仏師

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仏師ぶっし)とは、日本における、仏像などの制作を担当する者に対する名称である。

飛鳥時代においては、仏像制作技術を持った血縁集団が存在しており、その長たる者を仏師と称していた。その大多数は、渡来系に属する技術者たちである。鞍作止利(止利仏師)の名が知られる。

奈良時代、大寺、とりわけ官立寺院の工房組織である造寺司の下で、仏像を造営する官立の造仏所(ぞうぶつしょ)が新設された。飛鳥時代以来の仏師を中心とした技術者たちは、仏工(ぶっこう)として造仏所に属した。

平安時代には、造寺司のような官営造営組織が解体していったのに伴い、奈良朝の造仏所も閉鎖される。元仏工たちは、それまで俗人であったのを改め僧呂やそれに準じる身分を得て、各大寺の仏像制作所に属するようになり、前時代と変わりこうした存在を仏師と呼ぶようになった。ただし、10世紀に入っても御願寺造営の場合のように、かなり形骸化しつつも官営造営組織による造仏の場は依然存在しており、有力な仏師は特定の寺院や宗派を超えて活動していたようである。また、宮中の絵所に属する絵師に対して、有力な寺社勢力の庇護のもと、寺社の絵像の制作に従事した絵師たちを絵仏師(えぶっし)と呼んだ。摂関期に入った10世紀末になると、有力な仏師たちは下から法橋、法眼、法印の三つの僧位からなる僧綱位を与えられ、大寺の制約を離れた独自の仏所を持ち、天皇や摂関家を始めとする権門にむけて盛んに造仏を行うようになる。その中心人物は大仏師と呼ばれた。定朝や鎌倉期の運慶快慶らが、その中心である。室町時代後期、16世紀の奈良では番匠出身の宿院仏師が活躍し、近世の職人仏師の先駆けとなった。

主な仏師[編集]

中世

近代以降

関連項目[編集]