藤田高敏

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藤田 高敏(ふじた たかとし、1923年8月30日 - 2016年2月15日)は、日本政治家。元衆議院議員(通算8期)。元社会民主党愛媛県連顧問。元愛媛県議会議員(通算4期)。

概要[編集]

愛媛県西条市出身。1938年住友重機械工業に入社。その後、出征。復員後、復職、労組に加入し労働運動に携わる。

1951年、愛媛県議会議員選挙に出馬し初当選。以後4期連続当選。1963年に行われた第30回衆議院議員総選挙日本社会党公認で旧愛媛県第2区より出馬し当選。以後落選を挟んで8期の当選を果たす。

篤実な人柄で知られ、都市部では常に一定の支持層を持っていた。また、住友グループ労組の支援を受けていたものの保守系が圧倒的に強い地域ということもあり決して選挙に強いわけではなかった。

党内では中間派である社会主義フォーラムに所属、後に発展し結成された社会民主フォーラムでは93年まで代表を務めた。また、日中友好をライフワークとし、日中友好議連副会長や社会党日中特別委員会長等を務めた。

1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。1996年に行われた第41回衆議院議員総選挙では社会民主党公認で愛媛県第3区より出馬したが落選し、引退を表明。その後も社会民主党愛媛県連委員長を長く務め選挙の指揮などにあたった。

2003年、愛媛県功労賞を受賞。

2016年2月15日老衰により死去。92歳没[1]

脚注[編集]

  1. ^ 元社会党衆院議員の藤田高敏さん死去 旧愛媛2区”. 朝日新聞 (2016年2月17日). 2016年2月17日閲覧。