捨てる。
夢のお告げをよく見ては後鳥羽に伝えており、3代目の鎌倉殿が壇ノ浦の戦いで失われた宝剣の代わりを果たすため大切にするよう上申する。実朝の正室選定にも関わり、千世を推薦する。同時期、実権を失った兼実から後事を託される。親王を下向させるために政子が上洛すると、会談相手の藤原兼子に談判のコツを授ける。また、鎌倉一の蹴鞠の名手と噂される北条時房と会うことを、後鳥羽に提案する。
実朝が暗殺され、鎌倉殿の座が空席となると、候補として兄・兼実の曾孫であり頼朝の妹の曾孫でもある三寅を推薦し、これを実現させる。その後、自ら鎌倉へ下り、義時と政子にこれを報告する。しかし、これらの行為を自らの政治的野心の為の策略と見た後鳥羽に不信感を持たれる。
後鳥羽が義時を討つ決断を下した際には、鎌倉なしで日の本は収まらないとしてこれを諌めるが、かえって後鳥羽の怒りを買う。その後、義時に対する呪詛を後鳥羽から命じられるが、これを拒否したことで側近の地位を追われる。
三寅(みとら)
演:中村龍太郎(幼少期:越田一央織
兼実の曾孫。頼朝の妹の曾孫でもある。のちの藤原頼経
活発な性格で、政子に懐いている。
曾祖叔父にあたる慈円の推薦と政子・義時の承認により次期鎌倉殿に内定するが幼少であるため、政子が手元で育てつつ鎌倉殿の職務を代行する事となる。頼家や実朝に母親らしい事をしてやれなかった政子に可愛がられる。
義時が鎌倉幕府の第一人者であるのを見せつける狙いもあり、4歳にして着袴の儀を義時の介添えの下に行い次期鎌倉殿としてお披露目される。
平知康(たいら の ともやす)
演:矢柴俊博
後白河法皇の側近。壱岐守平朝親の子[37]の名手で「鼓判官(つづみのほうがん)」と呼ばれる。
立場を追われても何度となく立ち上がる不屈の精神の持ち主。作法しきたりに疎い田舎侍を毛嫌いするが、自分が認めた者には武士であろうと助言を行う。鼓だけでなく、蹴鞠にも優れる。
院御所に乗り込んだ義仲を阻止しようとした際には、渾名である「鼓判官」を揶揄され殴られる。また、義仲が法住寺殿を襲撃すると、防戦の指揮を執るが大敗する(法住寺合戦)。義仲が義経に追討されると、義経の篭絡を図る後白河を手伝う。義経を敗退させた頼朝が勢力を増大させると、この状況に苛立った後白河に八つ当たりされた挙句、責任を押し付けられて都から追放される。
その後、鎌倉に流れ着いて頼家らの蹴鞠指南役となるが、頼家が蹴鞠に逃げることをやめるとお役御免となる。その際、頼家から投げられた鞠を取ろうとして井戸へ落ちるが、頼家や義時、全成によって助けられる。鎌倉を去る直前、時連(時房)には教えることが無いことを伝え、改名を進言する。この際、全成が拾い忘れた頼家呪詛の人形を見つける。
その後、いつの間にか押松と改名して後鳥羽に仕える従者となる。後鳥羽の命で鎌倉に潜入し、密使として義時追討の院宣を三浦義村ら有力御家人に届けるが、義村の密告によって捕えられ、義時の返書を持たされて京へと帰される。
土御門通親(つちみかど みちちか)
演:関智一
朝廷の実力者。
知謀に長けており、後鳥羽とともに鎌倉に揺さぶりをかける。
兼実の追い落としに成功すると、後鳥羽天皇に自分のを入内させ、その娘が産んだ皇子を土御門天皇として即位させる。以降、後鳥羽の後見役にして土御門の外祖父として絶大な権勢を振う。
一条高能ゆかりの御家人たちが自身の暗殺を企てていることを知り、これに対処する(三左衛門事件)。鎌倉で梶原景時が謹慎処分となると、かねてから景時と誼を通じていたとして、後鳥羽に景時の登用を推薦する。
一条高能(いちじょう たかよし)
演:木戸邑弥
一条家の嫡男。頼朝の甥。
大姫の入内計画が一時潰えると、京で勢力を伸ばしていたこともあり、新たな嫁ぎ先として頼朝により鎌倉に呼ばれる。しかし、大姫がすでに亡くなった源義高を未だに許嫁と思っていることに呆れ、帰洛する。
源仲章(みなもと の なかあきら)
演:生田斗真
後鳥羽上皇の側近であり、在京の御家人。
学識豊かで風姿に優れる。謀略に長け、弁舌の才や行動力もある。京と鎌倉を自由に行き来し、後鳥羽の策の実行役として暗躍するが、後鳥羽の手先である事には満足していない。野心家であり、義時の座を虎視眈々と狙う。
西国の御家人を率い、修行中だった阿野全成の息子・頼全の誅殺に立ち会う。実朝が3代目鎌倉殿となると、実朝を手駒にしたい後鳥羽の命で鎌倉に下向。実朝の読書始めの儀式では儒学の講義を行う。また、実衣の命で歌道の指南役に就任し、当代随一の大歌人藤原定家を実朝に紹介する。その後、一度京へ戻ると、後鳥羽の意を受けて京都守護に就任した平賀朝雅に接近、実朝の正室を出迎えるための使者として上洛した義弟・北条政範を毒殺し、執権別当になるよう唆す。
再び鎌倉に下向すると、実朝と藤原定家を結びつける。また、信濃国の御家人泉親衡(いずみ ちかひら)と称して和田義盛の甥・胤長に近付き、義時打倒の謀反を企てさせることで義時と義盛を対立させる。和田合戦が勃発した後も何食わぬ顔で御所への出仕を続け、次期鎌倉殿の候補を後鳥羽と相談のうえ探し出すなど、実朝が義時への不信感を募らせていくのに乗じて自らの権勢を拡大させる。「義時を追い落として親王を鎌倉殿に立て、自身はそれを補佐することで実質的な関白として鎌倉の実権を握る」という野心を剥き出しにし、義時と真向から対立する。その為の手段としてのえに接近し、頼家の死の真相を探ろうとしたことで義時の怒りを買う。
実朝が右大臣拝賀式のために鶴岡八幡宮を参拝する直前、義時の密命を受けたトウに襲撃される。しかし、あらかじめ予測していたため逆にトウを捕え、頼家暗殺の決定的な証拠を掴んだとして義時を恫喝する。また、実朝の許可を得たとして、本来義時の役目であった太刀持ち役を奪い取り、参拝に臨む。だがその直後、実朝・義時の殺害を狙った公暁に、義時と誤認されて斬られ、悪態をつきながらとどめを刺されて絶命する。
藤原秀康(ふじわら の ひでやす)
演:星智也
後鳥羽上皇の側近。西面武士の指揮官。
鎌倉を一月で攻め落とすと豪語する自信家であり、この発言を聞いた後鳥羽から頼りにされる。顔に向こう傷のある魁偉な風貌をしている。強弓の使い手。
源頼茂が挙兵すると、後鳥羽の命でこれを鎮圧。後鳥羽が挙兵を決意すると、城南寺に北面・西面の武士を集めて鍛錬を実施したり、三浦胤義と密談して三浦義村を味方に引き入れようとしたりするなど、下準備を行う。承久の乱では、京都守護である伊賀光季を討ち取るが、圧倒的な兵力で進撃してきた泰時軍に宇治川にて敗北。後鳥羽に出馬を願うため胤義とともに内裏を訪れるが、後鳥羽に拒否される。

文化人[編集]

僧侶[編集]

文覚(もんがく)
演:市川猿之助
神護寺僧侶
強引で押し付けがましく俗臭芬芬で、口八丁手八丁の策士でもある、灰汁の強い怪人物。
出家前は頼朝の父・義朝とともに北面武士として院御所の護衛を務めていたとして、誰とも知れぬ髑髏を「源義朝のしゃれこうべ」と吹聴し、平家打倒を説いて回る。宗時を介して頼朝に迫るも追い返される。
平清盛を呪詛により死去させたことから、後白河法皇の覚えめでたく神護寺の僧となる。呪詛が京で評判となり、頼朝から藤原秀衡の呪詛を依頼されて鎌倉へ下ってくる。しかし、秀衡呪詛の効果はなく、役目を怠ったとして阿野全成に取って代わられたため、反頼朝派の謀議に加わる。その際、「足固めの儀式」という架空の儀式をでっち上げ、万寿(源頼家)や政子を鶴岡八幡宮に呼び寄せる。
勝長寿院での義朝供養の際には、再び義朝のものと称する髑髏を持って頼朝のもとに参上し、頼朝が認めれば義朝の髑髏となるのだと力説し、ついにこれを認めさせる。
頼朝の死後、京にて土御門通親の暗殺を企てた罪で捕縛される。鎌倉への引き渡しを朝廷に訴えるが叶わず、後鳥羽の命で隠岐へ配流となる(三左衛門事件)。
配流先で死んだと思われていたが、同じく隠岐へ配流される後鳥羽の前に護送する役人の一人として突如出現する。怨み言を言いながら後鳥羽の頭に齧り付くが、その姿は後鳥羽にしか見えていなかった[注釈 42]
文陽房覚淵(もんようぼう かくえん)
演:諏訪太朗
伊豆山権現社の長。
頼朝の挙兵の際には、政子らを寺女として匿う。また、千鶴丸に会うため訪れた八重には事の顛末を伝える。
若い僧侶
演:坂東駿[* 99]
伊豆山権現社の僧侶。
匿われていたりくに声を掛けられる。
土佐坊昌俊(とさのぼう しょうしゅん)
演:村上和成
僧兵。元は興福寺の僧侶。
里に依頼され、京にある義経の宿舎を襲撃する。
住職
演:緒方賢一
願成就院の住職。
運慶の作った本尊を見に来た時政・義時・時連(時房)を迎え入れる。
僧侶
演:野崎亨類[* 100]
公暁の門弟。

仏師・技師・医師[編集]

運慶(うんけい)
演:相島一之
仏師奈良の仏師・康慶の息子[38]
誰に対しても軽口を叩く気さくな性格だが、身分に関係なく依頼者と製作者の関係以上の深入りをしない。それでいて関わった人物の風貌や人柄を鋭く観察し、その本質を的確に見抜くなど洞察力に長ける。飲酒を好むが、仏の前では酒を飲まないという、仏師としての信念を持つ。義時が執権となった頃には、弟子たちによる工房制作で数多くの依頼をこなす[注釈 43]
時政に依頼され、願成就院の本尊・阿弥陀如来像を製作する。義時とはこの完成披露の場で出会い、15年後、仏像を修復していた和田義盛の館で再会する。その際、「悪い顔になった」としつつ、自分の生き方に迷いを残した救いのある「いい顔」とも指摘。いつか義時のために仏像を造りたいと告げる。しかし、執権となった義時が建立する薬師堂の戌神像を引き渡した時には、気の毒が先に立って話題にしないよう努めるほどの悪い顔になったと発言する。
実朝暗殺の後、自分の顔に似せた仏像を造るよう義時から命じられると、迷いのないつまらない顔となった義時に興味はないと一旦は断るが、義時から「お前は俗物だ」とその本性を喝破され、だからこそその仏像が人の心を打つと評価されたことで[注釈 44]、「神仏と一体となった像」を弟子たちの手を借りずひとりで造ることを引き受ける。承久の乱の終結後、「今のおまえに、瓜二つ」として異形の像を引き渡したことから義時を激怒させるが、殺すまでもないとして放逐される。
陳和卿(ちん なけい)
演:テイ龍進
の技術者。
東大寺の再建供養式典の際、頼朝は神仏から見放されているとして面会を拒否する。
実朝の代になると仲章の手引きで鎌倉を訪れ、実朝が見た夢を利用して彼に取り入り、渡宋を決断させる。その後、実朝に命じられて大船を設計するが、義時による妨害工作で図面が書き換えられたことに気付かないまま造船を進めてしまい、計画は失敗する。
医者
演:春海四方
頼朝の典医
落馬して意識不明となった頼朝を診察する。
医者
演:黒板七郎
京の医者。
饗応役の平賀朝雅に薬物を渡す。

市井の人物[編集]

歩き巫女(あるきみこ)
演:大竹しのぶ
鎌倉に住む巫女
気迫ある物腰の白髪の老婆。あちこちで天幕を張り、その中で占いやまじないをしながら暮らす。出会った瞬間にその人の本質を見抜き、的確な助言を与える。肘が顎に付くか訪ねるなど、お茶目な一面も持つ。
和田義盛の館の庭の一隅に天幕を張っていた際、身分を隠して天幕を訪れた実朝を占い、雪の日に災いに遭遇するので気を付けるようにと忠告する。
和田合戦の直前には永福寺に天幕を張っており、千世とともに訪れた実朝に、「鎌倉が火の海になり、由比ヶ浜に髭面の首が並ぶ」という予言を伝える。
実朝の右大臣拝賀式では、鶴岡八幡宮に迷い込み、実朝に「天命に逆らうな」と告げる。この言葉を信じた実朝は、抵抗せずに公暁に討ち取られるが、その直後、北条朝時の口から「昔はよく当たる歩き巫女で有名だったが、現在は誰彼構わず『天命に逆らうな』しか言わない」という事実が明かされる。
権三(ごんぞう)
演:竹内まなぶ
安房の漁師。亀の夫。
頼朝から妻を取り返すため宿舎を襲撃するも、そこで長狭常伴と鉢合わせて乱闘となる[注釈 45]
藤平太(とうへいた)
演:大津尋葵
相模腰越の村人。
腰越にて奥州から来た義経一行と出会い、里芋煮を振る舞う。
のちに、鎌倉入りできず腰越に留め置かれた義経と再会し、返礼として荷車一杯の里芋を与えられる。
小六(ころく)
演:中村大輝
摂津の狩人。
一ノ谷に進軍するため山中を偵察していた義経らに、鵯越鉢伏山周辺の案内をする。
五藤太(ごとうた)
演:藤田健彦
伊豆修善寺の村人。トウの父。
妻(演:山田里奈)と共に農業に勤しむが、源範頼暗殺の巻き添えとなり、善児に妻ともども殺害される。
サツキ
演:磯山さやか
伊豆の村の女性。
若くて可愛く、気立てがよい[注釈 46]
時政が蟄居する館の近所に住み、時政のもとに通って世話をする。時政との関係は良好であり、泰時も彼女のことを「祖父のことをとても気遣ってくれた」と称している。
ウメ
演:石川萌香
鎌倉の百姓。
政子の意向で行われた施餓鬼にて、尼御台が坂東の女の憧れであることを政子に伝え、息子・実朝を亡くした彼女を励ます。
野武士
演:慈五郎
駿河にて義経一行と遭遇する武士。
獲物を巡って口論となり、義経に射殺される。
代官
演:沖田裕樹
伊豆の代官。
百姓らに証文を掲げ、貸した米を返すよう迫る。
百姓
演:田村泰二郎 / 比佐仁
伊豆の百姓。
領地を訪れた頼時(泰時)に、借りた米が凶作で返せないことを訴える。
百姓
演:細川唯 / 関塚まいこ / 南一恵 / 西岡野人 / 高橋克明
鎌倉の百姓。
政子の意向で行われた施餓鬼にて、自分たちの身に起こった不幸を話し、実朝を亡くした政子を励ます。

特別出演[編集]

侍女
演:長澤まさみ[* 101]
大倉御所に仕える侍女[注釈 47]
出仕した義時とすれ違い、視聴者に語り掛ける演出となった。
徳川家康(とくがわ いえやす)
演:松本潤 
最終回の冒頭に出演。後の江戸幕府初代征夷大将軍で、次作の大河ドラマ『どうする家康』の主人公。『吾妻鏡』の愛読者。
永禄7年(1564年)、ようやく三河国を平定し、居城・岡崎城でくつろぎながら『吾妻鏡』を読む。承久の乱のくだりに胸をときめかせるが、誤って飲んでいたお茶をこぼしてしまいあたふたする。

スタッフ[編集]

鎌倉殿の13人紀行[編集]

放送[編集]

放送時間[編集]

総合テレビでの放送分はNHKプラスで同時配信され、放送後7日間は見逃し視聴が可能。

放送日程[編集]

  • 初回と最終回は15分拡大。
  • 第18回は本編の放送時間を45分に拡大(「紀行」コーナーを別日時で放送[* 102][* 103]。BS4Kでは放送時間を46分に拡大し、「紀行」コーナーも同時放送[* 104][* 105]。)。
放送回 放送日 サブタイトル 演出 紀行 地上波視聴率
01回 01月09日 大いなる小競り合い 吉田照幸 鶴岡八幡宮神奈川県鎌倉市
史跡 北条氏邸跡静岡県伊豆の国市
17.3%[* 106]
02回 01月16日 佐殿の腹 音無神社(静岡県伊東市
蛭ヶ島公園(静岡県伊豆の国市)
14.7%[* 106]
03回 01月23日 挙兵は慎重に 末永創 総本山園城寺滋賀県大津市 16.2%[* 106]
04回 01月30日 矢のゆくえ 三嶋大社(静岡県三島市
香山寺(静岡県伊豆の国市)
15.4%[* 106]
05回 02月06日 兄との約束 吉田照幸 石橋山古戦場(神奈川県小田原市
伊豆山神社(静岡県熱海市
13.4%[* 106]
06回 02月13日 悪い知らせ 保坂慶太 しとどの窟(神奈川県湯河原町
源頼朝船出の浜(神奈川県真鶴町
13.7%[* 106]
07回 02月20日 敵か、あるいは 末永創 玉前神社千葉県一宮町
千葉神社(千葉県千葉市
14.4%[* 106]
08回 02月27日 いざ、鎌倉 吉田照幸 寿福寺(神奈川県鎌倉市) 13.7%[* 106]
09回 03月06日 決戦前夜 保坂慶太 横割八幡宮(静岡県富士市
八幡神社(静岡県清水町
14.0%[* 106]
第10回 03月13日 根拠なき自信 安藤大佑 西金砂神社茨城県常陸太田市 13.6%[* 106]
第11回 03月20日 許されざる嘘 吉田照幸 三十三間堂京都府京都市 13.5%[* 106]
第12回 03月27日 亀の前事件 末永創 正法寺埼玉県東松山市
妙本寺(神奈川県鎌倉市)
13.1%[* 106]
第13回 04月03日 幼なじみの絆 吉田照幸 豆塚神社(静岡県伊豆の国市)
最誓寺(静岡県伊東市)
12.9%[* 106]
第14回 04月10日 都の義仲 安藤大佑 俱利伽羅古戦場(富山県小矢部市
俱利伽羅神社石川県津幡町
12.1%[* 106]
第15回 04月17日 足固めの儀式 保坂慶太 十二所果樹園(神奈川県鎌倉市)
上総介塔(神奈川県横浜市
12.9%[* 106]
第16回 04月24日 伝説の幕開け 末永創 義仲寺滋賀県大津市 12.9%[* 106]
第17回 05月01日 助命と宿命 吉田照幸 清水八幡宮(埼玉県狭山市
常楽寺(神奈川県鎌倉市)
12.5%[* 106]
第18回 05月08日 壇ノ浦で舞った男 赤間神宮山口県下関市 12.7%[* 106]
第19回 05月15日 果たせぬ凱旋 安藤大佑 若宮八幡宮(京都府京都市)
吉野山奈良県吉野町
13.2%[* 106]
第20回 05月22日 帰ってきた義経 保坂慶太 高館義経堂岩手県平泉町
接待館遺跡(岩手県奥州市
12.8%[* 106]
第21回 05月29日 仏の眼差し 末永創 願成就院(静岡県伊豆の国市) 13.2%[* 106]
第22回 06月05日 義時の生きる道 中泉慧 東大寺(奈良県奈良市
法住寺(京都府京都市)
12.9%[* 106]
第23回 06月12日 狩りと獲物 吉田照幸 頼朝の井戸の森(静岡県裾野市
曽我の隠れ岩(静岡県富士宮市
13.3%[* 106]
第24回 06月19日 変わらぬ人 安藤大佑 源範頼の墓(静岡県伊豆市 12.0%[* 106]
第25回 06月26日 天が望んだ男 吉田照幸 旧相模川橋脚(神奈川県茅ヶ崎市 12.2%[* 106]
第26回 07月03日 悲しむ前に 保坂慶太 源頼朝の墓(神奈川県鎌倉市) 12.9%[* 106]
第27回 07月17日 鎌倉殿と十三人 末永創 永福寺跡(神奈川県鎌倉市) 11.7%[* 106]
第28回 07月24日 名刀の主 安藤大佑 梶原景時館址(神奈川県寒川町
清見寺(静岡県静岡市
建長寺(神奈川県鎌倉市)
12.9%[* 106]
第29回 07月31日 ままならぬ玉 中泉慧 三浦義澄の墓(神奈川県横須賀市 11.9%[* 106]
第30回 08月07日 全成の確率 吉田照幸 大六天の森栃木県益子町
大泉寺(静岡県沼津市
11.4%[* 106]
第31回 08月14日 諦めの悪い男 保坂慶太 妙本寺(神奈川県鎌倉市) 12.1%[* 106]
第32回 08月21日 災いの種 吉田照幸 極楽寺(神奈川県鎌倉市) 11.8%[* 106]
第33回 08月28日 修善寺 末永創 源頼家の墓(静岡県伊豆市) 10.2%[* 106]
第34回 09月04日 理想の結婚 中泉慧 六角堂(頂法寺)(京都府京都市)
小野城跡(三重県亀山市
11.9%[* 106]
第35回 09月11日 苦い盃 保坂慶太 畠山重忠公史跡公園(埼玉県深谷市
菅谷館跡(埼玉県嵐山町
11.2%[* 106]
第36回 09月18日 武士の鑑 末永創 畠山重忠公碑(神奈川県横浜市) 12.4%[* 106]
第37回 09月25日 オンベレブンビンバ 小林直毅 円覚寺(神奈川県鎌倉市) 12.6%[* 106]
第38回 10月02日 時を継ぐ者 吉田照幸 願成就院(静岡県伊豆の国市) 11.7%[* 106]
第39回 10月16日 穏やかな一日 保坂慶太 十国峠・源実朝の歌碑(静岡県熱海市)
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
12.0%[* 106]
第40回 10月23日 罠と罠 中泉慧 光念寺(神奈川県三浦市
正行院(神奈川県横須賀市)
11.3%[* 106]
第41回 10月30日 義盛、お前に罪はない 吉田照幸 和田塚(神奈川県鎌倉市)
善栄寺(神奈川県小田原市)
11.3%[* 106]
第42回 11月06日 夢のゆくえ 末永創 船玉神社(神奈川県藤沢市
実朝歌碑(神奈川県鎌倉市)
11.3%[* 106]
第43回 11月13日 資格と死角 吉田照幸
松本仁志
明王院(神奈川県鎌倉市) 11.5%[* 106]
第44回 11月20日 審判の日 保坂慶太 覚園寺(神奈川県鎌倉市) 11.0%[* 106]
第45回 11月27日 八幡宮の階段 安藤大佑 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
源実朝公御首塚(神奈川県秦野市
06.2%[* 106][注釈 49]
第46回 12月04日 将軍になった女 末永創 多摩川浅間神社東京都大田区
雲林寺(神奈川県横浜市)
安養院(神奈川県鎌倉市)
11.3%[* 106]
第47回 12月11日 ある朝敵、ある演説 吉田照幸
谷口尊洋
聖福寺福岡県福岡市
名超寺(滋賀県長浜市
11.9%[* 106]
最終回 12月18日 報いの時 吉田照幸 北条小町邸跡(神奈川県鎌倉市)
北条義時の墓(神奈川県鎌倉市)[注釈 50]
14.8%[* 106]
平均視聴率 12.7%(視聴率ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)

放送時間変更・休止[編集]

総合テレビ・再放送枠における放送休止など[編集]

再放送枠以外での再放送[編集]

  • 1月23日(日曜日)の13時05分 - 14時50分に総合テレビで初回と第2回を連続再放送。
  • ミッドナイトチャンネル・深夜のイッキ見!」編成の一環としてのキャッチアップ放送として、2月17日(16日深夜)と18日(17日深夜)に総合テレビで第1回から第6回までを集中再放送。また7月10日分の放送休止に合わせて、7月16日(15日深夜)から18日(17日深夜)に総合テレビで第18回から第25回までを一挙再放送[* 108]。これらの再放送はNHKプラスで同時配信され、放送後7日間は見逃し視聴が可能となる。

ダイジェスト[編集]

1か月分の放送をダイジェストにした「20分でわかる!『鎌倉殿の13人』」を放送。ナレーターは木村昴。放送内容は前後編に分けてNHKの公式YouTubeでも公開。

また、各回のダイジェストの初回放送時はそれまでの放送分も合わせて放送される。これらの放送はNHKプラスで同時配信され、放送後7日間は見逃し視聴が可能となる。

放送回 初回放送日 放送時間 本編回
01月ダイジェスト 02月06日(5日深夜) 01時31分 - 01時51分 01回 - 第04回
02月ダイジェスト 03月05日(4日深夜) 02時45分 - 03時05分 05回 - 第08回
03月ダイジェスト 04月03日(2日深夜) 00時10分 - 00時30分 09回 - 第12回
04月ダイジェスト 05月02日(1日深夜) 02時55分 - 03時16分 第13回 - 第17回

総集編[編集]

2022年12月29日に総合で、12月31日と1月2日にBS4Kで放送(4部構成)。

放送回 放送時間(総合) 放送時間(BS4K) 放送時間(BS4K) 本編回
第一章 13時05分 - 14時15分 23時45分 - 00時55分 08時00分 - 09時10分 01回 - 第13回
第二章 14時15分 - 15時20分 00時55分 - 02時00分 09時10分 - 10時15分 第14回 - 第23回
第三章 15時25分 - 16時31分 02時00分 - 03時06分 10時15分 - 11時21分 第24回 - 第36回
最終章 16時31分 - 17時40分 03時06分 - 04時15分 11時21分 - 12時30分 第37回 - 第48回

関連番組[編集]

  • ラジオ深夜便 〜もっと、鎌倉殿の13人〜(2022年1月1日、NHKラジオ第1NHK-FM
  • 鎌倉殿サミット2022 〜源頼朝 死をめぐるミステリー 日本史上の大転換点〜(2022年1月2日、NHK BSプレミアム・NHK BS4K)
  • チコちゃんに叱られる! 新春拡大版スペシャル! 鎌倉殿の13人が見たい!(2022年1月2日、NHK総合)
  • 北条ファミリーが語る!『鎌倉殿の13人』放送直前SP(2022年1月3日、NHK総合)
  • 50ボイス「鎌倉殿の13人」(2022年1月3日、NHK総合) - 司会は小池栄子。
  • 英雄たちの選択(NHK BSプレミアム)
    • 北条義時・チーム鎌倉の逆襲(2022年1月5日)
    • 頼朝暗殺未遂!? 曽我兄弟敵討ち事件の深層(2022年6月8日)
    • 鎌倉殿暗殺!源実朝 禁断の政治構想(2022年10月5日)
  • 歴史探偵(NHK総合) - 所長(司会)は佐藤二朗。
    • 「武士の都・鎌倉」(2022年1月12日)
    • 「ヒーロー 源義経」(2022年4月27日) - ゲスト出演は迫田孝也。
    • 「源平合戦 壇の浦の戦い」(2022年5月4日)
    • 「北条政子」(2022年6月15日) - VTR出演は小池栄子。
    • 「鎌倉バトルロイヤル」(2022年7月20日) - ゲスト出演は山本耕史。
    • 「3代将軍 源実朝」(2022年10月12日) - ゲスト出演は柿澤勇人。
    • 「後鳥羽上皇と承久の乱」(2022年11月2日)
  • 日本人のおなまえ「山本耕史&中川大志も初耳!『鎌倉殿の13人』SP」(2022年1月27日、NHK総合)[* 110]
  • 鎌倉DAYS(2022年1月29日、NHK総合)[* 111]
    • 「鎌倉LOVEの13人」※全4部(① 9:30-10:00、② 10:50-10:55、③ 11:22-11:24、④ 11:49-11:54)
    • 「走れ!鎌倉」(11:24-11:49)
  • チャリダー★快汗!サイクルクリニック "鎌倉殿の13人"スペシャル(2022年1月29日、NHK BS1[* 112]
  • たっぷり関東NHK「食べる!鎌倉"文学"」(2022年1月30日、NHK総合〈関東1都6県〉)[* 113]
  • プロフェッショナル 仕事の流儀「小栗旬スペシャル」(2022年5月3日、NHK総合)
  • 義経のスマホ(2022年5月24日 - 6月3日、NHK総合)
  • 新・にっぽんの芸能「坂東彌十郎と見る「鎌倉殿」と歌舞伎」(2022年5月27日、Eテレ
  • 100カメ「鎌倉殿の13人」(2022年6月14日、NHK総合)[* 114]
  • 「鎌倉殿の13人」応援感謝!ウラ話トークSP〜そしてクライマックスへ〜(2022年10月9日、NHK総合)
    • ディープバージョン(2022年10月17日、NHK総合) - 60分拡大版。
  • 先人たちの底力 知恵泉(NHK総合) - ゲスト出演は坂東彌十郎。
    • 「イノベーション! 誕生 御成敗式目 北条泰時」(2022年11月22日)
    • 「クライシス!日本“元寇”北条時宗の光と影」(2022年11月29日)
  • 鎌倉殿の13人 〜オープニング13の秘密〜(2022年12月11日、NHK総合)
  • 三谷幸喜の言葉 〜『鎌倉殿の13人』の作り方〜(2022年12月17日、NHK総合)
  • グランドフィナーレ〜『鎌倉殿』の最後の一日(2022年12月27日、NHK総合)

反響・評価[編集]

  • 2022年1月9日の初回放送当日に行われたトーク&パブリックビューイングイベント「グランド・プレミアin伊豆の国」の観覧には1万2000通を超える応募があり、倍率は約40倍となった[* 115]
  • 第一回のBSプレミアムの放送をうけ、Twitterでは「#鎌倉殿の13人」のタグを使用したツイートがTwitterトレンド世界1位となり[* 116]、その後も36話まで21話連続でトレンド世界1位となった[* 117]。最終的に、48回中42回で世界トレンド1位を獲得した[* 48]
  • 出演者を招くトークショーが各地で積極的に行われた。中でも、12月7日にNHKホールで行われたファンミーティングの観覧には4万通超の応募があり、オンライン視聴からも2万5000人が参加[* 118]。オンライン配信では一時繋がりにくい状態となり、NHKは視聴者に謝罪した[* 118]
  • 主演を務める小栗が、撮影の際、流行中の新型コロナウイルス感染予防のため着けていたマスクに様々なメッセージを書いていたことが話題となった[* 119]。中でも、ドラマの展開を踏まえた「全部大泉のせい」はSNS上でも話題となり、イー・ガーディアンが主催する「SNS流行語大賞2022」にノミネートされた[* 120]。また、「テレビ・映画部門」での部門賞を「鎌倉殿の13人」が受賞した[* 121]
  • 2022年11月30日に発表された「GQ メン・オブ・ザ・イヤー2022」の「メン・オブ・ザ・イヤー・ベスト・アクター賞」に、大泉洋が選ばれた(他作品での活動も合わせて)[* 122]
  • 脚本を担当した三谷幸喜が「第七十回菊池寛賞」を受賞し、2022年12月2日に行われた贈呈式に出席した[* 123]
  • 2022年12月5日に発表された「Yahoo!検索大賞2022」の作品カテゴリー・ドラマ部門で、「鎌倉殿の13人」が1位となった[* 124]
  • 2022年12月18日の最終回当日に行われたトーク&パブリックビューイングイベント「グランドフィナーレ」の観覧には約7万通の応募があり、134倍の倍率を突破した1030人が参加した[* 125]
  • 2023年1月10日、鶴岡八幡宮境内に開設された「大河ドラマ館」の来場者が、31万5011人にのぼったと発表された[* 126]。また、同年1月15日、韮山時代劇場に開設された「大河ドラマ館」の来場者が、目標の10万人を大幅に上回る19万5838人だったことが発表された[* 127]
  • 2023年1月20日、「2022年12月度ギャラクシー賞月間賞」が発表され、「鎌倉殿の13人」が受賞した。大河ドラマのギャラクシー賞月間賞は「いだてん~東京オリムピック噺~」以来3年ぶり[* 128]

ドラマ舞台地の誘致運動・反応[編集]

2022年1月9日の初回放送当日は、18時から19時のBSプレミアム・BS4Kでの先行放送に併せて、ドラマの中心となる北条一族始まりの地・伊豆の国市の長岡総合会館(アクシスかつらぎ)にて、主要出演者6人(小栗、大泉、小池、片岡、坂東、宮澤)をゲストに、第1回を見ながらトークを繰り広げるパブリックビューイングイベント「グランド・プレミアin伊豆の国」が開催された[* 129]。この模様は沼津、三島、伊豆、函南の4市町にもオンラインで同時生中継され、沼津には新納、三島には野添、伊豆には米本、函南には高岸が現地ゲストとして出席した[* 130]。5カ所でのパブリックビューイングは、過去の大河ドラマで最大規模であった[* 131]

放映に合わせ、ゆかりの地に大河ドラマ館が開設された。

この年の選抜高校野球や、夏の甲子園にてドラマのメインテーマが地元伊豆の日大三島大阪桐蔭が応援歌としてアルプススタンドで演奏した[* 134][* 135]

伊豆箱根鉄道では、駿豆線3000系電車3009編成(3両)に本作をPRするラッピングを施し、2022年1月9日より運行している[* 136]

NHK横浜放送局では2022年前期の連続テレビ小説『ちむどんどん』とコラボのポスターなどが展開された[* 137]

2022年12月18日の最終回当日は、18時から19時のBSプレミアム・BS4Kでの先行放送に併せて、鎌倉市の鎌倉女子大学岩瀬キャンパス松本講堂で、主要出演者6人(小栗、小池、坂口、宮澤エマ、宮沢りえ、山本)をゲストに、最終回を見ながらトークを繰り広げるパブリックビューイングイベント「グランドフィナーレ」が開催された[* 138]。この模様はNHK札幌名古屋京都大分の全国4放送局のスタジオにもオンラインで同時生中継され、うち札幌には金子と山本、京都には栗原が現地ゲストとしてそれぞれパブリックビューイング前のイベントに出席した[* 139]。これらの様子は編集された上で、12月27日午後10時55分より放送された。

関連商品[編集]

サウンドトラック[編集]

  • 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 オリジナル・サウンドトラックVol.1(2022年2月9日発売、SMJ、EAN:4547366540970)
  • 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 オリジナル・サウンドトラックVol.2(2022年7月6日発売、SMJ、EAN:4547366562835)
  • 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 オリジナル・サウンドトラックVol.3(2022年11月9日発売、SMJ、EAN:4547366581911)
  • 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 オリジナル・サウンドトラックThe Best(2022年12月21日発売、SMJ、EAN:4547366587166)
  • 大河ドラマ 鎌倉殿の13人 オリジナル・サウンドトラック完全盤(2022年12月21日発売、SMJ、EAN:4547366587173)

書籍[編集]

公式ガイドブック
  • NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人(NHK出版
    • 前編(2021年12月25日発売、ISBN 978-4-14-923389-5
    • 後編(2022年5月27日発売、ISBN 978-4-14-923390-1
    • 完結編(2022年10月7日発売、ISBN 978-4-14-923391-8
  • NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 鎌倉殿の13人 北条義時とその時代(NHK出版、2021年11月30日発売、ISBN 978-4-14-911053-0
ガイドブック

DVD/BD[編集]

  • NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全版 第壱集 BOX(第1回 - 第11回、2022年7月22日発売)
  • NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全版 第弐集 BOX(第12回 - 第22回、2022年11月25日発売)
  • NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全版 第参集 BOX(第23回 - 第33回、2023年1月27日発売)
  • NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全版 第四集 BOX(第34回 - 第48回、2023年3月24日発売予定)
  • NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」総集編 (発売日未定)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 脚本の三谷幸喜は「これが原作のつもりで書いている」とコメントしている[* 9]
  2. ^ 辻は2021年8月18日に死去した[* 26]。辻が演じた映像の一部は、2022年10月9日放送の特番「『鎌倉殿の13人』応援感謝!ウラ話トークSP〜そしてクライマックスへ〜」内で公開された[* 27]
  3. ^ 前作『青天を衝け』のタイトルバックの尺は2分50秒、20年『麒麟がくる』は2分42秒。
  4. ^ a b c d e 苗字ではなくの場合、藤原と同じく氏と名前の間に「」を入れて読む(例:三善康信〈みよし やすのぶ〉)。劇中では「の」を入れているが、公式サイトやガイドブック等では入れない形となっている。
  5. ^ クレジット上は一貫して「北条義時」。
  6. ^ 最終回(第48回)で、かつて三浦義村が言った"口からでまかせ"をずっと信じていたことに由来する、と描写されている。義村本人から真相を聞かされた義時は、呆然として「早く言ってほしかった」と話している。
  7. ^ 史実では泰時生母は「阿波局」という御所の女房とされており、生没年や出自などの詳細は不詳。本作では歴史考証担当の坂井孝一による「阿波局と八重は同一人物」という仮説を採用している[4]
  8. ^ 第18回放送より。
  9. ^ 第23回放送より。
  10. ^ 第32回放送。ナレーションより。
  11. ^ 義時が、独特の女性観(先述)を泰時に伝えたことに因る。この時点で義時は「三浦義村の"口からでまかせ"」とは知る由もなく、失敗に終わったことを知り驚いている。
  12. ^ 第1回放送。3人目の妻を迎える北条時政の報告に対し、北条義時が「鶴義母上(つる ははうえ)が亡くなられてまだ間もない…」と返している。
  13. ^ a b c 第1回放送。回想シーンより。
  14. ^ 第9回放送。この時点では異母弟・阿野全成とすでに再会しており、第8回放送で頼朝が義時に紹介している。
  15. ^ 第48回放送。政子の台詞より。
  16. ^ 第42回放送。当初、義時から説得された政子は御家人たちとともに建造に反対し、これを受けた実朝は唐船の建造を中止を決断する。しかし、北条泰時や三善康信から実朝の計画を続けさせるよう懇願されて悩んだ政子が、大江広元の助言を受けて決意を固めると、次の場面では船の建造が進んでいる。
  17. ^ 第44回放送。実朝の台詞より。
  18. ^ 第7回放送。初登場時の紹介より。
  19. ^ 第11回放送。ナレーションより。
  20. ^ この時義経が立てていた作戦は、1333年新田義貞が鎌倉を陥落させたときの作戦と同じである。
  21. ^ 第16回放送。後白河法皇らは院御所を脱出しておらず、裏手に隠れている。
  22. ^ 第13回放送より。
  23. ^ a b 第19回放送。ナレーションより。
  24. ^ 平賀氏は甲斐源氏武田氏と同じ源義光を祖にもつ一族で、朝雅は義光の曾孫にあたる。
  25. ^ 第2回放送より。
  26. ^ 第17回放送。工藤祐経の台詞より。
  27. ^ a b 第22回放送。曽我十郎・五郎の台詞より。
  28. ^ 第15回放送。岡崎義実の台詞より。
  29. ^ 第10回放送より。
  30. ^ 第16回放送より。
  31. ^ a b 二役。
  32. ^ 秀義の孫には佐々木善住という医師がいたとされるが[* 81][25]、『日本医譜』では佐々木善住は秀義11世孫の室町時代の人物とされており、配役上は明言されていない。
  33. ^ 第12回放送。初登場時の紹介より。
  34. ^ 第35回放送。三善康信の台詞より。
  35. ^ a b c 第12回放送。初登場時の紹介より。
  36. ^ 松平は1979年放送の大河ドラマ『草燃える』において、本作の主人公である北条義時役を演じた[31]。また、1992年放送のTBS大型時代劇スペシャル平清盛』(TBS)では本作と同役で主演を務めている[31][* 88]
  37. ^ 第10回放送。平清盛から藤原秀衡宛の手紙より。
  38. ^ 第11回放送より。
  39. ^ 第10回放送。劇中の台詞より。
  40. ^ 第10回放送。平清盛から藤原秀衡宛の手紙の宛名より。
  41. ^ 西田は1972年放送の大河ドラマ『新・平家物語』において、本作の主人公である北条義時役を演じている[35]
  42. ^ 第48回放送。文覚が後鳥羽の頭に齧り付くシーンが切り替わると、運ばれていく後鳥羽は引き続き叫んでいるが、彼の目線に先にいるはずの文覚の姿は消えている。
  43. ^ 第44回放送。運慶の台詞より。
  44. ^ 第46回放送。義時の台詞より。
  45. ^ 第7回放送。警護をしていた三浦義村が亀から「(敵の大将を討つ)ついでにうちの人(権三)も討ち取って」とけしかけられる場面があり、以降に権三は未登場となっている。
  46. ^ 第48回放送。泰時の台詞より。
  47. ^ 第39回放送。クレジットは「語り」のままである。
  48. ^ 第39回放送の冒頭、大倉御所にて義時とすれ違う侍女として登場し、視聴者に語り掛ける演出となった。
  49. ^ 裏番組の2022 FIFAワールドカップ日本対コスタリカ戦テレビ朝日)が世帯視聴率42.9%をマークした[* 106]
  50. ^ 最終回の紀行のみ、本編時間拡大のため同日放映されず、2022年12月17日17:18 - 17:20に「鎌倉殿の13人紀行 最終回特別編」として放送された。
  51. ^ 前日安倍晋三銃撃事件に伴う特設ニュースに伴う休止。

出典[編集]

書籍[編集]

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参考文献[編集]

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  • 『鎌倉殿の13人 後編』〈NHK大河ドラマ・ガイド〉NHK出版、2022年5月27日。ISBN 978-4-14-923390-1 
  • 『鎌倉殿の13人 完結編』〈NHK大河ドラマ・ガイド〉NHK出版、2022年10月7日。ISBN 978-4-14-923391-8 
  • 『NHK2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」THE BOOK』94号、東京ニュース通信社、2021年12月25日。ISBN 978-4-86701-350-2 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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鎌倉殿の13人