北条時宗 (NHK大河ドラマ)

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北条時宗
ジャンル ドラマ
放送時間 日曜20:00-20:45(45分)
放送期間 2001年1月7日-12月9日(全49回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本放送協会
製作総指揮 阿部康彦
演出 吉村芳之 他
原作 高橋克彦
脚本 井上由美子
出演者 和泉元彌
渡部篤郎
渡辺謙
浅野温子
柳葉敏郎
木村佳乃
西田ひかる
池畑慎之介
ともさかりえ
篠原涼子
牧瀬里穂
西岡徳馬
北村一輝
松重豊
渡辺徹
川野太郎
錦野旦
大谷直子
うじきつよし
小西博之
吹越満
白竜
江原真二郎
原田美枝子
バーサンジャブ
室田日出男
清川虹子
石橋蓮司
奥田瑛二
藤竜也
平幹二朗
伊東四朗
富司純子
北大路欣也
ナレーター 十朱幸代
オープニング 栗山和樹
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北条時宗』(ほうじょうときむね)は、2001年1月7日から12月9日NHKで放送された第40作目の大河ドラマ。全49回。12月16日23日に総集編が放送された。

作品内容と反響[編集]

鎌倉時代中期、北条氏嫡流得宗家に生まれた若き執権・北条時宗を主人公に、宝治合戦二月騒動といった幕府内部の抗争および蒙古襲来を国際的スケールで描く。

原作は高橋克彦の『時宗』であり、『炎立つ』(1993年1994年)と同様に脚本と並行して執筆した。主役の和泉元彌は大河ドラマ初出演で、脚本担当の井上由美子も大河ドラマ初執筆。ストーリーは原作と異なっている。

鎌倉時代中期を舞台とした作品は大河ドラマ史上初めてで、現在も本作以外に存在しない[1]。 『太平記』(1991年放送)とは近時代であり、作中でも幼少期の北条高時足利尊氏を登場させるなど、それを強調する演出もなされた。また、時宗の母・涼子(葛西殿)については毛利季光の娘という説が採用され、これに関連する形で毛利家相模の本領を失って安芸に追われる原因となった宝治合戦の顛末を描いている。

この作品までの大河ドラマでは未踏の時代を取り上げ、元寇を題材に西洋人の貿易商人や高麗使節、イスラム教徒の宰相、蒙古皇帝クビライ・カアンまでが登場する世界スケールの構想となり、中国モンゴルでの海外ロケも行われた。

ご当地となる福岡市早良区シーサイドももち公園内には、謝国明館・少弐氏館・唐人街など中世の博多を再現した中世博多展示会場が設けられ、オープンロケが行われ、同年には「中世博多展」が開催された。一方の鎌倉市街の様子は、横浜市青葉区緑山スタジオ・シティの屋外スタジオにおいて中世の鎌倉市街を再現して撮影された。

主役の和泉元彌伝統芸能界からでは『元禄繚乱』の中村勘九郎(のちの十八代目勘三郎)からわずか2年後の大河主人公役抜擢であり、狂言界から初めて。また本作の前年、2000年のNHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。

北条時頼役の渡辺謙は1987年『独眼竜政宗』、1993~1994年の『炎立つ』以来の出演で、急性骨髄性白血病の長期療養からの復帰後第一作目となった。また、『独眼竜政宗』で伊達政宗の父伊達輝宗を演じた、謝国明役の北大路欣也との共演となった。

初回放送の「鎌倉大激震」での蒙古の大船団、後半放送の「蒙古襲来」「弘安の役」での蒙古の大群の上陸の様子など、デジタル合成コンピューターグラフィックスを駆使し、スケールの大きな迫力ある映像で再現。前作『葵 徳川三代』に続く2度目の全編ハイビジョン作品となる[2]

平均視聴率は18.5%、最高視聴率は21.2%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[3]

オープニング[編集]

オープニングのテーマ曲で流れるモンゴル民謡オルティンドーの歌い手ノロヴバンザドの歌声と、番組最後の紀行コーナーで流れる曲「蒼風」(正式バージョンとテレビバージョンがある)は、山下洋輔の演奏である。また全編3DCGで描かれたオープニングは、モンゴルの原野から大海原、そして宇宙にまで飛び火する壮大なストーリーが描かれており、歴代大河のオープニングの中では最もダイナミックな構成となっている。これは、主人公・時宗が夢の中でまだ見ぬ広大な大陸に思いを馳せる、というアイデアから生まれたものである(ただし、時宗存命時には存在しない建造物も登場する)。なお冒頭の「北条時宗」を表す題字とともに、無数にうごめいている文字は、クビライの生涯の中で戦ってきたライバル達の名前である。また、「北条時宗」の文字もモンゴル文字風の字体デザインになっている参考・NHKオンデマンド。ドラマの内容にあわせて映像の細かい部分を回毎に変化させていったこともそれまでの大河ドラマのオープニングにはない試みであった。

映像ソフト化の状況[編集]

2016年現在、総集編(前後編形式、ともに99分)しか商品化されておらず、通常放送回が映像ソフト化される見通しは今のところ立っていない。総集編のみが公開されている作品としては、唯一のハイビジョン製作の作品である(封印状態にある2003年の『武蔵 MUSASHI』を除く)。その一方で、番組公開ライブラリーとNHKオンデマンドではその総集編が公開されている。

本作は大河ドラマとして初めて副音声解説がついた作品であり、この解説は総集編DVDでも聞くことができる。

あらすじ[編集]

相次ぐ飢饉で人々が飢え苦しみ、社会が混乱の様を呈していた鎌倉中期。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の嫡子として得宗家に生を受けた時宗は、幼少時には父・時頼から多大な影響を受け、博多商人謝国明や松浦党の娘桐子らと出合い国際的視野を広めるが、異母兄である時輔とは確執が生じていた。

やがて時宗は第8代執権に就任し、時輔や幕府内の反得宗勢力との争いなど相次ぐ苦難に翻弄される。

また、海の向こうでは元朝の初代皇帝クビライ・カアンが世界征服を進めており、時宗は若くして蒙古襲来(元寇)という国難に直面し、世の平安を模索していく。

登場人物[編集]

北条得宗家とその家臣[編集]

鎌倉幕府第8代執権。
生真面目な性格で、生まれながらに定められた己の立場に苦悩しながらも国を背負う執権として成長していく。
時宗の異母兄。六波羅探題南方。
幼い頃より、弟・時宗を思いやる優しい兄だったが、一方で、側室の子であったため時頼から冷遇される。そのため、時宗に対して愛憎が入り交じる複雑な感情を抱くようになってゆく。
時宗の命による二月騒動で殺害されたと思われていたが、左腕が不自由になる重傷を負いながらも北条義宗の手引きによって一命を取り留め、密かに脱出。その後あちこちを流浪し、蒙古軍にも協力したが、その真意は日本と蒙古との和解を願っての行動である事が明かされる。最終話で時宗と和解しその最期を看取った後、家臣の服部正左衛門と共に世界の果てを目指し旅立って行った。時宗がクビライと直接対峙することがないため、時宗に相対する存在として描かれている。
鎌倉幕府第5代執権、時輔・時宗・宗政の父。
非常に聡明であると同時に、側室との間に生まれた時輔を冷遇するが、それは時宗が得宗家の跡取りと世に知らしめ、時輔を担ごうとする不届き者を出さないためだった。
病に倒れて出家し、長時に執権の座を譲った後も回復してからは幕府の実権を握り続けていたが、毒を盛られて死の床に就く。毒を盛られたことは自他共に明らかであったが自身はこれが鎌倉に災いをもたらす種にならぬよう息子達3人に第一の遺言として「わしに毒を盛った者を探すな」と言い、さらに第二の遺言として「兄弟皆の力を合わせよ」と言ってから第三の遺言を伝えようとするが体調が悪化しそれどころではなくなった。そして死の間際に時宗一人を呼び出し、第三の遺言である「長時を殺せ。長時は我らに害をもたらす」を伝えた後「お前だけに四つ目がある。時輔を殺せ」と言い、唖然とする時宗に「鎌倉は夢の都じゃ。武士達の夢の都じゃ」と言い残して亡くなった。
時頼の妻、時宗・宗政の母。
父・毛利季光が死んだのは時頼のせいだと思い激しい恨みを持っていた。しかし、時頼の死の直前には大変悲しみ、時頼の真意を知り和解する。後年、宗政の所に身を寄せるが、後に時宗が異母兄の時輔を殺そうとした際には反発し、出家して時宗と縁を切ろうとした。なお、北条重時養女という設定が盛り込まれている。
時宗の妻、安達義景の娘で泰盛の妹。出家後の覚山尼は通常、アバンタイトルのみの出演だが、最終回の最後で本編に登場し、「時宗様…。わたくしはもう、泣いてもよろしいですか…?」と眼前に現れた時宗の幻影へ涙ながらに語りかけた。
時宗の子、後の第9代執権。
時宗の孫、後の第14代執権。
時輔・時宗・宗政・頼氏の父方の祖母・時頼の母で安達義景の妹で泰盛と祝子の叔母。劇中では時輔と共に時宗の最期を看取った。
時頼の側室、時輔の母。時輔が嫡男として扱われないことに不満を負っており、側室の分際で正室の涼子に無礼を言い不満をぶつけることもあった。後に幼い時輔を残して非業の死を遂げる。
小山長村の娘、時輔の妻。夫婦仲は良好だったが、時宗による討伐により夫婦が引き裂かれることに恨みを持ち、時宗を殺そうとしたが平頼綱の手によって殺された。
時輔の子。祥子の死後、篤子と共に時宗の元で育てられる。
時輔の娘。
時宗の同母弟。兄・時宗を尊敬しており、兄の陰日向としてあらゆる面でサポートした。異母兄の時輔に対して最初は敵対関係にあったが徐々に友好的に接するようになり、やがて時宗との関係修復に奔走する様になる。最期は弘安の役にて時輔を庇って致命傷を負い、時輔に看取られながら亡くなった(史実では病没)。
宗政の妻、政村の娘。醜女だが、彼を妻として愛していたようで、宗政の死には号泣していた。
素性不明であり、安達泰盛の命で北条長時を暗殺したことを経て時宗に仕え、義宗・顕時と共に重用される様になる。蒙古襲来では死んだ蒙古兵の死体を執拗に斬りつけ、少弐景資にたしなめられる場面もあった。幕府の政策を巡り泰盛と激しく対立し、往来で斬り合いになったのを時宗に止められた。粗暴かつ権謀術数を厭わぬ性格だが、時宗に対してだけは自身の出自と長時暗殺の真実を全て打ち明けた上で絶対の忠誠を誓い、崇拝しており、時宗の死を知ると、感情を抑えきれずに泣き叫んだ程であった。
北条得宗家執事、頼綱の養父。
頼綱の妻。夫同様野心家で、頼綱の野心を煽動する。
北条得宗家家臣。
小山氏家臣→時輔の家臣、祥子の付き人。時輔と祥子に献身的に尽くし、最後まで時輔に従い、共に世界の果てを目指して旅立って行った。
六波羅探題南方に任じられて京へ赴任した時輔に付けられた老女。南方が長年空位だった影響で、蜘蛛の巣まである荒れ放題の役宅で時輔を迎えた。非常に高齢であり、幼い頃、源頼朝に会ったことがあると語る。

北条一門[編集]

極楽寺流北条家当主、長時・義政・梨子の父。泰盛の義父(舅)。北条政子の甥。政村の兄。
一族の重鎮として、時頼の求めに応じて京から鎌倉に戻る。涼子の養父となることで、時頼との婚礼が円滑に行われるようにした。長時が自分をからかった民衆を斬った一件では長時を守ろうとして一騒動を起こす。その後、病に倒れるが、死の間際に政村に対して「長時に災いをもたらすならば、決して許さぬ」と遺言を残す。
重時の子。鎌倉幕府第6代執権。泰盛の義兄。
時頼が病にかかったため執権職を譲られる。時頼が病から回復すると傀儡状態となり、そのことを民衆にからかわれていた。これにより将軍である宗尊親王に接近して、反得宗家に傾斜するようになる。このため時頼から危険視され、時頼は時宗に長時を殺すよう遺言を残す。時宗は苦悩の末に安達泰盛に遺言の内容を明かし、長時は泰盛の命を受けた平頼綱によって暗殺された。その後、義政から長時の死の真相を尋ねられた時宗は皆の前で「反北条勢力と手を結んでいた長時を、暗殺するよう自分が命じた」と語った。
長時の子。六波羅探題北方。
頼綱・顕時と共に時宗に重用されながらも父・長時の死に疑念を抱いており、時宗に真偽を問い質す場面もあったが、時宗から長時暗殺の首謀者は自分だと言われても従い続けた。後に泰盛と頼綱の派閥争いで板挟みとなり煩悶し、最終的には二月騒動において時輔の命を助けた事を頼綱に知られたために非業の最期を遂げる。
長時の弟。六波羅探題北方。南方として赴任してきた時輔をあまり快く思っていない。
長時の弟。
北条得宗家と距離を置いていたが、時宗の求めに応じて連署となる。この人事に泰盛は当初難色を示した。甥の義宗の死後は鎌倉を離れた。
義政の妻、政村の娘。
重時の弟。第7代執権。
長時の死後に執権となった際には、老年になってからの就任であったために小躍りして喜んだ。
時宗が執権になると連署として補佐した。食わせ者であり、時には仮病を使うなどのらりくらりとした態度を取るが、本人は時宗らに対して「意見が2つに割れている中で、執権たるわしが片方に賛成する意を示すと、必ずもう片方が反発して騒ぎが起こる」と自己弁護した。後に病で倒れるが、今までの行状が災いし、居合わせた時宗から当初は仮病だと思われていた。
金沢流北条家当主。
宝治合戦では毛利季光と交渉し、三浦方に加わらないよう要請した。時頼からの信頼も厚く、時頼没後も得宗家の知恵袋として政治の合議に参加し、病没する直前まで北条家の行く末を案じ、時宗に道標を示した。読書を趣味として金沢文庫の創始者となった。死後に在りし日の実時を知る一門の面々は彼の最大の功績は常に一門の面々の間を取り持っていたことだと認めるが、彼の死後鎌倉では北条一門を中心とする独裁体制を強める時宗を支持する頼綱と、御家人としての立場からこれに反対する泰盛の対立が表面化する。
実時の子。
父・実時とは北条一族の釣り合いを取る為の実母との離婚・享子との再婚が原因で確執を生じてしまい、一時は酒に溺れてしまう。しかしその後は立ち直り、頼綱・義宗と共に時宗に重用されて以降は父を凌ぐ知恵者としての実力を発揮する様になっていく。父・実時とは、死期を迎える際に和解した。
実時の前妻、顕時の母
実時の後妻、政村の娘
顕時の妻
北条時房の孫で猶子。時宗の求めに応じて幕政に参画する。史実では文永の役の翌年に他界しているが、本作では弘安の役時に病床につく時宗を看病しているシーンがある。
名越流北条氏当主。
自分たちこそが北条家の嫡流であるとの思いが強く、得宗家と敵対。傀儡にされている将軍に接近することで謀反の機会をうかがっていた。教時や桔梗と比べて分別もあったが、教時の幸寿丸襲撃が原因で館に攻められ、頼綱の眼前で自害した。
時章の異母弟。
時章に比べて血気盛んで、時宗の息子の幸寿丸の乗る輿を配下に襲撃させるが失敗。二月騒動で敗死した。

御家人[編集]

松下禅尼の甥で義景の子で祝子の兄。重時の娘婿。長時の義弟。
時頼とは幼少から親しく、宝治合戦の際には苦悩する時頼を説得して三浦氏討伐へと向かわせた。時頼没後に時宗が「長時を殺せ」という遺言を残されていたことが政村の追及によって明らかとなり、苦悩する時宗や長時とは義兄弟にあたる泰盛を案じた政村が暗殺の首謀者を引き受けようとするが、あえて自分が首謀者になると決意し暗殺の実行役を八郎(頼綱)に命ずる。しかし梨子への罪悪感から彼女の前で動揺を隠すことが出来ず、彼女に早い段階で長時暗殺の首謀者と悟られる要因となる。時宗がそれまで幕府中枢から距離があった人物を政権の中心に据えようとすると、これに難色を示した。後に頼綱と対立。反幕府勢力に接近したこともあった。往来で頼綱と斬り合いになるが、時宗の制止によって思いとどまった。
重時の娘、長時の妹。泰盛の妻となる。
時宗が政村と実時の追及によって長時暗殺を遺言されていたことを偶発的に聞いてしまい、執権の座を降りるよう兄を説得するも一蹴され、兄を暗殺されてしまう。その死に不審を抱いており、泰盛はそのことを隠していたが、自身は泰盛の様子から彼が暗殺の首謀者と見抜いていた。頼綱に不審なものを感じ、警戒する。頼綱と二人きりになったところを襲われ、頼綱から長時を殺したのは自分であるとほのめかされる。
泰盛と祝子の父。松下禅尼の兄。
北条得宗家と縁戚関係になることで、安達氏は幕府内での発言力を増すことになった。
泰盛の甥で養子となり、文永の役では安達氏を代表して九州へ下向した。
三浦家当主。
北条氏によって有力御家人が次々と滅ぼされる中で家名を保ったが、宝治合戦に敗れて滅亡する。時頼を信頼して戦を避けるつもりであったが、結果的に北条氏に裏切られることになった。
泰村の弟。
北条に対する敵対心が強く、兵を率いて鎌倉に攻め入ろうとしたが、和平策を受け入れた泰村に制止される。最終的に北条方に不意を衝かれて劣勢となり、奮戦したが敗れた。
涼子の父。
宝治合戦で当初は北条方についていたが、妻に懇願されて三浦方について戦う。説得に訪れた実時に涼子の行く末を託した。
季光の妻で、涼子の母。
自身の実家である三浦氏に味方するよう夫に懇願。涼子にも時頼の寝首をかき切るよう伝えた。宝治合戦で夫らと共に自決。
足利家当主。
有力御家人として得宗家と距離を置き、将軍や名越流北条氏に接近して謀反の機会をうかがっていた。
泰氏の前妻で、名越時章の妹。一人称はわらわ
得宗家の陰謀によって夫と無理矢理離縁させられた事を恨んでおり、藤泉尼や讃岐局を死に追いやり、時頼の姉である檜皮(ひわだ)姫や泰氏の後妻で頼氏の母親である時頼の妹、そして時頼を毒殺した稀代の悪女。若い家臣や高師氏と平気で逢瀬を重ねる女狐。時宗の代になってからも不穏な行動を取ったが、後に高師氏に刺殺された。
泰氏の子で、母は時頼の妹。
足利家の中では穏健派で、時輔の烏帽子親を務めた縁から彼に一門も関わる反北条の陰謀を明かした。
頼氏の子
家時の孫、後の室町幕府初代将軍
足利家執事
足利家家臣
鎮西奉行。蒙古襲来で戦死。
資能の子。
蒙古襲来では博多における実質的な幕府軍の大将であった。討ち死にした蒙古兵を執拗に斬りつける頼綱を嗜めた。
九州御家人。
蒙古襲来において一番手柄を立てる。
九州御家人
九州御家人
九州御家人
伊予御家人。
蒙古襲来では水軍を率いて蒙古兵の船団を夜襲した。
九州の御家人。
蒙古襲来の際に一騎討ちの作法にのっとって敵と戦おうとしたが、自身の先祖やその武勲を述べている最中に敵の攻撃を受けて死去。
壱岐守護代
島に上陸した蒙古兵相手に奮戦したが、最後は「壱岐に栄えあれ!」と絶叫して自害した。
季長の郎党
上野の武士。
諸国見聞の旅に出た時頼一行を泊め、貧しいながらも精一杯のもてなしをした。
常世の妻
政所執事
評定衆
評定衆

将軍・朝廷・公家[編集]

鎌倉幕府第4代将軍。
将軍を更迭された後も幕府打倒を画策し、息子の頼嗣共々時頼が仕向けた刺客によって暗殺された。
鎌倉幕府第5代将軍
頼嗣の御台所、時頼の姉。北条氏の勢力拡大を嫌った何者かに毒を飲まされ病死した。
鎌倉幕府第6代将軍。後嵯峨上皇の皇子。亀山天皇の兄。
名越流や足利氏と結んで得宗家を滅ぼそうと画策。将軍職を追われて都に送り返された後も陰謀を画策した。
宗尊の御台所。時頼の養女。
鎌倉幕府第7代将軍
第88代天皇。宗尊と亀山天皇の父。生母の身分が低い宗尊のことは邪険に扱い冷遇し、鎌倉へと追いやった張本人。
第90代天皇。後嵯峨上皇の皇子。宗尊の弟。
摂政・関白
太政大臣
関白。
六波羅に送られた時輔と交流。蒙古から送られた国書に返書をしてはいけないと訴え、自刃した。彼の影響で時輔は蒙古や外国の事情を知るまでは、反蒙古の考えを抱いていた。

大元・高麗[編集]

モンゴル帝国第5代皇帝、大元初代皇帝。
単純な悪役としてではなく兄や子と対立しながら苦悩する姿が描かれた。兄モンケとは異なり、「南宋との戦を制するには、南宋と交易する国々を攻め取り、南宋を弱体化させる」という戦略をモンケの代より主張していたが、この戦略が南宋と交易する日本への侵略へと繋がってゆく。
クビライの兄。モンゴル帝国第4代皇帝。
当初は弟と対立し、「大カアンになれない」と過小評価していたが、最終的には和解する。一方で南宋との戦に対しては直接攻め勝つことに拘っていたが、その途上で病死した。
クビライの皇后。チンキムの母。クビライ父子の争いに気をもんでいた。
クビライの嫡子。皇太子。クビライの強引な政策に心を痛めていた。
クビライの宰相
クビライの漢人顧問、儒学者
ヴェネツィアの商人、クビライの家臣。日本語に堪能で時輔らと情報交換を行う。
ヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロの父
大元の使者、高麗の役人。
勇から「同じ高麗の人間なのに、蒙古に従う裏切り者」と殺意を抱かれ襲われるが、美岬に庇われて命を拾う。その後房に捕えられて連れてこられた勇に自らの思いを語り、和解した。
大元の使者、クビライの重臣
大元の使者
文永・弘安の役の大元軍司令官
文永・弘安の役の大元軍副司令官、高麗人
文永・弘安の役の高麗軍司令官、高麗人
文永の役の大元軍副司令官

その他[編集]

水軍松浦党の頭領。
謝国明と親しく、諸国見聞中の時頼・時宗親子とも交流。蒙古襲来の際に息子たちを蒙古兵に殺され、その恨みを晴らすために大元に渡ってクビライを暗殺しようとするが、討ち取られた。
佐志房の養女で、実は足利泰氏の隠し子である。水軍の一員として育ったため自分のことを「おれ」と呼ぶ。幼少時に時宗と出会い、後に再会する。泰氏の娘であることを知らされると、東国に呼ばれて姫らしい髪型にして着物を着せられるが、武家の姫として暮らすことは自分に似合わないとして、松浦党に戻った。
蒙古襲来では戦闘に巻き込まれ、自分の身を守るため蒙古兵を殺害。兄弟を失ったこともあり、その後はそれまで以上に戦を嫌悪するようになる。
  • ふき:木村佳乃(二役)
桐子の母。
桐子に「お前には鱗(北条氏の家紋)を食らう龍の血が流れている」と言い残して亡くなる。この言葉を桐子が覚えていたことが桐子が足利家の隠し子だと分かるきっかけになった。
佐志房の長男。
蒙古襲来に際して壱岐へと助力として送られるが、蒙古襲来で戦死。
佐志房の次男で、養子。高麗の出身。
大元の使者として博多を訪れた高麗人の通訳をした際に、高麗を従属させた大元への恨みが再燃し、使者に斬りかかるが、彼を庇った美岬を殺してしまう。その後この件を知った房に捕えられて謝国明の元へ連れて行かれ、房は勇が美岬の命を奪った償いをその命をもって償わせようとするが「命を奪った償いは、命では出来ぬ」と助命された。蒙古襲来で蒙古兵の手で深手を負い、桐子に「親父殿を頼む」と言い残して死亡。
佐志房の三男、養子。蒙古襲来で戦死。
南宋出身の博多の商人。
諸国見聞中の時頼・時宗親子と出会い、幼少の時宗に世界の広さを教える。蒙古襲来の際には一貫して和平を主張し、嵐に巻き込まれた蒙古兵を救助するように呼びかけた。
謝国明の妻。大元の使者をもてなした際に、使者を襲った佐志勇から彼を庇って殺された。
謝国明の子。父譲りの広い視野を持ち、神出鬼没に現れて時宗に協力する。
謝国明の見世の女。自分の国を滅ぼした戦を嫌悪している。
日蓮宗の開祖。立正安国論を著し他宗や幕府を批判する。
円覚寺開祖。時宗に寿命が残りわずかであることを伝えた。

スタッフ[編集]

放送日程[編集]

放送回 放送日 サブタイトル 演出
第1回 1月7日 鎌倉大激震 吉村芳之
第2回 1月14日 ふたりの母
第3回 1月21日 兄弟落差
第4回 1月28日 反抗
第5回 2月4日 波乱の旅 吉川邦夫
第6回 2月11日 博多恋心
第7回 2月18日 執権修行
第8回 2月25日 逃げた花嫁 吉村芳之
第9回 3月4日 決闘由比ヶ浜
第10回 3月11日 ひとり立ち
第11回 3月18日 時頼絶命 吉川邦夫
第12回 3月25日 暗殺
第13回 4月1日 大いなる岐路 吉村芳之
第14回 4月8日 兄の追放
第15回 4月15日 母上ご乱心 渡邊良雄
第16回 4月22日 将軍すげ替え
第17回 4月29日 クビライの影 吉川邦夫
第18回 5月6日 国書来る
第19回 5月13日 戦か属国か 城谷厚司
第20回 5月20日 十八歳の執権
第21回 5月27日 初陣 吉川邦夫
第22回 6月3日 京の闇 吉村芳之
第23回 6月10日 人質 吉田浩樹
第24回 6月17日 高麗からの文 吉村芳之
第25回 6月24日 最後通告 城谷厚司
第26回 7月1日 兄弟の絆 吉田浩樹
第27回 7月8日 ご謀反許さず 吉村芳之
第28回 7月15日 あの兄を討て!
第29回 7月22日 さらば兄上
第30回 7月29日 長老死す 城谷厚司
第31回 8月5日 出撃命令
第32回 8月12日 いざ博多へ! 真鍋斎
第33回 8月19日 蒙古襲来前夜
第34回 8月26日 蒙古襲来〈1〉九百隻の大船団 吉村芳之
第35回 9月2日 蒙古襲来〈2〉奮戦! 水軍城
第36回 9月9日 蒙古襲来〈3〉 博多炎上 真鍋斎
第37回 9月16日 謎の撤兵 吉村芳之
第38回 9月23日 攻めか守りか 城谷厚司
第39回 9月30日 ねらわれた姫君
第40回 10月7日 消えた使節団 吉田浩樹
第41回 10月14日 斬るべからず 吉村芳之
第42回 10月21日 いのち尽きるとも 真鍋斎
第43回 10月28日 幕府分裂 松浦善之助
第44回 11月4日 妻のなみだ 勝田夏子
第45回 11月11日 わが祖国 吉村芳之
第46回 11月18日 クビライを討て!
第47回 11月25日 弘安の役 勝田夏子
第48回 12月2日 運命の嵐 吉村芳之
最終回 12月9日 永遠の旅
平均視聴率 18.5%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[3]

総集編[編集]

  • 前編「兄弟」
  • 後編「蒙古襲来」

脚注[編集]

  1. ^ 1979年放送の『草燃える』は鎌倉時代前期、1991年放送の『太平記』は鎌倉時代後期を扱った
  2. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年』、中央公論新社、2011年
  3. ^ a b ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ

関連作品[編集]

外部リンク[編集]