NHKのど自慢
NHKのど自慢 | |
---|---|
ジャンル | 視聴者参加型音楽番組 |
出演者 |
徳田章(NHKアナウンサー) 秋山気清 ほか |
オープニング | 作曲:鈴木邦彦 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 |
NHK (放送:総合テレビ) |
放送 | |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1946年1月19日 - (テレビ放送は1953年3月15日から) |
放送時間 | 日曜日12:15 - 13:00 |
放送分 | 45分 |
公式サイト | |
特記事項: NHKワールド・プレミアムでも放送。 |
NHKのど自慢 | |
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ジャンル | 視聴者参加型音楽番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1946年1月19日 - |
放送時間 |
日曜日12:15 - 13:00 (45分) |
放送局 | ラジオ第1 |
制作 | NHK |
出演 |
徳田章(NHKアナウンサー) 秋山気清 ほか |
テーマ曲 | 作曲:鈴木邦彦 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: NHKワールド・ラジオ日本でも放送。 |
『NHKのど自慢』(エヌエイチケイのどじまん)は、日本放送協会(NHK)の公開視聴者参加の歌合戦番組。1946年の放送開始以来、60年以上続いている長寿番組である。
姉妹番組として、1999年4月から2004年3月までNHK衛星第2テレビで放送された『BSジュニアのど自慢』および『アニソンのど自慢』についても本項で後述する。
概要
日本各地の都市[1]を巡回し、中学生を除く15歳以上のアマチュア出場者が、書類審査、会場での予選審査を経て本番組に出場し、持ち歌を歌い、採点され競うもの(ルール参照)。
1970年3月までの番組名は「のど自慢素人演芸会」。この当時までは漫才や浪曲、物まねなどを披露する出場者もおり、現在の「NHKのど自慢」となってからも、1970年代前半頃までは歌以外の芸を披露する者が稀に見られた。
出場者は学生から会社員、教育関係者、公務員、看護師、農家、定年後の高齢者[2]など様々で、中にはプロ歌手を目指す者やアマチュアバンドのメンバーもいる。また、日本人のみにとどまらず、在日外国人[3]や日系南米人、交換留学生などが出場することもある。年に一度行われるグランドチャンピオン受賞者を中心に、後にプロの歌手やタレントとしてデビューした者もいる(後述)。
2011年現在の放送時間は、デジタル総合テレビ、ラジオ第1と海外向けのNHKワールド・プレミアム[4]、NHKワールド・ラジオ日本の同時放送で、日曜日の12:15~13:00 [5]となっている。2011年3月まではBS2[6]でも地上波と同時放送され、2005年3月まではBShiでも時差放送されていた[7]。また、NHKワールド・プレミアムでは毎週月曜日1:10~1:55に同日放送分を、NHKワールド・ラジオ日本では毎週日曜日(土曜日深夜)1:00~1:45[8]に1週間前に開催された内容をそれぞれ再放送している[9]。日曜日の初回放送終了後、NHKオンデマンドでも2週間見逃し番組サービスとして配信されている。
基本的にはテレビとラジオ同時放送のサイマル放送であるが、高校野球などスポーツイベントが行われるような場合は、どちらか、あるいはテレビ・ラジオとも放送を中止する場合がある。後述「のど自慢休止の理由」項参照。また、総合テレビとNHKワールド・プレミアムのみの放送であるが、毎年12月の最終日曜日には「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」と題して今年1年間に放送された熱唱の名場面を総集編として放送している(その他、番組の裏側も紹介している)。[10][11]
タイトルロゴにデザインされている鳥は、スズメがモデル。
歴史
番組の企画者は、『NHK紅白歌合戦』も企画立案したNHK音楽部の名プロデューサー、三枝嘉雄(健剛)。作曲家・三枝成彰、ドラマディレクター・三枝健起の父である。軍隊時代に経験した余興大会にヒントを得たという。
1946年1月19日にラジオ番組「のど自慢素人音楽会」として、東京都千代田区内幸町のNHK東京放送会館(現在の日比谷シティの場所)から午後6時(18時)から1時間30分、公開放送されたのが始まり。翌1947年に「のど自慢素人演芸会」と改称(このタイトルで1970年3月22日まで放送)。テレビ放送は1953年3月15日午後2時(14時)から2時間放送したのが始まりであり(ラジオと同時公開放送)、当初はスタジオのあった東京での公開のみ放送された。なおこの第一回目の放送をラジオで募集したところ最終的に応募者数は900名を超えたという。
1966年から1970年まで、のど自慢の人気は下降した。原因は1966年に始まったのど自慢前司会者・宮田輝を司会・構成に据え、全国各地の公民館や体育館から巡回中継し、各地の風習・伝統・文化を伝えることをコンセプトとしてスタートした「ふるさとの歌まつり」と裏番組のNET(現・テレビ朝日)の「大正テレビ寄席」に視聴率を奪われたこと。あの手この手の起死回生策が図られるもことごとく失敗し、1970年3月まで東日本・西日本地区で司会が違っていた。
1970年4月に現在の「NHKのど自慢」にタイトルを変更。程なくして金子辰雄アナウンサーが司会に就任してから人気が回復し、以来現在の地位を不動のものとしている。なお、本番組はNHK総合テレビで最後まで白黒だった番組でもあり、ようやくカラー化されたのは1971年10月10日のことであった。これはNHKの全国の全地方局からのカラーテレビ中継車を使っての生中継ができる体制がこの頃になってようやく整備された模様であることが、この番組のカラー化が遅れた理由のようである(但し、年1回の全国チャンピオン大会についてのみは、1965年頃からカラー化された)。
1970年からは全国各地を巡回する公開生放送(原則)で行っており、毎回書類審査と会場での予選審査を勝ち上がった20組[12]の出場者が自慢ののどとパフォーマンスを披露し、ゲスト審査員2人を交えた審査により、チャンピオンと熱演賞(審査員特別賞)が1組ずつ表彰される。
近年はパフォーマンスを主とする出場者に「いかに地元らしさや昔ながらののど自慢ならではの雰囲気を出すか」という工夫が見られる。また、カラオケの普及により出場者の歌唱レベルは急速に向上しており、箸にも棒にもかからないような歌いぶりの者は主に高齢者を中心とした一部の出場者を除き、ほとんど見られなくなった。
一時期は、衛星第2テレビで「のど自慢」に出場できない中学生以下を対象にした「BSジュニアのど自慢」の放送もあった。
ハイビジョン放送は1991年11月からのBSアナログハイビジョン実用化試験放送から行われている。2010年4月4日放送分からアナログ放送およびNHKワールド・プレミアムにおいて16:9レターボックス放送を開始。
番組構成
オープニングは鐘(チューブラベル)の音で始まり、鐘を打ち鳴らしている画面を背景に番組タイトルロゴを表示。鐘の音に引き続いてオープニング音楽をBGMにステージに出場者が登場する様子を映し出す(出場者は左右から登場し、会場は手拍子)。その後、会場後方からの引きの画面でステージ全体を映しながら開催地名(例:〇〇県〇〇市)を表示。後半のオープニングでは中央のカメラが出場者を右から左に映す。その後、ステージ上手側(観覧席から見て右側)からゲスト、ステージ下手側(観覧席から見て左側)から司会者が順に登場する。[13]
オープニング音楽、番組タイトルロゴ(1995年4月にNHKのロゴが変更された以外)は、タイトル変更当初から使用されている。これまでテロップは白文字だけの表示で放送局(開催地方)で番組タイトルロゴ・開催地名・「今週のチャンピオン」のテロップが違っていたが、2011年度(2011年4月10日放送分)以降はカラー表示のテロップで番組タイトルロゴ・開催地名・「今週のチャンピオン」のテロップが全国統一になった。
オープニング音楽の終了と同時に中央で司会者が挨拶する。従来は『(みなさん)こんにちは。NHKのど自慢 司会の〇〇です』というものであったが、2010年度は松本に交代した翌週から『日曜のお昼は明るく、楽しく、元気よく。NHKのど自慢 司会の松本和也です』と言っていた[14]。しかし、2011年3月20日放送分(開催地・大分県宇佐市)以降は同年3月11日に発生した東日本大震災の被災地域の心情を考慮して前述の口上を自粛(事実上取り止め)していたが、2011年9月18日放送分(開催地・群馬県桐生市)から震災から半年を迎え前述の口上を復活した、その間『みなさんこんにちは。NHKのど自慢 司会のアナウンサー松本和也(徳田章)です』というのみの挨拶となった。
司会者は自己紹介に続いて「今日は(例:〇〇県〇〇市)からの生放送です」と述べ、「会場の(例:〇〇市民会館)には〇〇〇人のお客様がおこしです」と述べ、ステージ側から会場全体を映す画面にスイッチして開催施設名(例:〇〇市民会館など)を表示する。[15] 続いてゲストを紹介。ゲスト紹介が終わると、開催市町村紹介VTRが流された後、出場者が順番に歌っていく[16]。
ラジオと同時放送ではあるが、司会者は番組冒頭の挨拶時に番組名・司会者名・ゲスト名・会場名も述べるため、ラジオ向けのアナウンスは特に付け加えられてはいない。
かつては出場者が自分の番になると、セットの後ろから出てきて歌い、合否の鐘の後、不合格の場合はすぐセット裏に帰り、合格の場合は司会者が出場者へのインタビューや住所と名前の紹介依頼を行っていたが、宮川泰夫が司会となった1993年度からは放送開始とともに全出場者が入場し、ステージ上手側(観覧席から見て右側)に座って先行出場者の歌に合わせて手拍子や身振りなどをしつつ自分の番を待ち、合否の鐘の後はインタビュー[17]後にステージ上の席に戻るというスタイルになっている。
出場者がすべて歌い終わったのち、バンドメンバーの紹介がある[18]。
番組の最後にゲストの歌手が1曲ずつ持ち歌を披露し、その後出場者がステージ上に並んで審査結果の発表へと続く。審査結果の発表では、まずゲストの歌手が選んだ特別賞の受賞者が表彰される。その後、合格者がステージ前列へ出て、ドラムロールとともにその週のチャンピオンが発表される。エンディングは音楽[19]を流し、最後は会場後方からの引きの画面(場合によっては、出場者の後方・演奏席から映した画面)で番組タイトルロゴを表示しながら終了する。
ルール
出場希望者は、往復はがきに住所氏名年齢等に加えて選曲理由を記入し、各地のNHK放送局に参加申し込みを行う。これは番組自体が放送回ごとに各放送局の制作・著作となっており、出場募集も放送エリア内に対して行われるためである。書類選考により約250組の予選出場者が選ばれ、各放送局から通知される。ちなみに、のど自慢は原則として各都府県で年に1回開催されることになっているが、北海道地方でのみ年に3~4回開催されるために、開催されない都府県も発生する。また、福岡県ののど自慢は福岡局か北九州局のどちらかの局で制作・著作されているため、申込はその時開催する放送局宛てに出さなければならない。なお、出場資格は高校生以上となっており、一時期は資格のない中学生までを対象にした番組(「BSジュニアのど自慢」)もあったが、2004年に終了した(後述)。
書類審査を通過した予選出場者は、収録(放送)日の前日(土曜日)に本番と同じ会場で行われる予選会に出場し、本番同様に一組ずつ生バンド[20]をバックにステージ上で歌を披露する。予選会は基本的に非公開で行われる[21]が、放送局によってはローカル番組の中で全出場者の歌を放送することもある。全員の歌唱が終わると、歌唱力と出演者のエピソード(はがきに記載された選曲理由や、予選歌唱直後に行われる司会者からの聞き取りによる)などを加味して本番の出場者20組が決まる[22]。なお、出演順は、曲目や年齢のバランスを考慮して決められる[23]。
本番当日は、次のような流れになっている
- 放送開始前のリハーサル
- 放送開始(12:15)
- 出場者の入場
- 番組紹介・ゲストの紹介
- 会場地区の紹介映像
- 出場者の歌唱と合否の判定
- ゲスト歌手の歌唱(大体12:50過ぎ)
- 特別賞と今週のチャンピオン発表(大体12:57過ぎ)
- 放送終了(13:00)
- 今週のチャンピオンのアンコール歌唱とゲスト歌手によるミニコンサートと記念撮影
各出場者がステージへ入場・着席後、ステージ中央に上がって歌を披露する。この時点で、出場者は出場番号と曲名のみを言う。途中まで歌ったところで、審査結果(別室にいる審査員から鐘を鳴らす担当者に結果を伝え、その後に鐘を鳴らす)が鐘(チューブラーベル)を打つ数によって表される。1音(ド)と2音(ド・レ)では不合格[24]。不合格でも司会者あるいはゲストの歌手[25]と会話を交わすことはあるが、名前を名乗る権利はない。合格になると「ドシラソドシラソドーミーレー」という合計11音の鐘が鳴る。この合格の際に鳴らす鐘を、司会者は「鐘3つ」と表現するが、これは頭から8音は注意を引くための装飾音であり、後ろ3音に歌唱力に対する評価を表す意味合いがあるためである。ここで初めて出場者は自分の名を名乗ることが出来る。ただし、ごく稀にではあるが有名人・芸能人と同姓同名あるいは読みが同じ参加者が登場した場合など、不合格でも名乗ることがある。
近年は出場者に失礼との判断に加え、前述の通りカラオケの普及で1音レベルの歌唱力の出場者が少なくなった[26]という理由で1音の評価はまれになり、高齢などの理由でほとんど歌えていない参加者の場合でも大抵は2音である。1音の評価は、明らかに笑いを取る目的で出場していると思われ、かつ歌唱力が極端に低い参加者に下されることがまれにある程度で、事実上消滅している[27]。
伴奏は判定の鐘で止められるため、合否にかかわらず歌を最後まで歌い切る事はほとんどできない。[28]
全員の出場者が歌い終えた後、ゲストの歌手(演歌歌手であることが多い)2人が1曲ずつ歌う。その間に審査が行われ、特別賞[29]と、合格者紹介に続いてその週のチャンピオンがそれぞれ一人選出[30]され、放送が終わる。その週のチャンピオン達成者にはゲスト歌手から小規模のトロフィーが、特別賞にはやはりゲスト歌手から盾が授与される。その後、週ごとのチャンピオンの中からさらに審査の上、年に一度行われる後述のチャンピオン大会への出場者が選出され、グランドチャンピオンを競うことになる。
一時期は、『のど自慢の歌』を出場者全員とゲストの歌手で合唱していたこともある。
放送終了後はアトラクションとなり、チャンピオンがもう一度歌い、その後ゲストが2曲ずつ歌う。
歴代出演者
期間 | 司会 | 鐘奏者 | |
---|---|---|---|
1946.1.19 | 1948.3 | 太田一朗、高橋圭三 大野臻太郎、宮田輝 ほか数人が交代担当 |
(不明) |
1948.4 | 1949.3 | 高橋圭三 | |
1949.4 | 1966.3 | 宮田輝 | |
1966.4 | 1967.3 | 大井安正 | |
1967.4 | 1969.3 | 大井安正(東日本) 生方恵一(西日本) | |
1969.4 | 1970.3 | (各地域本部アナウンサー) | |
1970.4 | 1970.8.23 | 中西龍 | |
1970.8.30 | 1987.3 | 金子辰雄 | |
1987.4 | 1993.3.28 | 吉川精一 | |
1993.4.4 | 2002.3.31 | 宮川泰夫 | 吉澤庸光 |
2002.4.7 | 2005.3.27 | 秋山気清 | |
2005.4.3 | 2007.4.8 | 宮本隆治 | |
2007.4.15 | 2010.3.28 | 徳田章 | |
2010.4.4 | 2011.7.3、8.21 | 松本和也 | |
2011.7.10 | 現在 | 徳田章[31] |
- 備考(司会)
- 金子辰雄と吉川精一そして宮川泰夫の3人は平成17年度 NHKのど自慢チャンピオン大会2006に特別出演。3人ののど自慢に対する思いを巨大な額に書いて貰った。特に金子は似顔絵を描いてくれた当時の子供本人とその家族との14年ぶりの感動の再会があった。
- 2011年8月21日放送の和歌山県田辺市は2011年6月26日に収録している。
- 備考(鐘奏者)
- 出場者全員が歌った後、バンドメンバーは常に紹介されるが、鐘奏者の紹介はかなり後から行われるようになった。ちなみに判定は鐘奏者によるものではなく、番組スタッフ・開催局の責任者・地方中心局の責任者などが行い奏者にヘッドフォンで指示しており、番組ホームページにもその旨が書かれている。また、2009年2月1日放送分において司会の徳田が「秋山さんに鐘を要請しても、秋山さんが決めてるわけじゃないんで」と言う一幕もあった。
- 鐘はかつては各地方で形や色、響きなどが違っていたが、2004年3月21日福島県原町市の放送からバンド編成が一部違う北海道と近畿を除いて統一され(事実上の鐘の統一は2004年2月29日収録、4月4日放送の三重県大会(津市)から)、地方の鐘は2004年4月11日(2004年3月7日収録)福岡県大川市の放送が最後になった。
- 佐伯憲二は、多くの日本洋楽史、放送史にその名前が記述されており、「佐伯のとっつあん」として知られる。元は近衛秀麿の側近で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)、東京放送管弦楽団のトランペット奏者を務めた後、番組初期の鐘担当者になった(詳しい担当時期は不明)。
- 吉澤は、2002年1月に死去したが、2002年2月17日徳島県小松島市と2002年3月10日鹿児島県開聞町の放送はそれぞれ2002年1月13日、2002年1月20日に収録したもので、吉澤の出演は1993年4月4日~2002年1月27日である。
- なお、秋山は2002年の2月と3月に体調不良の吉澤に代わって代理出演したが、吉澤の死去に伴い2002年4月7日から正式に鐘の担当となった。
バンドメンバー
ステージの下手側(観覧席から見て左側)に、ピアノ、シンセサイザ、ドラム、ベース、ギターの編成で置かれ、鐘担当の秋山もここにいる。
ピアノ・編曲は宮下博次・西原悟が入れ替りで担当(北海道・近畿地方は編曲のみ)。 シンセサイザー・ベース・ギター・ドラムは各地方の演奏者が担当する。 また民謡を歌う出場者がいる場合、それに合わせて三味線と尺八または三線の演奏者が追加される。 一部地方では三味線・尺八の演奏者を紹介しない場合がある。
最近は、バンドメンバー紹介時にパフォーマンスをする人が多くなった。また、関東甲信越地方では2008年からギター以外のバンドメンバーが替わっている。
以前は、全出場者の歌の終了後のゲスト歌手が歌う際にも、バンドが伴奏(生演奏)していたが、2003年あたりからカラオケの再生に切り替えられた。
テーマ曲
- 初期のテーマ曲(~1970年3月まで)は、作曲家天地眞佐雄(天地総子の父)によるもの。
- 現行のテーマ曲(1970年4月~)は、鈴木邦彦が作曲している。
- アレンジのマイナーチェンジはあるものの、常にチューブラーベルは含まれている。
- テーマ曲は放送ごとに生演奏である。地方でシンセサイザーの音、ドラムの叩き方、ピアノ・ギター・ベースの弾き方が違う。
視聴率
現在は裏番組のアッコにおまかせ!(TBS)、ウチくる!?(フジテレビ)、Sunday!スクランブル(テレビ朝日)等があるが、安定した視聴率でトップを記録している(関東地区)。最高視聴率は以下の通り。
32.5% (ビデオリサーチ・関東地区・77年オンライン調査開始以降)
のど自慢出場後プロデビューした主なタレント
- 美空ひばり - 昭和21年(9歳)、鐘1つ(しばしば、鐘がひとつも鳴らなかった、または鐘の担当者が鳴らすことを忘れた、うますぎて判定不能と言った都市伝説が喧伝されているが、誤りである)
- 桜井長一郎 - 昭和22年、演芸部門第1回に合格
- 荒井恵子 - 昭和23年、第2回NHKのど自慢全国大会で高峰三枝子の「南の花嫁さん」を歌い優勝。
- 若原一郎 - 昭和23年、関東甲信越大会優勝
- 坂上二郎 - 昭和28年、鹿児島県大会優勝
- 北島三郎 - 鐘2つ。ゲストとしても何度か出演している。
- 五木ひろし - 福井県で合格。ゲストとしても何度か出演している。
- 森進一 - ゲストとしても何度か出演している。
- 島倉千代子 - 鐘2つ
- 牧伸二 - 鐘1つ
- 里見浩太朗 - 2011年6月5日放送(奈良県香芝市大会)でゲスト出演。
- 倍賞千恵子
- 京塚昌子
- 遠藤実 - 鐘1つ
- 大津美子
- 田中星児 - 昭和43年、全国コンクール・ポピュラー部門優勝
- 小川はる子 - 昭和60年チャンピオン
- 晴山さおり - 昭和63年度歌謡曲の部グランドチャンピオン獲得
- 水田竜子 - 平成4年度グランドチャンピオン
- 逢川まさき - 平成7年6月、熊本県竜北町(現・氷川町)大会、平成15年4月、東京都江戸川区大会ともに合格。
- 石澤智幸(テツandトモ) - 平成8年、東京都中野区大会でチャンピオン。
- 青木隆治 - 平成10年3月14日チャンピオン大会優秀賞
- 玉城千春(Kiroro) - チャンピオン。
- 大城バネサ - 平成13年度グランドチャンピオン
- 清水博正 - 平成18年度グランドチャンピオン。2008年12月14日放送(和歌山県和歌山市大会)でゲストとして初登場している。
- ジェロ - 平成15年10月12日、和歌山県新宮市大会に出場し、坂本冬美の「夜桜お七」を歌い合格。2008年10月19日放送(岐阜県高山市大会)でゲストとして初登場している。
- 三山ひろし - 平成16年1月、高知県土佐清水市大会優勝、グランドチャンピオン大会出場。2012年3月18日放送(高知県高知市大会)でゲストとして初登場している。
- 砂川恵理歌 - 平成17年5月、沖縄県嘉手納町大会でチャンピオン。その後日本テレビの歌番組をきっかけでデビュー。
- 井上愛-平成14年10月27日、福岡県岡垣町大会に出場し、鬼束ちひろの流星群を歌いチャンピオン。最初の20組に選ばれず21組目(補欠)で選ばれ、出場者が1組棄権したため補欠だった井上が本選に出場し合格でチャンピオンになった。合格・チャンピオンではびっくりした映像がある。そのほか、中学生時代はBSジュニアのど自慢、大学生時代はNHK福岡局製作のアーティスト発掘番組トンコツTV・トンコツRADIOに出演し、実力がある歌手である。デビュー曲がNHK総合の新感覚ゲーム クエスタのエンディングに起用。
- 山口賢貴 - 合格
放送休止日・放送日変更
休止日
- 正月三が日が日曜となる場合
- 1月11-17日の間の日曜:全国都道府県対抗女子駅伝競走大会
- 1月18-24日の間の日曜:全国都道府県対抗男子駅伝競走大会[32]
- 上記各休止日のため、例年、1月の放送回数は2回のみ(4-10日および25-31日の間の日曜)となる。
- 3月第1日曜:びわ湖毎日マラソン
- 12月20-26日の間の日曜:全国高等学校駅伝競走大会(男子の部)
- 12月31日が日曜となる場合[33]
以上テレビ・ラジオともに休みで、事実上の放送休止[34][35]。なお、年末については、12月30日が日曜になる場合も、放送休止もしくは「熱唱熱演名場面集」の放送となり、通常番組とはならないが、27-29日が日曜となる場合は、年度によって、通常番組、「熱唱熱演名場面集」など対応が分かれる。
以上ラジオ第1放送のみ。録音放送はなし[39]。
ニュースの放送時間延長の場合でも国内・海外とも遅れ時間分(5分が多い)をスライドして予定通り放送。NHKワールド・ラジオ日本はニュースの放送時間延長が長い場合は13:00からの国際放送独自の日本語ニュースを定時に放送する関係上休止となり、別番組に差し替えられる。
以上BS2で放送が行われていた2011年3月までの、BS2のみの休み。録画放送はなし(以前は行われていた。高校野球の準々決勝・準決勝の日が重なる場合は休止され、録画放送は行われない)。
- 台風などによる緊急災害により該当地域[41]の出場者などへの生命の危機が考えられる場合。その場合、公開放送・収録の日程はあらかじめ年間単位(4月から次年3月)で発表・決定されることから、後日振り替え開催されるケースはほとんどない。
- また、昭和天皇崩御に伴い、1989年(平成1年)1月8日の放送も、これに関係する特番のため放送休止となった。(当時の会場・および開催の有無は不明)
放送日変更など
- 2004年10月24日は10月23日に発生した、新潟県中越地震や2005年3月20日は福岡県西方沖地震による、お昼のニュースの拡大により、45分遅れでPM13:00からの放送となった。
- 2005年7月に島根県出雲市の市民会館で収録が開かれた回は本来9月4日に放映されることになっていたが、これが10月2日に変更された。
- 2007年3月25日は東京都練馬区での生放送を予定していたが、能登半島地震で放送休止となり、4月1日の収録放送に変更された。また4月1日(3月4日収録)に放送予定だった佐賀県玄海町は4月8日[42])に、4月8日(4月1日収録)に放送予定だった広島県廿日市市は6月3日にそれぞれ変更になった。[43]
- 2010年2月28日は大分県別府市での生放送を予定していたが、チリ地震の(大)津波警報発表で放送休止となり、1週後の3月7日16:00~16:45[44]の収録放送に変更された。[45][46]
- 2011年7月10日は鳥取県倉吉市からの生放送であったが、体調不良で休養中の松本の代役として前任者の徳田が司会を務めた。なお、番組内では松本の件については触れられなかった[47]。しかし、翌日になってNHKが松本を降板させ、徳田を復帰させることを発表した。これは松本が医師から「心身のバランスが崩れている」と診断され、当分の期間休養にすることになったためである[31]。
- 2011年9月4日は兵庫県赤穂市での生放送を予定していたが、台風12号による接近のため、開催自体そのものが中止。そのため番組自体も放送休止となった。[48]
- 2012年1月8日の佐賀県佐賀市からの放送はNHKワールド・プレミアムのみ15分遅れのディレイ放送となった。これは「日曜討論」の放送終了時間が当初予定していた10:30から10:45に拡大されたことに伴い、次番組の10時のニュースと大型ドキュメンタリードラマ「開拓者たち」の放送が予定より15分遅れで開始(後者の放送時間は10:50~0:20)し、当初は総合テレビより5分遅れで放送する予定だった「正午のニュース」も20分遅れのディレイ放送(0:20~0:30。関東地方のニュースは割愛)に変更されたことによる放送時間変更であった。
- 2012年4月1日の三重県伊賀市からの放送はNHKワールド・プレミアムのみ16:05-16:50のディレイ放送に変更される。これは当該時間帯に「仕事ハッケン伝 直前スペシャル」が編成されているが、もともとは第84回選抜高校野球の決勝または準決勝が同時放送されるための時間変更であったものの、雨天順延などで日程がずれ込んだためである。
- 以下、東日本大震災による影響
- 2011年3月13日は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の報道特番のために休止。奇しくもこの時の予定会場は、地震で被害を受けた福島県田村市であった。翌週3月20日も放送・開催自体が危ぶまれたが、大分県宇佐市からの放送が実施された。ただし、放送日は予定通りではあったが、東日本大震災の特設ニュースが組まれた関係で総合テレビとNHKワールド・プレミアムは13:00~13:45の時差生放送・ラジオ第1とNHKワールド・ラジオ日本は13:10~13:55とテレビより10分遅れのディレイ放送にそれぞれ変更となった。なお東北地方は総合テレビ・ラジオ第1とも東日本大震災関連のニュースに差し替え(テレビ放送での振替放送も行われず、東北地方では未放送に終わった)、BS2は放送休止となった。また、3月27日の栃木県日光市は開催が中止になったため放送休止となった。
- 3月20日の放送では、ゲストの八代亜紀・鳥羽一郎(元漁師で、被災地の漁業関係者とも交友がある)が被災地へエールを送った(但し、上述の通り東北地方では放送されなかった為、それが被災地に届く事は無かった)。また、八代が「人生の贈りもの」を歌唱中に感極まって歌えなくなる場面もあり、会場から拍手が沸き起こった。
- 2011年4月3日は富山県砺波市からの生放送を予定していたが、ニュース放送枠拡大や震災関連番組と2011年5月22日開催予定だった宮城県岩沼市(津波で約180人が亡くなった)の開催が中止で番組放送調整のため休止。ただ、開催自体そのものは録って出し収録として予定通り行われ、翌週の4月10日に録画・録音でそれぞれ放送された。放送時間は総合テレビとNHKワールド・プレミアムはニュース延長の関係で12:30~13:15に放送。ラジオ第1とNHKワールド・ラジオ日本は通常通りの時刻での放送となった。東北地方では3月5日のチャンピオン大会以来の本番組放送再開となった。この日は総合テレビにおける時報スーパーの表示がなかった。4月10日生放送予定だった東京都八王子市は宮城県岩沼市の公演が中止となった5月22日にその振り替え扱いとして録画・録音放送に変更された。
- 2011年8月28日は埼玉県三郷市からの生放送を予定をしていたが、計画停電を実施された場合の混乱を避けるために、生放送を収録に変更し実施時間を変更した。8月28日の生放送を10月2日の録画・録音に変更され、もともと10月2日に録画・録音放送予定だった(8月21日収録)北海道恵庭市は8月28日の録画・録音に変更された。
- 2011年9月11日放送回は、地震と津波で被害を受けた岩手県久慈市からの公開生放送が行われた。津波の被害を受けた被災地からは、震災以降では初の放送となる。この日は震災から半年になり、復興イベントとして30分の拡大放送となる。岩手県久慈市の出場者以外に宮城県から5組、福島県から5組の合計30組が出場した。
- 2012年3月11日は東日本大震災発生からちょうど1年を迎える特集番組「明日へ~震災から1年~」の放送のため番組自体休止(3月4日の第67回びわ湖毎日マラソン中継に伴う休止に次ぐ2週連続の番組休止)。
海外公演
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NHKのど自慢では1998年にブラジルの日本人移民90周年事業としてサンパウロ市で初めての海外公演を開催した。それ以後毎年のように海外公演を開催し、日系人、在外日本人からも根強い反響を得ている。尚、この海外公演でチャンピオンを取ると毎年、東京・渋谷のNHKホールで開催する「NHKのど自慢・チャンピオン大会」(次項)に出場できる。2005年を最後に開催されていなかったが、2011年10月2日に台湾・台北市国父紀念館で6年ぶりに開催された(10月29日土曜日の19:30から字幕放送付きで放送[49])。
過去の開催地
- 1998年 - ブラジル・サンパウロ
- 1999年 - ペルー・リマ
- 2000年 - アメリカ合衆国・ハワイ州ホノルル(スタン・シェリフ・センター Stan Sheriff Center)
- 2001年 - アルゼンチン・ブエノスアイレス(グラン・レックス劇場 Gran Rex)
- 2002年 - アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコ(ビル・グラハム・シビック・オーディトリアム Bill Graham Civic Auditorium)、 中国・北京(北京展覧館)
- 2003年 - カナダ・バンクーバー(クイーン・エリザベス劇場 Queen Elizabeth Theatre)、 シンガポール(サンテック・シンガポール国際会議展示場)
- 2004年 - イギリス・ロンドン(アレキサンドラ・パレス)
- 2005年 - 韓国・ソウル(世宗文化会館)、 メキシコ・メキシコシティ(セントロ・バナメックス Centro Banamex)
- 2011年 - 台湾・台北(国父記念館)
チャンピオン大会
その週のチャンピオンに輝くと、更に厳正な審査(VTR審査)のうえ15組程度が、毎年3月前半頃(ほとんどは3月前半頃の土曜日19時30分から21時の生放送。またそれ以前は3月のびわ湖毎日マラソンの前週の日曜日12時15分から13時45分に行われていた)に東京・渋谷のNHKホールを会場に開く「平成○○年度(丸の中には年の数字が入る) NHKのど自慢 チャンピオン大会○○(丸の中には西暦が入る)」に進出し、その年の日本一ののど自慢(年間王者)が決定する。ゲストには通常放送同様、歌手が2組(3組の年もある)招かれるほか、審査員にも5~6組の作詞・作曲家や芸能人・著名人が当たる。
通年はNHKホールで行われているが、1979年3月に開催された1978年度チャンピオン大会は、広島市の広島郵便貯金会館(現:メルパルク広島)の別館ホール(現:広島県立文化芸術ホール、通称ALSOKホール)で行われた。それ以外にも、NHKホールが落成された1973年以前など、地方開催だった年もあったと思われる。
ただし2011年度は3月3日開催だが、総合テレビでは前日の3月2日~3月11日にかけて行われる東日本大震災1周年の特番[50]の編成上の都合により、2週間後の3月17日の19:30-21:00に録画放映[51]。ラジオについては当日の19:20-20:50(平年より10分繰り上げ)に生放送された。
以前は歌謡曲の部、民謡の部の2つで行っていたが、現在は部門別の審査ではなく、全てのカテゴリーから2名の優秀賞と、そして、栄光の日本一とも言えるグランドチャンピオン(優勝者)が出る事になっている。グランドチャンピオンを達成すると、ゴールデントロフィーが授与される[52]。更には、前項の海外公演のチャンピオンも1人か2人位参加する。 平成13年度までは各地方で何名かを選出していたが、2002年度からはビデオ審査で当選した者が出場する。
チャンピオン大会の演奏はザ・ニューブリード(ダン池田がバンドマスターを務めていた旧「ダン池田とニューブリード」)・東京放送管弦楽団で、指揮は宮下博次が担当。チャンピオン大会の編曲(アレンジ)は宮下博次・西原悟・河野成旺が担当。デジタル放送は5.1サラウンド放送となっている。 なお、2007年度からの演奏はサザンブリーズ・東京放送管弦楽団とが担当した。そのため、2008年度からの関東・甲信越地方のバンドメンバーが替わった。2008年度からの編曲は宮下博次・西原悟が担当。 なお、関東甲信越地方のバンドメンバーと鐘の秋山気清もチャンピオン大会の演奏を担当する。秋山は打楽器奏者で参加。
但し、1969年度までは「のど自慢全国コンクール」と言うタイトルであり、1970年度から現在のチャンピオン大会に変わった。
土曜日に生放送されることから、終了の際に、翌日日曜日放送の「NHKのど自慢」の場所が予告される。
歴代グランドチャンピオン
「会場」は、チャンピオンとなった時の会場。
年度(西暦) | 優勝者(会場) | 歌った曲 | 備考 |
---|---|---|---|
昭和47(1972) | 中村国伯 | 「影を慕いて」 | |
昭和48(1973) | 藤田光男 | 「江差追分」 | |
昭和49(1974) | 後藤清子 | 「南部俵積唄」 | |
昭和50(1975) | 下山美幸 | 「秋田長持唄」 | |
昭和51(1976) | 遠島春美 | 「岸壁の母」 | |
昭和52(1977) | 松尾進 | 「さざんか」 | この年からしばらく歌謡曲部門・民謡部門の2名選出となる。 以下、上段が歌謡曲部門、下段が民謡部門。 |
橋本千代子 | 「お立ち酒」 | ||
昭和53(1978) | 方渕由美子(佐賀県伊万里市) | 森昌子「津和野ひとり」 | |
笠原ちさ子(北海道岩内町) | 「江差追分」 | 同曲では5年ぶり。 | |
昭和54(1979) | 高瀬文 | 渥美二郎「夢追い酒」 | |
配島トシ | 「秋田長持唄」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和55(1980) | 山本裕美子 | 石川さゆり「能登半島」 | |
千葉祐子・千葉弥生 | 「南部俵積唄」 | 同曲では6年ぶり。 | |
昭和56(1981) | 鷹ヶ里律子 | 梓みちよ「よろしかったら」 | |
渡辺久人 | 「磯原節」 | ||
昭和57(1982) | 長岩亜由美 | 岩崎宏美「二十歳前」 | |
佐々木潔志 | 「江差追分」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和58(1983) | 岩井照子 | 都はるみ「おんなの海峡」 | |
関千枝子・関恵理子 | 「秋田長持唄」 | 同曲では4年ぶり。 | |
昭和59(1984) | 深田るみ子 | 松原のぶえ「おんなの出船」 | |
大淵勝子 | 「正調博多節」 | ||
昭和60(1985) | 吾郷金治 | 北島三郎「激唱・青函トンネル」 | |
河上美佐如 | 「阿波よしこの」 | ||
昭和61(1986) | 辻村みゆき | 岩崎宏美「聖母たちのララバイ」 | |
田中祥子 | 「球磨の六調子」 | ||
昭和62(1987) | 塙圭子 | 石川さゆり「天城越え」 | 民謡部門の本大会進出者がなかった。 |
昭和63(1988) | 晴山さおり | 細川たかし「望郷じょんから」 | 後にプロデビューし「1円玉の旅がらす」でブレーク。 |
箱石マチ | 「外山節」 | 民謡部門の開催はこれが最後となった。 | |
平成元(1989) | 太田幸直 | 吉幾三「海峡」 | 改元とともに再び全員が同じ条件で競う形式に戻る。 |
平成2(1990) | 稲辺久美子 | テレサ・テン「別れの予感」 | |
平成3(1991) | 陰山亜希(島根県出雲市) | 島津亜矢「愛染かつらをもう一度」 | |
平成4(1992) | 水田竜子(北海道当麻町) | 「男なら」 | 後にプロデビュー。 |
平成6(1994) | 伊藤公・伊藤嘉晃(北海道奈井江町) | アリス「BURAI」 | 兄弟デュオ。 |
平成9(1997) | 野寄早苗(福岡県香春町) | JUJU「すき」 | |
平成11(1999) | 室尾雅之(奈良県當麻町) | 尾崎豊「僕が僕であるために」 | |
平成12(2000) | 藤本雅子(茨城県土浦市) | 杏里「オリビアを聴きながら」 | |
平成13(2001) | 大城バネサ ( アルゼンチン・ブエノスアイレス) |
門倉有希「女の漁歌」 | 琉球系アルゼンチン人。海外勢として初のグランドチャンピオンに。 これがきっかけで2003年に日本でプロデビュー。 |
平成14(2002) | 安藤弘法・桝本博之 ( アメリカ合衆国・サンフランシスコ) |
CHAGE and ASKA「SAY YES」 | 海外勢としては2年連続。 |
平成15(2003) | 王超(ワン・チャオ。奈良県桜井市) | 一青窈「もらい泣き」 | 日本勢としては3年ぶり。アジア系外国人としては初。 |
平成16(2004) | 玉川麻美(高知県中村市) | 鬼束ちひろ「月光」 | 四国勢としては初。 |
平成17(2005) | キム・ギョンア( 韓国・ソウル) | 2年連続同一楽曲でのグランドチャンピオンに。 海外勢制覇は3年ぶり史上4人目(最後)。 アジア勢としては初(アジア系外国人としては2人目)。 | |
平成18(2006) | 清水博正(群馬県藤岡市) | 神野美伽「雪簾(ゆきすだれ)」 | 全盲の16歳。ゲストで来ていた氷川きよしはその歌に感動し涙をこぼした。 2008年2月27日にテイチクエンタテインメントよりプロデビューし、同年3月1日に行われた下記のチャンピオン大会にゲストとして参加した。 |
平成19(2007) | 榊枝悠子(福島県福島市) | 鬼束ちひろ「月光」 | 歌謡曲としては初めて、同一楽曲で3人目のグランドチャンピオン。 |
平成20(2008) | 井口美優(群馬県沼田市) | 絢香「三日月」 | 高校の先輩でもある清水同様に全盲の16歳。視聴率20.1% |
平成21(2009) | ホベルト・カザノバ(静岡県静岡市) | 五木ひろし「契り」 | 演歌歌唱者では3年ぶり。視聴率15.7% |
平成22(2010) | 斉藤光壱(埼玉県所沢市) | 前川清「花の時・愛の時」 | 2年連続でブラジル系のグランドチャンピオン。視聴率18.0% |
平成23(2011) | 徳永優樹(大阪府熊取町) | 大川栄策「はぐれ舟」 | 10代でのグランドチャンピオンは3年ぶり。視聴率17.0% |
過去の出場者の代表(チャンピオンを除く)
- 平成16年度/2004年: 山梨市、愛媛県四国中央市、鹿児島県出水市、鳥取県岩美町、秋田市&秋田県羽後町、岐阜県飛騨市、広島県東広島市、滋賀県草津市、福島県須賀川市、北海道滝川市、長崎県琴海町、福岡県大川市、宮城県白石市そして イギリスのロンドンの15都市。
- 平成17年度/2005年: 青森市から始まって香川県東かがわ市、北海道岩見沢市&苫小牧市、富山県南砺市、岐阜県大垣市、広島県福山市、宮城県東松島市、高知市、島根県出雲市、京都府亀岡市、山口市、佐賀県有田町、鹿児島県薩摩川内市そして メキシコのメキシコシティを加えた15都市。
- 平成18年度/2006年: 北海道旭川市から始まって秋田県大館市、山形県長井市、千葉県からは柏市と成田市の両市、岐阜県多治見市、愛知県豊橋市、宇都宮市、大阪府からは堺市と豊中市の両市、熊本県八代市、沖縄県宜野湾市、香川県三豊市そして愛媛県今治市の14都市。
- 平成19年度/2007年: 石川県白山市から始まって北海道からは釧路市&北斗市の両市、群馬県千代田町、静岡県伊豆市、茨城県常陸太田市、大阪府泉佐野市、宮崎県小林市、鳥取県北栄町、佐賀県嬉野市、富山県富岡市、新潟県聖籠町、栃木県小山市そして和歌山県田辺市の14都市。
- 平成20年度/2008年: 広島県三原市、青森県南部町、鹿児島県垂水市、兵庫県宍粟市、富山県富山市、大分県大分市、福島県西郷村、高知県土佐市、山梨県南アルプス市、島根県松江市、茨城県龍ケ崎市、香川県坂出市、神奈川県からは綾瀬市と相模原市の両市・以上の14都市。
- 平成21年度/2009年: 岡山県吉備中央町、香川県多度津町、和歌山県那智勝浦町、北海道からは乙部町、中標津町の両町と江別市、千葉県館山市、宮崎県延岡市、奈良県大和郡山市、長野県塩尻市、山梨県大月市、徳島県徳島市、滋賀県彦根市、山形県大江町以上の14都市。
- 平成22年度/2010年: 栃木県佐野市、茨城県鉾田市、長崎県島原市、京都府綾部市、石川県川北町、広島県庄原市、東京都瑞穂町、青森県十和田市、富山県魚津市、宮崎県宮崎市、徳島県三好市、兵庫県南あわじ市、北海道音更町、岩手県遠野市以上の14都市。
- 平成23年度/2011年:山口市、奈良県香芝市、北海道知内町、群馬県桐生市、岐阜県恵那市、香川県丸亀市、鹿児島県出水市、大分県宇佐市、山梨県甲府市、富山県砺波市、福井県永平寺町、岩手県久慈市、沖縄県那覇市、そして 台湾・台北以上の14都市。
その他
番組開始当初は、出場者の合格不合格を知らせる際には司会者が口頭で結果を伝えていた。合格の場合は「合格です」、不合格の場合は「結構です」だった。しかし、「結構です」を合格と勘違いする出場者が多かったため、鐘を使って合図をする方式に変更された。
近年各地の放送局はのど自慢に併せて「NHKふれあいミーティング」を開催することが多い。ミーティングが開催される場合、司会者は番組が終わってもすぐには東京へ帰らず、一NHK職員の立場で出席する。ミーティングには視聴者代表として当日の観客や会場地住民代表が参加し、職員らに対して意見を述べる。ミーティングの内容は、後日のど自慢制作を担当した放送局のホームページで公開される。
かつては民謡での出場者も毎回1‐2人あったが、2000年あたりからは少なくなっており、数回に一度あるかの状況である。理由は不明である。
のど自慢予選会
2000年12月のBSデジタル放送開始に伴い、デジタル衛星ハイビジョン(BShi)で土曜朝に約2時間40分にわたって予選会の模様をダイジェストで放送。時間の都合で250組を全て紹介するわけではない。BShiでは終了したが、時折総合テレビでローカル番組として放送されている。2011年9月11日開催の岩手県久慈市では予選会の模様(久慈市のほか、宮城県仙台市、福島県福島市の模様を含めている)を総合テレビで全国放送することになった。仙台市の予選会(会場・NHK仙台放送局第1スタジオ)は放送済みだが、福島市と久慈市の予選会は台風関連の特設ニュースのため放送日程が1週間延期となった。(九州沖縄地方では地域特番を放送したため、久慈市の予選会の放送は2011年10月10日の深夜に放送した。)
BSジュニアのど自慢
- 1999年4月から2004年3月まで5年間、衛星第2テレビで毎週土曜日(最初の1年間は毎週木曜日に、2002年度からは、不定期)に放送した公開視聴者参加番組。NHKのど自慢に出場できない15歳未満(中学生を含む)がのどを競った。司会は森口博子と高市佳明アナウンサー(2002年度から関口健アナウンサー)。また1999年4月から2002年9月までは「機動戦士ガンダムSEED」シリーズおよび「ちりとてちん」のBGM等で知られる佐橋俊彦が作曲したイメージテーマ曲が使用されていた。民放を含め、現時点では日本国内で最後にレギュラー放送された「子供向けのど自慢番組」でもある。
- 基本的にはNHKのど自慢と同じだが、この番組では鐘ではなく電子音が流れて合否を判定する。またエントリーNo.・出演者の氏名と年齢・曲名と歌手名が一括表示される。賞には、客席審査員が選ぶベストステージ賞、ゲストが選ぶゲスト賞、そして合格者の中から選ばれるチャンピオンがあった。チャンピオンに輝くと更に厳正な審査のうえ15組程度が「BSジュニアのど自慢グランプリ大会」に出場出来たが、2001年度をもって廃止された。
- 応募方法はNHKのど自慢とは異なり選曲理由を記入する必要はなかったが、「歌いたい曲目とその曲を歌っている歌手(グループ)名」は曲に優先順位を付けた上で第3希望まで記入する必要があり、さらに出場者(グループ単位での出場の場合は代表者)の保護者の住所・氏名も記入しなければならなかった。
- なお、当番組の終了を最後に、長年テレビで続いてきた「小中学生対象の」全国向けのど自慢番組は(民放を含めても)現在まで存在せず、一部ではこうした番組の復活を求める声もある。しかし、放送終了の2004年に番組プロデューサーが制作費の不正使用発覚で逮捕された。
出場後プロデビューした主なタレント
- 高橋愛(モーニング娘。、福井県鯖江市・ベストステージ賞受賞)
- 竹田侑美(Buzy、兵庫県高砂市・グランプリ受賞)
- 廣重綾(東京都大田区・ベストステージ賞受賞)
- 松澤美希
- May'n(中林芽依、愛知県刈谷市・グランプリ受賞・グランプリ大会出場)
アニソンのど自慢
- 日本初の長編連続テレビアニメーション『鉄腕アトム』の原作者である手塚治虫の生誕80年を記念して制作され、2009年5月4日にNHK大阪ホールで収録、2009年5月5日(こどもの日)にNHK大阪(関西ローカル)で放送された公開視聴者参加番組。歌われる楽曲はアニメや特撮の主題歌・挿入歌で構成され、BGMには鉄腕アトムの主題歌が使用されている。司会は森口博子。審査員に田中公平・野沢雅子・古谷徹・夏まゆみ・岡田斗司夫。ゲストはMay'n・水木一郎。
- また、前日に行われた予選会には、選考に残った3歳から70歳という幅広い年代の人々が149組参加し(後日、その様子がNHK大阪のホームページより動画配信された)、その中から勝ち残った15組がのどを競った。『ゲッターロボ』主題歌のイントロと同時に審査得点がメーター表示された後に合否の鐘が鳴らされる、というスリリングな演出が用いられつつ、審査員特別賞2組とチャンピオンが選ばれた。初代チャンピオンには、剣をかたどったチャンピオンソードが授与されている。
- 再放送時(NHK BS2/2009年5月30日 NHK総合/2009年6月12日)は全国放送となり、アーティスト(May'n・森口博子・cossami・カノン・水木一郎)によるアニメソングスペシャルステージが追加、放送時間も約90分に拡大された。
記録映画
- 日本ニュース…「のど自慢」放送開始当時の制作の様子が記録されている。
- NHK記録映画…上記「日本ニュース」と同じく、のど自慢放送開始当時の制作の様子が記録されている。高橋圭三アナウンサーの司会の様子も撮影されている。
関連する映画・放送番組
映画
- 1998年に当番組を題材とした「のど自慢」と題した邦画が井筒和幸監督・シネカノン製作で公開された。ドサ回りを続ける売れない女性演歌歌手(演: 室井滋)が、地元・群馬県で催される「NHKのど自慢」に身分を隠してアマチュアで出演するに至るまでの経緯や出場者の人間模様をドキュメンタリー風に描いたもので、金子辰雄が劇中の司会者役で出演した。NHKは番組のしくみなどを提供しており[53]、予選やリハーサルなど制作の内幕を垣間見る事が出来る。派生作品として翌1999年に「ビッグ・ショー! ハワイに唄えば」も公開された。
テレビ・ラジオ番組
- 九州沖縄スペシャル「ふるさとチャンピオン大集合」
- 福岡放送局制作。かつてNHKのど自慢では各ブロックごとに決戦大会が行われ、そこで勝ち上がった人が全国大会に進む形式がとられていたことがあった。この番組は唯一その名残をとどめるものであり、元々「NHKのど自慢九州沖縄チャンピオン大集合」として放送されていた。その時点でののど自慢の司会者(実質宮川泰夫がほとんどだった)が「ゲスト」として出演し、九州・沖縄各県チャンピオンがワンコーラス熱唱したり、本番では出てこなかったエピソードを掘り下げたり、更には特別賞受賞者らの爆笑パフォーマンスを再演したりと、審査抜きの放送ならではの同窓会的な雰囲気と内容となっていた。その後、「熱血!オヤジバトル」などの入賞者らも加えて、現在のスタイルに改められた[54]。進行は福岡局のアナウンサーが担当し、平成18年度は離任直前の神田愛花が務めた。平成19年度からは、再び「NHKのど自慢チャンピオン大集合」に戻り番組をしていたが、平成21年度は開催がなかった。
- 東北Z「歌おう!東北のど自慢」
- ラジオ深夜便「のど自慢の仲間たち」
- 同「のど自慢旅日記」
- 2006年4月からは同じ曜日の放送で、宮川がのど自慢に出演して訪れた日本各地の風景を、自らの体験談や改めて取材したことを交えて振り返るエッセー風トークで紹介する。
- 民放
- 「日清ちびっこのどじまん」(フジテレビ)子供向けののど自慢番組。1965年から1969年にかけて放映されていた。審査員によって毎週チャンピオンを選出し、年1回(8月ごろ)日本一大会を開催していた。大村崑が司会。
- 1970年代には、TBSの「家族そろって歌合戦」や、東京12チャンネル(現テレビ東京)の同種の番組(番組名不明)など、民放でも同様の素人が歌を競う音楽番組で、かつ全国各地(東京12チャンネルの番組は、関東地方限定で各地を巡業?)を巡る番組があった。放映日も日曜日が多く、時間帯は重複しなかったので制作サイドでは競合番組だが、視聴者にとっては続けて見ることができた。その後は、民放では同種の番組は存在しないようである。
- 永大勝ち抜きのど自慢(読売テレビ)高島忠夫・寿美花代:司会。
- 大学→サンテ→ナショナル10人抜きのど自慢(TBS)青空千夜・一夜:司会。
- キンカン素人民謡名人戦(フジテレビ)いわば、民謡版の歌合戦番組。この番組の最盛期にはNHKのど自慢でも民謡での出場者が毎回2 - 3人はいた。
パロディー番組
- やじうま寄席(日本テレビ系。番組後半で「玄人のど自慢」というパロディコーナーが有った。進行役は月の家円鏡=現:橘家円蔵。鐘叩き役は毒蝮三太夫。審査員は当初立川談志が担当したが、1976年1月の沖縄開発政務次官辞任をきっかけに番組から降ろされ、しばらく一般人が担当し、後にディック・ミネと淡谷のり子が1週交代で担当した)
- 爆笑!!ドットスタジオ(テレビ朝日系。テレビ番組をやくざ風にパロディする「極道テレビ花田組」というコーナーの第1回で、「素人衆のど自慢」としてパロディ化された。失格者はマシンガンで抹殺するという、物騒な物であった)
- 笑っていいとも! (フジテレビ系:「納涼のりょ自慢」(子供や老人がダジャレを披露するというもの)と題したコーナーがあった)
- うたばんのど自慢(FNS歌謡祭の裏番組として2002年にTBSでうたばんの特別企画として放送されたもの。SMAP、とんねるず、ソニンなどが出演した。)
- 伊東家の食卓(日本テレビ系:裏ワザの評価で伊東四朗が鐘を鳴らす。高評価のときのメロディーはのど自慢での合格時のそれに似ている)
- 浜ちゃんと!(ytv制作日本テレビ系:不定期の企画で「NHKとくぎ自慢」という企画がある。お笑い芸人やグラビアアイドルらが出場し特技を披露する。審査員は浜田雅功、土田晃之、南明奈。司会はほっしゃん。が担当。ちなみに「NHK」は「ニューほっしゃん。企画」の略)
- FNS27時間テレビ(フジテレビ系):「FNS歌へた自慢」と題してFNS系列局の社員が歌の下手さを競うという企画。岡村隆史(ナインティナイン)が司会進行。
脚注・出典
- ^ 年に一度外国からの場合もある。
- ^ 80~90歳代の出場者もおり、中には101歳という超高齢者の出場もあった。
- ^ 黒人演歌歌手として、後にプロデビューを果たしたジェロなど。
- ^ 2008年10月からは特集・総集編も含めノンスクランブルで視聴可能(次番組の午後1時のニュースとセットで)。ただし、再放送と毎年3月放送のチャンピオン大会はノンスクランブル放送の対象外となっているため直接受信契約者以外は視聴不可。2010年4月から16:9レターボックス放送。
- ^ ただし、「特集・NHKのど自慢」、12月最終週放送の「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」の場合は13:30まで。2011年12月18日放送の「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」では12:58まで。
- ^ デジタルBS2は16:9の画面で放送。なお、難視聴対策放送の終了に伴いBS2での放送は2011年3月6日の放送を最後に打ち切りとなった(最後の放送は前日総合テレビで放送されたチャンピオン大会。レギュラー放送は2月27日放送分が最後)。本来は3月27日放送分を最後に打ち切る予定だったが、東日本大震災の特設ニュースに伴う番組変更による休止(3月20日放送分)や震災の影響で開催自体そのものが中止(3月13日・27日放送予定分)になったため2011年3月6日の放送が事実上最後となった。
- ^ BSアナログハイビジョン実用化試験放送の時より。
- ^ 本番組の放送がなかった場合は再放送は休止となり、そのまま「ラジオ深夜便」の同時放送となる。
- ^ 日本国内については、かつて火曜日の夕方5時台などに再放送を行っていた時期があったが、現在国内での再放送は行われていない。
- ^ 総合テレビでは字幕放送を実施。
- ^ 2010年は第3日曜日の12月19日に放送し、BS2でも放送された。一方、ラジオ第1放送とNHKワールド・ラジオ日本では同日の同じ時間帯に宮川泰夫の司会で「放送開始65年~のど自慢の仲間たち」と題した関連番組を放送した。
- ^ 以前は22組や25組の時もあった。また、海外公演は25組若しくは30組が出場する。
- ^ 2011年5月4日収録(放送は2011年5月8日から)から現在のオープニングになっている。近畿地方では宮川が司会担当しているときから現在のオープニングになっている。
- ^ 交代初日のみ『こんにちは』のあとに司会就任を兼ねた挨拶を行った。
- ^ 当初はオープニングでゲストと司会者が登場した後、手拍子をしている会場の画面を背景に表示していたが、オープニングの変更と共に現在の体制となっている。
- ^ それと同時に他の出場者は席に着席する。
- ^ 合格者はインタビューに加えて住所と名前の紹介もする。
- ^ ピアノ、シンセサイザー、ギター、ベース、ドラムス、鐘(東北地方はピアノ、シンセサイザー、ドラム、ギター、ベース、鐘)の順、民謡があった場合は鐘の前に紹介する
- ^ オープニング音楽と同じ
- ^ 地方でメンバーやバックステージが違う。なお、ピアノは宮下博次と西原悟が毎週入れ替わりで担当するが、近畿地方は岩崎恵子・北海道地方は岩崎和子がピアノ担当。宮下・西原は近畿・北海道地方では編曲のみを担当。
- ^ 聴衆は予選参加者と関係者のみ。
- ^ 当日のゲスト歌手の歌での出場者は、ほとんどの場合各2組選出されている。詳細は公式サイトの過去の放送曲目を参照。
- ^ 2010年12月19日放送「NHKのど自慢 熱唱熱演名場面」より。
- ^ 過去には鐘さえ鳴らない不合格もあった
- ^ 出場者がゲストの歌手の歌を歌った場合や、高齢者の場合など。
- ^ かつ、あまりにも歌唱力の低い者は予選で不合格としている場合がほとんどのため。
- ^ 1音だけの鐘が鳴ると司会者が「貴重な鐘1つ」と言うこともある。
- ^ ワンコーラス歌い切ったところで判定の鐘が鳴ることはよくある。
- ^ ゲスト歌手が選出理由を発表する。特別賞は原則として1組を選出するが、稀に2組を選出することもある。
- ^ 司会者が「さあ、今週のチャンピオンは!!」と言いかけるとドラムロールが流れ、「〇番、〇〇(曲名)をお歌いになりました、〇〇さんです!!」と発表すると同時にファンファーレが鳴る。
- ^ a b 前任者だったため、事実上再登板となる。NHK松本アナ“心身のバランス崩し”降板-スポニチ Sponichi Annex 芸能(2011年7月12日記事)当日閲覧
- ^ ラジオ放送はTBS・RCCなどJRNによる中継のため、「日曜バラエティー」を拡大放送(NHKワールド・ラジオ日本もそのまま当番組を同時放送)。
- ^ 年末ジャンボ宝くじ抽選会を放送するため。
- ^ 駅伝・マラソン中継がある場合、BS2はアンコールアワーなど別番組を放送(2011年のびわ湖毎日マラソンの当日は前日に総合テレビとラジオ第1で放送されたチャンピオン大会を時差放送)していた。NHKワールド・ラジオ日本は国際放送独自編成としてFM放送、地上デジタルラジオ実用化試験放送の番組に差し替えている(「全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」が開催される日のみ、ラジオ第1放送と同時放送で「日曜バラエティー」を放送)。NHKワールド・ラジオ日本では本番組が休止の場合、土曜日深夜1時台の再放送も休止となり、「ラジオ深夜便」を同時放送。
- ^ 1991年までは、12月1日-7日の間の日曜が福岡国際マラソンのために休止となったこともあった。1992年以降は、テレビはテレビ朝日系列、ラジオはニッポン放送・KBCなどNRNでそれぞれ放送。
- ^ テレビではTBS系列で放送。
- ^ テレビではEテレで放送。
- ^ 全国大会にてテレビではEテレで放送、地方大会は一部地域のみ放送。
- ^ 高校野球が雨天中止のときは放送。なお、地元開催の日と高校野球地方大会の放送が重なる場合はこの限りではなく、高校野球地方大会の放送をFM放送に移した上で通常通り放送される。ただし、NHKワールド・ラジオ日本は休止せずに通常通り放送される(総合テレビで通常通り放送されるため)。
- ^ 2010年度は「ニッポン全国短歌・俳句日和」。
- ^ ここでは、生放送が行われる場合を指す。
- ^ この日は宮本の司会の最終回だった。
- ^ なお、広島県内のみ4月8日13:05~13:50に廿日市市の模様を放送したため、この日広島県に限りのど自慢が2回放送されたことになる。
- ^ ラジオ第1、NHKワールド・ラジオ日本は17:05~17:50、BS2は12:15~13:00、NHKワールド・プレミアムは15:05~15:50に放送。
- ^ 一部の放送局を除く。
- ^ なお、元々3月7日はびわ湖毎日マラソン大会の開催と、その前日・3月6日に平成21年度チャンピオン大会が開催される都合もあったため、休止となる予定だった。
- ^ 松本アナウンサーの休養に触れず NHKのど自慢 デイリースポーツ、2011年7月10日
- ^ 総合テレビ、NHKワールド・プレミアムでは正午のニュースを12:45まで延長して放送(当初は12:15~12:45に前日放送された「のんびりゆったり 路線バスの旅」の再放送が代替番組に組まれていたがニュース延長で放送中止)。そのあと12:45~12:55に「コネクト」、12:55~13:00に宇宙の渚「古川聡、宇宙の渚に立つ」(特集番組の案内でNHKワールド・プレミアムでは放送時間のテロップ部分を差し替え)で空白時間帯を穴埋め(NHKワールド・プレミアムのノンスクランブル放送は通常通り)。ラジオの放送では12:15~12:40にラジオ第1、NHKワールド・ラジオ日本同時放送で「昭和歌謡ショー」(本来は木曜日21:30から放送される番組)、12:40~12:55にラジオ第1は「SLのある風景」、NHKワールド・ラジオ日本は「エターナルサウンズ」(地上デジタルラジオ実用化試験放送番組)、12:55~13:00にラジオ第1は「名曲の小箱」、NHKワールド・ラジオ日本は「みんなのうた」にそれぞれ変更。これに伴い、NHKワールド・プレミアムの月曜未明の再放送も休止。NHKワールド・ラジオ日本も日曜未明の再放送を休止し「ラジオ深夜便」の同時放送に変更された。
- ^ NHKワールド・プレミアムでも同時放送されるが、チャンピオン大会と同様ノンスクランブル放送の対象外である
- ^ 3月10・11日の日中~夜間の長時間特番を軸として、この期間中のプライムタイムで震災関係の特別番組を集中編成するもの
- ^ 通常の生放送では行わないリアルタイム字幕放送がこの大会は行われる。但し2011年度は後日録画であったため、あらかじめ収録された画像に挿入する通常の字幕放送を行った
- ^ 1998年度のグランドチャンピオンに選ばれた女性は、実は元プロの歌手でCD発売の経験もあったことが後日判明し、物議をかもした。ただし、本人は出場当時すでにプロを引退していたことを理由に、受賞自体は取り消されていない。
- ^ 制作には関与していない。
- ^ それとともにのど自慢司会者のゲスト出演、九州沖縄地方ののど自慢バンドを含めたオーケストラ出演は廃止となった。
- ^ 毎月1回・原則として第2水曜深夜1時台放送。