北条時宗 (NHK大河ドラマ)

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北条時宗
ジャンル ドラマ
原作 高橋克彦『時宗』
脚本 井上由美子
演出 吉村芳之 他
出演者 和泉元彌
(以下五十音順)

浅野温子
池畑慎之介
石橋蓮司
伊東四朗
うじきつよし
江原真二郎
大谷直子
奥田瑛二
尾美としのり
川野太郎
北大路欣也
北村一輝
木村佳乃
清川虹子
小西博之
篠原涼子
高橋英樹
ともさかりえ
西岡徳馬
錦野旦
西田ひかる
バーサンジャブ
白竜
原田美枝子
吹越満
富司純子
藤竜也
平幹二朗
牧瀬里穂
松重豊
室田日出男
柳葉敏郎
渡辺謙
渡辺徹
渡部篤郎
ナレーター 十朱幸代
オープニング 栗山和樹
製作
製作総指揮 阿部康彦
制作 日本放送協会
放送
放送国・地域 日本の旗 日本
放送期間 2001年1月7日-12月9日
放送時間 日曜20:00-20:45
放送枠 大河ドラマ
放送分 45分
回数 全49

北条時宗』(ほうじょうときむね)は、2001年1月7日から12月9日NHKで放送された第40作目の大河ドラマ。全49回。12月16日23日に総集編が放送された。

作品内容と反響[編集]

鎌倉時代中期、北条氏嫡流得宗家に生まれた若き執権・北条時宗を主人公に、宝治合戦二月騒動といった幕府内部の抗争および元王朝襲来を国際的スケールで描く。

原作は高橋克彦の『時宗』であり、『炎立つ』(1993年1994年)と同様に脚本と並行して執筆した。主役の和泉元彌は大河ドラマ初出演で、脚本担当の井上由美子も大河ドラマ初執筆。ストーリーは原作と異なっている。

鎌倉時代中期を舞台とした作品は大河ドラマ史上初めてで、現在も本作以外に存在しない[1]。 『太平記』(1991年放送)とは近時代であり、作中でも幼少期の北条高時足利尊氏を登場させるなど、それを強調する演出もなされた(ただしナレーションを務めた覚山尼が史実より長く生きているため両者と会ったことになっているが、本来覚山尼は二人が幼い時に他界している)。また、時宗の母・涼子(葛西殿)については毛利季光の娘という説が採用され、これに関連する形で毛利家相模の本領を失って安芸に追われる原因となった宝治合戦の顛末を描いている。

この作品までの大河ドラマでは未踏の時代を取り上げ、元寇を題材に西洋人の貿易商人や高麗使節、イスラム教徒の宰相、元王朝初代皇帝世祖までが登場する世界スケールの構想となり、中国モンゴルでの海外ロケも行われた。

ご当地となる福岡市早良区シーサイドももち公園内には、謝国明館・少弐氏館・唐人街など中世の博多を再現した中世博多展示会場が設けられ、オープンロケが行われ、同年には「中世博多展」が開催された。一方の鎌倉市街の様子は、横浜市青葉区緑山スタジオ・シティの屋外スタジオにおいて中世の鎌倉市街を再現して撮影された。

主役の和泉元彌伝統芸能界からでは『元禄繚乱』の中村勘九郎(のちの十八代目勘三郎)からわずか2年後の大河主人公役抜擢であり、狂言界から初めて。また本作の前年、2000年のNHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。

北条時頼役の渡辺謙は1987年『独眼竜政宗』、1993~1994年の『炎立つ』以来の出演で、急性骨髄性白血病の長期療養からの復帰後第一作目となった。また、『独眼竜政宗』で伊達政宗の父伊達輝宗を演じた、謝国明役の北大路欣也との共演となった。

初回放送の「鎌倉大激震」での蒙古の大船団、後半放送の「蒙古襲来」「弘安の役」での蒙古の大群の上陸の様子など、デジタル合成コンピューターグラフィックスを駆使し、スケールの大きな迫力ある映像で再現。前作『葵 徳川三代』に続く2度目の全編ハイビジョン作品となる[2]

平均視聴率は18.5%、最高視聴率は21.2%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[3]

オープニング[編集]

オープニングのテーマ曲で流れるモンゴル民謡オルティンドーの歌い手ノロヴバンザドの歌声と、番組最後の紀行コーナーで流れる曲「蒼風」(正式バージョンとテレビバージョンがある)は、山下洋輔の演奏である。また全編3DCGで描かれたオープニングは、モンゴルの原野から大海原、そして宇宙にまで飛び火する壮大なストーリーが描かれており、歴代大河のオープニングの中では最もダイナミックな構成となっている。これは、主人公・時宗が夢の中でまだ見ぬ広大な大陸に思いを馳せる、というアイデアから生まれたものである(ただし、時宗存命時には存在しない建造物も登場する)。なお冒頭の「北条時宗」を表す題字とともに、無数にうごめいている文字は、クビライの生涯の中で戦ってきたライバル達の名前である。また、「北条時宗」の文字もモンゴル文字風の字体デザインになっている参考・NHKオンデマンド。ドラマの内容にあわせて映像の細かい部分を回毎に変化させていったこともそれまでの大河ドラマのオープニングにはない試みであった。

映像ソフト化の状況[編集]

2016年現在、VHS・DVDともに総集編(前後編形式、ともに99分)しか商品化されておらず、通常放送回が映像ソフト化される見通しは今のところ立っていない。総集編のみが公開されている作品としては、唯一のハイビジョン製作の作品である(封印状態にある2003年の『武蔵 MUSASHI』を除く)。その一方で、番組公開ライブラリーとNHKオンデマンドではその総集編が公開されている。

本作は大河ドラマとして初めて副音声解説がついた作品であり、この解説は総集編DVDでも聞くことができる。

あらすじ[編集]

相次ぐ飢饉で人々が飢え苦しみ、社会が混乱の様を呈していた鎌倉中期。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の嫡子として得宗家に生を受けた時宗は、幼少時には父・時頼から多大な影響を受け、博多商人謝国明や松浦党の娘桐子らと出合い国際的視野を広めるが、異母兄である時輔とは確執が生じていた。

やがて時宗は第8代執権に就任し、時輔や幕府内の反得宗勢力との争いなど相次ぐ苦難に翻弄される。

また、海の向こうでは元朝の初代皇帝クビライ・カアンが世界征服を進めており、時宗は若くして蒙古襲来(元寇)という国難に直面し、世の平安を模索していく。

登場人物[編集]

北条得宗家とその家臣[編集]

鎌倉幕府第8代執権。
生真面目な性格で、生まれながらに定められた己の立場に苦悩しながらも国を背負う執権として成長していく。
時宗の異母兄。時宗と相対する存在として描かれるもう一人の主人公。
幼い頃より、弟・時宗を思いやる優しい兄だったが、一方で、側室の子であったため時頼から冷遇される。そのため、時宗に対して愛憎が入り交じる複雑な感情を抱くようになってゆく。
時宗が成長すると意見対立が目立つようになり、時宗により六波羅探題南方に追いやられる。
時宗の命による二月騒動で殺害されたと思われていたが、左腕が不自由になる重傷を負いながらも北条義宗の手引きによって一命を取り留め、密かに脱出。その後あちこちを流浪し、蒙古軍にも協力したが、その真意は日本と蒙古との和解を願っての行動である事が明かされる。最終話で時宗と和解しその最期を看取った後、家臣の服部正左衛門と共に世界の果てを目指し旅立って行った。
鎌倉幕府第5代執権、時輔・時宗・宗政の父。
側室との間の子である時輔を冷遇するが、それは時宗が得宗家の跡取りと世に知らしめ、鎌倉が真っ二つにならないようにするためだった。
病に倒れて出家し、長時に執権の座を譲った後も回復してからは幕府の実権を握り続けていたが、何者かに毒を盛られて死の床に就く。死の間際に時宗を呼び出して長時と時輔を殺すことを言い残し、唖然とする時宗に「鎌倉は夢の都じゃ。武士達の夢の都じゃ」と言い残して亡くなった。
時頼の正室。時宗・宗政の母。
毛利季光の娘で父が宝治合戦で自害した後、北条重時養女として時頼に嫁いだ。父母を死に追いやった敵として時頼に恨みを抱いていたが、彼への愛情もあり、それを押し殺していた。時頼の死の直前に彼の謝罪を受けて和解。後年、宗政の所に身を寄せるが、後に時宗が異母兄の時輔を殺そうとした際には反発し、出家して時宗と縁を切ろうとした。
時宗の妻、安達義景の娘で泰盛の妹。出家後の覚山尼は通常、アバンタイトルのみの出演だが、最終回の最後で本編に登場し、「時宗様…。わたくしはもう、泣いてもよろしいですか…?」と眼前に現れた時宗の幻影へ涙ながらに語りかけた。ちなみに、史実より長く生存している設定のため、上記のように孫の高時や足利高氏と会っている。
時宗の子、後の第9代執権。
平頼綱が乳母父となる。
時宗の孫、貞時の子、後の第14代執権。
時輔・時宗・宗政・頼氏の父方の祖母・時頼の母で安達義景の妹で泰盛と祝子の叔母。劇中では時輔と共に時宗の最期を看取った。
時頼の側室、時輔の母。時輔が嫡男として扱われないことに不満を抱いており、正室の涼子とその子時宗に激しい対抗意識を燃やしている。後に幼い時輔を残して非業の死を遂げる。
小山長村の娘、時輔の妻。時輔との夫婦仲は良好だったが、二月騒動で時輔が死亡したものと思い(生き延びていたことを知らなかった)、誅殺の命令を下した時宗を恨みを持ち、時宗を殺そうとしたが平頼綱の手によって殺された。
時輔の子。祥子の死後、篤子と共に時宗の元で育てられる。
時輔の娘。
時宗の同母弟。兄・時宗を尊敬しており、兄の陰日向としてあらゆる面でサポートした。異母兄の時輔に対して最初は敵意をもった態度が多かったが、徐々に友好的に接するようになり、やがて時宗との関係修復に奔走する様になる。最期は弘安の役にて時輔を庇って致命傷を負い、時輔に看取られながら亡くなった。
宗政の妻、政村の娘。オカメのような器量なしの醜女だが、彼を妻として愛していたようで、宗政の死には号泣していた。
みなしごの生まれであり、安達泰盛の命で北条長時を暗殺したことを経て時宗に仕え、平盛綱の養子となる。得宗家御内人として栄進していく。
粗暴かつ権謀術数を厭わぬ性格だが、時宗のことは崇拝しており、自身の出自と長時暗殺の真実を全て打ち明けた上で絶対の忠誠を誓う。
日蓮に「偽りを生きる者」と断じられ、日蓮を激しく憎悪する。
徐々に泰盛との対立が激化し、往来で斬り合いになったのを時宗に止められた。死の床につく時宗の求めに応じて泰盛と和解。時宗の死を知ると、感情を抑えきれずに泣き叫んだ。
北条得宗家執事、頼綱を養子に迎えた。
頼綱の妻。公家の飛鳥井家の姫だったが、御家人の世を壊す気概を持つ者と結婚したいと御内人に過ぎない頼綱に嫁いだ。夫同様野心家で、頼綱の野心を煽動する。
北条得宗家家臣。
小山氏の家臣だったが、祥子の付き人として時輔のもとに送られ、時輔夫妻に仕える。時輔と祥子に献身的に尽くし、最後まで時輔に従い、共に世界の果てを目指して旅立って行った。
六波羅探題南方に任じられて京へ赴任した時輔に付けられた老女。南方が長年空席だった影響で、蜘蛛の巣の張った荒れ放題の役宅で時輔を迎えた。非常に高齢であり、源頼朝が六波羅に京都守護所を置いてから79年にわたって仕えてきたと語る。

北条一門[編集]

極楽寺流北条家当主、長時・義政・梨子の父。泰盛の義父(舅)。北条政子の甥。政村の兄。
六波羅探題北方を務めていたが、一族の重鎮として、時頼の求めに応じて京から鎌倉に戻る。涼子の養父となることで、時頼との婚礼が円滑に行われるようにした。長時が自分をからかった民衆を斬った一件では長時を守ろうとして一騒動を起こす。その後、病に倒れるが、死の間際に政村に対して「長時に災いをもたらすならば、決して許さぬ」と遺言を残す。
重時の子。鎌倉幕府第6代執権。泰盛の義兄。
時頼が病にかかったため執権職を譲られたが、時頼が病から回復したため、傀儡の執権となり、そのことを民衆にからかわれていた。そのため将軍宗尊親王に接近して、反得宗家に傾斜するようになる。このため時頼から危険視され、時頼は時宗に長時を殺すよう遺言を残す。時宗は苦悩の末に安達泰盛に遺言の内容を明かし、長時は泰盛の命を受けた平頼綱によって暗殺された。その後、義政から長時の死の真相を尋ねられた時宗は皆の前で「反北条勢力と手を結んでいた長時を、暗殺するよう自分が命じた」と語った。
長時の子。六波羅探題北方。
一門の中では若年だが、北条顕時と共に時宗に重用される。父・長時の死に疑念を抱いており、時宗に真偽を問い質す場面もあったが、時宗から長時暗殺の首謀者は自分だと明かされた後も従い続けた。後に泰盛と頼綱の争いで板挟みとなり煩悶し、非業の最期を遂げる。
長時の弟。六波羅探題北方。南方として赴任してきた時輔を快く思っていない。
時茂の妻、政村の娘。
長時の弟。
兄長時の死に不信を抱き、北条得宗家と距離を置いていたが、長時暗殺の首謀者は自分だと明かした時宗との和解を経て、時宗の求めに応じて連署となる。しかし甥の義宗が自刃した後は、義宗を死に追いやってしまったと自責の念から鎌倉を離れた。
重時の弟。第7代執権。
長時の死後に執権となった際には、老年になってからの就任であったために小躍りして喜んだ。
時宗が執権になると連署として補佐した。食わせ者であり、時には仮病を使うなどのらりくらりとした態度を取るが、本人は時宗らに対して「意見が2つに割れている中で、執権たるわしが片方に賛成する意を示すと、必ずもう片方が反発して騒ぎが起こる」と自己弁護した。後に病で倒れるが、今までの行状が災いし、居合わせた時宗から当初は仮病だと思われていた。
金沢流北条家当主。
宝治合戦では毛利季光と交渉し、三浦方に加わらないよう要請した。時頼からの信頼も厚く、時頼没後も得宗家の知恵袋として政治の合議に参加し、病没する直前まで北条家の行く末を案じ、時宗に道標を示した。読書を趣味として金沢文庫の創始者となった。死後に在りし日の実時を知る一門の面々は彼の最大の功績は常に一門の面々の間を取り持っていたことだと認めるが、彼の死後鎌倉では北条一門を中心とする独裁体制を強める時宗を支持する頼綱と、御家人としての立場からこれに反対する泰盛の対立が表面化する。
実時の子。
父・実時とは北条一族の釣り合いを取る為の実母との離婚・享子との再婚が原因で確執を生じてしまい、一時は酒に溺れてしまう。しかしその後は立ち直り、義宗と共に時宗に重用されて以降は父を凌ぐ知恵者としての実力を発揮する様になっていく。父・実時とは、死期を迎える際に和解した。
実時の前妻、顕時の母
実時の後妻、政村の娘
顕時の妻
北条時房の孫で猶子。時宗の求めに応じて北条一門の長老格として幕政に参画する。史実では文永の役の翌年に他界しているが、本作では弘安の役時に病床につく時宗を看病しているシーンがある。
名越流北条氏当主。
自分たちこそが北条家の嫡流であるとの思いが強く、得宗家と敵対。傀儡にされている将軍宗尊親王や足利家に接近することで得宗家打倒の機会をうかがっていた。教時や桔梗と比べて分別もあったが、教時の幸寿丸襲撃が原因で館に攻められ、頼綱の眼前で自害した。
時章の異母弟。
時章に比べて血気盛んで、時宗の息子の幸寿丸の乗る輿を配下に襲撃させるが失敗。二月騒動で敗死した。

御家人[編集]

松下禅尼の甥で義景の子で祝子の兄。重時の娘婿。長時の義弟。
時頼とは幼少から親しく、宝治合戦の際には苦悩する時頼を説得して三浦氏討伐へと向かわせた。時頼没後に時宗が「長時を殺せ」という遺言を残されていたことが政村の追及によって明らかとなり、苦悩する時宗や長時とは義兄弟にあたる泰盛を案じた政村が暗殺の首謀者を引き受けようとするが、あえて自分が首謀者になると決意し暗殺の実行役を八郎(頼綱)に命ずる。しかし梨子への罪悪感から彼女の前で動揺を隠すことが出来ず、彼女に早い段階で長時暗殺の首謀者と悟られる要因となる。時宗がそれまで幕府中枢から距離があった人物を政権の中心に据えようとすると、これに難色を示した。後に頼綱と対立。やがて時宗との関係もギクシャクするようになり、足利家など反得宗勢力に担がれる存在になりはじめた。往来で頼綱と斬り合いになるが、時宗の制止によって思いとどまった。死の床につく時宗の求めに応じて頼綱と力を合わせることを誓った。
重時の娘、長時の妹。泰盛の妻となる。
時宗が政村と実時の追及によって長時暗殺を遺言されていたことを偶発的に聞いてしまい、執権の座を降りるよう兄を説得するも一蹴され、兄を暗殺されてしまう。その死に不審を抱いており、泰盛はそのことを隠していたが、自身は泰盛の様子から彼が暗殺の首謀者と見抜いていた。頼綱に不審なものを感じ、警戒する。頼綱と二人きりになったところを襲われ、頼綱から長時を殺したのは自分であるとほのめかされる。
泰盛と祝子の父。松下禅尼の兄。
北条得宗家と縁戚関係になることで、安達氏は幕府内での発言力を増すことになった。
泰盛の甥で養子となり、文永の役では安達氏を代表して九州へ下向した。
三浦家当主。
北条氏によって有力御家人が次々と滅ぼされる中で家名を保ったが、宝治合戦に敗れて滅亡する。時頼を信頼して戦を避けるつもりであったが、結果的に北条氏に裏切られることになった。
泰村の弟。
北条に対する敵対心が強く、兵を率いて鎌倉に攻め入ろうとしたが、和平策を受け入れた泰村に制止される。最終的に北条方に不意を衝かれて劣勢となり、奮戦したが敗れた。
涼子の父。
宝治合戦で当初は北条方についていたが、妻に懇願されて三浦方について戦う。説得に訪れた実時に涼子の行く末を託した。
季光の妻で、涼子の母。
自身の実家である三浦氏に味方するよう夫に懇願。涼子にも時頼の寝首をかき切るよう伝えた。宝治合戦で夫らと共に自決。
足利家当主。
有力御家人として得宗家と距離を置き、将軍や名越流北条氏に接近して得宗家転覆の機会をうかがっていた。
泰氏の前妻で、名越時章の妹、名越教時の姉。一人称はわらわ
得宗家の陰謀によって夫と無理矢理離縁させられた事を恨んでおり、足利家や名越北条家などを動かして様々な得宗家転覆の企みに関与する。高師氏とは逢瀬を重ねる関係にある。二月騒動で流罪となったが、その後も足利家を得宗家打倒に向かわせるための企みを続けた。恨みに生きることを拒否する時輔に怒り、彼に掴みかかって自らが時頼を暗殺した張本人であることを明かしたが、その直後に高師氏により斬られ、彼に抱かれながら死去した。
泰氏の子で、母は時頼の妹。
足利家の中では穏健派で、反得宗家の陰謀を嫌悪していた。
時輔の烏帽子親を務めた縁から彼に一門も関わる反北条の陰謀を明かしたが、足利家の当主の器にあらずと見た家臣の高師氏により毒を飲まされて死去。
頼氏の子。祖父が得宗家転覆の企みを成功させられずに死去した後、時宗に面従腹背することで足利家の延命を図る。そのため強硬な反得宗派の桔梗のことは快く思っていない。
家時の孫、後の室町幕府初代将軍
足利家執事。足利家を天下人にすることに執念を燃やし、様々な反得宗の陰謀に関与する。桔梗とはは逢瀬を重ねる関係にあった。
足利家家臣。
鎮西奉行。蒙古襲来で戦死。
資能の子。
蒙古襲来では博多における実質的な幕府軍の大将であった。討ち死にした蒙古兵を執拗に斬りつける頼綱を嗜めた。
九州御家人。
蒙古襲来において一番手柄を立てる。
九州御家人。
蒙古襲来において竹崎とともに活躍。
九州御家人。
九州御家人。
伊予御家人。
蒙古襲来では水軍を率いて蒙古兵の船団を夜襲した。
九州の御家人。
蒙古襲来の際に一騎討ちの作法にのっとって敵と戦おうとしたが、自身の先祖やその武勲を述べている最中に敵の攻撃を受けて死去。
壱岐守護代
島に上陸した蒙古兵相手に奮戦したが、最後は「壱岐に栄えあれ!」と絶叫して自害した。
季長の郎党。
上野の武士。
諸国見聞の旅に出た時頼一行を泊め、貧しいながらも精一杯のもてなしをした。
常世の妻
政所執事
評定衆
評定衆

将軍・朝廷・公家[編集]

鎌倉幕府第4代将軍。
将軍を更迭された後も幕府打倒を画策し、息子の頼嗣共々時頼が仕向けた刺客によって暗殺された。
鎌倉幕府第5代将軍。
頼嗣の御台所、時頼の姉。北条氏の勢力拡大を嫌った何者かに毒を飲まされ病死した。
鎌倉幕府第6代将軍。後嵯峨上皇の皇子。亀山天皇の兄。
生母の身分が低かったため、皇位を弟に取られて鎌倉へ追いやられた。
名越流北条氏や足利氏、北条長時など鎌倉内の反得宗勢力と結んで得宗家を滅ぼそうと画策する。将軍職を追われて都に送り返された後も得宗家打倒の陰謀に関与した。
将軍宗尊親王の御台所。公家の近衛家の姫で時頼の養女として縁組。祈祷層の僧正良基との密通事件を起こし、それが将軍更迭のきっかけとなる。
鎌倉幕府第7代将軍。宗尊親王の子。
第88代天皇。宗尊親王と亀山天皇の父。
第90代天皇。後嵯峨上皇の皇子。宗尊親王の弟。父の後嵯峨上皇と対立関係にあり、父の側近である近衛基平を嫌っている。
関白。
朝廷が再び天下に号令するため才覚ある者を求めており、六波羅に左遷されてきた時輔に目をつけて彼と交流を深める。亀山天皇に蒙古から送られた国書に返書をしてはいけないと訴え、自刃した。彼の影響で時輔は蒙古や外国の事情を知るまでは、反蒙古の考えを抱いていた。
元摂政・関白。
元太政大臣。関東申次

元朝[編集]

大元の皇帝(世祖皇帝)。
単純な悪役としてではなく兄や子と対立しながら苦悩する人間的な部分や、能力のある者は出身や民族を問わず取り立てる開明的な人物像が描かれた。兄モンケとは異なり、「南宋との戦を制するには、南宋と交易する国々を攻め取り、南宋を弱体化させる」という戦略をモンケの代より主張していたが、この戦略が南宋と交易する日本への侵略へと繋がってゆく。
クビライの兄。モンゴル帝国第4代皇帝。
当初は弟と対立し、「大カアンになれない」と過小評価していたが、最終的には和解する。一方で南宋との戦に対しては直接攻め勝つことに拘っていたが、その途上で病死した。
大元の皇后。チンキムの母。クビライ父子の争いに気をもんでいた。
世祖皇帝の嫡子。大元の皇太子。クビライの強引な政策に心を痛めていた。
大元の宰相
世祖皇帝の漢人顧問、儒学者
ヴェネツィアの商人でクビライに側近として迎え入れられた。日本語に堪能で時輔らと情報交換を行う。
大元の使者、クビライの重臣。民族や出自に関わりなく能力ある者を取り立てるクビライに感謝し、心酔している。
大元の使者。

高麗[編集]

大元の使者、高麗の役人。
勇から「同じ高麗の人間なのに、蒙古に従う裏切り者」と殺意を抱かれ襲われるが、美岬に庇われて命を拾う。その後房に捕えられて連れてこられた勇に自らの思いを語り、和解した。
文永・弘安の役の大元軍司令官、モンゴル人。
文永・弘安の役の大元軍副司令官、高麗人。
文永・弘安の役の高麗軍司令官、高麗人。
文永の役の大元軍副司令官、漢人。少弐景資の矢を受けて負傷した。

その他[編集]

南宋出身の博多の商人。
北条時頼と親しい間柄となり、蒙古の情勢を時頼に伝える。諸国見聞中の幼少の時宗にも世界の広さを教えた。大都建設の木材の商売でクビライと会見する機会を得た。一貫して蒙古と戦することは避けるよう主張し、時宗の招きで幕府評定の席に出席した際にも血気に逸る鎌倉武士たちを諫めた。最初の蒙古襲来(文永の役)後、使者を斬首するといった時宗の蒙古に対する強硬姿勢に憤りを現したが、時宗の立場を理解してもいた。弘安の役では、嵐に巻き込まれた蒙古兵たちを同じ人間であるとして救助し、当初は救助を嫌がっていた武士たちも謝国明のその懸命な姿を見て救助に協力した。
謝国明の妻。大元の使者の潘阜をもてなした際に、使者を襲った佐志勇から彼を庇って殺された。
謝国明の子。父譲りの広い視野を持ち、神出鬼没に現れて時宗に協力する。
謝国明の見世の女。自分の国を滅ぼした戦を嫌悪している。
水軍松浦党の頭領。
謝国明と親しく、諸国見聞中の時頼・時宗親子とも交流。蒙古襲来の際に息子たちを蒙古兵に殺され、その恨みを晴らすために大元に渡ってクビライを暗殺しようとするが、討ち取られた。
佐志房の養女で、実は足利泰氏の隠し子である。水軍の一員として育ったため自分のことを「おれ」と呼ぶ。幼少時に時宗と出会い、後に再会してほのかな想いを寄せる関係になる。
蒙古襲来前にはフビライに心酔していた。
蒙古襲来では戦闘に巻き込まれ、自分の身を守るため蒙古兵を殺害。兄弟を失ったこともあり、その後はそれまで以上に戦を嫌悪するようになり、それを命じたのが時宗であることに悲しみを感じていた。
泰氏の娘であることを知らされると、時宗に戦の愚かさを伝えるために一時的に足利家に入ったが、時宗に自分の本当の想いを伝え、松浦党へ戻った。
  • ふき:木村佳乃(二役)
桐子の母。
桐子に「お前には鱗(北条氏の家紋)を食らう龍の血が流れている」と言い残して亡くなる。この言葉を桐子が覚えていたことが桐子が足利家の隠し子だと分かるきっかけになった。
佐志房の長男。蒙古襲来で戦死。
佐志房の次男で、養子。高麗の出身。
大元の使者として博多を訪れた高麗人の潘阜の通訳をした際に、高麗を従属させた大元への恨みが再燃し、潘阜に斬りかかるが、彼を庇った美岬を殺してしまう。その後この件を知った房に捕えられて謝国明の元へ連れて行かれ、房は勇が美岬の命を奪った償いをその命をもって償わせようとするが謝国明に「命を奪った償いは、命では出来ぬ」と助命された。その後松浦党から出奔していたが、のちに佐志と和解して松浦党へ戻る。蒙古襲来で蒙古兵の手で深手を負い、桐子に「親父殿を頼む」と言い残して死亡。
佐志房の三男、養子。蒙古襲来に際して壱岐へと助力として送られるが、蒙古襲来で戦死。
日蓮宗の開祖。立正安国論を著し、繰り返し他宗や幕府を批判する。
時宗の母涼子は公然と幕府を批判する彼に関心を持ち、しばしば彼のもとを訪れて意見を通わせていた。
平頼綱と初めてあった際、彼を「偽りを生きる者」と看破し、以降頼綱から激しい憎しみを向けられる。
頼綱の主導で幕府に処刑されかかるも、涼子や祝子の説得を受けた時宗により寸前のところで助命された。
円覚寺開祖。南宋出身。時宗に寿命が残りわずかであることを伝えた。

スタッフ[編集]

放送[編集]

放送日程[編集]

放送回 放送日 サブタイトル 演出
第1回 1月7日 鎌倉大激震 吉村芳之
第2回 1月14日 ふたりの母
第3回 1月21日 兄弟落差
第4回 1月28日 反抗
第5回 2月4日 波乱の旅 吉川邦夫
第6回 2月11日 博多恋心
第7回 2月18日 執権修行
第8回 2月25日 逃げた花嫁 吉村芳之
第9回 3月4日 決闘由比ヶ浜
第10回 3月11日 ひとり立ち
第11回 3月18日 時頼絶命 吉川邦夫
第12回 3月25日 暗殺
第13回 4月1日 大いなる岐路 吉村芳之
第14回 4月8日 兄の追放
第15回 4月15日 母上ご乱心 渡邊良雄
第16回 4月22日 将軍すげ替え
第17回 4月29日 クビライの影 吉川邦夫
第18回 5月6日 国書来る
第19回 5月13日 戦か属国か 城谷厚司
第20回 5月20日 十八歳の執権
第21回 5月27日 初陣 吉川邦夫
第22回 6月3日 京の闇 吉村芳之
第23回 6月10日 人質 吉田浩樹
第24回 6月17日 高麗からの文 吉村芳之
第25回 6月24日 最後通告 城谷厚司
第26回 7月1日 兄弟の絆 吉田浩樹
第27回 7月8日 ご謀反許さず 吉村芳之
第28回 7月15日 あの兄を討て!
第29回 7月22日 さらば兄上
第30回 7月29日 長老死す 城谷厚司
第31回 8月5日 出撃命令
第32回 8月12日 いざ博多へ! 真鍋斎
第33回 8月19日 蒙古襲来前夜
第34回 8月26日 蒙古襲来〈1〉九百隻の大船団 吉村芳之
第35回 9月2日 蒙古襲来〈2〉奮戦! 水軍城
第36回 9月9日 蒙古襲来〈3〉 博多炎上 真鍋斎
第37回 9月16日 謎の撤兵 吉村芳之
第38回 9月23日 攻めか守りか 城谷厚司
第39回 9月30日 ねらわれた姫君
第40回 10月7日 消えた使節団 吉田浩樹
第41回 10月14日 斬るべからず 吉村芳之
第42回 10月21日 いのち尽きるとも 真鍋斎
第43回 10月28日 幕府分裂 松浦善之助
第44回 11月4日 妻のなみだ 勝田夏子
第45回 11月11日 わが祖国 吉村芳之
第46回 11月18日 クビライを討て!
第47回 11月25日 弘安の役 勝田夏子
第48回 12月2日 運命の嵐 吉村芳之
最終回 12月9日 永遠の旅
平均視聴率 18.5%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[3]

総集編[編集]

  • 前編「兄弟」
  • 後編「蒙古襲来」

脚注[編集]

  1. ^ 1979年放送の『草燃える』は鎌倉時代前期、1991年放送の『太平記』は鎌倉時代後期を扱った
  2. ^ 鈴木嘉一『大河ドラマの50年』、中央公論新社、2011年
  3. ^ a b ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ

関連作品[編集]

外部リンク[編集]

NHK 大河ドラマ
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北条時宗