東北楽天ゴールデンイーグルス
東北楽天ゴールデンイーグルス | |
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会社名 | 株式会社楽天野球団 |
創設 | 2004年11月 |
今シーズン | |
2024年の東北楽天ゴールデンイーグルス | |
ロゴデザイン | |
所属リーグ | |
パシフィック・リーグ | |
歴代チーム名 | |
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本拠地 | |
楽天生命パーク宮城(公式略記:「楽天生命パーク」「楽天生命」)[1] (宮城県仙台市宮城野区) | |
収容人員 | 30,508 人 |
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永久欠番 | |
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獲得タイトル | |
日本一(1回) | |
リーグ優勝(1回) | |
成績(タイトル以外) | |
日本シリーズ出場(1回) (太字は勝利した年) | |
クライマックスシリーズ出場(4回) (太字は勝利した年、斜体は第1ステージ敗退) | |
1勝3敗 | |
球団組織 | |
オーナー | 三木谷浩史(会長兼任) |
運営母体 | 楽天 |
監督 |
石井一久(2021〜) (GM兼任) |
東北楽天ゴールデンイーグルス | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2012年3月29日 - |
ジャンル | 野球 |
登録者数 | 約4.7万人 |
総再生回数 | 約2170万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2021年1月18日時点。 |
東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、英語: Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属している。
宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある楽天生命パーク宮城(公式略記は「楽天生命パーク」「楽天生命」)を専用球場(本拠地)としている。
イースタン・リーグ所属の二軍の本拠地は、同県宮城郡利府町にある楽天イーグルス利府球場と、仙台市泉区のウェルファムフーズ森林どりスタジアム泉である。
球団名が長いことから通称は楽天イーグルス。球団略称は東北楽天、法人名は株式会社楽天野球団(らくてんやきゅうだん)である。
球団の歴史
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒983-0045 仙台市宮城野区宮城野2-11-6 |
本店所在地 |
〒983-0864 仙台市宮城野区名掛丁128 |
設立 | 2004年10月29日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 4370001013415 |
事業内容 | プロ野球球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の運営および関連商品の企画・販売およびコミュニティFM局の運営 |
代表者 |
代表取締役会長兼オーナー 三木谷浩史 代表取締役社長 立花陽三 取締役兼オーナー代行 井上智治 |
資本金 | 1億円 |
純利益 | ▲7669万9000円(2019年12月31日時点)[2] |
総資産 | 128億7190万6000円(2019年12月31日時点)[2] |
従業員数 | 130人(2017年2月現在) |
決算期 | 毎年12月末日 |
主要株主 |
楽天 100% (同社の連結子会社) |
関係する人物 | 島田亨(前社長)、星野仙一 |
外部リンク | 球団オフィシャルサイト |
球団創立
6月に明るみに出たオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、本拠地を神戸市または大阪市とするプロ野球参入の意思を表明[3]。この時点では根来コミッショナーは「参入は時間的に難しい」と述べていた[4]。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)[5]とする新球団の加盟を申請した。
10月13日、初代監督に田尾安志が就任することが発表される[6]。10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した[7]。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された[8](プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、オリックスと近鉄の選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定[9]。「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の世界遺産・白神山地に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で、「ゴールデンイーグルス」となった[注釈 1]。なお、戦前に存在した球団である「イーグルス」とは一切無関係である。
11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議に参加。明治大学の一場靖弘を自由枠で獲得したことに加えて、大学・社会人球界から「即戦力」になりうる6名の選手を指名した。さらに、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。ドラフト会議で指名した選手のうち、東北に唯一縁のあった5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)は、現役引退後の2018年に一軍のコーチとしてチームに復帰。いわゆる「松坂世代」に当たる6巡目指名の平石洋介(トヨタ自動車)は、現役引退後もチームに在籍したまま、一軍・育成コーチや二軍監督を経て一軍の監督代行を経験し、2019年には楽天の生え抜きとしては初の監督に就任。
チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう、2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始した。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権は二軍のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。
また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化。仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(ただし二軍本拠地は変更しない)。
新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた[10]。
田尾監督時代
2月1日の沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。2月26日、新大分球場にて球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦が行われ、4対3で勝利した。オープン戦は16試合で7勝8敗1分だった[11]。
3月26日にパ・リーグ公式戦が開幕し、楽天は球団として初の一軍公式戦となる千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発の岩隈が完投し3対1で勝利した。球団創立以来一軍公式戦で1試合も戦っていなかった球団が、球団創立以来一軍公式戦で戦った経験のある球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、日本プロ野球史上初めてのことであった。
だが、翌3月27日の第2戦は打線がロッテの先発渡辺俊介の前に1安打に抑えられ、2リーグ制開始以降としては最大得点差の0対26で一軍公式戦初敗戦を喫した(当該試合記事参照)。その後4連敗し、4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回先頭打者の礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の一軍公式戦本塁打を放つなど、16対5でチームは開幕戦以来のシーズン2勝目となった。しかし4月15日の北海道日本ハムファイターズ戦から29日の西武戦にかけて11連敗で、勝率が2割を切る[12]。このため、4月30日にGMのマーティ・キーナートをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、またヘッドコーチの山下大輔と打撃コーチの駒田徳広を二軍にそれぞれ降格(替わって二軍監督の松井優典と同外野守備・走塁コーチ橋上秀樹が昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位に終わった。7月には10勝9敗1分けで球団史上初の月間勝ち越しを記録したものの、8月にはシーズン2度目の11連敗[注釈 2][13]を喫するなどして、8月29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年における8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。9月25日のホーム最終戦(ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表された。最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)だった。開幕前からささやかれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差を付けられた。2リーグ制以降の新球団の初年度の成績としては最低の勝率となった[14]。チーム最多勝は岩隈の9勝で、その次は福盛和男の4勝など戦力的に他球団と格段の差があった[13]。分配ドラフトの仕様など、最低限の戦力の保証が一切無かった事が大きく響いてしまった。
田尾監督の後任には南海やヤクルト、阪神などの監督を歴任した野村克也が就任した。
野村監督時代
弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズからセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。
オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム、香川県営野球場、静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合が組まれた。
リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。
3月25日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈が故障のため、前年2勝止まりだった一場が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。交流戦では5月25日のヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でリック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫した[12]。最終成績は17勝19敗で7位。後半に入ると、8月20日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)でリーグ戦初の同一カード3連勝。9月以降の成績を9勝10敗1分としたものの、9月23日の西武戦で開幕から5位以上となることなく[13]2年連続最下位が決定[12]。最終成績は47勝85敗4分で、5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。ホセ・フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。
9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大を1巡目で指名した。日本ハム、オリックス、横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。
3月24日の開幕戦のグッドウィルドームの西武戦で岩隈が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日のオリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にフェルナンデスと山﨑がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日から19日のソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。5月には、山﨑が球団初となる月間MVPを受賞。
7月2日にオールスター戦で8選手がファン投票で選出され[12]、田中、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部、山﨑と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、監督の野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハムの監督のトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。
8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め[12]、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シーズン対戦成績で勝ち越している。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打108打点の成績で本塁打、打点の二冠王となり、田中が球団初の新人王を獲得。
楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻り、日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。
スローガンは「Smart & Spirit 2008 考えて野球せぃ!」。
3月20日の開幕戦のソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回裏に逆転サヨナラ3ラン本塁打を打たれて敗れ開幕から4連敗するが、その後7連勝で4月3日のロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)[12]。6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。シーズン途中で前日本ハムのフェルナンド・セギノールを獲得し、打線強化を図る。だが8月以降も岩隈が奮闘するものの負けが込む。シーズン最終戦となる10月7日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP、沢村賞、ベストナイン(投手)に選ばれている。そしてセギノールも低迷するチームの中で大きく奮闘した。
シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。
スローガンは 「Smart & Spirit 2009 「氣」~越えろ!~」。
1月にメジャーリーグベースボールのオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日のオリックス戦と翌24日の西武戦)。
4月3日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝[15]で4月15日まで首位に立ち、一端首位から落ちたものの[13]初めて4月を首位で終え[16]5月11日まで首位だったものの[13]、交流戦では6連敗するなど最終的には9勝15敗の10位。打線の軸として期待された中村紀やセギノールも開幕から低迷し、二軍落ちするなどの誤算もあり7月も8連敗するなど低迷は続く。しかし、8月以降の3カ月で38勝21敗と勝ち進み9月12日のソフトバンク戦では球団史上初となるクライマックスシリーズ進出のマジックナンバー19が点灯し[17]、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた[18]。同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し[19]、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井怜)が二桁勝利を挙げた。
10月12日、野村は球団から監督退任を通告される[13]。10月16日から行われたCSの第1ステージはKスタ宮城でソフトバンクと対戦し2連勝で第2ステージ進出[20] するものの、札幌ドームでの日本ハムとの第2ステージは第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け[21]。第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退[22]。CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任[23]。
後任の監督に、この年まで広島東洋カープ監督を務めたマーティ・ブラウンが就任。野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)[24]。
ブラウン監督時代
スローガンは「Smart & Spirit 2010 Eagle Fire! 」。(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。
3月20日、開幕戦のオリックス戦(京セラドーム)に1対0で敗れ[25]、その後チームは4連敗[26]。交流戦は12チーム中第5位(3位と同率も前年度順位が考慮された)となったが、この年の交流戦は上位6チームをパ・リーグが独占。そのためリーグでの順位が浮上することはなかった。交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位になって以降は1度も順位を浮上させることができず[12]、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定した[12]。開幕から1度も勝率を5割に乗せることができず、最終戦績は62勝79敗3分で優勝したソフトバンクとは15ゲーム差、5位のオリックスとは7.5ゲーム差。ホームゲームの平均観客数も前年より1000人近く減少。こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウンの監督解任を発表[27]。
ブラウンの後任に、中日ドラゴンズ、阪神タイガース元監督で阪神シニアディレクターの星野仙一が就任した[28]。
星野監督時代
メジャーリーグ経験者の岩村明憲や松井稼頭央を獲得。また、ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍を表明していた岩隈も入札で独占交渉権を獲得したオークランド・アスレチックスとの交渉が決裂し、球団に残留。キャプテン制度導入に伴い、鉄平が球団初代キャプテンに就任した。チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。
当初、3月25日のKスタ宮城でのロッテ戦で創設以来初の本拠地開幕戦を迎える予定であったが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でKスタ宮城が損壊したことにより、開幕戦が延期となった。この日、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中で、選手は全員無事であった[29][注釈 3]。13日に練習再開[31]、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い[32]、関西などを中心に開幕までの練習を行い[33]、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている[34][35][36]。4月2日・3日には12球団によるチャリティー試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。このとき嶋基宏が、「見せましょう野球の底力を」とスピーチした。4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野監督は「遅くなってすみませんでした。ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している(この真っ最中にも強い余震が起きた)[37]。4月11日にはフアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された[38]。
一方で、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ[39]、修復工事が必要となったことから、一時的に関西で主催試合を代替で行うことになった[注釈 4]。この年のセ・パ両リーグの開幕日は4月12日に延期。同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦[40]、主催試合初4月15日からの阪神甲子園球場[注釈 5]での対オリックス戦[41]。そして、本拠地・Kスタ宮城での初戦は宮城県が「震災復興キックオフデー」とした4月29日対オリックス戦となり[42]、いずれも勝利した。
4月を9勝6敗で2位で終えたが5月は7勝14敗2分と負け越し、岩村や鉄平が打率1割台で低迷、岩隈が18日離脱した事が原因とされ、18日には5位、翌6月4日には最下位となっている。交流戦も9勝13敗2分の9位と低迷した。一方で田中が6、7月に連続して月間MVPを受賞するなどの活躍もあり[注釈 6]、7月には永井怜が故障で離脱したものの、岩隈が復帰、ダレル・ラズナーが抑えに転向し5セーブ、新人の塩見貴洋が2勝を挙げるなどもあり、12勝10敗1分と勝ち越す。8月、前半に7連敗するも、後半に球団タイの7連勝もあり勝ち越す。しかし9月は8勝14敗と失速し、終盤までクライマックスシリーズ進出争いには加わったものの10月13日に進出の可能性がなくなり[12]、最終的に66勝71敗7分、首位のソフトバンクと23.5ゲーム差、3位の西武と3ゲーム差の5位となった。統一球の影響もあり、本塁打は球団最少の53本で、7月から8月にかけ17試合連続で無本塁打の球団ワースト記録。ヤフードーム(11試合)と札幌ドーム(8試合)においてはそれぞれ本拠地球場となってからはパ・リーグ球団初の本塁打0に終わっている。田中が最多勝、最優秀防御率、最多完封の三冠王とベストナイン及びゴールデングラブ賞の投手部門を獲得した。なおこの年は、山﨑が戦力外通告を受け退団している[44]。
1月、岩隈がMLB・シアトル・マリナーズにFA移籍した。
チームスローガンは「Smart&Spirit2012 ともに、前へ。」。
3月30日、球団初の本拠地開幕戦となるロッテ戦が行われたが、3対5で敗れている[45]。交流戦は10勝14敗で9位。オールスター直前までの前半戦を40勝38敗3分の3位として、球団初のAクラス、勝率5割以上で折り返すが、後半戦に入り8連敗を記録するなど順位を下げる。9月を勝ち越して終盤までソフトバンク、ロッテとクライマックスシリーズ進出争いを展開するが、10月4日の139試合目の対西武戦(Kスタ宮城)で引き分けて[46]Bクラスが確定した。最終戦のロッテ戦(Kスタ宮城)に勝利[47]し、67勝67敗10分で、首位の日本ハムと7.5ゲーム、3位のソフトバンクと1ゲーム差の4位に終わるが、3年ぶりにシーズン5割以上の成績を残した。
8月1日付で元球団会長の三木谷浩史が球団オーナーに復帰し、球団社長には証券会社勤務だった立花陽三が就任した[48]。
シーズンオフにはMLB・ダイヤモンドバックスからFAとなった斎藤隆を獲得し[49]、岩村明憲に戦力外通告[50]。また、現役メジャーリーガーのアンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーを獲得したことが発表された。野村名誉監督も任期満了で同職を退任した[51]。
チームスローガンは「Smart & Spirit 2013 HEAT!」[52]。
開幕投手と見られた田中がWBCでの疲れから辞退したことで[53]、開幕戦のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は則本昂大が新人投手としてはパ・リーグ史上55年ぶりの開幕投手となるが1対7で敗れている[54]。4月27日の西武戦(西武ドーム)に9対2で勝利し、球団通算500勝を達成[55]するが、序盤から5割前後の成績で4月を9勝13敗と負け越し[56]、5月3日には借金が4になるが[12]、その後は勝ち星を伸ばし、交流戦はソフトバンクと優勝を争ったものの[57]、0.5ゲーム差の2位に終わった。7月4日に首位のロッテに勝利し、6月以降では球団初の同率首位に並ぶと[58]7月6日に単独首位に浮上[59]、前半戦をそのまま首位で折り返し[60]、以降は首位を明け渡すことはなく[14]。8月28日に球団史上初の優勝へのマジックナンバー28が点灯した[61]。その後9月1日にはマジックが消滅するものの、9月5日に再点灯し[14]、9月22日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に15対1で勝利し、4年ぶり2度目の2013年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ進出が決定し[62]、9月23日の同戦で球団新記録のシーズン78勝とした[63]。そして優勝へのマジック2で迎えた9月26日、マジック対象チームのロッテが対日本ハム戦(札幌ドーム)で敗れ、楽天が対西武戦(西武ドーム)で4対3で勝利したことで、楽天球団初のパ・リーグ優勝が決定した[64]。球団創設9年目での優勝は日本プロ野球史上5番目のスピードでの達成[14]。
クライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では3位のロッテと対戦し、4勝1敗で日本シリーズに初めて進出[65]を決めた。巨人との2013年の日本シリーズでは、3勝2敗で王手をかけた第6戦で2対4で敗れ、先発の田中がこの年シーズンから通じて初めての公式戦で敗戦投手[注釈 7][66]となりタイとされるが、11月3日の第7戦(Kスタ宮城)に3対0で勝利し、4勝3敗で初出場で初の日本一を達成した[67]。同月、台湾で開催されたアジアシリーズでは、11月19日の準決勝の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦(台湾・中華職業棒球大聯盟)に1対4で敗れたため、日本からの出場チームでは初めて決勝に進めなかった[68]。
田中が8月に開幕からの公式戦連勝と、前年8月26日からの公式戦連勝の日本プロ野球新記録を樹立[69]、シーズン後にはこれらの記録とポストシーズンの2勝を含めた30連勝がそれぞれギネス世界記録に認定された[70]。24勝0敗1セーブで日本プロ野球史上初のシーズン無敗での最多勝を達成[71]、最優秀防御率と勝率第1位も獲得し、沢村賞[72]、MVPを獲得した。チームからはゴールデングラブ賞は3人[73]、ベストナインには4人がそれぞれ選出、新人王に則本が選出された[74]。11月24日、優勝パレードが仙台市内中心部で行われ、約21万4千人の観衆を動員した[75]。
スローガンは、「Smart & Spirit 2014 HEAT UP!」。
1月23日、田中がポスティングシステムでMLBニューヨーク・ヤンキースに移籍[76]。5月26日、星野監督が腰痛のため、対ヤクルト戦(神宮)で休養し、投手コーチの佐藤義則が指揮を執った[77]。5月27日に腰椎椎間板ヘルニアおよび胸椎黄色靱帯骨化症と診断された星野監督の休養と、佐藤投手コーチが監督代行をつとめることが発表された[78]。7月2日、監督代行に大久保博元二軍監督がつき、佐藤は一軍投手コーチに専念することになった[79]。7月24日より星野が監督に復帰[80]するが、チームは低迷し、9月6日にはリーグ優勝の可能性が消滅し[81]、9月18日に星野監督が退任を発表[82]、9月29日にはBクラスが確定[83]、10月7日の対オリックス戦(コボスタ宮城)に敗れ、最下位が確定した。なお前年優勝チームの最下位は前年の日本ハムに次いで史上5度目[84]。10月14日、次期監督に大久保二軍監督の就任を発表した[85]。
8月、コボスタ宮城の全面増築が完成、先行完成(3月)した楽天山観覧席と、8月に完成した3塁側上段の増設席を合わせ28,907人収容となった効果もあり、8月30日の対ソフトバンク戦において、レギュラーシーズン・ポストシーズンを通して当球場歴代最多となる25,308人を集客[86]したのを皮切りとして、観客動員記録を次々更新。最終的には1,450,233人(1試合平均単位で20,142人)の球団新記録を達成した。このうちコボスタ宮城に限れば67試合で1,350,293人(1試合平均20,153人)をマークした。[87]
大久保監督時代
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2015 一致団結」。
前年まで監督を務めた星野がシニアアドバイザーに就任する一方で、2013年から4番打者として君臨していたアンドリュー・ジョーンズが退団。ジョーンズに代わる現役メジャーリーガーとして、ヤンキースからゼラス・ウィーラー、ピッツバーグ・パイレーツからギャビー・サンチェスを獲得した。シーズン開幕直前には、前年にオリックスの主力として活躍したウィリー・モー・ペーニャも獲得することで、打線に厚みを増させた。投手陣は、抑えの切り札として広島東洋カープからキャム・ミコライオを獲得したほか、2013年まで在籍していたレイとハウザーが復帰。ドラフト会議では、高校生ながら最速で157km/hを記録した右腕投手の安樂智大を1巡目指名で獲得した。
開幕以来なかなか波に乗ることができず、ソフトバンク・日本ハム・西武の3強の後塵を拝する状態が続いた。交流戦では全18試合のうち2点差以内は15試合、延長戦は5試合と粘り強く戦い、10勝8敗の4位で終え2年ぶりに勝ち越した[88]。交流戦のチーム防御率2.47は12球団トップであった。交流戦以降はロッテと4位・5位を争い、前半戦を5位でターンした。後半戦に入り、7月22日の日本ハム戦で1試合の最多得点での球団新記録となる19得点を記録したが、7月30日に田代富雄一軍打撃コーチが退任した。シーズンの途中でハウザーが再び退団したことからトレードおよび新外国人選手獲得期限日の7月31日には、アガスティン・ムリーロを獲得している。しかし、8月25日のオリックス戦に敗れたことで最下位に転落した[89]。その後は一時5位に浮上したものの、8月28日の西武戦に2-3で敗戦。この敗戦によって自力でのクライマックスシリーズ進出の可能性が消滅した[90]ことから、大久保監督が辞任の意向を示した[91]。その一方で、9月7日には、星野前監督が取締役副会長に就任することを球団が発表された[92]。星野球団副会長は、「球団の編成・ドラフト戦略・経営にも関与できる現場の総責任者」という立場で、三木谷オーナー・立花社長に次ぐ権限を有するようになった[93]。9月22日のロッテ戦に敗れてクライマックスシリーズ進出の可能性が完全に消滅し、2年連続のBクラスも確定したため、大久保監督は同日に成績不振の責任を取って監督を退任することを正式を発表した[94]。終盤はオリックスと5位の座を争ったが、10月3日の対ロッテ戦に敗れたため2年連続での最下位が決定した[95]。シーズン通算では57勝83敗3分(勝率.407)という成績でパ・リーグの全チームに負け越した。チーム打率、防御率、得点はいずれもリーグ最下位で失点もリーグ最多を記録。その一方で、主催試合のシーズン通算観客動員数は歴代最多の1,524,149人に達した。
なお、球団創設メンバーで唯一の現役投手・小山伸一郎、地元・仙台出身でチーム最年長選手でもあった元メジャーリーガー・斎藤隆、入団以来長らく先発陣の一角を担ってきた永井怜などがこのシーズンを以って引退。
シーズン終了後の10月8日、大久保の後任として近鉄・日本ハムの監督を歴任した梨田昌孝の監督就任を発表[96][97]。
2015年シーズンは「チームとフロントの一体化」であるとしてオーナーである三木谷がスタメン、打順、さらには一・二軍の入れ替えなどを指示することが多かった。しかしシーズン後半には現場の意見も取り入れるようになってきてそれをオーナーが決裁を出す形となった。オーナーの現場介入は打撃コーチである田代富雄がこれを許せないとしてシーズン途中で退団するなど批判の声があがっている[98]。
梨田監督時代
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2016 夢と感動」。
2年続けて最下位に陥るほどの低迷から脱却するために大型補強を敢行した。ここ2年固定できなかった三塁手を補強すべく、千葉ロッテマリーンズからFA権の行使を宣言していた今江敏晃と契約した。また、かつて広島東洋カープの主力打者だった山形県出身の栗原健太内野手、千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けていた川本良平捕手、中日ドラゴンズを退団した山内壮馬・福岡ソフトバンクホークスを退団した金無英両投手を入団テスト経由で契約。外国人投手では、先発・リリーフ両方に対応できるラダメス・リズやジェイク・ブリガムを獲得したほか、WBSCプレミア12の台湾代表に選出された宋家豪と育成選手契約を結んだ。さらに、メキシカンリーグ二冠王のジャフェット・アマダー内野手と、MLB通算162本塁打の実績を誇るジョニー・ゴームズ外野手を獲得した。
2月1日から、楽天Koboスタジアム宮城の短縮表記を「コボスタ宮城」から「Koboスタ宮城」に変更し、5月には社会人・大学・クラブチームと対外試合を年に30戦程度実施することを前提に、若手選手の実戦経験を増やす目的で球団内に「育成チーム」を編成した。
公式戦では、茂木栄五郎を開幕から内野のレギュラーに抜擢するなど新人選手を積極的に起用した。ドラフト1巡目入団のオコエ瑠偉も高卒新人野手では球団史上初の開幕一軍入りを果たすと、セ・パ交流戦期間中から正中堅手に定着した。正捕手の嶋が故障で戦線を離れた5月下旬からはドラフト6巡目入団の足立祐一にスタメンマスクを託した。その一方で、新外国人のゴームズは18試合で打率1割台・本塁打1本にとどまり4月22日に一軍登録を抹消され帰国・退団したほか[99]、パ・リーグの最年長選手だったレイも成績不振を理由に退団した。オープン戦の序盤に負傷したアマダーは5月下旬に公式戦デビューを果たしたものの、以降も再三にわたって故障で戦列を離れた。さらに今江・銀次・松井稼頭央などの主力打者も故障や打撃不振などで一軍と二軍を往復した。このため、7月には球団史上初めてのキューバ出身選手としてフェリックス・ペレス、シアトル・マリナーズ時代にイチローとチームメイトだったカルロス・ペゲーロ(いずれも左打ちの外野手)を相次いで獲得した。
序盤に一時首位に立つも、その後順位は急降下し4位に沈んだ。交流戦では11勝7敗の4位と健闘したが、リーグ戦の再開後はソフトバンク・日本ハム・ロッテの後塵を拝する状況が続いた。終盤には順位で西武にも抜かれ5位に転落した。9月29日のオリックス戦に勝利したことでオリックスの最下位が確定したため、チームは3年振りに最下位を脱出し[100]5位でシーズンを終えた。西武に対しては、球団史上初めてシーズンの勝ち越しを果たした。
シーズン終了後には、球団創設時から楽天に所属している最後の現役選手であった近鉄出身の牧田明久や、2007年の大学・社会人ドラフト会議1巡目指名で入団した長谷部康平、後藤光尊、栗原、川本、山内などが現役を引退した。外国人選手では、リズ、ブリガム、ペレスが相次いで退団したほか、前年の故障からセットアッパーとして復活したミコライオとの残留交渉が不調に終わった(後に退団)。
チームスローガンは、「Smart & Spirit 2017 東北・夢・再び」。
前年10月31日付で楽天が宮城球場の命名権に関する3年契約を締結したことに伴って、1月1日付で本拠地の呼称を「Koboパーク宮城」に変更した。同月16日には、星野球団副会長が監督時代の実績を買われて野球殿堂顕彰者(エキスパート部門)に選ばれている。
外国人選手については、ウィーラー・アマダー・ペゲーロが揃って残留する一方で新たにフランク・ハーマン投手と契約を結んだ。レギュラーシーズン中の6月には、BCリーグの富山サンダーバーズからジョシュ・コラレス投手を獲得している。日本人選手では、西武からFA権の行使を宣言していた仙台市出身の岸孝之投手やソフトバンクからのコーチ就任要請を固辞して退団した青森県出身の細川亨捕手と契約。ドラフト会議では、1巡目の藤平尚真をはじめ支配下登録選手としての指名を経て入団した10人中9人を投手が占めた。さらに、一軍を経験していなかった柿澤貴裕外野手との交換トレードで、巨人から小山雄輝投手が移籍した。春季キャンプ中には、前年10月にDeNAから戦力外通告を受けていた元・巨人の久保裕也投手を、入団テスト経由で獲得している。
その一方で、レギュラーシーズンの開始前に催された2017 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には、則本と松井裕樹が日本代表、アマダーがメキシコ代表として出場し、当初は嶋も日本代表に選ばれていたが、春季キャンプから右ふくらはぎの張りで調整が遅れたため本大会の直前に出場を辞退した。さらに則本は、WBC出場の影響で入団以来初めて開幕投手を外れた。
公式戦では、ウィーラー・アマダー・ペゲーロを同時にスタメンへ起用することを前提に1番に茂木・2番にペゲーロ・5番に銀次を据えた攻撃型の打線でスタートした。開幕投手には、岸が内定していたが開幕直前にインフルエンザB型へ感染したため、対戦相手であるオリックスとの相性の良い美馬学が初めて起用された。また、新人投手の森原康平・高梨雄平・菅原秀が中継ぎ要員として揃って開幕一軍入りを果たした。このような状況で開幕を迎えたにもかかわらず、開幕戦からの4連勝でスタートダッシュに成功する。パ・リーグの首位に立つと、4月を16勝5敗の勝率.761、5月を16勝7敗の勝率.696で終えた。この間には3連敗が1度もなかった。さらに則本は4月19日の西武戦から8試合連続で2桁奪三振(NPB新記録および世界プロ野球タイ記録)を達成した。 則本と共に先発陣を構成する美馬・岸や、クローザーの松井裕も好調で、ハーマンと共にセットアッパーを務める福山博之は、開幕戦から36登板試合連続で自責点を0に凌いだ。
5月以降はソフトバンクとリーグ戦で首位争いを展開した。交流戦ではソフトバンクが優勝したものの、3連敗を2度経験しながら10勝8敗の5位で終了した。6月28日にははるか夢球場(弘前市運動公園野球場)でオリックス戦を開催。球団創設13年目にして球団の主催による青森県内での一軍公式戦が初めて実現するとともに、地方球場に強い辛島航が先発で白星を飾った。この試合によって日程上は東北全6県での開催が実現したが、4月13日に福島県のヨーク開成山スタジアムで予定されていた西武戦が降雨で中止になったため、実公式での全県開催は2018年以降に持ち越された。結局、6月の通算成績は12勝9敗1分の勝率.571であった。
7月には2日にソフトバンクに敗れたことでソフトバンクとのゲーム差が−0.5ゲーム差となり、前年のソフトバンクに続き2位とのゲーム差がマイナスでの首位となる事象が発生した[101]。7月7日にシーズン初めてソフトバンクに首位を明け渡すが、2日後には首位に再浮上した。前半戦最後のカードであったソフトバンクとの首位攻防2連戦で2連勝したため、4年振りに前半戦を首位で折り返した。しかし、その一方で交流戦の終盤から主力選手に故障者が続出し、茂木・藤田一也・ペゲーロ・岡島豪郎・松井裕・今江が相次いで戦線を離脱した。NPBレギュラーシーズン中のトレード期限が迫っていた7月下旬には、このような事情を背景に2015年までロッテの主力打者だった巨人のルイス・クルーズ内野手を金銭トレードで獲得した。獲得当日(26日)のソフトバンク戦から、茂木が遊撃の守備、ペゲーロが一軍に復帰する8月上旬まで一軍の公式戦に出場した。さらにこの試合で則本が入団1年目から5年連続のシーズン2桁勝利を達成し、チームは4連勝と6連勝を1回ずつ経験した影響で、7月を13勝7敗の勝率.650で終えた。
8月には2日に再び首位から陥落すると、投打の歯車が噛み合わないまま急失速した。前述した故障者のうち、今江以外の選手が相次いで一軍に復帰してもこの傾向に歯止めが掛からなくなった。一時はパ・リーグのレギュラーシーズンでは35年振りにマイナス1ゲーム差で首位に立った[102]ものの、ソフトバンクや3位・西武との3連戦が組まれていた8月第3週から第5週までの通算15試合で、1勝13敗1分と大きく負け越した。首位・ソフトバンクとの差が10ゲームにまで広がったばかりか、31日の西武戦で敗れたためシーズンで初めて3位に転落した。結局、8月の通算成績は7勝18敗1分でシーズン初の月間負け越しを記録した。さらに8月23日のロッテ戦から9月3日のソフトバンク戦まで、球団初年度以来12年振りの公式戦10連敗を記録している。9月2日の対ソフトバンク戦で敗れたことによってチームの自力優勝の可能性が消滅したほか、本拠地での主催試合でも、8月18日のソフトバンク戦から9月9日のオリックス戦まで10連敗を喫した。この間には、前述した攻撃型打線の組み替えを繰り返す一方で春季キャンプ中の故障で出遅れていたオコエがスタメンに再び定着するほど好調を見せた。また、高卒新人の藤平もチームが6連敗中だった8月22日のロッテ戦で一軍初勝利を果たすと、チームの10連敗で迎えた9月5日の日本ハム戦でも先発勝利を記録した。さらにウィーラー・ペゲーロ・アマダーが9月中旬までに相次いで20本以上の本塁打を放ったため、「同一球団に在籍する3人の外国人選手が同一シーズンでいずれも20本以上の本塁打」というNPB一軍公式戦史上初の記録を樹立し、投手陣では則本と美馬が2桁勝利を達成した[103]一方で、岸は防御率2.76ながら7連敗(8勝10敗)でレギュラーシーズンを終えた。
9月中旬以降は、16日にソフトバンクのリーグ優勝が決まったものの24日に楽天の3位以上が確定した[104]。が、以降の試合で2位に返り咲けないまま10月4日の対ロッテ戦を延長12回引き分けで終了となった。チーム史上初めてレギュラーシーズンを3位で終えた[105]。
ポストシーズンでは、西武とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(メットライフドーム)第1戦においてレギュラーシーズン中の対戦で8戦全敗だった西武のエース・菊池雄星を相手に0 - 10の大差で完封負けを喫した。だが、第2戦からの2連勝によってパ・リーグの優勝チームとして臨んだ2013年以来4年振り(勝ち上がりは2009年以来)にCSファイナルステージへ進出した。パ・リーグが2007年から導入しているCS制度で、ファーストステージの第1戦に敗れたチームがファイナルステージへ進出できた事例はこの年の楽天が初めてである。迎えたソフトバンクとのファイナルステージでは、第1戦から2連勝しCS第2戦から4連勝と上り調子にあったが、則本・岸・美馬を先発に立てた第3戦以降の試合で3連敗を喫したため、4年振りの日本シリーズ進出を逃した。なお、この時点で日本シリーズの出場および制覇回数は1回であった。しかし、過去2回出場したシリーズをいずれも制していた横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位からCSを突破)が、この年の日本シリーズでソフトバンクの前に敗退した。その結果、日本シリーズで敗退したことがないチームはNPBの12球団で楽天だけになった。
日本シリーズの終了後には、チーム最年長の現役選手だった松井稼頭央が、コーチ就任の打診を固辞。他球団での現役続行を希望したため、テクニカルコーチ兼任の外野手として、15年振りに西武へ復帰した。また、巨人から移籍した2013年以降サイドスローの左腕投手として中継ぎで活躍した金刃憲人などが現役を引退。2009年以降もコーチとして楽天への在籍を続けてきた礒部が退団する一方で、ドラフト会議での1巡目指名を経て在籍していた片山博視(2006年入団)・武藤好貴(2012年入団)両投手や、一軍のクリーンアップを一時担っていた内野手の中川大志に戦力外通告を実施した(中川はDeNA、片山はコーチ兼任でBCリーグの武蔵ヒートベアーズ、武藤は入団前に所属していたJR北海道硬式野球部の後継チーム・JR北海道硬式野球クラブで現役を続行)。
ドラフト会議では、東京六大学野球のリーグ戦で歴代3位の通算21本塁打を記録した岩見雅紀(慶応大学外野手)を2巡目で指名。5巡目では、NPBの球団では初めてBASEBALL FIRST LEAGUEに加盟する球団の選手(兵庫ブルーサンダーズ所属の田中耀飛外野手)を支配下登録選手として指名した(いずれも指名後に入団、田中は入団後に「耀飛」の名で登録)。
楽天が宮城球場の命名権を保持したまま、1月1日付で球場の呼称を「楽天生命パーク宮城」に変更した。
1月4日には、チームの4代目監督でもあった星野仙一・球団代表取締役副会長が膵臓癌のため70歳で永眠した。球団では同月6日にその事実を公表し翌7日から3日間は楽天生命パーク宮城、オープン戦の期間中には主催試合の開催球場に献花台を設置した。また、星野副会長がかつて一軍監督やオーナー付シニアディレクターを務めた阪神球団との共同運営による「お別れ会」を東京と大阪で開催した。大阪での「お別れ会」開催直後の3月26日には、三木谷オーナーの意向[106]に沿って、星野副会長が監督時代に付けていた背番号77を永久欠番として扱うことが球団から正式に発表された[107]。
外国人選手については、前年に在籍していた7選手からクルーズ以外の6選手が残留したことに加えて、右の強打者オコエ・ディクソンと新たに契約。また、DeNAから2013年7月に西武へ移籍していた渡辺直人が内野手として8年振り、2015年から3年間ソフトバンクの一軍投手コーチを務めていた佐藤義則が一軍投手コーチとして4年振りに復帰した。ソフトバンクからは、前年の細川に続いて捕手の山下斐紹を西田哲朗との交換トレードで獲得した。
チームスローガンは、「日本一の東北へ」。また、球団創設以来初めてユニフォームのデザインをホーム・ビジター用とも一新した。ただし、レギュラーシーズン中には星野副会長の監督時代の背番号(77)をユニフォーム左胸部分の裏に付ける[106]。その一方で、4月3日に楽天生命パークで開かれた日本ハムとのホーム開幕戦では、星野副会長の監督時代の背番号77を入れた2014年仕様のユニフォームを、監督、コーチ、選手、スタッフ(総勢115名)が着用した。
レギュラーシーズンでは、オープン戦を打率トップで終えた内田靖人を開幕一軍のメンバーに初めて抜擢。3月30日にZOZOマリンスタジアムで催されたロッテとの開幕戦を延長12回の末に3 - 2というスコアで勝利したことによって、球団史上初めてシーズンのスタートを3年連続白星で切った。以降の試合では打線や救援陣がこぞって振るわず、球団史上12年振りに4月中に2桁の借金を喫したため、5月1日には一軍と二軍の間で一部のコーチを入れ替え。一軍の高須洋介打撃コーチと立石充男内野守備走塁コーチを二軍に配置転換する一方で、二軍から栗原健太打撃コーチと真喜志康永育成コーチが一軍に異動した[108]。しかし、開幕から10カード連続でカード勝ち越しに至らないまま、開幕から31試合目に当たる同月6日の対西武戦(楽天生命パーク)に大敗。この敗戦によって、自力によるリーグ優勝の可能性がいったん消滅した。NPB公式戦におけるシーズン31試合目での消滅は、この年のセ・リーグ球団を含めても最も速く、プレーオフ制度によるパ・リーグ優勝の可能性を残していた2005年のチーム(29試合)を除けば1955年の大映スターズ(27試合)に次ぐ速さである[109]。5月9日には福島県内で一軍公式戦(郡山市開成山野球場の対ロッテ戦)の主催を予定していたが、グラウンド状態の不良によって前年(雨天)に続いての中止を余儀なくされた。
5月29日からのセ・パ交流戦でもチームの調子は上向かず、クローザーの松井裕樹が開幕からの不調、本塁打数でチームトップのペゲーロが交流戦中の不振、中心打者のウィーラーが試合中のヘッドスライディングによる左手指の骨折で相次いで戦線を離脱した。交流戦の開幕投手を任された高卒5年目の古川侑利が一軍公式戦初勝利を含む2勝を挙げたものの、チームは6月16日の対阪神戦に敗れたことで、リーグ戦からの借金が20に到達した。同日の試合終了後に梨田監督が球団へ辞意を申し入れたところ、球団から了承されたため、辞任が決定した。
平石監督時代
2018年の監督代行時代も含める。
スローガンは「日本一の東北へ」。 梨田監督の辞任を受けて、6月17日の対阪神戦(楽天生命パーク)から一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任した。38歳での一軍監督代行就任は、歴代の一軍監督および代行経験者を含めても球団最年少であった。また、楽天生え抜きの人物がそのまま一軍を指揮するのは監督代行としての平石が初めてである。
チームでは、梨田の監督辞任と平石の監督代行就任に伴って一軍コーチ陣の配置転換も実施された。投手コーチではベンチ担当(佐藤義則)とブルペン担当(森山良二)の配置を入れ替えた。また、2018年5月の一軍復帰後から一塁ベースコーチを務めていた真喜志一軍内野守備走塁コーチがヘッドコーチ格で平石監督代行をサポート。この年から一軍戦略・内野コーチが務めていた塩川が、一塁のベースコーチに回っている(平石以外の首脳陣は肩書を変更せず)。
平石の監督代行就任後は、交流戦の残り2試合に全勝。交流戦開幕投手の古川も、6月19日の最終戦(横浜での対横浜DeNA戦)で白星を挙げたことによって、交流戦を一軍公式戦初勝利からの3連勝で締めくくった。しかし、チームは交流戦を最下位(全18試合で6勝12敗)という成績で終了した。リーグ戦の再開直後には、パ・リーグの球団で唯一勝率が5割を下回る事態に見舞われたものの、6月29日には菊池が先発した対西武戦(メットライフドーム)に15 - 1というスコアで大勝。レギュラーシーズンでは2016年5月25日から続いていた菊池の先発試合での連敗を13で食い止めた。
7月には、山形市総合スポーツセンター野球場(きらやかスタジアム)で初めてのNPB一軍公式戦として、10日の対オリックス戦を主催。前年まで他球場で実施されていた山形県内での一軍主催公式戦8試合目にして、初勝利を挙げた。また、オールスターゲームでは、岸が選手間投票1位、平石の監督代行就任を境に4番打者へ定着した今江が監督推薦でパシフィック・リーグ選抜チームに参加。前年のレギュラーシーズン3位を受けて梨田が務める予定だった同チームのコーチを平石が引き継いだほか、14日の第2戦(リブワーク藤崎台球場)には岸が同チームの先発投手として登板した。9月1日には、星野副会長の逝去以降事実上空席だった編成部門のトップとして石井一久が球団取締役ゼネラルマネジャー(GM)に就任。10月5日の対ロッテ戦(楽天生命パーク)の前に、平石監督代行が2019年シーズンから一軍監督へ正式に就任することを発表した。しかし、この試合に敗れたことで、5位ロッテと1ゲーム差まで詰めたがチーム3年振りの最下位が確定した。オリックスとロッテには勝ち越しており、西武戦(6勝19敗)と交流戦(6勝12敗)で大きく負け越したことが響くことになった。
なお、この年のチームは梨田の監督在任中からホームゲームにとりわけ弱く、シーズン通算で球団最多の50敗を記録。地方開催分を含むホームゲーム(72試合)の通算勝率は.306(22勝50敗)だが、本拠地・楽天生命パークの開催分では69試合で.290(20勝49敗)にとどまった。パ・リーグに加盟する球団で、本拠地開催分の一軍公式戦におけるレギュラーシーズンの通算勝率が3割を切った事例は、1961年の近鉄(日生球場で.267=16勝44敗)以来57年振り。セ・リーグを含めても、1965年のサンケイスワローズ(神宮球場で.292)以来の低さであった。その一方で、ビジターゲーム(通算71試合)では36勝32敗3分と勝ち越している[110]。
投手陣では、則本が5年連続5回目のリーグ最多奪三振を記録。さらに、チームのシーズン最終戦であった10月13日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)に救援登板でシーズン10勝目を挙げたことによって、入団以来6年連続のシーズン2桁勝利(NPB史上4人目の記録)を達成した。また、岸がチーム最多の11勝を挙げるとともに、防御率2.72でリーグ最優秀防御率のタイトルを初めて獲得した。松井裕樹は自身の不調やチーム事情からシーズン中にセットアッパーや先発への転向を経験しつつも、9月16日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)で一軍公式戦通算100セーブを史上最年少(22歳10ヶ月)で達成した。さらに、入団2年目の高梨が球団最多記録のシーズン70試合登板を記録した。野手陣では、高梨と同期入団(2年目)ながら、パ・リーグ新人王の選考資格を残していた田中和基がセ・パ交流戦の直前から正中堅手に定着。チーム生え抜きの野手としては歴代最多の一軍公式戦シーズン18本塁打を記録したことや、パ・リーグの最終規定打席に到達したことを背景に、スイッチヒッターとしてはリーグ史上初(チームからは田中将大・則本に次いで3人目)の新人王に選ばれた。後半戦に一軍へ定着した内田も、高卒の生え抜き野手および、生え抜きの右打者としては初めての2桁本塁打(12本塁打)を放っている。もっとも、前年のチームの躍進を支えた外国人野手は総じて低調。アマダーは7月だけで11本塁打を記録したが、NPBから禁止薬物摂取の嫌疑を掛けられた影響で、8月中旬以降実戦から遠ざかった。さらに、新加入のディクソンも、その穴を埋めるまでの活躍に至らなかった。
シーズン終了後には、二軍を中心に、コーチ陣の大幅な入れ替えを敢行。シーズン中に二軍投手コーチを務めた与田剛が古巣・中日の一軍監督に転身したほか、二軍監督として田中のブレイクに寄与した池山、二軍ヘッドコーチの大石知宜などが契約の更新を見送られた[111]。その一方で、この年に他球団で現役を引退した平石と同世代の小谷野栄一・後藤武敏が打撃コーチへ就任するとともに、石井GMが現役投手時代に所属していたヤクルト出身の指導者(伊藤智仁・三木肇・楽天のOBでもある野村克則)などを招聘。2016年1月の現役引退後に球団職員へ転じていた元・選手会長の鉄平が、二軍外野守備走塁コーチとして現場復帰を果たした。他球団との指名重複による抽選が相次いだドラフト会議の1巡目では、2回目に指名した辰己涼介(立命館大学)への独占交渉権を4球団競合の末に獲得。結局、辰己や則本の実弟(則本佳樹)など(育成選手契約者を含めて)10人もの新人選手が入団した。その一方で、聖澤諒・枡田慎太郎・伊志嶺忠が戦力外通告を受けたことを機に現役を引退[112]。球団からコーチへの就任を打診されていた細川や、育成選手契約で戦力外通告を受けた宮川将は、いずれも他球団で現役生活を続けることになった(細川はロッテ、宮川は前年の片山に続いてコーチ兼任で埼玉武蔵ヒートベアーズへ入団)。さらに、この年限りでマリナーズを退団した岩隈に復帰を打診したが、巨人との争奪戦に敗れた。
チームスローガンは、「RESTART! 日本一の東北へ」。本拠地の楽天生命パーク宮城では、一・二軍の主催公式戦開催日に、場内の売店・チケットカウンターでの決済を現金以外の手段に統一する(プロ野球球団の本拠地球場では世界初の「完全キャッシュレス化」)。また、前年まで私設応援団が作曲していた応援歌に著作権上の問題が生じたことから、球団と私設応援団の間で応援歌の扱いを協議。上記の問題が解決された応援歌に限って、前年からの継続使用が認められた[113]。
補強面では、前年のパ・リーグ打点王で、シーズン終了後に西武から国内FA権の行使を表明していた浅村栄斗を獲得した。また、仙台育英高校やヤクルトで剛速球投手として活躍していた由規を、育成選手として契約(7月28日付で支配下選手登録)。由規とは高校での1年後輩に当たる橋本到が巨人との金銭トレード、広島の福井優也が菊池保則との交換トレードで入団した。外国人選手については、ウィーラー以外の外国人野手とコラレスが退団。その一方で、右投手のアラン・ブセニッツや、右の長距離打者ジャバリ・ブラッシュを獲得した。育成面では、三軍の創設を視野に、実戦経験を増やしながら若手選手の育成や故障者の復帰を促す環境を整備することを石井GMが計画。シーズン中の6月には、この年に支配下登録選手から育成選手に移行させた下妻貴寛捕手と野元浩輝投手を、1ヶ月限定ながらBCリーグの武蔵球団へ派遣した[114]。
春季キャンプでは、ルイス・ヒメネス内野手が入団テストに参加。テストへの合格後に育成契約を締結したうえで、3月のオープン戦期間中に支配下選手として登録した。キャンプ終了後の3月上旬には、チームが台湾でLamigoモンキーズ(中華職業棒球大聯盟に加盟するプロ野球球団)との2連戦に臨んだ。
その一方で、この年から正式に捕手へ復帰した岡島が春季キャンプ中に左肩、球団との間で7年契約を結んだ則本昂大が3月中旬に右肘の手術を受けた。則本昂大についてはレギュラーシーズン中の実戦復帰が難しい状況にあったため、DeNAの右投手・熊原健人(仙台大学出身)を開幕の直前に濱矢廣大との交換トレードで獲得した。岸が移籍後初めて開幕投手を務めたが怪我をして長期離脱になるなど、先発投手が足りなくなるアクシデントがあったが、それでも一軍は、38歳の平石による指揮の下で開幕ダッシュに成功。開幕11試合目に当たる4月29日の対西武戦(メットライフドーム)では、シーズン初の単独首位に立った。公式戦の開幕から10試合以上経過した時点での単独首位は、チームとしては2017年8月14日以来2シーズン振り、NPB球団の30代監督としては1981年の武上四郎(ヤクルトスワローズ)以来38年ぶり、パ・リーグ球団の30代監督としては1976年の上田利治(阪急ブレーブス、いずれも当時39歳)以来43年ぶりであった[115]。さらに、4月20日の対オリックス戦(楽天生命パーク)に勝利したことによって、一軍公式戦における球団通算900勝を達成した[116]。
5月には、8日の対ソフトバンク戦で球団史上初めて、最大7点差からの逆転勝利をマーク。15日の対日本ハム戦(いずれも楽天生命パーク)でも、4回裏まで0 - 8のスコアで大差を付けられながら、延長11回の末に9 - 8のスコアで逆転サヨナラ勝利を収めた。パ・リーグの公式戦において、同じ月に同じ球団が7点以上のビハインドからの逆転勝利を2度以上記録した事例は、この月の楽天が初めてである[117]。
パ・リーグの首位で迎えたセ・パ交流戦では、6月15日の対広島戦(楽天生命パーク)で1試合7本塁打のチーム新記録を達成[118]。NPBの一軍公式戦では初めて、外野のスタメンを新人の3選手(辰己涼介・渡邊佳明・小郷裕哉)だけで賄う[119]などの積極的な采配も背景に、前年から一転して勝ち越し(10勝8敗)で終えた。しかし、交流戦優勝のソフトバンクにリーグ首位の座を明け渡すと、交流戦の終盤からリーグ戦再開後の7月上旬まで10連敗を喫した。
リーグ戦再開後に右の長距離打者を補強するため下水流昂を三好匠との交換トレードで広島から、和田恋を古川侑利との交換トレードで巨人から相次いで獲得。7月9日の対オリックス戦(山形)では、則本昂大が先発投手としてシーズン初登板を果たすとともに、交流戦終盤からのチームの連敗を10で阻止した。一軍は、8月に「月間4度の5時間試合」というNPBのチーム記録を達成するほど熱戦を続けた末に、ロッテとの3位争いを僅差で制して2年振りにクライマックスシリーズへ進出。二軍も、三木新監督の下で、球団史上初めてのイースタン・リーグ優勝を果たした。なお、8月31日の同リーグ・対西武戦では、当時二軍で調整中だったオコエが(一軍を含めて)球団史上初の公式戦サイクルヒットを達成している。
一軍のレギュラーシーズンでは、則本昂大が後半戦だけで5勝を挙げたものの、入団1年目から続けていたシーズン2桁勝利が6年でストップ。開幕投手の岸も故障が相次いだ影響で3勝にとどまったが、前年に一時育成契約を結んでいた入団4年目の石橋良太が先発陣へ定着すると、美馬と並んで8勝を記録した。しかしチーム内に2桁勝利を挙げた投手はおらず、最も多く白星を稼いだ投手は、シーズンの大半で先発陣の一角を担った辛島航(9勝)であった。救援陣では、クローザーへ返り咲いた松井裕樹がパ・リーグおよび自己最多の38セーブをマーク。また、シーズン中に右肩の手術を受けた福山に代わって、ブセニッツと森原がセットアッパーとして好成績を残した。打撃陣では、ブラッシュがチームの外国人選手としては歴代最多のシーズン33本塁打を放ったほか、浅村も西武時代の前年に続いて本塁打を30本台(33本)に乗せた。
クライマックスシリーズ(CS)では、レギュラーシーズンを2位で終えていたソフトバンクとのファーストステージに先勝。第2戦からの2連敗でファイナルステージへの進出には至らなかったものの、この試合からポストシーズン10連勝で日本シリーズ3連覇を成し遂げたソフトバンクに、ポストシーズン唯一の黒星を付けた。もっとも、ソフトバンクに対しては、二軍もファーム日本選手権で後塵を拝している。
新人選手時代の創設初年度から15シーズン連続で現場に携わっていた平石は、歴代の一軍監督で初めて、正式就任1年目でレギュラーシーズンのチーム最終勝率を5割以上に乗せた。しかし球団は、一軍がCSのファーストステージで敗退した直後に、二軍監督の三木が平石に代わって一軍監督へ就任することを発表した。平石の監督退任は契約期間(1年)の満了に伴う決定でもあったが、発表に際しては、「決定に至った経緯や、今後のチームに求められるビジョンをまとめた文書をGMの石井が公開する」という異例の対応も為された[120]。また、小谷野・森山・佐藤義則・高須のコーチ契約を解除したほか、宮城県内の高校出身の選手(橋本・今野龍太・西巻賢二)などに自由契約を通告。福山、燿飛、前年に開幕ローテーションの一角を担っていた池田隆英などが育成契約へ移行した。
球団では、「二軍のGM」に相当する役職(二軍統括)を新設したうえで、同職の就任を平石に要請することも計画していた。しかし、平石は自身の意向で退団した[121]後に、ソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチへ転身。さらに、平石を支えたコーチや、球団生え抜きの選手がチームを離れる事態も相次いだ。今野および、今江と同じく故障の影響で出場機会が減っていた嶋はヤクルトへ移籍。コーチ陣からは、森山がソフトバンク、小谷野がオリックス、二軍打撃コーチの栗原が中日のコーチへ転じている。
ドラフト会議では、1巡目で最初に指名した佐々木朗希(岩手県立大船渡高校投手)の独占交渉権を4球団競合の末に逃したものの、再指名で小深田大翔(大阪ガス内野手)の交渉権を獲得。育成選手契約者を含めて、11人もの新人選手が入団した。その一方で、今江、橋本、球団生え抜きの戸村健次・西宮悠介両投手が現役を引退。今江は育成コーチ、戸村と西宮は打撃投手として球団に残った。
三木監督時代
チームスローガンは「NOW or NEVER いまこそ 日本一の東北へ」
前年に二軍で三木を支えたコーチ陣から、野村克則・鉄平・小山・塩川が一軍へ異動。与田の下で中日の一軍内野守備走塁コーチを務めていた奈良原浩を二軍監督、前年に現役を引退したばかりの館山昌平をヤクルトから二軍投手コーチ、地元・東北学院大学出身の星孝典を西武から二軍バッテリーコーチに招聘した。また、開幕前からの故障でシーズンの中盤以降を棒に振ったチーム最年長選手の渡辺直人を、球団史上初の選手兼任コーチ(内野手兼一軍打撃コーチ)へ起用。永井と牧田が現役引退後初めて二軍のコーチとして現場に復帰したほか、前年までロッテ球団の特別職(スペシャルアシスタント)に就いていた同球団OBの大村三郎を、二軍統括職に相当する役職(ファームディレクター)に迎えた[122]。
補強面では、前年の11月中旬から1ヶ月ほどの間に、ロッテから楽天へ3名、楽天からロッテへ4名の選手が交換トレードを介さずに移籍した。楽天からは、美馬が国内FA権の行使によって移籍したことを皮切りに、球団から育成契約への移行を打診されていた西巻と、外国人枠(一軍へ同時に登録できる外国人選手を4名までに限るNPBの規定)などとの兼ね合いで自由契約になっていたハーマンもロッテへ移った。ロッテからは、FA権を行使することを表明していた鈴木大地内野手を獲得したほか、西武時代から主に先発投手として活躍してきた涌井秀章が金銭トレードで移籍。鈴木の獲得に伴う人的補償(プロテクト枠から外れた保有選手1名の譲渡)措置で小野郁が移籍する一方で、美馬のロッテ入団に伴う同措置で酒居知史が加入した。楽天から人的補償措置で他球団へ移籍した選手は、小野が初めてである。
その一方で、前年までクローザーを務めた松井が先発に復帰することから、救援での起用に対応できる投手をMLBから補強。2018年までサンディエゴ・パドレスに所属していた元西武の牧田和久や、前年までロサンゼルス・ドジャースに所属していたジョン・トーマス・シャギワ(いずれも右投手)を獲得した。外国人野手では、ウィーラーとブラッシュが残留したことに加えて、オリックスで前年まで3シーズンにわたって打線の主軸を担ってきたステフェン・ロメロ外野手が春季キャンプ中に入団した。
親会社の楽天は、台湾の靴メーカーLa Newが保有していたLamigoモンキーズ全株式を、前年の9月に取得[123]。2020年シーズンから、Lamigoモンキーズを楽天モンキーズに改称したうえで、東北楽天ゴールデンイーグルスとともに保有する。楽天が日本と台湾でプロ野球の球団を同じ時期に保有することについては、NPB(日本野球機構)から「日本国内における複数球団の保有を禁止している野球協約に抵触しない」との見解が出されている[124]。ちなみに、Lamigoモンキーズは最後のシーズンで前期優勝と台湾シリーズ制覇を果たしていたが、楽天モンキーズとしては最初のシーズンを前・後期総合2位で終えた。
春季キャンプ中の2月11日には、チームの第2代監督→名誉監督で、ヤクルト監督時代に石井・伊藤智仁・三木などを育てた野村克也(克則の実父)が、虚血性心不全によって84歳で永眠。球団では、翌12日から15日まで楽天生命パークに献花台を設けるなど、野村への弔意を示している。
この年は春季キャンプの直前(1月下旬)から新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕が6月19日にまで延期。楽天野球団もその影響で、延期中の4月にチーム全体の活動を一時休止していた。また、NPBではレギュラーシーズンの終了時期を例年より遅い11月上旬、シーズン中における新規の選手獲得・支配下登録の期限を9月30日に設定する一方で、一軍公式戦の試合数を例年の143試合から120試合に削減。クライマックスシリーズ(CS)については、パ・リーグのみの開催で、レギュラーシーズンの優勝チームと2位チームが11月下旬の日本シリーズ進出権を争う方式に変更された。さらに、一軍の公式戦で同時にベンチへ入れる外国人選手の上限を4名に据え置く一方で、外国人枠の上限を5名に拡大。(日本人選手を含めた)出場登録選手総数の上限も29名から31名、同時にベンチ入りが可能な選手総数の上限も25名から26名に増やした。また、楽天では一軍の主催公式戦を、本拠地の楽天生命パークでのみ実施している。
レギュラーシーズンに入ってからは、鈴木大地・ロメロ・小深田が加わった打線がチームの開幕ダッシュに大きく貢献。新人選手からは、小深田に加えて、慶應義塾大学から入団した津留﨑大成投手も開幕から長らく一軍の救援陣に入っていた。その一方で、チーム事情などから開幕一軍入りを逃していたウィーラーが6月25日に左投手・池田駿との交換、高梨が7月14日に右投手・高田萌生との交換によって巨人に相次いで移籍。逆に、シーズン特例による新規契約期限の前日(9月29日)には、巨人から田中貴也捕手を金銭トレードで獲得している。
一軍はレギュラーシーズンの前半まで、ソフトバンク・ロッテとの三つ巴で首位争いを展開。7月21日の対オリックス戦では、8回表の途中から中断した末に、濃霧によるコールドゲームが成立した(NPBの一軍公式戦では20年振り5回目)。さらに、9月10日の対ソフトバンク戦(18:00開始)は、雨天による2度の中断をはさんで23:38に終了。中断時間の合計は1時間32分(1回目37分・2回目55分)で、パ・リーグの公式戦では史上8番目の長さ(1970年以降の公式戦では最長)だった[125]。もっとも、先発陣では松井と岸、救援陣ではシャギワが不振。ブラッシュおよび、松井に代わるクローザーとして開幕から好投を続けていた森原は故障、開幕から涌井と共に先発陣を支えてきた則本昂大は試合中のアクシデント(転倒による右手の負傷)で戦線を離脱した(則本は9月から復帰)。このような事態が続いた影響で、8月下旬に3位へ転落してからは失速。開幕からコーチ職に事実上専念していた渡辺直人が現役引退を表明した9月には、この年に広島へ入団したばかりのD.J.ジョンソン投手を金銭トレードで獲得したほか、福山を支配下登録選手に復帰させた。ジョンソンが移籍後、福山が支配下復帰後初めて登板した同月22日の対ロッテ戦で、一軍公式戦における球団通算1000勝を達成[126]。シーズン終盤の10月以降は松井も救援要員に戻す一方で、先発で6試合に登板した岸が、5勝無敗という好成績で10・11月のリーグ投手部門の月間MVPを獲得した。しかし、一軍では逆転負けがNPB全球団で最も多い32試合に達したあげく、シーズンを4位で終えた。
NPB他球団でのプレーを経験している移籍組はおおむね好調で、鈴木大地が打率.295(パ・リーグの最終規定打席到達者としては5位)、ロメロが24本塁打、牧田和久が登板52試合(チーム最多およびリーグ3位の登板数)で防御率2.16をマーク。涌井はとりわけ好調で、シーズン初登板からの先発8連勝(プロ入り後自身最長)、2桁勝利(最初に入団した西武・移籍元のロッテ時代に続いて3球団目、パ・リーグ3球団のみでの達成は史上初)、千賀滉大・石川柊太(いずれもソフトバンク)と同じ11勝ながらリーグ最多勝利(西武時代にも2回・ロッテ時代にも1回達成、3球団での達成はNPB史上初)を相次いで記録した。また、開幕から4番打者を任されてきた浅村が、32本塁打で本塁打王のタイトルを初めて獲得。シーズン中盤から茂木に代わって正遊撃手に定着した小深田は、渡辺直人が保持してきた複数安打試合の球団新人最多記録を33試合に更新したほか、最終規定打席へ到達した末にパ・リーグ6位の打率.288を記録した。さらに、二軍は奈良原の下でイースタン・リーグ2連覇を達成したばかりか、球団史上初めてファーム日本選手権を制している。
なお、レギュラーシーズン終盤の10月26日に開かれたドラフト会議の1巡目では、早稲田大学の左投手・早川隆久に対する独占交渉権を、GMの石井が他の3球団との指名重複の末に抽選で獲得(後に入団)。最終盤の11月には、チーム最年長投手の久保裕也と、楽天生え抜きの現役投手としては在籍年数が最も長かった青山が現役引退を表明(後に「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」のコーチへ転身)したほか、由規、熊原、耀飛、近藤弘樹(2017年ドラフト会議1巡目での指名を経て入団していた右投手)、2018年にソフトバンクから移籍していた山下斐紹(2010年ドラフト会議1巡目で同球団から指名された捕手)などが戦力外通告を受けた(近藤は通告後にヤクルト・山下は中日に育成選手として入団、由規は埼玉武蔵へ入団、熊原は現役を引退)。さらに、レギュラーシーズン終了直後の同月12日には、現場での指導歴のなかった石井がGMと一軍監督を兼務することを発表。一軍のコーチ陣から、伊藤智仁がヤクルトへ復帰、笘篠誠治が退団、野村克則が育成コーチへ異動した。
石井取締役GM兼監督時代
チームスローガンは、「一魂(いっこん) 日本一の東北へ」。
前年に一軍を指揮していた三木が二軍監督、育成コーチの真喜志が一軍ヘッドコーチへ復帰。二軍監督の奈良原が、一軍内野守備走塁コーチへ異動した。また、前年に現役を引退した渡辺直人が一軍打撃コーチに専念するほか、久保が二軍投手コーチへ就任。さらに、ロッテ球団からの派遣扱いでBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのコーチを務めていた岡田幸文を、笘篠の後任扱いで一軍外野守備走塁コーチに招聘した。NPBの球団において、石井のようにGMが一軍監督を兼任する事例はソフトバンクの王貞治(2005 - 2008年)に次いで2人目、常勤の取締役が一軍監督を兼任する事例は福岡ダイエーホークス(ソフトバンクの前身球団)の根本陸夫(専務取締役時代の1993・1994年)に次いで2人目である[127]。その一方で、球団創設時から16年にわたって在籍してきたチーム統括本部長の安部井寛が、1月31日付で退団。2月1日付で、NPBの野球運営本部本部長補佐に着任している。
新人選手以外の補強面では、前年に在籍していたロメロがオリックスへ復帰したほか、ブラッシュとシャギワが退団。ブラッシュは現役を退く意向を示したが、MLBからブランドン・ディクソン (内野手)、アダム・コンリー投手、ルスネイ・カスティーヨ外野手(元・野球キューバ代表)が入団した。さらに、ニューヨーク・ヤンキースとの7年契約が前年11月で満了してから、再契約やMLB他球団への移籍交渉が難航していた田中将大にも8年振りの復帰を打診。その結果、楽天との2年契約で合意したことや、ヤンキース在籍中に楽天野球団が「準永久欠番」として扱ってきた背番号18を再び着用することが春季キャンプ開始の4日前(1月28日)に発表された。
所属選手・監督・コーチ
チーム成績・記録
- 日本シリーズ優勝:1回(2013年)
- リーグ優勝:1回(2013年)
- クライマックスシリーズ優勝:1回(2013年)
- 最下位:6回(2005 - 2006年、2010年、2014 - 2015年、2018年)
- Aクラス:4回(2009年、2013年、2017年、2019年)
- Bクラス:12回(2005 - 2008年、2010 - 2012年、2014年 - 2016年、2018年、2020年)
- 連続Aクラス入り最長記録:1年(2009年、2013年、2017年、2019年)
- 連続Bクラス最長記録:4年(2005 - 2008年)
- 最多勝利:82勝(2013年)
- 最多敗戦:97敗(2005年)
- 最多引分:10分(2012年)
- 最高勝率:.582(2013年)
- 最低勝率:.281(2005年)
- 最多得点:628(2013年)
- 最少得点:432(2011年)
- 最多失点:812(2005年)
- 最少失点:464(2011年)
- 最多本塁打:141本(2019年)
- 最少本塁打:52本(2012年)
- 最多盗塁:130盗塁(2011年)
- 最少盗塁:41盗塁(2005年)
- 最多失策:106失策(2007年)
- 最少失策:61失策(2020年)
- 最高打率:.272(2008年)
- 最低打率:.241(2015年)
- 最高防御率:2.85(2011年)
- 最低防御率:5.67(2005年)
- 最多併殺打:144併殺打(2007年・日本プロ野球記録)
- 初試合・初勝利:2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(対ロッテに3-1)
- 初敗戦:2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(2試合目、対ロッテに0-26、26点差での完封は日本プロ野球タイ記録)
- 初引分:2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(83試合目、対ロッテに4-4)
- 最大連勝:7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ、2011年8月20日・対ソフトバンク - 8月27日・対ソフトバンク、2013年7月26日・対ロッテ - 2013年8月4日・対日本ハム)
- 最大連敗:11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
- 1試合最多得点:19(2015年7月22日・対日本ハム)
- 1試合最多失点:26(2005年3月27日・対ロッテ)
- 1試合最多安打:24(2014年4月12日・対ロッテ)
- 1イニング最多得点:10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏、2020年6月27日・対日本ハム・5回裏)
- 1イニング最多失点:11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
- 最多貯金:31(2017年7月26日・対ソフトバンク)
- 最多借金:59(2005年9月28日・対ソフトバンク)
- 1試合最多本塁打:7本(2019年6月14日・対広島・茂木栄五郎7号、ジャバリ・ブラッシュ18号、ゼラス・ウィーラー12号、太田光1号、浅村栄斗15、16号、辰己涼介2号)
- 1イニング二塁打:7本(2013年8月4日・対日本ハム・5回表、プロ野球記録)
タイトル獲得者
永久欠番
- 10:ファン
- サブメンバーの一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。
- 当初、明治大学で主将を務めたことと「東京六大学野球での主将の背番号」という理由から、2004年ドラフト4巡目指名で入団した西谷尚徳の背番号に内定していたが、上述の理由から「6」に変更となった[128]
- 球団創設時からの永久欠番であるので、背番号「10」をつけていた選手・監督・コーチは過去にも誰一人存在しない。
- この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、一軍登録25人に次ぐ26番目、支配下選手登録者の一人という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
- ちなみに、球団マスコットの「クラッチ」がイーグルス・ファンの1人として背番号10を着用している。
- 77:星野仙一
- 第4代監督。就任3年目の2013年、チームを初のリーグ優勝・日本一に導く。
- 監督退任後も球団に留まり、シニアアドバイザー、球団取締役副会長を歴任。
- 2018年1月4日、膵臓癌のため70歳で逝去。
- 監督として永久欠番に制定されたのは日本球界では史上初。
沢村栄治賞受賞者
歴代監督
年度 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 田尾安志 | 6 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | ▲51.5 | .255 | 5.67 | 88 |
2006 | 野村克也 | 6 | 136 | 47 | 85 | 4 | .356 | ▲33.0 | .258 | 4.30 | 67 |
2007 | 4 | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | ▲13.5 | .262 | 4.31 | 111 | |
2008 | 5 | 144 | 65 | 76 | 3 | .461 | ▲11.5 | .272 | 3.89 | 94 | |
2009 | 2 | 144 | 77 | 66 | 1 | .538 | ▲ 5.5 | .267 | 4.01 | 108 | |
2010 | M.ブラウン | 6 | 144 | 62 | 79 | 3 | .440 | ▲15.0 | .265 | 3.98 | 95 |
2011 | 星野仙一 | 5 | 144 | 66 | 71 | 7 | .482 | ▲23.5 | .245 | 2.85 | 53 |
2012 | 4 | 144 | 67 | 67 | 10 | .500 | ▲ 7.5 | .252 | 2.99 | 52 | |
2013 | 1 | 144 | 82 | 59 | 3 | .582 | △ 7.5 | .267 | 3.51 | 97 | |
2014 | 6 | 144 | 64 | 80 | 0 | .444 | ▲17.0 | .255 | 3.97 | 78 | |
2015 | 大久保博元 | 6 | 143 | 57 | 83 | 3 | .407 | ▲33.5 | .241 | 3.82 | 85 |
2016 | 梨田昌孝 | 5 | 143 | 62 | 78 | 3 | .443 | ▲25.0 | .257 | 4.11 | 101 |
2017 | 3 | 143 | 77 | 63 | 3 | .550 | ▲15.5 | .254 | 3.33 | 135 | |
2018 | 6 | 143 | 58 | 82 | 3 | .414 | ▲29.5 | .241 | 3.78 | 132 | |
2019 | 平石洋介 | 3 | 143 | 71 | 68 | 4 | .511 | ▲ 7.5 | .251 | 3.74 | 141 |
2020 | 三木肇 | 4 | 120 | 55 | 57 | 8 | .491 | ▲16.5 | .258 | 4.19 | 112 |
- ※ ▲:2005・2006年はレギュラーシーズン首位球団、2007年以降はリーグ優勝球団とのゲーム差
- ※ △:リーグ2位球団とのゲーム差
- ※ 順位における太字の1は日本一
- ※ 2014年シーズンは開幕-5月25日までは星野監督、5月26日-7月2日は佐藤義則監督代行(24戦10勝14敗)、7月3日-7月24日は大久保博元監督代行(16戦7勝9敗)、7月25日-シーズン終了までは星野監督が指揮。
- ※ Aクラス(3位以上)のシーズンは背景色をつける。
- 勝利
- 引分
- 敗戦
名誉監督
- 野村克也(2020年2月11日に84歳で逝去)
2012年まで在任。現在、プロ野球界で名誉監督の称号を贈られたのは全球団で野村克也と読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄のみである。
ユニフォームの変遷
親会社・楽天のイメージカラーであり、イーグルスのチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を基調としている。パンツに1本の細ラインが入っている。帽子は、えんじ色をベースに白文字の「E」。2011年からは株式会社デサントとオフィシャルプラチナスポンサー契約を締結し、ユニフォームなどのウェアを提供していた。胸に、スポンサー・アイリスオーヤマのワッペンが付く。2014年シーズンから2019年シーズンまでのサプライヤーはマジェスティック・アスレティック。2020年シーズンからはユニフォーム・アパレルはミズノ、キャップはNPB球団では初となる「'47」がオフィシャルサプライヤーとなった[129]。
- 2009年の左袖に、球団創立5周年を記念して「5th Anniversary」のロゴマークをデザインしたワッペンが付いた。
- 2011年の右袖に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)犠牲者追悼の意を込め、黒の1ライン(喪章)が入り、「がんばろう東北」ワッペンが付く(「がんばろう東北」ワッペンは2012年も継続)。
- 2012年シーズンのみ、ホーム、ビジターともにヘルメットがツヤありからツヤなしに変わった。
- 2020年シーズンはヘルメットデザインがリニューアルされ、クリムゾンレッドのカラーは、艶やかに照り返す発色と光沢が特徴の、宮城県の伝統的工芸品「玉虫塗」の技法で表現し、東北工芸製作所と産業技術総合研究所東北センターが共同開発した、漆工の擦過性、耐候性等を向上させるナノコンポジットの技術を用いたコーティングを採用した[129]。
ホーム用
白地で、胸ロゴは鷲の翼章付き「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字があり、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークにはえんじ色の文字に黄色の縁取りが施されている。
- 2005年 - 2010年:シャドー・ストライプが広めの等間隔に入っていた。
- 2011年 - :胸番号・背番号・背ネームの字体が前年からビジター用(後述)のユニフォームで採用されているものと同じとなった。さらに、東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を込めて左袖に袖を一周するリング状の喪章、震災からの復興の願いを込めて左腕に「がんばろう東北」のワッペンを追加した(喪章は2011年のみ採用)。また、同年からはキャプテン制度導入に伴い、キャプテン選手[注釈 8]にはキャプテンマークとして、ユニフォームの右胸に「C(ホーム用は金色縁に赤、ビジター用は金色縁に白)」のワッペンが付いている。2014年、胸番号・背番号・背ネームの字体が再度変更された。
- 2013年の「レジェンド・シリーズ2013」では、ビジターゲーム(8月30日 - 9月2日・福岡ソフトバンクホークス対東北楽天ゴールデンイーグルス (福岡 ヤフオク!ドーム))でもホーム用ユニホームを着用して試合を行った。
- 2018年 :ユニフォームの肩と脇腹のラグランラインがなくなり、袖口と襟にゴールドとクリムゾンレッドのラインが追加された。また胸番号、背番号、背ネームの字体が変更されたほか胸ロゴの「EAGLES」や帽子マークの縁取りも黄色からゴールドに変わった。
-
ホームユニフォーム(2016年)
-
ホームユニフォーム(2018年)
ビジター用
上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラーを採用。
- 2005年 - 2009年:胸ロゴは「RAKUTEN」で、立体的に見えるように胸ロゴに黄色のシャドーが入っていた。
- 2010年 - :胸ロゴのデザインが「Rakuten」に変更され、黄色のシャドーは廃止、胸番号・背番号・背ネームの字体も変更した。コンセプトは「シンプル&スマート」
[130]。2014年、胸番号・背番号・背ネームの字体を変更。
- 2018年 :胸ロゴ「Rakuten」の下に右に向かって細長いラインが入った。また胸番号、背番号、背ネームの字体が変更された[131]。さらにユニフォームの肩と脇腹のラグランラインがなくなり、袖口と襟にホワイトとクリムゾンレッドのラインが追加された。帽子マークの縁取りは黄色からゴールドに変更。
-
ビジターユニフォーム(2009年)
-
ビジターユニフォーム(2012年)
-
ビジターユニフォーム(2018年)
限定ユニフォーム
この他、期間限定での「3rd(または4th)ユニフォーム」が下記のとおり採用されている。
- 2006年 - 2009年:交流戦期間のホーム開催試合のみ着用するサードユニフォームが登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
- 2007年:「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2008年7月11日 - 13日の対千葉ロッテマリーンズ3連戦で2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUTEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2010年 - 2011年:夏休み期間限定のサードユニフォームが登場。フロント部分は白、脇(肩から両袖・わき腹にかけて)にはえんじ色のラグランデザインが使用され、胸に大きく「TOHOKU」の文字、その下に小さく「RAKUTEN」とある。右袖には帽子と同じ「E」マーク、左袖に「楽天」ロゴが入り、パンツは普段のホーム用をそのまま使用。東京ドーム以外での地方主催試合開催(いわゆる「東北シリーズ」で、郡山・秋田、岩手)、及び夏休み期間中のKスタ宮城での12試合を合わせた15試合で着用した[132]。2011年も同様に、地方2試合(秋田・岩手)・8月のKスタ宮城での12試合、計14試合にて着用。
- 2011年:「球団創設7年目特別企画ユニフォーム」としてイーグル・レインボーを採用。「虹(夢の架け橋)」をコンセプトに胸下・両袖をクリムゾンレッドを含む7色の帯で構成しており、胸部は通常デザインとは異なる紺色の「Eagles」ロゴに加え左胸下に鷲のイラストが入る。パンツはクリムゾンレッド(後側のみ紺の縁取り)のラインが入り、腰部に背番号が入る。アンダーシャツは紺色。キャップも通常デザインではなく白抜きの紺色・ゴシック体の「E」となる。5月28・29日の対阪神2連戦ならびに6月11・12日の対中日2連戦(いずれもKスタ宮城)の交流戦計4試合で着用した[133]。
- 2011年7月1日からの対千葉ロッテマリーンズ3連戦では2011年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸には「E」の一文字ロゴ、肩と脇下には4色のラインが入る。また左袖には東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレムが入る(「がんばろう東北」ワッペン及び喪章は右肩に移動)。
- 2012年6月29日からの対福岡ソフトバンクホークス3連戦で2012年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。普段はビジター用で使われるクリムゾンレッド生地に左胸に「E」の一文字ロゴマーク。右袖に「がんばろう東北」ワッペン、左袖には2012年ファンクラブの証である「ファンクラブワッペン(東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレム)」が付く。袖には犬鷲の羽ばたく翼と、「足」を生かした野球からイメージする「疾走感」も表現した白のラインが4本ずつ、両袖合わせて8本のラインをあしらい球団創設8年目であることを表現、同じく脇に4本のラインをあしらったキャップもオリジナルのものを使用。
- 2012年7月27日 - 8月26日に行われた26試合(ホーム17試合・ビジター9試合)で、「イーグル・スター」ユニフォームを着用する。「イーグル・スター」は「星に願いを(WHEN YOU WISH UPON A STAR)」をテーマに作られた。アイボリー地にクリムゾンレッドのストライプ(楽天のユニホームにストライプが使われるのは、球団創立以来初)をあしらったデザインで、左袖には星を象ったロゴのワッペンが貼られていて、勝ち星を重ね優勝すること、そして東北の早期復興への願いがひとつの「星」に込められている。
- 2013年7月26日 - 8月25日の期間中に福島県・岩手県・秋田県・山形県の地方球場で開催する1軍公式戦とKスタ宮城で開催する1軍公式戦、青森県などで開催する2軍公式戦の合計29試合で着用する企画ユニフォーム企画「TOHOKU GREEN(トーホク・グリーン)」を発表。「東北の緑が変わることなく、美しくあり続けることへの願い」をテーマに、ベースの色に「つね(常)に変わらない」という「常磐」の意味を持つ色「常盤色」を使ったデザインのユニフォームで東北の早期復興、美しき東北の自然の保全、そして東北楽天ゴールデンイーグルスが常勝チームになることへの願いをテーマに作られた。ユニホームは常盤色をベースに胸には「TOHOKU」、また、キャップも常盤色をベースにした。胸ロゴ・帽子ロゴ・背番号は赤縁に白。なお、ユニホーム下とアンダーシャツは通常のものを使用[134]。
- 2017年シーズンから黒を基調とした「BLACK EAGLES」を使用[135]。
- 2018シーズンからは「TOHOKU GREEN」のデザインをもとにした新たな「BLACK EAGLES」と、ほぼ同デザインの、赤が基調で脇腹から脇にかけて黒が入った「FAN'Sユニフォーム2018」を使用[136]。
- 2019シーズンは、スペシャルユニフォーム「TOHOKU BLUE」、「FANS'ユニフォーム2019」を使用[137]。
- 2020シーズンは、スペシャルユニフォーム「TOHOKU BLUE ユニフォーム 2020」、「FANS' ユニフォーム 2020」を採用[138]。
-
サードユニフォーム(2007年)
-
サードユニフォーム(2011年)
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「イーグル・スター」ユニフォーム(2012年)
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「TOHOKU GREEN」ユニフォーム(2013年)
球団旗の変遷
- 2005年 - :親会社のイメージカラーであり、球団のチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を地色に、中央に白文字のチームロゴ(左右両端の文字は鷲の翼をイメージした「EAGLES」、その上に小さく「RAKUTEN」)。
マスコット
東北楽天ゴールデンイーグルス マスコット #10 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 2005年1月5日 |
選手情報 | |
ポジション | マスコット |
プロ入り | 2005年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
- クラッチ
- イヌワシをモチーフ。名前は一般公募され、英語のclutchに「ぎゅっとつかむ」「わしづかみ」という意味があり、また「勝負強い打者」を英語でクラッチヒッター(clutch hitter)と言うことから、「勝負強いチームになって、みんなの心をわしづかみにしてほしい」という願いを込めて決定された。また、イーグルス・ファンのための永久欠番である背番号10をイーグルス・ファンの1人として着用している。着ぐるみ登場当初は、帽子をかぶっていなかった。
- クラッチーナ
- スイッチ
- Mr.カラスコ
- 非公認マスコット。当該項目を参照。
- 超特大ゴーヤ
- Baby-brown
- ピーマン ボン ジョルノ .カンパニー
- 未公認マスコット。当該項目を参照。
- クロワシさん
-
Baby-brown
主な歴代の球団歌・応援歌
公式球団歌
- 羽ばたけ楽天イーグルス(作詞:藤巻浩・勝山聡・井岡美里、作曲:藤巻浩、歌:狗鷲合唱団)
- 軍歌調であるが、サンバMIXバージョンも存在する。7回攻撃前に流れている。
- Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
- 合体ロボットアニメの主題歌系ロック調。
公式応援歌
- THE マンパワー!!!(作詞・作曲:つんく♂(シャ乱Q)、歌:モーニング娘。)
- 2005年4月1日に行われた主催ゲームかつ本拠地の開幕戦である対西武戦と同年5月8日に行われた対巨人戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A『サテライトスタジアム』の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット『黄金鷲団』(東日本放送)のオープニング・エンディングでも使用されている。
- イーグルスのオーナーである三木谷の個人資産管理会社が所有する(楽天グループではない)ヴィッセル神戸(Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。
- 2005年4月1日に行われた主催ゲームかつ本拠地の開幕戦である対西武戦と同年5月8日に行われた対巨人戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A『サテライトスタジアム』の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット『黄金鷲団』(東日本放送)のオープニング・エンディングでも使用されている。
- LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- 前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM)
- 越えろ!楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:℃-ute)
- 紅の翼(歌:堀内孝雄)
- つんく♂と同じアップフロントグループの堀内孝雄が歌う公式応援歌第5弾。
- 情熱ヴィクトリー(歌:杉田二郎、ばんばひろふみ)
- 紅の翼 2011 〜さあ行こう戦いの舞台へ〜(作詞:庄司哲洋、作曲・歌:堀内孝雄)
- 「紅の翼」が制作された2009年は球団創設5年目の節目の年でクライマックスシリーズ進出を果たした記念すべきシーズンであった。このシーズンを越えるべく制作された公式応援歌である。
公認応援歌
- 荒鷲のうた(作詞・作曲:石橋凌、歌:ARB)
- 東北楽天! おらほの! イーグルス(作詞:さくま詩穂里、作曲:斉藤常雄、歌:鴻巣巧一)
- 黄金のつばさ(作詞:白津守康、作曲:餅雅彦、歌:板橋修)
- Dream of EAGLES〜夢をかなえて(作詞・本間秋彦、作曲・坂本サトル、歌:サトル&アッキー)
- 楽天イーグルスGO! GO! GO! GO! (作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山)
- 毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。
公認イメージソング
その他
主催ゲーム開催球場
本拠地
新規参入時から現在まで、宮城県が所有する宮城球場(仙台市宮城野区宮城野原公園総合運動場内)を本拠地球場とし、楽天野球団が都市公園法第5条第1項の許可(管理許可)を受けて運営している[143]。ただし、3年毎に命名権の公募がなされ、権利を取得した企業が命名する愛称が「宮城球場」より優先して用いられている。
シーズン | 取得企業 | 契約料(税抜) | 愛称 | 主な略記 |
---|---|---|---|---|
2005年 - 2007年 | フルキャスト | 2億0000万円/年 | フルキャストスタジアム宮城 | フルスタ宮城 |
2008年 - 2010年 | 日本製紙 | 2億5000万円/年 | クリネックススタジアム宮城 | Kスタ宮城 |
2011年 - 2013年 | 2億0000万円/年 | 日本製紙クリネックススタジアム宮城 | ||
2014年 - 2016年 | 楽天 | 2億0100万円/年 | 楽天Koboスタジアム宮城 | コボスタ宮城 Koboスタ宮城(2016年) |
2017年 | Koboパーク宮城 | Koboパーク | ||
2018年 - 2022年 | 楽天生命パーク宮城 | 楽天生命パーク |
2020年1月21日、本拠地への入場を日本初の全面2次元バーコード化すると発表した[144]。
地方開催
収容人員と観客動員数
本拠地球場である宮城球場の収容人員、および、レギュラーシーズンの主催試合の宮城球場以外も含んだ観客動員数と1試合平均観客数は以下の通り。パ・リーグでのレギュラーシーズンの順位も付記。この統計では観客数に加えられないポストシーズンがあった年は特記。
年 | 試合数 | 観客動員 | 1試合平均 | 宮城球場の収容人員 | 順位 | PS |
---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | 68試合 | 977,104人 | 14,369人 | 20,000人 | 6位 | - |
2006年 | 951,723人 | 13,996人 | 23,000人 | 6位 | - | |
2007年 | 72試合 | 1,117,369人 | 15,519人 | 4位 | - | |
2008年 | 1,149,061人 | 15,959人 | 22,187人 | 5位 | - | |
2009年 | 1,203,169人 | 16,711人 | 22,098人 | 2位 | CS | |
2010年 | 1,141,640人 | 15,856人 | 23,026人 | 6位 | - | |
2011年 | 1,168,188人 | 16,225人 | 5位 | - | ||
2012年 | 1,177,793人 | 16,358人 | 4位 | - | ||
2013年 | 1,281,087人 | 17,793人 | 【 【 4月 ~】 23,466人 【 9月 ~】 25,651人 【10月 3日~】 25,868人 【10月17日~】 26,695人 【10月26日~】 28,120人 |
1月 ~】 23,451人1位 | CS+JS | |
2014年 | 1,450,233人 | 20,142人 | 【 【 8月30日~】 28,736人 |
4月 1日~】 25,717人6位 | - | |
2015年 | 71試合 | 1,524,149人 | 21,467人 | 28,451人 | 6位 | - |
2016年 | 72試合 | 1,620,961人 | 22,513人 | 30,508人 | 5位 | - |
2017年 | 71試合 | 1,770,108人 | 24,931人 | 3位 | CS | |
2018年 | 72試合 | 1,726,004人 | 23,972人 | 6位 | ─ | |
2019年 | 71試合 | 1,821,785人 | 25,659人 | 3位 | CS |
- 収容人員と観客動員数の変化
場内アナウンス
- 楽天生命パーク宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンス(「スタジアムDJ」と呼ばれる)は球団創設1年目の2005年から取り入れている。
- 男性の場内アナウンスは京セラドームやほっともっとフィールドで開催されるオリックス主催ゲームが先駆けであるが、大阪D・神戸はメジャーリーグを手本としてポジションや打順を英語でアナウンスするのに対し、こちらでは日本語のままでアナウンスする。
- 2013年からの楽天イーグルスの選手コールでは、「打順、ポジション、背番号、選手名」の順であり、メジャーリーグにおけるコールと同じ順である。
楽天生命パーク宮城 歴代場内アナウンス
期間 | 男声 | 女声 |
---|---|---|
2005年 - 2007年 | 古田優児 | 岩手佳代子・高野志津 |
2008年 | 岩手佳代子 | |
2009年 - 2011年 | 山口祐佳[注釈 9] | |
2012年 | 紺野陽子 | |
2013年 | 千葉正人[注釈 10] | 紺野陽子 |
2014年 - | 不明 |
応援スタイル
- 本拠地・楽天生命パーク宮城ではトランペットや笛の使用は禁止されており、NPBから許可を受けた私設応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない。楽天のみならず、他球団の応援団に対しても同様)。なお、コボスタ宮城以外の球場ではトランペットや笛を使用した応援を行っている。
- 楽天攻撃時の選手の打席では他球団で行っている「かっとばせ」コールの代わりに「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がるように語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」(東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団である「全国荒鷲連合会(総本部・北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されていた。しかし、2018年シーズンより応援をシンプルにするという目的で、「○○!○○!ォォォォオオオオ○○!」(○○は選手名、ォォォォオオオオは上記同様)という「3・3・4拍子」に変更された。ただしチャンステーマ1のみ「4・4・8拍子」である。
- 一部の選手については「4・4・8拍子」とは別の応援スタイルを取っている者も存在する(聖澤諒、外国人選手など)。
- 初回攻撃開始時は2017年まで"オープニングテーマ"(原曲:さとう宗幸の「青葉城恋唄」)が、2018年には「初回先頭打者テーマ」が歌われていた。2019年からは「ウイニングイーグル」を初回攻撃開始時のテーマとして使用している。
- 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も少なくなく、その選手には共通の汎用テーマを使用している。なお、汎用テーマは4種類(30歳未満選手用、30歳以上選手用、外国人選手用、投手用)用意されていた。
- 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。ちなみに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。その後、"チャンステーマ2"(原曲:山形のローカルヒーロー「大鍋宣隊イモニレンジャー」のテーマ)と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されていた。この他、九州地区、北海道地区、関東地区、関西地区、ならびに東北地区専用のチャンステーマも存在したが、2019年の応援歌再編に伴いチャンステーマは全国共通となった。
- 7回の攻撃開始前には球団歌「羽ばたけ楽天イーグルス」の演奏終了に合わせ赤のジェット風船を飛ばしている。また、楽天が勝利した際は白い風船を飛ばしている(「白星」の意味)。
- ホームゲームでの勝利時、監督・コーチ・選手一同がグラウンドに整列し挨拶を行っているが、その挨拶終了後、引き続き選手数名が外野スタンド前に走り、スタンドのファンと一緒に「万歳三唱」を行っている(どの選手が参加するかは日によって異なる)。また、万歳三唱の直後にバックスクリーン後方から花火を打ち上げる。
スポンサー
- ヘルメット
- キャップ
- ®POINT(2016年 - )
- 左袖
- パンツ
- 左胸
- ベンチシート、応援用ビッグユニフォームなど
- 北電子(2007 - 2008年)
- その他
- 宮城球場におけるイーグルス主管試合(一部を除く)において、スポンサー協賛デーの試合を設けている。球団のオフィシャルスポンサー・サプライヤーとなっている企業・団体が特設ブースを設けるほか、観戦者に対して協賛企業・団体のグッズプレゼントが行われる。また試合によってはトークショーなどもある。
試合中継放送
楽天では初代球団オーナー・三木谷の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは制作著作の権利までを球団側が所持。
従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。
インターネットテレビ
利用可能なサービス(2020年現在)
- パ・リーグTV(前身となるヤフー動画への導入は2007年から)
- Rakuten TV(旧楽天SHOWTIME・2014年から)
- マルチデバイス対応の動画配信サービス。公式戦ホームゲーム全試合中継。かつては楽天会員でなくても無料視聴可能だった。現在は「Rakuten パ・リーグSpecial」として有料配信している。
- DAZN
- パ・リーグLIVE
- ソフトバンクが提供するサービス。
- At Eagles
- AndroidとiOSスマートフォンアプリ。ホームゲームのライブ中継(現在はファーム戦のみ)、コミュニティFM局「Rakuten.FM TOHOKU」のネット配信、球団の最新情報等のコンテンツを配信。
過去のサービス
- 楽天イーグルスTV(2006 - 2007年)
- 宮城球場で行われるホームゲーム全69試合を動画生中継した。2005年は人数限定の有料放送。
- ニコニコ動画(2009 - 2017年)
- 2009年8月11日に「楽天イーグルスチャンネル」を開設。プロ野球シーズン中は主催試合のハイライト・試合後の監督の会見・勝利試合のヒーローインタビュー、オフシーズンには新入団選手の会見・キャンプのハイライトなどの動画を無料で随時公開している。
- プロ野球シーズン中には、上記の動画の公開に加えて、ニコニコ生放送内の特設ページで主催試合の放送権を有するCS放送局制作の公式戦中継映像・実況のインターネット向け同時配信を実施(日本国内限定・クライマックスシリーズへ進出した場合には宮城球場での開催試合も対象に追加)。2009年には、クライマックスシリーズを含めたホーム・ビジター18試合で、sky・A sports+制作の中継を同時に配信した。CSにおける主催試合の放送権がJ SPORTS(2012年・2015年-)→ 日テレプラス(2013年-2014年)へ移行しても同時配信を継続。2013年には、(クリネックススタジアム宮城以外の開催分を含む)主催公式戦全72試合に加えて、クライマックスシリーズ・ファイナルステージ全試合の中継も配信した。
- ニコニコ生放送では月額制の「プレミアム会員」を優先する視聴基準を設けているため、無料の「一般会員」として前述の中継を視聴する場合には、配信中でも視聴ユーザーの総数が収容人数を超えた時点で自動的に視聴できなくなる(いわゆる「生放送からの追い出し」)。さらに、「入場」(配信用ページへのアクセス開始)時間の早い順に会員の視聴権を割り当てているため、入場時間や当該ページへのアクセス状況によっては中継を視聴できないこともある。
- スポナビライブ
インターネットラジオ
- 楽天イーグルスラジオ「EAGLESTATION」
- 2013年9月13日のオリックス戦以降の主催試合(宮城球場開催分)では、Jストリームのライブ配信インフラを活用しながら、「楽天イーグルス実況中継」(球団の自主制作による同球場での主催試合実況中継)をTuneIn Radioで試験的に実施。10月2日にTuneIn Radio内へ「EAGLESTATION」を開設したことを機に、日本で初めて、プロスポーツ球団の自主制作による公式戦の実況中継を本格的に開始した[151]。
- 中継音源の聴取は無料で、スポンサーを付けていないため、イニングの間にはCMを挿入しない。ただし、配信時間は試合開始の直前から終了(楽天が勝利した場合にはヒーローインタビュー)直後までに限定。それ以外の時間帯には「SIGN OFF」扱いで配信を完全に休止するため、ダイジェストを含めて、過去の中継音源をオンデマンド形式で聴取することも不可能である。
- 2013年の中継では、解説者を配置せず、球団のイベント関係者(中継上の名義は「しゃべれる裏方“いしち”」)が実況と進行を兼務。「EAGLESTATION」の運用開始後は、10月3日のロッテ戦を皮切りに、主催公式戦6試合とクライマックスシリーズ・ファイナルステージの全試合(いずれも同球場開催分)を中継した。なお、公式戦期間中は宮城球場の内野スタンド上段に実況ブースを設けていたが、クライマックスシリーズではグラウンド付近の一塁側内野席へ中継機材を移動。中継日によっては、球団関係者やゴールデンエンジェルスのメンバー(当日の総合MC担当)などをゲストに招くこともあった。
- 2014年には、公式戦初の主催試合(4月1日のオリックス戦)を皮切りに、コボスタ宮城で主催する公式戦全67試合を中継。前年から続く日本語版に「英語チャンネル(English Channel)」を加えたうえで、日英2か国語による同時配信を実施した。また、日本語版の中継では、実況と進行を兼務するMCが日替わりで出演。前年担当の「いしち」に加えて、平方恭子(スカイ・Aでの東北楽天主催試合中継初代リポーター)、地元・仙台を拠点に活動するお笑い集団ティーライズのメンバーなどがMCを務めた[152]。また、ビジターゲームの一部試合の中継を開始。
- 2015年には、インターネットラジオ配信プラットフォーム「Rakuten.FM」でも配信を開始。
- 2015年8月8日をもって、「EAGLESTATION」としては終了。日本語版は翌日より、コミュニティFM局「Rakuten.FM TOHOKU」のサイマル放送のネットラジオとしてリニューアルし、試合中継は「EAGLE BASEBALL GAME SHOW」として一番組扱いで継続している。英語チャンネルは、「Rakuten.FM TOHOKU(English)」に改称し引き続き試合中継のみのネットラジオ単独放送として継続。
従来型放送
- 地上波テレビ:NHK・在仙民放各局がホームゲームを放送。
- NHK:地上波デジタル放送に関しては、サブチャンネルにて試合終了まで放送。東北地方で放送。ただし、楽天球団制作映像優先の方針により、自局での映像制作には一定の制限があり、中継権を持たない試合の資料映像については、原則として楽天野球団制作からの配信を受ける。楽天Koboスタジアム宮城の左翼場外で「スマイルグリコパーク」(試合を観戦できる観覧車などを設置した遊園地)の営業を開始した2016年以降の全国向け中継(主に日曜日のデーゲーム中継)では、観覧車のゴンドラの窓からホーム方向を写した映像の生中継や、スタンドリポート専任のアナウンサーによるパーク・スタンド内からのリポートを随時挿入している。
- 2009年のクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦を放送(BS1でも放送されたが、実況・解説者は異なる)。番組編成は以下の通り
- TBCテレビ:在仙のなかでは一番放送の数が多く創設当初は日曜のデーゲーム、現在は水曜のナイトゲームが中心。毎年1試合以上は巨人戦を差し替えて放送している、解説は2005年が対戦相手地域やJNN所属の相手OB解説者が、2006年は衣笠祥雄・川口和久・盛田幸妃・仙台出身の佐々木主浩が担当。2007年はラジオ解説が主の佐々木信行・秦真司が行い、2008年は駒田徳広・松本匡史も加わり2009年からは高橋雅裕が2010年は杉山賢人が新加入(衣笠、川口、盛田、佐々木(主)、駒田、秦は現在TBCで担当していない)。アナウンサー陣は佐藤修(2011年度よりスポーツ部所属)・松尾武・守屋周・飯野雅人。2010年からは木曜日にローカル枠が出現したおかげでゴールデンタイムの中継が増え過去最多の11試合を中継。過去には実況で三橋泰介(フリー)・大井健郎(現・報道記者)、リポーターで猪井操子(フリー)・根本宣彦・山本義幸も担当した。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年5月の交流試合・巨人戦2試合(TBS製作、TBCアナウンサーは楽天ベンチリポーターのみ)
- 2009年のクライマックスパ第1ステージ第2戦(自社製作、RKBにもネットされた)
- 2011年4月のKスタ開幕・オリックス戦(TBCは宮城ローカル、全国中継は横浜×巨人との二元中継でTBSのスタッフで放送された)
TBC製作分…解説:杉山賢人 実況:松尾武 ベンチリポーター:飯野雅人 スタンドリポーター:高以亜希子
TBS製作分…解説:佐々木主浩 ゲスト:松山英樹 実況:林正浩 ベンチリポーター:伊藤隆佑
- 仙台放送:土曜デーゲームが多いが2005年・2006年・2009年は巨人戦を差し替えていた。解説は斉藤明雄・高木豊・達川光男・田尾安志・江本孟紀のフジテレビ系列解説者が担当。2010年のオリックス戦では2009年まで楽天打撃コーチを担当した池山隆寛がベンチサイド解説を務めた。実況アナの変貌が目まぐるしく2005年は下田恒幸(現フリー)が3試合、佐藤拓雄が1試合実況を務め、2006年は浅見博幸が2試合を実況。金澤聡がリポーターを務めた後2007年から実況、板垣龍佑(現テレビ東京)がリポーターを務めた後2009年からは広瀬修一が担当。2006年の実況を務めた浅見がインタビュアーとして同局中継3年ぶりの登場を果たした(中継終了後にインタビューが行われた)。在仙局の中では中継が一番少ないが、ビジターゲームを中心に中継。アナウンサー(主に金澤)をベンチリポーターとして派遣している。2007年からは毎年1試合のみの中継となっていたが2011年は4月と5月さらには7月に1試合ずつ中継された。
ポストシーズンの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ、VS北海道日本ハムファイターズ・第3戦(北海道文化放送製作)
- ミヤギテレビ:レギュラーシーズンは週末デーゲームのみ未だに差し替え中継の実施はない。解説者は2005年が日本テレビの中畑清・水野雄仁が担当、2006年から2008年までは楽天OB初のミヤギテレビ専属解説者となった川尻哲郎と日本テレビの池谷公二郎。2009年4月の西武戦と9月の日本ハム戦を阿波野秀幸が務め10月のクライマックスシリーズを若菜嘉晴が務めた2010年は初代打撃コーチの駒田徳広と笘篠賢治(苫篠は引き続き現在まで解説継続中)、2011年は佐野慈紀・西崎幸広が担当。実況は伊藤拓とリポーターを担当している外賀幸一が2009年7月のオリックス戦を実況する予定(解説は前述の若菜)だったが試合開始直前に中止となり幻となったが2010年7月の日本ハム戦で野球実況デビューを果たした。さらには2010年4月の中継では加藤智也がリポーターを担当。伊藤・外賀・加藤の先輩・上司にあたる三雲茂晴も裏方(制作)として中継に参加している。2009年4月3日に札幌ドームで行われた日本ハム戦の中継を系列のSTVが行ったものの同局は巨人戦を優先し、4年間続いていた開幕中継をストップさせた。
ポストシーズンでの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ・第1戦、第2戦(札幌テレビ製作の映像+仙台のスタジオで伊藤が実況)
音声差し替え中継
その他
- 2005年5月の阪神戦(ホーム開催であったが系列の読売テレビ主導で製作、MMTは制作協力団体として伊藤を「派遣」する形で中継を行った)
- 東日本放送:夏の高校野球県大会中継をしていることもあり実況アナは豊富で中継数も仙台放送やミヤギテレビよりも多い、土曜デーゲーム中心だが2005年・2006年・2010年は巨人戦を、2011年はゴールデンタイムの編成を差し替えた。ホームでの巨人戦中継では2008年(詳細後述)を除きテレビ朝日製作のため協力(2011年現在も続いている)にまわり同局のアナウンサーは楽天リポーターとして登場する(2009年まで)。解説はほとんどの試合、東北福祉大OBの大塚光二が務めている(巨人戦の場合はグランド解説にまわる)が2008年は元ABCプロ野球解説者の村上隆行が、2010年からはデニー友利が新加入した。2008年まではファン代表としてローカルタレントの本間秋彦がゲスト出演。(本間が諸事情で来られない場合もゲストを配し、野崎靖博や戸叶尚も中継に加わったこともある)。実況は熊谷博之・岩崎心平・松本龍が担当。Jリーグ・ベガルタ戦中継がメインの加川潤も2005年1試合を担当した。リポーターは各実況アナに加え2007年のみ吉岡伸悟も担当、2008年までは相手チームにもリポーターを配し系列局のアナウンサーが担当していた。2007年はCS放送sky・A sports+中継の実況も担当。2008年は6月の交流試合・巨人戦を自社製作で行う予定だったが当日、朝に起きた岩手・宮城内陸地震の影響で中止。中継を行った4試合全てが4時間超になり終了まで中継ができない現象が続いた、2011年は在仙局では史上初となるKスタ以外でのホームゲーム中継を甲子園で実施、系列ABCの協力を全面に受け阪神戦同様の放送ブースで中継を行った。2006年から3年続けて開幕戦のネット受けを行いすべての試合で熊谷がベンチリポーターで派遣されている。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年と2006年5月の交流試合・巨人戦1試合ずつ(テレビ朝日製作、熊谷が楽天リポーターで出演)
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ第4戦(現地乗り込み、北海道テレビ製作の映像+熊谷の楽天応援実況)
- 2011年のオールスターゲーム第3戦(KHBアナウンサーの出演はなし)
音声差し替え中継
- 2010年6月の阪神戦(ABC製作映像+仙台のスタジオ 解説:大塚光二 実況:岩崎心平 リポート:松本龍)
- 2011年6月の阪神戦(2010年同様の対応 解説:大塚光二 実況:松本龍)
宮城県以外(東北や他チーム本拠地等)へのネット
- 宮城県以外の東北5県の民放では、在仙局制作の中継番組が年に数回ネットされる程度であり、とくに青森・秋田両県は少ない。
- 2005年シーズンのデーゲーム中継は隣県(特に2軍本拠の山形県や福島県、岩手県)、ソフトバンク戦においてはTBC製作をRKBで仙台放送製作をテレビ西日本で日本ハム戦においてはミヤギテレビ製作がSTVで放送されたこともある。
- 2010年以降のTBC木曜ナイターは全試合ではないものの青森、秋田を除く3県にもネットされた試合がある。
- 在仙局以外では、東京地区のTOKYO MXが2011年に「「がんばろう東北」東北楽天ゴールデンイーグルス野球中継」のタイトルで、4月30日と5月1日の対オリックス戦、および5月7日の対西武戦を中継(映像は球団制作のものを使用)。2013年10月21日のクライマックスファイナルシリーズ第4戦をテレビ東京(TXN)系列6局(テレビ東京植草朋樹アナウンサーが出張実況。野村克也、緒方耕一らが解説)[153]が中継。
- 2008年6月、交流戦2試合をBS朝日で放送。(当初は1日の広島戦を球団製作=スカイ・エーと同時、14日の巨人戦は東日本放送制作で宮城県向けローカル中継との同時放送を予定していたが、巨人戦中継予定当日が岩手・宮城内陸地震のため開催中止となり、予備日の16日の試合はKHBの放送枠の都合が付かなかったためこの試合も球団製作のものに変更された)
- 同8月から日本BS放送(BS11)にて「BS11プロ野球・全国生中継」として中継に本格参入。同年度は終盤10試合を放送した。sky・A sports+と同様の球団制作中継。2009年からはタイトルを「プロ野球まるごと中継 熱闘!BS11ナイター」として20試合程度を放送した。
- 2010年はタイトルを「熱闘!! 楽天戦 フル中継」と改題、中継数も30試合に増加。Kスタ宮城以外にも東京ドーム、岩手県営野球場、秋田こまちスタジアム、開成山野球場で行われる試合も放送されるようになった。なお2011年よりタイトルを「断然 パ・リーグ主義!!」と改題(QVCマリンフィールドのロッテ戦も中継されるため)。2012年は放送なし。
- 2011年からはBS11に加え、TwellVでも「TwellV プロ野球中継」で放送(BS11は2011年度をもって終了)。2011年度は楽天主催試合を4試合中継。2012年度は楽天主催試合15試合を中継された。
- 日テレプラス(「日テレプラス プロ野球中継 楽天イーグルス HEAT! LIVE」 2013年 - 2014年)[154]
- J SPORTS(「J SPORTS STADIUM・野球好き」2012年、2015年 - )[注釈 12][155]
- sky・A sports+(『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTENわしづかみ』 2011年まで)
- GAORA(アクティブ!ベースボール)
- AMラジオ
- 東北放送(県域放送):「TBCパワフルベースボール」[注釈 13]
- ※「プロ野球三都物語」は開幕前に1年に1度放送。
- NHK仙台放送局(東北地域向け):NHKプロ野球の枠での放送と、「先読み!夕方ニュース」など通常の番組を休止しての放送がある(7時のニュースは放送される)。
- Rakuten.FM TOHOKU(宮城野区):「EAGLES BASEBALL GAME SHOW」(2015年8月より) 日本で初めて、プロスポーツ球団の自主運営によるコミュニティFM局として開局[156]し、楽天全試合の中継を実施。解説者は楽天ベースボールスクールのジュニアコーチが日替わりで担当。なお、ビジター試合の中継はオフチューブ形式で行われる[注釈 14]。
- FM放送
- NHK仙台放送局(東北地方全域) : 開幕戦のみ放送。NHKラジオ第1放送が高校野球優先のうえ、実施期間のために放送ができず、FM放送を行っている。2005年 - 2007年の3年間はいずれも東北ブロックでの放送。2006年は対戦カードが日本ハムだったため、北海道でも放送された。
備考
- 2013年11月24日に仙台市内で実施された優勝パレード(参照)では、上記の地元地上波民放4局とNHK仙台放送局が、以下の分担によって共同で生中継を実施した[157]。
- 東日本放送:スタート地点周辺の撮影・取材(キー局・テレビ朝日制作の全国ネット番組『報道ステーション SUNDAY』内での全国向け生中継に協力)
- ミヤギテレビ:隊列の中の撮影(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
- 東北放送:選手や関係者が乗り込んだバスへの同行撮影・取材(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
- NHK仙台放送局:ヘリコプターによるパレードの空撮
- 仙台放送:上記の各局が撮影した映像の編集・管理(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
応援番組
- 黄金鷲団(東日本放送制作、ANN東北地方ブロックネット番組[注釈 15]、2005年4月2日 - 12月24日) - インターネット向けにもGyaO経由で配信
- CHALLENGE 燃えよ!EAGLES → 燃えよ!EAGLES(東日本放送制作、秋田朝日放送でも同時ネット、2005年3月 - )
- NEXT!犬鷲魂 ~We Love 楽天イーグルス~(J:COMチャンネル仙台)
らくてんみやぎのエフエム
楽天野球団 RAKUTEN BASEBALL, INC. | |
---|---|
愛称 | Rakuten.FM TOHOKU |
コールサイン | JOZZ2BN-FM |
周波数/送信出力 | 89.1 MHz/20 W |
本社・所在地 |
〒993-0011 宮城県仙台市宮城野区宮城野2-11-6 |
設立日 | 2004年10月29日 |
開局日 | 2015年8月9日 |
演奏所 | 宮城野区宮城野2丁目11-6(楽天生命パーク宮城) |
送信所 | 宮城野区榴岡5丁目11-1(仙台サンプラザ) |
放送区域 | 仙台市宮城野区の一部 |
公式サイト | http://www.rakuteneagles.jp/radio/ |
2015年8月9日に開局したコミュニティFM放送局[156]。愛称は「Rakuten.FM TOHOKU」(ラクテンドットエフエムトウホク)。
プロスポーツチームが直営する日本初のコミュニティ放送局となる[注釈 16]。放送区域は宮城野区の西部、楽天生命パーク宮城を中心とした区域で、区内のカバー世帯数は30.06%である。
なお、宮城野区には1999年から2007年まで、仙台市民放送(FMじょんぱ)がコミュニティFM放送を行っており、同一区内の局としては8年ぶりの復活という形となる。また同一市区内でコミュニティFM廃局後、新たに開局があったケースは、これまで廃局の周波数が割り当てられていたが、Rakuten.FM TOHOKUはFMじょんぱ(78.8MHz)から周波数が変更されており[注釈 17]全国初のケースとなっている。
放送内容
番組は毎日午前1:00を基点とした1日24時間放送[注釈 18]。イーグルスのプロ野球中継やチーム情報をはじめ、宮城野区の地域情報、観光番組、音楽番組で構成する。ほとんどの番組が自社制作であるが、fmいずみ制作の『せんだいラジオ通信』(仙台市広報番組)と『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!』はネット受けしている。
インターネット放送はRakuten.FM TOHOKU公式サイト、スマートフォンアプリ「At Eagles」、TuneIn Radioにて配信されている。
キーワード
フレックス・プライス
2009年よりKスタ宮城で行われる楽天の主催試合において、対戦相手や曜日などに応じてチケットの価格を変える「フレックス・プライス」が導入されている。「フレックス・プライス」のようなチケットの価格変動制は、メジャーリーグでは複数の球団が採用しており、日本では東京ヤクルトスワローズが神宮球場での読売ジャイアンツ戦、阪神タイガース戦に限り一部席種を割高にしている例があるが、本格的な導入は楽天が初めてになる。
チケットの価格は5段階で設定されており、高い順から「プラチナ」、「クリムゾン」、「ゴールド」、「シルバー」、「バリュー」となっている[注釈 19]。
席によっては、プラチナの価格がバリューの2倍以上になることもある[158]。
平日デーゲーム開催
2007年4月3日(火) - 5日(木)、フルキャストスタジアム宮城で日本ハムとの3連戦をいずれもデーゲームで開催した。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラスと東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況となった。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中の本拠地初登板もあって、約1万8千人ものファンが球場に詰め掛けた。翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火) - 3日(木)の対ロッテ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。
2009年 から2011年は平日デーゲームは行われず。2009年はWBCのため開幕が遅く4月7日(火)がホーム開幕戦。2010年はホーム開幕戦が土曜日に設定されたため(他球場では前日の金曜にホーム開幕戦となるナイターが行われている)。2011年は当初3月29日(火) - 3月31日(木)の対ソフトバンク3連戦をデーゲームで開催する予定になっていたが、東日本大震災の影響による開幕日延期のため取り止めとなった[注釈 20]。
2012年からは平日デーゲームが再開され、2013年以降も毎年4月初旬に平日デーゲームが2試合程度組まれるようになっている。2017年は宮城での開催に加え、郡山・ヨーク開成山スタジアムでも平日の薄暮デーゲーム開催が予定されていたが、雨天中止となっている他、夏季開催(7月27日・ソフトバンク戦)でも平日のデーゲーム開催を行った。 また、パ・リーグでは他にロッテ、日本ハム、西武も平日デーゲームを組むようになった。
ちなみに、本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代 - 1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合やプレーオフ(パ・リーグ)、日本シリーズでも行われていた。
- イーグルス花火大会の開催に伴う薄暮デーゲーム開催
これとは別に、2015年5月21日(木)の日本ハム戦は「第1回楽天イーグルス花火大会[159]」を試合終了後に行う予定であるため、通常より2時間早い16時からの薄暮デーゲーム開催とした。
これは、近接の仙台市陸上競技場のトラックから約2000発を打ち上げる花火大会そのもののほか、イーグルスが翌22日からの西武戦の会場・西武プリンスドームへの試合終了後の直接移動が可能であるという点も含めた総合的な判断で薄暮デーゲーム開催とした。長時間の試合であっても、若干の規模縮小などが生じるものの花火大会を開催できるように配慮した時間設定をしたものだったが、試合が延長戦にもつれ、試合開始から5時間が経過した21時を過ぎても試合が続いてしまう状況となってしまった(結局延長12回・5時間37分もかかる大乱戦となり、試合終了が21時40分を過ぎてしまっていた)。そのため周辺の騒音や選手の翌日の試合会場への移動(特に楽天の選手はこの試合終了後に予定していた西武プリンスドームへの直接移動ができなくなった)などを考慮して、この日の花火大会とそれに付随したAUN J CLASSIC ORCHESTRAによる音楽ライブの開催を断念せざるを得なくなった。
なお花火大会の代替日程は5月21日時点では未定であったが、あるファンから「花火を見たかった」という声をかけられた球団職員は「代替開催ができるように検討していく」としている他、立花も「残念すぎる。今日(21日)のお客様方に何らかの形で対応できるように考えたい」と延期開催の可能性を示唆するコメントを残している[注釈 21]。
この後、5月29日に、この第1回花火大会の「リベンジ」延期開催を、7月11日にデーゲーム(14時)開催で行う予定としているオリックス戦で改めて行うことを発表した。この日は3000発の花火を打ち上げる予定にしているが、今回は長時間開催や荒天時の対応もはっきりと明示しており、
- 試合中止、また試合終了時に強風や豪雨などにより開催できない場合、試合終了が20時を超えた場合は中止
- 11日の試合、ないしはイベント中止時は12日に延期することにするが、12日も開催中止であればイベント自体延期せず中止する
- 試合終了後から19時30分までイベントの開催を予定している(ただし、5月21日のゲストであるAUN J CLASSIC ORCHESTRAの出場については明示されていない)
と記載されている[160]。そして7月11日のデーゲーム終了後、無事に花火大会は開催され、試合を観戦した人など市民約15000人が集まった[161]。
- 開幕戦薄暮デーゲーム
2016年の開幕戦・ソフトバンク戦は、開幕戦のデーゲームとしては48年ぶりとなる薄暮デーゲーム[注釈 22]として16時から行われる。[162]これとは別に4月1日の西武戦も13時から実施され、またアウェーに出ての3月29・30日のロッテ戦(QVCマリン)も13時開始と、ナイター設備が整った近代において開幕当初の8試合がデーゲームという異例な日程となった(このほか4月12日の千葉ロッテ戦もデーゲームであったが、この時は残り2連戦はナイターだった)[163]。
地方球場の命名権
地域密着を目指すという観点で、[要出典]イーグルスでは2軍の主本拠である利府町中央公園野球場(楽天イーグルス利府球場)のほか、地方遠征(主に2軍)を開催する岩泉球場・しらさわグリーンパーク・湯沢市稲川野球場を初めとした東北地方16か所(2014年2月現在)の命名権を持っており、それぞれ「楽天イーグルス○○球場」「イーグルス○○球場」という名称を使用している。
これはイーグルスが2007年9月から取り組んでいる「フィールドサポートプログラム」という制度によるもので、東北地方各地の「野球競技を実施できる野球場」を対象として、球場を保有する地方自治体などと協議したうえで愛称を設定するが、通常の命名権のようなチーム名称・ロゴの使用のためのロイヤリティーは発生しない[164]。
基本コンセプトを「地域と球団間における野球普及・促進に向けた協力活動」の一環[164]として実施しており、これらの野球場では2軍(イースタン・リーグ)公式戦の開催(硬式球が使用できる球場のみ)のほか、年1回以上「イーグルス野球塾」と題した少年野球教室の開催などを通して、地域の野球振興に寄与し、また地元でのイーグルスの応援を高揚させるという目的がある。
がんばろう東北
地震による甚大な被害を受けた東北地方の人々を励ますべく、1995年の阪神・淡路大震災時のオリックス・ブルーウェーブが用いた「がんばろうKOBE」にあやかって作られた言葉。2008年の岩手・宮城内陸地震と2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)において使用され、ユニホームの袖部分にもこのフレーズが描かれたワッペンが貼り付けられた[注釈 23]。
個人に対するファーム主催試合の命名権販売
2014年には、個人を対象に、「FAN'Sデー」期間中(4月18日 - 20日)に楽天イーグルス利府球場で主催するイースタン・リーグ公式戦3試合の命名権を1試合3万円で販売[165]。3試合とも完売したため、当該カードの試合前には、命名の対象者による始球式などのセレモニーを実施した[166]。ちなみに、個人に対する球団主催公式戦の命名権販売は、NPBの球団では初めての試みである。
主なキャンプ地
- 久米島町営仲里野球場(沖縄県島尻郡久米島町) - 二軍第1次春季キャンプ
- 久米島野球場(沖縄県島尻郡久米島町) - 一軍第1次春季キャンプ、二軍第2次春季キャンプ
- 金武町ベースボールスタジアム(沖縄県国頭郡金武町) - 一軍第2次春季キャンプ
- マスカットスタジアム(岡山県倉敷市) - 秋季キャンプ
ショップ
オフィシャルショップは「楽天イーグルスグッズショップ 」。店舗は以下の通り。
- スタジアム店 チームショップ[167]
- 宮城県仙台市宮城野区宮城野2-11-6(楽天生命パーク宮城 イーグルスプラザ内)
- 仙台駅東口店[167]
- 宮城県仙台市宮城野区榴岡4-1-8
- エスパル仙台店[168]
- 宮城県仙台市青葉区中央1丁目1-1 エスパル仙台 東館1階
上記とは別に「藤崎青葉通り店」、「仙台駅店」、「盛岡店」も設けられていたが、閉店[169]。
スポーツラウンジ「T.R.G.E.」
2014年の公式戦開幕日(3月28日)からは、球団直営のスポーツラウンジ「T.R.G.E.(TOHOKU RAKUTEN GOLDEN EAGLES OFFICIAL SPORTS LOUNGE)」を、仙台市の繁華街・国分町2丁目のエーラクフレンディアビルの1階にオープン[170]。東北楽天戦をはじめ、テレビのスポーツ中継を見られるスポーツバーで、アルコール飲料も有料で提供する[171]。2017年2月22日をもって営業を終了。[172]
関連書籍
- 朝日新聞スポーツ部『スト決行 プロ野球が消えた2日間』朝日新聞社、2004年。ISBN 4022579781。
- 『楽天主義。東北楽天ゴールデンイーグルス応援BOOK』ベースボール・マガジン社〈週刊ベースボール別冊〉、2005年。
その他
- 平成29年6月29日:本球団とクラーク記念国際高等学校が提携して高校の仙台キャンパスに女子硬式野球部を創部すると発表[173][174][175][176][177]。監督は球団OBの山崎隆広。
- 運営母体である楽天グループ社員の社内同好会として「東京楽天ゴールデンイーグルス(旧品川楽天)」と「関西楽天ゴールデンイーグルス」というゴールデンイーグルスの名を冠した草野球チームが存在している。[178]
脚注
注釈
- ^ この時「イーグルス」の商標を先に取ったのは、参入時のライバル・ライブドアであった。
- ^ シーズン2度の11連敗以上は1956年に12連敗を2度喫した高橋ユニオンズ以来、日本プロ野球史上2度目だった。
- ^ 球場に被害はなかったが、試合は関係者の安否確認のため8回で打ち切りとなっている[30]。
- ^ 4月15日 - 17日・阪神甲子園球場、4月22日 - 24日・ほっともっとフィールド神戸。
- ^ 阪神甲子園球場でのパ・リーグ球団の主催試合は史上初。
- ^ この年は10月にも受賞しており、年間3度はパ・リーグ初の記録[43]。
- ^ シーズン連勝記録は継続扱いとなった。
- ^ 2011年は鉄平、2012年は松井稼頭央。
- ^ 体調不良による休養期間あり。
- ^ 元ソニー仙台FC、モンテディオ山形スタジアムDJ。
- ^ ベガルタ仙台の胸スポンサーにもなっている。
- ^ 字幕はJ SPORTS側で用意したものを使った以外、基本的に球団製作のものを使用。ただし同時ネットで放送するTwellV・パ・リーグTVは従来通り球団製作の字幕を採用していた
- ^ ビジターゲームを放送するときは、その地域の放送局と同時放送。
- ^ 交流戦ビジター試合は1球ごとのリアルタイム中継ではなく、「EAGLES BASEBALL TALK SHOW」としてゲストを招いてのトークショーをメインとしながら、試合経過を随時速報で伝える内容であった。
- ^ 制作局である東日本放送の他に、青森朝日放送、岩手朝日テレビ、秋田朝日放送、山形テレビ、福島放送の6局ネットで放送。
- ^ 県域放送局では、広島東洋カープが広島エフエム放送の大株主(2015年3月31日現在筆頭株主)という事例がある。同社の初代社長は当時広島球団のオーナーだった松田耕平が務めた。耕平の没後も次男の松田弘が務めるなど、広島球団および球団の事実上のオーナーである松田家(自動車メーカー・マツダの創業家)との関係が深い。
- ^ FMじょんぱ閉局の半年後に隣接する太白区にてエフエムたいはくが僅か0.1MHz違いの78.9MHzで開局しており、FMじょんぱの周波数をRakuten.FM TOHOKUに割り当てを行う事は実質的に不可な状況でもあった。
- ^ 24時間放送は2015年10月10日より開始。開局時は6:00 - 翌1:00 の1日19時間放送であった。
- ^ クリムゾンは2013年より導入。2014年まではシルバーとバリューの間に「ブロンズ」が設定されていた
- ^ 楽天以外の関東の一部球団についても、平日のナイターをデーゲーム(薄暮開始含む)に移行したり、巨人・西武のように4月中の本拠地主管試合開催を断念した球団もある。
- ^ 坂本達洋 (2015年5月21日). “【楽天】「5時間37分」で踏んだり蹴ったり! 花火大会中止 & 移動できず”. スポーツ報知 2015年5月22日閲覧。当記事の写真において、大型ビジョンに「21時を過ぎましたので花火大会は中止させていただきます」と表示された様子が写っている。
- ^ 前回は1968年4月6日・西鉄対近鉄戦(平和台球場・17時開始)。これ以外にも平日開催の開幕戦でのデーゲーム開催は、巨人と日本ハムが後楽園球場・東京ドームを併用し、同時期に前年Aクラスで開幕主管権を得た時に頻繁に行われている
- ^ デザインは、ホーム用がえんじ色地に白枠、その中に白文字で。ビジター用は、白地にえんじ色の枠、その中にえんじ色の文字で「がんばろう東北(東と北の文字の間に帽子にも使われるEマーク)」。
出典
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- ^ 楽天が女子硬式野球部設立
- ^ 楽天と提携 東北初の高校女子硬式野球部創設
- ^ クラーク国際高等学校 仙台キャンパスの女子硬式野球部設立・運営を全面サポート
- ^ 【楽天】東北初、クラーク学園女子硬式野球部設立に協力 立花社長が三浦雄一郎校長らと会見
- ^ 楽天 女子高校野球部を支援「ご指導をいただきながら日本一を目指したい」
- ^ 東京楽天ゴールデンイーグルス
関連項目
- 楽天イーグルスTV
- ベガルタ仙台 - Koboパーク宮城にベガルタ仙台が広告を出し、ベガルタ仙台の主催ゲームにこの球団が看板を出している。
- ヴィッセル神戸 - 神戸市をホームタウンとするJリーグクラブ。運営しているのは楽天の子会社・楽天ヴィッセル神戸株式会社。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団
- 東北ゴールデンエンジェルス
- 仙台89ERS
- 仙台のスポーツ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
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