林田彪
林田 彪 はやしだ たけし | |
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生年月日 | 1944年4月4日(80歳) |
出生地 | 日本 熊本県玉名郡長洲町 |
出身校 | 東京農工大学農学部 |
前職 | 国家公務員(建設省) |
所属政党 | 自由民主党(額賀派) |
称号 | 農学士 |
公式サイト | 公式サイト |
選挙区 |
(比例九州ブロック→) (熊本2区→) 比例九州ブロック |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1999年7月6日 - 2009年 2012年 - 2014年 |
林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。
経歴
[編集]熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。
1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から立候補したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年6月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、本来の比例九州ブロック次点であった渡瀬憲明が1998年に死去しており、次々点の宮島大典は1998年の長崎4区補欠選挙で当選していたため、次順位の林田が同年7月6日付で繰上当選となった[1]。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、小沢自由党を経て与党(保守党)入りした野田と選挙協力し、比例単独で立候補し当選(第42回以降野田と林田はコスタリカ方式で立候補するようになる[要出典])。2001年、第1次小泉内閣財務大臣政務官。
2003年、第42回衆議院議員総選挙で熊本2区に立候補し、小選挙区初当選。2004年、第2次小泉改造内閣で内閣府副大臣(行政改革、構造改革特区、地域再生、産業再生機構、規制改革、男女共同参画、少子化対策、栄典及び国際平和協力業務等担当)。2004年、政治家の年金未納問題が問題となった際に8か月分の未納が判明した[2]。
2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で比例九州ブロック当選、第3次小泉内閣で内閣府副大臣に再任。同年11月、自由民主党副幹事長。2008年9月24日、衆議院災害対策特別委員長[要出典]。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では熊本2区に自由民主党から立候補。公明党の推薦も受けた[3]が民主党新人の福嶋健一郎に敗れ、落選(重複立候補をしていなかったため、比例復活はできなかった[4]。)。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロック単独で立候補し、選挙区との重複候補だった33名、および西川京子元厚生労働副大臣に次ぐ名簿順位35位に列せられたが、選挙区立候補者33名中31名が当選したため当選、国政に復帰した。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロックに名簿順位33位で立候補したが、落選。
政策
[編集]不祥事
[編集]- 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙で11人に弁当や酒など数万円相当の接待を行ったと報じられた[6]。
- 2004年、政治家の年金未納問題が問題となった際に8か月分の未納が判明した[7]。
所属団体・議員連盟
[編集]脚注
[編集]- ^ 第145回国会 衆議院 本会議 第44号 平成11年7月12日 - 国会会議録検索システム
- ^ “園田氏、林田氏も未納判明/両氏とも勘違いと弁明”. 四国新聞. (2004年5月4日) 2016年6月25日閲覧。
- ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
- ^ asahi.com:九州ブロック - 比例区開票結果 - 2009総選挙
- ^ 第154回国会請願3545号
- ^ しんぶん赤旗 2009年9月16日
- ^ 47ニュース 2004/05/04
- ^ “自由民主党たばこ特別委員長を拝命致しました。”. 林田たけし~魅力あるくまもと~ (2014年11月10日). 2018年12月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]議会 | ||
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先代 金田勝年 |
衆議院財務金融委員長 2013年 - 2014年 |
次代 古川禎久 |
先代 鈴木恒夫 |
衆議院災害対策特別委員長 2008年 - 2009年 |
次代 五十嵐文彦 |
公職 | ||
先代 伊藤達也 佐藤剛男 中島真人 |
内閣府副大臣 七条明 西川公也と共同 2004年 - 2005年 |
次代 嘉数知賢 櫻田義孝 山口泰明 |
先代 大野松茂 砂田圭佑 |
財務大臣政務官 中野清と共同 2001年 - 2002年 |
次代 砂田圭佑 吉田幸弘 |