北条政範
時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 文治5年(1189年) |
死没 | 元久元年11月5日(1204年11月27日) |
別名 | 遠江左馬助(通称) |
官位 | 従五位下 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源実朝 |
氏族 | 北条氏 |
父母 | 父:北条時政、母:牧の方 |
兄弟 | 宗時、政子、義時、時房、政範、阿波局、時子、稲毛女房他 |
北条 政範(ほうじょう まさのり)は、鎌倉時代初期の武将。父は北条時政、母は時政の後妻の牧の方。
生涯[編集]
母が京の出身と言うこともあり、3代将軍源実朝が都の貴族である坊門信清の娘(信子)を正室に迎える際の使者として上洛した。しかし京で病にかかり、16歳で急死した。
若年での官位の高さなどから見て、時政の嫡男は異母兄の北条義時ではなく、貴族出身である牧の方を母とする政範であったと考えられる。
時政・牧の方鍾愛の子であり、牧の方所生唯一の男子であった政範の死は、畠山重忠の乱、牧氏事件と続く鎌倉幕府、北条氏一族内紛のきっかけとなっている。
関連作品[編集]
- テレビドラマ